プロジェクト・ポートフォリオ・マネジメントと、顧客を選ぶということ

プロジェクト・ポートフォリオ・マネジメントと、顧客を選ぶということ (2015-09-21)

プロジェクト・ポートフォリオ・マネジメントという言葉をはじめて知ったのは2003年頃のことで、ITRという調査会社のレポートからだった。当時わたしは米国のPM関連製品について調べていたのだが、米国ではじつに100種類以上のPMソフトウェア・パッケージが発売されていた。その中でメジャーな商品は、ローエンドがMirosoft
Project、ハイエンドがPrimavera Project Plannerというプロ向きの製品だった。Primaveraは大規模プロジェクトの計画とスケジュール・コントロールに特化した製品で、日本ではごく一部の業界でしか使われていないため知名度が低いが、欧米ではエネルギー産業や航空宇宙産業に広く使われてきた。MS
ProjectもPrimaveraも現在ではサーバ型製品が主流だが、10年以上前はPC上でのスタンドアローン・ユースが普通だった。ちなみに当時すでにASP型(今でいうクラウド型)商品もでていたが、メジャーな製品はなかった。

ほかに、ERPのプロジェクト管理モジュールというものも存在した。SAP R/3のPSだとか、Oracle EBSのPAなどだ。これらは金額的には超弩級だが、プロジェクト・マネジメントの日々の実務を助けるツールというより、プロジェクト会計や原価管理のための道具であった。

しかし調査会社のレポートによると、これ以外に第3のカテゴリーが勃興しつつあるという。それがプロジェクト・ポートフォリオ・マネジメント(略称PPfM)であった。これはプロジェクトを投資ととらえ、企業が持つ複数のプロジェクトの組み合わせを、ちょうど金融資産のポートフォリオと同じように最適化し管理するための道具立て、との位置づけだった。

プロジェクトの上位計画をプログラムと呼ぶことは、当時も知っていた。アポロ計画は英語ではApollo Programという。そして個別の飛行ミッション、たとえばアポロ11号をプロジェクトと呼ぶのだ。プロジェクトの下には「フェーズ」がある。Program
> Project > Phaseの序列は、頭文字をとってPPPと呼ばれていた。しかし、実は第4のP、すなわちポートフォリオ(Portfolio)があって、それはプログラムよりも上位の概念なのだった。

そして米国の市場は、明らかにこのプロジェクト・ポートフォリオ・マネジメントに向かっている、とレポートは結論していた。この予測は、米国に関していうと、きわめて適切であった。MS
ProjectもPrimaveraも、その後の新バージョンではポートフォリオ・マネジメントを意識した形で、プロダクトを再デザインしていった。サーバ型製品が主流になったのも、ある意味でその影響である。PPfMにねらいを特化した製品も出るようになった。

そして日本市場は米国のトレンドを数年遅れて追っている。したがって、今後の期待株はPPfM関連の製品にある、とレポートは言いたげであった。

しかし、わたしは、それが日本でも広がるという予測には疑問を持った。そもそも、わたし達の社会では、プロジェクト・マネジメントは受注者がやる仕事だと考える風潮が強い。まるで投資者(発注者)は、発注書さえ切ってしまえば、あとは口々に好きな放題な要望を言えばよく、それをとりまとめるて調整するのは受注者の仕事だと思っているかのようだ。発注者こそ、きちんとプロジェクトを舵取りしなければならない、という社会的常識はきわめて薄い。

そして受注者にとって、プロジェクトは投資ではない。競争環境下にいる受注ビジネス企業は、どのプロジェクトをやるかは自分で決められないのだ。だからポートフォリオ・マネジメントなどやりようがない。日本では普及しないし、ソフトも売れないだろう。これが、わたしの予測だった。

10年以上が経った現在でも、わたし達の社会でポートフォリオ・マネジメント・ブームが来そうな兆しはない。企業にプロジェクト・ポートフォリオ・マネージャーという役職が設置されたという話も、いっこうに聞かない。

・・だが、つい最近、わたしは重大な見落としをしていた事に気がついた。それは、6月に開催した「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」でのことだった。

6月の研究部会では、元NECの田島彰二氏を講師に迎えた。田島さんは世界におけるプロジェクト標準化活動では、日本を代表する論客として長年、活躍してこられた方だ。国内より海外でずっと知名度が高い。PMIの各種スタンダードの巻末にある貢献者リストで、最も頻繁に名前を見かける日本人だろう。最近では、国際標準化機構ISOの、プログラムとポートフォリオ・マネジメントの標準策定に尽力しておられる。

その田島さんが、欧州で参加されたポートフォリオに関するワークショップで出題されたグループワークの問題を紹介された。著作権の関係もあるので正確な引用はできないが、おおよそこんな問題だった:

あなたは脱サラをして、風光明媚なエリアに地産地消のピザ屋を開くことにした。店を構え、レシピを工夫し、地元の仕入れもなんとか道筋をつけて、順調に運営しはじめたところだ。ところである日のこと、あなたのところに電話がある。これから観光バス1台に乗り込んだ団体ツアー客50名が、店の評判をきいて昼食に行きたいというのだ。今は11時過ぎだが、12時には来るという。それだけの数の客が来たら、小さなあなたの店は完全に満杯になる。それに、あなたの店はいつも11時半に開店して、いつもそれなりの常客が来てくれているのだ。さて、あなたはどうするべきか?

田島さんは研究部会の参加者を二人一組にわけて、それぞれに8分間で意見をまとめるよう依頼した。各チームの話し合いを見ていると、出題にどう取り組むか、参加者の頭がフル回転している様子がありありと感じられた。まず、50人分ものピザの材料はあるのか? 仕入れは今から追加手配して間に合うのか? 椅子やテーブルの数は足りているか? 店の外にもテーブルを並べるべきか。フロアのサービス係の人数は。かまどは一度にそれだけの数量を焼けるのか。そして、いつもの常客にはどう応対するのか。本日貸し切りにする? だが何とかやっと安定運営にこぎつけた店で、常客を断ったらまずくはないか。いや、そもそもこんな飲食店の話、どこがプロジェクト・マネジメントなんだ!?

だが、これは非常に面白い出題だと、わたしは思った。この話は、突発的な需要増が見込まれるケースで、どう戦略的な意思決定を下すかを問うている。その際にポイントとなるのは、経営資源が限られている、ということだ。店の従業員数も、スペースも、かまども椅子もテーブルも、そしてピザ製造の材料も、すべて『経営資源』の一種である、という風に抽象化して問題を捉えることができるかに、かかっている。

経営資源が限られている際に、どこに重点的に投入していくかという問題こそ、ポートフォリオ・マネジメントの要点である。そして、需要に対して経営資源が限られている場合、考えられる主な対応は、二つしかない。
(1)ボトルネックの資源を手配する(資源制約を緩める)
(2)顧客を選別する、
の二つである。だからこの地産地消ピザ屋の問題は、この(1)(2)の視点に気がつけるかどうか、回答者の戦略思考能力(抽象化能力といってもいい)を試しているわけだ。

ところで、わたしの見た限り、参加者のほとんどは(1)の対応策にのみ集中して議論していた。材料をどうするか、テーブルや椅子やスペースをどう広げるか、という議論で、つまりボトルネックはそうした点にあるだろう、という仮定に立っている。

しかし、(2)を明確に意識して、「観光客か常客のいずれかを選んで、他はお断りしよう」との意見は、あまり出てこないようだった。仕事(需要)が来たら、それをどうこなすかを必死に考える。しかし、顧客を選ぼう、という発想は意識に上らない。なんて技術屋的だろうと、わたしは感じた。

常客に加えて50人もの観光客が来たら、店は明らかにパンクする。無理に受け入れたら、確実にピザの味やサービスのクォリティは下がるだろう。それでも受け入れようと決めるのは、たしかにひとつ戦略的決断である。だが店の将来を考えたら、下手に今、評判の落ちるような仕事はできないのだから、顧客を選ぼう、というのもやはり戦略である。どちらがベターかは議論の余地もあろうし、たぶん正解はない。ただ、この両面の視点を持つことは、経営者として必須だ。

顧客は選べないし、選んではいけない、という思い込みは、わたし達の間に強固に存在している。顧客の中には上客も、こまった客も存在する。しかし注文しに来てくれた客である以上は、応対しなければいけない。応対すべきである。もし今かりに手一杯でも、一度断った客はたぶん二度と来ない。だから何とか応対を考えるべきだ、と。値切ってくる客とも、仕事を失わないよう、どこかで折り合いをつけるべきだ、と。

しかし、世の中にはまったく別の視点も存在するのだ。それは、経営とは顧客(のセグメント)を選ぶことである、という視点である。「経営者の仕事とは、店の前に客の行列をつくることだ」という意見も読んだことがある。客がつねに行列をなしていれば、自分のペースで、クオリティを落とさずに仕事ができるし、値切りにも応ぜず、いやな客はお断りできる。そのためには、どのような形で他社との競合から避けるか、どのような見えない参入障壁を築くか、どのような独自技術や商品を作り、どうマーケティングしプライシングていくかこそ、戦略である??そんな見方だって、存在するのだ。

ポートフォリオとは元々、書類を束ねる紙挟みを意味する言葉だ。そこから派生して、債権や株などいろいろな金融資産の束、組み合わせを意味するようになった。さらにそこから広がって、経営資源を投入する行為自体も、一種の投資と考え、それをうまく組み合わせようとするのが、現代のポートフォリオ・マネジメントである。

経営資源はつねに、有限である。そこで、どこにどう投入するかを、選ばなくてはいけない。何かを選んだら、他は捨てることになる。捨てたり、やめたり、断ったりすることが、ポートフォリオ・マネジメントから必然的に導かれる行為である。その対象の中には、市場のセグメントや、需要や、見込案件が含まれる。

あいにく長らく不況の続いた現在、案件選別という考え方は、受注ビジネスの分野ではきわめて薄弱だ。とにかく有望そうな案件にはトライしてみる。三つでも四つでも追いかけてみる。どれがとれるかは、わからない。二つ以上とれたら、どうするかって? そんなこと、とれる前に心配しても仕方がない。取れてから考えればいい・・「とれるだけ仕事をとってはいけない」とわたしが信じるようになったのは、つい近年のことである。

わたし達はやはりもう少し、ポートフォリオの視点を持つべきではないかと思う。日本プロジェクト・マネジメント協会が、日本独自の標準である「P2M=プログラム&プロジェクト・マネジメント」の改訂3版を昨年度出したが(わたしも標準ガイドブックの貢献者の一員である)、田島氏は、「経営戦略とプログラムの間に、ポートフォリオ・マネジメントを入れるべきだった」と批判している。たしかに、上記のような状況を考えると、正当な批判というべきだろう。顧客(セグメント)を選ぶこと、そのために圧倒的な競合力のある市場を作ること、それをめざして経営資源を投入すること、そして仮想的な顧客の行列を生み出すこと。そうしたポートフォリオの視点こそ、今のわたし達が必要とするものかもしれない。

<関連エントリ>
→「とれるだけ仕事をとってはいけない」(2015-03-03)

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