哀しい工場。 (工場計画論・番外編)

もう何年か前のことになるが、金融機関系の経営コンサルタントの知人から依頼されて、小さな工場を見に行ったことがある。知人は経営面の数字を見て提案の骨子を作ろうとしていたが、製造現場にもいろいろ問題がありそうだと感じたらしい。ただ化学系の工場は不得意なので、プラントもよく知っているわたしに手伝ってほしい、とのことだった。年商数十億の小規模工場なので、わが勤務先の仕事につながる可能性は少ないかとも思ったが、出かけていった。

住宅地にほど近い県道沿いに、その工場はあった。敷地内に数棟の工場建屋がたっている。その一棟の中にある事務室にわたし達は通された。副工場長や製造課の方々から、まずどんな製品を作っているのか、どんな工程から製造されるかの概要を教えてもらい、それから工場を一巡りする。これはどこの工場を見学する際も同じである。ただ、そのときの「一巡り」の順路が、最初のポイントになる。工場全体の分かりやすい配置図があって、工程の順番どおりに見せられるかどうか。複数の製品ファミリーがある場合(日本の製造業はどこも多品種少量生産を強いられるため、たいていそうなる)、製品別にブロック化されているのか、それとも設備・工程別か。また上下階はどう使い分けるか。こうした点に、生産マネジメントの設計思想が現れるからだ。

残念ながら、この工場の設備配置はばらばらで、製造の動線があちこちで交錯していた。土地代の高い日本の工場はどこも、多層階の建物の中に設備・装置をおしこめなくてはならない。前にも書いたが化学工場は工程間が密結合で、配管がメインの輸送手段だから、装置のレイアウトが経済性に大きく響く。だがここはたぶん、業容拡大期になりゆきで建物を増設し、製品種類の拡大とともに装置を入れやすい場所に据え付けた、という感じだ。しかしもっと驚いたのは、製造作業環境だった。製品性状にきびしいはずのファイン・ケミカル材料を、蓋のない攪拌槽の中で作っている。しかも部屋を気密にし空調をコントロールしている訳でもないので、窓から埃が飛びこんできてもおかしくない。品質問題はありませんか、と聞くと、「それが悩みなんです」との答えがかえってきた。

品質もさることながら、労働安全面も相当なものだった。無機化学で、個体や粉体、強酸などを扱う工場なのに、作業台の高さと搬送台車の高さが合っていない。人がかがんで手で持ち上げている。あれでは腰が辛そうだし、こぼす危険性だってある。中でも一番驚いたのは、強酸性流体の配管が、人の行き来する場所の真上を、ろくな支持もトレーもなしに通っていたことである。配管材の摩耗で中身がリークしたらどうするのか? 今どき、21世紀の日本にこんな工場がまだあるなんて信じられない。見学を終えて事務室に戻ったとき、思わずため息をついてしまった。

まあ、建物の配置自体は変えようがないにしても、物流動線を整理し、空調もきちんとし、適切な装置や治具を考案すれば、多少時間はかかるだろうが、おそらく生産性は10%近く上がるにちがいない。比例して製造コストも下がり、利益もまた出てくるだろう。化学会社出身の、自営コンサルタントの先輩を紹介して、少し地道にやってもらうことにしようか。そう考えて、見学後の質疑応答にのぞんだ。

製品種類や需要の動向、従業員数などの話がすんで、わたしに順番が回ってきたとき、いつもの質問をした。「代表的な製品の製造リードタイムを教えてください。それと、原材料・中間品・製品の在庫量はそれぞれどれくらいありますか?」

いうまでもないことだが、製造リードタイムと在庫量は表裏の関係にある。受注生産の会社では(この企業のように下請の中小はほぼ全て繰返し受注生産型である)、顧客がリーズナブルな納期を与えてくれる限り、基本的に製品在庫はゼロになる。『リーズナブル』とは、製造リードタイムよりも長い納期、との意味だ。仕込みから仕上げまで1週間かかる製品を、電話で「明日持ってこい」という顧客ばかりが相手なら、最低でも1週分の製品在庫を持たなければ、商売はやっていかれない。では、納期を1週間くれる顧客ばかりなら在庫ゼロになるかというと、そうではない。多品種を切り替えて作っている場合は、注文が来ても装置が空いていないことも多いからだ。でも、1週間で製造できる製品の在庫が、2ヶ月分も3ヶ月分もあるとしたら、何かがおかしいことになる(たぶんロットサイズが大きすぎるのだ)。

また原材料在庫について言えば、原材料の手配から納入までのリードタイム分は、常備しておくのが基本である(そうしなければ途中で品切れが生じる)。ただ、たまにしか使わず、納入が早い原材料は常備せずに都度の手配で良い。何を常備し、何を都度手配にするか。原料でおいておくのか途中まで加工して中間品としておくのか。ロットサイズをどうするのか。こうした事項には、需要(販売)の『読み』と生産の『決断』が必要になる。つまり、ちょっと大げさに思われるかもしれないが、リードタイムと在庫量を質問することは、生産マネジメントの基本方針を問う事なのである。

ところで、この会社の回答は、「在庫量と原料価格についてはお答えできません」だった。それは親会社からの指示らしかった。親会社は専門商社で、できた製品の営業・販売もうけもっている。ここは製造子会社で、言われたモノだけを言われたとおり作っているのだ。そればかりではなく、重要な原材料(貴金属の一種)の購買も親会社が取りしきっているらしい。相場商品だから秘密、という訳なのだろう。

しかし、原価構成が大まかにでも分からなくては、コンサルティングはやりようがない。コンサルティングとはつまり、問題解決の手伝いであり、問題の優先順位の整理だからだ。本案件は結局、仕事にはならなかった。

いっぱんに日本の製造業の苦境を批判する人は、まず経営者の資質を問題にすることが多い。つまり、"Who"の問題である。それから、魅力ある製品を開発できないことを指摘する。"What"の問題である。しかし、わたしには、あの実直そうな副工場長の人材の問題だとは思えなかった。あの人は、親会社から派遣されたトップの指示どおり動いているだけだ。同時に、この会社はそれなりにファイン製品を開発している。技術開発部門には、大卒の良い人材を一応つぎ込んでいるのだろう。WhoやWhatの問題ではない。日本の製造業への主な批判は、あとは立地つまり"Where"の問題だろうか。こんなに円高では海外に出るしかないはず、と。でも、この会社の顧客はすべて国内であり、安い輸入品と競争させられているのでもない。

Who(経営者)もWhat(新製品)もWhere(立地)も、かなりマクロな問題である。しかし、たいていの工場の中核問題は、生産マネジメントというミッド・スケールにある(『製造業の問題はミッドスケールのシステムで生じる』参照)。それは、ものをどう作るかという"How"の問題である。どう作るかと言っても、製造手順やレシピのことを指しているのではない。どう需要を予測し、何をどれだけ手配し、いつ、どれくらいのロットサイズで作り、どこにどうやって運び保管するのか、という問題だ。このHowの上手下手だけで、原価は5%くらい変わるだろう。何よりも、Volatileな需要の変動に対する追随性や安定性が向上する。ただなりゆきでモノを作っていても製造業は一応なりたつが、外部環境が変化したらひとたまりもない。

ただ、こうしたミッド・スケールの能力は、直接は見えにくく、測りにくい。それは最終結果として、リードタイムや在庫量、あるいは労働災害統計や離職率といった数値にあらわれてくるのみである。工場を見学するとき、これら数値が大事なのはそのためだ。

昨年の震災の時、この工場は大丈夫だったのだろうか。働いている人たちの頭の上から危険な液体が降り注いだりしなかっただろうか? 操業停止するような大きなダメージは受けなかっただろうか。働いている人たちはみな、真面目そうな方ばかりだった。危険な職場とはいえ、急に仕事がなくなったらもっと困るだろう。わたしが他所でこんな心配をしても、何の役にも立たないことは知っている。しかし、経営する母体が、「新製品」や「相場」や「リーダーの人材」だけが利益の源泉であると信じている企業なら、そこが工場であろうとなかろうと、じつは誰もが同じ問題に直面しているのである。

Follow me!