トラブルには技術的原因と、マネジメント的原因がある

トラブルには技術的原因と、マネジメント的原因がある
(2016-07-12)

トラブルの原因分析について、このところ2回にわたって考えてきた(「熱気球の浮上、または原因分析のシステムズ・アプローチについて」・「経験から学びすぎることの危険 ~ゆらぎある事象の原因分析について」 )。原因分析の手法にこだわっているのは、それが「学び」と「成長」の鍵だからである。自らの能力を向上させ、成長するためには、仕事の結果(成果)から学ぶべきだと、わたしは信じている。個人も、組織集団も、である。

仕事の結果としてトラブルが生じたら、そこから素直に学ぶ。成功からも学べるが、失敗から学ぶ方が、記憶に強く残るからだ。そして(当然ながら)すべてに成功できる人なんていない。あの本田宗一郎だって、「自分は失敗ばかりしていた」と言っているくらいだ。他人から見たら成功でも、自分ではそこに足りない点を見る、というのがこの経営者の卓越した点だったのだろう。

さて、繰り返すが、『根本原因』Root Causeとは、トラブル事象を因果関係で最上流までさかのぼって、「わたし達がコントロールし改善できる要因とみなせる事柄」を言う。自分が改善できない範囲の要因を、根本原因ととらえてはいけない。たとえば「不況のせいだから」とか「経営者がアホだから」というのは、根本原因にはならない(居酒屋談義ではよくきく説明だが)。

わたし達の意志の及ばない範囲のことは、ふつう「環境」とよぶ。市場環境とか自然環境とか職場(内部)環境といった言葉である。環境はわたし達の行動に影響を及ぼして、仕事の結果(成果)をけっこう左右する。「行動」と「環境」が成果を決める二大因子なのだ。

成果 = 行動 + 環境

そして、わたし達の行動は、実際には、わたし達が持つ「能力」と、「道具」と、わたし達の「意志」(決断)によって決まる。

行動 = 能力 + 道具 + 意志(決断)

能力とは潜在的なもので、多くの場合は結果を達成した確率から間接的に測られる。野球の打率のようなものだ。確率になるのは、環境がそのたびごとに変動する(相手の投手だとか体調だとか球場だとか)からである。以前の記事で、「チャレンジ行動」と「冒険的行動」を区別して書いたが、じつはどちらも確率的なものであって、単に失敗のリスク確率がリーズナブルか非常に大きいかの違いでしかない。リスク確率が高くて、無謀に思える冒険的行動をとるのは、「意志」(決断)でそう決めたからだ。もちろん、能力は使う道具にも依存する(良い道具を選んで使いこなすことは能力の一部である)。

さて、トラブル事象の原因分析をしていくと、原因には大きく二種類あることに気がついてくる。第一は、直接の技術的原因(きっかけ)である。それは、

(1) 能力に関わるもの:単純ミス、担当者の能力の低さ

(2) 道具に関わるもの:道具の故障、不適切な道具の使用

(3) 人間の意志(判断)に関わるもの:問題行動、悪意

(4) 環境に関わるもの:危険な環境、無理な制約

といったことだ。いずれも、上の方程式にある項目と関連している。

ところが、大きなトラブル事象の場合、直接の技術的原因(きっかけ)以外に、「マネジメント的な原因」が存在するのが常である。マネジメント的原因とは何か。それは、技術的原因(きっかけ)で生じかけたトラブルが、そのまま仕事の成果に出ないような「仕組み」を作ることを怠った、あるいは仕組みが機能しないのに放置していた、ということである。

たとえば、上記(1)の単純ミスについて考えよう。人間はミスをおかす生き物である。ミスをしない人はいない。だから、ポカよけ・多重チェック・インターロックなどの仕組みを講じるべきなのだ。乾電池を逆向きに入れられない形に設計する、といった工夫がポカよけであり、外側の扉を閉めないと内側のドアが開かない暗室の入り口のような仕組みが、インターロックである。一般に、人間のミスや誤判断を防ぐ仕組みを総称して「フールプルーフ」とよぶ。

また、(2)道具や機械は必ず故障するものである。故障が生じたとき、それが重大事故や製品の欠陥に結びつかないようにする仕組みを「フェイルセーフ」とよぶ。本質的安全設計、多重化・冗長化、バックアップ、ニンベンのついた自働化、工程内検査(自工程完結)などがその例だ。

(3)の人間の問題行動については、たとえばルール・契約・教育研修などによって低減できる。「無知」というのは問題行動の大きな源泉だが、まさに過去のLessons
Learnedから「学び」を共有することが、最大の対抗策である。

(4)の危険環境については、人間が危険な環境(作動中の機械なども含む)に直接触れないよう、防護柵を設置するなどの「セーフガード」が必要である。「作業環境」を清潔・快適に保つことが大事なことは、言うまでもない。また自然災害についても、発生を極力リアルタイムに検知・予測できるような仕組みをつくる、あるいは保険をかけて事後の回復を容易にする、などの手段がある。

トラブルや問題発生の可能性を予見して、フールプルーフ・フェイルセーフ・訓練・保険・セーフガードなどの対策を講じること。これを、一般に『リスクの事前対策』とよぶ。リスクの事前対策は、トラブル発生時の事後対応、そしてトラブル終結後の原因分析・学びとならんで、リスク・マネジメントの三本柱である。

大きなトラブル事象の原因分析をすると、たいていの場合、上に記したリスクへの事前対策が適切にとられていなかったこと、つまり「マネジメント的原因」が見つかる。逆にいうと、大きなトラブルは、直接の技術的原因(きっかけ)と、マネジメント的原因が同時に組み合わさったときに起きるのだ。もちろん、マネジメント的原因を見つけるためには、仕事の仕組み(システム)を見とおす能力がいる。

トラブルに学んで成長するためには、まず、起きた事実を、利害や好き嫌いなどの感情を離れて、できるだけ客観的に見る必要がある。そして現実と、意図した結果(約束や目標)からの乖離を見る訳である。ここが曖昧だと、原因分析のプロセスが起動しないため、何も学ぶことができなくなってしまう。また、かりに原因分析をしたとしても、マネジメント的原因の方を見過ごすと、一切の責任は、直接のきっかけを作った担当者にかぶさってしまう。あるいは不運な環境のせい、ということになってしまう。そして次のトラブルの根本原因は残ったままだ。だから担当者が変わっても、いつも似たようなトラブルの繰り返しということになる。いつも似たトラブルを繰り返すときは、「マネジメント的原因」の存在を疑うべきである。

今回の話は、ここで終わりにしてもいい。しかし(いつものくせで)もう一言だけつけくわえておこう。じつは、こうした「学びのサイクル」を阻害するものが、身近にあるのだ。思考習慣の上の問題、あるいは組織のOSのバグと言ってもいい。

それは、仕事の成果を、すべてリーダーの人格だけで説明する議論である。「あの仕事はうまくいった、それはリーダーのAさんが立派だったからだ。」「この仕事は失敗だ、なぜならリーダーのX氏がダメな奴だからだ。」・・こうした議論は、実質的に何も生まない。そもそも人の性格なんてすぐには変えられないのだから、結局、「リーダーを取り替える」しか、処方箋が出てこない。

こうした議論は、派閥や権力争いのある場所で生じやすい。そういった人間集団では、トラブル事象は、つねに「敵を攻撃する材料」としてとらえられる。結果として、不都合な事実やトラブルは、しばしば隠されることになる。こうした状況を皆さんはご覧になったことはないだろうか? たしかに人間集団には、権力争いがつねにつきまとう。だが、こんな組織で学びや成長がありうるだろうか?

こうした不都合を防ぐために、『ガバナンス』の仕組みが生まれたのである。ガバナンスとは、マネージャーをマネジメントする仕組みである。あるいは、リーダーの勝手気ままを牽制する仕組みといってもいい。

ガバナンスの仕組みでは、ルールや目標を明文化し、リーダーの恣意的判断や結果への言い逃れを防ぐ。ルールによって、リーダーや組織全体の行動の予見可能性を高めるのである。また記録をとり、第三者によるチェックを可能にすることも重視される。無論、必要に応じてはリーダーその他のポジションを入れ替えることもある。株主総会と取締役会というのは、代表的なコーポレート・ガバナンスの仕組みだが、まさにこういう仕掛けになっている。

こうしたガバナンスを構築することは、たしかにめんどくさいし、余計な間接業務が増える。日本版J-SOX と内部監査とで、いらん仕事が増えたと感じている向きも多いだろう。現在のJ-SOXのあり方を、全面的に弁護するつもりなど、わたしにもない。また、あれだけ守っておけばガバナンスは十分だというつもりもない。上に縷々述べたとおり、ガバナンスの仕組みとは、組織が学んで成長するために必要な、後戻り防止装置なのである。

わたし達は、お殿様が何でも独り決めできた、昔の時代に生きている訳ではない。ガバナンスは、組織の現代化には必須の仕組みなのである。かつての時代、殿様が無能だと、組織は何も学べなかった。わたし達は違う。仕事の成果を客観的に見て、目標値と比べて評価し、問題があれば原因分析を行って、仕事のシステムを改善することのできる時代に生きている。こうした仕組みこそ、やれ戦略だとかなんだとかいう前に押さえるべき、基本中の基本なのである。

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