--専門家と一般人のギャップ-- (2002/1/19発信)

--ITって何、か。それが一言で答えられるくらいなら、研修の講義をどうす
るか悩んだりしないよ。

「じゃあ、何言なら答えられるの。何時間とか、何日もかかるわけ?」

--そりゃあ、もちろん相手のレベルによりけりさ。一をきいて十を知る人なら
1時間もあれば本質は洞察できると思うけど、そんな人ばかりじゃないし。本当
は、大学の教養課程あたりで、じっくりと1年間かけてみんなに教えるのを必修
にすればいいんだけどね。

「でも、その1年の間に進歩して変わっちゃうんでしょう?」

--だから、それは教え方しだいさ。計算機という機械の構造や、表計算ソフト
みたいなパッケージ・ソフトの使い方を教えていたら、たしかに1年で古くなっ
てしまう。本当に大事なのは、情報というものとどうつきあうか、その考え方を
身につけることだ。そういうスキルは、古びない。

「じゃ、その考え方を教えてよ。」

--もちろん教えて上げたいけれども、どういう順番で全体像を説明すればいい
か、まだまとまらないんだ。

「ほんとうは自分でも分かっていないんでしょ。人に教えられないのは自分が分
かっていない証拠よ。」

--何を失敬な。君こそ、何がわからなくて何を知りたいんだ。

「何が分からないか自分でも分かんないからこそ、こうやって聞いているんじゃ
ない! ・・なんだかひどくギャップがあるみたいね、わたし達。」

--うーん・・じゃ、こうしよう。『二十の扉』方式でいく。君は自分がITに
ついて疑問に思っていることをぼくに聞く。ぼくはそれに答える。二十問くらい
やれば、たぶん全体像に近づけるだろう。

「何でも聞いていいのね?」

--いいよ。ただしそのかわり、一つ条件を付けさせてくれ。

「なあに、条件って。」

--決して、『・・って何?』という質問をしないこと。英語で言えばWhat is
…?という質問はなし。Whoとか、Howとか、Whyとか、Whereの質問だけにして欲
しい。

「どうして?」

--Whatの質問をすると、結局ツールや仕組みの説明になってしまいがちだから
さ。今の世間に氾濫しているITの説明書で一番問題なのは、計算機のハードや
ソフトといったツールの中身の説明ばかりしていることだろう。これはみなWhat
にたいする解説にすぎない。

「そうかしら。でもそれでなにが問題なの? ITを理解するって、そういうこ
ととはちがうのかしら。」

--ちがう。ITを理解するというのは、それが何の役に立つのか、それを使う
と何ができるのか、それを使いこなすためにはどんな工夫が、なぜ必要なのか、
そうしたことを理解することだと思う。
 たとえば、鉄道と機関車しかなかった時代に、自動車なる発明品が現れたとき
のことを考えてみたらいい。鉄道しか知らない人に、自動車の意義を理解しても
らうためには、何が大事か。けっしてエンジンの機械工学的説明をすることじゃ
ないはずだ。では、ハンドルとブレーキの扱い方か? そうでもない。皆がみな、
自動車の運転手になるわけじゃないからね。
 では、自動車の意義とは何か。
 これまでは線路のしかれているルート上の、駅という決まった場所に、決めら
れた時刻表にしたがってしか輸送できなかった人や貨物を、多少の道さえあれば
自由なルートで好きな時間に運ぶことを可能にする。それが自動車だろ? 人と
街のあり方を変えるだけではない。通勤も旅行もずっと便利になる。公共交通や
運送業は大きく変貌する。自動車産業という新しいビジネスも生まれる。個人の
レジャーも変わるだろう。

「はあ。」

--そのかわり、あちこちに道路を整備しなければならない。都市計画も練り直
さなけりゃならない。交通信号や運転免許の制度も必要だ。鉄と石油エネルギー
への依存度が大きくなってしまう。自動車を理解するってのは、そうしたこと全
体を洞察できるようになることじゃないだろか。「自動車って、何?」という質
問に答えるとは、そういうことなんだ。
 ITも同じさ。ITがあることで、自分の仕事や生活や世の中の仕組みにどん
なインパクトがでてくるのか。Whatの質問に仕組み論で答えるだけでは、そうし
た大事な観点が隠されてしまうと、ぼくは思ってる。

「でも、メカニズムのことだって少しは知っておかないと、理解できないわ。」

--じゃあ君は、自動車のメカニズムについて、何を知っている? 運転免許の
講習で聞いたごく簡単な話だけだろう。キャブレターって何か? それを知らな
くても運転はできる。TVの原理は知らなくても、TVを見ることはできる。作
ったり修理したりする人にはなれないけれど、上手な使い方は理解できる。そう
だろ? 
 Whatの話題って、モノの構造の話だ。でも、構造にかんする知識をいくら仕入
れても、それがどんな目的のためにどういう機能を発揮できるかを考えるのには
あまり役に立たない。

「ふーん・・じゃ、いいわ。Whatは無しね。それでは、第一問、いきます。
どうして、誰もITって何かをちゃんと私に説明してくれないの?」

--おいおい、何だその質問! それじゃ「ITって何?」と聞いているのとま
るきり同じじゃないか。

「あら、全然ちがうわよ。Whyの質問だからちゃんとルールは守っているもの。
それに私は世の中にきちんとした説明がないことの理由をまず知りたいの。これ
だけITが普及しているのに。おかしいわ」

--うーん。その質問は二段階で考えなけりゃいけないだろうな。まず、ITと
は何かを説明できる人が世の中にどれだけいるか、って問題。つぎに、その説明
があったとしても、君自身に届かない理由は何か、ってこと。
 第一の問題についていえば、世の中にはITの全貌をすべて知っている人なん
ていないと思う。

「そうかしら。」

--ITの領域は広大な上に、現在もものすごい速度でひろがりつつある。だか
ら、その全領域に精通している人なんて事実上いない。IT屋さんは専門分化し
ているからね。各々自分の得意な専門領域から見たITの話だけをするものだか
ら、葦の髄から天井覗く、みたいなことになってしまう。

「よしの髄、だって。・・古いわねえ、そんな喩え。いまどき新人研修じゃぜっ
たい通用しないわよ。ストローを通して外の景色を見る、くらいにしておいた
ら?」

--じゃ、それでもいいけど、とにかく全部をすべて知っている人はいないのさ。

「でも、全部のことをくまなく知らなくても、概論的な説明は可能だと思うの。
たとえば大学の先生なんてそういうの得意そうじゃない?」

--大学の先生たちに適任者がいるかっていうと、疑問だなあ。ITの最新の話
題は実業界がもっぱらリードしていて、そうしたものは学会に出てこないことが
多い。大学にも情報科学や情報工学という講座があるけれど、こまったことにア
カデミックな世界とビジネスの世界はかなり断絶感がある。この国じゃ人材の産
学交流も少ないし。

「じゃ、実業の世界の人はどうなの?」

--こちらはね、あまり概論をしゃべる人がいないのさ。なんといっても専門分
化することで競争を生きぬいているわけだから。専門的な話題に関しては、無料
の解説や宣伝、有料のセミナーもある。しかしそういうのは、業界に無縁な君の
ようなごく普通の生活者には届きようがないし、その意味もないでしょ?
 そもそもIT屋さんは「語らない」人が多い。専門家同士になるとやたらオタ
クの会話みたいに冗舌になるくせに、一般人相手となると、はなからコミュニケ
ーションをあきらめているところがある。広い意味では口べたな性格なのかもし
れない。
 その一方で、経済評論家みたいにやたらとITに冗舌な人達もいる。本屋にあ
ふれているIT解説書はもっぱらこの種の人たちの書いたものだ。でも、彼らは
ITの生み出す効能にはすごく関心をもっているけれど、あまり本質はわかって
いないみたいだね。表層だけの事象を捉えて、先進企業ではこうだアメリカでは
ああだとおしゃべりしている。結局、口数の多い素人と口べたな専門家ばかりで、
ギャップがひろがったままなんだと思う。

「もしかしてIT屋さん達は、みんなを無知蒙昧な状態においておいた方が儲か
るって思っているんじゃない? 『わたし作る人・ぼく食べる人』、みたいに役
割固定をねらって」

--それは邪推だよ! 実際のところ、『つくる側』としては『使う側』がもっ
とよく分かってくれたら楽なのに、と感じることの方が多い。なんていうか、ほ
ら、このカーナビみたいなものさ。たいていの人は、使って慣れてみて、はじめ
てどれほど便利なものか分かる。でも使う前は“そんなもの不要だ”と頑張る人
が多くて、説得に苦労する。カーナビの前はオートマチック・トランスミッショ
ンもそうだった。高いし燃費も応答性も悪い、とか食わずぎらいの反論はいくら
でもあった。でも今じゃ市場に出回っている車の9割はAT車じゃないのかな。
 ITだって買う前にその利便性と値段とリスクとのバランスがわかる人が増え
てくれた方がずっとありがたい。

「じゃ、なぜわかる説明がないのかしら。」

--たぶん、ITがわからないという人は、さっき君自身が言ったとおり、自分
がどこが本当にわからないかを言えないんだろう。つまり適切な質問ができない
から説明がすれ違いになるんだね。
 まったく未知の新しい事を説明するんだから、たとえ話をうまく使えるといい
のかもな。そう、たとえていうならね、ITというのはデータを媒介とした情報
のロジスティックスの仕組みだと思えばいい。それと、ITづくりの世界は建築
の世界に良く似ていると思う。この二つの比喩は、これから何回も使わせてもら
うかもな。

「ロジスティックスって、兵站とか物流ってこと? なんだかよくわからないわ
ね、あなたの説明も。あと19問でほんとにちゃんと分かるようにしてよ、お願
いだから。」

--あー。まかせるあるよ。インディアン嘘つかない。

(c) 2002, Tomoichi Sato
              (この話の登場人物はすべて架空のものです)