トラブル原因分析を、責任追及の場にしてはいけない

トラブル原因分析を、責任追及の場にしてはいけない (2014/11/10)

新製品の出荷を2ヶ月後に控え、新しい製造ラインの試運転前調整に入っていたある日、工務部門の担当者であるあなたのところに、ライン設置工事を請け負っていたエンジニアリング会社のプロマネから、とんでもない知らせが舞い込んできた。その会社の技術者が機械の操作ミスをしたらしく、製造機械の一部が破損してしまったというのだ。さっそく現場に飛んでいって様子を見てみる。残念ながら機械カバーがねじ曲がり、内部もダメージを受けている。幸い、人がけがをするようなタイプの破損ではないので、労働災害はなかったが、明らかに修理・再製作が必要だ。

エンジ会社のプロマネは装置のメーカー技術者を呼んで調べさせたが、いったんラインから取り外して、自社の工場に持ち帰る必要があるという。まずいことに、その装置はラインの中核近くにあり、周囲の機械設備をとりはずさないと動かせない。あなたは搬出と再製作にどれくらい時間がかかりそうかたずねた。業者の答えは「早くて1ヶ月以上かかります」だった。

現在すでに、出荷までの作業スケジュールの余裕はゼロだ。ということは、2ヶ月後の新製品の出荷は絶対に間に合わなくなる。この新製品は、重要顧客に部品として納める予定だ。だとすると、その顧客の生産計画自体に影響を与えることになる。あなたは、自分が工場長と営業担当常務につきしたがって、顧客に頭を下げにいくシーンを想像する。いや、もしかすると社長が直々に謝りに行かなければならないかもしれない。新製品の出荷が1ヶ月以上遅れることで、顧客に与える損失は何十億円にもなるだろう。

それにしても、なぜこんなトラブルが生じたのか? 操作ミスが原因としても、単純な操作ミスですぐ機械が破損するようでは、設計自体に問題がある。調べさせたところ、どうやら原因は、ある操作に伴うインターロック機構が、設計書通りに作動しなかったためとわかった。制御系は、別の自動制御メーカーが担当している。その制御システムの仕様書には、当該箇所にもインターロックが明記されている。にもかかわらず、制御システムの出荷前立会検査(FAT)で、そのテストが漏れてしまっていたらしい。そのわずかなテストの漏れが、何十億もの被害をもたらしたのだ・・

さて、この問題の責任は誰にあるのか? 工務の製造ライン担当者であるあなたか、詳細設計と工事を請け負ったエンジ会社のプロマネか、それとも誤操作をした担当者か、制御システムを実装した自動制御メーカーか? あるいは、あなたの上司である工務部長か工場長、いや、最終的には社長にあるのか? そしてあなたの会社は、この問題に対して、どう責任をとり、何をするべきなのだろうか。

――先に答えをいってしまおう。あなたの会社が真っ先になすべきことは、ただ一つ。できるだけ早く顧客に製品を出荷できる策を講じることだ。それは製造ラインの復旧・立ち上げを最大限、急ぐことかもしれないし、あるいは新製品に代わる代替製品を、どうにかして提供することかもしれない。その次にやるべきことは、このトラブルの根本原因(Root Cause)を分析して、再発防止策を明らかにすることだ。

トラブルが生じたとき、その影響の波及を極力抑える手立てを、「避難処置」(ないし「応急処置」)という。そしてその原因分析から得られた対策を「再発防止策」とよぶ。トラブルが生じたら、第一に「避難処置」、第二に「原因分析」を行わなくてはいけない。

そして、多くの人が間違うのが、この「原因分析」の段階なのである。ここで、「このトラブルは誰の責任だ?」という問いの立て方をするから、間違うのだ。

トラブルの原因分析には、じつは3種類ある。

1.「責任者の処罰」を行うためのもの

2.「賠償責任」を問うためのもの

3.「再発防止」を目的とするもの

この三つは、じつはまったく異なる作業である。「責任者の処罰」のための原因分析は、刑事事件ならば警察の仕事である。「賠償責任」の原因分析なら、弁護士の仕事だ。

あなたが技術者としてやるべきなのは、「再発防止」が主目的でなければならない。もし、責任者の究明が先行すると、どうなるか。その場合は、事実隠蔽が行われかねず、真の再発防止に役立たない事もありうる。
だから、「誰の責任?」という問いの立て方自体が、危険なのである。大きなトラブルの場合、原因を「個人の意識・資質」に求めず、フェールセーフを含む「システム」の綻びと考えて改善するべきなのだ。 あなたのケースでは、たぶんそれは、工場立会検査のあり方、あるいは試運転調整手順の仕方の改善、ということになりそうだが。

「誰の責任?」という問いが不毛なのは、じつは、「責任」という言葉が多義語だからである。以前も書いたことだが、日本語の「責任」の意味するところには、英語で言うLiability,
Responsibility, Accountabilityの三つの語義が混じっている(「「責任」には三つの意味がある」参照)。Liabilityは法的責任(主に賠償責任)、Responsibilityは最後まで任務を完遂する実行責任、そしてAccountabilityは出処進退を伴う説明責任を意味する。ところが「説明責任」というのは(苦心の訳語だったろうと思うのだが)、最近ではいつのまにか意味するところが矮小化されて、「説明という行為をする責任」という風に使われることが多い。

Liability(賠償責任)についていえば、新製品の出荷が遅れることで顧客が被るかもしれない数十億円を、あなたの会社は、工事を請け負ったエンジ会社に請求できるだろうか。契約の内容にもよるが、請負契約の常識から考えると、ふつう「間接損害」までは請負側は責を負えない。第一、そんな金額は工事請負額自体を超えてしまうだろう。だから、かわりに納期遅延のペナルティ条項(LD)が一定比率で課される、というのが通常のケースだ。

もちろん、請負でやっている以上、機械の再製作も、周囲の撤去と修復もすべて、エンジ会社が、追加費用なしでやらなければならないだろう。これらは「直接損害」であり、彼らに原状回復の「実行責任」がある。自動制御メーカーの選定も、出荷前検査の立ち会いも、そして問題の誤操作も、彼らが主体となって行ったことだ。言い訳の余地はあるまい。

では、あなたの会社と顧客との関係ではどうか? これも顧客との販売契約内容によるが、あなたの会社は顧客に対する数十億ものLiability(賠償責任)はないだろうと思われる。あなたの会社だって、間接損害を青天井で受けるような契約は交わすまい。

この件では、ただ、「道義上の責任」は生じるし、信用失墜はまぬがれまい。顧客から見れば、そのエンジ会社を選んで任せたのは、あなたの会社である。事態の大きさから見て、おそらくあなた個人が頭を下げてすむ次元ではない。役員か社長レベルがAccountableであろう。そして、取引継続のためには、「できる限り早期の製品納入」と「再発防止策」を約束せざるを得ないだろう。だからこうして、最初の答えに戻ってくるのである。ちなみにあなたの会社で「責任者の処罰」が行われ、社長が辞任しようが工場長が左遷されようが、それは顧客にとっては何も関係がないことだ。トラブルの迷惑が社会にかかった場合も、株主に迷惑がかかった場合も同じ。社会や株主が求めるのは、まず「避難処置」、つぎに「再発防止策」の実行である。責任者の処罰は、やるとしても、その後だ。

もう一度繰り返す。トラブルが生じたとき、まず「誰の責任か?」と考えたら、それは問題設定自体が間違っている。「避難処置」と「再発防止策」は何か、と問わなくてはならない。

このような間違った問いかけは、トラブルは誰か個人の責任である、という考え方にたっている。逆に言えば、トラブルなく成功した場合の功績も、誰か個人に帰する、という発想だ(「Critical Success Factors – 成功を説明する10の方法」参照のこと)。そうした発想方法は、組織的・システム的なリスク対策と、改善の契機をうばってしまうだろう。

この話は、ここで終わりにしてもいい。だが、あと一つだけ指摘しておきたいことがある。

それは、ビジネスにおける政治的な動きが強い状況だと、「誰の責任?」という問いかけがすぐに生まれやすい、ということだ。ここでいう「ビジネスにおける政治的な動き」とは、ビジネスの経済合理性よりも、個人や徒党の利害・権力争いを優先させる態度、をいう。経済的に合理性があるのはAという決断でも、自分(たち)に不都合ならばBを優先させる、という態度のことだ。『政治的』といっても、別段、国レベルの政策論争やら支持政党の有無などとは、まったく関係がないことに注意してほしい。

組織の中の政治的な動き、権力闘争がはげしい場合には、何かトラブルが生じた際に、すぐさま「誰それの責任だ」という攻撃合戦になる。そうして「敵の首を取る」ことが最大課題になる。再発防止策は、というと、「無能な奴を権力のある地位から追い出したことで、問題の再発は防止される」となってしまう。わたしはこれは、非常に危険なことだと思う。

もちろん人間は社会的存在だから、政治的な態度は誰にも大なり小なり備わっている。しかし、それが過度にはたらきすぎると、システム的なものの見方や、システム改善の動きをつぶしてしまう。誰かの「首を取った」ら、それで問題解決となってしまう。そういう組織では、「失敗からの学び」ができなくなってしまう。そして結局は、環境変化に適応できぬまま、沈没への道をたどることになる。

成功にせよ失敗にせよ、過度に誰か個人のせいに帰するのは危険な態度である。だからトラブル原因分析を、個人の責任追及の場にしてはいけないのである。



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