なぜなぜ分析は、危険だ (2014/04/25)

なぜなぜ分析」は、品質管理や労働安全管理などの分野で、よく用いられる手法だ。発生した問題事象の根本原因を探るために、「なぜ?」「なぜ?」とくりかえして掘り下げていく。この問いかけを“5回はくりかえせ”と、よく指導しているため、別名「なぜなぜ5回」とも呼ばれる。元々、トヨタが発祥の地であり、トヨタ生産方式の普及とともに、他の業界や分野でも使われるようになった。

図は、トヨタ生産方式の生みの親である大野耐一氏の著書から一例をとって、図示したものだ。工場内のある生産機械が故障してとまったとき、「なぜ機械は止まったか?」の問いに、「オーバーロードがかかって、ヒューズが切れたからだ」と答えただけでは、じゃあヒューズを交換して再起動すればいい、という答えしか出てこない。

しかし、なぜオーバーロードがかかったのか?→
 (2)軸受部の潤滑が十分でないからだ、とほりさげ、
さらに
 (3)潤滑ポンプが十分組み上げていない→
 (4)ポンプの軸が摩耗してガタガタになっている→
 (5)ろ過器がついていないので切り子が潤滑油に入った。
まで徹底していくと、問題の真因がわかる。そこで、ルーブオイル循環系統にフィルターを設置すれば、機械がたびたびストップするトラブルを根治することができる。これが、大野耐一氏のいう、事実にもとづく科学的態度の威力である。

このように「なぜなぜ分析」は強力なため、最近では多くの企業で使われているばかりか、たとえば部品サプライヤーなど外部企業に対しても、納入部品に品質問題が発生した際に「なぜなぜ5回」のレポートを義務づけるところがあるときく。

ところが、この「なぜなぜ5回」、使い方を間違えると大変危険だ、という話をしたい。たとえば、次のような例(架空の例だが)を考えてみよう:

ある企業で、製品の中の一部品が摩耗・破損しやすい、とのクレームが複数の顧客から入った。たしかに、送り返された部品を見ると摩耗している。しかし、設計図面を確認し、設計者に質問しても、その部位がとくに摩耗しやすい理由が分からない。ただ、さらに調べていくと、ユーザ向けの運転保守マニュアルにある、その部品周囲の取付図と手順が、現物と異なっており、間違っていることが判明した。ユーザはこのマニュアルをみて保守点検・再組立したのだが、それが結果として摩耗を引き起こしたわけだ。

無論、マニュアルは修正しなければならない。しかし、なぜこのようなミスが起こったのか? そこで、なぜなぜ5回が行われることになった。以下は、そのサマリーである。

(1) なぜ部品が磨耗しやすいのか? → ユーザの保守点検時に取り付け順序を間違えるからだ
(2) なぜユーザは取り付け順序を間違えるのか? → 運転保守マニュアルの記述が間違っているからだ
(3) なぜ運転保守マニュアルの記述が間違っているのか? → 設計担当者が別製品から単にコピペしたからだ
(4) なぜ別製品からのコピペが修正されていなかったのか? → 設計担当者が見落としたからだ
(5) なぜ設計担当者は見落としたのか? → 多忙で睡眠不足が続き、注意力が落ちていたからだ

これが真因であるとされ、「担当者はきちんと休息をとり、当該部門の上司は部下の月間残業時間が上限を超えていないか監視するよう、注意喚起」が行われた・・。

はっきりいって、このような「なぜなぜ分析」は、やるだけムダである。なぜなら、前提が間違っているからだ。

どこが間違っているのか? 上の例の(4)から(5)を見直してほしい。ここには、「担当者がミスをして低品質のマニュアルが出荷された」→「担当者がミスをしないよう、注意力のレベルを上げる」という論理がある。つまり、この“問題は個人のミスに起因する”という認識なのだ。それでは、担当者が休息をとり十分睡眠をとっていれば、ミスの発生は完全に防げるのか? 

そんなことはあるまい。絶対にミスをしない人間などいないからだ。人間は、どんなに主観的に注意し努力しても、必ずミスをおかす存在である。これが、品質管理の基本前提なのだ。だから、担当者一個人のミスが、そのまま製品の欠陥につながり、出荷されてしまうとしたら、そのシステム自体がおかしいのだ。制度設計が間違っているのかもしれないし、運用に無理があるのかもしれない。(念のために書いておくが、マニュアルは「製品」の立派な一部である)

ともあれ、(4)から(5)で問われるべきは、「なぜ一担当者のミスが顧客に出て行ってしまったのか?」でなければならない。本当にノーチェックだったのかもしれない。あるいは、一応チェック体制があるのだが、メクラ判だったのかもしれない。

技術者なら知っていると思うが、たいていの設計図面には、「担当・検討・承認」の捺印欄があるものである。ではなぜ、こんな二重・三重のレビュー体制を敷いているのか。その答えは、数学的には単純である。人がミスをする存在だとしても、二人・三人が同時に同じミスをする確率はずっと小さくなるからだ。かりに設計者が10回に1回ミスをするとしても、二重にチェックすれば不良の発生確率は100分の1に、三重にチェックすれば1000分の1になる。もし、ミスの発生が100回に1回ならば、三重にチェックすれば設計不良は百万分の一になる理屈である。

設計図面における、こうした「担当・検討・承認」の習慣は、かつて日本が欧米から先進技術を輸入した頃に、一緒に入ってきたものではないかとわたしは想像している。昔のお城の建築図には、担当・検討・承認の判子が並んでいるのを見たことがないからだ。あるいは、“欧米人特有の性悪説によるものだ”と考える人もいるかもしれない。だが、それは違うと思う。欧米は一足先に工業化社会に入っていて、そこで発生する設計不良は、マニュファクチュア(手工業)社会よりもはるかに影響が大きかったからだろう。逆に言うと、もし多重チェックを怠る企業があるなら、その会社はいまだに「マニュファクチュアと職人芸の時代」の頭のまま、ビジネスをやっていることになるだろう。

ここでは、設計技術者のミスの例をひいたが、これが製造マンのミスでも、物流や営業のミスでもまったく同じである。一個人、一担当者のミスが、直接、不良として顧客に損害を与えることは、極力防げるよう、システムをつくらなければならない。くりかえすが、人間はミスをおかす存在だからである。そして、「不良が出たら、やった個人の責任」という前提の元では、なぜなぜ分析など、益よりも害が大きいだろう。下手をすれば、むしろミスや不良を隠す方向に動きかねない。

もっとも、そんなことを言われたって、自分は会社のシステムを設計したり直したりできる立場ではないし、「なぜなぜ5回」は会社のルールで決められていて、自分は命じられたことをやるしかない、と反論される方もおられるかもしれない。もっともなことである。その場合はせめて、真因追求の段階において、なるべくシステムの側に視線を向けられるように、因果の鎖をつないでいくべきだろう。

たとえば上記の例でいえば、(4)のつづきとして、

(4) なぜ運転保守マニュアルは正しく修正されなかったのか? → 設計担当者が多忙で睡眠不足が続き、注意力が落ちていたからだ
(5) なぜ設計担当者は寝る時間もないほど多忙だったのか? → 製品が出荷期限ギリギリに完成したからだ

という風に展開できるなら、話は変わるはずだ。少なくとも対策は「担当者の休息・睡眠」ではなく、「納期に余裕を持った製品の完成」になる。すなわちリードタイムの短縮であり、これは設計・購買・製造のシステムの問題だからである。もちろん、その対策は決して簡単ではあるまい。設計陣が手薄なのは、ギリギリまで人減らしした結果かもしれないし、あるいは逆に、急拡大しすぎて人が足りないのかもしれない。

まあ、「もっと実現可能な対策課題を持ってこい」とあしらわれて、やはり元の(5)みたいなものに変えられる可能性も、あるかもしれない。だとしたら結局、なぜなぜ分析など、セレモニーにすぎぬ、ということになる。誤解してほしくないのだが、わたしは決して、「なぜなぜ分析」自体に反対しているのではない。それは良く切れるナイフのようなもので、正しく使えば、役に立つ。しかし、「人間はミスをおかす存在である」「品質は個人レベルの努力ではなくシステムで担保する」という前提がない組織で、ナイフを振り回したって、弱い個人が傷つくだけである。