(15) 劇場で歴史を考える

次の日はギリシャ劇場の遺跡に出かけた。ここタオルミナもまた、古代ギリシャの植民地なのだ。

いく道すがら食料品店に入り、パンとチーズとサラミとミネラルウォーターを買う。すると売り手の女性は何も言わずにパンを二つに割り、サラミとチーズを薄く切ってパニーニにしてくれた。イタリア人の勘の良さにはいつも本当に驚く。

ギリシャ劇場は街のはずれ、山の尾根が海に向かって張り出したところにある。保存状態は非常にいい。すぐにでも劇をかけられそうだ(事実シーズンには公演が行なわれるらしい)。そして、ここも客席から舞台を見ると、遥か遠い海を背景にして見事な劇的空間を作っている。「ギリシャ人は景色のいいところを条件に植民地を作ったのではないか」とつくづく思ってしまう。

タオルミナのギリシャ劇場遺跡

客席に腰かけながらあれこれ考えてみた。今回まわったナポリ・パレルモ・アグリジェント・シラクサとすべてギリシャの植民地だったところだ。そして全て、海沿いの景色のいいところにある。景色がいいのは丘が海にせり出すような港に向いた地形だからとも言える。彼らは実に海洋民族だったのだ。そしてこのシチリアは地中海の心臓、海上交通の十字路にあたる場所だ。その後ローマ、ノルマン、アラブ、フランス、スペイン、そして再び半島イタリアと相継ぐ侵入の舞台となったのは当然だった。

そう、シチリアはいつでもこの劇場と同様に舞台だったのだ。様々な役者が色とりどりの民族衣装をつけて通り過ぎていく歴史の劇場。上演の多くは激しい感情の交錯する悲劇だった舞台。だから、異質の文化は書き割りのように折り重なって次の代に受け継がれ、それ以前の文化の痕跡を跡かたなく破壊することはなかった。

タオルミナの遺跡をあおぐ

シチリアの遺跡群がよく保存されているもう一つの理由は、雨の少なさにある。サハラの乾燥のせいで地中海の夏は高温だ。しかも、もともと大陸西岸の気候は夏に降雨量が少なく、冬に多いというパターンのため、植物の生育に必要な気温と水分がなかなか一緒にそろわない。こうして緑の季節は2月にずれ、森ができにくくなった。紀元前のギリシャやシチリアが深い森林に覆われていたとしても、現代はみな禿げ山の姿になってしまった。オリーブのような硬葉樹は育つのに長い年月がかかるので(だから「平和の象徴」なのだが)、原始林はほとんど残っていない。木々は退場してしまったが、人間の残した石だけがいつまでも残っていく。その書き割りじみた姿のままで。

タオルミナのテラスにて

シチリア最後の夜はタオルミナの街を散歩して過ごした。ほんとうに趣味のよい街は、夜になるとその真価を表わす。ぼくらはあちこちの小道を酔ったようにさまよい、そして小さなリストランテに入った。夫婦だけでやっている店で、奥さんが料理をし、亭主は客の相手をする。奥さんは言葉少なで、いいかげんな亭主とときどき言い合っているが、腕は非常にいい。パスタにはペコリーノ・ロマーノの塊が一緒に出てきて、すきなだけチーズおろしでふりかける。するとパスタの皿の湯気とぬくもりで、甘い香りが当然と立ちのぼる。肉も魚も絶妙としかいいようのない火加減で供される。ぼくらは「ドンナ・フガータ」の白を飲みながら、イタリア料理を食べる幸せを感じた。