カウンターベイリング・パワー


市場をめぐる動力学の世界では、ある企業なり商品の力が強くなりすぎて市場をほとんど席巻し支配してしまうような状況が近づくと、それに対抗する勢力が急にあらわれてバランスを平衡にもどそうとするような動きが働くことがしばしばある。これをマーケティング用語で「カウンターベイリング・パワー」という。

カウンターベイリング・パワーとは対抗勢力を助けるために働く自発的な力である。例を取ると分かりやすいかもしれない。現在PCサーバのOSの世界ではMicrosoftのWindows
NT/2000がかなりの市場を占めている。かつては一世を風靡したNetWareはまったく元気がなくなってしまった。このままいくとMicrosoftによる寡占は時間の問題と思えた。しかし、ここで彗星のごとく登場したのがフリーのunix系OS、linuxである。

いまやIBMをはじめとして多くの有力メーカーがlinuxを自社の製品ラインにフィットさせようと努力している。linuxがみずからの力だけでWindows
NTに対決しているのではないことに注意してほしい(現実問題としてlinuxは1社のみの商品ではないのでそのようなことは不可能である)。そうではなく、Microsoftに対抗しようとする勢力がこぞってlinuxをかついでいるのが実態である。そもそもフリーのunix自体は決して新しいものではない。これがWindows対抗馬として有力になれたのは、支持者が多数付きはじめたからである。

つまり、カウンターベイリング・パワーというのは、強大で独占的な勢力の存在に不満を感じ、なんとかして対抗したいと考える人々の存在に依存している。巨人ゴリアテに単身向かったダビデのような英雄的行為のように一見みえたとしても、実は巨人の包囲網をつくる友軍の存在がなくてはならないのである。

少なくともITの世界では、商品にはつねに寡占化を加速する傾向がある。これはロック・イン現象やネットワーク外部性などの性質から考えても非常に明らかなことだ(「ITって、何?」第17回参照のこと)。それでは、なぜカウンターベイリング・パワーというものがあえて発生するのだろうか?

それはすなわち、市場がみずからのバランスと自律性を取り戻すための、一種の自己回復作用なのである。これを、一部の人間だけが金持ちになることに対するそねみや嫉妬から出た感情だ、などと単純に考えてはいけない。

ある商品や組織が強大になりすぎて、その世界をすべて力で支配し、「俺に恭順でないものはすべて俺の敵と見なす」などと言い出すような状況では、市場を構成している人間たちの自主性や価値観さえ破壊されかねない。これは実質的な市場の死を意味している。それをさけるための力が働くのだ。すなわち、カウンターベイリング・パワーというのは巨大すぎる存在がみずから生み出した影のようなもなののだ。

カウンターベイリング・パワーが働いているのは、その市場が健全な証拠である。これを強者が力ずくでおさえようとするならば、もはや健全な競争の枠組みを逸脱した対抗手段しかあり得ない、と考える者たちが出てくるだろう。その結果、全体としてはかえって手ひどい破壊的な状況を生み出すかもしれない。

知恵ある者はここから教訓を得られんことを、切に望む。