第4回 定型と非定型はどこがちがうの?
--「セミIT」と選択肢の話-- (2001/2/03 発信)
「ねえ、そうすると、情報技術がいま説明してくれたようなものなら、利用者はもうデータの事は気にかけなくてもいいわけね?」
--とんでもない。その逆さ。
もちろん、データの事は気にかけずともITを利用する事はできる。たとえば女子高生の携帯メールみたいにね。一対一の情報糸電話だったらそれでも結構。
でもね、もしも情報技術をもっと上の次元で、うまく利用したければ、自分の情報をいかに機械の扱いやすい定型化した形式に持ち込めるか、が鍵となるわけだ。そしてまた、データから意味のある情報をくみ取るスキルがもう一つの鍵となる。
人間は情報をデータの形にして機械に処理させ、機械のもつデータから情報を取り出す。このサイクルをうまくつくることこそ、IT利用の最大の勘どころなんだ。
「なんだかまだ話が抽象的でよく分からないわね。“自分の情報をいかに機械の扱いやすい定型化した形式に持ち込めるか”なんておっしゃるけど、それって具体的にはどういうこと。手書きの原稿はやめて全部キーボードから入力しろ、ってこと?」
--そうじゃないんだ。それって、ある意味では典型的な勘違いで、うちの会社の幹部なんかもよくそんなことを言ってるけど、それはちがう。
データってのは、計算機の中に格納されているだけじゃダメなんだ。効率よく探し出せなければデータとはいえない。パソコンの中に、ワープロのファイルが山ほどあちこちのディレクトリの下にちらばっているけれど、いちいち中身を開けてみないと何がなんだか分からなくなってしまったものがほとんど、なんて状態じゃ、それはデータの用をなさない。こういうのは、ぼくは「セミIT」とでも呼ぶべきだと思う。
「セミIT?」
--データに関する理解が足りないまま、情報技術をほんの表層だけつかっている状態さ。本当にデータの力を生かしきる使い方をしていない。同じお金を計算機にかけながら、実際にはその半分の価値も引き出していない「サブIT」型利用者が多すぎる。
「じゃその、セミITから、フルITだか本格派ITだかなんだかのユーザに進化するにはどうすればいいの? せっかく機械が人間に歩みよって自由な情報を扱ってくれるようになったのに、ユーザの方から不自由なデータをさわれ、っていうわけ?」
--いや、それは少しちがう。自由と不自由、というとどうも価値判断めいてしまう。
ぼくが言いたいのは、データは定型だが情報は非定型だ、ということ。そして情報は非定型なる人間の世界に属している。人間さまはひじょうにフレキシブルだからね。その非定型な情報をいかに形式化するかがITのポイントなんだ。定型と非定型の区別はIT理解の中核をなす。この違いは分かるね?
「そんなの知ってるわ。あなたの毎朝の髪型は不定型で、私の髪型が定型。まったく頭ぐらいきちんととかしてから出社してほしいわ。」
--あのね、漫才やってるんじゃないんだよ。ぼくの時間単価は外販すると高いんだから。それを君だけのために使ってあげてるんだ。
「それはまた失礼しましたわ、先生。後で請求書とかくるんじゃないでしょうね?」
--もしお支払いいただけるんでしたら、請求させていただくのはやぶさかじゃありませんが。
でもね、たとえば請求書一つを例にとってみても、手書きの請求伝票で送るのと、ワープロの手紙で「二百万円おしはらいください」と書いて送るのと、どっちがIT化に近いと思う?
「それはもちろんワープロの方でしょう?」
--そう思うでしょ。ところがちがう。ぼくらIT屋の目から見ると、手書きの請求伝票の方がずっとコンピュータのデータに持ち込みやすい。なぜなら請求書は形式が完全に決まっているからね。宛先があり、日にちがあり、品目と数量と金額が一行ごとにあって、最後に合計と振込先がある。どこをみればどの項目か迷うことがない。
しかし、ワープロのファイルを開いてみて、文章(つまりテキスト)の中から「にひゃくまんえん」という数値をつかまえるのは容易じゃない。書く人により、書くたびにいろんなスタイルでまちまちの場所にでてくる可能盛が大だからね。
つまり、手書き伝票は定型化されているからデータだけれど、ワープロのファイルは非定型だからデータではない。ここがポイントだ。
「罫線があって表になっている、ってこと?」
--いや、そうじゃない。どう説明したらいいのかな。
たとえばね、請求書が何枚も何枚もあったとしよう。その合計金額を計算しなくちゃならない。手書き伝票ならまとめて順にめくっていって、決まった欄の数字を電卓でたたくだけだ。教えてやれば小学生でもできるね。これが「定型化されている」ことのメリットだ。
でもワープロのファイルを一つ一つ開けていって、合計の金額を知るためには、中身の文章を一応読んで内容を判断しなければできない。これはかなり高度な知的作業だ。ちょっと小学生には頼みたくない。文章は非定型だからさ。
「ふうん、少し分かってきたわ。高度な知的判断を必要とするようなものを非定型情報というのね。」
--ごく単純で機械的な作業で処理できるようなものを定型的という。もちろんそのためには誰かがはじめにその形式をうまく考えて定義してやる必要はあるよね。しかしその形式化をおろそかにすると、データとしての取扱いの難しい、非定型な情報ばかりが行き交うことになる。
「だからさっきの『セミIT』になっちゃうのね。ふーん。」
--ぼくはセミIT自体が悪いとは思っていない。それは皆が入りやすい玄関みたいなものでね。昔みたいに大型計算機しかなかった時代よりずっと取っつきやすい。でも、なまじセミITを使って“これでITが分かった”と錯覚してしまう人は多いんだ。理解のレベルがそこでとまってしまうから、かえって本当のIT化のブレーキになりやすい。
「ねえ、だったら、仕事がどれくらいセミIT化にとどまってるか、なんて調べると面白いかもね。」
--そうだな、ある組織の『セミIT化度』みたいなのを計るには、そこで電子化されている帳票類がどこまで克明に紙の帳票をまねているかを調べてみるといいかもしれない。
「どうして?」
--セミITな人たちはね、ワープロや表計算なんかのITツールを、もっぱら『清書用の道具』としてとらえる傾向が強い。だから帳票類を電子化するときも、罫線や図形を神業的に駆使して、紙と見た目そっくりにすることに命をかける。その結果、たいていは入力も面倒、データとしての再利用にもひどく不便、てなものになってしまう。それどころか、管理職経由で電子メールで送ればすむものを、わざわざプリントアウトして判子をつくことを強制したりする。こういう病はあちこちではびこっている。
なにしろ、日本では各人のスキルないし職人芸的判断に任せている部分が大きくて、仕事の流れが定型化していないところが多い。みんなが高度な知的判断をしなけりゃならなくなってしまう訳さ。だからITに乗せるにはけっこう苦労する。
逆に、たとえばアメリカ社会なんか、人種や階層がかなりはっきり別れていて、単純労働は低賃金労働者にまかせてる。まかせるためには、形式化を徹底し、はっきりとした帳票や仕事の手順をあらかじめ管理者が決めておいて、あとは問答無用で働かせる仕組みになっている。
「そうねえ、たしかに力仕事なんてたいてい黒人の人がやってるわね。あれって言っちゃ悪いけれど奴隷制の延長みたいなもんかしら。」
--それは言い過ぎじゃないのかな。だけど、ああいう社会はIT化にのせやすい。仕事が定型化されているからね。
もちろん日本だって形をきちんと決めて、アルバイトだろうがパートのおばさんだろうが単純労働として処理できるようにしている企業も多いから、人種や文化の問題ではないはずさ。ま、これは余談だけど。
「あら、どうかしら。昔、ウーマン・イズ・ア・ニガー・オヴ・ザ・ワールド、なんて歌がジョン・レノンにたしかあったわよねえ。『女は世界の奴隷か』。あなたの“パートのおばさんでもできる”なんて台詞を聞くとつい思っちゃうわ。」
--う、失言の段はひらにお許しを願うとして・・。
話をITにもどすと、定型化の究極の姿は選択肢なんだ。
「選択肢?」
--うん。複数の選択肢から一つを選ぶ。決められたメニューにある選択肢以外は許されない。これがデータのもっとも単純化された、最小限の要素の形、つまりまあアトム(原子)みたいなものだと思ってほしい。
たとえば、住所録ならば、性別は男か女か、とか、住所はどこの都道府県か、とか。こういうことは選択肢に決まった範囲があって、そのメニュー以外にはあり得ない。仕事の請求書だって、たとえばメーカーならば自社の製品カタログのどれかを売っているわけだしね。
「食べ物のメニューだったらハンバーグステーキかオムライスか、焼き方はレアかミディアムかウェルダンか・・。ははーん、なるほど、だからファミリーレストランって、あの手に持ってる小さな端末で全部注文を処理できちゃうのね?」
--ご明察。ファミレスじゃ、メニューにない特別料理なんて作ってくれないからね。だからああいう業務はIT化しやすい。
「どの選択肢も、ちっともおいしくないけれど。」
--それはITとは別問題。でも、お客さんの好みに合わせた好き勝手を許してくれないところは、たしかに味気ない。定型化すると味気なくなっちゃう面はある。
「非定型な情報が入り込まないから、っていうことね。」
--そのとおりです。そして、定型化されたデータとは、この選択肢の“アトム”が数珠つなぎになったものだ、と理解してほしいんだ。