第3回 情報技術という言葉はどこからきたの?

--データの処理から情報の技術へ-- (2001/1/27発信)

「ちょっとまって。それじゃあなぜ、「情報技術」とかいう言葉があるの? これってIT=Information Technologyの訳でしょ。今の話じゃ、コンピュータで扱えるのはデータだけなんだから、情報技術なんて言葉はおかしいってことにならない? それに、「情報通信」という言葉もあるけれど、これは何なのかしら?」


--じつはこのITという言葉には多少の歴史がある。

 コンピュータ技術一般のことを、昔は「Data Processing(DP)」=データ処理、と呼んでいた。それが今ではIT=情報技術といっている。この言葉の変化の中に、情報の処理技術に関する進化が端的にあらわれているんだ。

 コンピュータはもともと弾道計算のために開発されたものだった。

 

「ダンドーケーサンって?」


--大砲をどういう向きで撃つと、弾がどこまで飛んでいくかを計算すること。空気抵抗を考えるとけっこう難しい計算になって数式じゃきれいに解けない。手計算でもかなり無理があるので、第二次大戦中に電気回路を使って計算する機械が発明された。これが計算機のはじまり。これはもう、純然たる計算だけの機械だ。

 これとは別に、米国の国勢調査統計を機械的に処理するため、パンチ・カード式ファイリング・システムの技術が米国で発明されていた。この技術なんかが加味されて、いまの電子計算機システムの原型ができた。すなわち、計算と文字列の入出力処理を中心とした仕組みだ。

 コンピュータがあらわれてから長い間、正確にいえば1940年代半ばから1980年代の半ば頃まで、コンピュータが扱えるデータはもっぱらテキストだけだった。

 

「ちょっとまって。そこでいっつも引っかかるのよねえ。あなたの言う「テキスト」って何よ。別に教科書のことじゃないんでしょう?」

 

--ITの世界で「テキスト」というのは、アルファベットの文字と数字だけからなる表現のこと。絵とか図とかではない、ただひたすら文字と数字が順に並んでいくものをテキストという。


「コンマとかピリオドもないの?」


--その種の、普通のタイプライターにあるような、よくつかう記号は文字の仲間にふくむ。ただし、文字の大きさとか字体のバリエーションとかはない。だから昔のタイプライターだけでつくった文書なんかが典型的なテキストだ。図表のない本もテキストだといってもいい。


「アルファベットの文字と数字だけって言うと、漢字やかなが混じっていてもだめ?」


--以前はNOだったけど、今はOKというのが答えだね。だけど今は話がややこしくなるから、とりあえず英語圏での話題にしておこう。

 ともかく、70年代までのコンピュータは、入力はタイプライタふうの端末機から行い、出力もラインプリンタかビデオの画面に英数字が表の形で並ぶ、無味乾燥なテキストだけの世界だった。それと、紙に印刷したときの1行の文字数は80桁か132桁と、これも決まっていた。これはパンチカードの技術から来たらしい。

 こういったわけで、計算機といえば数値計算か、あるいはもっぱら国勢調査みたいな表と集計値の用途が主だった。つまり意味的には中立なデータの世界だね。

 だからこのころはずっと、「データ処理技術」と呼ばれていた。


「それがどうして情報技術になったの?」


--このテキストの世界に「ワードプロセッサ」という技術があらわれて、ようやく少し「情報」らしさが入るようになった。


「そうねえ! 80年代よね、ワープロがはやりだしたのは。」


--初期のワープロは、あつかえる文字種は1種類だけだったし、せいぜい下線や太字がでるていどだった。それでもずいぶん便利なものとして普及した。

 ワープロで書くレターや報告書は、たしかに文字ばかりでできている。そういう意味では相変わらずテキストの世界だ。けれど、1行の字数の決まった時刻表のような窮屈な形式ではなく、改行や字下げや右寄せといった自由な、人間に読みやすい、「不定型な」テキストを扱える。そこが大きなちがいだった。


「不定形?」


--型にはめられていない、ってことさ。普通の文章は長さもまちまちで、ワン・センテンスちょっきり80文字というような枠には収まらないだろ?

 ワードプロセッサの技術の中核は、不定型なテキストを、コンピュータで処理可能なように内部で定型化の枠組みをはめる手法だ。人間の見た目には不定型な情報でも、コンピュータ内部では定型化されたデータである--これがワープロの実現したことですな。ワープロは人間の不定型な情報とコンピュータの定型化されたデータを相互に変換し、橋渡しする技術なんだ。


「はあ。」


--その後、80年代のグラフィック端末の発展、記憶容量の爆発的進歩、90年代のマルチメディア技術・通信技術の進歩、といった要素を背景に、この「情報とデータの橋渡し」はおおきな進化、ほとんど革命的といっていい進化を遂げた。かなや漢字はもちろん、文字の大きさやフォント(つまり文字形のデザインだね)がいろいろ選べるようになり、図表や絵もはり込めるようになった。今じゃワープロで作る報告書もテキスト部分と図表が混在するのは当たり前、デジカメの写真をPCの画面に貼り付けたり、PCでビデオ映像を編集するのも珍しくないだろ?

 その結果、人間の見た目にとっては、コンピュータは情報そのものを取り扱っているように見えるようになってきた。しかし、内部的な仕組みとしては、相変わらず定型化されたデータの機械的処理をしているだけで、べつだん機械が自分で判断したり意味をくみ取ったりできるようになったわけではない。人間が意味をくみ取りやすい形にデータを表現することが上手になったにすぎないのさ。


「機械が人間にすりよった訳ね。」


--まあね。でも、内部の仕組みが、定型化されたデータだけを扱える、という本質は何もかわっていない。


「じゃ情報通信っていうことばは?」


--情報通信って言葉は曖昧すぎてぼくは好かない。情報&通信の意味だったり、ITの同義語として使われる事も多い。通信の分野でいわれるときは、まあデータ通信の上で情報を配信する仕組みを意味するんだろう。

 通信の世界は永い事、電気通信とデータ通信とに分かれていた。昔の黒電話は電気通信と呼ばれる技術だ。受話器のマイクがしゃべる音声を電気の強弱に変えて、交換機経由で電線をつなげて相手側のスピーカーを鳴らす。この間はずっと電流で、いってみれば糸電話と本質は変わらない。


「糸電話!」


--途中にデータが介在しないからさ。つまり


  人間→(情報)→→(情報)→人間

 

という構図だ。

 一方、データ通信とは主にコンピュータが端末と信号をやり取りするのに使われていた。二つの世界はまったくばらばらだった。

 ところが、データ通信が高速化し、電話の技術がデジタル化すると両者はだんだん融合していった。音声信号をデータに変えて送ることが実用的になった。日本の今の電話は、糸電話とは全然ちがう。まず、電話局間の幹線は皆デジタル回線になっている。局の交換機は、あれはじつは全部コンピュータなんだ。

 それに最近の電話機もまた、携帯も留守電もFAXもみなじっさいはコンピュータなのさ。今じゃ電気はせいぜい局から各家庭までの電話線の一部分に残っているだけだ。これだってISDNじゃデジタルだけど。

 つまり今や、


  人間→(情報)↓            ↑(情報)→人間

         ↓(データ)→→(データ)↑


という構造になっている。情報は一度、定型化されたデータの小さなブロックにかえられて運ばれ、また情報の形に組み立てられて人間に届けられる。データ通信の上で情報を配信する、っていったのはそういう意味さ。


「でも途中でデータに変わるからって、本質的には糸電話と同じじゃない? 一対一で話している以上は。」


--とんでもない。データってのは蓄積できる。検索も加工も転送も瞬時にできる。雑音や劣化の心配も少ない。これがデータの特徴さ。電気や糸の振動じゃそうはいかない。


「たしかに、声はテレコにも蓄積できるけど、検索には不向きね。」


--音声だけじゃない、静止画像も、ビデオも、まあ要するに人間が目と耳をつかって受けとる情報の生な形を、定型化したデータのフォーマットにする技術や規格が、この10年間に発達した。おまけにデータ通信の速度が速くなってリアルタイムに送ることができるようになってきた。

 そういう意味では、別に電話同士にかぎらず、インターネットでも同じなんだけど、複数のコンピュータ同士が高速にデータをやり取りできるようになったので、情報と通信の垣根がなくなってどんどん相互乗り入れしはじめている。

 だからこそ、利用者の目には情報そのものを扱うように見えながら、その底辺では機械がデータの形で処理しているという、いわゆる「情報技術」が生まれたのさ。

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