SCMにおける意志決定のパラドックス(2)--「合理的な」決定は可能か


資材の調達先を決める際、価格は有力だが唯一の評価項目ではない。ふつうは価格以外に性能や品質など、さまざまな角度から比較して総合的に決定するはずだ、と前回書いた。価格以外の評価項目における優位性は、売り手の側からは『非価格競争力』と一般に呼ばれる。一方、買い手の側から言えば、非価格項目は、結局のところ買い手にとっての資材の使用価値を決める要素となる。そして、使用価値と取得価格のバランスから、サプライヤーを選択することになるのだ。

ところで、買い手はこれら価格項目と非価格項目をまとめて、通常は一種の比較表を作成する。この作業をプロジェクト・マネジメントの調達管理の世界では、”Bid Tabulation“(Bid Tab)と呼ぶ。プロマネはふつう、調達担当者がBid
Tabを作成した上で、合理的で適正な選定を行なうよう監督する責任がある。前回説明した、自動車の購入のための比較表は、このBid Tabの例である。

さて、前回のケースであなたは、X・Y・Zの3車を比較して、Z車が一番高価ではあるが最も使用価値が高いと感じている。そこで、非価格項目の定性的な◎○△などの評価値を点数化し、合計点によって決めようとした。その際、各評価項目の中の順位にしたがって、各候補にそれぞれ3点・2点・1点を割り当て、それを集計した(投票におけるボルダ方式と同じやり方である)。その結果、Z車が合計12点で、最高位になった訳である。

ところが、あなたの「財務省」は、あなたのBid Tabをじっと見てから、意外なことを提案してくる。比較対象から、最低点のY車をまず削除しよう、というのだ。そしてXZの決選投票をすべきだ、と主張する。決選投票でも同じ手続きで点数化し、両者の比較で、2点と1点を投じる。あなたはこれに同意して、再度比較評価してみる。すると、Bid
Tabは次のようになる。




車種価格

デザイン


エンジン性能


安定性


燃費


保守性


付属機器
X車160万











Y車170万











Z車190万















今度はX=Z=9点だ。両者は同点だから、安価なYを選択すべきだと、彼女は主張してくる! 果たしてこれでいいのだろうか? XとZの二つの対象を比較するときに、両者と無関係な比較対象Yの有無によって、結果が変わるのは不合理ではないか

そのとおりである。この事例のようなやり方(ボルダ方式)は、意志決定プロセスが、“無関係対象からの独立性を欠いている”とされる。そして、このような意志決定は、評価の経路(選択候補を比較する順番)によって、異なる結果を得てしまう『結果の経路依存性』がある。これを容認すれば、評価結果(投票結果)を意図的に操作することが、可能になるのだ

どうやら、単純な単票投票方式も、ボルダ方式も、合理性の観点からは問題があることがわかった。では、他にうまい意志決定方法があるのだろうか

ここで、これまで無反省に使ってきた「合理的」という言葉の中身を、もう少し正確に定義することにしよう。意志決定が「合理的」であるためには、最低限、次の条件を満たす必要がある。

(0)それぞれの比較評価項目で、対象の順序づけが可能であり、それは自由に決めることができる。
(1)順序づけは定性的でもかまわない。ただし、循環順序(じゃんけんのように最強のものがわからない順序)は許さない。いいかえるならば、X>YかつY>ZならX>Zという推移律を満たす。
(2)比較評価による順位付けは、無関係対象から独立である
(3)すべての比較評価項目でX>Yならば、意志決定結果でもX>Yである
(4)ある比較評価項目の順序づけのみが、そのまま全体の意志決定結果と同じになるような“独裁的”な力を持ってはいけない

どれをみても、至極もっともな条件である。ところが、ケネス・アロウという経済学者は、これらをすべて満たす決定方式は存在しないことを数学的に証明してしまった。彼によれば、(0)~(3)をみたす方式では、(4)をみたすことができない。ある尺度だけがつねに結果を左右してしまうのである。これを、アロウの「一般選好性定理」ないし「一般可能性定理」と呼ぶ。つまり、比較選定を投票行為に見立てるならば、一見合理的に見える社会的意志決定で、「必ず独裁者が生じる」という、とんでもない定理なのである。かれはこの発見の功績により、1972年にノーベル経済学賞を受賞する。

このアロウの定理は、何を意味しているのか? 合理性だけの民主主義社会には独裁者が必然的に発生する、ということだろうか? そうではない。彼はただ、「合理的」に見える意志決定においても、その合理性にはつねに限界があることを示したのだ。たとえば、評価項目(価値判断の視点)を一つ、新たに追加するだけで、結果が完全に逆転することだって、十分あり得るわけだ。

ちなみに、ボルダ方式を含むすべての民主的投票方式において、戦略的操作がつねに可能である、ということも、数学的に証明されている(ギバード=サタースウェイトの定理)。また、もしも、2者間の比較が無関係対象から独立であり、かつ投票者全員が等しい票を投じる権利を持つ場合、どんな投票方式を持ってきても、結果には循環順序が発生する危険性があることも、証明されている。

アロウの理論は、じつは本来は社会的な意志決定に関する理論(厚生経済学と呼ばれる学問分野)の仕事であった。しかし、彼の理論は、サプライチェーンやプロジェクト・マネジメントにおける意志決定のプロセスにも適用可能である。そして、お金だけでは決められない多元的な意志決定において、徹頭徹尾、機械的な合理性を実現することは不可能なのだ。意志決定には、必ず不合理で不確実な部分が残る。もしBid
Tabの非価格項目が、資材の使用価値を決める要素だとしたら、結局、価値評価は、機械的手続きでは決められない。これをバランスするためにも、人間の主観的な判断がつねに必要なのである。

(厚生経済学の諸定理の内容については、おもに佐伯胖著『「きめ方」の論理 -- 社会的決定理論への招待』東大出版会・刊に負っています)