自分が自分自身の主人であるために


「自由度」という概念

自由度」の概念の重要性に気づいたのは、2000年に「革新的生産スケジューリング入門」を執筆している時だった。「自由度」尺度の有用性は、90年代の前半にスケジューリングシステムを設計し、アルゴリズムを考える中で気づいて、本に書く際にそれをより体系化した訳である。

その後、プロジェクトを構成するアクティビティの貢献度という問題に取り組む中で、自由度の縮退=すなわちリスク確率である事に気がつき、それをもとに学位論文を書いた。プロジェクト・マネジメントの最もコアな任務は「決断」である。 より質の高い決断を行うためには、明確な価値観を持つこと、および決断における複数の選択肢の確保、すなわち「自由度」を確保することが、大事になる。

価値観を持つこと、「自由度」を確保することは、プロジェクトを離れても一般に大切である。 自由度とは、わたし達が予期せぬ出来事に対応できる能力・余裕を意味する。だから、他者のために自由度を確保し、選択の余地を残しておくことは、他者と協力する上で(また説得する際にも)とても大切である。

選択の自由があるとは、自分が自主的に決められるという意味だ。誰かに強制され、選択の自由がないときは、誰かに使われるだけのロボットのような存在になる。自分で選んだことは、前向きにできる。誰かに強制されたことは、いやいやすることになる。

「宿題はしたの?」と母親に聞かれ、「今しようと思ってたのに!」とふくれる小学生の気持ちは、誰でも経験があるだろう。やる事は同じだ。だがモチベーションも、そして成果も、全然違う。自分が決められること、自分が自分の主人であることの大切さは、この例でも分かる。





自由度と権力とリーダーシップ

わたしの「自由度」の概念には特別、政治的な含意は無い。ただ現代社会を見ていると、地球上どこでも次第に、権力の集中が加速しているように見える。経済の世界でも、政治の世界でも、である。権力とは他人を、その意思にかかわらず強制して動かす力だ。わたしは、より多くの人に、より沢山の自由度が確保されていることが、望ましい社会だと単純に信じている。権力とは自由度の反対概念を構成する。だから今の世の中の動きには、不安を感じる。

もちろん、世の中に「強いリーダーシップ」を求める意見も多いことは、承知している。そして、それなりの理由があることも。ただ、ここでいう『リーダーシップ』が、どちらの方向に働く力かは、 注意したいと思う。すなわち、自分の部下や配下に対して命じる力なのか。それとも対等な(場合によっては上位の)、外部の相手に対して働きかける力なのか。 言い換えればポジションパワーの行使なのか、影響力の発揮なのかと言うことだ。

大学などでマネジメントとリーダーシップの違いを説明する際によく使う、たとえがある。それは野球部のキャプテンと監督の違いだ。キャプテンはチームの一員である。自分自身もプレイしている。だが監督はチームの上から指示を出す。 キャプテンが発揮するのはリーダーシップで、監督が行うのはマネジメントだ。つまり、リーダーとは、対等な仲間を引っ張る存在であり、 マネジメントとは、ポジションパワー(地位の力)によって上から統率する行為である。

しかしながら世の中には、リーダーシップとマネジメントの違いについて、もっと別の説明も多い。特にアメリカの経営学では、リーダーシップをマネジメントと同格、ないしは上位に置く傾向が強い。そしてリーダーを目指すことは良いことだ、との明確な価値観がある(ここは日本も近い)。こういう場合、リーダーシップには対等な相手を動かすだけでなく、地位の力(権力)を行使することも含まれる。だから以後は、両者を区別するために「権限付きリーダーシップ」「権限なきリーダーシップ」と呼ぶことにしよう。





権力の集中現象と自由

さて、現代社会では「権力の集中が加速している」と上には書いた。ただし、これには数値的なエビデンスがない。経済的な収入の格差なら、ジニ係数のような指標があるが、権力自体は強さを測る方法がないので、統計が存在しないからだ。でもまあ、経済的なパワーの強さなら、企業規模で近似的に測ることができる。そして上位10%の企業が経済利益の約80%を獲得していると、マッキンゼーも言っていた。つまり経済的な影響力は明らかに巨大企業に集中しているのだ。

では、巨大企業の著名なトップ達は、我々普通人の想像もつかぬ「超大型の自由」を享受しているのか? ここのところが、微妙だ。たしかに何十万・何百万人の人生を左右するような、強大なパワーは持っている。個人資産は兆円の規模だ。だが彼らは自由なのか? 我々は彼らのような自由をうらやんで、リーダーを目指すのか。

いや、もう少し普通の会社にいる普通の人だって、いろいろだ。確かに上昇志向の強い、出世欲で生きている人もいる。逆に会社の仕事はそこそこにして、プライベートな趣味の領域を大切に生きている人もいる。後者の人はある意味、私的領域で自由を求めているのだ。こういう人たちを、少し前の言葉だが「草食系」と呼んでみることにしよう。逆に、競争社会を突っ走る人たちは、「肉食系」とでも呼ぼうか。

権力欲の強い肉食系の人は、会社のポジションパワーで得られる自由を目指しているのか。どうも、かれらの目的は自由ではなく、ポジションそれ自体、あるいは競争での勝ち負けであるように思われる。むしろ肉食系の人びとは、自分自身の強い権力欲にドライブされて、思考も行動も決めている。つまり、自身の欲に縛られ、欲望の奴隷状態にあると言えなくもない。少なくとも、自由を楽しんでいるとは思えないのだ。





自分が自分の主人であるために必要な手段とは

草食系の生き方は、職場では自由を束縛される。言われたとおりに働くしかない。こうしてみると、肉食系でもなく草食系でもない、第三の行き方を目指すことが、「自分が自分自身の主人であること」を達成する道であるように思われる。ただ、それはおそらく、一人だけではなかなか達成しがたい。というのも、わたし達の社会の枠組みが、人の役割を縛りたがるからだ。そのためには、他者と協力して、枠組みを少しずつでも広げて変えていく必要がある。

自由度を得ることは、自分のできる範囲を広げる、つまり能力を拡大し成長することと、セットでなければ意味がない。空を飛べなければ、空がどんなに広くても意味がないように。複数の人が自発的に協力して、新たな能力の獲得を目指し、失敗するかもしれないチャレンジをすることを、本当は「プロジェクト」と呼ぶ。それが複数の取り組みや試行錯誤から構成されるときは、「プログラム」になる。

かりに貴方がエンジニアだとして、もし仕事のキャリアの曲がり角にきて、草食系でも肉食系でもない第三の行き方をしたい、少しでも面白い仕事ができる自由度を獲得したい、と感じたら、何を学ぶべきか。たぶん仕事の技術面だけでは足りないだろう。自分(たち)を縛る人びとや制度の枠組みを変革していく必要がある。

そうした、いわば変革の実現のためには、ロジカルな思考力の訓練も必要だろう。メンタルなトレーニングも必要だろう。でも多くの経営書は、役に立たない。これはミドルの問題だからだ。そして中間管理職向けのコンテンツも、あまり有用とは思えない。管理ではなく変革がテーマだからだ。

ただし、人と協力関係を築くための手法、そして変革の取り組みの進め方に関する、先人の知恵は存在する。それらは組織開発論だとか、プログラム・マネジメントだとか、いくつかの分野に分散している。本サイトでは、それらを結びつけ、できれば統合して、学べる場にしたいと願っている。





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ロボットとして生きないために」 (2015-04-04)