情報嫌い
情報は何の役に立つのか?
当サイトの以前からの読者はご存じの通り、ときおりわたしは「書評」を掲載する。基本的には、自分が面白いと思った本を、読者にもお知らせしたくて書いている。ただし、書評ではほとんど、新刊書を取り上げたことがない。理由は簡単、自分が新刊書を滅多に買わないからだ。買うのは大体、昔出た本、古典書などだ。年月を経て定評のある本を選ぶから、という訳でもなくて、古書店でふと見つけて興味本位で買ったりもする。でも、新刊書を急いで買うことは、まずしない。
わたしは新聞もろくに読まない。家では連れ合いが新聞を、なぜか2種類もとっており(中央紙と地方紙)、毎朝届く。だが、わたしがめくって特定の欄を読むのは週に1、2回。あとは頁を開きもしない。わたし自身は、経済紙の電子版を契約している。ただしこれは会社員キャリアの最後の10年以上を、経営企画部門で過ごしたから、仕方なく取っていたのである(「おい、今朝の日経のウチの記事見たか?」と経営者に聞かれて「いえ、知りません」と答える訳にはいかないからだ)。しかし、経済紙も実はろくに読まない。株式投資をほとんどしない人間には、無縁の頁ばかりが多すぎる。
わたしはTVもほとんど見ない(例外は、連れ合いが録画した「世界ふれあい街歩き」「岩合光昭の世界ネコ歩き」をたまに見るくらい、かな?)。YouTubeも、仕事で必要なとき以外は、まず見ない。あの、ひどくニギヤカで、けたたましい世界に耐えられないからだ。
新聞もテレビもろくに見ずに、もう20年以上は過ごしている。それでもとりあえず、社会人は一応続けていられる。だとしたらメディアにあふれる、あの「役に立つ」情報の洪水は、いったい何の役に立つのか?
情報の洪水と広告モデル
そういえば電車でも、よほど古い車両は別だが、必ずビデオ映像を流している。わたしはあれが嫌いなので、できる限り見ないようにしている。わたしは電車の中では携帯の画面も見ない習慣なので(これは視力低下を防ぐためだが)、電車に乗ったら本を取り出して読む。でも紙の本を読んでいる人は、1車両に一人か二人しかいない。
それどころか、この頃はエレベーターにのっても、タクシーに座っても、なにやら映像を見せられる。あれは目をつぶるくらいしか防ぐ方法がないので、勘弁してほしい。ああいう情報の洪水を、いやだと思う人は、ごく少数派なのだろうか?
新聞や本は有料だが、あとの情報はほとんどが無料だ。なぜ無料かというと、基本的に広告だからだ。「役に立つコンテンツ」を無料で提供して、スポンサーの広告を一緒に流す、というのが広告モデルである。コンテンツは一見、ニュートラルに見える。作る側も一応、気を遣っているだろう。だが広告モデルに乗っかっている以上、スポンサーの嫌う情報はフィルタリングされる。そういう宿命にある。
広告は消費者の欲望を刺激し、流行をあおるためにある。B2Cビジネスでは、流行に乗るかどうかで、成長性や効率性が全く違う。流行という現象自体は、きっと古代社会からあったのだろうが、情報メディアの発達した現代では桁違いのイナーシャ(慣性力)を持っている。そして流行においては、他の人が知らないことを自分が知っているのが、アドバンテージになる。だから流行に敏感な人ほど、情報に飢える構造が生まれる。
情報とは何か
情報に飢えている人がいる、ということは、すなわち情報には商品価値がある事を意味する。だが、正確に言うと情報は商品ではない。すくなくとも、商「品」ではない。なぜなら情報は物品(モノ)ではないからだ。
表を見てほしい。これは「マテリアル」(モノ)と、「サービス」と、「情報」という、ビジネスで取引可能な三種類の商品形態を示している。

マテリアル(モノ)には、物体としての存在という具体性があり、その存在形態で提供する。特徴は在庫できることで、取引は基本的に所有権の移転である。これに対して、サービスには具体的な実体はない。
サービスという商品は、実はリソース(人・設備・空間等)を提供することで成り立っている。ホテルが良い例だ。我々はホテルの部屋に金を払うが、別に所有権を持つ訳ではない。ただ一晩の間、利用権(占有権)を得るだけだ。鉄道も通信会社も床屋さんも同様。買った客は別に何も、所有しない。そしてサービスの特徴は、在庫できないことである。ホテルのように季節性や需要変動の大きい業種は、在庫できたらどんなに楽かと、考えるだろう。だが在庫できない点が、際だった特徴なのだ。
では、「情報」はどうか。情報は、コンテンツ(不定形な意味情報)と、データ(定型化された記号の並び)の、いずれかの形態で提供し取引される。新聞や本やTVは前者、経済紙の株式欄などは後者に属する。正確に言うと、データの並びから意味をくみ取るのは、人間の側の仕事である。ここら辺の関係は、拙著『ITって、何?』に詳しく書いたので、参考にしてほしい。
情報もサービスと同様に、在庫できない。在庫の概念は、情報ののっている物理的媒体(書籍とか新聞紙など)にしか当てはまらない。そして際立った特徴は、許諾権で取引されるにもかかわらず、基本的に占有できない点にある。というのは、情報は他人に渡しても、自分の手元に残る性質があるからだ。知っていた事を、知らない状態に戻すことは、できない。
情報とは相手の内部状態を変える、小さな物理的力である
なぜ情報には、マテリアルともサービスとも違った、独自の特性があるのか。それは「情報」というのが実は、受け手の『内部状態』に関わるからだ。情報とは何かというと、以下の二つの特徴を持つ「働きかけ」なのである:
(1)受け手の内部状態を変え、その将来の行動を変えるポテンシャルがある
(2)相対的に小さな物理的力で、伝達可能である
内部状態とは何か。それは、脳なり、そのほかの記憶装置なり、あるいは構成要素の位置や濃度でも良いが、ともかく外部から通常は直接観測できない、系(システム)の中の状態を示す。そして受け手であるシステムは、その内部状態にしたがって、遷移や動作を変える(場合によっては他の外部入力と組み合わせて動く)。たとえば飲料の自販機にコインを投入したら、自販機の内部状態が(昔は機械式に、今は電子式に)変わって、商品を取り出し口に落とす。
ちなみにコインは、ペットボトルの商品に比べて、ずいぶんと物理的には軽くて小さな存在である。それでも、自販機の内部状態を変えるには十分だ。こういう特性を持つ働きかけを、情報という。自販機をバットで叩いたりドリルで壊したり、大きな物理的力を加えることでも、状態は変えられるが、それは情報とは言わない。
昔から、自動制御の分野でフィードバック制御の信号を、情報として扱っているのはそのためだ。制御対象系全体に比べれば、制御信号は物理的にごく小さい。だが系全体の動きを変えることができる。人間に音声(音波)を送ったり、書面(光波)を見せたりするのは、物理エネルギーとしてはごく軽微だが、それでも人は動く(当座は記憶だけして、その効果が将来現れる場合もある)。これを情報という。人を手で押したり竹刀で殴ったりしても人は動くが、それは情報ではない。
理解することのコストについて
小さな物理的力を、内部状態の変化につなげるのは、受け手の仕事である。受け手が内部にCPUを持つ種類の少しスマートな機械なら、記号入力を意味に変換する仕事はそのCPUが行う。受け手が人間で、情報伝達が言語で行われるなら、言語記号を意味に変換するのは、人間の脳の仕事である。それを、理解と呼ぶ。
わたしの脳は、なんだかこの理解の働きが遅いらしい。わたしは、エンジ会社の職場の同僚の読解能力に、いつも本当に感心している。同僚達は、分厚い英文のスペック文書や契約書などを、克明に読んで、きちんと理解している。わたしも仕事だから仕方なくやるが、とても遅い。そしてすぐに、脳のキャパシティが一杯になったように感じてしまう。そんな時に、帰りの電車で広告映像を見せられたりすると、イライラするのだ。
情報は、ある程度のまとまり(文脈=コンテキスト)の全体を受け取って展開・理解しないと、それが自分にとって価値あるものかどうかを判別できない特性がある。それはここで今、皆さんが読んでおられるようなネットの文章にも当てはまる。ここまで長々と我慢して読んできたが、得られるものがあったかどうか。それは、読者次第だ。情報読解というのは、一種の賭けなのである。
ネットでは、「何々が嫌い」という情報を発信するのは、(炎上狙いでもない限り)避けた方が良い、とのアドバイスを聞いた。おまけに、「長い文章はネットでは読まれないよ」とも以前から助言されている。なのに、ああ、両方に反した文章を書いてしまった(苦笑)。
理由は二つある。一つは、わたしのような少数派も存在することを知ってほしいからだ。情報に飢えている人は、他人も情報に貪欲だと思うらしい。だが、わたしの脳は小食で、そんなに大量には受け付けられないのだ。しかも、消化(=理解)に時間とコストがかかる。消化するには、情報の少ない環境、いわば静寂が必要なのだ。
そしてもう一つ。「知る」事よりも、「分かる」事の方が大事だと、世の中に訴えたいからだ。情報は内部状態を変え、「知った」状態を作る。しかし、何かを知っても、それが自分の行動に表れ、使える状態にならなければ、「分かった」事にはならない。現代にあふれている情報の多くは、「知ってるだけで分かってない」人たちが生み出しているように見える。「知る」と「分かる」をつなげるのは、試行錯誤の経験の積み重ねだ。それをすっ飛ばして、知ったらすぐ分かった気になりたい現代は、はたして有用なモノを生み出し得るだろうか?
<関連エントリ>
「『わかる』ことと『知る』こと」 (2010-02-24)
「静寂の価値」 (2009-10-16)