第20回 『ITって人と人を結びつけるのに役立つの?』(最終回)
--ITは人を幸せに出来る道具か-- (2002/09/01 発信)
--さあ、ここを通り抜ければ、もうぼくの生まれた町だ。
「え。・・いやだわ、なんだかわたし緊張してきちゃった。・・どうしよう。ねえ、わたし、ちゃんとした顔してる? おかしくない?」
--いつも通りさ、大丈夫だ。
「そんなこと言って、こっちを見てもいないくせに。」
--だいじょうぶだよ。
それでも彼女はハンドバッグから化粧道具を取り出して、小さな手鏡を一生懸命のぞき込みはじめた。
「ねえ、わたし、お母様の写真の前でちゃんとご挨拶できるかしら。」
--できるさ。それに、そんなこと親父も誰も気にしやしない。
「あなたはそう言うけれど、人と人とのつきあいってむずかしい、大変なものなんだわ。あなたはきっと、コンピュータの前に座りっぱなしだから気が楽なんでしょうけれど。」
--そんな事ないさ。ぼくの仕事はシステム・アナリストだ。ユーザの行動の分析が商売だ。いつも人との関係には気を使っている。
「“いつも人との関係には気を使っている”・・嘘ばっかり! 忙しいときにはメールの返事もろくによこさなかったくせに。」
--あ、あの時は・・いや、ごめん。言い訳はよそう。電子メールが登場したことで、人と人とのつきあい方もずいぶん変わってきたのはたしかだけれど。
「また話をそらしたりして・・人とのつきあい方なんて、そんなに変わったかしら? わたし、本質は何も変わっていないと思うけれど。」
--そうかな。
しばらく彼女は黙っていた。
--どうした? 何を指折り数えているの?
「今回のこの質問で、ちょうど20個目だったわ。」
--そうか。20の扉もようやくおしまいか。もうすぐ着くしな。それで、ITって何か、少しは分かった気になってくれたかい?
「ぜんぜん。」
--そりゃどうも。まあ難しいテーマだったし、『××って何?』式の、仕組みの説明は一切しない、という風に自分の手を後ろでしばっていたし、ぼくの解説能力の限界だったかもな。だとしたらあやまるよ。ごめんなさい。
「あやまらなくてもいいのよ。ただ、なぜ分からなかったか考えていたの。」
--それで?
「たぶん、あなたと私の生きている問題意識自体がちがうから、かみ合わないんだわ。」
--そうかな。ぼくは会社員。システム・アナリスト。それに男だ。きみはフリーの翻訳家で、小さな事務所で働いていて、おまけに女性だ。でも、それ以外に共通するところもずいぶんあるじゃないか。例えば同じ時代の日本に生きていて、同じ都会の・・
「そういうことじゃないのよ。そういう表面的なことじゃ。
さっきの電子メールの匿名性の話なんかでも、あなたは電子認証とか、そういう技術論でとらえていたでしょう?」
--まあね。だってぼくは技術屋だからね。
「わたしは、匿名性の問題は、“自分とは誰か”という自己証明、アイデンティティの問題に行き着くと思うの。」
--うーん。つまり君は技術屋じゃなくて事務屋だと。それとも哲学者かな。
「そうじゃなくてね。えーと。私の好きな文明と文化の定義に、
“文明は人間に利便を与える。文化は人間に自己証明(アイデンティティ)を与える。”
という定義の仕方があるの。」
--はあ。それで?
「多分あなたの意識はもっぱら文明に属していて、私の意識は文化に向かっているんじゃないかと思う。だから問題意識がすれ違うのよ。」
--ぼくが、文明の側なわけ? そりゃ光栄だな。でも文化の方も手強いか。
「あなたは情報の定型化が好きでしょう?」
--ぼくは何度でも繰り返すけれどね、ITの本質ってのは、データと情報のサイクルを回すことなんだ。情報を機械に与えて処理できるようにしてやるためには、定型化してデータにしなきゃならない。
そりゃユーザには一見、堅苦しくて不便に見えるかもしれない。でも、それはより広い意味での、ユーザの利便に供するためのものだからね。
・・なるほど。利便を与えることが文明の目的なら、たしかにぼくは文明の側に属しているのかもしれない。コンピュータが文明の国アメリカの産物だってのも納得できる話だ。とはいえ、ITが最終的にユーザに配達するのは融通無碍な情報だけれどね。
「でも、そこで配達されるのはあくまで書き言葉だけでしょう? さっきのメールの話に戻るけど。」
--携帯電話の音声メールだってITの応用なんだけどな・・いいよ、わかった。主に書き言葉だ。でもそれのどこが悪い? 何が足りないっていうんだ? ITは立派に人と人を結んでいるじゃないか?
「本当に人と人とをつなぐものはフェイス・トゥー・フェイスのコミュニケーションしかないのよ。
書き言葉のみでのコミュニケーションには限界、というよりもバイアスがあるの。音声もない、相手の顔の表情も、仕草もない。言葉を発することは、からだぐるみの行為なのに。」
--そう言われてもねえ。バイアスって、どんな風な?
「コミュニケーションで大事なのは、本当のメッセージはインフォーマルなチャンネルで流れるってことだと思う。組織内のコミュニケーションもそう。さっきの何とか実験でもそれが結論だったでしょう?
個人対個人でも、身振りや顔つき、言葉の発声のしかたやくせで、相手が無意識に発している感情レベルでのメッセージを受け取りながら、言葉の中身を吟味しているの。それが全部抜け落ちるとしたら、すごいバイアスじゃないかしら。」
--つまり感情が伝わらないってことかい。だったら、そのためにニッコリマーク(^_^)とかシクシクマーク(;_;)とかを使えばいいのに。
「それじゃ不十分なのよ。ねえ、わかって。お願いだから。
あなただって、ずっとメールだけでやりとりをしてた人にこのあいだ会ったら、“想像してたやつとは全然ちがってたよ”なんて言ってたじゃない。」
--ああ、その手のことはしばしば起こるね、たしかに。
「ネットで、自分がどういう人格として他人に受け取られているか、不安に思ったことってない? 自分が誰なのか、書き言葉でしか知られないのよ。
そんな狭いチャンネルしか通れないから、メールってしょっちゅう感情が不自然にこわばった状態になるんだわ。あなたも経験がない?」
--そうだなあ・・まあ、ときどき、電子掲示板で妙にひどい喧嘩になることがあるけど、あれなんかネット上の迷惑行為ではあるな。
「それって感情が窮屈だからそうなるのよ。面と向かい合っていたら、知り合いだろうが赤の他人だろうが、そう簡単に喧嘩はできないもの。」
--少なくとも、もっと上手に喧嘩するかもな。
「たぶん、あなたにとって言葉はコミュニケーションの全体で、終点のように思っているみたいだけれど、それはちがうわ。言葉はコミュニケーションの始まりでしかないのよ。それって悪いけど、西洋から輸入した誤解だわ。」
--輸入。そうすか。
「機械翻訳も人工知能も、同じようにIT屋さんの考え方の限界を示しているんじゃないかしら。それは、さっきの“英語は論理的だ”という誤解ともよく似てる。ITの親は西洋哲学と論理学だ、って言うあなたの説明が正しいんだとしたら、それは結局、西洋の論理学という釈迦の手のひらの限度なのよ、きっと。」
--孫悟空としてのぼくの感想はだね、釈迦の掌ってのは思ったよりずっと広い、ということだ。まだ果ての五指には到達していないような気がするもの。
「一つの地平を選んだ時点で、すでにそこに限界があるのよ。」
--だって選択ってそういうものじゃないだろうか。人間はあれもこれもは選べない。一つ選んだら一つ捨てるしかない。ITに限界はあるかもしれないが、それは果てに行ってみるまで分からないんだから、そこに賭けるしかない。これは賭なんだ。人生は賭けの連続だろ? 学校の専門を選ぶときだってそうだ。就職だってそうだ。結婚だって・・結婚だって賭けじゃないか。
「そうね。」
--ぼくはITの専門家としての仕事を選んだことを誇りに思っている。それが文明の領域に奉仕する仕事で、西洋人の論理がベースになっている限界はあるとしてもだ。まあITの解説は下手かもしれないけれどね。
「あなたの仕事がデータと情報の橋渡しをする仕事なら、私の仕事は文化と文化の橋渡しをする仕事なの。主に西洋と東洋の間だけど。」
--どんな文化でだって、人間は文明がなけりゃ生きられないだろ?
「でもどんなに文明があっても、文化がなければ人間は生きていく意味を失うのよ。」
--なんだかどっかの気障なセリフみたいだな。文明がなければ生きてはいけない。文化がなければ生きていく意味がない。
「・・データがなければITは動かない。情報がなければITを動かす意味がない。」
--お見事。それだけ分かってくれりゃ十分です。それが20の扉の結論だから。
「ねえ。」
--なんだい。
「・・ううん。何でもないの。」
--ふうん。
ああ、街が見えてきた。あの向こう側の丘に、ぼくの家がある。
「どれ? 見えるの?」
--まだ見分けられない。でももう、カーナビの仕事は終わりだ。
「ITって、人と人を結びつけるのに役立つかしら?」
--もう答えたんじゃなかったっけ?
「たぶん、ITって人と人を結びつけるきっかけを作ることだけは出来るのよね。国境を越えて、知らない人同士でも、1通のメールから結びつくきっかけにはなる。」
--ぼくはそんな風にロマンチックに考えたことはないね。ぼくは一介の技術屋だ。道具がちゃんと動いてくれればいい。このカーナビみたいにね。
「でも、道具が人を幸せにするのでなかったなら、いったい何のためにあるの?」
--そんなことは知らない。技術屋には技術屋の領分があり、それ以上のことは考えないようにしている。
「データ処理は文明に、情報は文化の領域に奉仕している。そうでしょう?」
--・・かもね。
「あなたは、このカーナビは軍事技術の応用だっていってたわ。人を幸せにするという目的とはあまり相容れない目的の技術。文化というより文明のための目的の。」
--それで?
「でも、同じその技術が人と人を結びつけることにも役立つかもしれないのよ。前線の暗い森の中で銃をかまえる兵士にとって、検閲された故郷からの手紙だけでなくて、地球上のすべての人と直接やりとりできることが、どれだけ大きな意味を持つかしら。どうして私たちは、そういう方向に向かって努力できないのかしら。」
--ぼくら人間は他人を幸せにするために生きているんだろうか。誰だってまず、明日を生き延びるのに懸命なんじゃないだろうか。
「でも、私は幸せになりたいわ。他の人にも幸せになってほしい。」
--それが何ほどのことだろうか。そもそも他人を永久に幸せにすることなんか誰にも出来やしない。ぼくも君も、誰もがいつかは小さな写真の中に収まってしまうんだ。
「だからせめてその時までは、一生懸命自分たちのことに、この世のことに手を尽くすべきなのじゃないかしら。そうでなかったら、なんのためにいるのかしら。」
--さあ、それは、わからない。その時が来るまではただ懸命に生き続けるとしか、ぼくには言えないね。
「わたしたちはその時に、一緒の写真の中にいるかしら。」
--そのために、一緒に歩いていこうと決めたんじゃなかっただろうか。
「そう。そうよね。」
--ぼくと君の間にも、いろんなギャップがある。たぶんずっと埋まらないままのものもあるような気がする。でも、君とぼくとの対話のサイクルの中で、何か新しいものが生まれてくるかもしれない。そう、願っているよ。
「そういうのを、たぶん愛っていうんじゃないかしら。」
--・・・・・。
しばらく彼女は黙っていた。そして、こちらを向いてこう言った。
「ねえ。・・・愛って、何?」
(了)
(c) 2002, Tomoichi Sato
(この話の登場人物はすべて架空のものです)