競争入札における見積精度とコスト超過の関係
競争入札における見積精度とコスト超過の関係 (2013/05/19)
「プロジェクト入札における見積リスクと最適応札価格について」というタイトルの講演発表を、日本経営工学会の春季大会で行った。学会だったので聴きに来られる方が限られていたため、ここにそのエッセンスを(数式はのぞいて)採録することにする。
ご存じのとおり、わたしが勤務するエンジニアリング業界では、ほとんどのプロジェクトが競争入札で決まる。エンジ業界に限らず、建設業界やSI(システムインテグレーション)業界などのプロジェクトも、競争入札を実施することが多い。発注者側は基本仕様書とITB(Invitation
to Bid)あるいはRFP(Request for Proposal)を用意し、応札者に配付する。応札側は、仕様書にもとづいて見積作業を行い、応札価格を決める。
入札だから、技術要件で失格にならない限り、原則として最低価格の提示者が受注できる。しかし、見積精度には限界があり、かつ実行時にコスト超過が発生するリスクがある。しかも大型案件では見積作業自体にかなり費用を要するため、失注時の損失も大きい。「かなりの見積費用」とは具体的にどれぐらいかというと、わたしの業界では数千万円とか数億円とかの規模になる。それだけの金銭と労力をかけても、入札に敗退すればまったくのムダとして消えてしまう。容易ならざるビジネスだと、いつも思う。
見積費用がどれくらいかかるかは、無論、見積の手法自体に依存する。経営者が、基本仕様書もろくに見ずに「エイヤッ」と応札価格を決めるだけなら、費用はほとんどタダである。実際には、ある程度の概略設計作業が必要になる。コスト・エンジニアの世界的協会であるAACE (Association for the Advancement
of Cost Engineering) Internatioalが策定したRecommended Practiceでは、超概算から確定詳細見積まで、5段階の見積手法が規定されている。プラント業界における見積は普通AACE Class 2と呼ばれるコスト推算手法を用いる。
このAACE Class 2は、かなりの費用・労力がかかるわけだが、どれほどの精度があるのか。AACEによると、確立した技術分野では、±5%の精度を持つといわれる。これは同じ技量の者が同一条件でコスト推算した場合、結果が平均値の±5%の範囲内におさまる確率が高いと解釈できる。AACEは分布関数の形に言及していないが、正規分布と仮定すると、見積結果は平均値±5%の範囲にほぼ(=95%の確率で)入ると考えられる。
ところが、わが同僚のコスト・エンジニアたちは一般に、プロジェクトの実行結果を見積と比較するとコスト超過側になる確率が高いと感じている。このため、コスト見積の分布形は非対称である(たとえば-5%~+10%など)としばしば信じられている。これは本当だろうか? なぜそうなるのだろうか?
この理由を考えるにあたっては、コスト・エンジニアがプロジェクトの『実行結果』を知りうるのは、入札に勝ったときだけであることを思い出す必要がある。入札に敗退したときは、結果としていくらかかったかは(競合他社がやっているのだから)天のみぞ知る、である。
繰り返しになるが、同等の能力を持つ者同士が競争入札を行う場合、見積精度自体がランダムな誤差を持つため、まったく同じ仕様書を元にしても、入札価格に差が生じる。このとき最低価格を提示した者が落札し実行するのであるから、「コスト超過が起きやすい」という現象は、実は『真の値』よりもそもそも低めの応札価格で、プロジェクトを受注したこと自体に原因があると考えられる。
たとえば本当は100のコストがかかる仕事をライバル3社が見積もった結果、見積作業自体のもつ誤差のために、A社:103,
B社:97, C社:99とそれぞれ見積もったとする。入札に勝つのは最低価格の97を提示したB社だから、勝者はじつは最初から3のハンディを負った形で出発するのだ。終わってみると100かかって、“コスト超過になってしまったな”と感じる。逆に、プラスの側にブレたA社は敗退し、もし実際にやってみたら安く上がる結果になるはずだが、それは経験できない。だから経験を積んだ者ほど、コスト超過ばかりが記憶に残ることになるのではないか。
では、複数の入札者が、それぞれ、±5%の精度を持つ正規分布で応札価格を決めて入札した場合、その中の最低価格はどんなパターンを描くのか。数学的な詳細は省き、シミュレーションの計算結果だけを示すと、下図のようになる。

グラフは、真の値を1として、入札を1万回やってみたとき、勝者(最低価格)のばらつきをグラフに示したものである。自分1社のみが入札した場合は、当たり前だが平均値=1の正規分布になる。2社の入札の場合は、最低価格の平均=0.985となり、3社入札の場合、最低価格の平均=0.978である。つまり、競争相手が増えるごとに落札価格の平均は下がる。もっとも広く用いられる三社相見積りでは、真の値よりも2.2%ほど安い値段での受注となる。これは、10%程度のマージンが常識である建設・重工・エンジ業界などにとっては無視しえない金額である。
さらに入札者数と入札最低価格の関係を調べてみた。見積精度も、±5%のみではなく、10%, 15%, 20%とふってみて、入札者数が増えると落札価格がどう下がるかをグラフ化したのが下図である。

横軸が入札者の数である。見積精度±5%の場合、5社競合では真の値より3%価格ダウンとなる。そして、±10%精度だと、5社競合では6%ダウン、±15%精度では9%ダウン、±20%精度では約12%ダウンである。たとえば見積精度が±10%で、1億円のプロジェクトを競争入札する場合、同等の力量を持つ5社が呼ばれたら、落札価格は9,600万円前後になる可能性が高い。念のためにいっておくと、ここには営業的な値引き競争は一切入っていない。技術者たちが愚直に見積作業をした結果が、これだけの価格ダウンを生むのだ。そして現実には、この上でさらにコストダウン努力だとか営業での値引きだとかが加わって(というか、さらに差し引かれて)出し値が決まる。利益などろくに出なくなってしまう。
そもそも考えてみると、10%程度しかマージンのない重工・エンジ業界で、コストを±5%の精度で見積もること自体に、かなりのリスクというか無理があるわけだ。SI業界だって、平均マージンが最近は何%程度なのか、わたしは詳しく知らないが、見積精度がそれよりも有意に小さくなければ、赤字プロジェクトの比率が減るわけがない。
以上を考えれば、企業が入札型の単純価格競争に陥るのを避けること、ないし、適切な競争案件選択をすることが、いかに利益確保上、重要であるかがあらためて理解できる。このような業種においては、いかにムダな見積や競争を避けるかが、戦略(=つまり「戦いを略す」)課題の一つとなるのである。
もちろん、これとは別に、他社が普通に見積もってきた場合、どれくらい値引きして応札するのが最適かという問題も思い浮かぶ。とはいえ、例によってまた長くなってきたので、その問題については項をあらためて別に書こう。