ベネズエラの「痛みを伴う」改革(2002/5/06)
空港からカラカスの市街に入る道路は、山の稜線の切れ目づたいに続く、きびしい坂道だ。この国の首都は標高1千メートルの高地に位置するため、ほぼ赤道直下にもかかわらず、夏でもしのぎやすい気候に恵まれている。市街の中心部には、南米には珍しい近代的な高層ビルが美しく並ぶ。
しかし、カラカスを訪れた者がひとたび市の外周、盆地をとりかこむ山並みに目をやると、急勾配の斜面にへばりつくような危うい角度で、粗末な家がびっしりと続いていることに、いやでも気づく。中央部の平坦でリッチな近代性と、周縁部の危険な貧困が、これほど見事な対照をなしている都市は、他にはない。整然と混沌、富裕と貧困、この二極分化がベネズエラという国のメイン・テーマだ。
3週間ほど前にベネズエラを震撼させた政変劇は、このテーマに耳障りな短調の響きをつけ加えた。大統領官邸をとりまく十万人強のデモ隊と守備隊との間に起こった銃撃戦の流血のあとで、ウゴ・チャベス大統領は一部の軍人たちに追放される形で官邸を脱出した。間髪を入れずに、ベネズエラ最大の企業グループを率いるペドロ・カルモーナが臨時大統領に就任する。彼はこの国の基幹である石油産業をマヒさせた国営石油会社のストライキ中止を宣言し、経済秩序は回復に向かうかのごとく見えた。米国はこの事態を歓迎した・・
しかしカルモーナの暫定政権は、多くの軍隊トップの離反により、わずか2日間で頓挫する。3日目にはチャベスが不死鳥のようによみがえり、再び大統領復帰を宣言して首都カラカスに舞い戻る。ただし、彼は報復よりも、反対派との対話を強める路線を打ち出し、以前よりも軟化した態度を見せ始めた。
・・・こうしたニュースをみて、「やれやれ、また南米お得意の軍事クーデター劇か」と思った日本人も多かっただろう。「地球のちょうど裏側の小国で、どんなどたばたが起ころうと、この大国日本のきびしい現実には露ほどの影響もないだろうよ・・」と。
とんでもない誤解だ。このニュースを見てそう考えた諸賢は、いや、ニュースに関心も持たなかった諸兄は、みな自分の国際感覚を大いに再検討した方がいい。影響は大ありなのである。だから米国は即座に反応したのだ。
中南米というと、すぐ軍事独裁政権と連想するのは正しくない。ベネズエラは過去何十年もの間、2大政党による民主制を維持してきた--表面的には。しかし、2大政党制は(世界中どこでもそうだが)寡頭談合政治と利権・腐敗の温床になりがちだ。そして、この国では事実そう機能してきた。ベネズエラは実質的には、石油の利権と深く結びついた経済界の大ボスたちと、強欲な手配師である労働組合のボスたちが手を組んで支配し、それを保守的なマス・メディアと教会指導者たちがバックアップするという形で、富裕と貧困の二極分化を固定しつづけてきたのだ。
そもそもベネズエラは世界第4位の産油国だ。その富のほとんどを石油に頼っている(輸出代金の8割と国家歳入の半分が石油から来る)。最大のお得意さまは米国である。そしてまた、ベネズエラはOPECの協定破りの常習犯としても知られている。OPECがいかに減産協定を結んでも、ベネズエラはどこ吹く風と、大量生産をつづけては米国に供給してきた。米国のエネルギー安全保障政策上、きわめてありがたい存在である。
その国で3年前に大統領選挙があり、かつてクーデターを企んで失敗した軍人上がりのチャベスが、貧しい層の圧倒的な支持を得て就任した。8割以上の国民支持率、既存の政党にとらわれぬドラスティックな改革の公約--どこかで聞いたことのあるドラマではないか。
1998年夏のロシアの経済危機は、秋にはブラジルの通貨危機を誘発し、その余波が中南米全土をおそい、さらに東南アジアの経済危機へと飛び火した。ベネズエラにかなりの投資資産を抱えている米国は、経済危機と政治の不安定が、この国の資産価値を暴落させるのではないかと固唾を飲んで見守っていたはずである。
その世界規模の経済連鎖の危うい結節点に、チャベス大統領が立ったわけだ。かれは憲法の改正、土地改革(政府の遊休地の民間払い下げ)、独立王国だった国営石油会社の経営への影響力行使、と矢継ぎ早に改革政策を繰り出した。
2年前には原油価格が高騰したが、その理由としては、チャベスがOPECの協定をはっきりと順守したことが第一にあげられる。これによって彼は、もはやベネズエラが米国の都合通りには動かないことを宣言したのである。
かれの大統領就任式には数多くの国から外交官達が出席したが、アメリカはなんとエネルギー省の長官を派遣した。このことからも、合衆国がベネズエラのことをどう思っているか(つまり裏庭の石油の井戸元としか見ていないという事が)よくわかるだろう。
そして、米国の傀儡となることを拒否したチャベスを、力によって追放する動きを米国は支持した。彼らが他国の民主主義と自国の利益のどちらを優先するのか、いまや誰の目にも明らかだ。私自身は、チャベスの改革政策がすべて正しいものかどうか、はっきりとはわからない。しかしいずれにせよ、それはベネズエラの国民が判断して決めるべきことだ。
チャベスのめざした改革は、石油の利権に守られた経営者や、特権的な労働者たちとその組合に「痛みを強いる」ものであった。今回のストライキが、この層によって計画され実行されたことを見逃してはならない。ベネズエラ社会の中産階級はいろいろな形で利権の網の目につながれている。彼らをチャベスから切り離して改革政策の抵抗勢力にすることが、ストの最大のねらいであった。
そう、それはたしかに痛みを強いるものだったろう。しかし、その痛みとは、国民の8割を占める貧困層が長年身代わりになって耐えてきたものかもしれない。
「改革は痛みを伴うものだ」という言葉が、一人歩きしている。なるほど、たしかに小さな企業組織においてさえ、本当の改革はかなりの抵抗と危険を伴う。たんなる「改善」が達成感と自己満足をもたらすのに比べて、なんという違いだろう。
しかし、改革の「痛み」を語るときは、その痛みの質について問わなければ嘘だ。誰が、どういうゴールのために、どれだけの期間に、どのような種類の痛みを担わなければならないのか。それは骨折や肉離れの痛みなのか、それとも使わなかった筋肉に血が初めて通う痛みなのか。身を切られる痛みなのか、手術のメスの痛みなのか。
公正で合目的性のある、一時的な痛みには、人間はなんとか取り組む気になる。しかし、右を向いても左を見ても、働くこと一切合切に利権の網の目がからみついているような社会では、その痛みがどんな種類の痛みなのか、よく注意してみていかなければならないのである。