第15回 システムの値打ちは何で決まるの?

--IT投資対効果の話-- (2002/06/09 発信)

「ねえ、でも、今までのあなたの説明はみんなシステム作りの値段がいくらかかるか、みたいな話だったわ。私が聞きたいのは、そうじゃなくてシステムの価値なのよ。」


--え? 質問の意味がわからない。値段がその価値じゃないか。


「値段と価値は違うわよ! 値段て結局は売り手のコスト勘定でしょう? 私がいってるのは買い手にとっての価値、つまりシステムの値打ちなの。百万円のドレスだって、自分に似合わなかったら一文の価値もない、ってことがあるじゃない。そこよ。」


--買ってみたけれど、やっぱり気に入らないから使わない、あるいは自分のニーズにぴったり合っていないから使わない、というケースはたしかにITの世界にもあるね。しかし、使う使わないは、ユーザの自由だからな。


「それはあなたが作り手の側にいるから言える、勝手な理屈だわ。情報の値段の時も同じような話をした気がするけれど、体に合わないような服を、オーダーメードで作っといてお金を取るなんておかしいでしょう? 買う側にだって、自分なりにコストと、ITでえられる効果とを比べるための価値観があるはずだわ。


--ユーザにしっかりした価値観があればどんなにぼくらの仕事も楽かと、いつも思うけれどね。問題はITで得られる効果をどう評価するかだ。


「ITでみんなの仕事が楽になるんじゃないの?」


--必ずしもそうとは言えない。今まで慣れ親しんできた仕事のやり方を捨てて、機械の要求する四角四面なやり方に仕事を合わせなければならない。融通も効きにくくなる。


「じゃあ、仕事が早くなるとか。」


--それはある。それに、正確になる。


「人も減るんじゃない?」


--さあそこだ、一番の問題は! コンピューターを入れると人件費が減るだろうという経営者の思いこみが、あまりにも広く行き渡っている。ITは合理化の道具だ、という思い込みがね。


「違うの?」


--違うね。もし合理化が単なる人減らしの同義語であるならば。むろん、合理化という言葉が、仕事を本当に合理的なものにするという意味だったとしたら賛成してもいい。


「仕事を合理的なものにするってどういう意味よ。」


--仕事をルールとロジックにのっとったものにするよう再整理することだ。あいまいで属人的なものではなく、客観的で再現性のあるものにすること。仕事のやり方を言葉できちんと記述できるかどうかがポイントかもしれない。ロジックであらわすことができれば、それはITツールにのせて加速できる。

 属人的なスキルってのは加速できないだろ? それに、仕事の中に、必ずスキルに依存する部分は残るものだ。ただ、その中からいかにスキル以外の部分をそぎ落として、人間に人間様でなければできない仕事に集中させるかが、IT投資のカギだと思う。

 

「ふうん。」


--これまでITを、省力化のための投資というふうに、狭くとらえすぎてきたところに弊害があった。でも、ITへの投資は、たとえば“新しい工場を建てる”と同格の設備投資だと認識した方がいい。これまでやってきた仕事で人が何人減るかということではなく、これまでできなかった仕事ができるようになる、新しい仕事ができるようになる、そうとらえるべきだろう。


「そうなの?」


--じっさい人間がやったら一日かかるような計算を数秒で終わらせるとか、電話帳並みに分厚い台帳の中から、目当ての記録を一瞬のうちに取り出してくるとか、ジャンボジェット機の姿勢を精密に制御するとか、こうしたことはみんな、従来できなかった新しい仕事だ。省力化の効果なんか計算できやしない。そうだろ?


「そんなに素晴らしいものなら、なぜ使われないシステムなんかができるの。」


--うーみゅ。答えにくい質問だなあ。

 ひとつの答えは、機能とデータとユーザのアンバランスにあると思う。この三要素がバランスよく組み合わさることが、いいシステムの条件なんだ。

 でも、ソフトウエアを作って売る側は、こんなこともできます、あんな機能もありますというふうに、多機能であることを売りたがる。買う側もそれにつられて、あれもしたい・これもしたいと考える。

 でもね。複雑で細かい機能は、それを使うユーザにも、きめ細かな運用の仕方を要求する。さらにその機能を動かすために必要なデータの量や質も向上させなければいけない。これは口で言うほど簡単なことではないさ。


「うまく逃げたわね。」


--たとえばねえ、原価管理を製品ごとに厳密にできるシステムを作ったとする。製造原価だけじゃなく、設計や販売の人件費まで一日単位できちんととらえる、と。そのためには、設計や営業の部員が一人一人日報をつけて、今日はどの製品開発に何時間ずつ働いたかをタイムシートかなにかに記録しなくちゃならない。でも、そんなことを外回りの営業マンがいちいち会社に戻って入力すると思うかい?


「・・たしかにまあ、しないかもしれなさそうね」


--ITの世界には『ガーベッジ・イン、ガーベッジ・アウト』という言葉がある。クズのデータを入力すればクズの結果が返ってくる、という意味だ。

 システムに余計な機能を追加しすぎるとユーザの負担が増える。とうぜん不正確なデータが入り込みがちになる。すると誰もそんなレポートを信用できなくなる。そのあげく、そんなシステム全体を使いたくないという雰囲気が強くなるものさ。


「でもね、たとえば設計するときに、仕事のロジックをつかまえ損ねてしまったから使われなくなっちゃった、ということはないの?」


--残念ながら、それもしばしばあることだ。どこの組織にもタテマエとホンネはあるけれど、その乖離がひどいと、建前のロジックをプログラムに組み込んだけれと、誰もほんとにはそれに従わなかった、なんていうことになる。


「馬鹿野郎、仕事ってのは理屈通りになんかいかないんだ! なんて、訳の分からないオジサンがどうせ出てきて妙に威張るんでしょ?」


--仕事にあいまいな部分を残しておけば、自分の裁量で運用できる部分が増える。だからあえて明文化したくない、という面はあるよね。

 ここのところは、最初の要件定義をする人(これをシステム・アナリストというんだけれど)の腕前にかなりかかってくる。腕がいいと、建前のロジックと、実際に積み上がっているデータとの間に矛盾を見つけて、どこかおかしいということに気がつく。あるいは現場のインタビューで本音のロジックを聞き出してくる。

 こういうことは、人間の実際の業務がどう流れているかについて、十分な洞察力のある人でなければできないことだけれどね。


「だとしたら、買い手にとっての値打ちを決める物差しは何もないのかしら」


--答えになっているかどうかわからないけれど、例えば同じ業界で他のところがどの程度ITに投資しているかを、売上高に対する比率なんかで計って比べてみるのもひとつの手かもしれない。こういう同業者間の比較のことをベンチマーキングというんだけれど、米国対日本で製造業を比較してみると結構違いがある。

 最近では、米国のIT投資は年商の10%がベストといわれている。これはちょっとオーバーだとぼくは思うんだけれど、話半分としても3%から5%くらいは行っているみたいだ。これに対して、日本の製造業では多くて2%、年商の1%以下のところも多い。


「ITのエンゲル係数みたい。」


--なるほど、そうだね。この数字の差は、二つの国がITに対してとらえている値うちの差だと思っていいだろう。


「それだけのお金を皆、投資に使っているの?」


--正確に言うと投資と、毎年の運用経費と両方の合計だ。

 ちなみにITは、設備投資に比較すると、初期投資金額に対するメンテナンス金額の比率がずっと高い。

 

「どういうこと?」


--オフィスビルとか工場だったら、毎年設備の維持管理にかかる金額は、投資額全体の、いいところ4~5%だろう(減価償却は除いてね)。だけれどITの場合は、15%から20%近くかかってしまう。おまけに償却年数だって。工場や設備は、十五年から三十年くらいだ。片やITの方は、へたをすれば五、六年で陳腐化してしまう。


「うわー。すごいわね。」


--うん。実をいうと、陳腐化の速度が速すぎて、今の会計上では見えてこない困った問題が出てきてる。ぼくはこれを『過償却』と名付けてるんだけれど。


「過償却?」


--うん。あのね、ふつう情報システムってのは無形固定資産として計上されている。だからとうぜん減価償却がある。


「ふんふん。」


--ところでね、ソフトでもハードでも同じなんだけど、技術の陳腐化にともなって価値がどんどん減っていく。このスピードが速すぎて、税法上の償却なんてあっというまに追い越しちゃうんだ。そうなると、ある期間をすぎると減価償却がゼロを割り込んで資産価値がマイナスに転じてしまう。つまり資産だったものが負債に替わってしまうのだよ。それでも同じものを使い続けていると、次にシステムを更新するための費用が(これはユーザの抵抗その他も全部ひっくるめて言っているんだけれど)最初の投資額よりずっと大きくなってしまうのさ。これがぼくの名付ける『過償却』だ。


「マイナスになっちゃう、ってすごいわね。実物経済じゃ、ちょっとありえないことだものねえ。」


--ま、逆にいえば、世の中の変化の速度が速いときにはソフトウェア投資の方が短期的リターンが大きいので有効である、ともいえるのだけれどね。


「それで会社の経営者の人たちは納得するのかしら。」


--しないよ! うちの会社の場合なんか、ね。『これまでにずいぶん金を使っただろうが? なぜ足りないんだ!?』なあんて怒鳴られるんだ。


「なんだか子どもに小遣いをせびられてチビチビ渡しているお母さんみたいね。『この間もあげたじゃない、いったい何に使ったの?』なんて」


--いや文字どおりちびちび出費しているからいけないんだ。無計画にね。

 ITの世界ではね、ミクロをいくら足してもマクロにはならない、ってことを忘れちゃいけない。ほら、IT投資は工場を建て増すのと同じ、っていっただろう? 

 世の中、無計画に工場を建てる人はいない。グランド・プランなしに建物をつぎはぎしたら不便に決まっている。

 ITもまた、見えない建物なんだ。同じお金を払ったとしても、ちびちび無計画に使っていたらその効果は半減しちゃう。

 戦略でも、戦力の逐次投入が一番いけない。帝国陸海軍以来の愚行の繰り返しだと思うよ。

 

「まあ、偉そうね。経営者だったら費用対効果を言うのは当然じゃないの?」


--費用対効果をあまりうるさく言いすぎるとかえって弊害があると、ぼくは思う。


「どうしてなの?」


--ITの一番の効果は、Visibility、つまり可視性を上げることだと思う。いま会社の状況がどうなっているか。これをを、手作業で報告していた時代よりも、ずっと素早く正確に経営者にリポートしてくれる。いってみれば、飛行機により高性能な計器を搭載するようなものだ。肉眼だけで飛んでいたパイロットにとって、計器を追加する価値は費用対効果で表せるかい?

 ちょうどこのカーナビみたいもんだ。この便利さは使ったことのない人に説明するのはとても難しい。カーナビなんかなくても車は運転できるし、これまでだって問題なく運転してきた。でも今後はしだいにカーナビのない車なんて想像できない、という世の中になっていくのは確実さ。


「可視性、ねえ。・・それがそんなに大事かしら。」


--君も自分で運転席に座ったらそう思うようになるよ。

 トップ・マネジメントに近い人間ほど、恐れていることがある。それはね、上になればなるほど、自分にとって都合のいい情報しか入ってこなくなることだ。途中の中間管理職の階層でどんどんフィルターがかかって、肝心の生々しいことが見えなくなってしまう。ぼくだって正直言って、あまり都合の悪いことは上司には上げたくないもの。

 でもね。ITのもたらす可視性は、職制を通じた報告、つまり今の情報管理ないしフィルタリングの仕組みを変える可能性を持っている。このことの意味に気づいてくれるマネジメントがもっとずっと多ければと、いつも思うよ。


「ITへの投資って、お代は見てのお帰りに、みたいに使ってみてからその満足感で払うような仕掛けにすればいいのにね。」


--はは、でもそんなことをしたら食い逃げする奴が続出するに決まっているさ!

 でもまあ、ごく一部ではあるけれど、「成功報酬」型の金額の出し方をするケースもある。最初に一種のアセスメントをするんだ。IT導入の結果、どれだけの金額がセーブできるかを算出する。そしてその数字に比例して金額を、投資額として見積もる。そして実際にシステムが稼働した後で、第三者を連れてきて、セーブされた金額を客観的に評価する。もっともこれはアメリカでの話で、日本の企業風土ではなかなかなじまないだろうけれどね。

 それにこれはお金のセーブに直接つながる種類のシステムじゃなければ適用できない。お金と値うちの関係って、やっぱり単純じゃないからね。

 

「そうかしら。」


--そうさ。たとえばね、Linuxという基本ソフトがある。これはパソコンその他いろいろな種類のコンピューターで動く。機能も信頼性も高い。でも、これはもともとフィンランドの学生が、自分の勉強のために始めたプロジェクトで、値段はタダなんだ。会計学的にいえば、買うことができないから金銭価値はゼロだ。

 でも値打ちはとてつもなくある。開発者のライナス君はいまだに一文ももらっていないが、Linuxの周辺をめぐる市場はすでに大きなものになっている。インターネットの世界ではね、“面白い”こと自体がすでに価値なんだ。沢山の人間の注目を集めるということ自体、大きな意味がある。


「なんだか広告屋さんみたいなセリフだわ。」


--広告だけではないよ。大勢の人が集まって来るというのは、そこに新しいアイデアやチャンスが生まれる可能性も秘めているって事なんだ。

 そうだろ?


「まあ、そうね。」


--IT投資が今現在のそろばん勘定で見て「もうからない」からといって、将来も儲からないかどうかは分からない。


「そうね。そうだわ、生産的であることがあまりしつこく問われない、ってことかしら。・・そうね、たとえば、喜捨で寺院を建たとして。」


--喜捨で寺院! そりゃあまた豪勢だな。


「いいじゃない、うるさいわね。あなたのお金でやるとは言ってないわよ。・・喜捨で寺院を建たとしても、それだけじゃお金を生まないけれど、寺院の周辺に市場が建てば、人が集まって、商売になるかもしれない。そういうことね?」


--ううん・・まあね。もちろん、ふつうのIT投資はそこまで豪奢で向こう見ずじゃないけれど。でも、ぼくの友達にはパソコン・ネットワークで結婚相手に出会ったカップルが何組かいるよ。そういう人たちにとって、ITの価値はお金に替えられるだろうか?


「わあ、IT屋さんが開き直ってる!」


--そうさ。いいじゃないか、いつも会社に言い訳と弁解ばっかりなんだから、たまには演説させてくれ。先のことなんか誰が分かるだろうか? 生まれたての子どもにどんな価値があるかは、誰も分からない。でも、未来に対してオープンな姿勢でいなければ、自分の未来はやってこないんだ。


「他人のつくったお膳立てが押し寄せてくるだけよね。そう、それだけは絶対にいやだわ。」




(c) 2002, Tomoichi Sato

              (この話の登場人物はすべて架空のものです)

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