第0回 疑問のはじまり (2001/1/06)

「ねえ。すごい渋滞ね。」


--そうだね。


「せっかくのあなたのカーナビも、残念だけどこれじゃほとんど役に立たないわね。あなたの実家まで、あと何時間ぐらいかかるのかしら。」


--うーん、何時間かなあ。スムーズに流れても2時間近くはかかるから。


「カーナビって、そういうことはわからないの? 道順を教えてくれるだけじゃなくて、これからどれくらいかかるか、とか。」


--これは友達のもらいので、2年前の機種だから、そこまではできないんだ。この先の道のりが何キロあるかはわかるけど。最新型のやつだと、高速道路の渋滞情報のシステムと通信できるから、どこからどこまで渋滞してるか、もっと速くいける別ルートはないか、とか計算して教えてくれるんだけど。

 でももう高速にのっちゃったから、あとは流れで行くしかないよ。


「2年前のものなのに、もう古いの? すごいわね、カーナビの進歩って。」


--そうだね。まあIT関係のものって日進月歩だから。


「あなたもついていくのが大変ね。コンピュータの仕事なんかしてるばっかりに。3年後くらいにはもう会社からお払い箱になっていたりして。うふふ。」


--よしてくれよ。そうでなくても頭が痛いのに。


「どうしたの。夕べ、ビールでも飲み過ぎた?」


--そうじゃなくて、今度の新人研修のことだよ。IT関係の部分はぼくが講義を受け持つことになっているんだけど、何をどう話すべきか悩んでるんだ。あまりに進歩が早いからね。カーナビじゃないけど、具体的なシステムについての話をしても、すぐに陳腐化しちゃうんだ。そりゃシステム部門配属の人間だけを相手にするんだったら、いいよ。所詮ぼくらシステム屋は毎日最新情報を勉強して追いつくのが仕事の一部なんだから。

 でも、受講生の大半は製造とか営業とかの配属だし、みんな素人だからね。素人相手にそういうツールの細かい話をしてもしかたないんじゃないか、って思うんだ。

 

「ふーん。でも運転中は考え事はやめてね。そうでなくてもあなたはぼんやり屋さんなんだから。」


--こんな渋滞でどこに注意を向けろっていうんだ。


「どうしてそんな人たちまでコンピュータの講義を受けなくちゃならないの?」


--それはさ。今ぼくらの会社では基幹業務はみんな情報システムの上にのっているんだ。みんな端末を使えなければ仕事にならない。いや、それだけじゃなくて、これからの仕事のあり方を変えていくためには、ITへの理解は欠かせないんだ。度胸と根性だけじゃ、これからの競争には勝てない。


「キーボードの使い方とか、教えるわけ?」


--馬鹿言うなよ。集合研修じゃそこまで面倒見てられないし、今時そんなこと知らないやつもいないだろう。そうじゃなくて、もっと根幹の、ITというものへの理解を深めてもらう必要があるんだ。だけど、これが難しくてね。

 ITって今じゃはやり言葉で、みんなIT、ITって言うけれど、本質がわかってる人は少ないね。

 

「あなたの会社のえらい人も、きっとそうなんでしょう?」


--ご明察。でも無関心ではいられない時代だからね。


「わたしのところも、けっこう最近みんなITがどうのこうの、って話が多いわね。うちの翻訳事務所なんてPCでワープロ使うのが関の山だったのに、ソフトウェアの権利関係がどうの、ビジネスモデル特許がどうので、得意先の弁理士や弁護士の先生たち、頭を悩ましているもの。」


--わかる気がする。法律なんて所詮この世界のスピードに追いついていないし。


「わたしだってちゃんと分かりたいわ。分からないまま自分が振り回されるのは嫌だもの。他人のご高説を鵜呑みにするのも、いや。

 どお、まだこの渋滞じゃ時間もたっぷりあるみたいだし、せっかくだから、わたしがあなたの講義の聞き役になってあげる。」


彼女は顔をこちらに向けると、目をじっと見つめて、言った。


「ねえ、ITって、何?」

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