あらためて、設計の品質を考える


  • 設計とは何か、とくに魅力的設計とは



「一流の大学を出た優秀な新入社員は、設計開発部門に配属する」というポリシーを持つ製造業の企業は多い。一流の大学とは何か、優秀な新入社員とはどういう意味か、という謎には、ここでは深入りしない。とにかく、デキる人間には設計を(それも基本設計を)させる、との方針である。




もちろん、こういうポリシーはふつう、言葉にはされない。もし明文化してしまうと、製造とか品管とか物流に配属された人間は、“なんだ、俺たちは会社から優秀じゃないと思われてるのか”と、へそを曲げかねないからである。会社というところは、全員にとにかく馬車馬のごとく働いてもらうべし、という論理でできている。最初からモチベーションを損なうようなことは避けるのだ。




それでも、なぜ優秀な人間を基本設計部門に働かせたいかというと、魅力的な製品を作ってほしいからである。顧客を引きつけ、売上を伸ばし、競合他社に打ち勝てる製品が欲しい。そう願うからだ。優れた製品は、成長のエンジンだ。平凡な製品では、価格競争に巻き込まれ、生き延びるだけでカツカツだ。経営者はたいてい、そう思っている。




魅力的な製品を作れるのは、設計部門である。設計が決まってしまってから、営業や製造や品管やらが寄ってたかって努力しても、今さら製品の魅力度をぐんとアップするのは、難しい。だから設計部門が大事なのだ。




  • 設計能力を改善するには



そこまではまあ、納得するとしよう。問題は、良い設計、魅力的な製品を生み出す設計能力を、どう確保するのか、である。優秀な人間を注ぎ込めば、それだけで実現するのか? それはちょっと楽観的に過ぎよう。仕事のパフォーマンスを改善するためには、何らかの尺度で測って標準を設定し、それに影響する因子を攻めていくのが、常道である。




ではそもそも、設計の良し悪しは、どのように測るのか? つまり、設計の品質はどう定義するのか、そして、それをどう改善するのかを考えていく必要がある。




たとえば、設計ミスというのは、明らかに品質問題だ。長年エンジニアリング会社で働いてきた身にとっては、シリアスな問題である。設計は人間のやることなので、ミスのない設計は無い。そして設計ミスは、製造や建設のフェーズになって表面化するのが普通だから、修正に多大なコストがかかる。それを設計段階でどれだけ減らせるか、が重要な課題になる。そして「設計レビューの徹底」などの対策が講じられる。




しかし、ちょっと考えてみてほしい。ミスを減らすことは大事だ。だが「ミスのない設計=魅力的な設計」なのだろうか。ミスはないが、平凡な設計というものも考えられるだろう。つまり、ミスがないことは良い設計の必要条件だが、十分条件ではないのだ。




  • 品質とは何か、とくに魅力的品質とは



このような問題に対し、品質管理論はどのような解決策を教えてくれるか。結論から言うと、あまりめざましい提言はない。現代の品質管理論の根幹は、「品質はプロセスで保証する」である。これは、「品質は検査で担保する」という昔風の考え方をオーバーライドしたものだ。




ということは、設計における検査=「設計レビュー」だから、レビューで品質を向上するというアプローチは、一時代まえの方法論ということになる。検査・レビューは必要だ。だが、それだけでは十分ではない。ちなみに、品質管理論ではフィードバックを重視する。検査(レビュー)結果を、作業者(設計エンジニア)に、できるだけ迅速にフィードバックせよ、と。はいはい。それはまあ、設計レビューでは普通やってるよね(形骸化していない限り)。




もう一つ。統計的品質管理論では、成果の平均値だけでなく、ばらつきを問題にする。したがって、設計プロセスを標準化せよ、属人化させるな、ということになる。こういう話題は大抵、ツールや方法論とセットになる。だからCADやPLMベンダーの売上が成長するのだし、要求工学だシステムズ・エンジニアリングだMBDだ、という舶来思想の導入になっていく。で、設計の質は向上したの?




統計的品質管理論からは、魅力的品質は生まれない。「魅力的」は、平均値ではないからだ。正規分布の山の頂上に、魅力点がある訳ではない。右の方の、ずっと外れた方に生まれるのだ。だとしたら、標準化して個人差をなくすのは、望ましいことなのか。




  • 魅力的とは何か



もっとも、品質管理論の中にも、「魅力的品質」という言葉は存在する。前向き品質(Forward Quality)と呼ばれたりもする。この概念は、「当たり前品質」(後ろ向き品質=Backward Quality)とセットで論じられることが多い。




「魅力的品質」とは、それが備わっていると顧客満足がとても高まるが、なくても満足度が下がるわけではないような、品質特性である。「当たり前品質」はその逆で、あって当然、と顧客が思っているが、ないと満足度がはなはだ下がるような特性だ。液晶ディスプレイは、全部のドットが表示されて当然、どこか数カ所に黒い欠落があったら商品価値が急激に下がる。これが「当たり前品質」である。




では、液晶ディスプレイの魅力的品質とは何か。画素数とかディスプレイのサイズ・広さとか解像度とかリフレッシュレート、だろうか? そうではない。それらは皆、カタログに性能・仕様として明記されている。顧客が普通、あるとは期待していないが、あると急に満足度が高まるもの。これが魅力的品質である。画素数も解像度も、無いとは誰も思わない。




「品質」という言葉のあやふやさについては、ずいぶん前になるが、すでにこのサイトで書いた。品質管理論は、「品質とは顧客の満足度で測られる」というテーゼにのっとっている。しかし品質という言葉の用法を冷静に調べてみると、それは正しくない。なぜなら「価格」や「納期」や「性能」が顧客の最大の要求事項なのに、それらは品質特性ではないからだ。




その時のわたしの概念分析では、品質とはむしろ「ユーザが暗黙のうちに持っている期待を満たす程度」なのだった。言語化された機能要求、数値化された性能や材質を満たすこと自体は、品質ではない。100Wの電球が60W電球より「品質が高い」とは、誰も言わない。明言された約束を果たすことは「当たり前」である。100W電球が点らなかったら、たしかに品質問題だが、それは点って当然だからだ。




つまり我々が品質うんぬんを論じる場合、それは「当たり前品質」のことであって、しかもそれは「言語化されていない(ないし、数値化しにくい)品質特性に対する期待値」なのである。ITシステムの分野には「非機能要件」という概念があり、あまり他の工業製品分野では使われないが、「当たり前品質」とは、非機能要件を満たす程度、だと言いかえても良いかもしれない。




  • 魅力的な設計を実現するために



では、「魅力的品質」とは何か。液晶ディスプレイだったら、その魅力的品質とは何だろうか。それは、ユーザの思いもよらない機能性かもしれない。たとえば、縦横に回転可能なディスプレイを初めて見たときは、本当に驚いて、飛びついて買ったものだ(実際にはそんなに頻繁に、縦横にチルトしたりしないのだが)。あるいは、ハードウェア製品としての「」の魅力などもあるだろう。工業製品にも、美がある。単に機能すれば良いはずの工業製品に、美があると、たしかに魅力は増す。




こうしてみると、魅力的とはまさに、従来の品質管理論の枠の外側にあることが分る。品質は顧客満足であり、顧客要求を満たす程度だ、というのが品質管理論だ。だが、魅力は違う。魅力とは、「顧客が思ってもみなかった機能や美の実現」なのだ。これは明らかに、要求分析やシステムズ・エンジニアリングでは、出てこない。だって思ってもいないのだから。もちろんCADやPLM導入でも、実現はしない。




「美」は明らかに、魅力の重要な一部だ。だがよく考えてみてほしい。美は非属人的な、普遍性があるのか。むしろ美とは、個性的なものではないか。たとえばダ・ヴィンチ「モナリザ」や王羲之「蘭亭序」は、見たら誰もが美に恍惚とするのか。バッハ「マタイ受難曲」は聞いたら誰もが涙を流すのか。そうとは限るまい。美には個性があり、必ず好き嫌いがあるからだ(ちなみに最後の例については、そのような演奏がいかに困難か、わたしは体験的によくよく知っている:笑)。




こうしてみると、最初の問いに戻ってくる。魅力的設計のためには、一流大学を出た人材が適切なのか。日本の高等教育は、減点主義だ。最近こそAO入学の普及とともに変わりつつあるようだが、旧センター試験に象徴されるマークシート問題は、ミスのない秀才を選ぶための仕組みだった。個性的な人間は、加点主義でないと生き残れない。そして企業内の設計部門でも、個性的人材を加点主義で評価しなければ、個性ある設計はできまい。




そして、魅力的設計とは、顧客が思ってもみなかったような製品の設計なのだ。ということは、市場調査では出てこない、雑誌によくある各種性能の比較表をはみ出すような、新しさが必要だ。つまり、新たなカテゴリーの製品である。新たなカテゴリーの製品を生み出し、顧客は指名して買いに来るようになる。少なくともそれが基本設計の目標でなければならない。あなたの会社では、そのようなテーゼで設計部門は動いているだろうか?




と同時に、どう作り、どう売るかの方法論がなければ、新カテゴリーの製品は生きない。つまり製造や営業や物流など、関係する全部門の協力が必要だということになる。魅力的設計は、設計部門だけの取組みではなく、クロス・ファンクショナルな統合が大事なのだ。




顧客・市場の要求に忠実に従い、継続して改良している――それはそれで、結構だ。だがそれは設計の「当たり前品質」でしかない。それなりの差別化技術を有し、価格競争よりも性能やユニークな機能で勝負している? その方がベターではある。だが、その差別化のポイントは魅力だろうか?






写真はダイソン社の扇風機だ。このような扇風機が可能だとは、誰も思わなかった。ユーザの誰も、このような機能・構造を定義しなかった。創業者のジェームズ・ダイソンは設計技術者で、彼はあえて自社のCEOにはならず、チーフ・エンジニアの職に留まっている。ダイソンの製品は高い。それが高利益の源泉だ。だが利益を出すだけのために、彼は会社をやっているのではない。利益は企業が存続し、次の投資ができるための必要条件でしかない。何の投資か? もちろん、次の技術である。新しいカテゴリーの技術開発を実現するために、彼は会社を回しているのだ。




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品質とは(本当は)何だろうか - (1) 問い」 (2012-04-18)