どうどう巡りの議論を避けるために
1.「どうどう巡りの議論」、その症状と原因
前回は、ビジネス上の『議論』の価値について,少し考えてみた(「議論の品質を問う」 https://mgt-technology.info/27375732/2018-07-04)。ところで、わたし達が仕事において行う議論は、しばしば、どうどう巡りに陥る傾向があるように思われる。これが、ビジネスにおける議論や会議を、「時間のムダだ」と感じる原因の一つなのだろう。具体的に、どんなことが起きやすいか、考えてみよう。
「やっぱり、××なんじゃないの?」−−たとえば、これがよくある症状の一つである。あるテーマが議題にあがる。「○○という課題があるが、××かもしれないな」という風にはじまる。そして皆で、さんざん議論する。そのあげく、派生して出てきたいろいろな意見は結局、全部否定され、最初の××という意見へ回帰してしまう。じゃ、あの議論は何だったんだ? と大方の人間は感じる。
ここには、××という意見に対する、客観的な検証の働きがない。そもそも、たいていの意見は、予想や推定や憶測の部分を含み、『仮説』である。仮説である以上、検証が必要だ。だが、××がその組織で長年、共有されてきた指針に近ければ近いほど、検証しようとする働きがききにくくなってしまう。これが、どうどう巡りの議論を生む、よくあるパターンの一つだ。
「それは認められないな」−−これもまた、よくある議論のデッドロックの一つである。複数の部門から人が集まって、議論をする。大方の参加者は、△△が良い結論だろう、と考える。ところが、ある参加者だけが、その結論を拒否する。△△という方策が、その参加者の属する部門の協力を必要とする場合、そこで話は全てとまってしまう。
このような症状は、参加者が自分の立場に固執するために起きる。その人自体が頑固者、というよりは、かれが部門の利益代表で、代案を持ち帰ると拒絶される恐れがあるから、ノーというのだ。冷戦時代の旧ソ連の国連代表は、「ミスター・ニェット」と陰で呼ばれていた(「ニェット」はロシア語でNoという意味らしい)。理事会にどんな提案をしても、彼の拒否権で否決されてしまう。だが彼は会議の場で少しでも妥協して帰ると、母体組織からつまはじきにされてしまう。このように、議論の参加者が皆、所属部門の利益代表としてふるまうようだと、議論は前に進まず、どうどう巡りにおちいりやすい。
「また同じ議題ですか」−−これもよくある症状だろう。たしか似たような話を、2ヶ月前にも話し合ったはずじゃないか。そりゃあ、あのときは関西営業部の問題で、今度は東北工場のことかもしれない。でも、同じような問題が、あちらでもこちらでも繰り返される。毎回、対応策を議論して考える。そしてなんとか火を消し止める。だが少したつと、また煙がどこやらから立ち上りはじめる。
つまり、組織が過去の経験から学ばず、教訓(Lessons Learned = LL)が生かされないのである。少し真面目な組織なら、問題報告と始末書は一応、ドキュメント化されて、部長の判子もついて、どこかにファイルされているかもしれない。だが、それを他の部署の人は読まない。存在も知らない。同じ部署でさえ、探していなかったりする。あるいは沢山ありすぎて、読む気にならないのかも知れない。理由が何であれ、似たような問題を毎回議論していると、何のための議論だ、という気になってくる。
「もう少し状況の変化を待とう」−−これは、あれこれ議論した後で、何も決めずに話を終えるパターンだ。じゃあ次回の会合で決めるのかというと、やはり「もう少し待とう」ということになる。決断の先延ばしである。
このように「待ち」の姿勢のまま、どうどう巡りする組織は、外部環境からの要請が無いと、自分からは変化できない、Event driven型の組織だと思える。江戸幕府末期もそうだったかもしれぬ。黒船が来て、はじめて慌てる。来なければ、そのままだった。いろいろと体制に問題が生じているのは自覚しているのだが、惰性が強いのだ。あるいは、自分が目指すべきビジョンとか、主体的な成長への意思が、欠けているというべきか。ただ守りと組織の維持だけが、自己目的化しているのである。
「いい案が出ないなあ」−−議論におけるアイデアの枯渇症状である。何度時間をかけて議論しても、ぱっとしたアイデアが出ない。世の中には『デザイン思考』をはじめ、アイデア出しのための技法はいろいろある。そういうのを学べばいいじゃないかと、はたの人間は思ったりする。それも一理あろう。しかし、どんな技法を持ってきても、あまりブレイクスルーの生じない議題もある。
それは、問題設定の在り方自体が良くないために起きるのだ。アイデアをだしたければ、「良い問い」を立てる必要がある。これについては、エイミー・ウェブという未来予測の専門家が、面白いことを言っている。(以下、週刊ダイヤモンド『未来予測に欠かせない「社会の片隅にあるシグナル」の探し方』 http://diamond.jp/articles/-/151780?page=4より引用)
“大手自動車メーカーで仕事をしたときに、彼らは「今後20年を見据え、未来の車がどうなるのか」ということを知りたがっていました。
ですが、私は言いました。「その問いはよくありません」と。なぜなら、自動車会社は「車社会が残っている」「車を作って売らないといけない」という前提に立っていたからです。ここで、もしシグナルを拾いたいのであれば、問いの立て方を考え直さなければなりません。
つまり、「今後20年、人やものの運び方がどう変わるのか」について考えなければならない。シグナルを見つけるには、よりよい問いを立てることが重要なのです。
先の航空会社の例も同じです。「未来の飛行機がどうなるのか」ではない。「今よりもはるかに早く人々が移動する未来」を考えなければなりません。そう考えれば、自動車や飛行機に限らず、社会の隅々にある情報に目が向くはずです。”
(引用終わり)
このような、どうどう巡りの議論が生じる根本原因は、その組織が持つ「思考と行動習慣の体系」(=OS)にバグがあるためだ。だが、この話は論じると長くなるため、別の機会に譲ることとし、話を先に進めよう。
2.議論というものの性質
これは何度か書いていることだが、議論をカラ回りさせないために大切なことは、事実と意見を一応、区別することである。事実は誰もが合意でき、共有できる。そして事実は検証可能だ。だから事実に関する議論は、ふつう水掛け論にはならない。
ところが意見はしばしば食い違う。これは意見というものが、事実を基にしつつ、価値観を加えて、推測や分析や評価を行った結果として現れるからだ。2018年のワールドカップで、日本は準決勝まで進めなかった。これは事実で、反論する者はいない。ただ、その事実からどんな評価や原因分析をするかは、人によって意見が分かれる。つまり、
事実+価値観=意見
なのである。価値観は人により様々なので、それでも議論で合意に達するためには、それらの違いをカバーできる「共通価値観」をさぐる必要がある。たとえば、「何のかんの言っても、日本のサッカーが世界の上位の常連に」とか、「この会社自体がツブれたら俺たち皆、元も子もないじゃないか」といった地点まで遡るのである。
その上で、事実や意見の組み合わせから、意味のある共通仮説が議論によって生まれてくる。その仮説はさらに、事実で検証・補強されなければいけない。「今はこれこれだと決めよう。だが今後もあのデータを取って、検証を続けよう」・・こういう風に進むのが、望ましい議論のあり方だ。
そして、議論を続けていくと、ようやく結論が成熟していく。この成熟度カーブは、たいていの人は、1番目の図のような形だと、漠然と思っている。つまり、最初はあまり議論がかみ合わないが、途中から次第に進み始める。そのうち、議論が煮詰まって、あまり先に進まなくなる。全体としては、ローマ字のSカーブのようになる、と。
しかし、議論の過程をよく観察していると、じつは成熟度のカーブは一度平坦になっても、さらにジャンプして新しい水準にあがることを、断続的に繰り返す場合がある。これは、議論している中で、新しい論点の発見があることに対応している。上に引用したように、「未来の自動車とは」の議論から、「モビリティの未来像とは」という風に、新しい地平がひらけるのだと考えられる。2番目の図のパターンだ
そして、こういう新しい論点の発見は、やはり時間をかけて議論するからこそ、生まれるのだろう。最初からその論点を思いつけば良かったじゃないか、と、後から批評することはできる。だが、実際にはいろんな角度から論点を話し合い、煮詰まりを参加者が感じたからこそ、新しい地平に移るアイデアが生きてくるのだ。(ただし、無論ここに書いていることは数値的な裏付けがない、わたしの仮説である。だから、何らかの形で観察事実を蓄積して検証する必要があると思っている)。
3.どうどう巡りを避ける知恵
では、具体的に、議論を身のあるものにするためには、どうしたら良いのか。現時点でわたしが思いつく処方箋を、いくつかあげておこう。これらすべてを、わたしがいつも実践できているとは限らない。だから自戒も込めて、ここに書くのだが。
(1) 議論の完了条件を明確に決める
これは、そもそも会議とかミーティング開催の基本的ルールである。招集したチェアパーソンは、冒頭に、打合せの議題と、どうなったらこの会議を完了できるかを宣言する。つまりタスクの完了条件である。何かを決定するとか、事実を報告し共有するとか、何らかの担当者を選ぶとか。これなしで会議をスタートしたら、ゴールも定めぬまま船出するようなものである。
(2) 議論の経過を記録(見える化)する
打合せの書記役を決め、議論で出てきた意見を、ホワイトボードでもパソコンでもいいから、途中経過を含めて筆記する。これは多少のスキルを必要とするが、とても大事なプラクティスだ。これをすることで、どこまで何を議論したのかが見えるようになり、議論の後戻りを防ぐことができる。人間の記憶力など、かなりあてにならない道案内役であって、人はしばしばさっきの議論を忘れて、また同じ話をしたりする。どうどう巡りである。地図に進んだ道を記録しておけば、人は同じ場所を何度もめぐる愚をさけられる。
(3) 議論のモード(発見/発明/評価)を区別する
前回の記事に書いたように、議論とは、人間の思考を外出しにした形態の一種である。そして思考のモードには、発見(パターン認識)的な思考、発明(論理展開)的な思考、評価(価値判断)的な思考がある。現在の論点が、どのようなモードを必要としているのか、参加者が意識した方がいい。
(4) 主観的な形容詞・副詞を避ける
ときおり、会議の結論に、「プロジェクトのリスク・マネジメントをしっかりやっていく」「コストダウンを徹底する」みたいなのを見かける。しかし結論の文章から「しっかりと」「徹底的に」といった主観的な形容詞・副詞を抜き取ってみると、「プロジェクトのリスク・マネジメントをやる」「コストダウンをする」みたいな、変哲もない当たり前の事柄になってしまう。では「しっかり」「徹底的」とは、具体的にどのようなことなのか、今までのやり方とどこが違うのか? これを明確にしないと、何も議論しなかったのと同じになってしまう。
(5) 多義的であいまいな言葉は意味を確認するわたしのこのサイトでも繰り返し問題にしているが、「品質」「進捗」「責任」「文化」「リスク」など、皆が意味を分かっているつもりで、じつはかなり理解に幅のある用語が、世の中には沢山ある。こうした言葉は、まず意味を言葉で説明してから、使う方が賢い。拙著『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』で、大事なOS要素(S+3K)の一つに、「言葉を大切にしよう」というモットーを入れたのも、このような議論の空回りとすれ違いを防ぐためである。
4.議論に臨むときの基本的な態度
以上、議論におけるテクニック的なことをいくつか述べた。だが、本当は技巧をうんぬんする以前に、参加する人たちの態度・体勢を正す方が大切だ。すなわち、自分の正しさを証明するためでなく、合意を得るために議論する、という態度である。議論を勝ち負けの場にしてしまうと、創造性や柔軟性が失われてしまう。
