書評:「昭和の犬」 姫野カオルコ・著
昭和の犬 姫野カオルコ(Amazon.com)
姫野カオルコ著・「昭和の犬」、読了。第150回直木賞受賞作。わたしは新刊の小説を買って読むことは滅多にしないが、しばらく前から気になって、ひいきにしていた作家の受賞作なので、急いで買って読んでしまった。
それにしても不思議な小説だ! とくに何が起きる訳でもないのに、吸引力があって次の頁をめくってしまう。今回もまた、最後の部分は自分の部屋で読み通した。電車や飛行機の中でしか本を読まない自分にとって、これも例外的な体験だ。「こんなに小説のうまい人だとは思わなかった」という、直木賞選考委員の(ある意味では失礼な)評があったが、この吸引力に、小説の上手さが表れている。内容はすでにいろいろな紹介があるので、あえて詳しくは書かない。
主人公は著者と同じ昭和33年・滋賀県生まれの女の子で、自伝的小説の色彩が強い。短編的エピソードを積み上げていくスタイルで、子ども時代が多いのだが、最後に中年のエピソードが加わって、半生記の形になっている。そして、どのエピソードにも犬が登場する。物言わぬ犬を配することで、描写対象の主人公への距離感をうまく保っている訳だが、何よりも姫野さんは犬が大好きなのだな、と感じる。最後のシーンは、前作「リアル・シンデレラ」ほど強い感情は呼び起こさないが、それでも涙してしまった。
ちなみに著者は、あるインタビューで、「小説を分類するとしたら、ストーリーの面白さで読者を引っ張っていくのがエンターテイメント小説ですが、自分のは主人公の内面を中心に描くものです。」という意味のことを、語っていた。だが、内面描写の小説といっても、それはさらに二通りに分かれると、わたしは思う。心理(とくに感情)を細かく描く「心理小説」と、そうではなく、主人公や人々の考えを軸に描く「思想小説」である。思想小説という種類を得意とするのは、たとえば、こんなことを書く作家だ。
それにしても、副題の”Perspective kid” とは、どういう意味なのか? 主人公イクの子ども時代を、距離感をおいたパースペクティブで描き出すから、ではPerspective kidにはならない。英語に堪能な著者が、わざわざ選んだ副題なのだから、何か意味があると思ったのだが、つかみ切れなかった。
変な話をもう一つだけ。主人公イクが、泣いているのでもないのに涙が流れてこまる、というシーンがある。小説の登場人物の病気を詮索しても全く無意味かもしれないが、あれは実は、本当に泣いていたのではないだろうか。イクは芯の強い女性なので、自分が泣きたい気持ちであるとは信じなかった。しかし、心の深い部分では、泣きたいという衝動があった。別に、泣きたいのは不幸だから、とは限らない。いろいろな出来事があり、その情緒が絡み合って、自分にも見えない情動の回路につながっていたのかもしれない。それが、古い打撲傷のように、人生の季節が変わるときに、痛んだのではないか。その証拠に、彼女は犬のマロンとの交流が深まると、涙を流さなくなるのだ。
「ハルカ・エイティ」「リアル・シンデレラ」そして「昭和の犬」と、女性にとっての真の幸せとは何かを書き続けてきた姫野カオルコという作家の生活が、今回の直木賞受賞によって、少しでもより安定した幸せなものとなることを、一読者として祈りたい。この小説の中心テーマは、かつて二千年前にパレスチナの地を歩いた、あの賢者の言葉をまさに象徴しているからだ:
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