守りの組織と、攻めの組織はどう違うか

この国には、人財しか資源はない

わたし達の住むこの島国には、豊富な地下資源がほとんどない。石油も石炭も鉄も、輸出できるレアアースもない。国土の7割は山林で、人口あたりの平地も僅かだ。資源は、人財しかない。

だから、わたし達の社会が豊かな生き方を望むなら、人に投資し、人を育てるしかないのだ。これは自明の理で、わざわざ言うまでもない事だから、行政の方針にも企業の経営理念にも、あえて文字にしてはいない。そう、信じたいし、海外に行った機会にもそう説明したい。したいのだが、残念ながら周囲の組織を見るにつけ、とてもそうは思えない状況がある。

意欲ある人を集め、人にお金を投じて能力を育て、優秀な人に適切な仕事と権限を与える。これが経営の仕事だと思う。だが聞こえてくるのは「有能な後継者がいない」「人が集まらない」という経営層の悩みだ。一方、「人はコストだ」「できる限り派遣か外注でで仕事を回したい」という中間管理層のつぶやきも聞こえる。集めなかったら、育つ訳もない。どこかで矛盾していると思うのだが、気がつかないのだろうか。

仕事さえあれば、労働者は無限に集まる、という昭和時代の幻想があった。詳しい説明は長くなるので省くが、工業化と商品経済の浸透に伴って、地方の村落の農業共同体から余剰となった労働力を、集団就職などの形で、都会の工業地帯が吸い上げる構図があった。もはやこんなスキームは過去のものとなったはずなのに、昭和世代の経営層の頭脳の中には、ながくイメージとして残っているらしい。働き手にはいくらでも代わりがある、という信念を持つ組織が、人を機械より大切にする訳がない。


攻めの工場づくり、とは

先日、「攻めの工場づくり」をテーマにした、エグゼクティブ向けの講演をした。もとは、昨年末に上梓した丸山幸伸氏との共著『攻めの工場づくり』(ヴァレット出版)がベースだ。だが、そもそも攻めの工場づくりとは、どういう意味なのか。わたしはなぜ今、それを訴えるのか?

当たり前だが、「攻め」=「AIやIoTやヒューマノイドロボットを導入すること」、ではない。それらは皆、手段にすぎない。手段は目的を達成するためにある。

では、工場づくりの目的は何か。コストダウン? 品質向上? 生産性アップ? ――それらは皆、尺度にすぎない。

いや、ビジネスの目的は「メイクマネー」=利益獲得だ、という人もいるかもしれない。なるほど。でも、お金儲けが企業の究極の目的? 本当に? お金さえ儲かれば、どんなビジネスでも良いのか。だとしたら、なぜ工場を作って、難しくてめんどくさい製造などという仕事をするのか。金融投資や土地転がしの方が、ずっと楽で儲かるではないか。お金儲けが究極の目的にしては、工場づくりはいかにも割に合わない投資である。


守りの組織とは、どんな組織か

「攻め」とは何かが、よく分らないときは、逆を考えてみるのが、一つの定石だ。つまり、守りの工場、守りの組織とは、どんなものかを考える。おそらく守りの組織では、現状維持が至上命題となっているはずだ。そして、組織存続が目的となる。

そのような守りの組織では、しばしば「安全第一主義」がテーゼとなる。それは、「失敗は許されない」という考え方だ。失敗を排し、可能な限りリスクを回避する。現状を守るためだ。

そのような組織では、前例を学ぶことが「学び」の中心になる。なぜなら、「失敗は許されない」以上、前例は必ず成功しているはずだからだ。こうした前例主義は、お役所でよく見かける。お役所もまた、基本的に「守りの組織」である。

前例があり、それを見習う。それでも、何かに失敗したら、それはもはや、担当する個人の無能を意味する。そのような人間は査定を下げ、罰して、見せしめとする。つまり、減点主義的な人事制度になる。

ところで日本の製造業が得意とする現場改善は、「攻め」だろうか「守り」だろうか? おそらくやっている個人にとっては、攻めかもしれないが、やらせている組織にとっては、守りである。なぜなら社会全体では、年率平均2%程度の生産性向上がなされているとされている。だとしたら現状を守るままでは、明らかに競争からずり落ちてしまう。だから改善は自ら自発的に行うことではなく、やむを得ず行う必要なのだ。「改善なくして存続なし」、つまり存続が自己目的化しているのだ。

技術開発はどうだろう。技術開発は明らかに「攻め」ではないか? でも、技術も世の中全体では進歩していく性質のものだ。日本では停滞していても、海外では進んでいるかもしれない。だから技術開発と言葉では呼んでも、それが世間での最新技術へのキャッチアップでは、守りにしかならない。

守りの組織はリスク回避的になる。かくて新事業や新技術開発には、つねに慎重だ。石橋を叩いて渡るがごとく。いや、叩いて壊してしまうことも、よくある。


人が集まる組織とは

たしかに、そういう「守りの組織」は安定している。だが問題なのは、働いていて楽しいか? ということだ。

わたし達が組織に参加しようとするときは、そこに何らかの未知の可能性、いわゆる「ワクワク感」があるからではないか。安定志向だけで就職する人も、もちろんいる。だが少なくとも技術職は、何か未知の面白い体験、今までとは異なる能力の獲得の期待で、動く。生成AIにこれほど世界中の人が熱中しているのも、何か未知の、面白い道具として引きつける面があるからだろう。

未知の可能性に踏み出すこと。それが「攻め」である。未知なるが故に、そこにはリスクがあり、一種の「賭け」になる。逆に言えば確実な予測・計画だけで行動するのは、まだ「守り」だ。人をひきつけるビジョンを掲げ、それを実現すべく進むこと、そのために一旦できあがっている現状を打破して出ること。つまり、挑戦すること。それが攻めである。

日本の企業が全般に「人手不足」「人財不足」で悩んでいるのは、結局、攻めの姿勢が足りないからである。有能な人を集めたかったら、「攻めの組織」に方針を定める必要がある。


「攻め」にはビジョンがいる

今年6月に、(財)エンジニアリング協会のセミナーの一環で、愛知県の工作機械メーカー・オークマの本社工場を見学に行った。大変素晴らしい、設計思想の明確な工場である。同社のモットーは、「あるべきもので、ないものは創る(必要なものがなければ、自ら創り出す)」だ。だから普通の工作機械メーカーが制御装置を外部ベンダーから調達するのに、「機械・制御・情報・加工技術」のすべてを自社で開発している(「機電情知一体」というらしい)。

すべてを自分でやるのは技術的にチャレンジである。その上、外部の専門業者に委託分業する方が効率が良い、というのが普通の経営理論である。でも、あえて工作機械のハードもソフトも作る。おなじ発想で、同社は自社工場の機械設備ハードだけでなく、ソフト(MESや制御系)も自社開発する。こういうのが「攻めの工場」だろう。もちろん、同社でも人材確保と育成は課題だときく(まあ、そうでない企業はないが)。ただ、この攻めの姿勢には、明らかに人を集める力があろう。

多くの企業は、なぜ攻めに出られないのか。それは「コスト1割削減」「ROE 10%」といった、数字だけの疑似ビジョンしか持てないからである。数字だけで人が頑張れる訳がない。数字だけで人をひきつけられるはずもない。高給を提示したって、仕事がつまらなければ、1年以内に辞めていくだろう。

むしろこれだけ自動翻訳が進歩しているなら、守りだけでつまらない国内の企業より、海外企業にリモート就職(あるいはリアル就職)する方が面白いと考える若手も多いだろう。とくに優秀な若い女性ほど、そうなるだろう。新しい頭脳流出である。

「人が集まらない」「人手不足だ」となげくなら、まず、組織として攻めのスタンスを取り直す方が先決だ。工場づくりのエンジニアリングの話をする前に、エグゼクティブに訴えたかったのは、この点だ。スマート工場に技術論は必要だが、十分ではない。まず確立すべきは、組織のための攻めのビジョンなのである。

<関連エントリ>
「お知らせ:経営層向けセミナーで「攻めの工場づくり」を講演します(8月28日)」 (2026-08-04)