第8回 コンピュータ抜きでもITって可能なの?

--データを組織化する方法-- (2002/3/13 発信)

「データにハングリー、だって。・・なんだか血に飢えたボクサーみたいで、野蛮でケチで頭が悪そうなイメージしかわいてこない比喩ねえ。IT屋さんって、そんなのが理想なわけ?」


--そ、そうかぁ? ぼくにはデータや情報を大切にすることのどこが悪いのかと思うけどね。

 ケチというのは、いいかえれば合理的であるってことだ。一度生み出されても、その場限りで風とともに消え去ってしまう情報がいかに多いことか。お金だったら、たとえ1円玉でも、捨ててしまうやつはいないけれど、情報は捨ててしまってもみな平気でいる。ぼくにはその方が不思議さ。

 それに、転記の問題もある。生み出されたデータはそのまま転用すればいいのに、途中で捨ててしまって、あらためて入れ直して作ったりしている。そんなことをすれば手間が無駄なだけじゃない、時間もかかるし情報の鮮度だって落ちてしまう。ミスの混入もある。もっと合理的に、ケチに徹してもいいはずだよ。


「だからコンピュータを使うIT屋さんの登場なのね?」


--いや、あのね。ITって、コンピュータの利用技術だと思われているみたいだけれど、そうじゃない。本当はデータと情報の利用技術なんだ。IT屋はデータを利用しやすいように組織化する仕事をしている、いわばデータのオーガナイザーさ。コンピュータはそのための道具にすぎなくて、極端なことをいえば計算機なんかまったく使わなくても、データをオーガナイズする仕組みがあれば、それは立派なITだ。


「紙と鉛筆だけでも?」


--もちろん。


「どういう風にやるの?」


--まずね、一つところに集めることだ。データはすぐ確実に探し出すことができなけりゃデータとは言えないからね。各人の机のどこかにばらばらにしまい込まれているようじゃ、見つけるのに一苦労だ。見つからなければ風に乗って消えたと同じことだからね。

 あ、その前にもっと大事なことがある。

 

「何?」


--紙に書き留めて記録することさ。そうしなけりゃ本当に消えてしまう。


「なあんだ、そんなの当たり前じゃない。でも、テープじゃだめ?」


--ま、テープレコーダーでもいいだろうけど、紙の方が検索性はすぐれている。

 紙に書け、ってのは当たり前にきこえるけれど、習慣か意志の力がないとできない。ぼくが会社に入って真っ先にたたき込まれたのは、打合に出たら、後で必ず「打合覚書」を書け、ってことだった。ユーザ部門や業者さんとの打合は必ず記録して、番号を取ってファイルしておく。すっごく面倒に思ったよ、最初はね。でもそれで助かったことが何度あったことか。

 

「そこらへん、たしかに欧米の会社は徹底しているみたいね、つきあってみると。」


--なるほど。まあとにかく、そうやって書き留めて記録した紙は、一カ所に集める。そのとき、形式をそろえる。紙の形をA4にするとか、表題と日時と記録者を一番上に書く、とか。


「帳票みたいに?」


--うん、まあ、そうだね。とにかく定型化すること、これが情報をデータに加工する第一歩だ。そのとき考えなくてはいけないことが二つある。それは、整理番号を打つということと、ファイルしておく順番だ。


「整理番号、って?」


--各々のデータ1件1件を、他と区別するためにつける、参照用の番号さ。


「図書館の分類番号みたいなもの?」


--そういうものでもいいし、別に単なる順番で1から機械的にふった背番号でもいい。とにかく、『何月何日にあの件で打合わせたあれだよ、あれ』みたいな言い方ではなく、『打合記録何々番』という言い方で指し示すことのできるような整理番号が必要だ。


「どうしてそんなものが必要なの?」


--あとでそのデータを再利用するときに、指示が正確で簡単になるからさ。さっきのバーコードに商品の名前を長々と書かなかったのと同じ理由だ。名前や内容で呼ぶとダブりがあって誤解の可能性がある。それに整理番号の方が短い。


「あと、ファイルの順番だっけ?」


--そう。日付順でも整理番号順でもなんでもいいから、とにかくどういう順序で物理的にしまってあるのかを決める。そうしないと探すときに毎回、頭から全部めくってみなければならなくなる。


「うちの事務所の場合は、クライアント別に、やりとりの日付順にファイルしているわね、基本的には。・・すごいわ! そしたらもうちゃんとIT化しているんじゃないの、あなたの定義でいけば。」


--定型化してる?


「してるわよ。全部A4サイズだもの」


--そうじゃなくて、記録する内容の方だよ。A4サイズの紙に、書くべき項目の内容と順序と場所は決められているか? 整理番号は取っているか?


「整理番号・・一応うちから発信する分は、日付で連番を取っているわ。でも、書くべき項目の内容って、何よ? 内容なんか毎回変わるに決まっているじゃない。」


--本文の内容はそうだろう。ぼくがいっているのはね、データ1件を構成する項目の取り決めさ。たとえば、整理番号・日付・発信者氏名・クライアント名・タイトル・本文・etc…こうした決まった項目が集まって、データ1件ができあがるということさ。


「なあんだ、そういうこと。それだったら、うーん、人によるわね。でも、今あなたがあげたような項目だったらだいたいカバーしていると思うけど」


--形式化ってね、ほんとは“だいたい”じゃダメなんだ。さっき、データの究極の最小単位は選択肢だ、って言ったろ? 選択肢である限り、メニューは決まっていなければならない。例外は許されない。1件のデータはどんな項目の集合からなるかを決める。1件1件を作るにあたっては、決まった位置に・決まった項目を・決まったメニューの中から選びとる。こうした取り決めをデータの文法というんだ。データの文法が定義されてはじめて、定型化されたと言える。


「だって、本文にどんなメニューがあるっていうの!? 全然矛盾しているわよ。」


--そう。そういう自由なテキストの項目というのもたしかに存在する。そういうテキストはね、文字数の上限だけを決めておく。あるいは、『終わり』の印を決めておく。


「何のために?」


--1件のまとまりの範囲を明確にするためさ。紙だって、えんえんページが続いていたら、どこまでがその1件書類かわからないじゃないか。


「見ていけばわかるわよ。それに、2ページ以上にわたるときは、それぞれに必ず2/9といった感じで通しページを打っているし。」


--たいへん結構。それだったら9/9まで来れば終わりだとわかる。終わりの印が打ってあるのと同じだ。


「お褒めにあずかって光栄ですこと。でもこれのどこがITなの? 徹頭徹尾当たり前のことじゃないの。」


--あのね、それが当たり前に見えるのは君のレベルが高いからだよ。でも、この当たり前のことができない人は大勢いる。この定型化のところをくぐらないと、データとしての再利用はおぼつかない。君は家計簿ってつけてるかい?


「ぎく。嫌なことを聞くわね。つけてなかったらどうだっていうの?」


--あのね、家計簿ソフトってあるだろ? あれを使えば自分の収支もきちんと管理できそうに思える。でもね、紙の家計簿をつける習慣のない人は、コンピュータの家計簿ソフトを買ってきたからと言って、やっぱり使い切れないことが多いのさ。

 それと同じで、紙と鉛筆の世界でちゃんとデータを蓄積するマインドを持ってこなかった人たちが、システムを入れたからって、データを活かす経営なんてすぐにできるわけない。ほら、最新式の特殊素材のラケットを買ったからといって、フォームもスタンスも直さずにテニスのスコアがあがるわけないだろ? ITにはこういう誤解が多いから困るんだ。売る方にも責任はあるけどね。

 君が勤め先で毎日やってる程度の「当たり前」があれば、データを本当にコンピュータに持ち込むのはあっと言う間だ。

 

「持ち込んだからって、どうなるの?」


--どうなるって? そりゃ別に、大したことはないさ! 保存するのに場所がいらなくなる。検索が滅茶苦茶速くなる。複製が瞬時にできる。遠く離れた場所の人とも共有できる。転用もあっという間にできる。分析もいろいろできる。いや、ほんとに大したことないさ、ITの恩恵なんて、ほんとにね。


「あのね、あなたはそう偉そうにおっしゃるけれど、わたし一つ疑問があるの。」


--どんな疑問だい?


「お話を聞いていると、なんだか図書館のカードボックスみたいなものが究極のデータみたいじゃない?」


--究極かどうかはともかく、あれは定型化の立派なお手本だろうね。


「わたし、図書館のカードみたいにきちんと分類され整理されすぎたデータって、知的には何も生み出さないんじゃないかって思うのよ。本当の創意って、少し無秩序なところから、はじめて創り出されてくるものじゃないかしら。」


--・・・。


「反論はないわけ?」


--あるよ。

 そもそも、何かを考え、何かを決めるときには、まず正確な事実認識が必要じゃないだろうか。ぼくらは詩人や芸術家じゃないんだから、創意といっても無から何かを創り出す訳じゃない。

 このカーナビをごらんよ。今ぼくらがどこの位置にいて、どこに向かって何kmの距離にあるか、道はどう続いていくか。こうしたことを知るのは意味がないだろうか。自分のいる位置が少し曖昧だったら、その分、運転は楽しく創意に満ちたものになるだろうか。

 

「だって。」


--聞きなよ。ITに好き嫌いがあるのはしかたがないさ。でもITはまず事実に関する道具なんだ。道具に対する好き嫌いと、事実に関する好き嫌いは区別しなくちゃね。

 事実をとりまく霧が晴れたら、その分、知的なクラリティがあがるものじゃないだろうか。知的って、本当はそういうものじゃないだろうか。だとしたら、それは、定型化の手続きという代償をはらっても、手に入れる価値があるんじゃないかと、ぼくは思うんだ。




(c) 2002, Tomoichi Sato

              (この話の登場人物はすべて架空のものです)

Follow me!