労働装備率
労働装備率
生産システムの効率性は生産性(付加価値生産性)によって測ることができ、生産管理の一つの目標は生産性を向上させることにある、と私は何度か書いてきた。では、目標達成のために、生産管理の担当者はなにをすべきか。具体的にどのようにしたら、付加価値生産性は上げることができるのだろうか。そこがわからないと、生産システムの議論など単なる抽象論、絵に描いた餅に終わりそうである。付加価値生産性=(付加価値額)/(従業員数)で定義されるが、この分子・分母とも、そう簡単には変えられそうにないように思われるからだ。
むろん、正社員の労働者の首を切って、派遣労働者に入れ替えれば、見かけ上は分母である雇用数は下がる。しかし、分子の付加価値額とは、(製品の売上額)-(外部支払額)で定義されている。この外部支払額には、社内人件費や減価償却費など、社内のリソースにかかわる固定費(社内振替費用)は入っていないことに注意して欲しい。もし正社員を派遣労働者に切り替えると、それは社外への支払額を増やすことになるから、すなわち付加価値額が減ってしまう。つまり分母と分子の間にはトレードオフの関係があって、そう簡単に一方だけをかえることはできない相談なのである。
また、今日の多くの製造業では、工場の人員よりも、営業部門の販売員や本社人員がずっと多いため、直接工の首を多少切っても、分母はたいして減少しない(さらに言えば、こういう無意味な数字操作の影響を排除するため、分母を「従業員数」ではなく「従事者の総労働時間数」で分析する方法もとられるようになってきた)。分母が大して変わらないのに、分子だけが小さくなるのだから、派遣労働者への切り替えによる原価低減策は、あきらかに生産性向上には逆行する施策だということができそうだ。
ちなみに、ご存じかどうかは知らないが、わが政府はつい1年半ほど前に、経済財政政策担当大臣が「今後5年間で労働生産性の伸び率を50%アップさせる」と経済財政諮問会議で発表した。たいしたものである。我が国の過去10年の年平均伸び率は1.6%だから、2.4%にしたいということらしい。1980年代は平均3%だったから、その水準まで戻りたい、ということだろう。だが、その大臣の国会答弁によると、付加価値生産性の中に技術進歩率が入っていると思っているらしい。なんだか定義自体が曖昧な、不思議な経済政策ではある。
IE的手法を用いて製造労働者の動作時間のムダとりを行い、総労働時間数を下げる、というのが、ふつうは生産性向上の王道である。しかし、そこで削減された分だけ、すぐさま人減らしできなければ、結局分母はかわらないことに注意して欲しい。動作時間のムダとりは、ボトルネックとなっている工程以外では生産性向上にはあまり寄与しないのだ。
では、どうするべきか。ここで登場するのが『労働装備率』である。労働装備率とは、(有形固定資産額)/(従業員数)で定義される指標だ。製造業の場合、有形固定資産とは、工場の建物や機械設備などが大きな割合を占めている。つまり、この指標は、労働者一人あたり、どれほど機械化が進んでいるかを大まかに示すと考えて良い。
じつは付加価値生産性は、労働装備率と密接な関係がある。同一の業種に属する日本の製造業数社をとり、横軸に労働装備率、縦軸に付加価値生産性をとって、グラフにプロットしてみると、両社の間には有意な正の相関があることが見て取れる。付加価値生産性の高い企業は、面白いことに労働装備率も高いのだ。
これは、ある意味では当然のことかも知れない。同じ製品を作る場合、より機械化され自動化された工場の方が、労働者は少なくてすむ。従来人間がやっていたことを、機械装置がやってくれるのだから、一人あたりの生産性は高くなるはずだ。そういう意味で、この「労働装備率」という言葉はいささかミスリーディングな用語であって、本来ならば、たとえば「機械装備率」とか「資本装備率」と呼ぶ方が分かりやすい。
そして、この労働装備率は、計画的に変えていくことが可能だ。たとえば、それまで人間が手作業で箱詰めしていた包装ラインがあったとする。ここに、自動包装機を導入する。あるいは、包装材料を倉庫から人間が運んで補充する作業を、天井走行車による自動供給にかえる、といった施策は労働装備率をアップさせ、それで手の空いた労働者を、よりマンパワーがタイトな工程に適切に配置転換すれば、付加価値生産性の向上にも寄与するはずである。
こう書くと、二つの疑問が浮かぶかもしれない。まず第一に、よくJITコンサルタントが“コンベヤラインや自動倉庫を捨てろ、人間を活かして使え”という指導はどうなのか、という点。また、機械化するとしたら、どの部分を機械化するのが良いのか、という点。
じつは、この二つの疑問は、同じ問題を両面から見ているのである。’90年代の初め頃、バブル経済に浮かれていた頃の日本の工場は、「人減らし・機械化」をスローガンに、むやみやたらとコンベヤや自動機械を導入した。しかし、頭の中は「見込・大量生産」時代の発想のままに行ったのである。大量高速生産の機械装置は、たいてい融通がきかない。その結果、単一製品をずっと作るには良いが、需要変動には弱い工場ができあがった。生産システムの機能は「需要情報を製品というモノに変換しアウトプットする」ことなのに、ひどく有効性の低いシステムができあがったのである。人間は柔軟だから、人間力を使え、というのはその意味では正しい。
ただし。いくら人間が柔軟といえども、工場の中には人間がやりたくない/やるべきではない作業がある。危険・汚い・きつい、いわゆる3Kの仕事である。判断基準としては、あなた自身が(あるいはあなたの子ども達が)、その作業を一生続けてやっても良いと思えるかどうかがポイントだ。工場の中の作業を分類すると、
A 人間しかできない、かつ人間がやりたい作業
B 人間しかできない、しかしやりたくない作業
C 機械でもできる、しかし人間がやりたい作業 (←これはあまりない)
D 機械でもできる、かつやりたくない作業
がある。機械化するならば、まずDから着手し、それからBにチャレンジする。これが本来の生産技術というもののあり方であろう。そのようにして労働装備率を改善していくことが、最終的に付加価値生産性の向上につながっていくのである。