契約音痴は、まだ続いている

契約音痴は、まだ続いている (2017/02/15)

10年ほど前のことになるが、プロジェクトマネジメント学会に呼ばれて「トワイライト・サロン」で講演を行ったことがある。テーマは「海外プロジェクトの共同遂行におけるリスク要因」で、海外の企業と組んで共同でプロジェクトを進める際に、どんなリスクが考えうるかと言う話だった。共同で組む場合、ジョイント・ベンチャーや、コンソーシアムなどいくつかの契約上のパターンがある。また、スコープをどう分担するかも問題だ。これらを考えた上で、最適なフォーメーションをデザインする必要がある。わたしは同僚のAさんと一緒に、来場者の前でこうした問題についての考え方をお話しした。

講演の後質疑応答の時間になって、幾人かの方が質問に立った。ところで、PM学会の参加者は昔も今も、ほとんどがIT業界の人たちである。話題も、IT開発系プロジェクトがなぜかデフォルトになってしまう。その中の1つは、プロジェクトがスタートしたしばらく後になって、顧客がいろいろ要求上の変更を持ち出し、設計が混乱しスケジュールが遅延する場合、どうすべきかと言う質問だった。これ自体はどこの業界でも起こりうる典型的な問題だ。そして、特効薬も正解もない。

正解はないが、状況に応じて、いくつかの選択肢を考え、プラスマイナスを評価して決める、というのがマネジメント問題の定石である。変更要求はコストにも納期にも影響を与えうるため、まずは顧客にそれを伝えて理解させる必要がある。ただ、その状況と伝え方次第で、対応策は変わりうる。一般論でいえる話ではない。わたし達は状況をより理解するため、質問者の方にいくつか質問を逆に返すことになった。どんな種類の成果物を作るプロジェクトなのか。規模はどれくらいか。技術的難易度はどうか、そして顧客の特性は。

こうした質問を重ねて、少しずつ全体像が分かってきた。だが、相手はいささかじれてきたのかもしれない。わたしが最後に「どんな契約条件だったのですか?」とたずねたら、「いや契約の問題なんかじゃないんです!」とほとんど金切声で叫んだ。しかたなく、わたしはそれ以上の議論をやめてしまった。

だが、もちろん、契約の問題なのである。おそらく顧客が最初に決めた一定金額以上の追加を払ってくれないから、この問題が生じているのだ。かかった費用をそのまま支払ってくれるならば、つまり今の用語で言う「準委任契約」ならば、むしろ相手が迷って要求をかえるたびに、自分の収入が増えるのだから、この質問者はむしろエビス顔だったに違いない。しかし、この人にとって、プロジェクトは技術の問題、ないし顧客の誠実さ、つまり信義の問題に思えたらしい。

今日のIT業界では、こんなこと言う人は随分減ったに違いない。要件定義と実装以降をフェーズ分けして別契約にすることは普通になったし、スコープや作業量が見積もりにくい場合は、一括請負ではなく準委任で契約することも、わりと当たり前の知恵となってきた。

今さらとは思うが解説しておくと、「一括請負契約」とは成果物を納入して一定の対価を得る契約のことである。「委任契約」は元々は民法の用語で、依頼人が弁護士などに法律行為の代行を依頼する契約である。「準委任契約」はそれに準じた形の契約で、ただ、依頼するのが法律行為ではなく、通常のビジネス上の行為である場合に用いられる。委任契約も準委任契約も、普通は働いた時間に応じて対価が支払われる。

長らく、わたし達の社会では、システム開発は一括請負契約がデフォルトであったようだ。これは元々、ソフトが計算機ハードウェアのおまけ扱いから出発したことや、元請けが計算機メーカーの場合が多かったという事情から来たのだろう。一括請負の方が、金額が最初に確定できるため、発注者側での予算措置がしやすいという面もあったに違いない。

だが、ITの世界では要求が不明確で、あとから変更の発生するケースが少なくない。一括請負の場合、途中の追加変更に対して、請負側は追加請求の権利を有する。だがお金を払う発注者の方が「お客様は神様」で、取引で有利な立場に立つことが多い。その結果、受託側が追加費用をもらえず、コストだけ負担する赤字プロジェクトが生まれる。最初の質問者のケースは、まさにこれだったのだろう。

ところで、長らくこのような状態が続くと、受託側のIT産業自体が弱ってきてしまう。そこで『カウンターベイリング・パワー』が働き、最近はIT業界の側が契約上で、いろいろな自衛手段を講じるようになった。その結果がフェーズ分けであり、また準委任契約の導入であった。これ自体は、ある意味、健全なことだ。

ところが世の中の振り子は、ときどき逆に振れすぎることがあるらしい。1月に開催された「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」では、コンサルタントの本間峰一氏を招いて『システムトラブル相談センターの概要と開設の背景』という講演をしていただいた。本間氏は一般社団法人アドバンストビジネス協会が開設した「システムトラブル相談センター」のキーパーソンでもある。いろいろなITプロジェクトのトラブルを見てこられたが、最近は逆にITベンダーに有利な契約のために、発注者側が難儀をするケースも出てきているという。

ここで問題になるのが、準委任契約のあり方である。一般に、IT開発の最初の要件定義と、最後の総合テストないし運用テストは、準委任契約で行われることが多くなった。最後のテストでは、かかる工数が発注者側の運用環境に依存するし、また既存のレガシーシステムとのインタフェース・テストなども含まれることが多い。だからここを準委任でやること自体は一見、適正なことに思われる。ところが、ここで交わされる準委任契約が、ともするとITベンダー側に非常に都合のいいようにできているという。

たとえば、瑕疵担保責任の所在である。実装は一括請負だが、ユーザにとって納品物を受け入れるかどうかは、最後のテストの結果を見て判断することになる。ところがそこは準委任契約だから、成果物に責任はありません、というケースがあるらしい。何かバグが見つかって直す必要があったら、ユーザがお金を払わなければならない。これでは実装の品質が低ければ低いほど、ITベンダーは収入が増えるというおかしなことになる。それに、納期の問題だ。準委任だから、完成義務はない、納期は保証しません、という。

もう一つ問題の所在となるのは、System Engineering Service(略称SES)とよばれる契約形態である。これはIT会社の元請けから、下請け会社にSEを配員してもらうために発注するサービスだが、準委任契約の業務委託になっている。しかし、その実態は派遣契約にきわめて近い。IT業界は知っての通り多重下請け構造なので、SESの再委託もある。準委任の準委任という訳だ。どこの誰に責任があるのかさっぱり分からなくなる。

ためしに質問してみた。「準委任契約というのは、プロフェッショナルなサービスを提供するための仕組みです。である以上、プロとして仕事の品質を保証する責任があるはずでは?」 だが答えは「そこが曖昧なんです」だった。

わたしは驚いた。海外プロジェクトの契約の常識から、あまりにかけ離れているからだ。わたしは数年前まで、あるプロジェクトで海外企業と実費償還契約のもとで足かけ3年半ほど働いた経験がある。実費償還(Cost
Reimbursable)契約というのは、日本の準委任にほぼ対応する概念で、人件費や経費など、つかった費用に応じて支払いを受けるようになっている。

ところが、海外企業との実費償還契約というのは厳しいのだ。まず、プロジェクトへの配員は、顧客が経歴書を審査し、きちんとした経験・能力が認めることが条件だ。勝手に協力会社の人間をアサインするなど、もってのほか。また一旦、配員されても、仕事ぶりの質が低いと、欠格として解任(Disqualify)されてしまう。働いた時間に応じて対価が払われるが、毎週タイムシートを顧客に提出し、チェックと承認を受ける必要がある。出張も外出も、顧客の事前の承認がいる。

それどころかプロマネは毎週のミーティングで、消費したMan-Hour(人時)と、作成し提出した設計成果物と、進捗率計算を報告しなければならない。顧客はこれを元に、生産性をモニタリングする。生産性が低いと叱責され、キャッチアップ・プランを出させられる。契約にはスコープと成果物が明記され、全体の契約金額にも上限(Cap)が設定されている。追加変更にかかわる作業は全て、書類で申請し承認である。自分たちのミスで余計な人時やコストを浪費したときはどうするか、納期に遅れたらどうするか、等々、ことこまかに契約書で決まっている。これが、世界の常識なのだ。

契約というのは、発注者と受託者の間のリスク分担を決めるための仕組みでもある。だから、一括請負契約と実費償還(準委任)契約とは、あれかこれかの二者択一ではない。両者のあいだには、インセンティブやペナルティ、変更と単価精算など、様々なバリエーションと知恵が存在するのだ。全体として何らかの納品物にかかわるケースならば、納期条項も成果物の品質責任も、支払額の上限もついているのが当たり前というのが、わたしなどの感覚だ。

これに比べると、本間氏の説明で聞いた日本のIT業界の準委任契約は、ほとんど派遣契約も同然のゆるさである。いや、派遣の場合、二重派遣は違法になるが、SESだと何重にも委託できてしまうから、もっとまずいとも言える。ひどいケースでは、ITベンダー側の営業が、こうした契約をたてに上手く立ち回って、弱り果てた顧客からどんどん金を搾り取っているという。

こうした状況が不健全なのはいうまでもない。契約を盾にとれば、技術力の不足をごまかすことができると思うのは、明らかに間違いだ。契約を盾にとって信義にもとるようなことをするのは、契約の精神に反している。それに技術力がなければ、最終的に顧客の満足は得られない。顧客満足こそ、ビジネスの安定の最大の基盤ではないか。

ただし、誤解しないでほしいのだが、わたしはIT業界全般を責めているのではない。むしろ逆だ。IT開発プロジェクトの発注者の側が、あまりに契約について音痴であることが、問題の根本だと考えている。一括請負契約なのに、後からどんどん追加変更を言い出す、最初の質問者の事例も、その一端だ。また逆に、準委任だからといって、ベンダーに妙に有利な条件をのんでしまうのも、やはり問題だ。私たちの社会では、長らく信義則で動いていたので、契約について弱い人が多い。だから準委任契約というと、成果物責任がなく、たんに「善良な管理者の注意義務」(「善管注意義務」)があるだけです、という説明に納得してしまうのだろう。

米アリゾナ州立大のDean Kashiwagi教授はプロジェクトとアウトソーシングの専門家で、"Best
Value Procurement
”という方法論を創案し、数千もの顧客に対し成果を上げてきた。昨年フランスで会ったとき、彼は「外注に関わる問題の8割以上は、じつは発注者側の能力不足に起因している」と語っていた。彼の実践範囲はITに限った話ではない。だが、なかでもITプロジェクトは、どこの国でも、難しいのだ。ITの発注者側にこそ、よりきちんとしたプロジェクト・マネジメントの理解が必要なのだと、わたしも声を上げていうことにしよう。



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