契約なんかこわくない
ちょっと、考えてみていただきたい。あなたは、ある受託プロジェクトのプロマネだとする。受注前には顧客提示の要求仕様案を慎重に吟味し、複数の外注先にも引合した上で、顧客に見積金額を提示し、ネゴシエーションを経て無事受注に至った。ところが、スタート後半年たち、設計がほぼ終わった段階で、あらためて外注先に製造の見積を依頼したら、当初の予算の5割増の金額が出てきてしまった。理由は(例によって)仕様の増大と、昨今の原材料費高騰の影響である。3社引合いを出したが、いずれも同じような回答だった・・・
この状況の時、あなたならどうするだろうか?
(1)予算がないので、意中のベンダーに対し「指し値」で交渉する
(2)発注経験はないが、安いと評判の新規ベンダーをみつけて発注する
(3)中国企業に引合いを行い、オフショア製作にチャレンジする
(4)3社の中から発注先を選び、客先には追加予算を請求しない
(5)顧客に窮状を説明し、もっと追加予算をくださいと要求する
実際に人にたずねてみると、答えはまちまちだ。多いのは(4)か(2)で、(3)は最近、人気がない。属する業界や職種でもちがうのだろう。(1)という答えは口に出さないが、現実には指し値交渉はあちこちで見うけられる。昨今の偽装問題の根っこはここらへんにあるのかもしれない。
ところで先日、関西のあるワークショップでこの問いを出したところ、(5)という回答が思ったより多かったのでビックリしてしまった。関東人である私の身の回りでは、あまり出てこない発想だからだ。契約で金額が決められている限り、身勝手な「お願い」はできない(少なくとも自分はしたくない。営業の人が代わりにやってくれるなら別だが・・)。そういう関東武士の矜持(?)があるようだ。だが、どうやら大阪では文字通り『浪花節』がまだ生き残っているのかもしれない。ま、お互い長いつきあいやないか。
困ったら取引先が助けてくれるという関係は、「契約は契約ですから」という“水くさい”関係とはずいぶん違う。そういう浪花節だけでこの世が回っていくなら、ある意味でリスク管理などいらない。泣きつけばいいわけだ。そのかわり、義理人情は「無限責任の世界」でもある。そうした息苦しい世界には、住みたくても住めない時代を私たちは生きている。
さて、そこで冒頭の問題である。じつはこの問題には正しい答えがあるのだが、おわかりだろうか?
正しい答え--それは、「とるべき選択肢は契約の内容による」である。もし、あなたの契約が、一括請負契約(Lump Sum Turn Key = LSTK Contract)だったら、(5)は普通、選べない。しかし、実費償還契約(Cost Reimbursable Contract)だったら、あなたは胸を張って客のところに行き、追加分を請求できる。
一括請負と実費償還は、受託プロジェクトにおける契約の、二大方式である。前者はいわば、「おまかせ」型であり、後者は「お好み」型である。寿司屋に入って、「おまかせ」で食べたら一定の料金だけ払えばよい。そのかわり、あなたは好きなものを勝手に食べるわけにはいかない。「お好み」なら、自分の側に自由度があるが、そのかわりかかった費用は相手側の手間賃を乗せて支払わなければならない。
実際にはこの両者の間にはさまざまなバリエーションがあるのだが、日本では圧倒的に一括請負契約が主流である。だから最初の問題を聞いたたいていの人は、無意識に(5)は避けるのである。一括請負ならば(5)の選択肢をとる権利はないからだ。
それでも、一括請負契約で(5)を主張できるようにするためには、契約書を設計するときに、明記しておかなければならない条項がある。私は今、意識して「契約を設計する」と書いた。契約の方式と内容を考えること--それは、プロジェクト・マネージャーの最も大切な仕事の一つなのだ。それなのに、とくにIT業界では、「契約は法務か営業の仕事」「契約書なんて読んだこともない」などというプロマネが多すぎる。プロマネは技術者あがりで、契約やら法律はわからないから、人に任せてしまう。あんな日本語離れした変な文章、見るのもやだ、というわけだ。
浪花節だけでは成り立たぬ今日、契約は、あなたを顧客の気ままから守る、ほとんど唯一の有効な手段である。そして、契約の設計は、べつに法学部出身でなくてもできる。いや、やらなければならない。契約を知らないプロマネは、6割しか役に立たないといってもいい。そこで知っておくべき原則は、基本的に三つしかないのだ。だが、いつもの私のくせで、前段が長くなりすぎたようだ。契約書なんて別にこわくない。この続きは、次回書こう。