リスクとは目標の反対概念である
先週、プロジェクトマネジメント学会に招かれて、「海外プロジェクトのリスク戦略を考える」というキーノート・スピーチをさせていただいた。『リスク戦略』とは、1時間で語るには大きすぎるタイトルだが、こうしたテーマが望まれるのも、いよいよ日本企業や大学人の多くが、海外に目を向けざるをえないようになったからだろう。グローバル化の時代に遅れるな云々の、メディアによる各種ドライブも影響しているのかもしれない。
そうはいっても、不慣れな外国との商売は何かと怖い。だからリスクマネジメントなるものが必要だ--そんな流れから、売上の85%が海外プロジェクトであるわたしの勤務先が、多少の興味を呼ぶのだろう。海外とのリスクについて、どんなことを考えているのか、ちょっと聞いてみようか。ということで、わたしなどが呼ばれたにちがいない。
限られた時間なので、講演では三つのポイントにしぼって話をした。第一に、リスクをおさえるには、事前計画と事後対応が車の両輪で、その両方の能力を組織で持つべきだ、というわたしの持論。二番目は、教科書や正解を盲信するのは危険であって、むしろ失敗にきちんと向き合って学ぶことが大切だということ。そして三番目に、リスクとは成功しない可能性なのだから、リスクマネジメントをしたいなら、プロジェクトの成功基準である『目標』を明確にするべきだ、という主張である。多少の例やクイズをおりまぜつつ、できるだけ分かりやすく説明させていただいたつもりでいる。
ところで、最後にあげたリスクと目標設定の関係については、来聴者の中にも意表をつかれた思いの方が少なくなかったようだ。プロジェクトには「どうなれば成功であるか」の目標設定が必要であり、その目標にネガティブな影響を与える可能性として、リスクをとらえる。この話が目新しく聞こえるとしたら、それはプロジェクトの成功と失敗の基準が、案外不明確であることを意味する。PM学会の参加者でさえそうなのだから、世間では認知されていないかもしれぬ。そこで本稿で、補足して少し説明することにする。
いま、あるプロジェクトを海外の顧客から受注した、としよう。しかし、そのプロジェクトでは、どうやら顧客要求事項が当初よりふくれる気配がある。理由は顧客にとっての市場環境の変化である。さて、これはリスクだろうか?
一つのポイントは、海外顧客であることだ。国内の、それも長年つきあいのある顧客ならば、お互いにあまり無理のあることは言わないのが暗黙の約束だ。しかし、契約ベースで事を決めたがる海外顧客には、(むろん相手にもよるが、通常は)暗黙の合意や阿吽の呼吸は通じない。では、仕事のスコープとコストが増大しそうなこの状況を、危険なリスクと捉えるべきか。
答えは、「必ずしもリスクとは限らない」である。それは、契約の条件によるからだ。もしもこれが一括請負契約、すなわち一定金額ですべての役務を請け負う契約なら、たしかに役務スコープ増大の可能性はリスクであろう。しかし、これが実費償還契約、すなわちかかったコストに一定の手数料をのせて払ってくれる契約なら、仕事量の増大はむしろ歓迎すべき事だ。なぜなら、売上と利益が増えることを意味するからである。
なあんだ、と思われただろうか。だが、もし最初の質問文で「リスクかも・・」という想いが頭をよぎったとしたら、それは、自分が一括請負契約のプロジェクト運営に慣らされすぎているのである。受注ビジネスでは、基本的に赤字は失敗と見なされる。受注金額が一定で、遂行コストが増大したら、赤字の可能性が増える。だからリスクだ、と考える。
ちなみに、米国のStandish Groupによるレポートは、IT分野のプロジェクトの成功率を継続的に調査しており、IT系プロジェクトの難しさを示す統計として、よく引用される。2003年版報告によると、調査対象となった米国企業の1万3,522のITプロジェクトのうち、成功したプロジェクトは34%にとどまった。彼らのレポートでは、コスト・仕様・スケジュールの三要素を、計画通り達成できたケースを「成功」と定義している。コスト・仕様・スケジュールはプロジェクトの代表的な制約条件であり、別名『鉄の三角形』Iron Triangleとも呼ばれる。仕様(品質)のかわりにScope(役務範囲)を入れる場合もあるが、実質的にはほぼ同じ意味だ。だから、鉄の三角形を破ってしまったら、それは不成功と考える訳だ。

でも、これは果たして正しいのだろうか? 試しに、視点を受注者から発注者、すなわちプロジェクトに投資する側に移してみるといい。プロジェクト事業に投資するのは、何かの目的があるからだ。業務のプロセスを改善するとか、新製品を開発するとか、新工場を建設するとかいった事業は、必ずしもそれ自体が目的ではない。プロジェクトは、新市場を開拓したり競争環境を改善したりして、事業の継続と成長を目指す手段にすぎない。
たとえば新製品開発の場合、何よりも大事なのは納期=Time to Marketで、ライバルより少しでも早く製品を上市することが求められるケースが多い。必要ならばコストを使ってでも、納期を早める。この場合、コストは決してハードな制約条件ではない。かりに予定より3割多く費用を使っても、予定より2ヶ月早く完了すれば大成功、というプロジェクトも存在するのだ。
別の例を挙げるなら、アメリカのアポロ計画は、ソ連との宇宙開発競争を制することが最大の眼目であった。ケネディ大統領が成功の目標としておいたのは、「’60年代の内に人間を月に送る」ことだ。最大の目標値はスピード(時間)であり、最大の制約事項は安全性であった。そのために、アメリカは金に糸目はつけずにつぎ込んだ。そして実際、’69年にその目標を達成した。アポロ計画にとってリスクとは、まず打ち上げを遅らせるような要因であり、次にはロケットの安全性をおびやかす要因であった。コストは目標でも制約条件でもない。だから、コスト増の要因はリスクではないのだ。
目標値が、「成果物の性能」で規定されるケースも多い。新しい通信デバイスを開発する場合、コストも予定どおり、納期も予定どおり、しかし通信速度が目標を満たせなかったら、それは明らかに失敗である。こうした場合、最大のリスクとは,何よりも性能に影響を与える因子のことである。
プロジェクトの目標値が、コスト・品質(スコープ)・スケジュールの三要素以外の場合だってあるだろう。たとえば新規獲得顧客数だとか、顧客満足度だとか、在庫削減率とか。こうした目標値は、プロジェクトが狙う真の目的から導かれる。そしてリスクとは、その真の目的に近づくことを妨害する要因である。
だから、リスクマネジメントをきちんと考えたいのならば、
「何のためにそのプロジェクトをやっているのか(目的)」
「どういう状態になれば、プロジェクトは成功したと言えるのか(目標値)」
を、最初に明確にしなければいけない。この点を曖昧にしたまま、何となくプロジェクトをスタートさせたり、制約条件であるスコープ・コスト・スケジュールさえ満たせば成功である、などと漠然と考えるから、真のリスクを見落とすのである。
たしかに、受注型プロジェクトの場合、その目的は、とにかくさっさと手切れ良く仕事を終わらせて、利益を出すこと、というパターンが殆どだ。だからどうしても『鉄の三角形』の制約条件ばかりに目がいきがちになる。だが、制約それ自体は目標ではない。100m競争に出場して100mの距離を走るのは制約(要求事項)であって、目標値ではない。さすがにゴールまでたどり着けなければ明らかに失敗だが、ふつう、目標値としては、12秒台で走るとか、新しいフォームを試すとかいったことを掲げるだろう。そうして、結果を見て成功か失敗かを測るのである。
もっとも、仕事のスタートにあたって、目標値(=成功を測る基準)を明確にしない組織には、ひとつの心理的な傾向がある。それは、“失敗をひどく嫌う”傾向である。失敗するとひどく罰せられる。だから、失敗も成功も曖昧にしておく。せいぜい、抽象的な言葉だけで目標を設定する。そうすれば、終わってから言葉で言い抜けるのは可能である。数字で目標など設定しようものなら、成否は明らかになってしまう。
こういう組織は、自己の失敗経験から学ぶことができないのは明らかだろう。すべては成功であり、反省の材料ではないからだ。失敗が許されない組織とは、じつはもっとも生存のリスクが大きい組織なのである。
上にのべた講演では、かつてわたし自身がやってしまった、「納期も予算も仕様も満足させたが、ユーザーがちっとも使ってくれなかった」システム開発の経験を例に挙げた。恥ずかしい話である。だが、「使われなかったシステム」というのは、案外多くの会社にもあるのではないか。この場合、Standish
Groupのモノサシでは、成功プロジェクトということになる。しかし、これは成功だろうか? 一番大事なリスクを見落としていたのだ、というのが、今のわたしの率直な反省なのである。