考えるヒント(09)
忘れない、という行き方 (2015/08/15)
好き嫌いということ(を論じて、知的理解の枠組みに至る) (2015/05/05)
ロボットとして生きないために (2015/04/04)
リーダーは組織の主人か? (2015/02/08)
クリスマス・メッセージ:幸せな人 (2014/12/24)
Critical Success Factors – 成功を説明する10の方法
(2014/11/04)
あなたは、どう考えるの? (2014-09-28)
情報とは何か、なぜかくも奇妙な性質を持っているのか (2014/08/05)
反応、感想、そして批評--受け手にとってより良きリアクションを生むために
(2014/07/14)
顧客の顧客を知る、上司の上司になって考える (2014/05/03)
新しい決意と、「今のお気持ち」主義 (2014/03/19)
ハイボールと、本質的安全設計の教え (2014/01/19)
ある日、あなたは福島県から来た企業家に会って、こんな話を聞く。
「震災から4年余りが経ったが、地域の復興はなかなか進まないばかりか、世間の人はもう忘れたがっているようにさえ見える。あなたは東大で環境の研究をしておられるそうだが、東北の環境浄化や自然エネルギー活用のための斬新な案をお持ちではないだろうか。もし良いアイデアがあれば、わたしも事業の傍ら応援したいし、資金獲得のお手伝いくらいはできると思う。」
あなたは「環境再生ないし自然エネルギー活用による、東北地域復興プロジェクト」の案を考えて提案することを約束した。
プロジェクトの総予算は3億円とする(ちなみに復興庁の今年度予算は3.9兆円で、「再生可能エネルギー」関連だけで計23億円ある)。また、必要に応じてクラウドファンディング(「セキュリテ被災地応援ファンド」等)でも公募できる。
・・・これは、東大の大学院・新領域創成科学研究科でわたしが教えている「プロジェクトマネジメント特論」の、グループ最終課題として今年出題した問題である。受講する院生はほとんどが環境学系の所属のため、このようなテーマ設定にしてある。グループ編成は、5?6名。班の中で、プロマネ・APM(アシスタントプロマネ)・チーフデザイナー・プロジェクトコントローラーなどの役割分担を決めて、約1ヶ月半で事業構想とプロジェクト計画を作る。発表は、8分間の動画ファイルを作り、それを皆の前で提示してもらう。
なお、これはプロジェクト・マネジメントの授業なので、事業コンセプト(概略イメージ)だけでなく、予算・期間を提示してもらう。プロジェクト計画は、以下の図表と説明を入れるよう義務づけている:
・ActivityリストとWBS構造図
・ネットワーク・スケジュールとガントチャート
・予算表 (自分たちの人件費は時間あたり2,000円。他の費用は「月刊積算資料」などを参考にする)
採点はわたしがするのではなく、出席者全員に採点表を渡して、他の班を採点してもらう仕組みにしている。内容の良さ、そしてプレゼンテーションの上手さ。両者の評点を集計して、総合評価を決める。プロジェクト・マネジメントは知識だけあってもしかたがないので、学期末のペーパーテストやレポート提出ではなく、グループ課題での発表にしているのだ。
採点はわたしがするのではなく、出席者全員に採点表を渡して、他の班を採点してもらう仕組みにしている。内容の良さ、そしてプレゼンテーションの上手さ。両者の評点を集計して、総合評価を決める。プロジェクト・マネジメントは知識だけあってもしかたがないので、学期末のペーパーテストやレポート提出ではなく、グループ課題での発表にしているのだ。
今年の最終発表会で一位になったグループの案は、『阿武隈ダイヤモンド・
チャコールプロジェクト』というタイトルのものだった。プロジェクト実施の場所は福島県浜通地方にある川内村。この村は1960年代までは、豊かな森林資源を活かし、日本一の木炭生産量を誇っていた。しかしエネルギー革命で電気や石油が燃料の主役になってからは、住民は里山を捨て、原発産業などに従事するようになった
。そこに、東日本大震災である。現在の川内村は、仕事を失い、人が戻れない状況にある(村の東部は避難指示地域)。そこでこの班は、製炭業を復活させ川内村を再建するプロジェクトを提案する。
そのキーとなるのが、高品位な木炭(チャコール)という訳である。これを『阿武隈 ダイヤモンド・チャコール』と名付け、世界一のブランドを川内村から作る!という。この班は実際に教室に木炭を持参して、皆の前で簡単な実演をした。炭と炭を打ち合わせると、高級な木炭はカンカンという硬質な良い音がするのに対して、量販店で売っているBBQ用の安い炭はボソボソッという音しか出ないのだ。百見は一聞に如かず、である。単なる木炭にも、ずいぶんと品質ランクに差がある事が分かる。良い木炭は当然、用途も広いし単価も高い。
この班は製品の試作・分析から量産準備までをプロジェクトとしてとらえ、3億円の投資で、IRR=10%が可能であると試算した。経済性評価ではちゃんと感度分析をしている。またスケジュールも、クリティカル・パスを求めただけでなく、モンテカルロ・シミュレーションを実施して、工期の達成の幅まで検討している。まあ限られた期間内の院生の仕事だから、計画の精度は高くないが、プロジェクト計画のアプローチは、下手な上場企業よりもずっとしっかりしている。
2位になった班は、畜産廃棄物(家畜糞尿)からのバイオガス発電のプランを出してきた。売電による収益で畜産農家を支援するという案だ。プレゼンテーションは地味だったが、他の受講生からの評価はなかなか高い。きちんとPREET/CPMでスケジュールを作成し、コンティンジェンシー・リザーブ(予備費)によるリスク対策もみている。ほかにも面白い案がたくさんあったが、紹介しきれないので割愛しよう。
こうしたプロジェクト・プラン立案のグループ演習を課すのは、班で共同作業すること自体がちょっとした「プロジェクト体験」にもなるからだ。そのためには、アイデアが宙で空回りしないよう、予算規模の制約をつけるとともに、地に足がついた具体的な地域性が必要になる。だから福島県を選んだのだ。
いま、なぜ福島県か。それはもちろん、「忘れないため」でもある。
課題発表会の直前、わたし自身も東北を旅行した。震災から4年後の現在、現地がどうなっているのかを、少しでも見ておきたいと思ったのだ。最初に福島県の郡山に入り、それから二本松、土湯温泉、さらに飯館村を通って福島県の浜通地方に出る。そして国道8号線沿いに、被害の最もひどかった太平洋岸の浜通地域を通る。このときはボランティアのバスに同乗させてもらい、カリタス原町センターのスタッフの方に案内していただいた。そのあと、岩手に抜け、最後に宮城県の涌谷町・仙台市を通って帰ってきた。
浜通地方の原発事故被害にあった地域は、今もまだ多くが避難指示区域で、立入り制限ないし居住制限下にある。居住の制限された区域は、昼間のみ、地域に入れる。実際、多くの除染作業従事者が入って働いており、除去した表土などは黒いビニール袋(通称「トン袋」)に詰めて、空き地などに並べている。わたしたちの乗ったバスは国道8号線を走ったが、「帰還困難地域」に入ると、道の両側に鉄のバリケードが並ぶ。国道からそれて、中に立ち入れないよう制限しているのである。山野も町も、道の両側の建物も、ほぼそのままの姿で残っている。青葉は陽光に輝いている。だが、住む人がいないのだ。この異様さは、実際に走ってみないと分からない。制限区域をすぎて、南相馬市の人の暮らす地域に入ると、なんだかほっとする。人がいることが、こんなにも安心するものなのか、と思う。
福島県ではあちこちに、空間線量計が立っている。二本松市の幼稚園の庭に立っているのを見たときは、なんともいえぬ困惑を感じた。幼稚園の庭には砂場があるのだが、鶏小屋のような屋根とプラスチックの囲いがつけられている。子ども達はどうしても砂遊びがしたい。砂はもちろん新しいものに入れ替えてあるが、周囲を取り囲む山野は除染ができない。だから、砂が風雨にあたらないようにつけてあるのだ。線量についていえば、わたし達の通った国道8号線で最も高い場所は、8μSv/hr以上あった。一応参考までにいうと、従来の放射線管理区域の目安は、約0.5
μSv/hrである。周知の通り、放射線の健康影響にはいろいろな議論がある。だが、8μSv/hrとなると、率直なところあまり無用な長居をしたい気分になる場所ではない。
写真を2枚だけあげよう。上は、常磐線富岡駅前の光景だ。4年前の津波にえぐられたままの商店街の建物が、今も手つかずで残っている。ここらはまだ除染作業も進んでいないため、撤去修復にも戻れないのだ。下の写真は、南相馬市の常磐線小高駅の自転車置き場である。4年前の3月11日の朝、通勤・通学の人達はここに自転車を駐輪して、常磐線に乗っていった。そしてそのまま、誰も取りに戻れずに日々が過ぎたのだ(かりに帰還しても、自転車は汚染している可能性が高いから引き取れないだろう)。列車もその日以来、動いていない。ここではまだ、時間が全く止まってしまっている。
郡山市では、「ふくしま心のケアセンター」所長で、精神科医の昼田源四郎先生にお目にかかった。昼田先生とお会いするのは2年ぶりである。震災後、岩手・宮城・福島の3県にそれぞれ「心のケアセンター」組織が立ち上がった。昼田先生は福島大学を退任されたあとすぐ、所長として臨床心理士などの職種のスタッフを集めて組織されてきた。しかし震災後3年経ち、4年経っても、まだ相談件数は目に見えて減っていない。そればかりか、「ハサミ状格差」「支援疲れ」などの具体的な事例をあげて、まだ困難が続いている事を語られた。
こうした心のケアセンター組織は、阪神淡路大震災以来の教訓として作られたものである。昼田先生によると、阪神・中越大地震のいずれのケースも、心のケアセンターは約10年で役割を終えたという。そして、岩手県や宮城県も、おそらく10年程度で完了できる。しかし福島県の場合は、自分の見たところ30年か40年かかるのではないか、と言われた。長年、精神科の臨床に携わってこられた専門家の洞察とはいえ、まるきり一世代分の時間である。福島の問題の難しさが浮き彫りになっているといえるだろう。
このような困難を抱える地域に対して、わたしが復興のために何かとびきりの名案を持っている訳ではない。たぶん、誰にもないだろう。学生達の示した案もまた、かりにフィージブルだとしても、福島県全体を救える訳ではなく、広大な東北地方から見れば「点」のようなものである。
しかし、小さな点と点をつないで、少しずつ状況を改善し続けるしか、道はないのだとわたしは思う。だから昼田先生は30年かかるといわれたのだろう。
ただ、有用な策を考えるためには、現実がどうだったのか、そして現在どうなっているかを知る必要がある。ところで震災後4年もたったのに、あの東日本大震災は何だったのか、その被害状況はどうだったのか、具体的な全体像を多面的・客観的にまとめた書籍や研究は、いまだに決定版がほとんど見当たらない。たしかに、途方もなく大きな事象ではあった。だが、個別の専門家達による、群盲象をなでるかのような分析やレポートはあるが、全体像が分からない。全体像が分からないと、どこから優先して解決に手をつけるべきかも見えないことになる。ポートフォリオ・マネジメントもなく、プログラム・マネジメントもなく、ただ個別のプロジェクトが動いているきりなのだ。
どうやらわたし達の社会は、大きな出来事を、カメラを引いて全体を冷静に認識・理解する能力が、欠けているのではないか? わたしの中で、そんな疑問が大きくなってきた。リスク・マネジメントの語は、震災前後から流行語になった。しかし、リスク・マネジメントの中核にあるのは、「学ぶ能力」である。自分たちの過去の経験を直視し、教訓を学び取る能力。自然災害はいつでも起きうるし、人為ミスの災害も完全には防ぎ得ない。である以上、わたし達は、痛い思いをした経験に学んで、少しずつ賢くなるしかないのだ。その賢さを、次の世代に伝えなければならない。
もちろん経験の中には、あまりに傷が大きすぎて、思い出すことさえ苦痛であるような記憶もあるだろう。だからといって当事者が、それを忘れられる訳でもない。そうした記憶は、おそらく他の多くの人が共有することでしか、薄めることができないのだろう。深く傷ついた人びとは、周囲が支えなければならない。他者がかわりに記憶することで、たぶん当事者は心にふたをしていけるのだ。
福島の人達が、「忘れないでください」と言い続けているのは、そういう意味なのだと思う。わたし達は、忘れやすい。過去は水に流して、未来志向に生きていく方が、ポジティブでカッコいい。だが、マネジメントを学生達に教えている以上、忘れない工夫と技術も、わたし達には必要なのだ。
好き嫌いということ(を論じて、知的理解の枠組みに至る)
(2015-05-05)
わたしは残念ながらモーツァルトが嫌いだ。ファンの人には申し訳ないけど、めったに楽しく聴けない。自分はまあ比較的、クラシック音楽を聴く方の部類だと思う。聴き始めたのは十代の頃からだが、その頃は一応素直な人間だったので、先輩先人の教えに従い、偉大なる天才作曲家モーツァルトもいろいろ聴いてみた。
だが2、3年ほど経ったのち、いつまで聴いてもちっとも楽しくないことに気がついた。気づくならもっとサッサと気がつけばいいのに、そんなにかかるのが、わたしの鈍感なところなである。あるいは、伝統的な教導の強さと言うべきかもしれない。ただし、わたしは心の広く公平な人間であるから(笑)、モーツァルトにもたまには良い曲があることは認めてよう。たとえば晩年のクラリネット協奏曲とか、同じ楽器だがクラリネット五重奏曲は素晴らしいし、あるいは音楽劇「魔笛」などにも良い部分がある。
ともあれ、自分の好みに気がついて以降は、彼の音楽を聴くのを避けるようになった。音楽好きの知人とも、モーツァルトの話はしない。好き嫌いのことでケンカしても仕方ないからだ。それは、こんな風になる。
「佐藤さんは、どうしてモーツァルトが嫌いなの?」
--彼の音楽は、なんだか内容のないツマラナイお喋りを、耳元で延々と続けられるような気がするんです。
「なんてことを。楽しい音楽が嫌いなの?」
--ぼくにはちっとも楽しくないです。
「あんなに純粋で、天上的な美しさにあふれているのに! それに旋律がきれいでしょう?」
--旋律の美しい作曲家は他にもたくさんいますよ。彼の旋律は息が短い。それに、カンタービレが決定的に欠けていると思いませんか。
「そうかなあ。純正で調和がとれているし、その上にウィーン的な洒落っ気もある。」
--ウィーン古典派ならハイドンの方が好みです。それにオシャレって言うけど、あの半音階的でおしゃまな装飾はカンベンしてほしいです。
「あれがいいんじゃない。 趣味の分からない人!」
という訳で、平行線である。どうして平行線になるかというと、こちらは好き嫌いをいっているのに、相手は良し悪しの同意を求めているからだ。
音楽や美術にとって、何が「良い作品」であるかを言うのは簡単ではない。その問いのために、美学という学問の全体系があるといってもいい。それでも、ごく大雑把にまとめてしまうと、「より多くの人々、より長期の時代に、鑑賞に堪える」ことと関係する。シェークスピアだってJ・S・バッハだって、死後は何十年も忘れ去られていた。それでも復活して、今は広く好まれ、典範として仰がれてている。秀れた点が多いからだ。
「じゃあ、どうしてモーツァルトが嫌いなのか? 良い作曲家だと皆が認めているじゃないか。」--だから、好き嫌いは理屈ではないのだ。わたしが鴨肉は好きだがネギは嫌いだというとき(事実だ)、それを十分に言語化して伝える方策はない。理屈をつけて説明しようと努力することはできる。だが、完全には説明できない。その証拠に、相手は納得しない。事実は(たとえば「2015年5月3日は東京は晴天だった」というなら)他人は同意できる。だが、5月3日は気持ちいい日だったというなら、それは感受性の問題で、説得力が薄い。
好き嫌いと良し悪しは別である。良否は議論可能だが、愛や嫌悪は説得も押し付けもできない。それは個人単位の感覚だからだ。こんな当ったり前の事を今さら書いているのは、この「当たり前」が学校で教育されていないばかりか、社会で共有もされず、ときには蹂躙されているように、思えるからである。
姫野カオルコ氏はエッセイに、タレント誰某はハンサムだと思う、と人にいうと、「えっ、あの人が好きなの?」と聞かれてこまると、たしか書いていた。美醜の判断=好き嫌い、と直結している人が多いからだ。モーツァルトのファンと話をしたくないのも、そのためである。わたしが嫌いだと言うと、たまに怒りだす人がいる。作品の出来がひどいと言ってる、と誤解するためだ。短絡的なのである(全員ではない。たまに、である)
逆に言うと、短絡的でない人、心の広い人とは、「自分の好き嫌いとは別に、相手の良い点を認める度量」のある人だ。公平な人、といってもいい。たとえ自分が嫌っている、いや戦っている相手であっても、秀れた点は認めらる人は、器量が大きい。自分の感覚や感情をいったんカッコに入れて保留し、他の見方もあると受け止める能力。
図に書く方が分かりやすいかもしれない。横軸に、自分の好き嫌いをとる。縦軸に、良い・まずいの判断をとる。そして、いろいろな作品や対象や事柄について、その人の好き嫌い感覚と判断結果をプロットしてみる。散布図である。短絡的な人々は、「好き嫌い=良し悪し」だから、すべての点が斜め45度の直線状に並ぶ(図左)。判断は手軽で、効率もいい。だが度量が広がるにつれて、両者はあまり相関しなくなり、しだいに点はばらつくようになるだろう(図右)。両者が全く無相関な人は、さすがにいないと思うが、点の広がりが、見る目の公正さを示している。自分の主観をいったん離れて、物事を客観的に見る能力を示している。
好き嫌い=良し悪し、という態度は、とても無邪気でいい。だが、人が無邪気であって良いのは、15歳までだ。15を過ぎたら、人を動かす必要が出てくる。あるいは、その前に、他人が自分を動かそうとするのを、やり過ごしたり押し返したりする必要が出てくるだろう。そのとき、コミュニケーションのスキルとともに、客観性・公平さの能力が大事になる。
人を動かそうとするときの論拠は、事実・ルール・価値などである。「日曜から開店だよ」は事実。「下校時にゲームセンターなんか寄っちゃいけない」がルール。「学生の本分は勉強だろ」が価値観。そして反論の難しいのも、この順である。「だって、好きなんだもん」では自分の好き嫌いをいっているだけで、反論にならない。好き嫌いは人によって違う、のが大人の常識だからである。
個人差を超えた共通性の高さが、論拠の強さを示す。だから「事実」の説明力が最強で、「ルール」がそれに続くのだ。である以上、自分がなんとか他者と対抗する武器にできるのは、価値しかない。価値観には、多少のゆらぎがあるからだ。「よく学び、よく遊べ、って言うじゃない。人間には瞬間的な決断力が必要なんでしょう?
ゲームは判断力を育てるんだよ。」
人間の心は、一種の同心円構造になっている。中心には、単純で原始的な、快・不快の感覚がある。これを囲むように、好き・嫌いがある(ここらへんは脳の中の扁桃体が決めているらしい)。非常に個人差の大きい領域である。勝ち負けや、損得、敵味方の感覚も、この愛憎に密着している。その周縁には、より複雑な感情がある。そして、感情を内部にくるむように、知的な働きがあるのだ。客観的な認知や、自己の好き嫌いへの反省は、知的な機能である。ものごとを、自分の好き・嫌い、愛憎の面だけでなく、少し異なる善し悪しの面からとらえ直す能力だ。そして言うまでもないが、言語というのはこの知的な働きの上に成り立っている。
短絡的な人は、たとえば批評とか分析といったことが理解できない。批評とは褒めるか・けなすか、どちらかの行為だと思っている。中学生がラジオを聞いたら、番組のDJが自分の好きなミュージシャンを批評していた。あいつはほめなかった、けなしたといって、いきり立つ。これが短絡である。
批評とは、より深い理解を得るための、補助線のようなものだ。対象を他と比較し、あるいは過去と比較し、良い点はこれこれで、まずい点はこれこれだ、その理由はこうだろうと推定する。これが優れた批評だ。優れた批評は、複眼的である。だが、わたしたちの社会では、中等教育で「自分の好き嫌いをいったん脇に置いて、対象を理解し評価する」という作業をあまり訓練しない。その結果、いつまでも中学生みたいに短絡的な大人が大勢、世に出てしまう。そういう人たちがビジネスを動かすようになると、ひどく単純で短絡的な論理ばかりが世の中にはびこることになる。これはなんとか防ぐべきではないか。
ダイバーシティというカタカナ言葉が、ビジネスの世界で流行っている。多様性を意味し、性別とか人種国籍とか年齢など従業員構成にバラエティを拡げるのが「良い」ことだとのニュアンスで使われる。ビジネス界は不思議なところで、「違法行為はいけない」と言うかわりにコンプライアンスなる言葉を使い、「あるべき姿を目指そう」と言うかわりにリスク・マネジメントなどと言いたがる。まともで通じやすい日本語は恥ずかしいから避けて、カタカナを使うのである。ダイバーシティはだから、「男女や肌の色での差別は良くない」と口にしないで済むように広まったのだろう。そう、推論したくなる。
それはともあれ、ダイバーシティ=多様性はもちろん、公正さの証である。ただし、多様性はそれ以上の積極的な意味を持つ。創造とは異種のものの組み合わせから生じる事を思い出してほしい。単一化した人間集団からは、新しい発想は生まれない。それに多様性はコミュニケーション能力を、否応なしに高める。すべてが阿吽の呼吸で通じる社会には、良質なコミュニケーターは育ちにくいからだ。
そして最後に、多様性の増大は、われわれの物事に対する知的な理解のベースを強めるだろう。たかが音楽談義なら「モーツァルトが嫌いなんて、変わり者ね」で済ませていい。だがことが複雑化した世界の行方に関わることなら、なるべく多面的な見方を持つことが必要なのだから。
フィリップ・K・ディックのSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(1968年)は、映画「ブレードランナー」の原作にもなった名作だ。小説の舞台は『最終世界大戦』後の、人間以外の生物がすべて稀少となった2020年の地球(あとたった5年だ)。主人公リックは、逃亡したアンドロイドを破壊してお金を稼ぐ、賞金稼ぎである。この時代、人間はアンドロイドを使役しながら、なんとか社会を維持している。アンドロイドは機械製だが、人間そっくりの外観と、知性、そして意思までを持つ。ただ一つ違うのは、アンドロイドには感情が全く無い点だった。主人公リックは、火星から逃亡してきた6人のアンドロイドを見つけて破壊し、賞金を得ようとする。彼はその賞金で、本物の生きた羊を買うのが夢なのだ。生物が稀少なこの地球では、ふつうはロボットの動物しか飼うことができないからだった・・。
この小説の妙味は、アンドロイドを識別するのに、『感情の有無』しか主要な手がかりが無い事だ。物語の中で、主人公はしだいに協力者や取引相手が、本物の人間であるかを疑いはじめる。この小説にはさらに「感情オルガン」という機械もでてくる。ダイヤルをあわせれば、自分の心理的ムードを明るくも暗くもかえられるのである。だがそれは結局、人間が他人に持つ共感力を減じていく。だから次第に、主人公自身も、自分が本当に人間なのかアンドロイドなのか、自信がなくなってくる。彼が本物の羊を所有する夢にこだわるのは、命を持つ生き物に対する愛着こそ、人間をアンドロイドの領域から区別する、最後の砦だからだ。
アメリカのSFは、奇妙でねじくれた架空の世界を、確固とした意思を持つ主人公が戦い抜く、という物語が多い(「スター・ウォーズ」がいい例だ)。客観的でリアルな世界像と、強固な自我。そして主人公を助け、あるいは敵対する、組織とシステム。これがアメリカ人の好むストーリーなのだろう。だが、P・K・ディックは、そもそも自分を取り巻く世界が、はたして本当の現実なのか、誰かの主観の外延なのか分からず、混沌状態に陥る話をよく書く。その中で、自分の信じる価値や善悪や感情も、はたして本当に自分のものなのか、定かでなくなるような話を。だから彼の小説は、決して単純な勧善懲悪にならない。
わたし達を取り巻く社会は、とてもがっちりとしたシステムとして、できあがっている。就活では、「自分はどういう仕事をしたいか、何になりたいか」ではなく、「たくさんある企業のどこを選ぶか(どこが選んでくれるか)」という形の問いしか、今は存在しない。わたしが社会人になったのはもう、はるか昔だが、その頃すでに「自分で仕事をつくり出す」ではなく「できあがった仕組みのどれを選ぶか(選ばれるか)」になっていた。社会は自分の外側に厳然と存在していた。学生アントルプルナー(起業家)は今も昔も、ごく少数だ。大半は組織の中に組み込まれ、競争して生きるわけだ。「どうせ歯車になるのなら、せめてギザギザな歯車になってやろうぜ」という広告が流れたのは、いつ頃だったろうか。
このサイトは『計画とマネジメントのための技術ノート』である。マネジメントという視点から言うと、組織の仕組みやシステムというものは、(繰り返し書いていることだが)誰が担当してもまあまあの及第点がとれるように、仕事の手順ややり方、インプットやアウトプットを設計していくのが、望ましい。もちろん、能力のある人にぱっと任せてしまう方が楽だし、効率的なのは確かだ。だが仕事のあちこちが属人的で、誰か特定の人がいないと定常業務も先に進まないようでは、システムとしての頑健性がおちる。だから、多少余計な手がかかっても、仕事をマニュアル化し、主観的な部分を排除していくように、システムは「進化」していく。ルールが規定され、ルール集は次第に分厚くなっていく。
だが、そのような十分に発達した組織のシステムは、その中にいる人間を交換可能な「部品」として扱うようになる。命じたことだけやればいい存在としてしか、見なくなる。古風な言葉を使えば、『人間疎外』が起きるわけだ。部品化された人間の側は、「言われたことだけやってりゃいいんだろ」という雰囲気になる。少なくとも、そんな組織の中から、自発的で斬新なアイデアやイノベーションなど、生まれようがない。ロボットに創造性など、要求されないからだ。
ここで、経営学の用語を一つだけ勉強しよう。「X理論とY理論」だ(あ、二つの単語だった)。D・マグレガーという米国の経営学者が、1950年代に提唱した用語で、世の中のマネージャー達が抱いている漠然とした仮説・思い込みを、二つの類型に分けて、それぞれに「X理論」「Y理論」と名付けた。
「X理論」では、労働者は基本的に怠け者だ、と考える。だからアメと鞭、報酬と罰則でしばらないと働かない。また、平均的な人間は命令されることを好み、自己責任を回避することを望んでいる。したがって、組織はルールと規律、命令と統制(Command
& Control)で動かす必要がある。逸脱したら罰するか追放(失業)で脅す。人を働かせるためには脅し続けること。これがX理論だ。
「Y理論」は対照的である。人は生まれつき労働が嫌いなわけではない。それがもし自己実現に結びつくなら、自発的に働き、自分で責任を引き受ける。そして目標へのコミットメントと努力を惜しまないだろう。だから組織の目標と個人の目標の統合(Integration)が必要である、と考える。そしてマグレガーは、伝統的に信じられてきたX理論よりも、新しいY理論の方がよいと考えた。彼が活躍したのは、米国の経営学がモチベーション理論に熱中しだした時期でもあった。
さきほど説明したように、組織のシステムが進化すると、機能分化が進み、しだいに構成員を命令と統制で動かすようになっていく。つまり、企業が成功し大きくなっていくと、必然的にX理論がはびこるようになってしまう。それは、空前の発展と成長期にあったアメリカ経済界の姿でもあったろう。だがその成長の中には、必然的に従業員をロボット扱いにする疎外と空洞化がひそかに広がっていく。それを、目標管理で乗り越えようとしたのが当時の主流派経営学の思想であった。この目標管理は、やがて『成果主義』人事制度につながっていく。
ところで日本ではよく、X理論とY理論を、「性悪説」と「性善説」にたとえて説明される。わたしも最初に講義で学んだとき、講師からそう聞いた。東洋では二千年も前から知っていたことを、アメリカ人は20世紀の半ばになってやっと気づいた、とも。だが、ずっと後になって、その説明は間違っていたことに気がついた。少なくとも、部分的にしか正しくない。X理論は、単純な性悪説ではないのだ。
X理論は、たしかに労働者は強制しないと働かない存在だと考える。監視しなければ怠けたり盗んだりする、性悪だと。こうした労働者間には、かつて黒人奴隷を使ってプランテーションを経営していた頃の米国の価値観さえ、うっすらと感じさせる。だがX理論には例外があるのだ。東洋の性悪説は、「すべての人間は性悪だ」と信じる。一方、西洋のX理論では、労働者を使う側、マネージする側については何も言わないのである。むしろ組織を動かし、システムを考える側の人々の追求するものは、善であると考えている風情さえある。それを総称して『リーダーシップ』と呼ぶ。
もし自分に強い意志があり、できあがった社会の中で勝利を得たければ、部品として使われる側ではなく、リーダーの側になりなさい。それがロボットとして生きないための唯一の道だ。--これが、上記の思想が導く結論である。そして、有象無象の群衆の中から抜け出してリーダーになるための学校として、ビジネススクールがある。そこでは、生まれついて優秀なものだけがリーダーになる資格がある、と教えられる・・
あなたは、この思想に賛成だろうか。
わたしがひとつだけ言えるのは、こうした考え方と、日本人の伝統的な感受性とは、どこかで決定的に食い違うということだ。日本文化は情緒的なものを重んじる文化で、その性格は良かれあしかれ、この社会で育った者に深く刻み込まれている。大多数の人間がロボットのように感情の乏しい生活を送り、せいぜい享楽的なショッピングか賭博か宗教に救いを求める日々、といった状況は耐えがたいに違いない。たとえ経済全体がいかに裕福であろうとも。
そこで、スーパーエリートでも業界リーダーでもないわたし達は、どう考えるか。ロボットとして生きないために、いいかえれば、「あきらめて生きないために」どうしたらいいのか。世界はもう、できあがっている。すべての組織が明日からY理論に変わってくれるなど、望み薄だ。
ここで鍵となるのは、問題の立て方だろう。すなわち、「存在し出来あがっている社会と、意思を持つ個人との対峙」という問題の立て方自体が、ずれていなかったか。そうした問題では、支配する側に立つか、支配される側に立つか、二つに一つだ、との答えしか出てこない。
わたし個人の経験を考える。わたしはずっと、プロジェクトばかり仕事にしてきた人間だ。成功したものも、失敗したものも、楽だったのも辛かったのもある。だが、自分のキャリアの変曲点、自分にとって勉強になった、成長したなと感じられたプロジェクトでは、必ず他者の協力と助けがあった。プロジェクトは自分一人でやるものではないからだ。たとえプロマネの地位にあっても、単にチーム・メンバーを命令し統制しただけではなかった。設計に悩んだとき、問題が生じたときに、良い知恵を出してくれたり、心理的に助けてくれた仲間があったのだ。プロジェクトとは、複数の人間が協力しながら共に成長するための枠組みなのである。そしてプロジェクトとは、毎回毎回が、ユニークな存在であり、チャレンジである。
だから、出来上がった社会と個人、という問題ではなく、変わりうる社会と自分たち、という見方が必要なのだ。あたりまえだが、
周囲の人が変わらない限り、自分の境遇や感情が変わるわけがない。ユーザーや顧客を変えない限り、自分たちの仕事が好転するわけがない。では、世界を変えるために一番確実で、早い方法は何か。それは自分が変わることなのだ。だが、おかしなことに、人は自分自身だけで変えることができない(それができるくらいなら、古今東西、宗教なんていらない)。自分が変わるためには、人の手助けが必要なのだ。だからこそ、誰とつながるか、が大切になってくる。
そしてもう一つ。自分が変わるため、自分が成長するためには、現在の延長とは違うところに、未来のビジョンをもたなくてはならない。月に行こうと思ったら、飛行機に乗り続けてもダメなのだ。ロケットを開発し、テスト飛行や月の周回飛行を経て、月面に降り立つまで、順序だったチャレンジがいる。飛躍的なビジョンを持つこと。そのビジョンを夢見るだけでなく、一つ一つの行動で勇気を発揮すること。そうした勇気は、自分一人では持ちづらいが、協力する他者がいれば維持しうる。
複数の人間が協力して行うチャレンジには、定石があり、一定のやり方、いわば『OS』がある。それについてはここでは説明しきれないし、別に本も準備しているところだから、今回は略す。だが、覚えておいてほしい。一個人が出来ることには限りがあるし、それを無理に拡大しようとすれば、大勢の人間をロボット化することになるだろう。自分の希望や感情を奪われたその人々は、表面的にはショッピング・賭博・宗教などに生きがいを求めるかもしれない(いずれも個人単位で熱中する点に注意してほしい)。だが、いつしかリーダーに(漠然とした)復讐心を持って生きるようになる。そんな社会が長続きするわけがない。
ちょっと大げさな話になった。だが、本心である。ロボットとして生きないためには、良きつながりを他者と得る必要がある。それは職場でたまたま隣り合った人かもしれないし、あるいは職場とは全く関係のない場でのことかもしれない。そして協力して、何か新しいことに取り組む。それを通じて、成長できることを実感する。
人間にできてロボットにできないのは、成長することである。それはP・K・ディックの小説にもあるとおりだ。そうでなければ、どこに働く意味があるだろう。
というわけで、新社会人の皆さん、入社おめでとう。どうか働くことが、成長の機会となることを祈る。これが、ずいぶん長い間、会社員をやってきた人間からの、正直な期待なのである。
年末、友人に誘われてコンサートを聴きに行った。曲目はバッハの「クリスマス・オラトリオ」。気鋭の指揮者の元、オケと合唱団が一丸となり、複雑な後期バロックの音楽をきびきびとリズミカルに歌いこなしていく。友人はその合唱団でバスを歌っているのだった。長大な曲なのに長さを感じさせない、良い演奏だった。会場を埋め尽くした聴衆も、音の響きに満足しているようだった。
ところで聴いている内に、ちょっと妙な感想が心に浮かんだ。この演奏会は、たしかに指揮者がリードしている。だが、指揮者が主人なのだろうか、それとも合唱団が主人なのだろうか?
指揮者は、プロの音楽家だ。対する合唱団は70人以上いたが、アマチュアだ。舞台に乗れるかどうかは、オーディションをして、指揮者が決めているという。だが、会場の聴衆のほとんどは、この合唱団員の人たちが知り合いなどに声をかけて集めたはずだ。わたしもその一人だった。その動員力はさすがで、長年、歌を趣味としてきた人たちが多いと思われる。
ちなみに器楽を演奏するアンサンブルも、20数名いたが、ほぼ全員がプロだと思っていい。ただ、常設の交響楽団と違い、年に1・2回、演奏会の時に指揮者に呼ばれて集まるが、普段は皆、別の仕事を持っている。こうしたプロの音楽家達には、当然ながら、演奏のギャラが支払われる。むろん指揮者にも、である。で、そのギャラは、誰が払うのか? 実質上、合唱団が負担するのだ。アマチュア音楽の世界では、演奏会収入だけで、会場費とギャラと宣伝費をまかなうことは難しい。チケット代を安く設定せざるを得ないからだ。だから通例として、合唱団員は演奏会分担金のようなものを支払う。自分の楽しみのために歌って、自分で費用を出す。まあ、すべからく趣味とはそういうものだ。
つまり、純経済学的に見ると、このコンサートでは合唱団が指揮者を雇っているのである。皆、指揮者の魅力に惹かれてこの団体に集まり、指揮棒のリードの元に歌っている。だが、指揮者は合唱団員に雇われているのだ。
ここで話は、急に飛ぶ(いつものことですが)。学生時代に、野口三千三の「原初生命体としての人間
― 野口体操の理論」という本を読んだ。野口三千三は、東京芸大の、体育の教授だった人だ。え? 芸大に体育科なんてあるの? いや、もちろん体育学科はない。だが必修科目としての体育の授業は存在する。彼はその教授だった。そして、「野口体操」と呼ばれる、非常にユニークな身体運用のトレーニングを発明した。
クリエーティブな仕事は頭だけでやるものだ、と勘違いしている人は多い。だが、どっこい、絵を描くのも彫刻を彫るのも音楽を奏でるのも、すべて極めて身体的な作業である。アタマと身体がスムーズにつながっていないと、本当は創造的な仕事はむずかしい。しかし、従来のいわゆる「体操」は、アタマとは切り離された肉体を、ただ鍛えることに集中していた。それは兵隊の教練の思想も影響している。屈強な身体が、命令を聞いたらただ反射神経的に動く。自分で何か感じたり考えたりするのは余計なこと。それが教練である。野口は戦後すぐからこの限界に気づき、独自の工夫と理論化で、クリエーティブな心とからだの統合方法について探求した。
主著「原初生命体としての人間」は、その結実である。野口体操は、従来の体操とまったく発想を逆にしている。アタマが考え、動きを決め、指令を発し、それが神経系統を通じて筋肉に伝わって、身体が動く--これが従来の体育観だった。あくまでアタマが主人・リーダーであり、カラダはその子分、あるいは奴隷である、と。この発想は、西欧の心身二元論にも通じている。プラトンやデカルトなどの、精神と肉体を峻別し、前者が後者に宿り、支配するという考えに、とても相似形だ。
だが、古くからの日本人の知恵は、そんな二元論ではなかった、と野口は考える。そして、からだを主体の中心に据え、からだの構造と、「重さ」(地球の重力)との対話のなかから、自発的に動きが生まれるような体操のシステムを組み立てた。
脳が身体の主(あるじ)である、という発想は間違いだ、という意味のことを野口は書いている。生物の進化の歴史を見よ。原初の生命体には、脳などなかった。それは多細胞生物、とくに他を捕食して生きる動物が、身体の体制を複雑化する中で、あとから必要に応じて発明された器官にすぎない。今でも植物には脳などない。それでもちゃんと生きて、豊かに繁殖している。脳はからだが生み出した道具で、からだこそ脳の主人である。--この考えを読んだとき、わたしは天地がひっくり返るほどの驚きをうけた。でもじっさい、頭が痛かったり、肩がひどく凝ったり、いや単に歯が1本痛むだけで、わたしたちのクリエーティビティは大幅に下がるではないか。
わたし自身は頭でっかちな知識労働者で、スポーツ・運動のたぐいは大の苦手で、今もこうやってPCにむかってキーボードをたたいている。ほとんど脳と口先だけで生計を立てているといってもいい。だが、野口三千三の本を読んで以来、頭が体を支配する、というようなイデオロギーに、本能的に反発するようになった。カラダは自分のモノだから、傷つけようが売ろうが何をするのも自由だ、部品が少し傷んだら新しいものに移植し取り替えればいい・・そうした思想の背後に、何か西洋近代の本質的な歪みと転倒を感じるのである。
そこから話は、もう一度飛ぶ(どうもすいません)。近代の心身二元論の元祖であるデカルトの「方法序説」で、彼は身体の血液の流れについて、たしか現代の目から見てずいぶん突飛で無理の多い説明をしていた(この文章は国際線の機上で書いているので、記憶でいうのだが)。当時、西洋ではまだ、血液が循環するという考えは一般的でなかった。血液は心臓で生み出されて体の各所に送り出され、そこで消費されると思われていたのだ。医師ハーベイが動脈から送り出された血は静脈を通って戻ってくる、との血液循環説を証明したのは、たしか方法序説の刊行より少しあとのことだった。
東洋では古代から「気血の廻り」という概念があり、“あいつは血のめぐりの悪いやつだ”といった表現を昔から普通に使ってきたわれわれから見ると、ずいぶんと奇妙に遅い発見である。身体の各部は複雑に、かつ有機的に統合されている『システム』である、というのが東洋的感覚だ。器官と器官は、気脈や経絡を通じて、互いに影響し合う。たとえば肝臓が疲れると、目が悪くなる、といった具合だ。それに比べると、デカルトに代表される近代西洋人の身体観は、なんとも機械的である。手足や器官という部品が並んでいる。それはお互いに、単機能をもつ、ばらばらな存在である。それらを統合するのは、脳であり、それが神経伝達を通じて全体を動かしている、と。システムはシステムだが、とても機械仕掛けのイメージである。
現代の主流のマネジメント論や、経営学を見ていると、同様な機械的組織論が、いまだ西洋には根強いことを感じる。本社がある(最近では司令塔としての持ち株会社である)。そして工場だの支社だの営業所だのといった、単機能の現場がある。本社は指示命令系統をもって、すべての現場を統括する。そこでは決まったルールとプロシージャに従って作業が進められ、ただ結果や異常事態だけが本社に報告される。それを本社が判断し、次の指示を出す。部署と部署が有機的に連携したり、といった発想はこれっぽっちもない。
そして、部署やサブシステムの機能が低下したら、それは捨てるか売却される。新しい組織を外から買収してきて接合する。それで企業全体は進化し成長していく。指示する者と、指示される者との上下関係は絶対である。そして少数のリーダーだけが、絶対君主として君臨している。
これって、西洋人たちの考える脳と身体との関係によく似ていないか。わたしはこのような思想に、直感的に反発を覚える。脳は、からだが発明した道具だ。本社というのも、大きくなった企業が、必要に応じて発明したもので、その本来の仕事は、現場を支援し、現場の仕事をやりやすくするために、あるのではないか。トヨタと米国のGMが合弁でNummiの工場を立ち上げたとき、最大の論争は、ホワイトカラーが現場に指示命令を下すのか、それともホワイトカラーが現場を支援するのか、という違いだったではないか。
その視点からもう一度、指揮者と楽団の関係を見直してみよう。そうすると、あらためてその不思議さが際立つのである。実際の音を発しているのは器楽奏者と合唱団員である。指揮者は一音たりとも発しない。それなのに、演奏が終わると、まず拍手に礼をするのは指揮者であり、批評が功績をたたえるのは何より指揮者であり、主催者に一番高く遇されるのも指揮者である。
インドネシアのガムラン楽団から西アフリカの音楽まで、大勢で演ずる音楽は世界にたくさんある。だが、「指揮者」などという奇妙なシステムを発明したのは西欧音楽だけだった。それも、中世・ルネッサンスの時代までは、指揮者なんていなかった。指揮者が現れ、専門家として職能が確立していくのは、楽曲が大規模化していく後期バロック・古典派以後の時代だ。そしてもちろん、音楽作りにおいて中心的役割を果たすのは指揮者になる。指揮者が最初に礼をするのは、その貢献度と責任の重さからいって当然のことと、皆が認めている。
その理由は、繰り返すが、楽譜の形で計画化され、大規模化したからである。今でも弦楽四重奏や、ジャズ・コンボや、ロックバンドには指揮者なんていないし、いらない。お互いのインタープレイで、楽曲は進められていく。互いが、互いに影響し合う。
もちろん指揮者は、必要である。本社だって、リーダーだって、プロジェクト・マネージャーだって、わたし達には必要である。だがその必要性は、からだが脳をつくり出したように、組織の便利のために創り出されたものなのだ。組織がリーダーに奉仕するために創り出されたのではない。そのことを、もっと多くのリーダーの立場にある人たちが、心にとめれば良いのにと、わたしは思う。・・ただし、もちろんわたしは、このような考え方に賛同したくない人たちが多くいることも、一応は承知している。その理由については長くなるので、稿をあらためて、いずれまた論じよう。
Merry Christmas !!
ちょっと前、電車の中で広告を見た。まだ年若い、南アジア風の女の子の写真に、
「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない。」
というキャプションがついている。途上国で、女性に生まれたが故に差別的な境遇におかれている、そういう子供たちを支援する活動の広告のようだった。
人種・性別・肌の色など、自分で選んだわけでもないことで、社会的に不利益な状態におかれるのは、不公正だと、わたしは考える。広告主も、それを訴えたかったのだろう。だが、この広告を見たとき、わたしの心の中に浮かんだのは、まったく別のことだった。
「ああ、マリアさんだ。」
そう、思ったのである。
マリアさんは、当時のパレスチナ風の発音では、ミリヤムとかいう感じになるのだろう。後に『キリスト』という称号で知られるようになるイエスの、お母さんである。当時のユダヤ人社会の慣習では、13,
4歳で結婚するのが普通だった。彼女もそうだったはずだろう。
ところで、この年若いマリアさんに子どもができた。まだ、正式な結婚前である。婚約者だった大工のヨゼフは、そのことに気がついた。気づいて、非常に苦しんだに違いない。当時の法律では、既婚の女性の姦淫は、石打ちの刑、すなわち死罪である。結婚式の前でも、結納金をおさめて婚約したら、もう既婚に準じた扱いをされる。ふつうなら、刑に処されても仕方がない。だがヨゼフは心優しい人だったので、婚約者がそのような目に遭うことを望まず、ひそかにマリアと別れることにした。密かに公証人を買収して、彼らの婚約を無効なものにしてもらおうとしたのかもしれない。
ところが、そう決心した日の夜、『マタイ伝』によると、ヨゼフの夢枕に天の使いが立つ。そして、彼にこう告げるのである:“心配するな、ヨゼフ。マリアを嫁に迎えろ。あれは聖霊によって身ごもった子だ・・”。目覚めたヨゼフは、その忠告通り、マリアさんを嫁に迎える。
一方、別の伝記『ルカ伝』によると、話はもっと華麗で劇的である。天使は、ヨゼフではなくマリアさんのところに現れる。それも、昼日中やってくるのだ。もっとも、今のわたし達は、天使と聞くと背中に羽の生えた人をすぐ想像するが、これは後世の絵の影響で、当時は普通の人間と同じ格好をしていると考えられてきた。
さて、その神の使いは、扉を開けるなり、“おめでとう、マリア。神はあなたとともにおられる。あなたは祝別された女性で、御胎内の子も祝別されている”、と挨拶する。マリアさんはこの言葉を聞いて、“なんじゃこりゃ。何事なんだこの挨拶は?”、と思った--かどうかは知らないけれど、何かただならぬことは感じたらしい。それでも、彼女はつつしみ深く賢い女性だったので、「わたしは神様のしもべです。お言葉のとおりになりますように。」と答えるのである。
このときマリアさんが、そうだ、この子を産もう、と心に決めなかったら、その後2000年の西半球の歴史は、がらりと変わっていたにちがいない。それくらい大きな決断を、この人は下すのである。
天の使い(その名もガブリエル=『神の人』)は、生まれる男の子に「ヨシュア」という名前をつけるようにいって、去って行った。ヨシュアは『神の救い』という意味で、彼女の住んでいたガリラヤ地方の方言ではイェシューという風な発音になる。のちにギリシャ語→ラテン語を経て、今日の日本語ではイエスと発音されている。英語では似ても似つかぬ、ジーザスみたいな発音になる。
さて、マリアさんはその少し後、親戚のエリザベトという女性におめでたを祝福されて、「わたくしのたましいは主をあがめ」ではじまる、有名な長い賛歌を歌った、とされる。とても立派で美しい詩である。農村の十代の娘が、そんな詩を即興で歌うわけがないじゃないか、第一、伝記作家ルカはその場で見ていたわけでもないし、などと言ってはいけない。それは、古代の宗教的伝承を、まるでジャーナリストか研究者の報告のように読みたがる、今日のわたし達の誤りだろう。昔の人は、そうであったろうと信じた。それだけのことだ。
その賛歌の中で、マリアさんは、「後の世の人は、わたくしを幸せな女と呼ぶでしょう」といっている。きっと、うれしかったのだろう。ほかに、「権力あるものをその座から引きずり下ろし」などと、不穏なことも言っている。今日だとテロリスト扱いされるかもしれない(笑)。
その後は、よく知られている話だ。ローマ皇帝アウグストゥスの命令で人口調査と戸籍登録が行われ、マリアさんは夫の一族の本籍地ベツレヘムに旅しているさなかに、子どもを産む。旅館が満員で泊まれず、生まれた子どもは飼い葉桶の中に寝かされる・・。やがてその子は成長すると、布教をはじめ、宗教活動で大勢の人をひきつけるが、最後には首都エルサレムの権力と、正面から激突する。
現代トルコの地中海沿いに、イズミールという古くから栄えた都市がある。そこからバスで1時間ほどいったところに、エフェスと呼ばれる小さな町がある。’90年代のはじめ、まだ第一次湾岸戦争が終わって間もない頃、わたしはつれあいと一緒に、その地を訪れたことがある。いくつかの古い遺跡のほかに、「マリアの家」といわれる古い石造りの建物があった。最古の部分は1~2世紀にさかのぼるという。そこは、マリアさんが生涯の最後の日々をすごした場所だと伝えられている。
マリアさんの後半生は不明な点が多い。東方教会の伝承では、エルサレムで亡くなったと言われている。西方教会は、その点はあいまいである。ただ、亡くなる直前のイエスによって、近くにいた一番年若い弟子と養子縁組することになり、その弟子とともにエルサレムから難を逃れたとも考えられる。カトリックの正統教義では、たしか聖母マリアはその身体ごと昇天したとされているはずだから、もちろん墓は存在しない。ただ、地中海のいろいろなところに、マリアさんが逃れてきたという伝説があるだけだ。
エフェスの「マリアの家」では、トルコのイスラム教徒たちも大勢訪れていた。なんでも聖典「クルアーン」(コーラン)に女性で唯一名前の出てくるのが、マリアさんなのだという。だからムスリムからも尊敬されているらしい。
後の世はきっとわたしを幸せな女と呼ぶでしょう、と歌ったマリアさんが、その晩年に自分の生涯を思い起こして、幸せだったと思ったかどうかは、わからない。身重で長旅に出て、旅先の陋屋で出産。その後も、王の迫害を避けるために、小さな赤ん坊を連れて、はるかエジプトまで亡命したといわれる。故郷に戻った後も、夫ヨゼフには早く死に別れ、女手一つで子どもを育てなければならなかった。苦労して育てた息子はしかし、大工職を継がずに宗教活動にこって出奔。仲間を連れて国中を放浪する。そして、最後はローマ帝国への反逆者として、十字架という残酷な刑罰に処せられ、彼女の目の前で息を引き取るのだ。その後も、彼女は迫害を逃れ、さらに祖国の独立戦争と敗北の混乱の中を、年若い弟子とともに逃げ回る・・。ふつうにいう幸せな人生とは、ずいぶんへだたりがある。
<エジプトへの逃避行。ティントレット画(部分)>
では、マリアさんは、自分の人生は無価値だったと思ったろうか? --そんなことはあるまい。わたしはそう、信じている。彼女の人生は、とても大きな価値があった。そのことだけは、確信があったにちがいない。
だとすれば、幸せであることと、価値があることとは、すこし違うのだ。たいていの人間は、よりよく生きることを望む。より良く、とは、幸せであったり、価値があったりすることだ。
わたし達は、自分が大切に思う人には、それが親兄弟であれ子どもであれ恋人であれ、“幸せであってほしい”と願う。それは自然なことなのだろう。「幸福を追求する権利」は天賦の人権の一部である、という思想もある。
でも不幸せだからと言って、無価値ではない。幸せか不幸せかは、感じ方の問題でもあろう。生涯の最後の時に、自分の人生には価値があった、と感じられることが、本当の意味では一番幸せなのかもしれない。それは、逆の場合を考えてみれば分かる。生きている間、どんなにお金や、才能や、境遇に恵まれたとしても、死ぬ前に「わたしの人生は無価値だった」と感じたとしたら。残された人たちは、“かわいそうな人だった。せめて故人の魂に平安あれ”と、思うのではないか。
価値とは、考え方である。価値の大きな部分は、人と人とのつながりからできている。そしてもう一つ。価値を生み出すためには、勇気のある決意が必要なのだ。だからそれは、信念の問題でもある。
世界が多少は静かになるこの季節に、わたし達ももう一度、自分にとっての価値とは何かについて、落ち着いて思い巡らせてみるのもいいかもしれない。そのためには、平和な時間が必要だ。そして、自分にとってかけがえのないことについて、少しばかりの勇気をもつべきなのだろう。それは今から二千年前、西アジアの片隅で、ある幸せな決意をした若い女性が、生涯をかけて信じていたことではなかったろうか。
Critical Success
Factors – 成功を説明する10の方法 (2014-11-04)
ご承知の通り、本サイトのテーマは、『計画とマネジメントの技術ノート』である。部下や後輩をリードし、仕事をマネージしなければならない立場の人に対し、“マネジメントのテクノロジー”について情報提供することを使命と心得て、書いているつもりだ。本サイトは「ビジネス・経営」といったカテゴリー分けをされることも多いが、わたし自身は、個別企業のビジネス批評や経営者批評をしたことはないし、興味もない。
しかし世の中には、経営批評や経営者の批評がお好きな人もけっこう多い。あの会社がこう成功した、この会社がああ失敗した、という具合に、飲み会の席でもよく話題にあがる。まるで、ひいきのスポーツ・チームの戦績を話題にするが如きだ。実際、似た気持ちなのかもしれない。皆さん、その会社のクルマや家電製品を使っているとか、ないしは(もしかしたら)株もお持ちかもしれぬ。
ついでにいうと、世の中には、プロジェクトのマネジメントを、会社の経営と同様のものと考えている人も多いようだ。プロジェクト・マネジメント関係のイベントでは、よく企業の社長や役員が招待講演をしている。自分はいかに事業にチャレンジし、いかに成功したか。面白いのだが、中身の話を聞いても、WBSもなければクリティカル・パスもない。ただただ経営の話である。わたしのように、プロジェクト・マネジメントと経営は相当に別次元のものだ、と考えるのは少数派らしい。
まあ実際、技術でチームをリードすることに行き詰まりを感じたプロマネが、ドラッカーの本を読んで啓示を得た、なんて話も聞く。むろんドラッカーの経営論も読めば有益であろう。しかし、プロジェクトとは、終わるために努力する仕事である。反対に、経営というのは、会社が終わらないために努力する仕事ではないか。プロジェクトのためにドラッカーを読むのは、なんだかマラソンにでかける前に、宮本武蔵の五輪の書を読むようなもので、少しtoo
muchかつ方向違いの気がする。
まあ、ことは企業業績であれ、プロジェクトの成果であれ、いや、たとえスポーツチームの成績であれ、世の人々が批評の際に最も好む説明方法は、「リーダーの良しあし」であろう。リーダーが良いから、成功した。成功しなかったのは、リーダーに問題があったからだ。こういう説明は、単純かつ明快、誰にでもわかりやすい。
成功を左右するキーとなる要因を、経営学ではCritical Success
Factor (CSF)と呼ぶ。簡単のため、本稿では以後CSFという略語を使おう。上記のような説明は、リーダーの質がCFSである、と考えている訳だ。もちろん、それ以外の要因をCSFだと考える論者もいる。世の中には数多くの経営論があるのだ。わたしは、それらを数え上げていくと、大別して4つのカテゴリー、もう少し細かく分けるとだいたい10種類くらいになると考えている。なぜ、そんなに種類があるのか。そして、どれが議論として説得力があるのか? 少し考えてみたい。
まずは、上記の「CSF=リーダー個人」論である。プリミティブだが、とてもわかりやすい。小中学生でも理解できる論議だ。このリーダーの良しあしは、器量の大きさとか、資質の高さ、性格の良さといった、人格の特性で表現される。
いうまでもないことだが、人格の大部分は生まれつき決まったものである。それに加えて、育った家庭環境や経済状態にも大きく依存する。ということは、組織が成功するためには、良きリーダーを据えるべきであり、そのリーダーは、氏や育ちを重視して選ぶべきだ、ということになる。となると、この論理に従えば、組織トップは家柄・階級制で決定すべし、という結論になりがちだ。
だが、江戸時代の階級社会ならいざ知らず、近代社会ではこれはいささか不都合な結論であろう。そこで、むしろ「リーダーの知識・能力・経験」こそが肝要だ、という考え方が現れる。これが第2種のCSF論である。家柄より能力。まさに明治維新を推進したのはこの考え方ではないか。
では、知識や能力を持つリーダー候補は、どうやったら見いだせるか? そのためには試験で客観的に測るのが一番いい、と明治政府は考えた。そのために帝国大学を設立し教育制度を整備した。しかも知識経験は、当然ながら経験年数とともに増えていく。だから、組織トップは学歴と年功序列制で決めるべきだ、という結論になる。官庁は今でも、この考え方で運用されているように見受けられる。
だが、これにも批判はある。たかが二十歳あたりの試験の成績で、人の出世コースがすべて決まってしまうのはおかしいではないか。むしろ、意思・熱意・根性、すなわち「リーダーのパッション」こそを重視すべきだ。こう信じる人も多い。これこそ第3種のCSF論である。精神一到、何事か成らざらん。鉄は熱いうちに打て!
ぬかに釘!ーーいや、少し違うか。ともあれ、リーダーの意志力を重視する考え方は、明治の市民社会勃興期の事業家たちに共通するし、それは今日の社内ベンチャー制などにも影響を与えている。
第1種~第3種までのCSF論をまとめて、わたしは『人間主義:リーダー個人』論と呼ぶことにしている。区別のため、この3つを「Aカテゴリー」としておく。
これに対して、Bカテゴリーとして、『集団主義: チーム』論とも呼ぶべき一連の系譜がある。組織のパフォーマンスを論じるのに、リーダー個人だけを見るのは不十分だとの考え方である。仕事の規模が大きくなり、組織としての力が必要になる近代産業社会で、次第に力を増してきた。
Bの第1種のCSF論では、組織の成員である個人個人の力量が大切だと考える。四番打者ばかりが素晴らしくても、あとの打線がだらしなかったら、どうやって得点を重ねるのか。組織の戦果は、成員の力量の合計で決まる。これはこれで、わかりやすい理論である。この論者が願うのは、スタープレイヤーばかりが集まった、「ドリームチーム」である。年に一度、あるいはオリンピックのときに、この夢の布陣はかなう。
でもさあ、ドリームチーム必ずしも最強ならず、じゃない?ーーそんな批判もありうる。いくら良いメンバーが揃っていても、統制がとれていなければ、烏合の衆である。きちんと位階と責任と命令系統が機能しなければ、組織は機動力を発揮できない。統制こそ成功の最大要因である、と考えるのが、Bの第2種のCSF論である。もちろん、こうした組織論の理想型は軍隊であるし、だから近代の富国強兵の時代に大きな影響力を発揮した。
さて。組織力というものを、単純な個人の集合(合計)と考えるのがB1種で、そこにタテ社会的な統制の軸が必要だと信じるのがB2種だとしたら、いや、組織にはもっと体系的ないし有機的な連携の仕組みがいるはずだ、と考えるのが、Cカテゴリーの「システムこそ成功要因」論である。システムとといっても、別にコンピュータ利用のことを言っているのではない。システムとは、複数の機能要素が連携して有機的な作用を生みだす仕組みであり、それは、体系化された役割分担(機能分業)と、標準化された手順と、情報伝達手段によって生みだされる。「トヨタ生産システム」などはその典型例だと思えばいい。
このようなシステムを構築してきちんと運用できれば、属人性が減るから、誰もが一定レベルでパフォーマンスをあげられるようになる。統制の取れた軍隊組織もけっこうだが、将校や下士官が無能だったら役に立たぬ。その点、システムは安定した成果をあげられるから、とても有効である。こうした思想をCの第1種とするならば、これは欧米的近代企業に共通する基盤であろう。
しかし、システムの安定性と継続的改善だけで、現代の荒波を乗り切れるのか。むしろそこで大きく成功するには、イノベーションというパワーが大事なのではないか。そのためには、組織内での知的能力、すなわち「ナレッジ・情報化」が重要だ。これが、Cの第2種のCSF論だと考えられる。この種の論者も、今日には多い。彼らの理想とする組織は、たとえばGoogle風のイノベイター企業であり、あるいはジョブズ時代のAppleなどである。知的能力の最大化による新市場の開発。これこそがイノベーション時代の成功要因である、と。
カテゴリーBとCの議論は、リーダー個人ではなく、組織・集団レベルでの力こそ、成功を左右する鍵だと考える点では共通である。
これに対して、ビジネス環境を、もっと重要な因子ととらえる考え方がある。これを最後のカテゴリーDと呼ぶことにする。Dの第1種は、「適切な市場環境のポジショニング」こそが成功要因だと考える。たとえば、有名なポーターの『競争戦略論』などはその典型であろう。いかに組織が優秀で、すぐれたシステムや製品を持っていたとしても、大勢が競合する市場で戦ったら、安値競争で揉みくちゃにされるしかない。そんな場所は避けて、もっと競争のないブルーオーシャンを目指しなさい。そのために一番必要なのは、マーケティング戦略である・・これが、とくに最近のビジネススクールでメジャーな考え方らしい。
ところで、世の中にはもっとクールで現実主義的ないき方もある。それは、どうせ良いポジショニングを目指すなら、政策や利権と結びついた方が得策だ、とする考えだ。こうした発想からは、当然の如く『政治力』が重要視される。英米とは異なり、最近の新興国では国家資本主義ともいうべき動きが目立つ。その背景にあるのが、Dの第2種ともいうべき「利権・政策こそCSF」論である。
さて、このD2をさらに徹底し、さらに大きな視野でみる立場が、最後のD3:「時代・強運こそ成功の最大の基盤」という論であろう。特定の政策や政党と結びつき、政商的な立ち回りをしても、それが何世代も続いて有効だった例は乏しい。むしろ、そのときどきの時代の流れに乗り、運をうまくつかんで成長し続けることこそ、究極の成功である。そう、思わないだろうか?
これまでのところをまとめてみよう。以下の10種類の成功要因論がある。それは、プリミティブなものからはじまり、より時代の試練と大きな視野を通じて、この順に、高度なものとなってきた。
さて、そうすると最も高度なCSF論は「強運」という、身も蓋もない見解になる訳だ。が、ちょっと考えてみてほしい。世の中で、一番強運な事は何か。自分でどう努力しても手に入らぬ、運命としか言えぬものは何か? それは、自分の生まれつきではないか。どんな家柄のどんな性格に生まれつくか、だれもコントロールできぬ。そうすると、じつは(D1)の究極は、(A1)に通じる、ということになってしまう・・
どうやらわたし達は、壮大なループ、あるいは昔話で言う「ねずみのお嫁入り」状態に陥ったようである。ねずみよりは猫が強く、猫より犬が強く・・と追いかけていくと、最後には結局ねずみにたどりつく、という、あの昔話である。
では、どう考えたらいいのか。わたしは、上記の10種類のCSF論は、三角形のパースペクティブの中に付置できると思っている。それが下図である。三角形の左辺が、『人間主義:リーダー論』、右辺が、『組織・システム論』、そして下辺が、『ビジネス環境論』だ。
三角形の三つの頂点は、それぞれ、上が「ガンバリズム」の軸、右下が「戦略イズム」の軸。左下が「オポチュニズム」の軸に対応すると解釈すると、分かりやすい。これらが、現在世の中に流通している、さまざまな成功要因論の対立軸を示す。もし「ガンバリズム」が優勢なら、どんな環境も克服できるはずだ。もし「戦略」が万能なら、リーダーの人間性は不要である。そして上手に運に乗る「オポチュニズム」が最強ならば、組織に仕組みなんかいらない。だから、これら10個のCSFは、全部同時には並び立たないのである。
ここから導かれる結論は、二つだろう。まず第1に、われわれが何か事業や会社の成功理由を分析するときには、自分の視点が、個人・システム・環境の三角形の中のどこら辺に位置しているのかを、ちゃんと自覚しなければならない、ということだ。そのときどきに、ぐるぐると場所を変えて、しかもそれを自覚しないのは一番いけない。ちなみに、わたしはこのサイトで「システム論」を繰り返し主張しているが、それは、わたし達の社会ではシステム論的な視点が非常に手薄だから、バランスをとるべく、そうしているのである。システムだけが万能だ、などと主張するつもりは全くない。
もう一つの結論は、「ものごとの成功理由を説明するのは簡単だ」ということである。なにせ説明の方法は、こんなに沢山あるのだ。だから、何かを見て、その成功を説明してみただけでは、たぶん不十分なのだ。むしろ大事なのは、結果を説明することよりも、将来を予測することなのだ。予測した上で、検証する。これが本当に役立つ態度であろう。だから居酒屋でビジネス批評の意見を聞かれたら、「でも、来期はどうなると思います?」と聞き返すのが、わたしの趣味なのである。
「佐藤さん、すみません、ちょっとご相談があるんですが・・」
若手社員が机の前にやってきて、顔を上げたわたしに、いいにくそうな声でぼそっときり出した。わたしが、ITリッチなプロジェクトをやっていた時代のことだ。
--なあに? 何か、いい話かな?
「いえ、あの・・。例の中間在庫ロットなんですが、どうしようかと悩んでいまして。」
--そこは新しいコード体系を使おうって、先週の打合せで決めたじゃないか。
「そうなんですが、注文書のシステムで、ちょっと困ったことが見つかりまして。あのままでは、番号がかち合ってしまう可能性があると分かったんです。」
彼は仕様書の該当箇所をわたしに見せて、問題を詳しく説明する。なるほど、先週の打合せでは、この点を見落としていたらしい。
--つまり、このまま進めば、ユーザに運用を変えてもらって、少しだけ手間が増えるのを我慢してもらうか、さもなければシステムの設計変更をするか、二つに一つです、という訳かな。大勢のユーザに文句を言われるか、開発会社から追加費用を請求されるか、どっちかしかありません、と。
「・・まあ、そういうことです。どうしたらいいでしょうか?」
そこでわたしは、いつものセリフをぶつけた。
--あなたは、どう考えるの?
その場で部下が、自分の考えを言ってくれれば、もちろん、それでよし。内容について議論できる。部下の考えがまとまっていない場合は、「少し考えてから持ってきてごらん」と、いったん突き放すことにする。
しばらくすると、「佐藤さん、こう思うんですが。」といってくるので、そこからは議論に付き合い、一緒に考えることにする。たとえ、途中こちらがヒントをだし、リードをしても、「一緒に考える」雰囲気が大切だ。そうすれば相手は、打合せ結果を「自分が考えたこと」として、モチベーションをもって働いてくれる。
わたしはこのようなやり方を、自分自身が駆け出しの頃の、上司から学んだ。わたしが同様に、問題を抱えて、こまって上司のところに行くと、彼は決まってためいきを一つついてから、こう言う。
「それで、オタクはどうしたいんだよ?」 (その人は有名私学の出身で、そのころはまだ珍しい『オタク』という二人称を使う人だった)
わたしが、何も自分でアイデアをもっていないと、「考えてからもってこいよ。」といわれて、対話は終わってしまう。なにか解決策や提案を持っていけば、(もちろんたいていは技術的にケチョンケチョンに叩かれるのだが)とにかく前には進める。
だから、問題が生じても、まずは自分で答えを考えてから、相談に行く姿勢がいつの間にか身についた。それは、そのあと、自分が直接、顧客と接して動かなければいけないキーパーソン・レベルになってからも、とても役に立った。だからわたしも、人を使う立場になると、自然とその真似をするようになってきたのだ。
ただし、ときおり、まったくこちらの指示に依存する姿勢の若手も現れる。「少し考えてから持ってきてごらん」と突き放しても、こういうケースではたいてい、すぐにギブアップしてくる。自分で考えて突破しようという思考体力というか、基本的なスタンスが足りないのだ。おまけに、わたしは冷たい上司だと思われてしまう。そうなると、今度は問題が発生しても、わたしに報告せずに自分一人で抱え込むようになる。そして火が噴くまで、こちらが気づかない危険性が増す。
そういうときは、しかたないので、論点を整理しつつ、もう少し踏み込んで、最初から一緒に考えてやることにしている。その若手社員も、そのタイプだった。一緒に問題構造を図解したホワイトボードの前で、彼は言い出す。
「佐藤さん、従来の品番コードの頭に、取引先の略号を3桁つける、という手はどうでしょうか?」
--そりゃダメだ。そんな抜け道を造ったら、工場内のロットを物流システムで統一的に管理するという、全体の設計思想が歪んでしまう。それに、3桁なんて、どうせすぐパンクするよ。
「それじゃ、どうしたらいいでしょうか?」
設計思想を大事にしろ、というのも、上で述べた昔の上司から学んだことだった。ただし彼は、設計思想という言葉の代わりに、『設計のスタンス』という呼び方をしていた。その方が、顧客に対してスムーズで、通りやすいからだろう。設計のスタンスを曲げると、あとで追加修正が難しくなり、いきおい全体が温泉旅館の建て増し的な、ゴチャゴチャしたものになっていってしまう。そうなれば結局、運用しづらく保守もコストがかかる。そういう理由をつけて、その上司は顧客の要求を押し戻したりしていた。
どうしたらいいかたずねてきた若手社員に、わたしは、再びくりかえした。
--あなたは、どう考えるの?
さっきと同じ文句だが、問うていることは、じつは違う。今度は、どれを選ぶかたずねているのだ。目の前のホワイトボードには、結局とるべき方策は三つしかないことが、明らかになっている。
・今までの設計方針を押し通し、運用側で一手間かけてもらう
・システムを一部、変更する
・彼の言う、一種の変則的な抜け道をつかう
三番目は、コスト追加もユーザの不興を買うこともないが、設計思想が歪むので、わたしが賛成しなかった。選ぶなら、一番か二番目しかない。
『考える』という行為には、一般に二つのフェーズがある。問題の答えを探すことは、その主要な部分である。しかし、答えを見つけたあとにもう一つ、問題が生じる。それは複数の答えの中から、良いものを決めることである。
われわれ技術者が直面する問題は、数学のようにたった一つの正解がでてくる場合は少ない。ふつうは複数の解決案があり、しばしば、どれも帯に短したすきに長しと見える状態になる。その中から、どれかを決めなくてはいけない。よく、迷っている人が、「考え中です」と言ったりするように、考えるという行為の第2フェーズは、じつは決めることなのだ。だから、二番目の「あなたは、どう考えるの?」は、
--あなたは、どれを選ぶべきだと思うのか?
と言いかえてもいい。
そして、この問いに答えるためには、『価値観』が重要になるのである。どのような価値観を持って、それを選ぶのか。たとえば、コストと顧客満足が両立しない場合、どちらをより重視するのか。どのような状況のときには、コストを犠牲にしても顧客満足を確保すべきなのか。逆に、どのようなときは、顧客の不興を買っても、コストを選ぶべきなのか。そして、そもそも、“顧客の満足”とは、ほんとうは何をさしているのか。
そして、わたし達は、価値観をしっかり立てて、それに従って何かを決める態度が、しばしばとても弱い。とくに受注ビジネスではその傾向が強いように感じられる。多くは、“ご無理ごもっとも”で顧客要望をなんでも聞き入れてしまって、結局自分のコストと時間で帳尻を合わせている。そのような要望を受け入れることが、相対する顧客のミクロな局所最適にはつながっても、顧客組織のマクロな便益には反してしまう場合、ほんとうに顧客満足優先の価値観に立脚するならば、あえて反論し説得しなければならないはずだ。だが、そう振る舞える技術者は少ない。へたをすると、顧客の些末な要望を聞き入れて、曲芸のような設計を実現することに、自分の職人的プライドをかけたりするような逆立ちが、まかり通る。
まあ、もっと敷衍すれば、わたし達自身、それこそ学校を選ぶときも、就職先を選ぶときも、自分の価値観というより、世間的な評価や周囲のすすめなどにしたがって、何となく選んでしまう。まわりと合わせることが最大の美徳であるこの社会に育って、何か独自の価値観を樹立せよ、という方が無理があるのかもしれない。だが、われわれがビジネス社会で成長するためには、その無理をなんとか通す必要があるのだ。
ところで、ここまで読んだ読者の中には、そんなことを部下にたずねるのはおかしい、決めるのは上司の責任だ、と思う方もいらっしゃるかもしれない。たしかにその通りだ。部下が○○がいいと思います、と言ってきても、わたしは××を選ぶかもしれない。かりに○○を選んだとしても、その結果おきる事は、もちろんわたしの責任であり、まちがっても「部下がそうしろと言ったので」などという言い訳は通用しない。
だとすると、なぜ、若手社員に「あなたは、どう考えるの?」などと聞くのか。理由ははっきりしている。彼に、上司の視点でものを考える訓練をしてもらいたいからだ。上司の視点で考えるとは、必然的に、自分の狭い責任範囲をこえて、全体感を(あるいはせめて多少は広い範囲を)考えた上で、『価値評価』する作業を求めている訳だ。そのような思考訓練は、他者の立場・価値観を推測するスキルにつながり、やがては顧客に対する説得力・交渉力につながっていく。少なくとも、かつての上司がわたしに求めたのは、そうした能力だったにちがいない。
ホワイトボードの前で、まだ迷っている若手社員に対して、ともあれ助け船を出すことにした。
--とりうる選択肢に対してさ、それぞれProsとConsをあげて表にしてみな。
ProsとConsとは、「賛成すべき点」「反対すべき点」の意味で、つまり長所と短所である。彼をうながして、ホワイトボードに簡単な表を作らせた。そして、それぞれの項目に、◎○△×を記入してもらった。
「ええと、こうなりました。」
--どれがいい?
「記号を足し算してみますと、えー、1が一番良さそうですか・・?」
このようなPros/Consの表は、非常に単純に見えるだろうが、フェーズ2の「考える」=「決断する」行為では、案外有効である。頭の外側に見える化することで、見ている全員が、なんとなく納得感をもつからだ。
--うん。少し頭が整理できただろ? ただし本当は、こういう表を作った場合はね、どこかに×がある選択肢は、もうその時点で原則的には不採用なんだ。ノックアウト条項というんだけどね。
「・・じゃあ、2も3も失格ですか。」
--そう言いたいところだけれどね。でも、いまは感覚的に○×をつけているわけで、あまり厳密じゃない。ところで、2の選択肢についてだけれど、納期も遅れる可能性があるのかな?
「はい。追加変更のボリュームによると思いますが。」
--そうだな。じゃ、いつまでに決めなくてはいけないのな? 開発会社に聞いてみてくれないか?
「それは聞きました。半月以内に決めてくれ、というんです。でも、この議題は、来週のお客さんとの会議で、もうアジェンダにあがっていまして・・」
--だったら、わたしがお客に電話して、来週のアジェンダを組み替えてもらおう。再来週まで時間を作るから、もう少しだけ考え直して見なよ。今、決めるのはやめることにする。コード重複がどれくらいの頻度で起きそうか、まず調べること。」
「はい。わかりました。」
彼は席に帰っていった。わたしの中のカンでは、(根拠も何もないのだが)この問題は何か、技術的な逃げ道があるような気がしたのだ。でも、それを考えるのには時間がいる。
わたしの職場には、
「決めないリスクより、決めるリスクをとる」
という格言がある。決断を先延ばしにしても、普通あまりいいことはないのだ。だが、担当者の彼に、考える時間を作ってやることが、現時点では優先度が高いと、わたしは考えた。それは、カンであり、賭けである。だが、考えるために一番大事なリソースは、「考える時間」なのだ。わたしが自著『時間管理術
(日経文庫)』でも強調したように、タイム・マネジメントの最大の目標は、集中して考える時間を確保することなのだ。
わたしの賭けの結果が、どうなったかは、あえて書くまい。わたしが、かつての上司ほど、カッコいいマネージャーではないことは正直に認めよう。だが、わたしの中には、かつて教わったいくつもの原則が生きている。それを、もっと後ろの世代にも伝えることが、少なくともわたしの使命であろう。
だから、今もこんな文章を書いているのである(笑)。
情報とは何か、なぜかくも奇妙な性質を持っているのか
(2014/08/05)
「コンプレッサーがいかれちゃってますね。残念ながら修理不能です。」P社のサービスマンは、故障した冷蔵庫を点検して、わたしにそういった。・・うーん、そうですか。しかしまあ1993年製なんだから、寿命と思ってあきらめます。今まで20年間、ずっと文句も言わずに働いてくれたんだし、仕方がないですね・・。サービスマン氏は、わたしの独り言を聞き流しつつ、てきぱきと熟練した手つきで工具をしまうと、さらにこういった。「申し訳ないのですが、規定ですので、出張サービス料をいただきます。」
三千数百円の料金を、わたしは支払った。点検はわずか20分程度だったが、ここまでの移動の往復を考えると1時間以上は拘束している。当然の費用だと、わたしも思った。ただ、考えてみると、これは何の代償として払う費用なのだろうか? わたしの手元に、何か新しい「モノ」(補修部品)がおさめられた訳ではない。「サービス」といっても、彼がきた時とかえった後で、こわれた冷蔵庫に何の違いがある訳でもない。
だとすると、わたしにとってこの金額は、“もう修理はできません”という「情報」の対価なのだ。だから、新しいのを買わなければならない。わたしの次の決断、次の行動の道筋を決める助けになった「情報」のお値段、ということになる。
世の中で売り買いできるのは三種類に分類される。「モノ」と「サービス」、そして「情報」である。モノは、物理的な実体があり、在庫することができ、そして売る時には所有権を引き渡す。一方、サービスという種類の財は、在庫できない。マッサージ師の仕事を考えてみれば分かる。いくら土日が忙しくても、平日の内に働きだめして在庫を積み上げておくわけには行かないのである(これを「サービスの同時性」と呼ぶ学者もいる)。なぜならサービスというのは、『リソース』の占有権を売る商売だからだ。
では、「情報」とはいかなるものか。これが、なかなか一筋縄ではいかないのである。情報という言葉は、もともと「敵情報知」という古い用語から生まれたという(真偽のほどは知らないけれども)。そして、事実、終戦後しばらくは、情報という語には独特の暗い影があったらしい。ちょうど今のわたし達が「諜報」という言葉に感じるような影だ。そうした感覚は、コンピュータ登場とともに大いに薄らいだ。だが出自はともあれ、情報にはいまだに奇妙な特殊性がついてまわっている。
情報なる商品の特殊性その1は、「人に渡しても手元に残る」という性質である。“来週X社の株価が暴落するらしい”という情報は、ある種の人たちには大変な価値があるだろう。ところで、この情報を誰かに高値で売ったとしても、売り手の手元にも、その情報は残るのである。このような性質のために、情報には「所有権」の概念があてはまらない。それどころか、さらにまた別の誰かに売りつけることができる。だから、情報の場合、「占有権」も紳士協定的にしか保証できない訳である。もちろん、「在庫」の概念もあたらない。
情報の特殊性・その2は、内容を受け取らない限り、「消費者」はその価値を正確に判断できない、という性質である(先の株価暴落情報がいい例だ)。しかも、いったん内容を受け取り、知ってしまったら、もう情報を「返品」してもらうことはできなくなる。ここに情報提供ビジネスの本質的な困難がある。「お代は見てのお帰り」方式は、リスクが大きくてなかなかできないのだ。だから何とか、事前に情報の価値の裏書きを得るべく、さまざまな品質保証の工夫がされることになる。しかもここには、受け手によって情報の価値が変わる、という別種の困難も横たわる。
3番目の特殊性とは、非対称性が存在しなければ情報に機能(意味)はない、という性質である。「情報の非対称性」はミクロ経済学の用語だが、ある人が知っていることを別の人は知らない、との状況を指す。知識の濃淡、高低があるから、情報にニーズが生まれるのである。全員が知ってしまった瞬間に、もうその情報には価値がなくなる。
このような奇妙な特殊性があるため、法律も会計学も、まだ本当は情報をうまく扱えていないように見える。情報の「窃盗」に意味はあるのか? 情報の「資産価値」はどう評価するのか? 減価償却できるのか? etc.,
etc… それなのに、情報はすでに巨大産業化してしまった。わたし達は、これをどう制御するのか。制御するためには、情報というものの奇妙さの根底にあること、いわば本質を、もう少し理解する必要があるはずだ。
ちなみに情報量については、周知の通り、エントロピーをつかった物理学的な定義が存在する。ここでわざわざ数式をとりだして読者に頭痛をよびおこすつもりはない。むしろ、物理学は情報「量」については定義を与えるが、情報の「性質」については大して何も教えてくれない、とわたしは感じている。情報量は、情報源の発する記号(符号)をベースに定義される。だが、そもそも記号(符号)化されていなくても情報は情報である。何気ない仕草や目つき、鼻腔を刺激する馥郁たる香り、こうしたことから、わたし達は案外多くの情報を得るのではないか。
ここで何となく、システム、制御、情報、というキーワードが思いつく(思いつくというか、じつは少し前に論文を書かせていただいた学会の名前そのものなのだが^^;)。この三項には、何か共通する関連性があるかもしれない。
制御工学は、情報に深い関わりのある分野だ。フィードバック制御などでは、対象系の操作のために情報が利用される。ところで、ワットの発明した蒸気機関には、すでにフィードバック制御が組み込まれていた。回転数が上がると、遠心調速機が働いて、蒸気機関の安定稼働を守ってくれる見事な組みだ(→Wikipedia
)。
だが、ここでふと、奇妙な気持ちにおそわれる。ワットの蒸気機関は複雑で立派な「システム」だが、回転軸の遠心力でスロットル弁の開閉が調整されるのは、「情報系」なのだろうか。回転数は「情報」なのだろうか?
どうもわたしには、内部状態のあるシステムでなければ、「情報」という感じがしないのである。ここでいう『内部状態』とは、外部から直接うかがうことはできないが、保持される性質(記憶性)であり、かつ、その状態によって、システムの次のふるまいが変わりうるようなものを指している。内部状態を持つシステムでは、全く同じインプットでも、異なるふるまいをすることがある。
ワットの蒸気機関は内部状態をもたないシステムである。一般に単純な機械には内部状態がない。ふつうの冷蔵庫には内部状態がない(冷蔵庫の“内部”=庫内に何が格納されていようと、それで冷蔵庫の動作が変わったりはしない)。
もちろん、コンピュータは内部状態をもつシステムだ。ただし、それは電子的にデジタル情報を扱えるから、ではないことに注意したい。たとえば、チューリングマシンを見よ。紙テープでも、立派な情報だ。
ちなみに、わたしたち人間が感覚器(眼・耳・肌など)で受けとる情報というのは、光、音、触覚など微弱な物理的なエネルギーの作用である。残る味覚と嗅覚も、微弱な化学的ポテンシャルを検知している。この“微弱”というのも、情報のキーワードらしい。大きな物理化学作用では、「情報」という感じがしないからだ。頭を物理的に思いっきり殴られた。おかげで「痛かった」という内部状態(記憶)が長らく残った、あるいは記憶をすっかり失ってしまった、というのは情報のやりとりとは言えまい。
何となく「感じがする」みたいな、論理性の薄い推論を積み重ねてきたが、以上をまとめると、こうなる:
「情報とは、比較的小さなエネルギーで受け手の内部状態を変化しうる働き、またはその結果の状態である。」
情報をこのように理解すれば、その特殊性をすべて説明できそうだ。たとえば、(1)「人に渡しても手元に残る」のは当然である。なぜなら、小さなエネルギーで相手の内部状態を変える働きが情報なのだから。もし、情報の伝達に巨大なエネルギーを要するとしたら、もちろん二度と他の誰かに渡すことはできなくなるだろう。(2)「内容を受け取らない限り、『消費者』はその価値を正確に判断できない」のも当然である。なぜなら、受けとった結果として内部に生じる変化こそ、受け手にとっての情報の意味なのだから。(3)「非対称性が存在しなければ情報に機能(価値)はない」のも当然。すでに内部状態がAになっている人に向かって、“Aになれ”と伝えても何の変化も生じないのだ。
このような、情報の「内部状態論」的な解釈は、今日世間で広く行われている情報の「発生源論」的な解釈とは、真っ向から対立する。情報とその価値が発生源に依拠する、という議論は、情報の所有権的な考え方を通じて、ライセンスと知財戦略にまっすぐにつながる。つまり、米国などが国家的戦略としてすすめている、「高度な知識をお金にかえて世界を制覇する」という考え方である。わたしは別にライセンスも知財も否定するつもりなど全くないが、「知識に固有の価値がある」という見立ては間違いで、価値は受け手が(=その内部状態が)個別に決める、と考える方が健全だと思うのだ。
ついでにいうと、記号(符号)化と言語化は、情報をひろく流通させるための仕組みでしかない。記号も言語も、発信者と受け手の共通基盤として存在する(でなければ流通は機能しない)。しかし、情報の結果は、相手の内部状態の変化なのだから、言語化されていなくてもいいわけである。
そして情報技術(IT)とは、こうした性質を持つ『情報』と、情報を定型化して並べた『データ』の間に、相互変換のサイクルを作って回すことに他ならない??という話を本当は今日はしたかったのだが、すでにもう十分長くなりすぎた。わたしの話の前振りの長さはあきらめていただくことにして(^^;)、本題の話は項を改めて、いずれまた書こう。その前に、こわれた冷蔵庫をどうすべきか、頭を冷やして考えなくちゃ。
反応、感想、そして批評--受け手にとってより良きリアクションを生むために
(2014/07/14)
わたし達は、消費社会に生きている。普段は職場で生産にかかわる仕事に従事していても、家に帰れば、消費者としてふるまう。いや、ちょっと昼飯を外に食べに行く時でさえ、消費者に戻るのだ。そうして毎日、お金を出して何かを買う。買うのはモノだったり、劇場での視聴だったり、旅行という体験だったりする。そして買ったモノや体験を、なぜかわたし達は、口に出して人に伝えたがる。考えてみれば、不思議な習性である。消費してそれで終わり、にしてもいいはずなのに、良きにつけ悪しきにつけ、何か一言いいたくなるのだ。
もっともわたし達は、自分でお金を払わない物事に対しても、あれこれと批評を口にする。TVで見る番組は、広告代という形で間接的に費用を払っているとしても、新聞で読む世の中の出来事、親戚の結婚式の体裁から、ゴミ出しの時に合う近所の奥さんの性格まで、すべて品評の俎上にのせられる。
これほどに世に多く行われている行為なのに、あまりその組立てや手筋について、論じたものは無いようだ。そこで本サイトはいつものユニーク性を発揮して、消費者としてのリアクション--『批評』というものを構造分析してみようと思う。どういう役に立つのか書いている本人もよく分からないが、とにかく気になるものについては考えてみる、という習性の導きにしたがって進めてみよう。とくとご笑覧あれ。
最初に、批評的なるものについて、三つのレベルを区別するところから始めたい。それは反応、感想、そして批評である。(これはわたしの個人的な用語定義なので、これ以降は『カギ括弧』でかこって表示する)
『反応』とは、対象に対して当人が感じる“快・不快”が、ほぼ直接に表出されたものである。「うまい!」「まずいな。」
「まあ、チョウチョよ!」「きゃー、蛇よ!」・・このパターンは、いくらでもある。むろん、世の中には少数派として、蝶が苦手な人や蛇が好きな人もいるわけだが、話者の快・不快は、ほぼ口調からくみ取れる。そういえば、Facebookの「いいね!」(like!)ボタンも『反応』レベルに属するかもしれない。
ところで、聞き手・読み手なしでも『反応』は発せられることがある。そばに誰もいなくても、反射的に口に出てしまうわけだ。そういう観点からいうと、『反応』は必ずしもコミュニケーションを意識しない行為だ、と言えるかもしれない。もともと「蛇だ!」というような叫びは、集団内の信号ないしアラームとして機能したはずである。人間は言葉を持っているから単語や文で説明できるが、動物たちだって、警戒の鳴き声や、歓迎の鳴き声などで、この程度のレベルは表出している。『反応』とはたぶん、わたし達がもっと原始的な動物だったころから、持ち続けている脊髄反射的行為なのだ。
これに対して『感想』とは、自分が対象から受けた感情(エモーション)を言葉に表現したもの、と定義しておこう。「心を打つ話に、涙が止まりませんでした」とか、「笑止千万なゲーム運びに、あきれかえった」といったものが『感想』である。これは一応、コミュニケーションのニーズを持っている点が、『反応』とは異なる。人間には、感情を他者と共有したいという欲求がある。悲しい、とか悔しい、といったネガティブな感情でも、それを誰かと共有できると、心のどこかに満足感を覚える--そんな性質を人は持っている。それが『感想』を生みだす原点であろう。
では、『批評』とは何か。単なる『反応』や『感想』と違い、『批評』は独立した書き物として、それ自体も価値を持ちうる。だから、“プロの批評家”という存在も可能な訳である。作家とは別に、文芸批評家がいたりする。
『批評』は基本的に、読み手を想定して書かれている。原則として『批評』の読み手は、その芸術なり商品の消費者である。ときには作家宛の手紙、みたいなスタイルによる批評も存在するけれども、それは一種の意匠にすぎない。批評は、その対象作品をまだ知らない人に対する道案内であり、経験した人にとっては、より深い理解への手助けを提供する。だからこそ、『批評』は独自の価値を持ち、それ自体が商品ともなりうるのである。いや、たとえ原稿料がなくても、自分が書いた『批評』が多くの人の目に触れて支持を受けたら、当然誰だってうれしいと思う。
では、少しは読むに足りる『批評』を書くには、どうしたらいいだろうか? 自分はプロの批評家でもないのに、ずいぶん無謀な試みだが、一つ考えてみよう。それにはまず、良い『批評』と思われるものの構造を、理解する必要がある。
わたしの見たところ、すぐれた『批評』は大きく二つの部分、4つの要素から構成されている(図参照)。
全体はまず、(1)事実の記述と、(2)分析・評価、の二つの部分からなる。前者はさらに、(1a)対象に関する事実の要約、(1b)周辺情報、の二要素を含む。後者は、(2a)対象の分析、そして(2b)評価からなっている。
(1a)「対象に関する事実の要約」は、特段の説明は不要だろう。『批評』の対象の多くはなんらかの作品(創作品)だが、しばしば商品・工業製品・サービスなども対象に含まれる。さらに、スポーツなどのパフォーマンスや、出来事・イベントなどの事象も対象になることがある。『批評』はまず、対象について、事実をサマライズするところから普通ははじまる。
(1b)「周辺情報」とは、たとえば作品が対象ならば、その作者に関する情報などである。場合によっては、プロデューサー、出版社なども含むだろう。また、対象のジャンルに関する情報も必要かもしれない。さらに、その作品なり事象なりが生まれるまでの来歴、それが世に出てからのインパクト、他者による評価なども紹介されるかもしれない。
(2a)「分析」では、作者の意図・ねらいを分析(推定)することが中心に来る。むずかしい創作物では、その前にまず解釈が必要だろう。また事象が相手の場合は、その発生の原因や波及を分析(推定)することになる。そして、自分の受けた印象や感情を整理する。もちろん、深い作品などの場合、分析不能(「言葉にできませんでした」)ということも、あるかもしれない。
ちなみに分析を記述する際には、自分との利害関係の有無を明確にすることも行われる。これは、『批評』の信頼性ないし中立性を確保するためだ。
最後に来る、(2b)「評価」とは、すなわち良し悪しの議論のことである。むろん、どんなものを評価する場合であれ、通常は多元的な尺度が用いられる(ストーリーは面白いが、キャラクターは平板だ、など)。評価は時間的にも、短期評価と長期的評価とがある。そして、何ごとであれ、批判するよりも、上手にほめる方がずっと難しい。良い批評だな、と感じるのは、そうした対象へのリスペクトを感じさせる文章である。
ちなみに、いつだったか東海林さだおのエッセイを読んでいたら、彼がTV番組を見て憤慨した話が書いてあった。その番組では、オーストラリアを訪問したうら若い女性タレントが、たしかカンガルー肉の料理を口にするのである。その肉は固いのか柔らかいのか、味は淡泊なのか濃厚なのか、固唾をのんで見ていると、タレント女子はただ一言、「おいし~い!」とだけ言って終わったというのだ。それじゃあちっとも視聴者が分からないじゃないか! と東海林さだお氏は憤慨する。
そのレポーターさんのお仕事は、事実も分析もなく、評価だけだった、という訳だ。まあ、ここでいう『感想』レベルだ。『感想』では何がこまるかというと、事実の報告も分析もないため、“それを誰が言ったか”、でしか判断する方法がない点だ。しょせんTV番組なんだからその程度で我慢しろ、という言い方もあろう。でも、どうせ費用をかけて放送するんだから、もう一手間かけてレポーターにしゃべらせれば、ずっと情報量が上がったはずである。放送する側に、そういうマインドがないのだろう。
いうまでもないが、事実と意見を区別する、というのがレポートの基本である。事実とは何か。哲学的にはいくらでも深入りできる問いだが、ここでは、事実とは「お互いに検証可能なこと」(客観性)だと定義しておこう。そうすれば、対象がカンガルー料理だろうが何だろうが、少なくとも『批評』の前半は、客観的に議論し検証できるようになる。
同じように、評価のところでも、自分の「好き・嫌い」と対象の「良し・悪し」を意識して分離する態度が大事である。好き嫌いは感情レベルのことがらで、これは個人差がある。他方、作品の良し悪しというのは、大勢の人の間で、時間をかけて定まっていくものだ。だから、自分の好き嫌いが普遍的でないことを認め、両者を区別することが『批評』には望まれる。
そしてもう一つ。創作物の質の良し悪しと、その作者の人格を短絡的に結びつけないことも、大事な態度だろう。社会事象とその当事者のケースも、同じである。よく、子どもの出来が悪いと、すべて親のせいにする人がいるが、これと同じように作者と作品にも“親子関係”を想定し、「こんなもの作るのはロクな奴じゃない」みたいな事を言いたがる。こういう態度がなぜまずいかというと、批評者自身にも同様に、人格攻撃がはね返ってくるからである。その結果、誰もまともな『批評』を口にできない、知的におかしな社会ができあがる。
以上をまとめると、良い『批評』のためには、
・事実と意見を、区別する
・自分の好き嫌いと、対象の良し悪しを区別する
・対象の評価と、作者の人格評価を区別する
という、三つの区別が求められるわけである。
これを言いかえると、作品や事象の評価を、議論可能な形にしていくことが、『批評』の最大の役割なのであろう。事実なら議論できる。良し悪しについても、互いに意見交換は可能だ。推測に関する水掛け論、たんなる個人的感情についての言い合いのムダを防ぐ。そうして、議論の中で、少しずつ共通理解の土台を広げ、次のより良い体験、より良い制作にフィードバックする--これが『批評』の機能であり、価値なのである。
そして、議論の価値を信じる社会でないと、このような『批評』は成り立たない。話し合いを信ぜず、「問答無用!」だけが通用する社会には、『批評』は無用である。
もちろん、世の中には『批評』に似て非なるものも存在する。一番多いのは、対象にカテゴリーのレッテルを貼ることで「評価」を代用するやり方である。「こんなのは××にすぎない」というやつだ。こうした文言は、『感想』または『批評』の形をしていても、じつは『反応』レベルに近い。たんに、レッテルの共有イメージにもたれかかっているだけで、ハイ・コンテキストな同質集団内のみで成立する言い方である。これでは、集団の外の人間とは対話できないままだ。
いうまでもないが、『反応』や『感想』は短文に向く。140文字に制限されているコミュニケーション・チャンネルでは、『批評』は書きにくい。その結果、そうした世界では、消費者のリアクションはみな短く、類似する。そして内容よりも「どの有名人が言ったか」で支持者(フォロー数)がかわっていく。そんな世界は、とても数値分析(テキストマイニング)しやすい世界である。基本的に、商品の売り手企業や広告企業は、むしろ『批評』をあまり歓迎しないと見るべきだろう。
といっても、誤解しないでほしいが、わたしは『反応』や『感想』より『批評』が高級だとか、どんな事柄に対しても『批評』だけを書くべきだ、などと主張しているのではない。そんなこと、わたし自身するつもりもないし、できる時間もない。だから日常では『反応』を口にするだろうし、Facebookでは「いいね!」を押し続けるだろうし、書評や映画評も『感想』ですませるかもしれない。ただ、その時その時に、自分がどのレベルを言葉にしているのかは、意識しようと思うのだ。
そして考えてみると、「仕事の評価」「人の評価」でも、作品・事象の『批評』と同じ構造をしていることが分かる。わたし達が、他人の仕事の成果や仕事ぶりを評価する機会は、音楽評を書く機会よりもずっと多い。また、その帰結も非常に重要である。だとしたら、『批評』の構造を胸に刻み込むのは、とても大事なことではないか。
分析・評価とは、すなわち、「アナリスト」の仕事である。対象が企業経営の場合は「証券アナリスト」、市場の場合は「市場アナリスト」、業務フローの場合は、「業務(システム)アナリスト」である。ちなみにわたし自身は、「プロジェクト・アナリスト」を自称し、その職域を認知してもらうべく、研究部会活動などもいそしんでいる。だから、(文末になってやっと分かったが)、良き『批評』の構造分析は、わたし達自身の仕事の糧なのである。
顧客の顧客を知る、上司の上司になって考える
(2014/05/03)
『顧客の顧客を知れ』--これは、わたしの敬愛する大先輩である、経営コンサルタント・今北純一氏から、何年も前にうかがった教訓だ。自分の顧客が誰かは、誰でも一応知っている。顧客が何を望むか、そのニーズや要求も、直接・間接に伝わってくる。だが、顧客がなぜ、それを求めるかについては、必ずしも理解できていないことが多い。
しかし、顧客も、彼ら自身にとっての顧客からの要望になんとか対応すべく、いろいろ考え、悩み、そして動いているのだ。だから、『顧客の顧客』をよく知れば、自分の直接の顧客のニーズをつかむのに役立つ。たいていの人は、顧客の顧客までは考えた事がないが、そこまで視野と想像力を広げられるかで、競争力は大きく変わりうる。
たとえば、今北さんは自著「Carpe
Diem - ビジネス脳はどうつくるか」(文藝春秋、2006)で、工場の立地問題について、こんな例をあげられている。鉄鉱石を産出する資源会社の、直接の顧客は鉄鋼メーカーだ。そしてこれまで、多くの資源会社は鉄鋼メーカーとは営業的対応を積みかさねてきた。ところで、鉄鋼メーカーは、主製品の一つである自動車用鋼板を、自動車メーカーに売っている。そして周知の通り、大手自動車メーカーはいずれも、生産拠点の世界的な展開を図っている。
「たとえばトヨタでは、日本国内で『ヴィッツ』という名のクルマを、ヨーロッパでは『ヤリス』という名前で戦略車と位置づけ、フランス北部のバレンシエンヌにその製造工業を建設した。(中略)だから、BHPビリトンなどの資源会社は『顧客の顧客』である自動車メーカーの動向を見ていけば、欧州市場に新たな鋼板の需要が生まれ、欧州の鉄鋼メーカーがこれ以上に鉄鉱石を必要とすることを先行予測できる。」(p.118)。このように、自社を含むサプライチェーンの中で、真の需要の決定者が誰かを考えるのが、『顧客の顧客』の視点だ。
工場立地ほど大きな問題ではないが、わたしも『顧客の顧客』を知ることで、問題解決の糸口を見いだした経験がある。
ある顧客の新工場の基本設計をしていたときのことだ。計画の予条件として、利用可能な敷地面積と、概略の投資額上限があった。その中で、比較的多品種な一般消費財を、需要にミートして生産できるよう、機械設備などを構成していかなければならない。むろん、基準となる生産数量は、顧客の過去数年間の実績データとともに、与えられていた。
ただし、主力製品には需要の季節変動がある。季節性のある製品の生産はやっかいだ。ピーク時の需要に合わせて生産ラインを作ると、閑散期には設備が不稼働になって無駄である。かといって、ピーク時の前から作りだめをしていくと、今度は製品在庫が増えてしまう。当然、広い置き場所が必要になる。
とくに悩んだのは、出荷のための物流搬送設備だ。生産はピーク時期に向けた作りだめで、多少は平準化できる。だから生産設備のキャパシティは生産量の平均値を考えれば済む。だが、出荷量は、需要の季節変動に連動する。物流設備のキャパシティは、ピーク値で計画せざるを得ない。物流部門が出してきた性能要求は、まさにそのピーク時の数字だった。そのままでは、どうしても大げさな設備になってしまう。
かといって、一般消費者の需要を制御し「平準化」することなど、むろん不可能である。ピークに合わせるしかないわけだ。機械的な物流搬送設備を使うと、予算が高くなりすぎる。では、フォークリフトや人力などの「ローテク」で搬送・積みつけしてもらうか。しかし、そうすると今度は出荷ヤードの面積が広くなりすぎて、敷地の制限にひっかかりそうだ。
「需要の季節変動の実体はどのようなものか?」--これを明らかにすることしか、解決の手がかりはなさそうだ。月別の生産量と出荷量のデータは開示されていたが、わたしは顧客のプロマネとIT担当者に頭を下げて、過去2年間の日別実績データを別途もらい受けた。会社に持ち帰り、簡単な処理をしてExcelでグラフに描いてみる。
グラフを見て、わたしは驚いた。本当のデータをここに載せるわけにはいかないので、模式図的に部分を拡大してみると、図のようになっていた。
たしかに、年間の季節変動はある。だが、はっきりいって、月別に見た一年間の中での変動よりも、月内の日次変動の方が大きいのだ。まるで、一年中真夏なのに、昼と夜の気温の落差が大きい砂漠の気温のようである(ただし砂漠は日内変動だが、この顧客の場合は月内変動だった)。それも、月内の変動にははっきりしたパターンがある。出荷量が月初に集中しているのである。月初の数日間は、月末の4~5倍近い出荷量がある。このピークをなんとかしない限り、出荷設備の問題は解決できない。そう、思った。
次の打合せのときに、顧客のプロマネにこのグラフを見せ、月内変動の理由をたずねてみた。「うーん、月初集中の傾向があるのは知っていましたが、こんなに激しいとは思ってもいませんでした。」と、先方は言われる。この方は製造部の所属で、物流部門(子会社化されている)の仕事は、あまり見ていなかったのだろう。
これは、出荷先の卸問屋との、商習慣の問題だと思う、というのが相手の説明だった。卸からの出荷依頼は、日単位で、毎日入る。納入たものは、卸の所有物になる。ところが、卸との決済は、月末締めなのだ。ということは、相手側から見ると、5月1日に注文して手に入った製品でも、5月29日に注文した製品でも、同じ金額を、31日に支払うのである。ならば、単純に金利だけを考えても、月初に注文した方が得になるではないか。また流通側は欠品を嫌うので、ある程度在庫を抱えたい、という意図もあるのだろう。在庫金利がゼロでいいなら、とうぜん月初に沢山仕入れることになる。
それまで、わたしは、顧客の生産した製品のユーザは一般消費者で、その需要の制御も交渉も不能だと思い込んでいた。しかし、本当は、顧客の顧客は、卸問屋なのだった。だったら、出口はあるかもしれない。わたしは、思い切って提案してみた。
「卸さんへの出荷ですが、これは紙の上だけにしたらどうでしょうか? つまり、注文を受けたら、製品の所有権を渡すけれども、物理的な場所は動かさずに、『預かり在庫』の形にさせてもらうのです。そして、卸さんの出荷指示に応じて、チェーンストアなどの実際の最終出荷先に直接納入するようにしませんか?
そうすれば、実需にしたがって出荷できます。現実の需要は月初集中などしていないはずですから、出荷量のピークも減り、工場の出荷設備もずっと小さいもので済むはずです。」
現実には、在庫の保険だとか出荷指示の受け渡しなど、いろいろ解決しなければならない問題点はあるだろう。だが、むだな工場の投資も不要になるし、卸の側だって、在庫の置き場所の心配が減るわけだから、互いにメリットはある。なにも全部を預かり在庫にする必要はなく、一部を預かるだけでも、ピークはかなり減るはずだ。そう、考えた。
残念ながら、この提案は実現しなかった。客先は、生産部門と販売部門を別々の役員が管掌していた。そんなサプライチェーンをまたぐような変革を実現しようとしたら、もう社長レベルでの調整事項になってしまう。それは工場長ですら、とても手に余る大仕事なのだった。結局、「ローテク」+「人海戦術」で、強引に工場レイアウトに押し込め、というのが顧客の要望だった。つまり、サプライチェーンの歪みを、生産・物流側がそのまま引き受けた形の決着だ。
しかし、この件でわたしは、重要な教訓を学んだのだった。それは、問題の構造を真に理解したかったら、やはり「顧客の顧客を知れ」ということだ。顧客の指示や要求が、わたし達の思考の「枠組み」を作る。あるいは、顧客についてのこちらの思い込みが、無意識な「枠」を作ってしまう。ところが、顧客もまた、彼らの顧客からの要求で動かされているのだ。顧客がわれわれに出してくる要望の裏には、『顧客の顧客』に対応するための問題が隠されている。そこを知れば、相手の真意や出方を予測できるようになる。問題構造の背景がうまく分かれば、与えられた枠組みの外にでて、解決法を見いだす可能性もあるのだ。
『顧客の顧客』とならんで、わたし達の思考の枠組みを広げて大局観を持つための、もう一つ有用な方法がある。それは、『上司の上司』の立場に立って考えることだ。
たとえばもし自分が工程係長ならば、上司の生産管理課長ではなく、上司の上司である製造部長になったつもりで考える。あるいは、設計グループリーダーならば、技術部長ではなく、開発本部長になったつもりで、自分のポジションの仕事を考え直してみる。こうすると、わたし達がものを考える時に、無意識に設定している「制約条件」をとりはらうことができる。
たとえば設計グループリーダーとしては、現有のチーム員の制約の中で、個別の案件のアサインを決めるしかない。しかし、開発本部長の立場に立つと、別のことが見えてくる。もし自社の開発プロセス全体の中で、設計部門がボトルネック状態になっているなら、必要な職種の増員や部門間での配転といった手立てを講じることができる。そうした権限(自由度)の中で、さて、設計グループリーダーに求めるべき最善の手立ては、と考えを進めてみるのである。
自分の直接の上司の仕事は、下から見ているので分かりやすい。おまけに、たいていは批判や不満もあるから、その「あるべき姿」についての意見を、誰でも持っている。しかし、二階級上の立場までは、あまり意識しないものだ。そこでかりに、上司の上司になったと想像し、やるべき仕事を考え、その中で今の自分の職務への期待を考えなおしてみるといい。この思考実験は、自分の役割を理解し、自分の思考の枠をとりはずす訓練として、非常に有効だ。そういうわけで、わたしは、「生産革新フォーラム」名義で書いた共著『“JIT生産”を卒業するための本 ― トヨタの真似だけでは儲からない』(日刊工業新聞社
2011) 第5章の冒頭で、ジャスト・イン・タイム生産システムの問題を考えるに能っては、まず「二つ上の視点」にたって、すなわち顧客の顧客や、上司の上司の視点で、ものを捉えなおすことを提案したのである。
問題解決は、ホワイトカラーの仕事の主要な一部だといっていい。その際、わたしを含むエンジニアという人種は、どうしても「与えられた問題」の所与の条件下で、なんとか技術的に解決する方向に、ものを考えがちになる。まるで、試験で出題された問題を解くように。すると、どうしても前例や規範や『正解』に沿った方向になってしまう。しかし、正解のない問題に取り組むときは、その問題の「枠組み」を広げる方が、より良い解決に結びつくことが多い。そのために、顧客の顧客を知り、上司の上司になって考える訓練が、役に立つのである。
新しい決意と、「今のお気持ち」主義
(2014-03-19)
早春が好きだ。
3月、コブシの白い花が空に向かって問いかけるように咲きはじめる。まだ冷たい空気の中にも、草木の芽吹く気配がする頃。一年で一番美しい季節になったな、と思う。そういう気持ちは、年を追うごとに強くなる。昔は季節などに興味はなかった。いまは歳をとってきたせいか、少しずつ花が咲き、いのちの生まれかわるときが心にしみる。
3月は卒業と進級、別れと新しい決意の季節でもある。なにか未経験のことにチャレンジし、衣を脱ぐように古い自分から脱皮したい。そんな気持ちをいだくことも多いだろう。望み、あこがれ、訣別、スリル、そして少々の怖れ、いろいろな気持ちが混じりあって新しい決意を形づくる。
「決意」から「実現」へと向かって進むために一番大切なのは、もちろん自分の強い気持ちである。気持ちとはすなわち、意思であり、感情であり、好みでもあり、また気合いでもあろう。それらをひっくるめて日本語では「気持ち」と呼ぶ。これは理屈とか技術とか計算とかとは別のものである。今日はこの気持ちの持ち方について、書いてみたい。
去年の何月頃だったか、外で晩飯を食っていたら、テレビでナイター中継をしていた。9回の裏に劇的な逆転になって、ファンは大喜びだ。早速、ヒーローインタビューが始まった。逆転打を放った選手に、インタビュアーが質問を放つ。
「××さん、今の気持ちはいかがですか? 」
選手がそれに答えると、さらに2つ3つと質問を重ねる。
「途中、 4点差まで引き離されましたよね。その時はどう感じましたか?」
「9回表、何とか守りきったときのお気持ちは?」
「最後の打席で、第二球目を打った時の感触は? 」
質問の細部まで正確に記憶しているわけではないが、内容はずっと“どういう気持ちですか”だった。ヒーローインタビューというのは、ファンが選手の受け答えに一緒になってワーッと歓声を上げるのが目的みたいなものだから、これでいいのかもしれない。でも、もう少し気の利いた質問もありそうなものだ。どんなコンディションだったかとか、監督の指示はどうだったかとか、何が一番難しかったかとか。そうでないと、試合の面白みが分からないじゃないか・・ちょっぴり不思議であった。
この時以来、状況や考えではなく、気持ちをもっぱら興味の中心に置くアプローチを、「今のお気持ち」主義と、わたしは勝手に呼ぶことにした。一流のアスリートというのは、頭が良くなくては、なれない職業だと、わたしは思っている。筋力や運動神経だけでは十分ではない。工夫も計画も作戦もあって、はじめて本当のトップ・プロになれるのだ。アスリートに限らず、どんな分野のプロだって同じだろう。だとしたら、なぜ相手に『お考え』を質問しないのか?
それは、チームの成果を最終的に決めるのは、理性でも技巧でも運でもなく、やる人の「気持ち」だと皆が信じているからだ。気持ちのあり方で、試合の結果を理解したいのだ。
わたし達の脳は『ものごとを説明する』ことをつねに求めている。よく分からないものがあると、不安で、それこそ「気持ちが悪い」のだ。たとえば三回転半ジャンプの技巧と危険などは、素人にはほとんど理解できない。しかし、それをやる人の「気持ち」だったら、誰にも推察できる(ような気がする)から、納得感がある。ものごとの帰結を、『やる人の気持ち』で説明する問いかけが増えていくのだ。
「どんなことでも、やる気になればなんとかなる」「なせばなる」--そういうテーゼを、人は求めているらしい。いかなる苦難と逆境にあえいでも、強い意志さえあれば、最後は成功できる。そうした物語は、落ち込んだ人の心を、再び立ち上がらせる効能がある。「今のお気持ち」主義の背景には、そんな物語へのニーズがあるのだろう。
「どんなことでも、やる気になればなんとかなる」で、全面的に成り立っている娯楽が、昔の『講談』だったと、作家の橋本治はいっている。講談は江戸時代から昭和初期まで、ずっと人気のある娯楽だった。今、その伝統は、主に少年マンガが受け継いでいる(少年マガジンの発行元は、その名も「講談社」だ)。
講談的な物語は、なぜ多くの日本人の心をつかむのか。それは、もっと古くて強力な考え方、すなわち「人の能力は、生まれつきで決まる」という思想への、アンチテーゼだからだ。センスや素質のない奴に、いくら教えたってダメだ。上に立つべき人間は、それなりの器であるべきだ。そんな風な言い方は、身の回りにごまんとある。
人が生まれつき持っている資質が、成果を左右する最重要ファクターだ、という意見はとても根強い。だから「素質のある人を早く見出し、リーダーシップを発揮できるポジションに早くつける」ことが大事だ、との主張が生まれる。ビジネススクールの教師など、いかにも言いそうだ。いわゆる「エリート養成機関」を出た人たちも、同種の意見の持ち主が多い。
この「資質主義」を徹底していくと、教育は“育てる”より“選別する”ことが第一義になっていく。日本の入試制度は、まさにこの思想を強く反映している。
そして資質主義の最たるものは、血統主義である。講談が生まれたのは、身分制社会の時代であったことを思い出してほしい。士農工商の差別と桎梏の時代にあって、下層出身者が、強い意思とやる気だけで戦国をのし上がっていく講談は、多くの人々にうけたにちがいない。
いったい仕事の成果は「やる気」で決まるのか「資質」で決まるのか。どちらが主でどちらが従なのか。ここでは、その問いに答える代わりに、「今のお気持ち」主義がもつ問題点を指摘しておこう。
「今のお気持ち」主義の最大の問題点とは、「予測がうまくできない」ことにある。“あの人があんなに熱心に取り組んだのだから”という予測(願望?)だけでは、結果は見通せない。そもそも気持ちというのは、ふらふらと変わりやすく、しかも客観的にはうかがい知れぬものである。そのうち「気持ちメーター」が発明され、「気持ちが4.6点まで上がっているから、あとジャンプ3回は大丈夫よ」と判断できる世の中がくるのかもしれぬが、来ないかもしれぬ。来ないような「気が」する。
「今のお気持ち」主義のもう一つの危険性は、精神主義への傾斜と、客観的な事実把握の軽視である。当然だろう。“気合いさえあれば必ず乗りこえられる”のだから、現実を直視するとか、数字で客観的に測るといった行為は、ムダなばかりでなく、意思の力をそぐから、嫌われるようになる。もちろん、数字にもとづく作戦立案とか、オペレーションズ・リサーチ(OR)なども軽視される。ビジネス社会でも、ときおり見かける傾向である。
しかし、「気持ち」中心主義の一番まずい点は、別にある。それは、成功していない者に対して、激励ではなく、逆に排撃に働くことである。「どんなことでも、やる気になればなんとかなる」というテーゼは、「成功していないのは、やる気がないからだ」と等価である。社会の『負け組』、底辺にいる奴らは、やる気がないのだから、酷い扱いを受けて当然だ、との考え方がここから出てくる。身分制思想よりも、ある意味もっとひどい、苛烈な差別感情である。
もちろん、新しい決意を成功に向けるため、いちばん大事なことはやはり「気持ち」であり、やる気の持続である。ただ、気持ちだけでは、足りないところがあるのだ。別に素質や生まれや血統のことではない。それらは、あるに越したことはない"nice-to-have"だが、今さら自分ではどうにもできない。そうではなく、「気持ち」や資質とは別に、知っておくべき「考え方」「やり方」があるのだ。たとえば、上記のヒーローインタビューで、「気持ち」を全部「お考え」に置きかえたら、どんなに質問の雰囲気がかわってくるか、ためしに見直してみてほしい。
新しくチャレンジする事柄や分野はいろいろでも、そこに共通する方法論が、じつは存在する。ちょうど、様々な挑戦の分野をアプリケーション・ソフトにたとえると、どれにも共通の土台となるチャレンジのOSのようなものだ。たとえば、「気持ち」はうつろいやすいものだが、どう支えて維持していくか。そのための大事な方法が、同じ志を持つ仲間をつくり、交流のための「場」を作ることだ。--なあんだ、そんなことか。誰でもやってらあ、とお思いだろうか。だが、方法として自覚して選ぶことと、たまたま結果としてそうなったことでは、大きく違う。
本サイトの大事な目的の一つは、「チャレンジのOS」の仕組みと道具を、ひとつひとつ取り上げて検証することだ。そうした道具立ては、多くがプロジェクト・マネジメントやプログラム・マネジメントの技術と通底する。プロジェクトとは、人々が協力して一度限りのゴールをめざすものなのだから、当然かもしれない。ともあれ、新しい決意のこの季節に、本サイトが読者にフレッシュなヒントを少しでも提供できれば、それは望外の喜びである。
ハイボールと、本質的安全設計の教え
(2014/01/20)
『本質的安全設計』という言葉を聞いたことがあるだろうか。世間ではよく安全とか安心とかいったことを話題にするが、安全の意味をつきつめて考えている人は、必ずしも多くない。本質的な安全設計とは、われわれがモノや仕組み(システム)を作る上で、欠くことのできない概念である。今日はこれについて少し述べてみたい。
機械の安全設計については、そのものずばり「機械類の安全性―基本概念,設計のための一般原則」という名前の国際規格
ISO12100 が存在する。このISO規格によれば、機械類の安全は、『設計者対応』と『操作者対応』に分けられる。つまり、作る側による配慮と、使う側(消費者・操作者)による注意の、両方がいるというわけだ。ここまではいいだろう。
では、肝心の作る側(設計者)の対応は、どのように行うべきか。ISO12100は、
(1)本質的安全設計によるリスクの低減
(2)安全防護によるリスクの低減
(3)使用上の情報によるリスクの低減
という順番で行うべきだ、と述べる。
三番目の、「使用上の情報によるリスクの低減」の意味は、分かると思う。マニュアルにきちんと書きなさい、いろいろなチャネルや手段で使用者に注意をうながしなさい、という訳だ。おかげで最近はちょっとした道具を買うと、マニュアルの前半分くらいは「使用上の注意!」ばかりがずっと並ぶことになる。だが、まあこれが必要なのは明らかである。
(2)の安全防護も、まあ分かりやすい。危ないところには柵や手すりをつけ、高温になりやすいところは断熱材で防護する、といったガードをおく。あるいは、自動車ならエアバッグのような保護装置をつける工夫である。これにより、緊急事態発生時に、使用者に無用な危険が及ぶのを防ぐのである。
ところが、最初の(1)本質的安全設計、という言葉が分かりにくい。本質安全とは何だ? 保護装置やガードをつける設計とどこが違うのか?
(財)機械振興協会の技術研究所のホームページでは、本質的安全設計方策には四つの柱が書かれている。「危険除去設計」「フールプルーフ」「フェールセーフ」「冗長設計」の四つである。これを、わたしなりに敷衍して説明すると、次のようになる。
(a) 危険除去設計:
根本的に危険をのぞく設計である。
例:「鋭利な端部、角、突起物をさける」「毒性物質を使わない」
(b) フールプルーフ:
人間はミスを犯すものだと考え、使用者がまちがった使い方ができないようにする設計である。工場などではよく“ポカよけ”などとも呼ばれる。
例:「正しい向きにしか入らない電池 ボックス」「ドアを閉めなければ加熱できない電子レンジ」
(c) フェールセーフ:
使用者がまちがった使い方をしたり、故障がおきても危険を避けることができる設計である
例:「列車の空気ブレーキは圧力が漏れると停止する」「電気ポットのコードに誤って触れても簡単に外れる」
(d) 冗長設計:
最低限必要な量より多めに装置を用意しておき、1つの装置が故障しても機能が失われない設計である。
例:「WEBサーバを2台用意し、片方のサーバが故障しても他方のサーバで対応する」
つまり、安全防護(ガード)や付加的保護装置などが必要ないように設計することを、本質的安全設計と呼ぶのである。元々、安全にしか働かないような仕組み。たしかに、そのように設計できれば一番良いし、余分な付加保護をつける事に比べれば、コストセーブにもつながろう。いや、コストについては状況により一概には言えないかもしれないが、だからこそISOでは最初のステップで本質的安全設計を優先的に行え、と規定しているのだ。結局ちょっとした目先のコストを惜しんで、事故につながったのでは元も子もないからである。
ところで。上のような説明を聞いても、まだ“本質的に安全な設計”とは何か、誤解するケースがある。たとえば、「地震などで転倒したら、自動的に消火する石油ストーブ」という製品は、本質的安全設計に従っていると言えるだろうか?
耐震自動消火装置のある石油ストーブは、このごろは珍しくない。ところで昨年だったと思うが、ある輸入品の廉価な石油ストーブが、転倒しても消火装置がうまく働かないと分かり、回収騒ぎになったことがある。ちなみに製造元は韓国のメーカーだったが、昨今ネットには韓国嫌いの人が多いため、ネットではもっと「炎上」する騒動になった(さすがストーブである・・というのは冗談だが)。
この製品は、自動消火装置はついていた。だが、ちゃんと機能しなかった。倒れたら、ちっとも安全ではない。つまり、これは「付加的防護装置による対策」であって、「本質的安全設計」にはなっていないのだ。防護装置だって、壊れることがある。防護装置が壊れたら危険状態になる、というのは本質安全とは言えないのである。
じつは、わたしがこのような本質的安全設計の考え方を知ったのは、はずかしながら比較的最近のことである。教えてくれたのはわたしの元・上司の上司だった新谷正法氏だった。わたしの勤務先・日揮株式会社では、社内の大きな会議やミーティングでは、最初に5分間だけ使って、健康・安全・環境に関するトピックを紹介し、参加者みなの意識を高めるという習慣がある。これを、健康(Health)・安全(Safety)・環境(Environment)の頭文字をとって、HSEモーメントと呼ぶ。欧米の企業などでも、HSEモーメントを実施して、社内の意識を高める運動をしているところは多い。
そして、数年前のある時、社内の幹部クラスが集まる会議で、新谷氏(当時は副社長)が「ハイボールと本質的安全設計について」という話をされたのである。ハイボールは、ご承知のとおりウィスキーを炭酸水で割った飲み物だ。ところが、英語の辞書を引くと、ソーダわりのお酒という意味以外に、「(列車に対する)全速力で進めの信号」、さらに転じて「急行列車」の意味がある、と書いてあるという。
「ハイボール」という飲み物の語源は、(諸説あるが)鉄道に於けるボール信号機に由来する、と新谷氏は紹介された。現代では鉄道の信号機はすべて電気式だが、かつて英国で初期の鉄道ではボール信号機(BALL
SIGNAL)が使われていた。これは駅構内に設置され、駅員がボールを上げた時(ハイボール)構内は安全なので侵入して良いという合図となり、これを見て列車が入線した。
さて、昔ののんびりした時代のこと。乗客は駅の待合室でウイスキーをちびちびやりながら列車を待っている。ところが、ボールが上ってハイボールになると、列車が入ってくるのでホームに急がなければならない。残ったウイスキーを一気にあけるのは身体に良くないので、そばにあったソーダ水で割ってグーッと飲んでホームへ急いだ・・。これが、ウイスキーのソーダ割りがハイボールと呼ばれるようになった由来なのだそうである。
さて、このボール信号機をよく見てほしい。紐を引いてボールを高く上げた状態(ハイボール状態)を安全確認に対応させている。もし何等かの不具合(紐が切れたり、駅員に問題が生じたり)があれば、ボールは落下し安全信号は出ない。つまり、故障は必ず安全側故障となる。
したがって、これは単純であるが本質的安全設計の良い例と言える、というのが新谷氏の説明であった。安全装置には、安全確認型と危険検出型があるが、両者を比べると安全確認型が望ましい。また、安全信号はエネルギーの高い(維持の必要な)状態に対応していること。これがポイントである。われわれがプラントを設計する際にも、必ずフェイルセーフのモードを考えて設計すべし。それがひいては事故の減少につながる--そういう思想が、この話に表されている。
さて、この話を披露された故・新谷正法氏は、今から1年前、2013年1月に、アルジェリアのイナメナス建設現場出張中に襲撃事件にあい、不幸にも、他の先輩同僚諸兄とともに命を落とされた。新谷氏は仕事に厳しい方で、わたしも何度怒られたか分からないが、しかし最終的には部下には優しく、個人的にもずいぶんとお世話になった。頭脳明晰で数字に明るく、責任感も強く、どんな困難な仕事、危険な現場でも率先して乗り込み、人を采配される優れたプロジェクト・マネージャーだった。
アルジェリア襲撃事件で新谷氏の安否確認だけが遅れたときも、わたしは“新谷さんのことだから、なんとかしぶとく生還されるのではないか”と祈っていた。最後にたった一人だけ、政府特別機で運ばれ沈黙の帰還をされたとき、「主人は責任感で、自分が一番最後に帰ってきたのだと思います。」と、夫人は言われた。
新谷氏をはじめ、亡くなられた他の先輩同僚諸兄もみな、中東北アフリカのイスラム諸国で長らく働き、その地域の発展に尽くして来られたのに、なぜあのように理不尽な暴力を受け命を失わなければならなかったのか。思い出すたびに、胸の中で怒りとやり切れなさが渦巻く。われわれ日揮では先週、一周忌に職場で黙祷を捧げ、社旗を半旗に掲げて追悼の意を表した。
新谷氏は安全についても人一倍意識の高い方で、上のボール信号機の図も説明文も、氏の発表資料から勝手ながら引用させていただいた。この稿で、せめて故人の遺徳をわずかなりとも披露するとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りする次第である。