タイム・コンサルタントの日誌から(2012年)
クリスマス・メッセージ:求めよ、さらば与えられん (2012/12/24)
おじいさんのランプ、または経営とマネジメントの違いについて (2012/12/17)
リーダーシップを浪費する組織 (2012/12/15)
アイデアを『売る』という事 (2012/11/27)
製品のグローバル、組織のグローバル、そして人材のグローバル (2012/10/16)
逆張りで成功した部下は、どう評価すべきか (2012/10/08)
交流と直流の違い、または技術者の心について (2012/09/01)
技術者たちの沈黙 (2012/08/22)
海外プロジェクトの変化と、契約意識という不可視のハードル (2012/07/31)
データと情報はこう違う (2012/07/24)
世界の天然ガス資源と、日本のチャンスを考える (2012/07/16)
組織における戦略と自由度のトレードオフ (2012/06/12)
R先生との対話 - 戦略を語る前に必要な『勇気』 (2012/05/06)
運・不運は存在するか - または、組織のレジリエンシーについて (2012/04/09)
ゾウの戦略・ネズミの戦略 (2012/03/12)
契約社会がリーダーシップを必要とする理由 (2012/01/29)
シェールガス革命と、見えない地政学的地殻変動 (2012/01/22)
中東について私が知っている2、3の事項 (2012/01/15)
クリスマス・メッセージ:求めよ、さらば与えられん
(2012/12/24)
Merry Christmas!
ミヒャエル・エンデの名作「はてしない物語」(ネバーエンディング・ストーリー)は、前半では、主人公バスティアンが「はてしない物語」と題された本を読む、という二重構造になっている。そして後半は、物語の世界に飛び込んだ主人公が、「汝の欲することをなせ」という命のもとに探索の旅路を続ける話になる。そんなのはたやすいことだ、望んだことをすればよいだけなのだから、と考えた主人公に、つき従う獅子グラオーグラマーンは咆哮して、いう。「この道ほど決定的に迷ってしまいやすい道はほかにないのです。望みとは何か、よいとはどういうことか、わかっておられるのですかっ!」
さて、夏前のことだ。大学院生にプロジェクトのリスク・マネジメントを講義しているとき、途中でいつもの質問をみなに投げかけた。「皆さんはところで、世の中に運不運はあると思いますか?」ーーこの質問の含意は以前ここにも書いた(『リスク・マネジメントは本当に可能か』参照)ので繰り返さないが、リスクというものを世間の用語から照らして見直してもらおうと思ったわけだ。この質問、中高年であれば10人中10人が、YESと答える。しかし若者は、必ずしもそうは限らない。
ところが、この授業の質問では、院生の全員がYESの方に手を挙げてきた。あれ? 質問の仕方を間違えたかな。そう思って、一人にたずねてみた。「あなたは、なぜ運不運があると思ったの?」「えーと、たとえば電車に飛び乗ろうとしたら、目の前でドアが閉まっちゃう事って、あるじゃないですか。」
それはそうだが、ここで聞きたいのはプロジェクトのような大がかりな仕事における運不運である。これは聞き方がまずかったようだ。それにこの人達はまだ、本当の意味でプロジェクト的な経験があまりない。そこで、逆の面から聞くことにしてみた。
「じゃあ、皆さんは、『強い意志と努力があれば、どんな事でも必ず実現できる』と思いますか?」
今度は何人かが手を挙げた。意見が分かれたわけだ。そうなれば授業は回り出す。なぜそう考えるかを、それぞれ言ってもらう。そして、もし意志と努力で何事も成功できるなら、"リスク・マネジメント"なんて不要じゃないか、と切り出すこともできる(リスクとは失敗の可能性なのだから)。相手が考えなければ、授業は進まない。
意志と努力、(それに多少の才覚)があれば夢は必ず実現する、という信憑は、たとえば米国では広く受け入れられており、「アメリカン・ドリーム」の名で呼ばれる。たいていの場合、夢の最終実現形は「お金持ちになること」である。いま、その当否は論じない。ともかく、強く望めば、手に入る。これが信じられている命題だ。では、この信念に問題はあるだろうか。
もしこの命題が真ならば、論理学から言ってその対偶も真であるはずだ。この命題の対偶とは、「実現しないなら、それは強く望んでいないからだ」となる。もっと平たくにいえば、「貧乏なのはそいつの意志の問題だ」となる。これが論理の帰結である。
「貧乏なのは意志の問題」というテーゼにあなたは賛成されるだろうか? このような解釈は、米国では経済学や社会学でも、長らく力を持ってきた。黒人層の貧困問題なども、そういう視点からは冷ややかに見ることになる。彼ら自身がそこから脱出することを本気では望んでいないのだ、と。
長い不況と就職難の中にある日本の学生は、そんな風に言われたらむっとくるに違いない。だが、もしこれに賛成できないのなら、その人は「どんなに強く望んでも、世の中にはかなわぬ事がある」と信じることになる。じゃあ、夢をあきらめろ、と?
「求めよ、さらば与えられん」と、西洋人の宗教も言っていたのではなかったのか?
ちょっと、待ってほしい。「強く望めば、手に入る」と「求めよ、さらば与えられん」では、ニュアンスの違いがある。それをチェックするため、後者の聖句の前後にあたってみると、それはこんな風な文脈の中で続いていく。パンを求める子どもに石を与える親はいないように、天はお前たちの必要とするものを必ず与えてくれる。だから、明日、何を食べ何を着ようかと思い煩うな。一日の悩みは一日で足りる、と。
違いは2点ある。まず、「手に入る」という能動態の表現では、主語は『望んでいる自分』であるのに対し、「与えられん」の方では、『天の采配』という見えない主語が自分と対象の間に介在していること(だから当然、良くない望みは叶えられないことになる)。そして、与えられるのは、わたし達が本当に必要とするものである(わたし達が欲しがったものではなく)。と、わたしには感じられる。
本当に必要とするものを望むのは、難しい。「はてしない物語」で獅子が主人公に忠告したとおりだ。それは、自分が本当は何を必要としているのか、じつは自分でもよく分からないからだ。
だから、あまり欲をかいて煩うな、天に任せてその日を生きろ、というのが先の聖句の意味するところのようだ。謙虚であれ。しかし楽天的であれ。『天の采配』を信ずるかどうかはともかく、こちらの方が精神の健康には良さそうに思える。
それにしても、最初の院生たちとの問答に戻ると、全員が「運不運がある」とこたえ、「意志と努力があれば、何事でも必ず実現できる」と考えた人数が少なかったのには、やや驚いた。念のために書くが、東大の大学院生である。もう少し自信家というか野心家がいても、よさそうなものではないか。
でも、若者たちの心は変わってしまったのだと思う。それは、昨年の3.11以降のことである。あのとき以来、この世には個人の意思だけではどうにもならぬ事があるのだ、と胸に刻みつけられたのだろう。そう思うと、すこし痛々しかった。望みがすべて叶うとは限らないが、何も望まなければ何も叶うまい。そして若い人たちに、また希望を持ってもらうことこそ、あの災害で亡くなられた方々への、一番の手向けではないか。
わたし達はあの出来事をまだ、十分に乗り越えていない。忘れたふりをしてはいけないのだろう。世間がひととき静まるこの季節、被災された方々、今も困難な生活にくるしむ大勢の方のために、ほんの短い間ではあるが、わたし達も祈ることにしよう。
おじいさんのランプ、または経営とマネジメントの違いについて
(2012/12/17)
新美南吉は、わたしの最も好きな作家の一人だ。童話作家で、戦中に若くして亡くなったが、珠玉のような名品をたくさん残している。「ごんぎつね」は小学校教科書に採録されたから、読んだことのある人も多いだろう。わたしの場合は、「牛をつないだ椿の木」が最初の出会いだった。彼の短編は青空文庫でも読める。だが角川文庫版を買うと、棟方志功画伯らによる挿絵がついてくるから、これはこれで味わいが深い。
その新美南吉の短編に、「おじいさんのランプ」という話がある。本屋の子どもが、納屋で旧式のランプをみつける。ガラスの中に灯心があり、油を入れて灯をともすタイプだ。それを見て、祖父の巳之助が思い出を語りはじめる。まだ少年時代の巳之助が、この話の主人公である。文明開化の直後の頃、用事で遠くの町まで遣いに出た彼は、町でランプというものを初めて見る。夜でも明るいその光に、少年はつよく印象づけられる。このくだりは、すこし新美南吉の原文をひこう。
「しかし巳之助をいちばんおどろかしたのは、その町の大きな商店が、一つ一つともしている、花のように明かるいガラスのランプであった。巳之助の村では夜はあかりなしの家が多かった。まっくらな家の中を、人々は手でさぐりながら、水甕(みずがめ)や、石臼や大黒柱をさぐりあてるのであった。すこしぜいたくな家では、おかみさんが嫁入りのとき持って来た行燈(あんどん)を使うのであった。(中略)しかしどんな行燈にしろ、巳之助が大野の町で見たランプの明かるさにはとても及ばなかった。
それにランプは、その頃としてはまだ珍らしいガラスでできていた。煤(すす)けたり、破れたりしやすい紙でできている行燈より、これだけでも巳之助にはいいもののように思われた。」
主人公にとって、ランプは文明開化の象徴だった。これを自分の村で売ろう、とかれは決意する。そしてランプを売る店に行き、「仕入れ値で卸してくれませんか」と交渉する。店の側は年端もいかぬ少年の依頼に驚くが、ためしに一つ売れたら、次からも卸してあげようと約束する。そこで主人公はランプを村まで持ち帰り、よろず屋に使ってもらう。そして、その灯りの明るさに驚いた村人たちの間に、少しずつランプが売れるようになっていく。
しかし物語はこのままでは終わらない。しばらく年月が経つと、村に電気というものがやってくる。街道沿いに電柱を並べ、電線が引かれて村にも届くようになるのである。すると、電球の明るさはランプの比ではない。こうして、主人公のランプ商売は、しだいに売れ行きが衰え、立ちゆかなくなっていく。彼は必死に電気の批判を口にしたりするが、技術の潮流には逆らえないことを、我が身をもって次第に悟る。
そのとき、倉庫からすべてのランプを持ち出した主人公がどうするかは、ぜひ新美南吉の美しい文章で読んでほしい。それは忘れえぬ美しい結末である。ただ、祖父のその後の身の振り方は、冒頭のエピソードから想像できるだろう。彼はランプ屋を廃業して、本屋になるのだ。
「おじいさんのランプ」は、決断に関する物語である。それも、希望を持って新しい道を選ぶような決断ではなく、苦渋に満ちた「やめる」ことの決断だ。杖とも柱とも頼りにしてきた、自分自身の一部のように慣れ親しんだ仕事をやめ、手探りで次の道をさがす決断。それは決してたやすいことではあるまい。
この物語を読むたびに、わたしは幾人かの中小企業の経営者の顔を思い出す。その人たちはいずれも、自分が起こし、あるいは家業として継いだ小さな会社を、存続のためあえて商売替えして生き延びてきた人たちだ。ある人は職人仕事が安価な工業製品に追われたため、製造から販売業に転じた。ある人は自社製品が小さな市場で一巡してしまったため、見切りをつけ全く別の商材を開発して売ることに賭けた。どちらも、目をつぶって清水の舞台から飛び降りるような決断に思えたにちがいない。本人にとっても、従業員や家族たちにとっても。
わずか数人でも、人を雇って事業をすることは、きわめて社会的な責任と義務の伴う仕事である。法人格を構えた瞬間から、帳簿をつけ税金を納め、社会保険を負担し労働協約を結び、登記簿や融資借入から産業廃棄物の心配まで、ありとあらゆる法規に対応しなくてはならない。しかも、そうしたことはある意味で、周辺的な雑事である。一番本質的な責任は、生きるために商売を続けるという事だ。ところが小企業の商売をめぐる環境は、冬の海の天気のごとく変わりやすい。同じ漁場に網を打って、魚がとれ続けるとは限らない。そのとき、どうするかを考えて決めるのが、経営者の仕事だ。
ある経営者とは、こんな議論をしたこともある:外洋で大きなタンカーを運行することはたしかに難しい仕事にちがいない。しかし小さなヨットで外海を走るのだって、別の意味で難しい。巨大なタンカーは滅多に沈まないが、ヨットは不安定で、風向き次第では転覆しやすいからだ。タンカーが沈没すれば新聞の一面記事だが、ヨットが転覆しても紙面の隅にも載らない。だから30万トンタンカーの船長が、30トンの船長の1万倍偉いことにはならない。難しさの質は違うが、どちらも大変な仕事なのだ、と。わたしはそれを、自分の会社にひきつけて考えてみた。目の前にいる、ほんの30人ばかりの企業の社長と、勤務先で300人以上のチームを率いる大プロジェクト・マネージャーと、どちらが偉いのか? そういう比較は意味がないのだろう、大変さの質が違うのだから。
おかしなことに、英語には『経営』に対する言葉がない。Managementという言葉は、大企業の采配にも、小さな数名のチームの采配にも、どちらも使える。「経営学修士」がMBA (Master of Business Administration)なんだから、経営は"Business
Administration"のはずだ、と思う人がいるかもしれない。だが、それは違う。経営者のことをBusiness
Administratorなどとは呼ばないのである。Administratorは、行政とか、総務といったニュアンスがむしろ強い言葉だ(だからMaster
of Business Administrationという名称は、米国では最初、批判があった)。「ウチの経営者は」と英語で言うときには、どうしても"Our
top management.."になってしまう。
だが、マネジメントと経営は、別種のことである。経営は文字通り、ゴーイング・コンサーンである企業を存続させ、人々が働き続けられる(さらに言えば、より働きやすくなる)ために行われる仕事だ。一方、マネジメントは、人に働いてもらって、目的を達成することが語義の中心にある。課長だって係長だって、ミドル・マネジメントだ。だが課長は今期販売目標は心配するだろうが、会社の資金繰りや行く末については心配しない。経営には、必ずお金や市場や地域社会に関する責任が含まれる。経理の基本を知らなくても、マネージャーにはなれるが、経営者にはなれない(もちろん、経理の理解は経営者の必要条件だが、十分条件ではない)。
言い方をかえると、マネージャーは与えられた目的・目標を達成することが仕事だが、経営者は自分で目的・目標を設定するのが使命なのである。マネージャーは、自分の判断で仕事を止めることはできない。“こんな商売は先がないから”と言って投げることは、許されない。それができるのは経営者だけだ。それをしなくてはならないのが経営者なのである。その判断が間違ったら、自分が職を失う。中小企業の場合は、家も財産も信用もすべて失う事になる。もちろん多くの部下も、たとえ落ち度が無くても、道連れになる。
「中小企業のオヤジ」というと、世の中には通俗的なイメージがある。頑固で欲張りで家父長的で・・たしかに、あたっている面も多少あるだろう。しかしわたしが知っている、先にあげた経営者たちには、ふとした時、ほんの一瞬だが、ある種の威厳を感じることがある。それは、自分で道を選び直す決断をしてきた人にのみ具わる、ディグニティなのだろう。近代的なマネジメントの理論は知らなくても、この人たちは覚悟を持って生きてきた。冒頭の物語で、ランプを見つけた孫が祖父にふと感じるものは、そこなのだ。
新美南吉の「おじいさんのランプ」は、わずか30頁ほどの短い話だ。15分もあれば読める。どうか、手にとって読んでみてほしい。そして、できるだけ多くの人に紹介してもらいたい。わたしのこの駄文なんか(笑)どうでもいいが、新美南吉だけは忘れてはならぬ作家だ。若くして夭折したかれが、文中に、目立たぬように埋め込んだ、後世の日本人へのメッセージを読み取ってほしい。くりかえすが、これは決断に関する物語である。それは、かれがこの国の一人一人に持ってほしいと願った、勇気についての置き手紙なのだ。
見渡す限りの荒野を、一台の幌馬車が西に進む。手綱を取るのはがっしりとした屈強の男。妻と子供たち、それに従者をしたがえながら、まだ見ぬ新天地を目指し、ある時は川を渡りある時は峠を越え、またある時は野牛や狼の群を警戒し、インディアンの不意打ちを防ぐため銃に弾丸を込めながら、彼らの旅路は続く。いかなる困難に遭おうとも、不屈の意志で乗り越え、一団を率いて数千マイルもの道のりを行く。これがアメリカ人の描くフロンティア・スピリットだ。
勇気を持って仲間を率い(lead)、今までとは違う新しい場所に導く者を、Leaderと呼ぶ。ここにはヒーローのイメージが重なっている。北米の文化において、困難に直面したときは、自分をこうした開拓時代の勇者になぞらえ、自ら鼓舞する事が求められる。もちろん、現代のアメリカ人の過半数は、べつに西武開拓者の子孫ではない。それでも、自らを擬する対象として、開拓のリーダーのイメージがあるのだ。ちょうど、日本のビジネスマンが武士に規範を求めたり、戦国武将の物語を経営者が好んだりするのに似ている。日本人の9割は農民の子孫のはずだが、それでも武士が憧れなのだ。
ところで、英語のleaderは、基本的に同質な仲間を導く人の意味である。会社の経営者をリーダーと呼ぶとき、従業員は同種の仲間である事を表している。では、南部のプランテーションで、大勢の黒人奴隷を指揮していた者は何と呼ぶのか?
黒人たちのリーダー、ではあるまい。それではぜんぜん別の意味になってしまう。こういう農場管理人は、「マネージャー」と呼ぶのだ。黒人労働者、あれは全然別種の生き物だ。連中をどう使うかが、マネジメントだ。こういう感覚は、いまでも米国にうっすら残っている。だから、「マネージャーであることを止めて、リーダーになれ」というような台詞(警句)が意味を持つのである。
アメリカの文化では、リーダーには建国時代の「英雄」の元型的イメージが重なっている。米国の経営書を読むとき、このことを忘れてはいけない。カタカナ商売のコンサルタントが「今日のグローバル経営では」とか「世界の経営学の潮流は」と言うとき、9割は米国でのことを指しているはずだ。米国の経営学が世界をリードしていることに異存はない。それはアメリカ発の多国籍企業が、世界の市場経済を席巻していることと相似形になっている。
それでも、組織のあり方には、出自の文化が影響しており、学問や理論も、その地の文化と無縁ではない。プロジェクト・マネジメントの学会でフランスに行ったとき、欧州のPM研究はかくもアメリカと違うのかと驚いた記憶がある。一口にいうと、アメリカのPM論がプロジェクト自体の内部で、そのマネジメントや合理性を問うのに対して、欧州では社会の中でのプロジェクトのあり方を論じるのだ。同じような違いはリーダーシップ論にも現れるように感じる。そして、わたし達のビジネス思想は、アメリカの輸入概念にかなり依存している。
近代の経営学は、ちょうど100年前、米国のテイラーによる科学的管理法の研究から始まったといわれる。これは工場労働者の生産性の科学だった。しかし、それと並び、リーダーシップに関する研究が、米国のもう一つの大きな流れだ。おそらく元は政治学に連なる系譜なのだろう。少しお勉強してみると、20世紀前半まで、リーダーシップ論は、リーダーの特性・資質の研究が中心だったようだ。リーダーとはどういう人間なのか。どういった能力や性格を持って生まれたのか。その属性を探ろうというアプローチだ。
膨大な研究が積み重ねられたにもかかわらず、50-60年代にはいると、この方法は煮詰まってきたらしい。決め手となる属性が定まらないのだ。もしかすると、リーダーとは生まれつきの資質だけでは決まらないのかもしれない。そこで、次第にリーダーの行動特性を分析する方向に変わった。行動なら学ぶことができ、育てる事も可能なはずだ。
さらに、適切なリーダーの行動は、状況に応じて異なる、という「状況理論」が現れる。それを追うように、今度は「変革型リーダー」などのリーダーシップ類型論が生まれてくる。もちろん、資質論や行動論もまだ忘れられたわけではない。こうして、Harvard
Business Review誌などは周期的にリーダーシップ特集を組む。彼らはよほどこのテーマがお好きらしい。つまり、英雄的リーダーが導く企業、というイメージが皆にうけるのだろう。リーダーシップの必読論文10選などを見ると、じつに百家争鳴である。ただ、どちらかというと、現実のリーダーを分析する記述的研究から、モデルなどを使った規範的な研究に向かっているように感じられる。「リーダーシップはこうあるべき」論である。
では、これに対して欧州の経営学ではどうなのか。これがなかなか、国によって違っている。たとえばドイツ。ここではリーダーシップ研究は微妙な位置にあるらしい。なぜか? ためしに、ネットの翻訳サイトを開いて、英語のleaderをドイツ語に翻訳してみてほしい。Fuhrerという単語が出てくるであろう。では、今度はこのFuhrerを、日本語に翻訳してみよう。すると、20世紀前半のドイツを引っ張った、ある偉大な指導者の称号が出てくるはずだ。アドルフ・・ではじまる、あの人物である。彼は優れたリーダーだと言えるだろうか? 少なくとも、同時代の多くのドイツ人はそう信じたはずだ。オーストリア出身の経営学者ドラッカーは、長年リーダー論には慎重だったそうだが、その背景の一つには、ドイツ語の世界でリーダーがやっかいな位置にあったためらしい。
さて、ドラッカーと相前後して、同じオーストリア帝国の片隅に生まれた一人の女性がいた。彼女は修道女になってアイルランドに留学した後、インドに渡り、後に貧民街で多くの人を助けることになる。マザー・テレサの名前で知られる彼女は、自らの修道会を組織し、傑出した仕事をした人だ。彼女は優れたリーダーだったと言えるだろうか? そう信じる人は多いだろう。とはいえ、コンサルティング会社JMJアソシエイツ のレクチャー資料で、先のアドルフ・某氏とマザー・テレサの顔写真を並べて見せられたときは、ちょっとショックだった。この二人を同時に尊敬できる人は、滅多にいるまい。だとすると、『リーダー』と呼ばれる範疇には、互いに相容れない様々な種類の人間がいるのだ。
「リーダーシップとは何か、皆が知っていると信じている。しかし、誰もが納得する共通の定義は存在しない」というのが、上記MJMアソシエイツの主張である。たしかにその通りだ。だが、それは何故なのか?
“誰もがその存在を自然なものと信じているが、その内容や定義は社会や文化によってころころ変わる”--こうした事柄は、実は社会が作り出した一種の幻想で、実在物ではない、という立場をとる学派がある。社会構築主義Social Constructivismと呼ばれる考え方で、社会的な事象を研究する理論的フレームワークの一つである(ちなみにわたしが初めて社会構築主義を知ったのが、フランスでのプロジェクト・マネジメント研究だったことは以前も書いた)。
さて、この社会構築主義の立場に立って、リーダーシップ論を考えたのが、英国の経営学者マインドルであった。彼は様々な調査と比較実験をもとに、企業の好業績を評価する際に、社員の能力・市場環境・制度などをさしおいて、経営者のリーダーシップで説明することを多くの人が好む(現実がどうだったかにかかわらず)ことを見いだした。また、そのリーダーシップは経営者の変わらぬ資質である、と考えたがる。
ここから彼は、『リーダーシップの神話(ロマンス)』という理論を提唱する。わたしたちは、ピンチになると強いリーダー(≒ヒーロー)に頼る傾向があり、組織のパフォーマンス問題をリーダーシップ不在という言葉で説明しようとする傾向があるというのが、彼の発見である。いいかえるとリーダーシップは、フォロワー達にとって「それが不在の時に最も強く、その実在を信じたくなる」、印画紙のような概念だと考えるのである。
あまりにも英国流のひねくれた意見だ、と思われるだろうか? そうかもしれない。ただ、この理論から予測できることが一つある。それは、制度的・環境的・成員的に大きな問題を抱える組織は、しばしばリーダーに問題を押し付け、やがて頻繁にリーダーを取り替えることになる、という現象だ。組織がリーダーシップを浪費する状況がいったん生まれたら、もはや人々は深く考える事をやめてしまう。かくして、組織はダウン・スパイラルに陥っていく。
マインドルや彼の学派はべつに、リーダーシップを否定しているのではない。それは有用な操作概念だ。だが、いつ、どう使うかが大事なのだろう。最初から、あらゆる問題への「銀の弾丸」として期待するのは、危険なのだ。そのとき、わたし達はリーダーシップの神話を求めていないか自己検証すべきらしい。優れたリーダーの問題は、制度や、環境や、フォロワーの人材などの問題を一つ一つ解決し、外堀を埋めてから攻めるべき本丸のようなものらしい。ご不満だろうか?
だが、そうしないと、浪費家のわたし達が出会い頭にしがみつく次の相手が、独裁者なのか聖女なのか、それともただの凡人なのか、誰にも予見できないからなのである。
たとえば、ビジネスでうまいアイデアを思いついたとしよう。新サービスでも社内の業務改革でも何でもいい。今まで誰も取り組んだことのない、ブリリアントな案だと、自分には思える。ただし、そのアイデアを実現するためには、自分の権限範囲だけでは足りない。上司を納得させ、予算や人を確保し、あるいは役員会でプレゼンテーションが必要になるかもしれない。とにかく、社内に味方を作って、実現に向けていかなければならない。
英語ではこのような行動の事を、きわめて端的に“Sell”=『売る』と表現する。つまり、アイデアの社内への売り込みである。この言い方は、受注ビジネスで、顧客に案を提出して説得する場合でも同じように用いられる。顧客が奇妙な要求を、(例によって)後出しジャンケンのように出してきたとしよう。当方も作業が進んでしまっているので、対案を考えてうまく通さなくてはならない。この場合、顧客はこちらのアイデアに対して、別に何かお金を払ってくれる訳ではない。時間や投入した労力の成果を、対価として認めてもらうだけだ。それでも、こうした行為を英語ではsellと呼ぶのである。
このようなSellの用法を知ると、我々の「売る」という概念が大きく広がる。直接、金銭的な対価を得なくても、相手のcommitmentを得ること。これが売る(とくにアイデアを売る)事の意義だ。では、この種の『広義のセールス』は、どのようにしたら成功するのか。
ちょっと調べはじめると分かるのだが、既存のセールス論や参考書はほとんど使えない。というのも、従来の「セールス論」の多くは実はマーケティング論であって、大量生産品をどう企画するかがポイントだからだ。そのために、顧客ニーズをアンケート調査しセグメント化し、ターゲットを決めて製品開発し、商品サンプルを作り、広告宣伝戦略をどうするかが論じられる。ここまでをきっちりやれば、あとはセールスマンが多少馬鹿でもドンドン売れてしまう・・という論理でできている。いかにも、本社の優秀なマーケターがすべてを決め、あとは全国の契約セールスマンを動員するだけ、という米国企業文化から生まれた発想である。
それ以外のセールス論となると、今度は「優秀なセールスマンの実体験論」、半分自慢話、みたいなものになる。もちろん、売る商品は自動車とか家電とか化粧品といった、大量生産品のモノがほとんどだ。アイデアをどう売るか、という視点はいかにも弱い。
アイデアを売る事には三つの特徴がある。第一は、個別性である。特定の組織や顧客に向けて、ユニークな案を売ること。これが課題だ。誰でも知っている、共通品的な既存のアイデアは、そもそも「売る」必要なんか全然ない。第二は、無形性である。無形だから、頭の中にしか存在しない。商品サンプルも無い。パッケージ・ソフトウェアは無形だが、あちらはデモという手段がある。第三は、非対価性だ。直接的なお金の対価を得ることが目的ではない。これらの条件があるため、アイデアを売る仕事は、セールスマンという職種への分業委託ができないことが分かる。思いついた人間が、自分でやるしかないのだ。
何かを売るときに大事なことは、自分がまず信じることである。自分がその価値を信じられないアイデアなど、誰かに売れる訳がない。だが、その「価値」とは、金銭ではないとすると、一体何なのか?
じつは、このようなアイデアの価値とは、それが何らかの問題への「解決」になっている事なのだ。売上低下とか、非効率性とか、作業の後戻りといった問題への解決。
である以上、次にするべき事は、説得相手の解決したい悩み(ペイン)を掘り起こして、こちらの解決策に方向づける作業だろう。以前、「問題とは、意識的・無意識的に持つ『期待』と、現状とのギャップである」と書いた(「超入門・問題解決力 - 問題とは何か、課題とはどう違うか」参照)。だが我々を取り巻く問題はたくさんあるし、意識に上っていないものも多い。だから対話による掘り起こしが必要なのだ。とくに「解決方法なんかないさ」と本人が諦めた問題は、意識下に押し込められている。それを意識化させ、すぐにも解決が必要な「ペイン」の状態に持ち込まなければならない。
さらに次のステップでは、相手にも少しは考えさせることが必要だ。部下や発注先の言い出した思いつきに、ホイホイ乗りたがる人間は少ない。それに、自分が考えたことでなければ、誰も深くコミットはしないものだ。
このために、Open question とClosed question を使い分けるスキルを身につけるべきだろう。Open
questionとは、whatやhowで始まる、答えに限定のない質問である。たとえば「この問題を放置したら、影響はどこまで現れるでしょうか?」といったのがopen
question だ。他方、closed question とは、答えがyes/noとか限られた選択肢だけの問いかけだ。「放置すると最終的にはユーザの使用率に現れないでしょうか?」「ウーン、出るかもなあ」といった感じである。こうした問いの使い分けはディベートや雄弁術でよく利用される。
このような問いかけにより、相手にペインの影響、原因、そして解決できた時の効果の順に考えてもらう。そうすると、相手の心に「対価」としての価値が自然に浮かび上がってくるはずだ。その時こそ、自分のアイデアを売るタイミングなのだ。この手順を踏まずして、ただ「自分のアイデアは正しくてこんなにスゴい」とだけプレゼンしたって、誰も買わないだろう。それでは、相手国の現実やニーズを見ずに、「ウチの製品はこんなに高性能で良い品です」とやって、シェアを落としている企業と同じになってしまう。
もっとも、ただ、このとき相手が全然別の「解決策」を思いついてしまう、というのもありがちなリスクだろう。ここらへんは、相手をどこまで読むかの能力が必要になってくる。
このように、個別性の高いアイデアを売る時には、マクロな(=画一的な)方法論ではあまり役に立たない。つねに直面する相手の出方や望みを察していくことが大事なのだ。その意味で、こうしたアイデアを売る仕事は、きわめてサービス業的であるといえるだろう。そしてサービス業である以上、そこには『感情労働』の問題が生じてくる(「サービス、『感情労働』、そしてプロジェクト・マネジメント」参照)。
実際のところ、プロマネの仕事の8割は、こうした意味での広義のセールスではないかと、わたしは思っている。それは受注型か自社型プロジェクトかを問わない。だとしたら、マネジメントに携わる人間にとって、(たとえ自社の業界がいずこであれ)流通・サービス業の知恵を学ぶことに価値があるはずだろう。そのような訳で、プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会で、「流通・サービスのエンジニアリングとマネジメント」のミニ・シンポジウムを開催する事にしたのである。
ちょっと宣伝くさい落ちの付け方だが、どうぞ皆さんご来聴ください。何より、無料で、非対価的です 🙂
製品のグローバル、組織のグローバル、そして人材のグローバル
(2012/10/16)
あるとき、西日本の食品メーカーを訪れた。製品は地味ながら有名で、関西で知らぬ人はおらず、関東でもちょっとしたスーパーならば必ずおいてある、そんなメーカーである。立派な上場企業だが、年商は数百億、製造業としては中堅規模だ。営業組織は全国にあるものの、工場は本社工場ですべてを生産している。工程の説明をしていただいてから、本社企画部門の方にERP導入プロジェクトの話を伺った。話の内容からきくと、会計系への導入は大丈夫だろう。販売と物流も、細かなことをのぞけばなんとかなるかもしれない。しかし生産管理は、そのパッケージでは無理だと感じた。でも、裏情報によると、米国帰りの二代目役員が言い出したプロジェクトなので、失敗は許されない--そんな話だった。失敗が許されないプロジェクトは、皮肉なことだが、リスクが非常に高い。その案件は結局そのままになった。
さて、話は(いつものことながら)急に飛ぶ。以下は伝聞である。とあるエンジニアリング会社を、英国の外交官の方が訪れたらしい。経営トップ以下おもだった役員が出てきて、ゆっくりと意見交換をされた。この方は日本に滞在中の数年間、いろいろな企業を回って意見交換と情報収集をしてこられたようだ。会議を終えたとき、「これまで多くの日本企業を回ったが、通訳を交えずに、役員の方々とじっくり議論ができた会社は初めてだ。」と感謝の意を表されたという。つまり、他の日本企業では通訳が必須だったし、ディスカッションもあまり内容がふくらまなかった、ということなのだろう。
ありうることだ、とわたしは思った。日本に大手のプラント・エンジニアリング会社は数社しかないが、どこも仕事の大半が海外向けである。そう言う状態が、もう25年以上続いている。英語でまともに交渉や議論ができなかったら、上のポジションにはあがれない業種なのである。しかし、そんな業種は日本では例外的だろう。
ところで、かりにそのエンジ会社に、アメリカかカナダの技術者が社員として雇われたとしよう。海外プロジェクトに従事している限り、設計文書も図面もメールも英語だから、仕事はいいだろう。同僚も一応、(上手下手はあっても)英語を話すはずだ。しかし会社からの通達や、伝票や、社則その他は、ほとんどが日本語であろう。その人は、“これでもグローバル企業なのか?”と文句を言うかもしれない。その問いには、どう答えるべきだろうか。
今や国境なきグローバリゼーションの時代であるとか、グローバル資本主義と国家資本主義の対立の時代であるとか、メディアはかまびすしい。「グローバル人材」をどう育てるかをテーマとした講演会や本の案内やアンケートも、ひっきりなしに来る。一種のブームであろう。ロールモデルとなっているのは、自動車会社や電機業界など、海外で生産・販売している大企業である。さらに、米国その他の多国籍企業も究極のお手本なのだろう。一流大学を出てから留学してMBAなどをとり、外資で活躍した経験のある横文字職業の方々が、そうした世界での流儀と苦心を披露される、という趣向である。
そこで、わが社もどうしたらグローバル化を促進することができるのか、などといった議論が、あちこちの役員会議室や経営企画部門で議論されている、のかもしれない。ブームに対し冷ややかでいられる日本人は少ない。問題を突きつけられたら、とりあえず何か回答を出さないと落ち着かないというものだ。
では、最初にあげた食品会社の例をちょっと思い出してほしい。このメーカーは、西日本のローカル会社なのだろうか? それとも全国企業だろうか。ここの製品がアジアその他、海外でたくさん売れていたら、グローバル企業と呼ぶべきだろうか。彼らはそれを、選んでなったのだろうか?
米国のビジネス用語では、企業の規模あるいは形態を、Statewide, Nationwide, Globalで分類することがある。これにならって、日本企業も「地方企業」「全国企業」「国際的企業」と呼ぶことにしてみよう。地方とは、東北とか九州とか関西とかいった単位である。そうすると、電力会社は(たとえ売上規模が世界トップレベルでも)地方企業という事になりそうだ。他方、小さな特殊ネジ部品を製造する中小企業があり、某有名スマートフォンに組み込まれて世界中に広まっていると、グローバル企業、いや国際的企業である、ことになりそうである。だとしたら、最初の食品メーカーは、全国企業だといっていいだろうか。
もっとも、論者によっては、「小さなネジ部品の製造業者は、自分で世界を相手にしているわけではない。グローバル企業の製品に使われているだけで、直接の取引相手は1社、そこの日本支社なのだから、国際的などとんでもない。マルドメ企業だ」というかもしれない。『マルドメ』とは、“まるっきりドメスティック”な日本の会社を指す、商社の隠語である。電力会社は、海外からLNGなどを輸入しているといっても、商社経由なのだから、多少のスタッフを海外に駐在させていようと、国際的企業ではない、という議論になりそうだ。では、最初の食品メーカーは、全国に営業網を持つから全国企業なのだろうか、それとも本社工場しかないから地方企業なのだろうか?
こういう風に議論が混乱するときは、何か違ったレベルの問題を、同じ論点に持ち込んでいないか疑った方がいい。この場合もそうなのだ。タイトルを見た読者諸賢はすでにご想像いただいたと思うが、グローバル化には、製品、組織、人材の三つの次元があって、区別して考えるべきなのである。製品というモノの国際化、すなわち国際市場での位置は、誰の目にも明らかだ。組織については、その企業が、競争力の『コア』と考える機能部分を海外に出しているかが、モノサシになる。人材も、そうだ。『コア』と考える人材のどれだけが国際化しているかが尺度ではないか。
日本の製造業の典型的な国際化のパターンは、次のようなストーリーだ。まず、製品が全国市場にいきわたる。それから、部分的な輸出がはじまる。性能と品質と価格のバランスが(為替の追い風もあって)適当なため、海外市場でも次第に競争力を発揮する。最初は商社経由の輸出だったが、やがて現地にも営業拠点の支社をつくる。営業はつねにローカルな行為だから、現地採用者が中心になる。さらに、保守やアフターサービスの仕事も必要になる。次第に現地法人はサイズが大きくなる。そのうち、為替が円高の向かい風に逆転する。安価な労働力を求めて、生産拠点もアジアの途上国に展開するようになる。あちこちで作って、あちこちに物流して販売する。だが、主たる技術開発も、初期流動(製造工程の量産化準備段階)も、そして経営戦略立案も、日本の本社が行う。これが現在のおおかたの姿であろう。
モノはすでに国際化した。組織は? もしその会社が、製造・販売や保守をコア機能だと信じているなら、組織レベルの国際化も達成である。そうでないなら、まだ30-40%の国際化かもしれない。人材は? それは分からないが、単なる国籍別社員比率で測れないことはお分かりだろう。
くだんの食品メーカーでは、製品企画と、製造(とくに味の調合)が競争力のコアであった。だから、この会社は地方企業なのだ。ネジ部品のメーカーも、電力会社も同じだ。会社の大小にはかかわりない。
もっとも、すべての業種が、モノ→組織→人材、の順に国際化するわけではない。たとえば建設業、受託ソフトウェア開発、部品加工、物流業などは、原則として受注ビジネスであって、自分オリジナルの製品を持っているわけではない。こうした業種では、顧客の提示する仕様や基本設計があり、それを実現することで収入を得る。だから、顧客と対等に議論・交渉できる能力が問われる。そのためモノの国際化はすっとばして、いきなり組織のレベルからの議論になる。最初のハードルが少し高いわけである。
そして、人材だ。これも、コアの人材が問題で、彼らが自国以外の人とも対等な感覚で、協力して仕事ができるかが尺度になる。それは、組織のコア部分が海外に出ているから、必要なのである。社員全員が英語をしゃべれる、だけでなく、英語できちんと海外ビジネスを回せるかが重要だ。極端にいえば、別に通訳経由であっても、相手を不快にさせず、協力と敬意を受けることができれば、海外ビジネスとしては及第点である。逆に海外グループ企業に何万人かかえていても、“あいつらはいつでも取り替えがきく安価なリソースだ”と思っているなら、それはコア人材ではあるまい。コアでない海外組織には、ぞんざいな命令だって、通ってしまう。そのような意味では、世に言う欧米の多国籍企業だって、どこまで「グローバル化」しているのか、疑問に思うことがある。
それにしても、最初の食品メーカーは、まず組織での「全国企業」レベルを目指すべきなのだろうか? わたしは、決してそうは思わない。あの市場規模では、たとえ売上が倍になっても、営業マンと企画と技術と製造とが、本社でワイワイがやがや議論して製品開発を続けるので十分だし、むしろ賢明である。利益がきちんと上がっている限り、無理に東京に本社を出したり外国製のERPパッケージを入れて鼻を高くしたりする必要はないのだ。逆に、エンジ会社の社員がみな英語をしゃべるのは、国内プラント市場が’80年代後半に飽和縮小してしまったからである。生き延びるため、やむなく、外に出たのだ。
グローバル化は、その会社にとって必須の時がこなければ、実現しない。グローバル化それ自体が自己目的となっていたとしたら、それは問題の設定を間違えているのである。
逆張りで成功した部下は、どう評価すべきか
(2012/10/08)
マネジメントの一番中核の部分には、「人を動かして目的を達する」行為がある。人を動かす、というのがポイントで、自分自身で手を動かして何か成果物を生み出す行為は、マネジメントとはよばない。そして、マネジメントには客観的・計量的なテクノロジー(技術)が存在する、というのがこのサイトでずっと主張していることだ。それは具体的には、バックワード・スケジューリングだったりスループット会計だったりEVMSだったりする訳だが、いずれも対象業務分野に依存しない、汎用的なマネジメント・テクノロジー=管理技術に属する。
とはいえ、マネジメントが、“人が人を動かす”行為である以上、そこには必ずヒューマン・ファクター=属人性が入り込む。人間対人間の関係は複雑である。全く同じ事を同じ人に言っても、かえってくるアクションが違うのはざらで、真逆になることさえある。最近の脳科学者たちの主張によれば、人間の脳は『複雑系』らしい。複雑系は非常に多数の要素が絡み合った系で、個々の要素は単純な法則性に従うが、全体のふるまいはほとんど予測不可能だという。だとしたら、同じ事を頼んでも、相手のアクションが予測しがたい現象(家族間でさえ、いくらでも起きる)は驚くに値しないのだろう。
個人対個人のマネジメント的活動の中でも、一番むずかしくてやっかいなのは、『評価』ないし『査定』ではないだろうか。組織の中で毎期必ず巡ってくるが、まことに気が重くなるタスクである。自分が上司にどう評価されるかは、つねに気がかりだが、自分が部下を評定するのだって、頭痛のタネである(ま、世の中は広いから、大喜びでやる人だっているのだろうが)。
難しいのは、やむを得ず辛口な評価をしたときにも、相手がやる気を持ち続け、自分について来るようにようにしなければならないことだ。そのためには、日頃から機会を捉えて、評価の視点を教えつつ、自分が公平であることを伝えていかなければならない。
そこで、ちょっと考えてみていただきたい。あなたの部下ないし後輩が、あるシチュエーションで、ふつうの定石とは逆の手を打ったとしよう。あやうい、とあなたは一瞬思うが、意外にも結果は好転し、良いパフォーマンスを得られたとする。このとき、その部下or後輩を、ほめるべきだろうか、とがめるべきだろうか?
わたし達の仕事では、先の読みにくい不確定な局面がいくらでもある。合い見積で競合し、受注できるかどうかわからない時、外注先の能力に不安がある時、材料の市場価格に変動がある時、等々、いくらでも例は挙げられよう。そんなシチュエーションのいずれかを考えてほしい。もう少し条件を明確にして、その部下の行動は裁量範囲をひどく超えている訳でもないし、規則に反したのでもないとしよう。また、あなたの知らない情報を入手していたわけでもなく、ただ特段の客観的根拠なく、逆張りをしたのだった。
さらに言えば、そのシチュエーションでは、通常の行動と、その逆の行動は、統計的に60:40の比率で結果に表れるとしようか(あなたの会社はまともな会社なので、過去の経験値をちゃんとヒストリカルに集積・分析しているのだ)。それで40%の方を選択したのだが、結果としてはオーライだった。勘が良かったのか、あるいは単に運があったのだろう。これをどう評価するか。
ビジネスは結果がすべてだから、良くやったと賞賛する。あるいは、今回はツイてただけで、定石には根拠があるのだから従え、と叱咤する。どちらもありそうだ。さらに、結果については誉めておいて、やり方については叱る、という中間的な答えもあるかもしれない。いや、やり方には一応釘を刺しておくが、結果は大いに誉める、という順番もあろう。こうした評言はどれも、「結果を誉める」「方法を叱る」という二つの評価の混合である。誉めると叱るの『混合比率』が1:0か、0:1か、あるいは0.5:0.5、0.3:0.7などと表現できる。
さて、読者諸賢がどの答えをとられたにせよ、もう一問、たずねたい。もしも相手が部下ではなく、上司や、もっと上級のマネジメントだったら、どうだろうか。もちろん自分が査定できる立場にはないが、それでも評価はしたくなるだろう。飲み会その他のアンオフィシャルな場で。その時、部下と同じ評価をするだろうか? いいかえるなら、整合性の取れた評価の原則を持てるだろうか?
わたしの考えは、こうである。まず、仕事の方法(=プロセス)を叱らなかった場合、その部下は、次に同じようなシチュエーションで、どうするだろうか。やはり同じように、自分なりのカンで動くにちがいない。次にまた逆張りをして、今度は失敗に終わったら、どう評価するか。あるいは逆張りで、またうまくいったら。この人が、通常の定石よりも良いパフォーマンスを出せるという事を示すためには、何回トライアルを許せばいいだろうか。ま、2回や3回でないことはお分かりいただけよう(情報量基準という手法を使うと何十回必要か計算できるが、ここでは略す)。
また、もし仮にこの人が、通常よりも良いパフォーマンスの持ち主だったとしても、その根拠を「カン」以外で示せなかったら、まったく属人的で、組織では共有不可能な能力だ、ということになる。またその能力が、別のポジションで、別種のシチュエーションでも通用するかどうかの保証もない。つまり、「方法」というのは、誰がやっても安定したパフォーマンスを示せてこそ、組織にとって価値があるのである。たとえ確率60:40でも、『定石』にはその価値がある。結果は、そのときどきの良しあしがあるだろう。しかし長期的には、良い結果が多くなっていく。言いかえれば、プロセスとは長期的な成績の評価なのだ。他方、「結果を誉める」のは、短期的な成績評価だと考えられる。
さて、組織のピラミッドで、短期的な結果を最も求められるのは誰か? それは経営者であろう。四半期毎に良好な業績を示さないと、株価下落や、株主総会での非難を受ける。一方、短期的な成果を最も求められないのは、新入社員である(仕事の全体像を知らないのだから当然だ)。新人にはまず、規則と常識的プロセスに従う事を教える。そして、組織の序列を上がって行くにしたがい、評価軸はプロセスから結果へと比率が移っていく。経営トップは、結果のみだ。それはちょうど、仕事における裁量範囲に一致している。トップは原則として最大の裁量を持っているのだから、それで万全のパフォーマンスを上げられるはずだ、という理屈になる。図にすれば、次のようになるはずだ。
だから、最初の問題に戻れば、あなたの部下が組織内のどのポジションに位置するかによって、「結果を誉める」「方法を叱る」の比率を変えるべきだということになる。もし、まだ下の方のポジションだったら、“自分の直感ではどう感じたにせよ、60対40の確率の時には60を迷わず選べ”と諭すべきだ。それが、フォームを持つ、という事だ。また逆に相手が上司だったら、結果による評価の比率がずっと重くなるはずだ。
もちろん、これはわたしの意見である。こうした人事評価の問題には、いろいろな意見があるだろうし、確定的な正解というものはないと思う。ただ、この評価のブレンド比率が上下で逆だったら(次の図参照)、なんだかおかしいと感じる人が多いのではないか。つまり、どんなひどい結果が出ようと、トップは批判されずに済み、一方、下の者ほど、短期的な結果で尻を叩かれる、という組織である。これに比べれば、最初の図の方がずっとましな混合比率だとわたしには思える。
わたし自身は、経営トップが100%短期的結果だけで株主から評価されるのも、少しアンバランスだと考える。株主にだって、会社の長期的なパフォーマンスを見る視点をもってもいいではないか。現在の株式市場が、もし短期だけの浮動的論理で動いているのだとしたら、それは市場が自分自身の首を、少しばかり絞めているのではないかと感じるのである。
交流と直流の違い、または技術者の心について
(2012/09/01)
これも去年の春の話。久しぶりに昔の仲間で集まって飲んだ。メンバーの肩書きは、霞ヶ関の高級官僚たち、大手銀行の役員、公立大学や私大の教授、巨大外資系企業の役員兼弁護士と、錚々たる顔ぶれだ。いつまでもうだつの上がらぬエンジニア稼業をやっているのは、わたし一人である。ついでにいうと理科系も、わたしだけだった(本当はもう一人、原子力ムラの公的中核企業の技術者も来る予定だったのだが、多忙すぎて来られなかったのだ)。
話は当然ながら、まだ余塵おさまらぬ原発事故と計画停電が中心になった。いったい原発の内部状況は本当はどうなっているのか、近いうちにまた大きな地震が来たらどうすべきか、浜岡原発の停止は是か非か、といった話題がつづく。
「それにしても、原発の仕組みって、あんな風になっていたんだね。」と大学教授の一人が言う。
--そうなんだ、あれは単なる巨大な湯沸かしで、その蒸気でタービンを回して電気にしているんだよ、とわたしも答える。
「半分以上の熱は、海に捨ててるんだって?」と高級官僚がきく。
--そうだけど、それは火力発電所だって同じだよ。
わたしはそう答えながら、“しかし、今回の原発事故は不幸だけど、国民に与えた教育的効果は大きいな”と内心思った。
さらに、首都圏の電力不足に対し、西日本の電力は60Hzで周波数が違うから、融通にはキャパの限界がある、という話になった。なんで同じ国なのにサイクル数が違うんだ、という当然の疑問を皆が抱く。と、弁護士がこうたずてきねた。
「佐藤さん、ちょっと初歩的なこと聞いていいですか?」
--いいよ。何?
「あの、直流と交流って、何が違うんですか。」
すると、周りにいた他のメンバーも同じように、そうそう、実はそこが知りたかった、という。
さすがに苦笑して、答えた:
--直流ってのはね、電線を電気が一方向に流れていくわけ。ところが交流は、電気が波みたいに行ったり来たりするんだな。それでも、電気のエネルギーはちゃんと伝わるんだ。
すると、次の質問が来た。「えーと、それって、どっちも貯めることできるんですか?」
--蓄電池のことだったら、直流は貯められます。でも交流は、揚水発電をのぞけば、貯められないと思った方がいい。つまり、貯められるのは直流だけだ。あとで交流に変換できるけど、効率が落ちるね。
「そうか! 交流って貯められないのか。だから電力問題は難しいんだ。」皆はなんとなく積年の蒙が啓けたような顔になった。そして次の質問を無邪気に繰り出してきた。
「佐藤さん。じゃ、どうして交流なんて使うんです?」
さて、これは説明が難しい。元々、交流は誘導モーターとワンセットだった。エジソンの部下だった天才テスラが、「整流器のないモータを考案しろ」と命じられ、一生懸命考えた結果が、三相交流による送電と誘導モーターの同時発明だったのだ。わたしは、中学校の教科書に載っていた誘導モーターの説明図を、今もよく覚えている。アルミは磁石にはくっつかないのに、回転する磁界が、アルミの回転子を回ししていく。まるで手品である。どこにも物理的な摩擦や接触がなく、非常に効率の良いエネルギー伝達の仕組み。テスラのこの画期的発明は今も、世界中の工場で、動力源として数え切れないほど使われている。しかし、誘導モーターの仕組みを、宴席にいる仲間の面々に言葉だけで上手に説明する自身は、わたしにはなかった。
それにしても--と、帰り道に思ったものだ。--直流と交流の区別さえ知らない人たちが、日本の産官学の枢要な位置を占め、政策や戦略の意思決定をしているのだ。その中には、科学や技術に関わる予算や融資などの意思決定もあるにちがいない。だが、わたし自身は、別にそれが不当なことだとは思わない。たしかに、中学校の科学の教科書のレベルを、たまたま、わたしは知っていて、彼らは知らなかった。しかし、わたしが中学の英文法や日本史や国語の故事成語を、すべて理解しているかといえば、無理だ。中学レベルの知識さえ、誰しもオールラウンドにはなれないのだ。
自分がよく知らないことについて、どう判断を下すべきか? ここで話は、前回『技術者たちの沈黙』に書いた問題とつながってくる。前回、科学と技術は違うものだ、と書いた。その差は、管理あるいはマネジメントの視点から見ると、最もよく表れる。
科学、とくに基礎的科学研究は、あまり管理すべきでない、というのがわたしの信条である。わたし達の社会は、科学研究を年度刻みの予算と目標と効果で、あまりにもガチガチに縛りすぎる。いかにも“適切な目標設定と、社会的有用性の認識と、予算によるコントロールが科学研究の効率を上げる”、と言わんばかりである。しかし、こんなのは全く間違っている。科学というのは本来、真理に対する知的好奇心だけが原動力となって進むべきものなのだ。それがどこに向かって、どんな社会的成果を上げるかは、研究者にたずねるべきではない。
電線に電流を通じると、近くにあった磁石が反応して向きを変える、電磁誘導現象を発見した英国の学者ファラデーは、その発見が世の中に何の役に立つのかという質問に対し、「生まれたばかりの赤ん坊は、世の中で何の役に立つのか?」と切り返したという。彼の発見は、その後、モーターの発明として産業を根底から変えてしまったが、それは結果にすぎない。科学は中立なものであって、その効用をもとに管理すべきではないのである。
ところが、技術は違う。技術はマネジメントが必要である。なぜなら、技術は直接、役に立つ効用を生みだすものだからだ。それ自体は良いことのように思われるが、人間や社会の側は、そう単純ではない。効用は遠からず、社会の中で金銭や武力にむすびつく。そして、必ずや一人歩きし自己膨張していく傾向にある。いずれは資源を貪り食うようになる(例はリアル世界でもネットの中にもいくらでも見つかる)。だから、これを社会の中で適正なバランスの中に落とし込むことが必要なのである。むろん、技術を怖がって、角を矯めて牛を殺す愚は避けなければならない。そうではなく、力ある雄牛のように導いていくことが大事なのだ。
ところが、この技術のマネジメントというのが難しい。わたしは自分の勤務先で、いくつかのプロジェクトの中の技術を見ているにすぎないが、この程度だって簡単ではないのに、社会の中での技術政策となったらはるかに大変な仕事だ。それを、中学レベルの科学知識も危うい人たちがやるのである。
そこでよく登場する誤りが、「技術は技術者にマネジメントさせろ」という主張だろう。つまり、技術をよく知っている人間でなければ、うまく決断できないはずだ、との信念である。まあ、いかにも技術屋らしい勘違いだと思う。これはいつかも書いたことだが、ある大手IT企業との協業で、プロジェクト・チームに元部下を派遣したところ、相手先のリーダークラスの人間が出てきて、「お前はJavaのコードを1行だって書いたことがあるのか? それなのに、なぜ俺たちのプロジェクトをマネージできると思うのだ?」と突っ込んできたという。
こういう発想は、かなりモノ・カルチャーな技術分野で育ったエンジニア特有のものだ。もし彼のプロダクトが、ハードもソフトもDBもミドルウェアも通信も制御も包括する、広範なものだったら、どうするのか。すべての分野で最善の知識を持った技術者でなければマネージできないとしたら、誰も適任者はいなくなる。オーケストラの指揮者は、すべての楽器を演奏できるべきだろうか? 映画監督は、演技もカメラも照明も録音技術も、すべて通暁している人間が最良だろうか。
そうではないのだ。知ることのできる範囲は限界がある。もちろん、全く知らない、あるいは無関心では、マネジメントの仕事はできない。しかしマネジメントにおいて知るべきこととは、その技能やコツではなく、必要なアウトプットとインプットと資源、そして制約条件なのである。
それでも、問題が起きたときはどうすべきか? 問題解決はマネジメントの重要なファンクションではないか。技術を知らなくて、問題を解決できるのか?
そこで最終的に戻ってくるのは、技術者という人間である。誰に聞けば、まともな答えを返してきそうか。その人間の意図はどこにあるのか。知っている範囲はどこまでか。そして、問題解決への熱意はどれほどあるのか。これを、人を見て判断するのがマネジメントだ。
マネージする者は、技術の中身をよく知らなくてもいい。しかし、「技術者の心」は良く知る必要がある。技術を推進するのは結局、人間だからだ。人間には希望も感情もある。技術の政策を考えるときは、技術者の心をよく理解してほしい。同じ人間同士だから、できるはずだろう。交流と直流の違いをたずねた昔の仲間たち、あるいは彼らに代表される社会の中枢の人たちに、わたしが期待したいのはそこなのだ。
(テスラと彼の交流の発明については、下記の本が非常に見事にその状況を解説している)
本郷の喫茶店でのんびり珈琲を飲んでいたら、後ろの席の話し声がぼそぼそと聞こえてきた。去年の春、まだ毎日の予震におびえていた時期のことだ。その喫茶店も半地下の穴蔵のようになっていて、もし大きな揺れがきたらどう逃げるべきかと思いながら、低い天井を見上げていたら、声が耳に入ったのだ。話し声は、口調からいって年配の学者らしい。それも、遠くから来てひさしぶりにまみえた旧友同士という感じだ。近くの大学で、複数学会をまたいだシンポジウムがあって、その帰りだったらしい。
その人たちは、原発事故の危機対応について話しているようだった。理工系の学者なのだろう。「リスク・コミュニケーション」という言葉も聞こえた。これは分かったようでわからない用語なので、わたし自身はあまり好きではない。ともあれ、不安におびえる住民大衆に向けて、どう冷静に事象を伝えて余計な心配を取り除くか、といった文脈が議論のようだった。放射線量だ何だといった、ややこしい話を、中学生レベルの知識もおぼつかない人達に分かってもらわなければならない。難しい仕事だ。
「それにしても、さっきの会議で『コトダマ』云々という発言が出てきた時は驚きましたね。」「ああ。あの方は文科系の学会の人です。」「日本人は言霊信仰が強いから、よくない結果の予測を口にすると、それが現実になるのではと怖れる、だとか。典型的文系の人の発想ですな。」「そうそう。」彼らは多少のアルコールのせいか、声が大きくなった。「そんな事を言っとったら、客観的な事実も口にできなくなる。」
この人たちにとっては、客観的で確実なファクトの伝達が重要で、それが伝わるかどうかは相手の理解能力による、と考えているらしい。いかにも科学者の意見らしい。しかし、同じ学者同士でも文系相手だと話が通じないのに、どうして一般大衆相手には話が通じるはずと思えるのだろう?
この奇妙な楽観主義はどこから来るのか。
福島原発事故の後、テレビでは科学者のインタビューばかりを見せられた。なぜ科学者なんだ? これは技術の問題ではないか。--でも世間の人は、いや、メディアの人達も、科学と技術の区別がわからないらしい。両者の違いは明白だろう。科学者とは、客観的で論理的に確実な事のみを口にする人々である。確実でない、検証しえないことを主張したら、その瞬間から科学ではなくなってしまう。だから彼らに事態の予測や対策を求めるのは無理がある。それは科学を超えた、憶測と判断の領域である。それでもメディアがしつこく求めるから、彼らも“個人的見解”と断って発言する事になる。メディアはそれを、専門家のお墨付きとして報道する。
で、一般大衆は信じて納得したか? 答えはノーである。たしかに、大衆に基礎知識や理解能力が欠如していたかもしれない。では、喫茶店の隣席の学者達がいうように、時間をかけて大衆を啓蒙するしかないのだろうか。だが巨大な災害のときに待つ時間なんかない。
あのとき人々がとったのは、全く別の方法であった。話している学者の顔をテレビの画面で見て、“人物が信じるに足りるか"を判断したのである。これはある意味、当然の事だった。わたしだって、自分の専門領域でない報告を他人から聞くとき、真っ先にするのは「この人はまともなことをいっているか」を顔つきや口調から判断する事である。科学では、真理は誰が口にしても真理であり、発言者の人格は関係ない。しかしわたし達の仕事ではそうではない。実際、この判断を抜きにして、仕事なんてできないといってもいい。世間の人だって、原子と電子の区別はつかなくても、誠実と嘘つきの区別は、ある程度できるのである。
それにしても、あの原発事故直後の日々、わたしが最も渇望したのは科学者でなく、原子力発電所という複雑なシステムを知っている技術者の発言であった。技術者は、本質的に不確実な状況下で推測したり判断する事が、職業的に求められる。原子核物理学の専門家は、果たして普通のボイラーのバルブだって見たことがあるかどうか疑問だ。しかし経験を持つ技術者は、どこのラインのどんな種類のバルブはどれくらいの温度圧力でどういう使用法に耐えるか推測できる(たとえ原発の設計者でなくても、それくらいは図面と仕様を見れば判断できるのだ)。ちなみに発電所が外部電源を全部喪失した時も、リアクターの温度や圧力は(部分的に)計測され続けた。測定には電源がいるのに、である。これはプラント技術者からみれば驚くにあたらないが、仕組みを知らない科学者には手品のように見えたにちがいない。
繰り返すが、技術屋は推測と判断の世界で生きている。複数の推測があり得るときは議論をする。そして、どれかに賭けて、決断する。技術屋が推測に慣れているといっても、別に、いつも正確な予測ができるという事ではない。自分の推測が、どの程度信頼できるか(いいかげんか)を自覚できる、という意味だ。そうした信頼度を含めて、なにが起きているのか、この先どうなりそうか、そして何をすべきか意見する。わたしは、そうした話を聞きたかったのである。だが、この分野の専門技術者はメディアにほとん発言しなかった。メディアがインタビューしなかったばかりではない。ネットでもまず、発言にお目にかからなかった。
その理由は、明白に思える。それは、技術者が組織人だからだ。彼らは何らかの会社か機構に属している。口を開いて何か言えば、必ず所属する組織と利害関係が生じる。この国では、電力会社や重電、建設業界や官庁と無縁でいられる組織など殆ど無いのだ。だから必ず、どこかに係累が及ぶ。この、わたし自身だってそうだ。勤務先の顧客に電力会社がいる以上、原発事故について実名で論評するのは困難だ。一方、科学者はほとんどが大学人である。建前上、中立でいられる。だから自由に発言しやすい。
ここから先は原発事故を離れた一般論になるが、トラブルや失敗から学ぶ事は、技術とマネジメントにおいて本質的に重要な事である。不確実な状況で決断する者にとって、全戦全勝という事はあり得ない。むしろ不都合な事実から、いかに学ぶかが進歩の鍵なのだ。とりわけ、プロジェクトと呼ばれる行為の世界は、そうだ。プロジェクトとはユニークな、それぞれ個別な取り組みだからである。
ところが、技術者にとって、部署や会社の壁を越えて現実の話をできる機会は、きわめて限られている。本来は学会などがその場所となるべきなのだが、そうはいかない。なぜなら、学会で発表されたことは原則公開され、世界中の人に知られる可能性がある。しかし、プロジェクトのほとんどは(成功であれ失敗であれ)外部に出せないものだからだ。
わたしが、「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」という活動以外に、もう一つ、『事例検討会』という場をつくろうと思い立ったのは、そうした理由からだ。学会とは正反対に、こちらは完全に非公開とする。配付された紙の資料は、その場ですべて回収し裁断処分する。そのかわり、現実の話をディスカッションできるようにする。
まだ試行錯誤中の試みだから、うまく行くかどうかは分からぬ。これを成立させるためにはいくつか条件がいるだろう。一番大きなポイントは参加者の信用だ。だから参加できるのは、得られた情報を口外しないと誓約できる部会員(ないしその知己)のみとする。もちろん、話題提供者が「同じ業界の人は遠慮してほしい」といった条件付けもできるようにする。もう一つのポイントは、ビジネスと直接の利害関係をもたぬ大学人が、キー・メンバーとして関与することだろう。こうした仕組みをとっておかないと、匿名掲示板ないし飲み屋での雑談と変わりないものに堕してしまう。
現実から学ぶことが難しいのは、現実の結果が利害関係の源泉となりうるからだ。とくにトラブル事例は、すぐに責任追及や非難など、人身攻撃の元ネタになってしまう。学びの目的は、改善であり再発防止である。ここに人事・政治を絡めたら、学ぶべき事実がすぐに歪曲されてしまう。だから、クローズドで中立な場が必要だと考えたのである。もちろん、情報保持の観点から見て、あまり参加者が多くなるとリスクが高まる。むしろ、こうした活動に興味を持つ人が増えたら、皆があちこちに同様の場を作ればいいのだ。いや、本当は、まず、同じ社内にこうした場を設営するべきなのだろう。批判ではなく、学びのためにプロジェクトをふり返る場。そういった場を作り、技術者たちを無理な沈黙から解き放つことこそ、PMOと呼ばれる部署の大事な仕事だと思うのだが。
海外プロジェクトの変化と、契約意識という不可視のハードル
(2012/07/31)
ドイツの山の中の道路で運転していた。追越し禁止の地点だったが、反対車線の前方から来る車がないので追越しをかけたら、ちょうど警官がいて制止された。いわく、
「おまえはいま追越禁止だということを知っていたはずだ」
--しかり。
「なぜ追越したのか」
--前の車がのろのろ走っているし、対向車が来ないのが分かったから追越したのだ。
「追越禁止が黄色の線で表示されていたのだから、規則違反である」
自分の車には、外国人短期滞在の免税車であることを示すナンバー・プレートがついていた。訪問客であることは分かるだろう。そこで、誠意を持って鄭重に、
--まことにすみません。もう今後は違反しないように注意します。
と謝ったのだが、警官は、
「今後こういうことをしてはいけない。25マルク(当時)支払いなさい」
と罰金の支払いを要求する。しかたなくその場で罰金を支払ったら、警官は印刷した受取りをくれて、こう言った。
「どうも有難う。旅行のご多幸を祈ります。」
これは法学者の川島武宜が、大塚久雄・土居健郎との鼎談「「甘え」と社会科学
(弘文堂選書)」(1976)で紹介しているエピソードである。ドイツの警官がいかに石頭か、という笑い話としてでは、もちろん、ない。西洋社会における『法』意識の好例として、である。最後に警官が「有難う!」と礼を言っている点に注意してほしい。法律から見たマイナーな異常状態(conflict)が解消され、相手との共通理解に達したことを嘉したのだろう。
精神医学者の土居健郎は、受けてこう言う:「私も似たような経験をアメリカでしましたが、その時何か言いわけをしようとしたら、文句があるなら何月何日裁判所へ出頭しろと言われました」。この対応に、土居も意外に思ったわけだ。でも、個々の警察官に解釈や運用の裁量は無い。それを持つのは裁判官なのだ。そこで川島は、法学者らしく纏める:「日本では、『すみません、今後は致しません』と鄭重に謝っているのに機械的に法律を適用して罰すると、『融通のきかない石頭』と非難される。悪いことをした子どもがすみませんと謝ったら、母親は『いい子だ、いい子だ』と許してくれる。法律もそうであるはずだ、と国民は期待し信じているのです。だから、法律は『伝家の宝刀』だ、といわれるわけです」(前掲書
p.150)
これは今から35年も前の本である。今日では、日本人の法意識も大いに進歩して、西洋並みの水準に達した、と期待していいだろうか? わたし個人は、疑わしく思う。そもそも社会と法の関係は、“進歩する”とか“西洋の水準”といった一軸的な尺度で議論する問題ではない。「法は運用の妙にあり」という金言は、今もわれわれの社会で立派に生きている、と思う。これは、道交法などの違反事例でなく、民事契約における紛争(conflict)解決を見た方が分かりやすい。
企業間契約だとか雇用契約などの争いは民事であって、警察は介入しない原則だ。仕事が遅れて、契約納期に間に合わなくても、揉め事は原則としてまず当事者で解決にあたらなくてはならない。それでも、どうにも対立が解けないとき、どうするか。双方が法的代理人を立て、自らの正当性を論証しあう争いになる(dispute)。そのとき、基本になるのは契約書に書かれた権利と義務の関係である。自分はこれこれの義務を果たしている。よって、かくかくを請求する権利を有する。それを調停者や法廷の前で主張していく。
では、たとえば、一括請負で受託した仕事が、基本設計を終えた段階で、予期しなかった外部環境の変化や、外注すべき資材・サービスの相場上昇や、度重なる顧客の気まぐれによって、当初の予算をかなりオーバーすることが分かったとき、どうすべきか? (1)
外注先に思い切った値切り交渉をする、(2) 安価な外注先を新規に探す、(3) 顧客に予算の追加をお願いする、(4) 自分で損失を引き受ける、の4種類の選択肢の中で、どれを選ぶべきか。
前にも書いたとおり、わたしはこの問いを、マネジメントに興味を持つ企業人や大学院生に対して、機会があるごとに何度も発してみたが、答えはいつも大多数が「(3)
顧客に予算の追加をお願いする」であった。残念ながらこれは、通常の請負契約の論理から考えて、とうてい論証が困難な主張である。たとえば、外部環境の変化が予見できる範囲かどうかは、不可抗力条項などの形で、契約に書かれている「はず」である(それが無かったら、サインする前に契約に追加するよう要求しなければいけない)。資財・サービスの価格上昇も、普通は請負側がそのリスクを提示価格に見込んでいる「はず」である。もし急上昇の懸念が高いなら、あらかじめ契約書の中にescalation条項を入れるよう、主張しなければならない。そして顧客の気まぐれだって、個々のメールや打合せ議事録などの記録で、トレーサビリティを証拠立てしないかぎり、水掛け論に終わるだけだ。
それでも多くの人が「予算追加のお願い」を選ぶのだとしたら、それは、顧客に謝って泣きつけば、少しは面倒を見てくれるはずだ、と期待しているからだろう。そのような経験を、過去してきたのかもしれない。「今回は無理だけれど、じゃあ、次回の仕事で何とか見てあげよう」と言われるような継続的関係があるのかもしれない。逆に言うと、上記のような不可抗力条項やescalation条項を、契約書に入れようと主張しても、顧客がうんと言わない事情(「なんだ君、そんな水くさいこと」と一蹴される)を示しているのではないか。そもそも紛争が起きたとき、準拠法や所轄裁判所を明記する代わりに、「双方誠意を持って対応する」とだけ契約書に書いているのではないか(わたしは外国の契約で、このような『誠意条項』を見た覚えがない)。
だとすれば、顧客も請負側も、同じ意識の中に生きているのである。それはつまり、法的紛争は『伝家の宝刀』で、機械的に契約書の文言を適用するのは『融通のきかない』態度だ、という考え方である。
そして、このような法に関する意識・社会通念は、日本社会を一歩外に出たら、殆ど通用しなくなることを忘れてはいけない。経産省が少し前にまとめた「日本の新成長戦略」では、新興国に対するインフラ・システム輸出などが、成長力回復の切り札として位置づけられている。それはそれで、結構である。しかし、日本の優れた技術力とものづくりの成果を海外に持っていくとき、我々の伝統的な法意識や契約観念を、見えない付属品として持っていけると思ってはならない。大手ゼネコンの近年の海外失敗事例を見れば分かるように、怪我のもとである。
日本企業にとっての海外プロジェクトをふり返ってみると、’70~80年代の消費財輸出からはじまった。優秀・高品質な製品力と、円安による競争力に支えられたあの時代は、「売ってあげる」型の輸出であった。作れば端から売れていった。
それはさらに’80年代後半~90年代前半のバブル時代における、不動産投資・企業買収・営業所開設・工場建設などの波につながっていく。自らが起案し、自分が買い手(顧客)である、非常に強い立場であった。
ところが2000年代に入ると、海外とのつきあいは、海外調達・部品製造外注・オフショア開発などが主体になってくる。これは自発的と言うよりも、対応のためやむなく追いかけるタイプの海外プロジェクトだった。それでも、自分が買い手の立場にある点は、まだ強みだった。問題は2010年代以降の、今日だ。インフラ/システム輸出は結構だが、これは結局、「買って下さい」型の輸出である。
このように、日本にとっての海外プロジェクトは、バブル期頃までの「強い立場」・「先進国相手」・「売ってあげる」型から、2000年以降の「弱い立場」・「新興国相手」・「買って下さい」型に、明瞭にシフトしてきてきた。だから、バブル期までの過去の『成功体験』は使えないのである。
過去の成功体験とは、すなわち、こちら側の法意識や慣習で相手を動かしてきた体験である。これは、かなり強い立場だったから可能だったにすぎない。今や、「対等の立場」に降りてきたわけだ。対等とは、すなわち、相互に理詰めで議論し、相互に合意することが求められる「水くさい」関係である。好きか嫌いかは別として、わたし達が海外を目指すならば、超えなければいけないハードルは、そこにあるのだ。
わたしの先輩にあたる建築家が、ある時、海外出張から帰ってきてこうつぶやいた。「商社さんって、情報はたくさん持ってるけれど、データは持っていないんだね。」
ふつう建築家というのは、顧客からの漠としたニーズをきいたら、すぐ自分の“感性”で建物のデザインに走る人たちだ。でも、この人は少し違っている。デザイン的にも優れた感性の持ち主なのだが、「設計するときには、なぜそういう設計でなければならないのか、説明できる論理が必要」と、日頃から主張されている。つまり、論理に裏付けられた『設計思想』を、まず文章(あるいは絵で)つくる人なのである。
この人が、中国のある都市で計画を立てることになった。産業化を軸とした都市計画だが、広いエリアなので自由度がある。そこで、この地域はどのような産業に発展のポテンシャルがあるかを、まず考えてみたらしい。都市なので第一次産業主体ではないし、第三次産業(サービス系)が主役になるにはまだ都市の発展段階から見て時間がかかる。当然、製造業が中心になるだろう。そこに、米国のIT企業が進出して、一大製造拠点を設立中という情報が出てきた。現地の理工系大学とも提携するらしい。電子分野を中心としたハイテク産業がこれから伸びるのではないか、そんな観測が飛び交った。
ところが、出張先で現地を歩き、日系の商社と話してきたその建築家は、浮かない顔をしていうのである。「どこの企業がどの地区に進出を計画しているとか、市で権力を握っているのは書記の誰だとか、商社はそうした情報はたしかに詳しい。でも、この地域がどういう人口構成になっている、どんな産業がどれぐらいの比率で地域経済に貢献している、そういった話になると感覚論しか出てこない。そういう目でデータを集めていないみたいですね。」
この人が興味を持っているのは、その都市が本当に知識産業を柱に発展できるのか、そうだとしたら、新たに開発する地区にどういう空間構造を作ることが望ましいかか、だった。製鉄所や石油コンビナートと違い、知識産業では働く場所の人口密度が三次元的に高い。そこにどんな動線の軸が必要になるか、また人と人との「出会いの場」をどう空間的に生みだすか(これがアイデアの創発にはたいへん重要となる)がポイントになる。しかし、そもそも、そんな産業を期待していいのか? つまり、「その市の知的ポテンシャルの高さを知りたい」--これが彼の問題意識なのだが、たしかに難問である。
そこで、わたしはその人と連れだって、マーケティング・データバンクを訪問し、所蔵する関連資料を片端から借り出して目を通すことにした。(ちなみにマーケティング・データバンクというのは日本能率協会がやっているサービスで、マーケティングに関連する各種統計・白書・調査報告・新聞雑誌記事等々を所蔵するとともに、会員企業が「今後5年間の燃料電池の市場規模を知りたい」とか調査員に質問を出すと、短期間の内に関連資料を並べて教えてくれるという便利な仕組みである)
先輩はそこで分厚い統計資料の数字に目を通していたが、あるとき急に身を乗り出すと、「佐藤さん、面白いデータがある」と言い出した。それは、地域別に見た特許出願数の表だった。彼はそれと、地域別人口の数字とから、簡単に電卓で人口あたりの特許出願数を割り出してノートに書いていった。
「わかりますか。中国では先進的地域といわれる上海あたりと比べて、ここは二桁くらい低い。研究開発はまだまだ弱いのです。とても、知的創造で経済を引っ張れるレベルじゃない。当面、この地域がよって立つのは、単なる受託製造業ですよ。量は多いでしょうが、言われたモノを作るだけです。じっさい中国じゃあちこちで『知識城』といったネーミングの都市計画が流行っていますが、こうやってデータをおさえないと、本当のことは見えてきません。」
データというのは、定型化された数字や文字の並びで、それ自体は無味乾燥なものだ。統計書だとか、時刻表だとか、新聞の株式欄だとか、図書館の目録などが典型的なデータである。むろん、時刻表で旅行を夢見るロマンティックな人もいるだろうし、株式欄で一攫千金の夢を破られたプラグマティックな人もいるだろう。しかし、そうした感情、あるいはその人にとっての『意味』は、読み手が自ら心の働きの中で生み出したものだ。データ自体は中立で、とくに意味を持たない。
他方、情報とは不定形であって、大事なことはその形式ではなく、持つ意味内容そのものである。どこの市ではどの書記が権力を持っている、あるいはどこの会社ではどの資材部長が発注権限を持っている、といった情報は、それを知らずにいる者とは、明らかなパワーの差を生みだす。そうした観点からいえば、情報はデータよりも上位にあり、より高い価値をもたらすと言っていい。
ならば、かの建築家氏はなぜ、「彼らは情報は持っているけれど、データはないね」と、批判的にいうのか。それは、単発的な情報だけでは、適用範囲がひどく狭いからだ。A社の発注権限はX氏が握っている、という情報は、別のB社でY氏がもつ権限の判断には、使えない。ところが、もし人口データと特許出願数データの関係がわかれば、他の地域の評価にも同様に使えるだろう。あるいは日本や米国の都市データとの比較から、産業構造の発展ルートについての洞察も得られるかもしれない。つまり、データは推定や予測などへの適用範囲が広いのである。
もちろん、“はたして特許出願数がそこの住民の知的レベルを表す適切な指標と言えるのか?”という疑問はあり得よう。とはいえ、そこから生まれる議論は、ならば先進国のいろいろな都市のデータでも同じ傾向が見えるのか、とか、このデータから推定できるのはどの範囲までなのか、といった、検証可能で実際的な論点になるはずだ。他方、もしデータ無しの場合、“この地域の中国人は、上海や東京やサンフランシスコに比べて知的かどうか”といった、堂々巡りで決着のつかない感覚論しか生まれまい。
別に商社を批判するつもりは毛頭無いが、営業系の人たちは、えてして『情報の森』の中に居ながら、『データを読み取る』習慣が薄いように感じる。これは、理系文系という資質の差よりも、営業という仕事自体が、人と人のつながりの情報に大きく依存しているためであろう(製造系の人間は、数量だとか統計的品質だとかに慣れているので、データにもう少し敏感になる)。
それでもたとえば、毎日の名刺交換の結果、次第に手元にたまってくる名刺情報を、ちょっと表に入力してデータ化してみるだけでも、ずいぶんと気がつくことが増えてくるはずだ。あるいは、毎月の商談の進み具合や勝率について、数字でとらえてみれば、いろいろ面白いことが分かるはずなのである。販売管理システムの入力データだって、単に受注伝票や売掛金計上に処理して終わり、とせずに、「宝の山」と考えて分析しようとするセンスが必要なのだ。
いや、こうしたデータから意味を読み取る作業自体を「センス」の問題にしてはいけない。それは、少し訓練すれば身につく「スキル」なのだ。そして、情報とデータの差にもっとも自覚的なIT分野の人こそ、こうした社内スキルを引っ張るべき立場にいるはずなのである。
世界の天然ガス資源と、日本のチャンスを考える
(2012/07/16)
先日、社内の勉強会で若手から、「アメリカのシェールガス革命のおかげで、天然ガス価格が安くなったと言われているのに、日本はなぜLNG(液化天然ガス)を高値で輸入しているのか」という質問を受けた。もっともな質問である。米国における天然ガスは"Henry
Hub"と呼ばれる価格が示準となっているが、今年に入ってからはずっと$2~$3/MMBTUである(MMBTUというのは発熱量の尺度で、天然ガスは熱量単位で売買される)。
一方、日本は今年5月の一ヶ月間だけで700万トン以上のLNGを輸入したが、それに支払った金額は5,000億円と言われている(International
Oil Daily紙による)。これを熱量単位にざっと換算すると、$17~$18程度だ。米国の市況の6倍以上である。「天然ガスという商品は、買う場所によって値段が違う。全世界一律の価格がある訳ではない」とわたしは若手社員に答えたが、今ひとつ納得できない顔をしている。まあ当然であろう。“買う場所”というよりも、より正確に言えば“買い手によって”値段が違うのだ。その買い手がどこの国の、どんな企業であるかによって。
石炭、石油、天然ガスは世界の主要なエネルギー源だ。化石燃料と呼ばれ、いずれも化学的には炭化水素(CnHm)類で、燃やすとどれも二酸化炭素と水になる。石炭、石油、天然ガスの主要な違いは、炭素と水素の比率の違いである。炭素を1とすると、水素は石炭では1以下、石油なら2程度、天然ガスは4近い。その差は、物理的には固体・液体・気体という状態の違いとしてあらわれる。ついでにいうと、硫黄分や窒素、灰分や重金属などの余計な不純物は、固体や粘度の高い液体の方が取り込みやすい。だから、燃やしたときのダーティさは、石炭>石油>天然ガス、の順になる。熱量とクリーン度の点では、天然ガスが一番なのである。
ところで、サプライチェーンの観点で言うと、商品はその運びやすさ・保管しやすさが重要である。この点、ばら積みがきく石炭はもっとも楽だ。石油は液体だからタンクやローリーが必要になる。一番始末に負えないのは天然ガスである。保管にはボンベや球体タンクを使うが、体積ばかりとる上に、安全にも細心の注意が必要だ。だから運搬の主要な手段は、パイプライン=配管ということになる。そして、輸送手段としてのガス・パイプラインは、一度敷設してしまうと、そう簡単にルートを変えられない不自由さがある。維持を含めて金もかかる。トラックでどこへでも運んでいける石炭とは大違いだ。
読者諸兄は「ナブッコ・パイプライン」という計画をご存じだろうか。東トルコの都市エルズルムを基点に、東欧経由でオーストリアまでつなぐ一大ガス・パイプラインだ。カスピ海沿岸の天然ガスを、ロシアを経由せずに欧州まで供給する予定になっている。現在、欧州はエネルギー源をロシアからの天然ガスに大きく依存しており、その依存度を下げたい思惑と、資源開発をしたいカスピ海沿岸国の願望が一致した形だ。カスピ海沿岸は最近、中東につぐ第二の石油ガス資源地帯として脚光を浴びつつある(もともと中東で石油が見つかる前は、アゼルバイジャンが石油産地として有名だった)。
さらに最近では、黒海に位置するルーマニアのNeptunで、大規模な天然ガス資源が発見された。黒海における天然ガス資源の発見は、現在ロシアからの輸入に頼っている旧東欧諸国のエネルギー地政学を変える可能性がある。
さて、そうすると困るのはロシアである。ロシアはこれまで、半独占的供給者の強い立場から、欧州向けには約$12、CIS諸国向けには約$10という高い価格でガスを売ってきた。パイプラインの輸送費・維持費を含むとしても、ずいぶんふっかけた値段だ(自国内向けは約$3で売っている)。知ってのとおりロシアは世界第2の産油国で、国内産業基盤が脆弱なため、石油・天然ガスの輸出で国家経済が成り立っているといっても過言でない。この国が’90年代の低迷から多少なりとも回復したきっかけは、2003年頃からの原油価格上昇だと考えられている。
もし欧州という有力市場がこれ以上伸びないと、どうすべきか。ロシアが試みているのは、一つは北極圏の天然ガス、もう一つは東シベリアの天然ガス開発である。北極圏、たとえばヤマール半島などの僻地は、資源量は大きいが、従来はこれをうまく輸送する手段がなかった。ところが、近年の地球温暖化の影響で、北極海の航路が新たに現実化してきた。そこで、彼らは液化してLNGにして、米国に売ることを計画したのである。極寒地でのプラント建設と液化輸送で、かなり高価なものになりそうだが、それでもエネルギーの大消費国アメリカの懐を当てにしたのである。
ところが、あにはからんや、その米国ではシェールガス革命と呼ばれる技術革新によって、突如として天然ガスの純輸入国から、輸出国へと変貌することになった。すでに隣国カナダは、従来パイプラインで米国に販売していたガスの輸出量が減ったため、売り先を新たに探しつつある。ロシアも同じように、新たな販売先を見つけなければならない。
ロシアも、カナダも、最も有望な消費国として見込をつけているのが、わが日本と韓国なのである。なにしろこの両国は、合計すると全世界のLNGの4割以上を輸入している。日本は島国だし、韓国だって地政学的に見れば島国同然である。どちらもLNG船での輸入に頼っている。
ちなみに、液化天然ガス『LNG』という商品を、世界で最初に実用化したのは、オイルメジャーのシェルであった。1970年代、東南アジアのブルネイでのことである(その液化プラントを設計・建設したのは、わたしの勤務先だった)。輸出先は、日本である。LNGは、液化→輸送→気化の三段階でそれぞれ複雑な設備が必要だし、各段階でエネルギーを消費してしまうので、パイプラインよりは単価が高くなる。それでも、ずっと輸送上の自由度が大きい。なにより、これで島国である日本市場にもアクセスできる。まことに見事なビジネス開発であった。
爾来、日本・韓国はLNGを積極輸入してきている。日本のLNG需要の7割は、都市ガスではなく火力発電用である。総括原価方式をとる日本の電力会社は、金払いも良いことで知られる。そのせいかどうかはしらないが、LNG取引価格は石油価格と連動する、という契約条項が、この業界では慣習化した。だから日本のLNG輸入価格は今でも高価なのである。
ロシアも、カナダも、そしてアメリカも、今や極東市場への天然ガス輸出を大きな国家的取り組みと考えている。カナダの場合、産ガス地帯から西岸にパイプライン輸送し、液化してLNG化するしかない。米国は産ガス地帯がメキシコ湾岸のため、パナマ運河の制約でLNG船を通しにくかった。だが現在、運河の拡張工事をしており、これが完成すれば大量に運べるようになる。もっとも米国には1930年代に成立した古い法律が残っていて、自由貿易協定を結んだ国でない限り、天然ガスを自由に輸出できない。だから日本は今のところ不利である。
そしてロシアは? 彼らには、二つの方法がある。一つは、東シベリアのガスをパイプラインで太平洋岸に輸送し、ウラジオストックで液化して、日本、韓国にもっていく方法。もう一つは、パイプラインで直接、韓国にもっていく方法だ。日本にもサハリンからパイプラインを引きたいだろうが、こちらは北海道沿岸の漁業権(=既得権)交渉などの手間のため、あまり現実的な選択肢ではないと考えられている。
もっとも、韓国までパイプラインを引くためには、当然、北朝鮮を通さなければならない。公式にはいまだに交戦状態にある韓国は、この計画を認めるだろうか? 建設投資、そして輸送費などの形で、かなり敵に塩を送ることになるはずではないか。
意外に思われるかもしれないが、韓国側はこの話に乗り気のようである。議論はあるようだが、結局、彼らは北朝鮮政府は憎んでいても、同じ民族が飢えて死ぬのを見たくはないのだ。だから、エネルギーと防衛の二重の安全保障の意味で、この計画に乗りそうである。もしパイプライン計画が選ばれれば、ウラジオストックでの液化は無い。
さて、そうなると、日本はどうすべきだろうか。原発が全部再稼働する見通しはなさそうだから、不足分のエネルギーは、当面やはり天然ガスで輸入するのが良さそうだ。ロシアか、カナダか、アメリカか。どれも一長一短ありそうだ。それとも他の資源国か?
あいにくわたし自身は、それを決める立場にない。そこで、かわりに、「日本が良い決断をするための条件」を提案することにしよう。そのためには、三つの条件を満たすことが必要だと、わたしは考えている。第一に、まず(当たり前だが)国としてきちんとした戦略と交渉能力がなければならない。現在、エネルギー資源の確保・輸入は、電力会社・ガス会社と、総合商社などがバラバラに行っている。資金の手当ても個別だ。政財界に相互調整機関があるかというと、そうでもない。おまけに、総括原価方式に慣れすぎた企業は、原料購入での価格交渉能力が高いとは、失礼ながら思えない。ここには、Financingを基軸とした総合的な意思決定・交渉機構が必要になるだろう。
第二に、意思決定のための情報分析機能を政府が持つべきである。ここ1,2年の世界のエネルギー情勢の変動は、過去半世紀にもなかったほど急速で、大きいからだ。世界各国のエネルギー資源や政策の変化について、情報収集・分析する専門官をおくべきとの意見があるが、わたしも賛成である。あいにく日本には本来の意味でのシンクタンク機能がほとんど存在しない。シンクタンクとは、政策立案のための情報機能である。官庁の請負仕事でレポートを作成する会社とは、別ものだと考えるべきだろう。
そして第三は、“現在は日本にとってのピンチではなくチャンスである”と皆が認識することだ。なによりまず、為替が非常に円高である。当面、ドルもユーロも回復しないだろう。これは、海外のエネルギー資源を権益ごと購入するには、絶好の時期なのだ。おまけに、複数の売り手が現れている。こういう時は、最後まで決めるそぶりを見せずに、互いの譲歩を引き出すのが交渉術の基本である。譲歩の内容は金銭かもしれないし、技術協力かもしれないし、あるいは領土問題など他の条項もあり得よう。とにかく、困っている相手に対しては足元を見る--これがビジネスである。なあに、いざとなったら節電でしのげばいいさ、それだけの技術力も国民の団結心もあるから、とかまえて公言したっていいだろう。
繰り返すが、今はエネルギー資源の激変期である。それを乗り切れるだけのクレバーな舵取りを、わたしは一介の市民として、切に望んでいる。
組織における戦略と自由度のトレードオフ
(2012/06/12)
ある懇親会の席だったかと思う。わたしは近くに座り合わせた、ある大企業の社員とあれこれ議論をかわしていた。若手の技術者で、知的な人だったが、会社の業績が最近伸びずにいることに問題意識を持っていて、どうすべきか回りの意見を聞きたがっているようだった。そして、「結局のところ、戦略が欠落しているのですよ、ウチの会社は。経営者のリーダーシップ不足だ。そう思いませんか!」と訴えるように叫んだ。
わたしは、多少のビールのせいもあってか、皮肉めいた気持ちになってたずねた。
--戦略不在だとおっしゃる。なるほど。それじゃあ逆に質問しますが、貴方は上司が“右向け、右”と言ったら、右を向きますか?
すると彼はちょっとだけ考えてから、
「いや、そうとは言えませんね」
と答えた。彼は会話の中で、直属の上司の考え方や方針にも批判的だったのである。
わたしはさらに言った。
--もしそうなら、少なくとも貴方ご自身は、上司の命令にただ盲従はされないという訳です。むろん、ご自分の考えもあっての事でしょう。もしかすると、貴方の上司だって、そうかもしれません。事業部長だか役員だかに、右向け右と言われても素直に従わない可能性があります。でしょ?
「・・だとしたら?」
--だとしたら、貴方の会社は、社長が右を向けと命じても、会社全体がすぐ右を向くとは限らない訳ですね。そんな組織で、戦略はどういう意味を持つのです?
「うーん。」彼は苦笑いして、ちょっと考えてから反論してきた。「でも経営者たるものは、我々が納得するに足る戦略を示して、我々を動かしてほしいんですよ。」
--ご自分には『納得』できる余地を残してほしいが、全体としてはリーダーが手足のように部下を動かす軍隊的な組織であるべし、と貴方はおっしゃる。だが軍隊の兵卒や下士官には納得などありませんよ。成功すれば将軍だけの手柄だし、失敗したら将軍だけの責任。そういう組織を、本当にお望みなんですね?
わたしの知っている日本の多くの企業では、社長が『右向け右』と指示や方針転換を出しても、組織はなかなかすぐには従わないように思われる。それはある意味で、社員が皆、仕事について問題意識を持ち、自分なりの考えをもっていることの、裏返しである。日本企業は現場のブルーカラーにしても、ミドルのホワイトカラーにしても、例外なくほぼ真面目で、かつ、しばしば優秀である。そこは欧米あるいは途上国などに比して、優位性を保っている一面だろう。しかし、その裏面には、皆がそれぞれ考える能力を持っているため、ベクトルがなかなか一致しにくい、という事情が隠れている。
誤解しないでほしいのだが、わたしは別に日本企業で戦略やトップのリーダーシップに意味がない、などと言っているのでは無い。ただし、『自分なりに考える人々』からなる組織では、それなりの特別な考慮が必要だと考えるのである。たとえば、サプライチェーンの業務改革だとかERPパッケージの導入などでは、しばしば「トップのリーダーシップ」が求められてきた。わたしも10年くらい前までは、そう言ったり書いたりしたように思う。しかし、ある頃から、声高に言うのを控えるようになった。リーダーシップだけの問題ではないことに、気がついてきたからである。
ビジネス上で生じるトラブルの原因を探るとき、出てくる答えには大体、二つのパターンがある。それは「担当者の資質」と「リーダーシップの問題」である。いずれになるかはまあ、その人の立場で決まる。上司は部下に問題があると答え、部下は上司が無能だというわけだ。原因究明がこういう結論になるから、管理職は「社員教育が課題」と考え、担当者レベルは「上が変わってもらわなければ」と人事に期待する。だが、この二つの議論、どちらも失敗の原因は『人の資質で決まる』と考えている点では、同根であろう。
この何年間か、わたしは「リスク確率にもとづくプロジェクト価値の評価」という問題の研究を続けてきた。これは何かというと、プロジェクトを構成する各作業(アクティビティ)が、どれだけ価値に貢献しているかを計算する試みである。プロジェクトはWBS(Work
Breakdown Structure)としてアクティビティに分解し、ネットワークの形で構成することができる。それを用いて、プロジェクト全体の価値も、アクティビティ毎の貢献価値に分解する。ただし、この計算をするときに、各アクティビティのリスク確率(=つまり仕事の『難易度』)が必要になる、というのがミソである。難易度が高いほど、貢献は大きくなる。くわしい論理はここでは述べないが、「基本設計」とか「調達」とか「実装」とかのアクティビティが、それぞれ幾らの貢献価値を持つか、数値で示すことができる。同じ仕事でも、価値は、アクティビティ・ネットワーク・システムの設計に依存して変わる(興味がある方は、たとえば最近International
Journal of Project Management誌に発表した研究論文を参照されたい)。
この理屈を思いついてからしばらくたった後で、同じ論理を、逆に「責任の分解」にも使えるはずではないかと考えた。ちょっと数式をひねってみると、成功するはずのプロジェクトを失敗に帰してしまった場合、その「マイナスの貢献価値」(=責任の大きさ)は、アクティビティの難易度が低いほど大きくなることがわかった。容易な仕事で失敗したら責任も重大、というのは一応、常識に合う結果だ。ただし、わたしの論理では、貢献も失敗も、個人ではなくアクティビティに帰属する。複数人で遂行するアクティビティの場合、その中の誰の問題かまでは問わない。個人の資質に帰そうとする発想自体が、わたしには薄いのだろう。どんな仕事にもリスクは存在するし、どんな人間もミスをする。だから、それをシステムとしてどうカバーし保証するかがポイントなのだ。
わたしの考えでは、ビジネス上である程度の問題事象が発生したとき、「単一の責任」は存在しない。かならず原因は複数あるのだ。ミスや問題行動を起こした担当者と、そのミスが拡大・伝播するのを防ぐ仕組みを作らなかった管理者と。逆に言うと、問題をローカルに解決できるためには、現場側にある程度、考える能力と権限(自由度)をもってもらわなければならない。ところがそうなると、組織はトップの指示や戦略に、機敏にしたがうことがむずかしくなる。小さな問題のためには現場側の自由度が必要だが、大きな問題のためにはそれが邪魔になる訳だ。ここに組織設計というものの根源的なトレードオフが存在する。
だから、当初に出てきた技術者氏のように、自分の自由だけは確保しておいて、リーダーに結果責任をとってもらいたいというのは、虫のいい考えなのである。もし技術者として何かを考えるなら、こうした組織という「システム」の設計問題を悩むべきではないだろうか。
R先生との対話 - 戦略を語る前に必要な『勇気』
(2012/05/06)
久しぶりにR先生を訪れた。R先生は現在は半ば引退した経営コンサルタントで、尊敬する大先輩である。もう関東は花の盛りを過ぎて、初夏の陽気であった。
「最近は経営企画部門に移ったそうだが、調子はどうだね?」
--何ともむずかしい仕事ですね。中期経営計画を立案してモニタリングするのが主な仕事の一つですが、5年間の中期計画と言っても、われわれの業界のビッグ・プロジェクトは開始から終了まで平気で4年くらいかかってしまうので、その帰趨によって会社の計画値自体がゆらいでしまいかねません。
「だが、それなら逆に先が読みやすいとも言えるじゃないか。受注残高だって数年分あるわけだろう?」
--確かにそうですが、なにせ工場を持たない受注産業ですから、逆にその先の保証は全くありません。為替レートや市場環境の変化も激しい上に、エネルギー構造自体が世界的に変わりつつあります。
「だったら、なおさら経営企画部門の出番じゃないか。“計画はスタティックな最適化の問題じゃない、刻々変化する環境下での適応制御の問題である”、みたいなご高説を君は10年前に生産スケジューリングの本で、偉そうに書いていたはずだ。」
R先生はにこやかな顔でわたしをからかった。
--たしかにそうですが・・。生産計画やプロジェクト・スケジューリングと違って、経営計画というのは非常にスコープがオープンなんですよね。外部とのインタフェースが多くて、しかもソフトです。考えるべきテーマがひどく広い。その割に人数が限られています。まあ、経営企画部門がやたらと大組織ってのも、逆におかしいと思いますが、先生は適正なあり方って、どうお考えですか?
「それは権限と責任範囲による。欧米の会社だと、Strategic Planningとか経営戦略はMBA的なキャリアの仕事で、経営者への第一歩だと位置づけられる事が多い。日本でも、企業によっては経営企画部門はエリートコースで、そこを経験することが社長へのルートみたいなところも、伝統的大企業には案外多い。当然、ある程度の所帯になる。ただ、戦略立案はエリートの決定事項で、実行は下々の仕事、というあり方は好かんな。」
--長年、計画技術者をやってきた自分としても、たしかに違和感があります。まあ、幸いわたしの勤務先では、経営企画部門はそんな位置づけじゃありませんが。
「そりゃあ、君が任命されるくらいだから、エリートコースでないのは明らかだな」
--・・それはともかく。自分達で大胆な戦略的提言ができるためには、どのような組織体制が望ましいのでしょうか。
「君は根本のところが間違っているよ。戦略を決めるのは経営者の仕事だ。企画部門の仕事じゃない。」
--そうですか。
「とるべき戦略を考え、決めるのは経営者だ。ただし、経営者は忙しい。だから『考える』の一部を分業して、企画部門にやらせているだけだ。君がやるべき事は、情報を収集し事実を分析して、いくつかの選択肢を考える事までだ。中には“従来の仕事を今までどおり続けるか、止めるか”という単純な選択肢だってあるがね。何ならリコメンドをつけてもいいだろう。だが、そいつらを評価して、選ぶのは経営者だ。
なぜなら、最終的な責任をとるのは経営者の方だからだ。戦略というのは、結果に責任をとるものが選ばなくてはならない。」
--なるほど。でもあえて、“なぜですか?”と聞いていいですか。
「それはな、前にも君に教えたとおり、戦略とは賭けだからだ。賭けには仮説があり、決断があり、実行がある。実行の最中にも微調整がある。仮説は生きものだ。むしろ実行を通して、仮説を“結果的には正しかった”ものに育て上げていかなければならない。そのためには、実行している当人達が、結果を背負い込む覚悟がいる。戦略立案と実行を組織的に分業すると、生きた仮説が、固い無生物になってしまう。それでは仕事はうまくいかん。君は自分の立てた戦略と心中する覚悟があるかな?」
--それは、うーん、あります! と言いたいところですが・・
「それみろ。戦略を語る前に必要なのは勇気だ。君みたいに度胸のないヤツに戦略作りなんかまかせてたら、会社がいくつあっても足らん。君だけじゃない。今この国には、勇気ある者はめっぽう足りない。いるのはリップサービスと逃げ口上だけが上手な、小役人みたいなのばっかりだ。上から下までな。」
--手厳しいですね。でも、それじゃあ、自分みたいな人間が勇気を持てるようになるには、どうしたらいいでしょうか。それとも度胸というのは生まれつきの素質ですか。
「そんな問いに正解は無い。まず自分で考えなさい。考えるのが君の仕事だろ? もちろん、生まれつき肝の太いのも、小心な者もいるさ。そして健全な組織には両方必要だ。一個人の中だって、両面が必要だ。ただ、勇気というのは育てるものなんだ。少なくとも“自分には勇気が不足している”と自覚することが第一歩じゃないか。」
--それはそうですね。
「男は度胸、女は愛嬌、という言葉を知っているだろう? あれは、理想を表している。つまり実は、それぞれに足りないものを述べているんだ。ふつうの男には度胸が足りず、ふつうの女は愛嬌が足りない。」
--はあ。
「つまり男だから生まれつき度胸がある、なんて事はないのさ。むしろ近頃では、日本の若い女性の方がずっと勇気があって、剛胆な人が目立つ。ジャパニーズ・サムライは今や女性が主役じゃないかな。それはなぜかというと、女性の方が社会的に不利な分、失うものも少ないからだ。
これに失敗したら面目を失う、地位も失う、そんなリスクばかり考えているから、誰も勇気ある一歩が踏み出せないのだ。大企業の経営者たちもそうだ。そうしている内に日本はどんどん追い抜かれてきたじゃないか。
君が若い後輩を育てたかったら、どうする? 少しくらい危なっかしいと思える仕事を任せないか? 失敗しそうでも、ギリギリまで助けまい。」
--そうですね。全部手を出していたら、相手は育ちません。
「人は少し背伸びするくらいの場所にいないと、のびない。背伸びしたら、ときに倒れるかもしれない。倒れても、ひどい怪我をしないよう気をつけるのは、まわりの責務だ。つまり、いざというときに頼れる仲間や先輩がいないと、勇気も育たないことになる。
勇気ある人間とは、つまり大人ということだ。ある意味、一人では大人には成れないのだよ。回りに大人がいて、手本となり、支え、励まし、また叱って、はじめて人は大人になっていくのだ。」
--だとすると、大人が多い社会では、さらに大人が育ちやすく、大人が少ないと、大人の育つ速度も小さいことになりますね。スパイラル現象だ。明治初年の頃と、今の平成と、同じ日本なのに、人の成熟度が違うような気がするのも、このためなのか。
でも、運不運というのもありますね。失敗したときは、どう受けとめるべきですか。
「世の中にはもちろん、自然災害を含めて、ときに思った以上の痛手を被ることがある。そんなとき、出来事を受け入れるためには、網が石つぶてを柔らかく受けとめるように、周りの人間が一緒になって受けとめる必要があるんだ。一人の人間が決めた結果すべてを、自己責任論で当人だけに押しつけたら、誰も何もできなくなってしまう。」
--たしかに。
「だから失敗したらね、『いい勉強をした』と思いなさい。そして自分で笑えばいい。そうすれば、笑っている側の自分だけは高く保てる。」
R先生はグラスを傾けて、こう言われた。「人は悩んで大きくなる。でも、それは勇気を持って、リスクをとって踏み出したときの悩みに限るんだ。リスクをとれずに逡巡しているだけの悩みでは、自分は育たないことを心に銘記すべきだな。」
運・不運は存在するか - または、組織のレジリエンシーについて
(2012/04/09)
今回は『運・不運』ということについて考えてみたい。わたしは人前でリスク・マネジメントの話をするとき、受講者に「あなたは運・不運があると思いますか?」という質問からはじめることが多い。「無い」と答えるのは20代の若い人で、中高年はたいてい「ある」と答えると、以前、書いた。若いうちは自分に自信があるが、歳をとるにつれ思いもよらぬ出来事に見舞われるからだ、と考えてきた。
ところが先日、ある大学の3年生にこの問いを発したところ、過半数の学生が「ある」と答えたので愕然とした。むろん、昨年のようなひどい災害のあとでは、無理もないのかもしれない。しかし、皆がそう答えた一つの理由は、就職活動の経験にあったらしい。なにか割り切れない、理不尽さを感じたのだろう。また就活の時期に前後して、「勝ち組・負け組」といった言葉も出てくる。そう言いたくなる気持ちも、少しは分かる気がする。だが、ちょっと待ってほしい。運・不運というのは、本当に存在するのだろうか?
少し回り道になるが、いったん別の話をさせてもらう。わたしは昨年まで何年間か、会社でPMOの仕事をしてきた。毎月、プロマネさん達が出してくるマンスリー・レポートを読むのも、仕事のうちである。プロジェクトの状況について文章による報告があり、さらに計数的なメトリクスが並んでいる。これを、第三者的な立場から客観的に読み解いて分析し、リスクやトラブルがないか見ていくのである。まあ、スポーツの世界でいえばスコアラーのようなものだ。自分ではボールを触りはしないが、全体の局面や、過去の他の事例との比較から、多少の助言をしたりする。
そうして毎月レポートをたくさん読んでいるうちに、気がついたことがあった。それは、プロジェクトは二種類にほぼ分かれるという事である。一つはうまくいっている案件で、毎月見事に前進していて、ちょっとした障害もうまく切り抜けていく。読んでいて安心である。ところが、うまくいかないプロジェクトもある。問題が山また山のごとく次々発生して、納期も予算もどんどんまずい方向に行く。担当する人たちの苦労を思い、毎月、読むたびにこちらも溜息が出てくる。
どんなプロジェクトも大体この二種類に分かれていき、いったんプラス方向に行くとずっと上昇し、逆にマイナスに行くとどんどん坂を転げ落ちていく。そして、不思議なことに、中間がないのである。つまり、ある月は良くて別の月はまずい、という種類のプロジェクトはまず存在しないのだった。いわば原点の回りを振動し、小刻みにプラスとマイナスを小刻みに行き来する種類が無いのだ。
プラスに行くかマイナスに落ちるかが、プロマネの能力だけで決まるとは、わたしには思えなかった。もっと外的な要因、たとえば見積や契約で出だしからミスった、顧客がひどく気むずかしい上に何も決めない人たちだった、などの要件によって、あるいは企業買収や災害など思わぬきっかけで、それまで中立状態だったプロジェクトが負の方向に傾いてしまう。それとは逆に、うまく好条件で受注できた案件は、予算に余裕があって、トラブルの予兆が見えたら先回りして対策が打てる。多少の費用を先行投資することで、将来のリスクをヘッジできるのだ。必要なマンパワーを投入できるので、仕事のクオリティもいい。だからより良い状況で仕事をリードすることができる。
つまり、どうやら制御理論的に言うと、プロジェクトは一般に不安定なもので、一方向に動いていく傾向が強いらしい。その理由は、プロジェクトに本質的に不確定性があるからだろう。不確実なときには、打てる手の範囲が広い方が有利だ。つまり予算があれば有利なのだ。予算が足りないと、打つ手が自ずから狭まっていく。その結果、さらに不利になっていく。こうして、ポジティブ・フィードバックがかかるのだ。そして初期条件や外乱などの結果として、プラスかマイナスか方向が決まっていく。
しかし、だとすると、やっかいな問題が一つ出てくる。プロジェクト・マネージャーの能力はどう計るべきか、という問題だ。明らかに、仕事の結果(採算の数字)だけで能力を判断するのは不合理だ。それは、どんな案件にアサインされたかで、かなり決まってしまうと思われた。不利な条件で受注したプロジェクトに任命されたプロマネは赤字拡大の結果を叱責され、有利な仕事にアサインされた者はたくさん稼いだと賞賛される。それでは、運が良かった者を誉め、運がわるかった者を罰するのと同じではないか。つまり運・不運を計っているにすぎない。でも、そもそも運・不運とは何だろうか?
考えているうちに気がついたことがある。それは、問題が生じたときに、プロジェクト組織がどう対応するかであった。プロジェクト・チームによっては、外部からの攪乱はすぐに抑えこみ、内部は情報が透過的で、プロマネが隅々まできちんと把握している。一方、別のチームでは、外乱が内部で増幅され、しかも内部もバラバラでノイズを発している。わたしは前者のような組織を『ダンパー』、後者を『アンプリファイヤー』とひそかに名付けることにした。
そして言うまでもなく、ダンパーの方がトラブルへの対応能力が強いのだった。自転車にたとえれば、ひどい山道でも転ばずに運転する能力といえようか。アンプリファイヤーの方は、ちょっとした小石にも躓いて倒れてしまう。
つまり、運・不運というのは、こういう事だ。次の不等式:
外乱 > 対応能力
が成立するようなとき、人は「運・不運」を意識するものらしい。
逆に言えば、われわれが運・不運の奴隷になりたくなければ、『対応能力』を大きくするしかない。その対応能力の上限とは、いわば組織の“降伏点”=それ以上の力がかかるとバネが復元できなくなる点を示している。あるいは、組織の『レジリエンシー』(抵抗力)と呼んでもいいだろう。レジリエンシーの範囲内ならば、外乱は押さえ込むことができ、プロジェクトは安定して進むことができる。そしてプロジェクト・マネージャーの能力とは、すなわち、組織のレジリエンシーの大きさによって測るべきなのである。
ところで、もう一つだけつけ加えることがある。勝負事や競争の中では、このライバルのレジリエンシーを、意図的にくじく戦術があるのだ。これは学生時代、マージャンをやっていたときに、あるクレヴァーな先輩に聞いた話だが、その人は4人で卓を囲むときに、早い段階で誰かに狙いをつけて「落とす」ことにしているという。つまり、その相手の邪魔をして、つまらぬミスを誘うのである。そうして相手が気分を害してクサればしめたものだ。マージャンは運・不運の要素が比較的強いゲームだ。そして、クサった者はなぜか運がつかない。4人のうち一人が落ちれば、自分はそれだけ有利に勝負を進めることができる、というのである。
なんだかあまりフェアなやり方には聞こえないが、まあ、一理はある。クサると運がつかないのは、気分的に落ち込んで適切な判断ができなくなるからであろう。つまり、競争相手のレジリエンシーを砕いてしまう戦術なのである。
わたしが「勝ち組・負け組」という言葉を好まないのは、この理由による。この言葉は、じつは「負け」と感じている人々の気分を阻害して、レジリエンシーを砕く機能があるからである。こうして、この言葉は、人々の二極分化を固定化する方向に作用する。困ったことに、この社会には賃金の二極分化を好ましいと計算する者たちも、一定数、存在するのだ。
わたしはこの世に、偶然の片寄りがある程度つづいて起こることは否定しない。人生は有限で、自分の能力だってかなりの限界がある。そしてわれわれの社会は、どうにも不確実で制御不安定だ。それでもわたし達には、もって生まれたレジリエンシーがあるのである。それをお互いに砕き合う愚は、避けた方がいい。自分達の小さな翼で、なんとか自力で飛び続けなければならない。それが、あの災害を生き延びた者の義務だと思うのである。
先日、コンサルティング会社の方の訪問を受けた。日本の化学産業の課題について、エンジニアリング会社の視点から意見を聞きたいのだという。難しいテーマだが、何かヒントになることくらいは言えるかもしれないと思い、同僚と一緒にヒアリングを受けることにした。
相手は若くて優秀そうなコンサルタントの方が2名だった。まず先方が、自分達の考える仮説です、と前置きして、見解を述べられた。日本の化学会社は、いわゆる汎用化学品の大量生産から、機能性材料や医薬・農薬原材料などの高付加価値な化学品の生産にシフトしている、という。さらに、国内の限られた市場から脱して、海外展開する方向に向かっている。だから、これからは海外で高付加価値製品を作る化学プラントを建てていくだろう、との仮説をたてています、という。
ここで知らない方に注釈しておくと、化学業界では、汎用化学品をバルク・ケミカル、高付加価値の化学品をファイン・ケミカルと呼ぶ習慣である。言葉自体に現れているように、前者はバルキー(大量)であり、石油ナフサなどから製造する。後者は精密ないし細かい品目の製品であり、前者を原料として作る。たとえて言うなら、化学業界は一本の樹のようなもので、太い幹はバルク・ケミカルに相当し、それらが次第に細く枝分かれしていき、枝の先にファイン・ケミカルという花や実をつけると思えばよい。
このコンサルタント氏の仮説は、材木をつくる商売から、花や実を売る商売に、業界がシフトしつつある、というものだ。そこまではわたしも同意だった。似た分析をして、数年前に学会で講演したりもした。また、化学会社が生産の海外展開を考えているというのも、その通りだろう。しかし、だから海外にファイン・ケミカルのプラントを作りたがっていると言えるのか。A→Bはわかるし、B→Cも同意しても良いが、だからA→C、とビジネス戦略の世界で単純に推論できるものだろうか?
わたしは少し疑問を感じて、質問した。「バルキーな汎用品は、体積のわりに単価が低いから、輸送費がかからないように需要地の近くで生産する、というのなら分かります。しかしファイン・ケミカル製品はずっと高価で、量は少ないのです。輸送費は問題にならないのだから、日本で高品質なものを作って輸出していてもよさそうじゃないですか?」
相手は自動車産業などの例を挙げながら、日本製造業の海外展開の流れについて力説した。たしかに機能性樹脂のうち、自動車向けの材料は、現地生産せざるを得ないだろう。なにしろ顧客は納期にうるさい自動車業界である。しかし、それ以外のファイン・ケミカル品は現地生産の必要があるのだろうか。わたしはもう少し質問した。「もし、その仮説が本当ならば、先行する米国や欧州の巨大化学会社も、アジアその他にファインの工場ばかりをたくさん持っているはずですが、事実でしょうか? そもそも、バルクを切り捨てて、ファインだけで生きている化学メジャーなんて存在しますか?」
しかし、向こうも逆に聞き返してきた。「ファインは高収益で、バルクは儲かりにくいはずなのに、なぜバルクを抱え続けるのでしょう?」--わたしは理由を探して、少し言葉に詰まった。すると、同僚が助け船を出してくれた。「ファイン・ケミカルの市場はvolatilityが高いので、それだけに頼るとリスキーだからでしょう。」
Volatilityの元の意味は『揮発性』だが、マーケットについて言うときは価格や需要の変動の激しさを言う。機能性材料など特殊品の世界は、価格よりも仕様の競争になる。とくに電子材料の世界は、「シリコン・サイクル」に似た需要の激しいアップダウンが起きやすい。たとえば携帯電話用の導電性樹脂を開発したとしても、その携帯が半年後に世代交代して売れなくなってしまえば、需要激減である。ファイン・ケミカル品は、良い用途が見つかれば、急成長する。量も少なくてすむから、プラント設備を新設する必要はない。マーケットに追随するのは早いが、すたれるのも早いのだ。
それにくらべて、エチレンやプロピレンやパラキシレンに代表されるバルク品の世界は、大規模な製造プラントが必要とされる。建設するだけで2年も3年もかかる。ただ大資本が必要だから、他社は急には参入しにくい。マーケットの需要も比較的安定している。たしかに汎用品は価格勝負だ。利幅も小さい。それでも、安定して量がさばけることは、ビジネス上のメリットでもあるのだ。
わたしは生態学における「r戦略」と「K戦略」のことを思い出した。この用語は、生物の個体数の増加を表すロジスティック関数の、二つのパラメーターrとKからとられている。rは成長の早さを表していて、r戦略をとる生物は、「早く子孫を作る戦略」に賭けている。早く成体になるために体は小さくていい。一度に多くの子を産卵する。チャンスがあれば、さっと増えていく。いわば『ネズミの戦略』である。ファイン・ケミカル品によるビジネスは、このr戦略を思わせる。そのかわり、環境が厳しくなると、小さな体の個体は生き延びることが難しい。
K戦略とは逆に、個体が多少の環境変動にも絶えて生き延びることを狙っている。だから必然的に、体は大きくなる。いわば『ゾウの戦略』である。むろん大量の資源(食料)を必要とする。バルク・ケミカル品はK戦略と言っていいだろう。ただし成体になるまでに長い時間がかかるし、一度に生む子どもの数も限られている。だから急に数が増えたりはできない。安定志向だが、ネズミよりは絶滅しにくいのである。
そして、世界の大手化学会社を見る限り、この二種類の戦略をミックスして、適度なバランスを保っているように思えてならない。どちらかに偏りすぎると、環境変化に適応できなかったり、絶滅しやすかったりするのだ。<高付加価値化>、<海外展開>のトレンドだけを足し算して考える訳にはいかない。くだんのコンサルタント氏たちは、だから「もう一度、検討し直してみます」と言って、帰って行かれた。
不思議なことに、ゾウの頑健性(Robustness)とネズミの敏捷性(Agility)の両方を、完全な形で兼ねそなえた生き物はいない。これは生物というもの、あるいは一般的にシステムというものが本質的にもっている矛盾なのかもしれない。二つの目的関数、あるいは生存のための評価尺度があり、前者は積分的、後者は微分的な性質であるとき、両者の間にはトレードオフの関係が生じるらしい。
である以上、わたし達は『戦略』を語るとき、それがr戦略(早さ)なのかK戦略(安定)なのかを、つねに自覚しておく必要がある。企業は幸い、複数の製品や事業分野をポートフォリオとして組み合わせて持つことができる。その中で戦略のミックスを試みることも可能だ。ただ、その中の個別の決断については、自分が今どちらを優先して、どちらを犠牲にしているかを意識しておくべきなのである。
契約社会がリーダーシップを必要とする理由
(2012/01/29)
ずいぶん前だが、わたしの好きな米国のマンガ"Dilbert"で、こんな話があった(Dilbertはハイテク企業の馬鹿馬鹿しさを皮肉った新聞連載マンガである)。主人公Dilbertの会社に、ERP導入コンサルが雇われてやってくる。彼はヘラヘラした頼りない男(というか巨大なネズミ)だが、ロクな経験もないのに腹が立つほど高い報酬を得ている。
そのコンサル氏、導入プランを説明しながら、「・・さて、この段階で古いレガシー・システムをシャットダウンし、新システムの稼働に切り替える」と言う。主人公Dilbertは、「待った。新システムがうまく動かなかったらどうするんです?」と、当然の質問をする。するとコンサルは「えーと」と言いながら書類をチェックして、「大丈夫。システムが動かなくても、ぼくの報酬には影響がないから」と、すまして答える。何のことはない、彼は雇用契約書をチェックしていたのである。それを聞いてDilbertも「俺もだ。」と答えるオチになっている。
米国の企業では、契約がすべてである。企業間が契約で動くだけではない。会社対個人の間も契約関係になっている。『雇用契約』は、日本では単なる法律上の概念だが、米国では実体であり、何か判断が必要な場合はそこに立ち返ることになっている。これは昨日今日できあがったことではない。その証拠に、1930年代の古いマルクス兄弟の映画でも、興行師グルーチョが、チンピラ役のチコを雇うときに「雇用契約書」を取りだして、二人でその契約の退屈な部分を削除しながら、紙を短冊のようにずたずたにしていく、というギャグがあった。
契約書の実質的な中核は、権利と義務の関係である。もう少し分かりやすく言うと、「果たすべき責任範囲」(Scope)と、得られる「報酬」がワンセットになっている。両者は等式で結ばれてバランスしており、片方が増えたらもう片方も増える、と皆が理解している。だから、地位が偉くなればなるほど仕事が忙しくなる。「米国企業では上の人間ほどよく働く」と言われるゆえんだ。契約型の組織においては、地位は権利(報酬)と義務(責任範囲)をむすぶ方程式の媒介項なのである。
このような組織では、誰もが雇用契約書で規定された仕事のScopeを気にする。仕事のScopeを、部門別・地位別に具体的に記述した書類は、Job Description(「職務記述書」)と呼ばれる。Job
Descriptionは職種別に細かく多数用意される。わたしは中小企業診断士の資格を取る勉強をしたときに、人事管理の教科書ではじめて「職務記述書」の概念を学んだが、実物がないためにどういうものなのかうまく想像できなかった。わたしの勤務先に限らず、日本企業では一般に職務記述書が存在しない。無くてもなぜかうまく組織が回っているので、誰も必要としない。しかし、このような組織は、「自分の責任に際限がない」状況なので、英米人には理解しにくいようだ。
ただし、この雇用の方程式を逆に見ると、自分の仕事の範囲(能力範囲)を増やさない限り、報酬も上がらないことになる(いわゆる毎年のベースアップは別として)。わたしの研究室の先輩がハーバードで先生をしていたとき、研究室で雇っていた助手の人たちに、「言われた仕事だけやるのではなく、自分でやるべき事を考えてPlanを作って行動しなさい」と教育指導したところ、たしかに研究室のパフォーマンスは上がったのだが、翌年の査定時に彼らが皆、「自分はPlanningの仕事もするようになったのだから、その分、昇級してほしい」と要求してきて参った、という話を聞いたことがある。仕事ができるようになれば、scopeが拡がり、報酬も上がる。これが彼らの感覚なのだ。
これをつきつめていくと、自分の給料を飛躍的に上げたかったら、大学や専門訓練校に通い直し、新しい能力と資格を得て、別のポジションにありつくべし、という事になる。当然、転職も増えることになる。米国は流動性の高い社会なので、資格が個人の能力の品質保証をする最大の手段になる。こうして資格もどんどん増えていくわけだ(PMIを思うべし)。学校とはすべて自動車教習所のようなものであって、一定の学費を投資し、努力すれば資格(すなわち給与アップ)がついてくる。その最上クラスがビジネススクールとMBAだ、という教育観が生まれるわけである。
組織の話に戻るが、部署別地位別に細かく職務が決められており、それを組合せ積み上げることで組織ができあがる、という発想は、いわば自動車のような機械に似ている。機械はたくさんの部品から成り立っており、部品一つ一つに設計図面・仕様書がある。では、その機械を動かすのは誰なのか。機械部品を静的に組み上げただけでは、一方向に動くだけである。速度を変えたり、方向を決めたりするのは誰なのか。
それが「リーダー」であり経営者なのだ、というのが米国流の概念である。意思決定も問題解決も、すべてトップによって行われる(べきだ)と考える。そのためにはすべての情報をトップに透過的に集中しなければならない。各部門は、定められた職務(Scope)ならびに業務手順(Work
Procedure)で動くようにする。そして上意下達で機敏に動く。これが組織の理想となる。軍隊みたいだが、つまり軍隊が組織の手本なのである。
いいかえれば、組織は二種類の人間から構成されるわけだ。リーダーと、部分品として働くその他大勢の人間。両者は別物である。部分品は、まさに部品であって、取り替えがきく。取替やすいように、きちんと職務記述書で規定して雇用契約する。代替可能性があるということは、つまりコモディティ(汎用品)であって、給与は比較的安くてすむことを意味する。一方、リーダーは取り替えがきかない。だから米国企業のトップは法外な報酬を得るようになっていく。
ところで、よく考えてみてほしい。あなたが英米の社会に生まれついたら、リーダーと部品と、どちらになりたいと思うか。リーダーに決まっているだろう。ぼくは一生こつこつ働く部品でいいよ、という人は少ない。(そういえば、英国ロックバンドPink
Floydのヒット曲に"Another Brick in the Wall"というのがあった。あれこそ、自分は壁を構成するレンガの一個に過ぎない、という気分を表したタイトルだ)。
すると、どういうことになるか。リーダーの特徴は、自分の意見を持ち、自己主張があり、自信があることだ。つまり、組織の中のあらゆる階層の人間が、リーダーシップを発揮すべく、あれこれと自由に発想し主張したがる組織が生まれる。『部品』の枠内に収まりたがらぬ人間が増えるわけだ。実際、米国企業ではトップが不在になったり弱体化すると、マネジメント層がバラバラに勝手に動き始める。放っておけば組織の温度とエントロピーが高まっていく。これを押さえつけるために、ますます組織のコントロールを厳しくすることになる。職務記述書は厚くなりルールは厳格になる。つまり組織の「圧力」が高くなるのである。そして一層、トップの「リーダーシップ」は強くなる。
かくして、強力な本社機構と、Noは言えるがYesとは言えない中間管理層、そして顧客より上を気にする一般職員が増えていく。大企業病の発生である。大企業病を治そうとして、ますますリーダーシップが求められる。そもそもリーダーと部品の二極分化が原因だったのに。
誰も言わない事だが、ここであえて指摘しておく。20世紀の中盤まで、このような組織内圧力のビンのふたの役割をしていたものが社会にあった。それは、米国における「人種」、英国における「階級」である。有色人種に生まれたら、労働者階級に生まれたら、もう上には行けない。黒人や下層階級だから安心して部品扱いしていたのである。彼ら大多数の人間は、自分らしさを求めたければ、職場ではなく別のところで(それはスポーツだったり音楽だったり宗教だったりするわけだが)探すしかなかった。
そのような社会感覚は、’70年代を境に崩れつつある。無論、まだ厳然と残ってはいるが、もはや南部のプランテーションで黒人奴隷を使っていた時代には戻れないのだ。奴隷だった一人一人が、自分も能力を得てリーダーシップを発揮したい、と主張しはじめた。とうとう大統領まで黒人になった(オバマ氏は正確には黒人と白人のハーフだが、米国では誰もが彼を黒人と見ている)。
米国流の組織形態は考え直さなければならない時期にきている。と同時に、「リーダー+部品」型組織での、リーダーシップのインフレーションについても、再考が必要である。むろん、これらはすぐに簡単に変わるものではないだろう。とりあえず、わたし達は、日本型組織との違いにまず自覚的になるべきである。そうでないかぎり、わたし達は英米(に限らず契約社会)にある企業と協業したり、使いこなしたりすることがうまくできないからだ。
シェールガス革命と、見えない地政学的地殻変動
(2012/01/22)
技術というものは競争と進歩の世界だとみな信じているが、案外古臭い慣習がいつまでも残ったりするものである。例えば石油の値段は1バレルあたり何ドルという言い方をよくするが、このバレルという単位はその昔石油を入れるのに使った樽の大きさから来ており、1キロリットルが約6バレルに相当する。そして石油工学の分野ではいまだにこのバレルという単位を計算にも使用している。私なども1日20万バレルの処理能力を持つ蒸留装置と言われた方が、tonやキロリットルなどの単位で言われるよりも、ピンとくる。
ちなみに天然ガスの世界では体積を測るときに立方メートルではなく、立法フィートという単位を用いる習慣になっている。実際にプラントの設計をするためのシミュレーターは、SI単位系ばかりではなく、この種の旧弊な単位系もちゃんと取り扱えるようになっている。
しかし上には上があるもので、この種の単位の中でも飛び抜けて馬鹿げたものは「BTU」と呼ばれるものではないかと私は思う。BTUはBritish
Thermal Unitの略で、熱量を測る単位である。これは1立方フィートの水の温度を、華氏1°Fだけ上げるのに必要な熱量と定義されている。困ったことに天然ガスの値段は、このBTUで取引されることになっている。というのも天然ガスの組成は産出される場所によって少しずつ異なるので、体積や重さではなく、燃焼熱によってはかることになっているからだ。100万BTUあたり$5とか$10といったふうに値段を表示するのである。
さて、石油取引の業界ではWTIの価格を代表的な指標に使ったりしているが、天然ガスのスポット取引でこれに相当するのがHenry
Hubと呼ばれる指標である。この天然ガスのスポット価格は昨年以来、どんどんと価格が低下して、とうとう100万BTUあたり3ドルをきるところまで来てしまった。
ご承知のとおり日本は天然ガスにかなりエネルギーを依存している。特に昨年の福島原発事故以来、今やほんの数基を除いてほとんどの原発が止まっている。その埋め合わせをしているのが火力発電所であり、特にLNG
火力である。だとしたら天然ガスのスポット価格下落は日本にとって、ありがたいことに思えるかもしれない。
ところが違うのである。昨年日本はLNGの輸入量を大幅に増やしたが、それは非常に高くついた買い物であった。
なぜか。それは日本が輸入している天然ガスの価格が、多くの場合石油の価格に連動しているからである。石油の値段は逆に昨年の間どんどん高騰し、とうとう1バレルあたり100ドルを超えてしまった。それに比例して日本の輸入した天然ガスの価格も高くなったのである。これは日本の電力会社など大口ユーザーが資源国との間で結んでいる長期契約のあり方に起因している。契約書に、ガス価格は石油に連動すると書いてあるのだ。電力会社は総括原価方式を採っているため、燃料が値上がりしても電力価格に転嫁できるだろうが、困るのは我々末端のユーザーである。
それにしても、石油の価格が上がっているというのに、なぜ天然ガスの価格は下がっていくのか。その理由は過去数年間の間に急速に進んできた資源エネルギー分野での、目に見えない革命のせいである。その名前をシェールガスという。シェールガスは地層の頁岩(シェール)層から採取される天然ガスで、従来は利用できなかったが、最近の採掘技術の進歩によって新たに利用可能となった資源である。非在来型天然ガス資源とも呼ばれる。
このシェールガスは、アメリカ、カナダ、中国、インド、ポーランドなどの国で大量に存在することがわかってきた。その量は膨大なもので、一説には、現在の消費量で換算しても200年分以上あると言われている。残念なことに、日本にはほとんど見つからない。北米での開発が最近は特に活発である。またガスと同様に、この地層に含まれる油の採取も可能になってきた。
私が学生だったころ、石油の埋蔵量はあと30年だと言われた。この数字は石油価格の上昇とともに増えたり減ったりしていたが、2000年代に入ると「ピークオイル説」が言われるようになった。つまり石油の産出量は、もはや人類の歴史において、ピークを越えて、後は減るばかりだというのである。ところがそれから10年もたたぬうちに、この非在来型資源の発見によって、埋蔵量の数字は大きく塗り替わることになった。昨年12月にカタールで開催された世界石油会議に於いても、多くのエネルギー専門家はピークオイル説の終焉を声高らかに宣言した。
こうして天然ガス生産量の増大に伴い、価格は下がってきている。だが、それだけではない。この世界には一つの重大な地殻変動が起きているのだ。上にあげたシェールガスの産出国は、いずれも中東以外の地域であることに注意してほしい。特に北米、欧州などの先進国に天然ガス資源が多い。現在アメリカ天然ガスの輸入国だが、近い将来は輸出国になると言われている。石油会社や化学会社は、もう暑い思いをして不便な中東に資源を探しに行かなくても良くなるのだ。
これはすなわち、中東世界の影響力低下、地盤沈下を意味している。今は石油の首根っこを押さえられているから、先進国も中東諸国の意向を無視できない。ホルムズ海峡を封鎖する可能性があれば、原油価格も跳ね上がる。しかし今後は、そうならないかもしれない。列強の介入が中東地域の分断を生んできたことは事実だから、欧米の干渉が薄れれば、この地にも少しは平和が戻るのかもしれない。あるいは逆に内輪もめがひどくなるかもしれない。確実なことは、この地に米国の軍隊のプレゼンスが減ることだ。彼らの関心は、もっぱらアジア太平洋地域における中国との覇権争いになるだろう。
小さな技術的進歩が、大きな社会的変化を生むことは時々ある。TCP/IPネットワークや電子メールだってその一例だろう。シェールガスの採取技術も、その一つなのかもしれない。無論、たとえたくさん見つかったと言っても、石油や天然ガスが有限であることに変わりはない。使えば、いつかは無くなる。わたし達は、いつか行き止まりになる文明ではなく、持続できる社会のために、もう少しだけ技術を工夫すべきではないだろうか。それが技術の面白さというものなのだ。
中東について私が知っている2、3の事項
(2012/01/15)
イランを巡る緊張が高まっている。欧米諸国はイランの核開発疑惑に対して制裁措置を発動すると脅かしており、一方、イランの方は石油を禁輸されるならば、ホルムズ海峡を封鎖すると言っている。ご存知の通りペルシャ湾はホルムズ海峡の細い出口を通じてインド洋とつながっている。サウジアラビアやイラクやクウェートやカタールのなどいわゆる湾岸諸国の石油の大部分は、このホルムズ海峡というボトルネックを通して運び出される。日本もかなりの量の石油を中東湾岸地域に依存しているから、万が一ここが封鎖されれた場合、エネルギーの輸入はかなりストップしてしまう。
果たして本当にイランはホルムズ海峡を実力封鎖するだろうか。私はその可能性は少ないと思っている。これはいわば伝家の宝刀、抜いてしまえばおしまいで、あとは力ずくの切り合いだけだ。実はこのところ何年間も、米英は毎年春になると決まってイランに対して挑発行為を行ってきた。イランも一旦は反発するのだが、最後は自制して武力衝突を回避してきた。危機は大体年末あたりに発生して、なぜか4月頃になると収束する。それを過ぎると気候が暑くなりすぎて、軍事行動に向かなくなるからだと言われている。暑すぎて兵隊を動かせないというのは、いかにも欧米人の発想だろう。私の勤務先のように年がら年中、中東で建設工事をしている会社にとっては信じがたい言い分である。
それはともかく、最近面白い新聞記事を見かけた。UAEが内陸にパイプラインを引いてホルムズ海峡を通らずに石油をインド洋に運ぶルートを作ったというのだ。日量150万バレルの輸送能力を持っている。頑張れば180万バレル送れるはずだとも言っている。150万バレルでは日本一国で輸入している量にも満たないが、イランのおどしに対するリスク回避策としては面白い。開通するのは6月で、さらにそこから運転調整で数ヶ月必要だが、EUもイランの石油の禁輸措置までには、交渉のために半年間の猶予期間を置くと言い出しているから、あるいは間に合うかもしれない。
ほとんどの日本人にとって中東というのは遥か海の彼方のエキソチックな世界で、あまり理解しがたいと思われているに違いない。中東について私が知っていることは限られているが、それでも飲み込んでおくべき二三の事柄がある。
第1に、中東世界はアラブとイランとトルコという、三つの異なる文化圏から成り立っている。立派な教育を受けた人でも、イランはアラブの一部だと思っている人がいるが、これは例えて言うなら日本が中国の一部だと思っているようなものだ。両者は全く別のものである。確かに日本は漢字や儒教を中国から受け入れた。イランもまたアラビアの文字やイスラム教をアラブから受け入れた。しかし日本語は中国語とは違うように、イラン(ペルシャ)文化とアラブ文化とは別のものである。
アラブ世界とはある意味たしかに中国に似ている。ほぼ同じ言語を話す人々が、広大な地域に住んでいる。実際にはかなり方言が違うが、古典的な書き言葉は共通である。そして古典教育を大切にしている。しかし覚えておくべき第2のことは、アラブ人たちは実はお互いにけっこう仲が良くない、ということだ。だから団結して一つの国を作れずにいる。たぶんお互いに自己主張が強すぎるのだろう。欧米の列強はこの点につけいって、アラブ諸国を石油の利権の為に分断して支配しようとしてきた。これに対する貧しい人たちの反発が、イスラム原理主義の形をとるのである。
そして覚えておくべき第3のことは、中東の人たちは割と日本が好きだということである。これはわたしの狭い経験の中のことだから、必ずしも当たっていないかもしれないが、特にトルコではこちらが恥ずかしくなるくらい親日的な人に会うことがある。これはわたしたち自身というよりも、わたし達の父祖のおかげなのだ。中東は欧米に支配された歴史を持つ。欧米の文明の憧れもあるが、反発もある。その欧米に一矢報いた日本という国に、漠然とした期待感を抱いている。
しかし実際の中東では、日本人のプレゼンスが極めて少なく、代わりに目立つのは韓国人や中国人ばかりだ。今のわたし達はひどく内向きな人々だと思われている。外交面も、いっこうに独自性が見えない。英米とも、中国とも、ロシアとも一定の距離を置いて、中東と自分なりの共益関係を結べれば、今よりもずっと尊敬されるだろうに。日本が中東の石油ガスに依存しているだけに、いっそう残念なことだ。
もっとも、石油という戦略的資源を占有することで、世界に地政学的な影響力を行使してきた中東世界も、最近いささかパワーが地盤沈下しそうなことが起きている。それは政治的な「アラブの春」の動きよりも、実際には地域に大きな影響を与えるかもしれない。本当はそのことについて述べようと思っていたのだが、いつもの癖で前置きが長くなりすぎた。その出来事については、稿を改めてまた書こう。