コスト・エンジニアリング
コスト・エンジニアリング
Cost Engineering
コスト・マネジメントの話を、少ししたいと思う。コストは品質・納期とならんで、製造業の生産における3要件と呼ばれる。品質(Quality)・コスト(Cost)・納期(Delivery)の頭文字をとってQCDともいう。この三つが顧客の主要な要請であり、また製造業の競争力の尺度でもあると考えられている。プロジェクト的分野においては、Scope・Cost・Scheduleが主要な三要素であり、品質がScopeに入れ替わっているが、いずれにせよコストが重要であることにかわりはない。(プロジェクトでもScopeでなくQualityを採用するべきだという議論もあるが、ここでは深入りしない)。
さて、コストである。これが、皆、分かっているようで良く分かっていない項目なのだ。その理由は二つある、のだが、その理屈に入る前に、コスト・マネジメントには専門職がある、という話からはじめよう。その職種を、「コスト・エンジニア」Cost
Engineerとよぶ。
米国にはAACE Internationalというコスト・エンジニア専門家の協会があり、国際大会を開いたり研究・啓蒙活動を行っている。AACEは元々、American
Association of Cost Engineeringだったはずだが、現在は Association for the
Advancement of Cost Engineeringの略称ということになっている。Internatioalをつけて国際化したときに、国名を外したのだろう。英国にも、Association
of Cost Engineersという団体がある。日本にはまだ、あいにく存在していないようである。
それにしても、コスト・エンジニアリングとは、何をする仕事なのだろうか? エンジニアリングとは、普通は何か「機能するモノ・仕組み」(それが有形であれ無形であれ)を設計し、現実化する仕事を指す。機械工学Mechanical
Engineeringとか制御工学Control Engineeringなどは、そうした種類の技術だ。ところが、コスト・エンジニアリングはまさか『コストという名前のモノ』を作る仕事ではない。では、何を設計するのか?
答えは、製品やサービスの『原価を設計し、実現する』技術、なのである。技術というところがポイントだ。エンジニアリングは、科学的アプローチに基礎を持っていなければならない(機械工学が物理学や金属学などに基づいているように)。気合いと根性でコスト削減を目指したり、下請業者を呼んで「指し値」で恫喝したり、というやり方は、原価低減には役立つかもしれないが、『科学的アプローチ』ではない。
科学的でないと何が困るかというと、数値とデータ分析で精度を向上させたり、やり方を他者に教育・移転したり、ということができなくなることだ。エンジニアリング(技術)とは、どんな人間でも一通りの訓練さえ受ければ、70点の仕事ができるようにする事を目標としている。だから逆に、エンジニアリング抜きのコストダウン活動は、ひどく属人的なやり方になってしまう。
そのコスト・エンジニアの仕事だが、大きく分けて以下のような要素からなっている:
(1) コスト見積(estimating)
(2) コスト・コントロール(cost control)
(3) コスト予測(cost forecasting)
(4) 投資採算分析(investment appraisal)
(5) リスク分析(risk analysis)
細かく言えばまだあるが、上記の5本柱が仕事の中心である。
コスト見積(estimating)の科学的アプローチとは何だろうか。これから作ろうとする製品やサービスの原価は、ふつう、その設計内容と、過去のコスト実績とから計算する。見込生産や繰返し受注生産のように、すでに設計内容が決まっている製品については、その部品材料の仕入れ価格や、社内工賃などが定まれば計算でき、標準原価として定義されている(はずである)。むしろ目標原価を最初に設定して、それに合うような設計をすることもしばしば行われる(これを原価企画とよぶ)。
しかし個別受注生産は、毎回原価が異なる。本来はきちんと設計を完了して、はじめて精確なコストを見積もれる。ところが、受注ビジネスの商談においては、コスト見積の段階で、必要な詳細設計の全てを済ませることはできない。顧客の要求仕様にもとづき、概略の『見積設計』を行い、それをもとにコスト見積をしなくてはならない。
このとき、詳細不明な部分のコスト要素について、過去の実績データから何らかの推算方式を用いることになる。それは、なんらかの代表的尺度(トンだとかkWだとか)を用いたfactor
methodであったり、あるいは過去の単価トレンドの数理的外挿だったりする。こうして、設計がどの程度まで確定しているとき、どのような推算手法を用いるべきかの決定が、estimatingの主要な技術となるのである。
二番目のコスト・コントロール(cost control)とは、実行段階におけるコストのトラッキング、予実対比ならびに問題解決を行う活動である。見積段階で作り上げた原価構成を元に、まず『実行予算』を策定する。すべてのコスト要素に対して、目標値となる予算を決め、各担当者に通知するわけである。それから、発生した実績コストを時系列的に把握・集計する。そして予定コストと対比する。これが予定内であればokだが、実績が予定を上回っているようであれば問題である。その原因をつきとめ、分析する必要がある。そして、対応策を考え、関連部門とともに対策にあたる。
こうした活動がcost controlだが、発生コストのリアルタイムな把握だけをとっても、そう簡単でないことはおわかりだろう。あなたの職場では、たとえば製品にかかわる人件費を集計するタイミングは、翌日・翌週・翌月のどれだろうか? そのタイミングは、製品作りのリードタイム(つまり納期)に比べて、十分短いだろうか?
この問題はさらに、cost forecastingの活動にもつながる。cost forecastingとは、「この仕事が全部終わった時には、いくら金がかかっているだろう?」という問いに答える活動だ。当然ながらこの問いには、「いったい、この仕事はどこまで進んだのだろう? いつ終わるんだろう?」との視点もかかわってくる。すなわち、進捗率を把握し、着地点を推定する仕事である。完了時点のコスト推定値を、Cost
Estimate at Completion、略してCost ETCという。
そして、以前、「進捗管理とは何か?」http://brevis.exblog.jp/17429450/でも書いたように、進捗率とは非常に誤解の多い概念なのだ。進捗とは、これまでどれだけ仕事をしたか、ではなく、「あと仕事がどれだけ残っているか」で量るべきものである。コストでいえば、今までいくら使ったか、ではなく(それはそれでcost
controlとしては大事なのだが)、これからいくら使わなくてはならないか、を推測しなければならない。
知らない街でタクシーに乗り、目的地を運転手に告げて、たしか1,000円くらいでいけるはずだよな、と思いながらタクシーメーターを見る。すると900円になっている。「じゃあ、もう9割は来た訳だ」と考えるような人には、コスト・エンジニアリングは出来ない。今どこにいて、あとどれだけ道のりが残っているかを、地図や様々な手がかりから推計できて、はじめてコストをエンジニアリングしている、と言えるのである。なのに、ただタクシーメーターをじっと見つめているだけで「ぼくはコストをきちんと管理している」つもりになっている人が、世の中には多いように思われる。
さて、長くなってきたので(いつものことだが)、投資採算分析(investment appraisal)とリスク分析(risk
analysis)の話は、別の機会に項を改めて書くことにしておこう。いずれにせよ、コスト・エンジニアリングとは、製品やサービスに必要な原価に対して、科学的なアプローチでせまろうとする技術であることが、少しは理解いただけただろうか。
ただ、通常の工学的技術が、力学や化学など固有分野の科学法則を用いるのに対し、コスト・エンジニアリング技術は、対象分野にしばられぬ汎用的な論理と法則によってできあがっている。前者を『固有技術』、後者を『管理技術』と呼ぶが、コストはスケジュールとならび、典型的な管理技術(Management
Technology)の対象なのである。
コスト・エンジニアリングは歴史的には20世紀中盤頃に、英国の建設業界に生まれ育ち、その後は米国のエンジニアリング業界で発展した。その出自から、受注型ビジネス分野で、プロジェクト・マネジメントに内包される技術として成長したことがわかる。
実際、エンジニアリング業界における大規模プロジェクトでは、マネジメント業務をプロマネ一人では回しきれないため、Project
Management Team (PMT)を組織する。コスト・エンジニアは、このPMTの専門職の一つに位置づけられる。もちろん中小規模プロジェクトでは、プロマネが一人で何でもこなさなければいけない。だからプロマネの職務の一部にコスト・エンジニアリングがある、といっても間違いではない。
一方、情報システム開発の分野では、工数見積はつねに大きなテーマであり、COCOMOやFunction Pointなどの技法が、ソフトウェア工学で以前から探求されてきた。しかし、ハードも含め、コストの全体像をエンジニアリングの対象としてとらえる、という概念は薄いように思われる。また開発の進捗とともに、工数の着地点がどうなるかを逐次モニタリング・推定し直すcost
forecasting技術も、まだ未開発のように思われる。
まして、製造業の世界では、これだけプロジェクト的な生産活動が増えてきているにもかかわらず、コストに特化した「エンジニア」がいるという話はほとんど聞かない。今後、インフラ・システム輸出などに力点を置いて、総合力で勝負しようという機運が高まっている今日、コスト・エンジニアリングにもっと注目しても良いのではないだろうか?