計画作業の中心とは

計画の本質は何か--毎日の仕事として計画立案作業にたずさわっている人でも、あらためてこう問われると、なかなか答えにくいものだ。生産計画をはじめ、販売計画・輸送計画・在庫計画・調達計画・外注委託計画・等々、製造業でつくられる計画の種類は非常に多い。製造業とはまさに「計画だらけ」で動いている業種だとも言える。



そんなの製造業でなくても当たり前じゃないか、無計画・なりゆきまかせでいい商売なんてあるわけない、とお思いだろうか。では、免許の代書屋や消防士や漁師が「本日の業務計画」を立てている姿を想像してみるといい。何となくおかしな気がしないだろうか? もう少しふつうの企業の例をあげるならば、たとえば請負の中小土建屋だったらどうだろう。入札の勝敗が分からない時に、どんな計画を立てられるのか。



むろん、こうした職業の人たちだって、仕事の見通しというものは持っているだろうし、その日その時の道具立てや道筋を考えているだろう。漁師だったら、どの程度の水揚げを達成したいか、そのためにはどういう仕掛けを用意してどこの海を回ればいいか、判断しているはずだ。入札だって、どういう業者と組んで、どんな価格で攻めるべきか考えている。ただし、こうした判断はいわば「目標」の設定と「戦略」の選択であって、「計画」という言葉を使うと、なぜかちぐはぐな感じを受ける。



なぜならば、計画とは、ある程度確実に予見される将来にかんする意志決定だからだ。逆にいうと、変動しやすい外部環境に依存するタイプの仕事、その環境の予測に主軸がおかれるような判断は、「計画」という言葉になじみにくい。天気予報のアナウンサーが、『明日の天気の計画は、晴ときどき曇りです』といったら、誰だって変だと思うだろう。消防士は『明日の計画は火事2件です』とは言うまい。



だとすると、製造業はなぜ「計画だらけ」なのかも分かる。製造業には工場がある。製品を持っている。倉庫と、設備と、工員と、資材業者をかかえている。こうしたもの全ては、天気のように毎日くるくると変わるものではない。つまり、とても先が読みやすいのだ。また、意志決定によって変えられる範囲もおのずから定まっている。予見可能性と、意志決定範囲がバランスしているとき、それは「計画」の名にふさわしいものになる。



計画立案作業の中心には、「予測」と「意志決定」の二つの柱がある。私は「革新的生産スケジューリング入門」の中で、これを表すために、



計画立案=予測+意志決定



という等式風の表現をしてみた。そして、意志決定の範囲(=自由度!)が、予測の変動範囲を凌駕するとき、それは「実行可能な計画」となる。(逆の場合、すなわち予見のぶれが大きすぎて、どんな意志決定でも追いつきそうにないとき、その計画は「絵に描いた餅」になる)。



計画を持たず、環境の変動に対して成り行きで追随するような業務形態は、主体性の乏しい、受動的reactiveなやり方だ。こういった無計画な「成り行き管理」を脱して、計画重視の業務形態にかえていくこと。すなわち、受動的な生産管理から能動的proactiveな生産管理へと移行すること。そのために、計画能力を向上させ、必要ならばAPSなどのツールを導入すること。それが今の製造業に必要なことなのだと、私は信じている。



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