欧州におけるIndustry 4.0 − その虚像と実相(1)

「フィンランドの大学では、受講している科目は何度でも試験を受け直せる、ってホントですか?」−−先月、ヘルシンキで会ったA先生に、わたしはたずねてみた。答えは、”yes”だった。毎月、試験日がある。事前に登録しておけば、会場で、複数の科目の試験を受けられる。そうして、自分が納得いく成績を取れるまで、何度でも繰り返しチャレンジすることができるのだそうだ。ただし教授の側は毎月、試験問題を出す訳だから、大変だろう。それでも、納得できるまで学べる。随分と教育を重視した制度だ。
 
そもそもフィンランドの大学は、4年で卒業する制度ではないらしい(年限は一応10年以内とか)。学費は交通費も文房具代まで含めて、無料である(小学校から大学まで)。だったら皆が大学に殺到するかというと、そうでもないようだ。卒業はそれなりに難しい。また、大学以外にポリテクニックなど職業訓練校の存在もある。フィンランドの教育制度は近年、日本でとみに話題になったが、良し悪しや比較の議論以前に、教育に関する考え方がかなり違う、としかいいようがない。単線のエスカレーターではなく、乗り降り自由な複線みたいな印象だ。少なくとも、日本の東大・京大を頂点としたピラミッド構造とは、随分違う。
 
こうしたことは、現地に行って、いろいろ見聞きしてみないと分からない。よく「百聞は一見にしかず」というが、とくに社会的な仕組み(システム)のことに関しては、そうである。
 
5月末から6月にかけて、ドイツとフィンランドに、短い出張に行ってきた。その時に見聞きして考えたことを、報告したい。まさに百聞は一見にしかず、の旅であった。出張の目的は、次世代の工場のエンジニアリングに関する我々のビジョンを発表すること、ならびに『Industry 4.0』の震源地であるドイツでの実相を調べること、の2点だ。
 
最初の目的のために、フィンランドで開催された”Manufacturing Performance Days 2017”(略称MPD 2017) https://mes.eventos.fi/event/mpd2017/pages/programme というカンファレンスにまず参加した。場所は、フィンランド第二の都市、タンペレ(Tampere)である。ここは首都ヘルシンキから高速鉄道で1時間半、東京と静岡くらいの距離にある工業都市で、湖水地帯にある。この町をはさむ二つの大きな湖の間に6mの落差があり、これを利用した水力発電設備が、町の発展の基礎となった。
本カンファレンスには、昨年、自分が主催する研究部会のメンバーであるKさんの紹介で、来日したタンペレ工科大学のTuokko名誉教授にお目にかかったご縁があって、発表枠を得ることができた。このMPD 2017とは、小さな規模ながらレベルが高い国際会議と展示会で、今回が10年目である。ちょうどフィンランド建国100周年に当たるとかで、過去最高の約800名が参加した。主な参加者は:
 
– 大学および国立の研究機関(たとえばドイツのフラウンホーファー研究所や中国科学院)、
– 産学連携組織(欧州には各国にあり活発)、
– 企業:地元フィンランド企業に加えて、Siemens, SAP, Daimler, Bosch, Beckhoffらドイツ勢。さらに米GE, 仏Dassault, 米McKinsey, 英Rolls-Royce, スウェーデンのVolvoなど錚々たる企業が参加している。
 
ちなみに日本からは、我々日揮と、IVI(「つながる工場」で知られる日本の組織”Internet Valuechain Initiative”)のエバンジェリストとして、富士通の高鹿さんが参加された。
 
それで、佐藤が何を講演発表したかというと、およそ以下のような骨子の話である:
 
(1) IoT技術の進展、およびIndustry 4.0に代表される社会的要請の二つの導因(ドライバー)により、これからの工場のあり方は大きくかわる。
(2) すなわち、中央制御室を持つ、より統合された「システムとしての工場」に進化する。
(3) そうなると、「工場のシステムズ・エンジニアリング」が必要になる。
(そして、そこにはプロセス産業での教訓も活かされるだろう)
(4) そこで、我々はその確立を目指して活動していく。
 
といった主旨だ。詳しくはいずれ項を改めて書くつもりだが、講演資料はネットからすべて公開されているので、興味がある方はご参照いただきたい。
 
 
カンファレンス全般の感想を少し書いておこう。まず印象に残った発表・展示としては、
– Siemens社のIoTプラットフォームであるMIndSphereの発表デモ
– タンペレ工科大学のMinna Lanz教授によるMESの連携システム構想
– アールト大学によるIoTを使ったクレーンのスマート化実験
– GEのドイツ自社工場における”Brilliant factory”実践取組みの報告、
などを代表例としてあげておきたい。
 
ただし、IoT技術レベルのテクニカルな話題と、Industry 4.0関係のハイレベルな議論が多く、中間の「工場レベル」の話が少なかった。強いてあげるなら、GEの事例に加えて、我々日揮とIVIの日本勢の2発表くらいかもしれない。ここは一種のミッシング・リンクになっていると、わたしは感じた。
 
最終日には、タンペレ工科大学の見学もさせていただいた。人口20数万人の工業都市の大学ながら、工学系研究のレベルが高いのには目を見張った。キャンパスに着くと、完全自動運転のマイクロバスが構内を走っているのに気がつく。すでにこのレベルでは実用に供しているのだ。いくつか研究室を見せていただき、院生達とディスカッションもしたが、実験設備も研究内容も世界レベルである。ここでわたしは、はじめて金属3Dプリンタの実物を見た(院生が実験で使っていた)。
 
たまたま見学したのが機械系学科だったこともあるだろうが、ロボティクスや建機の自動運転研究などが面白かった(写真は多軸ロボットとヒューマンインタフェースの研究を解説するLanz教授)。フィンランドは林業の国でもあり、建機メーカーもあって実際的である。ちなみにカンファレンスでは、英Rolls-Royceと共同した、船舶の自動運転研究がトピックになっていた。フィンランド政府が、海面での規制を緩和し、船の自動航行の実験を可能にしたのである。(ついでにいっておくと、日本ではロールス・ロイスを超高級自動車メーカーだと思っている人が多いが、むしろ英国の三菱重工みたいな存在だと思えばいい)
またタンペレ工科大学を含むフィンランドで、生産マネジメント分野の研究もしっかりしている点に感心した。スコープが広く、製造業全体の問題として考えている。これに対し日本では、近年この分野の専門家がほとんど大学にいなくなってしまった。品質管理や在庫・スケジューリングといった個別の専門家は、いるにはいるのだが、Industry 4.0のような広い文脈で、全体を語れる研究者がいないのだ(たぶん論文になりにくいからだろうが)。
 
大学は企業とも距離が近く、共同研究を多く行っている。上記の設備なども、企業(フィンランドだけでなくドイツ企業なども含め)との共同研究で購入しているようだ。企業は資金と機材を提供し、大学は人手と知恵を提供するサイクルが、うまく回っている。もっとも、フィンランドという国は現在、「ノキアの次」を、皆が探している感じがする。ノキアは世界市場を相手にした大企業であったから、それだけ喪失感も強いのだろう。
 
ところで、MPD 2017でいろいろな講演者や出展企業の人びとの話を聞くうちに、わたしはあらためて、欧州製造業におけるドイツの影響力の大きさを実感するようになった。北欧の辺境に位置するフィンランドだけでなく、スウェーデン、フランス、ベルギー、スペイン、オランダなどからの参加者とも話したのだが、その感は強い。それはたぶん、ドイツの製造大国としての存在感としてよりも、むしろ、Industry 4.0に代表される構想力と、システマティックで重厚な進め方のためだろうと感じる。
 
ドイツの重厚な進め方とは、どんなものか。たとえば、少し前に英国で「人工知能は将来、人間の47%の仕事を置き換える」というショッキングな研究が出された。これは日本でも話題になったが、欧州でも当然、驚きを持って受け止められた。ところでドイツでは、この問題に関して、追検証のスタディを複数の研究機関に委託した(ドイツは連邦制なので、各地の州政府が独立して動く気風がある)。
 
その追試研究の結果の数字はまちまちながら、ドイツでは「せいぜい1割程度」という答えとなった。それでも、その報告を重く見て、ドイツは「雇用(Arbeit) 4.0」という次の国家プロジェクトを始動した。同じ時期、日本では、この研究を客観的に再評価する指令を、国や財界が学会に下したという話を聞かない。むしろ47%という数値を、あちこちの人が我田引水や威かしのために、メディアで触れ回った印象しかない。
 
この例でも分かるとおり、ドイツではどうやら産→官→学のサイクルがきちんと回っている事と、総合的で実証的なアプローチによって、説得力があるのである。行く前は、正直言ってそんな風には想像していなかった。この点は自分の不明だった。しかし、それならドイツにおける製造業の実態はどうなのか?
 
それを知るために、カンファレンスの後、わたしはドイツに向かったのである。だが長くなってきたので、この話の続きは、また書こう。

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