タイム・コンサルタントの日誌から(2014年)


このページは、スケジューリング・生産計画・プロジェクトマネジメント・SCM・MES・電子商取引などに関連するトピックを選んで紹介するとともに、 私自身の個人的視点から簡単なコメントをつけたものです
(佐藤 知一)

→Blog版: タイム・コンサルタントの日誌から


風雲忍法帖・舞竹城あじゃいる異聞 (2014/11/25)

ある経営者の命運に見る、石油資源の戦略性 (2014/11/17)

パーソナル時間管理のベーシック (2014/10/13)

存在しているだけで役に立つもの (2014/10/05)

イノベーションのもう一つのジレンマ (2014/09/21)

ロージーの返事を、ときどき思い出す (2014/08/21)

遠くに届くためには、力を入れてはいけない (2014/08/13)

プロジェクトは失敗するものである、という英国人の思想 (2014/06/29)

石油・ガス業界のニュースから見えてくる、奇妙な国際関係のループ図 (2014/06/02)

交渉学から見たロシア・天然ガス大型商談の実相 (2014/05/26)

R先生との対話 - 海外に展開する勇気、国内に居続ける知恵 (2014/05/19)

大企業病の作り方、治し方 (2014/05/12)

超入門:上手な工場見学の見方・歩き方 (2014/04/17)

アメリカン航空に乗るおじさんの日記 - サービス業の本質とリスクについて (2014-03-30)

Pushで標準化し、Pullで差別化する (2014/03/04)

社長で会社は決まる、のか? (2014/02/11)

今年の抱負はこう作ろう (2014/01/03)

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風雲忍法帖・舞竹城あじゃいる異聞 (2014/11/25)

「半蔵。半蔵はおらぬか!」

--・・御前に。

「おお、そこか、半蔵。苦しゅうない、近く寄れ。・・い、いや、そんなに近くなくてもよい。もちっと下がれ。・・よし、そこでよい。」

--ははっ。して、殿、御用向きは。

「うむ。他でもない。隣の藩の動きじゃ。我が藩の長年の宿敵・舞竹藩の動きが、ちかごろ不審との噂が耳に入った。行って、動静を探って参れ。」

--その事でしたら、手前どもも耳にして、すでに調べを開始しております。街道筋の商人の話では、所蔵米を放出して売り先を探しているとか。また特産品の漆を増産させて現金を得る傍ら、木材・砂鉄を買い集め、職人たちも呼び寄せているとのこと。何やら大掛かりなものを造ろうとしているフシがございます。」

「そうか。気づいておったか。さすが忍び頭じゃ。敵の様子を知ることこそ、兵法の要ぞ。」

--敵情報知、略して情報

「うむ。情報を制する者こそ、天下を制す。だからこそ、お主を『最高情報責任者』に任じておるのだ。行って、舞竹藩が何を造ろうとしているのか調べて来い。」

--はっ。(姿を消す)

<ご承知のように『情報』という言葉の語源や意味については、議論がある。森鴎外が考案したとの説もあるが、実はもう少し古くから、「敵情の報知」という意味で用いられていたらしい。「情けに報いる」との意味だという解説もときおり聞くが、俗論だろう。というのは、昭和中期までは「諜報」に通じる、暗いイメージの伴う言葉だったからである。いずれにせよ中国では『信息』という別の用語を使うから、日本で生まれた漢語であることは確かだ。>

--殿、戻りましてござりまする。

「おお半蔵か。ご苦労であった。どうだった。詳しく聞きたい。近うよれ・・い、いや、何もくっつかなくてもよい。暑苦しいではないか。」

--失礼つかまつりました。それで、舞竹藩の動静ですが。

「うむ。どうであった。」

--やはり、藩をあげて大がかりな構築事業をしているのは、確実でございます。最初は、古くなった舞竹城の改築かとも思ったのですが、それだけではありません。出入りする職人の種類が違います。

「なんと。城を作り直すだけでなく、それ以外にも何かを築いていると申すか?」

--御意。なんでも、老朽化した城塞を近代化して軍備にそなえるかたわら、藩の得意とする産業を成長させ、国を富ます政策とか。産業育成のため、城の隣地に大きな建屋をつくり、藩直営の作業場とする計画のようです。それを『富国強兵策』だか『新成長戦略』だとか申しております。

「なにを生意気な。だが捨て置けぬ奴らだ。しかし、そのような策にはかなりの金が入り用であろう。」

--さすがは、殿。それがため、かなりの資金を必要としているようです。舞竹藩の勘定奉行はもともと非力な方で、奥方の弥生さまの助けを借りて公務を執行していた様子。しかし、城主お世継ぎの若殿が江戸より赴任されたのを機会に、権益を強めようと画策し、外から軍師を呼んで助言を得つつ、職人集団に築城をさせています。そこで殖産を同時に進める策をとったようです。

「築城は金がかかるからのお。」

--おおせの通りです。殿は以前、シメジ藩で新規築城があったのをご存じでしょう。

「おお、シメジ城のことか。白鷺が飛び立てずに、うずくまったような姿の城だと聞いておるが。」

--シメジ藩では失敗を認めずに、「300年後は世界遺産でユネスコに登録だ」などと強がりを申しております。が、そもそもあの種類の築城方式では、ゼロからすべて人足が手作業で組み上げますゆえ、時間も費用もかかります。

「うむ。難儀なことじゃ。」

--それを見た舞竹藩では、手作りをやめて、外から半製品を買ってきて組み上げる方式を考えております。それがため、あえて新参の職人を雇ったと。

「なに。城作りといえば、老舗に任せるのが習慣ではないか。」

--はっ。これまでは、公儀ご用達の、肥立組・不二痛組・日雷組など大手に築城を任せるのが通例でござりました。しかるに、舞竹は、渡りの特殊職人集団を呼んでいます。

「ワタリの集団じゃと。まさか頭目の名前は『四貫目』ではあるまいの?」

--いえ、違います・・殿は昔の少年マンガにもお詳しいようで。なんと毛唐の集団『強拍組』を雇ったとのこと。そして南蛮渡来の、『いーあーるぴぃ』なる築城法を用いると。

「いーあーるっぴぃ? なんとも奇態な名前じゃのお。毛唐からものを買うなど、ご禁制の抜け荷ではないのか?」

--数年前黒船が現れて以来、ご公儀も半ば無理矢理、いろいろな品物の持ち込みを許可させられています。また強拍組は、いーあーるぴぃ導入こそグローバルスタンダードでベストプラクティスなストラテジーだと申しております。

「なんだか急にカタカナが増えたが、それでうまく行くのか?」

--そこが肝心なところでございます。そもそも舞竹藩の特産品は漆とロウソク。その製造は釜で蒸したり漉したり反応させたりと、化学処理によるものづくりです。ところが、舶来のいーあーるぴぃは、元々、組み立て型の作業向きとか。適用に手こずって、集められた藩内の農民たちからも不満の声が上がっており、費用も余計にかさむのではないかとの噂です。

「ふん。いいざまじゃ。ちなみに、似たようなことに手を出した先例はないのか。」

--先年、北国のナメコ藩が、もっと小型のいーあーるぴぃに手を出したと聞きましたが、内実は、まだ。

「半蔵。行って、ぜひ探って参れ。舞竹藩のたくらみが思わぬ失敗に陥るかどうか、もっと情報を集めるのじゃ。」

<歴史的に見て、忍者という存在がどのような職能集団に起源を持つかについても、諸説ある。また徳川家の抱えた伊賀者のみならず、各地に同種の技能者集団があったらしい。一説には、築城職人とも関係があるといわれるが詳細は不明である。ただ、築城は秘密漏洩が最大のリスクであり、逆に敵の城内を知れば攻略もたやすい点で、情報戦の焦点になりやすい。なお忍者は武装を許されているものの武家の身分ではなく、足軽ないしそれ以下の階級であった。>

「・・どうであった、半蔵。何か役に立つ知らせは得られたか。」

--はっ。興味深い情報を得ました。

「そうか。苦しゅうない、近く寄れ。ただし、90cmまでだぞ。お主は対人的な距離感が、なんだか今ひとつ欠けておるからな。」

--はっ、恐縮です。それでまず、ナメコ藩の内実ですが、いーあーるぴぃ導入の事業は、業務に合わせるための追加構築費用がかさみ、当初10万両だった予算が最後は25万両まで膨れ上がったと聞きました。

「なんじゃと。あそこは、ただでさえ小藩。そんなに費用が超過したら、国が傾くではないか。築城で国が傾いては、本末転倒であろう。愚かな。」

--その通りにござります。さて、問題の舞竹藩ですが、さらに忍び込んで調べましたところ、意外なことが分かりました。

「何だ。」

--舞竹藩は、勘定方の業務には、いーあーるぴぃを使うものの、漆の生産・物流・商流には断念し、別の方式で構築を行うと決めた、とのこと。それが、非常に興味深いやり方でして。合い言葉は『あじゃいり』方式とか。

「阿闍梨? 仏僧の職位のことか。」

--語源は定かではありませぬ。が、これの面白い点は、少数精鋭の職人集団が、図面も引かずにいきなり建物の一部を作り始めることです。それを、使用者に見せ、使い勝手の意見などをもらいながら、改修増強しながら建て増して、最後には立派な建物としてしまう方法だそうです。これを根来の忍び衆が差配しております。

「それの、どこが面白いのじゃ。そもそも建物は、最初に大工の棟梁が施主の要望を聞いて図面を描き、木材にケガキして切り出すのが基本であろう。」

--ですが、そのやり方ですと、水が高きところから低きに流れるように、やり直しがきかぬ上、どうしても時間がかかるため、できあがった頃には施主殿の求めと異なるものができあがる懸念がありました。ジャストインタイムの思想に反していると、トヨタ駕籠屋の古参も批判されているとか。

「お主もカタカナに毒されてきおったな。」

--どうか、殿、お聞きください。当藩の天守閣も、すでに築城以来年数がたち、業務に合わぬ点も多くなって参りました。しかし、おっしゃるように築城改修は大仕事。棟梁に命じて職人を多数集め、いったん作業を始めたら、簡単には方向を変えられませぬ。築城特殊技術を本務とする、我が配下の忍び衆さえも、図面や指図書を出す諸奉行の人足扱いになってしまいます。築城の仕掛け工夫の知恵は、人一倍ありながらも、です。

「しかし半蔵、それが昔からのしきたりではないか。」

--たしかに。ただ、この『あじゃいり』方式、従来よりもずっと早く結果が出せるとのこと。わが藩にても、試す価値はありかと。

「何を言う、半蔵。さては舞竹藩の異人に接して、かぶれたのか。」

--恐れながら、殿。わが忍び組は、このところ毎年のように経費削減を命ぜられ、手当も前年比1割カットの憂き目を見ております。しかし、かの新方式が、安価に築城を可能にできるなら・・

「愚か者。畏れ多くも御開祖様から受け継いだこの城、前例もない方法で手を入れるなど、もってのほか。それに考えてもみよ。この天守閣は多層階構造だ。そんな、最初に犬小屋みたいなものを建てて、それを建て増す方法で作れるわけがないではないか。」

--ならばせめて、厩舎の建て替えで試させていただきたく。敵情を学んだ我が部下達も、やらせてくれと首をそろえて願い出ております。

「ならん。おまけに、そちのいう阿闍梨方式とやらでは、忍びの者が主役で、武家は単なる脇役になってしまう。それでは主客転倒である。舞竹が何をしようと勝手だが、当藩では許さん。」(立ち去ろうとする)

--殿、今のままでは開国の時代に間に合いません。お待ちを! (袴の裾にすがりつこうとするが、90cmの距離のためにつかみそこね、あわてて走って後を追う) お聞きください! 殿・・!

 ~ 幕 ~

<付記>
アジャイル開発の方法論については、その利点についてさまざまな意見が交わされている。わたし自身はまだ本格的な取り組みの経験がないが、それに近い形のプロジェクトは自社でも見ており、それなりの有効性は感じている。

ところで、技術論や経済評価は別として、わたしがこの運動を見て感じたことが一つある。それは、これがプログラマにとって、’70年代のウィメンズ・リブ運動のような意義を持つ、ということだ。「ドキュメントよりも動くソフトウェアを、契約より協調を、計画より変化への対応を」という宣言にも、そのような気分は現れている。
プログラマという職能従事者は、わたし達の社会では(そして世界中どこでも)SEやPMやユーザよりも、一段下の階級であるかのように、扱われてきた。給与待遇面の格差は「需要と供給の関係で決まる」と言えなくもないが、それよりも意識面での格差が酷い。このような状態はまた、優秀な人材がプログラマを志望することへの妨げにもなっており(ごく一部の例外は除く)、それは技術力や生産性の低下にもつながっていく。

それでは、アジャイル開発がすべての問題を解決していくか? わたしは、それほど楽観的ではない。IT業界では、皆がずっと「銀の弾丸」を探してきた。だが、そういったものは聖杯伝説と同じで、無さそうだと気づいてもいいころだ。すべての問題を、一気に解決していく手法などない。適材適所、フィットする分野にフィットする人と方法を適用していくしかないのである。ただ、ウィメンズ・リブ運動が、(全世界の不平等問題を一気に解決しなかったけれども)多少は人々の意識に変化を与えたように、プログラマの復権の運動にも、もう少しきちんと日を当てていい時期ではないかと思っている。

ある経営者の命運に見る、石油資源の戦略性 (2014/11/17)

1962年10月27日、シチリアのカターニャ空港から1機の双発ジェット機が飛び立った。乗っていたのは、操縦席のベルトゥッツィ機長、タイム・ライフ社ローマ支局長マックヘイル、そしてイタリア炭化水素公社(略称ENI)総裁のエンリコ・マッテイの3名だった。機はミラノの空港に向かって飛んでいた。午後6時45分には着陸態勢に入ったことを、リナーテ管制塔が確認している。だが、彼らがそこに着陸することはなかった。通信が5秒間ほど途絶えた後、機体は突然、空港から10数キロの湿地帯に墜落したからだ。乗っていた3名は全員死亡した。

ENI総裁エンリコ・マッテイは、立志伝中の人物だった(以下、この事件を詳細に調べたジャーナリスト、E・ビアージ著「新イタリア事情 上 (朝日選書 226)」にもとづいて書く)。ENIは石油精製、パイプライン、化学など80もの企業群を傘下に置く、イタリアの巨大国策企業である。マッテイはその総裁として活躍し、米英石油資本に真正面から立ち向かい、ソ連から石油をイタリアに輸入するなどして、「民族の英雄」的存在だった。警察官の息子として生まれ、15歳の時から職人として働き始めた彼は、第二次大戦中に反ファシストのパルチザン部隊で活躍し、終戦直後にイタリア石油公団(略称AGIP)の副総裁のポストに、39歳の若さで就任する。

AGIPはイタリア国内の石油資源開発のために’26年に設立されたが、それまでは失敗続きだった。機材を米企業に売り払って業容を縮小しろ、とのローマからの訓令をマッテイは無視し、ポー川流域の探査を続行する。彼の賭けは見事に当たって、翌年、幸運にも天然ガスを掘り当てた。彼はガス・パイプライン埋設にも豪腕を発揮して、工業都市トリノまでつないでしまう。そしてイタリア政府は1953年、AGIPを中心に、北伊天然ガス配管会社(略称SNAM)、水素製造公社(略称ANIC)を統合してENIを設立、マッテイはその総裁に就任する。

彼の情熱と執念の中心には、石油資源の確保があった。イタリアにはほとんどエネルギー資源がなかったのだ。大戦後の世界秩序の中で、石油需給を牛耳っていたのは「セブン・シスターズ」と呼ばれる石油メジャー7社だった。彼は資源を手に入れるために、中東であれアフリカであれ、どこにでも出かけていった。1960年、彼はソ連と石油輸入4カ年協定を結ぶ。ENIが年間500万トンのソ連石油を輸入する代わりに、パイプライン機材24万トンを輸出するというものだった。この取引は米英仏を激怒させたが、彼は引かなかった。

彼はイランとも協定を結び、破格の75%という利権料を払って採掘権を得た。さすがにイランのパーレビ国王と、前イタリア王家のマリア・ガブリエラ王女を結婚させようとした政略はうまくいかなかったが、モロッコ、チュニジアでも(旧宗主国のフランスの頭越しに)合弁事業を設立。エジプトとイスラエルが第一次中東戦争に突入したときは、マッテイは私兵を雇い、自動小銃で武装させた上、ENIの制服を着せてエジプトに送り込んで、自社の油井を守らせた。そのかたわら、フィレンツェ市の要請を受けて、老舗の機械メーカー・ピニョーネ社の経営も肩代わりしたりする。

彼の突然の航空機事故死には、当然ながらいろいろな疑問が出される。霧の天候の中、機長の操縦ミス説もあった。しかし、ベルトゥッツィ機長は20歳の時から爆撃機を操縦してきた大ベテランで、ミラノ着陸回数は700回を数える。車輪の出なくなった飛行機で、滑走路に胴体着陸しながら、ナット一つ落とさなかったという逸話もある。機長夫人の証言によれば、ピストルと釣り道具一式の入った私物の鞄だけが、おかしなことに格納庫から無くなっていた。

マッテイ総裁自身にも、もちろん敵が多かった。マッテイの未亡人は「ある晩、目覚めると、マッテイが一枚の紙切れを持って泣いていた」と証言している。彼は決してその紙を妻には読ませなかっが、脅迫を受けていたのは事実らしい。それから8年後の1970年、この事件を追って、マッテイ総裁の最後の二日間を調べていたシチリアの著名な記者デ・マウロ氏は、自宅前で車に乗った数人組に誘拐され、以来消息を絶ったままになっている。半世紀以上たった今、もはや真相は闇の中である。

以前も書いたことだが、石油は戦略物資である。戦略とは文字通り、戦争に必要、ということだ。エネルギー経済学から見れば、石油も石炭も天然ガスも、みな電力に変換可能という点ではよく似ている。事実、シェールガス革命の進む米国では、石炭炊きの火力発電の炉が、次々に天然ガス炊きに改造・転換されている。しかし、石炭で走る戦車はないし、電池で動く戦艦も、LNGで飛ぶ戦闘機もない。軍隊を動かすには、常温で保管でき液体で輸送しやすい石油系燃料が必須なのだ。かくして、20世紀初等以来、いくつもの戦争が石油をめぐって起こされた。多くの国にとり、石油資源の確保は最重要課題の一つである。

だからといって、石油関係企業のトップが航空機事故などで急死したら、すぐ誰かの陰謀だと決めつけるのは早計だろう。マッテイ総裁が、ソ連と結んだ4年間協定の完遂を見ずに亡くなったことは、事実だ。しかし公式の事故調査報告書は、謀殺説には否定的だった。航空機事故は、それだけ致死性の高い出来事なのだ。そして、言うまでもないことだが、陰謀論など愚か者の理屈である。陰謀論を持ってすれば、どんなことだって説明可能になってしまう。あなたの所持する株価が下がったのも、ユダヤ人の陰謀だろう。今朝の電車に乗り遅れたのだって、CIAの陰謀に違いない。何でも同じ結論に収れんする陰謀論など、相手にすべきではないというのが、世の知的人士の常識だろう。

ちなみに、イタリアのENI自体は今も存続し、世界的に資源事業を続けている。そして、政治的に不安定な地域でも活躍するリスク・テイカーである、などと業界誌では評されている(石油業界はわたしの勤務先の顧客筋だから、このさき、言葉は慎重に選ばざるを得ないが)。マッテイの残した社風が、今も受け継がれているというべきかもしれない。あるいは、そういう地域でしか、石油採掘権を手にできなかったと解釈することもできる。ただ、マッテイが生きていたら、おそらく、もっとずっと大きくなっていて、英米メジャーを脅かす存在に近づいただろうとは想像される。

わたし達が「石油会社」というとき、普通それは二つの意味を持っている。わたし達、消費者がガソリンや灯油といった製品を買う相手としての企業、すなわち原油を精製販売する会社という意味が一つだ。もう一つは、地下資源を探索して原油を採掘する、資源会社。石油業界ではサプライチェーンにしたがって、前者を下流側、後者を上流側企業と呼ぶ。ガソリンスタンドなどでわたし達が目にする日本の石油元売企業は、ほぼ下流側だ。ENIは国際石油メジャーほどではないが、上流も下流も持っている。

さて、一橋大学の橘川武郎教授は、国際協力銀行の「国際調査室報」に、『石油開発ビジネスにおける 日本企業の動向』という興味深い論文を書かれている(2010年3月号)。それによると、世界の石油企業上位50社のランキングを見た場合、三つのタイプの企業群に分けられる、という。第一はExxonMobil、Shell、BPといったいわゆる石油メジャー(大手国際石油資本)。第二が、Saudi Aramco、イランNIOC、ベネズエラPdVSAなど産油国の国営石油会社。そして第三がフランスのTotal、イタリアENI、中国CNPC、スペインRepsolなど、資源輸入国における国策石油企業であり、橘川教授はこの第3のタイプを『ナショナル・フラッグ・オイル・カンパニー』と呼んでいる。

さて、世界第3位の経済大国であるにもかかわらず、日本には世界ランキング50位に入るような、ナショナル・フラッグ・オ イル・カンパニーが2010年時点で存在していない。その理由は、何よりも我が国で「上流部門と 下流部門が分断されているから」(p.101)である。われわれ消費者がよく知っているJXや出光といった会社は下流部門を主とする企業である。これに対し、日本にも石油資源開発(JAPEX)やアラビア石油などの上流部門企業が以前から存在しているが、「長らく過多・ 過小の企業乱立が続いてきた」(p.106)状態であり、世界ランキングに入る大手が成長しなかった、という。

これに加えて、橘川教授が指摘するのは、「わが 国では、探鉱・採掘という上流部門は、『リスクが大きい』『政府の支援が必要な』分野と理解されている。日本の石油産業をめぐる最大の不思議は、『上流部門で儲ける』という世界の石油産業の常識が通用しないことである。」(p.101)という、業界のあり方だ。

このような業界のあり方は、しかし、本論文にも書かれているとおり、国際石油開発帝石(INPEX)という巨大企業の登場によって、ようやく2010年代に入り、変わることになる。詳しい経緯は省くが、石油公団の解散にともなう上流企業の水平統合を通じて、上記の意味での「ナショナル・フラッグ・オイル・ カンパニー」が登場した、と見ることができる。石油資源開発をめぐる日本の国際競争力の構築という観点に立てば、現状はけっして悲観すべきものではない、という見解になる。(もっとも橘川教授は経産省の石油政策小委員会の委員長として政策決定に関わられた立場だから、当然の結論かもしれないが)。

ところで、石油会社世界ランキング50位を見ると、もう一つ、奇妙なことに気がつく。それは、日本と並び、戦後の世界経済を牽引してきた大国・ドイツにも、大きな石油資源会社が存在していないことだ。まことに不思議なことだ。伊ENIも、マッテイという暴れん坊の存在がなかったら、国内の販売事業だけで、上流側のビジネスは持てなかったに違いない。

イタリア、日本。そしてドイツ。なぜ、この三つの国だけは、G7クラスの大国でありながら、巨大な石油資源企業を持ち得なかったのか。この三ヶ国に共通なことは何なのか?

わたしにはもちろん、分からない。

パーソナル時間管理のベーシック (2014/10/13)

いま、目の前にA4で30ページの英文の仕様書があるとしよう。中身はまだ、まったく見ていない。さて、これを読んでレビューするのに、どれくらい時間がかかるだろうか?

わたしの場合、答えは簡単だ。集中できる時間で、ほぼ2時間かかるだろう、と予測できる。なぜかって? わたしの仕事のパフォーマンス値によれば、英文の文書をきちんとレビューするのに、1ページ平均約4分間かかるからだ。30×4=120分で、ちょうど2時間になる計算だ。

ただしこれは、正味の作業時間(Net working time)である。現実には、しずかに集中できる時間を、2時間も連続して確保するのはむずかしい。電話や上司の呼び出しやメール・打合せなどによる割込がある。だから、着手から完了までのグロスの時間(Elapse time)はもっと長くなるだろう。それでも、半日で終わる仕事なのか、3日かかる仕事なのかは明らかである。1ページ4分間というベースの数字があるからだ。

この4分間という数字を、どうやって決めたのか? それも簡単だ。測ったのである。まず、ストップウォッチを、用意する。この種のフリーソフトは沢山あるが、別に簡単なものでいい(わたしは"SGウォッチ" というのを使っている)。それから、Excelで、作業時間を記録する表をつくる。そして、何かドキュメントを読むたびに、ストップウォッチで開始と終了を記録する。それだけである。これを、2~3週間も続ければ、立派な記録ができあがるだろう。あとは、Excelで平均値を求めれば終わりである。

そんな馬鹿な、A4サイズの文書といったって、小さなフォントでぎっしり書き込んだものもあれば、大きめのフォントで行間もゆるゆるのものもある。途中で改ページして空白だらけのものもあるし、表や図が多いものもある。1ページの情報量は千差万別なのに、それを計測して、均一に1ページを何分と求めるなど、誤差だらけで無意味だ。--そう反論をされる方もあるかもしれない。

そう思うなら、試しに測ってみなさいよ。それが、わたしの答えだ。実際にやってみると分かるが、情報量の多寡にもかかわらず、1ページあたりの所要時間数は、ある平均範囲に収まるのである。ばらつきは最大でも倍半分、多くは±20%程度におさまる。そして、我々のオフィスワークでは、それだけの精度で作業時間を見積もることができれば、実用上十分なのである。くりかえすが、半日で終わる仕事なのか、3日かかる仕事なのかが分かるだけで、作業の予定と段取りは、大きくかわる。

上司に「これ読んで、明後日までにコメントまとめておけ。」と言われたとき、それなら今のワークロードから見て可能だな、と思うのか、残業しても終わらないと思うのかは、大きな違いだ。そして後者ならば、ただ「延ばしてください」というよりも、自分の中で根拠を持って「もうあと1日あればできます」と頼むことができる。そして実際にその期日までに間に合えば、自分の信用度は上がるだろう。安請け合いして間に合わない人間よりも、時間はかかっても期日の約束を守る人間の方が、評価は高いのが普通だ。

ただし、である。ドキュメントを読み込む作業時間は、むしろ読み方によって大きく変わる。わたしの場合、
check(ざっと見る)-- 参考図書などで、真剣に読む価値があるかどうかを判別するだけ
read(内容を読む) -- 一応、内容が頭に入る程度に読み込む
understand(理解する)-- 責任を持ってコメントを返せる程度に真剣に読み込む
の三つのレベルを区別して、パフォーマンス統計をとっている。そして、実際にcheckとunderstandでは倍以上、スピードが違う。

もちろん、読み込む対象は文書のみとは限らない。仕事柄、図面類もしばしば読むことになる。また、リストや表の類を読む必要がある場合もある。だから、「文書」「図」「表」「パワポ」の種別ごとに集計している。もちろん、A4かA3かというサイズの違いもだ。そして言うまでもなく、日本語か英語かでも、読むスピードはまったく違う。英文を真剣に読むと1ページ4分かかるが、日本語でざっと見るだけなら30秒足らずで終わる。

同じような統計はメールを読む時間にも適用可能だ。メールだって、長さはまちまち、添付ファイルの文書量も異なる。だが、添付ファイルはを別にすれば、メールを1件読むのに何分かかるか、測ってみるとある平均値におさまるものだ。だとすれば、1日に平均50通のメールを受け取る人間は、1日にメール処理作業(ざっと見て対応を仕分けする)に最低でどれだけ時間がかかるか、見積もれる。もちろん、書くことに対しても適用できる。たとえばわたしは、自分のこのサイトの記事を一つ書くのに、どれだけ時間が必要か、だいたい知っている。

このようにパフォーマンス基準時間を測っておくことに、どんな意義があるか。答えは明瞭で、第一に、我々の『時間の見通し』がよくなるのである。段取りの向上、あるいは計画の精度アップといってもいい。我々はつねに先々を見通しながら、自分達のスケジュールを組立て、仕事をし、また余暇時間を使っている。現代人で、自分のスケジュール表を持っていない人はさすがにいないだろう。To Doリストを使っている人も、多いと思う。そうした自分の時間の使い方をうまくコントロールすることが、自分の生産性を上げる鍵となる。

とくに、時間管理術の要諦となるのは、納期管理ではなく、「いつその仕事に着手しなければならないか」という『着手日管理』である。作業の締切の金曜日になって、あ、今日が期限だった、と気づいても遅い。その仕事に三日かかるのなら、水曜日の時点で、うん、今日から着手しないといけないな、と自覚することが大切なのだ。だから、期限を記入できるだけで、着手日が管理できないようなTo Doリストは、役に立たない(もっとも、そういうソフトは現実には多く、いったい世の中のソフト開発者達はどうやって仕事をコントロールしているのか不思議に感じてしまう)。

そして、当たり前だが、その基礎となるのは、“ある作業をするのに、どれだけ時間がかかるか”という作業時間見積である。オフィスワークの作業の多くは、資料の読み込みと、思案と、そして文書や図表の作成から成り立っているのだから、自分が1ページをどれだけの時間で読み、1ページ書くのにどれだけの時間が必要か、知るべきではないか。工場では、IEエンジニアがストップウォッチを片手に、作業者が部品を手にとる標準作業が何秒かかるか測り、それを1秒でも短縮すべく苦心している。だとすれば、我々がオフィスで漠然と“知的作業だから時間は読めないよなあ”などと構えているのは恥ずかしい限りではないか。

ついでにいうと、わたしは、まれにトップマネジメントに対して直接何かの書類をメールで提出・上申する際など、メール文面の最後、添付ファイルのところに、あえて「Word文書○ページ、推定読了時間=×分」などと注記して出したりしている。向こうにどう思われているかは知らないが、こちらとしてはGood faith(誠意)の表明のつもりだ。こう記しておけば、それを読むのにどれくらい時間がかかるのか、開けてみなくても分かる。だから、今すぐ読めるのか、プリントアウトして後で読むべきか、判断の材料になるだろう。

企業における最も貴重な経営資源とは、人でもモノでも金でもない。じつは経営トップの『時間』なのである。トップはつねに超多忙だ。だから、そのトップにムダな時間の段取りを強いないことが、社員としてわきまえるべき大事なマナーなのではないか・・いや、偉そうなことをいうつもりはないが、わたしのような社員が貢献できるとしたら、せめてそのレベルのことなのだ(^^;)。もっと本音をいうと、ふつうの社員同士でも、メールに何かファイルを添付したら、推定読了時間までは余計としても、せめて「添付ファイルは何ページ」くらいはお互い注記したら親切なのにと、よく思う。

もう少しだけ言おう。上記のパフォーマンス統計は3週間程度のサンプリング計測で十分だが、わたしは、自分のオフィスにおける時間の使い方はすべて記録して、統計が取れるようにしている。会社の人事部に提出するタイムシートとは別に、である。タイムシートは、どのプロジェクトに何時間働いたか、目的別の集計をする道具だが、わたしは時間の様態(mode)別にも比率を分析できる。まあ一種の二重入力で、手間ではあるのだが、そのメリットは大きい。たとえば図は、今年のある月の、様態別集計である。

図から明らかなように、わたしの場合、もっと比率が多いのは「会議」で、全体の34%である。会議と言っても、20名以上が参加する定例会議から、2名だけの会議卓での打合せまで含むが、とにかくそれがわたしの時間のほぼ1/3を占めている。2番目に多いのは「コミュニケーション」で、26%、全体の約1/4だ。これにはメールの読み書き、電話での会話などが含まれている。会議とコミュニケーションで、全体の6割である。中間管理職だからしかたない面もあるが、もう少しなんとかしたいと、よく思う。「データ処理」「レビュー」「思考」「文書作成」など、いかにもエンジニアらしい仕事をしている時間は、全体の1/4しかない。ちなみに「教育」に8%もとっているのは、週に1回、大学で教えている時期のデータだからである。

こんなデータを見ると、佐藤はいかに働いていないか歴然として、なんだかボーナスの査定に響きそうだ。だが、わたしは極端な例外ではない。そして、このような様態別作業時間統計を会社レベルでとって、生産性向上のための基礎データにしている会社も多いと思う。ただ、わたしとしてはもう少し突っ込んだ切り口の分析も必要だと考えている。それは、意図別の時間分析である。

わたしは、自分がこれからやる作業を、「価値を出す時間」(value time)か、「将来のために投資する時間」(investment time)か、「営繕のための時間」(maintenance time)か区別している。たとえば20人の定例プロジェクト会議に出席したとする。それは会計上は特定プロジェクトにチャージャブルな(原価性のある)時間だ。だが自分にとって状況把握が主であって、実りのある議論が行われることが少ないなら、それは「価値を出す」のではなく「営繕」の時間となる。

むろん、営繕は必要である。たとえばファイルの整理だって営繕だし、プライベートで言えば夜の睡眠だって営繕になる。ただ、それは自分の環境と生産性の維持には必要だが、直接の価値は生みださない。逆にたった二人の打合せでも、良いアイデアを生むためにやっているならば、価値時間となる。

文書を読むにしても、自分の知識やスキルを増やすために行うなら「投資の時間」であり、役職上しかたなくやっている書類事務なら「営繕」であり、周到にコメントして品質を上げるためなら「価値時間」である。自分がこれからやる作業は、価値・投資・営繕のどれに該当するかを、つねに意識し、なるべく価値時間の比率を上げたい、というのが、時間記録をとる意図だ。わたしの現実のデータはあまりにも生々しいのでここには出さないが、価値時間比率はがっかりするくらい、小さい。この三つの時間比率はどれくらいが理想的かを考えるのも、大事な課題だ。

もっとも、こういう話を書くと、「そんな自分の生産性を高める努力をしても、別に給料は上がらないし、下手をすれば仕事が増えるばっかりだ」という批判を頂戴することがある。また、それとは別に、知識労働の分野に、生産性の議論は当てはまらない、という反論も根強い。

わたしはそうした批判に、いちいち反駁して議論するつもりはない。それは、いわば仕事というもののとらえ方の違いだからだ。たしかに給料は上がらないかもしれない。しかし、自分の作業時間を予見し見積もる能力が上がれば、ただ指示や命令に応じて受動的に働く態度から、自分で自分のスケジュールを組み立てる能動的な立場に変わることができる。「時間に追われる」立場から、「時間を自分の味方につける」立場に変われるのである。

そしてなにより、仕事の能率があがり、少しでも残業を減らせて、たとえ週に1時間でも落ちついてものを考える時間が得られるなら、それは月給が数千円上がるより、ずっと価値があるじゃないか、とわたしは思う。ここでは何回もくりかえしたが、時間管理の最終的な目的は、「考える時間を作ること」である。経営者の時間が企業の最大の経営資源であるのと同じように、わたしたちも自分自身の人生の経営者であり、自分の時間こそがもっとも大切な資源なのだ。じっくりとものを考える時間を作り出したければ、時間分析のベーシックを、今日からでも身につけるべきだとわたしは信じる。

存在しているだけで役に立つもの (2014/10/05)

これも、前回(「あなたは、どう考えるの?」『考えるヒント』より)と同じ頃の話だ。

その日、わたし達は午前中の新幹線で出張に出ることになっていた。朝一番でオフィスに集まり、明日までの二日間の打合せで必要な書類一式を最終確認し、一緒にでかける手はずだった。ところが、プロジェクト・チームの一人が、なかなか出社してこない。彼は制御システムの担当で、その日の午後に、自動制御システム・メーカーと打合せする際の中心だった。気を揉みつつも、他のメンバーと書類の確認を続けていたら、ようやく40分近く遅れて、彼がやってきた。

--どうした。遅かったな。待ってたぞ。

「すみません。ちょっと家内が入院するんで、病院まで送ってました。」

--なんだ、奥さんが病気なのか。それは心配じゃないか。

「いえ、病気じゃないんです。だから出張は行けます。大丈夫です。」

--病気じゃないのに、病院に行ったの?

「今日が出産の予定日だったので・・。」

 あきれて、わたしは怒鳴った。

--そんな大事なこと、なんでもっと前に言わないんだ! 出張なんか行かなくていい。制御ベンダーとは俺が話をつけるから、書類を全部、すぐ渡せ。

「でも。」

--でもじゃない。向こうは命がけでやってるんだぞ。お前がそばにいなくてどうする!

彼は「わかりました」と小声でいって、書類を取り出すとすぐに会社を出ていった。わたしは重くなったかばんをかかえ、他のメンバーに合図して新横浜に向かった。

新幹線の車中で、書類を読みながら、今日の交渉のシナリオを考えてみる。わたしがその時おいかけていた新工場づくりのプロジェクトは、まだ提案段階のものだった。客先は何も言わないが、もう一社,競合相手が陰で動いている気配が強い。製造工程の中核装置は、客先のコア技術でもあり、客先が自分で設計・調達する。ただ、周辺工程をふくめて工場内にはかなりの物流量があり、クリーン度も必要とされるため、自動化された物流搬送が要求される。もちろん、建物も空調設備がごつい。そんな中、見えない相手と技術・価格の両面で勝負するのは容易ではなかった。顧客自身の要求仕様も、トータルの生産量や建物の面積などはあるが、細かい部分がない。というのも、製品が多品種受注生産である上に、技術革新が早く、顧客自身5年後に何をどれだけ新工場で作っているのか、予想もできないのだ。

競争の上で一番むずかしいのは、エンジニアリング会社であるわたしの勤務先に、メーカーのような目に見える具体的な『技術』がないことだった。この製品を見てください、どうです、このスピードと静音性! みたいなセールスがきかないのだ。わたし達がもっているのは、目に見えない“まとめの技術”、納期とコストと品質の制約の中で、複雑な新工場プロジェクトをまとめ上げる技術だ。すなわち「プロジェクト・マネジメント技術」が唯一最大の売り物なのである。

だが、これに顧客はどれだけの価値を認めてくれるのか。エンジ会社など通さずに、自分で直接メーカーからモノを買った方が安いじゃないか、と考える日本企業は少なくない。エンジ会社は毎年、何千億円の単位で工場の資機材を世界中から調達しているので、かなりのバイイング・パワーをもっているのだが、それでも国産の特殊な製造機械の分野は、自分達の方がプロで安く買えると、わが顧客も信じていた。だから、目に見えない“まとめ技術”に価値を見いだしてもらうためには、工場全体をスムーズに動かせる仕組みを提案し印象づけるしかない。そのため、制御システムが重要になるのだ。

ところで、ああは言ったけれども、正直なところわたしはPLCなどの制御系システムはあまり得意ではない。じゃあ何系が得意なんだと問われるとこまるけれども、制御よりももう少し上位系の、いわゆる製造実行システム(MES = Manufacturing Execution System)ならば、いくらか経験がある。

いわゆる中央制御室などのある大規模プラントでは、DCSと呼ばれる集中制御システムに、プラント各所の温度・流量・圧力などの計測データがすべて集められる。そこでDCSは制御ロジックに従ってフィードバック制御などのリアルタイム計算をして、各機械の起動停止や調節弁の開閉などの指示信号を送り出す仕組みになっている。プラント内の数万点のデータを1秒周期で取り込んでは計算し送り出す訳だから、扱うデータ量は膨大である。だから当時のDCSでは、1週間程度くらいしか履歴データを保持しなかった。そこで、DCSの上位に、Historianと呼ばれる別のシステムをつなげて製造実行管理に用いるのである。Historianのソフトは特殊な圧縮アルゴリズムをそなえていて、リアルタイムの測定データを数年分保持でき、しかもタイム・スタンプをキーとしたRDBみたいに扱うことができる。

しかし、そこまで規模の大きくない工場では、PCとPLCの組合せで制御と製造管理を行うというのが、当時の主流だった。その方が価格としてもずっと安くなるが、どこまでパフォーマンスを出せるかが鍵になる。そのための見積交渉が今回の打合せの主目的だった。技術論に深入りされると、ちょっとつらい。ただ、今朝遅刻してきた担当者が作った仕様書は、かなり詳細にできているので、何とか乗り切るしかない。彼は寡黙だが、仕事は正確で真面目だった。真面目もいいが、まだ子どもがいるとはきいていないから、奥さんは初産ではないか。ちょっと度が過ぎている・・。

それにしてもプロジェクト・マネジメントの価値とは何かな、とわたしは考えた。どうしたらそれを計量化して、顧客にも見える化できるのか。プロジェクトの価値とは何か、それを構成するアクティビティの価値はどう測るか、そしてプロジェクト・マネジメントの価値とは--こうした問題は、当時からわたしの主要なテーマだった。プロジェクトの価値を金銭的に評価し、それを、各アクティビティの貢献に分解する方法については、その後、リスク確率という概念を導入するときれいに数式化できることに気がついて、わたしの学位論文に結実した(興味がある方は「リスク確率に基づくプロジェクト・マネジメントの研究」を参照されたい。Amazonから購入可能である)。

しかし、プロジェクト・マネジメントの価値評価については、当時も今も、いまだに解けていない問題である。プロジェクト・マネジメントという行為は、それ自体は何も具体的なプロダクトを生みださない。当時はわたしも仕様書を作っていたが、それは設計者の佐藤がやっている作業であって、プロマネを兼務している方の佐藤の仕事ではない。プロジェクト・マネジメントというは、財務会計的に言うならば『間接業務』なのである。では、その間接業務は、プロジェクトの価値にどう貢献しているのか。

経済学風な言い方を借りれば、価値には使用価値と交換価値がある。使用価値は効用、交換価値とは市場価格といってもいい。プロマネという人材の市場価値なら、考える事はできる。しかしプロジェクト・マネジメントはモノではないから、交換価値は考えにくい。「サービス」ととらえることは可能だが、具体的な個別プロジェクトのマネジメントだけを、市場にとりだしてサービスとして売ることはできるのか? わたしには疑問である。

そもそも、最初から最後まで順調な仕事では、プロジェクト・マネジメントなんて、ほとんど何もすることがないはずなのだ。優秀なチーフ・デザイナーが気の利いた基本設計をする。それを実直なエンジニア達が詳細設計に展開する。そして辣腕の調達マンが手配し、百戦錬磨の工事管理部隊が業者を采配していく。それで一丁上がりである。だとすると、プロマネの使用価値などないから、客観的な計量はできないことになる。何も機能しないのに、価値があるという議論など成り立たない・・。どうどうめぐりになって、わたしの思考は途切れた。

その日の午後の打合せは、何とか前向きに終わった。わたしの能力と言うよりも、制御メーカー側の技術者が優秀だったおかげである。一番の問題は、制御システムに冗長性をどう確保するかだった。いや、制御系に限らず、工場を作る際につねに問題になるのが、冗長性の確保である。冗長な機器構成は、ある意味では余裕であるが、見方によっては単なるムダにしかならない。冗長化すれば、それだけコストが高くなる。競争環境下では、コストは安い方が有利だ。だが、冗長性をけずってしまうと、いざというときにシステムが動かず、可用性が下がってしまう。ただし、この費用はすぐには見えない。表面的な価格だけを見ると、冗長性を削った方が安くなる。

だから、欧米系で本当に第一級のグローバルな企業は、ふつう、工場設計における『設計思想』として、どこにどこまで冗長性を持たせるかの指針を、文書で定めており、われわれもそれに従って見積もることになる。まあ、そうした文書があっても、しばしば解釈で揉めるのだが、日本企業でこのような指針を明文化しているところは稀だ。このときの顧客も、もちろん持っていなかった。しかし、この制御メーカーは、スタンバイ機を通常は別の軽い用途に使用しておき、いざというときだけフェイルオーバーする方法が可能だと提案してきた。あとは、明日、顧客との打合せで、この方式を飲んでもらえばいいだろう・・。

ホテルに戻って夕食をとり、リラックスしているときに、急にふと気がついた。冗長化したバックアップ機というものは、本来は普段、何の仕事もしていない。だが、それは価値があるのだ。なぜなら、いざというときに、システム全体が倒れずにすむからだ。機能しなくても、存在しているだけで価値があるもの。それは目の前にあったではないか。その価値は、すべてが正常に動いている普段は、まったく目に見えない。しかし、いざというときになると役に立つのだ。プロジェクト・マネジメントというものもよく似ている。順風満帆なときは、別に大した仕事はしていない。物事が難しくなったり環境が急変したときに、その真価が現れるのだ。つまり、リスク環境下でこそ、マネジメントの価値は測れるのである。

何となくほっとして寝ようとしたら、部屋に電話がかかってきた。今朝、遅刻した彼からだった。奥さんは無事、出産されたらしい。おめでとう、とわたしは言った。「いてくれて助かったと、家内は感謝していました。」そう彼は答えた。「自分はそこにいただけで、何もできなかったですけれど。」

何もできなくても、存在しているだけで役に立つことが、この世にはあるのだ。

イノベーションのもう一つのジレンマ (2014/09/21)

数年前、「知的創造の現場―プロジェクトハウスが組織と人を変革する」という本の出版企画にかかわった。これは米国MITのビジネススクール教授でイノベーション研究の専門家であるトマス・アレンと、ドイツをリードする著名な建築家グンター・ヘンという、異色の組合せによる共著の本で、製品開発プロジェクトの組織設計とオフィスの作り方に関する最新の研究と実践例を述べたものだった。非常に重要なテーマであるにもかかわらず、日本では原書が注目されないばかりか、このようなテーマと問題意識が欧米にあることすら知られていないので、わたしの勤務先が監訳する形で訳書を出すことになった。

さて、翻訳作業がそれなりに進んだ段階で、訳書のタイトルをどうしようかと議論になった。原題は"The Organization and Architecture of Innovation"という、格調高くもアカデミックなフレーバーの漂う題である。ところで出版社の編集の方いわく、「この頃は、多少長くても読者の問題意識にズバリと刺さるようなタイトルがはやる」とのことだった。たとえば、当時売れていた本に、『スタバではグランデを買え』などがある。なるほど。それともう一つ言われたことは、「イノベーション」という言葉はすでに手垢がつきはじめているという意見だ。陳腐化しやすいので、タイトルそのものには使いたくない、とのことだった。

あれこれ悩んだあげく、皆で選んだのが『知的創造の現場―プロジェクトハウスが組織と人を変革する』というタイトルだった。「イノベーション」がダメなら、せめて「プロジェクト」という言葉を入れたい、それがわたし達の希望だった。だが、これが読者に”刺さる”タイトルだったかというと、かなり微妙だ。我々エンジニアには、まだ十分なマーケティング・マインドが足りない、ということかもしれない。

ところで、著者の一人トマス・アレンは、ちょっと変わった経歴を持つ学者だ。彼はもともと、ロッキード社のリサーチ・エンジニアだった。「リサーチ・エンジニア」という職種名自体、日本ではあまりポピュラーではないかもしれない。研究開発に携わる技術者という意味だ。「研究開発に携わる科学者」ではない点に注意してほしい。

わたし達の社会では、「科学技術」というような言葉があって、両者を一緒くたにする傾向があり、特にお役人にそれが強いが、科学者と技術者とは全く別のものである。科学者の動機は、科学自体に内在する知的興味にある。有益であれ何であれ、興味深い知識・知見を、人類にとって積み重ねることができれば、それで科学者は満足する。そのかわり、そこには理屈が通っていなくてはいけない。

ところが技術者はまったく違う。技術では具体的な成果が得られるかどうかが勝負だ。たとえそれが製品開発のような不確実性の高い分野であっても、である。そして良い結果が出れば、理屈に多少不明な点が残ってもそれでいい。そこでは集団的な、組織的な経験・知見の集合がものをいう。科学者が原則として個人で評価される(その当否は別として)のに対し、技術力は一種の組織力である。

聞くところによると、リサーチ・エンジニアだったトマス・アレンは、MITの経営大学院であるスローン・スクールで製品開発のマネジメントを勉強しようと思ったらしい。しかし、そこの教授にについて色々と質問しても、製品開発は非常に漠とした難しいテーマで、専門家はほとんどいない、という状況だった。そこで彼は一念発起し、こうなれば自分が専門家になる以外ない、と研究の道に踏み込んだという。まだ70年代ごろの話だ。

製品開発に専門的研究が無かったのも、無理はない。そもそも新製品開発はどこの企業でもマル秘事項であり、成功しても失敗しても外に出る情報はほとんどない。そんな中、アレンは色々な苦心をして事例調査と研究成果を積み上げて行く。

彼の業績の一つとして知られるのが、「研究開発における組織内コミュニケーションの重要性」の研究である。発明とは、すでに知られている要素の組合せである事が多い。その場合、組織内でいろんな知識を持ったもの同士が意見をかわし、「気づき」を生み出すチャンスが重要になる。だから、組織の構造と、その内部でのコミュニケーションの質・量に注目したのだ。

彼が発見したのは、ある意味あっけないほど単純な法則性だった。それは、コミュニケーションの量は、その二つの部門(あるいは二人の個人)の物理的な距離に依存するという事実である。近くにいれば、会話量が多い。遠ければ、少ない。彼によると、二つのチームが50m以上離れていると、(たとえ組織図の上では同一部門であろうと)ほとんどコミュニケーションがなくなってしまう。多分、週に一度とか月に一度の公式な会議などでは顔を合わせるだろうが、それ以外のやりとりは滅多にない。

そんな馬鹿な、電子メールってものがあるだろ。そんなのは昔の話だ、とお思いだろうか? もちろん、アレンはそれについても調べている。そして結果は同じだった。電子メールは、顔を合わせる機会のない相手には、あまり発信されないのだ。だから、組織図の上だけでなく、実際の配置においても、組織設計はよく考えねばならない。

--このアレンの研究は、日本ではほとんど注目されなかったようだ。翻訳は1冊出たが、あまり売れたふしもない。無理もない。なにしろ、マネジメントは科学の対象である、とは夢にも思わぬ人が大半なのだ。

しかし、ドイツではこれに注目した。自動車メーカーのBMW社がその筆頭である。BMWでは、新製品開発と生産の距離を縮め、技術の共有をはかりつつ、なお製品開発の効率を上げるにはどうしたら良いかを考えてきた。そこで建築家のグンター・ヘンの登場である。彼はアレンの問題を、建築面から解決する方法を考えた。そして、建築空間の中に人の流れる「軸」(spine)を作るとともに、そこでの人と人の偶然の出会いが増えるようなデザインを考えたのだ。

また、彼は組織と組織を隔てる壁の一部を素通しのガラスにしたり、ロー・パーティションを使って、違う階の人も顔が見える(在席がわかる)ように工夫した。こうして完成したBMWのプロジェクトハウスProjekthausは、専門技術者たちが作りかけの新車のモックアップのそばで出会いやすくなっており、同社のコミュニケーションは質的に大幅に向上したという。彼らはまた、同じような発想を工場にも取り入れて、新しい画期的なレイアウトを実現してきている。

もともとイノベーションには二重のジレンマがある。その一つはクリステンセンが指摘した「破壊的イノベーションのジレンマ」で、ベストセラーになった『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』に詳しく書かれている。破壊的イノベーションは当初、むしろ最先端よりも劣った技術として登場する。そしていつの間にか主流の持続的イノベーションの力を奪って行くのである。

もう一つはプロジェクト・マネジメント上のジレンマである。イノベーションは定義上、それまで誰も知らなかったものを生み出す行為だ。では、そのようなイノベーションを含む新製品開発というプロジェクトを、計画したりコントロールしたりすることは本当にできるのか。なりゆきまかせ風まかせ、では企業としてこまる。しかし、最初からすべてを見通して、WBSやCPMのネットワーク・ダイアグラムなんて作れるのか? どう見たって無理ではないか。

わたし自身も、新製品開発プロジェクトに関わった経験がわずかながらある。一番悩んだのは、スコープとスケジュールのジレンマであった。新製品開発は本質的に不確定要素が多い。したがって、スケジュールの要所要所に、バッファーを用意して、予期しない変化から納期を守る必要があると考えた。ところが新製品開発には市場をいかに早くつかむかが大事で、競合相手もあるから、できるだけバッファーを削って納期を早めたい。営業政策上、リリースの時期は外部に事前に公表する必要がある。最後は、製品の機能をとるかスケジュールをとるか、というトレードオフに何度も直面することになった。

これは、受注型プロジェクトのマネジメントとは随分異なる。受注ビジネス型企業では、赤字か黒字かは天と地ほどの差がある。たとえ1万円でも赤字は赤字である。しかも契約納期がある。だからジレンマはほとんどの場合、コストとスケジュールの間にあった。スコープはそもそも契約条件だから、これを勝手に変える訳にはいかない。ところが新製品開発では、1万円を惜しんで製品の大事な機能を削ったら、愚か者と言われる。予算枠はあるが、それはゴムのように多少伸縮可能なのである。ただ、機能はつけ加えたい、しかし納期は遅らせたくない、おまけにあとから機能を追加・削除したら、あちこち変更管理の手間が生じる。それをどうするか。

したがって、製品開発と受注業務とでは、マネジメントのスタイルも価値基準も変えなければいけない。この観点が、現在のPM論では抜け落ちているようなのだ。

そこで今週26日(金)の「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」では、新製品開発の専業である(株)iTiDコンサルティングの蟹江氏を招いて、『製品開発競争に打ち勝つスケジューリング』のお話しを聞くことにしたのである 。とくにスケジューリング技法の話が興味深い。PMBOK Guide(R)では、納期短縮のテクニックとして、CrushingとFast trackingの二種類のみがあげられている。しかし氏によると、実際の短縮技法は7~8種類に分類できるという。慶応大学システムデザイン・マネジメント研究科での特別講義の一部を、無料で聞けるチャンスでもある。ぜひ、製品開発に苦労しておられる製造業・サービス業の諸賢にご来聴いただきたい。

え? 宣伝くさいオチの付け方だって? そういわれてもあえて反論はしない。ただし、研究部会は自分の金儲けでやっている活動ではない。参加費も無料だし、わたしも純粋にボランティアで運営している。スポンサーであるスケジューリング学会が、この活動に多少なりとも価値を認め、続けてもいいかなと判断してくれるよう、「参加して良かった」と感じる方が大勢こられることを期待しているだけである。「なんでわが社は(わが業界は、わが国は)画期的な新製品が出ないんだ!」とビール片手に叫ぶよりは、多少なりともマネジメント・テクノロジーの一端に触れて感じる方が、金曜の夜の過ごし方としては楽しいはずである。

<関連エントリ>
  →『気まぐれ批評集 書評』「★★★ The Organization and Architecture of Innovation by Thomas J. Allen and Gunter Henn」 (『知的創造の現場―プロジェクトハウスが組織と人を変革する』の原書)

ロージーの返事を、ときどき思い出す (2014/08/21)

机のまわりを整理していたら、偶然、大昔の雑誌が出てきた。共立出版の月刊誌「bit」の1985年4月号だった。

雑誌というのは何号かに一度、良い記事の集まった当たり号が出るものらしい。この号も、当たりの1つだったようで、面白い記事が集まっている。そのために、なんとなく捨てられずにとっておいたようだ。巻頭記事は、宮本勲氏の紹介による「本物のプログラマはPascalを使わない」だ。次が、ジェラルド・ワインバーグの短いエッセイ「ロージーの返事」。翻訳は、東京工業大学教授・木村泉氏。それから、御大ドナルド・クヌースの論文「文芸的プログラミング」が載っている。翻訳は黒川利明氏である。さらに、湯浅太一氏と萩谷昌巳氏の「Common Lisp入門」の連載第一回目が始まっている。石田晴久氏の「PC-UX」紹介記事もある、という具合だ。

「本物のプログラマはPascalを使わない」は、注釈が必要だろう。これは当時アメリカで流行った「本物の男はキッシュを食わない」という文章の、皮肉の効いたコンピュータ業界版パロディである。キッシュはタルトに似たフランスの食べ物で、当時東海岸でおしゃれな食事として人気があった。しかし西部魂を持つ“本物の男”たちは、そんな軟弱な風潮を苦々しく思っていた。

同じ頃、コンピュータの世界にもマイコン・ブームとともに、小文字を使うPascalなどの軟弱な言語がはやりはじめていた(当時は「パソコン」より「マイコン」が普通の呼び方だった)。厳格で無慈悲な汎用機の世界で生きてきた“本物のプログラマ”たちは、そんな風潮を苦々しく思う、そんな内容だ。だから、
 ・本物のプログラマは大文字を使って語り合った
 ・本物のプログラマはGO TOを使うのを恐れない
 ・本物のプログラマはコメントを必要としない。コードが全てを教えてくれる
 ・本物のプログラマは人工知能のプログラムをFORTRANで書く
 ・もし何かをFORTRANで書けないならば、アセンブリ言語でやってみるべきである。もしアセンブリ言語でもできないならば、それはもはや、やるほどの値うちはないのだ。
といった逸話や教訓が並んでいる。

「文芸的プログラミング」(Literate programming)は、計算機科学の大家ドナルド・クヌースが、かれのWEBシステムについて書いたものである。ま、いまどきWEBなどと言っても、分からぬ若者が多いじゃろうのォ。World wide webのことではない。世界規模のインターネットなど、まだほとんど存在していない時代のことだから。WEBというのは、今風に言えば、ソースコードとドキュメントの統合管理の方法論だ。1974年にACMチューリング章を受賞したクヌースは、主著「算法基礎」(Fundamental Algorithm)を執筆しながら、その出版のために、数式を扱える組版システムTEXを開発する。そして、TEXのソースコードを文書化するために、さらにWEBシステムを開発するのである。

どこでもドキュメントとソースコードは別々に管理され、そして次第に乖離していく傾向がある。そのためにコメントをソースに書き込むのが、これもきちんと更新されていなかったりするのは周知のとおりだ。クヌースはこの問題を解決するために、あえて「文書の中にソースコードを書き込む」という逆のアプローチを取る。それも、単なる仕様書をモジュール別に作成するのではない。もっとも上位の、設計思想から書きはじめて、設計者の思考のとおりにプログラムを構成していくのである。WEB文書は、今風に言えば一種のマークアップ記法で作成されたテキストであり、それをプロセッサにかけることによって、機械用のPascalソースコードと、人間が読みやすい整形された“文芸的ドキュメント”が、それぞれ生成される仕組みだ。彼はこのWEBシステムを用いて、TEXの内部構成をすべて本の形で出版公開している。

しかし、この雑誌で一番長く印象に残ったのが、ワインバーグの「ロージーの返事」という短い記事だった。「イーグル村通信」という連載の一部だが、毎回が独立して読めるエッセイになっている。

・・・ロージーと言うのが彼女の名だった。むろん本名ではない。頬がバラ色(rosy)なので、皆がそう呼んだのだ。彼女は、手術直後の自分を看護してくれた看護婦だった。手術後のもうろうとした10日間、彼女は私の額を冷やし、手を取り、痛み止めのモルヒネを注射してくれた。17歳の自分は、優しく微笑むロージーに、もちろん一目で恋におちた。--「ロージーの返事」はそんなふうに始まる。

10日目の就寝時に、ロージーは、シャーベットと睡眠薬を持ってやってきた。自分が睡眠薬を飲み下す様子を眺めてから、彼女はたずねる。「あなたは、まだ痛み止めの注射が必要だと思う?」 もちろんと答えると、初めて彼女はこわい表情をした。「本当にそう思って?」
「本当だよ。とっても必要なんだ。」
「もしそうなら、」と彼女は答えた。天使のような声音は消えてしまっていた。「もう注射はしないほうがいいわ。」

ロージーが去ったあとの4日間は、はかり知れないほどの悪夢だった。自分(17歳のワインバーグ)は、せびり、ささやき、叫び、壁をぶったたき、要求し、泣いた。だがロージーは、遠くで知らん顔をしていた。その残忍な4日間に、愛は仮借のない憎しみへと変わった。退院の後、もう二度とロージーには会いたくないと思った。事実、もう二度と会うことはなかった・・・。

だが彼女は、じつは命を救ってくれたのだった。その残忍な4日間に、彼女は自分にきざしていたモルヒネ中毒の根を断ち切ってくれたのだ。ワインバーグがそのことに気がつくのは、後になってからのことだった。

ワインバーグはその時をふりかえって、『ロージーの返事』(Rosy’s response: 頭韻を踏んでいる)という大事な教訓を学ぶ。それは次のようなものである。

 「もしあなたが何かをそんなにひどく求めているなら、多分それは手に入れない方がいい」

ひどく逆説的だ。だが、理由は単純である。(ワインバーグの説明をわたし流に言いかえるなら)、何かをひどく求めると、逆に自分がその「何か」に支配されてしまうことが多いからなのだ。若きワインバーグの場合は、モルヒネだった。ロージーが強引に断つことで、彼をモルヒネに支配される中毒から救ったのである。そして中毒(依存)状態とは、そういうものなのだ。

物欲でも、金銭欲でも同様だ。何かが欲しい、所有したい、それさえ手に入れれば、自分の人生は素晴らしくなる、と強く思い続けるうちに、いつのまにか攻守逆転して、自分自身がその欲の奴隷になってしまう。金銭に執着すれば、金の奴隷になる。時間に執着しすぎると、時間表に引きずり回されるようになる。あるいは、恋愛感情だって同じかもしれない。事はモルヒネだけではないのだ。読んで思いあたることはいろいろあった。

わたし達の社会は、欲望をかきたてることで出来あがっている。売る側は、もっと商品が売れてほしい。だからあらゆる機会をとらえて、消費者の欲望を刺激すべく、情報や広告宣伝やらをばらまく。教育産業と就職産業は、あの手この手で、より上位の学校や有用な資格を喧伝する。「自分探し」みたいなイデオロギーを添付して。そして、あらゆる場所で、「夢」に向かって進む人たちの感動ストーリーがばらまかれる。

そうしたことには良い面もあるのだろう。落ち込んだ人が、再び夢や期待を持って立ち上がることもあるかもしれない。だが、期待はしばしば、欲望という別物に転化していく。両者の違いがどこにあるか、ご存じだろうか。期待とは自分に関する何らかの状態(行為・能力)を望むことだ。一方、欲望はつねに、自分の外に対象(事物やステータス)を探している。だから、強い欲望を抱くと、自分を見失いがちになるのだ。

かくして、無理な買い物のために金欠になって、働かなければいけないのでせっかく買った物を使う時間がない、といった逆立ちが起きることになる。まあ、その程度はお笑いですむ。だが、実現すればもっと自分を傷つけかねない欲だって、いろいろあるのだ。いや、自分だけではない。無理な背伸びをしてポストを手に入れたがために、周りからの信用を失った人。絶対ほしい案件だといって無理な値段で受けたがゆえに、大赤字におちいった仕事。わたし達のまわりで、そうした例はいくらでもある。

わたし達の脳は(あるいは、心は)、ひどく逆説的な性質を持っている。「遠くに届くためには、力を入れてはいけない」というのも、そうだ。無理に力んだり、強く欲したりすると、そのこと自体がわたし達の中の自然なバランスを崩し、意思とは反対の方向にものごとを引っ張っていく。何度も愚かな失敗をくりかえした後、わたしは、

 「愚かさとは、自分の欲のために後先を見失うことである」

という真実に気がついた。ただ、気はついたけれども、こまったことに自分のアサハカさが減じた訳ではない。

だから、そんな危ういときどきに、『ロージーの返事』を思い出せたらいいのに、とよく思う。そんなにもひどく欲しい物は、手に入れてはだめ、と。だから、自分はこの雑誌を取っておいたのかもしれない。なんとか自分を見失わないようにするために。

(追記)「ロージーの返事」は、ワインバーグの著書 「スーパーエンジニアへの道―技術リーダーシップの人間学」に、少し形を変えて収録されている。ただしわたしは、元の雑誌原稿の方が好きだ。なお、上の抜粋は、翻訳文そのままではなく、多少、改変・編集して引用したものであることをお断りしておく。

遠くに届くためには、力を入れてはいけない (2014/08/13)

先週の後半は「バッハセミナー in 明日館」という催しで、4日間ずっと音楽(合唱)の練習に通った。歌唄いが、昔から自分のささやかな気晴らしなのだ。ただ、普段あまり声を出す生活をしていないので、三日目が終わる頃には、喉も枯れてガラガラになっていた。とはいえ最終日には、修了演奏会で皆と一緒にステージに立つ。自分ばかりが下手だとまわりにも迷惑をかけるので、家に帰ってからも、楽譜を見て音を再確認しようと思った。

ピアノの鍵盤の前に座ったものの、夜だし大声を出すのはみっともない。ファルセット(裏声)で自分のパートを追おうとした。ところが、喉が枯れていて、ちっともファルセットが出ないことに気がついた。どうするのだ! 歌の中には、実音(地声)ではけっして届かない高音部もある。明日の本番で、急にサイレントになる自分の姿を思い描いて、冷や汗が出た。ともあれ、練習しない訳にはいかない。しかたなく、半ば諦めの境地で、地声で歌いはじめた。

ところで、肝心の高音部にさしかかると、不思議なことにすらっとファルセットが出る。あれ? 今、出たよな? そこで、その箇所だけもう一度トライした。しかし、今度はかすれてサッパリ出ない。まぐれだったんだろうか? しかたなく、バッハの複雑でやけに長い音符の列を追いかけ続けた。ときどき、たしかにすっと高音が出る。だが、出ない時はサッパリでない。

いろいろ試しているうちに、分かったことがあった。高音部だけを、真剣に真っ向からトライすると、声は出ないのだ。ところが奇妙なことに、半ば諦めの境地で歌うと、ちゃんとファルセットが出る。狐につままれたような感じだ。頑張るとできない。頑張らないとできる。一体どうしろというのだ。

そのとき、ふと思い出したのがオイゲン・ヘリゲルの「日本の弓術 (岩波文庫)」という本だった。戦前、東北大学に招聘されてやってきたドイツ人の哲学者ヘリゲルは、日本文化を知りたいと思い、弓道に入門する。ところが、名人と言われた師範が命じたことは、とんでもないことの連続だった。力一杯いれてようやく引き絞れる弓を、“力を入れて引いてはいけない”といい、さらに“意思を持って矢を放ってはいけない”、“的をねらってはいけない”などと言うのである。

「自分が射るのでなければ、誰が射るというのです?」という疑問を、彼は師匠に向かって問う。西欧の合理的知性ならば当然の質問である。しかし師は答える。「それが射る、とでも言おうか。経験しなければ理解できないことに、どんな口真似も役に立たない」。ヘリゲルはそれでも、様々な疑念と苦心を乗り越えて、5年かけて本当に「“それ”が射る境地」に至るのである。そんな名人の心境とは比べようもないが、なんとなく「自分で出そうとすると声が出ない」という今のシチュエーションに、通じる所がないだろうか。

さらに、話は飛躍する。ヘリゲルが体得したのは、“自分”(Ich)が射るのではなく、“それ”(Es)が射るということだった。ところで、ヘリゲルと同時代に生きたフロイトは、自分自身の心の意識する部分、自我のことを"Ich"と呼び、心の奥底の無意識の部分を、"Es"と呼んだ。そして、人間は自分(Ich)で自分をコントロールしているように思っているが、じつはかなりの局面で“それ”(Es)に動かされている、と考えた。このIchとEsという用語は、英訳されるときにラテン語のエゴ(Ego)とイド(Ido)になり、日本にはその形で入ってきた。だが、元は「自分」と「それ」という、ひどく単純な用語だったのだ。

話を元に戻すが、3年前、同じバッハセミナーの「ヨハネ受難曲」で、ごく短いソロを歌うことになった。本番前の昼休み、講堂の裏手に隠れて、一人で同じ短いフレーズをくりかえし練習した。この時も、最高音に届くかどうかが課題だった。そして分かったのは、「のどに力を入れると最高音が出ない」という事実だった。そうか、力んではいけないんだ、と、その時は理解したつもりでいた。

おかしなことに、歌う声というのは、力んでガナリ声になると、遠くの聴衆まで届かなくなる。遠くに届くためには、力を入れれはいけないのだった。だが、頭で分かったつもりでも、まだ本当には身についていなかったに違いない。その証拠に、そもそも三日間で声がガラガラになったのは、周囲の上手な人達に負けたくなくて、がなっていたからではないのか。

遠くに届くためには力を入れてはいけない。高くて通る声を出したければ、力を抜かなければならない。それが教訓なのだった。だが、何と難しい教訓だろう! そもそも、気合を入れ、力を入れる練習は世の中に数多い。運動部の練習というのも、基本はそれだった。でも、どうやったら「力を抜く練習」ができるのだろう? それはほとんど、意識し努力して眠ろうとするようなものではないか。必死になればなるほど、集中すればするほど、眠れなくなるのだ。

どうして体というのは、こんな逆説的な仕組みになっているのか。考えてみると、もともと呼吸とか、声といったものは、意識しない不随意運動で働いている。眠っている時も呼吸はしているし、声だって、赤ん坊の生まれた時の泣き声を見ればわかるように、意識せずに出るようになっている。それでも、その上で、随意的に動かすこともできる。工学系の人なら、オーバーライド機能とかスーパーバイザリー制御などと呼ぶだろう。つまり、仕組みが二重なのである。生存の必要でそう進化したにちがいない。

だがその二重性は、基盤が弱くなった時は、オーバーヘッドの負荷が重くなりすぎるのだ。声帯を囲む筋肉群は、様々な協調性の上で働いている。意識による無理やりの動きは、その協調性をこわしてしまうのではないか。それがわたしの解釈だった。

いろいろな物事は、見た目よりもずっと、つながっている。つながって働いている。わたしはそれを漠然と「システム」と呼んできた。このサイトの読者はご存知のとおりだ。自然に生み出されたシステムというのは、たいてい、自律的に働き、平衡性にもどる仕組みを内蔵している。身体もまた「システム」である。それなのに、自分は力んで、その自己平衡性を崩しているのだろう。

たとえば、昔の新幹線の自動ドアは、その前に体重を検知するステップがついていて、それで開くようになっていた。人が通り過ぎれば、自動的に閉まる。それなのに、ときどき、そのステップに立って、自分が今通った自動ドアを懸命に閉めようとする人がいたものだ。はたから見ると笑えるが、本人は必死だ。その必死さ自体が、ドアを閉める邪魔をしているのに。放置すれば、ドアは自動的に閉まるのに。そういう風に、ドアの仕組みはできているのだ。

そう考えてみると、さらに思い当たることがあった。自分がたまさか関わった失敗プロジェクトでは、チーム・メンバーに任せておけばいい小さな問題に、あれこれ口を出して、かえって部下の負荷を増やしてしまったのではなかったか。小うるさい指示と報告の仕組みをつくって、問題対処のための肝心な時間を減らしてしまったこともあった。典型低な管理過剰である。賢いつもりで、何と愚かなことをしていたのだろう。

力を抜くために必要なことは何だろうか。わたしはまだよく分からない。ただ、うまく言えないのだが、そこには信頼ということが大事なのだと感じる。それも、根拠の無い信頼ということが。

なぜ「根拠の無い信頼」かというと、できるかどうか分からないのに、「できる」という風に信じるからである。それは『自信』ではない。なぜなら、自分ではない、それだか誰かだかを信じようというのだから。自分の体であれなんであれ、“任せておけばきっとうまくいく”と信じること。そうして、へんに気合を入れたり緊張したりしないこと。緊張すれば、必ず余計な力がかかって「システム」のバランス回復が遅くなる。

スポーツの大事な試合に臨むときに、日本人のチームメイトたちは頑張れ!と激励するが、アメリカ人たちは「リラックス!」と声をかける、という話がある。それを聞いたのはオリンピックの時か、それとも何かの映画だったか。ともあれ、わたし達の社会では、何ごとにも「頑張れ」型の習慣がつよいのは確かだろう。頑張ることでうまくいくことも、もちろんある。だが頑張って力むことで、かえって事をややこしくしている場合が、案外多いはずなのだ。

わたし達はもう少し、システムの持つ自己平衡性を信頼した方がいい。もっと、力むことを捨てて、リラックスした方がいい。
そして、もっと、自分や周囲の人々を信じた方がいい。たとえそれがかなり難しく思えても。

そういう風に、身体も、脳もできているのだ。そして、家族や人のつながりとか、もっと高次な文化や言語や社会も、そうできているのだろう。そうした目に見えぬ「システム」を、わたし達は親兄弟から世代を超えて、うけついできたのではないか。・・祖先が帰ってくるというこの季節に、何故かわたしは、そう思った。

え、肝心の演奏会本番はどうなったかって? もちろん完璧でしたよ、わたし自身を除けば(笑)。

プロジェクトは失敗するものである、という英国人の思想 (2014/06/29)

1993年3月、ロンドン証券取引所は、ビッグバンを背景に7年にわたって進めてきた、株式取引決済システム「トーラス」開発プロジェクトの中止を発表した。証券取引所はすでにこの事業に8000万ポンドの費用を投じており、人件費を含むシティ(ロンドン金融街)全体の投下コストは、総額5億ポンドに上っていた。証券取引所のP・ローリンズ理事長は、責任をとって辞任する。

「トーラス」は、株式売買のバックオフィス業務である株式決済処理の電子化・効率化を目的とした、英国金融界の共同事業で、中心的な推進役はロンドン証券取引所であった。トーラスは米国のパッケージソフト「ヴィスタ」をベースに開発されることになっており、本来ならば、’91年10月に稼働しているはずだった。それは一度、’92年夏に延期されていた。しかし、中止決定時点では’93年中の稼働すら危ぶまれる状況だった。

ちなみにこのプロジェクトは、ローリンズ理事長がはじめたものではない。’89年に弱冠38歳で理事長職に着任した彼は、その後の数年間、シティの規制緩和への対応に忙殺されていた。それがひと段落したとき、「トーラス」プロジェクトを見て、それが容易ならざるものであることに気づいたのであった。その当時、プロジェクト・マネージャーであったクーパース&ライブランド社のJ・ワトソンは、稼働開始日見通しの記者質問に絶句して答えられない状況だった。ローリンズ理事長は第三者のアンダーセン・コンサルティング社にプロジェクトの調査を依頼する。約3ヶ月間の調査の後、アンダーセンは、「トーラスの設計は未完成」と報告する。

結局、ローリンズ理事長は、この「トーラス」プロジェクトと差し違える形で辞任する。それは同時に、何年間も長時間の労働に耐えてきた、シティの大勢のSEとプログラマたちの失業をも意味していた。

この巨大プロジェクトが、いかなる経緯をとって迷走し頓挫したかについて、我々は詳しく知ることができる。経営学者ヘルガ・ドラモンドが、関係者への徹底的なインタビューを含む詳細な調査研究を行い、『プロジェクト迷走す―ビッグバン「トーラス」システムの悲劇』という本にまとめて公開したからだ。この本はきわめて興味深いアカデミック・ドキュメンタリーとなっている。

誰の目にも混乱を極めていたトーラス・プロジェクトを、関係者たちはどうして途中で止められなかったのか。従来の経営学では、(1)それまでにつぎこんだ損失に目が眩んで、合理的な決定ができなかったのだ、あるいは、(2)情報の不確実さゆえに、正しいリスク判断ができなかったのだ、という説明がなされてきた。いずれも、意思決定が合理的に行われなかったのだ、という解釈である。

しかしドラモンドは、プロジェクトの経緯を詳しく調べて、そのどちらも当たっていないと考える。そして、合理的な意思決定の積み重ねが、全体としては非合理な意思決定を導く、という第3の理論を提案する。ひとつひとつは当然にみえるミクロな意思決定の集積が、マクロにはまったくの不合理を導く。これを、ドラモンドは「意思決定エスカレーション」理論と呼んだ。

ドラモンドの理論の当否については、いろいろな議論があるだろう。だが、わたしが感心するのは、このような大きな失敗事例が、きちんと第三者によって検証され、分析が行われるイギリス社会のあり方である。これを英国文化のもつ理知性と公明正大のあらわれ、と解釈することも可能だろう。いやあ、英国人特有の変てこな自虐趣味さ、と皮肉ることもできる。だが、ともあれ、社会的資本を投下した事例については、その経緯や結果について、第三者による検証が必要だ、との発想が、彼らにははっきりある。

英国は失敗の研究がよく行われる、とも言える。もちろん日本でも、畑村洋太郎氏の「失敗学のすすめ」というベストセラーがあるし、「失敗学会」という学会組織もあって、失敗事例研究の普及につとめている。ただ、逆に言えば、そのような学会を作って旗振りをしなければいけないほど、わたし達の社会では「臭いものに蓋」という態度が蔓延している訳である。

当たり前のことだが、失敗を研究し分析しても、そこから教訓を学んで同じ轍を踏まぬよう努力するのでなければ、無意味である。失敗からの「学び」こそ、リスク・マネジメントの要(かなめ)なのだから。

もう一つ、英国の例を挙げよう。『FIDIC標準契約約款』と呼ばれる、海外の建設プロジェクトで広く使われる契約書の雛形がある。歴史はそれなりに古いものだが、1990年代の終わりに、英国主導で大きな改訂が行われた。これはじつは、80年代以降、英国で建設プロジェクトの失敗が相次いだためだったといわれている。

なぜ失敗プロジェクトが相次いだか。その最大の理由は、「発注者が請負業者に対して、あまりにも過剰にリスクをヘッジするような一方的な契約条件を求めたため」であった。もともと一括請負契約は、発注者がある程度のリスクを受注者にヘッジする形態である。だが、受注者のリスク管理能力を超えてリスクを押しつけすぎると、受託側がプロジェクトを正常に遂行できなくなる。結局、受注者が発注者と一蓮托生に沈没してしまう事例が、多く出たのである。その失敗の反省にたち、FIDIC約款は、受注者に対してよりフェアーとなるよう、条項を明確化したと言われる。まことに大人の知恵ではないか。

ちなみに契約法務の世界では、いわゆる商務仲裁機関も英国が主導している。さらに、損害保険(再保険)の世界も、英国がメジャーだ。まことに、彼らはリスク・マネジメントに関しては徹底している、と言うべきだろう。そして、「仕組みを作って世界を動かす」ことにかけては、まことにたけている。

英国が自国向けに標準を作ると、それなりに実際的である点も特徴である。たとえば、プログラム・マネジメントの分野で、米国PMIのThe Standard for Program Managementと、英国商務省のManaging Successful Programmes (MSP) を読み比べるとわかるが、後者の方がずっと分かりやすく、何をどうすればいいか具体的である。「PMIの標準は、コンサルタントを呼ばないと分からないよう、わざと抽象化して書いている」という人もいるくらいだ。それと、MSPは、限られた少人数で著述しているらしく、全体の記述に一貫性があり、たしかに読みやすい。なお、ついでながらプログラムという語のスペリングが、米国と英国で少し違っている点も面白い。

同じ英国商務省が、プロジェクト・マネジメントに関して制定した標準がPRINCEである(現在はPRINCE2となっている)。PRINCEは元々、英国の官公庁で発注するコンピュータ・システム開発のプロジェクトに失敗があまりに多いため、それを改善するために生まれたと言われている。日本プロジェクトマネジメント協会の元理事長で、現在は北陸先端科学技術大学の教授である田中宏さんに以前うかがった話によると、PRINCE2というのは、“プロジェクトというものは放っておくと失敗するものである”という思想が根底にあるのだそうだ。まあ、たしかにこの「自虐的」規定の仕方は、いかにも英国人風である。

マネジメント標準というのは、それに従っていれば万事うまくいく、というような魔法の教科書ではない。せめてこれぐらいは知っておいた上で、自分の仕事にあわせて取捨選択しろよ、という体系的な道案内の書である。それを読むには、読み手のインテリジェンスが必須である。

ところで、このインテリジェンスというものは、知識や法則や論理的演繹といった、「頭の良さ」だけではないらしい。むしろ、自分はまだ一度も歩いたことのない道なのに、この先に何かがありそうだと察知するような能力のことを、インテリジェンスとよぶのである。わずかなデータしかなのに、何だか価値がありそうだと気づいたり、ヤバそうだと感づく嗅覚のような能力--それこそが、プロジェクトという深い森の中を正しく導く、導き手なのである。

だからインテリジェンスというものは、こまったことに、経験によって深まったり、逆に鈍ったりする。自分がいかに何も知らないかを分かれば、深まるし、なあに所詮こんなものよ、と知ったつもりになれば、逆に能力は鈍るものらしい。単なる経験年数ではない。経験から、何をどう学ぶか、なのである。

わたし自身がインテリジェンスをもちあわせているなどと言うつもりは、もちろん、さらさらない。だからこそ逆に、失敗に学ぶのがお好きな英国発のプロジェクト・マネジメント標準PRINCE2がどんなものか、知りたいと思って、今週、研究部会で講演をお願いした次第なのである。PMBOK Guide(R)は読んだけど、何だかもの足りない気がする--もう少し別の知恵はないのだろうか、そんな疑念をお持ちの同輩諸賢のご参加をお待ちする次第である。

 →「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(2014/07/01) 開催のお知らせ

石油・ガス業界のニュースから見えてくる、奇妙な国際関係のループ図 (2014/06/02)

先月、ロシアと中国がシベリア産天然ガスの大型商談で合意したのとほぼ同じ日に、ロイター発で中国の石油・ガス関係のもう一つのニュースがでた。それは最近、中国のイランからの原油輸入量が倍以上に急増した、という報道である。中国は一応、産油国であるが、とうてい最近の自国のエネルギー需要をまかなうことはできず、石油の輸入国でもある。それが、イランから沢山の原油を輸入することで、両国関係をさらに緊密化する傾向にある、という情報であった。

イランと中国といえば、ロシアと並び、米国の世界戦略を邪魔する仮想敵国であり、油断のならない相手である、というのが一般の感覚であろう。それが石油・ガス取引を軸に手をつなぎつつある、という印象をこのニュースは与える。

ところが、ちょっと調べてみると、ことはそれほど単純ではない。まず、中国はかなりいろいろな国から原油を買っている。これは輸入国にとっては、エネルギー安全保障の観点から見て当然なことだろう(日本もそうしている)。その輸入の最大の相手は、サウジアラビアであり、それに並ぶ第二の輸入国はアフリカ南西部の国・アンゴラである。3番めが中東のオマーン。そして、従来はロシアとベネズエラが4位5位あたりに並んでいた。そこにイランが食い込んできた、といっても、まだ全体の第4位にすぎない。かわりに、サウジとベネズエラからの輸入量が多少減っている。たしかにイランからの輸入は1年前に比べ倍増したが、オマーン、イラクからだって倍増している(International Oil Daily誌5月22日付け記事による)。したがって中国が、経済制裁にあえいできたイランとの関係を、石油輸入によってことさら緊密にした、というのは当たらない。

むしろ、中国とイランの関係でいえば、問題が生じている。じつはひと月ほど前、イランが油田開発のビッグ・プロジェクトで、発注先であった中国CNPC社をクビにした、という驚くべきニュースが業界紙にのった。それも、日本には因縁のアザデガン油田である。アザデガンは世界級の埋蔵量を持つ大油田であるが、開発はまだ進んでいない。資源小国・日本にとって、海外に大きな石油権益を持つことは長年の夢であったが、かねてより原油輸入で比較的良好な関係にあったイランからの申し入れもあって、ここを開発する計画があった。しかし、(Wikipediaなどではきわめて抑えた筆致になっているが)アメリカの横槍があって事実上断念せざるを得ず、結局その一番美味しい果実は中国がもっていったのである。

ところが、中国CNPC社による南アザデガン油田開発プロジェクトの進捗は、ひどく遅れていたらしい。業を煮やしたイランは、数回の公式な警告と3ヶ月間の猶予期間をおいたのち、結局契約をキャンセルしたという。記事によるとイラン側は、現場に来ている中国人たちが「ろくに働きもせずダラダラ遊んでいるだけ」と、相当に辛辣な物言いをしている。言われた方のCNPC社というのは、前回も書いたロシアとの大型ガス商談の契約当事者である。

中国にはCNPC, SINOPEC, CNOOCの大手石油三社があり、どれも貪欲に海外展開中だ。しかし、Petroleum Intelligence誌(5月26日付)はこの事件で、「中国の国営石油会社の海外プロジェクト遂行能力には大きな疑問符がついた」と書いている。じっさい、CNPC社は同じイランで2年前に、巨大ガス田South Pars 11から同様の理由でクビになっているし、そのライバルSINOPEC社もヤダヴァラン油田で似たような状況に陥っている。イランだけではない。アフリカのチャドでは環境汚染をめぐり1200億円の罰金を課せられたり、とにかく中国が近年進めてきた資源投資プロジェクトは、あちこちでほころびを見せているのだ。

さて、イランをめぐっては、もう一つ奇妙なニュースがある。中東問題の専門家である東京財団の佐々木良明氏のBlogで知った(www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2014/02/no_1832.thml)のだが、イランのメッラト銀行に対し、40億ドル(約4,000億円)もの巨額の賠償金を払うというのだ。メラト銀行はイラン最大級の民間銀行である。そこに対し、英国政府が賠償金を支払うべし、と最高裁で判決が出た。なんの賠償か? それは、メッラト銀行がイランの核開発プロジェクトに関わっているとの、事実無根な風評を英国政府がまきちらし、営業妨害をしてきたことで生じた、商業上の被害に対してである。つまり、風評被害というわけだ。もっとも英国のThe Guardian紙などによると、英国政府は最高裁判決が出た後も、まだぐずぐずと支払いを遅らせているという。

さて、このニュースは何を意味するのだろうか? 英国は稀に見る公正な民主主義国で、三権分立が確立し、司法が政府の不法を懲罰することもある国家だ、と見ることもできよう(もちろん英国はそう見てほしいだろう)。しかし、もう少しイジワルな見方もある。英国政府は、イランの資源が欲しくて、イランとの関係改善をねらっている。ただし米国との協調関係の手前、表立っては動けない。そこで、司法に賠償金の判決を出してもらった。それすら不服で、従いたくはないのだが、最高裁の命令なのでいたしかたなく払う・・という演出にした。

どちらが真実なのか。むろん、わたしには分からない。たぶん、永久に誰にもわからないのだろう。英国外交とはそういうものなのだ。英国は20世紀のはじめ、イランの石油の1/10とひきかえに、コサック部隊の軍人を支援してクーデターを起こさせた(と聞いている)。シャー・パーレビ政権の誕生だ。日本ではなぜか「パーレビ国王」と誤訳されてきたが、シャーとは、ロシアのツァーなどと同じで、「皇帝」という意味である。パーレビ政権とはその後半世紀の間、ゴタゴタしてきたが、結局イラン革命で追い出されて、関係が切れたままである。英国は隣のイラクとも思うようにはできていない。ために、そろそろイランとよりを戻すことを考えてるのかもしれない。

ところで、わたしは一年前の記事:「シェールガス革命と、天然ガス価格のゆくえ」(2013/04/28)で、英国の石油メジャーであるBP社とロシアのロスネフチ社との資本取引を通じて、ロシアが英国に対して、外交上の貸しを作ったことを指摘し、「今後、ロシアの重要なデシジョンにおいて、英国が何らかの後押しを目立たぬ形でするのではないか。」と書いた。

昨今のウクライナ情勢、とくに英国の煮え切らない態度を見ると、昨年のこの予想を裏付けているのではないか、という気がしなくもない。石油・ガス業界のニュースを見ている限り、ロイヤル・ダッチ・シェル社も、BP社も、ロシアとの共同プロジェクトへのコミットメントは継続すると表明している。いや、英国ばかりではない。フランスの準メジャー級石油会社トタルも、米国のExxonMobil社でさえ、ロシアでの投資継続を表明した。つまり、少なくとも現時点では、欧米の石油業界の間には、ロシアと手を切って戦うべきだ、という雰囲気はない。

いや、当事者のロシアとウクライナでさえ、ガスの取引に関しては、いろいろジャブの応酬はあれども決裂状態ではないのだ。石油・ガスの供給には影響がない、とロシア側も欧米側もいっている。ロシアの大手石油・ガス関連企業は、いずれも欧米のメジャーとパートナリングを組んでおり、かつ金融市場から巨額の借金を負っている。つまり、欧州はロシアのガスに依存し、ロシアは欧州の資金に依存している。"If the world shuts down Iranian oil and gas exports, Iran is in trouble. If the world shuts down Russian oil and gas exports, the world is in trouble."(世界がイランの石油・ガスの輸出を禁じれば、イランはこまる。しかし世界がロシアの石油・ガスの輸出を止めれば、こまるのは世界のほうだ)というPetroleum Intelligence Weekly紙(3月10日)が、業界のムードを示しているのだろう。

2月中旬頃だが、ロシア問題を専門とするエコノミストの方の話を聞く機会があった。まだロシアがクリミア半島を併合する前だったが、すでにウクライナ問題がかなり深刻化した時期だ。その時、その専門家は、ウクライナの現在の事態は、ロシアの勢力の増大ではなく、むしろ地盤沈下を示しているのだ、と語ったのが印象に残っている。ロシア経済は長らく不況であり、もはや石油・ガスと武器輸出くらいしか頼るものがない。産業が育っていないのだ。それゆえ、プーチン大統領の権力基盤も実際にはかなり弱まってきた。もしロシアの影響力が非常に強ければ、あんな混乱した状態に陥る前に、もっと目立たぬ形でウクライナを従わることができたはずだ。--そういう話だった。だからこそプーチンは、中国との天然ガス商談を、かなり妥協してでも結びたかったのだろう。

かくして、話は、中国→イラン、イラン→英国、英国→ロシア、ロシア→中国、と一巡する。この順に、それぞれ悩まされる種を抱えており、こっそりギブ&テイクの関係をとりむすぼうとしている訳である。こんな風に、素人が片手間にちょっと見ただけでも、石油・ガス業界の目立たぬニュースをつないでいくと、目に見えにくい蜘蛛の糸のような形で、世界のあちこちがループのごとく結びつきあっていることがわかるのだ。

だから、できるなら我らが政府にも、こうしたエネルギー関係の情報分析の専門家をおいてほしいと思う。エネルギー基本計画の遂行や修正に必要だからである。情報とロジスティクスは、わたし達の社会において一番弱いところだ。むろん外交や防衛関係分野では、情報専門家が熱心に収集と分析を続けている。しかし、彼らは西シベリアの天然ガスとヘンリー・ハブ価格とのスプレッドなどには、注意を払うまい。え、日本には総合商社がいる? もちろん、商社はそうした情報を知っている。しかし商社にとって情報は飯の種である。他社に知ってほしくない情報は、出すはずはない。だから、専門官がいるべきだと思うのだ。

わたし達が住んでいるこの世界は、見た目より、ずっと複雑なものである。複雑なものは、むりに単純化して理解せずに、複雑なまま頭に入れる努力を払わなければならない。そうしないと、予測を誤るだろう。そして、毎度書いていることだが、予測こそ適切な計画の基礎なのである。

交渉学から見たロシア・天然ガス大型商談の実相 (2014/05/26)

仮にあなたが、重要な商談で遠くに出張に行っているとしよう。相手は近ごろ羽振りの良い大企業で、タフな交渉相手だ。あなたは新商品を、この相手に売り込もうとしている。それも一度きりの注文ではない。3年にもわたって継続的に供給する、総額40億円以上の大型商談だ。

長引く不況で、自社の財務状況はピンチにあり、何としてもこの売り込みを成功させたい。それもできれば市場相場に近い価格で決めたいところだ。ただし、あなたの側には弱みが一つある。この新商品はまだ開発中で、早くても半年後でないと供給できないのだ。投資額もかかる。だから、キャッシュフローを考えれば、頭金を少しでももらえるとうれしい、と内心思っている。

さて、出張先で2日間、膝詰めの打合せをしたが、なかなか妥結に至らない。出張日程を延ばすことも難しい。しかし、とうとう帰る時刻の直前に、契約をまとめる事ができた。飛行機に乗り込む直前、あなたは本社にメールを打つ。「無事、販売契約を取れました。それも、こちらの希望する製品価格で決める事ができました。」

さて、あなたのこの商談、成功だったろうか、失敗だったろうか?

売り込みの契約を取れたのだから、成功だ--そう判断する向きもあろう。だが、よく考えてみてほしい。「希望する製品価格で妥結できた」ということは、逆に言うと、頭金はもらえなかったことを意味する。もし、当面は納品もないのに頭金を払ってくれるような場合、タフな相手は必ず、逆に製品価格に値引きを要求してくるはずだ。

ということは、あなたの会社は頭金をもらえず、製品ができるまではろくに収入もないまま、ぎりぎりの状態で、開発投資を続けなければならない。しかも約束してしまったのだから、その開発投資のお金を、別の用途にふり向けることも、もうできない。開発に失敗したら、もうおしまいだろう。

おまけに、あなたが帰りの便に飛び乗る直前にやっとサインできたという状況は、あなたが価格にあらわれない条項で、かなり譲歩したことを意味している。営業マンは、手ぶらでは帰れない。だから、帰る直前の交渉が、一番効くのだ。まったくタフな相手である。--そう考えると、この結果は、成功とはいえ、ほとんど赤点ぎりぎりの成績ということになりそうだ。

そして、今週、ロシアのプーチン大統領が中国を訪問してとりまとめた、超大型の天然ガス商談は、これとよく似たシチュエーションなのだ。

すでにメディアに報道されているように、ロシアは、シベリアの天然ガスを、中国に対して30年間継続して供給する契約を交わした。総契約額は4000億ドル(約40兆円)を上回ったとみられる。
(ロイター報道 http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0E10SH20140521
ウクライナ問題のため欧州と疎遠状態に陥ったプーチンが、アジアに活路を求めて見事に成功した、と報じる向きもある。だが、この話はそんな簡単なものではない。

国家規模のプロジェクトは数字の桁が大きすぎて理解しにくい。そういうときは、金額を1万分の一にすると企業的な規模になり、1億分の一にすると個人的な規模になって分かりやすい。ちなみに日本のGDPは年間500兆円弱だが、これは企業なら500億円、個人なら500万円の年収というわけだ(日本は人口が1億人ちょっとだから、GDPを1億で割るとほぼ一人あたりの数字になる)。最初の『商談』の数値は、その方式で「40兆円」を「40億円」に換算し、さらに時間は10分の1に圧縮し、「30年」から「3年」にして、作ったものだ。

さて、この天然ガスは、シベリアのChayandinskoyeおよびKovyktinskoyeガス田から供給することになっている。だが、どちらのガス田も、まだ生産設備は十分開発されていない。さらに、このガスは通称「シベリアのパワー」と呼ばれる長大なパイプラインで中国に運ばれる。総延長距離は約4,000km。米国の西海岸と東海岸くらいの距離である。そしてこのパイプラインも、これから建設するのだ。したがって、中国にガスが供給されるのは、最低でも4~6年後だと想定される(だから冒頭の例では10分の1で「半年後」に供給予定と書いた)。とにかく、気の遠くなるほど遼遠な、大陸的商談なのだ。


Power of Siberia Pipeline – Gazprom社ホームページより引用
http://www.gazprom.com/about/production/projects/pipelines/ykv/

契約の詳細は、この文書を書いている現時点では、ほとんど明らかになっていない。ロシア側が中国に求めていた、開発プロジェクトのための投資協力(「頭金」の支払い)についても、中国が受けたのか拒絶したのか、互いに相矛盾した発言が、別々の情報源から聞こえてくる。

ただ、ガス価格については、ロシア側の希望に近い線で妥協できた模様だ。International Oil Daily紙によると、ロシアは$9.75/MMBtuを最低条件と言ってきたが、投資採算性を考えて$11を希望したらしい。他方、中国はトルクメニスタンからの輸入価格と同じ$9以下を要求したが、最終的にはそれ以上を払うことを合意したというのだ。この値段から逆算すると、かりに中国が投資協力するとしても、かなり限定的であることがうかがえる。

ちなみにこの商談、じつは10年以上前からロシアと中国の間で続けられてきた。しかし、ずっと折り合わなかった。主な意見の相違点は、無論、価格だ。最近の報道を見ていると、
 「合意は近い」
 「(プーチンが上海を訪問する)5月までには決まるだろう」
 「価格以外の条項については、全て合意できた」
 「上海で調印するらしい」
ときたが、肝心の上海二日目の夜になっても合意発表はなく、今回も決裂かと思われた。だが、帰る予定の日の朝4時(!)にとうとう合意に達した。いかにギリギリの決断だったかわかるだろう。

金額以外の項目は、すでに事前合意に達していた。すなわち、石油価格に連動するフォーミュラ(方程式)でガス価格を調整するとか、テイク・オア・ペイ条項がある、といた事である。

(テイク・オア・ペイ条項というのは、天然ガス契約によく出てくる条件で、製品を引き取らなくても、金を払わなければいけないという、一見非常識な契約である。食べ物屋にたとえれば、お食事に手をおつけにならなくても、代金はいただきます、ということになる。天然ガスはパイプラインで運ぶ場合も液化して運ぶ場合も、相当の先行設備投資が必要なので、このような条項が出てきたのだ。いわば、100人前の宴会を用意していたのだから、急に宴会やめましたと言われても、それなりのお代はいただきます、という論理である。)

そして結局、価格交渉だけが残った。しかし、大きな案件の交渉をした経験がある人はお分かりと思うが、「お金だけが討議事項」という状況は、交渉戦術上、最も避けるべきことなのだ。なぜなら、交渉とはすなわち天秤の両側にいろいろな果実の重りを置いて、両者が納得できる均衡状態を作ることだからである。そのためには、金額以外に提出できる手持ちの駒が、多ければ多いほどいい。値段の代わりに、保証期間だとか利用権だとか保険だとか頭金(支払タイミング)だとか、あれやこれやを置いてみる。

交渉論の分野に、BATNA (Best Alternative to Negottiated Agreement)という概念がある。最低限譲れない線を割り込んだ場合に、とるべき別の選択肢をいう。これを心の中に持って、交渉の席に着く。ロシア側にとって譲れない線が$9.75だったとしよう。もし価格がそれを割り込んだ場合、中国側から出してもらうべき別の交換条件が、何か必要だ。ところが、他の契約条件にすべて事前合意してしまっていたら、打つ手がなくなる。

結局、プーチンの持ち出した最後の手は、税金の緩和だったらしい。この契約は一応、ガスプロム社と中国CNPC社との企業間契約である。だが、もはやガスプロム社のレベルには、手駒が残っていなかったのだろう。いくら国営企業だといっても、税金までは決められない。だから、プーチン自身も、朝の4時まで交渉を見届けていたのだと思われる。まったく独裁者というのも、楽な商売ではない。

ただしこの結果は、ロシアの交渉戦術の失敗だけで生じた、というより、もともとそれだけ不利な闘いだったと見るべきだろう。交渉の基本的な優劣は、せんじつめると、双方がどれだけたくさんBATNAを持ちうるかで決まる。中国も確かに石油・ガスの一大輸入国だが、選択肢(売り手)は世界中に探しうる。しかしロシアが抱えるシベリアのガス輸出の選択肢(買い手)は、どう見ても地理的に限られているからだ。交渉戦術だけで、この差をひっくり返すのは難しい。むしろ、今は「金額」より「合意のタイミング」の方が重要だ、と考えて決断したプーチン大統領はさすがである。

もっともここまで読んだ方の中には、「お前は結局、何が言いたいんだ」とイライラする人もおられるかもしれない。プーチンをほめてるのか、けなしてるのか。ロシアと中国は親密なのか疎遠なのか。いったいどっちなんだ!?

別にどちらでもない。わたしはプロジェクト・アナリストとして、シベリア天然ガス開発というメガ・プロジェクトの一局面を、限られた情報からザッと分析してみたまでだ。ちょうど、株式アナリストが企業のニュースから、業績の上下を予測するように。今後、取引の詳細が明らかになるにつれ、この分析の当否も明らかになるだろう。

リーダーの人格論や好き嫌いだけで、仕事の成果を評価するやり方は、わたしはとらない。株式アナリストが、経営者の人柄や会社への好き嫌いで株価を予想しないのと同じである。

人格論や好き嫌い、仲の良しあしといった、人間関係のアナロジー(類比)で国家レベルの事案を解釈するのは、たしかに素人にもわかりやすい。しかし予測には適さないと、わたしは考える。現実はもっと複雑だからだ。大企業間の交渉や国家間交渉というのは、握手しながら、同時に空いている方の手で、互いにスキあらば殴り合っているようなものだ。たとえばそれは、最近の中国とイランの石油をめぐる関係を見ればわかる。だが、例によって長くなりすぎた。この話は、次回書こうと思う。

(追記:直近のニュースによると、ガスプロム社のメドヴェージェフ副代表は、中国は頭金として2.5兆円を払い込む約束だと行っている。ただし、このプロジェクトには、ロシア側だけで5.5兆円、さらに中国側パイプライン等でさらに2.2兆円を必要とする。だからロシアは制裁で苦しい中を、さらに資金調達に走らなければならない訳だ。なお、ガス価格については相変わらず口をつぐんでいるが、専門家の間では$10.7という観測も出ている--International Oil Daily紙による)

R先生との対話 - 海外に展開する勇気、国内に居続ける知恵 (2014/05/19)

今年の初め頃のことになるが、久しぶりにR先生を訪れた。R先生はわたしの敬愛する、人生の大先輩である。鍋を囲みながら、話はしだいに製造業の海外展開のことになった。

「先日も、知りあいの経営者がやってきて、愚痴混じりに質問してきたよ。海外進出を考えなければいけないが、どこに出るべきか、どうやって出るべきか、教えてほしいとね。」(R先生は米国に何年も暮らしたことがあり、海外事情にも詳しい)

--わたしもたまに、同じ事を聞かれます。しかし、答え方がむずかしいですね。大きく分けて、先進国をねらうか、新興国をめざすか、という選択肢になります。でも、新興国の場合、商品の種類にもよりますが、何よりも値段が勝負です。すると、どうしても高価な日本製は分がわるい。かといって、品質に重きを置いて判断してくれる先進国は、借金まみれで財布の紐が固い。どっちもどっちです。

「当たり前だ。金払いもいい、目も高い、そんなお客ばかりがいるはずはない。自分が買い手の立場の時にはできないことを、外のお客にだけ求めるのはまちがっている。」

--手厳しいお言葉で・・。それで、先生はどうお答えになったんですか?

「外に打って出る市場拡大をめざすか、日本に居続けて市場を深掘りするか、まず腹を決めなさいと話した。」

--それは、どういう意味ですか。少子高齢化で人口増もとまり、国内市場が伸び悩んでいるからこその、海外展開なのでは?

「それが、早計だということだ。日本はいまだ人口1億2千万を有する巨大市場だ。世の中には人口数百万規模の国だってたくさんあるが、そこでもビジネスはちゃんと成立している。年商数十兆円の大企業ならともかく、数十億円の中堅中小が生き続ける道は、工夫次第でいくらでもある。」

--うーん、しかし、かりに日本に居続けたとしても、やはり海外からの輸入品との競争にさらされます。このところは多少円安ですが、輸入関税はどんどん減らす方向にありますから。

「もちろん、小手先のカイゼンや原価低減でしのげる範囲は少ないだろう。人と同じことをやって、価格競争メインで勝ち抜こうとしたら、いきおい原材料費や人件費の安い国に海外工場を、という発想になる。だがな、今日転勤の辞令を出して、明日からパッと外国に赴ける製造マンが、会社に何人いる? 総合商社や、君の所みたいなエンジニアリング会社じゃあるまいし。」

--ま、たしかに海外工場となると、用地の手当から建設まで年単位の時間がかかりますし、投資額だって億の単位です。戦略レベルの決断が求められますが、世の趨勢ではないですか。

戦略という言葉は、人と違うことをやるときに使うものだ。世の趨勢だかに従って、人と同じ土俵で消耗戦をつづけるのは、戦略などと呼ばぬ。無駄な『戦い』を略し、戦わずして勝つ道こそ肝要だろう? 
 海外に出るのもいい。だが、それは他社とは違うことに挑戦するためにとるべき道だ。それだったら、経営者の勇気を買おう。しかし、恐れで外に出て行くのは、すすめない。同じ労力を使うなら、日本にとどまるために知恵を絞るべきだ。」

--おっしゃることはもっともと思いますが、あえて反論させてください。国内市場は、いろんな意味で構造が成熟しています。ちょっと目先を変えた差別化程度では、競合を避けられません。価格競争を避けろ、ということは、ほとんど業種業態を変えろ、という意味に等しくありませんか? だとしたら海外展開以上に、難しいことのように思えます。

「横に引っ越せとはいってない。工場を地理的に移すのも、市場で業態を変えるのも、横に動くだけという点では似たようなものだ。に深掘りしろといったはずだ。それに、日本に居続けることと国際化することは、矛盾しない。」

--そこがよく分からないのですが・・業態を変えずに市場ニーズを深掘りする、なんてできないと思います。

「はたしてそうかな? 君がいつぞや見に行って、感心して帰ってきた北海道の動物園とやらはどうだね。どこかに引っ越したかな? 業態を変えたかな。」

--ああ、旭山動物園のことですか。うーん、たしかにそうですね。旭川に居続けています。気候は寒いし、周辺人口も少ない立地なのですが。おまけにあそこって、スター的な珍しい動物がほとんどいないんですね。白クマとかペンギンとか、アザラシ、チンパンジー、ニホンザル・・地味な動物がほとんどです。まあ、豹とかはいるけど、あいにく夜行性動物で昼は寝てばっかりいる。
 前にも思ったんですが、もし全国の動物園が、一つの会社のチェーンだったら、本社の経営企画部は真っ先に、旭山動物園の廃止・売却を決めてたでしょうね。でも今じゃ、全国区の知名度をほこる人気です。

「その秘密は何だね?」

--やはり展示のうまさでしょう。見せ方にいろいろ工夫があるんです。あれは、園長だけの知恵じゃなくて、飼育係の人たちのアイデアが集まっている感じでした。

「じゃあ、ほかに、普通の製造業でそういう例を見たことはないかな?」

--いや、それは、普通の工場でしたらQCサークルなんかの小集団活動や提案活動はいくらでも例があります。しかし、それはカラ雑巾を絞るようなカイゼンの工夫ではあっても、工場のあり方自体を変えるようなものではないですね。ムダとりで原価を数パーセント下げても、何割もの為替ギャップにはたちうちできません。どんなに工夫したって、工場が工場でなくなる訳ではありませんし・・

「工場がレジャーランドに変わる訳がない、と。撮影所をテーマパークに仕立てた例はアメリカにもあるがな。」

--だって製造業の本分はモノづくりですから。・・あれ、ちょっと待って。そう言われると何か記憶にひっかかるものがあるような・・えーと。

「何か思いついたかな?」

--・・そういえば、ちょっと変わった例なんですが。工場なのにテーマパークになっちゃったような所があるんです。

「ほう。」

--去年の秋、沖縄の美ら海水族館に行ったんですが、帰りにまだ少し自由時間がありました。人にお勧めの場所を聞いたら、『名護パイナップルパーク』がいい、というので、よってみました。
 場所は名護市ですが、丘陵地にあって、別段、海が見えるわけでもありません。わざわざ観光で寄りたくなるところではないんです。その『パイナップルパーク』自体、それほど大きな敷地ではありません。どちらかというと、ファミリー向けの、チープなつくりの施設でした。ところが、それほど広くもない駐車場に、次から次へと来場者を乗せたバスがやってきます。
 首をかしげながらも、とにかく来てしまったんだから、数百円の入場料を払って中に入りました。最初に、グループを数人ずつに分けて、カートみたいな乗り物に乗せていきます。そして、温室の中をぐるぐる巡回しながらいろんな熱帯植物を見せるんですね。ところで、このカートがなかなかくせ者で、運転席にはハンドルがついていて子どもが握ったりできるんですが、これはダミーです。回しても進む方向は関係ない。じゃあどうなっているんだろうと目をこらすと、順路の床面にガイドがついていました。

「ははあ、工場で搬送に使うAGV(Automatic Guided Vehicle)だな!」

--そうなんです! AGVの上に座席をしつらえて、カートみたいに見せている。これって、低コストでうまいやり方ですよね。カートには音声のガイドもつくんですが、これも有線放送とかではなく、単に小さなICレコーダーをつり下げてあるだけです。とにかく、そこここが、低コストながら実際的にできている。これをデザインした奴は、なかなかのアイデアマンだなと感じました。
 最初に温室や、そこに隣接するパイナップル畑の一部を見せるのも、来場者の興味をうまく持続する工夫です。カートの巡回が終わると、建屋の中に誘導されます。展示物の説明は省きますが、子ども連れのファミリー向け施設ですから、そんなに高級な展示じゃありません。でも、それなりに面白い。
 それから、食品加工ラインを、通路のガラス越しに見学できます。その日は休日で機械は止まっていましたが、小規模な充填ラインのように見えました。もちろん、清潔には注意している様子が見て取れます。そして、最後に食品展示コーナーに来きます。ここでも工夫があって、来場者にはお猪口みたいなちいさな試飲用のコップが配られます。そして、パインのジュースからワインまで、いろんな飲料や加工食品を試飲試食できる、というあんばいです。もちろんわたしもお土産に少し買いましたよ。そういう気にさせるんです。

「なるほど。」

--頭の中で、客一人あたりの単価と、入場者数をざっと計算してみましたが、立派な商売の規模です。あんな不利な立地でも、ちゃんと経営できるんだなと、感心しました。それに、従業員もちゃんとしています。小技のような工夫があちこちにあるのですが、あれは経営者一人が考えつくのではなく、働いている人のアイデアを汲み上げているように思えました。

「見学コースの中に、工場の製造ラインの見学がついているのは、いい工夫だな。一つには、買う商品への興味や品質への信頼を得ることができる。と同時に、じつは、見られている側の工場従業員に対しても、きちんと仕事をするモチベーションになる。」

--たしかに、そうですね。

 それで、後から気がついたんですが、あのパイナップルパークというのは、最初はただのパイン畑だったと思うんです。ただ、農産物を売るだけではあきたらずに、小さな工場(こうば)を隣に作ったんでしょう。
 そのうち、工場に物販コーナーを置いて、製造直売するようになった。来客に、工場も見せるようになった。見せることで、今、先生が言われたような効果もあったでしょう。さらに、来場者に対するサービスとして、だんだんといろいろな展示や工夫を積みかさねていって、とうとう現在のようなミニ・テーマパークにまで発展してきた、と。これは純粋にわたしの想像ですけれどね。

「つまり、農業から出発して、工場が中心になり、いまやサービス業が柱となったという訳か。まるで日本の産業発展史のミニチュアのようだな。」

--おっしゃるとおりです。

「そもそも、パイナップルなんて農産物は、今では沖縄で作っても値段が高くて、安価な海外産に比べて競争力なんてないはずだ。それだけでは、生きてはいけない。」

--いわれてみると、たしかに農業だけで生きていたら、先はなかったでしょう。食品加工に手を出して、輸入材料なんかも併用すれば、少しは生きながらえるかもしれません。でも、あそこは、さらに一歩踏み出して、サービス業まで付加した訳です。それで不況のご時世にも負けず、立派に経営している。感心しました。
 普通の人は、いって、展示を見て、お土産を買って、それで終わりでしょう。でも、後ろにある仕組みが見える人には、別種の面白さがあるんです。経営コンサルタントはみんな、見学に行くべきじゃないかと思ったほどでした。先生にもおすすめしますよ、沖縄は暖かいですし。

「ははは。そうかい。
 ところで、その来場者には、外国人もいただろう?」

--そりゃ、いたと思います。沖縄は、台湾とか、東アジアからの観光客も多いですからね。

「そうか。それこそが、まさに『日本に居ながらにしての国際化』なんだ。君は、その生きた例を見たんだよ。
 工業製品を世界中に売り歩くとか、あるいは、君のところの会社のように、世界中から注文をとって工場を建てる。それはたしかに、グローバルなビジネスだろう。
 だが、知恵と工夫さえあれば、その何とかパークのように、居ながらにして、海外からも顧客を集められるのだ。本当に良いもの、楽しいもの、必要かつ他所にないものを持っているなら、日本にいて、日本語だけをしゃべっていたって、ちゃんと世界中からお客を得ることができるんだよ。」

--うーん。

「ただ、そのためには、頭を使わなくちゃならない。他所と同じことだけやってちゃいけない。そして時には、自分が杖とも柱とも頼みにしてきたものを、商売の端っこにおいやる覚悟もしなくちゃならない。
 英語をペラペラしゃべったり、パソコンできれいな資料をまとめたりすることとは、別種の能力がいるんだ。だが、幸いなことに、この国にもまだ、そういう能力を持つ人は残っているはずだ。われわれが、それを見抜く目を失わない限りね。」

大企業病の作り方、治し方 (2014/05/12)

「自分は『プロジェクト・マネージャー』というほどの者ではなく、『プロジェクト・チームのリーダー』といった役柄です。」――顧客とのチーム・ビルディングの席上で、相手方のトップの米国人はそう語った。聞いていたTさんは、単に謙遜しているのだと思ったそうである。時は’90年代。今ではベテラン・エンジニアのTさんが、やっと担当者レベルを卒業し、小さな1セクションのサブチーフ職に片足をかけた頃のことだ。バブル崩壊で国内市場は低迷し、Tさんの会社がようやく久しぶりに欧米企業から受注できた海外向けビッグ・プロジェクトだったという。Tさん自身も高揚する気持ちをおさえつつ、顧客とのチーム・ビルディングに参加していた。

その顧客はチーム作りのセッションを大切にしていた。彼らは発注者として、かなりの数のチーム・メンバーを、設計期間中にTさんの会社に駐在員として送り込んでくる。無論、Tさんの側も精鋭を結集して、受注側プロジェクト・チームを組織した。たしかに、両者の協力が大事である。冒頭の発言は、そのチーム・ビルディングで出てきた言葉だ。「マネージャーではなく、チーム・リーダー」。そして彼のこの言葉が、実は謙遜でも何でもなく、本当に何も決めてくれない人物であることが判明するまで、たいした日数はかからなかった。

「我々がお客さんに求める最大のこと、それは設計上の問題に対して、きちんと、タイムリーに、そして一貫性を持って決めてくれることです。そうでしょう?」Tさんは語った。「相手は欧米の巨大企業です。そのプロジェクトは、すでに基本設計は子飼いの別の会社と済ませており、実現段階に関する国際入札が行われたわけです。我々も相当の覚悟を決めて応札し、なんとか受注にこぎつけたのです。」海外型プロジェクトでは、分厚い契約書に、非常に詳細な基本設計図書が添付されており、その完全な履行が求められる。一字一句、もれなく履行することが。

「顧客側チームの主な仕事は、我々がきちんと仕様書通りに仕事を進めているかをチェックし、受注者を監視することでした。しかしご承知の通り、どんな基本設計だって完全ではない。具体化していく内に、いろいろ当初は想定していなかった問題点が出てきます。さらに、外部環境の変化もある。法規制が変わったり、市場の需要が思惑をそれたり。しかしこのお客さんは、問題が生じてもちっとも決めてくれません。ただ契約書通りの遂行をもとめるばかりでした。契約書通りでは問題があるから決めてほしいのに。」

Tさんは言葉を続ける。「このときの契約というのが、また、それまで見た中で一番厳しいものでした。納期遅延のペナルティも莫大です。とくに悩みのタネだったのは、『契約書や基本設計書内に矛盾が見つかった場合は、複数ある記述の中で一番厳しい仕様が適用される』という一文でした。こんなおかしな、そして虫のいい話はない。」

しばらくプロジェクトを遂行する内に、Tさんはだんだん気がついた。それは、顧客のチーム・メンバーが実は急ごしらえの寄せ集め、それも臨時雇いの社員も多いことだった。彼らは、プロジェクトが完了し、成果物をオペレーション部門に引き渡すまでが任務だった。つまり、ユーザ部門に頭が上がらないのだ。そして、ユーザたちは、プロジェクトの途中から入ってきては設計に口を出し、契約や経緯も無視して引っかき回していく。それを、顧客側チームは、誰もおさえることができない。

大企業病というのは、こういうものかと思いましたよ。部門間の垣根が高く、みな、自分の部門の都合しか考えない。また、本社の権限が強く、プロジェクト・チームはろくに決定権もあたえられていない。本社の考えは、単純なのでしょう。きっちりした基本設計と厳しい契約書さえ用意すれば、あとは受注企業を監督するだけでいい。そして、プロジェクト・チームのメンバーたちは、我々が出す追加や変更要求を、へたに認めるとクビになる、という状態に置いたのです。

プロジェクトは生き物です。生き物というのは、つまり環境に応じて変化していく、有機的な存在です。しかし、向こうさんは、プロジェクトを生き物として扱わなかった。誰か頭のいい人が紙の上に書いて、あとは下々の者がそれを忠実に実現するだけ、ということなんでしょう。だから、顧客側のメンバーは、決してリスクある決断をしません。もし何かを決断して、うまくない結果が出たら、指示違反として本社から責められるわけです。設計については、いつまでもいつまでもコメント権を留保しました。決して追加を認めないし、納品物もぐずぐずと文句をいうばかりで、ちっとも受け取ってくれない。」

Tさんはそのプロジェクトで、結局2年あまりも泥沼の日々をすごすことになる。

「たぶん欧米の大企業というのは、仕組みを考える人と、仕組みに使われる人の、二種類がいるんでしょうね。使われる側の人間たちは、罰則と脅しで動かすべし、と。こういう組織では、失敗は許されない訳だから、完全主義と前例主義がまかりとおります。完全主義は、やけに過剰な仕様や豪華な品質になってあらわれます。それで余計にコストがかかろうが、それは下の人間の責任範囲ではない。前例主義も当然の結果です。だって前例は必ず成功しているはずですからね、失敗が許されない以上。」

――しかし、前例主義だとしたら、そんな企業ではイノベーションは起きなくなるでしょうね。結局、長続きはしないような気がしますが。・・やや類似した経験を持つわたしは、Tさんにたずねてみた。

「まあ、そもそもプロジェクトというもの自体、新しいものを生みだすためのチャレンジであり、イノベーションの源泉であるはずですよ。だけど、ああいう大企業病のところでは、プロジェクトみたいなリスクの大きな仕事は、結局引き受け手がいなくなるでしょうね。結果が見えないのだもの。
 でも、あの会社は、昔から特殊な権益をもっているんです。軍ともつながりがあり、政治力もある。海外に資源も抱えている。だから、今でも大企業として存続していますよ。ただ、技術開発部門は手放したんじゃないかな。でも欧米では、ベンチャーを買収すれば、新技術は手に入りますからね。」Tさんは、ちょっとため息をついた。

Tさんの話を聞いて、わたしは昔読んだ『パーキンソンの成功法則』という本を思い出した。C・N・パーキンソンはかつて一世を風靡した英国の経営学者で、初期の本は機知に溢れていて面白い。「役人の人数はその仕事の量に関係なく増えていく」という有名な『パーキンソンの法則』、「金は入っただけ出る」という、財政論の第二法則に続いて、企業経営を論じた彼の第三法則は、

「拡大は複雑を意味し、複雑は腐敗を意味する」

というものだった。企業が大きくなればなるほど、経営者も管理職も全体が見えなくなる。そこで組織階層やルールで、各部署や社員をしばり、画一化をはかっていくことになる。パーキンソンはこう書いている。

「もし社員がとりかえのきくものでなければならぬとするなら、かれらは、ある標準的なパターンにあわせて、組立てられなければならない。・・(そこに)個性に関する変数を導入すれば、それは動くことができない。」(p.261)

かくして大企業には、標準からのブレやリスクを含む提案にはyesとは言わず、noとだけいう人々が増殖していく。彼らの最大の眼目は、自分のクビを維持し、自分の組織を維持し、現状を未来永劫維持していくことである。それ以外の行為は、罰せられるからだ。それでも、大企業というのは、Tさんの指摘のごとく、うまく権益やビジネスモデルさえ確立できていれば、歩みを続けるらしい。だが、「その歩みは活力よりも威厳を示しているだけ」(同書 p.267)なのだ。

では、大企業病を治す方法はあるのか? パーキンソンの処方は、こうだ。

「ホテルの所有者がながいこと留守にしたあと、帰ってきて、ホテルが荒れ放題だったと知った事態にくらべてみることができる。・・これを直す手段はいろいろあるが、いちばん早くて、いちばん効果的なのは、二百人のお客を招いて、カクテルパーティをひらき、三日後に宴会をやり、さらに二日後に舞踏会をやると宣言することである。(中略)他の組織も少なくとも一時的にはこれと同様の方法で甦らすことができる。三つの段階に分けた新計画を宣言するのが手だ。第一段階は社員の能力の範囲内でよい。第二段階は相当困難なこと、そして第三段階は明らかに不可能なことだ。こうした順序で、こうした内容の仕事に直面すれば、どんな組織でも元気をふるいおこすにちがいない。」(p.274)

この処方箋が、ほんとうに巨大な組織にきくのだろうか? わたしには疑問も残る。だが、彼の主張はわかる。それは、企業は永遠に成長し続けることはできない。拡大には退廃が、不可避的に内在する、ということだ。

大企業病はべつに、米国だけに起こるわけではない。どこの地域の、どんな種類の組織にも発生しうる。組織にはそれぞれ個性があるのに、症状はよく似ている。管理階層が分厚くなる、書類に多数の判子やサインがいる、仕事は細分化され、秘密主義がまかりとおる、紙ばかりが増えていく・・。

それら症状の一番根底にある問題は、組織の構成員が、『なぜ』を問わなくなることだ。なぜ、その書類が必要なのか、なぜ、その手続きをするのか、自分はなぜ、この仕事をしているのか。理由が、「ルールで決まっているから」「やらないと自分がクビになるから」という、目前の壁だか枠組みだかで、思考停止するのが、特徴だ。つまり思考停止こそ、大企業病の根本的な病巣なのである。

なぜ、この仕事が会社にとって意味があるのか。いつ、どのような形で価値を生みだすのか。そうした根源的な『なぜ』、射程距離の長い『なぜ』を問うことこそ、自分個人を病巣からひきはなす最良の手段だろう。わたしは少し前に、「なぜなぜ分析」の誤った使い方を批判した(→『なぜなぜ分析は、危険だ』 2014-04-25)。だがわたし達は、本当は品質不良問題などではなく、本来の仕事、標準の仕事についてこそ、『なぜ』を繰り返し問わねばならない。それで会社全体の病状が治るとは、言わない。それは、自分たちを少しでも正気に保つために必要なのである。

超入門:上手な工場見学の見方・歩き方 (2014/04/17)

先週は、「生産革新フォーラム」恒例の工場見学会だった。生産革新フォーラムは中小企業診断士を中心とした集まりで、Manufacturing Innovation Forumという英語の頭文字をとり、略称『MIF研究会』とか『MIF研』ともよばれている(診断士の資格を未取得の会員もいる)。わたし自身、10年以上前からの古参の会員で、2年前には会員同士の共著で「“JIT生産”を卒業するための本 ~ トヨタの真似だけでは儲からない」を一緒に出版した。

この研究会の特徴は、年に2回の工場見学をずっと実行していることだ。これが非常に面白く、また勉強にもなる。工場というのは、複雑で大きな、生産のためのシステムである。この「システム」は、製造のための機械設備と、人の組織と、収納する建物と、そして様々な情報系から成り立っている。その中を、製品や部品や資材が行き交っている。そして、どこにも必ずオペレーションの工夫がある。画家が先輩達の絵を見て勉強するように、システムをつくる仕事をする者も、他のシステムをいろいろと見たほうがいい。そういう気持ちで、これまでもなるべく工場見学に参加してきた。

先週は、北関東にある自動車メーカーF社の工場と、ほかにもう一社、化学系の工場を見学した。自動車メーカーF社はもちろん大企業で世界的にも知られているが、日本の自動車業界の順位では、下位の方である。しかし、行ってみてわたし達は率直に驚いた。とてもレベルの高い、良い工場だったからだ。業界トップのT社が資本参加しているが、いわゆるT社式の工場とも違う。まさに、「百聞は一見にしかず」である。働いている人たちもきびきびして、熟達を感じさせる。「これだったら、次の車はT社を買ってもいいな」と帰り道に言っていたメンバーもいたくらいだ。

MIF研の工場見学では、通常は会員の誰かによる紹介で、生産管理関係の方に案内してもらい、最後に質疑討論する形をとる。ところが今回のF社の工場見学は、あいにくF社にビジネス・ルートがなかったので、まったく普通の一般見学ルートで行った。そのため、小学生向けの紹介ビデオを見て、小学生と同じコースを歩く。説明も、広報係の若い女性による一般向け説明で、製造や技術に関する質疑はできなかった。それでも、終わった後の総括をかねた飲み会では、生産方式や在庫やレイアウトのうまい点に関し、活発な評価が行われた。それは、参加した会員の多くが、プロのコンサルタントとして『工場の見方・歩き方』を身につけているからだ。

工場の見学は誰にでもできる。見て、“すごいなあ、きれいだなあ”と感心するだけなら、小学生だってできる。しかし、見るべきところを見抜くには、ある程度のコツがある。そこで、今回はそんな先輩たちのプロのノウハウを、一緒にちょっぴり勉強してみよう。

上手な工場見学には、三つの柱があるようだ。事前に調べる、目に見えるモノを見る、目に見えない事(コト)を見る、の三つだ。順に説明しよう。

(0) 事前に調べる

工場に行く前に、まず下調べをする。これが基本である。TVや雑誌のインタビューと同じだ。相手に会ってから、「あんた誰? 職業は?」では話にならない。

下調べのためには、ホームページなどで製品カタログをまず見る。何を作っている会社なのか。品種は多いのか少ないのか。生産量はどれくらいか。つぎに、財務諸表や年報(アニュアル・レポート)類をざっとチェックする。これもたいていの企業は、ホームページに載せている。売上はどれくらいか、利益は出ているのか、業績は伸びているのか、社員数はどれくらいか。このように、数値で会社の概要を客観的につかむことが大事だ。とくに製造原価報告書は重要な参考資料である。

しかし、数字だけでは会社の個性までは分かりにくい。それを補うために、その会社に関わるニュースなどもチェックすると良い。こうして、その企業の立体像が、少しずつ頭に入ってくる。

(1) 見えるモノを見る

次は文字通り、見学である。大手企業の工場は、外来者向けの見学ルートなども整備していることが多い。だが、工場に入る前から見学ははじまる。立地はどこか。なぜその土地その街なのか。高速インターや鉄道や港など物流面のアクセスはどうか。そして、敷地の広さや、敷地の使い方はどうか。

工場見学は、基本的に原料受け入れから製品出荷まで、モノと工程の流れに沿って順番に見るのが原則である。工場全体のレイアウトの中に、この流れが整然と、かつよどみなくできあがっているかどうかが、工場のレベルを見る大事なポイントだ。中間部品の倉庫が、敷地のへんな端っこに位置していたら、その工場では、何かの事情で想定していなかった中間在庫が常時発生している可能性がある。あるいは、そもそも設計思想が混乱していたのかもしれない。

そして工場建物を見る。デザインのきれいさを、見せる側はアピールするかもしれない。もちろん大事だ。誰だって、きれいでカッコいい職場で働きたい。しかしプロは別のところを見ている。平屋なのか多階層なのか。天井高はどれくらいか。空調はきいているのか。縦の物流動線や、床の耐荷重は。

もちろん、製品も見る。どこの工場でも、一番見せたがるのは製品である(とくに消費者向けの製品を作っている会社はなおさらだ)。F社でも、ここの展示は念入りで立派だった。なるほど、すごいですね。などと口では答えつつ、「この製品はどれくらいオプションやバリエーションがあるんだろう。需要は季節性があるのかなあ」と考えたりしている。

製造のための機械も、工場の自慢の一つだ。とくに最新型で、高速で、自動化されていればいるほど、作り手はうれしがって説明してくれる(でも、本当にそんな大量生産が求められているのかと、ひそかに疑ってみる姿勢も必要である)。自動車工場の場合、最終組立(トリム)ラインと、ボディ・ショップの溶接ラインを見せることが多い。とくに溶接は複数のロボットが自在に動き、火花が飛び散ったりして、派手だからだ。なんとなく、素人にも「工場を見た」気にさせる。F社の工場では、溶接の前のプレス工程まで見せてくれたので、ちょっと驚いた。感心したのは、ボディ・ショップでの多数の溶接用ロボットの、配置上の工夫だった。

人の数と、制服も目立つ要素だ。活気を持って働いているかどうか。若い人や女性はどれくらいいるか。大事なポイントである。また、倉庫もちょっとのぞいて見たい場所である。どれだけ部品があるのか。どう保管・格納されているのか。モノにはつねに現品票やバーコードが貼付されているか。倉庫を見ると、その会社の管理レベルが透けて見えてくる

さらに、プロは治具を見る。治具とは、モノの製造や加工・運搬作業を助けるちょっとしたツール類だ。気の利いた工場は、こうした治具をいろいろと工夫して、作業者の負担やミスを減らしている。また、工場内のあちこちにある掲示板も、人々に何をどう伝え、どう動かそうとしているか、コントロールの仕方を見るのにとても参考になる。

(2) 見えないコトを見る

見えるモノを徹底的に見るのが中級者なら、見えないコトを見抜くのが上級者である。正直に告白しておくが、わたしもまだこのレベルにはなかなか達していないと思っている。

でも、熟達者は、たとえば製造指図や製造報告などの『情報』が、どういうタイミングで、どう動いているかをたずね、それと工場内のモノの動きとの連動性を目で追っている。そして、「この工程はロットサイズが必要以上に大きいな」と、ぼそっとつぶやいたりするのである。

欠品という現象も、目に見えないが重要なポイントだ。欠品表が現場に貼り出されていればまだしも、たいていはそんなものはない。ただ、何となく、組立工程に、途中まで組み上がった半製品と、その周囲に部品類が雑然と放置され、そして近くに人がいない、といった状況があれば、それは欠品で手待ちになったな、と想像がつく。だったら部品が全部そろってから配膳すればいいのに、とか、補給作業は製造と分業されているかな、などの疑問がわいてくる仕掛けだ。

在庫レベルのコントロールも大事である。たとえば自動車工場では、上流のプレス工程は金型によるロット生産である。ところが最下流の組立ラインは、複数製品の混流であり、順序計画に従った一個流し(一車流し)である。当然、どこかの中間段階で、ロットと個別品種をつなぐバッファー在庫が発生する。自動車工場はこれをどこにどう置くかが全体のシステムを考える上で肝になる。F社では、プレス工程の後にある程度、この在庫ポイントをおいているようであった。では、どれくらいあるのか? というわけで、実際に目でパレット数を勘定してみたメンバーがいて、あとで一日の生産量から割り返して、何時間分の在庫量になるかを分析した。

安全・衛生レベルも、最後になったが、もちろんとても大きなポイントだ。結局、これが職場で働いている人たちのやる気を維持するわけだし、退職が少なければ技術・技能の蓄積も効果を上げやすい。


・・といった訳で、F社の工場についてはなかなかの高評価になった。本当は、技術者と質疑できればもっと正確な理解が深まったろうが、見るだけでも、かなりのことは分かるのである。

MIF研究会では、昨年は慶応大学の管理工学科の学生さん達と合同の工場見学も行った。これも面白い試みだったと思う。みな優秀な学生ばかりだったが、やはり工場を見るのは慣れていない。プロの見方が刺激になったはずである。他方、学生の中には素人なりに鋭い質問をするものもいて、研究会メンバーが逆に感心する場面もあったくらいだ。こういう、年齢層や職業をクロスオーバーした見学会も刺激があっていいものである。

工場見学は非常に面白い。無論、あまり多くの人が関心をもつことではないし、ふつうレジャーや趣味で行うものでもない(例外として、『工場萌え』マニアという人たちも存在するが)。しかし、繰り返すが、工場というのは複雑で巨大なシステムの、一つの極致である。良い工場を見ると、“いいものを見たな”という豊かな知的満足感がある。製造の仕事に関わる技術者は皆、もっと上手な「工場見者」になるといいと、わたしは思う。

アメリカン航空に乗るおじさんの日記 - サービス業の本質とリスクについて (2014-03-30)

ロス・アンジェルス空港についたのは朝の10時過ぎだった。デンバーへの接続便は午後3時前の予定だ。待ち時間が数時間あるが、接続ではありがちなことだ。時間を過ごすため、わたしは同僚のFさんと一緒にアメリカン航空のラウンジに入った。飲み物をとって椅子にくつろぎ、まだ時差ボケの頭でとろとろと過ごしていた。

午後になり、飲み物をもう一回取りに行くついでに、大型ディスプレイをチェックした。発着便の予定時刻とゲート番号が表示されている。ここのラウンジでは静けさを守るため、一々のアナウンスはしていない。最近はこういう所が多い。ところで、デンバー便を見て驚いた。On TimeとかDelayedとかステータスを表示する欄に、赤い文字で"CANCELLED"とあるではないか。

あわててFさんと一緒にカウンターに行き、担当者にたずねる。キャンセルとあるが、どういうことか。相手は(白人の中年女性だったが)、"Yes, it was cancelled."と平然としている。理由は"Mechanical"だという。機械トラブルだ。あのね、そういうことくらいはアナウンスしてくれなきゃ、こまるじゃないか。相手はごく普通な調子で、つまりとくに恐縮したふうでもなく謝るでもなく、代わりの便を見つけましょう、と端末を操作する。あいにく、今日の夜の便はもう満席です。でもUS Airwaysになら、夕刻の便で2席空いています。

(これから先、航空会社の固有名詞をいくつか出すが、それはどこかの会社をホメたりクサしたりする目的ではない。ここでは、米国でたまたま経験した、サービス業の本質について書きたいのである)

アメリカン航空はUS Airwaysと合併することを発表している。それで、同社の便をまず探してくれたらしい。それはいいけれど、予約までは自分はできない。3/31までは別会社だから。でも、(と、ここで3m横のカウンターの別の女性をさして)彼女はUS Airwaysの社員で、彼女の端末からなら予約できるから、あとはあそこのカウンターで話してくれ、という。顧客サービスのために、合併前だが、US Airwaysの係員をこのアメリカン航空のラウンジにも置いているのです、サンキュー。

なぜ彼女は自分でやってくれないで、すぐ隣りにいる別の担当者にわざわざ客を回すのか。べつに、不親切な性格だからではあるまい。米国では、仕事には必ず職務記述書Job Descriptionという書類がついてまわる。職務記述書には、その仕事の権限と責任範囲とが明確に、事細かく列挙されている。Work scopeと呼ぶ。雇用契約と給料は、そのWork scopeにもとづいて決められている。たとえ顧客サービスとか親切心とかであっても、自分の責任範囲を超えたことをすると、処罰される可能性が高い。そういう風に、米国のビジネス文化はできあがっているのだ。

われわれは言われたとおり3mほど横に移動して、US Airwaysの女性係員にもう一度事情を話した。せめて話しくらい通してくれよな。ともあれ相手はてきぱきと事務的に端末を操作して、夕方の便はフェニックス乗り換えで到着は夜12時近くなるが、かまわないかとたずねてくる。我々は明日、デンバーの企業と打合せがあるのだ。夜中着でもしかたないから、とってくれ。

彼女は、チェックインした荷物がないか聞いた。わたしは全部機内持ち込みだが、Fさんはスーツケースを1個、預けていた。本来であれば、午後のアメリカン航空便に乗せられるはずで、今はこのロス・アンジェルス空港のどこかにあるのだろう。では、その荷物もUS Airwaysのフェニックス便に乗せてもらう必要がある。Baggage Change Orderを発行する、と彼女は言った。Change Orderとは変更指示で、我々の業界では顧客から追加費用をもらうために耳慣れた用語だった。でも、物流ハンドリングでも、やはり変更オーダーと呼ぶのだな。へんなところで感心した。

さてGentlemenよ、ここはアメリカン航空の第4ターミナルである。貴兄らはUS Airwaysのある第1ターミナルに移動してもらわなければならない。But, don’t worry. 空港内シャトルを使えば、もう一度セキュリティ検査を通る必要はない。

ご存知の通り、空港は客が自由に出入りできる一般エリアと、飛行機のゲートに通じるセキュリティエリアに分かれている。他のターミナル建物のゲートにいくためには、一度、一般エリアにでて移動してから、再びセキュリティチェックを通る必要がある。米国では9.11事件以降、「愛国法」の施行によりチェックがかなり厳しく、靴も上着もベルトも脱ぎポケットの中身も全部だして、へんてこな機械の中で「手を挙げろ」の姿勢でスキャンを受けなければならない。とうぜん、どこも長蛇の列である。それを再通過せずにすむのはありがたい。わたし達は言われた場所にいって、シャトルバスに乗り込んだ。滑走路と同じ場内を走るバスである。

ところが、そのシャトルバスは、少し走り出してから、停車したままになった。5分たち、10分たっても、動き出す気配はない。前にも車が何台も並んでとまっている。運転手は無線で誰かと大声でスペイン語で怒鳴りあっている。米国では、単純労働者など下積みの仕事は、いわゆるヒスパニック系の人が多い。だから仕事の会話の多くはスペイン語で行われる。何かトラブルがあって、通常のルートが止められているらしい。間に合うのかな、と心配になった。乗り合わせた別の客もUS Airwaysのターミナルにいくという。フェニックス便だというから、きっと同じ運命にあったのだろう。しかし、彼女は何故か平然としている。「フェニックス便も遅れているって聞いたから。」

業を煮やしたバスの運転手は、かなりの遠回りをして、とにかく我々を隣のターミナルに運んでくれた。奇妙な非常階段をあがって、裏口からゲートにたどり着く。ところが、せっかくたどり着いたら、申し訳ないけれどゲートを変更するから写ってくれとアナウンスがある。飛行機が遅延した時に、よく行われることだ。すでに表示板にもDelayedとある。

夜6時過ぎに出発するはずのUS Airways便が、搭乗案内を開始したのは8時を過ぎてからだった。しかし、こんなに遅れてはフェニックスで乗継できないのではないか? ゲートの係員(これも女性)にたずねると、うん、たしかにもう無理かもしれない、という。ど、どうするのだ? 彼女は、フェニックスに夜遅くついてもホテルはないと思う、明日の朝10時のデンバー便に空きがあるから、今夜はHotel Voucher(利用券)を出してやろう、という。つまり、このロス・アンジェルス空港内のホテルに泊まれということだ。でも、預けたバゲージは? -それはもうtoo lateだから、明日、デンバーで拾ってくれ、サンキュー。

ホテルについたのは9時過ぎである。二人とも疲れきっていたから、簡単な夕食を食べてすぐに眠った。

翌朝、またセキュリティの列を通ってUS Airwaysのゲートにいく。10時のデンバー便を待っていたら、何と! 9時40分になってから、「この便はキャンセルされました」とアナウンスがある。神はまだこの上、試練を与え給うのか。カウンターの係員の女性は、居並ぶ怒った乗客に小さな紙切れを渡していく。紙切れには、無料通話のコールセンターの番号が書いてある。ここに電話して、代わりの便を探してくれ、という。

何たる不親切か、と一瞬腹が立った。が、考えてみるとある意味、合理的な対応ではある。客は100人以上いる。ゲートの端末は2台程度だ。これでは待つだけで何時間もかかるだろう。全米相手の予約センターの方がずっと係員は多い。まわりを見渡すとみんな携帯電話にかじりついている。しかたなく無骨なアメリカの公衆電話をみつけて、予約センターを呼び出す。そして、騒がしく聞き取りにくい環境の中、20分以上の問答をへて、ようやく午後3時のUnited Airlineの便を予約してくれた。わたし達がその便でデンバーについたのは夕方の6時だった。ロス・アンジェルスからデンバーまで、都合、30時間以上かかった訳だ。

デンバーの空港ビルは新しくて美しい。そして、とても幸いな事に、Fさんの荷物はきちんと見つかった。見つけるまでに、アメリカン航空とUS Airwaysとユナイテッド航空と3箇所をまわらなければいけなかったが、とにかくちゃんとあったのだ。

ホテルに向かうタクシーの中で、つくづく思った。本当にひどい遅延だった。打合せ相手の企業にも迷惑をかけた。しかし、どの航空会社のどの係員も、自分がするべきことだけはきちんと果たした。けっしてにこやかでもない。謝りもしない。英語は早口で、態度はがさつで、施設はしばしば古くて汚れている。しかしシステムができあがっており、それはどれも機能するのだ。ファンクショナルであること、これが第一優先され、そして途中のプロセスはともあれ、結果だけはきちんと出る。わたしは数多くの先進国・新興国を歩いてきたが、米国のこの点だけは尊敬していいと思っている。

航空産業はサービス業である。サービス業というのは、つらい仕事だ。飛行機は、時間通りに飛んで当たり前。荷物は出てきて当たり前。その「当たり前」の期待から外れた時だけは、ひどく文句を言われる。とくに航空産業がむずかしいのは、天候という変わりやすい、予測の難しい外部要因に直接、左右されることだ。つまり、リスクの高いサービス業なのである。飛行機のリスクというと、普通の人はみな、墜落事故を思うだろう。マレーシア航空の便がミステリアスな失踪をとげた後だから、なおさらだ。しかし、航空産業の本当のリスクは、悪天候や機材のちょっとした故障にある。「稀に起こる危機」ではなく「ありふれたトラブル」の方が問題なのだ。なぜなら、飛行機というのは多数の便が接続し合いながら、全体で巨大なネットワーク・システムをつくっている。どこか一か所でトラブルが起きると、あっというまに遅延が伝播していくのだ。

わたしは、航空会社のサービスの質を決めるのは、第一に、その会社が作り上げた「システム」の信頼性であり、第二に、地上職員の質であると思う。便が故障なく当たり前に飛ぶこと、預けた荷物がちゃんと目的地で見つかること。それが最低限の条件である。だが、リスクの高いサービス業では、その当たり前がときどき働かなくなる。そのときに、地上職員がいかに機転を利かせることができるか。それが、顧客から見た重要な評価ファクターなのである。いったん飛行機に乗り込んでしまえば、あとは食って寝るだけだ。機内食が美味しいかとか、アテンダントが美人かどうかなどというのは、本当に順位の低い評価項目なのだ。だが、システムとかリスクとかをよく理解していない人は、サービス業というのを平常の接客レベルだけで判断しがちである。

あれはエル・パソの空港だったろうか。10年以上前のことだが、悪天候のために乗っていた便が緊急着陸してしまった。空港建物の中で、わたしは、他の乗客20人ほどと一緒に、目的地にいく次の便のゲートに急いだ。しかしあいにく、次の便には空席が10席しかないことがわかった。ゲート前の、恰幅のいい中年女性の係員は、われわれ20人の乗客から、10人をどういう基準で選ぶのか。わたしは幸いにも、国際便への乗り継ぎがあるという理由で乗せてもらえることになった。他にも乗継便のある客を優先した。

あとは? わたしは彼女の采配に注目した。とても難しい判断である。全員に権利があるのだ。彼女は、大量の機内持ち込み荷物をもつ男性客たちを退けて、スペースの効率を考えながら乗客を瞬時に選んでいった。はずされた乗客は文句を言ったが、彼女は決してゆるがない。わたしは内心、舌を巻いた。この時の航空会社はContinentalだったが、機体も古く、食事もたいしたことのない同社が、全米の顧客満足度の第一位に当時なっていた理由を、わたしは心底納得したのである。

<関連エントリ>
 →「JALに乗るおじさんの日記 - あるいは、サービスの質を考える」 (2010/02/27)
 →「ANAに乗るおじさんの日記」 (2001/7/23)
 →「休めない人々」 (2011/03/12)

Pushで標準化し、Pullで差別化する (2014/03/04)

包丁で食材を切るとき、わたしは押して切るくせがある。しかし料理番組を見ても、身近な人を見ても、ふつうは包丁を引きながら切るようだ。ちなみに、自分が料理を覚えたのは、3ヶ月ほどアメリカの留学生寮に一人で住んでいたときだった。アメリカ人は、押して切る人が多い。別にそれを見て真似たつもりは全然ないのだが・・でも、日本とアメリカとでは、ちょっとした道具の使い方が正反対なことが意外だった。ノコギリや鉋などでも、日本と西洋では方向が反対である。日本は引いて切るのに、彼らは押して切る。

そのことから、「米国はPush型、日本はPull型だ」などと陳腐な比較文化論を述べるつもりはない。だが、それにしても、セールスのあり方などで日米はずいぶん違うな、と感じることはある。アメリカ人のセールスは、やはりPush〔押し〕が基本である。来日した米国の大手ベンダーのシニア・マネジメントなどと話していると、「我が社の製品はこれほどの市場シェアを持っており、TOP 500企業の内、あの会社もこの会社も使って満足している。」という自信満々の話が続き、「だからお前も、買うのが当然だ」みたいな雰囲気になってくる。余計なお世話だろ、と思うが、こちらが「よく考えさせてくれ」と婉曲話法で言っても、「じゃあ、よく考えてくれ。きっと、導入すべきという結論になるはずだ。」と、こちらの心中を意に介さず、どんどん話を進めてしまう。まあ、そういうビジネス文化なのであろう。

ところで、わが同胞の技術者や営業マンたちはどうか--いや、そんな第三者目線で語るのはやめよう。自分自身はどうなのか? ちょうどその逆である。ちょっと弱気な笑顔で受け答えし、顧客の強引とも思える要求にも、あまりNOと言わない。「NOと言えない日本人」の典型かもしれぬ。ただ、多少弁解するならば、海外ビジネスの現場で行き会う同胞たちも、それほど違うようには見えない。わたし達は、よほど「お客様本位」あるいは「ご無理ごもっとも」のスタンスが骨がらみなのだろうか。まあ、その昔、日本が輸出産業花盛りで「電子立国ニッポン」などと自信満々だった時代には、もっと違っていたのかもしれない。だが、受注ビジネスが取引の主流になりつつある現在、建設業であれ、機械系インフラ輸出であれ、はたまた通信システムであれ、なんだか皆さんずいぶんPull〔受け身〕に見える。

もちろん海外ビジネスの場合、言語の壁や文化の障壁などがあって、あまり自信を持ちにくい点はある。しかし、では、ひるがえって国内ビジネスの現場ではどうか。建設、産業機械、物流、SIなど、いわゆる受注産業の人々は、やはりけっこうPull型スタンスが多いように思われれる。

受け身といっても、消極的という意味では、必ずしもない。顧客の出してくるいろいろな高度な要求を、どう技術的に実現するか、との観点で考えているエンジニアは多いはずだ。そこには無論、チャレンジもある。難しい仕様を、きちんと実装できる能力は当然、高く評価されるべきだ。ただ、技術面ではそれで良いとしても、受注価格や納期や契約条件といった、いわゆるコマーシャルな営業条件まで、相手の言いなりでずるずる土俵際まで引いてしまうようだと、ビジネス全体としてはかなりつらいことになる。

いや、技術面でも、Pull型の態度には一つ問題がある。わたしがしばしばそれを感じるのは、たとえばITエンジニアのスタンスがPull型すぎることだ。受託開発のSIer、社内の情報システム部門、いずれの場合も「ユーザからの要求仕様」をどう実現しようかと、必死に知恵を絞る。だが、逆にユーザに対し「こういう機能があるから、こう業務をかえてみたらどうですか」という提案能力をこそ、実はユーザ側も望んでいるのではないか。提案というのは、まさしくPush型の態度である。

自分の経験も、ひとつ書いておこう。エンジニアリング会社につとめているが、もう随分前、わたしがはじめてキーパーソンとして顧客向けの仕事をしたとき、それは新工場建設を前提とした情報系の構築だった。設計フェーズで客先と打合せた際、例によってNOとうまく言えなかったわたしは、新しい追加要望をひきうけて会社に戻った。上司に怒られるだろうな、とは予期していたし、事実叱られたが、叱られる理由は、工数が増えたとか納期が厳しくなった、といったことではなかった。「言われたことを何でも引き受けるな。お前には設計のスタンスというものがないのか!」といって怒られたのだ。

スタンスと言ったって、機能モジュールの構成やDB構造などは、ある意味こちらが勝手に設計したことではないか。それが崩れるからと入って、顧客にNOといえるのか。当時のわたしは、怒られた理由がよく分からなかった。

ここで再び米国のIT企業人の態度を思い起こそう。いささか居丈高だが、ともかく「あなた方ユーザはこうすべきです」という主張に満ちあふれている。それを『ベスト・プラクティス』です、などと売りつける豪腕さも持っている。だから、彼らはパッケージ・ソフトの開発に強い。また米国企業はパッケージ・ソフトの普及も早い。OSやOfficeソフトなどにパッケージを使うのは当然として、いわゆる業務系システムなどにも、かなりパッケージが売られている。パッケージ・ソフトはまさに「Push型」の文化が生み出した製品と言えよう。そして、多少業務に合わないところがあっても、パッケージに業務を合わせる形で使いこなしていく。

ところが、わたしの知る限り、日本ではERPパッケージなどでも、アドオンとカスタマイズがてんこ盛り、というのが普通の事情である。そりゃまあ、伝票の1行を入力するのに数画面を行き来しなければならないようなパッケージは、何か一工夫したくなるのも道理ではある。また、長期手形決済だとか販売完了後の値引きだとか、西洋ではあまり見かけない商慣習を実装する必要も、たしかにあっただろう。しかし、それだけでなく、各ユーザ部門の固有で独特の要求事項、例外処理などもかなり盛り込んで、膨れあがった事例も多いはずだ。そして、それ以上に多いのは、「やはりパッケージはウチの業務には合わないから」ゼロから自社開発するケースではなかったか。個別開発は、まさにPull型スタンスの極致と言うべきだろう。

誤解しないでほしい。わたしはなにも、パッケージ・ソフトが素晴らしくて自社開発がダメだなどと主張しているのではない。米国が何でも良くて、日本は何でも遅れている、などと主張したいのでもない。米国製のパッケージの低品質には、正直、何度も煮え湯を飲まされた。じっさい米国人は、バグはユーザが見つけるべきものだ、と思っている節がある(笑)。以前、JUASの統計を紹介したが、日本のソフトウェアは、見かけは格好良くなくても、とにかくバグは段違いに少ない。

ただ、これはある米国のIT企業の副社長から面と向かって言われたことだが、「ITエンジニアは基本的に自分で作るのが好き」なのである。だから、(予算が許す限り)自分で作りたい。パッケージを買ってきて箱から出すだけ、では仕事をしたという気持ちになれない、のだろう。こうして自社開発や委託開発が増えていくわけだが、当然その行く先は見えている。ユーザ要件に対して、基本的にNOは言わないのだから、システムは膨れるに決まっている。運用も修正改善もどんどん負担は増えるばかり。かくして、高額のIT予算にいきり立ったトップから、ある日ばっさりと切って捨てられることになりかねない。仕事が好きなるが故に、一生懸命努力した結果、自分の仕事の土台を失う結果をもたらすのである。

では、パッケージで、ソフトに仕事を合わせる(Push型)のか、作り込みで、仕事にソフトを合わせる(Pull型)べきなのか。ここまでの書きぶりでお分かりだろうが、わたしはどちらかが正解で他方は間違いだ、という風には考えていない。使い分けなのである。だが、賢い使い分けとはどういうものか?

わたしが学んだ答えは、とても単純である。もし、ある業務が、業界内で共通な仕事、あるいは業界を超えてどこでもほぼ共通な仕事なら、パッケージを利用して標準化すべきである。その方が当然コストが安くなる。たとえば今さら誰もワープロを自社開発しないのは、文書作成がどんな組織でも殆ど共通の作業だからである。

他方、ある業務が、他社にない独自なもので、自社の差別化や競争力強化に大きく貢献しているなら、それは自社で作り込むべきである。よそにはない業務なのだから、第一、パッケージ標準機能にあるはずがない。

パッケージ(Push)で標準化し、作り込み(Pull)で差別化する。これは単純な原則で、誰でも落ちついて考えれば、同じ結論になるだろう。「内示でPushし、かんばんでPullする」トヨタ方式と、ちょっとだけ似ている。

しかし、もちろんこの原則があったとしても、社内の論議は簡単には決着しない。なぜなら、「どの仕事が差別化業務か」を見分けるためには、そもそも「自社の強みは何か」を、客観的に知らなければならないからだ。他社と違うことがすべて差別化ではない。自社の強みにつながらないような独自業務は、たんなる「変な習慣」でしかない。「強み」なのか「因習」なのか。それは、当事者にはじつはなかなか分からないものだ。客観的に見分けるられるのは、第三者的なコンサルタントか、あるいは、いろいろな範囲の業務プロセスを見てきたITエンジニアであるはずだ。

だから、提案能力のある、Push型のITエンジニアがもっと必要だとわたしは考えるのである。かつて上司が言った「設計のスタンス」も、その事を指していたのだと、今になるとようやく分かる。もっと若いうちに、理解しておけばよかった。というわけで、せめてこの拙文を読む人には、分かってほしいのだ。そして、ユーザがへんてこな要求をしたら、“それは設計思想に合いません”と、NOと言えるだけの『Push力』を持ってほしいと願うのである。

社長で会社は決まる、のか? (2014/02/11)

以前から読まれている方はお気づきのことと思うが、このサイトでは個別の会社批評や経営者論は、まったく書かないことにしている。本サイトの記事は、外部からは「経営」とか「ビジネス」に分類されることが多いが、特定の会社や経営者の批評をしない点が、たぶん他との一番の違いかな、と思う。ついでにいうと、ビジネスマンの居酒屋トークでもっとも好まれる話題の一つは、よその経営者批評だろうが、懇親会や飲み会で人と話すときも、その種の話題のときは、わたしはずっと黙って聞き役に回ることにしている。

数ヶ月前、昔からの友人と一緒に飲んだときにも、日本を代表する超有名企業S社の業績不振が話題になった。というのも、彼はその会社に長らく勤めた後で、少し前に辞めたばかりだったからである。抑えた口調だったが、業績悪化の理由は経営者にあった、と彼はいう。かつて自分が勤め、また好きでもあった会社を、外人社長がいかに壊していったか、具体的なエピソードをいくつも交えて語ってくれた。ひどい話だ、聞きながらわたしはそう思った。だが、それでは、その外人が去って、もっとまともな新社長が職につけば、業績は急回復するだろうか?

わたしは、そう思わなかった。高度な技術的ポテンシャルをかかえた同社だが、安定的に業績が回復するまでには、たぶん何年単位もの期間がかかるだろう。ひどい経営者が大企業をこわすのは短期間でできるが、良い経営者が機能する大組織を再生させるのには、長い時間がいる。こわれるのは早いが、作り上げるのには時間がかかる--それが、「システム」というものだからだ。

たぶん、世の多くの経営論者との最大の違いは、(当否は別としても)この「システム感覚」にあるのだと思う。

つい最近も、任天堂を成長させた立役者・山内溥氏の破天荒な人生の話を、ネットで読んだ。元・外資系経営コンサルタントの文章である。山内氏が真に傑出した経営者だったことは、よく分かった。その文章では、山内氏の最大の功績の一つに、3人のすぐれた後継者を見いだして引き上げたことを、あげていた。たしかに、偉大な経営者の一番の問題は、後継者選びだ。そこで失敗する例も、よく耳にする。山内氏はその点で成功し、会社も見事に成長した。賞賛すべきなのだろう。

ただ、読んでいてひっかかった点が一つだけあった。それは、「見いだす」「引き上げる」という言葉の使い方だった。なんだか、会社の成長は、一にも二にも経営者にかかっていて、かつ、経営者の力量は、ほとんど生まれつきの資質で決まっている。だから大事なことは、将来、経営者となるべき人を早く見つけて、ポジションに据えることだ--そう、読めてしまう。いかにも外資系経営コンサルタントらしい言い方ではある。

わたしは任天堂のことは何も知らない。本当に、まったくその通りだったのかもしれない。だが、任天堂のケースを他の事例にも普遍的に適用してもいいのだろうか? その文章の著者を批判しているのではなく、それを読む読者の人々に、ちょっと考えてもらいたいのである。

世の中の経営論にひろく共通するのは、三つのテーゼであるとわたしは考えている。それは、

(1) 社長=経営者は資質で決まる
(2) 会社の業績は社長で決まる
(3) 経営の変化はすぐに業績に表れる

である。だから、会社の成長や失墜を、すぐ経営者個人の資質の問題で説明することになる。居酒屋トークの多くは、これだ。

しかし、わたしの考え方は、ほとんど真逆である。いや、こう言い直そう。中小企業の場合ならば、上記テーゼも、かなり当てはまると思う。従業員数がせいぜい200か300名程度で、各人の顔と名前と資質を経営者がちゃんと覚えて判断できる間は、一人のリーダーシップだけでかなり組織を引っ張ることができよう。

しかし従業員が数千人規模、売上が千億円単位のような大企業になると、もはや、上記はあてはまらない。大組織を動かすのは、経営者個人の判断ではなく、「システム」になるからだ。そのシステムが健全に機能しているか、それとも病に陥っているかで、企業の中期的な業績傾向は決まる。だから、経営者論だけで会社業績を論ずるのは一面的であり、間違っている。

ここで言うシステムとは、もちろんコンピュータ・システムなんかのことではない。システムとは、暗黙または明示的なルール、組織と階層構造、情報伝達系、金銭や資源や報酬の配分方法、外部との契約、などの要素からなるまとまりで、その構成員一人一人の考え方や判断基準を方向づける仕組みのことである。

もともと組織というものは、なんらかのミッションを達成するために生まれたものだ。人がひとりだけでできることには限りがあるから、他者と協働しようというモチベーションが働く。つまり、会社組織というのは本来、目的達成の道具にすぎない。この組織に、ある種のまとまりと目的意識を生み出す仕組みが「システム」なのである。システムの中の構成員は、いちいちトップにお伺いを立てたり、自分であれこれ考えて悩まなくても、与えられた権限と役割の中で、責任を果たせばよい。こうして良いシステムは、組織に有用性と効率と安定性をもたらす。結果として、すぐれた業績を中長期的に生み出す。たとえば『トヨタ生産システム』なんかを思ってみるといい。

ところが、システムは、放置しておくと次第に統合性を失っていく。あるいは、暴君が私利私欲のために乱用するとこわれていく。なぜなら、システムを支えているのは、経営者の指し示す共通目的と、各人が「この組織に貢献すれば、最終的には自分の人生にも益になるはずだ」という協働意識だからである。システムが壊れて共通目的や協働意識が薄くなると、各部門・各組織が、それぞれの存続だけを自己目的とし、自己の報酬を最大化しようとふるまう、いわゆる『局所最適病』に陥る。組織全体は方向感覚も安定性もうしない、荒波にもまれる木の葉のごとく、成果も外界まかせで浮沈が激しくなる。

もちろん、システムを設計するのは経営者の役目である。だが、小さな家でも設計図を書くより建てる方が、ずっと時間がかかる。ましてシステムは、組織一人一人の行動レベルにまで浸透して、はじめて成立する。だから、これを立て直すのはとても時間のかかる作業である。それまでは、業績の浮沈も覚悟しなければならない。

以上の考えを、三つのアンチテーゼにまとめると、次のようになる:

(1) 経営者は大企業を短期間に壊すことはできるが、機能する大組織を短期間に作り上げることは難しい
(2) 中小規模の組織はリーダーの資質やセンスで引っ張ることができる。しかし、大組織を動かしていくのはシステムである。
(3) 短期的な業績は“時の運”に左右されやすい。(無論、「運も社長の実力のうち」と言うことは可能だが、その運が長く持続可能かは、誰にもわからない)

あいにく、システムは目に見えにくい。とくに外部から見抜くのはなかなか難しい。システムは財務諸表のマクロな指標にも、製造現場のミクロな流れからも、簡単にはつかめない。だから、よく知らない企業の経営者批評の話になると、わたしはにこにこしながら黙って目の前の杯を飲み続けるのである。

今年の抱負はこう作ろう (2014/01/03)

新年である。新年というのは、『抱負』の時期である。個人・家族でも、友人でも、あるいは職場でも、集まりがあれば必ず「今年の抱負は」ときかれる。

もう一つ、新年は(少なくとも今年は)就活の時期でもある。就活ではこれまた、しばしば「入社後の抱負」なるものをたずねられ、あるいは書かされる。こうして、新年は抱負が世に満ちて氾濫する季節となる。

それにしても、抱負とはそもそもどういう意味だろうか。なぜ、心高まるはずの語句に、「負け」の文字が入っているのか? ちょっと不思議だ。そこで辞書を引いてみると、『抱負』とは、心にいだく“思い”や“こころざし”のことだ、とある。

じつは、「負」という漢字は元々、人が貝をかかえる形から来たらしい。貝殻は古代、貨幣の代わりであった。だから漢字では、財・貨・資・寶(宝)など、財産に関係する文字の部首に、貝が登場する。負という漢字も、人が何か大事なものを持ったり、かついだりすることを表している(「背負う」という言葉には、まさに負の字が使われる)。「自負」だとか「負荷」だとかもその文脈である。そういえば、「請負」という語にも負が出てくる。「請負という字は、何かわれてくなったらけ、と書く」という古いジョークが建設業にあるが、本来は負うという意味である。ところが古代中国では、この文字の発音が「北」(敗北に表されるように、敗れるの意味)などと共通のため、負けの意味にも使われるようになったらしい。

そして抱の文字は、これも右側の「包」が胎児をおなかの内にかかえている形をあらわす。というわけで、抱負というのは大事なものごとを自分のうちにかかえること、さらには心の内に抱えた思いなどを表すのである。

では、のぞましい抱負の書き方、抱き方とはどんなものだろうか。わたしは、三つの条件があると思う。

いうまでもないが、まず具体性が大事である。たとえば、「今年一年、充実して生きたいと思います」では抱負にならない。聞いている人にピンと来ないからだ。聞いた人の心の中に、成功のイメージが思い浮かぶように表現することが望ましい。

では、たとえば「今年は営業成績が部で一番になりたいです」ではどうか。とりあえず、具体的だ。ま、ありがちな抱負ではある。ところでちょっと考えてみてほしい。新入社員を一同集めて、入社後の抱負をたずねたとする。すると全員が「社長になりたい」といったら、どうだろうか?

新入社員が仮に100人いたとして、その中で望みを叶えられるのは、まあ多くてもただ一人だけである。100人の全員の抱負を実現させることは、事実上、できない。つまり、会社がこの新人全員を応援することは不可能、ということになる。だって実現できないんだから。

いいかえるなら、抱負を述べるときは、周囲の人や上の人がサポートできる抱負、サポートしたくなる内容をいうべきなのだ。ならば、別に社長のポストに限らず、役員だろうが部長職だろうが、限られた枠を大勢であらそうような抱負はふさわしくないことになる。いや、「○○大学合格」や「司法試験突破」だって似たようなものかもしれない。定員数はそれなりに大きい。だが、全員の希望を実現させることはできない。こうした望みはいずれも、他者との競争の結果(すなわち相対評価)で決められる。だとしたら、抱負を考えるにあたっては、順位より能力(絶対評価)を望むべきだろう。

それをもう少し敷衍すると、抱負では地位(Be)より行為(Do)を主軸におくべき、ということになる。「である」事より「する」事を。地位や資格とは結局、なにか行為をできるようになるための前提条件だからである。

二番目に大事なことは、少しだけ背伸びした抱負を持つことだ。「今年は毎日、会社(学校)に通いたいと思います」というのは、(その人が引きこもりや病気だった訳でもない限り)あまり感銘を受けない。誰が聞いても「そりゃ当然、実現可能だわな」と思うような抱負は、役に立たないのである。自分にとって、もう少し難易度の高いところを狙わなくてはならない。

それでは、どれくらいハードルを高く上げるべきなのか? たとえば、成功確率=10割だとまずいのであれば、8割くらいならばいいのか。それとも、成功確率=5割、つまり半々程度で実現できるのが適正なのか。いや、2割ぐらいか。それとも、5%? いっそ、0.1%では?

もちろん、こうしたことに正解はない。ただし、あまり難易度を高く設定しすぎると、本人もすぐ息切れするばかりか、周りの人も白けて応援する気持ちを失うだろう。背伸びした抱負を掲げる理由は、それで「張り」のある過ごし方をしたいからである。だから、「自分がやる気を出し続けられる」程度に設定すべきだ。

そしていうまでもなく、新年の抱負なら、1年の終わりに結果を判定できる(反省できる)よう、明確にすべきだ。抱負をいって、ただ言いっぱなしにしないためである。背伸びした抱負なのだから、ときに、いや、しばしば、実現できずに終わるだろう。だが、どれだけ成功に近づけたのか、何が足りなかったのか、経験から自ら学ぶために、いわば抱負の「決算報告」が必要なのである。

そのためには、傍の人間も成否を判断できるよう、具体的なことがら(できれば数字)を設定するべきだ。「今年は頑張って英会話を勉強します」みたいに、『頑張って』という曖昧な修飾語で表現せず、「今年はTOEIC 650点達成を目指します」とか「英語でも人前でプレゼンできる能力を身につけます」などと表現するほうがはっきりする。

まとめると、「イメージが浮かぶよう具体的に」「少し背伸びして」「成否がはっきり判るかたちで」抱負を考えるべきだろう。そして、考えたら、それを口に出すだけでなく、文字に書いておくことが大事である。たぶんこの『文章化』が一番大事なポイントかもしれない。なぜなら、抱負を持つ最大の理由は、これからの方向性を定めて、見失わないようにしたいからである。

人の気は変わりやすく、世の中の風向きもうつろいがちだ。それでも、風まかせでなく、方角を定めて自力で航海したいなら、目指すべきことを言葉にしてみる。短くていい。長い文章である必要はない(長いと自分も誰も読まない)。箇条書きでいいし、項目数も、三つ前後にまとめる(まちがっても7項目以上にしないこと)。そして、ときどき見直すよう、自分で目立つところにポストすること。

結局、抱負というものは、新年に限らず、どんなチャレンジにも掲げるべきなのだろう。それは、自分が成長するために必要なのである。たとえ何歳になったとしても、新しい年を漫然と暮らさず、成長できる年にするために。・・なんとなく、新年なのでちょっと格好つけて書いてしまったけれど、それがわたしの本心からの願いである。