静かなるブザンソン Besancon

フランス地方都市 点描(4)

シタデル(要塞)からドゥー川を望む

ブザンソンという街の名前を知ったのは、ずいぶん昔のことだ。夭折した伝説のピアニスト、ディヌ・リパッティの最後の録音が「ブザンソン音楽祭における告別コンサート」というレコードだった。そのタイトルからおぼえたのだ。そのあと、日本の指揮者・小澤征爾が世界にデビューしたのが、ここブザンソンの音楽祭だったことも知った。だから、ブザンソンという地名は、まず何よりも音楽、それもクラシック音楽に結びついて、記憶に残っていた。

しかしその地に旅行して、現実におり立ってみると、ブザンソンは音楽の都というよりも静寂の街という印象だ。山間の、川にかこまれた静かな街。音と沈黙が互いに測り合えるような、古くからの街。

ブザンソンはフランシュ・コンテ地方の中心地で、フランスの六角形の地図で言うと右辺の真ん中、つまりスイス国境にほど近い場所に位置する。フランス全体はおどろくほどのっぺりした平らな国だが、この地方はアルプスに近い分、それなりに丘陵と山が重なり合って、地球のしわしわを感じさせてくれる。その谷間を、ドゥー川が曲がりながら静かに流れ、ひときわ曲がりくねってΩの文字を描いたような輪の中に、ブザンソンの街がある。

この街のシンボルともいうべき、シタデル(要塞)にのぼると、街全体と、それをとりまく自然が見下ろせる。そして、この地を切り開いて街を作った古代ローマ時代の人々の意図がよく分かる。三方を川でかこまれ、一方は山と丘陵を背にするこの地は、まさに天然の要衝であり、守りに絶好の地なのだ。そして、河川交通の関所としても最適だろう。アルプス地方とフランス中部平野を分かつ、地政学的な要所だ。

フランスではあちこちに砦や城塞が残っていて、みな現在では観光用に開かれている。とりわけ、ブザンソンのシタデル(要塞)は、とても面白く、おすすめだ。何よりも、見下ろす景色が素晴らしい。城塞自体の建築も美しい。中には小さな博物館や動物園まであり、半日は楽しめる。市民が休みの日にお弁当を持ってピクニックにやってくる、そんな場所である。ミシュランがこの城塞に三ツ星をつけるのもよく分かる。

フランシュ・コンテ地方のフランシュとは、自由地方(自治区)というような意味らしい。この地方は中世前期までは独立していたが、10世紀にブルゴーニュ伯領地となる。中世後期はブルゴーニュ公国の一部だった。しかし15世紀にはハプスブルグ家との政略結婚の結果、ドイツの一部になり、しかも(ややこしいことに)スペイン王の支配下に置かれる。フランス王家がブルゴーニュ公国を最終的に乗っ取り、17世紀にブザンソンはフランス領になる。現在のシタデル(城塞)は太陽王ルイ14世のときに完成したものだ。それは近世フランスの中央集権の象徴として、スイスにほど近いこの地方ににらみを利かせたのだろう。

こうした複雑な歴史は、ブザンソンの街の建物にも、少しだけ痕跡を残している。建物の窓には、外側を鉄の格子がラテン的な曲線を描いてカバーしているが、これはスペイン様式の名残なのだ。それと同時に、こうした歴史は、われわれが学校で学ぶ、色塗り地図式の世界史観のゆがみを、ずいぶん修正してくれる。フランス=フランス人=フンラス語=フランス国領土=フランス文化、というような単線の理解の歪みだ。

ブザンソンの旧市街は小さく、端から端まで歩いても、それほど遠いわけではない。中心の通りグランド・リュは、それなりにフランス地方都市の落ち着いた花やかさ(?)を感じさせてくれる。花屋がきれいで、カフェーは人々の笑いや会話に満ちており、ブティックや本屋は大学街らしくお洒落で、パン屋やお菓子屋の店先には美味しそうな色があふれている。ヨーロッパの古い町にある落ち着いた風情がなかなか和む。でも河と森と丘の中に街がある表情はどことなくドイツ風な雰囲気もあったりして、とても不思議だ。

夜は小さなレストランで食べた。前菜はガチョウのコンフィで、メインは、メニューの名前を忘れてしまったが、豚肉を黒っぽいレンティル豆と煮込んだシチュー。これに、なぜか八角を使っているのだ。中華以外でもこの組合せがあり得るとは・・確かに肉の臭みが見事に消えていて、塩味はきつかったけれど、とても軟らかくて美味しかった。脂身は全然ない。デザートはアイスクリームの苺添え。変哲もないこの組合せなのに、苺を甘く煮た中に、なんと粒の黒胡椒が入っているのにびっくり。それがまた不思議なアンサンブルでうまく効いている。

これだけ食べて、コースが79フランだった。グラスワインをつけたって100フランでお釣りが来る。地方料理は本当にいい。夜も暮れてすっかり暗くなった旧市街を宿まで歩きながら、山に囲まれたブザンソンの街の静けさを、しみしみと味わった。