気まぐれ批評集

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[目次]


2016年







★★★ スティーブ・ジョブズ



2016/06/07

機内TVにて。

監督:ダニー・ボイル、脚本:アーロン・ソーキン、編集:エリオット・グレアム、音楽:ダニエル・ペンバートン

出演:マイケル・ファスベンダー(スティーブ・ジョブズ)、ケイト・ウィンスレット(ジョアンナ・ホフマン)、セス・ローゲン(スティーブ・ウォズニアック)、ジェフ・ダニエルズ(ジョン・スカリー)、マイケル・スタールバーグ(アンディ・ハーツフェルド)、パーラ・ヘイニー=ジャーディン(19歳のリサ・ブレナン)、他

2015年アメリカ映画



スティーブ・ジョブズ
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近頃、これほど面白い、引きつける力の強い映画を観たことがない。機内TVの小さな画面で、ほんの試しに選んでみただけだったが、あっという間に引き込まれて一気に見てしまった。



映画の構成はシンプルである。ジョブズの生涯で最も重要な三つの製品発表であった、1984年のMacintosh、 1988年のNeXT、そして1998年のiMacの、プレゼンテーション開始直前のそれぞれ40分間を描く三部構成。登場人物たちもかなり重なっているので、時こそ飛躍はあるが、ほとんど古典演劇の三一致原則のような完成度を感じる。この単純なプロットで、スティーブ・ジョブズの公私にわたる複雑な物語と人格の成熟とを描き切った脚本・編集・そして演出の手腕は見事である。



ジョブズが傑出した人物だったことは多くの人が認めるだろう。だが個人的には自惚れが強く気まぐれで傲慢で独裁的で、しかも非常に傷つきやすい人間だった。自分のボスには到底仰ぎたくないタイプである。Macintoshプロジェクトの生みの親だったジェフ・ラスキンは、「現実歪曲フィールド」という、重力場をもじった造語で彼を形容している。それくらい強引なのだ。Macintoshは結局ジョブズが乗っ取って、マウスとGUIを前提としたコンピュータにしてしまう。



この映画では、シテ役のジョブズに対して、ツレ役のジョアンナ・ホフマンが連れ添って、彼と現実界のインタフェースを引き受ける。このケイト・ウィンスレットの演技はとても良い。ジョアンナは最初のApple時代に「ジョブズにもっと果敢に逆らった社員」賞を二度も受賞した人だ。広報マーケティング担当者として出てくるが、元はラスキンがMac開発チームに雇った人で、彼女がMacintosh
User Interface Guidelineの最初のドラフトを書いたと、映画を見た後で知った。それはさておき彼女が、プレゼン前で極端に興奮するジョブズをなだめ、娘のリサと和解させようとしたり、次々とバックステージを訪れてくるウォズやスカリーらと話させる。この趣向が面白い。



もっとも、プレゼン前40分間という枠組みのため、とにかく皆を楽屋裏に呼び寄せなくてはならず、そこに無理があるとも言える。娘のリサが3回とも見に来ていた、などというのも明らかに脚色だろう。事実を元にした実名フィクションなのだから、その脚色の手腕をほめるべきだが、うっかりすると全て現実にあった話だと誤解する観客も出てくる。そこであえて廊下の壁に連想的な映像を映し出したりして、これはフィクションですと告げる。さすがである。



ビジネスマンとしてのジョブズのキャリアは、失敗続きだった。初期のApple II販売の成功を除くと(開発したのはウォズだ)、Lisaで失敗し、Apple
IIIからも拒絶され、起死回生のMacintoshも高くて遅くて大赤字だった。プレゼン最初の音声デモは、アンディ・ハーツフェルドがメモリを512KBにこっそり増設して、やっと乗り切ったと映画は描いている。



結局彼は自分が呼んだスカリーに逆に追い出され、AppleをクビになってNeXT社を作る。だが肝心の製品Cubeは発表後1年経ってようやく売り出され(つまり未完成のままボストンであのプレゼンをやったのだ)、これも大赤字。しかしNEXTSTEP
OSをAppleが買収する形で、古巣に舞い戻る。そこでも赤字のため首切りリストラを実行し、3度目の起死回生としてiMacを開発する。



iMacの成功によってジョブズは再び時の人となり、その後の快進撃は誰もが知っている。だから映画はその後は描かない。この映画の優れているところは、ジョブズ生涯の最後の成功を、彼の人間としての成熟に結びつけて暗示している点だ。その象徴として、娘のリサが三度にわたり登場する。いったんは親子の認知を拒否し、そのくせ新型コンピュータにはLisaの名前をつけ、しかし母子が経済的に困窮してもたいして面倒を見るわけでもない。



こうした彼の矛盾と弱さは、シリア人男性とアメリカ人女性の間の私生児として生まれ、里子として「返品された」という彼の出生時のトラウマに、そのまま直結している。その「返品」劇は、Appleの臨時役員会で彼が解任される時に、もう一度再演されるのだ。



大人になってから彼が経験する二度目の拒絶=Apple追放は、しかし赤ん坊の時と違って、本人が呼び寄せたものだ。彼があまりにも他人の感情を理解せず、無視したことから生じている。現実歪曲場の中心には、自分の感情だけしか存在しなかったのである。仕事の成果のみが彼の存在証明で、そのくせ、仕事では他人に働いてもらうことが必要だった。



じっさいジョブズほど、シリコンバレーで珍しい経歴の持ち主はいない。彼はエンジニアでも天才プログラマでもなく、MBAあがりのプロの経営者でもない。そうした仕事は彼の仲間だったウォズや、アンディ・ハーツフェルドや、スカリーが受け持ち、また逆の意味で旧敵ビル・ゲイツなどが果たしていたのだ。



では、スティーブ・ジョブズとは何者だったのか。大学も出ておらず、モノも製作できず、審美眼はあるかもしれないが、自分で絵を描いたりデザインをするわけでもなく、大企業の勤務経験もなく、技術も素人だ。こんなキャリアで成功できた人間が、シリコンバレーで他にいただろうか?



ジョブズにできたこと、ジョブズが持っていたこと、そして他の人間に足りないものが、一つだけあった。それは「一貫性」への強い執念である。あらゆる細部にわたって、彼は自分の思想と趣向にこだわった。ハードと、OSと、ソフトと、デザインがすべて首尾一貫していることを、彼は求めた。それがジョブズの製品と、大勢の亜流たちとの決定的な違いだった。そのことは、三回のプレゼンの準備過程にとてもよく現れている。思想の一貫性こそ、ジョブズがいつまでも現役でいられた秘密である。彼に比べるとウォズもスカリーも、いやビル・ゲイツでさえもはや過去の人だ、という印象をわたし達はぬぐえない。



ただし最初のMacも、二度目のNeXTも、一貫性の魅力はあったが、バランスに欠けていた。それが製品としての弱さだった。



iMacこそ、彼の製品がバランスを備えはじめた最初の例だ。それは彼の精神が、試練を経て、中庸を得始めたことの表れであると、描かれている。その証拠に、三度目のプレゼンに望む主演マイケル・ファスベンダーの顔は、実際の映像に残っているまだ中年のジョブズではなく、病気で痩せて哲人の風貌を帯びはじめた晩年のジョブズの顔をしているからだ。これこそ、演出上の最大のトリックであろう。それまで一切、他人の感情に歩み寄ることがなかった彼が、ようやく娘リサへの愛情に動かされて、和解に向けて足を踏み出してゆく。



だからその後、実際にiMacがヒットしたかどうかは、ストーリーとしては本当はどうでもいいことなのだ。彼が他者に愛情を与えることを通して、自分が必要とされていることを確信するところで、映画は終わる。そのことこそ、誰にも共通な、真の成功に向けた一歩だったからである。








2015年







★★★ ラ・パッシオーネ



2015/05/05

朝日ホール「イタリア映画祭」にて



監督:カルロ・マッツァクラーニ 撮影:ルカ・ビガッツィ 出演:シルヴィオ・オーランド、ジョヴァンニ・バッティストン、カジア・スムートニアク、マルコ・メッセリ、マリア・パイアート、ステファニア・サンドレッリ ほか



これは本当に傑作だった。昨年1月に、57歳で亡くなったマッツァクラーニ監督を偲んで、今回のイタリア映画祭で特別に再上映された一本だが、これを再び映画館で見ることができて幸せだった。



もう5年間も新作を作れずにいる映画監督ジャンニは、トスカーナの田舎町に借りて持っている不動産の不始末が原因で、その町で受難劇を演出させられるはめになる。その町では貴族がスポンサーになって、復活祭の前の聖金曜日に、キリストの受難劇を町ぐるみで上演する伝統だった。だがその貴族が亡くなり、長らく続けてきた伝統がピンチに立たされたのだ(携帯の電波さえろくに届かない、この小さな町の女性町長役を、特別出演のステファニア・サンドレッリが好演している)。ところがジャンニは、いまやTVで売り出し中の若い女優のために、3日以内に新作映画のシナリオを書かなくてはならない約束なのだ。窮地に立たされた彼の元に、かつて刑務所で演劇講座を受講した元泥棒のラミロが現れ、受難劇の演出助手を受難劇を買って出ることになるが・・



この映画は、もちろんコメディである。だが、それにもかかわらず、この映画のクライマックスは正真正銘、キリストの受難劇である。マッツァクラーニ監督は、本当に受難劇がやりたかったのだ。助演のジョバンニ・バッティストンもすごくいい。つねにコミカルな悪役を演じる彼を、このような役で使おうとした監督の意図を受け止め、見事に演じきっている。シナリオも完璧だ。シーンの一つひとつにムダがなく、敢然一体となってコメディとドラマを作り上げている。言葉によるムダな説明を排し、俳優の表情のアップや、窓越しに見える影絵だけで、いろいろな事を伝えてくれるのは、まるで映画の手本であろう。



そしてルカ・ビガッツィの魔術的な映像美は、驚嘆に値する。彼は暗がりの中に光が差すような、コントラストの強い、いわばカラヴァッジョ的な構図の絵を撮らせたら天下一品である。また合間に入る空想的な雪のノルウェーの、清潔だが絶望感にあふれたシーン。受難劇で町民が着るコスチュームも、素晴らしい。音楽も美しい。



わたしがこれまでイタリア映画祭で見てきた数々の作品の中でも、これは三本の指に入る素晴らしい映画である。カルロ・マッツァクラーニ監督は生前、1本も日本で一般公開された作品がないらしいが、このような傑作が、このままライブラリーにしまわれてしまうのは、あまりにも惜しい。この作品の良さは、映画館の大きなスクリーンで観て、はじめて十分に味わえる種類のものだ。ぜひ、より多くの人が観られるようになることを望む。







 ★★ 幸せの椅子



2015/05/05

朝日ホール「イタリア映画祭」にて



監督:カルロ・マッツァクラーニ 撮影:ルカ・ビガッツィ 出演:ヴァレリオ・マスタンドレア、イザベッラ・ラゴネーゼ、ジュゼッペ・バッティストン ほか



マッツァクラーニ監督の遺作。ベネチアの監獄で、エステティシャンの女性ブルーナが偶然、ある女囚の末期の遺言を聞く。自分の家の椅子の中に、財宝を隠してあるというのだ。恋人には裏切られ、不況のため自分のサロンが不振で借金取りに責め立てられる毎日を過ごす彼女は、その椅子を探して財を得ることで、幸せになろうと決心する。彼女は向かい側に店を出す入れ墨の彫り師ディーノの助けを得て、失われた8脚の椅子の行方を追うのだが、同じ遺言を聞きつけた監獄付きの神父も、彼らを出し抜こうと椅子の後を追うのだった・・



これもコメディだが、話がどこに行くのかちょっと分からない感じがある。ただ、最後に主人公たちが、雪の残る高い山頂目指してロバの背に乗って歩いていくシーンは、どこか、監督自身の生命の姿に重なるものがある。ルカ・ビガッツィの撮影は、映画によってはときにやりすぎに感じられることもあるが、この映画では抑制がきいており、しかも自然の美を出していて、とても良い。









 ★★ 僕たちの大地



2015/05/05

朝日ホール「イタリア映画祭」にて



監督・脚本:ジュリオ・マンフレドニア 撮影:マルチェッロ・モンタルシ 音楽:マウロ・パガーニ 出演:ステファノ・アッコルシ、セルジョ・ルビーニ、マリア・ロザリア・ルッソ、イアイア・フォルテ、トンマーゾ・ラーニョ ほか



イタリアでは1996年、第109法令が成立し、犯罪組織から押収した財産を、公共的活動を行う団体に払い下げることができるようになった(ただしこの法案成立に尽力した議員は2年後にマフィアに暗殺される)。この映画はその法令によって生まれた、ある実話に基づくコメディ仕立ての作品である。



舞台は南イタリアのある地方。マフィアから没収した土地を、土地の若い女性が協同組合を作ってもらい下げ、耕そうとする。そこに北部の活動家フィリッポが支援にやってくる。だが彼は、農業のノの字も知らない。ほかに有機農法を夢見る中年女性アッズッラや、地域の半端ものや素人たちが集まって手伝おうとする。唯一、野菜やブドウの育て方を知っているのは、マフィアの小作人コジモだけであった。しかし、最初の収穫の喜びもつかの間、目に見えぬ嫌がらせのさなかに、裁判中だったはずのマフィアのボスが戻ってくる・・



マンフレドニア監督は2008年の作品『人生、ここにあり』でも、自閉症者による協同組合の話をとっており、なかなか傑作だった。本作品もいい話なのだが、シナリオがちょっとだけゆるい。笑いの場面と、マフィアがらみの脅しによる緊迫の場面との、緩急対比がもっときいていたら、ずっと良い映画になっていたと思う。でも出演する役者たちは、なかなか良い。気の強い女性ロッサーナを演じるマリア・ロザリア・ルッソも素敵だが、トンマーゾ・ラーニョのマフィアも、いかにも町の名士らしく、憎たらしい。とりわけ、敵か味方かわからぬ小作人コジモ(セルジョ・ルビーニ)が、いい味を出している。



ところで、エンディングロールを見ていて、音楽にマウロ・パガーニの名を見つけて驚いた。こんな映画音楽の仕事をしていたとは! ‘70年代のPFMというロックバンドの名前を覚えている人ももう少ないと思うが、彼はこのバンドのメンバーだった。その後ソロになり、いかにも地中海音楽的なテイストのアルバムを出したりしていた。クラシック、古楽、ジャズ、民族音楽と、はば広いジャンルのクロスオーバー的な冴えを見せる芸達者な人だったが、ともあれ久しぶりに彼の名前を見つけて、とてもうれしかった。









★★★ 人間の値打ち



2015/05/04

朝日ホール「イタリア映画祭」にて



監督・脚本:パオロ・ヴィルズィ 撮影:ジェローム・アルメラ 出演:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ファブリツィオ・ベンティヴォッリョ、ヴァレリア・ゴリーノ、ファブリツィオ・ジフーニ、マティルデ・ジョーリ ほか



これは傑作だった。シナリオがいいし、キャスティングも上等、緊張感もあって観客を最後まで引き込む。素晴らしい出来である。アカデミー賞外国語映画賞のイタリア代表作に選ばれ、ドナテッロ賞をはじめ世界で数多く受賞したのもよく分かる。



タイトルの『人間の値打ち』Il capitale umanoは、英語でhuman capital(人的資本)、すなわち保険用語で死亡事故に払う「人の値段」のことを指す。映画の冒頭、自転車に乗った人物が、不運な事故にあい、道端に転落する。この事故をめぐって、三つの家族の命運が交差する。ひとつは地元の不動産仲介業者ディーノと、彼の後妻と、高校生の娘セレーナ(彼女名義で失踪した母から受け継いだ資産を持っている)の三人家族。二番目は山上に巨大な邸宅を構えるベルナスキ(貴族の末裔で投資ファンドを経営する)と、妻で元舞台女優のカルラ、そしてセレーナと高校で同級の息子の三人家族である。三番目は、大麻不法所持の濡れ衣をかぶって学校からつまはじきにされている孤児ルカと、彼の面倒を見ているアル中の叔父だ。



上流、中流、そして下層階級の三つの目から、同一の事故シーンと顛末をふりかえり、次第にその真相が明らかになっていく。ここは非常に映画的であり、見事だ。ちょっとだけ米国映画『エレファント』をも思わせるのは、親世代を中心としたドラマと思わせながら、問題の焦点が高校生の子ども世代にあるからだろう。とくに微妙に揺れ動く女子高生セレーナ役を、マティルデ・ジョーリが好演している。



それにしても出てくる男がほとんど皆、感情移入できない奴ばかりであるのは、どういうことだろうか。不況の中、騙しと我欲とかけひきで生きのびるしかない、イタリア社会の暗示なのだろうか。ともあれ、最初から最後まで、息をつぐ暇もなく謎に満ちたストーリー運びは見事である。見て得した気持ちになる映画だった。









★★★ いつだってやめられる



2015/05/04

朝日ホール「イタリア映画祭」にて



監督・脚本:シドニー・シビリア 撮影:ヴラダン・ラドヴィッチ 出演:エドアルド・レオ、ヴァレリア・ソラリーノ、ヴァレリオ・アブレア、パオロ・カラブレージ ほか



イタリア映画祭で2本目に観たのがこれ。1本目が良くできたコメディだったので、比較してどうかなと思ったのだが、さらにアップテンポで上質のコメディだったから恐れ入った。これが初監督作品という若手シドニー・シビリアも、大した才能である。イタリアでスマッシュ・ヒットとなったのもよく分かる。



優秀な神経生理学者でありながら、ポスドクとして大学の不安定な地位で生活している主人公ピエトロは、予算カットのあおりを食って、ある日突然職を失う。しかし同棲中の恋人ジュリア(麻薬中毒患者相手のセラピストの仕事をしている)に打ち明けられない彼は、自分の知識を使い、合法ドラッグを作って売りさばくことを思いつく。彼が声をかける仲間は、中華料理屋の皿洗いで暮らす化学者アルベルトをはじめ、ポーカー賭博で一山当てようとする数理経済学者、ガソリン・スタンドの夜勤で働くラテン語学者二人組、道路工事監督の考古学者など、いずれも知識と頭脳を誇りながら不遇な研究者たちだった。彼らが合成したドラッグは高い品質で一気に売れていく。ピエトロはそれでも、やばくなったらいつでもやめられると思っているが、ある日彼らは、麻薬マフィアのボス・ムラーノの縄張りに触れてしまうのだった・・



不遇な研究者達がギャング団を結成する話で、大学の非常勤講師である自分もつい思わず引き込まれて見てしまったが、コメディとしてのテンポが軽快で大いに笑えた。オチの付け方も見事である。それにしても、コメディ『生きていてすみません』も本作も、その本質的な主題は、不況と就職難である。いやはや、イタリア経済も病気だな。しかし、それを笑い飛ばせるところがイタリアの健康さだが。











★★★ 生きていてすみません



2015/05/04

朝日ホール「イタリア映画祭」にて



監督:リッカルド・ミラーニ 撮影:サヴェリオ・グアルナ 出演:パオラ・コルテッレージ、ラウル・ボヴァ、コッラード・フォルトゥナ、ステファニア・ロッカ ほか



今年のイタリア映画祭で観た最初の1本がこれ。才能に恵まれ、若くから海外で活躍していた女性建築家セレーナが母国に帰国する。しかし彼女を待っていたのは不況による極度の就職難と、男社会の伝統だった。レストランでアルバイトをしながら苦心惨憺しつつ、ある巨大集合住宅のリノベーション・プロジェクト案を応募し、見事に当選する。しかし、それは男性の作品と間違えられてのことだった。しかたなく、ゲイの友人フランチェスコに、日本へ長期出張中の建築家に扮してもらい、彼女はその助手という設定で、なんとか設計作業を続行するが・・



女性建築家の奮闘を描いたコメディで、とても楽しい。この作品では主人公のセレーナも友人フランチェスコも自分を隠して生きている。そればかりか、気がつくとほとんどの人間が、小さな嘘をつきながら生きているのだ。そうでないのは、裸の王様じみた大御所建築家のみである。だからタイトル『生きていてすみません』Scusate
se esisto! の意味はむしろ、「こんな私ですみません」なのだろうと思う。



カメラ、コマ割りは的確で、余計な言葉の説明なしで観客に状況を伝え、しかも笑いを誘う。主演のパオラ・コルテッレージは脚本にも協力し、歌もうまいし、非常に芸達者な女優である。男尊女卑的な大御所建築家の秘書を演じるステファニア・ロッカの演技も渋くてとても良い。見て良かった映画である。









2014年







★★★ ようこそ、大統領!

2014/05/03

朝日ホール「イタリア映画祭2014」にて。



監督:リッカルド・ミラーニ 撮影:サヴェリオ・グアルナ 出演:クラウディオ・ビジオ、カシャ・スムトニャク、オメロ・アントヌッティ他



今年のイタリア映画祭は、なかなか良い作品が多かったと思う。この映画も、上出来のイタリア式喜劇であり、大いに笑えた。政治を扱いながら、お腹の底から大いに笑える映画が、昨今どれだけあるだろうか?



イタリアでは首相が政治の実権を握るが、元首として大統領職がある。それは議会の投票で決まるのだが、主要会派の妥協がつかないため、多くの議員は棄権する代わりに、19世紀半ばのイタリア統一の英雄である故「ジュゼッペ・ガリバルディ」の名前を書いて投票する。ところが、これが一位になってしまい、しかたなくその名前をもつ国民を捜すと、北イタリアの山間の村に住む図書館員(クラウディオ・ビジオ)一人だけだと分かる。結果として田舎者の彼が、突如としてイタリア共和国大統領に就寝するのだが、老獪な政治ボスたちは一致団結して彼を排除する工作をはじめる・・



この作品の可笑しさは、役者クラウディオ・ビジオの演技に負うところも大きい。しかし何より、近年のイタリア政界の醜悪なごたごたに、いかに国民が絶望しているかを、逆に表しているとも言えよう。ただ、その政治の醜悪さは、国民のずるさを反映している、との視点も、この映画は忘れていない。最後の、クラウディオ・ビジオの大統領演説は、チャップリンのかつての名作「独裁者」の最後の演説を、ちょっぴり思い出させるくらい、感動的だ。そしてもちろん、皮肉の効いたハッピー・エンド。いかにも楽しい、喜劇らしい喜劇映画である。











★★★ 多様な目

2014/04/29

朝日ホール「イタリア映画祭2014」にて。



監督:シルヴィオ・ソルディーニ 撮影:ラミロ・チヴィタ 音楽:ルカ・カゼッラ

出演:

理学療法士 エンリコ・ソージオ

鉄工所経営者 ジョヴァンニ・ボジオ

音楽学生 ジェンマ・ベドリーニ

音楽家 ルカ・カゼッラ

彫刻家 フェリーチェ・タッリャフェッリ

身障者支援ITコンサルタント ピエロ・ビアンコ ほか



イタリアの視覚障害者たちの多彩な人生をえがいた、驚嘆すべきドキュメンタリー映画。彫刻、音楽、理学療法から、趣味のヨット、スキー、アーチェリー、写真(!)まで、驚くべき数々にチャレンジし続ける視覚障害者たちの生き方を、「感動物語」をあえて避けつつ、淡々と、でも詩的に描く秀作である。



わたしは学生時代に、点訳ボランティアサークルにかかわっていたので多少知っているが、視力を失った人びとの日常生活には、さまざまな困難が横たわっている。この映画でも、時折、数十秒から1分程度だが、画面を真っ暗にして、ただ周囲の音声だけを流し、電車の乗り換えや、道路を渡るときなどの状況を観客が追体験できるようにしている。



とはいえ、ITの進歩は、視覚障がい者の情報支援を向上させてきたことも事実だ。映画の中では、点筆と点字板や、古くて重たい点字タイプライターも出てきたが、WindowsやiPhoneなどの読み上げ機能を利用して使いこなす姿も写される。



何よりも、この映画を観てあらためて気づいたのは、年齢がいくつになり、どんな境遇になっても、「それまでできなかったことが、できるようになる」=『成長』こそが、人間にとって最も喜ばしいことだ、という真実であった。それを気づかせてくれるだけでも、この映画は多くの人に見てもらう価値がある。



できれば、字幕ではなく、(視覚障害者も聴けるような)音声による日本語吹き替えをつけて、全国で上映可能なDVDにしてくれることを切望する。











★★★ 初雪

2014/04/28

朝日ホール「イタリア映画祭2014」にて。



監督:アンドレア・セグレ 撮影:ルカ・ビガッツィ 出演:ジャン=クリストフ・フォリー、マッテオ・マルケル、アニタ・カプリオーリ他



リビア内戦のために住みなれた地を脱出し、ボート・ピープルとして地中海対岸のイタリアにたどりついたアフリカ系の難民は1万人に及んだ。彼らを一箇所に収容しきれないため、イタリア政府は、全国各地に分散させた。難民認定までの暫定的な期間は、移動の自由もなく、定職にも就けず、わずかな配給で暮らさなければならない。



この映画は、北イタリアの山地にある寒村に移された、トーゴ出身の若い父ダニーの物語だ。彼は妻と一緒に逃れたのだが、妊娠中の妻は逃避行の途上で女の子を産み、亡くなってしまう。小さな娘の顔を見るたびに、妻を死なせた自分を責めずにいられない彼だが、山に暮らす男の子、その祖父、そしてその母との交流の中で、すこしずつ自分の感情をとりもどしていく。しかし、そもそも住民にもろくに仕事がない寒村で、難民認定を受けてどうすべきか。我が子を捨ててパリなどの大都市に行くのか(リビアなど旧フランス語圏の出身者はパリに、英語圏出身者はロンドンやドイツをめざすものが多いが、もちろん大都市が彼らを歓迎してくれるわけではない)?



もともとリビア内戦は、EUが関与してもたらしたのだが、その負の結果が、難民の苦難の形で、欧州自身にはね返っている。この映画は、しかし、そうした政治的なことではなく、故郷を離れ、家族を失って、かつ生きていかねばならない人間の孤独と困難の普遍性を描いている。スイス国境近く、ほとんどドイツ語に近いイタリア語方言を話す人びとの素朴な暮らし(少年を含む殆どの出演者は地元の人だ)と、その自然の美しさは、胸を打つ。アフリカ系フランス人の主演ジャン=クリストフ・フォリーの演技もいい。また、ルカ・ビガッツィの撮影する、ほとんど魔術的な美しさは感動的である。











★★★ いとしきエブリデイ

2014/01/04

新百合ヶ丘 アルテリオシネマにて。



監督:マイケル・ウィンターボトム、出演:シャーリー・ヘンダーソン(カレン)、ジョン・シム(イアン)、 ショーン・カークほかカーク家の4兄弟



原題はEveryday。とても素晴らしい。何か大げさな事が起きる訳ではないが、しみじみと心に染みる映画だった。5年間かけて、ある家族の年月を描く。冒頭、母が子ども達を連れてロンドンまで行く。建物の入口で、刑務所に収監されている父に会いにきたことが説明抜きで観客に分かる。子どもが面会ホールの父親に駆け寄るシーンの撮影が素晴らしい。父の長い不在を耐えつつ、4人の小さな子ども達が、本当に少しずつ成長していく姿を追って、まるでドキュメンタリーのような味わいがある。マイケル・ナイマンの音楽も文句無しに美しい。









2013年







★★★ サラエボ、希望の街角

2013/10/25

BS録画にて。

監督:ヤスミラ・ジュバニッチ、出演:ズリンカ・ツヴィテシッチ(ルナ)、レオン・ルチェフ(アマル)、エルミン・ブラヴォ(バフリヤ)ほか



昨年秋、縁があってクロアチアに行った。旧ユーゴスラビアは初めてだ。ユーゴ崩壊後の内戦から20年あまり。街はもちろん復興していたが、それでも塔の上から家々の瓦を見下ろすと、新旧まだら模様の色の違いに、砲撃戦の傷跡をうかがうことができた。



サラエボはその隣、ボスニア・ヘルツェゴビナの古い首都だ。ここはクロアチア系とセルビア系とイスラム系の三民族が相争った場所でもある(三つの民族と行っても、言葉は事実上同じだし、風俗も習慣も文化も共通していて、外見ではほとんど分からない)。この映画は、その街で暮らすルナとアマルの男女二人の、すれ違っていく生活を描いていく。ルナは飛行機のキャビン・アテンダントとして働いている。パートナーの男性アマルは管制塔の職員だが、勤務中の飲酒をとがめられて職を解かれる。アル中になりかけているのだ。それだけなら、欧州ならどこにもありそうな、ありふれた話である。しかし、彼はかつて内戦の時には国軍の勇士であった。



物語が進む内に、しだいに彼らは二人ともイスラム系であることが判ってくる。そして、アマルはかつての戦友に再会することで、そのすすめに従って街から遠く離れた湖畔のキャンプで働くことになる。そのキャンプは、じつは超保守派のイスラム教徒の共同生活キャンプであった。男女は別に暮らし、女性は(中東で見かけるような)黒い衣で全身を覆っている。そして彼も次第に影響されるようになる・・。一方、ルナの方は、祖母を訪れて面倒を見ているのだが、かつて内戦で故郷の家を追われ、両親も殺されたことが会話を通して観客にも分かってくる。そして、彼女はかつて自分が子ども時代に暮らしたその家をもう一度、一目見たいと願って、今は一応平和な故郷の地に向かうのだが・・。



この映画の主要な魅力は、ルナを演じるズリンカ・ツヴィテシッチの、女優としての美しさにある。ジュバニッチ監督は、それを控えめな演出で見事に写し取ってくれた。



それにしても、ボスニアとはなんと難しい社会だろうか。国を三つに分断した内戦から10年たち、20年たっても、まだ人々はその傷に苦しんでいるのだ。そして、近親憎悪にも似た感情を互いに抱えつつ、共存を図らなくてはいけない。自分のアイデンティティ、自尊感情の根拠は、出自の氏族であり地域であり、宗教である。だが長き共産主義の時代をくぐり、今は工業化した社会で、宗教だけに純粋に頼るのも難しい。



この映画の原題は「途上にて」。そして、登場人物達は、誰もが何かを探している途上にある。それは内戦を経て失ってしまった何かなのだ。主人公の男性アマルが最初アル中だったのも、その代わりに復古主義的な宗教に頼るのも、何かをずっと探しているからだ。彼は最初、自分自身を許せずにおり、キャンプから戻ってからは他人を許せなくなっている。そのことがパートナーとの溝をつくる原因であるにもかかわらず。ルナの方は、ずっと不妊の治療を受けているが、これもまた自分にとっての探し物であった。子供たちを殺された祖母も、宗教キャンプに誘うかつての戦友も(彼がモスクで唄うボスニアの古い歌は本当に美しい)、皆が探し物の途上なのだ。だから、これを「サラエボ、希望の街」と訳した配給会社は、ある意味でとても偉いと思う。









★★★ 風立ちぬ

2013/09/08

横浜World Porters イオンシネマにて



スーパーの中で荒井由美の「ひこうき雲」が流れていた。宮崎駿の映画『風立ちぬ』の主題歌(エンディング・テーマ)として使われているからだろう。1973年、今かちょうど40年前の曲である。



若い頃の荒井由美は歌詞がとてもうまい。説明的なことはすべて省いて、それでも聴いている者にはその情景が思い浮かぶ。そういう詩的な才がある。「白い坂道が 空まで続いていた ゆらゆら陽炎が あの子をつつむ」ではじまるこの歌は、とても静かな曲である。歌詞のキーは、“他の人には分からない”
だ。「分からない」という言葉だけは2回繰り返され、「・・けれど、幸せ」とつづく。



この曲は、他人には分からない、孤独な世界で、それでも幸せという感情を唄っている。それは、「みなが分かり合い、みんな一緒に幸せになれる」と信じていた’67年~’71年までの、若者の反抗の時代が終わった後につくられた、心の歌だ。いかにも、宮崎駿の最後の映画にふさわしい幕切れではないか。



『風立ちぬ』を映画館で見てきた。いろいろな意見や感想があるが、わたしは楽しんだ。少なくとも、映画館でロードショウの代金を払って見るには値する。ゼロ戦の設計者が主人公の、実話に基づく映画ということで、大画面にたくさんゼロ戦が飛び交う、飛翔感あふれるシーンを期待して見に行った人たちは、たしかにがっかりしたろう。ゼロ戦はほんのちょっぴりしか出てこない。かわりに、中盤かなり長々と、主人公と、結婚相手となるヒロインとの話が続く。宮崎駿って、夫婦の物語を描きたかったのかあ。そう思って、ちょっと驚いた。



おまけに、この映画には飛行機自体はたくさん出てくるが、飛翔感はきわめて乏しい。ほとんどのシーンは仰角で、地上から見上げているからだ。いや、普通の人物のシーンでさえ、宮崎映画では異例なほど、仰角による下からのアングルが多い。映画評論家の佐藤忠男の本で読んだが、上から人々を見下ろすアングルは神の視点をあらわし、仰角で見上げるアングルは、押し迫る運命に雄々しく立ち上がる人を描くときに、つかわれることが多いらしい。



若い頃の宮崎映画は、意に染まぬ相手を強いられ、耐える女の子を描いてきた。「カリオストロ」しかり、「ラピュタ」しかり。この映画でも、結核という不治の病に苦しむ女性をえがいてはいる。だが、それでも思いを遂げて、大好きな主人公と結ばれる。そこが、大事な点だ。宮崎駿自身は70才をこえた今でも毎日、愛妻弁当をもって仕事場に行くのだそうだが、ようやっと、夫婦の話をかく気持ちになったのかもしれない。



この映画を面白いと感じたもう一つの大きな理由は、機械エンジニアが主人公になっている点だ。現代のドラマや劇や映画で、エンジニアが主人公のものがどれだけあるだろうか? エンジニアはとっくの昔に、「かっこいい」職業から脱落してしまったのだ。しかしこの映画では、そのエンジニアの生活、夢、悩み、組織などが語られていく。アイデアのひらめき、計算の忍耐力、配下の作業者達を引っ張る力、そして、こいつにならば賭けてみようと上司や顧客や投資家に思わせる説得力。こうしたものが、優秀なエンジニアの特質だ。とくに航空工学は、構造と機能を「形」で橋渡ししなければならない。このため、建築や土木などと並んで、デザイナーという職業にむしろ共通な点が多い。ここに、この物語の最大のポイントがある。



宮崎駿の引退記者会見を読むと、この人は自分を何よりアニメーターとして任じていることが分かる(http://news.mynavi.jp/articles/2013/09/07/miyazaki/index.html)。アニメーション監督にはいろいろなスタイルがある。同僚の高畑勲監督は演出をやりたくてこの世界に入った人だが、自分は絵を描くことが原点にある。そういう意味のことをいっている。原作・脚本・監督を兼ねる宮崎という人は、ストーリーの結末がどうなるか自分でも知らないまま、映画を作っていくらしい。そして絵コンテを自分で描きながら、1シーン1シーン考えてつないでいく。この映画の中で、三菱内燃機に就職したばかりの主人公二郎に対し、上司が「すぐ製図台に向かって図面を書いてくれ」と命じ、その後ろから「出図が足りなくて製作班の手が止まりそうです」と声がかかるシーンがあるが、これはまさにジブリの中で、宮崎の絵コンテをめぐって起きている騒動の戯画なのだろう。



アニメーターは単純な職業で、今日は風をうまく表現できた、光の反射がうまく描けた、それだけで2~3日は幸せになれるのがアニメーターだとも彼は言っている。じっさい、この映画は、ありとあらゆる種類の風の表現に満ちている。草むらを分けて吹いてゆく風、帽子や傘を飛ばす風、紙ひこうきの風の揺らめき・・。ちょうど前作「崖の上のポニョ」が、水の表現の集大成だったのと好対照だ。



そして、人々がまだしも穏やかだった時代の、礼儀を含むゆったりした時間の流れ。これをアニメーションで描けるのは、もう宮崎という人の他にはいなくなってしまった。だからこそ、結末に向けた求心力の強いストーリーではなく、エピソードを淡々と重ねていくスタイルが似合っているのだろう。



「夢は狂気をはらむ。美に傾く代償は少なくない」と企画書の中で、彼は書く。それを知りながら、なおかつ最高の設計、最良の表現を求めて、主人公もヒロインも(そして作者も)駆け抜けた。だから、どんな結末になろうとも、この映画は「けれど、幸せ」と歌って消えていくのかもしれない。まさに、ひこうき雲のように。







2012年







★★★ ぼくたちのムッシュ・ラザール

2012/11/23

新百合ヶ丘アルテリオシネマ(川崎市アートセンター)にて。



監督:フィリップ・ファラルドー、原作戯曲:エヴリン・ドゥ・ラ・シェネリエール、出演:フェラグ、ソフィー・ネリッセ、エミリアン・ネロン、ブリジット・プパール他

2011年 カナダ映画(第84回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート)



カナダ・ケベック州の映画を観る機会は珍しい(ケベックなので会話は全部フランス語である)。主演男優がアルジェリア人というのは、さらに珍しい。しかし、雪の季節の小さな小学校における数週間を描いたこの映画は、とても清冽な印象を見るものの心に残す。

ストーリーはある朝、小学校の女教師が、教室で首をつって死んでいるのを発見されるシーンではじまる。最初の目撃者はシモンという男の子と、アリスという女の子。その出来事は二人に、そしてまたクラス全員の心に、大きな衝撃と傷跡を残す。教師の自殺事件を、事なかれ主義の学校側は、心理カウンセラーという「専門家」に丸投げする形で乗り切ろうとはかる。一方、募集広告を見て現れたのは中年のアルジェリア移民を名乗るムッシュ・ラザールだ。教師として採用された彼は、いささか古風な、そしてやや不器用な仕方で、生徒たちに接していく。しかし、そのラザール先生も、じつは故国を逃れざるをえなかった秘密と悲しみを抱えていることが次第に分かってくる・・・



アルジェリアは1990年代、総選挙で勝利したイスラム原理主義派のと、それをくつがえした軍部の圧政との軋轢で、全国にテロが蔓延し、「失われた10年」と言われた。主役のフェラグ自身も、その中でイスラム過激派から敵視され、からくもカナダに亡命してきた経歴を持つ。その彼が、複雑な奥行きのある役柄をみごとに演じている。また準主役級のシモンとアリスを演じた二人の子役も、とても良い。カメラの構図も全体に分かりやすく、かつ清潔感ある光の中に納めている。脚本はすべてのことを説明しきらずに終わるが、それでもとても印象深い幕切れを用意している。カナダの製作レベルを見直した、優れた映画である。







★★★ セブン・デイズ・イン・ハバナ



2012/11/01

横浜シネマジャックにて



監督: ベニチオ・デル・トロ 「ユマ/月曜日」

パブロ・トラペロ 「ジャムセッション/火曜日」

フリオ・メデム 「セシリアの誘惑/水曜日」

エリア・スレイマン 「初心者の日記/木曜日」

ギャスパー・ノエ 「儀式/金曜日」

フアン・カルロス・タビオ 「甘くて苦い/土曜日」

ローラン・カンテ 「泉/日曜日」

2012年 フランス/スペイン映画



キューバの首都ハバナを舞台としたオムニバス映画。最初、よく知らずに見始めて、どの短編もとても上手なので、「キューバの映画ってこんなにレベルが高いのか!」と驚いたりしたが、じつはいろいろな国の気鋭の監督が順に作っているのだった。ただ、シナリオの作り方がうまくて、独立した短編同士の間に同じ登場人物が出てきたりして、微妙な調和とリズムを生みだしている。



最初の、キューバに降り立ったばかりのアメリカ人青年テディの冒険と当惑を描いた物語「ユマ/月曜日」で幕を開けるあたりが、このシナリオの巧みさだろう。「ジャムセッション/火曜日」になると、旧ユーゴの映画監督エミール・クストリッツァが本人役で登場し、ハバナ映画祭に招待されたアル中を演じる。この相手役のタクシー運転手は、じつはキューバのジャズマンが演じているのだが、彼の演奏の素晴らしさには本当に舌を巻く。パレスチナ人の監督エリア・スレイマン「初心者の日記/木曜日」も、監督本人が出てくる。その知的で誠実な、でもちょっととぼけた顔つきと、キューバの海をずっと見続ける人々(海の向こうにはきっと米国に渡った親族やかつての恋人たちがいるのだろう)の対比が面白い。彼自身もまた、分断国家の出身者なのだ。



ギャスパー・ノエ監督「儀式/金曜日」だけは他とテイストが違っており、ちょっと全体から浮いているばかりでなく、この人の何となく自分勝手なイメージによる映像作りに閉口させられる。しかし、それ以外は、地元のフアン・カルロス・タビオ監督「甘くて苦い/土曜日」、そしてキューバの民俗宗教と人々のコミュニティを活き活きと描いたローラン・カンテ監督「泉/日曜日」など、どれも良い。全体に、映像に力があり、俳優たちも好演している。見終わると、とても映画を観た気になる、充実した連作オムニバスである。







★★★ 鬼に訊け-宮大工 西岡常一の遺言

2012/03/03



監督:山崎佑次、撮影:多田修平、プロデューサー:植草信和 

出演: 西岡常一、西岡太郎、石井浩司ほか



法隆寺の「昭和の大修理」の棟梁を務め、晩年は薬師寺の白鳳伽藍復興工事などを指揮した、伝説的な宮大工・西岡常一。本映画は、氏の晩年のインタビューを中心に再構成したドキュメンタリーである。法隆寺の頭領の家に三代目として、生まれながらに宮大工の道を歩むことになった氏の生涯を追いながら、木工の美しさ、木造建築工事のおもしろさ、そして仕事への厳しさを、わたし達観客は見て学ぶことになる。



それにしても、日本の木工の美しさ、そして古い建築技法の知恵の深さはどうだろう。棟梁家に伝わる『法隆寺宮大工「口伝」』によれば、建物の南側には、山の南側に生えた木を使い、北側には、山の北側斜面の木を使え、という。それが木材本来の持つ、自然な性質を最大限に活かすことになるからだと言う。そのために宮本氏は、祖父の命令で農学校に進むことになる。自然は土をつくり、土は木を生やすから、大工はまず土から学べ、という意図だったらしい。



西岡氏は「千年もつ建物」の視野で考える。それだけの年月を耐える建物のためには、樹齢千年ちかい檜がいる。ところが戦後、単相化し荒れていく日本の山林には、もはやそれだけの檜がない。そこで台湾の山奥まで、材木を得るために何度か足を運ぶのである。そして、その木のいのちを繋いでいく技術を弟子達に徹底的に仕込むのである。



木を削るかんなにしても、わざわざ両刃の鉋(まるで槍の穂先のように見える)を作る。それも、現代の鉄ではよく切れないから、わざわざ古代釘を鋳直し、鍛えて作らせるのである。



映像としての見所は、その材木を切り、削って、表面を仕上げ、さらにそれを組み上げていく一連のシーンにある。その美しさ、見事さは息をのむほどだ。しかし、現場を見た西岡は、「大事なことは大工たちの気持ちが揃っていることだ。そうすれば仕事は無駄なくきちんと流れていく」という。そのように、働く人の心をまとめて引っ張っていくことが、棟梁という名のプロジェクト・マネージャーにとって大事な仕事なのである。



実際、弟子の一人はインタビューで、棟梁のどういうところが好きだったかという質問に対し、「ブレないところだ」と答える。これが一番大切な、しかし、一番難しいところだろう。大工は施主に雇われている職人である。にもかかわらず、建物のためには、どんな注文をつけられても曲げるべきでない筋、つまり「設計思想」があるのだろう。そこに対して、決してブレない。これは言うほど楽なことではないはずだ。西岡氏は60歳を過ぎてから、三代続いた棟梁であるにもかかわらず、法隆寺を辞して薬師寺に移る。映画はそのあたりの事情についてさらりとしか説明しないが、寺と何らかの摩擦があったことが想像される。



いや、薬師寺でもまた、建築の委員である大学の先生方とぶつかる。彼らは、木造伽藍の内部に、防火のために鉄骨とコンクリートのシェルターを組み入れるよう指示するのだ。西岡氏は結局はそれに従わざるを得なかったようだが、「コンクリートの寿命は100年程度と聞きます。100年たったら、あの内部だけどうやって建て替えるつもりなんでしょうか?」と答えている。



この人が「鬼」であるのは、結局、仕事に対する責任(それは「御仏に対する責任感」であるが)の強さによるのだろう。それがあるから、自分の配下の大工たちにも、ブレずに命令を下せるのである。たかだか自分のプライドや利益とかではなく、1000年後に対する使命としての責任感。そういう希有な心がけを持った人の顔、ある意味とても穏やかな顔を、観ることができる優れた映画である。







2008年







 ★★ サーカス

2008/10/27

Fano市、Teatro della Furtunaにて



監督・脚本・主演:チャールズ・チャップリン、出演:マーナ・ケネディ、ハリー・クロッカー、アラン・ガルシアほか



第20回Fano国際短編映画フェスティバルの開幕上演。フェスティバルなので、外でふるまいのケーキと発泡性ワインをいただき、それから劇場に入る。ファーノは地方都市で人口も20万人弱だと思うが、とてもイタリアの歌劇場らしい建物だ。



チャップリンの「サーカス」は、生バンドの演奏つきで上演された。もちろんオリジナルはサイレントだが、ふつうは音楽付きである。それを生で観るのだから面白かった。



話の中身は比較的単純なストーリーで、本人は「失敗作だ」と後年評していたらしい。もともとスラップスティック映画はある意味、サーカスの代替物だから、映画としてサーカスの珍しい演し物に頼るような作りは巧くない、という意味だったのかもしれない。しかし、空中綱渡りや、目隠しスケートなど、いかにも身体的な芸を追求したチャップリンのパフォーマンスは見事である。







 ★★ ビッグ・ウェンズデー

2008/08/23

機内TVにて。

監督:ジョン・ミリアス 出演:ジャン=マイケル・ヴィンセント、ウィリアム・カット、ゲイリー・ビューシイ



「水曜日にやってくるという伝説の大波」に乗るためチャレンジを続ける若者達を描く青春映画--というものかと思ってこの映画を観た。『★★★ ステップ・イントゥ・リキッド』みたいな爽快な映画かと想像したのだ。舞台は陽光きらめくカリフォルニア。青年達の無謀な、でも底抜けに明るい友情のストーリーなのかと。



でも、そうではなかった。友情といえば友情だが、それは次第に離れていくのだ。そして若者達は、まず物理的に、そして精神的にも、老いていく。大人になるかわりに、老いていくのだ。そして、その事を反証したいかのごとく、青春の日の夢にこだわりつづける。それはちょうど、ベトナム戦争の悪化と、そして敗退の時代に重なっていく。だからこの映画は、アメリカがだんだんと壊れ始めていく時代の話に、今となっては思える。







  ★ 半落ち

2008/08/16

機内TVにて

監督:佐々部清 原作:横山秀夫 出演:寺尾聰、柴田恭兵、原田美枝子 他



これも横山秀夫の原作だ。きっと人気作家なのだろうな(わたしは小説をほとんど読まないのでよく知らない)。男はなぜ、最愛の妻を殺したのか――、男はなぜ、あと1年だけ、生きる決心をしたのか――? が、アオリの文句だ。主人公の男は、警察官だ。彼は認知症の妻を嘱託殺人するが、自首するまでの二日間の行動が分からない。全部を自白しない「半落ち」の状態にある彼をめぐって、女性新聞記者が真相を探りはじめるが・・という話。



機内TVの小さい画面で見たことを差し引いても、この映画、ほとんどのシーンを視覚的に思い出せない。その点、多少はシーンの印象が残る「クライマーズ・ハイ」の方が演出力は上なのかもしれない。困ったことに、ストーリーも、頭に残らない。これは自分の側の問題なのだろうが、これだけ単純なサスペンス構造を持つ話で、かつ「感動的」なはずの話で、ちっとも感銘も残らないのはちょっと不思議である。見ている間はそれなりに面白かった記憶があるし、たしかヒットしたとも思う。でも、時間が経つと急速に印象が薄れていってしまう映画だった。映画でなく、TVドラマにふさわしい演出だったのかも知れない。寺尾聰の演技は、なかなか良い。







 ★★ クライマーズ・ハイ

2008/08/03

渋谷東映にて。

監督:原田眞人、原作:横山秀夫、出演:堤真一、堺雅人、尾野真千子、高嶋政宏、山崎努 他



御巣鷹山の日航機事故を題材に、地方新聞社の記者達の奮闘を描いた横山秀夫の小説の映画化。この前にNHKがTVドラマ化したらしいが、わたしは見ていない。しかし中心テーマは日航機事故ではなく、あくまで地方新聞の記者達のドラマにある。新聞社というのは「現場」と「リアルタイム性」を主軸にした仕事の場所なんだなあ、ということはあらためて分かった。また、地方紙の人たちが全国紙に対して感じている、地元意識と劣等感のないまざった複雑な感情も、見ていて感じられた。



とはいえ、脚本はちょっとエピソードが多すぎて整理がついておらず、とくに山登りのシーンや最後のシーンが、あまり効いてこない。登場人物も多く熱演ぶりが伝わってくるので、逆に残念である。山崎努演じる新聞社社長が、いかにも昭和臭い「大物」ぶりで上手いのだが、彼が主人公を怒る場面もやや唐突だ。一生懸命作っているのは分かるが、もう少し短く作れば、もっとインパクトのある映画だったと思うのだが。







★★★ 「たのしい科学」上映会

2008/07/18



高田馬場の小さな出版社の3階で、ある自主上映会に参加した。「たのしい科学」という、60年代初頭に製作された、科学教育のための短編映画集だ。そのなかから、「粘土」「やきもの」「ガラスの性質」そして(90年代に製作された短編)「水蒸気」を観た。



上映会には制作者の牧さんという方が出席されて、ところどころ解説を入れられた。フィルムはいずれも1巻ものの貴重な(古い)プリントで、
16mmの映写機でうつされた。



「たのしい科学」は、岩波映画社の製作で、最初は日本TVでシリーズ放映され、のちに東京12チャンネルが開局したときに全部再放送したという。ぼくは小学生のころ、この「たのしい科学」が好きで、なんだか自分の記憶の中では毎日観ていたような気がする。



中でも、「二本足のコマは立たない」「光の正体」「地震」などは今でもその中のシーンをいくつかはっきりと覚えている。ナレーションの女性アナウンサーの声もまだ記憶に印象が残っている。



どれも15分の短編で、白黒だが、今観ても面白い。まず、シナリオがじつに良くできている。視点の提起のしかたもいいし、例にインサートされるショットも気が利いている。音楽もまたすばらしい。このころの映画の録音は一発勝負で、「お皿」と呼ばれるLPレコードから該当箇所を、針をぴったりの位置に手でおろしてとったのだという。照明もいいし、撮影もきれいだ。つまり、その頃の日本映画界の高度な職人芸が完全に詰まっているということだ。



しかし、それより何より、こういうシリーズの短編が制作され、TV放映されたという事実に、あらためて時代の違いを感じざるを得ない。科学というものは、好奇心を刺激する、なにかワクワクするようなもの、しかし大げさでもワザとらしくもない、つまり『楽しい』ものだったのだ。いまのぼくが、かろうじてエンジニアの端くれでありつづけているのも、小学生のころ毎晩TVで「たのしい科学」をみてワクワクしていたことと、無縁ではない。



いま、このシリーズの数十本は、子どもの理科教育に携わる先生方有志の努力で、一応DVDセットとして販売されている。それはそれで貴重な取り組みだと思うのだが、本当だったら、TVで放映してほしいと思う。時代錯誤なことを言ってるのは承知の上だ。



ぼくは、昨今言われている「理科系志望者の減少をなんとかするために云々」といった議論が、じつは大嫌いだ。産業社会の都合のために、使いやすい兵隊や下士官を量産したいという意図が見え見えだからだ。そんな企業のご都合主義的論理など、ぜんぶ捨ててしまえばいい。科学が好きになる理由はたった一つ、それが「楽しい」からだ。それで十分ではないか。一番大事なそのことを忘れて、『ものづくり日本』だの『センター・オブ・エクセレンス』だのといった戯言ばかりをもてあそぶ大人たちを、ぼくの中の小学生は憎むのである。








★★★ アマルコルド

2008/02/29

ビデオで。

監督:フェデリコ・フェリーニ、出演:ブルーノ・ザニン、プペラ・マッジオ、アルマンド・ブランチャ、マガリ・ノエル



これを見たのは、なんだかひどく気持ちも仕事も低調な時期だったように思う。だからわざわざ見直そうという気分になったのだろう。映画として初めて観たのはまだ大学1年生の頃だった。池袋の文芸座だった。その後も、もう一度どこかの映画館で見たような気がする。



これはフェリーニ監督の生まれ故郷リミニを舞台とし、少年時代の思い出を中心にしたフィクションだ。タイトルもその地方の方言で「私は想い出す」という意味らしい。第二次大戦前夜、ファシスト党が政権を取った時代の、地方の一家庭を描き出す。むろん、コミカルにだ。フェリーニはイタリア人特有のバカさ加減を、見事にデフォルメして描くから、戦後世代の知的な若者に嫌われたというのも、わかる気がする。でも、我々が見て勇気づけられ、また共感でき、そして笑えるのは、そうした人間らしい感情と愚かさと率直さをもつイタリアの市井のひとびとなのだ。



この映画はまた、女優マガリ・ノエルに捧げられた映画でもある(と私には感じられる)。グラディスカというヒロイン(主人公の少年が憧れる女性)を演じるマガリ・ノエルはフランス人だが、フェリーニ好みの女優らしく、「甘い生活」や「サテリコン」などにも出演している。撮影時にはすでに40近かったはずだが、盛りを過ぎつつあるこの女優を、フェリーニはもっとも美しく撮ってあげたのではないかと思う。



はっきりしたストーリーを持たず、エピソードだけでイメージを積み重ねていくフェリーニの映画は、最初はよく分からなかった。でも、すこしずつ、分かるようになってきた。そして、見るたびごとに、味は深まっていった。それは、私たちの人生も、そういうものだからだろう。全体を通した明確なプロットはない。一つ一つのエピソードのていねいな積み重ねだけが、その味を作り上げていくのだ。







★★★ 魂のジュリエッタ

2008/07/14

渋谷にて。

監督:フェデリコ・フェリーニ、出演:ジュリエッタ・マシーナ、サンドラ・ミーロ、マリオ・ピスー、シルヴァ・コシナ他



なんてすごい映画だ。このような名作に、何を言うべきことがあるだろうか。昔、最初に観た時はなんだかエピソードの流れがわかりにくく、ただただ幻想的とも思える映像の力に引きずり回された感触があった。だが、今見ればずっとわかりやすいと思う。



しかし、フェリーニはなぜこんな映画を作ったのだろう。邦題は「魂のジュリエッタ」だが、原題のニュアンスはむしろ、「精霊のジュリエッタ」に近い。むろん、この映画の主演女優は、彼の妻であるジュリエッタ・マシーナだ。彼女の名前をとった映画で、当然、彼女を描写した映画だと、誰もが思う。そして、この映画の製作当時、夫妻の関係が一種の危機的状態にあったのも、周知の事実だ。だから、それを描写するために、この映画ができたと解釈する人はとても多い。



だが、ジュリエッタ・マシーナのインタビューを読むと、この映画に出てくるジュリエッタは自分には似ても似つかぬ女性だ、という。夫の不貞を疑いながらも、ただただ夫の帰りを待つ、不器用で家庭的な主婦。保守的な、ほとんど反動的なカトリック教育を受け、ひたすら従順に良妻賢母を演じようと努力する女。驚いたことに、この「ジュリエッタ」とは、夫フェリーニの分身だと彼女は言うのだ。だから、この映画は、実は「迷信深いフェデリコ」の、鏡に映った戯画なのだ。



考えてみるとフェリーニは、知的で快活な女優であるジュリエッタ・マシーナに対し、『道』では知恵遅れの旅芸人の少女、『カビリアの夜』ではお人好しの年増の娼婦、といった、まさに正反対の役柄を演じさせてきた。それはこの映画でもある意味、同じだ。まことに不思議である。それはある意味で、この偉大な映画芸術家を縛り続けてきた母親コンプレックスの逆投射(「ローマっ子はみな、母親の膝の上で暮らしている」とフェリーニはあるインタビューで言っていた)なのかもしれない。



むろん、そうではないのかもしれない。ただ、この映画に繰り返し出てくる、聖女の火あぶり劇(あの、炎の赤の色!)と、そこから少女ジュリエッタを救い出しに来る放蕩者の祖父の姿が、この物語の中心にあることは疑いない。この映画の製作当時、実はイタリアでは離婚法の成立をめぐって、国民を二分する大論争が行われていた。宗教の束縛や家族社会の桎梏から解き放たれ、しかし行く当てもないまま家を出て林の中を歩いていくジュリエッタの姿は、だからいつまでも忘れえぬラストシーンなのである。







 ★★ 相棒 劇場版

2008/06/07

歌舞伎町にて。

監督:和泉聖治、出演:水谷豊、寺脇康文、鈴木砂羽、高樹沙耶、岸部一徳、他



人気TVドラマ・シリーズの映画化らしいが、元のシリーズは見たことがなかった。水谷豊がすっかりおっさん(というよりじいさん)になっていて驚く。水谷豊というと、なぜか『青春の殺人者』のイメージがいつまでもあるんだよなあ。だが、内容はまあまあ。警視庁の窓際部署“特命係”に身を置く2人の刑事、頭脳明晰な杉下と熱血漢の亀山のコンビが難事件に挑む、というシチュエーションだから、映画の出来は、どう「大げさな難事件」と「スリルとサスペンスあふれる解決」を創出してくれるのか、という脚本力にかかっている。



まあ、3万人の参加する東京マラソンをターゲットに、連続殺人犯と主人公が対決する、という構想はわるくないと思うけれど、せっかく映画なんだからもう少し映画的な演出でもいいのにな、とは感じる。ストーリーも若干無理はあるが、それを強引に引っ張っていくのが映像の力だろう。あいにく、ここではその役割を“TVドラマでおなじみのキャラ”に任せてしまっている。この二人のキャラが好きな観客ばかりなら、それでもいい。だが、私のように初めて観る客もいるのだ。そこんとこ、もうちょっと想像力を働かせてくれるとうれしかったな。







★★★ まなざしの長さをはかって

2008/05/04

イタリア映画祭(有楽町朝日ホール)にて。

監督:カルロ・マッツァクラティ、出演:ジョヴァンニ・カポヴィッラ、ヴァレンティーナ・ロドヴィーニ、アメッド・へフィアン、他



冒頭の、ポー川の光を放つロングショットがいい。イタリアの地方の小さな村に起きる事件に関する、丁寧だが、ちょっと意外な展開の映画。村にやってきた若くて美人の代理教師と、彼女に思いを寄せる実直なアラブ系外国人、という組合せからして、そのままでは済みそうにない物語の展開を感じさせる。が、ここにジャーナリスト志望の少年が事態の観察者として絡むプロットは、なかなかうまい。



原題は"La Guista Distanza"だから、「正しい距離」ないし「真実の距離」の意味だろうか。駆け出しジャーナリストとして見る「まなざしの距離」と、社会正義との相関関係が、原題の示唆するところなのだろう。現在の欧州がどこでも抱える、伝統的地域社会と都会人と外国人労働者との相克という問題。それを、視野の明るい拡大鏡で見せるかのように、映画は見事に描き出す。しかし、情感あふれる画面構成で映画らしい時間の流れを作っているので、心に残る後味が生まれる。いかにも現代イタリアらしい、良い映画である。







★★★ 野いちご

2008/02/03

DVDで。

脚本・監督:イングマール・ベルイマン、撮影:グンナール・フィッシェル、出演:ヴィクトル・シェストレム、イングリッド・チューリン、グンナール・ビョルンストランド 他



まことに珠玉のような、とはこのような映画のことをいうのだろう。90分、白黒、出演者も少数で、話も一本道のように単純な、地味な映画なのに、深い後味の印象を残す。もう30年ちかく前にTVの深夜映画で途中から見て、そのときも画面が強く記憶に残った。あの、北欧の春の新緑をおもわせる戸外の光が、白黒なのに実に美しい。エンディングも、心温まる。



冒頭の夢のシーン(表現主義的なこの場面はその後あまりにも広く模倣され、「アメリカの夜」などでもパロディ的に描かれている)や、カットバックの見事な入れ方、二役、照明、その他さまざまなハイレベルな映画技巧が凝らされているわりに、それらを重く感じさせない点に舌を巻く。まことにベルイマンらしい、代表作の一つとすべき作品であろう。俳優達も素晴らしい。







  ★ 息子の部屋

2008/01/25

On Demand TVで。

監督:ナンニ・モレッティ、出演:ナンニ・モレッティ、ラウラ・モランテ、ジャスミン・トリンカ 他



イタリア映画界では一時、この人しかいない、みたいに言われたナンニ・モレッティの、カンヌ映画祭パルムドール受賞作品。しかし・・・



この映画を見ていると、ミラノ周辺の北イタリアという地域は、じつに変哲もなく西欧的というか、別に他のどこの国でも同じじゃないか、というくらい文明化し無個性化した地帯に思われてくる(じっさいに行ったことはないので、印象論です)。話としてはわるくないのに、見ている観客にとってどこか一枚薄いヴェールのかかった現実、という風にしか思えない。その理由は、結局、そこに住む人たちが、自分たちの現実と自分たちの感情との間に隔たりを抱えているからだろう(それは主人公の精神分析医の患者達の悩みに、典型的に現れているわけだが)。



ラストシーンはあっさりと終わるが、その海辺のシーンは美しい。とはいえ、失った家族を追憶しつつ、ヒッチハイカーをひろって街道を急ぐ途中で、というプロットは「野いちご」と同じなのに、なぜこれほど受ける感動の質がちがうのだろう。そこに、文明化してしまった現代イタリアの喪失を見るべきなのだろうか。







 ★★ マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶

2008/01/17

早稲田松竹にて。

監督:マリオ・カナーレ、アンナローザ・モッリ 出演:アルマンド・トロヴァヨーリ、バルバラ・マストロヤンニ、キアラ・マストロヤンニ 他



好きな男優は誰? ときかれたら、私は真っ先にマルチェロ・マストロヤンニをあげると思う。それも、中年以降のマストロヤンニである。(ちなみに好きな女優は、ときかれたらジュリエッタ・マシーナかもしれない。なぜよりによってイタリア人のおじさんおばさんが好きなのか自分でも不思議だが)



この人の俳優としての特徴は、「演技が巧いこと」でも「顔がハンサムなこと」でもなくて、この人自身の魅力があるから、としかいいようがない。まさに役者らしい役者だというべきだろう。たしかに美男ではあるが、ちょっととぼけたような味があって、女性に優しく、かつそれなりに努力家でもある。もっとも女性に優しすぎたせいか、やたら多くの女性にもてまくって、故国を離れてパリの女流映画監督と20年も一緒に暮らしていて、でも元の奥さんとはちっとも離婚していなくって(ここらへん、妙にカトリック的なんだな、と別のインタビュー本の中で答えていた)、まあそれなりに大変なというか羨ましいというか、そんな人生を送った人である。



彼を撮った映画としては、他にも「Marcello, I remember」がある。私は10年ほど前にニューヨークで見たが、日本では公開されていないようだ。マルチェロの魅力にまっすぐに迫る、という意味ではあちらの方が印象が強かった。この映画の長所は、とにかく多くの関係者のインタビューでつづられている点である。とくに彼の弟で有名な編集者のルッジェーロや、映画監督エットーレ・スコラの受け答えが印象に残る。



つづけて、同じ映画館で二本立ての「甘い生活」の最初の30分を見る。これは実に良くできた映画で、撮影も編集も演出も鮮明、強い印象がある。たしかに、これが彼の世界的な出世作となるのも当然という気がした。







★★★ ダーウィンの悪夢

2008/01/06

DVDで。

監督・脚本・撮影:フーベルト・ザウパー



まことに悪夢のような、恐ろしい映画である。ドキュメンタリーで、これほどの恐怖を味あわせられるとは。一見ランダムに切り取られたシーンをモザイクのように積み重ねながら、アフリカ・タンザニアのビクトリア湖のほとりの社会の歪みと、私たち先進国の生活が、いかに密かにつながっているかを見せてくれる。



最初は、空港に貨物機が降りてくるシーンから始まる。空港の管制官は、蠅叩きでハエを追い払いながらマイクに向かって訛りの強い英語で指示し続ける。これだけで、言葉による何の説明もなしに、どの地域のどのようなシチュエーションか、見事にわかってしまう。まことに優れた演出の腕前である。



この映画には、ドキュメンタリーにありがちなナレーションがほとんど全く無い。貨物機から降りるパイロットは旧ソ連の空軍くずれのロシア人だ。彼らを酒場で迎えるアフリカ人の若い女性たち。彼らの積み込む荷物は何か。それは、湖でとれたナイル・パーチという魚の冷凍だ。ナイル・パーチは大型の淡水魚で、肉食である。昔、平和なビクトリア湖には大型魚類はほとんどいなかった。それが、ある日、バケツ一杯のナイル・パーチの稚魚を放流した人間がいたのだ。意図を持って。その意図はある意味で見事に当たり、肉食魚はダーウィンの生存競争・弱肉強食の法則に従ってどんどん増殖する。



それだけではない。魚肉の加工工場ができ、そこに働く人々、そこが不要にして捨てるモノを利用する人々がいる。その多くは、湖の生態系や社会の変化によって、従来の伝統的な暮らしができなくなった人たちだ。こうして彼らは容赦なく金銭経済と腐敗に巻き込まれていく。それで、魚肉の輸出で得られた外貨は何に使われるのか? 到着する貨物機からおろされる重い積荷の箱の中身は、いったい何なのか? こうした負の連鎖を止めるには、どうしたら良いのか?



観ている私たちにも分からない。ロシア人のパイロットが最後に言うセリフのように。「何かがおかしいのは分かってる。だが、どうしたらいいのか、わからないんだ。」







2007年







★★★ ミリキタニの猫

2007/11/09

渋谷・ユーロスペースにて。

監督:リンダ・ハッテンドーフ 出演:ジミー・ツトム・ミリキタニ、ロジャー・シモムラほか



ミリキタニは「三力谷」とかく。珍しい名前だが、日本人の名字だ。戦前、10代で米国に移住した日系人、乞食同然の放浪生活をしながら絵を描き続けているニューヨークの老人の名前である。このミリキタニ老人の絵の不思議な魅力にとりつかれて、しだいに世話をするようになった女性映画作家の作るドキュメンタリーだ。



それにしてもドキュメンタリー映画を見て、涙を流すことなんか、まずない。それなのに、最後はボロボロ泣いてしまった。ぼくだけではない。観た人の多くがそうだった。別に泣かせようとするような可哀想な映像など、何一つない。ミリキタニ老人は独立独歩、誰にも左右されず自分の歩きたい道を歩いている。その彼の歩んだ人生が、少しずつ明らかになっていく。芸術家になりたい、そんな青雲の志を持って海を渡った彼を待っていたのは、排日移民法による強制収容所の生活だった。



戦争が終わり、収容所からほぼ無一文で放り出された彼は、住み込みの料理人として何とか食いつないでいく。しかし彼の胸の中には、法の仮面の下に偏見と冷酷をかくした米国社会への怒りの念が燃え続けている。社会福祉を拒絶し、路上で暮らしていた彼を、奇しくも9.11事件がおそう。街中をおおう粉塵から彼を守るために、女性作家は彼をアパートに引き取り、奇妙な共同生活がはじまる。そして、しだいに心を開き始めたミリキタニ老人をともなって、かつての強制収容所の地を訪れる。そこで命を失った数々の同胞のために祈るシーンが、この映画のクライマックスである。



どこにも声高な告発もなく過剰な演出もない。女性らしく淡々とした手作りのシーンがつづく。それでも観る者の心の底にまっすぐ語りかけてくる、そんな作品である。いい映画だ。









 ★★ イマジン/ジョン・レノン

2007/10/13

On Demand TVで。

監督:アンドリュー・ソルト、出演:ジョン・レノン、ヨーコ・オノ、デヴィッド・ボウイ、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターほか



ぼくがビートルズを聴き始めた中学生のころ、すでにこの伝説的なバンドは解散していた。新聞に、「解散の理由はお金? ヨーコ?」と書かれた特集記事の見出しをまだ覚えている。でも、そのころはわかりやすいポップセンスにあふれたポールの曲が好きだった。



ジョンという人が気になりはじめたのは、もう30近くになってからではなかったか。深夜放送で「レット・イット・ビー」を観てからのことだったと思う。その中に出てきた当時のジョンは、ほとんど痛々しいほどだった。スタジオでは、そばにずっとヨーコがついていた。



ジョン・レノンという人が不幸な生い立ちだったことは、「マザー」のような曲を聴くと誰しも分かる。彼には誰か支えてくれる、感受性の鋭く母性的な人が必要だったらしい。この映画の中には、珍しく彼の最初の妻がでてきて、少しだけインタビューに答える。若いころ結婚した彼女は平凡な見かけの人だが、やはり直感の強い人だったらしい。’66年に、4人が休暇を取りに列車でロンドンを離れたことがある。彼女も一緒に行こうとして駅までいくのだが、ふとしたことで乗り遅れてしまう。そのとき、なぜか彼女は、「これがジョンとの別れなのだ」と直感したという。事実、そのすぐ後で、ジョンは前衛芸術家の小野洋子と出会うのである。



この映画は二人の「ベッド・イン」などのメッセージ性の強いイベントのフィルムなどが多数出てくる。印象に残ったのは、シングル"Happy
Christmas"発売時のプロモーション・ポスターだ。そこには白地に黒い大きな文字で、"WAR IS
OVER"とあり、その下に少しポイントを落とした小さな時で"if you want it"と書かれている。それだけだ。だが、これほど皆がベトナム戦争で不幸だった時代に、ストレートなメッセージはなかったと思う。こうした人が生き延びられない時代に、わたし達は生きているのだ。







★★★ シッコ

2007/09/29

新宿にて。

監督・脚本・出演:マイケル・ムーア



これは本当に白かった。主要なテーマはアメリカの医療保険制度が生み出した歪みである。米国は一部の高齢者や低所得者など社会福祉対象者をのぞくと、自由保険制度である。つまり、日本の自動車の任意保険と同じだ。加入するもしないも自由。ただし、一度事故る(=病気になって病院にかかる)と、次からは保険料がはね上がる。保険会社が、「あなたは加入お断り」と拒絶する権利もある。病院側も完全自由診療で、ケアはたいへん手厚いが、医療費はバカ高い。



こうした予備知識をもって見始めたが、それにしてもあきれかえるシーンが続出である。とくに、保険会社のえげつない値切りと嘘の数々は、まことに資本主義社会のどす黒い裏面をあらわにしている。そして、これを湿っぽくなく、からりと映像に提示できるところが、このムーアという人の映画監督としての腕だと思う。



彼はカナダやイギリスやフランスにいって、その国の手厚い医療制度にいちいち大げさにびっくりしてみせる。見ているほうは「やれやれ」と感じるのだが、だから観客は映画と自分の距離をあらためて考え直すことが出来るのである。これはブレヒトの「異化作用」にも似て、非常に巧みな彼の演出方法だといえるだろう。彼はあまりにもわざとらしくスローガンを見せるので、観る側が自分で取捨選択できる(まあ、中には文字通り真に受ける人もいるだろうが、そういう人たちは、次に反対主張の映画を見せられれば、またすぐ逆のことを信じ込むのだ)。



医療制度に打ち捨てられて傷ついた出演者たちをつれて、キューバに乗り込むラストシーンは、ほとんど感動的だ。あらゆる医療が無料でうけられるキューバという国は、自由とお金の国アメリカの対極であり、ある意味では米国が生み出した『影』だということもできよう。しかし、それでも出演者たちの涙ぐまんばかりの笑顔は忘れられない。"Touch
their heart and leave them laughing." — 良い商業映画の条件を忠実に守った、見事な傑作である。







★★★ 天国と地獄

2007/08/17

DVDで。

監督:黒澤明、出演:三船敏郎、香川京子、仲代達矢、佐田豊、山崎努ほか



ずいぶん久しぶりに見直したが、あらためて、この映画は黒澤明監督の最高傑作ではないかと感じた。黒澤という人は、作品に多少の出来不出来があって、何か社会派的「テーマ」を追おうとすると、妙に説教くさくなったりする。しかし、この作品のような純粋な娯楽サスペンス映画を作らせると、実にうまい。とくに1963年制作のこの映画は、脚本・撮影・編集などいずれも当時の日本映画界の職人芸の極致もいうべきレベルで、見事だ。



とくに、脚本がうまい。原作はエド・マクベイン『キングの身代金』ということになっているが、これは“金持ちの子供を誘拐するつもりが、まちがって使用人の子供を誘拐してしまった”というシチュエーションを借りただけで、ほとんどまったくオリジナルであるらしい。しかし、特急から身代金を渡す有名なシーンをはじめ、非常に良く考えて作りこまれている。ぐいぐいと引き込むように次から次へと場面が進展し、観客はいっときも目を離せない。この画面にみなぎる強い緊張感こそ、映画の醍醐味ではないか。



それにしても、この映画当時、「横浜に直通で市外電話をかけられる」のはごく限られた地域だったのだ。「国鉄」には新幹線はなく、特急「こだま」号だけだった。こういう点が、あらためてびっくりしてしまう。まあ、映画自体も白黒だが。



とはいえ、その白黒の画面も非常に素晴らしい。全編で一箇所だけ着色になるシーンがあって、それがまた忘れられぬショッキングな印象を与える。三船敏郎、仲代達矢といった黒澤好みの俳優たちは(いつものごとく)上手いんだかうまくないんだか分からない演技だが、必要十分な役割をはたしている。なぜなら、これは娯楽映画であり、仮面劇に近いからだ。妙な熱演は必要ないのである(だから女麻薬中毒患者のシーンなど少し浮いてしまっている)。









 ★★ 映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事

2007/06/26

渋谷ユーロスペースにて。

監督:藤原敏史、企画製作:伏屋博雄、出演:土本典昭



土本典昭氏は「水俣 患者さんとその世界」や「不知火海」など、水俣問題を一貫してとり続けてきた硬派の記録映画作家である。その土本氏へのインタビューと古いフィルムを通して、記録映画という、地味で困難な世界の仕事を描き出そうとしたドキュメンタリーである。いわば、記録映画についての記録映画、自己批評の試みだとも言える。じじつ、監督の藤原敏史は映画批評家で、監督としてはこれが第一作だ。



ところで、私自身は小学校に上がる以前に、永福町にある土本氏の家に預けられていた時期がある。両親が共働きで、当時、岩波映画にいた土本氏と知り合いだったからだ。アリちゃんという娘さんと遊んでいた記憶がある。不思議な縁である。当時はそんな仕事をしている人だとは当然知りようもなかったが。



その土本氏の作品は、水俣関係が非常に有名だが、私はまだ観ていない。しかし、こうした記録映画は、対象とメッセージ性ばかりが注目されて、映画それ自体としてはうまく評価されていないような気がする。このフィルムの中には、国鉄の機関助手を主役にした映画や、タクシーの運転手をあつかった映画などの断片が入っているが、いずれも実に映像的に美しい。国鉄は安全をテーマに宣伝映画を依頼したわけだが、土本氏の手にかかると、それがいつの間にか勤勉な労働者たちの物語に変身する。そのイデオロギー的な側面はともあれ、映像として見る者の目に印象が刻まれるような強さがあった。



そうした記録映画というものの面白さと難しさについて、このフィルムは記録することに成功しただろうか? 答えは残念ながら、否定的だ。たしかに、土本氏という題材は面白い。しかし、映画としては弱いと言わざるを得ない。この映画のどこに、目に焼き付けられる映像の強さがあるだろうか? 編集は平凡である。録音の扱いもうまくない。音楽に至っては自己満足的でひどく程度が低い。この映画を最後まで見続けていられるのは、対象である土本氏とその仕事が興味深いからだ。だが、これでは記録映画としては水準以下ではないか。もっと面白い記録映画が出てこないと、この分野はのびていかないだろうに。







 ★★ ザ・チーフタンズ/ウォーター・フロム・ザ・ウェル ~我が心のアイルランド

チーフタンズ

2007/06/15

On Demand TVで。



アイルランド音楽の豊穣な世界に初めて触れたのは1980年代の中頃のことだった。チーフタンズの名前を知ったのは90年代に入ってからだったろうか。今はビッグネームになった彼らも、その頃はまだ「ワールド・ミュージック」のファンの中でも知る人ぞ知る、程度の存在だったと思う。



このフィルムはチーフタンズのアイルランド各地を回る公演記録と、その合間にはさまる各メンバーのインタビューからなる。典型的な音楽映画だ。そして、その音楽は実に楽しい。アイルランド各地の景色も実に美しい(とはいえ、いつもこんなに晴れているわけじゃないよな、とも思うが)。



アイルランド音楽はイギリスの音楽シーンに陰に陽に大きな影響を与えた。しかし、チーフタンズのようなスタイルは実は案外新しいのだ、ということがこの映画を見るとわかる。彼らの使う楽器も、彼らの演奏する曲目も、発声法や歌詞も伝統的なものだが、しかしその料理の仕方はかなり革新的だったらしい。だから、この映画に見られるように、さまざまなアーティストと一緒に演奏できるのだろう。そして、そのことが、より多くの人をアイリッシュ音楽の豊穣な世界に引きつけることになったのだ。まことに音楽と妖精の土地アイルランドらしい、美しく楽しい映画である。







★★★ 博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

2007/06/08

DVDで。

監督:スタンリー・キューブリック、出演:ピーター・セラーズ、ジョージ・C・スコット、スターリング・ヘイドン他

1964年アメリカ映画



傑作である。今見ても面白い、どころか、今見るとなおさら、その緊張感とどす黒いユーモアが観る人間の心を突き刺してくる。たとえ、映画にある仮想敵国ソ連はすでに解体したとしても・・・



極地に近い辺境にあるアメリカ軍基地の司令官が、ソ連の核基地の爆撃指令を発する。ソ連は冷戦のエスカレーションを止める抑止力としての「最終兵器」を完成しているらしい。それは、地球上全てを灰燼に帰する兵器だ(これは荒唐無稽に見えるが、実は当時ゲーム理論が指し示した究極の回答でもあった)。この超タカ派の司令官を、ジョージ・C・スコットが好演している。彼は冷徹な軍人で、しかもいつしか狂気に取り憑かれている。基地に駐在する英国人の副官(ピーター・セラーズ)は、指令を止めようと奮戦するが、逆に監禁されてしまう。異常事態に気づいた大統領(これもピーター・セラーズ)は、ソ連と連絡を取って解決に乗り出すが、原子爆弾を搭載する1機だけは目標に到達しつつある。大統領はDr.ストレンジラブという名前の、ドイツ人核科学者(これもピーター・セラーズの三役目)に解決法を依頼するが・・・



白黒による緊迫した映像美は、実に見事である。白黒であることがかえって、これだけの緊張感を生み出したと言っても良い。そして、英国喜劇俳優ピーター・セラーズが、その緊張を適度に破ってリズム感をもたらす。何よりも、Dr.ストレンジラブの強いドイツなまりと、『総統、私は歩けます!』というラスト近くの名演は忘れがたい。キューブリック自身も英国出身だが、その目から見た米ソ超大国の異常さと危うさを、これほど見事に描き出した本作は、彼の最良の作品の一つだろう。エンディングシーンの異様な美しさは、見る者は誰しも鳥肌が立つ思いがするにちがいない。







 ★★ たそがれ清兵衛

2007/06/05

ランドマーク・ホールにて

監督:山田洋次、原作:藤沢周平、出演:真田広之、宮沢りえ、小林稔侍、田中泯ほか



たいへん評判になった映画だ。それなりに面白く見た。真田広之はまあどうでもよいけど、宮沢りえはとても可愛いと思う。佳い女優になったものだと、なんとなく感心した。



藤沢周平の原作の世界は、それなりにうまく描けている。すなわち、貧乏な下級武士で、同輩に飲みに誘われても断って夕刻になるとそそくさと帰ってしまうから「たそがれ」とあだ名される男が、じつは剣術においては果断な勇気を土壇場で見せる。まあ、いかにもストイックな武家の美学で、それが現代の勤め人のあこがれを誘う。



しかし、山田洋次の演出は、いつも少しだけ興ざめだ。山田洋次の演出は観客に親切すぎるのだ。あらゆることを、きちんとわかりやすく説明してくれる。映画館に見に来た客が、話がわからなかったというような事態にならぬよう、懇切丁寧だ。そこが、なんだかTVドラマを見ているような気にさせる。わかりやすいが、全体として何だか作り物のような感じを招くのである。へたをすると、食べ物屋のプラスチックの見本のような印象を与えるのだ。



この映画が多少なりとも成功したのは、クライマックスに登場する舞踏家・田中泯のふりまく異様さのお陰である。矜恃をもちながらもすさんだ武士との殺陣の立ち回りには、人殺しの道具を振り回す武家という存在の異常さが、画面一杯の迫力であらわれて観客を圧倒する。このキャスティングがなければ、この映画はもっとずっと害のない、つまらない娯楽になっていただろう。だからこの映画の最大の功労者は、初めて映画に出演した田中泯なのだ。







★★★ 麦の穂をゆらす風

2007/05/26

三軒茶屋中央にて。

監督:ケン・ローチ、出演:キリアン・マーフィー、ポードリック・ディレーニー、リーアム・カニンガム他



アイルランド独立前の時代を描いた、見事な映画だ。何よりも、映画らしい映画になっている。登場人物も、考証も、撮影も、音楽も良くできている。画面に力がある。だから、これだけ重いテーマであるにもかかわらず、観客の心の中にまっすぐに飛び込んでくる。



イングランド(大英帝国)がアイルランド支配において、いかに暴虐非道をつくしたかということは、話にはきいていても、映像としてみるとまったく別のリアリティをもって迫ってくる。アイルランド人種は、文化的な資質からいけば、明らかにイングランド人よりも数段上だが、あいにく組織的な暴力と政略という面ではイングランド人は世界一流であった。そのため、かの美しき緑の国は何世紀にもわたって、冷徹な強欲さに蹂躙されることになる。この映画は、そこから脱出しようとする志士たちの、なかば絶望的な戦いを描き出す。



「麦の穂をゆらす風」は、その独立運動を象徴する歌の名前だ。まことにアイルランドは音楽の国、妖精の国である。イギリス人ケン・ローチがこの映画を発表したときにはかなり物議を醸したようだが、政治的反発を乗り超えるだけの美しさと力強さを、この映画は持っている。役者たちの演技も、実に良い。







  ★ カンバセーションズ

2007/05/26

三軒茶屋中央にて。

監督:ハンス・カノーザ、出演:ヘレナ・ボナム=カーター、アーロン・エッカート他



この映画のポイントは、最初から最後まで、画面が左右にに分割されていて、マルチスクリーンのように別々の映像がうつっていることだ。もちろん、音声は一つになっている(そうでなければ観客は見て理解することができない)。その左右の画面で、お洒落な大人の男女の、出会いないし再会の物語が進行するというわけだ。それは左右別々の視点で、複眼のように心理描写になっている・・というのを監督はねらっていたに違いない。



まあ、そうなっていないとはいわないけれども、見終わってしばらくたつと、“えっと、どんな映画だっけ?”と思い出せなくなるくらい、実は話が薄い。映像としての強さも足りない。この趣向でつくるなら、もっと別の監督なら別の作り方ができるだろうに。監督の力量が制作の趣向に負けてしまった実例でした。







 ★★ 新世界

2007/05/02

有楽町朝日ホール・イタリア映画祭にて。

監督:エマヌエーレ・クリアレーゼ、出演:ヴィンチェンツォ・アマート、シャルロット・ゲンズブール、アウローラ・クァトロッキ他



だぶん秀作なんだろう。昨年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を得て、本年アカデミー賞のイタリア代表となった、とある。しかしどうも、私は苦手だった。たぶん、シャルロット・ゲンズブールという女優があまり好きになれないからかもしれない。これは個人的な好みの問題で、映画としてはとてもよくできている。



20世紀初頭、シチリアの僻村から移民船に乗り、大西洋を渡ってアメリカにいこうとする家族の物語が、うまく描かれている。セットも考証も、きわめて立派だ。群衆シーンがうまい、というのはイタリア映画監督としてはとても重要な要件であり、まだ若い女性監督としては将来が頼もしいことだ。しかも、これだけリアルなシーンの中で、ときどき見事な幻想シーンを、少しだけ入れる。幻想シーンというのは、こういう使い方をすべきなのだと、ハリウッド映画界は勉強すべきである。



それでも、何だか自分の中にすわりのわるい感情が後味として残るのはなぜなのだろう。乳と密の流れる、豊かな実りの約束された新世界、という共同幻想に乗れないせいだろうか。それともゲンズブールがあまり英国人ぽく見えないせいだろうか。自分でもよくわからない。







  ★ ビューティフル・マインド

2007/04/14

DVDで。

監督:ロン・ハワード、出演:ラッセル・クロウ、エド・ハリス、ジェニファー・コネリー、クリストファー・プラマー、他



いや、正直言って見るのがきつい映画だった。『ナッシュ均衡』を発見してゲーム理論に革命を起こした天才数学者ジョン・ナッシュが、精神を病んで統合失調症になり、いったんは廃人同様となりながらも奇跡の回復を果たし、後年ノーベル賞を受賞したことはうすらぼんやり知っていた。また、それが「ビューティフル・マインド」という上下2巻のドキュメンタリー本として評判を呼んだこともきいている。しかし、この映画は原作の本とはかなり趣向が違っているらしい。あくまでドラマ化の観点からつくっているからだろう。それもハリウッド映画的な観点から。



とにかく、映画としてはきわめてわかりやすく脚色されている。ナッシュの奇行も、暗号解読に誘い込む軍の手管も、病を発した彼を支える奥さんの苦闘も。最適解以外の安定点に落ち込むナッシュ均衡の考え方さえ、パーティのお相手選びの例で素早く説明してくれる。しかし、その「わかりやすさ」のあり方が、全体としてなんとなく嘘くさいのである。ナッシュが妄想の中でうみだした世界を、妻の現実の目から暴露していく部分は、たしかに狂気の持つ不気味な迫力がある。とはいえ、このサスペンスと意外性を柱としてドラマをつくってしまったために、荒廃からの回復の物語が弱いのである。それはある意味で当然だろう。なぜなら、ハリウッド映画こそ、アメリカ文明がつくり出した妄想なのだから。夢から覚める夢、を見せられても、それは目覚めにはならないのだ。







★★★ ポートレイツ・オブ・ジャマイカン・ミュージック

2007/04/07

シアターN渋谷で。

監督:ピエール・マーク・シムニン、出演:ボブ・マーリィ、リコ・ロドリゲス、ヘプトーンズ、マックス・ロメオ、バーニング・スピア、ルチアーノジャスティン・ハインズ&ザ・ドミノズ他



1962年のジャマイカの独立式典の映像で始まるこの映画は、ジャマイカの生んだ特異な音楽=『レゲエ』と、その前身『スカ』の歴史が綴られる音楽ドキュメンタリーである。長い間、英国の不条理な植民地支配に苦しんだこのカリブ海の小さな島国は、しかし今日のポピュラー音楽シーンに巨大な影響をおよぼした。苦みのある歌詞と、陶酔的というよりむしろ覚醒的なリズムの強烈さで、レゲエはさながらブラックコーヒーのように、多くの人を引きつけている。



50年代のサウンドシステムの映像につづき、初期のレゲエを支えたバックバンド「スカタライツ」のインタビュー部分は、米国のソウルを陰で支えた人々に光を当てた映画「スタンディング・イン・ザ・シャドウ・オブ・モータウン」の雰囲気によく似ている。しかし、話が若きボブ・マーリーの登場におよぶや、話題も音楽も急速に多彩になる。さらにバニー・リーとキング・タビーによる偉大な音楽的発明である『ダブ』の話、ボブ・マーリー没の前年の、ドイツ公演でのライヴなど、しびれるシーンばかりである(彼の息子ジギーによる現在のジャマイカ音楽シーンへのコメントも面白い)。



しかし、こうしたルーツ・レゲエのムーブメントを生みだしたものが、社会のアフリカ系黒人への徹底した搾取構造と、そこから発したラスタファリズムという独特な黒人解放思想&宗教であることを、カメラは決して忘れない。ポピュラー・ミュージックのみならず、現代の社会と音楽の関係に興味を持つ全ての人におすすめする。







★★★ クロッシング・ザ・ブリッジ~サウンド・オブ・イスタンブール

2007/04/07

シアターN渋谷で。

監督・脚本:ファティ・アキン、撮影:エルヴェ・デュー、出演:ババズーラ、オリエント・エクスプレッションズ、デュマン、レプリカズ、シェザ、メルジャン・デデ、セリム・セスレル、シヤシヤベンド、ヌール・ジュイラン、アイヌール・ドーアン、オルハン・ゲンジェバイ、ミュゼィイェン・セナール、セゼン・アクス



ドイツ生まれのトルコ系二世の監督による、イスタンブールを中心とした現代トルコ音楽シーンの記録映画。趣向としては、「モロ・ノ・ブラジル」や「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」に似たところのある、音楽オムニバス的なドキュメンタリーだ。やや映画としてはゆるいところもあったが、音楽はなかなか素晴らしい。



先鋭的なロックバンド、オリエント・エクスプレッションズは現代の大都会らしい音だが、メルジャン・デデのスーフィズム(トルコのイスラム神秘主義派)を生かしたビートと陶酔感の混じった音楽はトルコならではだ。セリム・セスレルのベーシックな民族的音楽もすてがたいし、クルド人女性シンガー、アイヌール・ドーアンの叫びと哀切な響きは、一度きくと忘れがたい。



しかし、中でも一番見事だと感じたのは、トルコ・ポップスの女王セゼン・アクスの歌声と、それからトルコ最高の映画俳優オルハン・ゲンジェバイの弾く弦楽器サズと歌だろう。どのアーティストもはじめてきく名前ばかりだが、素晴らしい。第三世界の音楽が好きな人なら、ぜひ見るべき映画である。







★★★ ヴェニスの商人

2007/03/24

DVDで

監督・脚本:マイケル・ラドフォード、音楽:ジョスリン・プーク、衣装デザイン:サミー・シェルドン、出演:アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ、ジョセフ・ファインズ、リン・コリンズ 他



これはまことに素晴らしい映画だ。とても出来が良い。制作者や俳優たちが、丁寧に、楽しんで創っている感じが見る者にまで伝わってくる。



ヴェニスの商人の話は、だれでも大筋は知っている。だから、ある意味で演出が勝負になる。この映画では、それを中世のまだ明け初めぬ共和国都市ヴェニスの雰囲気作りと時代考証に、その演出の土台をすえて成功した。むろん、アル・パチーノのシャイロックも良い。まあ、上手な俳優だし、うまく演じて当然という感じさえある。それより、ポーシャを演じたリン・コリンズが、なかなかの好演だ。とくに男装して出てくる裁判の場面など、とても楽しい。



しかし、もう一つ特筆すべき点があるとすれば、音楽のすばらしさだろう。ルネサンス楽器とカウンター・テナーをつかって、とても時代の雰囲気を出している。この音楽を聴くためだけでも、この映画を見にいく価値があるというものだ。傑作である。







 ★★ それでもボクはやってない

2007/03/17

池袋シネマ・ロサにて

監督・脚本:周防正行、出演:加瀬亮・瀬戸朝香・山本耕史・もたいまさこ 他



日本の司法・裁判制度の実態という非常に意欲的なテーマにいどんだ、面白い作品だと思う。テーマについては、きわめて直接的でヘヴィーなインパクトを観客に与えてくれる。けれど、娯楽としては重すぎるな、というのが率直な印象だ。中年の危機を描いた傑作「Shall
We ダンス?」との最大の違いはその点だろう。だからあまりヒットしそうにない。ヒットしないと、大勢の人に見てもらえない。その点が残念だ。



この映画に見る日本の司法制度はあまりにもひどいから、娯楽にはなり得ないという意見もあるだろうが、それは作り方の問題とも思う。この作品では、観客にとっての緊迫感は、もっぱらストーリーと俳優の表情から生まれてくる。真に映画的なショット、絵に力のあるシーンは本当にわずかしかない。テーマの性質上、シンメトリーの構図で、かつ座った静的シーンが主体になるのはしかたがないとしても、そこをどう動きにするか、映像的な緊迫感にするかが映画監督の手腕だと思うのだが。キャスティングはまあ、面白い。







★★★ 8人の女たち

2007/03/10

DVDで。

監督:フランソワ・オゾン、原作:ロベール・トーマ、出演:ダニエル・ダリュー、カトリーヌ・ドヌーヴ、イザベル・ユペール、エマニュエル・ベアール、ファニー・アルダン、ヴィルジニー・ルドワイヤン、リュディヴィーヌ・サニエ、フィルミーヌ・リシャール



しっかしまあ。監督が、楽しんで作っているのはよく分かる。冒頭のシーンから、いかにもガラス色絵のような色彩感で、“これは昔風の映画ですよ・・”と告げている。そして、なにより脚本が上手くできている。舞台劇だが、雪に閉ざされたコテージでの犯人捜し風の、サスペンスがうまくきいたストーリーで、観客を飽きさせない。仏で公開されたときも、大ヒットになっていたのはよくわかる。



しかし、当然ながらこの映画のハイライトは、文字通り8人の主演女優たちだろう(まあカトリーヌ・ドヌーブがいわばストーリー上の中心どころだが、あとの7人が助演という話では決してない)。それも、年配から少女まで、じつに見事なキャスティングである。この映画はキャスティングの妙を楽しむ映画なのだ。そのために、わざわざ8人にそれぞれ歌を唄わせるソロ・シーンが用意されている。思わず笑ってしまう。



カトリーヌ・ドヌーブの大女優としての貫禄はさすがだし、ファニー・アルダンの骨太の魅力も素敵だ。イザベル・ユペールも実にいい味を出しているし、エマニュエル・ベアールの色っぽさもなかなかいい。唯一の黒人女優フィルミーヌ・リシャールもとても素晴らしい。ヴィルジニー・ルドワイヤンとリュディヴィーヌ・サニエの姉妹も、可愛くて意地っ張りそうなフランスの女の子をよく表している。



しかし、一番素晴らしかったのは、往年の美人女優ダニエル・ダリューだ。この人の歌の巧さなど、まさに最高である。フランス文化が爛熟していた頃の香りを、まだ自分自身の体で覚えて残している唯一の人だ。彼女に比べれば、あとはみな、フランス女優の模倣のようなものだといえよう。だからこの映画は、21世紀になってつくられた、失われたフランス文化への挽歌なのである。







  ★ オズの魔法使

2007/02/24

DVDで。

監督:ヴィクター・フレミング、 音楽:ハーバート・ストサート、 出演:ジュディ・ガーランド、バート・ラー、ジャック・ヘイリー



なんとなく疲れたので、心温まる、ほっとするような娯楽映画が見たくなったのだ。だから横浜駅東口地下で、1枚500円のDVDを買ってかえった。そして、一人で家で見た。見て、幸せになれたかって? さあ、たぶん、500円分かな。



1939年の映画だ。テクニカラーが人工着色だということを強く感じさせる画面に、魔法のファンタジーが歌や踊りや物語を繰り広げる。「虹の彼方に」は、もちろん本当に名曲だ。それに、この映画の時代のアメリカは、その純朴さも田舎臭さもふくめて、今はもう存在しない。しかし、失われてしまって悲しいかどうか、迷わせるものがこの映画にはある。勇気や頭脳や豊かな心は、こんな風に手にはいると信じていいのだろうか? 主役も脇役3人もキャスティングがいいだけに、ファンタジー映画としての底の浅さが惜しまれるのだ。







★★★ 合唱ができるまで

2007/02/03

シアターN渋谷にて。

監督・脚本:マリー=クロード・トレユ、撮影:ピエール・ストウベール、出演:クレール・マルシャン、モーリス・ラヴェル音楽院合唱団



合唱が好きな人にとって、これほど面白い映画がまたとあるだろうか。パリ13区に集う、大人・若者・少年少女の3つの姉妹合唱団が、シャルパンティエの『真夜中のミサ』を練習して歌い込む姿を淡々と撮った、記録映画だ。とくに派手なところがあるわけでもなく、淡々と歌の練習風景をうつしていく。最初はとぎれとぎれで、声の線もおぼつかず、ハーモニーもずれて始まる。どんな合唱団でもありうる姿だ。しかし、発声指導者や指揮者は一生懸命、素人の皆をみちびいていく。



この発声指導は、見ていてとても面白い。発声というのは不思議なもので、自転車に乗るとか逆上がりをするといった類のことと似ていて、いくら言葉で言われて頭で理解しても、そのままでは上手くいかない。それどころか、歌い手が力めば力むほど、前に叫ぼうとすればするほど、声が響く場所は狭まり閉じこめられていく。おまけに自分自身の声は、だれも正確に聞くことができない。だから、発声指導者は、たとえば「息を吸うように歌え」という風な、一見常識に反するようなイメージを与えて、歌い手を導いていく。この映画の中で、子ども達に、目の前の見えないチーズ・フォンデュの鍋から、ゆっくりとチーズに浸したパンを口元にはこぶように真似させながら、声を出させるシーンがある。こうした指導の工夫が、実に興味深いのだ。



実を言うと私も、パリ13区に集まって歌う合唱団の一員だったことがある。世間の人がパリ市民のイメージについてどう思うかは知らないが、合唱という、いかにも中産階級的な楽しみに集うのは、みなごく普通の人たちだった。だからこれは、世界中の全ての合唱人に共通の風景なのだ。



こうした練習の苦労を積み重ねながら、本番直前の日になって全員が集まり、あわせる段になってもまだ、音はバラバラだ。指揮者の女性は半べそになって「あんなに練習したのに・・」とつぶやく。



しかし、何と不思議なことだろうか。ゲネプロで器楽といっしょに舞台に立ち、歌っていくと、突如としてそこに音楽が立ち現れてくるのだ。その感動すべき瞬間を、カメラは見事におさめている。これこそ、ドキュメンタリーの長い伝統を持つフランス映画の、最良の芸だろう。合唱に興味のあるすべての人におすすめできる、素晴らしい作品である。







 ★★ スター・ウォーズ エピソード4 新しい希望

2007/01/04

DVDで。

監督・脚本:ジョージ・ルーカス、SFX:ILM、出演:マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、アレック・ギネス他



オリジナル版を見たのは大学生の時(1978年)だから、ほぼ30年後に再制作版を見直したことになる。あのときは劇場で2回見たなあ。それだけ面白かった。低予算(今に比べて)、CG無しでも、あれほど楽しめたのだ。制作側の工夫と熱意が詰まっていた。ヒットするのは当然の出来だったと思う。



いま、CGで様々に手を加えられた再制作版を見ると、あらためてオリジナル版のショットの方が視覚的な印象に残る力が強いと分かる。それは、例の、砂漠の丘をこえてR2D2とC3POが歩いてくるシーン(黒澤明に影響されたシーン)をみても明らかだ。こうしたショットの積み重ねが、映画のアクチュアリティを生み出すのだ。いかにCGがリアルでも、リアルとアクチュアルは別のことなのだ。それは草原を風に吹かれながら進むような、開放感とデリケートさが両立した感覚だ。どんなに手を入れて整然となった庭園でも、その味はもはや得られないとつくづく感じる。







  ★ スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃

2006/12/30

DVDで。

監督:ジョージ・ルーカス、SFX:ILM、出演:ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ヘイデン・クリステンセン、イアン・マクディアミッド、クリストファー・リー他



エピソード1から10年後、青年に成長したアナキン・スカイウォーカーとパドメの恋と命運を描く。ユアン・マクレガーはなかなか好演している。しかし、ルーカスの脚本というのは、前書きというか前置きが多くて、話が分かりにくい。映画って、何の予備知識もなく映画館に入って見始めても、ちゃんと分かるというのがいいシナリオだと思うんだがな。



おまけに、相変わらずルーカスは女性を美しく撮るのが下手である。ナタリー・ポートマンは可愛い女優だと思うのだが、わざわざ凝ったへんてこなコスチュームを着せて野暮ったく見せている。この人はスポーティな点に魅力があるので、戦闘服を着て戦闘シーンをやっているときが一番スクリーンに映えると思うのだが。



まあ、しかし、この映画のハイライトは、何といってもヨーダのライト・セイバーを使った立ち回りだろう。とても楽しい殺陣である。これで話がもう少し明るいと、まだしも後味もいいのだがなあ。







2006年







★★★ 蟻の兵隊

2006/11/25

横浜シネマ・ジャックにて

監督:池谷薫、出演:奥村和一



非常にインパクトのある、良い映画だった。記録映画として、すぐれた作品だと思う。



映画は一貫して奥村和一さんという元日本兵の方を取材し、追いかけていく。奥村さんは兵隊にとられ、中国の山西省で終戦を迎えるのだが、なぜか上官の命令で部隊ぐるみ、中国に残留させられる。そして中国国民党側の軍閥の下で何年間も、共産党軍との戦闘を強いられるのだ。その一方で、自分たちの司令官と参謀は、敗色が濃いと見るや、部隊を見捨てて脱出し日本に逃げてしまう。



結局、奥村さんたちの部隊は1949年の共産革命の成立と前後して捕虜になり、54年にようやく帰国を許される。しかし驚いたことに、日本政府は「彼らは自分たちの意思で勝手に残留した」と見なし、恩給支払を拒否する。やむなくこの人たちは国を相手取って裁判を起こす。



映画は、この奥村さんが、高齢化の進んだ原告たちのために、かつての山西省を訪れ、日本軍司令官と国民党軍閥との密約の証拠を探し出そうと、残った証人たちや文書を求める旅を中心に描く。そして、冒頭と最後のシーンを靖国神社におき、奥村さんがかつての侵略戦争を美化する者達をどう見ているか、描いて終わる。



奥村さんは、現地の部隊に配属されると、「教育」ないし「肝試し」と称して、ある非常に残虐な行為を強制された。彼がその現場にもどり、証人たちと話し、線香をそなえて祈るシーンが映画のひとつのクライマックスだろう。そして、個人個人が何をし何をしなかったかよりも、戦争は人間を殺人マシーンに変えてしまう非道なものである、とあらためて再認識する。そこまでを、カメラはあえて無理な美化もせず客観的に描き出す。この映画の魅力の一つは、でてくる人たちのそれぞれの顔を、じつに正確にとらえて撮影していることだと思う。また、残酷なエピソードもあまりくどくど取りあげない。節度のある、いい演出だ。



この映画を見るまでは、中国残留部隊の存在すら知らなかった。中国における侵略戦争のありさまについては、断片的にいろいろなことは耳に入っていた。しかし、やはり個人が自分自身に向き合う形で、その経験について問う姿を、映像で見ることは、やはり迫真性がまったく違う。いわゆる『社会派映画』の範疇に入る記録映画だが、画面はあまり暗くなく、真っ正直な人々が何人も出てくるので見ているとほっとする。こうした映画こそ、学校などでも映写会を開いて多くの人に見てもらいたいと思う。









★★★ 市民ケーン

2006/11/22

DVDで。

監督・脚本・制作・主演:オーソン・ウェルズ、出演:ジョセフ・コットン、ドロシー・カミング 他



この映画を最初にみたのは大学の新入生オリエンテーションの時だったから、もうずいぶん昔の話だ。併映は民青のつくった「燃え上がる炎」という、大学紛争をあつかった死ぬほど下らぬ映画だったのを、妙によく覚えている。「市民ケーン」を一緒に上映したのは、有名な作品だから人集めになるというのもあるが、米国の大資本家の矛盾に満ちた生涯をえがく話だから、当時の全学連の反資本主義的な建前にあうと考えられたのだろうか。

実際にはこの映画には、とくに社会的なテーマはない。あるのはオーソン・ウェルズが自演したケーンという富豪(新聞王ハーストがモデルだといわれた)の、賑やかだが孤独な生と死だ。それをウェルズは、カットバックを多用しながら、陰影深く浮き彫りにしていく。たとえば大統領の姪との最初の結婚生活がしだいに空疎になっていく有様を、言葉ではなく、ただ朝食のシーンの積み重ねで見せていくあたりが、非常に映画的な手腕である。



ケーンは富も権力も名声も手中にしながら、「ザナドゥ」と呼ばれる壮大な屋敷で孤独に死ぬ。その末期の言葉「バラのつぼみ」の意味を追って映画ははじまるわけだが、その謎は結局最後のシーンになって観客だけに明らかになる。彼は妻や部下や友人に対して命じることはできるし敬意は払われるが、結局誰からも求められないのだ。



「どんな貧困よりも労苦よりも恐ろしいことは、自分が誰からも必要とされていないと感じることだ。」というマザー・テレサの言葉があるが、だから富も権力もケーンにとって救いにはならない。彼が一番強く求めたことは、おそらく母から必要とされ、愛されることだったはずだが、その出発点がかなわなかったのだ(この母親のサクソン・マザー的な強さがこの映画全体の鍵となっている)。彼が女性に求めたのは強さであって、だから最初の妻は上流階級だったし、二度目の妻への酷評は「Weak(弱い)」だ。つまりこれは、アメリカ社会の底層にひそむ、エディプス・コンプレックスの物語なのである。



それにしても、最初にみた当時、画面が暗くて見えにくいのは上映環境のせいかと思ったのだが、DVDで見直してみても、やはり暗い画面なのだった。すべての登場人物を客観的な視点からとらえようとしてウェルズが開発した、パンフォーカスの効果なのかもしれないが。







 ★★ わたしのグランパ

2006/10/21

DVDで。

監督:東陽一、原作:筒井康隆、出演:菅原文太・石原さとみ・浅野忠信 他



河合隼雄がほめていたのでDVDを借りてみたが、冒頭から映画的な画面で感心した。東陽一監督は’70年代の「サード」ぐらいしかみていないが、きちんとした映画作りの伝統をうけついでいる世代の人なのだろう。



菅原文太もいい。このキャスティングがなかったら、この映画は成り立たなかったはずだ。これは歳をとった菅原文太の肖像ともいうべき、あるいは失われた昭和の仁義の通し方についての、映画なのだ。石原さとみも好演しているし、脇を固めるキャストがみなうまく役にはまっている。だから安心して映画のストーリーに身をまかせていける。



刑務所から帰ってきた祖父と、中学生の孫娘との話は、だれもが期待するように展開し、適度なスリルと笑いを交えながら、そうなるだろうなと思うラストにむかって走っていく。それにしても、10代の女性の助けになるのが、異界からかえってきた孤老しかいない、というのが私たちの生きる時代なのだ。だからこの映画は、むしろ昭和に10代を過ごしたまま大人になれなかったすべての「若者」達が観るべき映画なのである。







 ★★ レインマン

2006/10/06

DVDで。

監督:バリー・レヴィンソン、 脚本:バリー・モロー、 出演:ダスティン・ホフマン、トム・クルーズ、ヴァレリア・ゴリノ



「自閉症」という本の中でこの映画のことを取りあげていたので、あらためて観てみた。遺産目的の下心をもって、自閉症の兄を施設から連れだし、ロスに向かう弟との道中をとったロード・ムーヴィー。アメリカ映画って、どうしてロード・ムーヴィーがこう好きなんだろうな。しかし、見終わってしばらくたつと、何となく70年代の男二人の道中を描く「スケアクロウ」が思い出される。



ダスティン・ホフマンは研究熱心な役者で、自閉症者をうまく演じているが、“うまく演じているな”とどうしても感じてしまう(まるで「レナードの朝」で脳炎患者を演じたデ・ニーロとはりあっているみたいだ)。それにくらべて、トム・クルーズの方が蓮っ葉な青年(てのも変な言い方だが)を自然体で好演していて、なかなか良い。しかし「スケアクロウ」からの約20年間で、アメリカ社会がどんなにあけすけになっていったか、ある意味でよくわかる映画だと思う。







★★★ キンキー・ブーツ

2006/09/26

機内TVで

監督:ジュリアン・ジャロルド、 出演:ジョエル・エドガートン、キウェテル・イジョフォー、サラ=ジェーン・ポッツ



英国ノーザンプトンの靴工場を舞台にした、ちょっぴり毒のある笑いにくるまれた大人の映画。実話にもとづく、というのがミソで、キウェテル・イジョフォー演じるドラッグ(オカマ)クイーンが経営困難に陥った工場を救う『特殊な』ニーズをもたらしてくれるという話になっている。この映画の成功は彼の熱演のたまものだが、でも工場をとりまく人々の群像が、なかなかそれらしくて良い。



話の展開はそれなりに読めるが、舞台劇的なテンポやショットのまとめ方はわるくない。映像も、いかにもイギリス的な美意識でとられており、案外奥が深い。見て決して損はない、面白い映画である。







 ★★ 花よりもなほ

2006/06/09

監督・ 脚本:是枝裕和、出演:岡田准一、宮沢りえ、古田新太、浅野忠信、香川照之

渋谷にて。



なかなか面白い映画だった。映像的な感覚がいい。風車のシーンや、花見の下の人々の動きなど、映画らしいショットがいくつもある。ストーリーも適度なウィットがあって、人物がうまく動いている。



とはいえ、全体としてはやや長く感じられる。なぜかな、と思ったのだが、エピソードがぶつぶつ切れやすいせいらしい。少しシーンを刈りこんだ方がいい。そうしないと、是枝監督はだんだんジャン・ジャック・ベネックスになってしまうだろう。



タブラトゥーラの無国籍的音楽は気分にぴったり合っている。







 ★★ 二度目の結婚

2006/05/07

有楽町朝日ホール、イタリア映画祭にて

監督・脚本:プーピ・アヴァーティ、出演:アントニオ・アルバネーゼ、ネーリ・マルコーレ、カティア・リッチャ他



戦後すぐの時期の南イタリアを舞台にした、貧しいがのどかな人間模様を描くちょっとおかしな劇映画。北部ボローニャで戦災に合い、焼け出されて教会堂で寝起きしていた人々が一人また一人と自分の街に戻って行き、教会も通常の運営に戻ろうとするところからドラマははじまる。戻るあてのない主人公は親戚をあてにして南にいくのだが、そこで待っていたのは不発弾処理を仕事とする、善良だがちょっと奇人の中年男だった・・。



この、「ちょっとおかしいけれど善良な」というのが、イタリアの喜劇を支えるだいじな調味料らしい。それは、この映画ではキャスティングのうまさもあいまって成功している。ただし、なんとなく若い人向けでなく中年以降に受ける面白さだな、と感じなくもない。そこらが成熟したヨーロッパ映画のむずかしいところなのだろうが。









 ★★ グアラチーノ(短編)

2006/05/07

有楽町朝日ホール、イタリア映画祭にて

監督:ミケランジェロ・フェルナーロ



不思議な雰囲気をもつ、ちょっと説明不能な一種のアニメーション短編。古いグアラチーノという歌を元に、とぼけた哀愁のある小さな物語を産み出している。いかにもイタリア的な映画である。







★★★ ホテル・ルワンダ

2006/04/08

渋谷にて。

監督:テリー・ジョージ、出演:ドン・チードル、ソフィー・オコネドー、アキン・フェニックス他



90年代にアフリカ内陸の国ルワンダにおきた恐ろしい内戦は、対岸の火事として曖昧なまま我々の記憶に残っている。内戦はフツ族とツチ族の部族対立によるもの、と説明されていたが、どちらがどちらか誰も良くわからぬままだ。



この映画は、そのルワンダ内戦を、ベルギー系ホテルの雇われ支配人だった現地社員夫婦の目を通して描く。実話に基づく社会派映画だが、とてもドラマ的緊迫感があり、面白い。はじめの方で、欧米からきたカメラマンに、バーの若い女性がフツとツチの「違い」を教える。それは、ベルギーが植民地支配のために民衆を分断するためでっちあげた便宜的区別であり、じつは部族でもなんでもない(そもそも、なぜアフリカに限って「民族」と言わずに部族と呼ぶのか不明だが)。こうした説明を排したシナリオのうまさがこの映画を支えている。



大統領が暗殺され、首都でのフツ武装組織によるツチの中産階級の闇打ち・虐殺がはじまると、ストーリーは一気に緊迫の度を増す。主人公は避難してきた数百人の住民達をホテルにかくまいつつ、海外の救援を待つ。これにたいして、資源も何も無いルワンダにたいして『国際社会』がいかに冷淡・無関心であるかを、観客はいやというほど自覚させられる。そしてクライマックスにむけ、主人公のドン・チードルの好演が光る。エンディングロールの切実な歌詞は、聞いていると涙がこぼれそうになった。面白い、いい映画である。







★★★ 天空の草原のナンサ



2006/02/04

新宿テアトルタイムズスクエアにて。

監督:ビャンバスレン・ダヴァー、 出演:ナンサル・バットチュルーン、ウルジンドルジ・バットチュルーン、バヤンドラム・ダラムダッディ・バットチュルーン



モンゴル出身でドイツで活躍中の監督による、モンゴルの映画。遊牧民バットチュルーン一家の夫婦と小さな娘ナンサのゆっくりとした生活をとらえながら(彼らは素人だ)、その生活と心性を見事にすくいとってカメラに収めている。



広大な草原の国にも、文明と都市化の波は目に見えぬ内に広がっていて、少しずつ人々の伝統的な暮らしの基盤をおびやかしつつある。カメラはそれを、人々の静かな語り合いの中から浮かび上がらせる。



この映画は全体として、セリフの少ない、とても寡黙な映画だ。そして遠くまで奥行きのある構図と、自然の映像で見る人の心の奥に訴えかける。なんとなくビクトル・エリセ監督の「みつばちのささやき」を思い出させる秀作だ。なかでも、少女ナンサに人間の輪廻を説く老婆のエピソードが、とても印象的だった。







2005年







★★★ 風の前奏曲

2005/12/20

監督:イッティスーントーン・ウィチャイラック、 音楽:チャーチャイ・ポンプラパーパン、出演:アヌチット・サパンポン、アドゥン・ドゥンヤラット、アラティー・タンマハープラーン、ナロンリット・トーサガー他



タイの伝統的民族楽器(一種の木琴)ラナート奏者として有名な、ソーン・シラパバンレーンの伝記的実話をもとにした映画。この映画を見るまではタイ音楽について何の知識も無かったが、とても面白い。名人芸的な演奏の見せ場が何回もあって、それ自体、音楽映画として良くできている。とくに実際に名手であり、映画では敵役のナロンリット・トーサガーがなかなか良い(それにしても、楽団の演奏の優劣まで賭事の対象にするとは、いかにもタイ人だと思う)。



しかし、映画としての話の運び方、シナリオの構造も面白いし、なにより20世紀初頭のタイ農村地帯の雰囲気を画面に濃密に再現した撮影が、見事だ。この映画を見てすぐ、実際のタイに旅行したが、これまで見過ごしてきたタイ人の伝統文化に対する態度の複雑さと奥深さを感じて、とても興味深かった。誰にでもおすすめできる、良い映画だ。







  ★ 列車に乗った男

2005/12/09

DVDで。

監督:パトリス・ルコント、出演:ジャン・ロシュフォール、ジョニー・アリディ他



やっぱりぼくはパトリス・ルコントって分からないのかなあ。そんな感想の映画だった。主演の二人はどちらも好演している。教授と流れ者の初老の二人が、互いの中に自分の「生きなかった反面」を見るというプロットは面白い。しかし、ストーリーとしては、ちょっとあっけない。渋くて小味の映画だが、もう一品、なにかあると感心したのだがなあ。







★★★ モーターサイクル・ダイアリーズ

2005/12/02

早稲田松竹にて

監督:ウォルター・サレス、撮影:エリック・ゴーティエ、出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、ロドリゴ・デ・ラ・セルナ、ミア・マエストロ他



早稲田松竹に行ったのは学生時代以来だろうか。まだ変わらぬ名画座でいてくれて、とても嬉しい。



そして、この映画も素晴らしい。青年時代のエルネスト・(チェ・)ゲバラと、親友で医師の卵とが1台のバイクに乗って、ブエノスアイレスから南米一周の旅に出る。その破天荒な旅路の喜びや苦難、出会いと別れを描いたロードムービーだ。撮影が、また素晴らしい。どこを見ても南米そのものの景色と人々。それを切ないほど美しく切り取って見せてくれる。たとえば、バイクで疾走する平原、あるいはマチュピチュ遺跡のシーンのすごさはどうだ。



エルネストは貧しいが陽気な労働者や娘たち、抑圧されるインディオ、土地を追われた共産主義者の夫婦、らい病院への滞在などをへて、次第に革命家チェ・ゲバラに内心なっていく。映画はそれを、決して大げさにならずに、しかし説得力を持って描いていく。



こういう秀作を、名画座で見ることができるのだから、早稲田の地もまだまだ捨てたモノじゃないと思う。







 ★★ マイノリティ・リポート

2005/11/19

レンタルDVDで。

監督:スティーヴン・スピルバーグ、原作:フィリップ・K・ディック、出演:トム・クルーズ、コリン・ファレル、サマンサ・モートン他



スピルバーグの映画を自分から見たのは、何年ぶりだろう。「ET」「トワイライト・ゾーン」以降、見限っていたので、20年近くになるかもしれない。とにかく、監督としての手腕がだらしなく鈍ったとしか感じられなかったのだが、世間の評価は逆で、ますます人気が出ていった。たまにTVでちらりとシーンを観ることがあったが、なぜあんな適当な映画にみんな群がるのだろうと、長らく不思議でならなかった。



そのスピルバーグの映画をまた観てみようかなと思ったのは、本編の予告編をTVでちらりと見たときだ。映像にシャープさが戻っている。シーンの緊張感も高そうだ。面白いかもしれないと予感した。



その予感は、ほぼあたったと言っていい。この映画は面白い。P・K・ディック原作の映画というとどうしても「ブレードランナー」を思い出してしまうが、あれとも違い、現実が次第に裏返って奇妙な非現実と交錯していく、独特な世界を見事に描いている。しかも、ストーリーのキーポイントが、水面の波紋という映像でしか表現できないシーンである点もにくい。主演のトム・クルーズの演技もわるくない。非常に映画らしい映画である。







 ★★ LOVERS

2005/10/23

DVDで。

監督:チャン・イーモウ、衣装デザイン:ワダ・エミ、出演:金城武、チャン・ツィイー、アンディ・ラウ他



いかにも、現在の中国が生み出しそうな、極彩色のファンタジー娯楽映画だ。今をときめく女優チャン・ツィイーの魅力が良く出ているし、チャオ・シャオティンの撮影も、それを見事に際だたしている。ワダ・エミの衣装デザインも芸術的レベルに達している。金城武もとても格好いい(とくに乗馬のシーンがこの人は巧い)。



コンピュータ・グラフィックスを活用して、美男美女の俳優たちがこなす中国人好みの極端な演技描写を、ぽーっと口をあけて2時間の間、ながめつづける--これはそういう映画だ。そして、終わったら、楽しかったという後味以外は、きれいさっぱり忘れていい。そんな娯楽性を、この映画は提供してくれる。まあ、じつに「スターウォ-ズ エピソード3」を鏡にうつして逆さまにしたような、対照的な作品だ。









 ★★ スターウォ-ズ エピソード3 シスの復讐

2005/08/10

新宿にて。

監督・脚本:ジョージ・ルーカス、出演:ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ヘイデン・クリステンセン他



面白いことは面白かったけれど、なんとも疲れる映画だ。最初から最後まで、戦闘シーンがかなりの比率で続くのが、その理由らしい。もちろん、全6部作の話の円環が見事に閉じる快感がないわけではない。そして、見終わってみると、「スター・ウォーズ」全6部というのは、結局ダース・ベイダーを主人公としたドラマだったのだな、と分かる仕掛けだ。



特殊撮影シーンの密度やテクニックについては、とくに何も言うつもりはない。マニアだったら、あちこちで感心するだろうな、と思うだけだ。しかし、音楽の使い方は脅迫的で、まさにその効果を狙ったのだろうが、ある程度アメリカ人のように鈍感になれなければついていけるものではない。



パドメ役のナタリー・ポートマンは、あいかわらずどんなドレスを着ても似合わない人だが、そもそも監督が女性をきれいに撮りたいという欲求を持っていないのだから、いたしかたない。ヘイデン・クリステンセンはなかなか力演で、ユアン・マクレガーを喰っている。しかし、なんといってもこの映画の中心は、戦闘のモブ・シーンであり、権力欲が生み出す戦争の悲劇にある。「あなたが自分に味方しないなら、もう敵だとみなす」とのアナキンのセリフに対して、「いかにもシスらしい決めつけ方だな」とオビワンが切り返すところなど、やはりイラク戦争を思い出させる。’70年代に作られた第1作にあった若さや軽快さは、ここには残っていない。その証拠に、狂言回し役のC3POは、本作ではほとんど生彩がないのだ。







  ★ Robots

2005/08/02

Alitalia機内ビデオにて。



フルCGアニメの映画で、無機的な金属感のあるロボットが主人公。無機質の幾何学を表現するのはCGのお得意だが、コミカルなアニメのためには曲がったり飛び跳ねたりのデフォルメが必要で、まあそこが逆に技術の見せ所なのだろう。



しかし、お話はいかにも現代アメリカの脚本らしく、力が弱い。夢を抱いた主人公が街に出て、冒険をくりひろげた後に、家族愛や恋愛を手に入れる、いわば王道のストーリーなのだが、問題の中心は巨大企業の横暴にあるのに、そこをうまく描けないのだ。アメリカ映画が資本主義の本質的な悪を描けないというのは、きわめて今日的な限界である。







 ★★ Tu La Conosci Claudia?

2005/07/23

Alitalia機内ビデオにて。



なかなか面白いシチュエーション・コメディで、出だしの主人公の独白から、軽快なテンポと小気味良い演出のリズム感を楽しめる。いかにも、職人芸のこもった映画である。題名は「クラウディアを知ってる?」という意味だが、結婚した中年女性クラウディアをめぐり、亭主を含む3人の男が堂々巡りをくりひろげる喜劇である。この亭主がいかにもセクシーさの乏しいダメ男で、まあイタリア男でもこんなのが結構大勢いるのかな、と思わせる。キャスティングも、とてもうまい。落ち着いて楽しめるコメディ映画だ。







★★★ Shall We Dance?

2005/05/19

監督:ピーター・チェルソム、原作:周防正行、出演:リチャード・ギア、ジェニファー・ロペス、スーザン・サランドン、スタンリー・トゥッチ他

機内ビデオで



とても楽しんだ。ストーリーは、すでに知っている。このハリウッド映画は、周防正行監督の同名の映画の忠実なリメイクなのだ。日本映画がこのような形でリメイクされるのは初めてだろう。それでも、やはりよく出来ている。泣かせどころのシーンでは思わずほろりとしてしまった。



これは『中年の危機』をテーマにした話である。永遠の若さを描きつづけるハリウッドが、こうした話を取りあげるには日本映画をまねるしかなかった、という点が象徴的だ。実に日本映画とは、中年のための映画なのだ。中年とは、自分の人生における魔法の喪失を意識する年代にほかならない。だからこの話は、同じ毎日のくり返しに疲れた事務弁護士の独白から始まる。シカゴの高架電車の窓から、ふと見上げたダンス教室の窓に、失われた自分の「内なる異性」の姿を見つける。そこから、感情や身体性を取り戻す旅路が始まるのだ。それはコミカルに、上手に描かれている。



キャスティングは、とても良い。原作とはずいぶん違う持ち味の俳優達を割り当てて、成功している。リチャード・ギアは特訓して自分で踊っている。そこも、この映画の成功のだいじな鍵だろう。カメラワーク、とくに照明も美しい。良い映画である。







★★★ ペッピーノの百歩

2005/05/02

「イタリア映画祭」(有楽町朝日ホール)にて。



監督・脚本:マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ、撮影:ロベルト・フォルツァ、出演:ルイジ・ロ・カーショ、ルイジ・マリア・ブッルアーノ、ルチア・サルド他



これは素晴らしい。社会派だから、いかにも岩波ホールにかかりそうな「良心的」映画だから誉めているのではない。映像全体のもつ緊張感が高いから優れているのだ。



原題 "I Cento Passi" は文字通り『百歩』のこと。主人公ペッピーノの家から、遠縁の親戚にあたるマフィアのボス・ターノの住む家まで、わずか百歩の距離しかないことを、夜の通りで若い友人に歩いて示してやるシーンから、この映画のタイトルはとられた。それほど、このシチリアの地方都市では、生活の網の目のあらゆる細部にマフィアの力がからんでいるのだ。1960年代の後半に青春を迎えた主人公は、そんなマフィアとの共存の道を選んだ父や共同体に反抗し、反マフィア運動をゲリラ的に繰り広げる。そのイタリア青年的な、しつこさと骨太さとユーモアの入り混じったやり方は、たしかに面白い。



が、当然ながらマフィアは暴力的手段で圧殺にかかってくるわけであり、観客はその不安を感じながら、彼の道化じみた反抗を見守らなければならない。イタリア共産党運動も、この地では無力だ。結局、悲劇的な結末で物語は終わるが、見終わった者の心の中に、社会不正と暴力と政治腐敗に対する、強い怒りの念が炎のように飛び火してくる。それこそが、演出の力なのだろう。ルイジ・ロ・カーショの演技も素晴らしい。







  ★ アガタと嵐

2005/04/29

「イタリア映画祭」(有楽町朝日ホール)にて。

監督・脚本:シルヴィオ・ソルディーニ、出演:リーチャ・マリエッタ、エミリオ・ソルフレッツィ、ジュゼッペ・バッティストン他



それなりに快活に物語は進むが、見終わってしばらくたつと残っている印象が少ない映画だった。「絵」としての面白みが薄く、なんとなくTVドラマ的な画面構成が続くせいかもしれない。北イタリアの都市ジェノヴァで、ちょっとお洒落な書店を営む中年女性アガタが主人公だが、場所がジェノヴァでもサンフランシスコでもどこでも同じような話に思える。コメディ的な予定調和をわざと壊している監督の意図も分からないではないが、どうも唐突だ。わざわざ映画館で観たいほどの作品とは思えなかった。







 ★★ マッチスティック・メン

2005/03/19

WOWOWにて。

監督:リドリー・スコット、出演:ニコラス・ケイジ、サム・ロックウェル、アリソン・ローマン他



TVをつけたらちょうど始まるところで、何の予備知識もなしに見始めたが、うまく引き込まれて最後まで見てしまった。脚本・演出・編集の巧さなのだろう。とても職人芸的な映画だ。キャスティングもまあまあうまい。



ただし、詐欺師をめぐる物語で、父娘の関係が出てくるので、つい「スティング」とか「ペイパー・ムーン」を思い出して比較してしまう。どちらも名作なので、ちょっと差を感じるのはいたしかたあるまい。







★★★ イブラヒムおじさんとコーランの花たち

2005/01/09

札幌シアターキノ



監督・脚本:フランソワ・デュペイロン、撮影:レミ・シェブラン、出演:オマー・シャリフ、ピエール・ブーランジェ 他



珠玉のような映画だ。パリの街角のあちこちにあるエピスリーと呼ばれる食糧雑貨店(その多くはイスラム系の移民がやっている)での冒頭のシーンから、トルコへの帰郷(逃亡?)をへて、また雑貨店の店頭にもどる、この映画全体が静かで穏やかな光を放っている。それは、店主の老イブラヒムが、コーランにはさんでいた花の栞のように、うすい青の光だ。そして、その光はユダヤ人街にすむ父子家庭の男の子とトルコ人店主の、孤独な二人の魂を、とおりぬけるように照らしている。



主演の二人はとても良い。オマー・シャリフは、いかにも人生の風雪を耐え、なおもコーランの知恵に信頼をよせる老人を好演している。ピエール・ブーランジェはみずみずしい少年期の好奇心と無垢を顔に出している。話は単純で、ある意味あっけないが、観客に優しい後味を残していってくれる。素晴らしい出来である。







2004年







★★★ チェリビダッケの庭

2004/12/25

DVDで。



数年前に亡くなった指揮者チェリビダッケは伝説の人だった。ルーマニアに生まれ、フルトヴェングラーの下でベルリン・フィルに若くデビューしながらも、ベルリンを去ってあちこちを転々とし、この指揮者ならこの楽団、というような固定的関係を終生持たなかった(一番長かったのはミュンヘン・フィルか)。そして、生のステージのみを重んじて、レコード録音を一切拒否する。だから、聴衆は、直接彼のコンサートを聴きに行くしか、その真価を知る方法はなかった。ある意味では、コマーシャリズムに背を向けて、きわめて純粋に音楽を求道した最後の「巨匠」だろう。



この映画は、映像作家となった彼の息子が制作した、唯一の映像的記録だ。そして、映像として美しく、かつ内容も素晴らしい傑作となった。パリ郊外に暮らす彼の邸宅の庭でくつろぐ姿がときおり断章的に差し込まれるが、主に彼の(インタビューに対する)語りと、そして若い人たちへの指導風景から構成されている。



若い指揮者への指導とは、具体的にどのようにやるか。それは、たとえば小さなオーケストラや、弦楽四重奏団の前でタクトを振らせ、それをコーチするというやり方になる。題材はモーツァルトやベートーヴェンといった古典だ。



しかし、チェリビダッケの指示を見ると、腕のふり方といった身体的なことにかなりの注意が集中することが分かる。「指揮者とは肉体的な仕事だ」という意味のことを彼は言う。2本の腕の動きが作り上げるリズムをいかに正確に演奏者たちに伝えるか、そのためには肩ははどう曲げ、ひじはどう振り下ろすべきか、彼は厳格なメソッドを持っている。こうした指揮術の中核に無頓着なまま、曲の表情にばかり注目する批評家は馬鹿だ、と彼は言う。



コントラバスの低音が残響の中で描く軌跡が、その曲の正しいピッチを定める、と彼いう。チェリビダッケは、あらゆることに対して、「正しい」ことの厳格な基準を持っている。それは、ある意味で、ラテン的な明晰性に通じるものだろう。その彼は、不思議なことに、改宗して仏教徒になった。映画は、彼が大切にしていた仏像にはじまり、彼の庭に集うラマ僧たちとの礼拝と歓談の風景で終わる。



挿入される数々の演奏会シーンも、美しい。音楽に関心を持つ、すべての人が見るべき映画である。







 ★★ ぼのぼの クモモの木のこと

2004/11/06

Videoで。

監督:クマガイコウキ、監修・原作・脚本・絵コンテ:いがらしみきお



オールCGで、いがらしみきお自身が制作にたずさわっている。そのCGのアーティスティックなレベルはたいしたもので、毛筋一本一本を見せながら、全体として夢幻的な雰囲気を作り出している。すぐれた手腕である。ストーリーも、ひんやりとした屈折と孤独をうまく描きながら、心暖まる結末にうまくみちびく、上手なものだ。何よりも、クライマックスがとても映像的な点が良い。あたりまえのようだが、これこそ、映画であることの意味なのだ。作家としてのいがらいみきおの力量を示したものと言えるだろう。







 ★★ 風が吹くまま

2004/10/15

渋谷ユーロスペースにて



監督:アッバス・キアロスタミ、撮影:マハムード・カラリ、出演:ベーザード・ドーラニー、ファザード・ソラビ



これはとてもストイックな映画だ。珍しい葬式の風習が残るというクルド地域の村を取材しようと、テヘランからTVのクルーがやってくる。赤茶けた土くれと乾燥した草むら、小麦畑の続く中のジグザグ道を、車が飛ばす。そして目的地の村について、地元の少年の案内で、瀕死の重病の老婆が住む家の近くで、「そのタイミング」を待つのだ。しかし、そのときはなかなか来ない。クルーのリーダーは通じにくい携帯電話で妻や勤務先とやりとりしながら、何もすべきことのない日々をいらいらして待つ。彼の周りでは、少年や村人たちが、忙しいが単純な村の日常を続けていく・・



この映画の実際の出演者はとても少ない。多くの重要な「登場人物」は、カメラの中には登場してこない。観客はあれこれと想像で補いながら、比較的起伏の少ないストーリーを追いかけるわけだ。セリフも少ないが、いくつかの詩の引用が豊かな言葉のイメージを広げてくれる。



決して商業的にヒットしそうな映画ではないが、べつに「社会派」や「芸術映画」をねらっている訳でもないだろう。これはそういう淡々とした映画なのだ。観客は映画館の暗闇の中で、画面の美しさに息をのみながら、じっとそういう種類の時間を共有するのである。







 ★★ 華氏911

2004/09/23



監督・脚本・製作・出演:マイケル・ムーア



見ていた間は、この映画は三つ星の価値があると思っていた。しかし、見てからしばらくたった後で、この映画の内容を思いだそうとしても、漠然とした印象しか残っていないことに気がついた。それだけ映像も、シナリオを貫くドキュメンタリーの筋も、力が弱いのだ。



映像として印象に残ったのは、TV放映前に神経質そうに落ち着かずにいるブッシュの馬鹿面と、最後の、息子をイラクでなくした母親がワシントンDCに行くシーンくらいだ。ムーア監督の理解では、9.11事件とイラク侵攻にまつわる問題は、ブッシュ個人ならびにブッシュ家の引き起こしたものである。それは、貧しい中産階級の家庭に悲劇をもたらしている、と。背景には、ネオコンのイデオロギーや、米穀産業空洞化にともなう中産階級の没落があるはずだが、そこまでは切り込まれていない。ブッシュが個人的にいかに馬鹿か、が描かれるばかりだ。だが、そのお馬鹿を、なぜ半数近くの米国人が支持しているのか、この映画を見ていても理解できない。



ブッシュ嫌いな欧州人たちの応援でカンヌ映画祭のパルムドール賞も受賞し、たしかに面白いことは面白いのだが、映画としては前作「★★★ ボウリング・フォー・コロンバイン」の方が、ずっと強いインパクトがあったように思う。そして娯楽性も。そこが残念だ。







★★★ スウィングガールズ

2004/09/20

ワーナーマイカルみなとみらいにて



監督:矢口史靖、脚本:矢口史靖、撮影:柴主高秀、音楽:ミッキー吉野・岸本ひろし、出演:上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカ、竹中直人、谷啓ほか



楽しい映画だ。家族そろって見に行って、大いに笑い、大いに楽しんだ。それ以上、何もつけ加える必要がない。それくらい、映画として良くできている。



出演者たちも、努力しながらも、大いに楽しんだにちがいない。この映画には、そうした青春期の若さがつまっている。それは、演出のひらめき(あの静止画像をストップアクションで撮影しているところなど抱腹絶倒だった)や編集のリズム感にも現れている。監督もクリエーションで楽しんでいるかのようだ。本来ジャズマンの谷啓を、そういう役柄で出演させたのもいいキャスティングだ。



この映画はリズム感が良くできている。エピソードのつなぎ方、キャラクターの登場させ方、緊張とリラックスの交替がうまい。だから、ご都合主義のシナリオがちっとも気にならない。映画のストーリー作りとは、それでいいのだ。映像の面白さとサスペンスで、荒唐無稽の話からリアリティを引きだす。そういう意味で、まことに教科書にできるような作品である。







★★★ ステップ・イントゥ・リキッド

2004/09/17

監督・脚本:デイナ・ブラウン、撮影:ジョン=ポール・ビーグリー、出演:レイアード・ハミルトン、ケリー・スレイター、ピーター・メル


渋谷シネ・ライズにて



この映画は見ていてとても楽しい。見る人を幸せにしてくれる。映像には音楽のように生き生きとリズムがあって、抽象的な美に満ちている。なぜなら、波を介した海と人と空との交歓の様子を写しだした映画だからだ。



サーフィンというスポーツは、唯一、勝敗もなく世界記録の数字もないスポーツだ。つまり、通常の意味での目的やゴールのないスポーツなのだ。波に乗ること自体がその目的であり、自然と一体になること以外に目指すものはない。この映画は、そうした現代のサーフィン観を育ててきた、多くのベテラン・サーファーたちを取材したドキュメンタリーだ。世界各地の名物スポットの風景も興味深い。



大きなチューブの、青色と白色のうねる中を、サーファーたちがくぐり抜けていく映像はしびれるほどに美しい(どうやって撮影したのか驚異だ)。サーフィンに理屈はいらないように、この映画を楽しむにも余計な解説など不要だ。ただ見る。そしてしびれる。それで良いではないか。







  ★ アドルフの画集

2004/06/18

飯田橋ギンレイホールにて

監督・脚本:メノ・メイエス 出演:ジョン・キューザック、ノア・テイラーほか



ハンガリー・カナダ・イギリス合作という、ちょっと不思議な取り合わせの制作による映画。そのせいか、古い街並みや、戦前の講演会に聞きに来る聴衆の田舎臭い風貌など、ハンガリーらしい雰囲気が生きている部分がある。



とはいえ、映画として成功作といえるか疑問だ。ヒットラーという人物を、異常な狂気に満ちた人間として描くのは演出としては分かりやすいし、俳優だって熱演する甲斐があるかもしれぬ。しかし、そういったとらえ方をするかぎり、ではなぜあれほど大勢の人々が彼に惹きつけられ支持するようになっていったのか、よく理解できなくなる。アジテーターは暗い興奮を待ち望む聴衆があってこそ成立するのに、この映画の描写ではそこがピンとこないのだ。それとも、戦前の反ユダヤ的雰囲気というのは、欧州の人にとっては説明不要な事項なのだろうか。



ラストシーンの、冬の町の俯瞰など、カメラワークとしてはまあまあの部分もあるのだが、全体としては演出がいまひとつ抜けきらない。せっかく、ユダヤ人画商の目を通して見た無名時代の画家志望者アドルフ・ヒトラーという題材を、十分に生かし切れていないと思う。







★★★ 10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス

2004/06/18

飯田橋ギンレイホールにて

監督:アキ・カウリスマキ、ビクトル・エリセ、ヴェルナー・ヘルツォーク、ジム・ジャームッシュ、ヴィム・ヴェンダース、スパイク・リー、陳凱歌(チェン・カイコー)



7人の映画監督が10分ほどの短編を作って集めたオムニバス映画。わずかな時間の中に、作家各人の個性が見事に現れて、面白い。



アキ・カウリスマキ「結婚は10分で決める」はいつもの男優・女優をつかって、何とも言えぬ奇妙な、だが強い印象を残す短編ドラマを作った。ビクトル・エリセは、たぶん私が最も好きな映画監督だ。そして、またしても10年目にようやく作品「ライフライン」を作った(10分間の!)。しかし、優れてはいるが、この人ならではの映像の強さが伝わってこない。白黒であえて撮ったからかもしれないが。



ヴェルナー・ヘルツォーク「失われた一万年」は奇抜な、ある意味で出来すぎたドキュメンタリーだ。もし演出ではなく本当にドキュメンタリーならば、確かにすごい話だが。ジム・ジャームッシュ「女優のブレイクタイム」は、この監督の良い味が出ている凝縮されたドラマで、クロエ・セヴィニーの演技が素晴らしい。



スパイク・リー「ゴアVSブッシュ」は、モンタージュの極限をねらったドキュメンタリーだが、題材的にはむしろ『華氏9/11』によく似ている。そして、映画的といえるかどうかは疑問だが、題材の面白さではピカ一だろう。



ヴィム・ヴェンダース「トローナからの12マイル」も不思議な緊張感があってわるくない。が、それでいうならば北京の現実と奇妙な幻想の交錯を撮った陳凱歌「夢幻百花」の方が、はるかに映像的なインパクトがある。だから、最初と最後が、一番強い印象をのこすオムニバス映画に仕上がっている。







★★★ 永遠のモータウン

2004/06/06

製作・監督:ポール・ジャストマン

渋谷シネ・イーストにて。



現題は"Standing in the Shadow of Motown"(モータウンの陰に立って)。有名なヒットソング"Standing
in the Shadow of Love"のもじりだ。米国ソウル・ミュージックの中心モータウン・サウンドの立て役者でありながら、ずっと脚光を浴びることのなかったバックバンド「ファンク・ブラザーズ」を取材した映画だ。ちょっと「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」に似た作りの、ドキュメンタリーである。



ソウルの熱心なファンとは言えない自分だが、この映画は非常に面白かった。米国自動車産業の中心デトロイトに労務者として集まった黒人たちの中から、極めてアメリカらしい商業音楽が生まれて来る。さまざまな才能を持った人々がそこに身を投じて、独自の様式を作り出す。しかしライトを浴びる歌手たちとは裏はらに、バックで演奏するミュージシャンはレコードに名前も載せてもらえない扱いだった。代替可能replaceableだと思われたのだろう。



この映画は、すでに引退し、あるいは貧困と失意の内に亡くなった彼らの貢献と価値を、再評価したいとの願いで作られた。そのねらいは見事に成功したと思う。再結成された彼らのライブを交えながら、一人一人の技巧と「魂」(ソウル)に迫って行く。ことにベーシストの故ジェームズ・ジェマーソンの天才は素晴らしい。



また、ここで再演されるヒットソングの数々も、すぐれた生命を持ちつづけている。ことに、麻薬の誘惑と悲劇を歌った「クラウト・ナイン」、ベトナム従軍経験から生まれた「ホワッツ・ゴーイン・オン」など、ヘヴィーな持ち味の曲は現代にもなおインパクトをもっている。



「モロ・ノ・ブラジル」と同様、音楽を愛するすべての人におすすめする映画である。







★★★ エレファント

2004/04/30

渋谷にて

監督・脚本・編集:ガス・ヴァン・サント 撮影:ハリス・サヴィデス 製作総指揮:ダイアン・キートン、ビル・ロビンソン

出演:ジョン・ロビンソン、アレックス・フロスト、エリック・デューレン、ティモシー・ボトムズ 他



素晴らしい傑作だ。今年見た映画のベスト3に必ず入るだろう。冒頭の空を写すシーンから、すでに極めて映画的な画像が始まり、全編、強いサスペンスを保ったまま持続する。サヴィデスのカメラにガス・ヴァン・サントの編集の腕前だろう。



コロンバイン高校の銃乱射事件を題材にしている、といっても、これは監督の構成しなおした完全なフィクションであって、事件の説明ではない。むしろ、安易な説明であることを拒否している。だからこそ、『群盲象をなでる』という意味を暗示するタイトルなのだ。マイケル・ムーア監督の「★★★ ボウリング・フォー・コロンバイン」と比較するのは意味がない。どちらも素晴らしい映画だが、ぜんぜん別の目的で制作されている。



この、どこにでもある高校の、いかにも平凡であるはずだった一日を、複数の登場人物の目線から(正確にはその背後から)たどって、重層的に構成する。いやになるほどリアルな、ほとんど自分も経験したような気にさえなる、米国の高校生の生活。その断面、同じシーンを、複数の視点から、観客は何度も体験させられる。そうして、認識は次第に立体的になっていくが、それでこの不気味な事件の全体像が理解できるようになるわけではない。



いつの間にか部屋の中に象がいるのに気づかずにいる、そんな不気味な社会を、この映画は鋭利なナイフのように切り出してみせる。「★★★ マイ・プライベート・アイダホ」のように荒涼としたアメリカの心象風景でありながら、どの国の観客にもまっすぐ迫ってくる力を、この映画は持っている。それは、素人ばかりの出演者をみごとに使い切ったガス・ヴァン・サントの演出力だろう。だから、この映画で一番演技的で一番嘘臭いのは、ティモシー・ボトムズの酔いどれ父親役なのだ。







 ★★ 名探偵コナン 銀翼の奇術師(マジシャン)

2004/04/22

ワーナーマイカルみなとみらいにて。

監督:山本泰一郎 原作: 青山剛昌 脚本: 古内一成 音楽: 大野克夫



なかなか面白い映画だった。名探偵コナン・シリーズは子どもも大人も楽しめなくてはいけないわけだが、そのねらいは見事に当たっている。ただ、ミステリーだけで2時間を持たせるのは至難のワザなのだろう。話の最後の1/3は、航空冒険スリラー仕立てになっている。これはこれで非常によく考えられていて面白いのだが、前半との話のつながりにちょっとだけ無理がある。とはいえ、入場料の分はたっぷり楽しめる2時間に仕上がっていて、その職人仕事ぶりがなかなか楽しい。







★★★ 幸せになるためのイタリア語講座

2004/03/27

監督:ロネ・シェルフィグ 出演:アンダース・W・ベアテルセン、ピーター・ガンツェラー、ラース・コールンド、アン・エレオノーラ・ヨーゲンセン 他

渋谷にて。



いかにもヨーロッパ映画らしい、渋みと甘さのある小品だ。手持ちカメラを中心とした、ドグマ21的な撮影手法だが、等身大の画面を作りだしていて味がある。



キャスティングも素晴らしい。生活や仕事に疲れ、家族や自分自身にうんざりしながら生きている中年の、わずかな幸せを希求する姿をうまく映しだしている。その手がかりが、市民向けのイタリア語入門講座という設定は、いかにも北国デンマーク的だが、悪くない。そして、疲れた中年達の中で、唯一年若いイタリア娘を演じるアン・エレオノーラ・ヨーゲンセンが、とても可愛く見える。



最後のベネチアの運河沿いのシーンは、この映画が観客をほっとさせるために作られたものであることの表明だろう。それがドラマというものだ。甘いけれどもほろ苦いラストにもっていくまでの、長い軌跡が、この監督の持ち味なのだ。







★★★ 東京物語

2004/03/19

監督:小津安二郎 撮影:厚田雄春 出演:笠智衆、東山千栄子、原節子、杉村春子、山村聡



美しい映画だ。いまさら私が言わなくたって、これは日本映画の傑作、と評価が一致している。それにしても、このような地味なテーマの映画を撮って、それを松竹の普通の配給ルートで公開し、そして芸術祭にも出品できる時代が、昔はあったのだ。それが日本映画の底力であり、層の厚さだったのだろう。



ここに描かれるのは、笠智衆と東山千栄子の老夫婦が、結婚し所帯を持った子ども達を訪ねて、尾道から東京に旅行に来るひとときの顛末だ。山村聡の演じる町医者の長男、杉村春子の好演する髪結いの次女、そして戦争で亡くなった次男の未亡人・原節子との、すれちがいと葛藤とを、カメラは地味な視点から丹念にとらえていく。



どれもいい演出だが、とくに最後近くの、老父・笠智衆と原節子との対話のシーンなど素晴らしい。伝説の美人女優も、すでにこの映画では若い女性ではなく、複雑な陰影を持つ役柄を演じて、いい味を出している。そして最後の尾道湾のシーンはせつないまでに美しい。この傑作を前に、これ以上の論評は無用だろう。







 ★★ 飛べないアヒル(マイティ・ダックス)

2004/02/14

監督:スティーヴン・ヘレク 出演:エミリオ・エステヴェス、ジョス・アックランド、レイン・スミス他

DVD。



ディズニー・プロのスポーツ根性風味少年ドラマだが、なかなか楽しい。なによりも、米国においてはアイス・ホッケーがごく普通の、誰もが子どもの時から楽しむスポーツであることがベースになっている(だから本国とちがって日本ではぜんぜんヒットしなかった)。



ペナルティとして社会奉仕活動を命じられた若手弁護士が、地元のとってもダメな少年チームのコーチをする羽目になり、誤解やけんかをしながら、次第に良いチームに育っていくという、わかりやすいストーリーが良い。誰もが望む結末に向けて、コメディを交えながらまっしぐらに進む、娯楽の王道をいく出来だ。



まあ平均的アメリカ映画のつねとして、TV画面でみれば十分であり、映画館で観ないと損する、というものではない。むしろ、ポテトチップスの袋を開けながら、親子でビデオを観て楽しむための映画だろう。むろん、そのねらいは、十分に成功している。そして、もし少しでもアイスホッケーが好きならば、これは必見の映画なのだ。







 ★★ 藍色夏恋

2004/02/09

監督:イー・ツーイェン 撮影:チェン・シャン 出演:チェン・ボーリン、グイ・ルンメイ、リャン・シューホイ

機内ビデオにて。



原題は「藍色大門」。目を閉じると、そこには大きな青い門が見えてくる・・という主人公のラスト近くのモノローグからとった、この題名の方が、ずっと素直に映画を表わしている。新鋭イー・ツーイェンの監督は、高校生のささやかな三角関係を主題に、とても分かりやすく、かつ、とても映画らしい映画を作りだした。



ドラマとしては、ちょっと甘い味付けを感じるところもあるが、青春のストーリーとしては、まあわるくない。俳優たちもいいキャスティングだ。また、とくにチェン・シャンのカメラは冒頭から素晴らしい。照明のあて方、画面の切り取り方、どことなく懐かしい色使いなど、台湾映画の良さを出している。







★★★ モロ・ノ・ブラジル

2004/02/04



監督:ミカ・カウリスマキ 出演:セウ・ジョルジ、ミカ・カウリスマキ、イヴォ・メイレリス&ファンキン・ラタ、ヴェーリャ・グアルダ・ダ・マンゲイラほか

渋谷シネマ・ソサエティにて



この映画は素晴らしい。ブラジル音楽に魅せられたフィンランド出身の映画監督ミカ・カウリスマキが、みずからブラジル音楽のルーツを訪ねて歩く一種のドキュメンタリー。北部の伝統的民族音楽からはじまり、最後に首都リオ・デ・ジャネイロのマンゲイラに至る巡礼の旅は、人間社会における音楽の真髄と深みを見せてくれる。



路上生活者だったセウ・ジョルジ、仕立て屋のワウテル・アウファイアッチ(彼の歌は何と切ないのだろう)、サンバチームの長老ヴェーリャ・グアルダ・ダ・マンゲイラ、パワフルな女性シンガーのマルガレッチ・メネーゼス・・・どの出演者も最高に素晴らしい。まさに音楽は南米にあり。見終わったあと、日本の都会生活の澱を振り払ってくれるエネルギーがある。その画面の美しさもふくめて、すべての音楽ファン必見の映画だろう。







 ★★ ファインディング・ニモ

2004/01/31

監督:アンドリュー・スタントン、リー・アンクリッチ、音楽:トーマス・ニューマン



Pixar社のフルCGアニメーション。Pixarはシナリオがしっかりしていて、安心して見ていられる。分かり切ったハッピー・エンドに向けて、適度にはらはらさせながらもしっかり引っ張っていってくれる。この映画はやや低年齢層の子ども向けだが、キャラクターの面白さなどでうまく話のテンポと間を持たせている。



特筆すべきは色の美しさだ。とくに青は素晴らしい。ほぼ全編、海の中の話だから、青色はさまざまな透明度と深さと流れを要求されるが、その自然な光の変化が素晴らしい。こういうところで、Pixar社の傑出した技術は、かなり美術の領域に近づいているのである。







  ★ ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS

2004/01/17

監督:手塚昌明 出演:金子昇、虎牙光揮、吉岡美穂、小泉博ほか

伊勢佐木町東映2にて。



比較的ファンの評判はいいらしいが、どうもあまりいただけない。娯楽作品としては平均的な出来だろう。オリジナルの「モスラ」に出演していた小泉博が、同じ言語学者の役どころで出るのだが、インサートの白黒オリジナル画像の方が切実な印象を与える(しかたがないのかもしれないが)。小美人二人も、双子にも見えず別々の個性が生きているわけでもなく、必要な神秘性が漂ってこない。映画館で観なければならないほどの映画性に欠けているとしか言いようがない。







2003年







★★★ ぼくの好きな先生(Etre et Avoir)

2003/10/26

監督・編集:ニコラ・フィリベール、音楽:フィリップ・エルサン、出演:ジョルジュ・ロペス先生、サン・エティエンヌ小学校の子供たち



原題は直訳すると「存在と所有」で、まるで哲学書の題名みたいだが、じつはフランス語のもっとも基本的な動詞だ。だれでも最初に活用と綴りを覚えなければいけない、“あいうえお”のようなものだ。



4歳から11歳までの子供たち13人の生徒が、同じ一つのクラスで学ぶ、オーヴェルニュ地方の田舎の小さな小学校。そのクラスでの半年あまりを撮った記録映画が、この「ぼくの好きな先生」だ。こうした地味な映画が作成されるのも、それが全国で大ヒットとなるのも、いかにもフランスらしい出来事だ。



画面はとても美しい。オーヴェルニュは中部フランスの山岳地帯で、まあ都会人から見れば『ど田舎』の代名詞のような場所だが、カメラにとらえられたその四季はほんとうに見事で、息をのむ。初夏、屋外の木陰に机と椅子をならべて子供たちが勉強するシーンなど、その乾いたそよ風が見ている側にも吹き抜けてくるようだ。そして、子供たちも、(いかにもフランスの生意気な悪ガキ風だったりはするが)やはり、とても可愛い。



もちろん、一番素晴らしいのは、あと1年で定年退職するロペス先生だ。スペイン移民の息子として生まれ、貧しい中から高等教育を受けた彼は、教師を一生の仕事として選ぶ。そして過疎地で複式学級の子供たちを永年教え続けている。ちょっと古風でもある、ロペス先生のその人柄は、いかにもラテン的な慈愛と威厳の満ちた、その顔に良く現れている。



同級生と喧嘩が絶えない男の子を叱るとき、その子は父親が癌で入退院していることを語り、涙を流す。先生は彼をなぐさめ、「病気というのは見知らぬ親戚の叔父さんのようなものだ。ある日突然やってくる。そして一緒に暮らすことになる。」という。含蓄のある言葉ではないか。また、自分の気持ちをうまく言葉に表すことのできない女の子(そういう子がフランスの田舎にもいるのだ)の母親と相談するときには、もっと子どもと距離をとりなさい、と諭す。そして、夏休み前には最上級生の皆に進学の許可を与える(フランスでは小学校で留年する子どもが2割以上いるから、みな緊張して固唾をのんでいる)。



ロペス先生を見ていると、片田舎で無名のまま、信念を持って生きている善良な人生の価値をあらためて感じる。生きていくとはそういうことなのだ。だからこれは、教育映画だ。まことに魂の教育のための映画なのである。







★★★ 沙羅双樹

2003/09/05

監督・脚本:河瀬直美、撮影:山崎裕、出演:福永幸平、兵藤祐香、樋口可南子、河瀬直美、生瀬勝久、他

渋谷シネマスペースにて



不思議な映画だった。とにかく、映画らしい映画だ。映像が何よりも強く目に焼き付いて残る--ストーリーは、淡々としていて、首尾一貫した物語よりも、エピソードの積み重ねに近い。しかも、かなりのことが説明されずに残る。しかし、これこそが映画というものだろう。



主演の若い二人が、なによりもいい。とても瑞々しい感覚で、これを映像がうまくとらえている。撮影は手持ちカメラの長回しがつづいて、観ていると少し船酔い気味になるが、奈良の街の光と影、奥行きと空気をとてもよくとらえていて、見事だ。



しかし、ここで映し出される奈良という町は、なんだか異国のようだ。何となく懐かしい、言葉の通じる異国。若い女の子が下駄を履いて、母親といっしょに鼻緒を選ぶ国。そういう異国を、今の日本は必要としているのだ。



映画全体の印象を、友人は「なんだかゴダールの映画みたい」と語った。たしかに。だが、ゴダールよりも人間への肌合いが暖かい。そこが、史上最年少でカンヌ映画祭カメラドールを受賞した、この監督の持ち味なのだろう。







 ★★ 野性の夜に

2003/08/24

LDで。

監督:シリル・コラール、出演:シリル・コラール、ロマーヌ・ボーランジェ、カルロス・ロペス、コリーヌ・ブルーほか



エイズで亡くなったシリル・コラールの、なかばノンフィクション的な映画で、遺作。致命的な病を自覚し、生の残り時間が限られている人にしか作れない、切迫した緊張感が全編にただよっている。恋人役のロマーヌ・ボーランジェが、とてもいい。可愛いというだけではなく、若くて一途な、しかし心理的に不安定なフランス的女性像の、一種の元型を見事に表している。これは、監督・主演のシリル・コラールがゲイであるからこそ可能だった演出なのかもしれない。



映像・編集ともに、ひどく新鮮な素材をぶつ切りにして並べた料理のような印象を与えるが、悪くない。近頃の“親切な”演出に慣れた観客には稚拙にさえ感じられるのだろうが、これこそ初期のヌーヴェル・バーグやドグマ95にも通じるヨーロッパ映画の味なのだ。







★★★ ミクロコスモス

2003/06/21

横浜フランス映画祭の一部として、伊勢佐木町東映にて。



監督・製作:ジャック・ペラン Jackcues Perrin、共同監督:クロード・ニュリザニー Claude Nuridsany、マリー・プレンヌー Marie
Perennou

撮影: クロード・ニュリザニー Claude Nuridsany 他



「WATARIDORI(渡り鳥)」のジャック・ペラン監督が作成した、昆虫たちをテーマにしたドキュメンタリー映画。WATARIDORIと同様、人間を排して、徹頭徹尾、虫たちの姿を撮ることで映画を成り立たせている。その拡大・接写の技術と、ストーリーもないのに視聴者を惹きつけ続ける編集の力量は驚くべきものがある。これこそ、やはり「クストー以来のフランス自然映画」の底力であろう。



映画に興味があるすべての人が見る価値のある、優れた作品である。







 ★★ ギャング・オブ・ニューヨーク

2003/06/06

マーティン・スコセッシ監督、レオナード・ディカプリオ、ダニエル・デイ=ルイス、キャメロン・ディアス他

機内ビデオで



アメリカ人は、自らの暴力的なルーツを再確認しているようだ。The world is rough. 強くなければ生きて行くことができない。法も公正も力で守られる。それが唯一のアメリカ人であることのアイデンティティであるかのように。



この作品に描かれる19世紀中盤の(つまり前近代の)アメリカ東部の姿は、きわめて生々しい。南北戦争で北軍が動員した兵士の多くは、合衆国に到着したばかりのアイルランド系移民たちで、彼らは故国の大飢饉から逃れてきた難民同然の身の上だった。そして、その前から植民していた人々との流血の争い。それを利用して身を肥やす上流階級たち。かれらはその金で選挙の票を買って、権力を手に入れるのだ。



ここには結局、現代のアメリカが抱える矛盾、社会のきれい事の下に押し込んでいる矛盾のすべてが、もっと生々しく露骨な形で表されている。しかし、この作品は同時多発テロ事件の直前に制作されたため、スコセッシ監督の意図したはっきりしたメッセージ性を打ち出して興業にかけることが難しくなったようだ。どことなくすっきりしない後味はその現れだろう。



ディカプリオもわるくないが、中でもダニエル・デイ=ルイスの快演が光っている。いい役者だと思う。







  ★ Matrix Reloaded

2003/06/03

アンディ&ラリー・ウォシャウスキー監督、キアヌ・リーヴズ、キャリー・アン・モス、ローレンス・フィッシュバーン他

Boston, Park Streetにて



大ヒットしたシリーズの第二作目だが、前作と比べるとどうしても二番煎じの感じがする。それだけ、第一作は衝撃が強かったわけだし、事実、たくさんのクリエイターたちに影響を与えた。亜流やパロディが多数登場したおかげで、本家本元の第二作さえも、また亜流のようにかすんで見えてしまう逆効果を生んだ。また、登場する役者たちも、みな確実に3年間分、歳をとって見える。



その分を差し引いても、この作品の世界観には、コンピュータで設計された仮想現実と、人間のデュオニソス的欲動の二元論が強くなっており、それがドラマのダイナミズムを少し阻害している。また、その人間側の祝祭描写にしても、いかにも西洋人の想像するステロタイプな異教的饗宴だ。そして主人公は無敵に強くて、スリルが足りない。おかげで、物語世界に引き込む力が弱くなってしまったと感じる。







 ★★ アバウト・シュミット

2003/06/01

アレクサンダー・ペイン監督、ジャック・ニコルソン、ホープ・デイヴィス他

機内ビデオで。



この監督は演出がうまい。冒頭のシーンは、高層のオフィスタワーの一室、きれいに片づけられ、段ボール箱が積み上げられた個室の、立派な机で、主人公のジャック・ニコルソンがじっと時計の針を見つめているところから始まる。時計が夕方5時を指すと、彼はおもむろに部屋を出て、みなに挨拶をしてオフィスを去っていく。余計な説明やセリフがなくても、これだけで、彼がビジネスから引退して、つぎの自分の人生を探さなければならないことが、否応なしに観客にわかる。



しかし、ここに描写されたアメリカ中西部の初老の人生は、豊かかもしれないが、なんと奥行きに欠けた、淋しい人生だろうか。無論、それがこの映画のメイン・テーマなのだが。配偶者とも、家族とも、親友とも、しっくりとした関係を築けぬまま、この映画は途中から(アメリカお得意の)ロード・ムービーになる。とはいえ、同じ老年期を描いたロード・ムービーの傑作「ハリーとトント」や「ストレート・ストーリー」に比べると、ここにあるのは砂をかむような味気なさだ。それは、この主人公がハリーやストレート爺さんに比べて、ずっと社会的な成功をおさめてきたことの、裏返しでもある。



だが、それにしても、このラストの弱さは何だろうか。果たしてこれは救いなのだろうか、それとも皮肉なのだろうか? もしこれが救いだと感じる善意のアメリカ人が多いとしたら、それこそ、この世界は救われないというしかないだろう。







★★★ WATARIDORI

2003/05/18

銀座にて。

共同監督: ジャック・クルーゾ、ミッシェル・デバ

制作・総監督: ジャック・ペラン Jacques Perrin



これは本当に驚異の映画である。ただひたすら、長距離を移動する渡り鳥を、その鳥と同じスピード、同じ高度と目線で追いかけながら撮影した、ドキュメンタリー映画だ。ストーリーらしいストーリーは、ない(若干の演出的なところはあるが)。見所は、美しい、あるいは厳しい環境と景色の中を、ただただ鳥たちが群れ飛んでいくシーンばかりである。



そして、それは真実、面白い。見ていて飽きない。これが映像の持つ力というものだろう。この映画を撮るために費やした、膨大な予算と時間と労力には頭が下がるし、鳥たちを追いかけるために発明した特殊な軽量飛行機にも感心するが、そうした苦労話は画面のどこにも現れない。ただ、対象物の姿があるだけだ。そして、それは十分美しい。



こういう映画を見ると、「ジャック・クストー以来のフランス記録映画の伝統」云々と言いたくなってしまう。しかし、それを超えて、ただひたすら対象に迫っていく、その真摯な映画魂に何よりも感心するのである。







★★★ ボウリング・フォー・コロンバイン

2003/03/29

マイケル・ムーア監督。

恵比寿ガーデンシネマ1にて。



これほど面白い映画を久しく見たことがない。とにかく冒頭からメチャメチャ笑えるのだ。すべて現実の映像から出来上がっているドキュメンタリー映画で、こんなに笑えて良いのだろうかと思うくらい、おかしい。



この映画は米国の銃社会を描いている。そのどこが病んでいて、どこが狂っていて、どう痛みを感じていて、そのコストを誰が払っているのかを、カメラはまっすぐに真剣に追求する。とくに興味深かったのは、アメリカと同様に銃が普及していながら、まったくといっていいほど銃による暴力事件が起こらないカナダのレポートの部分だ。



アメリカが抱えている病根が、ムーアの説明ほど簡単なものかどうかは、少し疑問だ。しかし、コロンバイン高校の生徒による銃乱射事件で犠牲となった子供の父親が、米国ライフル協会の大会に反対して涙声で語った言葉は忘れられない。「この社会はどこか間違って」いるのだ、明らかに。







 ★★ センセイの鞄

2003/03/28

演出: 久世光彦 原作: 川上弘美  脚本: 筒井ともみ 音楽: 都倉俊一

出演: 小泉今日子、柄本明、豊原功補、モト冬樹、樹木希林ほか

WOWOW制作のオリジナルTV映画。



小泉今日子が、とてもいい。30代も半ばをすぎて、もう若くなくなってしまった独身の普通の女性を好演している。柄本明も悪くはないが、回想シーンの中では年齢的にちとつらそうだ(その分を妻役の樹木希林が喰っている)。



セットはやや作り物くさいが、それなりの雰囲気は出している。しかし、演出とカメラがやや、分かり易すぎてわざとらしいが、TVドラマの持ち味なのだろうか。そこを、単純だが奥の深い原作のストーリィがおぎなっている。空っぽの鞄をめぐるラストシーンに、その味が集約されている。







 ★★ ふたりのトスカーナ

2003/02/15



監督:アンドレア&アントニオ・フラッツィ兄弟、撮影:フランコ・ディ・ジャーコモ、出演:イェルーン・クラッベ、イザベラ・ロッセリーニ、ヴェロニカ・ニッコライ、ポール・ブルック他

日比谷シャンテ・シネ3にて。



フラッツィ兄弟監督のこの作品は、タヴィアーニ兄弟監督の名作「サン・ロレンツォの夜」を思い出させる。時期(第二次大戦後半)・場所(中部イタリアのトスカーナ)・テーマ(ファシストと独軍支配下のイタリア市民)と、とてもそっくりの相似形だ。



もちろん、この映画にも独自の素敵なところがたくさんある。主人公の少女たちが可愛いし、当時の富裕で知的なユダヤ人家族の生活をうかがい知ることができる。



ファシズムに対する強い憎しみは、戦後のイタリア映画を貫く主要なモチーフの一つだった。いまだにこのような映画が作られ、それが上質の娯楽となっている点は、日本映画がほとんど忘れてしまった部分だろう。イザベラ・ロッセリーニの演技も素晴らしい。







★★★ HANA-BI

2003/02/15



監督:北野武、主演:ビートたけし、岸本加世子、大杉漣、寺島進、白竜、他

ビデオ。



「たけしには自殺願望があるんじゃないか」と、雑誌に快楽亭ブラックが書いていたが、私もそう思う。この映画は、あきらかに『ソナチネ』の延長線上にあり、その破滅的結末に向かって一直線に突き進むプロットは、同種のものだ。ただ、『ソナチネ』はまだ映画監督の中級編のレベルだったが、同じテーマを扱う本作品は、すでに見事なソナタの域に達した(中年を過ぎてからピアノを習い出したビートたけしは、ようやく自分らしさの出るようになった映画に、中級者の弾くピアノ曲集の名を付けたのではないかと私は思っている)。



たけしの映画は、色が青い。おそらく一種のフィルターを使って撮影しているのだろうが、それがバイオレントな画面に、潔癖性的な鎮静効果を与えている。また、そのストーリーテリングも、具体的な手続きのくだくだしい説明を省いて、結果だけを簡潔に示すやり方だ。こうした点で、たけしの映画はパゾリーニを思わせる。



俳優の中では、岸本加世子が良かった。セリフは少ないのに、非常に存在感がある。この人のおかげで、たけしだけで突っ走りがちな映画全体にバランス感が取り戻されている。良いキャスティングだと思う。映画の中の絵画(たけしが描いた)の取り扱いも、出色だろう。全体として、優れた映画だ。でも、その自殺願望的な通奏低音が、どこかやりきれないものを観客に感じさせるのだ。







 ★★ ハリー・ポッター 賢者の石

2003/01/12

ビデオ。

クリス・コロンバス監督 ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン他



映像としても、ストーリーとしても、まあ、普通かな。それなりに面白く見られるところもある。でも、監督も撮影もアメリカ人なのにもかかわらず、画面の暗さや色の肌合いの温度の低さ、小道具などにイギリスらしさを感じた。キャスティングは、なかなか見事だ。







2002年







 ★★ Mulholland Drive

2002/12/07

David Linch監督、出演:Naomi Watts、Laura Harring他 

パリ、カルチェ・ラタンで



しっかしまぁ、なんつう奇妙な映画だろう。内容もミステリーというべきかスリラーというべきなのか、分類に困る(別に図書館員ではないのだから、分類できなくても良いのだが、友人に紹介するときに何というべきか困惑するのだ)。最後の方ではほとんどパラレル・ワールドで、つじつまが合ってるんだかどうかも判らぬ状態で観客を放り出して、いきなり終わってしまう。



にもかかわらず、これは並みの映画の水準を軽々と超えた、強い印象を記憶に残してくれる。それは、映像の力であり、画面の作るサスペンスの集中力なのだろう。



筋立てのつじつまが合うかどうかを気にすることなど、つまらぬことだ--ヒッチコック監督は、かつてトリュフォーとのインタビューでそう言った。夢のことを考えて見よ(と、ヒッチコックは言う)。夢の中では、自分の現実とは矛盾することが起きても、夢自体の強いエモーションの流れに運ばれて、リアリティを感じている。映画も同様に、次々と流れるシーンの力によって、観客を映画のリアリティの中に引きずり込むべきだ、と。



そういう意味で、この映画は、非常に強い夢に似た力がある。D・リンチは、前作「ストレート・ストーリー」では、アメリカの田舎の素朴な良さを見事に描いた。今回は一転して、都会の魔の空間を不気味な演出で切り取って見せた。どちらも優れた映画である。アメリカにも、まだこのように個性的な映画を撮れる人が、少しでも残っていることが救いに感じられる。







(★なし) サイン

2002/12/02

M・ナイト・シャラマン監督、メル・ギブソン、ホアキン・フェニックス、ローリー・カルキン他



2002年度に見た映画の中で、堂々のワースト・ワンであるな。いったい何なの、この映画! 例のミステリー・サークル現象にはじまる異星人侵略ものに、ホラー風味をつけたような線を狙ったらしい。が、ぜぇんぜんサスペンスを感じないのだよ。



だいたい“謎の異星人”だったら、正体を見せぬまま恐怖感を盛り上げるのが常道でしょうに。それなのにあんなにちゃちな姿をすぐ見せられては興ざめだ。まして、その侵略者が、主人公の懸命の頑張りだとか、人類の英知と団結で反撃し追い返されるならいざしらず、たんに「水が苦手」だけでどうして逃げ出すのか。だったら水の惑星を攻撃すること自体、愚かではないの。



しかし、この映画の中で最もくだらないエピソードはそこではない。主人公は愛する家族を交通事故で失ったショックで、牧師職を捨てた人間なのだが、この異星人撃退(?)を期に、また信仰を取り戻して牧師に戻るのだ。これが最も理解不能だ。だって、異星に知的存在がいること自体、非常に地球中心主義的なキリスト教の根底に対する疑問を投げかけるわけでしょう? それとも、侵略者はまったく神の恩寵の及ばぬ外の存在として切り捨てちゃっていいわけ??



そうやって考えると、この映画は現在のアメリカ人の、非常に排他的な精神構造を見事に現わしていると見ることもできる。自分の文化の外からやってくる者達は、つねに暴力的な侵略者で、理不尽で対話は不可能で、しかも救済の対象外だから追い出すだけだ--そういう風に、エイリアン(よそ者)を見ている。この映画は、そんなアメリカ人のゆがんだ姿を映し出す、正確な鏡なのかもしれない。







 ★★ 国姓爺合戦

2002/12/01

監督ウー・ヅーニィウ、主演:チウ・マンチェク、ジアン・チンチン、他

機内TVで。



ああ、何とわかりやすい映画だろう。



明国の末裔が北方の清帝国に追われて福建に逃げこんでいる時代。有力な将軍を父にもち日本人を母にもつ鄭成功は、皇帝の信任を受けて同姓を授かり、“国姓爺”と呼ばれる。彼は差し迫る清軍を討伐すべく努力するが、時代の流れを見た父親は清に投降してしまう。しかし、彼一人は志を保ったまま残り、オランダ人の支配下にあった台湾に攻め入り、東インド会社の総督府をうち破って台湾を再び平定、そこで病没する・・という、全体としては成功したのか失敗したのかよく分からない波乱の生涯の物語だ。



無論、原作は近松門左衛門で、制作は日本も資本をだしている。日中合作映画だが、実質はほぼ中国映画だ。そして、恋あり歌あり合戦あり、宙を飛ぶ格闘もシーンもあれば、中国人の正しい愛国心を鼓舞する場面も沢山あるし、お色気シーンだってちゃんとある。豪華盛り沢山の、中華料理フルコースのような娯楽映画なのである。主人公やその親族はハンサムで力強く、女性は可憐、そして清に寝返った将軍や悪役のオランダ人はあくまでも憎々しい、という分かりやすさだ。



ストーリーには飛躍もあるが、そんな問題は何のその。おもしろさと説得力で見せてしまう、という由緒正しい映画である。カメラはなかなか美しい。







★★★ 甘い生活

2002/10/26

池袋、新文芸座にて。

監督:フェデリコ・フェリーニ、出演:マルチェロ・マストロヤンニ、アニタ・エクバーグ、ノエル・マガリ他



映画館の大きなスクリーンで観るのは初めてだったかもしれない。しかし、白黒の映像美は、やはり映画館で観て初めて十分に味わえるものだと感じた。キリストの石像をヘリコプターが運んでいく、有名な冒頭のシーンだけでも、この映像作家がいかに精密に画面を作っているかがよく分かる。



それにしても、まか不思議な映画だと、あらためて感じた。戦後初めて3時間を超える長尺もので、かつ、まとまった求心力のあるストーリーもないのに、イタリアでも世界中でもあれほど大ヒットしたのは不思議なほどだ。どちらかというと、物語よりもイメージ中心のエピソードを積み重ねていく、フェリーニの後期のスタイルが、ここで確立している。



この映画は60年代初頭の、『もう戦後の終わった』ローマ上層階級の退廃と倦怠を現わしていると、よくいわれるが、それは少し違う。この話は、そうした表層の奥底に、何か生における確かなものを追い求める物語なのだ。そしてそれは、主人公のマルチェロ・マストロヤンニにとっては、なぜか女性の姿をとって、現れる。しかし、彼が追い求める現実の女性たちは、いつも大事なところで腕をすり抜けていって、彼につきまとうのは、口げんかの絶えない婚約者だけなのだ。



彼は最後の浜辺のシーンで、青春の純粋さを思わせる少女に声をかけようとする。しかし彼の声は波の音にかき消されて、決して相手に届くことはない(このシーンは、冒頭の、ヘリの上から屋上プールの肉感的な女性に声をかけようとするが、プロペラの爆音で決して声を交わせないシーンと、合わせ鏡のようになって映画の額縁を形づくっている)。



「人生は美しい」、ないしは「美しくあってほしい」という観念は、ラテン文化を特徴づけるものだ。しかし、それは現代の芸術家にあっては、単純に手の届く観念ではもはや無くなっている。フェリーニのこの映画がヒットした理由は、そこに観客の多くが共感したからだったかもしれない。







★★★ 鬼が来た!

2002/08/04

姜文(チアン・ウェン)脚本・監督・主演、

香川照之、姜鴻波、袁丁、陳述、澤田謙也、ほか



2000年度カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作。その価値はある、たいへんな力作だ。ほぼ全編が白黒撮影で、かつ戦時中の中国の寒村を舞台にした泥臭い映画だが、映画としての緊張感と映像美に満ちあふれている。



シナリオが、素晴らしい。日本軍制圧下での中国の農民の生活と苦労を描いているが、ほろ苦いユーモアを込めて描いており、観客をずっと惹きつけたままで進んでいく。また、中国農民たちは中国人俳優が、日本兵は日本人俳優がそれぞれ演じており、その文化的摩擦やこっけいなすれ違いを含めて、かなり公平に描かれている。苦痛に満ちたかつての戦争を、ここまでリアルで醒めた眼で見つめることができるようになったこと自体、すでに二世代分の時間が経過したおかげなのだろう。



演技も体当たり的で素晴らしい。これは演技の肉体性をつねに演劇の中核においている、中国京劇以来の伝統が反映しているのだと思う。それにつられた形で、日本人の若い俳優たちも“肉弾演技”になっており、これがまた奇妙なユーモアを生み出していく。まさしく傑作である。







 ★★ Jazz Seen

2002/06/14

関内アカデミー2にて。

ジャズ写真家William Claxtonのインタビューと写真資料からなる、評伝的映画。



ClaxtonはPacific Jazzレーベルの写真家として数多くのジャケット・アートに関わってきた。その活躍の最盛期は50年代から60年代にかけてで、それはちょうどジャズの最盛期と重なり合っている。その後もファッション写真の分野などで活躍したが、80年代以降はいささか忘れられた作家となっていた。90年代の後半にドイツなどで回顧展があり、あらためてその才能が再評価されてきている。本人もまだ元気だ。



正直に言って、映画の作りとしては、特別冴えた切れ味は見られない。しかし、その素材のすばらしさは絶品だ。どの写真もどの写真も、きわめて美しい。それに重なる形で、さまざまな音楽が流れる。これも素晴らしい。その素材だけで、十分映画館に見に行く価値がある







★★★ アメリ

2002/05/13

ジャン=ピエール・ジュネ監督、オドレイ・トトゥ、マチュー・カンヴィッツ主演



小粒でちょっと風がわりなコメディだがフランスで大ヒットし、日本でもかなりあたりをとったようだ。「ホラー映画の技法を駆使した、まんがチックなロマンス・コメディ」というねらいは見事に成功している。脚本、カメラ、特殊効果、編集、照明、どれも良いレベルだ。それに主演のオドレイ・トトゥをはじめ出演者たちのキャスティングがぴったりとはまって、バランスの良い作品となっている(しかし、黒人もアジア人も一人として登場しない、そんなパリなど実際にはあり得ないのだが)。







  ★ 名探偵コナン ベイカー街の亡霊

2002/05/05

まあまあの出来だと思うが、シナリオがやや散漫に感じられた。また推理ものの面白さよりも冒険ストーリーの面白さをメインに組み立てられていて、ややがっかり。音楽も、ややうるさく感じられた。







 ★★ クレヨンしんちゃん 

2002/05/04

戦国時代を舞台にしたシリーズ10作目。全体にバランスよくまとまっていて、子供連れの家族向き。しんちゃんのお馬鹿なコメディを軸として、お母さんには悲恋ものを、お父さんには合戦ものを、という具合にいろいろ楽しめる。時代考証などもけっこうしっかりしていて、この作品を作るスタッフのレベルの高さを感じさせる。







★★★ マンハッタン

2002/03/02

ウディ・アレン監督・主演、ダイアン・キートン、マーゴ・ヘミングウェイ

パリ、カルチェ・ラタンで。



ずいぶん久しぶりに見なおした。80年代はじめの映画だから、20年ぶりじゃないだろうか。しかし、この映画はとても佳い。白黒の美しさをはじめ、編集の巧さ、脚本のコンパクトな面白さ、など職人芸が見事に詰まっている。

ぼく自身はあまりダイアン・キートンは好きになれないのだが、知的を気取るわりに感情的に未熟で不安定な離婚歴のある女性を演じる、このキャスティングはどんぴしゃりだ(彼女を念頭に置いて作ったのだろうから当然だが)。

しかし、この映画を見なおして、あらためてヘミングウェイの孫娘の可愛らしさ、演技の真摯な巧さに感心した。彼女がカフェで"Leave
me alone."というシーンや、一緒に馬車でマンハッタンをめぐるシーン、そして、「だからもっと人を信じなさい」と彼女のいうラストシーンなど、この女優こそがこの映画を成立させているのだ。

本当に、観て得をした映画だった。







★★★ Tosca

2002/02/11

Benoit Jacquot監督、Angela Gheorghiu(Tosca), Roberto Alango(Mario),
Ruggero Raimondi(Scarpia) イタリア語(仏語字幕)

言わずと知れたプッチーニの「トスカ」の映画化。この映画化はまれに見るほどの成功例だろう。2時間の間、スクリーンにくぎづけになってしまう。



その秘密は何といっても監督の編集と演出の手腕にある。映画化といいながら、基本的には舞台劇のように限られたセットとスポット照明で撮っており、ときに手持ちカメラによる風景の短いインサート、そしてアテレコの録音風景がはいる。とくに、このオケとソリスト達による平服のショット(ここだけ白黒)によるカットバックの効果が素晴らしく、たとえばスコルピオ登場のシーンを前に立ち上がるRaimondiの姿は、それ自体が「演奏というドラマ」のいとも劇的なる瞬間を映し出していて、美しい。



出演者も、もちろん素晴らしい。歌・演技ともじつに充実している。カメラも、にくいほどうまい。衣装、美術ともいかにもヨーロッパの美学に徹していて快い。

素晴らしい傑作である。







★★★ シュレック

2002/01/16

子供向け・家族向けのフルCGによるアニメーション。そして、とても良い出来の作品だ。シナリオも気が効いているし、演出がなかなか素晴らしい。アニメの演出というものの重要性をあらためて気付かせてくれる。



それにしても、この話は前半はいかにも古典的な怪物退治・お姫様探しの物語の枠組ではじまるくせに、後半は「美女と野獣」のテーマに早変わりする。そして古典的なお伽ばなしの約束ごとや価値をすべて逆転して行くのである。お姫様はおてんばで、龍は善玉で、クライマックスでは教会のステンドグラスをぶちこわして領主を打ち倒す。そしてもちろんハッピーエンドになる訳だが、かなり風がわりなハッピーエンドではある。



これはいかにも子供向けにみえながら、じつは中年になりかかった大人のためのお伽話ではないか、というのがぼくの解釈である。







  ★ フェリックスとロザリン

2002/1/16

パトリス・ルコント監督、シャルロット・ゲンズブール、フィリップ・トレトン、アラン・バシュング



「世界一さびしい男と、世界一悲しい女の出会いの物語」なんだそうだが、どうもなあ。ルコント監督の映画作りの手腕、とくになんということのない画面にサスペンスをもちこむ手腕には確かに感心するが、話としては「だから何なの?」と思ってしまうアッシは、しょせんフランス映画の微妙な味を楽しむレベルに至っていないんでやんしょうかねえ? ゲンズブールの娘は、美女とは思えないが、表情はなかなかうまい。







2001年







  ★ The Curse of the Jade of
Scorpion

01/12/17

ウディ・アレン監督・主演、ヘレン・ハント、ダン・エイクロイド。英語原語(仏語字幕)



ウディ・アレンの職人芸的映画。彼は若い頃から職人芸に徹している人だった(たまに芸術派に浮気して見せたが)。しかし、彼も年をとったなあ。シナリオ上、主役の探偵役としては歳をとり過ぎているし、映画全体も小味過ぎるほど小味な仕上がりになっている。安価な娯楽としては、それでももちろんいいのだが。







 ★★ 静かなる男

2001/10/21

パリ、カルチェ・ラタンで。

ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン、モーリン・オハラ主演。



アイルランドを舞台にした映画。ジョン・ウェインがアイルランド出身の移民を演じて、アメリカのボクサーを引退して故郷の村へ帰る役柄である。



ジョン・フォードの話はどれも個人的な「男の物語」という形になっていて、あまり社会性云々の次元に立ち戻らない点に特徴がある(だから悪いと言うことではない)。

そして、この映画も結局は二人の善人の大男が、殴り合いの果てに仲直りするという結末で幕を閉じる。これのどこが「静かなる」男なんだかやや疑問ではあるが、板挟みになるモーリン・オハラは気丈なアイルランド女の感じが出て、いい味を出していた。



映画自体の演出は大変分かりやすく、古典的なものだ。しかし、英語の分かりにくいこと・・・じつにもって、自分の高慢の鼻をずいぶんと叩きつぶされたような気がする(-_-;)。









★★★ 蝶の舌

2001/10/01

スペイン映画。

銀座シネ・スイッチと関内アカデミーという、いかにも映画好きのための2館のみで限定公開されたが、意外にもヒットを記録している作品。



市民戦争直前の、スペインが「内乱の予感」にふるえている時代を舞台に、ちいさな少年と歳老いた小学校教師の交流を描く。全体の三分の二くらいは純真な子供教育ものの話として進む。しかし、最後には彼らがいやおうなしにファシズム時代の激流に飲み込まれて行くさまを映し出す、序破急の構成になっている。



とくにこの映画のタイトルの由来にもなっている、最後のシーンの台詞が非常に決まっている。最後の台詞で全体の意図が明確になると言うのは、短編小説的なつくりであり、映画としてはめずらしいだろう。



キャスティングもカメラも衣装美術もどれも素晴らしい。主人公の少年は仕立て屋の息子だが、最後のシーンで着ているよそ行きの背広などはさすがに非常にいい服だな、などと妙な感心をしてしまった。







  ★ とび・うぉーず

2001/09/30

デンマーク制作の子供向きアニメーション映画。主人公の子供達が魚に変身して海の中で冒険物語を繰り広げる、というお話。とくべつ北欧らしいと感じられるところは少なく、アメリカ制作と言われてもおかしくはない。しかし、それでいいのだろうか。



日本語版は吹き替えだが、よくできている。とくにマッド・サイエンティスト役の声優は歌のリズム感もよく、素晴らしい。音楽は全体に良いできだ。



親子で楽しめる映画だけれど、あえていえば、魚の群舞などもっと海の中らしい美しさのあふれるシーンが沢山あってもよかったのではないだろうか。







★★★ 千と千尋の神隠し

2001/09/30

宮崎駿 原作・脚本・監督。全体として、宮崎駿の個人制作的なかんじを強く受ける映画である。にもかかわらず、現在、日本映画史上最大のヒットとなりつつある。どこがそれほど人気になるのだろうか? それほど優れた作品なのか?



お話としては、10歳くらいの女の子(かくべつ可愛くは描かれない)が主人公の、ファンタジーである。主人公がファンタジーの国に飛び込んでしまい、名前を失いかけるが、勇敢な少年の協力で最後はハッピー・エンドとなる、というストーリーは、よく考えてみるとエンデの「はてしない物語」にそっくりだ。



宮崎駿は、成長と恋愛の物語であればそれでオッケー、という風潮に反対して、「単純な成長物語にはしない」とスタッフに宣言したそうだ。にもかかわらず、これは明らかに10歳の女の子の内的な成長の物語である。



物語の冒頭で、主人公の両親は豚に変身してしまい、頼りの親から切れてしまう。これはいかにもこの年頃の子供の心理をあらわしているではないか。彼女は自分の力で、俗っぽさに満ちた世界を<働いて>生き延びなくてはならなくなる。そして、彼女をなぜか助けてくれる、魔法をもつ王子様への憧れ的な恋にも満ちている。この中心線の軸太で単純なとことがヒットのベースにあるにちがいない。



それにしても、そのファンタジーの世界のイメージが豊穣なことには驚かされる。八百万の神が疲れをいやしにやって来る、巨大な温泉場のような建物が舞台なのだが、その和風にして美しく、かつちょっと俗悪なディテールの数々が妙に昭和的であり、おかげで昭和生れの大人の観客の感覚をしっかりとつかまえてしまう。この映画を大人だけで観に来る観客も多いのはそのためだろう。



また、河の神様が龍神であったり、そこらへんのオーセンティックな神格や元型に満ちているところも、この映画をヒットさせている理由の一つかもしれない。この、民族的な神話への回帰の時代にあって、観客の気分にあっているのだろう。こうした古い土着の神々がわれわれ現代の日本人の心の中にも生きていて、由緒正しく扱われ敬われた時にはその力を発揮するのだ。



家内の意見では、この映画の主要な登場人物の一つである「顔なし」は、じつはサラリーマンその他、自分をなくした世間の人間そのものなのだ、と言う。あたっているような気もする。彼は飲み込んだ他人の口を借りなければ何もしゃべることができず、産み出す砂金はじつは泥にすぎない。神々のルールに従うこともできない。彼を引き込んでしまったのは主人公の優しさゆえだが、肥大した彼を救うのも主人公のきびしい「お前の欲しい物はここにはないよ」という拒絶と、河の神(自然)から授かった苦い良薬なのだ。



映画として見た場合、海の中を電車で渡って行くシーンの美しさは本当に素晴らしい。そのかわり、宮崎映画の特色の一つである、空を飛ぶシーンは少なく、迫力にも欠けている。60歳という作者の年齢のせいもあるのだろうか。ちょっぴり残念なことである。







★★★ 小早川家の秋

2001/08/31

小津安二郎監督。中村雁九郎、原節子、他。

カルチェ・ラタンの小劇場でみる。ニュープリントなのだろうか、プリントの状態は非常によく、画面の色も美しい。

出だしの部分で、なんとなくワン・カーウェイの花様年華を思い出す。別に影響を受けた云ぬんとは思わないが、ちらとでも意識したのではないだろうか。

それにしてもなんという映画だろうか。ローアングルの人物といい、関西の古い商家の家の中といい、これ以外ありえないほど美しい。そしてゆっくりとしたこの話の運び。

しかし、全体としてどこか遠い外国の話を見ているようだ。日本語の通じる外国の。それほどわれわれの国は隔たって来てしまっている。







  ★ クレヨンしんちゃん モーレツ!おとな帝国の逆襲

2001/4/28

町にできた「20世紀博」が、少年時代を懐かしむ大人達をひきつけ、やがてその催眠術的吸引力によって子供たちだけを残して皆、昨日の世界へと姿を消していく・・というストーリー。もちろんクレヨンしんちゃんのヒーロー的がんばりで大人達は元の世界に戻ってハッピーエンドとなるのだが、その昭和懐古的趣味は全編を覆っていて、テーマの持つ公式メッセージを少々浸食している。

ぼく自身、この映画を作っているスタッフ達とおそらく世代をともにしているのだろうが、どうもその後ろ向きなディテールのこだわり方には違和感を感じる。とはいえ、映画全体は適度なギャグがちりばめられていて(とくに幼稚園バスでカーチェイスをやるシーンがいい)、子どもも同伴父兄も一緒に楽しめる。

そもそもクレヨンしちゃんというキャラクター自身、子どものくせにオヤジ感覚の台詞を言うところに面白さがあるわけで、そういう意味では映画として成功の水準にあると言えるだろう。







★★★ 花様年華

2001/4/26

平日だというのに、会社が終わって夜の回にかけつけてみると銀座の映画館は満員になっていた。驚くべき人気だ。

人気の秘密はどこにあるのだろう? 客層の殆どはOLのようだが、主演女優マギー・チャンがとっかえひっかえ、これでもかこれでもかと着るチャイナ・ドレスを見に来るのだろうか。それとも香港の暑い夜にもずっとネクタイを締め上着を着続ける主演男優のダンディさを味わいに来るのだろうか。結局のところこの映画は、この二人しか殆ど出てこないのだが。そういう点では、地味な舞台劇の映画化のような印象さえ与える。

しかし確かに映画としては出来が良く、素晴らしい。60年代の香港を舞台にした社長秘書と新聞記者の恋愛劇を描いた脚本は、いささか説明不足気味だが(監督はわざとそうして韜晦しているらしい)、編集、撮影、照明、音楽、衣装、どれをとっても最良の水準にある。

どちらも配偶者のある男女の、ひとときの不器用なラブ・ストーリーが、単なる不倫劇に陥らずに済んでいるのは、ていねいに描かれた無言のシーンがいくつも挿入されて、時間の流れに感情的な深いリズムを作り出しているからだろう。人気の秘密はよく分からないけれども、必見の映画ではある。







(★なし) 天使のくれた時間(原題Family Man)

2001/4/03

飛行機の機内で見る。ごく普通の他愛もないアメリカ映画。

この頃、アメリカでは天使は金持ちに親切らしい。昔は貧乏人を助けたものだったが・・。恋人を振りきって仕事に邁進した独身の中年エリート・ビジネスマンが、クリスマス・イブに、とつぜん郊外の中流の家庭パパに変身する体験をするが、それで家族愛の大切さを知る、というストーリー。最後は元の金持ちの自分に戻って、昔の恋人とよりを戻せるのだ。

よくこんなご都合のいい映画を作るよ、と思うが(ディケンズの「クリスマス・キャロル」のバリエーション)、結局最後まで見てしまうのは、それなりに脚本の出来がいいせいだろうか。







★★★ リトル・ダンサー

2001/3/18

横浜、関内アカデミーにて。



これは本当にいい映画だった。とても映画らしい映画、映画館で観なければもったいない映画だ。キャスティング、撮影、音楽、編集、脚本、どれをとっても素晴らしい。

1980年代前半、経済的には冬の時代のイギリスだ。イングランド北西部、ほとんどスコットランドに近い炭坑町が舞台(だからみなスコッティッシュ訛りに近い英語を話す)。そしてストライキとむき出しの階級対立。母親が亡くなって父と男の子二人と呆けはじめた祖母の4人家庭の、労働者階級の暮らし。こうした世界がとてもビビッドに、先日観た「<ノー・フューチャー>」の記憶と重なり合いながら、伝わってくる。

子役も(もう11歳だからということもあるだろうが)、単に甘く可愛いだけの子役ではないところがなかなかいい。平凡な家庭の父親と兄と主人公が、それぞれ人生の大事な選択の瞬間を重なり合わせた時、ドラマが生まれる。この編集が実に見事だ。

この映画を見て、おもわずT-REXを買いに行きたくなってしまった。





★★★ ひかりのまち

2001/1/19

監督:マイケル・ウィンターボトム、音楽:マイケル・ナイマン

横浜西口劇場にて。

なんていい映画だろう。そして悲しい。どの登場人物をみても孤独で悲しい。どの人間もそれぞれ愛情を持って暮らしているのだが、ひどく孤独だ。最後に長女が息子に帰りのタクシーの中で離婚した元亭主を評していう、「お父さんはあなたをとても愛しているの。でもひどくダメな男なのよ。」という科白のように。その愛情の分だけ、かすかに結末はほのぼのとした感情が残るのだが。

キャスティングは素晴らしい。子どもを含めてどの役者もうまくロンドンに暮らすありきたりの人間を演じている。映像も見事で、いくつかのシーンはまっすぐ観るものの目に突き刺さって記憶に強い印象を残す。音楽は言うことがない。







2000年







★★★ ノー・フューチャー

00/12/15

セックス・ピストルズの記録映画。パンクがあらわれた70年代後半当時の英国の病の深さが、記録的な映像のあちこちから感じ取れる。たとえば業者のストで道にうずたかく積まれたゴミの袋など。

ピストルズがしだいに演奏活動の場所を奪われて追いつめられていく姿、シド・ヴィシャスが麻薬と下品な女にとらわれていく姿、など、このバンドの衝撃的なプレゼンスと悲劇の深さをよく示していて、すぐれた記録映画になっている。







★★★ マイ・プライベート・アイダホ

00/11/30

監督:ガス・ヴァン・サント 出演:リヴァー・フェニックス、キアヌ・リーヴス 他



アメリカ映画の秀作だ。画面の美しさ、色のみずみずしさ、シニカルな皮肉に包まれた演出、荒廃した都市の生活と、ただ荒涼とした風が吹きすぎてゆくような農村地区の追憶描写。どれをとっても素晴らしい。’My
own private’という皮肉めいた形容詞でくるまれたIdahoとOregonをめぐるロードムーヴィーの傑作だ。

亡くなったリヴァー・フェニックスも素晴らしい。本当に惜しい俳優だったと思う。







  ★ リチャードを探して

00/10/28

アル・パチーノ監督・主演。

シェイクスピアの「リチャード三世」の舞台劇(映画?)をつくっていくメイキング風の映画。まあ、文字通り舞台裏か。べつにアル・パチーノのリチャード三世はたいして感心しないが(とくに悪くもない)、俳優たちの率直な感想は面白い。







 ★★ 100匹目のサル

09/25/00

伊刀嘉紘監督

下北沢の短編映画専門シアターTollywoodにて。

アメリカ人の若いカップルを主人公にした奇妙なストーリーだが、映像と編集にになかなかサスペンスの力があり、集中して最後まで見させる。音楽も良い。





  ★ パン屋襲撃・100%の女の子

09/25/00

山川直人監督・村上春樹原作・室井滋ほか。1982/83年作品。

下北沢の短編映画専門シアターTollywoodにて。

村上春樹の短編をベースにして、短編らしい軽く楽しい出来に仕上がっている。小説の理屈っぽく翻訳調の文体を、字幕や英語のサブタイトルをつかってうまく雰囲気を出している。音楽の使い方も良い。





  ★ きかんしゃトーマス 魔法の線路

00/09/15

ブリット・オールクロフト制作。

今回は機関車アニメと実写を組み合わせて、少し意欲的な映画の作りにしている。しかし筋が少々こみ入っていてごたつき気味。見ている子どもはちょっと散漫になっていた。ピーター・フォークが世捨て人的なお爺さん役で出ていた。顔のなかった機関車レディーが魔法の世界(ソドー島)に戻る線路の途中で顔を取り戻す所はなかなか印象的。しかし全体としての話の盛り上がりはいまいちだった。





★★★ ナビィの恋

00/09/07

西田尚美・村上淳ほか、中江裕司監督。

こんなにいい映画を見たのはどれだけ久しぶりだったろう。沖縄を舞台にしたユーモラスな恋物語、と説明にはあったけれど、ほとんどミュージカルのように沢山の音楽が詰まっていて、そのどれもが素晴らしい。そして、主演と言うよりも話の主役である祖母のナビィと祖父の役が本当にいい。沖縄と言うところはほんとに、たとえ片鱗であっても、こんな所なのだろうか。一度でいいから行ってみたいと感じた。





 ★★ 銀座の恋の物語

00/09/07

石原裕次郎・浅岡ルリ子・ジェリー藤尾・江利チエミ。蔵原惟人監督。

昭和20年代の日本映画の底力を感じさせる、良くできた映画だ。脇役のジェリー藤尾(あいのこだったとこの映画の台詞を聞くまで知らなかった)と江利チエミ(唄がうまい!)がとくに良かった。カメラワークも、うー、まあまあかな。





★★★ ストレート・ストーリー

00/07/01

ジェット機の機内で見る。

何というアメリカの話だろう。アメリカ以外のどこでこんな話が作れるというのか。ロードムービーの傑作。





  ★ Aimee & Jaguar

09/06/00

New york, Lincoln Plaza Cinemaにて。

戦時下のベルリンを舞台にした、女性達の奇妙な愛情を描いたドイツ映画。

映像は悪くない。主演女優も(好みではないが)個性が強い。しかしなんだか全体に「特別な一日」同性愛版、みたいな感じもあるなあ。

戦時下のベルリンが、しかしあんなに華美を残しているという点がとても驚き。大国ドイツの底力というものなのだろうか。





1999年







 ★★ イエスの方舟

99/11/25

ビートたけし・岸田今日子主演

キャスティングがいい。たけしの千石イエスも、岸田今日子の母親も、佐藤慶の裕福な父親も、いかにもそれらしい。話も実話にもとづくが、それなりに脚色がきいている。





  ★ 黄昏に瞳やさしく

99/10/11

マルチェロ・マストロヤンニ、アントワーヌ・ボネール主演、フランチェスカ・アルキブジ監督

うーむ。老境のマストロヤンニはじつにいいなあ。しかし、主演女優がいまひとつ好みでないので映画全体としては「悪くない」程度でおわってしまう。





  ★ アイルランド短編映画祭

09/20/99

ぴあフィルム・フェスティバルの一環。短編を7本集める。





 ★★ 踊る大捜査線

99/08/26

機内で観る。期待せずに見たが面白くて最後まで観る。カメラワークのわざとらしい演出がなかなか。とちゅう、ちょっと「羊たちの沈黙」みたいになるが、少しあっけない感じ。





★★★ SHALL WE ダンス?  周防正行

08/06/99

役所公二主演

これってなかなか良いね。演出・ストーリーもいいけど、脇役がまたいい。キャスティングが見事だ。





★★★ テックス・エイヴリー傑作集

99/08/01

米国の初期アニメ作家の傑作集。たしかに鬼才だ。





  ★ トータル・リコール





  ★ Analize This

07/01/99

ロバート・デ・ニーロ主演のコメディ。この人はちょっと演技が過剰ぎみなので、コメディにはぴったりだ。シナリオはなかなか面白い。





  ★ October Sky

07/01/99

飛行機の機内映画(ふき替え)で見る。

良い点も悪い点も含め、いかにもアメリカ映画。ストーリー(実話に基づく)の面白さと俳優の顔にたよっていて、映像自体が持つ力に乏しい。しかし話は本当にアメリカ人でなければありえない夢見る力に満ちている。





★★★ 菊次郎の夏 北野武

06/27/99

素晴らしい。なんと素晴らしい映画だろう。映画館で観て良かった。映画館で観るべき映画だ。

たしかに甘いし、味付けを替えようとしているところも気がつく。しかしそういった点を超えて素晴らしい。母親を求めてチンピラの男と旅する小学校三年生の何とせつなくかわいい事か。





★★★ 浮草 小津安二郎

01/02/99

中村雁九郎・京マチ子・若尾文子

・川口浩ほか



うーむ、美しい。







1998年







★★★ エル・スール

11/02/98

監督:ビクトル・エリセ 出演:オメロ・アントヌッティ他。



この美しい映画にたいして何をいえるだろう。「エン・エル・ムンド」の踊りの場面ではせつなくて涙が出そうになった。







★★★ ミツバチのささやき

10/22/98

ビクトル・エリセ監督 アナ・トレント主演。

久しぶりに映画館で見たが、さすがに美しい画面で本当に感動した。非常に台詞の少ない映画だ。それであれだけの緊張感を持続する監督のすごさ。







 ★★ 4-3×10月

10/16/98

監督・主演:北野武

たけしの第2作。自分で脚本を書いた事実上の第一作。随所にたけしらしさが出ていて面白い。







★★★ ムトゥ

09/23/98

監督:K・S・ラヴィクマール 主演:ラジニ・カーント



ウーム、娯楽てんこ盛りのインド映画で楽しかった。







 ★★ モンティ・パイソン4

09/15/98

例によって病気のジョークが満載だが、なかでも「語尾しかしゃべらない人」の話は腹の皮がよじれるほど笑ってしまった。







  ★ TAXi

09/12/98

リュック・ベッソンが製作・脚本した新作。ポップコーンを食べながら見るのにちょうどいい軽い味で、面白い。確かに楽しめる。







 ★★ タイタニック

08/09/98



これ、案に相違して結構面白かった。編集やシナリオ、カメラ、音楽がいい。最後まで見せて飽きさせないのはさすが。



しかし、有名な船の舳先のシーン。あれはスタジオでクレーンを使って主人公たちを旋回しながら撮っていて、海の部分は一種のCGでつくっている。たしかにそれなりに効果のあるシーンに仕上がっているが、もしあれが本物の海で本物の船を使ったらどうだったろうか? カメラアングルは一点からのみで単調かもしれないが、風や空や水しぶきを感じるような繊細なシーンに仕上がっただろう。

そうしたデリケートな感覚、生きた感覚を捨象して、仮想現実的な物語空間を演出してみせるハリウッド映画には、やはり疑問を感じずにはいられない。









  ★ もののけ姫

07/11/98

宮崎駿・監督



うーん、期待外れでした。

画面はすごく凝っているのだけれど、話が今一つ。早坂さんいわく「どう話を終わっていいものかわからなくなった」感じというのがあたっている。







(★なし) フィフス・エレメント

07/05/98

リュック・ベッソン監督 ブルース・ウィリス主演。



途中、ちょっとニキータ風になるところもあるけれど、全体としてはちょろいSFX映画。







 ★★ シシリアン アラン・ドロン他

02/23/98

監督・脚本:アンリ・ヴェルヌイユ 共同脚本:ジョゼ・ジョヴァンニ、ピエール・ペルグリ 撮影:アンリ・ドカエ 音楽:エンニオ・モリコーネ

出演: ジャン・ギャバン、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ 他



フランスのフィルム・ノワールの傑作というべきだろう。脚本・監督・撮影・編集・音楽どれも見事だ。リノ・バンチュラ、ジャン・ギャバンが渋くてにくい。







  ★ 恋愛日記

02/20/98

フランソワ・トリュフォー監督

冒頭は見損ねたがなかなか面白い。しかしほとんど痴れものの日記というのに近い。







  ★ メン・イン・ブラック

01/18/98

スティーブン・スピルバーグ監督

飛行機のビデオで見た。

最後がちょっとしりつぼみだな。マンガとしてはまあまあ面白いけれど。







  ★ ロザンナのために

01/02/98

監督:ポール・ウェイランド 出演:ジャン・レノ、マーセデス・ルール、ポリー・ウォーカー  他



ジャン・レノ主演のイタリア風喜劇をねらった作品・・しかしいまひとつシナリオのつめが甘かったなあ。







  ★ 人魚姫 W.ディズニー

01/01/98

いかにもディズニー映画だなあ。







1997年







★★★ スタンド・バイ・ミー

10/26/97

監督:ロブ・ライナー 出演: ウィル・ウィートン、リヴァー・フェニックス、コリー・フェルドマン、ジェリー・オコンネル 他



衛星放送で見たが、なかなか画面も素晴らしかった

アメリカ映画もときには捨てたものではない







 ★★ 暗殺のオペラ

09/23/97

監督:ベルトルド・ベルトルッチ

若いころの作品だが、小味ながらよくまとまっている。

画面を横ぎる水平線と細かな垂直線の構図が昔から好きだったようだ。







 ★★ ソナチネ

09/15/97

監督:北野武 

うーむ、途中楽しい画像や美しい場面もあるけれどひたすらバイオレンスが続く映画だ。