気まぐれ批評集

音楽 Concert


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[目次]


2012年







★★★ 渡辺貞夫+Richard Bona ライブ



2012/12/16

Bluenote東京にて。

渡辺貞夫 (sax), Richard Bona (b), Etienne Stadwijk (p), Steve Thornton
(perc), Takashi Yofu (g), Obed Calaire (ds), N’Diasse Niang (per)



すごい客数だった。これだけポピュラリティの高い二人のコラボレーションだから当然かもしれないが。



渡辺貞夫を聴いたのは、それこそ25年ぶりくらいかもしれない。もう70代で、キャリア60周年と大ベテランだが、音もメロディも明るく、重くならないのが持ち味で、だからこそあれだけポピュラリティを得たのだろう。彼の作るジャズには、他のサックス奏者にありがちなヘヴィーなところがない。むしろ、Bona様の音楽の方が、ずっとシリアスな面がある。



でも、ドラムスにパーカッション2人、というリズムの多い、若い編成の上で吹くのがナベサダは好きなのだろう。まるでオープンカーに乗って、平原の上を軽快に飛ばしながら、揺れに合わせて吹いているようだ。平然とポリリズムを叩くCalaireのドラム、二人のパーカッションも面白いが(Niangはアフリカのジャンベ系、Thorntonがラテン系で違う味がある)、Etienne
Stadwijkのピアノは特筆すべきだろう。途中、ジャズというよりもアフロポップみたいな感じもあったが、楽しめるコンサートだった。









★★★ 矢野顕子リサイタル at 鎌倉芸術館

2012/12/19

鎌倉芸術館にて。



もう20年以上も前のことだろうか、Pit-inかどこか東京のジャズハウスで、この人の演奏をはじめて見た。見ているうちすぐに「矢野顕子は日本で一番音楽性に恵まれた人だ」と直感した。日本中の音楽家全員を知っている訳でもないのだから、ずいぶん勝手な確信だが、とにかくそれほどこの人の演奏に魅せられたのだった。活き活きと正確なリズム、美しいタッチと滑らかなスケール、自由な響きと音律、どれをとっても最上級だった。



その後、彼女はニューヨークに本拠地を移した。何回か「さとがえるコンサート」も聴いたし、バンドメンのスキルも高くて、どれも素晴らしい演奏だったが、何かもの足りないものがあるように思えた。なんだか音楽が空中戦のようで、足が地に届かない感じだったのだ。



今回、鎌倉芸術館でまったくのソロ・リサイタルを聴いたが、これはとても充実した、しかも不思議な落ち着きのある、音楽だった。何かからふっきれた感じなのだ。出だしは喉の調子が今ひとつだったようだが、後半から俄然盛り上がって、最後はすごかった。



それにしてもこの人は、本当にピアノの音を愛しているのだな、と思う。鎌倉芸術館のピアノはクラシック用の、スタインウェイのフル・コンサートのようだが、「年に一度このピアノに触ると、自分が今年練習をサボっていたなと見透かされるような気がする」といっていた。しかし本当にすごいピアニストだ。



この人はまた、きっとお嬢さん育ちなのだろう、品のわるいところがない(だからジャズがベースなのに、ファンキーな泥臭さがない)。『ごはんができたよ』の歌詞の中に「お医者さんちのアッコちゃんにも」というのがあるところを見ると、医者の娘なのかもしれない。



そしてあの、奇妙にドメスティックな、しかし孤独な歌詞の世界と、声量のあるファルセットの発声と、ルックスと、抜群の音楽性と、それぞれがとてもバラバラなのに、きわどいバランスをとっているところがこの人の個性なのだろう。50代後半に至って、円熟の境地に近づいてきたのかもしれない。さらなる進展が楽しみである。









★★★ 古典四重奏団「フランツ・シューベルト弦楽四重奏曲集」



2012/10/25

上野・東京文化会館小ホールにて。

川原千真(Vn.1) 花崎淳生(Vn.2) 三輪真樹(Va) 田崎瑞博(Vc)

曲目:

シューベルト 弦楽四重奏曲ハ短調 D703「四重奏断章」

シューベルト 弦楽四重奏曲変ホ長調 D87

シューベルト 弦楽四重奏曲ニ短調 D810「死と乙女」



「ムズカシイはおもしろい!!」と題する、レクチャー付きコンサート。古典四重奏団はわたしが10年以上前から追いかけて折々聴いている、気鋭の中堅音楽家たちによるカルテットだ。トップの川原さんがパンフレットの解説を書かれるのが常だが、これはいつも、そこらの音楽批評家の文章よりもずっと知的で、面白い。また、レクチャーはだいたい田崎氏の企画と解説で進められ、これも機知に富んでいて魅力的だ。



今回も最初に「シューベルトらしさとは?」というレクチャーがついており、シューベルトのニ長調D74のメヌエットからはじまり、途中クイズや他の作曲家との比較などを交えて、シューベルトらしさをいろいろな角度から照射してみる。クイズでは、有名な最晩年のピアノソナタ・イ長調における第4楽章のテーマを、オリジナルと、田崎さんが後半を変えて作曲したものとで比較してどちらがシューベルト作かを聴衆に当ててもらう、という趣向。あの、たおやかなイ長調のテーマを、ピアノでなく弦楽四重奏で演奏すると、こちらも素晴らしい味わいになるのであらためて驚く。シューベルトは歌の作曲家と思われているが、じつは不思議と抽象度の高い音楽を作っていることが、このことから分かる。リストやベートーヴェンと似た曲を比較しても、シューベルトがある意味、慎ましやかで大げさなところのない音楽を作る人だ。ブルックナーの第4交響曲のコーダ(これをカルテットで演じるのはたいした力業だが)も、非常に面白い。



レクチャーの後、ふつうの演奏会形式のコンサートが行われる。シューベルトがちょうど上り調子のときの「四重奏断章」は、たしかに従前のウィーン古典派風形式から頭一つ飛び出した緊張感がある。他方、10代の頃の変ホ長調
D87は、まあいかにも“シューベルトらしい”と感じる平明さに満ちている。



ただ、シューベルトの弦楽四重奏は、第一バイオリンが曲をリードして他の楽器がオブリガートする、単純なモノフォニック構成(ほとんどコンチェルト的)になっており、ある意味、他の楽器との対話による面白さが薄いようにも感じられた。第2ヴァイオリンの花崎さんはつねに渋めの音色で、ある意味、第1よりも低い音程感をとっており、その点ではこうした平明なシューベルトの楽曲ではちょっと詰まらなそうに聞こえてしまう。



ところが、有名な「死と乙女」では、4人の緊張感がはげしくぶつかり合って、素晴らしい出来だった。第2楽章の変奏曲も、対立的な線のからみがきいていて、劇的な表現を生む。冒頭から最後まで、運命を暗示する三連符がこの曲を支配する訳だが、それは4つの楽器をときどきに渡って全体を引き締める役目を持つ。生演奏でのみ感じ取れる、活き活きとした音楽のドラマがそこにある。実に素晴らしい。



知的な面でも、感情の面でも、とても充実感のあるコンサートだった。今後も期待したい。







★★★ Vox Clamantis コンサート



2012/05/05

東京国際フォーラムにて、「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」の一部



ヤーン=エイク・トゥルヴェ(指揮)、ヴォックス・クラマンティス(合唱)

曲目:

キルリス・クレーク「夜の典礼」(晩祷)

作曲者不明 賛歌「沈黙の光」(ズナメニ聖歌)

アルヴォ・ペルト「痛恨のカノン」より



最初の、わずか3分ほどの「夜の典礼」を聴いて心底しびれた! これまで見たあらゆる合唱団、声楽アンサンブルの中で、最も上手い団体である。多声部なのに、あまりに純正なハーモニーなので、ほとんど斉唱に聞こえてしまう。こんな演奏が現実にありうるのか、という驚きだ。



ヴォックス・クラマンティスは男女混声で16人ほどの団体である。北欧のエストニア(歌の国だ!)に本拠地を置いているが、フランスなどでも活躍しているようだ。グレゴリオ聖歌に強い関心を持つ音楽家たちが集まって結成された、とホームページにはある。それにしてもこの人たちの上手さは、尋常ではない。これだけの密度と調和をもっている合唱団だから、ペルトのような作曲家がわざわざ曲を捧げたくなるのも当然だろう。



とはいえ、うーむ、正直いってペルトの音楽は厳しかった。なにしろ『痛恨のカノン』である。罪を悔い、天の許しを切望する、宗教音楽である。派手なところ、楽天的なところはほとんど一切無い。淡々と、あるいは悲痛に、曲は進む。そして、ときおり魂を切り裂くような高音。いかにもペルトである。彼の音楽はわりと好きなつもりだが、これほどの名演でなければ、なるほど聴き通すのは辛かったかもしれぬ。しかし、もちろん、透明な蒸留酒のように、純粋な陶酔感を与える音楽である。この団体の演奏はもっと聴いてみたい、と強く思った。







★★★ 谷山浩子弾語りコンサート

2012/02/12

茅ヶ崎市民文化会館にて



一人でのピアノ弾語りコンサートを聴きに行くのは初めてだ。でも、この人は根っからピアノ弾きの歌手なのだろう。ピアノの前に座った時の姿勢がとても自然でしっくりくる。ピアノの音色も美しい(特に高音)。リズムもペダリングもなかなか正確だ。しかも、弾語りでは恒例で会場からリクエストを何曲も受け付けて、その場ですぐに歌う。これは当たり前のように見えても、驚くべき芸だ。というのも、この人は15歳の時にデビューして、今年、音楽生活40周年を迎える。持ち歌は軽く300曲を超えるだろう。それを全部、歌詞カードを見ただけで、ピアノ弾語りですぐに歌えるのだ。かつ、鍵盤はほとんど見ない。多分、CDでどんなアレンジであっても、元の曲は全てピアノに向かって作曲しているのだろう。



それにしても、40年もの間、移り気なポピュラー音楽シーンを歩み続け生き延びて来たのは、立派だ。才能ももちろんあるが、努力の人でもあるのだろう。そして何より根っから歌うのが好きであるのに違いない。



谷山浩子という人は、「少女の星」の下に生まれついた人である。若い頃のアルバムジャケットなどは典型的にそうだが、少女的な可愛らしさをイメージしたコスチュームで写真に写っている。今でも童顔で、可愛らしい感じでステージに出て来て、可愛い声で歌う。ただ、作る歌は実に不思議なテイストで、異才と言っていい。今回の曲目でも、「まもるくん」とか「てんぷらサンライズ」とか「キャンディーヌ」とか、この人でなければ誰も思いつかぬような奇想である。長らくファンを引きつけたのは、この不思議さにある。もう少しおとなしい「海の時間」や「銀河通信」だって、詩的だがSF的でもある独特の情景に満ちている。



今回コンサートを聴いて初めて気がついたのは、この人の声が、中低音がとてもつやがあって美しい事だ。高音で鼻に抜ける声でサビを歌う曲が多いが、もっと中低音で歌いかける曲もあるといいな、と思った。まだまだキャリアは長く続きそうな人である。より一層の不可思議な成長を期待する。







2011年







 ★★ 東京交響楽団第595回定期演奏会

2011/12/03

サントリーホールにて。

ギュンター・ノイホルト指揮、舘野泉(Pf)、東京交響楽団



曲目:J. S. バッハ/シェーンベルク編曲 プレリュードとフーガ 変ホ長調

   ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調

   ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)[Pf:尾崎有飛]

   

舘野泉さんのラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」が素晴らしかった。舘野さんは数年前に脳出血で右半身マヒになり、その後たいへんな努力をして左手だけのピアニストとして復帰した音楽家だ。それにして、あんな音が片手だけで出るなんて、真に驚異である。アンコールのカッチーニ「アヴェ・マリア」も、ロマンティックでとてもよかった。この人は若い頃フィンランドに留学し、そこに留まって奥さんもフィンランド人だと聞いたが、北欧風の内省的なロマンティシズムがしっくりと身にしみ込んでいる感じである。



バッハ/シェーンベルクの「プレリュードとフーガ 変ホ長調」は、バッハのクラヴィア練習曲集第3番、いわゆる「オルガン・ミサ曲」から、前奏曲と「三位一体のフーガ」をオーケストラ用に編曲し直したものである。とくに「三位一体のフーガ」はバッハらしい堅牢な論理性と、黄金色を感じさせる響きの伸びやかさがあって素晴らしい曲だ。Es
Durという調性も、フラット3つで三位一体を暗示する天国的な調性が選ばれている。



しかし、第二部のストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」はちょっと眠くてこまった。音楽がどこに連れて行ってくれるのか分からないのだ。まあ、ここらへんは趣味の問題でもあるのだろう。全体としては、とても満足感の高い演奏会であった。







★★★ 第5回 横浜ボルドー音楽祭

2011/07/03

横浜市岩間市民プラザにて

ロラン・ドガレイユ(Vn)、マリアンヌ・デラキャサグランド(Sop)、パトリック・ジグマノフスキー(Pf)、池田珠代(Pf)



曲目:ロッシーニ 「ヴェネツィアの競艇 No.1」

   グノー 「アヴェ・マリア」

   ベルリオーズ オペラ「ファウストの劫罰」より

   リスト 「ローレライ」

   リスト 「愛の夢」

   ブラームス 「ハンガリー舞曲」より

   フォーレ 「ヴァイオリン・ソナタ」

   ラヴェル 「ツィガーヌ」



ジグマノフスキー夫妻が主催する横浜ボルドー音楽祭も、今年で5回目を迎えた。ただ、昨今の経済危機・補助金削減の影響を受けて、今年はみなとみらいホールから、岩間市民プラザホールに、いささか格下げされてのコンサートとなった。出演者も4人に限定されたが、それでも今回の演奏の内容は実に素晴らしいものだったと思う。



デラキャサグランドのメゾ・ソプラノはナチュラルな声質だが、ホールがあまりにもデッドで残響が少なかったせいか、ちょっと声が乗りにくく辛そうだった。それにしても歌の幅の多彩なことは目を見張るものがあった。中では、ベルリオーズがこの人の音楽性には一番フィットしたようで、伸びやかな旋律と、文学趣味の混淆が、うまく声に表現されていた。



「ハンガリー舞曲」は、いかにも息のあった連弾で、もともとジプシー音楽の即興的な雰囲気をねらったこの曲の持ち味をうまく出していたと思う。



しかし、白眉はやはり後半の、ドガレイユによるヴァイオリンだろう。フォーレは、こんなにも激しい、ある意味でとてもラテン的な表現で聞くのは初めてだが、じつに面白い。ドガレイユの音は、どちらかというと艶やかに歌うというタイプではないが、この曲のスケルツォの多彩さ、そしてフィナーレの盛り上がりを見事に演じていた。そして、ジグマノフスキーと演奏したラヴェルの「ツィガーヌ」は、この複雑な作曲家の難曲を、息の詰まるような緊張感あふれるデュエットで演奏して、とても感動的だった。



途中、若干の事故はあったものの、やはりこの演奏家達による演奏は世界でもトップレベルのものである。こうしたコンサートが、横浜の私鉄沿線の市民会館で2500円で聴けることは、はたして文化の成熟なのだろうか、それとも浪費なのだろうか。できれば、もっと良いコンディションで、もう一度演奏してもらいたいという気分の残った演奏会だった。







★★★ 酒井多賀志パイプオルガンコンサート No.50

2011/06/24

武蔵野市民文化会館にて。

曲目:酒井多賀志 「故郷」の主題による変奏曲

   酒井多賀志 日本古謡「さくらさくら」の主題による幻想曲

   フランク コラール第3番

   酒井多賀志 八重山民謡「船ぬ親ユンタ」の主題による幻想曲

   酒井多賀志 「夕焼小焼」の主題による変奏曲

   バッハ パッサカリア ハ短調 BWV582

   (アンコール曲) 酒井多賀志 瞑想的即興曲「流離」



遅刻して、ブクステフーデなど最初の3曲を聞き逃してしまったが、聴きに行って良かったコンサートだった。結果として、曲目はフランクとバッハの大曲2曲が酒井さんの自作自演にはさまれるという形になった。



酒井さんは’70年代に自主企画コンサートを開始して、以来今回で50回になると言う。オルガン独奏という地味なジャンルにもかかわらず、これだけの回数を続けてこられたのは、その真摯な演奏態度に共感する聴衆がいたからだろう。その真摯さ、ないし一種の頑固さは、次第に現代日本人にとってのオルガンを問い直し、自作曲を開拓して進むという、ある種孤独な求道に似た道に本人を導くことになった。だが、その結果、次第に演奏会は商業的に成立しにくくなってきたのではないか。今回の第50回を期して、自主公演は終了する、と宣言されたのは、そうした事情もあったのではないかと推察される。もっとも、「演奏自体はやめる訳じゃない」とご本人は言っておられたし、むしろこれからはむしろ自由な機会が増えるとは想像されるから、またいろいろな形で酒井氏の演奏を楽しむことができるだろう。



自作の曲の中では、『八重山民謡「船ぬ親ユンタ」の主題による幻想曲』がなかなか良い出来だと思った。「さくらさくら」や「夕焼小焼」では、なじみすぎた五音階旋律と、複雑な変奏が頭の中でうまく消化しきれぬまま突き進んで行ってしまう。



フランクのコラール第3番は、たぶん酒井さんの演奏で聞くのは初めてではないと思うのだが、ごく正直に言って、よく分からなかった。このすぐ後に、「横浜ボルドー音楽祭」の演奏会を聴きに行ったが、あちらの演奏家達は、フランクがはっきりフランス音楽としての個性を持つことを感じさせてくれる。酒井さんのフランクは、何を目指してどこに進んでいく音楽なのか、聞いていても意図や感情が理解できないのだ。



それに比べて、バッハはさすがによく分かる。バッハ弾きとして、とても優れた能力を持っているからだろう。しかし、50回の自主公演を締めくくる最後の曲が、「パッサカリア」という悲劇的な性格を持つ音楽なのか、と思い、酒井さんの心中を考えざるを得なかった。



しかし、最後に、「アンコールとしてはちょっと長い曲ですが」と本人が前置きしてはじまった瞑想的即興曲「流離」には、非常に感心した。この曲も、作曲された当時から、すでに何度も聴いていたはずだが、今回の演奏は別格に良かった(三つ星はこの曲のためのものである)。一緒に聴きに行った知りあいも、今回の演奏はずっとよく分かった、と感想をもらしていたが、なんだか質の違う演奏にたどりついたという感じであった。ちょうど、年月をかけて発酵したお酒が芳醇な香りを持つように、ああ、この曲は本当に現代日本の風土と文化が育てたものなんだ、と感じさせてくれた。こういう音楽を演奏するために、この人は長い間、旅をしてきたにちがいない。



酒井さん、長い間、ご苦労様でした。またいつか、演奏を聴ける時を楽しみにしています。







★★★ リチャード・ボナ ライブ

2011/01/23

南青山 ブルーノート東京にて。



なんとなく、心がほぐれて暖まるようなライブだった。リチャード・ボナはカメルーン出身のベーシスト兼ボーカリストで、ブルーノート東京で演奏するくらいだからジャズに分類されているのだろうが、歌にもリズムにも西アフリカ的なぬくもりと明るさが漂う。



本日の編成は、ギター、キーボード、トランペット、サックス、ドラム、パーカッションの7人。ボナは最初の曲だけ4弦のベースを弾いたが、あとはずっと5弦のベースを抱えていた。それにしても、ベーシストとしての技量の高さは本当にすごい。途中、他のメンバーが音を抑えて、ボナだけがソロになる部分があるのだが、ベース1本と声(スキャット)の即興だけで10分くらい続けていくのだ。しかし、これみよがしな早弾きや超絶技巧を見せる場面はちょっとだけで、あとはバランスの良い音とハーモニーを響かせていく。全体で約1時間半のステージは、ラテン風のものもありインド音楽の影響を受けたものもありと多彩で、あっという間に過ぎた。



メンバーも巧いプレイヤー揃いだが、とくにキーボードのエティエンヌ・スタドウィックは南米スリナム出身らしく、カリビアン風の曲になるとエレピの音が気持ちよいくらい決まっていく。ドラムのオベド・カルヴェアもボナのベースにぴったり合って切れも良く、ぼくの好きなタイプのドラマーだ。



一昔前ならば「ワールド・ミュージック」に分類されそうな、様々な国の出身者からなるバンドながら、今日的なポップ・ミュージックをじつに楽しそうに創り出していて、聞いていてとてもうれしい。ボナの暖かい歌声も味があり、NHKのために作った日本語の曲「風のくれたメロディー」は聴衆の気持ちを一つに集める曲だった。また機会があれば聴きに行きたいと思う、そんな素敵なミュージシャン(達)にあえた日曜日だった。







★★★ 山内房子演奏会「愛のうた」

2011/01/22

JTアートホール アフィニスにて。

山内房子(Sop)、寺嶋陸也(pf)



曲目:スメタナ 「夕べの歌」

   ドヴォルジャーク 「聖書の歌」

   ドヴォルジャーク 「愛の歌」

   マルティヌー 「あこがれ」(『二つの黒人民俗詩』から)

   マルティヌー 「1ページのうた」

   ドヴォルジャーク 「ああ、わたしのお父さんはどこに?」(カンタータ『幽霊の花嫁』から)



うーむ、なんと美しい! ドヴォルジャークをはじめスメタナもマルティヌーも、歌曲はどれも初めて聴くものばかり。それにしても、穏やかで平明な旋律の美しさに印象づけられた。



山内さんは全曲をチェコ語で歌い(譜面は用意していたがほとんど暗譜だった)、歌詞の翻訳もいくつかは自分でやっている。この人の、知られざる名曲を探し出してくる能力はさすがだと思うのだが、さらに新たにスラブ系の外国語まで勉強する努力には、脱帽である。演奏の素晴らしさはいうまでもない。とくに、最初の固さが取れて歌が回り出した各ステージの後半はとても良かった。



ドボルジャークの「聖書の歌」は今回のプログラムの中で一番やりたかった曲集だという。歌詞を見ると旧約の詩編からとった曲と思われるが、とくに第4番、第6番、そして第7番、第10番などが美しく見事だった。ドボルジャークの穏やかで平明な旋律の美しさは出色だと思う。最後のカンタータ「幽霊の花嫁」からのアリアも、強弱高低さまざまな声を使い分けた技巧の冴えといい、熱情的な表現力といい、すばらしい。そしてマルティヌーも、とても面白い。ドヴォルジャークのピアノは歌い手に寄り添って、やさしく声をサポートする役割だが、マルティヌーは伴奏というより対等な感じで、現代風ポリフォニーの響きを感じさせる。ピアノの寺嶋さんは、比較的安定したロマンティックな響きで巧い。この二人の組合せも良いのだろう。



山内さんの声は聴いていて、やはりとても美しいと感じる。何より、この曲を聴いて欲しい、という音楽への愛情がこもっいた。そういう意味で、「愛のうた」というより、「歌の愛」とのタイトルが本当は内容を表していたのかもしれない。穏やかな空気の透き通った冬の日にふさわしい、良い演奏会だった。









2010年







★★★ フランドルの音楽とイタリアバロック(「悲しみの聖母」)

2010/10/31

東京純心女子学園 江角記念講堂にて。

ヤン・ヴァン・モル(Org.)、クリステル・ドゥ・ムルデル(Sop.)、保多由子(MSop.)、大西律子(Vn.)+古楽アンサンブル、酒井多賀志(指揮)

曲目:Jacques-Nicolas Lemmens ファンファーレ

   Peter Benoit 「麗しきマリア」「アヴェ・マリア」

   Jacques Cl. Adolphe Mine "Manuale organi"より5曲

   Josquin des Pres "Mille regrez"

   Claudin de Sermisy "Tent que vivray", "Vous
predex temps"

   Cesar Franck 「天使の糧」

   Lodewijk De Vocht 「いとし子イエス」

   Alphonse Maily 「花の復活祭」「トッカータ」

   

   Giovanni Battista Pergolesi 「悲しみの聖母」



主催は東京純心宗教音楽研究会、共催は「フランドルと日本の出会い」実行委員会。ソプラノのドゥ・ムルデルさん、オルガンのヴァン・モル氏(どちらも家柄の良さそうな名前だ)は、フランドルと日本の交換プログラムの招聘で来日しての記念演奏会らしい。



ヴァン・モル氏は、ちょっと江角記念講堂のオルガンが弾きにくそうで、最初はおそるおそるタッチしているという感じだった。オルガニストの人によると、楽器にはそれぞれ個性があって、とくにここのオルガンはくせが強いらしい。しかし前半最後の「花の復活祭」などは、楽曲の美しさを上手に出した、華のある演奏だった。ドゥ・ムルデルさんは比較的若い歌手で、ジョスカンやセルミジのシャンソンのような軽い歌は今ひとつだったが、フランクなどしっとりした宗教曲にはとても情感のある歌を歌う。



後半のペルゴレージ「スターバト・マーテル」は、後期バロック屈指の名曲である。ソプラノとメゾのデュエットに、バロック弦楽器5人のアンサンブル、ポルタティフ・オルガンの通奏低音、という最小限の編成で挑んだ。酒井さんの指揮を見る(聞く)のは10数年ぶりであるが、バロック的なリズムの生き生きとした弾力と深さを引き出すそのスタイルは変わらない。酒井さんは、この曲をシュトルム合唱団・合奏団で’80年代後半に一度指揮しているが、その時とおおむね似たテンポながら、どこか解釈が深まったようにも感じる。歌手二人の音程感が比較的マッチしていた(うまく合わせた)のも、とても良かったと思う。ただし、ソプラノの聞かせどころである第2曲の途中に、何かのミスで講堂のブザーが鳴ってしまったのは、歌い手にとって本当に気の毒と思う。



集中して聞いていたのか、ある意味、あっという間にさらりと終わってしまったように感じた。だが、日にちがたっても、なぜか折にふれて耳の奥に、あのペルゴレージ独特の典雅で美しい(だがちょっとだけ悲劇的な)響きが、くりかえしわき起こってくるのである。この演奏会が、本当にもっと大勢の人に聞かれたらよいのにと思わずにはいられなかった。







 ★★ クルト・ゲントナー&佐々木秋子 デュオ・リサイタル

2010/10/30

JTアートホール アフィニスにて。

曲目 モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第41番変ホ長調 K481

   ベートーヴェン:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第7番ハ短調 op.30-2

   シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ 第2番イ短調 D.385

   ブラームス:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第1番ト長調「雨の歌」 op.78



最近積極的にリサイタルを続けている佐々木さんの演奏会。といっても、ピアノ・ソロ・リサイタルはほとんどやらず、室内楽に徹している点に個性がある。それにこれだけ演奏会を重ねるのはとても立派だ。今回はミュンヘン・フィルのコンサートマスターを長年勤め、現在は武蔵野音大客員教授でもあるヴァイオリニスト、クルト・ゲントナー氏とのデュオ。氏はすでに70歳過ぎだが、現役としてそれなりの腕前で、ゆったりしたカンタービレの表現など、さすがになかなか良い。



モーツァルトはそれなりに面白く聞けたが、佐々木さんは一音一音きちんと丁寧に弾いているものの、ちょっと几帳面すぎるかもしれない。この時代のウィーン古典派の音楽は、リズムも大事だ。ところでリズムの面白さとは、「抜き」の面白さなのだと思う。だが、無論上手ではある。



ゲントナーのヴァイオリンは渋みのある音色で、後半からよく鳴ってきた。ベートーヴェンの曲を聴いていると、彼のヴァイオリンはまるで人の声みたいに感じさせる。それにしても、曲目のタイトルを見て気づいたが、前半2曲は「ピアノとヴァイオリン」、後半2曲は「ヴァイオリンとピアノ」の音楽で、主役と脇役が逆転するのである。とくに最後のブラームス「雨の歌」はヴァイオリンにもピアノにとってもかなりの難曲だが、盛り上がりを見せた。外はちょうど秋雨の日だったが、とてもしっかりと良い後味のコンサートだった。







★★★ スタッフ・ベンダ・ビリリ演奏会

2010/10/10

よこすか芸術劇場にて。



コンゴの車椅子ミュージシャン達のバンド「スタッフ・ベンダ・ビリリ」のコンサートを聞くために、はじめて横須賀芸術劇場に行った。いやー、最高! 
歌劇場風のホールなのに、最後は観客ほぼ総立ちで踊る状態だった。バンドのフロントの5人中4人が車椅子、残る1人が松葉杖なのに、皆が踊りまわっていて、むしろ客席の椅子が固定なのがくやしい、と近くの女性が言っていた。



ビートもハーモニーも素晴らしい。コーラスのコブシの調子がいかにもコンゴの音楽だった。もう30年近く前の音楽だが、オルケストル・ヴェ・ヴェの演奏を思い出させるのだ。歌詞がステージの上に字幕投影されるのも良かった。全部の対訳ではないが、出だしと肝心の部分はわかるのだ。中心のメッセージが判れば、あとは音楽で乗れる。



横須賀芸術劇場、いいプログラムだなあ。横浜みなとみらいホールも、有名外タレの演奏会だけ企画していないで、もっとがんばりなさい。









2009年







 ★★ スプラ・アンサンブル第15回演奏会「ヨハネ受難曲」

2009/07/11

浜離宮朝日ホールにて。

J.S.バッハ 「ヨハネ受難曲」BVW245

江崎浩司・指揮、野村和貴(福音史家)、能登伊津子(Org)、スプラ管弦楽団、合唱:スプラ・アンサンブル



江崎さんが指揮するバッハのヨハネ受難曲、というので聴きに行ったが、なかなか拾いものだったと思う。ヨハネを通して聴くのは何年ぶりかわからない(あるいは客席で聴いたのは初めてだったかもしれない)が、何といっても、これはバッハの中でも出色の作品である。



序曲冒頭はふつう、不安と緊張を増していく管弦楽をいきなり切り裂く悲痛な合唱、というのがよくある演出だが、むしろここでは、ガリラヤ湖の霧の中から救世主に呼びかけるような歌、との解釈で始める。合唱はメンバーがわずか18人で、管弦楽12名(パート数から最低でもこれだけ必要)との音量のバランスは苦しいが、それなりにまとまりのある響きはつくり出していた。



ソリストは合唱団から出すのがここの方針らしく、正直言って演奏は今ひとつなソリストも居るものの、まあ音楽を聴いたという充実感があって、良かった。それに個々の楽曲に分解しがちなマタイ受難曲とは違って、ヨハネは劇的な緊張感で聴衆を引っ張っていく。それはまた、これを書いたヨハネという人の世界観の表出でもある。また、あまり指摘されないことだが、バッハのファースト・ネームはヨハン(ヨハネ)である。彼にとってこの受難曲は特別な曲なのだ。



とくに提督ピラトとユダヤの民衆の間の対話が次第に切迫さを増す中に現れる、有名なコラールは感動的だ。最後に「我らにはカイザーの他に王なし!」と民衆が叫んでピラトを追い詰めるところでは、イエスを死に追いやったのはローマ皇帝の地上の権力である、というヨハネのテーゼがはっきりとわかる。つづく合唱付きアリアでの場面転換の妙味。まさに良くできた映画を見るように、バッハの劇伴音楽の手腕は見事である。



そういうわけで、音楽を聴いた、という満足感のある演奏会だった。管弦楽のソリストたちもなかなか良い。ただ、この合唱団のパンフに見る、妙な知的俗物趣味はなんとかならないものか。合唱団員一人一人の出身大学など書いたからといって、いったい何の足しになるのだ?







 ★★ ボルドー音楽祭 in 横浜(動物の謝肉祭)

2009/07/05

横浜みなとみらい小ホールにて



音楽監修・ピアノ:パトリック・ジマノフスキー&池田珠代 ロラン・ガレイユ(Vn)、ミシェル・ミカラカコス(Vla)、ロラン・ピドゥー(Vc)、キャリン・ポルヴェレリ(Sop)、中井恒仁(P)、澤和樹(Vn)、上野真一(Perc)他

曲目:サン・サーンス ハープとヴァイオリンのためのファンタジー

   サン・サーンス 組曲「動物の謝肉祭」



休日に開催された、親子のためのコンサート。最初は、サン・サーンスの、これも珍しい小曲。そしてメインは、有名な組曲「動物の謝肉祭」だ。



チェロの美しい旋律「白鳥」などで知られる曲だが、じつは「動物の謝肉祭」は、子供向きのために作られた曲ではなかったらしい。サン・サーンスが、ある年のクリスマスに、知人のサロンの出し物として特別に作った皮肉混じりの曲集で、一つ一つの動物を表す曲の前に、機知に富んだ解説の文章がつく。ただ、他の作曲家の作品のふざけた引用などもあるため、生前は出版させなかったという。



今回の解説文の和訳では、じつは私のパートナーも翻訳協力している。本来は知的なサロンの大人向けの詩文を、子供向けにアレンジするためいろいろと苦労しているようだ。ただ、今回、ボルドー音楽祭のおかげで、はじめてまとめてサン・サーンスという人の曲を聴いたが、フランス楽壇の大家としてのイメージと違い、ずいぶん知的で、繊細で、かつ屈折した詩情をもつ若々しい感覚の人だという印象を強くした。この人の室内楽作品は、もっと演奏されてもいいと思う。それを知っただけでも、収穫だったと言えるかもしれない。









★★★ ボルドー音楽祭 in 横浜(室内楽)

2009/07/03

横浜みなとみらい小ホールにて



音楽監修・ピアノ:パトリック・ジマノフスキー&池田珠代 ロラン・ガレイユ(Vn)、ミシェル・ミカラカコス(Vla)、ロラン・ピドゥー(Vc)、キャリン・ポルヴェレリ(Sop)、中井恒仁(P)

曲目:サン・サーンス「夕暮れの中のヴァイオリン」

   フォーレ ピアノ四重奏曲第2番 ハ短調

   フランク ピアノ五重奏曲 ヘ短調



横浜ボルドー音楽祭は、フランスのボルドーで毎年開催されている音楽祭の、いわば出店公演である。中心人物で音楽監督のジマノフスキー氏の夫人である池田珠代さんの関係などもあり、日本での活動も行うようになってきた。ジマノフスキー氏(東欧風な名字だが歴としたフランス人である)はピアニストでもあり、演奏全体のとりまとめなども行っている。



この日の演奏会では、サン・サーンスの「夕暮れのヴァイオリン」というメゾ・ソプラノとヴァイオリンとピアノの珍しい、美しい曲からはじまる。(音程は良くなかったが)不思議な美しさを感じさせる曲だ。そして、フォーレの室内楽の名曲、ピアノ四重奏曲第1番。日本人の若手ピアニスト中井恒仁氏が入ったが、ピアノ伴奏付き弦楽三重奏みたいに聞こえたものの、ミカラカコス氏のヴィオラの音の美しさは素晴らしい。



フランクのピアノ五重奏曲ははじめて聞いたが、ディナミークやテンポの激しさのある曲で、ピアノのロマンティックだがけっして甘くない響きに強く印象づけられた。とてもフランスらしい、よい室内楽のコンサートだったと思う。







2008年







★★★ フジ子・ヘミング リサイタル

2008/10/06

江戸川区文化センターにて。



非常によかった。久しくこれほど演奏会で驚きに満ちた感動を覚えたことはない。有名なピアニストだが、特異な経歴だとか北欧の貴族の血を引くとか、そういった女性好みの逸話で飾られた虚構が半分かとじつは疑っていたのだ。だからCDも聞いたことがなかった。10年以上前に、NHKの番組の中で、下北沢の大月スタジオ(母の家)の3階でリストを弾いていた姿をちょっと見ただけだ。うまいとは思ったが、それだけの印象だった。



しかし、ピアニストは、実際の演奏を見てはじめて伝わってくるものが多い。この人もそういう種類の演奏家のようだ。とくに、最後のリストには心底感動した。それまで楽曲の途中でもあちこちで咳の聞こえていた会場が、リストの演奏なると、全く静かになったのも不思議だ。それだけ求心力の強い演奏だということだろう。まことに音楽とは不思議だ。



アンコールのドビュッシー「月の光」も、初めて聞いた曲のような強い印象がある。これも不思議だった。最初のスカルラッティも、ちっともイタリアン・バロック的ではないが、じつに美しい。この人は、音はロマンチックだが、音楽全体の構成は骨太で男性的とも言える。またリズム感が、縦にはねる強靱なビートをもっている(ここらへん、西洋人の血ともいえるかな)。ペダリングも巧い。ただ、右肩が固そうに見えたのは体調のせいだろうか。万全の調子とは言えなかったと思うが、じつに素晴らしい演奏会だった。







★★★ 木管トリオ「アンサンブルEFE」音楽会

2008/08/31

江崎浩司(リコーダー、バロックオーボエ、サックス、ピアニカ) 藤村理子(オーボエ) 永谷陽子(ファゴット)

北沢タウンホールにて。

曲目:オトテール トリオソナタ ハ長調より プレリュード&クーラント

ヴィヴァルディ リコーダー&オーボエ、ファゴットのコンチェルト ト長調

モーツァルト(江崎編曲) 「きらきら星」変奏曲

ベートーヴェン(江崎編曲) 「エリーゼのために」 タンゴ風

コルサコフ(江崎編曲) 「ハチ2007」(クマンバチの飛行の編曲)

サティ(江崎編曲) 「ピカデリー」

G・C・メノッティ(江崎編曲・脚本) 新音楽劇「電話」

M・キッベ 「ディヴェルティメント」より 第1楽章・第4楽章

福田和禾子(江崎編曲) 「北風小僧の寒太郎」

C・パーカー(江崎編曲) 「Au Privave」



江崎さん続きだが、彼が新しく組んだユニットが、この「アンサンブルEFE」である。基本的には木管3本という、きわめて限定的な編成で、それこそヴィヴァルディのコンチェルトくらいしかない。だから、他の曲はすべて編曲ものだ。



今回の演奏会のメーンは、第2部のメノッティの音楽劇「電話」だ。これはナレーションつきの劇だが、登場人物の気持ちを表すのにそれぞれの楽器の音色が役立っており、じつに楽しい。むろん、例のごとく「北風小僧の寒太郎」をここでもやっている。まあ、江崎さんとは、彼につき合ってくれる女性演奏家を次々に見つけてくる才能を持っている人だなあ、と妙に感心してしまった。



演奏についていえば、とくにファゴットの音色の美しさに感心した。なかなか、近くでじっくりそのメロディを聴く機会の少ない楽器だが、じつに木管らしい、すばらしい情感のある音だ。永谷さんの演奏も素晴らしい。







 ★★ アラベスク ライブ

2008/07/24

新橋「何やってるBAR」にて



楽しいライブだったと思う。昨年いったときとは違い、江崎さんはもっぱらサックスをふいていて、あまりリコーダー+エレピのデュオという曲目はなかった。より、ジャズバンドらしさを出してきたといってもいいかな。



しかし、難を言えば、ヴォーカルがジャズとしてはやや弱い。しかも、ドラムもリズムの切れが甘い。このバンドはベースレスの編成(長久さんのエレピの低音がそのかわりをつとめる)だから、その点で安定感というか安心感がややたりない気がするのだ。



楽曲はなかなか良い。この店が出してくる沖縄料理もなかなか美味しい。そういう意味では“また行こうかな”という気にさせてくれるのだが、バンドとしての芯が弱いところが惜しいと思う。







 ★★ 江崎浩司・長久真美子さん インストア・コンサート

2008/04/05

渋谷TOWER RECORD 6Fで。



わずか40分ほどのコンサートで、長久さんはチェンバロの代わりにピアノを弾いたが、楽しめた。江崎さんは相変わらず芸達者、かつサービス精神満載の人ではある。何種類もの笛を吹き、さらには三度笠をかぶって「北風小僧の寒太郎」(これってもとはNHKの幼児番組『お母さんといっしょ』の挿入歌だったと思う)まで演じる人は、まれである。まあ、そんなにあちこちにいてもらっても困るかもしれないが。



チェンバリストの長久さんはもともとピアノ科出身だったかと思う。この人は本当にリズムが安定して、またタッチがきれいで感心する。江崎さんのサポート役に徹する昨今だが、一度長久さんのソロ・リサイタルを聴いてみたいな、などと感じてみた午後であった。







2007年







 ★★ タブラトゥーラ コンサート

2007/11/25

逗子市民プラザで。



メンバーは最近固定の5人(つのだたかし、田崎瑞博、近藤郁夫、江崎浩司、山崎まさし)に加えて、ゲストの波多野睦美さんが歌い手として加わった編成。それなりに面白いコンサートだった。なんだか2時間あっという間にたってしまった感じ。マスプロ音楽じゃない手作りの味がするところが長所だろう。



ベースレス編成のため響きに限界があること、波多野さんの歌がもう一声で、一拍目がややリズム的に軽いとか、細かな注文はあるが、楽しめた。最近いつも思うのだが、どうも和風音楽になってしまうのはパーカッショニストの近藤さんに理由があると思う。もう少し裏拍にためをきかせてくれると、もっと無国籍っぽいリズムになるのになあ。ハンマーダルシマーの音は実にきれいなのだが。



まあそれはさておき、サービス精神旺盛なのが、この人達の一番の魅力だ。







★★★ 谷山浩子コンサート 猫森集会2007

2007/09/24

新宿全労済ホール スペース・ゼロにて



「小室さんもおさかなも雨の中」というタイトルで、小室等のゲストによるプログラム。出演者は谷山さんとAQ石井君との3人のみ。しかし、これまで見た中で最良のできだった。



小室等という人は、なんだかもう過去の人という印象があるが、声といい、またギターの音といい、実に魅力のあるミュージシャンだ。永いキャリアならではの芸人魂というべきか。対する谷山さんだって、なんと芸能生活35周年で、ある意味、非常に歌手寿命の長い人だが、どことなく素人くさいところが売り物になっていて対照的だ。



この二人が紡ぎ出す歌は、いずれも谷山節あるいは小室節なのだが、それはとても面白い。編成が三人というミニマリズムなのも良いのだろうが、それなりに深さに達しようという心意気のようなものをもっているせいかもしれない。



ぼくの後ろの席には年配のご夫婦らしきカップルが座っていて、いかに聴衆年齢層の広い谷山弘子コンサートとはいえ、すごいなあと感じた。が、アンコールも終わりになったとき、男の人がずっと膝の上に写真たてを抱えていたのに気づいた。そして写真の中の若い男性にむかって名前を呼びかけ、「終わりだよ。良いコンサートだったね。」と語りかけ、それから、写真をしまって奥さんと一緒に席を立ち上がった。谷山弘子という人は、そういう観客がきてくれる音楽家なのだった。不思議な人だ。帰り際に、北極物語の本を売っていた、AQ!氏の奥さんである「へべ」さんに久しぶりにお会いして、挨拶される。とても嬉しかった。







 ★★ アラベスク ライブ

2007/09/18

新橋 何やってるBAR (沖縄料理居酒屋)にて



江崎浩司バンドである。ライブである。ジャズ(?)である。これ以上、何をか言うべきや。バロックオーボエとリコーダーを吹かせれば天下一品の江崎さんは、狭い日本のクラシック界にはおさまりきれぬ器量をもっているのだろう。アラベスクの名義で毎月、夜のライブをやっているのである。そして、サックスを吹く。のだが、しかしリコーダーも吹く。リコーダーとエレキピアノと歌とドラムという尋常ならざるアンサンブルの出現である。ジャズのスタンダードナンバーも、自作(映画「花よりもなお」挿入歌がなかなか良い)も演奏する。長久さんとデュオで、いつもの名人芸的小品も吹く。なんでもやるのだ。まあ実に芸人気質の人である。



しっかしこのバンドって、本来チェンバロ奏者の長久さんがエレピ伴奏に徹しているから成り立つんだろうな(この人のリズム感はとても正確だ)。まあ、でも、愛嬌ある点が気にいった。演奏は十分ジャズとはいえないけれども、沖縄料理とともに、十分楽しめた。





 ★★ 佐々木秋子 室内楽シリーズ "Musizieren"

2007/09/08

佐々木秋子(pf)、ヤツェック・クリムキーヴィッチ(vn)

調布市文化会館くすのきホールにて

曲目:

モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第25番ト長調 K301

   第24番ハ長調 K296

   第28番ホ短調 K304

   第34番変ロ長調 K378

クライスラー:愛の喜び

   愛の悲しみ

   美しきロスマリン

   ロンドンデリーの歌 他



佐々木秋子さんのピアノとポーランド人のヴァイオリンの演奏会。佐々木さんは"Musizieren"(ムズィツィエーレン=音楽する)というタイトルで、ときおり室内楽の演奏会を開く。ピアニストがソロでなく室内楽をわざわざリードするというのは珍しいが、おそらく佐々木さんという人はアンサンブルの楽しさを誰よりも愛しているのだろうと思う。



ところで、念のために書くと、昔からぼくはモーツァルト嫌いである。あのうるささが我慢できぬ、とつねに思ってきた。だから、この演奏会はさぞや退屈するだろうと覚悟してでかけたのだったが、まあまあ集中して聞けた。もしかしたら歳をとってきたのかもしれぬ。モーツァルトの優雅な旋律が楽しめた、なぞとは夢にも思わないが(だって優雅でもなくメロディ・メイカーでもないのだから)、それでもホ短調のソナタはとても良かった。



佐々木さんがプログラムにも書いているとおり、ふつうヴァイオリン・ソナタとよばれている今回の曲目群は、いずれも正確には「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」である。つまり、ヴァイオリン伴奏によるピアノの音楽なのだ。そういう意味で、クリムキーヴィッチ氏は厳密に神妙に伴奏者として音楽をつくっていた。また、(こういう形容は誤解を招くかもしれないが)佐々木さん自身も伴奏ピアニストとしての天分を持っているようで、だからとても見事なアンサンブルが生まれたのだろう。佐々木さんのピアニズムはmfの響きとタッチが美しく、また左手の低音の動きが心地よい。一方クリムキーヴィッチ氏はとても柔らかく渋い音色をもっている。くどくなくてさわやかだ(若干音程が合わない箇所も感じたが)。



ところで面白かったのは、最後のクライスラー曲集に入ってからだ。ここで突如、主格逆転して、クリムキーヴィッチ氏が主役になる。そして彼は全身で、楽士としてのエンターテイナー性を発揮するのだ。ジプシー風の味付けで、でもウィーン風に典雅な香りをただよわせながら。これにはあっけにとられたが、聴衆はみな拍手喝采である。この人を見ていると、ヴァイオリニストがどういう人種かも、あるいは中欧風の優雅さも、なんとなくわかった気がする演奏会である。



それにしても、演奏会場は世にも色気のない自治体ホールであった。スタインウェイ&サンズで弾くような音楽をやる場所だろうか? 調布市役所って、何を考えてるのかな?







 ★★ 佐々木バッハセミナー2007年 終了演奏会

2007/08/05

自由学園「明日館」にて

指揮:佐々木正利、合唱・独唱:バッハセミナー受講者 オルガン:能登伊津子、トラヴェルソ:稲葉由紀・国枝俊太郎(リコーダーも)、チェロ:西沢央子

曲目:バッハ「カンタータ40番」

   バッハ「カンタータ146番」

   バッハ「カンタータ149番」



岩手在住の声楽家・佐々木正利氏の指導で、毎年夏に東京でセミナーが開かれるようになって、しばらくたつ。ここ何年間かは参加できなかったが、今回は最終日の発表会だけ聴きにいった。参加者も多く、なかなか良い出来だ。3曲とも、ソロは合唱参加者から別々に希望者が歌う形だ。さすがにきばって歌いすぎるところも目につくが、器楽伴奏陣の健闘が光る。しかし、SATBの四声は、つくづく性格がでると思う。派手なソプラノ、意志の強いアルト、目立ちたがりのテナー、ひそかな自信家のバス、という感じだ。



終わった後、打ち上げにもちょっと参加した。自由学園明日館はフランク・ロイド・ライトの設計で、なかなか良い。音楽好きが集い、ともに演奏して楽しむ--まことに気持ちがくつろぐ夏の夕刻であった。







★★★ 金沢少年少女合唱団第35回定期演奏会

2007/07/27

指揮:平井保

逗子文化プラザ なぎさホールにて

曲目:第1部 中田喜直童謡集より

   第2部 松下耕「合唱のための楽しいエチュード3」より

   第3部 コール・ミュゼリス(賛助出演)

   第4部 日本の歌、外国の宗教曲



とても良いコンサートだった。自分の子どもが出ているから、そう言うのではない。こういうコンサートが、音楽に対する皆の愛情が一番あらわれていて、聴いていて感激するからだ。逗子文化プラザという会場も、海沿いの地域の穏やかな空気がホールの中まで漂っていて、とても良い。横浜・金沢区の合唱団が歌うにこれ以上の場所があるだろうか。



小学校低学年から高校生まで集めた声の幅で、一つの曲を集中して歌うのは、端で見ているほど簡単な作業ではない。これを見事にリードしているのは平井先生の指揮の力量だと思う。指揮棒を使わぬバトンテクニックだが、子どもたちのリズムと集中を最大限に引き出す技はみごとだ。演奏の内容も発声も良かった。第2部など非常に短い曲の集合で、それらを通してまとめるのは並大抵のことではない(おまけに、おチビちゃんたちも全員、暗譜で歌うのだ!)。



今回の演奏会は、長年にわたりこの合唱団を世話してきてくれた鈴木規子さんという女性が病気で他界された後のことだった。だから最後の「千の風になって」「お母さん」などは子どもたちの感謝と鎮魂の心を込めた歌だった。こういう演奏が聞き手の心を打たないはずはあろうか。地域に密着した、こうした地味な音楽活動が続くことこそ、金沢という古くからの文化の地の証ではないだろうか。







 ★★ Pamina Trioリサイタル

2007/07/20

Pamina Trio:北門郁子(Vn)、ベアトリス・ロペス(Cl)、服部慶子(Pf)

横浜みなとみらい小ホールにて。

曲目:ストラヴィンスキー 「兵士の物語」より クラリネット、ヴァイオリン、ピアノのための組曲

 ルネ・シュタール ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのためのストラクチャーズ 第5番

 ミヨー ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのための組曲 Op.157b

 モーツァルト ピアノ、クラリネット、ヴィオラのための三重奏曲 変ホ長調 K.498

 バルトーク コントラスツ

 

たまたま会社帰りに、週末なので楽しいコンサートでもないかな、と横浜みなとみらいホールをのぞいてみつけた演奏会。Pamina
Trioというのは、ザルツブルグ音楽院でともに学ぶ若い女性演奏家3人(二人は日本人、一人はスペイン人)のアンサンブルだ。まだ活動を開始して日は浅いようだが、なかなか意欲的な選曲で先が楽しみだ。むろん、ヴァイオリンとクラリネットとピアノという取り合わせだから、曲目も限られはするが、そこを生かした演奏が面白い。それとまあ、関係ないことだが、若い女性3人というのは見栄えも良いので、そこも観客に受けるポイントの一つであろう。



それにしても、きいていると木管の音はなんと美しいのだろう、と思う。木管の音は人間の心のかたちをしている、とつくづく思う夜であった。







 ★★ イタリア・ヴァイオリンの芸術Ⅱ コンチェルト編

2007/06/09

エンリコ・ガッティ(vn)、リクレアツィオン・ダルカディア

トッパンホールにて。

曲目:ガルッピ コンチェルト第2番 ト長調

   ヴィヴァルディ ヴァイオリン・コンチェルト ニ長調 作品3-9

   タルティーニ コンチェルト 変ロ長調 D.120

   コレルリ 4声のフーガ、コンチェルト・グロッソ ヘ長調 作品6-9

   ボンポルティ ヴァイオリン・コンチェルト ヘ長調 作品11-5

   ヴィヴァルディ ヴァイオリン・コンチェルト ト長調 作品3-3



目白バ・ロック音楽祭の一環として開催された演奏会。エンリコ・ガッティは1955年生まれのヴァイオリニストで、「レザール・フロリサン」などのコンサートマスターを務めている。一方リクレアツィオン・ダルカディアの方は日本人演奏家6人が2001年に結成したアンサンブルで、「ヘンデル・フェスティバル・ジャパン」の中核グループである。



最初のガルッピなどは、まだリズム感がちぐはぐなかんじだったが、ヴィヴァルディあたりから調和がとれはじめ、タルティーニもなかなか楽しめた。コレルリはもちろんいいが、やはりコンチェルトはヴィヴァルディにとどめをさすなあ、と自分でも珍しく感じる。



音楽祭のための顔合わせで、リハーサルなどもそれほど準備万端とはいきにくいだろう環境でこれだけのレベルの演奏ができるというのは、ガッティの力量もさることながら日本の古楽演奏の層の厚さを示していると思う。なかなか楽しい演奏会であった。







(星なし)シンフォニア・ヴァルソヴィア シベリウス交響曲第1番

2007/05/06

ペーテル・チャバ指揮。「狂熱の日」のプログラムの一つ。

東京国際フォーラムにて。



しっかし、何も覚えていないな。シベリウスは好きな作曲家だから、珍しい1番の演奏を楽しみにしていたのだが・・ほんとに内容の薄い演奏だったとしかいいようがない。









 ★★ ミシェル・コルボ~ローザンヌ声楽アンサンブル フォーレ「レクイエム」

2007/05/06

東京国際フォーラムにて。



ミシェル・コルボの指揮を生で見るのははじめてなので、かなり期待して聴きにいった。しかも曲目はフォーレのレクイエムだ。



しかし、残念ながら、思ったほどには感激できなかったというのが正直な感想だ。ローザンヌ室内アンサンブルはずいぶん小規模な編成だが、この曲はそれでも味が出ると思う。女声ソロもそれなりの出来だった。とすると、やはりコルボの指揮の問題ということになる。彼もずいぶん歳をとったという感じだ。ステージに上がるときに足を引きずっていたので、体調も万全ではなかったのかもしれぬ。むろん曲目は素晴らしいのでそれなりの満足感はあったが、惜しい気分がどうしても残る。







 ★★ ファンホ・メナ~ビルバオ交響楽団 ドビュッシー・ラヴェル・ファリャ

2007/05/06

東京国際フォーラムにて。



毎年連休に有楽町の東京国際フォーラムで開催されているクラシック・フェスティバル「狂熱の日」のプログラムの一つ。今年はじめて聴きに言ってみたが、45分や1時間程度のプログラムを同時並行にいくつも開催する方式で、かつショップや屋台なども充実し、休日の娯楽としてはなかなか良くできている。



フランスとスペインの近代作曲家の有名な曲をあつめたこのプログラムも、それなりに面白かった。ラヴェルの「ボレロ」を生で聴いたのは20年ぶりくらいかもしれないが、この曲はオーケストラの楽器の間を次々にテーマが受け渡されて、音色変奏ないしジャズのインタープレイみたいになるところが面白い。やはり生で聴くに限ると思う。ドビュッシーも良かったが、やはり一番はファリャだろうか。オケが生き生きして演奏していた。



ところで、いくらファミリー向けの企画といっても、クラシックの演奏会場に未就学児童を連れてきて入るのは、あまり歓迎できない。情操教育のつもりかもしれないが、子どもには退屈なだけだし、まわりも落ち着いて聴けないのでありがたくない。託児スペースもあったはずだし、親は考え直してほしい。







 ★★ Tokyo Cantat 2007 Ⅰ オープニング・コンサート・プログラム

2007/04/30

すみだトリフォニーホールにて。



出演者:うたびと“風”のつどい & 須坂混声合唱団: グレゴリオ聖歌

山内房子(ソプラノ)+永田平八(リュート): ザビエル時代のリュートソング

ヴォーカルアンサンブル<>: フランドル楽派の合唱曲

合唱団まい: ルネサンス時代のシャンソン

モンテヴェルディ倶楽部: モンテヴェルディ「8声のマニフィカート」

アンサンブル・ピノ: 天正使節の時代の合唱曲



このTokyo Cantatという大規模な催しがいつからおこなわれているのかは知らない。私ははじめて、誘われて見にいった。この日は昼夜にプログラムが分かれていて、昼の部を見ただけだ。それにしても、広い東京には合唱が好きな人が随分多いのだなあと感心してしまった。なにしろ、トリフォニーホールの大ホールである。解説・ナレーションは竹下景子である。すごいもんだ。東京ってお金があるんだなあ。それを文化に蕩尽できるんだなあ。そう思ってしまった。



テーマは“南蛮人ザビエルとその時代のヨーロッパ音楽”である。しかし、そもそもその時代の音楽は、こんな巨大なホールで演奏するためにはできていないのだ。アカペラの人の声だけか、あるいはせいぜい音量の小さな弦楽器が伴奏につく程度である。だから、リュートソングを歌った山内さんは、歌いにくそうだった。あれは、せめて打楽器を入れればいいのに、などと妙な感想をもってしまった。



出演者のほとんどは、熱心なアマチュアである。だから、あまり批評するのは避けよう。でも、たとえば<>は上手いけど、もっと入りを大切にしたら、とか、「まい」のシャンソンは短い曲はOKだけど、やはり指揮者が必要なんじゃないかしら、とか(私の連れは『フランス語のよく分からない人がシャンソン気取って歌うのはやめてほしい』などといっていたが、私はそこまでは言えない)、「ピノ」はなぜ女声で試みるのか、なぜ4拍子が皆同じなのか、などと、まあ、つい思ってしまうのである。



しかし、モンテヴェルディ倶楽部は音楽家の集まりだと思うのだが、何なのだあれは。あれでも音楽史を転換させたヴェネツィアのバロック作曲家を演奏しているつもりなのだろうか。どこに劇的な陰影があるのだよ。まったく、情けない。



やはり大都会は、文化を消費して吸い尽くしてしまうだけなのかもしれん、などと考えた日曜日でした。







 ★★ ボブ・マーリー ライブ1979

2007/03/22

On Demand TVにて



ボブ・マーリーが亡くなる2年前の1979年にアメリカでおこなったコンサートのライブ・ビデオ。同じ年におこなわれた日本公演を自分も見にいったが、その時のことをよく思い出した。というのは、演奏は確かに素晴らしく、曲もよく親しんだヒット曲がならんでいるにもかかわらず、ボブ・マーリーが観客に直接訴えかけたり働きかけたりしてくれないことに、もどかしさを感じていたからだ。「ステージの斜め上の虚空に向けて、最良のパフォーマンスをおこなっていた」という批評を、あとで岩谷宏がロッキング・オンに書いていたが、まさにそんなかんじだった。



一番印象的だったのは、彼がほとんど目をつぶっているように見えたことだ。レコード(彼の時代にCDなんてものはなかった)のジャケットでは、あんなにはっきりした目をしているのに、本当は目の細い人なんだろうか、と思ったものだ。その印象は、この米国でのライブ映像を見ても、全く同じだ。観客に対しては、むしろギタリストのジュニア・マーヴィンが一生懸命盛り上げようとしていた。



しかし、これを見ているうちに、ふと全くちがった考えが浮かんできた。もしかしたら、ボブ・マーリーという人は、じつはとても内気な、ナイーブな人なのではないか。本来は、世界のあちこちをツアーで駆けめぐって大観衆の前で歌ったりするのが、苦手な人だったのではないか。そんな感想が胸の内に浮かんだのだ。だから、かれはほとんど観客とアイ・コンタクトしなかったのではないか。そもそも彼が、36歳という若すぎる年齢で脳腫瘍で死んだのも、そのストレスが一因だったのではないか? むしろ本当は、彼はジャマイカの農村で、人混みとは接触を断って、自然な暮らしの中で詩を書いたり歌ったり瞑想したりするのが好きな人だったのではないか。しだいに、そんな風に思えてきたのだ。



だとするとこれは、本当に貴重な、しかし残酷な、彼の晩年の記録である。レゲエの世界で不世出の大シンガーだった彼が、目をつぶって、自分の内側に音楽を探している姿の映像なのである。







 ★★ EPOコンサート

2007/06/23

北赤羽・龍福寺会館にて。

EPO(歌)、笹子重治(ギター)、渡辺亮(パーカッション)



真言宗のお寺である龍福寺の主催する『てらこん16』として企画されたコンサート。お寺の会館で100人程度の聴衆を前にして行なう、ごく親密なスタイルのコンサートで、会場の雰囲気もとても良かった。



EPOというシンガーはとても不思議な人だ。とても美しい、表情豊かな声をもっており、リズム感も音程も文句なく上手い。見ていて、これくらい自分も歌が上手ければな、とため息が出たくらいだ。また曲作りのポップセンスも良い。スリムで色白の美人でもある。誰もが知るヒット曲をもっていて、若い頃は英ヴァージンと契約して英国でも活動していた--人もうらやむ才能とキャリアをこれだけもっていれば、何の悩みもなさそうに思う。でも、そうではないのだ。この人にとって、それはある意味で重荷なのだ。



女性にとって、美人に生まれることの不幸と、不美人に生まれることの不幸と、どちらがより悲劇なのかは知らない。でもこの人は、美人である上に頭も良くて、しかも真面目すぎるのだ。女の子を商品の枠のなかに押し込めたがる芸能界と音楽産業のなかで、若くて洗練されたポップ歌手から抜け出そうと、30代後半からずっと苦闘してきたらしい。「矛盾のなかで生きてる」という曲などその現れなのだろう。



いま彼女は独立したレーベルをもち、しかもセラピストの資格も持って葉山で開業している。それだけで足りずに、何と昨年秋から米国フロリダの大学に留学して、本格的にセラピーを学び直しているという。今回のコンサートは、ようやく1学年がおわって里帰り帰国した機会に行なわれたものだ。テーマは"Experience
in the womb"。まさかお寺だから胎内巡りにかけたのでしょうか。それとも真言宗の胎蔵界曼陀羅とか・・



コンサートはとても楽しいものだった。笹子さんのギターの音色にも感心したが、渡辺さんのパーカッションの多彩さは見てるだけで飽きない。とくにカホーンからあんな重厚な音が出るなんて! でも、どこかで、EPOという女性は、「この人も居場所を探しているのだな」と感想が残る夜だった。



前座で4曲演奏した『音戯屋』というバンドにもふれておこう。なかなか楽しい演奏だった。中心の歌詞やメロディだけをきくと、こういう種類の音楽は一昔前は「フォーク」に分類されていたろうな、と思う。しかし、今はそれが無国籍バンド風になるのが、時代なのだろう。それにしてもアマチュアとはいえ、良い楽器をたくさん使ってるな、と驚く。それだけ日本が豊かになったのだろう。それにもかかわらず、フロント・マンの中核が和楽器だ、ということに、あらためて日本人の求めている表現の方向性を感じるのだ。メンバーのなかでは、エレキギターの音に感心した。







 ★★ 酒井多賀志パイプオルガンコンサート No.46

2007/06/22

府中の森芸術劇場にて。

曲目:

 デ・カベソン:ティエント第3番 第1旋法

 スウェーリンク:ファンタジア・エコー 第9旋法

 パッヘルベル:コラール変奏曲「目覚めよ、我が心」

 ブクステフーデ:前奏曲 ト短調

 バッハ:コラール前奏曲「最愛のイエスよ、我らここに集い」 BWV731

 バッハ:パッサカリア ハ短調 BWV582

 酒井多賀志:瞑想的即興曲「流離」

 酒井多賀志:「祈り」

 酒井多賀志:イントロダクションとフーガ ニ長調

 酒井多賀志:「アメイジング・グレイス」の主題による変奏曲とフーガ



2年ぶりに酒井さんの演奏会に行って来た。なかなか充実した演奏で、最近の進境がうかがえる内容だったと思う。



この人は必ずプログラムの解説文を自分でかき、かつ演奏の合間にマイクを持って説明する。それも決して音大の先生風の衒学趣味ではなく、平明で誰にも分かりやすい話なので、興趣もますし好感が持てる。



今回のテーマは“バロック音楽の輝きと新鮮さ”だという。スペインのルネサンス後期の作曲家デ・カベソンの曲は初めて聴いたが、たしかに水平トランペットの音色の輝きが効果的だ。一方スヴェーリンクのエコー・ファンタジーは私の好きな曲なので、興味を持ってきいた。エコーの部分にあえてかすかな間をおく表現が面白い。パッヘルベルも私の好きな作曲家で、いかにも彼らしい平明で明るい情感に満ちた曲だ。しかし若きバッハは彼には満ち足りず、ブクステフーデの北ドイツ的な複雑晦渋な響きを求めていく。



バッハのコラール前奏曲もいい演奏だったが、パッサカリアはこれまで聴いたなかでも最良のできだったと思う。まさに「バッハ的」としか言いようのない音楽だけれども、音色の対比といいパッセージの処理といい、きわめて高度で充実していた。



後半の自作曲はいつもの“酒井節”の世界である。「流離」ってオックスフォード出版局から楽譜が出版されているが、しかしこの難曲を酒井さん以外にひける人はいるのだろうか? 「祈り」はとても歌心に満ちていて平安な響きである。



ところで、酒井さんはバロックの輝きと自作の世界をつなげて解説しているけれど、私自身の考えは少しちがう。バロック音楽の中心にあるのは、時間感覚ではないだろうか。これは酒井さん自身、昔言っておられたことだが、ルネサンス音楽は、今ここに天国的な平安と調和がある、という表現である。そこには永遠はあれども時間の観念がない。一方、モンテヴェルディ以降のバロック音楽では、序破急というべき、あるいは地上における「待ち」と天上的「解決」とでもいうべき劇的な時間構成感覚がある。それが舞曲のリズムと枠組みに持ち込まれて、はじめてバロックが生成するように思うのだ。



アンコール曲は、バッハの無伴奏チェロ組曲第一番の終曲ジーグを足鍵盤だけで演奏する試みと、オルゲルビュッヒラインから「キリストよ、我、汝を呼ぶ」の2曲だった。前者は(「まだ未完成」と後でご本人はおっしゃっていたが)まことに離れ業である。後者を聴いていると、酒井さんにはカンタービレというか歌心の発現の場所が欲しいのではないかと感じてしまった。そうした機会が、近い内に来ることを望む。







 ★★ アンサンブルBWV2001 第6回定期演奏会

2007/02/17

浜離宮朝日ホールにて。



企画・製作:田崎瑞博、弦楽:川原千真・三輪真樹・花崎淳生・田崎瑞博・蓮池仁、オルガン:能登伊津子、木管:江崎浩司、尾崎温子、ソプラノ:佐竹由美・高橋節子、アルト:小原伸枝・橋口直子、テナー:大島博・辻秀幸、バス:小原浄二・田代和久 ほか



曲目(すべてバッハ)

 管弦楽組曲第3番 ニ長調

 カンタータ第22番「イエスは十二弟子を引きよせて」

 カンタータ第132番「道をそなえ、行く手をととのえよ」

 カンタータ第21番「私の心は憂いに満ち」



この人たちの演奏については、以前、あまり好意的でないことを書いた。一人一人はとても立派なソリストたちなのに、全体としてはちっとも面白くない、と。また、私は率直に言って、バッハはそれほど好きではない。いい曲もあるが、退屈なのもかなり多いと思っている。



今回また聴きに行ったわけだが、その感想が画期的に改善されたとは言いがたい。たとえば、同じ田崎さんのリーディングする、アンサンブル音楽三昧のコンサートを聴くと、ああ音楽のアンサンブルを聴いたなあ、という気になるのに、BWV2001を聴くと、指揮者抜きの楽団を聴いてしまった、という気がするのはなぜか。



管弦楽組曲は有名な「G線上のアリア」もあって興味深い曲だったし、演奏もまあまあだった。バッハはつくづく金管楽器の使い方が下手だなあ、とは思ったが、これは能力の問題なのでいたしかたあるまい。それに、この曲が指揮者抜きでも面白く聴けたのは、やはりバロック組曲が基本的に舞曲の集合体だからである。



それに比べてカンタータでは、とにかくバッハはいろいろな意図をつめこんで、やたら複雑なことをやりたがる。それを歌詞の言葉にものせたがる。旋律にも対旋律にものせたがる。こうした手法を聴衆に伝えるためには、かなり従順な演奏家でないとできないのではないか。そんな気がする。いくら上手でも、我が強すぎてはダメなのだ。そこがバッハのソロ器楽との違いである。



今回が前回よりは少しベターだったのは、そこらへんに声楽家たちが少し気づいたせいなのかもしれない。だから、コラールなどはまあまあコラールに聞こえた。







★★★ アンサンブル音楽三昧 バッハ トッカータとフーガ

2007/02/02

曲目:トッカータとフーガ ニ短調

   パストラーレ ヘ長調

   イタリア協奏曲 ヘ長調

   フランス風序曲より「序曲」「エコー」

   コラール変奏曲「いと高きところには神にのみ栄光あれ」

   ファンタジーとフーガ ト短調

東京オペラシティ リサイタルホールにて



この人たちの演奏を久しぶりに聴いたが、今回はなかなか感動した。最初はちょっと不発だったが、中盤からどんどん緊張感の高い良い演奏になっていく。



それにしてもバッハはおかしな作曲家だと思う。今回の曲目のオリジナルはすべて鍵盤用の独奏曲だが、そもそもトリオ・ソナタだとか協奏曲だとかは本来複数の人間が演奏すべき曲目なのに、わざわざバッハは独奏用に作っている。アンサンブル向け編曲はいつもどおり田崎さんだが、恐縮ながら今回はむしろ、「編曲されていたものを本来元の姿に復元しました」というのに近い。だから、「パストラーレ」などを聴いていると、ごく普通のバロック編成の曲をとても上手に演奏するアンサンブル、という風に感じるのだ。「イタリア協奏曲」の最後のプレストなど、とても楽しかった。



アンサンブルとは、複数の演奏者たちの緊張やリラックスや駆け引きなどによって音楽のダイナミズムが生まれる、その楽しさが中心にある。しかしバッハはあえて独奏でそうした曲目を完成しようとする。どうやら彼にとって、他人とは不完全で余分な存在だったらしい。



後半は最前列に席をうつって聴いた。このリサイタルホールはほとんど練習用スタジオみたいな箱形の作りなので、座る位置によって響き方がかなりちがう。バロック楽器の音は上方に飛びやすいらしく、前で聴く方が断然良い。



ところで、田崎さん自身はチェロをばりばり弾くのが一番好きなのだろうが、じつはヴィオラの方が断然良いと、今回思った。「フランス風序曲」だったと思うが、途中で奥さんのヴァイオリンとヴィオラの二重奏になる場面があって、これなど本当に音楽的で素晴らしい瞬間だ。川原さんのヴァイオリンはつねに真剣で、かつ音に豊かな伸びと柔らかさがあるが、この人はバッハなどを弾かせるときわめてリズムも正確な人だ、とあらためて気づいた。



コラール変奏曲は、変哲もない主題がどんどん変容していく様が、5台の楽器で見事に表現されていく。これほどバッハの音楽が美しいと思ったことはなかった。なぜかアルト・リコーダーの音は、男の子の心のかたちをしていると感じた。



最後の幻想曲とフーガは、構想の大きな難曲だ。最初の妻を亡くした時期に作られたらしい。しかし、バッハは何とかわいそうな人だろう。これだけ複雑で困難な音の数をあつめなければ、彼の心の中の感情は、外に表われてこないのだ。ふつうの作曲家なら、もっと単純に表現できたものを!(その点、ちょっとだけジミ・ヘンに似ている)





2006年







 ★★ アンサンブル・エクレジア演奏会「スペインのクリスマス」

2006/12/14

ハクジュホールにて。



アンサンブル・エクレジア今回の編成は、波多野睦美(メゾソプラノ)・つのだたかし(ビウエラ)・山崎まさし(ビウエラ、ギター)・福沢宏(ガンバ)・早島万紀子(ポジティーフ・オルガン)・永潟三貴生(カンテオール)の6人。



曲目は、中世・近世の古いアヴェ・マリア頌歌からはじまり、巡礼の歌、カタロニア地方の歌、合奏(レセルカーダ)、フラメンコのクリスマス、という意欲的な取り合わせだ。



楽しいコンサートだった。つのださんの上手さと、山崎さんのギターの寡黙な格好良さ、については、今さら言う必要もないだろう。福沢さんのガンバや早島さんのポジティーフの音色の美しさも素晴らしい。その、木製オルガンとフラメンコ・ギターを組み合わせてくるところに、このアンサンブルの機知も稚気もあるわけだが。



波多野さんの歌について言うと、この人はアンサンブル・エクレジアが一番いいなあ、と率直に感じた。声は美しいし、発音もきれいだし、とても上手い歌手なのだが、バロック・オペラだの恋愛の歌だのを演じるより、こうした古い時代の、信仰心に満ちた素朴な歌の方がずっと良さが出ると思う。



永潟さんのカンテオールについては、まだ若い、としか言いようがあるまい。発酵の浅いワインを飲まされたような気がする。この人が一生懸命シャウトする声より、波多野さんのメゾ・フォルテの方が、客席の後ろの方にははっきりと届くのだ。それに、フラメンコの手拍子はもっと正確にキメてほしいな。いましばしの熟成を待つ。







★★★ アリオン・バロック・オーケストラ

2006/11/08

晴海・第一生命ホールにて。

スージー・ルブラン(Sop)、ダニエル・テーラー(Ct)、ヤープ・テル・リンデン(指揮・Vc)、アリオン・バロック・オーケストラ

曲目:

ヘンデル 『サウル』よりシンフォニア

ペルゴレージ 『スタバート・マーテル』

ヘンデル 歌劇『ロデリンダ』より序曲、アリア「蔭よ、木々よ、寂しい墓地よ!」・「わたしはあなたを抱きしめる」

ヘンデル 序曲HWV337

ヘンデル 歌劇『セルセ』よりアリア「オンブラ・マイ・フ」

ヘンデル 歌劇『リナルド』よりアリア「泣かせてください」・「あなたの顔に」

ヘンデル 歌劇『ジュリアス・シーザー』より序曲、アリア「嵐で」・「お前の驕りをたたきのめし」「いとしい人! かわいい人!」



とても素晴らしい演奏会だった。何より、大好きなペルゴレージとヘンデルの曲ばかりたっぷり聴くことができて満足だ。二人の歌手は前半なかなかエンジンがかからなかったようだし、ルブランはのどの調子が今ひとつの様子だったが、後半は技巧もさえて、とても充実した音楽になって安心した。とくに、二人の音程感がぴったりと合って、和声が調和するとまるで一人の声のように響くのは素晴らしい。



テーラーのカウンターテナーは表現も強弱も最高の水準といえるだろう。演劇的な芸達者な所も、聴衆の気持ちを引きつけるポイントを心得ている。中低声に移るときも安定しているのは見事だ。ルブランのソプラノは最上の調子とは言えないようだったが、それでも「泣かせてください」のアリアなどその哀切な表現に、聴いていて思わず涙ぐんでしまった。ペルゴレージの楽曲の良さも、やはりあらためて感動する。本当に心から満足できる音楽会だった。







★★★ 田中信正トリオ

06/08/25

関内JAZZ ISにて。



金曜日なので会社が終わってから同僚をさそって、関内にジャズを聴きに出る。JAZZ ISでピアニストの田中信正のトリオがあるのを見つけたからだ。



この人は5月の上山さんのライブで初めて見て、驚愕した。今回は、海野・安田両氏とのトリオで2回目らしいが、もっぱらピアノの印象しか(他の二人には申し訳ないけれど)残っていない。それほどすごいのだ。どこがすごいかっていうと、とにかく「すごい」としか言いようがないほどすごいのだ。全然説明になってないな。



ジャズってのは基本的にインプロビゼーションなので、今回のようにスタンダード曲のアレンジが多くても、佳境に入ってしまえばもう独自の世界になる。まして田中君の自作の曲は、さすがにクールでひねりがきいていて、しかもひそやかな叙情性が底に流れているから、たまらない。おどろくべき数の鍵盤連打から生まれる音の流れに、酔ったように身をゆだねて聴くしかない。しかし、あんなねじれたフォームで弾きつづけて、この人の背骨は大丈夫なんだろうか?



終わってから外に出ると、夜の関内の街は雨に濡れていた。夏の終わりの雨だ。ふうっ、とため息をはいて、駅に向かって歩いた。







★★★ ジャングルぐるぐる探検隊 チェンバロが音痴になるわけ

2006/08/19

世田谷・『猫御殿』(山内邸)にて

桒形亞樹子(チェンバロ)、山内房子(ソプラノ)

曲目

フレスコバルディ「ルッジェーロのバスによるパルティータ」より

ディンディア「散りばめられた言葉を耳にする者よ」

マッツォッキ「主よ、わたしを駆り立てるな」

メルーラ「半音階的カプリッチョ」

ロッシ「トッカータ第7番」

ディンディア「不幸なディドー」

マッツォッキ「薔薇の冠を戴き」

フレスコバルディ「3つのガリアルダ」 ほか



しっかしまあ、これほど抱腹絶倒な、しかしこれほど音楽的にためになるレクチャー・コンサートも珍しいだろうなあ。これも、今回の「隊長」桒形さんと「副隊長」山内さんたちの、知的でウィットあふれる人柄によって生まれた、素晴らしい遊びの精神だと思う。



テーマは、バロック時代の調律法である。当時は平均率などという、どこを切っても金太郎飴の鈍感な響きしかない調律はマイナーであり、それ以外にさまざまな調律が開発されていた。それは、チェンバロのように演奏者が自分の手で、毎回細かく調律をかえられる(また調律を直さざるを得ない)楽器が主流だったことから生まれた。工場の中で大量生産され、機械で平均率にプリセットされる近代ピアノとは全く異なる事情なのだ。



そのかわり、当時の美しい調律は、少数の特定の調に対して最適化されているから、うっかり半音だけ移調したりすると、とんでもない『音痴な』響きが生まれてしまう。このコンサートでは、それを実演して見せたりするのだが、その際、山内さんがウチワをかざして、音痴な和音がなったときはすかさずそれを指弾するという趣向だ。



また、桒形さんも、言われるままに移調したり(鍵盤楽器では口で言うほど簡単ではない)、あっと言う間に調律を直して見せたり、まさにチェンバロのプロとはこういう演奏家を言うのか、とじつに感心させられた。オクターブの12半音を順番にひくと、幅の広いところと狭いところが出てくるのだが、それがクロマティックな音楽ではみごとな感情の色彩感として現れてくる。むろん、山内さんの歌も、文句なく素晴らしい。



頭から尻尾まであんこの詰まった、きいて得するコンサートとはこういうものだろう。







★★★ 金沢少年少女合唱団 第34回定期演奏会

2006/08/12

逗子文化プラザ なぎさホールにて



横浜市金沢区を中心に、30年以上も活動を続けている合唱団のコンサート。じつは中学生の息子が参加しているから聴きに行ったのだが、ひいき目抜きで、とても良い演奏会だった。プロの音楽家の、手慣れたそつのない演奏会よりも、アマチュアのコンサートで素直な音楽への情熱に打たれて感動することが、たまにある。そんな、貴重な時を過ごすことができた。



曲目はかなり盛りだくさんで、最年少は小学1年生も参加している合唱団にとっては、ほぼ能力の上限に近いだろう。ステージは4部構成で、とくに第3ステージは中学生以上だけの編成で、ペルゴレージの名曲「スタバート・マーテル」などに挑戦した。むろん技術的にはかなり難しいが、さすが音楽史に燦然と輝く傑作だけに、その片鱗を感じられた。むしろ、滝廉太郎の「花」(信長貴富編曲)などが、アカペラで神秘的な和声の響きを見事に出して、良い演奏だった。



「サッカーによせて」「ロマンチストの豚」「みんなみんな歌になれ」などは、日本の現代合唱曲の水準を示す佳作だろう。選曲の良さが光っているし、全員暗譜でついてきている。指揮者の平井保氏の力量だと思う。何より、発声の粒がそろっていて、とても合唱らしい歌の充実感がある。



小学生の女子団員がハーフ・チェロを弾き、フルート、ピアノとアンサンブルで伴奏した井上陽水の「少年時代」はとても良かった。アンコール曲にもなった「見上げてごらん夜の星を」は、奇しくも日航機事故で他界した坂本九の命日でもあったが、永六輔・いずみたくの楽曲の良さに、強く打たれた。もとは、定時制高校を舞台にしたミュージカルの主題歌だった曲だ。まだ戦後の、何もなかった頃だが、希望だけはあった時代の歌。それを、何もかも豊富けれど希望だけが欠けているこの時代に、少年少女の合唱で歌われるのを聞くと、思わず涙ぐみそうなほど感慨に打たれるのだ。







 ★★ バロック・オペラ「ディドとエネアス」

2006/07/08

保谷こもれびホールにて

企画制作:加久間朋子、指揮/音楽監督:田崎瑞博、演出:十川稔、合唱指導:辻秀幸

佐竹由美(ディド)、田中誠(エネアス)、山内房子(ベリンダ)、牧野正人(魔法使い)、こもれび古楽アンサンブル(川原千真・三輪真樹・田崎瑞博・蓮池仁・永田平八・加久間朋子他)、こもれびバロック市民合唱団

曲目

第1部~器楽作品を集めて~

 パーセル:シャコニー ト短調

 ヘンデル:合奏協奏曲第12番

 クープラン:ラ・スタインケルク

 ビーバー:パッサカリア ト短調

第2部

 オペラ「ディドとエネアス」全3幕



西東京市のレクチャー・コンサートの一環として、プロのソリストたちと市民合唱団の参加型共演でバロック・オペラをやってしまおうという、実に意欲的な企画の成果がこのコンサートだった。チケットも3,000円と破格の値段である。何より、企画を実現させた加久間さんや音楽監督の田崎さんたちの努力に敬意を表しよう。



第1部の器楽は、ヘンデルの優美な軽やかさなどを楽しめて、よかった。それはとくに下降音形にうまく現れていた。まあこれだけ芸達者な面々を集めたのだから、安心して聞ける。



第2部、イギリス・バロック音楽を代表するヘンリー・パーセルの傑作オペラ「ディドとエネアス」も、なかなか楽しい舞台だった。音楽監督の田崎さんはチェロを弾きながら弓をふって指揮していたが、この比較的残響の少ないデッドなホールで、うまく響きを盛り上げていたと思う。主役の佐竹さんはうまいソプラノだが、なんとなくメリスマ的な動きに物足りなさを感じた。山内さんはオペラものはあまりお好きでないらしいが、さすがに存在感がある。牧野さんは最近、ちょっと詰めが甘くないだろうか。今回ソリストの中で一番感心したのは、正直に言って辻さんだ。彼は合唱などのシーンでも一緒に歌っていたが、音の安定感もさることながら、そのリズム感のセンスがいい。バロック・オペラの歌い手としては、ここが一番肝心なところだからだ。



とはいえ、このコンサートの主人公は、やっぱりこもれびバロック市民合唱団だったろう。アマチュアだが、よく合っていたし、何より皆とても楽しんでいる。こうした企画が実現できるというのは、やはりそれなりに豊かで平和な市民社会の証拠なのだろうと感じた日だった。







★★★ カッペッラ・デッラ・ピエタ・デ・トゥルキーニ演奏会

2006/06/18

イタリア文化会館地下ホールにて。

指揮:アントニオ・フローリオ、ソプラノ:マリア・エルコラーノ、テノール:ジュゼッペ・デ・ヴィットリオ

曲目:D・ガッロ 弦楽合奏のためのソナタ 2曲

F・プロヴァンツァーレ カンタータ「その途端に引き裂かれ」

L・ヴィンチ 「パルテノペ」から2つのアリア

G・F・ヘンデル 「パルテノペ」からシンフォニア

M・ファッジョーリ ナポリ方言によるカンタータ「麦わら帽子の自惚れ男」

N・グリッロ ナポリ方言によるカンタータ「起きなさい、眠るための日」

N・ピンチンニ 「ディドー」から、エーネアスのアリア

G・ペトリーニ ナポリ方言によるインテルメッツォ「グラツィエッロとネッラ」



16-18世紀のナポリ音楽を得意とするバロック・アンサンブル、カッペッラ・デッラ・ピエタ・デ・トゥルキーニの今回の演奏会は、わりと急遽決まったらしい。たった一度、東京で演奏するだけなのが、とても惜しいほど、素晴らしいできだった。これほどのレベルの音楽ならば、もっと多くの人が聴きに来て楽しめるからだ。



作曲家も作品も、私でさえ誰一人知らない(ヘンデルを抜かせば)プログラムだったが、とても面白い。いわゆるバロック音楽が16世紀の北イタリアから始まったのは誰でも知っているが、18世紀まで命脈をつづけてナポリで花咲いたらしい。その形は、初期の劇的な音楽から、しだいに演劇的な音楽に変化していったようだ。今回のコンサートでも、G・ペトリーニの幕間曲など、小さなオペレッタそのものといってもいいくらいだ。



演奏は、どれも素晴らしい。イタリア文化会館地下ホールは初めて入ったが、弦楽合奏の細やかなニュアンスが響いてくる良いホールだ。それにしても、弦楽合奏はイタリアに尽きるな、と思わせる。とくに、バロック・ギターの音色の美しさには感心した。梅雨時で湿気が多く、調律にはみな苦心していたようだが、いざ音楽が快活なリズムにのって流れ出すと、アンサンブルはのびのびと歌う。



歌手であり舞台俳優でもあるジュゼッペ・デ・ヴィットリオのテノールの巧さにはほれぼれしたが、ソプラノのマリア・エルコラーノも後半に入って声のノリが良くなり、すばらしいテクニックを見せてくれた。まことにイタリア・バロック・アンサンブルの質の高さを満喫できた演奏会だ。







★★★ 上山高史コンサート with 田中信正・田村博

2006/05/12

鎌倉ダフネにて

メンバー 上山高史(vo) 田中信正(p) 田村博(p)



上山さんという歌い手は、優れた伴奏者を見つけてくるのがじつに上手い人だ。今回は、ピアノ連弾。それも、田中信正・田村博という気鋭の二人を、小さな店の一台のピアノに並ばせて弾かせようと言うのだから、大した力量だ。それだけでも脱帽である。



それにしても、この二人の連弾は凄かった。あまりすごくて、上山さん自身も圧倒されて見ている場面が多いくらいだ。とくに、田中信正氏の、ちょっとはすに構えたというか、独特のグルーブ感のあるピアニズムは尋常ではない。また、そのタッチの美しさにも舌を巻く。田村博だって巧いピアニストだが、その上を行って天衣無縫と形容したくなる感じだ。音楽の世界には、本当にすごい人がいるものだと率直に感動した。







★★★ Nail live at Quattro

2006/01/19

渋谷Quattroにて。



この人たちが15SANDというバンドで活躍していた頃から、ファンとして応援してきてもう15年近くなる。15SANDは’91年に解散して、一部はSEE-SAWとなり、少ししてから残る3人がNailとして再出発したわけである。SEA-SAWはコマーシャルベースに乗って都合CDを3枚出すが、基本的に梶浦由記という傑出したソングライターと、石川千秋(ソマリ)という歌手のコラボレーション・ユニットだったとも言える。一方このNailの方は、アマチュアとして仲良く細く長く活動してきた。曲はかつてのプログレ・ハード路線から一転して、大人の女性の情感に満ちた歌を作りつづけてきている。



その彼女たちが久しぶりにメジャーな場所でライブを行なった。「『期待の新人』として声をかけられたのだけど、そう呼ばれるのはもう何回目かなあ」とドラム&パーカッションの上畠さんは笑いながら言っていた。この人たちの音楽の魅力は、楽曲の良さと、3人ながら多彩な楽器をあやつって生み出す音色の面白さにある。上質で丁寧なキルトのパッチワークのような手ざわりを感じさせてくれる音楽だ。



ライブとしては、案外短い印象だった。もう少しやった欲しかったとも感じる。でも、なかなか良かった。仕事や家庭をかかえて忙しく、ライブの機会は決して多くないが、また次のステージを楽しみにしている。







2005年







★★★ 山内房子リサイタル「伝説 ローマの女・ギリシャの女」

2005/10/31



山内房子(S)、多井智紀(Vc)、桒形亜樹子(Chemb)

大久保・ホーリネス淀橋教会にて。

曲目:A・スカルラッティ ソロ・カンタータ「つらい離別」

   A・スカルラッティ チェロソナタ ハ短調

   D・スカルラッティ ソナタ K.296

   A・スカルラッティ ソロ・カンタータ「ルクレツィア」

   A・M・ポノンチーニ チェロソナタ ヘ長調

   G・フレスコバルディ カプリッチョ

   A・ストラデッラ  ソロ・カンタータ「メデア」



表題である「ローマの女・ギリシャの女」とは、古代ローマの貞女ルクレツィアと、ギリシャ神話の王女メディアをそれぞれ指している。山内さん十八番のスカルラッティとストラデッラという、イタリア・バロック・カンタータを代表する二大作曲家の音楽をペアにした、素敵な演奏会だ。「ルクレツィア」「メデア」どちらも確実に日本初演と思われるが、そんなことはおくびにも出さない。衒学趣味の横行する昨今の古楽界とは無縁の、いさぎよさと自信に満ちたプログラム作りだ。



山内さんの技巧の洗練は今さら言うまでもないが、それにしても、この人は一体いつブレスをしているのだろう、と聴きながら思ってしまった。長い音の持続の後に、優美で複雑な歌い回しが続いていくところなど、ほんの一瞬の間があるだけで、音楽の流れを途切れさせたりは決してしないのだ。



スカルラッティの「ルクレツィア」も熱演だったが、最後のストラデッラの「メデア」がじつに圧巻。20分以上のソロ・カンタータを歌いきった実力もさることながら、優しい旋律が効果的なこの曲に対する、深い愛情に打たれた。さすがだ。



桒形さんは(今さらながらではあるが)実に上手な人だ。今回は3日前に完成したばかりの新しいチェンバロだったが、とても音色が美しい。チェンバロという楽器が、タッチの繊細さで音色が変わるとは、理屈の上からは信じがたいが、桒形さんの演奏を聴いていると事実なのだ。それに、前にも書いたが、スカルラッティはこの人に合っているように思う。多分、和声中心の情緒的な堀り下げ形の曲よりも、からっとした多彩さで構築していくタイプの方が、桒形さんのテクニックが光るのだ。



多井さんのチェロもぐいぐい弾き込んでいく演奏で、すぐれた技巧を持っているが、やはりまだ若い人だな、とも思う。チェロソナタなど、桒形さんというベテランの釈迦の掌で活躍奮闘している感がある。



今回の演奏会は、比較的小さな会場とはいえ、ほぼ満席の観客で埋まったのはとても喜ばしいことだ。また、パンフレットやチケット表紙のイラストレーションやデザインのセンスもとても良い。







 ★★ 土屋渉リサイタル

2005/10/08

日比谷、松尾楽器店ホールにて

曲目:バッハ     フランス組曲第5番 ト長調

   モーツァルト  ピアノ・ソナタ第10番 ハ長調

   ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調

   シューマン   「子供の情景」

   ショパン    ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調



とても素晴らしい演奏会だった。土屋さんは私の研究室の先輩で、1955年生まれだが、一つの節目として今回のリサイタルを企画したのだろう。選曲を見ると、いかにもピアニストにとって正統派というべき曲目が並んでいる。



土屋さんのピアノの音色の美しさは特筆すべきだ。ホールは縦長の上に天井が低く、スタインウェイの音がややアタック感が強く響くが、この人の上品なペダリングや、ノン・レガートでも潤いのある音色は十分に楽しめた。それにしても、土屋さんは長調の平明な響きがお好きらしい。ショパンのソナタも、肝心な主題は長調で書かれている。それは、この人の穏和で優しい性格にマッチしているのだろう。



バッハはいささかクラシック・ピアノ風で、バロック舞曲のリズム感があまり出てこなかったが、こういうバッハもありかもしれない。それに比べて、モーツァルトは好きな作曲家らしく、ピアノに向かったときの姿勢がバッハに比べて緊密になる。単純で快活なアレグロをとても楽しんで弾いている。



シューマンの「子供の情景」はリピートを全て省略し、ほとんど1分以内の小曲が連続して行く。が、そのおかげで、モザイクのような全体像の中に、いかにもシューマンらしい純真な詩情が漂うのを感じさせてくれた。



しかし、やはり演奏会の白眉はベートーヴェンとショパンだった。ベートーヴェンの第3楽章は、平明な、だがすばらしく優美とまではいいがたい旋律を、ていねいに変奏していく。この作曲家にとって変奏曲とは、形式の堅牢感とロマンティックな感情表出とが、もっとも良くバランスする形だったのだろう。またショパン後期の傑作であるソナタ第3番は、とくに第3楽章ラルゴの、深い美しさをたたえた主題を、じつに真摯に弾きこんでいく。



こうした曲で、土屋さんは、音の導いてくれる所に付き従っていく。決して先回りはしない。それによって、音楽の持つ柔和な美が、直接私たち聴衆に届いてくる。それはまた、彼の人柄の現れでもあるのだろう。まことに、アマチュアの最良の部分にふれることができた音楽会であったと思う。









★★★ インテルプレーティ・ヴェネツィアーニ演奏会(2)

2005/07/30

ヴェネツィア、San Vidal教会にて



演奏曲目:

ヴィヴァルディ コンチェルト 作品8「四季」

ジェミニアーニ コンチェルト・グロッソ 作品3の1

モーツァルト  弦楽のためのディヴェルティメント



前日の演奏に圧倒された私たちは(家内と中学生の息子との3人で聴きに行ったのだ)、思わず二晩続けて通い詰めることになった。



San Vidal教会はヴェネツィアには珍しく、近世以降のさっぱりとした趣味の教会で、中はマッチ箱のように四角い空間になっている。しかし、音は前の方の席で聴いた方が、断然良い。前半の「四季」はそれほど強い印象を受けなかったのだが、後半、前に席を移したら俄然アタックが良くなった。



「四季」にはいろいろな名演があるが、彼らのも良いと私は思う。『春』の冒頭はあまりにも有名だが、ご当地ヴェネツィアの蒸し暑い夜に聴く『夏』もぴったり来るし、『秋』『冬』もそれぞれ美しい部分がある。イタリア人がこの曲を飽きずに愛し続けるのは、よく分かるような気がする。モーツァルトの単純な美意識は、彼らの演奏で聴くと、明るいレンズを通して見たような解像度の高さを楽しめる。



たとえて言うなら、イ・ソリスティ・ヴェネーティを香りの高い葡萄酒だとすると、インテルプレーティ・ヴェネツィアーニは透明な蒸留酒のようなものだ。どちらも素晴らしい。しかし、当世の好みは、おそらく強いお酒の方なのだろう。









★★★ インテルプレーティ・ヴェネツィアーニ演奏会(1)

2005/07/29

ヴェネツィア、San Vidal教会にて



演奏曲目:

ヴィヴァルディ 2つのヴァイオリンのコンチェルト 作品3の5 "Estro Armonico"

ヴィヴァルディ ヴィオラ・コンチェルト 作品9の4 "la Cetra"

ヴィヴァルディ チェロ・コンチェルト ハ短調 RV401

コレルリ    コンチェルト・グロッソ 作品6の9

サン・サーンス "Danza Macabra"



これはすごい演奏会だった。すごい、とか、火の出るような、としか形容しようのないコンサートで、聴いていてこれほど圧倒されたのは初めての経験だ。曲目は、彼らの十八番であるヴィヴァルディのコンチェルトを中心としたプログラム。しかし、彼らの演奏は、数日前に聴いたイ・ソリスティ・ヴェネーティとは何と違うことだろうか。



Interpreti Venezianiとはヴェネツィア合奏団という意味で、文字通りヴェネツィアを本拠地として活動している。ライバルであり、また兄貴分であるイ・ソリスティとは違って、彼らは指揮者を置かず、純粋に室内合奏団としてアンサンブルを形成している。本来は12人くらい居るはずだが、夏のシリーズのためか、半分程度の人数編成だった。



それにしても、アンサンブルの緻密さと、熱情に満ちたリズム感が両立する彼らの演奏の質の高さを、どう表現したらよいのか。きわめて理知的でありながら、同時に感情の表出力が発達した北イタリア人の・・などと言ってみても、なにも説明したことにはなるまい。ことに、チェロのDavide
Amadioの熱演が目立ったが、他の全員が高度な技巧と美しい音色を誇っている。まことに優れた演奏家達である。







★★★ イ・ソリスティ・ヴェネーティ演奏会

2005/07/27



パドヴァ、市立博物館中庭にて

指揮:クラウディオ・シモーネ

曲目:E・F・ダラバーコ コンチェルト・グロッソOp.2 n4『教会』

   A・ヴィヴァルディ 『ラ・ストラヴァガンツァ(奇想曲)』第2巻



パドヴァはヴェネツィア近郊、列車で30分ほどの距離にある穏やかな、私の大好きな街だ。ヴェネト地方の中心に位置し、古くからの大学町であり、また聖アントニオ巡礼の地でもある。イ・ソリスティ・ヴェネーティはこの街で40年以上も前に生まれた。



I Solisti Venetiは、日本では「ヴェネツィア合奏団」と(おそらく意図的に)誤訳されているが、直訳すれば『ヴェネトの独奏者集団』となる。独奏者集団とは何か、それがなぜコンチェルト(協奏曲)を演奏するのか、この演奏会を聴いて初めて合点がいった。コンチェルトとは何か、初めて理解できたのだ。



ヴィヴァルディのコンチェルト『奇想曲』はあまり演奏されない難曲だ。その第2巻全6曲を演奏するに当たって、彼らは合奏団のメンバーの中から順に独奏者を出し、しかも1曲ごとに独奏ヴァイオリンを交替していく。つまり6人(ヴァイオリン・パートのほぼ全員)が独奏者になるのだ。まさにイ・ソリスティ=独奏者集団の名にふさわしい。



シモーネの指揮するイ・ソリスティは、決してアタックの強い刺激的な音を出さない。だから、「運命」のような曲はできないだろう。その代わりに、繊細なピアニッシモで表現をつけている。独奏者の中でも、最後の2人がもっとも印象に残った。音色の優美さ、そしてリズムの生命力、そして何よりも他とのアンサンブル感覚の優れている点が素晴らしい。



そう、他の演奏者とのアンサンブル感覚こそ、イタリアのバロック・コンチェルトに求められるものなのだ。そのためには、他者の音が聞こえなければならない。必然的に、室内楽的な小さな編成をとることになる。その中で、互いにリズムや装飾のインタープレイを半ば即興的に演じること。全員が、ソリストであること。それこそがコンチェルト(協奏曲)のイデアなのだ。



協奏曲はドイツ・ロマン派の時代に大きく発展した。だが、そこでは超人的な技巧のソリストが、大編成のオーケストラをしたがえて、聴衆の前で天才ぶりを発揮するべきものになっていってしまった。そこには厚化粧した宿命的ドラマの美学はあっても、恩寵にも似た自由なスリル、ただ一度限りの自発性のドラマが欠けてしまう。これは、たぶんイタリア人にとっては受入れがたいことなのだ。



ゆっくりと暮れていく夏の空をバックに、イ・ソリスティ・ヴェネーティの響きは自由を得て舞い上がっていく。学者のような知性と、ユーモアと、芸人的なサービス精神の三つをかねそなえたシモーネの指揮が、その音楽のバネを弾ませてゆく。アンコールは、ボッケリーニ、モーツァルト、ロッシーニだったと思う。これほど幸せな気分の演奏会は、ほんとうに久しぶりだった。









(星なし)オーボエとオルガンのコンチェルト

2005/07/25



アントネッラ・ピストイ(oboe)、シモーネ・ヴァレリ(org)

フィレンツェ、Santa Maria de’Ricci教会にて

曲目:コレルリ    コンチェルト ヘ長調

   バッハ     トッカータとフーガ ニ短調

   テレマン    ファンタジア第6番

   ヴィヴァルディ コンチェルト・デル・シニョーレ・メクス



大変残念ながら、期待はずれのコンサートだった。フィレンツェの教会で、オルガンとオーボエという組合せの合奏によるコンチェルト、という演目に期待をしたのだが。決して観光客相手のなげやりな演奏、というわけではない。二人ともクラシックの音楽家で、それなりに真剣に演奏はしているのは分かる。しかし、テクニックはどこか凡庸で、かつ、聴衆に楽しんで聴いてもらいたい、というサービス精神というか、気合いが感じられないのだ。



「お父さん、もう行こうよ。」演奏の質を見限って、中学生の息子が言いだすに及んで、数曲残して立ち去ることにした。外のVia del
Corsoの広場では、大道芸人がチャップリンの扮装をしながら、大勢の客を相手に即興で一生懸命熱演していた。こちらの方がずっと引き込まれて、最後まで見てしまった。パフォーミング・アートというものは、そういうものではないかと、つくづく感じた。







 ★★ 酒井多賀志コンサート

2005/06/17

府中芸術の森にて。



今回は久しぶりにオール自作自演のコンサートだった。今の日本で、自作曲だけでコンサートを開けるパイプ・オルガニストはほとんどいるまい。



「『故郷』の主題による変奏曲」は、コラール変奏曲風で面白いが、味付けにもう少し塩味がほしい。「日本古謡『さくらさくら』の主題による幻想曲」も、やはり有名すぎるメロディを料理するには、ややもの足りぬ印象がある。



しかし、交響的即興曲「光と風と波の心象」はとても充実した、よい演奏だった。この曲を初めて聴いてから、すでに20年以上がたってしまったが、新鮮な響きの流れを感じた。また、「イントロダクションとフーガ ハ長調(新世紀21)」も、とても緊張感のあふれる演奏だ。これも初期の作品から引用があって、そこだけ珍しく「現代音楽的」だが、そこが面白い。



「賛美歌353番『泉とあふるる』の主題による変奏曲」は、なつかしく安らぎを感じる曲だ。また、新作の「『我は海の子』の主題による幻想曲」は、主題のメロディが導入され、重畳されてゆく音楽的なスリルが素晴らしい。



しかし、酒井さんというオルガニストが立っているポジションは、かつてのフリードリヒ・グルダを想わせる。グルダは若くしてテクニックの絶頂をきわめ、“現代最高のベートーヴェン弾き”とまで呼ばれながら、オーストリア音楽界の保守性に反抗してウィーン楽友協会にメダルを返上した人だ。そして、自作曲を中心とした自称ジャズを演奏し、世間の無理解と戦った。グルダは、その知的な誠実さゆえに、現代の自分の社会で、古典音楽を演奏する意味を問い続けずにはいられないピアニストだった。



酒井さんもまた、現代日本で指折りの演奏技量を持ちながら、バッハだけを弾き続けるのに飽きたらず、「日本の美はオルガンによって普遍化される」というテーゼを主張し、また実演せずにはいられない人だ。そこには誠実さゆえのコンフリクトがある。



ところで、酒井さんの曲は複雑なフーガの展開部分が続くと、聞いている方がしだいに緊張感が持続できなくなる。今回、気がついたのだが、それは酒井さんの音楽に休符がないからなのだ(ちょうどバッハの音楽に休みがないように)。休符のうまい作曲家、たとえばヘンデルのハレルヤ・コーラスを思い出せば分かるとおり、休符は単なる音の不在ではなく、それ自体がリズムとメロディーを構成する主体的な要素なのだ。しかし、酒井さんは音がずっと流れ続けることを求める。それが、聴き手にとっては、ちょっとだけ息苦しい。



ときには、ほっと息のつける休符の時間が、欲しいと思う。







 ★★ 棕櫚の主日コンサート「悲しみの聖母マリア」

2005/03/20

神田キリスト教会にて。

山内房子(Sop)、上杉清仁(Alt)、桐山建志(Vn)、大西律子(Vn)、花崎薫(Vc)、和田純子(Org)

曲目:T・アルビノーニ「室内での和声の楽しみ」より第6番

   J・S・バッハ「ああ主よ、哀れな罪人なる我を」BWV742

   ヨハン・クーナウ「ああ主よ、哀れな罪人なる我を」

   A・スカルラッティ「サルヴェ・レジーナ」

   A・スカルラッティ「スターバト・マーテル」



スカルラッティの宗教曲はどちらも美しい曲だ。いずれも、ソプラノとアルト(カウンターテノール)の歌手二人が、交互にソロと二重唱を歌ってゆく構成になっている。山内さんのソプラノの巧さには、あいかわらず舌を巻く。声の音質もそうだが、母音と子音の発音が、いかにも正確で、歌がまことに美しいラテン語の言葉に聞こえる。上杉さんの高音も嫌味がなくて聞きやすい。選曲もあいかわらず素晴らしい。



アルビノーニの弦楽合奏はいかにもイタリアン・バロック的組曲で、これも面白かった。



ただ、この日のコンサートは、神田キリスト教会の棕櫚の主日の催しで、司祭の説経(メッセージ)がはさまる、至極真面目なる雰囲気のもので、それが周りの秋葉原のオタクのメッカ的雰囲気とけっこうギャップを感じさせ、不思議な気分になったのは事実だ。







★★★ Power of Nature(スマトラ沖地震・津波被災者チャリティコンサート)

2005/03/19

野口英世記念講堂にて

主催:日本・ガーナ・アフリカ・フレンドシップ



タイトルのとおり、チャリティ目的で開催されたこのコンサートでは、大勢のパフォーマーたちが20-30分刻みで交代にステージに立ち、昼から夜までそれぞれの演奏を披露した。全部を聞けたわけではないが、それなりに素晴らしい演奏が多かった。とくに、アフリカ出身の音楽家が大勢出演して、この日本にもこれだけアフリカン・ミュージックのプレイヤーがいるのか、と嬉しかった。



日本人のプレイヤーは2人聞いた。ひとりはブルーム・ダスター・カンという芸名の男の人で、アコースティック・ギターとブルースハープを奏でながら歌う典型的なソロ・シンガー。正直言ってそれほどうまいというわけではないが、それでも黒人ブルース音楽というものが持つディグニティの片鱗を感じさせてくれた。もう一人は女性シンガーYaeで、オリジナル曲や沖縄音楽・南米音楽などを唄っていたが、「ワールド・ミュージック」を自称するわりには、本来のルーツが希薄な感じを受けた(しかしとても感動して聞いていた聴衆がいたことも事実だが)。



むしろ、聞いていて面白かったのは、アフリカ系の人たちの演奏だ。ワッシー・ヴィンセント・ジュニアはカメルーン出身の打楽器奏者だが、新内三味線に弟子入りして日本の奏法を勉強した人だ。彼の率いるバンドは、なかなか面白い音作りをしていた(時々ちょっとはさまる三味線の歌詞は、日本の伝統音楽の心情をかいま見せてくれる)。



ムクナ・チャカトゥンバ(ムクナさん)はコンゴ民主共和国出身のパーカッショニスト・ボーカリスト。今回はいつものバンドと違うメンバーで、Nailの女性2人が手伝っていた。最初は今ひとつ調子が乗らないようだったが、後半からは俄然本領を発揮して、人間の手から発するとは思えない打楽器音の厚みで名人芸を見せてくれた。



しかし、今回一番感動したのは、ジャンベ・プレイヤーズ・フロム・ギニアという名前の、5人の寄り合いグループだ。ジャンベとはスティックでたたくアフリカン・ドラムの種類だが、音階を出す楽器が一切無しで、かつ歌もなく、打楽器のみ5人の編成でこれほど豊かな、多彩な音楽を作りだすのは驚異だ。アフリカ音楽の奥の深さをつくづく感じさせてくれる。西洋音楽がどうしても到達できなかったポリリズムをベースに、信じられないほどの豊穣な音が生まれ出る。ブバカール・ガイを中心に、技巧のレベルも一流だ。これだけのミュージシャンが5人も日本に滞在している(しかもほとんど無名の状態で)というのは、まことに信じられない事実である。★3つは、この人達に進呈する。







★★★ 江崎浩司の世界

2005/02/10

みなとみらいホールにて。

副題は「愛するがゆえに笛は飛ぶ」。まあ実に、江崎さんらしいタイトルではある。



曲目は、バレンタイン・デーにちなんで、第1部は江崎浩司・脚本編曲による音楽物語「シンデレラとウグイス夫婦」(エイク・クープラン・モーツァルト・クライスラーなどの小曲とナレーションで構成する)、第2部はヘンデル・スカルラッティ・ヴィヴァルディなどのバロック歌曲をオーボエで演奏する前半と、バッハ・モンティ・R=コルサコフ・モーツァルト・ドビュッシーなどのヴァイオリン曲やピアノ曲をリコーダーで(!)演奏する後半からなる。実に意欲的なプログラムだ。



それにしても、この人の笛の巧さは、まことに驚嘆すべきレベルだ。長久真実子さんのチェンバロ伴奏も良いが、「マルチ笛吹き職人」を自称する江崎さんの演奏のクオリティの高さには、心底驚いてしまう。リズムの正確さ、音程やフレージングの絶妙さ、指使いの速さ(誰がいったい「くまんばちの飛行」や「チャルダッシュ」をあのスピードでリコーダーで演奏できるだろうか!)、ブレスの巧みさ、そして何よりも歌心の繊細な表現が素晴らしい。これほどのレベルのリコーダー奏者は、賭けたっていい、世界中を探しても、そうは居まい。



しかも、彼はどんどん上手くなってきている。今回出たばかりのCD「空飛ぶ笛」を買ってかえって聴いたが、彼がほんの3年前に録音した缶入りCD「Bath
Herb & Music」と聴き比べてみると、その進歩の度合いが分かる。同じジャズ曲「煙が目にしみる」が入っているが、その差は明瞭だ。この人は最近2,3年で、はっきりと音楽とは何かをつかんできたのだ。小節線に区切られた音のかたまりではなく、歌うフレーズの生きた流れとして、音楽を表現できるようになっている。30代の人間の成長力というものだろう。



それほどのレベルの演奏会を、横浜みなとみらいの小ホールで、満員とはいえない人数の聴衆とともに、たったの3千円で聴けるのだ。この国の音楽環境の良さを感心するよりも、この国の音楽愛好家の耳のありかを疑ってしまう。本当にこれでいいのだろうか? 彼が先月タブラトゥーラで披露したオリジナル曲のタイトルに「だれもわかってくれないし」というのがあったが、まさに、彼の気分を表わしているに違いない。サントリー・ホールで、大真面目に「男はつらいよ」を演奏して、耳が化石になった石頭連中の顰蹙を買ったりした彼だ。成長しつつある彼の才能は、今やクラシックだの古楽だのといった枠の中に押し込めておくには、大きすぎるようになったのだ。



どうか、江崎さんのコンサートがあったら聴きに行ってほしい。これからも彼がどんどん新しい音楽に挑戦していけるようなチャンスに恵まれることを、私は切に祈っている。







 ★★ タブラトゥーラ de 新年会

2005/01/30

石響(四谷)にて。



古楽器バンド・タブラトゥーラも結成されて20年たった。最初は古楽を演奏する集団だったはずだが、いつのまにか古楽器でオリジナル曲を演奏するバンドに“進化”していた。芸術家気取りよりも芸人根性を選んだ、愛嬌のある摩訶不思議な個性的音楽家集団も、20年の年月を経たということだ。メンバーはそれなりに変遷があるが、中心のつのだたかし(リュート)と田崎瑞博(フィドル)は変わっていない。最近は江崎浩司(リコーダー)と近藤郁夫(パーカッション、ダルシマ)が固定メンバーで、昨年から山崎まさし(ビウエラ)が参加した。



つのだたかしは現代日本の最高のリュート奏者だし、古典四重奏団を率いる田崎瑞博もクラシックのチェリストとして素晴らしい仕事をしている。江崎浩司、近藤郁夫、山崎まさしの3人も、それぞれ「本業」の世界では自分のグループを率いてソロをとる、優れた力量の演奏家だ。しかし、どこかでその堅苦しいたがを外して、音楽家としての原点に近いエネルギーをとりもどしたい、そんな欲求がこの5人を結びつけているのだろう。



だから、タブラトゥーラは最近ではほとんど古楽を演奏しない。今回も、定番の中世音楽「悲しみはつのりて」とオルティスの「レセルカーダ」以外は、すべてオリジナル曲だ。中でも、「タルタリア」(田崎作)や「新しい自転車」(つのだ作)、「さくら散る散る」(田崎作)などは良い出来だった。他にも、「風の丘」「紅い花」「ペロッと」「コンパス」「笛を売る少年」「どうせわかってくれないし」など、楽しい曲がいくつもあった。



ただし、この人たちの曲作りは、展開がやや単純すぎるところが残念だ。「タルタリア」などはそれでもよく考えてあって、“お、なんだかちょっとプログレみたいでかっこいい”と思う部分もあった。が、たまにはさまる古楽などを聴くと、やはり展開の妙を感じてしまう。



一緒に行った友人は、「最近のタブラトゥーラは、あんまり飛ばなくなった」と感想を言っていた。たしかに、今回の演奏会は、1日2回のダブルヘッダーの2回目だったせいかもしれないが、なんだか全体に皆が疲れているように感じられた。つのださんも昔はもっとコンサートで跳ねて飛んだものだ。団塊の世代の彼は、すでに50代後半になる。20年前の結成時、メンバーは30代や20代の血気盛んな若手たちだった。今や大家になってしまった彼らは、その分だけやんちゃなエネルギーを失ってきている。だとしたら、この先いかに『渋いタブラトゥーラ』を見せてくれるのか、ぜひ新しい展開を待っている。







2004年







★★★ ザ・シックスティーン演奏会 ヘンデル「メサイア」全曲

2004/12/21



指揮:ハリー・クリストファーズ、合唱:ザ・シックスティーン、管弦楽:シンフォニー・オブ・ハーモニー&インヴェンション

東京オペラシティにて



文句なく素晴らしい演奏だ。聴きながら、2年前にパリで聴いたレザール・フロリサンを想い出してつい比較してしまったが、その性格の違いもふくめて甲乙つけがたい。あちらのほうが、何となく花があったが、ザ・シックスティーンの正確さ、安定したリズム感などは、ヘンデルを楽しむ上でとても重要なファクターである。



シンフォニー・オブ・ハーモニー&インヴェンションの伴奏は、編成も含めてとても良い。ことに金管のインパクトは鮮やかだ。ルーシー・クロウのソプラノ、ロバート・マレイのテナーはなかなか豊かだし、ウィリアム・ピュアフォイのカウンターテナーも上手い。ベンジャミン・デイヴィスのバスもわるくない。



ただ、やはり中心はザ・シックスティーン(18人居るが)の合唱だろう。とくに第2部の前半、合唱曲が続けざまにたたみかけるような箇所など、とても良い。ハレルヤ・コーラスや最終曲アーメンも、各声部がとても良く聞こえて対位法の美しさを引きだしている。中学1年生の息子を伴って聴きにいったのだが、最後まで飽きずに聴かせていた演奏の吸引力に感心した。







 ★★ ヘンデル オラトリオ「復活」

2004/12/16

第2回ヘンデル・フェスティバル・ジャパン

浜離宮朝日ホールにて。



鈴木美登里(S)、懸田奈緒子(S)、穴澤ゆう子(A)、辻裕久(T)、牧野正人(Bar)、渡邊孝・指揮、キャノンズ・コンサート管弦楽団



ヘンデル・フェスティバル・ジャパンという催しが昨年から行なわれていたことを、初めて知った。支援の組織もある。ヘンデル好きの人がそれなりに多いというのは、心強いことだ。こういう、ローマ時代の若い作品(しかも大曲)を上演してくれるのは、私のようなヘンデル・ファンにとって、とてもありがたい。



ソプラノの懸田奈緒子さんはなかなか良かった。とくに後半の12番のアリアは伴奏も含めて素晴らしい出来だった。鈴木美登里さんのソプラノは、最初ちょっと声が乗らなかったが、後半はうまくまとめていた。穴澤ゆう子さんのアルトは安心感があって良い。牧野正人氏は本来もっと上手い人のはずだが、練習が明らかに足りないのではないだろうか。演奏に疑問が残る。テナーの辻裕久氏の方が、ずっと充実していて、聴いていて気持ちがよかった。



渡邊孝氏の指揮は、いかにも現代古楽(?)らしく、軽快なリズムだったが、もう少し落ち着きというか、間合いが欲しかったと思う。ヘンデルは(バッハではないのだから)、音と音の間にあるサイレントや休止をもっと味わいたい。そこがリズム感覚の源であり、彼の個性の一番あらわれるところでもあるのだから。







 ★★ コロス・プネウマ演奏会

2004/12/11

指揮:齋藤栄一

渋谷・ハクジュホールにて。

曲目:プレトリウス、ラター他、英独のキャロル

   ジョスカン・デ・プレ、ストラヴィンスキー、オルフ、アルカデルト、ケッコネン、ホルストの「アヴェ・マリア」

   プーランク「クリスマスの4つのモテット」

   ブリテン「キリストの誕生」



オール・アカペラの演奏。なかなか意欲的だが、やはり20名以上の声楽アンサンブルとなると、うまくいくとき行かないときの差は出てしまう。しかし、この合唱団はベースが安定しているのが一つの長所で、ホモフォニックな音楽ではなかなか上手い。だから、"Away
in a manger"(「かいばおけに入れられて」)のような古いキャロルはとても美しい。ホルストの「アヴェ・マリア」なども良い。



プーランクはいつものおハコで、うまくまとまっている。第1曲はいかにもこの作曲家らしい高級歌謡曲風。第2曲はリズムの切れがポイントだ。第4曲など、意気込み、ねらいは良いのだが、ちょっと力不足かも。こういう演奏を聴くと、あえて伴奏が欲しいな、と言ってみたくなる。



一番良かったのは、ストラヴィンスキーの「アヴェ・マリア」だ。短いが、とても美しい。この曲は初めて聴いたのだが、いい音楽に出会えて幸福な気持ちにさせてもらっただけでも、演奏会に来た甲斐があるというものだ。







★★★ ドイツ室内管弦楽団「名曲の風景」

2004/11/03

横浜みなとみらいホールにて



指揮:リスタ・サーヴィチ

曲目:モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」第1楽章

   パッヘルベル「カノン」

   バッハ「G線上のアリア」

   ヘンデル「オンブラ・マイ・フ」

   ・・・その他全17曲



演奏曲目から分かるように、誰からも愛される小品ばかりを並べた、弦楽アンサンブルの演奏会。どれもみな素敵な曲なのだが、これだけ並べられると、なんだかお菓子屋さんに入ってケーキを片端から全部食べているような気分になってくる。演奏者達もたぶん同じ意見だったのだろう、箸休めのために黒オリーブをはさんでくれたようだ。『演奏者の希望により』、プログラムにはないがホルストの「セント・ポール組曲」や、バルトークのハンガリー舞曲からの3曲が、追加挿入された。



だがまあ、イタリアの弦楽アンサンブルに比べて、ドイツの弦楽の響きはなんと異なるのだろう! イタリア風のつややかな甘い響きはないが、そのかわり正確無比な和声の音程感と、縦の線の一致があって、これはこれでとても素晴らしい。とくにバッハやヘンデルなどドイツの作曲家のものを聴くと、いかに純正で深い響きが込められているのか、あらためて驚く。



ことに、アンコールで演奏されたハイドンの「セレナーデ」2楽章には心底感心した。こんなに美しく繊細な「セレナーデ」は初めて聴いた。これこそ、ドイツのアンサンブルの真髄なのだろう。







 ★★ イタリア弦楽四重奏団 演奏会

2004/07/04



神奈川県立音楽堂にて。



曲目:ドビュッシー 弦楽四重奏曲ト短調 op.10

   ヴィオッティ 弦楽四重奏曲ヘ長調

   ドヴォルザーク ピアノ五重奏曲イ長調 op.81

    (ピアノ:イリーナ・メジューエワ)

コンサートの案内には「カルテット・イタリアーノ」と書かれているこの団体は、かつての名カルテット「イタリア弦楽四重奏団」の名前を受けついで活躍している、イタリアの中堅だ(イタリア語の名称はNuovo
Quartetto Italianoというらしい)。



ドビュッシーは第3楽章が素敵だった。こんなにも歌らしい歌が隠されている楽章だったとは。しかし、リズムの複雑な面白さはやや物足りない。

ヴィオッティの方がリズムはずっと自然で生き生きしていた。いかにも古典派的だが、演奏する楽しさに満ちている。ヴァイオリンのつややかな音色も気持ちが良い。このために書かれている音楽なのだ。



ドヴォルザークは面白いのだが、ピアノの音色がなぜか弱音時にこもりがちに聞こえた。会場の音響のせいだろうか。弦楽器と少しだけ違和感があったのが気になった。全体としては良いコンサートだったと思うのだが。







 ★★ 俊友会管弦楽団第34回定期演奏会

2004/05/04

池袋 東京芸術劇場にて。

曲目:ベートーヴェン 交響曲第1番ハ長調

   ブルックナー  交響曲第6番イ長調



ベートーヴェンの1番は、この作曲家が20代のおわりごろに書いた作品で、“青春の香気がただよっている”などとよく言われる。少なくとも、ウィーン古典派の、つまり小編成のシンフォニアの雰囲気や様式がつよく残っている。それを振り払おうと、あえて裏拍を強調した出だしで始まるが、そこらへんは確かに若い人の作品である。



しかし、ウィーンの18世紀前半の管弦楽アンサンブルとちがって、この曲はもはや、指揮者無しには演奏は不可能である。そう言う種類の音楽に、ベートーヴェンは踏み出してしまっている。それは結局、音楽を大規模な、統御された、構成的な、つまり聴きながら踊ることが不可能なものに変えていってしまうのだが、これは彼一人の責任ではなく、勃興しつつある富裕市民階層がそうしたものを求めたからだろう。聴き手と演奏者はますます分業化され、小市民が余暇にちょっと演奏して楽しむには向かない音楽が成立していく。交響曲第1番において、そうした動き全体への序曲をわれわれは聴くわけだ。



打楽器はなかなか調子が良かったが、やや走りがちで、ときにはティンパニのコンチェルトのように聞こえないこともなかった。まあ、これだけ活躍できるというのは良いことなのだろう。



ブルックナーは楽しめたが、しかし難しい音楽だと思った。彼のシンフォニーは、たしかな主題と強い内的エネルギーをもっているのに、気まぐれな台風のように、どこに向かっているのか予測しにくい。クラシック音楽を聴くという行為の中には、ある程度、予測しながら着地点を楽しむという、一種の予定調和的なふるまいが前提されている。しかし、ブルックナーの交響曲はこうした聴き方を、なかなか許さない。



弦楽の演奏は美しい。木管・金管のアンサンブルもなかなか良かった。しかし、なぜポリリズムを強調した解釈で指揮したのか。リズムがかわる途端に、別の曲想が始まるように感じられて、音楽の糸がつかみにくかった。これは作曲家の責任なのかもしれないが。







 ★★ 音楽三昧演奏会

2004/01/18

津田ホールにて。

曲目:エルガー 小品集

   ホルスト 大管弦楽のための組曲「惑星」より 火星、金星、水星、木星

   エルガー 管弦楽のための独奏主題による変奏曲「謎」



わずか5人のアンサンブルでオーケストラ曲を演奏して、その音楽のエッセンスに到達しようという、楽しい試みを続ける音楽三昧は、今回、イギリスものでエルガーとホルストに挑戦した。編曲はいつものようにチェロの田崎瑞博氏だ(彼は今回ヴィオラも弾いている)。



その結果は--結果だけから言うと、エルガーの方がうまく行ったようだ。この作曲家の持ち味である、やや北国的で希薄なハーモニーと旋律が、アンサンブル音楽三昧の諧謔と上品に、よくマッチするのだろう。



期待のホルストは、うーん、やはり音の厚みをつい求めてしてしまう聴き手の耳の惰性が問題なのかもしれない。あのメランコリックな味が感じられずに、少し物足りなかった。もっともこれは編曲の問題と言うよりも、そもそもホルストの情感が、この音楽三昧の演奏者達の気分と少しずれているためかもしれないのだが。







2003年







 ★★ アンサンブル・エクレジア演奏会「モンテヴェルディ 祈りの歌」

2003/12/09

大森智子(ソプラノ)、波多野睦美(メゾ・ソプラノ)、つのだたかし(リュート)、今井奈緒子(ポジティヴ・オルガン)、福沢宏(ヴィオラ・ダ・ガンバ)



霊南坂教会にて。

曲目:モンテヴェルディ「来たれ 渇いている者たちよ」他 モテット8曲

   T・メルラ「聖母マリアの子守歌」他 ノエル、キャロル10曲



最近は田崎さんが抜けて福沢さんがガンバを受け持つようになり、タブラトゥーラの別働隊というよりも、独立したアンサンブルという感じが強くなったが、なかなかいい演奏会だった。特に後半はアンサンブル・エクレジアらしい演奏だ。二人の女性歌手はあいかわらず音程感が良く合っていて、見事だ。波多野さんもあいかわらず巧い。



でも、なんだか美味しい湯豆腐を食べているような感じで、もう少し西洋はこってり感がないものかな。これが日本の古楽の味なのかもしれないが。







 ★★ Nail Live

2003/12/06

荻窪Binsparkにて。



早坂優華・上畠博美・武末佳子の3人によるユニット「Nail」の、8月に続く2回目のライブ。曲目はほぼ同じだが、演奏は今回の方がずっとまとまりが良かった。



この人たちはなかなか曲作りがうまい上に、アレンジが巧みなので、たった3人の演奏なのに多彩な印象で、聴かせる力を持っている。ヴォーカル、ピアノ、パーカッションという楽器構成が基本だが、そこにヴァイオリンやリラなど珍しい楽器で味付けをして、それなりに盛り上げる。ただしベース楽器が不在なので、いかに上畠さんの軽くてキレの良いドラムスがあっても、リズミカルにまとめて畳み込んでいく求心力が、少し物足りないかも。いや、それ以前に、たった7曲ではステージが温度を得るには不十分だろう。もう少し長い時間枠でのギグを望みたい。







  ★ アンサンブルBWV2001 第3回定期演奏会

2003/12/05

第一生命ホールにて。



古典四重奏団の田崎氏の企画・制作による、声楽8名+器楽12名のアンサンブル。バッハのカンタータを3曲(196番・12番・80番)、そして二つのヴァイオリンのための協奏曲・ニ短調の演目だ。



テンポはなかなか良い。リズム感はあまり『古楽』的ではないが、それはそれで良い。

しかし、何なのだ、この声楽陣は。8人が8人とも、他人の声を聴いていないとしか思えぬ。これでもアンサンブルと言うのだろうか。古典四重奏団や江崎浩司・蓮池仁らそうそうたる陣容を集めて、どうしてこうなってしまうのか。昨年の第2回定期演奏会を聴きにいった信頼すべき友人が、こき下ろしていたのを信じられぬ思いできいたのだが、自分の耳できいて、たしかに同意せざるをえない。



器楽アンサンブルとしては、それなりに優れているのだ。それはコンチェルトを聴くとわかる。問題は声楽家たちだ。バッハのカンタータとは、複数の線が幾何学的に絡み合って作り上げる構築物の面白さではないのか。それを何だと思っているのだろう。聞き終わって、“ああ、はやく家に帰って、モンテヴェルディ合唱団の録音でも聴きたい”と思わせる演奏会とは何なのか。いい加減にしていただきたい、と思うのである。







★★★ 悲しみの聖母 山内房子演奏会

2003/11/28

山内房子(S)、川原千真(Vn)、三輪真樹(Vn)、小田瑠奈(Va)、田崎瑞博(Vc)、寺田和正(C)

日本福音ルーテル 東京教会(新大久保)にて。

曲目:

 カール・ハインリヒ・グラウン:受難カンタータ「イエスの死」より第3・4・7曲

 ヨーゼフ・ハイドン:バリトン三重奏曲第96番ロ短調

 フランツ・シューベルト:サルヴェ・レジーナ

 ルイージ・ボッケリーニ:スターバト・マーテル(聖母は悲しみに佇みて)



今年一番良いコンサートだった。スターバト・マーテルはどの作曲家も優れた作品を残しているが、ボッケリーニはあまり知られておらず、CDも少ない。私も今回初めて聞いた。しかし、文句なしに素晴らしい。



演奏もまた入魂の出来だった。鍵盤楽器による通奏低音が無く、弦楽器のみ5本の伴奏に、ソプラノ歌手が1人、という編成だが、これが美しい。ほぼ40分近くを1人で歌いきった山内さんの実力は驚嘆に値する。それを弦楽合奏が活き活きとしたアンサンブルで盛り上げる。イタリア出身の作曲家(スペインで活躍)らしい、リズムの張りや音色の構成もじつにいい。演奏している人たちの緊張感にみちたインタープレイを感じた。



ことに、6,7,8曲あたりの音楽は絶品で、全曲終わった後、おもわずスタンディング・オベーションを送ってしまったほどだ。外国で通用する云々のレベルではない、世界中見回しても、これだけの高レベルで演奏できる人たちは、数えるほどしかいるまい。この演奏会が、決して満員とは言えない聴衆の前でしか演奏されないのは、本当に残念だ。せめて同じメンバーでCDに録音してもらいたいと切望する。



川原さんのヴァイオリンはつややかで、あいかわらずため息が出るほど音色が美しい。三輪さんの音色は対照的に、木質で渋いが、二人の音色は先日の古典四重奏団の演奏の時よりも、ずっと調和して聞こえた。



ハイドンの弦楽三重奏曲は、ラルゴ、アレグロときてメヌエットで終わる、ちょっと変わった構成だが、聞いていて楽しい。ただ、前も思ったのだが、川原さん達のリズムは、ウィーン古典音楽では、生真面目すぎるのではないだろうか。もう少し肩の力の抜けた、茶目っ気のある音楽にしても良かったのではと、ちょっとだけ思う。







 ★★ 上山高史&嶋津健一TRIO

2003/10/16

鎌倉「ダフネ」にて

上山高史(Vo.)、嶋津健一(Piano)、田中邦和(Tenor Sax)、山口友生(Guitar)



上山氏は、幼少の頃と、学生時代と、そして(長年にわたる会社員稼業をリタイアした後の)年輩になってからの、都合3回、歌手生活を送っている。非常に珍しい人ではある。NHK「鐘の鳴る丘」の主題歌を歌っていたのはこの人なのだ。それなのに、何を間違えて日揮のようなエンジニアリング会社で働いていたのか、不思議ではあるが、いまや元の生活にようやくもどれたと言うことなのだろう。



今回のトリオは、同じ大学の先輩後輩でできているというが、なかなかよい。とくに、サックスの田中氏には非常に感心した。歌の伴奏、それもジャズ・シンガーの伴奏というのはある意味でとても難しいものだが、みごとな間合いでサックスの合いの手を入れていく。そのリズム感や強弱、表情も見事だ。



これに比べると、ギターはややリズム感が遅れ気味で、演奏自体はうまいのだが、アンサンブルの点ではやや物足りなかった。ピアノは安定したジャズの味を出している。



鎌倉のジャズハウス「ダフネ」も、なかなか雰囲気のいいお店で、料理も美味しい。全体として、のんびりとくつろげて楽しめるコンサートだった。







★★★ 歌う今昔物語 つのだ☆ひろ・長谷川きよし・つのだたかしコンサート

2003/10/09

ハクジュ・ホールにて



いやあ、面白いコンサートだった。これほど意外性があって、しかも懐かしく楽しい音楽の連発はめったに聴けないだろう。



しっかしまあ、なんと不思議な面子なのだろうか。ロックドラマーのつのだ☆ひろと、古楽のリュート奏者つのだたかしが兄弟なのは知っていたが、長谷川きよしが共通の友人だったという点が、まず意外。そして、その3人がラテンから歌謡曲からオリジナル曲まで、あらゆるジャンルを自由自在に行き来できる演奏能力をもっている点が、また面白い。



長谷川きよしは、ずいぶん前から好きな歌い手だったが、生で聞くのは初めてだった。そして、その独特な声の美しさ、ギターの巧さは、ずいぶん長いキャリアを経ても、ほとんど変わっていない点が素晴らしい。



つのだ☆ひろは、3人の中では一番ポップ・センスに恵まれた人だろう。それは、すでにスタンダード・ナンバーになった「メリー・ジェーン」一曲でもわかる。しかし、この人は少し器用すぎるのかもしれない。ロックもジャズもソウルも演歌も、なんでもそこそこできて真似られることが、かえってこの人の芸を成熟させるのを難しくしているような気がする。



つのだたかしは、現時点では一番、音楽の核心に近いところにいる。そして、一番活躍している。そして、一番名前が知られていない。今回のコンサートの発案者はおそらく彼だが、そこらへんが音楽の演奏で食べていくことの難しさなのだろう。



3人は、それぞれ異なったリズム感をもっている。今回はドラムレスで(つのだ☆ひろはパーカッションだけ)、そこが少しばかり物足りなかった。やはりドラムが必要だ。とはいえ、後半に、3人で昔の歌謡曲のメドレーを演奏していくところは、本当に抱腹絶倒の楽しさだった。やはりなんといっても、この3人に共通している最大の美点は、その芸人としての精神と音楽への深い愛情なのだろう。







 ★★ 古典四重奏団「シューベルティアーデ」第1回

2003/09/24

晴海トリトン 第一生命ホールにて

曲目:

シューベルト 弦楽四重奏曲 変ホ長調 D87

シューベルト 弦楽四重奏曲 ハ短調 D703 「四重奏断章」

シューベルト 弦楽四重奏曲 イ短調 D804 「ロザムンデ」



古典四重奏団の演奏会曲目解説は、ずっと第1ヴァイオリンの川原さんが書いている。この人の文章は明晰で知的で、言葉遣いも丁寧なので、いつも感心する。おそらく演奏曲目選び自体も、川原さんがイニシアティブをとっているのだろう。今回は彼らはシューベルトに挑戦した。シューベルトは、以前、「死と乙女」だけは演奏したことがあったが、今回は3回シリーズで主要な曲をすべてカバーするようだ。



この夜の演奏会は、彼の作曲年代の順に、16才・23才・27才のときの曲を選んでいた。この順序で演奏を聴くと、シューベルトという人の中で、音楽の表現がいかに深まっていったかがよく分かって、とても興味深い。



最初の曲は、緩徐楽章がとてもいい。ただし、4楽章全体が同じホ長調、しかも例によって舞曲のリズムで繰り返しが多いシューベルトの楽曲なので、全体はやや退屈に聞こえる。



しかし、考えてみると、この曲はもともと家庭内でアンサンブルを楽しむために書かれたものだ。それを演奏するには、古典四重奏団のアプローチは少し真面目すぎると言えるかもしれない。まあ、これは無い物ねだりに近いのだが、それこそもっとビーダーマイヤー(ウィーンの小市民)らしく、余裕と楽しさをもってプレイしても良かったのではないか、と感じてしまった。



「ロザムンデ」は、ずっと劇的な表情が感じられて、面白い。この曲の方が、芸術音楽的な演奏法のアプローチが似合っているのだろう。だから、この曲の方が価値が高い、と言いたい人も多いだろうが、私はそう言う比較はあまり意味があるとは思わない。それぞれの曲にふさわしいアプローチをとる方が、より音楽としては自然だと感じるまでである。

それにしても、いやに調弦の多い演奏会であった。急な雨で湿度が高くなったせいだろうか。







★★★ エレミアの哀歌 山内房子演奏会

2003/09/16

日本福音ルーテル教会(新大久保)にて。

山内房子(S)、福沢宏・竹澤秀平(Viola da Gamba)、能登伊津子(Org)

曲目:

S.F.カプリコルヌス「サルヴェ・イエズ」

A.キューネル   「2つのヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ第2番ホ短調」

J-H.フィオッコ  「第一の哀歌(聖木曜日のための)」

G.P.コロンナ   「聖水曜日の夜課 第一の哀歌」

C.シャフラート  「デュエット」

J-H.フィオッコ  「第二の哀歌(聖木曜日のための)」



山内さんの調子はベストとは言えないようで、前半は声が乗りにくそうだったが、やはりうまい。フィオッコの「第一の哀歌」の表情の造形など、非常に見事だった。



また、なにより、選曲がすばらしい。どれも初めて聴く曲ばかりだったが、飽きない。とくにフィオッコはイタリア的な息の長い旋律とフランス風装飾が入り混じって、面白かった。



また、ガンバもデュオが巧くて、舌を巻いた。若干21歳の竹澤さんは、今回ほとんど初めてガンバを人前で弾いたらしいのだが、福沢さんに負けずに頑張っていて、見事だった。シャフラートの「デュエット」のような曲は、古楽の音楽会でもなかなか聴けない素晴らしいものだった。聞いて得した気分の音楽会であった。







 ★★ Grupo Rupay (http://www5b.biglobe.info/~rupay/)

2003/08/30

横浜泉町・エンクエントロ(http://homepage2.nifty.com/encuentro/)にて



Marco, Julio, Joxe, Sergioの4人のペルー人による、フォルクローレ楽団の演奏。エンクエントロは小さなライブ・スペースだが、ときどき南米音楽をやっていて、楽しめる。ぼく自身、本物のフォルクローレは初めて聴いたが、とても良いものだ。音の深さ、リズムの深さ、情感の深さ、どれをとっても「深さ」という形容詞をつけたくなる、不思議な音楽だ。



楽器は、ギター、ベース、サンポーニャ(ギリシャのパンフルートに少し似た木管楽器)、チャランゴ、ケーナなど。とくにSergio氏のケーナの笛の音の美しさ、Marco氏のギターの響きの美しさには舌を巻いた。



Rupayとは、ペルー山岳地帯のケチュア語で「熱」「火」などの意味だそうだ。この人たちの音楽を一度聴くと、またもっと聞きたくなる魅力を持っている。こういう外国人バンドが(細々とではあろうが)活動できる程度には、この国も文化程度を持ち合わせているらしい。またライブがあれば行きたいと思う。







 ★★ ラ・フォンテーヌ演奏会「ニュー・バロック・パラダイス」

3002/08/06

札幌、Kitara小ホールにて

曲目:

ジョアン・プラ&ジョゼップ・プラ ソナタ ト長調より第1楽章&第3楽章

ミシェル・コレット コミックな協奏曲より「未開人とフュルステンベルクの婦人」

ジャック・デュフリ ロンド ニ短調、“ヴォーカンソン”変ロ長調

J・S・バッハ(江崎浩司編曲)「無伴奏チェロ組曲」第1番

J・S・バッハ(江崎浩司編曲)「最愛の兄の旅立ちによせるカプリッチョ(寅さん編)」ヘ長調

ラ・フォンテーヌ「ファンダンゴ」



ラ・フォンテーヌは江崎浩司君ひきいる木管2本とバロックチェロとチェンバロのユニットである。いや、「君」付けで呼べるほど親しいわけではなく、じつはバスの中で一度口をきいたことがあるというだけの間柄(?)なのだが、それゆえ彼を何年も前から応援しているのだ。



その彼は、単なるお利口で優等生的なクラシック/バロックのカテゴリーに押し込められて、大人しくしているには音楽性がありすぎる演奏家だが、それにしてもここまで成長するとは驚きである。今回のバッハの「最愛の兄に・・」など、その葛飾柴又風の台詞とふりを挿入した解釈はまさに抱腹絶倒で、あまりに可笑しすぎて、かえって演奏の質の高さが薄まって聞こえてしまうほどだ。



もともと、木管2本を中心とした編成でかけられる楽曲はきわめて限られている。したがって、最初から編曲を意図して演目を組んでいるはずだ。それにしても、バッハの「無伴奏チェロ」を多数伴奏にしてしまうあたり、なまなかな腕ではない。



札幌のキタラ小ホールはなかなか楽しい演奏会場だった。しかし、サントリー・ホールでは物議をかもしたと言うが、そうだろうな。そうやって彼が「揺さぶって」くれなければ、すぐに自己権威化が進むこの国の古楽界が先に進むことはできまい。







 ★★ ムクナ・チャカトゥンバ・バンド 「ハクナマタタ」

2003/07/17

不忍池みずどりのステージにて。



ムクナ・チャカトゥンバ氏(本当の名前はもっとめちゃめちゃ長いらしいのだが、本人に敬意を込めてムクナさんと呼ぼう)は、中央アフリカのコンゴ民主共和国出身のパーカッショニストである。伝統ある音楽家の家系に生まれ、欧州などでも活躍したが、最近は日本に活動の拠点を置いている。



現在、彼はヒット・ミュージカル「ライオン・キング」のパーカッションを担当するかたわら、コンゴ人とのバンドを結成してモダンなアフロ・ミュージックを演奏している。今回のコンサートは、荒川子ども劇場主催の『打楽器をつくろう』という母親と子供のためのワークショップに続けて、子供も交えたフランクな雰囲気でおこなわれた。音楽に合わせてダンスの振り付けも教えてくれる。



バンドのメンバーはギターもベースもみな、とても巧くて感心する。とくにギターが良い。曲作りもこなれていて、親しみやすいメロディ・ラインを書ける人だ。アフロ・ビートの面白さは何よりもリズムの精妙かつ変化自在なところだが、このバンドはそこを十分に楽しめる。CDも録音しているようだが、もっとメジャーになって良いバンドだと思う。







 ★★ 酒井多賀志パイプオルガンコンサート

2003/06/20

府中芸術劇場にて。

曲目:

J・S・バッハ:前奏曲とフーガ ハ長調BWV547

J・S・バッハ:オルガン小曲集より3つのコラール前奏曲BWV618, 622, 632

J・S・バッハ:トリオソナタ第1番変ホ長調BWV525

酒井多賀志:イントロダクションとフーガ ハ長調(新世紀21)Op.56

J・S・バッハ:幻想曲とフーガ ハ短調BWV537

酒井多賀志:日本古謡「さくらさくら」の主題による幻想曲 Op.58

J・S・バッハ:「狩りのカンタータ」よりアリア「羊はのどかに草をはむ」BWV208

J・S・バッハ:前奏曲とフーガ イ短調BWV543



酒井さんは純正な人だ、と思う。純正調が純正であるように。この人には余計な、あざといものがない。あたりまえの、ある意味では分かり切った美というものを作り上げている。



そして、それがゆえに、この人の演奏会は客が少ないのだろうと思う。聴きに行くたびに、いつも「何ともったいない」と感じる。しかし、客をもっと呼ぶためには、舶来くささとか、ペダンティズムとか、知的な気取りとか、そうしたものが残念ながら必要なのだ。そうした余計なものをこの人は持ち合わせていない。



しかし、酒井さんはあまりにもオルガンが出来すぎるのだろう。ともすると、あまりにスリルが無く音が過ぎていってしまう感じを、しばしばうける。この人にとっては、弾く前に全て、見通しが立ってしまうのだ。だから意外性というものがない。そして、唯一、バッハのフーガが時たま、その見通しの立たないくらい複雑な様相を提供してくれる。壁いっぱいに書かれた巨大で細かな壁画のように。この人のバッハのフーガを聴くと、そういう目の前に立ちはだかっている壁が見えるような気がする。



私はこの人の合唱団で、音楽というものを学んだ。それは一生の宝物だ。この人ほど、音楽性の高い音楽家は(あいにく)めったにいない。しかし、今の状態はもったいなさ過ぎる。酒井さんは、もっと大勢の人を指揮しながら音楽を作り上げていく才能に恵まれているのだ。どうか、そういう機会を持って欲しいと、心から念じる。







 ★★ 土屋渉・二木啓 ジョイント・リサイタル

2003/05/18

荻窪 かん芸館にて。

曲目:チャイコフスキー「四季」より5月(白夜)

   スクリャービン 詩曲 Op. 32-1

   ショパン  バラード第4番ヘ短調

   ショパン  バラード第1番ト短調

   シューマン 子供の情景

   ベートーヴェン ピアノソナタ第30番 ホ長調 Op.109

   ベートーヴェン ピアノソナタ第32番 ハ短調 Op.111



アマチュアとしては飛び抜けた技量を持つ二人によるリサイタルで、ピアノ音楽を満喫した感じだ。



シューマンという人は、傷つきやすい純粋な心を複雑な試みや観念でくるんで、『表現』にしようと努力した人だ。しかし、そうした手管をつきぬけると、子供のような単純な歌が現れる。これがシューマンの神髄だ。今回はそれにふれることができた。



土屋さんは演奏者として、あきらかに1ランク上だ。タッチの多彩な使い分け、安定したリズム、滑らかでデリケートなペダリング。高度なテクニックだ。



それ以上に、音楽に直接向かいあう姿勢に打たれた。とくにショパンのバラードが素晴らしい。ロマンティックだが思い詰めた激しさのようなものが、この人の資質に良くあうのだろう。音色の甘さもちょうど良い。



二木さんの111番は素晴らしかった。とくに2楽章がいい。晩年のこの作曲者は、舞曲のようなくり返しのリズムの中に、もう一度音楽の骨格を通そうとしている。それは、観念を追いかけた音楽に、ふたたび肉体性をとり戻そうとしているかのようだ。それが音楽を通した、生とのつながりなのかもしれない。うまく言葉には表現できないが、最後にベートーヴェンがめざした姿が少しだけ理解できたような気がする。



どちらも誠心誠意をつくした音楽だった。こういうコンサートを聴けただけで、大きな満足を得ることができたと思う。







 ★★ コロス・プネウマ演奏会

2003/04/29

東京オペラシティ リサイタルホールにて。

曲目:J. Rutter 子供時代に寄せる5つの詩

   z. Kodaly 4つのイタリアのマドリガル

   J. G. Rheinberger ヘ長調ミサ

   J. S. Bach モテット“恐れることなかれ、われ汝とともにあり”

   F. Poulenc カンタータ“人間の顔”

指揮:齋藤栄一



なかなかテンションの高い、良い演奏会だった。いかにもアマチュアらしい、感性の高さを感じた。



29名もの出演者がいて、ちょっと驚く。プーランクの“人間の顔”を歌いたくて集まった人もいたようだ。ま、これが20世紀の合唱作品中最高傑作と言えるかどうか、個人的には異論もあるが、エリュアールの詩にはたしかに感心する。ただ、とくに最後の「自由」は、連祷の形式を借りた詩が良すぎるのだ。これを音楽で凌駕するのは並大抵の技ではないと思う。



コダーイの曲は女声合唱のイタリア・マドリガル、ライエンベルガーの曲は男声合唱のラテン・ミサ曲だったが、これは率直に言って普通の出来だった。どういうわけか、作曲者が異国語をつかってつくった曲は、今回は完全燃焼しきれなかった。しかし、ラターやバッハはなかなか良い。満足できる演奏会だった。







★★★ イ・ソリスティ・ヴェネーティ演奏会

2003/02/11

横浜みなとみらいホールにて。



曲目は、ヴィヴァルディの四季全曲と、パガニーニ、ヴィヴァルディのマンドリン協奏曲(美しい!)、ロッシーニなど。



楽しいコンサートだった。指揮のクラウディオ・シモーネをはじめとする演奏者の面々が、聴衆と音楽を一緒に楽しんでもらいたいと感じている、その気持ちがよく伝わってきた。音楽に対する真摯な気持ちと、譜面や演奏法に対する客観的で分析的なアプローチ、そして芸人根性とは、決してお互いに矛盾するものではない。それはこうして、同じ演奏家の中に同居し調和していることを見れば明らかだろう。



曲目によってはヴァイオリン同士の音程感のずれているところもあったが、楽器の音色の美しさは素晴らしい。とくにマンドリンはこんなにもデリケートな響きの楽器だったかと再認識した。また、ヴィヴァルディの「冬」などの歌うような解釈も、他の団体にない素晴らしさだ。



それにしても、ヴェネト州のパドーヴァ市で誕生したイ・ソリスティ・ヴェネーティ(ヴェネト演奏家団体)を、なぜいまさら『ヴェネツィア合奏団』などという名前で公演させなければならないのか、主催者側の意図はよく理解できない。うっかり「ぴあ」で見逃すところだった。いままですでに何枚もCDを出しているのだから、一貫性のある表示のしかたをしてほしいと思う。







2002年







 ★★ 矢野顕子さとがえるコンサート

2002/12/15

渋谷NHKホールにて。

矢野顕子(pf, vo)、アンソニー・ジャクスン(b)、クリフ・アーモンド(ds)、佐藤佳幸(g))



今回のコンサートは、最近の中では一番良い出来だった。正直に言って、矢野顕子の今のユニットを使った音楽スタイルは、ニューヨーク・シティあたりではアクチュアリティがあるのかもしれないが、渋谷郊外のNHKホールでは、なんだかピンとこない。とくにトリオではドラムがハードでうるさすぎ、矢野顕子の流れるようなリズム感とアンバランスに感じた。しかし、日本人のギターが入ったせいか、今回は少しその面が薄まったのかもしれない。



それにしても、この人のピアノの巧さ、音の美しさ、リズムの活き活きと精妙なこと、どれをとっても日本人の音楽家の中では最上等のものだ。ただし、40代後半という年齢の性か(あるいは体調の加減もあったのかもしれないが)、声ののびが残念だが失われつつある。



もっと今のこの人向きの編成やスタイルを見つけて、きちんと日本をベースに音楽活動をやってもらいたい。本当にそれだけの価値のある第一級の音楽家なのだから。







★★★ ヘンデル「メサイア」

2002/12/08

パリ、Theatre des Champs-Eliseeにて

William Christie指揮、Les Arts Florisants合奏団および合唱団

Sunhae Im (S), Sophie Daneman (S), Christophe Dumaux (Ct), Topi
Lehtipuu (T), Neal Davies (B)



うーむ。この演奏に対して何をつけ加えられるだろう。これほど、ヘンデルの軽やかな、楽天的で官能的な持ち味を活かした演奏を、きいたことがない。ソリストはもちろん素晴らしい。イムのソプラノは、やはり東洋人の声の質だなあ、西洋人とは異なる美しさがある、と思った。ウィリアム・クリスティーの指揮は実に見事だ。



ヘンデルはこれだけの曲を、失意のさなか、漂泊先の地ダブリンでわずか3週間で仕上げた。そしてこれは彼の最高傑作となり、後期バロック音楽の金字塔になった。ここには純粋に音楽的なよろこびがある。山っ気の多い、演劇的音楽の愛好者ヘンデルが、ここでは結果として純正な音楽美に至っている。バロックとは、この「メサイア」に至る長い軌跡ではなかったか。そう感じさせるほど、完璧で素晴らしい演奏会だったと思う。終わったあと、アンコールを求めて拍手は長く鳴りやまなかった。クリスティーも少し困ったような笑顔をして、ずっと頭を下げつづけていた。多くの観客も同じ事を感じていたのにちがいない。







 ★★ La transcription(ベルリオーズ)

2002/12/06

パリ、Cite de la Musiqueにて



曲目・演奏:

ベルリオーズ/リスト編曲「固定楽想」 ミシェル・ベロフ(pf)

ベルリオーズ/ソプラノとオーケストラのための詩的情景「エルミーヌ」 オーレリア・ルゲイ(S)

ベルリオーズ/「幻想交響曲」 マルク・ミンコウスキー指揮 マーラー室内管弦楽団、ルーブル・グルノーブル音楽集団



いかにも音楽博物館らしいプログラム。ベルリオーズの超有名な「幻想」の固定楽想をテーマにしたバリエーションを3曲並べている。最初はリストの編曲したピアノの小品。ミシェル・ベロフの生演奏は初めて聴いたが、響きの美しさ、とくに左手の音の美しさは素晴らしい(じつは演奏会のあと、ホール横のカフェで隣り合わせに座ることになり、握手してもらった)。



「エルミーヌ」は、「幻想」に先立つこと3年前に作曲された、カンタータ仕立ての曲。ここに有名な固定楽想がすでに使われていて、交響曲の方は再利用だったということが分かる。演奏も誠実で好感が持てる。



最後の幻想交響曲はあまりにもポピュラーな曲だが、やはり名曲である。今回は若いオーケストラが2団体合同で演奏に取り組んだ。ハープ4台をオケの前面に配置して、第2楽章の舞踏会の演出効果をうまく出したり、意欲的だった。とくに、若い人たちのエネルギーにあふれた盛り上がりは素晴らしく、この曲でこれほど気分が高揚する演奏は本当に久しぶり、いやほとんど初めてだ。そして、まだ若かった作曲家の高揚した気分をうまく伝えていたのだろう。プロの手慣れた演奏ばかりが名演奏ではない。これは本当にきいていて気分の晴れ晴れとする、良いコンサートだった。







 ★★ エストニア・フィルハーモニック室内合唱団演奏会

2002/11/16



神奈川県立音楽堂にて。

ポール・ヒリヤー指揮。



曲目は以下の通り:

ジョスカン・デ・プレ「サルヴェ・レジーナ」

カルロ・ジェズアルド/ストラヴィンスキー編曲「三つの聖なる歌」

アルヴォ・ペルト「勝利のあとで」

バルダッサーレ・ガルッピ「肉体をまとい、あなたは眠りにつきました」

ジュゼッペ・サルティ「いまや天の御力が」

ドミートリイ・ボルトニャーンスキイ「お知らせください、主よ、わが終わりを」

エノイユハニ・ラウタヴァーラ「ロルカによる組曲」

スヴェン=ダーヴィド・サンドストレム「もうじゅうぶんです、主よ」

ヴェリヨ・トルミス「ラトヴィアのブルドン・ソング」



エストニアの人達の演奏を聴くのはこれが初めてだ。かの国については、バルト3国の北端で、民族的にはフィンランドの姉妹にあたる、という程度の理解しかない。曲目も、ジョスカン以外は初めて聞く曲ばかり。それもガルッピ以降は作曲者名さえ知らないひとばかりだ。



歌い方は朗々とした安定感のある発声で、しかも力みや淀みがなく、好ましい。軽くて細かな味はあまり得意ではないようで、そのためジョスカンは今一つだったが、それ以外は現代ものも美しく歌いこなしていた(不協和音を美しく響かせるというのは、かなり難しいことなのだ)。とくに後半3曲は素晴らしい。声量はあるがナイーブなこの歌い方ならば、ブラームスやブルックナーもいいだろうな、と思っていたら、はたしてアンコールはブラームスだった。



めずらしい合唱曲も数多く聞けて、なかなか素敵なコンサートだった。ただし、ポール・ヒリヤー君。ちょっとかっこつけ過ぎてはいませんか(^^;)? 







 ★★ ヴォーカル・アンサンブル・カペラ演奏会

2002/11/02



カトリック碑文谷サレジオ教会にて。



15世紀フランス王室の「死者の日」のためのミサ、と題したコンサート。

曲目は、オケゲムの「レクイエム」に、アントワーヌ・ド・フェヴァンの「レクイエム」の後半3曲をくわえ、さらに典礼形式にのっとって入祭唱や福音書朗読、主の祈りなどをはさんだ形式。最後に、ジョスカン・デ・プレの「オケゲムの死を悼む挽歌」を歌う、というもの。



あいかわらずこの団体は非常にうまい。中・低声部が安定していてリズム感もしっかりしており、なにより和声の音程感が素晴らしい。オケゲムの曲を聞いていると、透明な光に満ちたガラスの建築のような構造が見事に映えて美しい。



とはいえ、後半になるとなぜか私は少し退屈して、集中力をときどき失った。とくに最後のジョスカンでは、彼の音楽の艶っぽい響きや、つる草のような独特の旋律のからみ合いが、この人達にはあまりむいていないと感じられた。



それにしても、このプログラムでこれだけの聴衆を集められる花井氏のプロデュース能力は、たいしたものだと思う。知的で冗舌で、学究的でちょっとだけキザなスタイルが、多くのファンを集める秘訣なのかもしれない(その点、あのBCJにも似ている)。



教会で、礼拝形式にのっとって演奏会を行うのは、面白い試みだ。しかし、碑文谷に集まる黒髪黒眼の私たち聴衆は、しょせん15世紀のブルゴーニュ公国の臣民たちとは異なった文脈の中で生きている。この団体が祭壇から下り、ふつうの音楽師としてコンサートを開いてくれることも望みたい。







 ★★ 山内房子演奏会 「朱に交われば赤くなる」

2002/10/12

ヴァニタス桜丘にて。



アレッサンドロ・スカルラッティの二重唱カンタータとソロ・カンタータ集。曲目は、

「ああ、ぼくはどうなるのだろう?」(二重唱)

「夜鶯(カノンつき)」(ソロ:山本富美)

「耐え難き別れ」(ソロ:山内房子)

「クローリとローザ」(二重唱)

および、

 ドメニコ・スカルラッティのチェンバロ・ソナタ k9, k1, k8, k12(桒形亜樹子)



なかなか良いコンサートだった。ソプラノ二人のバランスが、昨年よりもずっとよく感じられる。リズム間や音程感にもギャップが少ないので、安心して聴いていられる。いつものように山内さんの曲目解説がたっぷりつくのだが、これも聴く楽しみを膨らませてくれる。



桒形さんのチェンバロ・ソロも前回よりもずっと良かった。スカルラッティの音楽があっているのだろう。とくにk1, k12がいい出来だ。しっかりしたビート感の上に、タッチの美しさが、よく映えるような曲らしい。あまりスカルラッティは弾かないと言っていたが、もったいないことだ。



歌の部では、最後の二重唱が一番美しかった。曲自体のできもいいのだろう。軽いけれど肩の力の抜けた、楽しめるコンサートだったと思う。山内さんは昨年から今年前半にかけて体調を崩していたとのことだが、より本格的な演奏活動の再開に期待したい。







★★★ 古典四重奏団 ベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏会第5回

2002/10/09

第一生命ホールにて。



今夜の曲目は第12番・15番の2曲。



たいへん充実した、良い演奏だった。第一生命ホールはややデッドな響きで、とくに出だしは潤いが足りぬようにも聞こえたが、中盤からどんどん音がよくなって安心した。



12番の2楽章は作者得意の変奏曲だが、非常に美しい音楽で、見直してしまった。この人達の演奏を聞かなければ、価値を再認識できなかっただろう。



15番はたぶん、ピアノソナタ「告別」・「葬送」と並んで、ぼくが一番好きな曲だろう(もともとベートーヴェンはあまりとくいではないのだ)。全体としてとても音楽らしい温和な表情に満ちた曲だ。とくに第3楽章の「感謝の歌」は、彼らの演奏で聴くと、線を縦横に重層的にかさねてフーガのように構造をつくっていくさまが、とても美しい。



そういえば、以前、彼らはレクチャーコンサートで、この15番の第2楽章のレントラーを、ウィンナ・ワルツのあと打ちをわざと付け加えて演奏して見せたっけ。そうしたウィットとしんしな部分が見事なバランスをとっているところが、古典四重奏団の魅力といえるだろう。



川原さんの第一ヴァイオリンはあいかわらず美しかった。ただ、第一に比べると第二の音色がずっと地味に、やや低めに聞こえる点がやや解せない(これは最近出た「フーガの技法」のCDでもそうだ)。ヴィオラにしても、デッドに聞こえるのは楽器のせいなのだろうか。もう少し響きの豊かなホールで聴いて見たいものだ。







 ★★ 俊友会管弦楽団定期演奏会

2002/09/15

池袋、東京芸術劇場にて。



今回の曲目は,マーラー/交響曲第9番。この大曲にとりくみ、ここまで仕上げて演奏する情熱はさすがだ。1楽章の出だしはややまとまりに欠けて心配だったが、次第に充実し、とくに終楽章のフィナーレの集中力はすばらしかった。



マーラーの、とくに後期の交響曲は大編成で楽器の種類も多い。また構成も、音色変奏のような部分が多くて、巨大な室内楽ないしバロック・コンチェルトみたいな性格をもっており、練習は困難を極めたにちがいない。それをここまでもってきた、俊友会のアマチュア・オーケストラとしての力量に敬意を表する。







★★★ タブラトゥーラ 「風速40メートル!」

2002/09/07

四谷・石響ホールにて。

つのだたかし(ウード/ビウエラ)、田崎瑞博(フィドル)、江崎浩司(リコーダー/ショーム)、近藤郁夫(パーカッション/ダルシマ) +ゲスト 蓮見昭夫(ビウエラ/ロングネックリュート)



タブラトゥーラ恒例の9月はじめのコンサート。つのださんによると、タイトルの「風速40メートル!」は、石原裕次郎の昔の映画からとったのだそうだ。



最近のタブラトゥーラは充実している。昨年は聴くチャンスがなかったが、一昨年もよかった。とくに、江崎君の進展はめざましい。どんどん巧くなっていくようだ。木管楽器奏者なのに、あれほどリズム感がいいというのは驚きだ。最近はラテン音楽にものめり込んでいるようで、新曲「椰子の木陰でI
love you!」はトロピカルな(?)味付けで楽しい。



しかし、このバンドの曲は、4人で引くとちょっとさみしい。やはり、5人編成になった第二部は、ずっと音の幅が多彩になって、聴くのが楽しい。もっとも、ゲストの蓮見氏だけ、なぜか後打ちのリズム感の持ち主で、どうしても頭打ちのリズムになるクラシック系の他の4人とずれた感じもあったが、それでも面白かった。蓮見氏のリュートの音色の美しさ・強さはたしかに特筆に値する。近藤さんのダルシマもいつもながら美しい音だった(一緒に聴きに言った家内は、「近藤さんの太鼓は年々お相撲の陣太鼓に似て来つつある」といっていたが)。



いい曲が多かったが、今回は「タルタリア」「トルキロス」「椰子の木陰でI love you!」「じゃじゃ馬」「ヘクトパスカル」「エル・ソンブレロ」「新しい自転車」などが、中でも素晴らしかった。この個性的な“中世民族楽器喜遊ダンスバンド”は、もう結成20周年を迎えると言うが、これだけの間がんばってきたのは本当に大したものだ。メンバーそれぞれが第一級の演奏家であり、各人の個性が強くなって危ういところもあるが、これからもつづけて頑張ってほしい。







★★★ ダニエル・バレンボイム演奏会

2002/02/25

パリ、Chatelet劇場にて

曲目:

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第15番、第28番

アルベニス   組曲「イベリア」 第1集・第2集



なんという美しい音なのだろう! なぜたった1台のピアノから、あれほど多様で美しい響きが生み出されるのだろう。本当に素晴らしい。ピアノという楽器は、こういうふうに弾きこなされるために生まれてきたのだ、と言いたくなる。



バレンボイムは長く指揮者兼ピアニストとして活躍してきたが、中年以降ははっきり指揮者活動に比重が置かれていたように思う。あれほど指揮者として多忙に活躍してきた彼が、老境に入った今(彼の髪の毛はもう真っ白だ)、ピアニストとしてこれだけの能力を発揮できるのは素晴らしい。真の才能だとしか言いようがない。



正直に言うと、ベートーヴェンのソナタは2曲とも真摯な演奏だったが、とてもベートーベンらしいとは感じられなかった。意識的で構造的な展開を要求する作曲家に対して、彼の資質が正確にマッチしているとはいいがたい。これに比してアルベニスは面白かった。けっこう長くて、方向性の多様な曲集なのだが、南米生まれの彼の血が沸くとでもいうべきか、ノリがよい。最後など観客は大喝采だった。それだけの集中と興奮を生み出せるのだ。



結局、この人の演奏は、良かれ悪しかれ、音楽が美しい響きを生み出すために捧げられているのであって、その逆ではない。音楽自身の美のためにストイックで克己的な響きを要求するような、例えばバッハなどは向かないだろう。それは資質というものだ。限界といってもいい。しかし、だからといってこの人の価値が減るわけではない。これほど美しい音色を生み出すことができるのだ。他に何かが必要だろうか? 天に至る道は一つだけではないのだから。







  ★ フランス国立放送管弦楽団 演奏会

2002/02/22

パリ、Salle Pleyelにて

Myung-Whun Chung指揮

曲目:

Frederic Durieux/Piece traversiere No.1 pour grand orchestra

ドビュッシー/交響詩「海」

ブルックナー/交響曲第4番「ロマンティック」



韓国出身の気鋭の指揮者・Chungが振るRadio Franceを聴きにいってきた。力強くダイナミックなメリハリをつけるのが上手なタイプの指揮者だ。

最初の曲は短い曲で、「大オーケストラのための断章」とでも訳すのがいいのだろうか、1959年生まれのフランスの現代作曲家の曲だ。“いかにも現代音楽的”な響きの曲だが、音色の展開が美しく、悪くはない。とはいえ、失礼ながら聴いてから数日も経つと印象が薄れてくるのは否めない。もっと若い年代でも、Adesの曲などは3年前に聴いたのに、まだ強い印象が残っているのだが。

ドビュッシーは本場パリで、本家フランスの管弦楽団ということでけっこう期待していたのだが、なんと途中で寝てしまった。むろんこちらが悪いのだろうが、10年以上も前にバレンボイム指揮パリ管で聴いた色彩感の印象に比べて、なぜか目指すものが散漫に聞こえるのだ。ドビュッシーは本当にむずかしい。フランス人だからといって自動的に上手に演奏できるものではないらしい。

それにくらべて、ブルックナーは面白くきけた。まあ、ホルンから始まって金管がフルに活躍したあと、管が抜けて弦楽だけの合奏に移るときに、もう少しあのメランコリックでロマンティックな味わいを出してほしいような気もしたが。Chungという指揮者はビートは安定しているがリズムに色気があまり無く、またポリフォニックな展開はあまりうまくない。ぐいぐいと引っ張っていくときの巧さが身上のようだ。それはそれでいいのだが、この曲目で長所が十全に発揮できたとは言えないように思った。







★★★ ヘンデル「ロデリンダ Rodelinda」

2002/01/29

パリ、Theatre du Chateletにて

配役:

Rodelina/A. C. Antonacci, Grimaldo/K. Streit, Galibardo/U. Chiummo,
Eduige/J. Rigby, Bertarido/A. Scholl

演出:Jean-Mallet Villegier 指揮:William Christie

イタリア語上演(仏語字幕)



これは素晴らしかった。バロック・オペラの上演として最良の部類だと思う。全3幕・3時間以上の大作だが(昔のイギリスの上流氏族は時間にのんびりしていたのだろう)、舞台に飽きずにずっと集中させてくれた。



むろん各出演者の力量もあるのだが、やはりVikkegierの演出が良かったせいだろう。舞台を思い切って二つの世界大戦の間の、不安な空気の漂うヨーロッパにおきかえて上演し、それが見事に成功している。Galibardiはナチの軍人の格好をして部下達をしたがえて出て来るのだが、それにしてもナチの軍服というのは独特の冷酷な美学をたたえていて、舞台の視覚的な効果をあげる上で、とても見事である。

また、バロックのアリアはABAの典型的なダ・カーポ形式になっていて、そのくり返しがしばしば舞台としては退屈になりがちなのだが、そこを動きや演出上の工夫で救っており、あきずに見ることができる。



出演者達も素晴らしい。とくにテナーとバスの二人はじつに巧い。第一幕での亡命先での望郷のアリアなどは、観客から期せずして拍手喝采がでたほどだ。Christieの軽やかなリズム感にあふれる指揮もとても良い。教養ではなく娯楽としてバロックを楽しめる上出来のオペラだったと思う。







    シュローム・ミンツ演奏会

202/01/27

パリ、Cite de la Musiqueにて



シュローム・ミンツのヴァイオリンの演奏会を聞きにいってきた。

曲目は、

 バルトークの「ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ」、

 ストラビンスキーのヴァイオリンとピアノのための二重奏、

 プーランクのヴァイオリン・ソナタ、

 ラヴェルの「ツィガーヌ」、

と、なかなか意欲的なプログラム。ピアノはアドリエンヌ・クラウスという、ハンガリー生まれのきれいな女性である。



しかし聴いているうちに、ミンツ氏がピアノのことを、本当に「伴奏者」としてしか考えていない(つまり、俺についてくればいいんだ、式に勝手に走っていくきらいがある)ことがわかってきた。ピアニストがうら若き美人だからなおさらかもしれない。いっしょに走っている相手の音を聴かないで何をするんだ、と感じずにはいられなかった。どんなにヴァイオリンが巧くても、それじゃ音楽の半分でしかないじゃないか、などつい思って、正直言って心底からは楽しめない演奏会だった。







2001年







★★★ オペラ「ヴォツェック」

2001/11/15

パリ、バスティーユ・オペラ座にて

Franz Hawlata (Wozzeck), Katarina Dalayman (Marie), Stefan Margita
(Tanbourmajor), Donald Kaasch (Andres), Kenneth Riegel (Hauptmann)他

ジェームズ・コンロン指揮 パリ国立歌劇場管弦楽団および合唱団



アルバン・ベルク作曲(1925年)の、20世紀オペラの傑作。そして演奏も素晴らしい。3幕を通して一気に上演し、だれることなく最後まで緊張感を保ちつづけてくれた。



しかし、それにしてもなんという暗い劇なのだろう。貧しさゆえに、ふつうに結婚し家庭を持つことさえ望めぬ兵士ヴォツェックに対し、政治(隊長)も、科学(ドクトル)も、ひどく過酷だ。しかもその過酷さは、憎しみや差別といった熱性の感情を伴う種類のものではなく、実験動物を見るような非人間的な関わり方のものだ。それはまさに二つの大戦のあいだにオーストリアを覆っていた世界の暗さを示している。



したがってベルクの創造する世界では、それはもはや短調で表現されるような感情の悲劇ではなく、空虚と不安と絶望が交錯する非調性的なドラマの形を必然的に取ることになる。



それにしても、無調音楽・ドイツ語上演・フランス語字幕、という三重苦のような上演を追いかけるのは容易なことではなかったが(^^;)、その劇的な音楽性は十分に味わうことができた。出演者はどれもうまかったが、とくにマリー役を演じたDalaymanのうまさは特筆に値する。あのむずかしい曲を、見事に歌いきっていた。



舞台装置・照明も素晴らしかった。なににせよ、とても見応えのあるオペラだったといえるだろう。







★★★ レザール・フロリサン演奏会

2001/10/27

パリ、Cite de la Musiqueにて

William Christie指揮、Cassandre Berthon (S), Stepanie d’Oustrac (S),
Paul Agnew (T), Matthieu Lecroart (B), Francois Beaulieu (朗読)



<>(バロック的な愛の情熱)と題されたコンサートで、音楽博物館で開催されている<>「パッションの姿」という展示と連携した演奏会。



曲目は主にフランス・バロックのオペラから多数のシーンを取り出してきて、意図に従って並べ直し演奏するというもの。

・シャルパンティエ「メデエ」

・モンテクレール「イェフテ」

・カンプラ「イドメネー」

・ラモー「レ・ボレアード」「イポリトとアリシー」

・グルック「オルフェーとエウリディーチェ」

など、初めて聴く曲目ばかりだ。これらの中から男女の愛の情熱を歌うシーンをとりだしてうまく配列するモンタージュの手腕は、なかなかWilliam
Christieならではのもの。



演奏も大変素晴らしい。二人のソプラノのうち、Berthonの方はやや響きが苦しそうだったが、Agnewのテナーは芸達者でまことに素晴らしい。

またオーケストラの方も、打楽器を導入した斬新なアレンジ(?)で、これが見事につぼにはまって、非常に印象的だった。全体にこのアンサンブルは人数が比較的多いわりにリズムがすっきりとまとまって軽快な、いかにもバロックにふさわしい感じがある。



聴きにいってとても得をした、いい演奏会だった。円形の大ホールが満員で、階段に腰かけて聴いたのだが、それだけの価値のある立派なコンサートだ。拍手。







  ★ Pieter Wispelwey Bach チェロ組曲演奏会

2001/06/20

パリ、サント・シャペル教会にて。

バッハの無伴奏チェロ組曲を、現代チェロとバロック・チェロで弾き分けながら、2週間近く連続で演奏するという、かなり意欲的な演奏会。また、このサント・シャペル教会は(中世のステンドグラスの素晴らしさもさることながら)音響の良さも驚異的だ。天井が高いにもかかわらず音が上に逃げてしまわず、会場全体になじむように巡ってくる。



というわけで素晴らしい演奏会だった、と書きたいところなのだが、じつは聴きながらずっとピンとこなくて悩んでいた。演奏の腕前は素晴らしい。バロック・チェロという音程の難しい古い楽器を使って、バッハの難曲を弾く腕前はたいしたものだ、とたしかに考える。そう頭では考えるのだが、聴いていても音楽に親しむ楽しさをめったに感じられない。



何も演奏者が孤高を気取っているとか、芸術家肌で人間嫌いだとか、そんなことではない。十分まともな音楽家だと思う。けっきょくぼくは、バッハという人が無伴奏チェロ曲でいったい何をやりたかったのか、納得がいかないのだ。なんでこんな登山家的アクロバットないし仙人修行みたいな苦行を求めるのか、その結果なにを構築したいのかがわからない。どうみてもリズム的にも対位法的にも無理がありすぎる。



ぼく自身の底が浅いのでバッハの求める芸術がよく分からないのだ、ということは認めよう。しかし、本当にそんなに芸術じゃなければいけないのか、音楽って? もっと普通に楽しめるものでいいのではないだろうか。







 ★★ キース・ジャレット・トリオ コンサート

2001/06/18

パリ、Le Palais des Congresにて。

しばらく病気で活動をしていなかったキース・ジャレットが、ひさびさになじみの仲間であるギャリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットとのトリオで、フランスでの演奏会を(3週間に全部で4回というひどく余裕のあるスケジュールだが)開いた。



もちろん、当日はLe Palais des Congresの大ホールは満席だ。

その人気にたがわず、すぐれたコンサートだった。何より、キース・ジャレットという人のピアノのタッチは本当に独特だ。ちょっと聴いただけですぐに分かる、あの透明感のなかに粘り気のひそむ音色はやはり素晴らしい。これを聴くために大勢の人が集まるのだし、それだけの価値のあるものだ。



ただ、(またまた毎回なんくせをつけるようで恐縮だが)、トリオとしてのまとまりは今いちだったようなきがする。とくにジャック・ディジョネットのビート感覚が、ピアノと少し隙間が空いてしまう。ちょっとこの点は残念だ。もちろん全体としては、曲作りの面も含めて聴いて良かったな、と思える演奏会ではあったのだが。







 ★★ P・ブーレーズ指揮パリ管弦楽団 バルトーク演奏会

2001/6/12

パリ、Theatre du Chateletにて

曲目:「弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽」

   「青髭公の城」全曲。



ブーレーズがパリ管を振っていどむバルトーク特集。このあとはポリーニと競演でピアノ協奏曲第1番と、管弦楽のための協奏曲が予定されている、注目の演奏会だ。



「弦楽器・打楽器とチェレスタ」通称“弦・チェレ”は、ブーレーズの指揮で見ると、いや聴くと、なにか非常に解像度の高い音楽の構成が見えてくるような気がする。とくにハープ、チェレスタ、ピアノなど音階を持つ打楽器(?)の音色の交替が鮮烈だ。また、弦楽四重奏5番にも出てくる技法だが、弦楽器が皆ピチカートで迫ってくるところなど実に面白い。



しかし、バルトークの特色であるリズムの豊かさと複雑さ、そのバネのようなうねりをやや感じにくいように思ったのは、ブーレーズが歳をとったせいなのか、それともパリ管の性質なのか。



後半の「青髭公の城」は初めて聴いた。Violeta UrmanaのソプラノとLaszlo Polgarのバス。このPolgarというハンガリー出身のバス歌手には非常に感心した。発声がごく自然なのに、声がオーケストラに混ざらず良く響く。音程やリズムが安定しているだけでなく表情が豊かだ。そしてなにより声の質が美しい。この二人の歌手による、いわば演奏会形式のオペラのようなものだ。もちろん演奏はマジャール語で、それにフランス語の字幕がつく。これで言葉が分かればもっと楽しめただろうに、くやしい。



この青髭公の城は、バルトーク30歳のときの作品(弦・チェレは55歳の作品)で、まだロマン派の延長のような濃厚な響きを持つ。おまけに、始めから終わりまで全編盛り上がりまくる構成で、なんだか少年ジャンプみたいだ、と思いながら聴いてしまった。しかし決して飽きさせない点はさすがだ。また、パリ管はやはり管楽器が入ると音につやが増して色彩感があり、非常に美しい。なかなか満足感のある演奏会でした。



ところで、演奏会場のシャトレー劇場に行ってみると、なにやら尖り帽子にサーベルの古式ゆかしい制服の儀仗兵達がならんでる。

“はてな、高貴なるファミリーでもおいでになるのかな・・でも待てよ、四民平等のこの共和国に高貴なる人々などいるわけもないし・・”

と思いながら入ったら、パンフにはさまっていたチラシに「今夜はハンガリー大統領閣下のご臨席を賜ります云々」と書いてある。でもバルトークはハンガリーの誇る作曲家だから不思議ではない(彼は最後は故国を追われ、亡命先の米国で貧苦のうちに客死したんだけれどね・・)。



で、しばらく待っていると、いかにも身辺警備関係者並びに随行者とおぼしき面々が入ってくる。そして、フラッシュがいくつも光り拍手がわいて、おお! どこにその大統領がいるのだ!? と見ようとしたのですが、あいにく2階最後尾の205フランの席からじゃあ全然見えないのでした。やれやれ。







  ★ ARSYS演奏会 Bachの6つのモテット全曲

2001/5/17



パリ、聖Severin教会にて。

ARSYSというのは「ブルゴーニュ声楽芸術集団」の団体名で、指揮はPierre Cao。伴奏はLes Basses Reuniesというオルガン・チェロ・ヴァイオリンのトリオが行った。



レベルとしてはなかなか高い合唱団だと思う。ただ、バッハのモテットはしばしば8声部ないし二重合唱になっており、そうなると人数的にちょっと苦しかった。たとえばモテット1番の、長いフーガが終わって単純なコラールと答唱の掛け合いになるところなど、もう少し声に厚みがあった方が素晴らしかっただろう。またメリスマのきつい部分など智とばらばらな印象を与える。しかし、音程感はばっちりあっており、和音で重なる部分はとても美しい。



全体としてはやはり第3番「イエスは我が喜び」がもっとも良い出来で、それは本人達もねらったことだったにちがいない。まあ、リズムがもう少しどっしりしていた方が、よりドイツ風の味がでただろうが、そんなことをフランスの声楽集団に求めてはいけないのだろう。熱狂的な拍手に答えながらもアンコールをやらなかったのは指揮者として慎重すぎてどうかとも思うが、全体にはなかなか楽しい演奏会でした。







 ★★ 山内房子演奏会 「響きの旅人」第4回 ポエジア・イタリアーナ

2001/5/13



今回は再び世田谷・桜丘の山内邸でのコンサート。二日続きの第一日目だ。曲目は山内さんの得意なイタリア・バロックから、

 フレスコバルディ「もしも春風が」、

 モンテヴェルディ「恋文-私の物憂げな眼差しが」「悩みはかくも甘く」

 ディンディア「穏やかな春風が戻り」

 サンチェス「横暴な略奪者」

など世俗曲と器楽を集めての演奏会。チェンバロ:桑形亜樹子、ヴィオラ・ダ・ガンバ:桜井茂。ほかに、高橋光氏の絵画を集めての展覧会をもかねる、珍しい形式の音楽会だった。



山内さんは今回はやや響きのたっぷりとした声で歌っており、どうやら発声法を少し変えてみたらしい。イタリアン・バロックの濃厚な響きに合う声の質ではあるけれど、ちょっと低音部が苦しそうな感じもあった。まあ難しいところなのだろう。桑形さんのチェンバロはタッチがきれいで音色がとても美しい(しかしチェンバロにタッチなんてあるのかな?)。ただ、リズムを自分一人では保てない人らしく、独奏のトッカータはあまり感心しなかったが、山内さんとのデュオになると山内さんの方がリズムをひっぱっていき、なかなか快活なアンサンブルになった。



高橋氏の絵画は、いかにもイタリアでの勉強の痕が強く感じられるもので、テンペラを使った独特のメチエなど悪くはないが、残念ながらデッサンの力強さが足りない。プランはよいのだが実現力に今ひとつ欠けるような印象を受けた。なかでは、単純な静物画に良いものが多かった。







★★★ 川原千真 BACH無伴奏ソナタ&パルティータ全曲演奏会

03/16/01

石響における全曲演奏会の第2夜目。曲目は、

 ソナタ第1番 ト短調

 パルティータ第1番 ロ短調

 ソナタ第3番 ハ長調

の3曲。



期待通りすばらしい演奏会だった。前半はやや神経質な響きだったが、次第に滑らかになってきて、最後の3番はたいへん優れたできだった。



パルティータももちろんうまかったが、川原さんはこれをバロックというよりもクラシックの作品として弾いていたように思う。別にそれが間違いだというつもりはないが、バロックの組曲というのは、一種の「万国舞曲集」みたいな作りになっている。そのリズムの変化の面白さが、クラシック的な取り組みではやや薄れてしまう。



それに比べて、3番のフーガの持つ内在的なリズムは川原さんの資質にあっているのだろう。ゆっくりとした「歌」の部分よりも、アレグロでたたみかけるようなバッハの独特の音の重ね方のところにくると、下半身までが全体にリズムの波に乗ってくる。ピリオド楽器は手なずけるのに苦労のありそうな楽器のようだが、高音部の潤む美しさがあらわれて、とても川原さんらしかった。



じつはその3番の長大なフーガの最中に、客席で観客の一人が倒れて(貧血か)、小さな会場の聴衆はちょっとざわめいたのだが、川原さんは一瞬もひるまずにずっと演奏を続けた。その集中力、ないし演奏家として性根の据わったところは、さすがである。いや、真剣に誉めているのだ。先生稼業よりも演奏で生きる事を選んだ彼女の音楽家としての考え方に根ざした、立派な態度だと思う。



それと、前半も後半も、弾きはじめるときは緊張で年齢相応の顔なのだが、弾き終わったあとは充実して晴れやかな表情になり、顔が10歳以上若返るのだった。これが一番驚いた。音楽の力はすごい。



石響は天井が低いせいか、それともピリオド楽器の性質なのか、ややオンでデッドな感じをあたえる。これを、先週聴いたサント・シャペルのような天井空間のはるかに広い、残響の長い教会のようなところで聞けたらさぞかし美しい響きだろうな、と想像した。



それにしても、1台のバイオリンにフーガを弾かせるなんてことを思いついたバッハというのも、へんてこな作曲家ではある。思わず昨年の酒井多賀志氏のオルガンによるトリオ・ソナタの演奏会と同じ事を考えてしまった。つまり、この無伴奏ソナタを分解して、3人のバイオリン・アンサンブルで演奏したらどんなにか自然だろうか、という想像である。

もっとも、そんなことをしたら、変哲もないごく普通の音楽ができるだけかもしれない。しかし、それではいけないだろうか。一人の演奏かが超人的な技巧を駆使して3人分の演奏を自己完結した形で作り上げる事に比べて、そんなに尊さにおいて劣る事だろうか。



などということを考えながら聴くなんて、我ながらまったく「豚に真珠」ではあるな。







  ★ レ・ヴイオロン・ド・フランス演奏会

2001/3/08

パリ、サント・シャペル教会。



サント・シャペルはシテ島にある、中世のステンド・グラスで有名な教会。フレデリック・モローの率いる「レ・ヴイオロン・ド・フランス」という弦楽合奏団の演奏による軽いコンサートだった。



曲目はバッハの「主よ、人の世のよろこびよ」、パッヘルベルのカノン、アルビノーニのアダージョ、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」・・といった具合で、甘くて口当たりの良い、聞き易い曲目ばかりを集めたプログラム。まあ悪くはない。少なくとも、教会の音響が素晴らしいので、弦の音色が美しかった。中ではマスネーの「タイスの瞑想曲」がもっとも良かった。持ち味にあっているのだろう。



この団体はモロー氏をはじめみな若い人ばかりで、のびのびと楽しんで演奏していた。それにしても、なんか男女とも美形の演奏家ばかりを集めたような団体で、曲目といい演奏場所といい、なんかちょっとやりすぎじゃない? と、すれっからしの聴き手は思うのだった。別に額にしわ寄せて深刻にやるべきだ、なんて全然思わないけれど。どこかに苦味とか塩味とかないと、パティスリーにならんだお菓子みたいじゃない?

ま、いいんだけど、さ。







★★★ 谷山浩子 Special 101コンサート Final

2001/2/06

青山円形劇場(Aプログラム)



なかなか良かった。聴きにいって得した気分。

この人はCDよりライブの方がずっといい。CDはどうも『やや水っぽい個人的演歌集』みたいになりがちだけれど、ライブはぜんぜん飽きないで、あっという間に最後まで聴いてしまった。



今日の曲目の中では、

◎ 一人でおかえり 冷たい水の中を君と歩いてゆく 森においで 会いたくて

  夜のブランコ

○ 小さな魚 雨になりたい 海の時間

などが、とくに気に入った。



いい持ち歌が多いのは、さすが。歌い手としてみると、むしろ中声部から低声部がきれいな声だと思う。あと最後の方の曲では、演奏や歌の顔が真剣になって、よかった。



楽器編成は、皆うまい人達なのでとくに不満はないが、希望をいえばパーカッションが一人いたらいいな、と感じた。その方が、特にこういった小人数のコンサートではデリケートな音になるだろう。

ファイナル2はない、とのことなので、せめて、ライブアルバムを出してほしい。







★★★ ふたりのアレッサンドロ 山内房子演奏会

01/01/12



福音ルーテル東京教会(新大久保)にて。

実力派のソプラノ歌手・山内房子のソロ・コンサート。得意のイタリア・バロック声楽曲、それもアレッサンドロ・ストラデッラとアレッサンドロ・スカルラッティだけをフィーチャーした、意欲的なプログラムだ。

伴奏陣がまたすごい。ヴァイオリンが川原千真と三輪真樹、チェロが田崎瑞博という古典四重奏団の面々に、竹内太郎のテオルボ、そして柴崎久美子のチェンバロが組み合わされる。



ストラデッラは軽快で繊細だが、微妙な毒気も感じさせる個性的な作風。旋律がとても美しい。一方、スカルラッティは響きが豊かで、歌手の技巧をフルに引きだす箇所が随所にあり、さすがに声楽作曲の大家というにふさわしい。この二人のオラトリオ/カンタータをこれだけの密度で聴くことのできる機会は滅多にない。



とくに、演奏時間が20分以上にもなるスカルラッティのソロ・カンタータ「太陽は西方に走り去り」は圧巻だった。山内さんの技巧は素晴らしい。さまざまな声の質と響きを使い分ける技量は比類がない。レチタティーヴォとアリアが交互につづくのだが、ふつうは単なる説明やおしゃべりとして流れるだけのレチタティーヴォがこれほど面白いとははじめて知った。



これほど充実した内容の演奏会なのだから、観客数はもっと多くても良かったはずだ。録音さえされていないという。なんともったいないことだ! きちんとしたプロデュースを切望する。







2000年







★★★ 古典四重奏団レクチャーコンサート カルテットの厨房

00/12/24

上野、東京文化会館にて。

いかにも田崎瑞博さんならではの企画で、とても楽しめた。

ベートーヴェンの弦楽四重奏15番の2楽章にウィンナ・ワルツ風の後拍をつけて見せるのも楽しいが、バッハの「フーガの技法」7番を、『フーガ分解装置』なる抱腹絶倒の工夫でビジュアルに見せるのが素晴らしい。4人のアシスタントが「テーマ」と書かれたプラカードを、逆行・反行・倍・半分に変形して次々掲げていく。これは見物であるし、さすが晩年のバッハの世界ではある。

しかし何より圧巻だったのはバルトークの弦楽四重奏曲第5番だ。上2声が奏でる変拍子に、下2声がその逆行リズムで絡み合い、全体でポリリズムの複雑かつ強靱な音響をつくってしまうバルトークは本当に天才としかいいようがない。また、この古典四重奏団自身が、やはりバルトークが一番合っているように思える。

第二部のシューベルト「死と乙女」もすぐれた出来で、昨年の演奏よりも良かった。

ただ、全体を通して、川原さんのあの美しいバイオリンの音色が今ひとつ冴えきれなかったように感じられたが、体調でも悪かったのだろうか。







★★★ タブラトゥーラ さよなら20世紀ライブ

00/12/23

品川教会にて。

最近のタブラトゥーラは非常に充実している。今回は、以前リコーダー奏者として参加していた現ジャズ奏者の早坂知紗が参加。どの曲もなかなか良い出来だ。

中でも、「チャンバラ」での津軽三味線風ショームとフィドルの掛け合い、「バンブーレイン」のリコーダーとフィドル、「マルコポーロの自転車」の裏拍、定番「夜の蟹」「エル・ソンブレロ」などどれも楽しめた。他に「タルタリア」「レセルカーダ」「テケテケ」もいい。

しかし何より圧巻だったのは早坂知紗による「カナビスの環」だろう。曲作りがひと味もふた味もちがう。タブラトゥーラのオリジナル曲はどれも展開が一段階しかない、という感じだが、ここでは重層化された構想の中で、スイング感のきいた早坂のアルトサックスが存在感のある音を発する。

つのださん・田崎さんの芸達者なのは言わずもがな、江崎君のリコーダーも進境著しいが、今回何よりも感心したのはパーカッションの近藤君のもつ音楽性の高さである。馬場君のリュートも地味ながら、このリズムの幅を支えてよろしい。

今年聴いた数々のコンサートの中で、ベスト・ワンである。







 ★★ アンサンブル・エクレジア

00/12/03

鎌倉・カトリック雪の下教会にて。

今回は楽器はリュート・チェロ・オルガンという3人編成だった。ソプラノとメゾの音程感があっているのが二重唱では何よりも快感だった。つのだ・田崎両氏の男声コーラスを聴けたのも拾いもの(?)。







 ★★ ヴォーカル・アンサンブル・カペラ 諸聖人の祭日のミサ

00/11/01

聖アンセルモ・カトリック目黒教会にて。

グレゴリオ聖歌とジョスカン・デ・プレのミサ「ガウデアームス」を中心に、ルネサンス時代のミサの形式と進行に従った演奏会。しかし、教会で行われるとはいえ、肝心の聖餐式がないわけだから、まあなんというか、衣装を付けて歌う演奏会形式のオペラみたいなものではある。それと、わざわざフランス語訛りのラテン語で歌うというのも、妙なものだと思う(鼻音の多用が倍音共鳴をうながすという理屈であるようだ)。

演奏はうまく、見事だった。ソプラノも美しいが、バリトンがとくに良かった。リズムも堅くなりすぎず、悪くない。

曲としては、ミサの第一キリエ、サンクトゥスの後半、アニュス・デイ、イザークのモテット「天使、大天使」、そしてジョスカンのモテット「けがれなく完全で貞節な方、マリア」が良い出来だった。とくに最後のジョスカンのモテットはなかなか感動した。

アンサンブルとしては、二声の旋律がからみながら織りなす部分よりも、トゥッティで動く部分の方が良い。これが持ち味だろうが、ジョスカンは二声の対位法が美しいのですこし残念ではあった。

やや気障で能書きの多い団体ではあるが、演奏のレベルはなかなか高いというべきだろう。





  ★ 酒井多賀志レクチャーコンサート「バッハのオルガン曲」

00/10/19



純真女子大学で行われた2回シリーズのレクチャー・コンサート。ただし二回目の「トリオ・ソナタ」の方だけしか聴きにいけなかった。



バッハはトリオ・ソナタを「練習曲」と題して出版しており、これは他の「平均率曲集」や「オルガン・ミサ」なども同様だが、作曲家→演奏家→聴衆、というリスナーへの働きかけとしてのパフォーマンスではなく、音楽家同士である作曲家から(高度な)演奏家へのメッセージとして位置づけている、という。また、本来は4人編成で演奏するトリオ・ソナタを、バッハはしだいに少人数編成にしていき、最後にオルガン1台によるトリオにいきついた、とのこと。これは複数人数による音楽のむらや乱れを排除して音楽を純化する方向だ、というのだが、そこにバッハの特長も問題点も端的にあらわれているように思える。4番の1楽章など、「これをトリオで演奏したら本当に面白いだろうに」と感じてしまった。



酒井さんの演奏自体は、これだけの大曲6曲なのに、なんだかあまりにもさらりと流れてしまったように思う。もっと抵抗感というか、食い応えみたいなものがあっても良いはずなのに。少々残念だった。







  ★ 古典四重奏団 ショスタコービッチ弦楽四重奏曲演奏会

09/25/00

ショスタコービッチ/弦楽四重奏曲 第4番・第7番・第8番

上野 東京文化会館小ホールにて



この人達はわりとロシア・東欧ものが好きなのだろうか? 没後25周年だからといって、ショスタコービッチの四重奏とはいやに渋い選択ではある。そういえば去年はバルトークだった。



川原さんのヴァイオリンの美しい音色には相変わらず感心するが、今回はむしろヴィオラの三輪さんの歌心とか、第二ヴァイオリンの花崎さんの動きのあるリズムなどが印象に残った。田崎さんのチェロはいま一つさえなかった。



4番は手堅くまとめたという感じかな。7番は内容の濃い作品だが、会心の演奏とはいえなかっただろう。なんとなく求心力にかけて目的がばらばらな感じを受ける。後半の8番が一番出来が良かった。場面転換が多彩な、規模の大きな曲を、見事に終結部に向けてベクトルを集めていった。

しかし、旋律が豊富な割に今一つ印象に残りにくい、不思議な作曲家ではあるなあ。





 ★★ 地中海のルンバ

00/09/16

鈴木英夫

 フラメンコ・ギター

山崎まさし

 フラメンコ・ギター

つのだたかし

 バロック・ギター

 

所沢・松明堂ホールにて。

メインは鈴木氏なのだろうが、サブをやっている山崎氏のギターにはなかなか感動した。リズム感といい、寡黙な力強さといい、いかにもフラメンコ・ギターの持ち味だ。素晴らしい。つのださんは芸達者だが、音量的にややハンデがあるのはしかたがないかも。







★★★ 山内房子演奏会「イタリア・バロック二重唱の午後」

00/09/10

昨年と同じく山内邸でのプライベート・コンサート。ただし今回は昨年よりもずっと良かった。山内さんはやはりイタリア・バロックが好きで、かつ合っているのだと思う。どうしてフランスものなどに寄り道をしたがるのか不思議でさえある。

今回は山本富美さんとのソプラノ二重唱で、ルイージ・ロッシ、ストラデッラ、ステッファニ、スカルラッティの曲目。なかでもステッファニやスカルラッティなどの後期バロックの旋律の美しさが良かった。もっとも後期バロックの濃い味付けを好むようになったのは自分が中年になったせいかもしれないが。

山内さんはステッファニの二重唱などで紙芝居を使ってまで演劇ふう効果を作っていた。だったらなぜオペラをやらないの?ときいたら、「私はオペラの練習って時間の無駄に近いから嫌いなの」という答え。それはそれでしかたがないものの、もっと対等あるいはそれ以上の達者な相手とのアンサンブルや対位法をとりいれて、劇的要素を盛り上げてほしいものだ。





★★★ タブラトゥーラ 名月ライブ

00/09/09

タブラトゥーラのコンサートに行くのはかれこれ4年ぶりだ。今回は非常に良かった。とくにリコーダー/ショームの江崎君の腕前が上がっているのは、4年前の予想通りとは言え嬉しかった。曲目も緩急のバラエティに富んでいて楽しめる。新曲の出来もいい。とくに「ちゃんばら」はいい出来だ。

コンサートの後は石響ホールの屋上に出て紙で作った中秋の名月を愛でながらみなでパーティ。つのださんの馬鹿話を聞きながらの、この雰囲気はまことにタブラトゥーラならでは、だ。





 ★★ 酒井多賀志オルガンリサイタル

00/06/11

武蔵野市民文化会館小ホール。

いつも感心するのはこの人の音色設計のすばらしさだ。とくにこの楽器は慣れているだろうが、音の色彩感が素晴らしい。

最初のブクステフーデはややぎこちなかったが、前半ではバッハの「三位一体のフーガ」は充実した出来。後半フランクは例のフランス風味演歌みたいなところが好きになれなくて眠かったが、酒井多賀志自作のOp.50のフーガ、そしてアンコールのなつかしいOp.2「流れゆく雲」は充実した出来でとても良かった。

この人なりの音楽に対する真摯な姿勢に感心する。しかし、「流れゆく雲」をつくった82年頃は”疲れていた”と言っていたのが印象に残った。





  ★ 三菱商事マンドリンクラブ演奏会

00/02/25

東京海上との合同オーケストラの演奏会。あいかわらず指揮者は独り合点だが、プログラムの趣味は悪くない。ことしはプッチーニの「O
Babbino Mia Caro」と「Mi Chiamo Mimi」が入っていて嬉しかった。





★★★ Los Angels Guitar Quartette演奏会

00/02/18

紀尾井ホール。うーむ、すごい!の一言。





  ★ コロス・プネウマ演奏会

00/02/09







1999年







 ★★ 山内房子演奏会

99/11/20

ミシェル=リシャール・ド・ラランド/聖木曜日のためのルソン・ド・テネーブル第3

フランソワ・クープラン/聖水曜日のためのルソン・ド・テネーブル

ヴァニタス桜ヶ丘にて

 山内さんは体調が万全でなく、つらそうだった。非常にうまい人だと思うのだが、本番に弱いのはなぜなのだろう。もったいないと思う。ド・ラランドの曲は初めて聴いたが(珍しい曲なので楽譜をフランスから取り寄せたといっていた)、なかなかよい曲だ。しかし、比べて聴くと、さすがにクープランは一枚上手だと感じる。各曲冒頭の花文字の装飾など、本当に美しい。

 今度はイタリアものを歌って本領を発揮してほしい。





★★★ 俊友会管弦楽団定期演奏会

99/10/16

ブラームス/ヴァイオリン協奏曲、チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」

いつもながら熱気のこもった楽しい演奏会だ。音楽のアマチュアリズムのいい面が出ている。聴いていて生き生きした感情が伝わってくる。





 ★★ ボッケリーニの快楽 ラ・レアル・カマラ

99/10/20

ラ・レアル・カマラ:

 ホセ・ミゲル・モレノ(ギター)

 エミリオ・モレノ、エンリコ・ガッティ(バイオリン)

 若松夏美(ヴィオラ)

 ルース・ディルティンス(チェロ)

曲目:

 ボッケリーニ ギター五重奏曲第7番ホ短調

 ボッケリーニ チェロ・ソナタ

 ボッケリーニ ギター五重奏曲第4番ニ長調「ファンダンゴ」

 

 北区の北トピア国際音楽祭の演奏会。北トピアの企画は毎年充実していて本当に感心する。ただ、最近はやりのこの「・・の快楽」って物欲しげな題名はやめてほしい。

 ボッケリーニは18世紀イタリアの作曲家。まじめに聞いたのは初めてだ。それにギター五重奏という編成も。だが、とても良い。7番の第2楽章で弦楽だけの音色にギターが合わさって色彩感や空間の奥行きがいっきに広がるところなど、本当に美しい。また5番の終楽章で、チェロが突然カスタネットに持ち替えてスペイン風の乾いたリズムを映し出すところなども本当に素晴らしい。

 最初、弦楽のピッチにあわないところもあって今ひとつだったが、最後はなかなかよくまとまっていた。ただ、ヴィオラだけはファンダンゴのリズムになっていなかったけれど。





★★★ 古典四重奏団 バルトーク全曲演奏会2

99/10/12

バルトークの弦楽四重奏曲2,4,6番を演奏。なかでも4番が素晴らしかった。初めてきいたが、5楽章の対象構造もおもしろいし、なにより弦楽器4本であれほど多彩な音響空間を作れることに驚嘆。たしかにバルトークは天才だ。

演奏する側もえらい。音色、ピッチ、リズムのダイナミックス、どれも第一級のレベルだ。本当に感心する。





 ★★ デュッセルドルフのシューマン 古典四重奏団

99/09/14

曲目 シューベルト 弦楽四重奏曲「死と乙女」

   シューベルト 歌曲3曲

   メンデルスゾーン 歌曲「歌の翼に」

   シューマン 歌曲「月の夜」

   シューマン ピアノ五重奏曲ホ長調

演奏 古典四重奏団

   畑 儀文(T) 伊藤 深雪(ピアノフォルテ)

会場 東京文化会館大ホール

 なかなか良いコンサートだったと思う。それなりに楽しめた。

「死と乙女」の第一楽章でピッチが若干あわないので、古典四重奏団にはめずらしいことだ、と思ったが、楽章の合間ごとに調律をし直していたので天気のせいだったのだろうか。2楽章の変奏曲は(もう少し軽く流してもいい部分もあったが)美しかった。しかしフィナーレの和音は何だったのだろうか。

 ドイツ歌曲はどれも楽しめた。シューマンはいかにも美しいし(リーダークライスの一曲)、メンデルスゾーンも軽いリズムで素敵だった。シューマンのピアノ五重奏曲は初めて聞いたが、1・2楽章などなかなか美しい。シューマン嫌いを少し反省してもいいかと思ったほどだ。

 アンコールの歌曲は二番に古典四重奏団が控え目に和声の伴奏をつけると、音にぐっと厚みと豊かさが増して感動だった。めずらしい構成だがとても良い。

 それにしても大ホールは室内楽にはいかにもあわない。音像が遠くてかなしかった。企画には疑問だ。





 ★★ 酒井多賀志パイプオルガン・コンサート

6/13/99





 ★★ ボストン交響楽団演奏会

99/03/26

Jeffry Tate指揮 Pinkus Zukkerman(Vn)

曲目:

Ades Living Toys

Bruch Violin Concerto No.2

Dvorak For Violin and Orchestra

Schoenberg Chamber Symphony No. 2



Adesの曲は典型的に現代音楽だが、音色が微妙で打楽器と弦の調和がとても面白い。オーケストラメンバーは良くその音色を表現していた。リズム的にはもっと劇的な表情が可能だと思う(指揮の問題か)。

Bruchの曲はいかにも19世紀中葉のロマン派協奏曲。曲想はわかりやすく、それなりに美しい旋律もある。Zukkermanの演奏はいかにも手馴れた職人肌のもので、高音弦の音色の美しさは確かにすばらしい。多くの観客がStanding
ovationの拍手を送った。オケの音色は明瞭でリズムのメリハリもあるが、しかしこの曲はもっとドイツ的な素朴さないし田舎くささをもって演奏したほうがいい味が出るのではないかと感じる。が、まあこれがボストン交響楽団の(20世紀末の米国の)持ち味というものか。

Dvorakも同じ演奏家の組み合わせだが、こちらのほうが少し退屈した。

Schoenbergは20世紀初頭の、まだ無調性音楽に達する以前の作品で、室内交響曲といいながら規模は大きい。しかしこの曲の演奏からは、残念ながらウィーンの後期ロマン派の残響があまり感じ取られなかった。オケがすばらしい技量を持っていることと、それが表情に表れるということとは別なのだろう。いずれにしても演奏の難しい曲で、レベルの高さは評価する。

しかし、それをおいても、演奏を聞きながら、音楽を演奏して生きていけるというのはなんとすばらしいことなのだろうかと感じた。今度生まれ変われたら、音楽家になりたいものだと思う。こう感じることが彼らへの最大の賛歌でなくてなんだろうか?





 ★★ マーラー「交響曲第3番」

02/07/99 (TV)

クラウディオ・アバード、ウィーン・フィル

初めて聞いたが素晴らしい曲だ。女性ソロと合唱の組み合せもなんとバロック的なのだろう。演奏も充実して音色の多彩さが美しい。





  ★ Low 古典四重奏団+Nomad~s

99/02/08

古典四重奏団の演奏は初めて生で聞くが、確かに素晴らしい。川原さんのバイオリンの音色もつややかで伸びきっているし、みなのピッチが正確にあっていて快い。ベートーヴェンの14番は初めてこういう曲なのか、と感じたしだい。バルトークも良いがペルトが素晴らしい。



しかし、ダンスのほうはどうしてこうも素晴らしくないのだろう? この人達は舞台を作っているくせに、色彩というものを全然理解しようとしていない。また、楽士達をなぜあのような無機的でありふれたいすに座らせておくのだろう。古典四重奏団がすべて暗譜で演奏する団体だからあの舞台の構成員になれたのに、あのいすの無神経がぶち壊している。



古典音楽がバロックからリズムを取り去った残骸ならば、舞踏というものは舞踊からリズムを取り去った残骸なのだろうか。





 ★★ 音楽三昧

02/05/99

あいかわらず川原さんのバイオリンは音色が素晴らしい。気難しそうな楽器だが、見事な歌いぶりだった。鴨池さんのコントラバスもとても芸達者で良い。田崎君のビオラもいうまでもない。

ただ唯一、難をいうと、川原さんのバイオリンがリズムを楽しむというまでの余裕がなく、少し走りぎみだった。音程もその分少し不安定だったかもしれない。





 ★★ フランス近代合唱 コロス・プネウマ

01/09/99









1998年







  ★ 矢野顕子コンサート 矢野顕子

12/13/98

本人(ピアノ・電気ピアノ・シンセ)+ベース、ドラム、打楽器のバンド。

左手の低音の豊かな響き、スケールの美しさ、リズムの正確さは、やはりさすが。しかし矢野顕子は才能を無駄遣いしている。







  ★ 室内楽コンサート フェスティバル・ソロイスツ

11/30/98

竹沢(vn)、堤剛(vc)ほかの日本人アンサンブル。なんかクラシック演奏のダメさ加減を感じる。それぞれ音は美しいのに。

モーツァルトの弦楽5重奏はなぜオーボエにしたのかな。ドビュッシーの4重奏はなんだか新ウィーン楽派みたいにきこえるし。

ただし演奏の緊張感だけは評価しておこう。







 ★★ トリオソナタ・コンサート 聖グレゴリオ・アンサンブル


12/26/98

コレルリ「クリスマス・コンチェルト」(トリオソナタ版)ほか

東京中央教会にて

永井・山野辺・ヘンドリクス・樺沢







  ★ $1コンサート12月 崎山裕子

12/01/98

それほどインパクトのある演奏ではないけれど、なぜかのんびり聞く事ができた。リズムが一応安定しているせいだろうか。

三浦はつみとの連弾によるチャイコフスキーの「くるみ割り人形」は楽しめた。







  ★ モーツァルトのレクイエム ブリュッヘン

11/30/98

フランス・ブリュッヘン指揮、18世紀オーケストラ。

後期バロック様式でかかれたこの曲の細部をきちんととらえる演奏で、一応最後まで聞いてしまった。







 ★★ ブラームス・チクルス 俊友会オーケストラ

11/21/98

ブラームスの交響曲第4番・第1番。とくに1番は非常に良かった。アマチュアのオーケストラの良さが出ていて満足。







  ★ $1コンサート11月 今井奈緒子

11/11/98

なかなかうまい人ではある。シベリウスのフィンランディアは面白かったし、歌も美しく聞こえた。バッハの「三位一体のフーガ」はやはり酒井さんの名演をどうしても想い出してしまう。







    $1コンサート10月 新山恵理

10/06/98

いやはや。このヘンデルの「ラルゴ」はこれまで聞いた中でも最低のラルゴではある。







  ★ 椿姫 首都オペラ

09/20/98

福島の母にもらったチケットで牧野さんと見にいく。ヴェルディはさすがにプロだと思った。オーケストラはなかなか良い(神奈川フィル)。歌は所詮こんなものか。







 ★★ Irish Music Live (unknown)


08/05/98

DublinのTemple Barにあるパブ、Quay’sで見る。バンドの編成はバンジョー、ギター、ウッドベースという形。アメリカのブルーグラスのルーツはアイルランド音楽にあるということがよくわかる。







  ★ マドレデウス・コンサート マドレデウス

06/08/98

うーん、今の楽器編成では曲作りのせいもあって少々単調か。

CDはよかった。







  ★ 魔笛 モーツァルト

06/07/98

TVでみる。指揮はバレンボイム。ベルリン国立歌劇場。

オーケストラの音色は素晴らしく良い。歌は・・下手だ。







 ★★ マレー・ペライア独奏会 マレー・ペライア

05/31/98

NHK-TVでの放映でみる。曲目はバッハ、ヘンデル、メンデルスゾーン、ショパンなど。音の響きが美しい。インタビューが気さくな人柄をあらわしてとても面白かった。







  ★ ブラームス・チクルス 俊友会オーケストラ

05/17/98

ブラームスの交響曲第3番・第2番。







 ★★ 室内楽コンサート 佐々木秋子ほか

04/09/98

モーツァルトのバイオリンソナタ・シューマンのピアノトリオ・メンデルスゾーンのピアノトリオという演目で、さぞや退屈するだろうと思ったが楽しめた。特にシューマンの後半がよかった。

佐々木さんもずっとうまくなって安定した感じ。ビートの正確さやスケールの美しさが目立った。中低音の音色はもう一つ。チェロのカンタービレ、バイオリンの音色は良い







  ★ 北インド古典音楽 二宮玲子・ほか

01/10/98

辰野基康(シタール)、二橋潤一(タブラ)との共演

浜君の奥さんの知り合い。

横浜美術館でのコンサート。







1997年







  ★ Nail Live Nail

12/20/97

演奏の質は今一つだった。三人のリズム感が一致していない。

しかし曲にはいいものがある。

ベースが最後の2曲に入ると、突然忘れていたものを想い出したような気になる。なぜだ。