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2017年

★★★ ケセン語訳 新約聖書 【マタイによる福音書】 山浦玄嗣

2017/04/14

これは、岩手県大船渡市に居を構える医師・山浦玄嗣氏による、ケセン語訳新約聖書の第1巻である。「ケセン語」とは、山浦氏が住む東北・気仙地方の言葉を指す。いわゆる東北弁であり、普通なら気仙方言と呼ばれ、あるいは“ズーズー弁”などとしばしば蔑まれる自分たちの言葉を、氏はあえて標準日本語(明治以降に成立した)と対峙する一つの言語として宣言する。それだけではない。彼はケセン語の表記のための独特の変形仮名を創案し、1996年にケセン語文法書を上梓し、さらに2000年には「ケセン語大辞典」まで編んだ。

それもこれも、生涯の夢である「故郷の言葉ケセン語で聖書を作る」ための準備であった。そして2002年に、まずこの「マタイ福音書」が出版される。もっとも、これは日本語訳のタイトルであり、ケセン語の正式タイトルは「マッテァがたより」である。福音書という語は、もとのギリシャ語では、良い知らせという意味であり、だからケセン語にある語彙にこだわって、「たより」と訳した。マタイと普通呼ばれる著者の名前も、ケセン語の音韻規則に従って変形し、マッテァとなる(その後の「が」は所有格を示す)。

新約聖書の4福音書は、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの順に並べられているが、執筆年代は違う。短いマルコが一番古く、ついでマタイ、長いルカときて、独特なヨハネが最後である。ちなみにわたしは山浦氏のケセン語訳シリーズを、「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」と何年間かにわたって読み継いできて、とうとう最後に「マタイ」を読み終えた。氏はさらに震災の後の2011年秋に、日本語訳新約聖書四福音書「ガリラヤのイェシュー」を上梓している。これも非常にユニークな翻訳で、読み終えたらまた紹介したい。

本書のシリーズは、いずれも書籍とオーディオCDがセットの箱入りになっている。CDの中には、山浦氏が自分で朗読した音声が収録されているのだが、これが実に良い。自分で劇団を立ち上げたというだけあって、声もいいし、情感がこもっている。ケセン語訳は漢字かな交じりではあるが、読むには慣れが必要だ。だから、本を眺めながら、朗読を聞くというスタイルが一番いいだろう。そして、それでこそ、土地に密着した言葉の力が、直接、心に届くのである。心に訴えかけることこそ、こうした宗教書の一番大切な役割なのだから。

たとえば、有名なイエスの『山上の垂訓』冒頭は、ケセン語訳では、こうなる(ただしケセン仮名はネットで表示できないので普通の仮名で代用する):

「頼りなぐ、望みなぐ、心細い人ァ幸せだ。

 神様の懐に抱がさんのァその人達(ひだつ)だ。



 泣く人ァ幸せだ。

 その人達ァ慰めらィる。



 意気地(ずぐ)なしの甲斐性(けァしょ)なしァ幸せだ。

 その人達ァ神様の遺産(あとすぎ)ィ受げる。



 施しにあだづぎそごねで、腹ァ減って、咽ァ渇ァでる人ァ幸せだ。

 満腹(くっち)ぐなるまで食ァせらィる。



 情げ深(ぶげ)ァ人ァ幸せだ。

 その人達ァ情げ掛げらィる。



 心根(こごろね)の美(うづぐ)すい人ァ幸せだ。

 その人達ァ神様ァどごォ見申す。



 お取り仕切りの喜びに誘う人ァ幸せだ。

 その人達ァ神様の子だって語らィる。



 施すィ呉(け)ろ、呉ろって攻めらィる人ァ幸せだ。

 神様の懐に抱がさんのァその人達(ひだつ)だ。」(p.47-49)

もう25年以上も前のある時、山浦氏が教会でこの山上の垂訓のケセン語版を朗読披露した際、聞いていたサクノさんという老婦人が「いがったよ! おら、こうして長年教会さ通(あり)ってね、イエスさまのことばもさまざま聞き申してたどもね、今日ぐれァイエスさまの気持ちァわかったことァなかったよ!」と、目に涙を浮かべてよろこんでくれた、という。これが、ケセン語訳新約聖書を作りたい、という気持ちの原点になったそうだ。

ところで上の1行目は普通、「心の貧しい人は幸いだ。」と日本語に訳される。しかし、これではケセン語の話者にとって意味が分からない。「心の貧しい」は、想像力が乏しく気高い心が欠如している、思いやりのない人を指すからだ。山浦氏の巻末解説によると(p.238)、もとのギリシャ語は「プネウマにおいてプトーッソーしている人々」である。プネウマは息・魂で、プトーッソーは貧弱な・乏しいを意味する。そこであえて、『頼りなぐ、望みなぐ、心細い』と内容を訳すことにした、という。

これでは意訳しすぎだ、超訳だ、という批判は(方言の使用云々以前に)あるだろう。そんなことは山浦氏は承知している。そして意訳した箇所は必ず、巻末解説で理由と解釈を説明している。これが実に面白いのだ。彼独自の解釈、いわば『山浦神学』の面目躍如である。

そもそも、翻訳という行為は解釈そのものである。現代は機械翻訳が発達してきたため、かえってこの本質を見失っている人が多い。単に誠実に逐語訳的に単語を置き換えれば、それが中立客観的な翻訳になるはずだ、と信じている。だが、原語に対応する訳語が複数ある時、どの訳語を選ぶか決める時点で、すでに翻訳者の価値観や美学が入るのだ。

その一つの例が「」である。キリスト教は愛の宗教だ、とか、神は愛なり、といった言い方をするクリスチャンが多い。だが山浦氏が指摘しているように、もともと日本語の『愛』という字は、慈愛という言葉で分かるように、上位者から下位者に抱く感情を指す。ペットを愛玩し、蒐集物を愛蔵し、家臣を寵愛し、顧客が店を愛顧する。ギリシャ語の『アガペー』を明治時代の先賢が、愛という言葉で訳してしまったが故に、「人よ神を愛せ」という倒立が生じてしまった。

ところで昔のキリシタンは「お大切にする」という言い方をしたという。これはまことにアガペーの本質を見事に表した言葉である。「汝の敵をも愛せ」より、「憎い敵であっても、その人間を大切にしろ」という方がずっと伝わってくるし、また立派なことにも思える。そこでケセン語訳では「大事(でァず)にする」となっている。

似たような、しかしもっと違和感のあるキリスト教特有の言葉に、「(しゅ)」がある。「主なる神」といった風に使う。神は人間の主(あるじ)だ、というのはユダヤ教の旧約時代からの概念・感覚である。だが現代日本で「主」といって意味の分かる人が、どれだけいるだろうか。まして、イエスが布教に行った先の村で、はじめて出会った婦人が、(まだクリスチャンでもないのに)イエスに向かって「主よ」と呼びかけるのは明らかに奇妙ではないか。

この「主」は、スペイン語ならセニョール、ドイツ語ならヘールで、どちらも普通の男性への呼びかけだ。だからケセン語訳では「旦那(だな)様ァ」という呼びかけになる。この方がずっと、腑に落ちるではないか。

むろん、「こんな翻訳は冒涜行為だ」との批判をかなり受けただろうことは、容易に想像できる。その底流には、東北方言に対するいわれなき偏見も、しばしば沈潜していたに違いない。しかし誰も両親を選べないように、母語も選べないのだ。である以上、自分の言葉に誇りを持ちたい、心に響く言葉を使いたい、という感情も当然ではないか。それに、そもそもイエスだってガリラヤ出身で、なまっていたのだ。一番弟子のペトロが、イエスの審問の行われている大祭司邸に忍び込んだとき、「お前もあの男の仲間ではないか、その訛りで分かる」と言われたのが、何よりの証拠である。

本書の冒頭に、カトリック仙台司教区の溝部教区長が跋辞を寄せており、その中で、キリスト教の『土着化』のことが論じられている。これは初代教会の時代からの問題で、1998年のアジアの司教会議でも、“土着化されないといけない”という抽象的結論は出たものの、具体的にそれが何を指すのか誰にも分からず、試行錯誤が続いている、という。だが山浦氏の労作はそれを具体化しようと実践している。だから「日本司教協議会は本書を試行錯誤の過程にあるものと理解して、出版を励ましております」(p.3)と書かれている。

そういうわけで、わたしもこのケセン語訳のシリーズを非常に面白く読み、また大いに考えさせられた。キリスト教はヨーロッパで発達してから近代日本に再輸入されたため、どうもひどくバタ臭いところがある。それは一部の人には魅力になっただろうが、多くの人にはむしろ敬遠される理由になったのではないか。そういった違和感を超えるべくなされた努力には、敬服である。キリスト教というものに多少興味のある人だけでなく、言語とは何か、翻訳とはどういう行為か、を考えたい全ての人にお勧めできる良書である。そして、このような困難な書籍の印刷発刊を行い、じつに美しい装丁で提供してくれた版元のイー・ピックス社にも敬意を捧げたい。

(追記)

 なお本書セット(書籍とCDの箱入り)自体はすでに絶版状態だが、書籍はオンデマンド出版で、また音声はダウンロードで、それぞれ版元のイー・ピックス社から入手可能である。

 http://epix.co.jp/ylist/kesen1matai/

2016年

★★★ (書評)2016年のベスト3

このところ書評を書くペースが遅くなって、読み終えた本と書評を書いた本の差が広がるばかりです。そこで昨年読んだ中のベスト3を選んで、サッと紹介することにします(といいつつ、この書評すら1月中にはかけなかったのですが^^;)。

1.★★★ トマス・アクィナス 肯定の哲学 山本芳久 

2016/03/27

素晴らしい本だった。昨年一番の収穫だろう。

トマス・アクィナスは13世紀の人だ。彼の時代はイスラム世界経由で入ってきたギリシャ哲学の衝撃に、キリスト教が大揺れした時だった。しかし彼はアリストテレスの論理性に正面から向き合い、伝統的なキリスト教観を見直すことすらためらわずに、思考の地平を広げた。そして、入門書として未完の大著「神学大全」を残した。

本書はその中で、トマス・アクィナスの『感情論』を手掛かりに、世界の動的な構成を考える。トマスは、「キリストの愛とは何か」を考えるために、まず「人間の感情とは何か」、ついで「神に感情はあるか」を検討する。そして人間の感情を11種類の原型に分類し、それと善(倫理)との関係を問うていく。最終的には、『愛』がもっとも根源の感情であり、それを善の共鳴と応答という枠組みでとらえた上で、キリストの意志と感情との間に葛藤があったのかどうか、という問題に切り込んでいく訳だ。

わたしは、マネジメント論の研究がひと段落したら(といっても、いつかわからないが…)、「感情の研究」に取り組みたいと、ずっと思っていた。それは心理学とか脳科学とかからのアプローチになるだろうと想像していたが、思わぬところに切り口があって、驚きだった。

しかし、トマス・アクィナスという人の体系化思考って本当にすごい。かねてからトマスはわたしの敬愛する人だが、まことにシステムズ・アプローチの模範である。心底敬服した。

2.★★★ 教皇フランシスコ オースティン・アイヴァリー

2016/11/05

たまたまキリスト教関係の本が2冊並んだが、偶然だ。それにしてもこの本は、衝撃的だった。

2013年、教皇ベネディクト16世の突然の退位を受けて、急遽集まった枢機卿たちの中から、南米アルゼンチンのホルヘ・ベルゴリオが新しい教皇に選ばれる。イタリア系移民の子とはいえ、新大陸からカトリック教会の最高位が選ばれたのは史上初だ。彼は「フランシスコ」という聖人の名前を選ぶ。滞在したローマの小さなホテルに荷物を取りに行くとき、「チェックインしたときは、別の名前だった」という名台詞を残す。ブエノスアイレスでは賃貸アパートから地下鉄で司教邸に通い、ローマにいくときはエコノミーで飛んだ彼は、その清貧さと気さくな人柄で、すぐに大きな人気を得る。

しかし、彼はアルゼンチンでは「笑わない司教」で知られていた。彼が若くしてイエズス会の管区長の地位に就いたとき、かの国は軍政による独裁の下にあった。「汚れた戦争」と呼ばれる、一種の国内対テロ戦争によって、数万の市民が誘拐され拉致され、密かに殺害される時代が長く続いた。教会は、そうした国の体制に寄り添う伝統的な保守派と、「解法の神学」を信奉し民衆の中に入り込んで政治化した改革派とに引き裂かれつつあった。ベルゴリオはその中で、細い中立の道筋を、綱渡りのように歩まなければならなかった。

彼が教皇に就任したとき、初のイエズス会出身者ということに注目が集まり、とかくの噂を立てる者もあった。しかしこの本を読むと、彼は20年間にわたりイエズス会とは断絶状態にあり、教皇就任後にようやく和解したことも知った。それも解法の神学を奉じる左派の修道士の処遇に発した対立だった。この人は改革派の教皇とよばれることも多いし、この本の原題も「偉大な改革者」だが、しかしふるまいは非常に慎重で、ある意味、したたかである。そうでなければ自分の信念を推し進めることのできない、危険な環境にいたのだ。現代世界で最も注目されるリーダーの肖像として、また独裁社会でのサバイバルの教本として、とても面白い。

3.★★★ ジャングル・クルーズにうってつけの日 生井英考

2016/12/31

1975年4月、サイゴンが陥落してベトナム戦争は終結する。超大国アメリカが、はじめて東南アジアの小国に戦争で負けたのだ。本書はアメリカ文化を通して見た、このベトナム戦争のイメージについての本である。それは高揚から鼓舞、緊張、不安、焦燥そして困惑へとたどる道のりだった。著者は60年代初めから80年代に至るまで、本・写真・映画・ラジオ・音楽など、あらゆる文化の局面を丹念にたどって、アメリカ社会の中でのベトナム戦争のイメージをたどっていく。学者らしい丹念な調査と、とても魅力的な編集能力と文体の組み合わせが、本書の面白さをきわだたせている。

それにしても、何と奇妙な戦争だったのだろう。第1章のタイトル「戦争は9時から5時まで」に象徴されるように、米兵は夜になると戦闘をやめ、土日も週休二日で戦闘をやめ、祝日もあれば休暇もある、そういう「仕事」だった。その上、大義も目的もよく分からない、『名誉なき戦争』。危険を何とかしのいで2年間の兵役を勤め上げ、故郷に帰れば、「危険な帰還兵」扱いされる。まことに不条理である。

いまにして思えば、1975年の南ベトナム大統領府の陥落は、すなわちアメリカの国力がピークを過ぎて下り坂にさしかかったことを意味していたと気づく。その後のアメリカは好況と不況のサイクルを繰り返しつつ、次第に産業自体が空洞化していく。そして、その気分の中には奇妙な空虚が忍び込んでくる。それが、「敗戦」の経験と意味に、正面から向き合わなかった社会の運命なのだ。著者は決して、こうした病状を断罪しようとしたりしないし、勝った方が正義で負けた方が野蛮だという「戦勝史観」でものを見たりもしない。そこには、アメリカの大衆への細やかな愛着と、アメリカ社会の欺瞞に対するやりきれなさが、通奏低音のように響いているだけだ。60-80年代の米国文化に興味のある人に、強くお勧めする。

 ★★ アルベマス フィリップ・K・ディック

2016/07/09

カリフォルニア州バークレイの街の住民ニコラス・ブレイディは、やや気むずかしい妻と小さな息子、それに猫と一緒につつましく暮らしていた。市内の大学にも通ったのだが中退し、レコード店の店員として平凡に過ごす彼の日常は、ある日、奇妙な神秘体験とともに激変することになった。啓示のように下った指示に従い、彼は住み慣れたバークレイの街を離れ、南カリフォルニアのオレンジ郡にうつって「プログレッシブ・レコード」社に上級職を得たばかりか、6歳の息子に先天的疾患があることを見抜いて治療を受けさせる。こうした一連の神のような啓示を与える主体を、ニコラスは「巨大にして能動的な生ける情報システム」Vast
Active Live Intelligence System = VALISと名付け、人工衛星を中継した星からの通信であると信じるに至る。(「情報」はInformationではなく、Intelligenceである点に注意)

その頃、南カリフォルニア出身の上院議員フレマントは、政敵たちを巧みに葬り去り、反共主義をバックにして、大統領の座に上りつめる。トップの地位に就いた彼は、「アラムチェック」という地下組織がアメリカ国家をおびやかす重大な脅威になっていると宣言する。そして、右翼の青年グループを組織して、「アメリカの友」FAPという、武装して制服を身につけた若者たちの集団を作り上げる。彼らは警察の別働隊として、警察の黙認のもと、疑わしい人物を召喚尋問したり襲撃したりするようになる。

ニコラスもある日、FAPのメンバーにオフィスを訪問され、プログレッシブ・レコード社を訪れる反体制傾向のある歌手志望者を密告するよう要請される。だが、彼らの口ぶりから、真の狙いがVALISの把握と破壊にあると察知したニコラスは、友人の作家フィルに相談する。しかしフィルもまた、麻薬常習者の疑いをかけられ、FAPによる尋問や秘密の家宅捜査をうけているところだった。彼は麻薬は一切手を出していないのだが、仲間のハーラン・エリスンが序文で不用意にも彼の作品を、「マリファナの影響下で書かれた小説」などと紹介したために、FAPのブラックリストに載ってしまったのだった。その彼はまさにSF小説を一本、書き上げたところであった。ソヴィエトの強制労働収容所をモデルに、アメリカが警察国家になってしまう話だ。題名は『流れよ我が涙、と警官は言った』だった・・

本書は、フィリップ・K・ディックの遺作となった『ヴァリス』に先立ち、その数年前に書かれた姉妹作品である。同じテーマ・同じ登場人物名を持つけれど、生前は発表されなかった曰く付きの作品だ。彼がなぜこの小説をお蔵入りにしたのかは分からない。たしかに第二部の最初の部分はややだれるし、ディックお得意の現実崩壊感覚には乏しいが、後半のサスペンスの盛り上がりと緊迫感は、さすがストーリーテラーである。ディックの小説を読むのは本当に久しぶりだけれど、なかなか面白かった。

この小説は、(視点は一般市民の側から書かれているが)「独裁国家の作り方マニュアル」という点でも一級品だろう。フレマントは動乱の’60年代を生き延び、ケネディ大統領や弟ロバートの暗殺の後の政治的空白をついて、選挙で合法的に大統領の地位に就く。同時に、仮想的な地下組織という国家の的を設定する。そして武装した若者による親衛隊的組織を作り上げ、警察や諜報部門からの情報を与えて、反体制活動家たちを襲撃・無力化していく。

彼らは教育・メディア・宗教・司法を影響下におき、さらに国民の間に相互監視と密告のためのシステムを作り上げて、国民がお互いに対して疑心暗鬼になり、団結できないような社会的素地を生んでいく。これは皆、20世紀のファシスト党やポルトガルのサラザール政権が、巧みに実践したことだ。その時代、もはや企業も役所も、支配するのは名義上の経営者や署長ではなく、党であった。ここまで行けば、あとは党内反対派の粛正、そして非服従民族の強制移住による絶滅策に進むだけで、これはナチス党やスターリンの共産党が邁進した政策だ。文化やイデオロギーの違いにかかわらず、独裁国家のやることが似ている点が、不気味である。

ディックが晩年抱いた「ヴァリス」VALISというイマジネーションは、こうした恐怖社会を中和し解体するための「神の助言」システムであるらしい。本書のニコラスの生い立ちや、神秘体験で息子の疾病を予言したことなどは、じつはディック自身の体験である。それをきっかけに、彼は初期キリスト教、とくにグノーシス主義(極端な禁欲主義と二元論を奉じる一派で、後に異端と断じられた)のシンパになっていく。本書にも「魚のシンボルをつけてギリシャ語を話す若い女性」など、随所にその影響を感じることができる。だから本書でも後半、ニコラスと友人フィルは、VALISからフレマント大統領の意外な正体について、啓示を得ることになる。

結局、ディックはこの小説を下敷きにしながら、ほぼ同じ登場人物とプロットで、あの哲学的で難解な『ヴァリス』を創作する。それはまあ、本書の変奏だといえよう。だが彼は続いて、遺作となった『聖なる侵入』を書く。これは邪悪な社会システムに支配される地球に、再度、神性が侵入し救済しようとするストーリーだ。わたしが今のところディックで一番好きな作品だが、ある意味SFとしては、本書の真の意味での「転生」だといえるだろう。

本書はサンリオSF文庫の最後の一冊でもあった。奥付を見ると、87年刊行となっている。この後、サンリオSF文庫はすべて絶版となった。わたしが買ったのがいつだったかは覚えていないが、買ってからたぶん20年以上、積ん読状態だったと思う。本はワインのように熟成する訳ではない。だが、読む時機を得ると、ある種の小説は迫真性を増すのだと、あえて付け加えておこう。




 ★★ アプリ開発チームのためのプロジェクトマネジメント 稲山文孝

2016/02/03

なかなか面白い本である。著者の稲山文孝氏は大手SIerの(株)エクサで、プロジェクト監査・推進部門におられるベテランで、わたしが主査を務める「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」にもしばしば顔を出される。PM手法の展開と普及に熱心な方で、だからIT業界向けに本書を執筆されたのだろう。

世の書店にはPM関係書はすでにかなり充棟しており、拙著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」もその末席につらなっている訳だ。だが、その多くは米国発「グローバル標準」であるPMBOK Guideの解説を中心にしている。

一方、PM本の主要な読者層はIT業界人であり、PM関連団体・学会のイベントなどに行ってもたいてい参加者の8割方はIT業界だ。だが、日本のIT業界人、とくにSIerの求めるものと、米国PMBOK
Guideが与える記述との間にはギャップがありすぎて、正直戸惑っている人も少なくないと思う。本書は、そのギャップを埋めようとする数少ない本の一つだろう。

本書はストーリー的な構成になっている。元々、プロジェクト・マネジメントはフェーズが進むごとに違う道具立てが必要なので、小説的な構成に向く。おまけに、図表だけでなくイラストが多い。イラストは、かわいいキャラ(全員女性)である。ちょっとラノベ風テイストともいえる。こういう本は、わたしにはとてもかけない。すごいなあ。

登場人物は4人。主人公は「ボク」こと、新入社員のシンコちゃんである。彼女を含むプロジェクト・チームは3人(他にインフラ関係のチームがパートタイムで支援することになっているが、本には登場しない)。まず、プロマネのレダさん。レダといえばギリシャ神話に登場する美女なので、後で双子の卵でも産むのか、と思ったのだがそうでもない(笑)。どうやら「リーダー」なのでレダさんという名前らしい。

もう一人は技術リーダのアキさんで、こちらの名前はアーキテクトだからアキさんなのだろう。ということは、主人公は新人の子だからシンコなのかな(登場人物の名前というのは、意外と書き手にとって悩ましいものなのである)。そして4人目は、プロジェクトを後見人ふうに見守る、優しい「先生」。先生というのは、社内研修の講師やレビューアーを務めるからで、まあPMOのメンバーとも思われる。

取り組むプロジェクトの設定は、流通業向けWeb開発である。それも、ウォーターフォールではなくアジャイル風だ。ソフト開発だけで、ハード構築は入らない(らしい)。契約形態は準委任。期間は6ヶ月間で、2ヶ月単位のイテレーションを3回、まわす計画である。

本書の解説の最大の長所は、プロジェクトを回していくために必要な知識を、4つの知識層に区分していることだ。4つとは以下の通りである(p.107):


  • (1) マインドセット層

    • 運営ルール、朝会、対人関係能力、概念化能力など

  • (2) ツール&テクニック層

    • チケットシステム、カンバン、構成管理ツール、開発環境
    • テスト実行ツール、エビデンス整理ツールなど

  • (3) システム開発手法層

    • ウォーターフォール/反復/(アジャイル)スクラム/XP

  • (4) プロジェクトマネジメント管理層

    • プロジェクト計画書、各種管理要領
    • PMBOK/PRINE2/P2M

ちなみに、わたしがこのサイトで使ってきた区分では、プロマネの仕事の領域は下記のようになる:

A 「固有技術」の領域

– これは、ソフト開発では、ソフトウェア工学に相当する。プラント分野では化学工学とか機械工学、建設プロジェクトなら建築学や土木工学など。

B 「管理技術」の領域

(管理技術は、さらに二種類に区分できる)

– ハード・スキルとしての「マネジメント・テクノロジー」(WBS, CPM, EVMSなど)

– ソフト・スキルとしての「OS」層 (計画重視、言葉を大切に、契約責任制など)

両者の対応関係を整理してみると図のようになる。用語や概念は異なるが、マッピング可能になっている。

従来のIT分野のPM論の問題は、この4つの層がごっちゃに議論されがちだったことにあったのではないか。つまりアジャイルかウォーターフォールか、チケットシステムやカンバンは有効か、朝会は是か非か、プロジェクト計画書づくりに意味はあるのか、等々。これらは(互いに関係はあるが)別のレイヤーに属することだ。とくに、開発方法論はソフトウェア工学に直結している。

そして、どの開発方法をとるかによって、プロマネが重視すべきPM技法の組み合わせが変わってくる。だが、だからといって、プロジェクト・マネジメントが独立した技術領域をもっていることにかわりはない。

逆にPMBOK Guideの様な標準書は、汎用性を重んじるため、固有技術の領域には立ち入らない。しかし、それはプロジェクトマネジメント計画書が固有技術にふれなくてもいい、という意味ではない。逆である。プロジェクトの基本的な手順は、どのような固有技術を適用するかに依存している。橋の建設プロジェクトは、橋梁の工法に依存している。当たり前の話だ。固有技術と管理技術は車の両輪なのである。

ところで、本書のサブタイトルは「チーム駆動開発」である。最初わたしは、「計画駆動開発」への反語なのかと思った。だが著者によると、従来型の「指示と統制」による開発プロジェクトと対比したい、という意図だとのことである。つまり、オーケストラ型ではなくジャズバンド型を目指そう、とのメッセージが込められているのだろう。

もっとも、これはチームの人数にもよると思う。チームがたった3人なら、PMの目がすみずみまで届くし、互いに意見も言いやすい。しかしこれが300人だと、PM一人では見切れない。その結果、中間管理層が増えて、上意下達的になりがちだ。PMBOKはどうしても米国のトップダウン文化を反映して上意下達的だが、規模の大小を無視して、同じプロジェクト・マネジメント手法を使ってはいけないと、わたしは考えている。

本書では、プロジェクトチームの目標と、メンバー個人ごとの目標を立てているのもとても良い。ちなみにシンコちゃんの目標は、「自立した一人前のエンジニアになること」だ。そして、半年後には『高い目標だった』と肯定的にふりかえっているところを見ると、随分と潜在能力の高い新人なのだろう(笑)。

この種の本を書いた者の立場から見て、ストーリー作者が迷ましいのは、「どこまでプロジェクトにトラブルを起こすべきか」である。トラブルは読者を引きつけるサスペンス要素の源だ。プロジェクトがあまり平坦だと、読者はあきてしまう。しかし、問題が大きすぎると、解決方法がウルトラC的になり、リアリティが減ってしまう。おまけに書き手には、自分の登場人物は、あまりひどい目には遭わせたくない、という心理が働く(プロの作家は別かもしれないが)。難しい点である。本書ではプロジェクトは「ある意味異常な」くらい(p.211)うまく進んでいく。ここは著者の優しさなのかもしれない。

本書は文中で引用されている参考図書が多く、非常に幅広い点にも感服した。たとえば、「学習スタイルには、分析型、行動型、そして観察型の三つのタイプがある」という、Marcus
Backinghamによる説(p.138-139)。これによると、

– 分析型は事前の学習時間を十分とる

– 行動型は早く未経験の環境に置く

– 観察型は手本になるベテランの傍らで仕事を俯瞰的に見ながら模倣させる

が適切らしい。

また、ふりかえりを、プロジェクト慎重中の要所要所でも、また完了時にも行っている点もすばらしい。これは受注型ビジネスではおろそかにされがちだからである。とくに、「ふりかえりはプロジェクトの物事に対して行い、人に対してはしない」(p.213)という注意点も的確だ。ふりかえりには、KPT(ケプト)というチャートで表現する方法を書いている。KPTとは、Keep.
Problem, Tryの頭文字で、この三つに分類してまとめるのである。

なお、本書ではアジャイル風開発のプロセスと、それに特有なマネジメント手法を学ぶことができると期待したが、それほどは感じられなかった。

最後に、本書を読んで感じた疑問点を、二つだけあげておきたい。

第一の点は、「プロジェクトマネジメント管理」という用語である。マネジメントと管理では、言葉が重なっていないだろうか? なんだか個人的にはしっくりこない点であった。

二番目の疑問は、準委任契約なのに、PMのレダさんはなぜ一括請負風のコスト管理やスケジュール管理をしているのか? であった。準委任契約とは、レストランで、コースはでなくアラカルトで食べるようなものだ。総コストが予算内に入るかどうかは、発注側が責任を持つのが原則ではないか。

この点について著者にたずねたところ、

「アジャイル開発ではプロジェクトの中で開発テーマを決めて、ワークロード内で優先順位の高い機能を実装します。このとき、テーマは予算内で収まるように委託元と委託先で合意しながら選択していくので、(発注側と受注側の)双方でコスト管理をしていると言えます」

とのことであった。

ともあれ、IT分野でのプロジェクト・マネジメント入門書としては、とても親切で分かりやすい本だと思う。初学者のSEの皆さんにおすすめしたい。

2015年

2014年

★★★ 我が国文化と品質 圓川隆夫

2014/11/10

薄くて小さな本だけれど、驚くほど内容がつまっている。著者は東工大教授で、日本の経営工学会の重鎮だ。専門は生産管理、品質管理、そしてSCM。長年の卓越した功績で、2013年には紫綬褒章を受章されている。

本書は日本規格協会からでているJSQC選書の一冊である。この選書では、以前、飯塚悦功「Q‐Japan―よみがえれ、品質立国日本
(JSQC選書)
」を読み、そちらも非常に面白かった記憶がある。品質管理というと、どうしても工場の生産ラインにおける品質測定とか統計的管理ばかりを思い出しがちだし、また他方、ISO9000のQMSという文書手続き主義が連想されるケースも多いと思う。しかし現代の品質管理学は、むしろ設計段階における『前向き品質』をどう確保するか、という方向にむかっている。そこでキーになる概念は、"品質とは顧客の期待を満たす程度である"という、顧客基準の品質の考え方だ。

著者は長年、企業の顧客満足度(Customer
Satisfaction = CSと略す)の調査を行ってきた。世界の国別の「国際競争力ランキング」を、スイス国際経営研究所(IMD)が毎年発表しているが、日本は「CS重視の経営」の項目ではつねにトップにランクされており、日本企業の強みとなっている(p34)。ところで、顧客満足度CSについてはマーケティング理論でいろいろなことを言われているが、その一つに「CS向上は再購買や売上増に結びつかない」という主張がある。

しかし著者は長年の継続調査を通して、企業製品のCS度は、景気の良さに逆比例する、という法則性を発見した。景気が良くなると、人々の期待度合いが上がり、相対的に同じ製品でもCSが下がってしまうのである。グラフを見ると、バブル期にはてきめん、CSが下がる。そこで、CS測定での経済変動バイアス指標は、株価で補正するのが一番簡便で良い、という。そして、こうやって補正したCS値をつかうと、CSは明らかに企業の売上・利益と相関する(p96)し、再購買や売上増に結びつかない、という論調も株価補正すると否定される(p97)。やはり、顧客の期待に応えること、いいかえると、「品質の高い製品づくりは、企業の業績を向上させる」ことが、科学的・客観的に明らかになったのである。これこそ、工学研究の威力であろう。

ちなみにCS調査は、個別の製品や企業単位だけでなく、国家レベルの測定の試みもある(p99)。1989年にスウェーデンではじまったもので、企業に対するCSを測定し、それを業界単位で集計し、最後に国レベルの平均値をもとめるものだ。現在では米国・欧州・アジアに広まっているが、残念ながら品質管理の本家だったはずの日本には、公的機関による取り組みがない。著者の研究室では独自調査を元に、「日本の顧客満足度」を集計し、他国と比較している。そこからわかったことは、CSの国際比較で我が国は著しく低い、という事実だ(p102)。米国や北欧諸国は国レベルのCSが高いが、日本の消費者は、質に対して厳しいのである。

話はさらに広がる。国レベルでの顧客満足度のみならず、じつは、「生活満足度」あるいは「幸福感」も、世界的な統一基準で定期的に測定され、多くの研究がなされている(p107)。そして日本は、幸福感においても、世界の中でかなり低い方だ。

面白いことに、豊かな国の方が幸せか、というとそうでもない。年間所得が15,000ドルを超えると幸福感と所得に相関がなくなるのだ(p108)。日本の幸福感はGDPが10倍になっても一定に推移しているおり、CSはバブル時代に下がったが、幸福感はかわっていない(p112)。なお、中南米諸国の幸福感は一様に高く、旧共産圏は一様に低い、という(p110)。

さて、著者はホフステードによる文化の国際比較研究に着目する。ホフステードは’70年代にIBMの全世界の従業員を対象とした調査から、国別の文化の特性を数値的に抽出する研究分野を創設した人で、彼の主著「多文化世界
— 違いを学び未来への道を探る 原書第3版
」は、グローバルに活躍したいと思うビジネスマンの必読書だ、と著者は言う。(ホフステードの国際文化比較は入山章栄「世界の経営学者はいま何を考えているのか」でも取り上げていた)

ホフステードは文化を測定する要因として、「権力格差」「個人主義」「男らしさ」そして「不確実性回避」の4つの傾向をあげる。ところで、上記の「幸福感」をホフステードの文化要因で相関分析をかけると、説明因子として「不確実性回避」だけが残り、負の相関を持つことを著者は見いだす(p110)。不確実性を避ける傾向が強い文化ほど、幸福感が低いというのだ。

不確実性回避のスコアが高いのは、ギリシャ、ポルトガル、そして日本である(p50)。この3カ国に共通するのは何か? 驚いたことに、財政破綻である(^^;)。その因果関係は不明だが。なお、ドイツなども西欧諸国の中では比較的、不確実性回避傾向が高い。不確実性回避が弱いほど、自己肯定文化である(p129)が、日本人はいつも一種の自己否定的(self-criticism)であるというのもうなずける話だ(p60)。日本は世界最高の長寿なのに、世界の生命保険の約2割を買っているのである。

ところで、日本人があいまいさに不寛容だ、といっても、その対象は物(キズ)や時間(遅配)などに対して、である。思想や概念に対しては、逆に淡白である(p59)と著者は指摘する。これは非常に鋭い指摘だと思う。目に見えるものに対してはシビアだが、目に見えにくい、抽象的なものには関心がない。日本人の強みは「あいまいな状況でも先に進める」(飯塚悦功東大教授)という説もあるくらいだ。

概念・思想があいまいでも前に進める、ということが、「マネジメント不在でも現場が何とか出来る」企業文化を生んでいる(p134)。これが現代日本の抱えている大きな問題なのだ、というのが著者の主張である。その証拠に、前述したIMD国際競争力ランキングで、日本の弱みとしてあげられているのは、つねに「トップマネジメントの効率性」(p34)なのだ。

さて、我が国のよって立つところはものづくりにある、と著者は考える。それをもたない香港やシンガポールとは、国の戦略を全くことにするはずである(p117)。しかし、「競争優位戦略」で有名な経営学者ポーターも指摘するように、日本での失敗産業はほとんどが政府主導の形で進められた。その代表例が

・政府による共同事業化(航空機)

・合法カルテル(化学)

・免許による海外参入規制(銀行)

・補助金(ソフトウェア)

・輸入制限(チョコレート)

などだ(p76)。政府に頼って産業育成、という方程式は今やもう、役に立たないのだ(政府は「武器輸出」で同じことをまた、やろうとしているようだが)。

では、どうするべきなのか。

企業経営理論はそれが考案された国で有効なだけで、超優良企業への道は一つではない(p46)と著者は言う。そこから著者は、得意分野であるSCMの分析に話をつなげていく。著者はSCMロジスティクススコアカード(LSC)を考案し、これを武器に、企業のSCM性能と財務データの関係を測定した。その結果、SCM組織力が高いほどROAは高くなることが明らかになった(p126)。

しかし、強い「不確実性回避」の傾向が、企業のSCM組織力を低くしている(p129)。そして、驚いたことに、SCM組織力の低い状況では、IT活用度が高まると、逆にROAは下がってしまうことが分かった(p127)。この事実は非常に衝撃的である。ふつうは、IT投資を活発にすれば、企業業績向上につながる、とコンサルタントは口をそろえるのだが、SCM組織力が低い企業では、逆の結果になってしまう、というのだ。他方、著者の調査では、海外ではICTの活用がSCMの経営戦略とリンクしたものになっている(p130)。

したがって、日本企業のチャレンジすべき大きな課題は、SCM能力の向上だという結論になる。ちなみに、同一企業内で調査しても、SCM組織力の自己評価は、現場に近い人ほど低く、トップマネジメントほど高い。つまり、認識にギャップがあるのである(p131)。そして、認識ギャップが小さいほど組織成熟度は高くなることを、右下がりの非常にきれいな相関グラフとしてデータで示している(p136)。

顧客の期待を考え、顧客満足度を高めることを目指すこと。そのために、SCM能力を高め、サプライチェーンの見える化を進めること。そして何より、トップと現場の、自社の能力に関する認識ギャップをなくすこと。それを推進できる人材を育成すること。こうした地道な一歩一歩の努力により、日本らしい特性を生かしたものづくりのアイデンティティを復活できる--これが著者の示す処方箋である。

目に見える物事には極度の精緻さを要求する。しかし目に見えぬ概念やシステムには無頓着である。この現代日本の傾向が、過剰品質でありながら、顧客の期待に合致するという意味での根本的な質を欠いた製品群を生み出している。高品質なのに低品質である。この矛盾にわたし達は早く気づくべきなのだ。

顧客満足度と業績の関係などは、言葉のレベルならばどんな議論も可能だ。だが数値的な根拠を示しながら思考を進めていけるのは、まさに経営工学という学問の威力である。本書は4年前の発刊だが、その後もブランドバリューなどに関して、従来の常識をくつがえす発見を続けられていることを、最近著者から伺った。次の本が楽しみである。もちろん本書も、非常に面白い。強く推薦する。

 ★★ 世界一やさしい問題解決の授業 渡辺健介

2014/07/15

問題解決って、何だろう?

問題だったら、誰にとっても、あふれるほど身の回りにある。やってる仕事がうまく進まない。そもそも作業自体がつまらない。人も予算も足りないし、顧客はバカで無理難題ばかりいうし、上司は無責任で同僚後輩は無能で業者は頼りないし、官庁は現場を知らずに勝手な要望を言うし、家に帰れば配偶者は仏頂面で娘息子は口もきかない、といった具合だ。問題とは学校卒業以来、長年のつきあいである。いや、学校にいたときだって、入学試験から期末テストまで、問題とにらめっこの日々だったではないか。だとしたら、晴れて小学1年生で入学して以来、ずっと問題とつきあいつづけている訳だ。

ただし、学校のテストで出る問題には、一応、正解がある。やっかいなことに、現実で向き合う問題には、正解があるんだかないんだか、よく分からぬ。いや、その前に、出題者という者がいない。「出題者の意図を推し量って・・」が学校での問題への取り組み方だった。それにテストの多くは、知識を問う問題だったが、現実では知識を持っていてもすぐ使えなかったり、役に立たなかったり、足手まといだったりさえする。

そんな現実の問題の解決方法を、小中学生にも分かるくらいやさしく教えてくれる、というのがこの本である。著者の渡辺健介氏は、中学2年生からアメリカで教育を受け、1999年にイェール大学を卒業、マッキンゼー東京支社に入社。さらに2003年にはハーバード・ビジネススクールに留学し、2005年にマッキンゼー・ニューヨークオフィスに移籍。2007年に本書を刊行後、独立して、現在デルタスタジオ代表取締役、というピカピカの経歴だ。

著者は22歳のときにマッキンゼーで「問題解決能力」(Problem
Solving Skill)の体系的なトレーニングを受け、「これが『考える』ということなのか! なぜこれをもっと早く教えてくれなかったんだろう」と強く思ったという。国際人として必要な資質は、語学より、むしろこのような思考の総合力??問題を解決する方法を考え抜き、実際に行動に移す姿勢にある、と信じ、それを子ども達に広めようと、本書を書き、自分の会社デルタスタジオを設立した、ということらしい。

実際、本書は全頁カラー多色刷りで本文はわずか100頁ちょっと、マツモトナオコさんの面白かわいいイラスト入りで、子どもでも手に取りやすい体裁にできている。しかし、買ったのはむしろ大人のビジネスパーソンだったようで、発売後3週間で10万部を売るベストセラーとなる。ビジネス書のランキングで堂々一位、たぶん累計で30-40万部は出ているらしい。

では、実際に紹介されている問題解決の手法とはどのようなものなのか。本書ではイントロ部分のあと、具体的に二つの問題が取り上げられている。一つ目は、「中学生バンド『キノコLovers』を救え!」というストーリー、二番目は、CGアニメ監督を夢見るタローくんが、たりないお小遣いでパソコンを手に入れるまでの話である。

中学生バンド『キノコLovers』の直面している問題は、どうしたらもっとお客さんに聴きに来てもらえるか、というテーマだ。ここで原因分析のために「分類の木」(ロジックツリー)というツールが、まず導入される。潜在的な聴衆(学校の生徒先生あわせて500人)を、グループ別に分類する。これをさらに「はい、いいえの木」の形に整理し直す。そして、「お客が少ない」問題の原因として3つの仮説を立てて、「課題分析シート」を使って、調査の上で仮説を検証する。

その結果、有力な仮説が見えてくるわけだが、次にはその障害を破るためのアクションを考える。ここでも打ち手について「分類の木」を活用しリストアップしていく。さらに、実行のしやすさを横軸に、効果を縦軸にした「可能性と効果のマトリックス」をつかって、打ち手の優先順位をつけていく。そして「ガントチャート」の実行プランをつくる、という手順である。

二番目のタローくんのケースでは、まず目標設定について、

 ×「パソコンがほしい」「パソコンを買う」

 ○「どうすれば、半年以内に、60000円のさくら社製の中古パソコンを、人にお金を借りずに、お金を貯めて買うことができるか」

という風に具体化することからはじめる(つまり、SMART
= Specific, Measurable, Achievable, Related, Time-boundである。ただし著者はこの言葉を書いていないが)。そして「仮説の木」やギャップチャート、前述のマトリックスなどを使い、最終的にはアクションのガントチャートに落とし込んでいく。さらに著者は、多数の選択肢の評価に使う「Pros-Cons
List」や「評価軸×評価リスト」などにもふれている。

ただし、こうしたツールやテクニックだけを知っていても、それだけで問題解決能力が身につくわけではない。銃刀類をいくらコレクションしても、それで戦士になれる訳ではないのと同じだ。問題解決には順番がある。それは目次にあるとおり、

(1) 原因を見極める

 - 原因としてあり得るものを洗い出す

 - 原因の仮説を立てる

 - どんな分析をするか考え、情報を集める

 - 分析する

(2) 打ち手を考える

 - 打ち手のアイディアを幅広く洗い出す

 - 最適な打ち手を選択する

 - 実行プランを作成する

といった手順だ。どんなときに、どのツールを使うべきなのか。適切なタイミングが大事なのだ。

しかし、それ以上に大事なのは、問題解決に向かう姿勢そのものである。たとえ未経験で難しく思える問題にでもチャレンジし、やりとげようとする姿勢、そしてできると考える楽観的な自信の持ち方。わたしの最近の言い方でいえば、つまりチャレンジの『OS』である。著者は、「考え抜く技術」・「行動をする癖」という表現をつかい、これを身につけた子どもを『問題解決キッズ』と名付ける。問題解決キッズは、周囲によくいる、

・最初からあきらめる「どうせどうせ」子ちゃん、

・自分では行動しない「評論家」くん、

・行動するが結果から学ばない「気合いでゴー」くん

たちとは違う、という訳である。

そして、問題解決キッズを日本社会に育てるべく、著者はマッキンゼーのキャリアを捨てて、自分の「デルタスタジオ」(http://www.whatisyourdelta.com)を設立する。しかし、やめた直後はけっこう苦難の道だったらしい。たまたまその時期のことが、日本財団会長の笹川陽平氏のブログに書いてある(http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/972)が、「あと6カ月間マキンゼーに勤務すれば、ハーバード留学の奨学金の返還は必要ないそうだが、お世話になった会社への奨学金の返済と子供達に教える場所の借り入れで、貯金はなくなり、100円ハンバーガーをかじりながら板の間に寝ている生活」で、笹川氏の息子さんに布団をもらいうけたという。そんな時代を乗り越え、現在、著者は子ども達だけでなく社会人にも、問題解決のトレーニングを提供している。

ただし、本書で取り上げられている問題2例は、じつは「マーケティングと顧客獲得」「財務戦略」の事例であって、いかにも外資系経営コンサルタントが得意としそうな問題分野である。だからこそ、マッキンゼーの解決技法のフィット率が高いのだ。著者のキャリアを考えれば当然の話だが、世の中にあまた存在する問題の中で、経営コンサルが得意なものとそうでないものがあることを、読者は頭の中で区別して読み進める必要があるだろう。

それともう一点。そもそも、ここで著者が取り上げているロジカルシンキング的な解決の方法論が、本質的に向かない種類の問題もある。それは、リアルタイム性を要求される問題だ。たとえば風雨の中で船の進路を決める問題は、おちついて仮説を立てて分析している暇なんかない。ある程度「考える時間」のとれる、時定数のゆっくりした問題向きなのだ。

不得意な種類は、まだある。たとえば、美しい音楽を作曲するだとか、いいデザインをするには、といった問題も、仮説検証の方法では解けない。あるいは、難しい数学の問題だ。本書には数学の成績を上げるにはどうしたら良いか、という例題がのっている。しかし、特定の数学の問題を解くには、ロジカル・シンキングの方法は、あまり役に立たない。

数学問題の解決方法がロジカル・シンキングでない、などといったら、ムキになって反論してくる人もいるかもしれない。たしかに数学の9割9分はロジックだ。だが、正解があるかどうかも分からない、証明できる保証もないような数学問題を解く際の最初の着想は、ある種、非論理的な着想やひらめきだったりする。その証拠に数学の世界には、まだ証明できずにいる「予想」というものが結構あって、役に立っているではないか。

つまり、著者が紹介するマッキンゼー流の問題解決技法は、決して万能ではない、ということだ。じつはこの種の技法が得意とするのは、わたしが「パフォーマンス問題」と呼ぶ種類のものである。パフォーマンス問題とは、個人や、集団のアウトプットを、なんらかのモノサシで測ったときに、現れるたぐいの問題である。個人なら成績とか、バンドなら客数とか、企業なら財務数値とか、そういった問題だ。それを、きちんと論理立てて仮説検証で分析し、原因を明らかにした上で、対策を立案評価して具現化する??そうした性格の問題には、とても役立つだろう。

しかし、数値化しにくい問題、たとえば恋人の機嫌が良くないとか、仕事が面白くない、といった問題は取り組みにくい。もちろん、恋人の機嫌を無理やり「数値化」することは可能かもしれない。そしてSMART的な目標値を設定すれば・・だが、そんな論理的だが野暮なことをしている間に、相手はもっと機嫌を悪くして、去って行ってしまうだろう。こうした美学や洞察のかかわる問題、そしてリアルタイム性の高い問題には、ロジック以外に、直感とか「身体知」とでも呼ぶべき、別種の能力の発揮が必要となるのである。

こまったことに、ロジカルな問題解決技法は、それ自体がきちんと体系化されていて、とても「頭が良く」見える。カッコいいのである。だから、どんな問題も解決できそうな気がする。では、米国にはロジカル・シンキングを身につけたコンサルタントがあれほど大勢いるのに、なぜ金融危機やら二極分化やら格差社会といった山ほどの問題を抱えているのか? (まあ他の国に比べればましだ、という意見もあるのかもしれないが)

それは、問題を部分化するからなのだ。巨大で複雑な問題、手のつけようも分からない悪構造の問題に立ち向かうとき、わたし達が気をつけるべき事がある。それは、手元の道具や方法論で攻めやすい「部分問題」だけを切り取って、解決しようとする態度である。大きな問題の一部だけを取り出して、きれいにしようとする。それで改善する部分もあるかもしれないが、もっとやっかいな問題を残りの部分に発生させてしまう可能性もあるのだ(恋人の機嫌のように)。

誤解しないでほしい。本書に紹介されたような問題解決の技法は、パフォーマンス問題にはとても有用である。もしあなたがまだ良く知らないなら、ぜひ手にとって学ぶことをお勧めする。だが、それは万能の道具ではない。問題解決にとって一番大切な能力とは、「どういう問題をたてるか」にあるのだから。

★★★ 受注生産に徹すれば利益はついてくる! 本間峰一

2014/06/17

良書である。著者は長年、金融機関系のコンサルティング会社で活躍した後、最近独立された中小企業診断士で、わたしの所属する「生産革新フォーラム」(通称『MIF研究会』)の会長でもある。知人の著書を紹介するときは、ほめるにせよ批判するにせよ中立の立場で書くのが難しいわけだが、本書は幸いにも非常に良くできており、安心しておすすめできる。

安心して推薦できる最大の理由は、本書が「受注生産」企業を対象に据えて、そのポジティブな面を書いているという、ユニークな視座にある。前から述べているとおり、日本の製造業の9割は受注生産の形態にあると想像される。にもかかわらず、世間にあふれるビジネス書の殆どは、自動車メーカーだとか著名電機メーカーなどに範をとって、“企業経営はこうあるべし、あああるべし”を論じるばかりだ。

さらに、それだけでは足りずに、Appleではこうだサムスンではああだと、海外事例を述べ立てては、(暗に)日本企業もその真似をするべきだ、と論じる。ちょっと、いい加減にしてくれよ--ずっと受注ビジネスで生きてきたわたしなどは、いいたくなる。GoogleやAmazonが、一度でも受託商売で苦労したことがあるのか? かりにあっても、ごく例外だろう。雑誌やメディアが、そうした著名海外企業を取り上げるのは、何よりも急成長会社だからだ。それに消費者向けビジネスだから知名度が高いこともある。

消費者を相手としたB2Cの商売は、たしかにうまくあたれば、大きく成長することができる。メディアは「目立つ変化」にとびつく性質があるから、急成長会社に注目する。しかし、それはとてもボラティリティの高いビジネスモデルである。成功企業の後ろには、実際には敗退し市場から退場していく多数の企業群があるはずだ。では、B2CではなくB2Bの、すなわち製造業向けに生産財をつくっている企業はどうだろうか。そのほとんどは、受注生産形態の会社である。

「受注生産企業って、本当に儲からないんだろうか? コンサルタント活動をしていると、儲かっている受注生産企業に出会うことも多いのだけれど・・」
これが、本書を書くきっかけになった問いだったらしい。著者は続ける。「現役企業は大げさに騒ぎ立て、儲かっている企業は低く静かに伏せているとはよく言われることだが、受注生産企業はもともと知名度が低いこともあり、儲かっている企業があってもまわりからは気づかれにくい」(p.1)

本書は、著者がさまざまな受注生産企業のコンサルティング経験をふまえて書いた、受注生産企業へのエールの書である。実際、現在の日本の製造業は、(メディアや官庁は気づいていないが)技術的にも利益的にも、受注生産企業が支えていると言っても過言ではない。さらに、日本の文化や社会風土自体も、受注生産形態に非常に向いていると言えよう。

それなのに、「受注生産=下請け」「受注生産=薄利」といったステレオタイプのイメージが蔓延し、働いている人たちは何となく劣等感を感じたりしている。さらに、見込生産に範をとった、間違った経営指針がとられがちである。この点をただして、もっと自信を持って受注生産に徹しよう、そのために必要な経営指針・営業政策・生産管理はこれだ、とノウハウを開陳するのが本書の特徴である。

本書は7章構成になっている。前半では、「受注生産が日本企業の強みだ」「受注生産を取り巻く環境変化が起きている」という風に、全般的な状況説明があり、後半は受注生産メーカーの「利益向上策」「工場運営の秘訣」「生産管理」「新規営業戦略」など個別の方策が書かれている。

ところで、受注生産と見込生産は、本当に企業ごとに分かれるのか? という疑問もあろう。無論、同一の企業で混在していることもある。いや、自社製品による見込生産を得意としてきた大手消費財メーカーが、受注生産に乗り出す例も増えていることを知って驚いた。「PB
(Private Brand=流通業者のオリジナルブランド)製品は、メーカーのNB(National Brand)製品と異なり、広告宣伝費が発生しないことなどから低価格で販売されることが多い。そのためもあって、当初は販売力の乏しい中小メーカーが製造を担当して流通業者に供給するのが一般的であった。(しかし)最近では大手メーカーも積極的に、量販店向けPB製品を手がけるようになってきている。」(p.14)

受注生産企業は、顧客のわがままにふりまわされるケースも多い。大企業のわがまま要求の例として、著者は次のようなことをあげている。


  • 今日発注したものを今日中に納品しろ
  • 要求仕様が変わっても費用は追加しない
  • 取引先の在庫品を有償支給品として受け入れろ
  • エビデンス(注文書など)がない状態で非公式手配してくる
  • 納品後に注文主や支払条件を変更してくる など(p.42)

たしかに、おかしな要求がしばしばまかり通っているのは、わたしも知っている。ただし著者は、「こうした不公正な取引慣行を役所が是正しろ」とは、言わない。逆に、「わがまま要求に対応するために行ってきた企業努力こそ、日本の受注生産企業が築き上げてきた世界に誇る強みである」(p.42)と、ポジティブにとらえる。そして、「自社が海外企業に負けない受注生産力を持っているのであれば、それに対して自信を持ってアピールすること」(p.43)と書く。つまり、弱みを強みに転換すべきだ、というのが本書の主張である。日本企業の受注生産における高いフレキシビリティは、海外サプライヤーからモノを買った経験のある企業ほど、痛感する点でもある。

むろん著者は刃を返して、わがままな大企業を厳しく批判することも忘れない。「現在、日本の上場企業において半数以上の企業が実質無借金経営状態にある。かれらがJIT調達による流動在庫の削減に注力する意味がどれだけあるであろうか。中小の下請企業に在庫を押しつけるのではなく、自社で在庫を持つことにより下請企業の生産を平準化させて、生産効率を高めるアプローチの方が正しいのではないだろうか。」(p.50)
まことに正論である。そして、大企業の在庫恐怖症の背景には、ERPの導入があったことも、しっかりと指摘している。

他方、受注生産企業側にもいろんな課題がある。ひとつは、業績が比較的安定している(急成長もないが、顧客との取引停止にでもならぬ限り急降下もない)がゆえに、ぬるま湯体質になりやすい点だ。じつは、「金融機関に融資を申し込んだ場合も、最終製品メーカーに比べてすんなりと審査が通ることが多い」(p.66)というのだから結構なことだが、「対外的な派手な宣伝活動もなく、大ヒット商品を生みだし大儲けして社内が盛り上がることも少ない。その結果、何となく『自社はつまらない』と感じてしまう社員が増えがちだ」(p.68)。

それゆえ、「業務改善活動は取引先からの圧力で始めることがあっても、社員自らが率先して業務改革に取り組むことは少ない」(p.68)・・まるで、日本自体の縮図を見るようではないか。

肝心の「利益向上策」「工場運営」「生産管理」については論点が多いので、個別には紹介しきれない。ぜひ本書を紐解いてほしい。利益計画の中心は、『スループット』管理にある。受注生産企業は自社だけで売上を向上させることは難しいので、営業マンを売上高で駆り立てるのは、じつは愚策である(この点が消費財メーカーとの最大の違いだ)。そうではなく、スループット・マネジメントを推奨する。

スループットとは、売価から外部購入費(材料費・外注費)を差し引いたもので、小売業では「粗利」に相当し、製造業では会計用語で言う「付加価値額」にほぼ等しい。これを積み上げて、年間の作業経費(人件費・減価償却費等の固定費)を上回るように、受注をコントロールしていく。たとえ見かけ上は赤字案件でも、それを受注することで固定費をカバーする足しになるなら、ちゃんと受注していく。そうした判断は、従来の原価管理(固定費を配賦して変動費化する)では、うまくできない。今の会計学手法は、じつは「作れば売れる」見込生産・実物経済時代の発想でできあがっているからである。

著者の考え方は、じつはゴールドラットのTOC理論(制約理論)にかなり基づいている。工場運営で、ボトルネック工程(制約工程)を平準化し最大活用せよ、という発想など、その典型であろう。しかし、受注生産企業は製番管理より流動数曲線管理が向いている、とか、理想的な現場管理システムはいらない、とか、「設計部門を治外法権にしない」(p.184)など、随所に著者らしいノウハウの蓄積を感じさせる。

最後の第7章は、「新規営業戦略」である。欧米流のマーケティング理論をふりかざしても、それは日本の受注生産企業にはあてはまらない。まして「ソリューション提案」など、顧客企業にとっては余計なお世話である。また中小が最終製品開発を志向しても、販路などの障壁で無理が多い。そこで、あくまで「ハイレベル受注生産力」を、その5大要素である


  •  「技術対応力」
  •  「納期対応力」
  •  「品質管理能力」
  •  「アフターサービス力」
  •  「事務処理能力」

ごとにアピールすべし、と指南する。とくにこの章は、かつて大手電子通信メーカーで営業をしていた著者の経験がいかされる分野であろう。

受注生産ビジネスは、決して特殊な形態でも、二流の形態でもない。日本の産業は、じつは受注生産企業が屋台骨を支えている。そして、日本企業の受注生産力は世界随一である。ただし、これまでメディアや官庁、学会などの無理解により、その点が正しく認識されてこなかった。しかし、ようやくここに良い指南書を得ることができた。これを機会に、多くの受注生産企業がもっと世界に雄飛してほしいと、切に願う。

★★★ 昭和の犬 姫野カオルコ

2014-02-22

姫野カオルコ著・「昭和の犬」、読了。第150回直木賞受賞作。わたしは新刊の小説を買って読むことは滅多にしないが、しばらく前から気になって、ひいきにしていた作家の受賞作なので、急いで買って読んでしまった。

それにしても不思議な小説だ! とくに何が起きる訳でもないのに、吸引力があって次の頁をめくってしまう。今回もまた、最後の部分は自分の部屋で読み通した。電車や飛行機の中でしか本を読まない自分にとって、これも例外的な体験だ。「こんなに小説のうまい人だとは思わなかった」という、直木賞選考委員の(ある意味では失礼な)評があったが、この吸引力に、小説の上手さが表れている。

内容はすでにいろいろな紹介があるので、あえて詳しくは書かない。主人公は著者と同じ昭和33年・滋賀県生まれの女の子で、自伝的小説の色彩が強い。短編的エピソードを積み上げていくスタイルで、子ども時代が多いのだが、最後に中年のエピソードが加わって、半生記の形になっている。そして、どのエピソードにも犬が登場する。物言わぬ犬を配することで、描写対象の主人公への距離感をうまく保っている訳だが、何よりも姫野さんは犬が大好きなのだな、と感じる。最後のシーンは、前作「リアル・シンデレラ」ほど強い感情は呼び起こさないが、それでも涙してしまった。

小説の書き方にはいろいろなスタイルがあるのだろう。だが、この人は、終わり方を最初に決めて書いている、あるいは、少なくとも、終わりを探しながら書いているのではないかと思う。「リアル・シンデレラ」も、今回の「昭和の犬」も、平凡な女性の、とくに華やかなエピソードもない半生なのに、とても深い読後感を残すのは、そうしたつくりのおかげだろう。

ちなみに著者は、あるインタビューで、「小説を分類するとしたら、ストーリーの面白さで読者を引っ張っていくのがエンターテイメント小説ですが、自分のは主人公の内面を中心に描くものです。」という意味のことを、語っていた。だが、内面描写の小説といっても、それはさらに二通りに分かれると、わたしは思う。心理(とくに感情)を細かく描く「心理小説」と、そうではなく、主人公や人々の考えを軸に描く「思想小説」である。思想小説という種類を得意とするのは、たとえば、こんなことを書く作家だ。

『現代人の大半はおかしな矛盾を犯している--むやみに多くの理論をもっているくせに、実生活において理論が果たしている役割をまるで理解していないときているのです。気質だとか、境遇だとか、偶然だとか、そんなことばかり持ち出してくるのに、実際には、たいていの人間は自分の抱いている理論の権化にすぎないのです。人びとが殺人を犯すのも、結婚するのも、ただのらくらしていることさえも、みんな、何らかの人生理論にもとづいているのです。そんなわけで、(中略)ぼくはまず人間の精神を見る--場合によっては、その人物とまったく無関係に精神だけを見ることさえあるのです』

(G・K・チェスタトン「詩人と狂人たち」)

思想小説は日本では書き手も読み手も少数なため、姫野さんの作品の位置づけが難しかったのだと推察する。「昭和の犬」では、その特異性がうまく底に隠されているため、審査員はじめ多くの人に受け入れられるのだろう。

それにしても、副題の"Perspective kid" とは、どういう意味なのか? 主人公イクの子ども時代を、距離感をおいたパースペクティブで描き出すから、ではPerspective
kidにはならない。英語に堪能な著者が、わざわざ選んだ副題なのだから、何か意味があると思ったのだが、つかみ切れなかった。

ただし、全く無関係な事だが、この副題を見て、わたしはその昔、ひさうちみちおが描いた不思議なマンガ「パースペクティブ・キッド」を思い出した。「ガロ」をはじめいくつかの雑誌に描き続けた連作で、ロットリングによる無機質かつ中性的な線をつかって、人々の偏執を描く技巧はとても印象的だった。偶然の一致だろうが、ひさうちみちお(の初期の作品)と姫野文学は、性的な事柄をひどく湿り気のないタッチで描く点といい、キリスト教的な題材を重要な要素の一つとして使う点といい、奇妙に似ていると思う。

変な話をもう一つだけ。主人公イクが、泣いているのでもないのに涙が流れてこまる、というシーンがある。小説の登場人物の病気を詮索しても全く無意味かもしれないが、あれは実は、本当に泣いていたのではないだろうか。イクは芯の強い女性なので、自分が泣きたい気持ちであるとは信じなかった。しかし、心の深い部分では、泣きたいという衝動があった。別に、泣きたいのは不幸だから、とは限らない。いろいろな出来事があり、その情緒が絡み合って、自分にも見えない情動の回路につながっていたのかもしれない。それが、古い打撲傷のように、人生の季節が変わるときに、痛んだのではないか。その証拠に、彼女は犬のマロンとの交流が深まると、涙を流さなくなるのだ。

「ハルカ・エイティ」「リアル・シンデレラ」そして「昭和の犬」と、女性にとっての真の幸せとは何かを書き続けてきた姫野カオルコという作家の生活が、今回の直木賞受賞によって、少しでもより安定した幸せなものとなることを、一読者として祈りたい。この小説の中心テーマは、かつて二千年前にパレスチナの地を歩いた、あの賢者の言葉をまさに象徴しているからだ:

「心の中に誇るべきものが何一つない、心において貧しい人は幸せだ。天の国は、まさにその人のものだから。」(マタイによる福音書・第5章3節)

★★★ 最低限必要なマクロ経済学 野口光宣

2014/02/18

工学部出身のわたしが、会社に入って最初にやった仕事は、なぜか経済性分析だった。某電力会社の依頼で、液化天然ガス(LNG)と燃料メタノールの比較に関するフィージビリティ・スタディを、新入社員として手伝ったのだ。プラントの基本計画と費用見積は先輩たちが行い、わたしの仕事はタンク容量の計算と、経済性計算だった。比較ケース数が200以上もあって、そこつなわたしは難儀したが、とにかくこのとき財務諸表の意味と、DCF
(Discounted Cash Flow)法の基本を、文字通り身体で覚えたのは、後々まで役に立った。

しかしその後も、経済学それ自体に対しては、縁が遠いままだった。むしろ経済学という学問には、何となく不信感みたいなものを抱いていたと言っていい。プラザ合意後の円高不況、そしてバブル経済の有頂天と、その後の長い不況の時代を過ごして、経済学が本当に社会を指南する羅針盤として役に立つのかという疑問を持ち続けた。

経済学者やエコノミスト達はさかんにメディアに登場して、あれこれと意見を表明しているが、奇妙にお互い矛盾することを言い合う。そこには、論争を解決する明確な方法論が学問として欠けているように感じられた。経済学は一種のモデリングなのだろうが、『実証』のプロセスがないため、議論はほとんどモデラー同士の好みの言い合い、水掛け論のようにも思えた。

とはいいながら、ライン業務を離れて本社企画部門の仕事に就くと、やはり新聞に出てくるような基礎的な用語・概念くらいは分かりたいと思うようになる。モデリングには、それなりの歴史と体系、そしてそれに従った統計値が存在する。元々、システム・モデリングはわたしの専門ではないか、ならば、何ほどのことがあろう--そんな気持ちで、本書を手にとったのである。

本書は、大学初年生むきのテキストとして書かれた。帯の宣伝文句は、「ポイントだけをざっくりと絞り込んだ 超文系向きのテキスト」である。著者は、はしがきの中で、新入生対象のマクロ経済学入門の講義ノートとして工夫して作ったものであり、“中学校程度の数学の知識があれば十分”である、と書いている。数学が苦手なわたし(いや本当です)には、心強いではないか。ちなみに、著者は名城大学経済学部教授だが、米国の大学の数学科で博士号をとった人で、専門はゲーム理論のようである。その人が、中学程度の数学で、国際マクロ経済学の基礎概念までは工夫すれば分かる、といってくれているのである。かつ、教科書らしく計算の例題や章末問題がかなりついている。これならば勉強しやすいだろう。そう、思わせてくれる。

まあ、勉強しやすいかどうかは、もちろん読み手の取り組み度合いと、頭の柔らかさによってくる。とてもよく分かった、とは、言わない。しかし、読んで良かったことは、確かである。

わたし達は、自分のよく知らないことを、なんとなく感覚で議論することが、よくある。というか、社会人なんて、それで綱渡りして生きているような面もある。そうはいっても、たとえば「経済成長」とは何か、正面切って問われて、どれだけの人が答えられるのか。日本のDGP成長率がたとえば年2%では低すぎる、とか、原発を再稼働させなければもっと成長率が低くなる、とか、いろんな議論がある訳だ。いや、経済成長ばかりを目指すこと自体が誤りだ、もっとスローでワークライフ・バランスドな行き方が望ましい、という反対意見、etc,
etc..

だが、肝心のDGPが何を測ったものなのか、わたしは本書の第1章を読むまで、よく知らなかった。GDP
(Gross Domestic Product=国内総生産)とは、1年間に国内で生みだされた財・サービスの付加価値の合計を市場評価したもの、である。

付加価値とは、生産された財の価値から中間投入された財の価値を差し引いたもので、「おおざっぱに言うと、(売上-原材料費)のこと」(p.2)だ。この式には賃金が入っていないことに注目してほしい。賃金をいくら抑えても、(会社の利益には好都合かもしれないが)付加価値には影響しない。ということは、賃金を下げても、それが直接経済成長を増やすわけではないし、逆に賃上げしても、成長にすぐブレーキがかかるわけではない。

わたし達は、ともすると経済成長というものを、「会社が利益を得ること」「もっとお金持ちになること」と混同して考えやすい。しかし、本書はそうした誤解をきちんと解いてくれる。もちろん、賃金水準は間接的にはGDPに影響を与える(その事は後の章を読むと分かる)。だが、「利益=成長」ではないのだ。

同じように、「生産と無関係な価格の変動による価値の増減はGDPに計上されない。例えば土地や株のキャピタルゲインなど。」(p.2)という記述にも驚く。ということは、わたしが東京の土地転がしでひそかに儲けた10億円や、スイスの銀行に隠して預けている100億円は、まったく日本のGDPや成長には関係がなかったのだ。まことに残念なことである。とうぜん、東証株価がいくら上昇したって、成長率には無縁である。

さらに、「日本企業の海外支店が生み出した付加価値は日本のGDPには計上されない。」(p.2)とも書いてある。だとしたら、ソニーやトヨタや大手銀行が海外支店でどれほど儲けようと(あるいは損をしようと)、それは一切、日本のGDPにはカウントされないことになる。これら“日の丸企業”の業績と経済成長はイコールではないのだ。

では、GDPは何で決まり、何で動くのか。ごく簡単に言うと、投資が引き金となって、それが国民所得増を生みだし、それが需要を押し上げるため、さらに投資を生むという循環、ポジティブな経済スパイラルが生じるのである。スパイラルの着地点を予測するために、限界消費性向や均衡国民所得、そして乗数効果などの概念が必要になる。乗数効果のおかげで、初期の投資ΔIよりも数倍大きな、経済拡大の結果が得られる。これがマクロ経済学の教えだ。

だから日本経済を拡大してGDP成長率を上げたければ、企業が日本国内に投資すべきだ、ということになる。そして、日本の大企業は現在、じつは過去にないほど高い内部留保を抱えている。このお金を国内で投資して雇用を生みだせば、経済成長がもたらされる、はずである。

しかし現実にどうかというと、むしろ経済メディアなどがあおっているのは海外投資であり、海外への工場移転、あるはオフショアへのサービス移転である。それによってコスト競争力をつけ、あるいは新興市場の海外支店で設けろ、そうすれば日本企業は復活し繁栄する、とのメッセージを毎日流している。ぜんぜんマクロ経済学の要請と合っていないではないか。メディアの経済ライター達は、初学者のわたしに解らぬ全く別の理路をとおって、記事を書いているようだ。それとも、全然知らずに書いているのか--まさかね。

本書の一つの特徴は、古典派とケインズの論点の違いをいろいろな箇所で並記していることだ。たとえば「古典派は利子率のことを、資金を貸すことによって一定期間の消費を断念することに対する報酬だと考えた。一方、ケインズは利子率のこと、資金を貸すことによって一定期間の流動性を犠牲にすることに対する報酬だと考えた。」(p57)など、面白い視点だ。ケインズ経済学というと、まるで左派の経済学の代名詞みたいに言う人もいるが、ケインズ自身は保守主義者であった。ただ彼は、名目賃金の下方硬直性や、政府の財政政策の役割などの論点で、市場万能主義とは一線を画しているようだ。

本書は国民経済計算の定義からはじまって、最後はマンデル・フレミングモデルをつかった国際マクロ経済学の理解、たとえば「資本移動が完全自由なとき、変動相場制の下では財政政策が無効となる」(p.136)といったところまで一応たどり着く。(この法則など、TPPと公共事業を同時に推進しようとしている人たちなどは、どう解釈しているのだろう?)--たしかに著者のいう“最低限必要な”範囲はカバーされているようである。

最初に書いたとおり、マクロ経済学は一種のモデリングである。経済という複雑なシステムの挙動を、モデルを元に予測し、どのような政策が有効かを考える、一種のシステム工学と言ってもいい。そういうセンスを身につけた人には、それなりに入っていきやすい分野かな、と思わせる良書である。このような優れた本を出版する日本評論社には、感謝とともに、ぜひこの種の本は電子出版してほしいと要望する。数式も多く練習問題も多い。また用語・概念の良きリファレンスでもある。プログラム学習をふくめた電子出版にぴったりではないか。

ともあれ、経済記事の用語が気になるような人には、ぜひ手にとって勉強する価値があるテキストだ。強くお薦めする。

2013年

★★★ ザ・ジャストインタイム フレディ・パレ&マイケル・パレ


2013/11/09

技術はある。製品も売れている。上場したばかりのその会社は、傾いたライバル企業を買収し、工場と人と生産能力も手に入れたはずだった。だが、なぜか資金繰りが苦しくなり、銀行からは与信枠の拡大を拒まれて、今や八方ふさがりの状態に陥っていた――

この小説は、窮地に陥った若き経営者フィルが、友人マイクの父親で、リーン生産の専門家であるボブの助言をかりつつ、何とか会社を建て直していくスリルに満ちた物語である。ボブはかつて自動車部品メーカーの役員をしていた人だが、いくつもの会社を渡り歩き、経営を好転させては、避けがたい権力抗争に敗れて会社を去ることを繰り返した後、引退し趣味のヨットに打ち込んでいたのだ。

ボブをなんとか口説き落として、生産現場を見てもらうことになったが、ボブは現場を一渡り見てから、こう宣言する。『ここは金脈だと自分に言い聞かせなさい。われわれの仕事はそれを見つけ出すことだ。わかるか?』(p.60)

生産管理とは、宝の山である。しかし、ほとんどの経営者は、それに気づかない。おまけに技術者や製造技能者も、かっこいいモノを設計したり作ることが自分たちの本来の仕事だと信じ、生産管理は「雑用の山」だと考えている。だが、その雑然とした山の中にこそ、金脈は隠れているのだ。まさにこの小説が"The
Gold Mine
"という原題をもつ所以である。

本書の舞台はアメリカ西海岸だが、著者のフレディ・パレとマイケル・パレはフランス人の親子である。フレディは長年ルノーに勤務し、トヨタ生産方式の欧州における普及に尽力してきた。息子のマイケルはパリ・アメリカ大学の准教授で作家だ。つまり、この小説のマイク(大学教員で心理学者)とその父親ボブは、彼ら自身がモデルな訳だ。ともあれ、フランス人が書いた、トヨタ生産方式による企業改善の物語という点で、本書はまことに異色、かつ新鮮である。米国式経営一辺倒でもない、単純な日本礼賛でもない、そのきわどいバランスに成功している。ほんのちょっぴりだが、ロマンスの香りもある。

世にビジネス書は数多く、いわゆる経済小説も少なくない。しかしたいていの小説が描くのは、もっぱら経営者の人物ストーリーである。事業の成功も失敗も、すべて経営者個人の人格と手腕による――こうした説明は分かりやすいが、つねに真実ではない。現実に事業のプラスとマイナスを分ける微妙な差は、生産管理のようなシステム・レベルの問題で起きている場合が多いのだ。

そして生産の仕組みをきちんとしたければ、まず生産に関わるもの全員に、「生産とはシステムである」という思想をインストールしなければならない。生産管理とは、この動的なシステムを御するための手立てである。しかし、このような抽象的な考え方は、あいにくメディアの手短かな感動記事になりにくいし、勉強したくとも世の中に良い生産管理の本は、案外少ない。だから、本書のような小説形式による説明が有用なのである。

多くの経営者は、規模を拡大すればスケールメリットで生産コストが下がると、単純に信じがちだ。だが、それはB2Cで企業向けに受注生産している会社には、ほとんどあてはまらない。この点を小説は最初に指摘する。

「生産数量が2倍になれば、コストはおよそ10%下がる。(中略)しかし、製品の種類を倍にすると、やはり10%か、それ以上コストが上昇する。困ったことに、工業製品の顧客はたいてい特注品をほしがるものだ。だから、たとえ主力製品ないし技術だけを扱っているつもりでも、実際に売っているのは単一の製品ではない。よってスケールメリットは具体化しない。コストは生産数量に応じて上昇するんだ。」(p.19-20)

この会社が製造しているのは、エネルギー・プラントに使う高圧電流用の真空遮断器である。一般読者には馴染みのない種類のものだろうが、組立加工業種に属する点では、多くの製造業とかわりがない。ボブは、改善の着眼点を教える。

「(製品の)流れを一つ選んで、上流に向かって歩く。そして、工程をたどりながら在庫の数を数える。ムダはほとんど目に見えない。だが在庫は目に見える。そして在庫があるところ、裏には必ず何らかのムダがひそんでいると推測できる」(p.63)

「あそこの女性、部品の山をかき分けて、次の作業に使うたった一つのものを探している。明らかに彼女は仕事をしている。だが、彼女の努力は製品に何一つ価値を付加していない。動きと働きは別物であることを認識すべきだ。(中略)作業の改善とは、動きを働きにかえることだ。」(p.41)

この会社が資金ショートに陥っている理由は、明らかに在庫の過多だった。しかし、ボブは在庫削減に手をつけることはしない。真っ先に指摘したのは、不良の問題だった。

「納品した1,000台のうち5台が不良品というのは、わたしの感覚からすれば許しがたい多さだ。それでは航空会社が乗客の荷物を紛失する確率と大して変わらない。」(p.40)

「赤いプラスチックのゴミ箱をいくつか用意したまえ。それをそれぞれの持ち場に置く。作業者に与える指示は一言、『作り直すな』だけでいい。手に取った部品に何か気に入らないところがあれば、それが前工程から流れてきた装置だろうと、材料だろうと、赤いゴミ箱に入れる。それだけのことだ。」(p.126)

ここには、優先順位の問題がある。これこそ、多くの企業がトヨタ生産方式に関して誤解している、最大の点である。真っ先に考えるべき事はコストダウンではなく、顧客満足、すなわち顧客に迷惑をかけないことなのだ。

「わたしの会社が初めてトヨタと仕事をしたのは、彼らのサプライヤー開発プログラムに参加した時だったが、トヨタは、われわれの工場で納品が滞っている全てのエリアの在庫を増やせと言ったんだ。(中略)それは、いわゆる緩衝在庫だったがね。それはすなわち、何より納品に全力を注げと言うことだ。(中略)納期の遅れも数量の不足もなく、確実に納品できるようになったら、放置してきた在庫の削減に集中する」(p.95)

もちろんボブは、アメリカ流の数字至上主義の経営思想が、工場を窮地に追いやり、結果として製造業の空洞化をまねいたことを指摘するのも忘れない。

「最も効果的なコスト削減の方法は、工場をたたんでしまうことだ。(中略)わたしが知っているある工場は、親会社の経営陣によって『コストセンター』に変えられてしまった。工場の経営層のボーナスは、削減できたコストの額と結びつけられた。当然ながら彼らはコスト削減に励んだ。顧客への出荷はとめどもなく落ち込んで、製品に質はどこまでも悪化した。1年後、最大の得意先2社に見限られ、工場全体を閉鎖するしかなかった。」(p.94) ――このような事例は、遺憾ながら、わたしの関係する業界でもみかけたことである。

若き経営者のフィルは、もともと物理学者で、研究から画期的な新技術を発明して企業化した人間である。生産については素人なのだ。ボブは彼に、生産管理の基礎的な式や定義も含めて、ゆっくりと説明していく。

タクトタイム = 1日の稼働時間 ÷ 1日あたりの顧客需要」(p.115)

「作業者数 = 作業内容の合計 ÷ タクトタイム」(p.118)

そして、在庫問題の発生する本当の原因が、作業のばらつきに起因するムダにあり、標準作業を工夫する必要性に気がついていく。かくて話は、しだいに流れの整流化の方向に向かう。

「ミスをなくし、作業を標準化する最善の方法は、1人の作業者のサイクルを1分以内にすることなのだ。いいかね、1分だぞ。」(p.229)

「(ラインから人を減らすときに)仕事のできない者を外す傾向があるが、それは大間違いだ。そんなことをしていたら、いつまでも仕事を覚えないからな。」(p.109)

「翌週、何を作るかを知るためには、顧客の計画を知らなければならない。」(p.412)

しかし当たり前だが、このような生産現場の改革は、あちこちで人の抵抗に遭う。現場の労働者からも、リーダークラスからも、そして開発技術者や、経営者からも反発・批判・無理解が出る。

「大事なのは人だ! 機械でも、組織でもない。金ですらない。人には考えも感情もある。自分の仕事もよく知っている。部下とは協力関係を築くべきであって、敵に回すのは論外だ。金は結果に過ぎない。協力し合った時、人がどれほどすばらしい仕事をなしとげることができるか、金はその記録帳のようなものだ。」(p.154)

「責任感を持てと命じても仕方がない。感情の問題だから。命令されて責任感を持つようになるものはいない。」(p.184)

後半、現場を見ずに、頭の中だけでジャストインタイム風の施策を講じ、MRPを週次で回してはサプライヤーにJIT納品を押しつける管理職が出てくる。彼に対するボブの態度はきわめて辛辣だ。「大事なのはアティテュード(態度)の問題だ。」と彼は言う。結局この男は職場を去ることになるが(このあたりはいかにもアメリカ的である)、日本だったら簡単に辞めることはないし、クビにすることだってできない。そういう点では、この小説を読んでそのまま日本に当てはめようとしても、そう問屋はおろさないだろう。我々は我々なりに、別のタクティクスを考えなければならない。

小説の最後に近くなってから、田中さんという日本人が出てくる。大野耐一から直接教えを受けたという老人だ。もちろん西洋のドラマだから、彼は(まるでスター・ウォーズのヨーダの如く)東洋風の叡智に満ちた人間に描かれる。しかし、この小説は、毎度毎度同じ事を繰り返し説くトヨタ流への風刺も忘れない。たとえば在庫量を湖の水位にたとえ、水位を減らせば隠れていた岩(問題)が見えてくる、という話を引用したあとで、こんなジョークを紹介する。

「ペルーでフランス人と日本人とアメリカ人が工場を建てようようとしていた。だがゲリラに捕まって人質にされ、資本主義の手先だから銃殺すると言われた。ゲリラは3人に、最後の言葉を残すことを許した。フランス人は『フランス万歳!』と叫んで撃たれた。次は日本人の番で、『では湖と岩について話したい』と言った。その途端にアメリカ人が飛び出してきて、銃口の前でシャツの胸をはだけて叫んだ。

『湖と岩の話をもう一度聞かされるくらいなら、先に撃ってくれ!』」(p.264)

大野耐一については、こんなジョークだ。

「たとえば100人の人員が、ある生産を問題なくやりとげられるとする。すると大野耐一がやってきて、10%もの人員を連れ去り、残りの90%で同じ内容の業務に当たらせる。当然ながら、残った人員はありとあらゆる問題に直面する。そして、ようやく問題を解決して、新しい目標を達成したかと思うと、また大野がやってきていう。『よし、今度はもう10%連れて行くぞ』。彼らは全員叫んだらしい。『Oh,
No!


 そこでこの方式は、『オーノ』方式として知られるようになった。」(p.83)

もちろん小説だから、改革はいくつもの抵抗に遭いながらも、次第に成功の方向に向かっていくし、読者だってそれは予期している。ただ、その過程で経営者フィルは大事な部下を失ったり、いくつもの辛酸をなめた上で、次第にスタートアップの発明家からリーダーに成長していく。

「常に優秀な人間からいなくなる。それがリーダーにとって2番目に大きな問題だな。」(p.440)

「チームのメンバーに、自分の職場が一番だと思わせなければならない。この雰囲気、この価値を実現する職場は、他にきっと見つからないと。」(p.442)

他方、友人マイクは心理学者らしく、その問題にコメントする。

「人が仕事をしていて何に幸福を感じるかを、ずっと調べている研究者がいる。その調査によると、課された仕事の難しさと、その人の仕事に対する習熟との間で、バランスが取れていなきゃならないらしい。仕事が重すぎるとストレス過剰になり不安な気分になる。(中略)もう1つ大切なのは、人には自分の置かれた状況を合理的に説明してくれる理論が必要だということだ。きちんと説明がなされれば、彼らは幸福でいられる。」(P.217)

当たり前だが、仕事の問題は人にはじまり、最終的には再び人に行きつくのだろう。

「部品を作る前に人を作るべし。」(p.217)

「改善はむしろ、人を作る1つつの方法だ。」(p.403)

しかし、その円環の途中には、混沌を排し、人が単なる『動き』でなく『働き』に集中できる生産システムの構築が必要なのだ。そして、そのシステムの設計と構築には、たしかに理屈が必要だ。だから本書には、数字による四則演算レベルの説明例は多く出てくる。けれども、難しい数式など一つもない。生産管理とは、別に文系理系を問わず、普通の知性の持ち主ならば理解できるし、理解しておかなければならないはずのものである。小説としてはけっこう分厚い方だが、きちんと生産の思想を学びたいと思う人には絶好の入門書であろう。強くお勧めする。翻訳も読みやすい。

★★★ 反哲学入門 木田元

2013/07/12

何年も前のことだが、テレビをつけたら読書番組をやっていた。1冊の本を取り上げて、何人かで語り合う趣向の番組だ。たまたまその日取り上げられていられたのが、この木田元・著「反哲学入門」だった。ところでその日のゲストの1人だった若い男性タレントは、この本を与えられたときに、「うわー。どうしよう」と思ったんだそうな。

なぜ「うわー」と思うのか。わたしは少し、不思議に感じた。でも多分それは、哲学の本なんか読んだことがないし、読めた代物ではない、とこのタレントさんが頭から決めてかかっていたからだろう。読めもしないものを、番組のディレクターが押し付けるわけは無い。だがこの人にとって、哲学は自分に全く無縁のものなのだった。

そう思いこむようになったのは、このタレントが無学だからでも、頭が悪いからでもない。哲学業界の方が悪いのだ。もっと言えば、日本の西洋哲学業界が、だ。哲学を普通の人の手の届かない祭壇の上にまつげあげることによって、自分たち特殊な業界人の飯の種にしてきたのだ。この本はそのことに対する批判から始まる。

ITは西洋哲学の非嫡子だ。別のところでわたしは、そう書いた。だから、ITを専門の仕事とする人は、西洋哲学を少しは勉強しなければならない、と。

こんなことを言うのは、日本広しといえどもまぁ、わたしぐらいだろう。他にいるとしても、ごく少数だ。それは、日本の西洋哲学業界が長年行ってきた、「哲学隔離政策」の結果なのだ。そのことが、日本のITを貧しくしてしまっている。創造性を損なってしまっている。非嫡子とは、子供だが正式な跡継ぎではないと言う意味だ。だが親の特徴を、数多く受け継いでいる。世界は論理的に再構成可能だという信念、抽象化への強い希求、モデリングと分類のためのアプローチ・・そうしたことを多くの人が、知らない。

この本の第1章のタイトルは「哲学は欧米人だけの思考法である」だ。ここに著者・木田元の考え方の最大の特徴がある。哲学という言葉は、しばしば「人生論」や「思想」と混同されるが、別のものである。それは真理にアプローチするための方法論である。

「私は、日本に西欧流のいわゆる「哲学」がなかった事は、とても良いことだと思っています。」(p.22)

日本人は自然の中に包まれて生きて、自分と自然全体を区別してみることはしない。しかし「西洋と言う文化圏だけが超自然的な原理を立てて、それを参照にしながら自然を見ると言う特殊な見方、考え方をしたのであり、その思考法が哲学と呼ばれたのだと思います。」(p.
23-24)

西洋哲学は存在論と認識論を中心に展開してきた。きりきり舞いしてきたと言っても良い。西洋哲学の歴史は、大雑把に言ってプラトンから始まり、中世・近世を通じて発展するが、ニーチェのあたりで根幹が揺らぎだす。本書は、プラトンの師匠であるソクラテスから、ニーチェに影響を受けた20世紀のハイデガーまでを、大づかみな名人の筆致で生き生きと描きだす。

中でも哲学史の重要な転換点を作った、アリストテレスや、デカルト、カントらについては、彼らの生きた時代背景や生涯についても詳しく記述している。また日本では哲学だとか形而上だとか質料、客観など、漢語で訳されている言葉についても、元のギリシャ語やラテン語にさかのぼって、詳しくその本来の意味や変遷について書いてくれている。

ソクラテスとその弟子プラトン、そのまた弟子のアリストテレスの3人は、ギリシャ哲学の基礎を築いた。ソクラテスは「無知の知」を駆使した対話法で、それ以前のギリシャ的な自然思考を根こそぎにした。その空白地帯に、プラトンは「イデア」を中心とした存在論を打ち立てる。イデアは認識の世界の中にのみ存在する、抽象的な構造を持つ類(クラス)である。それは具体的な質料と形相という属性を持つことにより、個物(インスタンス)となる。

アリストテレスは論理学の創始者であり、言葉(記号)とその代入操作による真偽の論証を行った。ここら辺の考え方は、今日のコンピュータ科学に極めて忠実に継承されていることがわかる。

ギリシャ哲学の成果は、古代末期にいったんイスラム世界に受け継がれ発展される。そして中世にヨーロッパに逆輸入され、理性の主役の座に返り咲くのである。その最大の立役者が、わたしの敬愛するトマス・アクィナスであった。つづくルネサンス期と対抗宗教改革の時代、思潮はアリストテレス的な客観主義から新プラトン主義に揺り戻しがくるのだが、ギリシャ哲学の枠組みは変わらなかった。

だが科学革命の進展とともに、自然を数学的法則の対象としてとらえようとする考え方が広まってくる。17世紀初頭に現れたデカルトの問題意識はそこにあった。デカルト座標系によって幾何学と数学を統一した彼は、量的諸関係で自然を洞察する理性を、論拠として確立する必要があった。このデカルトの『理性』というのが、著者によれば、我々日本人にとって誤解を招きやすいくせ者なのである。

というのは、キリスト教の枠組みの中にいるデカルトにとって、「『精神』つまり『理性』は神の創造した実体であり、わたしたち人間のうちにあっても、いわば神の理性の出張所のようなものだからです」という(p.152)。したがって、「こうした意味で『理性』としての『私』の存在の確認が、果たして近代的自我の自覚ということになるものかどうか、わたしには疑問です」(同)

ともあれ、かくして哲学は「理性主義」(合理主義とも訳される)の時代に入った。イギリス経験主義という批判勢力はあったが、啓蒙的な時代にあって、理性主義はさらにカントとともにもう一つの曲がり角を曲がる。カントはデカルトが住んでいたキリスト教的理性主義の枠内を脱して、先天的認識(幾何学と数論)によって現象界を理解することこそ、われわれ人間の認識能力の本質だ、と主著『純粋理性批判』で論じる。

「カントは、これまで『われわれの認識が対象に依存し』、模写するのだと考えてきたのを180度転換して、『対象がわれわれの認識に依存している』と考え直すことによって問題を解決した」(p.180)。その結果、「神を理論的認識の対象にし、それについていろいろ論じたり主張したりしてみても、ナンセンス(幾何学・数論・理論物理学では手が届かないから:佐藤注)だということになります。」(p.185)

かくして、哲学はカントにおいて、キリスト教の保証と裏書きをはなれて、自由に行動することができるようになったわけだ。ただ、著者は同時に、カント以後、哲学は大学教授の仕事になってしまった、と指摘するのを忘れない。そのおかげで、哲学書は難解で専門用語の乱舞するものに変わっていく。「哲学書の文体がはっきり変わってくるのです」(p.188)ーそのことが、冒頭に述べた、普通の市井の人と、哲学との間に壁を作っていくわけだ。

とはいえ、西洋哲学はギリシャ哲学のしっぽを無くしたわけではないと、わたしは思う。たとえば、カントの主著といえば、『純粋理性批判』『実践理性批判』それに『判断力批判』だ(ただし、念のためいうと、わたしはカントの本など1行も読んだことはないが)。この3冊は、とりもなおさず、認識論・倫理学・そして美学についての本である。ということは、つまり彼は「真・善・美」というギリシャ人のいう人間の三つの徳を、ずっと探求していたわけではないか?

さて、19世紀後半に入ると、ニーチェや、エルンスト・マッハなどが現れ、近代化と結びついたドイツ観念論哲学の理性主義・科学的世界観に反発を加えるようになる。マッハは有名な物理学者で、超音速を測る速度単位は彼の名前に由来する。またカトリック教徒で、以前書評で紹介した物理学者パウリの、幼児洗礼の名付け親でもあった。

マッハとニーチェは、「二人ともダーウィニズムから決定的な影響を受けた」(p.206)点で似ている。ギリシャ文献学者としてキャリアをスタートしたニーチェは、西洋哲学の長い歴史をすべて「プラトン主義」と断じ、そこからの脱出をはかった「反哲学者」であった。だからこの後、20世紀の西洋哲学の系譜は、現象学・論理実証主義・実存主義・構造主義と錯綜し、もはや誰が正統な嫡子か分からなくなってしまう。

哲学は複雑な問題を言語化し、分析し、伝達・説得するための枠組みだ。説得に「真理である」ことの保証を使う。ただし西洋哲学は、プラトン以降、「超自然的な原理を参照として自然を見る、という得意な思考様式」が伝統になった(p.25)。そのために、自然的世界は客観的な、いいかえれば自己から断絶された、分析と操作の「対象物」「材料」になってしまう。

その結果、西洋哲学は「自然に生きたり、考えたりすることを否定している」と著者は断ずる(p.24)。「ですから、日本に哲学がなかったからといって恥じる必要はないのです。」(われわれ日本人は)「『哲学』を理解することはムリでも、『反哲学』なら分かるということになるのだろうと思います」(p.26)

(ただし、プラトン主義を否定したニーチェの反哲学の考え方は、彼に影響を受けたハイデガーらとともに、ナチズムに吸い込まれていったことを忘れてはいけない。これは、プラトンのイデア論の形成にあたって、ユダヤ教の影響があったと著者が示唆しているのを考えあわせると、実に暗示的なことである。)

本書は、そうした研究を重ねてきた著者が、晩年、胃がん摘出手術の回復期に、編集者を相手に行った対面的講義の本である。だから話し言葉で、非常に読みやすいし、複雑な述語はそのたびに丁寧に解説してくれている。

たしかに西洋哲学は、自然に対する特異な発想法や、言語への過剰な執着が、肌に合いにくい。しかし、そういうわたし達も、西洋人の作った道具でコミュニケーションし、西洋人の作ったルールで経済的に競争し、西洋人の作った枠組みで発想することにならされてきた。である以上、彼らの思考法を学ぶ価値は十分にある。そして、自分が反対するものをこそ、総合的・徹底的に調べ尽くすのが、西洋人のやり方であり、この点は見習うべきではないか。

わずか500円程度のこの薄い文庫本で、その流れと文脈が見通せれば、とても価値ある買い物である。正月のゆっくりした休暇に、読むべき本としておすすめする。

 ★★ 「アラブの春」の正体 重信メイ

2013/06/21

2010年12月初旬、わたしは『日本アラブ経済フォーラム』に出席するため、北アフリカの地中海岸の都市、チュニスにいた。2年に一度開かれるそのフォーラムは、日本とアラブ諸国が経済協力のあり方を話し合う場で、その時は日本から外相・経産相をはじめ高級官僚、経団連の委員など、総勢200名以上の参加者があったはずだ。アラブ諸国からもそれ以上の参加者があった。

チュニジアの首都チュニスは、対岸のシチリアにも少し似て風光明媚な街であった。わたし達は、美しい景色やカルタゴの遺跡とともに、治安の良さとイスラム色の薄さにも驚いた。石油の出ないチュニジアは観光と製造業に力を入れており、欧米からの旅行客を呼び込むために、非常に努力してきたとのことだ。金曜日のモスク礼拝が信者の義務であるイスラム社会であるにもかかわらず、土曜と日曜が休日なのもその一つだ(他のアラブ社会では木金か金土を休む)。また、若い男女が連れ立って、夜の街をデートして歩いている。隣国のアルジェリアから来た同僚は、信じられないという面持ちで見ていた。

ただしチュニジアの治安の良さには、負の面もあった。噂では、あの小さな国に、ドイツに匹敵する数の警官がおり、多くは私服として国民を監視しているという。また世俗的で開放的な政策をずっと推進してきたベン・アリ大統領は23年間もその座にあり、親族の汚職の話題も絶えない。

しかし、あの会議に集まった数百人の参加者のうち、チュニジアでそのわずか半月後、一人の青年の焼身自殺をきっかけに国民的な反政府運動が国中に沸き立ち、ベン・アリ政権が崩壊することになるとは予想しなかったに違いない。それどころか、その運動が他のアラブ諸国に飛び火して、『アラブの春』と呼ばれる現象になるとは、たぶん誰一人として想像できなかっただろう。

本書は、日本とレバノンを活動拠点として活躍するジャーナリスト・重信メイが、チュニジアの「ジャスミン革命」が始まって2年後の2012年10月に書いた解説書である。まだ現在進行中の出来事を扱っているため、すでに今日と状況が変わっている部分もある。たとえばエジプトはムバラク大統領が失脚し、当時はイスラム同胞団のモルシ大統領政権だったが、その後周知の通り軍のクーデターが起きてモルシは拘束された。イエメンはサウジアラビアが空爆を行い、リビアはカダフィの死後、事実上の分裂状態が続いている。また「イスラム国」ISの記載もない。

とはいえ、日本人にとって分かりにくい「アラブの春」の一連の動きについて、著者はアラビア語の現地報道などに即して、手際よく見取り図をまとめている。国別に状況は多様であるが、著者の意図をくみつつ、わたしが理解したのは以下の点である。

(1) 「アラブの春」という共通現象は存在しない。それは実はキャンペーンの名前である

(2) そのキャンペーンは、主に欧米の大手メディアが喧伝しているが、中心にいたのはカタールの放送局アル・ジャジーラであった

(3) チュニジアの革命は、どんなに長く続いた独裁体制も、意外に脆い事実を近隣諸国に示した

(4) 近隣諸国の住民たちは、長く続く政権の腐敗(それが王政であれ共和政体であれ、また親米国であれ反米国であれ)に抗議の声を上げるようになった。その運動にはイスラム同胞団など原理主義傾向の強い団体も荷担した。エジプトはその典型である。

(5) 利権を持つ欧米諸国は、危機感を抱いた一部のアラブ諸国と手を携えて、自分たちと利害の反する国の指導者を放逐する活動をはじめた。それを民主化革命の応援であると位置づけ、「アラブの春」の名を利用した。これがリビアのカダフィや、シリアのアサド、そしてイエメンのサレハに対して実際に起こったことである。

著者の重信メイは、日本人の母とパレスチナ人との父の間で1973年に、レバノンのベイルートで生まれた。ベイルートのアメリカン大学を卒業後、2001年に日本国籍を取得、同志社大学メディア学専攻の博士課程を修了し、ジャーナリストとして活躍している。ちなみに母は日本赤軍のリーダーとして有名な重信房子であるが、著者自身は極左ではないし、頑迷な反米思想の持ち主でもない。むろん、独裁政権の腐敗を嫌う程度にはリベラルといえるが、本書も極力、ジャーナリスト的に中立な立場で書かれている。

中東およびアラブ諸国の現象が分かりにくいのは、元々は言語・宗教・風習を共有する一つの広大な地域だったところに、現代的な「主権国家」概念を無理に持ち込んで、国境線で分断したためである。この分断にあたって、欧米諸国の利害と、首長達の思惑が重なり合ったことが、問題を複雑にしている。またイスラム教もわたしたちの文化からは遠く、なじみがない。だが、そういいいながら、わたし達の社会は、この地域から産出される化石燃料に多くを依存している。

そして、(たいていの日本人は気づいていないのだが)中東社会の多くの人は、日本人に親近感と期待を抱いている。どういう期待か? それは欧米の旧宗主国とは違い、妙な利権も軍事的利害関係も持たぬ中立な近代国に対する期待である。わたしは請負業者としてあの地域を多少旅したことがある程度だが、それでも、そうした期待を肌身で感じたことが何度かある。そしてわたしの商売は、あの地域が平和でないと成り立たない商売でもある。

自分の商売の利得のために、他国の平和を願うというのは、さほど立派な話ではないが、利益のために他国の戦争を望むよりはマシであろう。ただ、わたし達が具体的に、この地域に貢献できることは少ない。その少ないことの一つが、現地をよく知るジャーナリストの報告を読み、より多角的・複眼的に中東を理解しようと試みることである。リビアが直接民主主義をとる高福祉社会だったとか、エジプトでは軍が金融機関を持ち自分で商売していたとか、サウジにはいまだに奴隷制に似た制度が残っているとか、初めて知る意外な事実に本書は満ちている。

2015年度のノーベル平和賞はチュニジアの「カルテット」(国民対話のための4者委員会)が受賞した。この受賞を予期していた日本人は、外交の専門家でも多くはなかったに違いない。わたし達が自分の頭の中の地球儀の歪みを直すためにも、もっとこうした書は読まれていいと思う。

★★★ 「戦略」決定の方法 ~ビジネス・シミュレーションの活かし方 川島博之

2013/06/11

「きみ。インドは経済が急成長しているが、水不足で困っているという話だ。特に南インドはひどいらしい。我が社の水ビジネスにとって南インド市場は有望だ。ついては現地に飛んで市場戦略の提案書をつくってくれ。」

そう、上司が言い出したら、どうするか。深く考えてのことではあるまい。きっと今朝、新聞で読んでの思いつきだろう。でも、上司の命令は命令だ。しかし南インドとなると、ネットでも本屋でもろくな情報は手に入らない。現地を見るのは鉄則だが、行き当たりばったりでは自分の目に見えた程度のことしか分かるまい・・

こういうとき、どうすべきかを、本書は順を追って丁寧に教えてくれる。すなわちシステム分析とシミュレーションを用いた、戦略決定の方法である。手順としては、次のようになる(p.12-22)。

(1) 目的を一つに絞り、数量化する

南インドのどこに水ビジネスのチャンスがあるのかが、自分の知りたいことだ。何よりの手がかりは水需要とその伸びだろう。これを「評価基準(criterion)の設定」とよぶ。

(2)分割して考える

対象がぼんやりと大きくて手がかりがない場合は、要素に分解して考えてみるべきだ。そこで水需要を、農業用・工業用・住宅用に分けてみる。これを「階層化」とよぶ。

(3)手がかりとなる数字を探す

南インドの農業用水といっても、それ自体の統計値は入手困難だ。だが農業用水の需要は、農地面積に比例しているのではないか。これは統計が見つかったが、どうも増えていない。その一方、農業生産量は増えている。灌漑の増加かとも思ったが、どうやら肥料や機械化の進展によるものらしい。これでは農業用水の需要増はあまり期待できそうもない。

(4)自分なりの仮説を立てる

南インドの工業用水の統計もない。しかし国際機関のデータによると、世界の工業用水の需要は、工業生産の増加に比べて、ほとんど増えていないことがわかった。工場の水利用の効率化が進んでいるのだろうか。これは現地でチェックすべきポイントかもしれないが、あまり有望には思えぬ。では、住宅用は? これなら、生活水準の向上とともに、シャワーや選択や水洗トイレの普及で増えるのではないか。南インドの人口も、一人あたりGDPも伸びている。となると、住宅用が有望に思えてきた。

(5)データの変化を時系列に見る

南インド地域の人口分布を時系列的に調べてみた。すると、地域全体の人口増加率を上回るスピードで、大都市の人口が増えている。都市への人口集中がはじまっているのだ。

(6)過去に似たケースがないかを探す

日本でも高度成長期に、都市への人口集中が進んだ。このときは上下水道をはじめとする都市インフラがまにあわず、社会問題が生じた。ならば南インドでも、上下水事業や、ミネラルウォーターなど飲料水ビジネスがターゲットとなりそうだ、と考えられる。

・・ここまで問題が絞り込めれば、現地視察で見るべきポイントも明確になる。「全体像を俯瞰しつつ、攻略のポイントを明確に提示した」(p.22)優れた戦略提案ができそうだ。

このような問題へのアプローチが、著者の言う「システム分析」である。・・え? システム分析って、システム・アナリストの仕事のこと? アナリストってあれでしょ、もう年取ってコーディングが面倒くさくなったSEが、俺は『上流工程』指向だとか言いいながらやる、業務フロー描きのことじゃないの?

そうではないのだ。「システム分析(systems analysis)」は、まだコンピューターなどなかった、第二次世界大戦前夜の英国で生まれた。「イギリス本土を狙うドイツ軍に対し、劣勢に立たされたイギリス軍は、少ない戦力で有効な防衛戦略を立てるためにノーベル賞級の科学者達を動員、支援化学の知識や手法を戦争に関わるあらゆる分野に応用させた」(p.8)のである。当初、「作戦研究operational
research」と呼ばれたこのやり方は米国にも取り入れられ、戦後になって「OR」(operations research)や「システム分析」と呼ばれるようになる。

第二次大戦の当初、ドイツ軍は電撃的にフランスを制圧し、イギリスは劣勢に陥る。まだ米国もソ連も参戦していない。ドイツは1940年7月、イギリス侵攻のために沿岸部の制空権を奪うべく、空軍による攻撃を開始する。「バトル・オブ・ブリテン」の開幕である。まだレーダーが未発達の当時、空からの攻撃側が圧倒的に有利というのが常識だった。しかも戦闘機の数はドイツ1100に対して英軍800と劣勢である。「戦闘における損害は戦力の二乗に反比例する」というランチェスターの法則(p.44)を持ち出すまでもなく、劣勢は明らかだった。

このときチャーチル政権下の英国は、物理学者ブラケット(後にノーベル賞受賞)をリーダーに、対空防衛作戦に助言するための物理学・生物学者らの科学者チームを組んで、定量的・客観的に問題を考えさせた。これがいかに画期的な決断か、言うまでもないだろう。軍事の素人に、作戦を助言させようというのだ。

彼のチームは、数少ない照準用レーダーの配置にあわせて高射砲を集めることを提案する。その結果、防空網に空白ができてしまうが、「高射砲をばらまくより、正確な照準に合わせて集中的に狙い撃ちした方が効率的である」という結果を、科学者達はそれまでの出撃記録のデータを分析して得ていた。事実、その方策により、敵1機を撃墜するまでに必要な高射砲の発射弾数は2万から4,000まで減るのである。またレーダー以外にボランティアの肉眼の報告も活用し、どこの基地から何機飛ばすかを数式化しておいた。しかも彼らは、「数的不利を挽回するまでの間、現存の空軍戦力でできる限り温存する」方針の下、ドイツが誘い出す全面戦闘に決して乗らなかった。レーダーと飛行場の守備に重点を置き、市街地への爆撃などは放置するという徹底ぶりである。

結局、「バトル・オブ・ブリテン」は10月にドイツが撤退して終わる。ドイツ軍の3ヶ月間の損耗率は、英軍の2倍近かった(p.69)。これが、システム分析の力なのだ。

著者は、日本軍の特攻と比較することも忘れない。当初こそ効果のあった神風攻撃に対し、米軍はすぐシステム分析に基づいた対処法を考え出す。空母の前方に多数の駆逐艦を配し、襲来をレーダーで早期に発見、空母から迎撃機を差し向ける。かいくぐって標的に近づいた特攻機も、強化された対空砲火でほとんどが撃墜されるのである。成功率は3%程度と、驚くほど低かった。「特攻の悲劇は、システム思考のできない国の悲劇でもありました。」(p.68)

システム分析を上手に行うための最大のポイントは、「モデリング」にある。良いモデルをつくるには、要素の絞り込み方が重要である。かつて経済企画庁は、日本経済の予測モデルをつくり、数千もの連立微分方程式からなる、と自慢していたが、予測はちっとも当たらなかった。じつは、大蔵省(当時)の意向で、低い経済成長率を発表できなかったのである。答えが先にあって、複雑なコンピュータ・モデルをいくら回したって、何にもならない。こういう、つじつま合わせのためのシミュレーションは現在でもしばしば見かける。システム分析の失敗例として著者があげるのは、(1)ローマクラブの「成長の限界」、(2)マクナマラ国防長官のベトナム戦略、(3)ブラック=ショールズの金融工学によるファンド(LTCM)、である。

他方、問題の立て方、評価尺度の選び方も重要だ。「同じシステム分析と言っても、イギリス型とアメリカ型にはかなりの違いがあります」(p.139)と著者は言う。金銭など数字的な分かりやすさを重視して割り切るのがアメリカ型である。これに対して歴史的な視点を重視し、問題を立体的に把握しようとするのがイギリス型で、その結果えられる結論は、「多分に分析者個人の哲学を反映したものになります」(p.139)。それでも、複雑な問題に対してはイギリス型がベターだと著者は考える。

ちなみに著者の川島博之氏は、1953年生まれ、東大農学部の助教授である。なぜ農学部の先生が「システム分析」を? と思うかもしれない。じつは川島先生は工学部・化学工学の出身なのである。大学院からは環境問題を研究し、その後、農業問題、食糧問題の研究に転じる。このときに武器としたのがシステム分析とシミュレーションであった。そして近年、この手法を応用して、

『食糧危機』をあおってはいけない」、

電力危機をあおってはいけない

データで読み解く中国経済―やがて中国の失速がはじまる

などの著書を次々に上梓し、啓蒙活動に力を入れておられる。2013年の6月には、わたしが主査を務める「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」に招いて講演いただいたが、具体例が多く、かつ意外な視点に満ちていて、非常に面白い内容であった。

本書は最初、大学生・院生を相手としたシステム分析の専門書として構想したらしい。ところが昨今、出版不況にあえぐ出版社は、「大学生は本なんか読みません」「数式の入った本なんて売れません」と、どこも協力を渋って、やむをえず文化系のビジネスパーソンをも対象とした「『戦略』決定の方法」になったらしい。たしかに、これだけの高度な内容を、数式を一切使わずに伝えていく著者の説明能力は見事である。また、挙げられている例も、ビジネス戦略から始まって、技術・経済・軍事・環境など幅広い。システムズ・アプローチに興味を持つ読者に、安心して勧められる良書である。

ただし、上記のような出版事情については、一言いっておきたい。この件では、著者は専門書を断られたがゆえに、かえって広い読者層を得たと言えるだろう。けがの功名である。しかし、本当にこれでいいのだろうか。もっと日本人が本を読んでいた頃、高級な知的人士は、「アメリカ人は本を読まない」とバカにしていた。しかし、知り合いのコンサルタント氏は、90年代にアメリカで出版した工業系の専門書で、まだ毎年それなりの印税収入を得ているという。多少高くても、彼の地では専門書は売れるのである。それは、能力向上には本格的な勉強が必要だと、彼らが思っているからだろう。

「短時間で手軽に勉強したい」

→「その結果、能力はあまり向上しない」

→「失敗が多い」

→「だから収入もあまり伸びない」

→「いつまでも忙しい」→「勉強する暇がとれない」

→ よって、「短時間で手軽に勉強したい」。 

わたし達の社会によく見られる、このようなダウン・スパイラルはいい加減、卒業すべきではないか。きちんと勉強し、繰り返し練習し実践することでしか、有益な能力は身につかないのである。もちろん、個人だけではない。そうしたことを理解せずに、若手に「即戦力」を要求する企業組織の側も、それにより、同じダウン・スパイラルに陥ってることに気づくべきであろう。あなたは「即戦力を育てる」医科大学を卒業したばかりの医師に診察してもらいたいだろうか? 「一週間で資格が取れる」訓練を受けたパイロットの飛行機に同乗したいだろうか? 

わたしなら、ごめんだ。

★★★ 亡命 ~遥かなり天安門 翰光

2013/03/30

2008年6月。米国ワシントンDCの国会議事堂前広場に、数百名の中国人が集まった。天安門事件の19周年記念集会を行うためだ。呼びかけ人は「公民力量」(Citizen
Power)という在米中国人組織の代表・楊建利と、天安門事件当時学生リーダーだった王丹、作家の鄭義らだった。彼らはさらに中国大使館までいき、無反応に沈黙を守る建物の前で抗議のスピーチと、自作の詩を朗読して意思表示を行った。

スピーチの中で、楊建利はかつて獄中で知り合った20歳の青年のエピソードを語った。青年は微罪にもかかわらず、見せしめ厳罰のキャンペーン取締りにあい、死刑判決を受けた。刑の執行の直前、彼はこう言ったという。「今度生まれるときは、よく目を見開いて、もし中国の国旗が見えたなら、私は出生を拒否します。」(p.9)

本書は天安門事件のために母国を追われ、アメリカをはじめ世界各地に亡命せざるを得なくなった活動家たちのインタビューである。著者の翰光氏は中国・東北部出身、日本に留学した後、ノンフィクション作家・映画監督として日本・中国・米国をまたにかけて活躍している人であり、本書も同じタイトルの映画「亡命」と同時に作られた。わたし自身は、映画は未見であるが、本だけでも十分に面白い。本書は昨年読んだすべての本の中でも三本指に入る傑作である。何より、各人の語る半生と生き様が、ドラマチックで非常に興味深い。

登場するのは、作家の鄭義、詩人の黄翔、政治評論家の胡平、画家の馬徳昇、ノーベル賞作家の高行建、物理学者の方励之、牧師の張伯笠、歴史学者王丹らだ。ほとんどは、はじめて名前を聞く人たちであった。しかし、インタビュー全体の構成は非常に巧みであり、中国の現代史の流れに沿って、各人の出生や来歴、そして思想が語られる。それらを通して読むことで、わかりにくい中国という国の政治状況が、日本の読者にもひしひしと伝わってくるようにできている。

天安門事件は周知の通り、1989年に起きた、中国の民主化運動に対する暴力的弾圧事件である。天安門広場に座り込んだ学生・市民に対して、共産党政権は軍隊を投入し、機関銃掃射と戦車による虐殺・排除を行った。運動の指導者たちは指名手配を受け、全国に散って逃亡した。しかし、この事件の背景を理解するためには、どうしても「文化大革命」という、中国史に残る野蛮かつ悲惨な11年間の社会動乱を知る必要がある。

文革が始まったのは1966年、事実上終わったのが1977年頃である。この後、数年間は中国には緊張緩和と反省と比較的自由な言論の時代が訪れる。ところが80年代中盤になると、再び共産党による言論と思想の引き締めが戻ってくる。これに反発した市民運動の頂点に来たものが、天安門事件であった。

ところが、この文革という出来事が非常に分かりにくい。この時代、中国は事実上の鎖国に近く、国外には部分的な、それも政権に都合の良い情報だけが流されてきた。おまけに、中国においても、まだ十分に文革は反省され総括されていない。あまりにも大きな社会的出来事は、それを民族の記憶として反芻できるようになるまでには数十年単位の時間がかかるのである。

それでも、本書を丁寧に紐解いていくと、文化大革命の実相が次第に見えてくる。それは、毛沢東による権力の(再)奪取のための運動であった。毛沢東は軍事的天才であり、中国共産革命の指導者であったが、50年代の経済政策・「大躍進」運動で失敗し、実権を劉少奇・鄧小平らに奪われていた。ただ、最高幹部内での信頼は失っていたが、彼にはまだ大衆の人気があった。

毛はこれを逆手に取り、大衆を扇動して権力を奪い返すことを思いつく。彼は共産党内に「文化革命小組」なる特命プロジェクトチームを作り、手下となる暴力組織(私兵)を組織する。それが紅衛兵である。最初にできたのは、共産党高級幹部の子弟たちによる、通称「貴族紅衛兵」だった。しかし、その原理主義的運動は庶民の子弟にも広がっていく。すぐに「平民紅衛兵」の数が圧倒的に勝って、優劣が逆転する。

そして、この私兵組織はやがて全国で暴走し始め、手がつけられなくなる。穏健派の周恩来は指導本部を置こうとしたが、機能しない。彼らは各地の党本部を占拠したり、企業を襲撃したりして、「守旧分子」を攻撃・暴行・排除して行く。こうして毛主席の神格化だけが進み、一切の批判的言論の許されぬ、狂乱と文化的破壊の10年間が続くのであった。

すなわち文革とは、窓際の副社長が特命プロジェクトをでっち上げて、社内組織を骨抜きにし、その余勢をかって社長の椅子に舞い戻る、というゲームであった。この権力ゲームのために、最低でも数百万の国民が命を失い、数千万人が理不尽で悲惨な境遇に苦しんだのである。

それにしても、数億の民を路頭に迷わせたこの「革命」運動は、毛沢東と彼の少数の手下だけが責任を負うべきなのか? そうではないのだ、そこには中国の民衆、あるいは中国文化そのものに内在する問題があったというのが、亡命者たち何人かの苦い認識である。

毛沢東が76年に死去し、文革が終わった後、実権派の鄧小平が復権する。鄧小平が片腕としたのは、政治方面は胡耀邦で、経済方面は趙紫陽だった(p.109)。二人とも比較的若手である。しかし、彼らの背後には、既得権益をかかえた共産党≪保守派≫の長老たちがいて、性急な改革・民主化路線を、陰に陽に邪魔していた。ここで例の「貴族紅衛兵」のことを思い出してほしい。高級幹部の子弟だった彼らは、80年代には権益を独占する「太子党」の中心となり、また平民紅衛兵につるし上げられた経験から民衆運動を毛嫌いしていた。

結局、鄧小平が選んだ改革開放路線は、共産党幹部層に特権を確保したまま、経済だけを自由化して成長する路線だった。自由な言論と政治参加を求める声には、次第に門が閉ざされて行く。1980年、胡平は早くも「民主がなくとも近代化は可能で経済発展もできる。近代化が必ずしも政治的民主を促進するとは限らない」との先見を発表していた(p.79)。

87年、鄧小平は民衆に人気のあった胡耀邦を解任する。2年後の4月、その胡耀邦が急死。北京大学で学生デモが勃発するが、人民日報は「動乱」と決めつける(≪保守派≫の李鵬の指示)。5月、3000人の学生がハンストに入り、趙紫陽らが支援のため訪問する。こうして民主化活動と党の≪保守派≫は激突状態になる。そして翌6月、天安門事件が勃発するのである。結果として政権の武力鎮圧が成功し、中国はまた特権階級による独裁政治に逆戻りする。

ところでわたしが≪保守派≫とカッコ付きで書くのには理由がある。共産党は本来、革命政党だから、主流派に保守という言葉を普通に使うのはおかしいはずである。だからと言って、彼らを革命派とか左派と書くともっと訳が分からない。そこでわたしは、次の三つの信念を持つ人間を≪保守派≫と呼ぶことに決めている。

(1) 世の中には、支配する側にふさわしい少数者と、支配されるべき愚鈍な多数者がいる

(2) 自分は、支配すべき側についている

(3) 現在の世の中は、支配にふさわしい者が支配している

このように定義すれば、旧ソ連のノーメンクラツーラも、ムッソリーニのファシスト党も、イランの革命防衛隊も、全部うまく当てはまるので都合がいい。無論、この≪保守派≫は、文化や芸術や経済政策上の保守主義とは関係ない。また、(3)が満たされていない(権力を得ていない)状態では、その人間はまだ≪造反派≫である。

文革の最中、中国では「親が英雄なら息子は好漢。親が反動的なら息子も馬鹿」という血統論が支持された(p.62)。このような単純なラベル貼りが通用する社会では、あっという間に特権階級が生まれ、腐敗していくだろう。その根源には、極端な権力迎合と拝金主義に走る無定見な人々、という社会の病がある。

著者が書くように、「21世紀に入り、飛躍的な経済発展をなしとげ、経済大国に変貌した中国は、皮肉なことに亡命者の数も世界トップ水準である」(p.vii)。胡平も言う。「中国人は数十年間、共産党にありとあらゆる政治的な破壊行為を繰り返され、たくさんの人が命を落とした、その酷さにおいて歴史上類を見ません。これだけの災害に遭遇しながら、基本的な民主や自由すら手に入れられていないのは本当に心が痛みます。しかも、そんな状況にありながら、いまだにたくさんの人が泰平の世だと謳歌しています。(中略)少しでも条件の良いものは専制国家を願うというのは、過去の犠牲者たちの姿を踏みにじるものです。」(p.256)

本書は、祖国に自由を取り戻そうと苦闘しつつ、見えない長城に阻まれる、中国からの亡命者たちの声をていねいに掘り起こした、貴重な労作である。一人ひとりの勇気ある、しかし苦難に満ちた旅路は、ドラマよりもドラマチックだ。文章の日本語も、美しく読みやすい(翻訳ではなく最初から日本語で書かれた)。中国の現代史に、あるいは共産主義専政と人々の闘いに興味のある方に、強くお薦めする。

なお、巻末にも簡単な年表がついているが、わたしが本書を読みながら整理した中国文化大革命から天安門事件までの小史を、読者の利便のためにここに記しておこう。

中国革命小史(文革から天安門事件まで)

1966年

* 5月 幹部子弟が円明園に集まり、紅衛兵を組織(貴族紅衛兵)

* 8月 北京の恐怖の1ヶ月。毛沢東が天安門広場で紅衛兵を謁見

* 10月 林彪の国慶節演説で平民紅衛兵を支持。貴族紅衛兵と立場が逆転する

* 12月 逮捕された貴族紅衛兵を毛沢東が恩赦(周恩来の仲介)。彼らは後に「太子党」の中心となり、民衆運動を毛嫌いするようになる

1967年

* 1月 文革は最高潮。上海では労働者が党委員会を脱権。全国に暴力が広がる

1968年

* 10月 劉少奇が失脚(翌年 監禁状態で死亡)

1970年

* 1月 共産党中央は「一打三反」運動を指示。全土で権力者の処刑・権利剥奪。

1971年

* 9月 林彪事件(モンゴルに逃亡し墜落死)

1976年

* 4月 周恩来死去。第一次天安門事件が起こる

* 9月 毛沢東死去。江青ら四人組が逮捕される

* 12月 10年ぶりに大学進学の全国統一試験を実施

1977年

* 8月 鄧小平が副総理に復帰

1978年

* 8月 「傷痕文学」ブームの始まり。文革中の非人間的事件を描く

* 10月 「民主の壁」で詩人黄翔らが毛沢東批判

* 12月 鄧小平が全面的に復権。改革開放政策が採択される

1979年

* 「改革開放」政策始まる

* 2月 鄧小平が毛沢東批判者の締め付けを開始:「四つの基本原則」

1980年

* 8月 趙紫陽が華国峰にかわり総理に就任

* 11月 胡耀邦が共産党主席に選ばれる

1981年

* 民間雑誌、民間組織の取り締まり始まる

1983年

* 春、高行健「バス停」上演、危険視される

* 「精神汚染反対」キャンペーンがピークに

1984年

* 党長老の鎮雲、第三世代育成を明言。「太子党」の始まり

1985年

* 3月 物理学者方励之が民主化運動について大学で講演、反響をよぶ

1986年

* 上海学生運動、北京、成都、西安、蘇州などに広がる

1987年

* 1月 鄧小平一号文書「我々は流血を恐れない」

* 同月、胡耀邦総書記を解任

1988年

* 春頃から物価が高騰、インフレが進行する

* 国営企業の民営化にからみ共産党幹部の腐敗多数

1989年

* 4月 胡耀邦が急死、北京大学で学生デモ勃発。人民日報が「動乱」と決めつける(李鵬の指示)

* 5月 3000人の学生がハンストに入る。趙紫陽らが訪問

* 6月 天安門事件。運動家たちの投獄と逃避行が始まる

* 東欧革命始まる(11月にベルリンの壁崩壊)

★★★ それでも、日本人は『戦争』を選んだ 加藤陽子

2013/05/03

前回書評で取り上げた「ハーバード白熱日本史教室」は、女性の歴史学者による講義の話。今回の本書も、女性歴史家による講義録。だが内容は、ずいぶん違う。先の著者は米国で活躍中の新進の研究者だったが、他方、こちらは東大の教授である。歴史研究に対する姿勢も、方やマクロな印象主義に対して、こちらはミクロな史料を地道に追いかけ分析する伝統的スタイル。こう書くといかに渋そうな内容に聞こえよう。だが、面白さの点でいえば、良い勝負、いや、むしろこちらに軍配が上がる。とにかく、一読、巻を置く能わず、というくらい面白いのだ。

タイトルだけ見ると、なんだか左翼歴史家の反戦史観による糾弾の書、みたいな印象を受けるかもしれない。しかし、それはまったくの誤解である。本書は、戦略思考に関する本なのだ。それも、国家戦略を考える練習帳である。著者は、講義の聴講生(すなわち読者)にむかって、「これこれのシチュエーションにある時、列強は当該国に、どういう要求を出してくるでしょうか?」「帝国主義の時代において、戦争の最大の『効用』は一般に何だったでしょうか?」といった質問を次々に繰り出してくる。あれか? これか? 自分でも思案しながら読み進むと、事実や数字を背景に、意外な答えが解説される。そういう面白さに満ちた本である。だから、ストラテジーというものに関心を持つビジネスマンは、みな本書を手にして、考えながら読むべきである。非常にためになるだろう。

ちなみに本書は2007年の年末から正月にかけて、5日間にわたり行われた中高校生向けの講義録である。受講生は、神奈川の私立・栄光学園の歴史クラブのメンバー。しかし講義は決して程度を落としたものではないし、生徒達もちゃんとついていくばかりか、ときには著者の質問にはっしと切り結んだりするから立派なものである。

たとえば、著者は米国の歴史家A・メイの『歴史の誤用』(過去の歴史から間違った教訓を学ぶこと)の例として、アメリカがベトナム戦争に深入りしていく経緯をとりあげ、「どのような歴史の教訓がアメリカを縛ったのか」と問う(p.76)。それに対して、一人の生徒の答えは「赤狩りとかがあって、共産主義に対する恐怖心が植え付けられて強硬にならざるを得なかった」と推論する。なかなか鋭い視点である。米国がインドシナに深入りを始める’50年代前半が、マッカーシズムの時代だったことを的確に見ている。大人でも、両者のつながりが見えていない人は多いだろう。

ところが、これに対する著者の答えは、「アメリカにとっての『中国の喪失』の体験です」という、意外なものだ。第二次大戦は、米国が蒋介石の中国と同盟して日本に勝った戦争だ。ところがその後4年間の中国の内戦を、アメリカは手を出せずに過ごし、結局は共産化してしまった。巨大な潜在的市場を失ったのである。「この中国喪失の体験により、アメリカ人の中に非常に大きなトラウマが生まれました。戦争の最後の部分で、内戦がその国を支配しそうになったとき、あくまで介入して、自らの望む体制を作り上げなければならない、このような教訓が導き出されました」(p.78)。--これはA・メイの解釈を著者が紹介している箇所だが、現代に至るまで、じつにアメリカの戦略と行動を見事に規定しているではないか。

むろん、この本の主軸は日本の近代史、それも戦争をめぐる近代史である。したがって第1章は日清戦争から始まる。19世紀末、中国(清)と日本は東アジアの両国関係のリーダーシップを争っていた。軍事的紛争は、その一局面であるという立場を著者はとる。だから今日いわれるような「侵略・被侵略の物語では、返って見えにくくなるもの」が歴史にはある(p.84)と著者は主張する。李鴻章の改革により急速に近代化する中国の軍隊。これをみて危機感を募らせた山県有朋に対し、ウィーンのフォン・シュタイン教授がアドバイスをする。彼は、主権の及ぶ国土の範囲である「主権線」と、国土の存亡に関わる外国の状態を「利益線」とを区別すべき事を教える。その上で、ロシアの南下の動きも合わせ見て、朝鮮半島を中立に置くことが日本の利益線になる、と諭すのである。

もちろん、そう簡単にはいかない。清は朝鮮を華夷秩序の版図の内に見ているから、結局は日清戦争が起こる。結果は日本が勝ち、国家予算の3倍もの賠償金を手に入れるのだが、外交の失敗により三国干渉で遼東半島の支配権を失う。「その結果おこった国内政治の最大の変化は何か?」という問いも面白い。それは、日本の民意の高まりである。国政に、普通選挙を通じてもっと民意を反映させたい、という運動なのだった。

日露戦争もまた、朝鮮半島の支配権をめぐる戦争であった。そして第一次大戦。欧州列強たちの活動の空白を狙って、日本はドイツが得ていた山東半島の実効利権を獲得しようと動き、さらに「二十一箇条の要求」を出す。これが世界に与えた影響は、実は甚大だった。中国では初めて自発的な国民運動が起き、日本は世界外交で綱渡りを強いられることになる。そうして日本は、満州事変から日中戦争へと泥沼に足を踏み入れていくのである。こうした流れを、著者はいろいろな問いを立てながら導いていく。

「(日露戦争前の)ロシアは、日本が韓国問題のために戦争に訴えてでも戦うつもりであったことに、なぜ気づかなかったのでしょうか?」(p.170)

「日露戦争後に、日本国内では国会や地方議会に出てくる人の質が変わった。どう変化したのでしょうか?」(p.184)

「列強がヨーロッパでの第一次大戦で手一杯のときに、この戦争を機会にめざされた,島国としての安全保障上の利益は何でしょうか?」(p.196)

「イギリスはなぜ、日本が日英同盟の名によって大戦に参戦するのをよろこばなかったのでしょうか?」(p.216)

こうした問いの連鎖は、最終的に、「日本はなぜ、圧倒的に国力に差があるアメリカと戦争に踏み切ったのか?」「日本軍は戦争をどんなふうに終わらせようと考えていたのか?」「なぜ、緒戦の戦勝に賭けようとしたのか?」という、本の表題の発問につながっていく。

最初に書いたように、著者はけっして反戦史観の歴史家ではない(もちろん、好戦的史学者でもないが)。ついでにいうと、著者が好む歴史的人物は、たとえば松岡洋右(満州国問題で日本が国際連盟を脱退したときの外交団長)や、中国の外交官であった胡適(日本との戦争に最終的に勝つためには、中国が最初の2,3年は負け続けて多くを失う必要がある、という捨て身の戦略論を唱えた)である。さらに、石原莞爾(満州事変の首謀者)あたりにも好意的に感じられる。いずれも、非常に知的であり、かつ大胆な行動をとり、エリートだが非主流派的な人物だ。頭が良くて、男らしい男。いかにも、東大の女性が好きそうな好みではないか。

それはともあれ、本書の冒頭には、18世紀のルソーが早くも喝破していた、「戦争とは、相手国の憲法を書きかえるもの」であるというテーゼが紹介されている。相手国の支配原理を転換させること。これがために、国家はどのように考えどのように準備するのか、またどのような錯誤がそれをおかしな方向にむかわせるのか。これが著者の研究テーマである。

そうした国家戦略の問いに対して、優秀な高校生達が十分に議論を交わせることに、わたし達は新鮮な驚きを感じる。頼もしい、と思う人もいよう。

しかし、本当にそれだけでいいのだろうか?という疑問が、読んでいて頭をかすめたのも事実だ。たとえば、長い人生経験を通じて得られた人間性への洞察、あるいは個人の意思と運命的な世の動きとの相克に対する感情的共感、そして複雑な人間集団の中でぎりぎり求められるモラル--こうした理解や知恵は、国家戦略の分析には不要なのだろうか。企業の小さな組織でさえ、しばしば利害だけでなく人々の情念に動かされる。国家のような大きな問いに向かうとき、本当は単なる『頭の良さ』だけでなく、成熟した『賢さ』こそが、一番求められるのではないだろうか。

第二次大戦における日本の最大の不幸は、一部の『頭の良い』人たちが中央に残った代わりに、市井にいた大勢の『賢い』人たちを失ったことにある。そのことに、本書はなぜか十分な注意が向いていないように思われる。本書は非常に面白い。だが、その面白さは、良くできた棋譜の解説に似ている。だから、読み終わってしばらくたつと、中に何が書かれていたか,また読み返さないと思い出せなくなるのである。







 ★★ ハーバード白熱日本史教室北川智子

2013/06/08

世の中には優秀な人がいるんだなあ、と、まず感じた。著者は1980年生まれ。高校を出てすぐカナダに単身渡り、ブリティッシュ・コロンビア大学を3年で卒業。それも数学と生物学のDouble
major(二重専攻)で両方の卒論を書き、国際関係を副専攻する。3年生の時にハーバードのサマースクールで日本史を受講。その後、日本史専攻に転じて2年でカナダで修士を取り、博士課程はプリンストン大学に入学。しかも、「単位数を無茶苦茶なスピードで積み上げ」(p.26)、入学からわずか1年と1ヶ月でジェネラルズと呼ばれる前期試験に合格する(普通は最短でも2年)。

その後、1年間は日本に戻り、東大の史料編纂所に研究生として通いながら史料を読みあさり、3年目は米国に戻って論文を書き上げ、なんと3年以内で博士号をとってしまう。そして、ハーバード大学のカレッジ・フェローの職に就く。歴史学の世界では、短くて5年、普通で7年は学位取得にかかるのが常識だから、驚くほど早いスピードでプロの研究者になったわけだ。レポート機能の不具合のお知らせ

しかも学生の時にはアイスホッケーのチームにも所属し、かつピアノも趣味で、ハーバードでは1日に2時間は練習するというのだから、この人はいったいいつ寝ているのだろう?と不思議に思えてくる。たぶん、いったん読んだ本は決して忘れず、いったん学んだことはすべて頭に残り、かつ、一度あった人は全員覚えている、というふうな頭の構造をしているのではないか。そう思えてならない。まことに何というか、うらやましい限りである。

その著者が、ハーバード大学のごく弱小学部である東アジア学部で開講した日本史の授業「Lady
Samurai
」が人気を集め、初年度は16人だったのが、2年目は104人、そして3年目は251人もの学生を集めることになった。教室も当然、毎年、大きなホールに移っていく。ハーバードで日本史を学びたいという人も、彼女が来るまではほとんど途絶えそうだったのに、どんどん増えていく。ハーバード大の「ティーチング・アワード」を受賞し、「思い出に残る教授」にも選出され、「ベスト・ドレッサー賞」まで受賞する。まことに驚嘆すべき活躍ぶりである。写真を見ても分かる通り、ガチガチの才女タイプではなく、にこやかな笑みが特徴の、若く魅力的な女性だ。

では、彼女が論文のテーマにした"Lady Samurai"とはどんな概念なのか。女性のサムライ--それは別に、薙刀を振り回す巴御前のような女性のことではない。たとえば、秀吉の正妻であった北政所ねい(ねね)を例にあげて、彼女は説明する。秀吉自身の手紙や、周囲の記録を丹念に読んでいくと、「ねねの方」が秀吉とペアを組んで、二人三脚、城下町を統治する姿が浮かび上がってくる。秀吉も要所要所でねねに意見を聞き、アドバイスを受け入れる。また、彼女のようなサムライの妻たちも、社会で武士に準ずる身分上の扱いを受ける。

むろん、当時は男尊女卑の社会ではあったが、それでも夫婦が共同で統治し事業を行なっていく姿を、著者は「ペア・ルーラー(夫婦統治者)」として位置づけ、奥方をLady Samuraiと呼ぶのである。(読んでいて、なんとなくほぼ同時代のスペイン王と女王の夫妻Reyes
Catolicosを思い出した)

ペア・ルーラーの概念がこの著者の創意かどうかは知らないが、日本史の中でその存在を実証したところが研究のユニークな点である。しかし講義の人気は研究内容ばかりではなく、独創的な教え方によるところが大きい。「アクティブ・ラーニング」と呼ぶ、地図づくり、ラジオ番組作り、そしてグループでの映画(PCビデオ)作りなどの五感をフル活用した教育法が、学生達を虜にしたのである。

著者は自分の目指す学風を「印象派歴史学」と名付けている。印象派の絵のように、細部よりも全体像にこだわる歴史学である。それを通じて、日本とは何か、という「大きな物語」としての歴史記述を構築したいという。その意気やよし、であろう。

確かに、現代日本は「大きな物語」、一般化された歴史叙述を失ってしまっている、との主張(p181)はその通りと思う。日本の国家としての物語・自画像は、第二次大戦の敗戦と共に、バブルのごとく潰えた。それ以降、大きな物語の不在は、我々日本人の知的背骨を弱くしている。

ただ、本書を読んでわたしは少しだけ懸念も感じた。著者への批判ではない。わたしが中年男性だから感じる不安である。一般に中年男性というのは案外、嫉妬深いのだ。著者は優秀な若手研究者である。すでに日本のメディアから取材や講演の依頼が殺到していることだろう。学会講演だってするかもしれない。そして皆、一応拍手喝采するだろう。

だが、歴史学という仕事は、大ざっぱな印象で物語を作り上げることではない、古文書に紙魚のごとくへばりつき、細かな事跡を一つずつ詰めて行く地味な仕事だ、と信じる人も大勢いるはずだ。彼らは内心、何を考えるだろうか。北米で教育を受けた著者の、第二の天性とも言えるポジティブ思考と、物怖じしない表現についていけるだろうか?
個別性の世界にこだわる人々から見れば、彼女の論理はつっこみどころ満載である。本来は学問的に冷静に検討すべき議論が、他の感情にかき乱されないだろうか?

教育はいい。大学の講義は、学生アンケートによる評価システムで数値化され、競争の優劣も明白になる。しかし研究は、優劣を簡単に決め難い世界だ。その業界に、著者はこれから身をおく。彼女の優れた才能と溢れるばかりの意欲が、邪魔されずに育ってくれるといいのだが。

★★★ 世界の経営学者はいま何を考えているのか 入山章栄

2013/05/08

「ドラッカーなんて誰も読まない!?

 ポーターはもう通用しない!?」

--これが本書の帯の宣伝文句だ。著者の入山氏はニューヨーク州立大学バッファロー校(ビジネススクール)の助教。2008年にピッツバーグ大学でPhD(博士号)をとったばかりの、新進気鋭の経営学者である。

ドラッカーなんて米国の経営学では完全に過去の人だ、というと、日本ではやはり驚く人が多いのだろうか。最近もドラッカーに女子高生をかけあわせた本がベストセラーになったばかりだし、彼の本は古くから広く読まれ、「ドラッカー学会」まであるくらいだ。(ドラッカー自身も日本が好きだった)

もちろん、ドラッカーがマネジメント研究の先駆者であることは確かである。しかし、ドラッカーはウィーン出身の人だけに、発想の根本が非常に『中欧的』である。たとえば「企業は基本的に社会のものである」という彼のテーゼは、“企業は株主の所有物だろ”との考えが主流の現代アメリカのビジネス文化とは、(その当否は別としても)かなりかけ離れてしまっている。

ポーターについて言えば、彼の「競争優位戦略」論は元々、ミクロ経済学を逆手にとった発想であった。効率的な完全競争市場では、誰も度はずれに大きな利益は手にできない。だから、すぐれたポジショニングによって不完全な競争状態をつくる(=ムダな競争を避ける)ことが、持続的な優位を得る戦略である。そう、ポーターは主張した。’80年代前半のことである。

ところが本書によれば、’90年代後半から現れた大規模な実証研究により、企業が10年以上続けて同業者より高い業績を上げるケースは、全産業で2-5%にとどまり、かつ優位性を維持できる期間が短くなっていることが分かってきた。さらに、より多く競争行動を行う企業の方が、シェアや総資産利益率が上昇するとの発見も出てきた。だから、ポーターの競争優位戦略「だけ」では、競争戦略を説明できないようである。なるほど、たしかに面白い。

この例のように、現在のアメリカの経営学は、理論に加えて、統計を多用した実証を重んじる。これは経営学が「科学」science を目指しているためで、西洋人の科学志向に立脚している。だから著者の入山氏は導入部第2章で、「経営学は居酒屋トークと何が違うのか」という、根源的な問いを立てる。居酒屋でSONYやパナソニックと韓国の電子メーカーを比べて、まるでサッカー試合の批評のようなことを論じるのと、経営学研究とは、どこが違うのか?

答えは、“実証可能性”である。言葉を並べただけの感覚的な一般論と、データで検証可能な理論は、厳然と区別されなければならない。それが学問的訓練というものだ。そして著者は、そうした訓練をきちんと受けて身につけている。おまけにとても明晰で論理的ある。頭の良い人の文章を読んでいると、読んでいる自分まで頭が良くなったような気がする--そんな徳を、この人の文章はそなえている。

本書には、他にも学べる点が非常に多い。たとえば『トランザクティブ・メモリー』の概念を、わたしは初めて知った。「組織の記憶力に重要なことは、組織全体が何を覚えているかではなく、組織の各メンバーが他のメンバーの“誰が何を知っているか”を知っておくことである、というものなのです。」(p.90)--つまり、組織のメモリーとは、メタ・メモリーの形にしておく方が効率がいいらしい。

あるいは、ウォルマートの販売予測戦略である。「ウォルマートは郊外を中心に出店を進めて他社との競争避けていました。さらに"Everyday
low prices"の印象を消費者に与えることで広告費を抑え、販促活動を減らして売り上げ変動を減らし」た。でも、それだけではない。「その結果ITシステムを使っての販売予測をより正確にする効果もありました」(p.121)。さすがである。くやしいくらい頭が良い経営だ。

日本と国民性が1番近いのはポーランドだ、という発見もあった。「ホフステッドは(多国籍企業IBMの従業員11万人の分析を通じて)国民性という概念が4つの次元からなることを明らかにしました」(p190)。その4つとは、

(1) 個人主義か集団主義かを表す指標

(2) 権力に不平等があることを受け入れているかという指標

(3) 不確実性を避けがちな傾向があるかという指標

(4) 競争や自己主張を重んじる「男らしさ」で特徴づけられるかという指標

である。その結果、国民性の近さを数値的に計算できるようになったのだが、著者の計算によると「日本と国民性がいちばん近いのはハンガリーとポーランドです。東ヨーロッパのニカ国が日本と近い国民性を持っている、というのはなかなか面白い結果と言えます」(p.194)。なんとなく半信半疑に思えるが、データがすべて公開されているから、きちんと議論が成り立つ。これが居酒屋風感覚論との相違である。

とはいえ、現代の最先端の経営学が、キレイな理論構築とその統計的実証にあまりにも傾きすぎている問題点も、著者は指摘している。それは、主流のアカデミック・ジャーナルへの発表論文数で競争し続ける、経営学者たちの陥るバイアスである。理論的根拠が不明だが、実務上は意味のある統計や、個別のケースに深く入り込んだ事例研究が、評価されにくい。本来、実学であるべき経営学が、あまりに強い科学志向のために歪んでいるのだ。

もう一つ、問題がある。著者は、企業をその保有する資源の観点で分析評価するResource-based
view
について、J・バーニーの有名なテーゼを紹介する:

「(1) 企業の経営資源に価値(value)がありそれが希少なとき、その企業は競争優位を獲得する。

 (2) そのリソースが、他社には模倣不可能で、またそれを代替するようなものがないとき、その企業は持続的な競争有用獲得する。」
(p.291)

この文章、読んですぐおかしいと思わないだろうか? 競争優位は、たしかに継続的な利益やシェアなどの指標で測ることができる。しかし、経営資源の『価値』とは、どういう意味なのか。それが稀少だったら、その価値は誰がどう決めるのか。

ここで問題となっている資源とは、労働市場で一山いくらで買えるエンジニア(笑)や工場労働者たちのことではない。組織の中に知識や技術とともに蓄積体現されている、能力や商権のことだ。それは滅多に売りに出されない(だって稀少だから)。たとえば「モナ・リザ」や「ゲルニカ」は貴重で価値が高い絵画だが、もはや値段などつけられないし、つける意味もない。ピラミッドその他の世界遺産だって同じだ。稀少なものほど、価値は市場価格から別次元のものになっていく。

それなのに、著者を含む大多数の経営学者たちはバーニーの命題を支持し、あまつさえビジネススクールで教えもした。そして2001年のプリムらによる、「バーニーの命題は実は何も言っておらず、同義反復にひとしい」との批判で、はじめて問題点に気がついたらしい。だとしたら、経営学は「価値」Valueという言葉を、論証不要な自明な概念と信じていたことになる。ちょうどマッキンゼーのコンサルタントが、二言目には呪文のように「バリューを出す」とつぶやくのと同じで、価値が「お金」や「成果」にあまりにも近すぎるため、その概念を掘り下げるのを忘れていたらしい。

誰もがその概念をよく知っていると信じている、しかしそれを正確に説明しろと言われるとできなくなる--社会構築論Social
Constructivismの立場の研究者なら、“それは実体概念ではなく、社会的な必要が作り上げた幻想ではないか”と疑うだろう。ちょうど「リーダーシップ」などと同じように(「」)。そうした観点からいうと、現代アメリカの経営学は、ちょっとだけナイーブに過ぎるように思われる。

そもそも、本書のタイトルは「世界の経営学者は」となっているが、実際に紹介されているのはほとんどがアメリカでの研究の話題だ。たしかにアメリカが世界の経営学をリードしていることは、紛れもない事実だろう。だが、アメリカだけが世界ではない。欧州にもそれなりにマネジメント研究が存在し、しかも各国別に個性があるのだ。(もちろん、著者もそんなことは承知で、しかし出版社がタイトルを決めた可能性はある)

とはいえ、論文の出典もすべて正確に記載し、かつ非常に広範な文献雑誌をカバーしたレビューになっている点は、とても立派である。文章も、とてもわかりやすい。学術的内容にもかかわらず「ですます調」で書いていることも長所の一つだ。こうした本は、これまでほとんど我が国ではなかったように思う。

部外者であるわたしの勝手な印象論でいくと、日本の経営学は、昔はもっぱら欧米の学問の輸入代理業者だった。しかし、その輸入は’80年代の「日本型経営」礼賛時代に入ると、急速に減ってしまったらしい(しかもその「日本型経営」たるや、企業の現場から生まれてきたもので、日本の経営学が指導して生み出したものではなかった点が皮肉だ)。その後の長引く不況で、大学の経営学の威信は傷ついた。自説を海外に積極的に輸出している学者も、いないわけではないが多くはなさそうだ。つまり、残念ながら日本の経営学はひどく内向きになっているように見える。

そのような内向きスタンスを破るためにも、また現代の経営問題に対し、知的にラディカルにタックルするためにも、著者のような高いレベルの仕事がもっと増えることを期待する。経営論に興味のある読者に、強くお薦めする。

★★★ 採用基準 伊賀泰代

2013/04/26

「マッキンゼーの採用マネジャーを12年務めた著者が初めて語る - 地頭より論理的思考力より大切なもの」が表紙の惹句である。これだけで、出版社がどのような読者層に何をアピールしようとしているか、よく分かる。『マッキンゼー』という、外資系コンサルの中でも最高級のブランドにあこがれ、その採用の基準を知ってみたいと感じる読者がターゲットであろう。

ところで、実際に読んでみると、採用基準に関する話題はこの本のボリュームの4割程度で、あとの6割は『リーダーシップ』に関する説明である。著者も、もっぱらこちらを訴えたかったにちがいない。日本ではリーダーシップの概念がうまく理解されていない、と繰り返し著者は書く。しかしマッキンゼーが採用にあたって最も重視するのは、地頭の良さでも論理的思考力でもなく、「将来、グローバルリーダーとして活躍できるポテンシャルである」(p.34)という。

では、そのリーダーシップとは何か。ごく一部の人間だけでなく、組織の構成員全員に求められるリーダーシップとは、どのようなものなのか。

著者は、事故で電車が止まったとき駅のタクシー乗り場にできる、長い行列の例で説明する。「海外ではこういう場合、必ず誰かが相乗りを誘い始めます。」(p.198)
これがリーダーシップの発揮なのである。しかし日本人はもくもくと列に並び、一人ずつタクシーに乗っていく。誰かに指示されれば、たぶん素直に相乗りを始めるだろう。ただ、そういう役割を自分でやろう、という気が全く無いのがこの国の人の特徴だ、と指摘する。

マッキンゼーでは、「全員がリーダーシップを発揮して問題解決を進める」(p.75)前提で仕事が進む。「全員がリーダーシップをもっているチームでは、議論の段階では全メンバーが『自分がリーダーの立場であったら』という前提で、『私ならばこういう決断をする』というスタンスで意見を述べます」(p.128)-
だからこそ、高いパフォーマンスをもった組織が生まれる、という。なんとなれば、「わたし達が職場でしばしば目にする、リーダーに対する建設的でない批判の大半は、『成果にコミットしていない人たち』によって」なされるからである。

ちなみに、著者によれば、「実はリーダーシップと常にセットで考える必要があるのが『成果主義』なのです」「成果主義とは、『努力でもプロセスでもなく、結果を問う』という考えであり、成果主義を原則とする環境でなければ、リーダーシップは必要とされません。」(p.87)という。これは、通常の日本企業の成果主義よりもはるかに厳しい要請である。

では、リーダーとは具体的にどのようなアクションをとる人なのか。著者は「目標を掲げる」「先頭を走る」「決める」「伝える」という4点をあげ、さらにマッキンゼーでそれをどのように育てていくかを語る。リーダーシップは生まれつきの資質ではなく、学んで向上させることができる技量である、という強い信念があるようだ。

著者のいうリーダーシップを、読者として自分なりに言いかえてみると、すなわち、目的志向で、目標達成に主体的にコミットし、問題を解決するために自らチャレンジし、また人を動かしていく態度と能力のことだろう、と想像する。それは確かに、とても大切な技量だ。それは、その反対の条件を考えてみると、よく分かる。

主体性  ←→ 指示待ち

目的志向 ←→ 形式(手続き)主義

影響力  ←→ 従順、無批判、付和雷同

チャレンジ精神 ←→ 事なかれ主義

でも、考えてみると、左側の条件を満たす人材は、日本のどこの会社だって求めているのではないだろうか。「ウチは従順で事なかれ主義の、指示待ち人間だけを採用するから」などと公言する経営者はいるまい。

それならば、日本にはなぜ、リーダーシップを持つ人の総量が足りないのか。著者は、今の日本の問題は「カリスマリーダーの不在ではなく、リーダーシップを発揮できる人数の少なさにある」(p.180)とする。そして、その理由を、日本企業の中央集権型ガバナンスで説明する。「中央集権体制とは、求められるリーダーシップ・キャパシティがきわめて少ない、上意下達を旨とする体制なのです」「日本でそういった体制が長く続いてきたひとつの理由は、経済が発展途上期であったということです。中央集権型のシステムは、ニーズが画一的な世界に向いています」(p.209)

だが、そのような体制が、逆に飽和市場社会となった日本を苦境に追い込んだ。だから現在の日本を救うには、もっともっと多くの人が、リーダーシップを身につける必要があり、そのために企業も公教育も仕組みをととのえるべきだ、というのが主張である。

本書の主張は非常に明確で、かつ具体例も多く、面白い。著者のいうリーダーシップというものも、身につけられればとても素晴らしい、と読んでいて率直に感じた。しかし、この後は少しだけ批判を述べさせていただく。

まず、このような「全員がリーダーシップを発揮する」仕事の組織は、経営コンサルティングという業態に一番マッチしていることを、指摘しておきたい。経営コンサルタントの仕事は普通、クライアントの依頼をうけて、特定の課題解決のための調査と提案を行う、個別性の高い業務だ。リーダーの元、何人かのコンサルタントがチームを組んで行う。チーム内は各人の得意分野に応じて、緩やかな分業で仕事が進む。階層はフラットで、知的で創造的な仕事ぶりがむしろ求められる。チームの総人数が1ダースを超えるような大規模な仕事は、あまり多くない。仕事のスパンも数ヶ月単位が多い。すなわち、すぐに成果(売上や顧客の評価)が得られる業態なのである。

逆に、非常に大規模な人数の組織が必要で、結果として階層的な指示系統が必須で、かつ軍隊的な規律が必要とされ、全体の成果が出るまで何年もかかる種類の仕事というのも、世の中には存在する。そうした組織で、末端が皆、独自の考えと主張をもち、指示された内容も自主的に自由に選択して動かれたら、メリットよりデメリットの方が大きくなりそうだ。「自分がリーダーだったらこう決断する」、という表明も、必要な情報の全体像が得られない下位ポジションの人間が主張したら、独りよがりで滑稽なだけである。

日本企業の苦境が、リーダーシップの総量の不足によるものだ、という説明も、本当だろうか、と疑問を持つ。というのも、米国の大企業でも、社員が事なかれで形式主義で、上の顔ばかり見ている組織を知っているからである。リーダーシップを持ち優秀な人間は、ほんの一握りしかいない。それでも、非常に大きな利益をあげている。ビジネスモデルのおかげか、政治的権益のおかげか、それとも一部の優秀な人間のおかげか、判断は微妙である。

また逆に、1970年代後半から80年代にかけては、日本企業が光り輝いて見え、逆に米国企業は利益と自信を失っていた時期だった。だからこの時期、まさにマッキンゼーなど経営コンサルティング業界が米国で成長したのであった。では、あのときは、米国のリーダーシップの総量が少なく、日本には沢山あったのだろうか? そうでもあるまい。だとしたら、リーダーシップと組織の成果(業績)は、必ずしも一致しないことがあるように思われる。

とはいえ本書は、示唆するところも多い。社会福祉の仕組みについて、人々がリーダーシップを発揮してともに助け合うような世の中の方が、結局は経済的だという主張は賛同できる。「共助システムが増えれば増えるほど、公助への負担は少なくなります。反対に、リーダーシップの総量が不足する国では、何もかもお金と公的な制度で解決せざるを得なくなり、とめどなく予算が必要となります」(p.187)

コンサルタントに必要な頭の良さとは、分析力よりも、問題解決案を考える能力だというのも、重要な指摘だ。とくに、著者が『知的体力』と呼ぶ、(正解のない問題を)何時間でも何日でも考え続ける能力は、ほとんどの人が見落としている、大事なポイントだと思う。ほんの数時間のケース面接でふらふらになってしまうような知的体力の乏しい応募者では、先々こまるのだ。そうした若者は、いつも正解のある問題ばかりに取り組み、記憶のストックの中から正解を探し続けてきたのだろう。わたし達に必要なのは、著者のいうリーダーシップとともに、この知的体力の向上だろうと考える。

★★★ その未来はどうなの? 橋本治

2013/03/08

昨年の8月に出たばかりの橋本治の近著。あとがきによると彼は重い病気でしばらく入院しており、やっと退院した後で出した最初の本らしい。そういう状態で書かれた本書は、しかし、彼の最近の著作の中でも最も出来の良い優れた評論集だと思う。

連続したエッセイの形でテレビ、ドラマ、出版、シャッター商店街と結婚、男女、歴史などの未来について論じている。テーマの選び方がいかにも橋本流であり、そしてどれも非常に面白い。

たとえば彼はTPP (環太平洋パートナーシップ協定)に加入した後の未来について論じているが、加入後にどうなるかは分からないと、最初にはっきりと書く。しかし「どうすべきか」という問題の立て方をしなければいけないのに、「どうなるのか」というパッシブな思考方法では、出発点からして間違っている訳だ。

「『初めに結論ありき』のこの国では、考えられるメリットとデメリットをあらかじめ提示して、その後に判断を仰ぐという習慣がないので、賛成側が一方的に賛成意見をいい、反対側が一方的に反対意見を言うだけ」だと彼は指摘する(p142)。

「(双方とも)前向きな結論だけを求めていて、その結論にいたるのを妨げるものは、『ない』にしてしまう傾向があります。だから、本当の問題が何なのかは見えなくて、いざというときにはこうすればいいという危機対策もいい加減になってしまう傾向があるのです。」(p146)
ー だから想定外の事象に立ち向かえないのだと、彼は断じる。

その同じ傾向は、ドラマの未来を考える局面でも現れる。近代日本のエンターテインメントの源流の1つに講談がある、と彼はいう。今でもその名を冠する大出版社があるくらいだが、「講談は、近代前期の日本人の中に、どんな無茶なことでもなんとかしようと思えば何とかなる、と言うとんでもなく前向きな世界観を確立してしまいます。」(p36)。

その流れを受け継いだ典型は、吉川英治の「宮本武蔵」だったし、現代においては「少年ジャンプ」のマンガ群かもしれない。それは人々のニーズから生まれ、人々にシンプルな『人生の指針』を与えもしただろう。しかし「『めんどくさい事を抜きにして前向きでありたい』-そんな日本人の獲得した前向きな民力が日本の近代化を達成し、そのあまりにも単純な世界観が日本人を戦争に向かわせたんじゃないかと、私なんかは思っております。」(p36)

ある意味で講談とは対極にある種類の文学に立脚する橋本治は、面倒臭い事をめんどくさいなりに受け入れて考えようという立場だ。民主主義の未来を論じる最終章で彼はこう書く。「民主主義が何も決められない状態に陥ってしまったのは、自分の利益ばかりを考える自由すぎる王様を放逐して、国民が『自由すぎる王様』になった結果です。」(p200)

だとすれば、解決策は1つしかない。国民が王様の立場を辞めて、自分のためだけではなく、みんなのための考えるようにすることだ
ー 「自分もみんなの1人なんだから、というのは、結構新しい考え方で、これからのものだと思いますがね。」(p201)

これが病み上がりの橋本治による、本書の結論だ。非常に自由で柔軟な思考に満ちた評論で、かつ文章も平易で読みやすい。最近のおすすめの一冊である。

★★★ The Quiet American(物静かなアメリカ人)
/ Graham Greene


2013/02/25

昨年の夏、80歳の母と二人で、母の知人の結婚式に出席するため、ベトナムのホーチミンに旅行した。数多くの留学生の世話をしてきた母と、これが最後の旅行だった。

一緒に戦争証跡博物館に行った後、市内の目抜き通りを歩いていると本屋を見つけた。いかにも外国人旅行者向けに、洋書などがおいてある。その中にこの本があったので、すぐに買いもとめた。前から読みたいとは思っていたのだ。ベトナムを舞台とした話だから、平積みされているのは当然かもしれない。Penguin
Classics Deluxe Editionで、うす緑色の洒落た表紙である。

ロンドンで2年暮らした母の話によると、グレアム・グリーンはやさしい英語で文章を書く名文家として知られ、イギリスの英語学校で初級の読み物によく使われているという。英語上達の秘訣の一つは、辞書を引かずに本を何冊も読み通すことだ。そうして、英語のリズム感や、前後の文脈から単語の意味を類推する力をつけるのだ。その修行には、たしかにグリーンの文章は格好の材料である。そのことは、本書の冒頭にある米国のRobert
Stoneによる解説と読み比べてみると、よく分かる。いかにも大学人の書くインテリ臭い文章で、たくさんの難しい単語を使う。ちょうど漢語を多用した日本語のようなものだ。ついでにいうと、このイントロにはネタバレ的な記述も含まれているので、読者は飛ばしてまず本文から読んだ方がいい。

その本文は、英国人でベトナム特派員の私(Fowler)が、本書の主人公である若い米国人Alden Pyleを夜、部屋で待つシーンからはじまる。約束の10時をとっくに過ぎても彼は来ない。通りに出ると、同じようにPyleを待って立っている、Phuong(鳳)という名のうら若いベトナム女性を見つけるので、上がって待つようにいう。しかし真夜中をすぎてやってきたのは警官だった。警察署に召喚された二人は、Vigotというフランス人警察官の質問を受ける。本書が発刊された1955年、サイゴン(現ホーチミン)はいまだフランスが支配する領域だった。Pyleはどんな人物だと聞かれ、Fowlerはこう答える。「年齢は32歳、経済援助ミッションで働いている米国市民だ。真面目な男だよ、彼流にね。コンチネンタル・ホテルにたむろする騒がしい連中とは違う。物静かなアメリカ人だ。」

しかしVigotは皮肉な目をFowlerに投げかけ、若いPhuongをめぐってPyleと争っていたのではないか、君はこの女性と2年間一緒に暮らしたが、つい最近、彼女をPyleにとられたはずだ、といい、昨晩のアリバイをたずねる。こうして彼は、Pyleの身の上に何か重大な事が起き、自分が疑われていることを知る・・

ここまでわずか数ページ。主要な登場人物が現れ(あるいは不在が明らかになり)、彼らの関係や複雑な感情が、異国の夜の映画のようなシーンの中から浮き上がってくる。まことにグリーンは小説の名手である。主人公Pyleの行動の謎と、警察に疑われながらそれを追う語り手Fowlerのサスペンス、そして美しいPhuongをめぐる三角関係。ラブ・ロマンスで読者をぐいぐい引き込みながら、時おり神とか世界についての哲学風の問答を文中にちりばめ、読者の知的満足感をくすぐることも忘れない。

グリーンは登場人物の名付け方が暗示的で巧い、とR. Stoneは冒頭の解説で書いている。たしかに、若く率直で大柄の米国人Pyleの名は、なんとなく「ウドの大木」みたいな感じを受けるし、屈折した英国人で中年の語り手Fowlerは「ズルをする奴」とも聞こえる。しかし、本書の題名もグリーン一流のjokeで、“静かなアメリカ人は、死んでしまったアメリカ人だけだ”との皮肉だというのは、うがちすぎの解釈だと思う。物静かなアメリカ人は、(少数派だが)もちろんいる。主人公Pyleはハーバード大学で政治を学んだ、若い理想主義者だ。

その彼の理想は、古いヨーロッパの植民地支配でもなく、かといって北部ベトナムの共産主義でもない、民主主義を実現する『第3の勢力』がこの国には必要だ、というものだ。だが、その思想が、彼という人間に体現された米国人の無邪気な良心と、米国の巨大な政治力に結びついたとき、あわれな恋人Phuongをはじめ、罪のない多くの現地人を巻き込んだ不気味な歯車の回転につながっていく。語り手Fowlerは、親米でも親仏でもなく、かつ、祖国に残してきた不仲の妻との諍いが表すように英国本位でもなく、ある意味で中立な、ある意味では誰にもコミットできない孤独な特派員として事態を追い続けていく。

グリーン自身は1950年から2年間にわたり、何度かに分けてベトナムに滞在して本書の構想を得たらしい。そのころはちょうど朝鮮戦争の時期で、世界の目はそちらに釘付けになっていた。1945年に日本が第二次大戦に負け、旧植民地だった地域に支配権の空白ができる。独立運動と旧勢力が争い、そこにソ連と米国がそれぞれ軍事援助をして争う構図は、しかしそのままベトナムの構図でもあった。そして“民主主義の国家が出現すれば、それは必ず親米的なはずだ”という米国の奇妙な思い込みは、当時も今も不変である。

グリーンはカトリック作家で、別段左翼でも反米主義者でもない。とはいえ本書が発刊されたとき、米国では当然ながらごうごうたる非難の声が巻き起こったという。当然だろう。これは純然たるフィクションだが、米国が今のまま進めば、ベトナムで新たに巨大な悲劇が生まれかねないとの警告書でもあったからだ。しかしそれは、赤狩り時代の米国では到底受け入れられないアラームだった。

わたしは知人の結婚式に参列して、あらためてベトナムという国が仏教と中国文化の影響の色濃い、ある意味で東アジアの国である(東南アジアというより日韓台湾に近い)ことを実感した。その東アジアの人間としてこの小説を読むと、英米人の読者とは少し違う視点に立つことになる。それは、若いPhuongや、その姉、あるいは名もない多くのベトナム人側の感情への移入だ。この巧みな小説の中で、不思議にもPhuongは内面を感じさせない、はかりがたい登場人物として描かれている。セリフも少なく、王室や映画スターのゴシップ、そして欧米の都会への漠然としたあこがれなどが断片的に語られるだけである。愛Loveという言葉が、彼女にとって具体的な意味を持つのかさえ疑わしい、とFowlerは語る(Loveはいかにも西欧的な個性や自我と結びついた概念なのだ)。たぶんその事こそ、西洋人男性が東アジアの女性に惹かれる最大の理由なのかもしれない。

彼らの基準から見ると、わたし達アジア人には内面がない。それは、後半、戦闘の前線に赴いたFowlerが見た、運河の水面に浮かぶおびただしい数のベトナム農民達の死体にも通じている。小さな息子をかばった姿勢のまま浮かぶ母親。見張り塔で吹き飛ばされて死ぬ若い兵士たち。彼らは何も語らぬ。何も語らぬ者には、感情や肉体はあっても、精神はないのだ。そういう奇妙な信憑の世界に、西洋人は立っている。わたし達が黙って座っているとき、わたし達には何の知識も意見もないのだろうと、彼らは思う。であるならば真理を教えてやろうと、彼らは無邪気に、ほとんど善意で思うらしい。

善意と無知と偏見が「信念」という名の衣をまとい、その後ろを巨大な財力が押しはじめたとき、『狂信的武力』という恐るべき怪物が生まれる。それは憎悪を燃料として動く戦争機械である。地域にも人種にもイデオロギーにも関係なく、どこにでも生まれる可能性がある。そして手当たり次第、人を巻き込んでいく。わたし達はその怖ろしさを、つい最近も見たばかりだ。

本書が発刊された前後、ベトナムがどうなったかだけを、最後に簡単におさらいしていこう。

1945年、日本軍の崩壊と共に、ホー・チ・ミンが独立を宣言する。ところがフランスが失地回復にやってくる。「18ヶ月で片付く」はずの紛争は6年以上も長引き、ついに1953年末、ディエン・ビエン・フーでこてんぱんに敗北を喫して、しかたなく交渉の席に着く。ジュネーブ協定が取り交わされ、総選挙が行われる予定だった。

しかし、仏軍の空白を補うようにアメリカ軍がやってくる。アイゼンハワーの演説では、「錫とタングステンの資源」がねらいだった(!)というのだから驚きではないか。そして1955年、ゴ・ジン・ジェム傀儡政権を立て、南にベトナム共和国をでっち上げる。このとき政変を支援した空軍准将でCIA工作員のE・ランズデールが、本書のPyleのモデルだったのではないかと言われている。

これに対し、南ベトナム解放戦線が結成される。その補給を絶つため、やがてアメリカは北爆を開始する。彼らも最初は2、3年のことと高をくくっていたのだ。マクナマラ国防長官(MBAで元フォード社長)の精緻な計画と、米軍の巨大な物量作戦にもかかわらず、戦線は泥沼と化していく。ついにニクソン大統領は72年に北爆を停止し、パリでの交渉につくと演説。73年に米軍が南から撤退すると、南ベトナム政権は持ちこたえきれず、ついに75年に崩壊する。

これが歴史だ。フランスが去ってから20年間、ベトナムはずっと戦場だった。誰のために? 何のために? その答えは簡単ではない。ただ一つ分かるのは、物静かで無邪気な善意が、すべてをお膳立てしたということだ。

2012年

★★★ 「TN君の伝記」 なだ・いなだ

2012/08/18

本書は、今年読んだ中で最も感銘を受けた本だ。1976年発行の福音館文庫で、裏表紙には「小学校上級以上」と明記されている、子どもむけの本だ。漢字には、すべてルビがふってある。だが、これほどの読みごたえがある本は、近頃すくない。

本書は明治の思想家、中江兆民の自伝である。ただし文中では終始、「TN君」とだけよばれていて、中江の名前はどこにもない。でも、ルソー『民約論』の翻訳家で、『三酔人経綸問答』『一年有半』などの著者だとあるから、誰のことかは分かる。

中江兆民の生きた(19世紀後半の)「50年間は、ながい歴史をもった人類が、大きく生き方を変えた、まがりかどのような時代だ」(p.13)との記述で、本書は始まる。鉄道、自動車、無線電信、電話の出現、病原菌の発見と注射器の発明。そして南北戦争、社会主義の誕生・・。これが背景だ。

その江戸時代末期に、かれは土佐の足軽の子として生まれる。古い身分制度の中の、奇妙な末席である。「明治維新のあと、戸籍がつくられたときも、足軽は士族にいれられなかった。卒族と書きこまれ、しばらくすると大部分は平民に格下げされてしまった」(p.16)ことを、わたしは初めて知った。

だが明治維新は、その下級武士たちが主役であった。なぜそうなったのか。じつは黒船(外国軍)の襲来は、それまで僻地だった土佐を、太平洋防備の最前線に逆転した。それだけではない。それは(今日の製造業風にたとえるならば)『現場』の復権を引き起こし、砲術など現場技能のフォアマンであった下級士族たちが、有効な指揮のできぬ『本社』(お城の重役たち)との力関係の逆転劇を演じさせる契機となったのであった。

兆民はそんな中で長崎に留学し、坂本龍馬に出会う。自分も倒幕に参加したいとのぞむと、坂本はこう答える。「『革命家は商売とちがうのや。革命家は、世の中から、およびがかかって革命家になる。それまで、勉強していなされや』」(p.49)。その言葉通り、江戸に出て勉強し、さらに維新後の岩倉使節団に参加する。米欧を回り、とくにフランスに留学して帰るのである。

ところが、帰国した彼を待っていたニュースは、江藤新平の佐賀の乱、萩の乱など、いわゆる不平士族の反乱であった。それはやがて、西南戦争につながっていく。西郷たちの「勝てば官軍、負ければ賊よ」というスローガンは、かれらの行動が単なる懐古と不平の爆発だけではなく、政府の圧政的改革への抵抗権としての意義も含んでいる。「西郷は、忠臣などではない。反抗的人間だったのだ。ただ、明治維新では、反抗した彼が、たまたま勝ってしまっただけなのだ」(p.190)と兆民は評価する。

足軽の子に生まれた兆民らが、維新と世直しに期待していたのは、古い制度にしばられてきた生活からの解放の期待、自分たちのための日本をつくる事だった。それは多くの平民たちの望みでもあった。大久保や木戸など明治政府の権力者たちも、新しい日本をつくろうとはしていた。だがそれは新しくしないと、諸外国に対抗できないためだった。日本をヨーロッパ風の強国にする目的だと、すりかえられてしまっている。

このすりかえに、兆民は厳しい目を向ける。かれにとって、自由と進歩とは、車の両輪のようなものだ。自由とは「より進歩することでも文明開化することでもない。ひとりひとりが、より自己に目覚めることだ。だれもたよりにせず、だれに支配もされずに生きることに目覚めることだ」(p.163)。そうした意識の変革こそが必要なのだった。

西南戦争の失敗は、その変化を待ちきれずに起きたことだ。「その日が来て、その時が来ておこるのが革命だ。乱ではない。乱とよばれるのは、きたるべき時よりも前におこった革命だ。」(p.195)

西南戦争の後に、暗殺された大久保利通の後を継いで内務卿の権力を握ったのは、伊藤博文だった。大久保よりも人望の劣る彼は、強権によって政治の混乱を乗り切ろうとする。批判的新聞の発行停止、天皇親政を進言した侍補の解任、政治集会の制限と監視。そして仕上げは、「軍隊を政府から切り離して独立させ、参謀本部が、すべての作戦の命令をだすことにした。参謀本部は太政大臣とおなじ力をもつ」(p.228)ことになった。
こうして、憲法発布前に、すでにガバナンス体制の骨格が(つまりその後の日本の運命が)決められてしまったのである。

在野の兆民らは、自由民権運動を起こして政府の専制にブレーキをかけようとした。そして国有地払い下げスキャンダルによる混乱を収拾すべく、切れ者の井上毅は、国会開設の詔勅を岩倉具視に進言する。「井上の頭の中では、天皇も、詔勅も、まったく政治の道具だった。井上は、自分では天皇の権威をまったく信じていなかった。だが、反対派の中にひそんでいる天皇の権威にたいする弱さを完全に読み取っていた」(p.278)。

こうして下された詔勅は、国会開設を10年後と定めた。だが、「十年後に国会をひらくという約束は、うらがえせば、今後十年間、政府に国会なしで勝手なことをやれといってるのも同然なのだ。」(p.266)と兆民は見抜く。しかし民権運動は板垣派と大隈派に分裂し、それは改進党と自由党の政争として延々続き、その間に起きた日清戦争によって、世論はむしろ帝国主義へと傾いていく。そして奔走の果てに病に倒れた兆民は、余命の宣告をきき、ベストセラーとなった『一年有半』と、無神論を説いた日本初の哲学書「続一年有半」を書き残して、この世を去るのである。

本書は、西南戦争から日清戦争頃までの時代の日本を活写している。ある意味とても分かりにくい、近代日本形成の中間期に、何が起きていたのかが、見事に描かれている。この本を読んでわたしは、なだ・いなだの作家としての力量に、あらためて関心した。なだは芥川賞候補最多回数という不思議な記録(?)をもつ作家だが、むしろエッセイストとして有名だ。わたしも、「トンネル」「れとると」など若い頃の中編、そして「カペー氏はレジスタンスをしたのだ」など短編集は読んだことがあるが、得意の精神分析的なシチュエーションを題材にした特徴はあっても、文章家だと感じたことはなかった。しかし、これはわたしの見過ごしだったのだろう。「TN君の伝記」は伝記文学の傑作とよぶにふさわしい、しっかりとコクのある大人の読み物である。司修の挿絵も、素晴らしい。

2011年

 ★★ AさせたいならBと言え 岩下修


2011/11/19

人を動かすのは難しい。

マネジメントという言葉はいろいろな意味を持つ多義語だが、中核には「人を動かす」という行為がある。自分が直接手を動かして、成果物やアウトプットをつくり出すことは、立派な仕事だが、マネジメントではない。人に働いてもらうことが、マネジメントである。わたしがプロジェクト・マネジメントを人に教えるときには、最初にそのことを力説する。

現実にはマネジメントだけに専念する人は少なく、たいていは自分も手を動かしているだろう。わたし自身だって、職場ではそうだ。ただ、自分でやることと、人に頼んで動いてもらうことは、頭の中で明確に区別している。後者の場合は、計画を立て、作業分担を決め、アウトプットを指定して、やってもらわなければならない。

ところが、これが難しい。

あれほどきちんと伝えたはずなのに、ぜんぜん動いてくれない。あるいは、こちらの思ったこととは全く別のことをやろうとする。やってくれるのはいいのだが、必要以上に暴走する。問題が生じても隠してしまう。結局しかたなくプロダクトを引き取って、ほとんど一から自分で修正したりしてすると、“何のために人に頼んだんだろうなあ”、などと思わずつぶやくことになる。わたし達の問題のかなりの部分は、人が思ったように動いてくれないことから生じるなと、よく感じている。

マネジメントの第一歩は「言葉にすること」だ。これもわたしが講義などでいつも強調することである。マネジメントが人を動かすことである以上、(テレパシーでも使えない限り)わたし達は相手に、言葉で伝えなくてはならない。だから、言葉にするためのスキルが必要である、と。人に教えているくらいだから、自分でも自覚していて、それなりにはっきりと言葉にして伝えたはずなのに、なぜ相手は思ったように動いてくれないのだろうか?

マネジメントに似た概念に、『リーダーシップ』がある。リーダーシップとマネジメントの違いは別の所に書いたから繰り返さないが、ともに<人を動かす>点では共通である。ただ、リーダーシップの場合は、ふつう同じ職能集団の中で人をリードするため、影響力を行使するしかない。命令権はないのが普通だ。むしろ、自分が本来は命令できないような相手を動かす力を、リーダーシップの発揮とよぶ。

一方、マネジメントは通常、上司部下などの関係があり、業務命令や給与査定など強制力を発揮できる。従わせる力があるのだ。である以上、相手が従わないとなると、むしろ相手の態度を疑うことになる。あるいは、理解力を。

そう。この問題に対する一番簡単な解釈は、「相手は頭がわるい」と考えることだ。愚かだから、こちらの言ったことが分からないのだ。あるいは、従わないとどうなるか、考えもできないのだ、と。だが、それで問題が解決するだろうか? 右見ても左見ても、世の中馬鹿ばっかりだ、というのは真実だろうか。真実だとしても、それで自分のやりたい仕事をうまく達成できるだろうか?

そう思い悩んでいたとき、ふと、大きな書店の教育書の棚で、この本を見つけたのである。「AさせたいならBと言え」。タイトルはどういう意味だろうか。著者は小学校のベテランの先生だ。たしかに相手が小学生なら、理解力はそうとうに低いに違いない。先生という職業は、学童生徒から見ると、おおきな「権力」を持った存在である。そして毎日、理解力の足りない生徒に指示を与えなくてはならない。ここに、何かマネジメントの悩みにヒントがあるのではないか。

早速買って読んでみた。そして驚いた。序文の中で、著者は、自分の娘(小学3年生)が友達の家に遊びに行くというとき、“車に気をつけて道を渡りなさい”というかわりに、こうたずねたというのだ。

「さゆりちゃんの家に行くまでに、いくつ道路を渡るの?」(p.17)

娘さんは頭の中で道順をたどりながら、「三つ」と答える。そこで「三つ渡るんだね。気をつけて渡りなさいよ!」と送り出したらしい。こうすれば実際に道路に出てからも、やりとりを思い浮かべながら、あ、一つめだ、などと思いながら渡っていくだろう。単に“気をつけて”と指示するよりも、ずっと「言葉に中身が入ったのだった」(p.18)

わたしは舌を巻いた。単に命じずに、たずねる。そうして、相手の頭の中に、想像という知的な働きを巻き起こす。これによって、命じられたことをする、あるいは、しない、よりも別の次元に、行動を引き上げるのである。自分で考えたことは、自分自身の主体的な行動になる。

もう一つ例を引こう。朝礼のとき、並んだ子ども達を先生の方を向かせるため、まっすぐに立たせようとするとき、

「目をこちらに向けなさい」「前の人の頭を見なさい」

などとよく言ったりするが、これはあまり役に立たない。なぜなら「内面の働きがゼロだからだ」(p.41)。しかし、

「先生の後ろの1年生の教室を見なさい。部屋の中に何があるか探してください」

というと、顔が急に「知的」になる。「一年生の教室」が子どもの好奇心、遊び心をゆさぶったのである。視線を前に向けると、身体もリラックスしてくる。子ども達に、自ら思考を展開できる状態が生じる。「前の人の頭を見なさい」では、視線が統制され、次の思考の構えができない(p.93)という。

これが、『AさせたいならBと言え』の根幹である。Aさせたいときに、Aしろ、と命じても大して役に立たない。Bを問うて、頭の働きを呼び起こす。このとき、「説明・指示の言葉は、ハッとさせるような比喩の言葉を用意しよう」(p.60)という原則を、著者は提示する。これが、人を動かすときの勘所らしい。

指示だけでなく、質問を出すときも同様である。どこかに見学や旅行に行ったとき、子ども達に、気がついたこと・学んだことを、そのままたずねてもダメだ。なぜなら、目に見えないコトは、単純な心の持ち主である子ども達には理解しがたいからだ。いきなりコトを聞いても、子どもは考える手がかりがつかめない。そこで、

「一番良かった場所をいってください。その場所で、とくに心に残っていることを言ってください」(p.160)

とたずねる。つまり、抽象的なコトではなく、具体的な場所や人を手がかりに、きくべきなのである。

ちなみに、朝礼の場面では、

「おへそをこちらに向けなさい」(p.32)

というのも有効だ。顔や目(A)ではなく、おへそ(B)を向けろ、という。子どもは、小さなモノに注意が向く(p.127)からだ。

それにしても、この原則を、『AさせたいならBと言え』という単純かつ忘れがたい言葉に凝縮した点が、著者の知恵であろう。そしてBの言葉の中に、「ゆれのないモノ」の提示をせよ、という。「ゆれのないモノ」とは、具体的には、「物・人・場所・数・音・色」であるとして、種々の例を挙げる。この本はそうした、100以上の魅力的かつハッとする例がのせられている。たとえば、

合唱の時に、「(タクトの代わりをしている)先生の人差し指の爪を見なさい。ここに、みんなの声をぶつけてください。」(p.128)

体育館でざわついているとき、「みなさん、雨の音が聞こえますか。雨の音をじっと聞いてください。」(p.202)

といった具合だ。とくに著者は、「ゆれないモノ」を選ぶ基準として、地を背景に明確に浮かび上がる「特異点」としてのモノを提示せよ(p.128)という。「おへそ」などはまさに、そうした特異点である。だから子ども達の注意をひくのだ。

ただし、こうした特異な指示の言葉は、半年に一回程度しか使えない。「子どもを動かすのにいかに有効な言葉も、使いすぎると、たちまち、力は弱くなる。どんな『図』もすぐに色あせ、『地』に向かう」(p.208)からである。

そういう意味で、『AさせたいならBと言え』のBを探すためには、指示を出す側もつねに頭を使って、考え続けなければならない。「物・人・場所・数・音・色」は一種の定石、ないしガイドラインなのである。

繰り返すが、Aさせたいときに、「Aしろ」というだけでは、相手の中に知的で主体的な働きは起こらない。とくに相手が子どもではなく大人、それも「自分は知的だと信じている」大人であるときこそ、うまく言いかえなくてはならない。知的と言っても、たいていは決まり切った枠組みや方向にしばられているから、それを解きほぐすような、ハッとする比喩や意外な質問を探す必要がある。

だから、この本に出ている例は、そのままいつでも引用して使える「正解集」ではなく、わたし達の側が、頭を絞って言いかえるための題材集なのである。読者に正解(A)を言うのではなく、具体例(B)を与えて、読者の側の思考を引き起こす。おお、まさにこの本自体、『AさせたいならBと言え』という構造になっているではないか! なんと素晴らしい(^^)。

★★★ アナバシス ~敵中横断6000キロ~ クセノフォン

2011/10/25

紀元前401年。西ユーラシア世界で圧倒的な力を持つ大国ペルシャ王家には、内紛が生じていた。ダレイオス(ダリウス)2世の没後、王位を継いだ長兄アルタクセルクセスに対し、弟のキュロス王子は謀反の意志を抱く。彼は当時、エーゲ海に近い現在のトルコ西部を統治していたが、勇猛果敢で知られたギリシャ人の傭兵1万数千人を密かに集め、手勢とともに、兄王のいる都バビロンに向かって上征をはじめる。本書のタイトル「アナバシス」とは、『登り、上征』を意味するギリシャ語である。

キュロス王子とギリシャ傭兵軍団は、小アジア半島を横断し遙か遠路を突っ切って、バビロンに急進する。兄王の動員できる軍勢の方が、人数は明らかに多い。だが、(ペルシャは)「国土と人口の巨大なる点では強力である半面、連絡路が長大で兵力が兵力が分散しているために、急戦をしかけられたとき場合には弱体をさらすのである」(p.37)。彼らはシリア、アラビアをへて、現在のイラク南部にあるバビロン目前まで到達する。ここまでですでに1500キロ以上の行軍だろう。

ところがバビロン近郊クナクサの戦いで、血気にはやったキュロス王子は乱戦中に命を落とし、なかば手中にあった勝利を逃してしまう。そして敵中に取り囲まれたギリシャ人傭兵1万数千は、敵王に降伏して許しを嘆願するか、包囲網を脱出して故国まで帰る道を探すか、いずれかを選ばなくてはならなくなる。

このとき、部隊の中にいたアテナイ(アテネ)出身のクセノポン(クセノフォン)という、まだ30歳そこそこの若手が隊長達の議論に加わって、脱出の戦いを進言する。理路整然たる弁論の力で、事実上の指揮官の地位についた彼が、真っ先に命じたことは、なんと軍が所有する運搬用の馬車と、野営用の天幕と、余計な糧食・荷物をすべて焼き捨てることだった! 彼はいったい、何を考えたのか?

クセノフォンは、哲人ソクラテスの直弟子の一人である。彼が遺した「ソークラテースの思い出」(メモラビリア)は、若い頃読んで以来、わたしの座右の書となった。騎士階級に生まれた彼は、ギリシャ全土を巻き込んだ内戦であるペロポネソス戦争の暗い時代に育つ。戦争自体は前404年にアテネ側の敗北で終わるが、彼はソクラテスの元で学び薫陶を受けた後、荒廃したアテネの現状に見切りをつけ、ペルシア行きを考えるようになる。相談を受けたソクラテスは、デルポイ(デルファイ)の神託をたずねることを勧める。

だがクセノフォンが実際にアポロンにたずねた問いは、無事に旅たち帰国するためには、どの神に祈願すべきか、であった。それをきいたソクラテスは、それ以上彼を引き留めることはしなかった。そしてクセノフォンが出立した2年後、ソクラテスは偽善的な弁論家たちの讒訴によって、刑死するのである。(この間の事情は「メモラビリア」に詳しい)

さて、ペルシャ王の軍勢を辛くも逃れたクセノフォンたちギリシャ傭兵軍団は、チグリス川沿いに北上して雪深い古代アルメニアの山中に分け入り、さらに山脈を越えて黒海沿岸まで北上する。その間、謀略あり裏切りあり戦闘あり分裂ありだが、ともあれ最後には5千人のギリシャ兵士たちが、エーゲ海に近いペルガモンまで帰還する。それが、この「アナバシス」の物語である。

クセノフォンは名文家として知られ、著書も何冊か残している。とくに、上記の「メモラビリア」と並んで、古代の農園経営を論じた「オイコノミコス(家政について)」は有名で、現代の経済学”Economics”という名称は、この著作のタイトルから由来している。ソクラテス門下の同輩であるプラトンが、哲学や美学といった抽象的学問を創造したとするならば、クセノフォンは経済学や家政学など実学の基礎を築いたのである。

本書「アナバシス」の一つの特徴は、クセノフォンの従軍記であり回想であるにもかかわらず、すべて三人称で書かれていることだ。それも自分自身は、第3巻になってようやく「さて、部隊の中にアテナイ出身のクセノポンなる者がいた」という風に登場(?)してくる。なぜ彼がこのような書き方をしたのかは不明だ。しかし、登場してくる人物たち一人一人に、的確な人物批評をしている点が、本書の魅力でもある。たとえば、プロクセノクスという将校については、「彼は善良で優秀な人間を統括する能力はあったが、部下の兵士たちに敬意や恐怖心を抱かせる能力は十分でなく、部下が彼を憚るより、むしろ彼の方が兵士を憚るほどであった」(p.105)と書く。こんな風に客観的な人物論を展開したいからこそ、三人称を選んだのかもしれない。

また、出てくる数々の固有名詞や、距離・人数・物量・金額などの数字の詳細さにも驚くべきものがある。これはクセノフォンの記憶力がすごかったというよりも、むしろ正確に記録をつけておくことに、こだわったためではないかと想像する(彼より70年後になるが、アレキサンダー大王は進軍をはじめたときに、カリステネスという従軍史家を随行させたほどだった)。こうして記録をとっておくことによって、次の行軍で過去の教訓を生かせるからである。記録をつけずにすべて曖昧な記憶に頼るということは、結果として、計画をやめて出たとこ勝負、気合いと勘と根性に頼って行動することになる。「航海日誌をつけない船長の船には乗りたくないし、プロジェクト日誌をつけないプロマネの仕事はしたくない」とわたしが思うのは、このためである。

電話も無線もなくGPSも正確な地図もない時代の行軍とは、いかなるものだったのか、現代に生きるわたし達にとってはなかなか想像が難しい。移動は基本的に、徒歩である。ペルシア軍は機動性の高い騎兵をもっていたが、ギリシャ傭兵たちにはそれもほとんどなかった。遠隔地との連絡は、伝令によるしかないのだ。そのような時代の戦記だが、それでも非常に面白く、かつ勉強になる。なぜなら、道具立てのハードウェアは随分違うが、人を率いるときのあり方、戦略の立て方と決断、リスクと危険の予知、弁論と説得と交渉、そして未知なる相手の評価といった、リーダーとして必要なソフト・スキルは、現代とほとんど変わりがないからだ。

その分、わたし達は2400年前と比べて、あまり進化していないのだとも言える。だとしたら現代の軽佻浮薄な人士のビジネス書などを読むよりも、時代の風雪に耐えた古典を学ぶべきではないだろうか?

★★★ 日本的マネジメントの感性 八巻直一

2011/06/19

好著である。短く平易な新書版で、読みやすく、しかも内容は知識の面でも分析考察の面でも、非常に啓発に富み、優れている。テーマは題名の通り「日本的マネジメント」を支える感性と特性は何か、であり、それを近現代史の技術的・社会的エピソードから探っていく。サブタイトルに「幕末夜話より」とあるが、話は万葉集の古代から新幹線の現代まで、縦横自在である。

著者の八巻直一・静岡大学名誉教授の専門は本来、オペレーションズ・リサーチと数値解析である。そして静岡大学のMOT(技術経営論)大学院の立役者でもあった。とはいえ本書はアカデミックなスタイルとは無縁であり、文体も柔らかく、数式も一切出てこない。随筆のような形をとりながら、じつは周到に、メインテーマの問題に多方向からアプローチしていく。

わたしが八巻先生との面識を最初に得たのは、たしか2006年頃、経営工学会の「経営システム」誌の編集委員会でのことで、当時すでに斯界の大家であった。その後、スケジューリング学会長をされているときに、ご縁があって「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」立ち上げのスポンサーになってくださったのである。この春には、八巻先生ご自身にもご講演をお願いした。その時の話題であった日本の蒸気機関車技術開発に見るマネジメント論も、この本にカバーされている。

日本の蒸気機関車の製造と運行は「世界に冠たる」レベルであった。C51やC62はその完成系である。しかし、「遂に、蒸気機関車時代には、我が国は真の意味での先進国には到達できていなかった」(p.69)と著者は書く。なぜか。それは導入技術の改善だったからである。技術導入は先進国にキャッチアップするための最も効率的な手段だ。しかし「試行錯誤の経験の機会を失うこと、独自の発想が制限されれること」の弱点がある(p.68)。後者の弱点は、留学帰りの技術者が頂点に君臨する階層的組織で、技術的冒険をリスクとして忌避する傾向を生み出していく。

たとえば、欧州留学者が「動輪の回転数の技術的限界とされていた数値」(p.67)を、学んで帰ってくる。以後、それが国産設計の目標値になってしまうのだが、その数値の本当の由来を知らないため、「これを打ち破って、さらに高い回転数に挑戦することはなかった」(p.67)。その一方、「南アフリカなどでは、(日本と同じ)狭軌でありながら、C62を大きく凌駕する先進的機関車を生み出している。」(p.69)事実がある。

では、日本の鉄道技術者達は独創性に欠けた人々だったのか? そんなことはない、と著者はいう。その好例として出してくるのが、旧満州鉄道の傑作「特急あじあ号」であり、また60年代の東海道新幹線開発である。これらはいずれも、独創技術というより既存技術の組み合わせであったが、その『システム思考』と、大勢の技術者たちの協力が素晴らしかった。とくに「新幹線の登場は、衰退気味だった世界の鉄道の再生をもたらし、高速鉄道を今日の世界的隆盛に導いた救世主となった」(p.83)、世界史的な意義を持つ仕事であった。

「我が国の技術者たちは、旧弊な組織に束縛されている中では、閉塞的な考え方からなかなか抜け出せなかった。しかし、束縛から解放されると、一気にエネルギーを爆発させた」(p.71)。そこにあるのは、突出した個人の独創性よりも、全体をまとめる総合力の強みらしい。

それは集団主義的な日本文化の特質なのだろうか? 著者は必ずしもそうは考えないようだ。「いわゆる日本的なもの」には、昔から続いている部分と、明治時代になって強まったところがあると見ている。

ちなみに、この文章を書きながらたまたまTVをつけたら、高野陽太郎・東大教授が「認知のバイアス」の話をしていて、「日本人が集団主義的だ・異質だ」という見解は80年代の日米貿易摩擦の頃から欧米に広まり、輸入される形で国内でも流布したが、心理学的な実験では否定される、と話していた。人間の行動は外的環境条件によっても、内的な要因によっても左右されるが、他人の行動を「内的要因」(つまり文化だとか性格だとか民族性だとか)ばかりで解釈したがるバイアスが、わたし達には強いらしい。

本書からもう一つ、印象にのこるエピソードをあげよう。蒟蒻(コンニャク)にまつわる技術史と社会史である。栽培が難しく物流にも制約があった蒟蒻芋の市場を拡大したのは、茨城の中島藤右衛門という人のすぐれた技術開発だった。芋から有効成分を精製し「荒粉」という中間製品の形で流通可能にしたのである。江戸時代後期のことだった。荒粉を仕入れて大都市に運ぶ仲買人は大きな利益を得るようになり、芋栽培の不安定と相まって相場商品となっていく。

そうなると、農民も黙ってはいない。時期を見て高値で売ろうとする。「隣の農家さえも敵となる相場の世界に、蒟蒻を通して足を踏み入れる醍醐味であり、困窮を極めていた農家が、巨万の富を得る可能性が開けた瞬間であった。」(p.141)

そうした農家のチャンスはしかし、昭和40年代に入ってからの工業技術の発展で大きなインパクトを受ける。日数のかかる天日干しのかわりに、機械乾燥が現れ、生産リードタイムが劇的に短縮する。しかし同時に、加工の仕事は農家から、機械設備を所有する企業に移るのである。さらに品種改良によって、平地での蒟蒻芋の栽培が容易になる。

「農家は荒粉で儲けることができず、ひたすら蒟蒻芋の生産性を上げるしか収入の道がなくなった。それよりも、蒟蒻マーケット自身が格段に拡大した訳でないのに、それを超える生産性を達成した副作用は、安定供給の達成によって相場のうまみが抹消されたことと同時に、市場価値の下落を招いたのである。」(p.142)

そこで著者は問う。生産性の向上は、産業の発展に結びついたのか。「プレーヤが善を求めて活動することが、結果的に全体の幸福には必ずしもならない。このことこそが、マネジメントの大きな課題なのではないだろうか?」(p.143)

「日本的マネジメント」の評価については、日本社会の中でも、’70年代以前の後進論、’80年代の《ジャパン・アズ・ナンバーワン》風な絶賛論、そして2000年以降のグローバリストによる特殊性批判、という具合に極端から極端へ、振り子のごとくふれ続けてきた。だがそろそろ、全否定でも全肯定でもない、もっと客観的な視点が必要になってきたのではないか。欠点を咎めるのではなく、長所を認め、違いを伸ばす形での見直しが大事な時期に来ていると思う。

幕末の英傑たちの自由闊達も、明治政府の位階権威主義も、ともに日本人の生み出したものである。束縛を離れた技術者たちの総合力も、官僚的な縦割り・縄張り主義とリスク忌避も、ともに日本的な姿ではある。では、どのような外的条件が、違いを生み出すのか?
それを考えるには、自分たちの過去の歴史に学ぶしかないのだ。だとしたら、それを考えるに絶好のヒントを与えてくれるのが、本書なのである。

★★★ 137 ~ 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯 アーサー・I・ミラー

2011/06/17

20世紀前半の理論物理学をつくった知的巨人の一人、ヴォルフガング・パウリは57歳のとき、チューリヒ連邦工科大学の講義中に突如病気で倒れる。すい臓がんだった。赤十字病院に入院した彼を見舞った友人に、パウリはたずねる。病室の番号に気づいたか、と。

「137号室だ!」パウリはうめくように言った。「わたしがここから生きて外に出ることは絶対にない。」(p.424)

137という数字は、「微細構造定数」(現代物理学に現れる主要な定数のひとつ)の逆数である。もし神なる主からどんな質問をしてもいいと言われたら、まっさきに聞いてみたいのは「なぜ
1/137 なのか?」だとパウリは述べたことがある。微細構造定数は、電子の電荷、真空中の光速、プランク定数の三つから導かれる無次元数で、パウリの師マックス・ボルンいわく「物質一般の構造にもっとも重要な影響を及ぼしている」定数だ。それがなぜ、素数137の逆数なのか。そこには何か必然性があるのではないか。彼はおりにふれてこの問題に立ち返ったが、死ぬまで解明する事はできなかった。

本書は副題『物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯』にもあるとおり、理論物理学者パウリの一風変わった評伝である。著者アーサー・I・ミラーはロンドン・ユニバーシティ・カレッジの教授で科学史家だが、多くの公開資料や論文のみならず私信などまで広範囲に調査し、この風変わりで魅力的な科学者の肖像を、陰影と奥行きのある立体像として描くことに成功している。

それにしてもW・パウリほど独特な個性と不思議な魅力をもつ物理学者は少ない。彼は“物理学の良心”とよばれることもあったが、未熟な理論に対する容赦なき批判の態度も有名だった。他人の理論発表を聞くとたちどころにその弱点を見いだし、しかも他の学者のように紳士然とおとなしく聞いていない。しだいに体を左右に揺らし首を強く振って、「完全な間違いだ」あるいは「これじゃ間違いにさえなっていない!」と言い放つのである。若き日のファインマンも、自分の発表するセミナーにパウリとアインシュタインが臨席した時は、表紙をめくる手が震えたと書いている(「ご冗談でしょう、ファインマンさん」)。実際、その時発表した理論は、パウリの予言通り、完成することはなかった。

わたしがパウリという人に強い印象をうけたのは、G・ガモフとM・デルブリックがボーア研究所の余興のために書いた劇「ファウスト」においてだった(「現代の物理学―量子論物語」所収)。この劇は、御大ニールス・ボーアが天の神様、悩める主人公ファウストに晦渋な統計物理学者エーレンフェスト、そしてメフィスト役がパウリ、という絶妙の配役だった。パウリは原子崩壊の矛盾に悩むエーレンフェストに対し、質量も電荷も持たぬ中性微子“グレートヒェン”をつかわして理論を修正するよう誘惑するのである。

中性微子(ニュートリノ)の発見は、排他原理やCPT対称定理とならんで、パウリの主要な業績の一つだった。しかし同時代の物理学会で最も有名だったのは「パウリ効果」だ。物理学者はふつう、理論家と実験家に分かれるが、理論家がへたに実験器具に手を出すと、壊してしまうのがつねだった。ところでパウリはあまりに優秀な理論家だったため、彼が実験室に一歩入っただけで何か機械が壊れたという。それどころか、ある時ゲッティンゲン大学の高価な実験設備が神秘的な壊れ方をしてしまったことがあるが、担当教授がパウリに連絡したところ、ちょうど彼の列車がゲッティンゲン駅に停車中だったという。

この「パウリ効果」を彼自身、なかば自慢にしていたが、冒頭の病床の発言にも見られるとおり、彼は単純な合理主義者ではなかった。パウリはキリスト教徒に改宗したユダヤ人の家庭に生まれる。エルンスト・マッハを代父としカトリックの洗礼を受けて育つが、黒髪黒目の外見は、当時のドイツ文化からみると、いかにもユダヤ人風だった。優秀な学者として世に出たものの、若い頃はかなり放埓な生活を送る。そして不幸な最初の結婚の果てに、離婚する。深刻な心理的危機に陥った彼が出会ったのが、チューリッヒの精神科医C・G・ユングであった。

本書はこのユングの人となりについても、かなり詳しく書いている。ユングもまた20世紀前半の知的巨人の一人だったが、西洋的な科学の枠組みを乗り越えて、心と魂の問題を探求した人だ。したがって科学(唯物論的科学主義)の側からは、強い批判をつねに浴びてきた。伝統的キリスト教の枠組みもある意味踏み越えた、異端の思想家である。しかし彼は職業的学者ではなく、徹頭徹尾、臨床家であり、そこからつねに人間心理への洞察を汲み上げていた。パウリの治療、その後の交友関係も、そうした文脈の一つでとらえねばならない。

わたしが本書で一番驚いたのは、パウリの症例をユングが「心理学と錬金術」に書いていたことだ。浩瀚な「心理学と錬金術」はユングの主著の一つで、それまで古い迷信として忘れられてきた錬金術に,まったく新しい方角から光を当て、人間の心の変容との平行関係を考察した著作だ。その中に、ある男性の心の治癒と夢の変化が詳しく記録され、最後に「黄金の宇宙時計」という、元型をあらわす象徴的な夢が現れる(これは本書にも詳しく紹介されている)。ユングはこの症例を『個性化』(individualization)、すなわち人間の心の治癒と心理的再統合の典型例とするのだが、じつはこの男性とはパウリだったのだ。

パウリが探求していたのは、物理だけではない。彼は自然哲学を、あるいはこの世界の成り立ちの根本原因を追い求めていたに違いない。物理学は世界の成り立ち(How)については記述できるが、ただ一度の自分の人生が世界の中でどのような意味をもつのか(Why)は全く答えてくれない。パウリにとっては、どちらも真剣な問題であり、それを物理的現象と心理的現象の相補性に求めた。それは彼自身の生い立ちから来る、矛盾した性格の二面性を解決しようという試みだったのだろう。本書はそのあたりの事情をきわめて魅力たっぷりに描いている。阪本芳久氏の翻訳も労作である。

西洋の科学は、「宇宙の構造の背後には目に見えない知的秩序があるはずだ」「宇宙は原因と結果の時間的因果律のみで動かされているはずだ」という、ある意味、一風変わった信念の元に発展してきた。だが、それでは偶然性に突き動かされる人間の感情面は説明できない。それをユングは「出来事と出来事のつながりはタテ〔時間〕方向だけでなく、横方向にも延びている
— ある瞬間に世界中で生じるあらゆる出来事は、巨大なネットワークのようなもののなかで互いにつながっている」(p.298)と解釈しようとした。有名な「共時性」の概念である。そしてパウリ効果は、まさに共時性の最たるものではないか! こうして、パウリの探求はユングの研究と共振していくのである。

パウリは戦時中アメリカに身を寄せるが、マンハッタン計画には参加しなかった。「彼が見抜いていたように、アメリカでは科学は軍の一部門同然になりつつあった」(p.280)。そして戦後、またスイスに帰る。晩年はハイゼンベルクと共同で「世界方程式」を探るが、最後の瞬間に決別し、そして病に倒れるのである。57歳であった。

最後に本書から、パウリの死後の物語を引用しておこう。天国に旅たった彼は、ようやく神なる主とまみえることができ、「なぜ 1/137なのですか?」とたずねた。神はうなずいて、「説明してあげよう」といい、黒板に複雑な数式を書き始める。大喜びでそれを目で追い始めるパウリだが、やがてしだいに頭を左右に激しく振り始めて・・・

★★★ リアル・シンデレラ 姫野カオルコ

2011/02/12

最近、いやこの10年間に読んだ中でもっとも優れた小説。読んで本当に良かった。強くお薦めする。

姫野カオルコという作家は誤解されやすい人だが、じつは知的で誠実なモラリストだと前々から思っている。本書は、その彼女の最新作だ。昭和時代の地方都市を舞台にした、ごく普通の人々による、魂の浄化の物語である。

それにしても不思議な小説だ。とくに何が起こるわけではないのに、なぜかひどくリアリティがあって強く引き込まれる。わたしはふだん電車などの移動中でしか本を読まないのに、最後の四分の一くらいは自分の部屋で集中して読み続けた。考えてみると、これはほとんど初めての体験だ。

帯の広告には、一人でも多くの人に読んでもらいたい、と書かれている。でも、もしかするとこの小説は、読んでも分からない人もいるかもしれない。わかる人には分かる、わからない人には決して分からない。--いや、そんなことは作者自身がとうにご存じのことなのだろう。直木賞にかんする感想を読んで、そう感じた。それだけ、この小説は「思想小説」なのだ。

主人公・倉島泉の名前は「暮らしません」とも読める。つまり、倉島泉という人は、この世に暮らしていない、この世の外の人なのだろう。だからこそ、故郷の普通の人々は彼女の存在の不思議さに気づかず、ただクリエイティブな職種にかかわる人たちだけが、彼女を美しいと思った。審査員の宮部さんが直木賞の選評で書かれていたように、これは現代の聖女伝なのかもしれない。あるいは、書店という百円ショップに並ぶ宝石だろうか。

個人的なことだが、わたしも’80年代の初め、自分の修士論文の研究のために上諏訪の信州大学臨湖実験所に短い期間、いたことがある。当時の諏訪湖は汚染(富栄養化)がひどく、夏になるとアオコが発生して、決して快適な場所ではなかった。わたしは諏訪湖の生態系シミュレーションのために、実験データを取りに通っていたのだ。だから、もしかすると「リアル・シンデレラ」の登場人物達と、いや、それこそ泉さんと、どこかの小道ですれ違っていたかもしれない。そう考えると、不思議な気持ちになってくる。

Webで姫野さんの「あとがき」を読み、この長編が個人的にもっとも辛かった時期に書かれたことを知った。しかし、小説にはその苦難の片鱗も感じさせない。わたしもほぼ同年代なので、気持ちはわずかなりとも察することができるつもりだ。といっても、こうして感想を書いて応援するくらいしかできないが、また次の作品に期待している。

すばらしい小説を、どうもありがとう。



★★★ 源実朝 吉本隆明

2011/01/17

筑摩書房から出ていた『日本詩人選』の一冊。吉本隆明は批評家として、また反体制的思想家としてカリスマ的人気を一時は誇っていた人だが、わたしは若い頃の詩人としての仕事が一番良いと感じる。もともと詩人的資質をもって生まれた人で、東工大の応用化学を出ているといっても、あまり理科系的な文章を書く人ではない。

その詩人としての彼が、鎌倉幕府の三代将軍として生まれ、若くして暗殺された天才的歌人の詩論を書くのである。面白くないはずがない。古書店でたまたま見つけた本書であるが、集中して一気に読んでしまった。

実朝の兄、二代将軍源頼家はかれが物心つくころに伊豆修善寺で惨殺される。それも、かれを擁立した北条時政の刺客の手によってである。愚管抄や吾妻鏡の文章を引用しながら、吉本はこう書く。「頼家の殺されかたからかんがえて、じぶんだけは別ものだとおもえるような条件はなにひとつなかったはずである。」(p.12)

それにしても、実朝たち兄弟はなぜ、執権である北条氏に一旦は将軍位につけられながら、後に捨てるように殺されなければならなかったか。吉本はまず、鎌倉幕府という奇妙な<制度>の構造分析からはじめる。鎌倉幕府は律令制の日本における国家内国家ともいうべき位相にあった。ところで、その「関東武門の固有制度ではどうしても血縁よりも惣領制のほうが重かった。(中略)この<惣領>は世襲ではなくて、一族一門のうち器量優れたものに<惣領>の指名によって継承される慣例がおこなわれていた。そして<惣領>は武力権と一門の祭祀権をあわせもつものであった」(p.37)は卓見であろう。惣領の支配が血縁の外にあるため、ともすると親子兄弟が互いにせめぎ殺戮し合う不安定性を内包していた。これを抑えるに、上位律令制の権威とのインタフェースとして源家の貴種性が当初は重要だった。しかし北条氏がライバルを次々と滅ぼし、鎌倉体制が安定化して行くにつれて、武家層は独自の倫理をつくりはじめ、やがて貴種は不要に、むしろ邪魔になっていくのである。

北条氏の飾りであることを自覚していた実朝が、我意を押し通したわずかな一つが、京都から貴族の娘を嫁迎えしたことである。当時、まだ「<一族>や<家門>の重さにくらべれば、<家族>はまだ比べものにならぬほど低い位置しかなかった。家父長家族が成立していたともいえず、また、妻女は実家の<族>に属しているといってよかった」(p.92)状態である。実朝という文学青年は、そのような境遇に生まれてしまったのだ。

吉本隆明はさらに、<和歌>とよばれる詩形式に論を進める。万葉の東歌「筑波嶺のをてもこてもに守部すゑ 母い守れども魂ぞあひにける」等は、上句と下句が明確に区切れ、かつ上句は下句を引き出すための隠喩(それ自体に強い意味はない)の形をしている。これは、対になった人々による掛けあいの和唱の場の即興のように生まれるもので、和歌の初原のあたりに近い、と彼は推測する。実朝の

 しら雪のふるの山なる杉村の すぐる程なき年のくれかな

などはこうした万葉調の古形を保持している。しかし

 秋ちかくなるしるしにや玉すだれ 小簾(こす)の間とほし風の涼しさ

 くれなゐの千入(ちしほ)のまふり山の端に 日の入るときの空にぞありける

などは、(単純な叙景だから)(万葉に類似の本歌があるから)というだけで「万葉調」と断ずるにははるかに遠いのである。事実、和歌は古今集の時代に入って明確に変容し、「雪のうちに春はきにけり鶯の 凍れる涙いまやとくらむ」のような<象徴>の地平にうつっていく。

 梅の花さけるさかりをめのまへに すぐせる宿は春ぞすくなき

 我が袖に香をだにのこせ梅の花 あかでちりぬる忘れがたみに

こうして並べてみると、実朝の歌が独特な心をもっていることがよくわかる。和歌はさらに『後拾遺集』で変容する。俗語の大胆な導入とともに、「詩的な<規範>のたががゆるんで、<象徴>性が崩壊しはじめたことを意味している」(p.197)と吉本は断ずる。いわばJ-POPの歌詞のように、平明だが単純な歌になるのである。「個々の詩人の感性に基礎をおくために、(中略)<景物>はほかにどんな習俗や伝承にしたがうものでもない」(p.198)ことになってゆく。和唱の場の共同体は不要となったのである。

こうしてとうとう和歌は新古今の岸辺にたどり着く。「吉野山花のふるさとあと絶えて むなしき枝に春風ぞふく」(藤原良経)「花は散りその色となくながむれば むなしき空に春雨ぞふる」(式子内親王)--こうした秀歌は、すでに目の前の景色とは何の関係もなく、すべて詩人の繊細な心の内にあるものを、技巧的な形で彫塑したものである。

 このねぬる朝けの風にかほるなり 軒ばの梅の春のはつ花

 吹く風は涼しくもあるかおのづから 山の蝉鳴きて秋は来にけり

十三歳で将軍職となって以来、実朝は鎌倉幕府の<象徴>的な頭領にすぎず、ただ祭祀権のみを履行する人形であった。かれが晩年望んだことは、宋に渡ることと、京都の律令王権から位階の昇進を得ることだけであった。そして二十七歳のとき、かれはとうとう右大臣に任ぜられる。その上は太政大臣しかなく、そうなると彼を取り除くことは困難になる。実朝が就任の拝賀のために鶴岡八幡宮に出たとき、だから彼を守る役目のはずの北条義時は「体調」を理由にそこに参列せず、かわりに兄頼家の子・公暁が暗殺者として木陰で待ち構えていたのであった。そうした顛末を、彼は何年も何年も前から、ある意味で心の中では見通していたともいえよう。

 神といひ仏といふも世の中の 人のこころのほかのものかは

 うつつとも夢ともしらぬ世にしあれば 有りとてありと頼むべき身か

 萩の花暮々までもありつるが 月出てみるになきがはかなき

ところで、吉本が指摘しなかったことで、一つ気がついたことがある。それは、歌人実朝は非常に耳の良い人だった、ということである。たとえば百人一首にとられた有名な

 世の中はつねにもがもな渚こぐ あまの小舟の綱手かなしも

は、たしかに吉本の言うように不安定な将軍職にうえにいるじぶんの<心>をあらわしていよう。ただ、それはこの歌の「な」「も」の音の繰り返す不安なリズムの上に、あやうく揺れている音が示しているのである。あるいはまた、もっとも有名な

 大海の磯もとどろによする波 われてくだけて裂けて散るかも

うっかり武家風だとか勇壮だとか誤解され、また詩人のひどく孤独な心が暗示されているようにも感じられるこの歌は、しかし下句の音をたどっていくと、まさに磯を打つ大波の低音の轟きが次第に周波数の高いしぶきに変わっていくさまを、見事に音自体で表象している。まさに、<和歌>という形式の中にこめられた、見事な<音楽>だった。そのような奏者を若いうちに失う事態こそ、日本における和歌の頂点の終わりを暗示していたのである。

2010年

★★★ ブレーキング・ボックス アンドリュー・サター

2010/11/07

良書である。本書は「日経ビジネスAssocie」誌の連載をまとめたものらしい。たしかAssocie誌は若手ビジネスマン向けの雑誌のはずだが(わたしも一度依頼されて書いたことがある)、本書は社会人になって数年程度の人たちに読ませるのはもったいない。むしろ、ビジネススクールのMBA副読本にした方がいいくらいのレベルだと思う。

著者は1955年ニューヨーク生まれのユダヤ系米国人。ハーバードで物理学を卒業した後、カリフォルニア大のロースクールを出た国際弁護士である。日本では文系出の弁護士でも特許法に関わる仕事を手がけることができる。しかし米国では、ロースクールに入る前に理科系の四年制大学を卒業した上、特殊な試験に合格した「特許弁護士」でなければ、特許を申請することができないことを、本書で初めて知った。これでは日米の会社が特許をめぐって法廷でまともに戦っても、日本に勝ち目が薄いのは無理もない。

ともあれ、この著者は文系・理系の『複眼思考』を持っている点が、何より心地よい。こけおどしの言葉や概念にもだまされず、実証的であり、かつ法務も商務も熟知している。たとえば本書は、ビジネスにおける「メタファー」の話からはじまる。販売のストラテジー(戦略)やタクティクス(戦術)やウィン(勝利)といった言葉を使う場合、それはビジネスの概念を戦争になぞらえてメタファーを用いているわけである。無論、メタファーの適用範囲には限界がある(べつに販売の前線で人を殺すわけではないし)。だが、’99年頃のシリコンバレーでは、"Land-grab"(先に到着した西部開拓者が土地の占有権を得ること)などのメタファーが暴れ回ったあげく、結局ドットコム・バブルで多くの企業家を破産させてしまう。

あるいはバリューValueという言葉の氾濫について。マッキンゼー・コンサルティングの有名な企業価値判断のテキストを読んだ著者は、「バリュー・マネジャー」や「バリュー創造手法」といった表現のオンパレードに驚くが、よく読むと、バリューとは株価を、バリュー創造とは株価上昇を指していることに気づく。この株主価値(Shareholder
Value)理念の旗振り人は、GE社のCEOだったジャック・ウェルチだった。ウェルチは20年間の間にGEのバリュー(株価)を30倍にしたといわれるが、利益額は5倍になったに過ぎない。ではなぜ「バリュー」の方はそんなに跳ね上がったのか?

じつはウェルチはR&D支出を大幅にカットし、11万人もの従業員を解雇した。そして従業員にサラリーを払うかわりに、約3兆円もの資金を使って、GE株の買い戻しを行ったのである。おかげで会社は「効率性」を増し、一株あたりの利益も増えた訳である。そればかりか、彼ら幹部役員のストック・オプションの「バリュー」も増大したのである。

M&A(企業買収)についても、専門家らしい複眼思考に満ちている。かつてソニーは米コロンビア・ピクチャーズを買収したものの、巨大な損失を出して体力をかなり落とした。この失敗事例のどこがまずかったか、著者はくわしく解説を加えて、異文化のM&Aがいかに危険な博打であるかを示す。ちなみにCisco社は戦略的M&A実行能力において、最高峰のレベルを持っていることが米国では知られており、本書でも、相手を文化的に統合するため専門チームを事前に派遣するやり方などを紹介している。しかし、日本で近年発行されているM&Aに関する本にはこうした成功手法はほとんど紹介されておらず、かわりに「サメよけ」だの「毒薬」だの’80年代に米国で流行した敵対的買収用語が乱発されている。日本の若いビジネスマン達が、M&A取引を「カッコいい」と感じているらしいのを知って、著者はショックを受けるのである。

著者は、数多くのM&A辞令から学べることの一つは「コストを削減したかったら、中央集権を進めよ、収益を拡大したかったら、地方分権にせよ」だといっている。これは非常に面白い指摘であるが、わたしの見聞きした事例ともよく合致する。欧米流を真似て、すべてを本社の司令室から取り仕切る経営を目指す企業が、日本でも増えているようだが、このようなやり方は一時的にはコストセーブにつながっても、長期的な収益にはつながりにくいと思う。

本書「ブレーキング・ボックス」は、経営とマネジメントに関心のある全ての人に勧められる良書である。中でも一番読んで欲しいのは、大企業の経営企画室にいて、買収や分社化や知財などの「戦略プランニング」にかかわっている人達であろう。こうした人達が、世に蔓延している固定観念や単純化された価値観に惑わされずに、自分の頭で考えてくれる事を著者は望んでいるはずである。

★★★ 自分でできる夢分析 江夏亮

2010/08/07

ある朝、悪夢から目覚める。汗びっしょりで、恐怖に震えながら、「夢でよかった。これはただの夢なんだ。」と自分に言い聞かせつつ、いつもと同じ日常生活に戻っていく。数日間はそのことを覚えているが、いつしか忘れてしまう・・こんな体験を、誰もが持っているだろう。わたしもそうだった。この本を読むまでは。

しかし、この本を読んでからは、はっきりと変わった。何が? 怖い夢を見たら、目覚めてから、「自分の中で、何かが間違っているらしい。この夢は、そのことを警告している。」と思うようになったのだ。起きてすぐに、自分が直近にしてきた行動や決断や思考をふりかえってみて、何かが足りなかった、あるいは余計だったらしい、と疑ってみる。そして多くの場合は、自分の自信過剰や不明に思い当たり、軌道修正をすることで、未然に難を逃れる。そんな経験を、時々するようになった。夢に、助けられるようになったのだ。

本書は非常に興味深い、かつ実用的な本である。内容はタイトルが表しているとおりで、副題に「ハイヤーセルフからのメッセージ」とある。「ハイヤーセルフ」とは、自分の無意識の中にある、高次な叡智をシンボル化したもので、著者が立脚するトランスパーソナル心理学の用語である。そして、夢とは自分の中にあるハイヤーセルフ=「もう一人の自分」からの大切なビデオレターのようなものだ、と考える。ちなみに著者は臨床心理カウンセラーとして長年日本で活躍している人で、またカリフォルニア臨床心理学大学院(CSPP)の実務家准教授でもある。

夢判断のたぐいは古代からあった。だが周知の通り、夢分析はフロイトによってはじめて、精神分析の重要な手法に位置づけられた。その後、ユング、ゲシュタルトセラピー、ボスなどにより、さまざまな臨床的手法として展開された。ただ、その後、心理学は次第に夢分析への関心を弱めていく。現代の三つの主たる心理学派は、行動主義、精神分析、人間性心理学である(p.256)が、著者は夢分析を、再び積極的な手法として統合的なカウンセリングの中に位置づけたいと考え、本書を書いたという。とはいえ、本書は特定の心理学派の立場や主張にとらわれず、広い範囲の研究や主張を、公平に紹介している。

最初の悪夢の例でいうと、著者はこう書く。「人はどちらかと言うと、強い事の方をよく覚えています。そこで、[ハイヤーセルフは]
あなたにできるだけ覚えてもらうために、手紙の外観を強くします。そして、その怖さゆえに、普段は夢を覚えていないあなたでも、記憶に留めやすくなると言うわけです。」(p.6)--つまり、怖い夢とは、無意識からの強いメッセージ性を帯びた警告である、という訳だ。

じつは、たいていの場合、夢はそれ以前にも、よりマイルドな形で、同じ内容のメッセージをわたしたちに送ってきているのだ。でも、それに気づかず、無視しつづけると、夢はよりシリアスな形で、わたし達に内容を突きつけてくる。だから、怖い夢を見たときは、ある意味では冷静に反省する、よいチャンスなのだ。仮に自分が死んだり殺されるような夢でも、それは警告であって、決して予言や予知夢ではない。(予知夢、という現象もまれにはあるが、統計的にはきわめて少ないことを著者は例証している)

そして、夢は自分にとって、変化の手がかりなのである。「夢に現れると言うのは、それを扱う準備が整っている1つの証拠です。スキーマが夢に直接的に現れる時には、夢見てはその隙間を書き換える準備が整っているのです。」(p.56) ここでスキーマとは、心理学用語で、ものごとを理解・認知する枠組みのことである。「もし夢の何かを伝えるという試みが成功すれば、同じ内容の夢をほぼ同じ時期に2度も見ることはありません。むしろ、あなたが受け取ったメッセージに沿って夢は変化していきます。」(p.73)。ここらは、長年、多くのセラピー事例を扱ってきた著者ならではの実感なのであろう。

著者はまた、心理分析の専門家が、クライアントの夢を分析して、メッセージ内容を解釈・断定する、従来のやり方に批判的である。クライアント(著者は「夢見手」という用語を使う)自身こそが、夢のメッセージを解釈する主体でなければならない。分析家はそれを補助し支援するだけに留まるべきである、と。「夢の分析家は、夢を分析するときのプロセスの専門家であり、夢見手が夢の内容・意味の専門家になればいいのです。」(p.58)

しかし本書の真価は、著者のいう『夢孵化』=夢に自分から問いかけ、夢に答えを聞く具体的方法にある。もともとはディレニーとリードらが開発した手法だが、著者はそれを使いやすい形で発展させている。

夢孵化は、以下のような手順をとる(p.226-232):

(1) 夢に質問したい内容を、一つの文章にまとめて記す

(2) 簡単な自己カウンセリングを行い、夢孵化文を確認する

(3) 夢孵化の文章を書き直す。本当に夢に聞く必要のあることは?

(4) ハイヤーセルフに問題を委ね、問題を手放すイメージエクササイズをする

ここまでだいたい30分程度かかる。そのあとはゆっくりと寛いで、就寝する。枕元に夢のノートと筆記用具を忘れずに。こうすれば、夢が、夜中に質問に答えてくれる。イメージを通してだが、はっきりと。

そして、夢孵化の実例をいくつか解説している。面白いので、わたしも一、二度だがやってみた。ただ、(4)の「問題を委ねて手放すイメージ」というところが難しく、ちょっとコツがいるらしい。そしてもちろん、夢のメッセージ自体が多義的だ(これはシンボルというものの性質なのだろう)から、解釈するときに間違えることもある。最初は、専門家の指導で少し練習してみる方が良さのかもしれない。でも、もし身につけば、きわめて有用な助力となるだろう。

ほかにも本書には興味深い記述が散見される。フロイトの解釈については、「フロイトの生きた19世紀から20世紀初頭のウィーンでは、極端に抑圧されたものはセクシャリティに関することで、結果として、それらが夢に隠されたのでしょうが、今の日本で極端に抑圧されているのは、自分らしく生きることかもしれません。」(p.197)という。

また、自分を変えたいという望みについても、こう書く。「人の問題行動が厄介なのは、たとえそれがマイナスの結果を本人にもたらすにしても、そのマイナスの結果を本人はよく知って慣れているので、嫌な結果でもなんとか代償を払いながらもそれををしのぐやり方を知っている、という点です。ですから、自分にマイナスと分かっていても、変な安心感、なじみ感からそれを選んでしまうのです。」(p.206) 

さらに、「私たちが何か問題に対処するときには、それまでの経験と知恵の全てを使って、それを解決しようとします。しかし、それでは解決できないので問題として目の前に存在します。ということは、これまでと同じことをしても、その問題は解決できないのです。言い換えれば、その解決には本人にとって新しい何か、未知の要素が必要となります。」(p.264)などは、多くのクライアントの変化を見てきたカウンセラーならではの判断だろう。

また、「夢に [スキーマが] 現れたら、夢見手は使う準備ができている、と言う表現があります。つまり、夢見手にある特定のスキーマや否定的自動思考を修正できる準備が心理的にできたとき、それらを受け入れる心理的な行体制が整った時、そのような夢を見て覚えているのです。」(p.203)という観察は、自分の側のレディネスを夢から知ることが出来る点で、有用である。

ちなみに本書には、著者自身が、大企業の研究所の職を捨てて、心理学の道へ転身するときに見た夢や、その後、日本でのポジションを捨ててアメリカに留学すべきか迷っていたときに見た夢(夢孵化によって得た答えの夢)の事例が記されている。いずれも非常に印象的な夢であり、道しるべとしてこの上ない価値を持っている。それだけの価値を、夢は持っているのだ、というのが著者の信条なのだろう。

なお、ついでに書いておくが、著者はわたしの大学時代の友人であり、修士課程の時は同じ研究室で机を並べて勉強していた。彼は水・エタノール系のエントロピーの研究をして、製鉄会社に就職し、わたしは諏訪湖の生態系シミュレーションを研究し、エンジニアリング会社に進む。そして彼は、研究所で開発した製品により社長賞までもらうのだが、なぜか突然、会社を辞めて心理学を勉強し直す道を選んだ。その後はお互いに忙しく、あまり接点もないまま過ごしてきた。最後に会ったのはもう10年以上も前になるが、著書を出したときいて、買ってみたのがこの本なのだ。だが、個人的な友人だからという理由ではなく、一読者として、本書はとても価値がある良書だと思う。

彼はカウンセラーとして、人の変化や成長という現象に、ずっと向き合ってきた。だから、随所に、その観察から得た知恵がちりばめられている:

「自分にとって新しい領域に入るときには、自分の進む道を無謀としないための慎重さと、不確定要素を抱えながら前に進む勇気、この2つが必要です。」(p.266)

「本当の勇気が試されるのは進む時だけでなく、引く時も同様です。いちど始めた事から撤退するのも判断が難しく、真の勇気が必要です。
」(p.266)

「本来の自分自身になるためには、逆説的ですが努力が必要なのです。どんな自分になりたいのか、その人自身が選んで決めていく必要もあります。

 この人生は、自覚して自分の人生を生きるか、それとも無自覚に生きていくか、その間を揺れ動きます。無自覚で知らないうちに流される時、それは、他人や周りの決めた人生を生きることを意味します。」(p.268)

--こうした文章は、中にはさまれるいろいろなクライアントのケース事例を見ると、あらためてその意義を感じる。夢というものを、どれだけ本気に受け取るかは人それぞれだろうが、人生の選択肢で行き迷っているときには、自分の心の中に聞いてみるのも良い方法なのではないだろうか。心理学のそうした応用に興味のある人なら、非常に面白い本である。広くお勧めする。



★★★ スティル・ライフ 池澤夏樹

2010/06/12

「この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。

 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。」

この不思議な小説は、こんな風にはじまる。『スティル・ライフ』というタイトル、そして冒頭の文章の主語の選び方とセンテンスの結び方、抽象的な叙述の仕方などから、この作者はよけいな湿り気のない、透明度の高い文体で物語をつむごうとしていることを、読者はまず感じる。

続く最初のシーンでは、バーの高い椅子に座る「ぼく」と友人の、静かな対話が描かれる。その友人は、水のグラスをじっと見ている。何を見ているのかとたずねる「ぼく」に対して、彼は、ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかと思って、と答える。宇宙から振ってくる微粒子が、グラスの水の原子核と衝突すると、かすかな光が出る。それを待って、というのだ(これはスーパーカミオカンデの観測原理だが、この小説発表当時はまだ存在していなかった)。

わたしは池澤夏樹という作家について、ほとんど何も知らぬままこの小説を買って読み始めたのだが、どうやら理科系的な資質の人らしいと、この辺で感じる。たしかに本の見返りの作者紹介には、北海道で生まれ、国立大学の物理学科を中退した、とある。もちろん、理系文系の区別など、便宜的なものでしかない。東工大を出た吉本隆明より、青山学院の英文を出た姫野カオルコの方が、よほど非情緒的でクラリティの高い文章を書く。でも、どうやらこの小説は理系読者に好ましい、何か不思議な魅力を持っている。

主人公の「ぼく」と、友人の佐々井は、ともに染色工場で働いていて知り合いになった。工場で働く主人公というのも、今どき珍しい。色番号を指定して糸を染める工場の工程を、作者は「ロットサイズ」などの言葉を使いながら淡々と、正確に記述する。その仕事で何がカギになるのか、何に人々は悩むのかを、手短な文章とエピソードから描いていく筆致は、なかなか達者だ。

「染色なんて、分子と分子が勝手にくっつくのに、人は少々手を貸しているだけなんだ。」??人には手の触れられない領域がある。人が全てをコントロールすることはできない。この小説には、分子とか星とか、他の小説には滅多に出てこないような単語がときおり登場して、主人公や読者たちの視線を、ふいに遙か遠い所へと誘う。『遠い視線』、これこそが池澤夏樹の小説の魅力だろう。

物語はその後、佐々井の提案によって意外な方向に展開していく。それはふつうなら波乱含みの、そして欲望とスリルにあふれたストーリーになるはずの話だ。だが、遠い視線から語るこの小説では、どこか淡々と、ひどく静かにことが運んでいく。そう、まるでタイトルの示す「静物」のように。

「大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。

 たとえば、星を見るとかして。」

冒頭の文章に続くこの段落こそ、透明な叙情性に満ちた本作品の方向性を決定づける道しるべ、記念碑なのだろう。その後、同じ作者のエッセイも少し読んでみたが、やや理屈っぽく生硬な部分があって、必ずしも読みやすいとは感じられなかった。だが、この作品は本当に素晴らしい。端正で静謐な、若い文学としての美しさに満ちている。本作品は1988年の中央公論新人賞と芥川賞を受賞した。

★★★ コストダウンが会社をダメにする 本間峰一

2010/03/20

副題は「スループットで全体最適」。著者は、みずほ総合研究所(株)の主席コンサルタントである。金融系のシンクタンクだが、主に中堅企業の経営改善分野を得意としている。

「企業が生き残るためには徹底的なコストダウンに邁進するしかない」というのが、今日の日本企業における主要なテーゼである。そのためには、経費節減・給与カット・外注化・海外調達・海外生産等をどんどん進めるべし、さもなければ企業は不況のどん底で赤字にあえぐしかないだろう--そんな合意が産業界で成立しているかのようだ。

ところが、経営の指示の下、会社ぐるみでコストダウンに邁進した結果、儲かるどころかかえって減益になってしまう例が少なくない、と著者は言う。なにも、無理なコストダウンのための製品偽装、などといった違法行為の話ではない。適法な範囲で努力に励んだ結果、かえって業績が落ちてしまうのである。いったい何が起きているのか?

たとえば、「社内単価(時間賃率)と外注会社の見積単価を比べたら、外注の方が安かったから外注に出しました」という機械メーカーD社のケース。単純に考えれば合理的に見える。D社は工場を建てなおしたばかりなのだが、それまで工場内で行っていた機械加工の設備をなくして組み立て専門の工場とした。加工工程は外注の方が安かったからだ。しかしふたを開けてみると大幅赤字状態に陥ってしまったという。

なぜこうなったか。それは、社内単価(コスト)の計算に問題があるのだ。原価は会計部門が計算方式を決めるが、普通そこには人件費以外に間接費用・本社費用などの固定経費が『配賦』されて乗ってくる。これらは一種の仮のコストである。加工工程をやめても、その分は組立工程の直接労働時間に全部、再配賦されるだけで、どこかに消えて行きはしない。だから、社内単価を外部購入単価とは単純に比較できないのだ(計算のベースが違う)。だが、ライン部門の人は、いや経営者層でさえ、原価計算書のロジックまで突っ込んで理解せずに、数字だけで議論しがちだ。その結果、自社が加工で稼いでいた儲けの大部分を社外に出してしまう、といった間違った決断を下してしまうのである。

似たようなことは、ソフトウェア業界でもしばしば起こる、という。大手SI業者の人月単価は150万~200万円が珍しくない。しかし別にSEが高給を貰っているわけではなく、経営者管理職など膨大な間接要員の固定費が上乗せされているのだ。中小ソフトハウスは間接部門がほとんど無いので、人月単価はSEの給料に近づき、100万円以下になる。だからといって、大手業者が受注したプロジェクトの現業のほとんどを外注に回してしまったら、その会社が得る差額=付加価値額はひどく薄くなるに決まっている。そして、どの会社も、その付加価値額の中から、社員の給与や設備など固定費を支払っていくのである。付加価値が小さくなれば、赤字になるに決まっている。

どうしてこんな間違いが起こるのか。それは、「賃率」や「製造単価」といったコスト要素が、固定した値だと思うからだ。実はこれらコスト要素は、会社全体の仕事量の関数なのである。たとえば、減価償却費が年200万円の装置があるとしよう。工場がフル操業なら、年に2,000時間稼働する。つまり加工時間1時間あたり、1千円が製造単価に乗せられる。ところが工場が50%程度しか受注量がなかったら、どうなるか。実働1,000時間である。ということは、時間あたり2千円が原価に乗せられることになる。売れなければ売れないほど、原価が高くなる計算なのである。

だから、誤解を避けるためには、固定費は固定費である、という単純な原則を再認識する必要がある。賃率や単価といった変動費風の見かけに計算し直すから、誤解が生まれる。これを避けるための単純で切れ味の良い管理手法が、本書のいう「スループット」によるマネジメントなのである。

受注額(販売金額)から、外注費や材料購入費など外部に支払う費用を差し引いた金額を、「スループット」と呼ぶ。この用語は、TOC理論で有名なゴールドラット博士の提唱した用語だが、流通業で『粗利』、製造業では『粗付加価値』と呼ばれてきた指標とほぼ同等だ。だから、落ち着いて考えれば、特に目新しくもないし突飛な手法でもない。

にもかかわらず、コンサルタントとして提案をすると、抵抗にあうことが多いと著者はいう。それは、残念ながら経営者やスタッフが、伝統的原価計算を頑固に無批判に信じ込み、木を見て森を見ない状態に陥っているからだ。「コストダウン」の語が、思考停止用語になっている。これを“値下げボケ”というらしい。こうして人件費の削減や、下請け企業に無理な価格を指し値することや、無理な海外生産がはやる。しかも、「コストダウンできるようになったから、これからは値引きして売れる」という営業戦略を展開するものだから、せっかく得たはずの利益も無くなってしまう。これが、昨今の電機業界で起きた現象だったのである。

スループット・マネジメントについては、これまで実務につかえる良い解説書がなかった。本書はその意味で、製造業のみならずサービス業や流通業などにも、とても参考になる。しかし、本書の一番面白いところは、最終章かもしれない。ここで著者は、GDP(国内総生産)とは、じつは「日本全体の付加価値総額」(つまりスループットの総和)になることを説明する。ということは、安易に海外生産に依存していくと、その分だけ日本のGDPは減少していくことを意味する。一部の企業が利益を出しても、日本全体の景況が沈滞していく理由はここにある。そこで著者は、スループット・マネジメントの立場から、日本全体のGDPを増やすための4つの処方箋を提案する。個別の企業経営のみならず、日本の経済全体について問題意識を持つすべての人にお勧めしたい良書である。

★★★ 英語と運命 中津燎子

2010/02/15

まことに面白くてインパクトの強い、しかし、ある意味で不思議な本である。

著者・中津燎子氏の最初の本「なんで英語やるの?」(1974)は、わたしが若い頃読んで、最も影響を受けた本の一つであった。出版された時、日本の英語教育界に与えた衝撃の大きさは、今ではちょっと想像がつきにくいほどだ(大宅壮一賞を受賞した)。また、この人の「こども・外国・外国語
(1979)は、やや目立ちにくいが、最良の作品だと思う。日本社会における、帰国子女の知られざる困難について、はじめて具体的に記述した、深く胸を打つノンフィクションであった。

本書はその、大正15年生まれの著者の、78歳の時の著作である。「つきあい続けて日が暮れて」というちょっと奇妙な副題が示すとおり、これは日本語と英語という二つの文化のギャップと摩擦についての論考であるのと同時に、著者の自伝としての色彩も濃い本だ。だが中身は真っ当であり、わたし達にとって非常に重要である。日本語と英語、日本国と米国とのギャップで長年奮戦してきた著者の、思想の吐露の結実だといえよう。

「なんで英語やるの?」というデビュー作で、著者は「なぜ、日本人なのに英語を勉強するのか?」という、とてもラディカルな問いをたてた。普通、生徒は「学校の指示だから」「義務だから」勉強せよ、との大人の指示に従う。では、大人の側は、なぜ、英語の学習を子ども達に要求するのか? ひるがえって、大人たちはなぜ(たとえば)英会話を学びたいのか?

進学や就職に有利だから、何となくカッコいいから、つまり、他人もやっているから当然、という程度の理由しか、通常はかえってこない。では、言語は第一義に音声的な存在であるのに、なぜこの国では「読み書き」と「英会話」が分断されているのか? 英語は子音にも母音にも息の量が必要なのに、なぜ、腹式呼吸や喉頭筋のトレーニングをしないのか?
こう、著者はたたみかける。もちろん、誰からも答えなど返ってこない。

なぜなら、そもそも、自分の行動に「なぜ」を発する習慣、理由を問いかけ説明する習慣が、わたし達の社会では薄いからだ。英語圏ではもっとも基本的なこの習慣が薄いまま、ただ「英語」だけを学ぼうとするのは、土台や基礎のないところに建物を移設するのと同じではないか。どこか根本が、見失われている。それが「なんで英語やるの?」の問いかけだったと、わたしは思った。

「こども・外国・外国語」は日本に戻ってきた帰国子女たちが直面する、知られざる困難、生きる上での猛烈な困難について書いた本だ。なぜ、困難なのか? それは、日本社会が無意識にとっている、人間関係とコミュニケーションに対する態度(とくに欧米系文化との差)のためである。父母の都合で、欧米系の教育環境ですごした子ども達は、知らないうちに、欧米的なコミュニケーションへの態度を、空気のように吸い込んで育つ。そして、日本社会に戻るやいなや、水の中に突き落とされるように、ねっちりと濃密な非言語的関係性の中に放り込まれる。見かけ上は、「外国語が上手でいいわね」といわれながら、日常では強い違和感と疎外にさいなまれる。だが、日本社会の側では、その隠微な差別を自覚していない。すべては無意識に行われており、意識と乖離している点に根本問題があるのだ。

本書は、前述したように、自伝的要素が強く、論考と自伝が、互い違いにサンドイッチのようになって構成されている。大正末年生まれのこの人は、女性差別的で暴力的な、それも予測しがたい時にキレる父親に育てられた(この点、先ごろ紹介した姫野カオルコ「昭和の犬」の境遇にちょっと似ている)。父は通訳で、そのため戦前のスターリン時代のウラジオストック(外地)で幼少の頃、育った。そして九州の保守的な土地柄の村に戻って、敗戦を迎える。つまりこの人自身が、帰国子女の草分けなのだ。

敗戦を機に、大人たちの言うことが、180度変わる。このことに対し、著者は終生、強い憤りと不信をいだくことになる。彼女は生活のため、福岡の米軍の電話局で、交換手として働く。そしてそこで、日系二世・ジェームズ山城氏に英語発音の基礎訓練を受ける。このジェームズ山城式訓練は「なんで英語やるの?」にも出てくるが、4メートル離れて背を向けて座っている山城氏に向かって、米国の小学生の英語教科書を朗読していき、彼が聞き取れなかったら「ノー」といってやり直しになる、という単純至極な(しかしある意味、逃げ場のない真剣勝負的な)訓練法であった。

そして、朝鮮戦争がはじまる。本書の中でも、この部分は恐ろしいほどの臨場感である。福岡にある米軍の電話局は、対応と出撃のための通信のハブとなってしまう。米軍は明らかに戦争準備ができていなかった、と彼女は見る。事実、投入した部隊は次々と全滅していく。そして釜山が陥落したとき、つぎは福岡だ、と職場にいた彼女たちは思う。

結局、戦争自体は38度線まで押し返して膠着状態のまま終わるわけであるが、この朝鮮戦争では、「(特需の)経済効果のほかに、朝鮮動乱以後で明らかに占領軍政府側が日本人全般を見る目が変わった。何かしら『信頼』に似た感情を持ったように見えた」(p.135)と書いている。開戦直後の大混乱のスキを狙ってクーデターを企てた、旧日本軍のグループもいなかった(米軍はこのリスクを本気で心配していた)。

その後、著者はカトリック神父たちの計らいで渡米・留学。シカゴで商業美術を学び,現地で日本人と結婚し、9年後に帰国する。そして帰国後、岩手で子ども相手に型破りな英語教室をはじめる。このときの奮戦記が「なんで英語やるの?」という本になるのだ。その後、南大阪に移った著者は、そこを拠点に大人向けの「未来塾」を展開しはじめる。だが成人教育の成果に次第に疑問を感じ、結局、’99年に「未来塾」を閉鎖する(それと前後して心臓病をわずらい、一線の活動から身を引くことになった)。

著者の考える、日本語と英語の最大の違いとは何か。それは、

「1.モノスゴイ破裂の子音と、息で作る短母音の存在

 2.スピーチという名称で一括されている、言語による闘争の存在」(p.150)

だと書いている。まず、この認識自体が、普通の英語教育者とぜんぜん違う。そして彼女は、この二点を乗り越えるための成人訓練をはじめたのである。それは、彼女自身が福岡の米軍電話局で実践し学び取ってきたことだった。

それにしても、なぜ日本には熱心な英語学習意欲を持った人が多いのに、日本の英語教育の成果は思わしくないのか? 本書の残り半分は、この問いをめぐって展開する。成人への英語教育を通じて見えてきた、現在の日本人の問題点である。

その多くは、意識されざる障害であった。たとえば、英語のスピーチの前に、日本人は日本語のスピーチができない(カリキュラムでは英語の前に日本語によるスピーチを課した)。まず、「紹介すべき事実の概要と、意見と感想が区別されない。次に、自分の言いたいことを単刀直入に言えない。おまけに、時間配分の概念がほとんどない」(p.309-310)。意見と感想がつねに強すぎる「感情」で結ばれ,一体化していて、しかもその事を全く自覚できない、という(p.310-311)。

発声や呼吸は、意識と身体を結ぶ領域なのに、ほとんどの受講生は、自分の身体を意識(対象化・客観視)することができないのも、大きな障害だった。
みな、言語を、単なる道具だと見ている。その根底にある文化的差違について無自覚なのである。最後に子どもの教育に戻ろうとした著者にとって、成人教育は、「日本人の大部分にとって英語学習とは、気分が良くなるためのシアワセ丸薬みたいなもの」(p.331)という苦い認識を残したようであった。

著者は、文化的差違の根源として、現代日本の三つの気質(はにかみ・ためらい・人見知り)と、三つの態度(解決の先送り・決断の後回し・様子待ち)を指摘する。そして、この「無意識の障害」を乗りこえない限り、日本人は21世紀を生き残れない、と断ずる。

ここから先は、わたしの感想・意見であるが、日本語のコミュニケーション態度の基本は、「受信者責任」である。そこでは、受け手がすべてを推察すべきとされる。「言わずとも分かる」が前提なのだ。だから、「質問し返すこと」は、受け手の能力不足を示すし、「繰り返し質問すること」は、その語り手が部外者(他人)であることを示唆する。その証拠に、人前で話した経験がある人は分かると思うが、日本人の聴衆は、何か講義・講演してもほとんど手を上げて質問しない。

わたし達の社会の言語観(表出されない無意識の態度)によると、言語は「すでに分かっている知識、共有されている感情・感覚を再確認する」ために発せられる。ここから生じるのは、質問がヘタ、説明はもっとヘタ、という事態である。自分だけが分かってる、独りよがり状態といってもいい。それでもいいのだ。ムラ社会では、お互い文脈は共有しているのだから。

ところが英語では(に限らず印欧語はほぼ全て)、「発信者責任」である。発信者が伝える努力をし、相手の理解を確認する。ここでは、自他の区別が前提となっている。だから、「欧米式の基本の教育は、どれだけ自分の考えを正確に人に伝えられるか」(p.318)であり、それを幼稚園の頃から仕込まれる。

こまったことに、わたし達は今や、外国とのビジネス上のつきあいに直面し、海外型プロジェクトの機会が増えている。ところで、『マネジメント』の原義・原型は、「人を動かして目的を達すること」である。である以上、自分の望むことを(何語であれ)きちんと説明できなければ、マネジメントなんてできる訳がない。

では、どうしたらいいのか? ここで、著者の作った、『異文化お互い様リスト』(p.347)というものが役に立つ。著者は世界の文化を、「ソフト型文化」(日本、タイなど)と「ハード型文化」(アメリカ、中国、ドイツなど)に大別する。そして、その特徴を列挙する。たとえば、以下のようなものだ。

 〔ソフト型文化)「主張よりも妥協が美点」 ←→ (ハード型文化)「主張は常識」

 〔ソフト型文化)「対立は喧嘩と考える」  ←→ (ハード型文化)「対立は喧嘩ではない」

その上で、お互いが相手をどう見るか・見えるかを整理する。

 〔ハードからみたソフト型文化)「妥協する人はごまかしているように見える」

 ←→ (ソフトからみたハード型文化)「きつい主張は生意気に見える」

 〔ハードからみたソフト型文化)「聞こえない言葉は存在がゼロ」(推察はしない)

 ←→ (ソフトからみたハード型文化)「声が大きくやかましすぎる」

ここでは一部を引用しただけだが、それぞれ10項目あげらており、英訳もついているから、ぜひ原文を見てほしい(ちなみに上図の最後の2行は、海外型プロジェクトの説明に使うためにわたしがつけ加えたもので、原文にはない)。海外ビジネスに直面するわたし達にとって、非常に参考になる、必須文献だと言ってもいい。

本書を貫いている隠れたテーマは、著者がもつ、自分をとりまく人びと(日本の社会)に対する強烈な違和感であり、その原因への飽くなき探求である。女性差別的で暴力的な親に育てられた上に、母国語である日本語の根付きが浅い、という自覚を大人になってから持つ。

そんな逆境の中、なぜ著者は強烈なまでに正気でいられたのか? それは、自分の頭で、「なぜ?」と考え続けたからであろう。そして、他人の答えで納得したふりをし、あきらめなかったからだろう。彼女が長らく暮らした欧米語の社会では、Why?は許され、答えられる(あいにく日本社会では、「なぜ?」と聞くのは不躾である)。女性であり、社会に組み込まれなかったことが逆に幸いしたのかもしれない。

本書は、今日の英語教育の主流から見ると、きわめて論争的な本である。だが、言葉に関する論争がわきおこり、深まるのは、とても良い事だ。それはわたし達が無意識に抱いている言語観や、他の文化とのギャップを意識化し前景化してくれるからだ。とくに海外とのコミュニケーション問題をかかえた多くの人々に、強く推薦する。



 ★★ 人間の安全保障 アマルティア・セン著

2010/02/06

人間の安全保障
(集英社新書)

アジア初のノーベル経済学賞受賞者、アマルティア・センの名前をはじめて知ったのは、佐伯胖の「『きめ方』の論理
―社会的決定理論への招待―
」を読んだときだった。社会的決定の問題を扱う同書の中で、センの有名な「リベラリズムのパラドックス」の定理や、「パレート伝染病」の概念による見事な問題解決に舌を巻いた覚えがある。

センと再び出会うのは、数年後に、会社の英会話教室で、先生から課題としてわずか2頁の雑誌記事を読むよう渡されたときだった。記事では、インドなど発展途上国における飢饉について、その原因は天候や農業の不作ではない、という驚くべき分析が示されていた。それは食料を買うためのお金や市場での配分割り当て、彼の用語で言う”Entitlement"が欠乏していたために引き起こされるという。それは天災ではなく人災であり、適切な政策によって防止可能だというのだ。その短い解説記事の著者が、アマルティア・センだった。

センはインドのベンガル地方に1933年に生まれ、英国ケンブリッジ大学で博士号を得た経済学者である。その研究領域は、集団的意思決定に関する公理論的数学手法による検討から、いわゆる厚生経済学、とくに貧困問題まで幅広い。1998年にはノーベル賞を受賞している。

本書は、その彼が行った短い講演などを集めたものである。薄い新書版だが、その内容は結構濃い。目次は以下の通りだ。


  • 安全が脅かされる時代に
  • 人間の安全保障と基礎教育
  • 人間の安全保障、人間的発展、人権
  • グローバル化をどう考えるか
  • 民主化が西洋化と同じではない理由
  • インドと核爆弾
  • 人権を定義づける理論
  • 持続可能な発展 - 未来世代のために

「民主化が西洋化と同じではない理由」など、やはりアジア人でなければ書けない視点だ。また「人権を定義づける理論」は、他の講演と合わせて『ですます調』で翻訳されているが、じつはかなり本格的な理論的論文である。

だが本書の中心的テーマは、やはり『人間の安全保障』Human
securityである。その概念を確立するため、彼は2001年に設置された委員会の議長を、緒方貞子氏と共に務めている。人間の安全保障とは何か。なぜ通常の、国家の安全保障national
securityだけではダメなのか。

それは、国家が安全でも、その国民一人ひとりが安全とは必ずしも言えない時代に突入しているからである。国民の安全は、無論、国家の安全に依存する。だが、国が一応安泰なのに、多くの国民が餓えや病気に苦しむ可能性があるのが、現代なのだ。

「<人間の安全保障>は、(経済・社会の)安全な下降に真剣に目を向けることに重点を置いています。(中略)景気の下降は、成長の過程で取り残された人々、つまり解雇された労働者や万年失業者などがおかれた慢性的に不安定な状況に、追い打ちをかけます」(p.39)と、彼は言う。「成長と拡大による利益の配分が不均衡で公正でないことは、かねてから議論されてきました。しかし、たとえその問題がうまく処理されても、景気が急降下すれば、無防備な人々の生活は、きわめて苦しい状態に追いやられるかもしれません。経済の拡大とともに、人々の生活が全体的に向上したとしても、暮らし向きがわるくなるときは、得てしてその転落の度合いに極端な差が生じます。」(p.39)

これに対抗するためには、国民一人ひとりが、自衛の方策をもつ必要がある。それが教育であり、経済的自立であり、また女性の平等である。彼は1999年にノーベル賞の賞金を使って、インドとバングラデシュに「プラティチ基金」をつくり、社会的な男女平等の達成を図ろうとする。

女性の教育と識字力の向上が、子どもの死亡率を下げる傾向があることに関しても、多くの証拠があります。(中略)女性のエンパワーメントには、これまでたびたび指摘されてきた、男女の生存率に見られる格差(とくに若い女性の生存率の低さ)を縮めるのにも大きく影響しているようです」(p.31)

「わたしがマーブブル・ハクのために作成した『人間的発展指標』には、識字率と学校教育を、人間の潜在能力を増大させるための中心的存在として、また<人間的発展>の総合的な指標に不可欠なものとしています。」(p.25、故マーブブル・ハクはパキスタンの経済学者で、<人間的発展>の概念を主唱した)

彼の言う『エンパワーメント』とは自己決定能力のことを指す。必要なものを入手し、利用できる法的・社会的・経済的パワーを含む能力や、資格を備えることである。センは上に述べたエンタイトルメントやエンパワーメントなどのように、よく世間で使われる用語に、独特の概念定義を持たせて使うので、読者は注意が必要である。『ケイパビリティ』という述語もその一つだ。

「自由を得る機会については、一般に『ケイパビリティ』という考え方が有意義なアプローチを示してくれます。ケイパビリティとはすなわち、人間の生命活動を組み合わせて価値のあるものにする機会であり、人にできること、もしくは人がなれる状態を表します。」(p.151)

ここには彼の中心的な思想が現れている。通常の経済学者は、財貨を得て人が豊かになることを望ましいことととらえ、また経済効率が最大化するような財の配分は何か、という問題を立てる。そして、一種の目的関数としての「効用」を仮定する。お金が増えれば、効用も増大する。ところが、センのアプローチは異なっている。彼は、財貨の増大を目的ではなく手段だと考える。何の手段か? それは人が持つ自由な選択肢を増やすための手段なのだ。(わたし流に言うと『自由度』である)

「効用に注目するのではなく、人間としてふさわしい条件としての自由の重要性に注意を傾けることから始めれば、私たちが自らの権利と自由を称えるだけでなく、他の人々の重要な自由に関心を向けることにも、行動を起こす理由を見出せるようになります。」(p.147)

お金をたくさん持てば、一般に人間の自由な選択肢も増える。ただし、場合によっては、そうならない時もある。たとえば、あなたが500万円出せば、社長も500万円分を補助して、1千万円相当の会社の株を得ることができるとしよう。当然、あなたの財は増えた訳だ。ところが社長曰く、「この補助は固定株主を増やすための施策だから、君は退職するまでは決してこの株を売ってはならない」という。それでもあなたは幸せだろうか。あなたの効用は増しただろうか? むしろ自由に使えたはずの500万円を何十年間も固定されて、不満に思うのではないか。アマルティア・センの議論を、わたしはこのように理解している。

インド出身の彼はさらに、先進国の勝手なふるまいが、個人や社会の安全保障を脅かす危険も指摘する。

「国連安全保障理事会の5常任理時刻は、1996年から2000年にかけての世界の武器輸出のうちの81パーセントに関与していました。アメリカだけでも、世界の武器総売上の50%近くのシェアがあります。そればかりでなく、アメリカの武器輸出の68%が開発途上国向けでした。」(p.63)

このような主張が、すべての人の耳には快く響かないことも事実だ。それどころか、「貧困と国家間の不平等が研究テーマ」と聞いただけで、そいつは左翼だ、などと決めつける輩が出てくるのが、今日の時代である。アマルティア・センが左翼だなどと聞いたら、彼の夫人の父親であるロスチャイルド男爵は笑うだろう。ただ彼は、人間社会を良くするためには、経済学のみでなく倫理学の研究も必要だと、信じているだけである。そして実際、高度な数理論理学を駆使して、倫理学と経済学の共通課題である意思決定理論を構築したのである。本書には数式は一切出てこないが、入門のための格好の一冊だろう。

2009年

★★★ ケセン語訳新約聖書 【ヨハネによる福音書】 山浦玄嗣・訳

2009/12/06

東北・気仙地方の言葉『ケセン語』による新約聖書の翻訳、という前人未到の偉業に取り組む医師・山浦玄嗣氏の、「ヨハネ福音書」である。まず冒頭で、あの有名な“はじめに言葉あり。言葉は神と共にあり。言葉は神なりき”という、まことに謎めいた聖句はどのように訳されているのか。巻を開く前からわくわくするではないか。

その期待は、実に意外な形で、しかし見事に満たされる。ケセン語訳はこうである:

「初めに在ったのァ 

神様の思いだった。

思いが神様の胸にあった。

その思いごそァ神様そのもの。」

ギリシャ語の「ロゴス」には、言葉・物語・命令・知らせ・事柄・理由など、さまざまな意味がある。その多義語の中から、『思い』を山浦氏は訳語に選ぶ。そして、それは見事に“腑に落ちる”のである。これが『言葉』では、謎のままになってしまう。神秘的で難解と言われるヨハネ福音書だが、その性格は、ヨハネの言語構造と現代のわれわれの考え方の落差から生まれたのではないか、というのが山浦氏の基本的な立ち位置である。

イエスの受難に十代で立ち会ったヨハネが、この福音書を書き上げるのは80歳頃になってからであった。4福音書の中で、本書は最も成立が遅い。「『イエスとは何ものか』というのが、ヨハネの一生のテーマだったことでしょう。その長い時間の中で彼の心の中に熟成されたイエスの言葉は、もはやヨハネにとってはどこまでが自分のものでどこまでがイエスのものなのかの区別もつかないほどになったいったに違いありません」と、山浦氏は考える。だから、ことのほか長い、最後の晩餐の説教も、それをジャーナリストの報告のように考えて読むのはまちがいだろう。「ヨハネ福音書」は、賛歌が地の文章に多くはさまれている、というフランシスコ会訳の解釈を、山浦氏も踏襲する。冒頭の聖句も、その賛歌の一部である。であればこそ、唱え詠うにふさわしいリズムがあるべきなのだ。

山浦訳はギリシャ語原典の文法的吟味によって、伝統的な解釈(直訳風日本語)を排して、しばしば新しい解釈(超訳?)を提起する。ドクサ(栄光)の訳し分けもそうだし、あるいは「エイミ+補語」の構文の属性的解釈もそうだ。ここから、「わたしは復活であり命である」という有名なイエスの言葉も、「この俺、人ォ立ち上がらせる力ァ持ぢ、人ォ生がす力ァ持ぢ。」だということになる。死者を生き返らせることではなくて、人を絶望の底からふたたび立ち上がらせる力だ、という訳なのである。

山浦訳は、何よりも付属のCDの朗読で聞くのが素晴らしい。朗読は、ご本人である。さすが劇団を立ち上げられただけあって、声に力があり、ドラマが聞こえてくる。そして、巻末の解説もまた面白い。山浦氏独自の解釈、いわば「山浦神学」がここかしこにと、書かれている。それらがあって、ヨハネの福音書の全体像が、立体的に立ち上がってくる。イー・ピックス社の装丁と印刷、製本もほんとうに素晴らしく、第一級の仕事だ。良書である。

★★★ Q-Japan 飯塚悦功

2009/11/28

著者は東大工学部教授で、日本品質管理学会の元会長。「日本では、マネジメントは理工学的研究の対象とも思われていない。現に東大にも京大にも、理系のManagement
Science系の学科が学部レベルでは存在しない」という意味のことを最近書いたが、著者の飯塚教授は、東大における、経営への理工学的アプローチの頭目ともいうべき人である(そしてこの方が化学システム工学科にいる事が、東大の不思議な点なのだ)。

本書は日本品質管理学会(JSQC)監修のJSQC選書の第1巻で、日本規格協会から出版されている。とはいえ、一般人むけに書かれており、薄くて読みやすい本である。

本書は、最初に、動燃のアスファルト固化処理施設における火災・爆発事故(’97年)と、その『虚偽報告』の事件から出発する。ついで横浜市大付属病院の患者取り違え事件(’99年)、雪印乳業集団食中毒事件(2000年)など、かつての品質大国ニッポンを疑わざるを得ないような事件が近年起こっていることを指摘する。

だが、以前の日本が実現した品質とは何だったのか。著者は「’60~’85年といういわゆる高度成長期を一つの時代と見るのが適切ではないか」(p.23)とした上で、工業製品の大衆化による高度経済成長期にあって、その競争優位要因は品質であった、と見る。ここでいう品質とは、大量生産する品物の特性の安定性という意味だ(いわゆる“後ろ向き品質”)。「’80年代の半ばまで、TQCが経営者を惹きつけた理由は、質が経営に貢献すると言うことが非常に分かりやすい形で納得でき、魅力的だったからである」(p.68)。

この方程式が成り立たなくなったのは、成熟市場の社会に入った’90年頃からだ。消費者ニーズの多様化と、経済のソフト化・サービス化が進行するが、そこではニーズを具現化する“前向き品質”が求められる。かつてのTQC方法論では、この変化にうまく答えられなかった。

そこで著者が改めて提案するのが、「Q-Japan構想 - 品質立国日本再生への道」である。その内容は、(1)自立型精神構造の確立、(2)産業競争力の視点からの質の考察、(3)“社会技術”のレベル向上、の三本柱からなる。

ここで著者は、「組織は製品・サービスを通して、価値を提供する。質とは、価値の提供を受ける側にとってのニーズにかかわる、その製品・サービスの特性・特徴の全体像である」(p.69)と、あらためて再定義する(「品質」から、物品を連想させる「品」の文字が消えて「質」だけになったことに注意されたい)。この定義は、“ニーズに関わる”という目的志向の考え方、目的達成に必要な方法論の基盤をあたえるものだ。

著者は2005年12月に発行した「JIS Q 9005(質マネジメントシステム-持続可能な成長の指針)」でも中心的役割を果たす。JIS
Q 9005では、満点のない自己評価を推奨している。だが、これが評判がわるい、と著者は言う。ほかと比べられないと非難されるのだそうだ。だが「自分であるべき姿を描き、その基準に照らして評価すればよい。なぜすべての会社を同じ尺度で評価しなければならないのだろうか」(p.53)と、企業に逆に問いかける。

さらに問題を抱える企業の経営者達に、自社の競争力のありかについてたずね、「それを可能にしている組織能力は何ですか、それを将来ももち続けるためにはどうすればよいですか、との問いに納得できる答えがないのである」(p.79)ことを見いだす。つまり、日本企業は自分の“あるべき姿”がわからないのである。これでは前に進むことが出来るはずがない。本書の後半は、JIS
Q 9005のフレームワークに従って、これを見つけるための活動の仕組みについて解説する。

本書はまた、わたしの属するエンジニアリング業界に対しても示唆するところが大きい。「サービス産業においては、質と生産性の維持・向上に最も重要な、固有技術の可視化、構造化、最適化(標準化)が不十分」(p.111)だったためにTQCが成功しなかった、と著者は言う。しかしながら同時に、「日本人の面目躍如たる特徴は“未定義でも前進できる精神構造”ではないかと思う」(p.81)。
「コンカレントエンジニアリングを容易にしたものは、未定義でも進める精神構造をもつ関係者が価値観を共有できる仕組みを持ち、未定義でも進行し変更へも柔軟に対応できるプロセスを運営しているからである」(p.82)。これらは、まさに日本のエンジニアリング企業の強みの源泉でもあるからだ。

最後の章は、社会技術について充てられている。まず、「技術とは、“目的達成のための再現可能な方法論”である」(p.114)と定義する。その上で、「経済性という単純なインセンティブによって健全な発展を望むことが難しく、何よりもよしあしが社会に与える影響が大きく、社会全体として何らかの方法論をもっていなければいけないとき、その方法論の全体を“社会技術”と呼びたい」(p.119)という。そして、医療安全、交通・物流、製品安全など社会のインフラをささえる方法論について考察する。ここは、東大で社会医療システム講座を運営する著者の面目躍如たる部分であろう。

本書は、質マネジメントやJIS Q 9005に関心のある読者のみならず、経営の今日的課題について真剣に考えたいとねがう多くの人に示唆を与える、良書である。

 ★★ 十字軍―ヨーロッパとイスラム・対立の原点  ジョルジュ・タート

2009/11/27

創元社から出ているカラフルな「知の再発見」双書の一冊で、元は仏ガリマール社の「ガリマール発見双書」からの翻訳である。著者はフランスのオリエント考古学者、訳者は南條郁子・松田迪子、監修は池上俊一である。

『十字軍』という言葉は、英語での用法などを見る限り、キリスト教文化圏ではいまだに宗教心の後光を背負っているようである。しかし歴史に詳しく接すると、当然ながら光と影の両面が見えてくる。イスラム側による聖地巡礼への迫害があったのは事実にせよ、エルサレム奪回という名目で突然、大規模な侵略をはじめたフランク人の十字軍は、その後、ヨーロッパと中東の間に抜きがたい相互不信をもたらすことになった。

第一回十字軍は、東地中海地域に4つの「ラテン王国」を建設し、アレッポ・ハマ・ホムスなどの都市も影響下におく。しかし、内部分裂をしていたイスラム・シリアをヌール・ウッディーンが統一し、フランク軍を押し返すようになる。援軍としての第二回十字軍は失敗。さらにイスラム側には名君サラディンが登場し、疲弊したラテン王国を次々打ち崩して聖地エルサレムを奪還する。一方、西欧側は第三次十字軍の補給でなんとか橋頭堡をまもるが、その後の第4回・第5回はいろいろな政治的目論見の結果、聖地をよそにコンスタンティノープル(キリスト教国)とエジプトを攻撃。第6回で一時はエルサレムがフランク側の支配下になるが、フランスの聖王ルイが出陣した第7回のころから、ユーラシアにはモンゴルという新たな軍事力があらわれる。聖王ルイがチュニスで没した後、危うい均衡も崩れ、第8回十字軍を最後にヨーロッパ勢は中東を追い出される--これが200年間にもわたった十字軍の波状攻撃のあらすじである。

十字軍は、まだ文化的に未開だった欧州を宗教心で団結させる目的があったはずである。ちなみに、「イスラム文化はビザンティン文化と同じく文書を基盤とする文化である。1204年、十字軍がコンスタンティノープルを占領したとき、一部のフランク兵はさかんに筆を動かすふりをしながら街を歩きまわった。彼らにしてみれば書くという行為ほど馬鹿げたものはなかったのである」という(p.94)。しかし十字軍がもたらしたのは、都市間における交通・商業・通信・金融の発達と、農村中心の封建制のたがのゆるみだった。イスラムとの接触により、最新の文化技芸が西欧に流れ込んでくるが、それは結局、キリスト教の基盤をいずれ、ゆるがすようになっていく。他方、突如侵略され父祖の地を占領された中東イスラムの側には、武断政治の体制が整備されてくる。こうして東の文化、西の武力が相互浸透しながらも、互いへの警戒と敵意がつねに歴史の火種となるのである。

本書は、こうした複雑な歴史劇を多面的な角度から、さまざまな史料をふんだんに引用しつつ、立体的に描写しようと試みている。かならずしもすらすら読める書物ではないが、非常に『知的な再発見』に役立つ本となっている。

 ★★ 占いの原点『易経』 梶川敦子

2009/11/11

これは通常の易経の解説書とはことなっている。易の本というと、ふつうは64種類の卦の原文と解説が並んでいるものだが、本書は最初と最後に、著者と師である岩谷赤丸老人との出会いのストーリーが小説風に描かれ、真ん中には易と陰陽五行説を用いた、様々な事象の解釈が並ぶ。様々な事象といっても、古事記・日本書紀からおとぎ話、平家物語から華道まで、ずいぶん幅広いものごとを、易の観点から再解釈するのである。

たとえば、日本書紀にある有名な有馬皇子の悲劇がある。かれは蘇我赤兄に謀反をそそのかされ、讒言されて19歳で刑死するのだが、謀反を決意したときに肘掛けの机の脚が折れる、というエピソードが記されている。易経では脚が折れることを「剥す」と称し、「山地剥」の卦を示している、と著者は解釈するのである。たしかに「剥」では厳しい結末が待っている。そして日本書紀の時代の著述家たちは易経に通暁していたはずだから、ここにそのような隠喩が込められている、と推測するのである。

それはそれで、面白い解釈の試みではある。ただ、ふつうの場合、易が事象よりも先にあって、その解釈と当てはめが悩みとなるのに対して、こちらは事象から卦を逆算する訳だから、ある意味で犯人を知って推理小説を読むような気分にもなる。ただ、カトリック教徒である著者が、同じく信者でもあり世捨て人でもあった、師の赤丸老人から、易経の考え方の奥義を学ぶ場面は面白い。易は運命論ではないから、占い(=未来予測技術)として読んではならない。「どんなに良くない卦でも、一生懸命に神様に祈れば好転する」と師匠はいう。易とは、人の心の深い部分にある布置を読むための、経験的な知恵なのであろう。

 ★★ 不確実性のマネジメント  桑嶋健一

2009/11/06

医薬品の中には、1gあたりの価格が宝石よりも高いものもある。画期的な新薬の開発にうまく成功すれば、一品目だけで数年から十数年にもわたって、製薬企業の収益を支えることができる。まさに宝物である。

そのような画期的医薬品の代表例の一つが、三共(現・第一三共)の高脂血症治療薬「メバロチン」であった。1991年から2003年まで、13年間にわたって日本の医療用医薬品の売上高トップの座を維持した。しかし、本書によれば、メバロチンの開発は計画の線に沿って進展したプロジェクトではなかった。’73年にコレステロール合成阻害作用を持つリード化合物が発券されていたが、マウスによる動物実験ではまったく効果が出なかったという。しかし、飲み屋での偶然の出会いから、別の動物の非公認実験の協力者を得て活路を見いだし、’81年からは前臨床試験、そして’84年から人による臨床試験が始まる。認可を得て販売開始したのは’89年で、ここまでに16年の歳月がかかっている。また臨床実験では通常、数十億円の費用がかかる。

このように偶然や運が大きく作用する医薬品開発プロジェクトは、どのようにマネジメントされているのか。これが本書の研究テーマである。著者は筑波大の助教授(出版当時)で経営学者であるが、比較的読みやすく書かれている。

新薬開発の成功確率は、2006年の業界団体調査によれば、約1万2000分の1である。まさに一攫千金の宝探しと言っていいい。製薬企業のマネージャーの中には「医薬品の研究開発はマネジメントできない」という人さえいる。にもかかわらず、著者の調査による比較では、日本の製薬企業の間における新薬開発の生産性(成功率)に関し、歴然とした差が見られるのである。その差はいったいどこから来るのか?

「粘り強い研究が画期的な成功につながる」というストーリーは、しばしば聞かれる。しかしこれでは、逆に言えば「いつまでもプロジェクトを止められない」問題も生じる。

著者は、新薬プロジェクトを、上流(探索段階)と下流(開発段階)に分けて考察する。そして、継続か打ち切りかの「go or no-goの判断」が最重要である、との仮説にたどり着く。ところで、臨床試験段階に入ったプロジェクトは、すべて厚生労働省に申請して始める事が義務づけられている。すなわち、医薬品業界は、新製品開発プロジェクトの公的な統計が存在する、きわめて珍しい業界なのである(殆どの業界では、すべて秘密裏に進むために失敗統計が公表されない)。著者はこれを利用し、「生存時間解析」という手法を用いて、主要10社のデータを分析比較する。

その結果わかったのは、フェーズ2と呼ばれる有効性試験の途中で、明確に絞り込む事が最も効率がよいらしい、との事だった。そして、10社の中で最も成績の良い武田薬品は、まさにこのパターンの戦略にしたがっているのである。(余計な話だが、わたしはこの桑嶋氏のデータに対して、リスク確率に基づいたプロジェクト価値分析を行って、フェーズ2成功の価値貢献が最大である事を、2010年のスケジューリング学会で報告した)

本書の後半1/3は、優れた製品開発マネジメントの産業間比較にむけられる。そして、「市場ニーズの多様性」と「製品構造の複雑性」という2軸での整理による藤本・安本モデルをもちいた分析が行われる。

本書の主要な主張は、不確実性と運に大きく支配される製品開発においても、組織によるマネジメントはあり得るし、有効でもあるという事にある。その鍵は、意志決定と、勇気ある中断撤退にある。本書の副題が、「新薬創出のためのR&Dの『解』」であることにも示されるように、製品開発マネジメントとリスクについて興味ある人々にとって必見の書物である。

 ★★ ぼちぼち結論
(中公新書)
 養老孟司


2009/10/16

なぜ、「ぼちぼち結論」がタイトルがなのか。それはこの本が、中央公論に連載した時評的エッセーの第3集で、「まともな人」「こまった人」につづく完結編だからである。では、養老先生の『結論』とは何か。この人は政治・経済・社会の世相に、どんな問題を見てきたのか。

その一つは、現代文明の行方についてだ。「戦後半世紀以上我々が進歩発展と呼んできたものは、石油の浪費に他ならない。古代文明は石油の代わりに木材を利用した。だから森が消えるとともに古代文明は滅びた。」(p.130)は、この人が外国で趣味の昆虫採集をしている中で感じてきた問題意識を表している。

教育もこの人の長年の関心事だった(大学の先生だから当然だが)。「授業という商品の価値は子供にはわからない。なぜなら、その価値は長い時間を経た後でないと理解できない。普通の市場なら価値のわからないもの顧客は買いはしない。しかし、教育、特に義務教育はそうはいかない。生徒は授業という商品を無理矢理買わされる。」(p.152)、「教育から時間を抜いたら何も残らない。人を変えてゆくのが教育だからである」(p.153)などが、この著者の教育観を示している。

また戦後の教育と世代についても、こんな風に感じているようだ。「団塊の世代の考え方は、過去への無意識な振り戻しと、意識化された戦後の進歩主義との奇妙な混合だった。彼らが就職して猛烈社員になったのは、その矛盾がそこだけは解消するように思えたからであろう。会社は旧来の共同体意識を保存したし、そうかといって仕事は右肩上がりだったそこではまさに伝統と進歩とがたまたま共存し得たのだ。」(p.10)

さらに、自由と秩序も彼の関心事だ。「自由が正しいわけではない。規制が正しいわけでもない。規制によって自由の、自由にやって規制のメリットが生じただけである。」(p.73)、「秩序は必ずそれだけの無秩序を生み出す。熱力学の第二法則と言い換えてもいいであろう。私は経済にも物理にも素人だから専門家に叱られるかもしれない。それなら脳の法則と呼んでもいい。規制は等量の自由を生み出し、自由は等量の規制を発生させる。」(p.73)あたりは、経済社会と人間の関わりの本質を射貫いて、見事である。

しかし最大の関心事は、彼のいう「脳化社会」のもたらす歪みだろう。脳化社会は、『個人』の『意識』が全面的に人間の主人となる、秩序偏重のかたよった社会だ。「意識はランダム状態を取る事ができない。という事は意識は秩序活動だという事を意味している。」(p.206)、「信念とは、強い感情的経験に基づくためにおかげで変えようがなくなった考え方をいう。」(p.156)あたりは、有名な『バカの壁』を思い出させる。そして、「個人とか個性、つまり自己を重視する西洋分野はキリスト教を基盤にしている。そのキリスト教が問答無用で自殺を禁止しているのは偶然ではなかろう。うっかり自己などというものを立てると人は勝手に死のうとする。だからそれを禁止したのであろう。」(p.127)、「自殺は殺人の一種なのである。日本の世間に殺人は少ないが自殺は多い。でも人を殺すという意味では、自殺も殺人も同じ事である。」(p.128)という風に、この社会の歪みは人間を押しつぶしていく。

脳化社会から脱して、帰るべき道として示されるのは、だから「自然」である。それはかつて養老先生が育った日本に、豊かにあったものだ。経済的に貧しいことは、恐れない。ただ、終わりなき人工的秩序の行き着く先を、彼は恐れるのである。

 ★★ エル・スール  アデライダ・ガルシア=モラレス

2009/10/02

ビクトル・エリセ監督の『エル・スール』は、わたしの最も好きな映画の一つだ。画面全体に漂うみずみずしい詩情、小さな娘の目から見た、魔術師めいた父親の不思議さ(イタリアの名優オメロ・アントヌッティが好演している)、スペインの静かな激しさを描いて、強い印象を残す。本書はその原作小説であり、かつエリセ監督の元・夫人が著者ときいて、興味深く手にとった。

ところで、比較的短いこの小説を読んで驚いた。小説としてはとても緊密に、よくできている。だが、映画とまったく印象が違うのだ。原作と映画が違うのはよくある話だが(そして事実、主人公の女の子の名前も違う)、ここではストーリーやキャラクターの問題を言っているのではない。父と娘の距離感が、微妙に、しかし決定的に違うのだ。この小説では、娘はつねに父親に対して奇妙な違和感を抱いている。それが物語を回転させる原動力となっている。ところが、映画の方は、お父さんべったりに描かれるのだ。それは初聖体のお祝い(これはカトリック社会では子どもが一人前になる重要な通過儀礼だ)で、父と娘が踊る"En
El Mundo"(「世界中で」)の美しいシーンに象徴されている。ところが小説では、そんな風に一体感をもっていない。かわりに、父の孤独と苦悩に謎を感じて、近寄りがたく思っている。

その謎は、やがて南部(エル・スール)の街セビーリャを訪れて、ようやく解けることになる。ここで、いわば別れた自分の半身と再開し、それを通じてやっと、亡き父とも和解しようと心が解かれるのだ。タイトルの意味はここにある。娘の側の、いわば成長の物語が本小説の主軸なのである。映画が娘の目を借りつつ、父を主題に描いていたのとは、非常に対照的になっている。映画では、(おそらく予算の関係で)このセビーリャのシーンの撮影ができず、それ故にやや唐突に、娘が突き放されたような形で結末を迎える。

同じ登場人物、同じタイトル、同じ地方の景色でありながら、小説と映画はこれほどまでに異なっている。著者とエリセ監督が結局別れることになったのは、このような解釈のすれ違いがあったからかもしれない。もちろん、どちらも素晴らしい作品ではある。ただ、片方は男が苦悩を描き、他方は女性が成長を語るのだ。

★★★ 新薬はこうして生まれる 森田桂

2009/06/27

著者は武田薬品工業の元・会長、それも研究畑出身で初の会社トップになった人の自伝だ。どこにも明確には書かれていないが、日経の「私の履歴書」の連載執筆に加筆したものだろうか。

医薬品業界は巨額の研究開発投資を要する業界として知られる。一つの新薬が生まれるまでに「10年の歳月と100億円の資金が必要」と言われる(最近は1,000億円とも)。しかも、10年というのは前臨床試験に入った後のことであって、本書を読むと創薬研究から10年では短すぎる、という。おまけに成功率は非常に低い。お金と時間がかかって、失敗リスク確率の大きな事業を、どのように舵取りするのか。マネジメント・テクノロジーの観点からきわめて興味深い分野である。

にもかかわらず、(というか、むしろ「だから当然」と言うべきかもしれないが)この新薬開発マネジメントに関する説得力のある論者は少ない。わたしは数年前に、経営工学会の雑誌「経営システム」で、『R&Dの経営工学』という特集を発案して責任編集したことがあるが、医薬品分野での研究方法論を具体的に語れる産業界の現役マネージャーを見つけるのに苦労した。本書はその後に読んだが、あのとき、この著者に頼むことができたらと感じた(無論、大物過ぎてとても無理だったろうが)。

たとえば、著者はこう書く。

「研究所という組織が大きくなればなるほど、研究目標は個々の研究者ごとに具体化され、効率の向上が要求され、加えて予算面からの締め付けが加えられる結果、まっ先に研究管理という大義名分の槍玉に上げられて犠牲となるのが、独創性を追求しようとする研究者である。私はかねがね、このタイプの研究者のことを『タイプT』、すなわち『スリル追求型』と呼んでいた。(中略)『タイプT研究者を窒息させるような組織を作るな』と機会あるたびに言い続けてきた。」(p.18)

あなたの勤務先では、『タイプT』の人は生きやすいだろうか? あるいは、著者はこうも書く。

「研究者が壁にぶち当たったときの悩みは深刻である。それは妻子に言えることでないのはもちろんのこと、友人の助けを期待することもできず、自分の力で切り開く以外に道はないのであり、そのためには時間がかかる。これらのことを無視して『研究の効率化』とか『研究評価の客観性』などという大義名分を振りかざして研究者を『役立たず呼ばわり』するような環境には、独創性の高い研究者は安住できないのである。」(p.101-102)

研究者社長らしく、本書の構成は、自伝の各章がそれぞれ薬で代表される。「パダン」「クロモマイシン」「アリナミン」といった具合である。また、20世紀の医薬品開発の流れを概観して、ペニシリンに代表される抗生物質の時代(30年代まで)→利尿剤・血糖降下剤の時代(40年代)→副腎皮質ステロイド(50年代)→向精神薬トランキライザー(60年代)→抗潰瘍薬シメチジン(70年代)→遺伝子工学技術とインターフェロン(80年代)→抗コレステロール薬(90年代)、と追いかけていくのも面白く、勉強になる。20世紀の医薬品の歴史はドイツ中心にはじまり、フランス・英国を経て、戦後はアメリカが中心となる。著者も米国のCenter
fo Excellenceとして名高いNIHに留学するのである。

それにしても、著者は戦後の日本の学会について、こう指摘することも忘れない。

「(終戦直後の応用化学では)アメリカから輸入されはじめたプラスチックや合成繊維など新物質の講義が行われていた。世界の学会ではすでに認知されていることであっても、『本邦で初めて』であれば、新しい知識として受け入れられてきた。このことは、その後の日本の化学工業の発展には有害とさえなった。というのは、新製品や新技術を国内に紹介する能力に長じた学者が重用される傾向を助長し、ひいては独創性を重視する研究本来の姿を損なうことになった、と私は考える。」(p.57)

著者はやがて、研究所から本社に呼び戻され、一時は企画部門のマネジメントをする。この当時、武田薬品では中央研究所(学問分野別組織)とは別に550人規模の「医薬研究所」(研究プロジェクト組織)を作っており、本社の後は医薬研究所長として赴任する。つまり、R&Dのプロジェクト・マネジメントを動かす立場になった訳だ。当然ながら、科学的興味だけでなく、ニーズ中心で仕事を見ることになる。ところが、そうしてみるといろいろな不都合な点が分かってくる。

「アメリカでも日本でも、その他多くの国においても、病気を未然に防ぐという名目で薬としての承認を得ることができるのはワクチンに限られている。肥満という症状がいかに『万病のもと』であると主張しても、抗肥満作用だけで薬としての効能を取得することはできない。」(p.204)

医薬品行政は、典型的な規制業界の上に君臨する行政である。製薬企業は自社の製品の値段さえ、自分では決められない。発売も製造もすべて役所の許認可がいる。そのかわり、新薬の権利は一定期間守られ、利益を独占することができる(ジェネリックなど後発医薬品が許されるのは原則その期間が過ぎてからだ)。その結果、日本の多くの業界において保護行政の結果生じた事態に、医薬品業界も陥ることになる。国際競争力の低下と、成熟市場での急激な統廃合だ。

「国による新薬許可基準では、日本の施設で行われる動物実験や病院での試験臨床成績の添付を厳しく義務づけていたので、欧米の製薬企業の多くは日本企業をパートナーとして合弁事業を創立して参入するしか方法がなかった。その結果、日本の製薬企業は国内では保護され、その裏返しに海外進出が遅れることになった」(p.225)

(医薬品卸の統廃合は)「メーカーにとっては対岸の火事なのだろうか。答えは明白に『ノー』である。日本の医薬品メーカーの数もなんとしても多すぎる。一部上場の企業の数も30社に余るというのは、世界でも例を見ない。」(p.277)

本書は、醤油屋の息子に生まれ、大学で生化学を勉強した優秀な研究者が、敗戦直後から50年間、日本最大の医薬品メーカーで働いてきた記録である。それはまことに、昭和初年生まれの人らしい回想録であり、かつ医薬品産業の自叙伝でもある。戦後の半世紀の間に、何がどう変わり、どう進歩し、またどう停滞していくことになったのかが、科学者らしい正確で客観的な観点で書かれている。医薬品開発や産業史に興味を持つすべての人に勧められる良書である。

 ★★ 「日本が変わってゆく」の論―ああでもなくこうでもなく
3
 橋本治

2009/09/21

橋本治が、今はなき雑誌「広告批評」に連載した巻頭時評『ああでもなく こうでもなく』の2001-2002春までを集成した本。

この連載は、過ぎ去った20世紀の葬列を送り出そう、という気分で書き始められる。橋本治はある意味、歴史主義者であり、歴史の推移や進歩というものを信じて、あるいは期待している。しかし21世紀に入っても、日本社会はちっとも20世紀を葬る支度に入らない。かわりに小泉政権と田中真紀子外相が新聞の表層を賑わせ、アメリカの「対テロ戦争」にぞろぞろ付き従っていく姿があるばかりだ。そこでいきおい論調は、「日本が理解し損なっているのは何か」という話になる。

「村人の一人一人に、“自分はれっきとした代表権を持つ、この村の一員だ”という自覚が宿らないままでいる。その自覚がないから、自分もこの村の一員として、この村の統率理念を考える必要がある、という責任も生まれない。『村のこと』は分からなくて、『自分のこと』だけは分かる--だから、村はおかしくなる」と橋本治は書く。「村人」とは無論、20世紀の日本人のことである。そして、その社会の退廃を明確にするため、「結婚」について、「労働」について、「家族」「消費」「党派」について書いていく。

「結婚している男女は、結婚を『所詮は自分達だけのあり方』としか解釈していない。その結果登場する『自分達の家』が『社会の中に登場する新しい単位』だという発想がなかったら、それは『肥大した子供の公認されたセックスごっこ』から出ないものになる」--これが、福岡高裁判事の不倫妻脅迫事件についてのコメントである。

小泉の靖国参拝問題を論じては、こう書く。「日本には、『非業の死を遂げた人は“神”として神社に祀る』というシステムがある。明治天皇は即位式の翌日、(保元の乱で負けた)崇徳院の霊を(たたりを恐れて)都の神社に移す。同じその年、『明治維新へ至る時の戦死者を祀るため』招魂社(後の靖国神社)を作る。・・そういう意味で、『第二次大戦で非業の死を遂げた人の鎮魂問題』が抜けているから、靖国問題は不毛になる。」

20世紀は、宗教が復活したがった時代である、というのが橋本治の理解である。彼は宗教のすごさを理解していて、なおかつ、宗教は人間が自分自身の主人であると考える事を妨げる、と信じているようだ。そのような20世紀は、9.11の連続テロ事件で、突然に終わる。そして、取り残されたのは、『村の統率理念』を考えぬまま退廃の内に沈む日本人であった。だからこの本のタイトルは、本当は「日本は変わってゆくべし」の論、だったはずなのである。

  ★ フランス革命
(FOR BEGINNERSシリーズ)
 ロバート・モウルダー&マーティン・マクロイ


2009/08/22

現代書館から昔出た、漫画的イラストを多用したFOR BEGINNERSシリーズの1巻。さしずめ今日風に言えば“サルにも分かるフランス革命”というところだろうか。もっとも、フランス革命のビギナーというのは意味が分からないし、サルが分かったからといってどうなるというものではない。

しかし、フランス革命というのは分かりにくいものなのである。その昔、高校の世界史の教科書で読んだときもちんぷんかんぷんだった。ディドロだのサン=キュロットだのジャコバン党だの、聞き慣れぬ固有名詞ばかりふんだんに出てくるが(わたしのパソコンは“ジャコ番頭”と変換してくれた)、その役割交替がめまぐるしくて筋書きが理解不能なのである。

理解不能なのは当のフランス人にとってもそうらしく、20世紀の歴史学の転換をリードしたアリエスは、19世紀終わりまでフランスの歴史学はフランス革命の検証と解釈ばかりに終始していた、という意味のことを言っている。じゃあこの本を読んで、筋書きが理解しやすくなるかというと、まあ答えはNonである。1879年のバスチーユ監獄襲撃から、清貧な独裁者ロベスピエールの恐怖政治を経て、ナポレオンのクーデターに至る革命の時刻表を追って、歴史の表層に浮かぶ泡沫のような出来事をなぞっても、深層流の動きはなかなか見えづらい。ことにフランス革命では極端から別の極端へと乱流のように方向が振れていくので、遠景で見る視点が必要なはずである。

日本の歴史教育は啓蒙主義的な観点がずっと強かった。だからフランス革命は一種の賛嘆すべき画期的出来事として教科書に記載されていた。ところが、フランス以外の欧州ではむしろ、避けるべき野蛮な出来事として位置づけられる。18世紀を通じてフランス王国は対外戦争や、アメリカ独立戦争への支援などで国力を消耗し続けた。そこに無能な国王の戴冠と啓蒙思想の波が訪れる。これが社会変革への背景である。そして、その背景には、農業と手工業を軸とした、余剰の富があったはずである。度重なる政治動乱と異常気象にもかかわらず、兵を動かす資金が社会に供給され続けた。これがフランス革命のDriving
forceだったはずだ。この点を見ずして革命を理解しても、Beginnerでありつづけるだろう。マクロイの絵は工夫してあるが、けっして見やすくはない。

★★★ 禁断の市場 ベノワ・マンデルブロ&リチャード・ハドソン

2009/08/12

監訳:高安秀樹 訳:雨宮絵理 他

ずっと昔の学生時代から、なぜか冪乗分布に心を引かれていた。いわゆる、ランク-サイズ関係が負の冪乗になり、両対数グラフで直線に載る関係だ。英語の単語の使用頻度に関するジップの法則がその典型で、順位と頻度は-1乗、つまり反比例の関係になる。これは、通常の正規分布則などでは説明のつかない、ひどく片寄った現象であることを示している。一般的な統計学がよって立つ正規分布では、平均的な事象が多いはずだからだ。

そうした問題意識には、「無限・カオス・ゆらぎ―物理と数学のはざまから」(寺本英ほか)や「ゆらぎの世界―自然界の1/fゆらぎの不思議」(武者利光)など、一部の数理物理学や数理生態学の本で多少の折り合いをつけるしかなかった。そこに突如、燦然と登場したのが、マンデルブローの「フラクタル理論」であった。

フラクタル幾何学は数学の一分野として登場しながら、驚くほど応用範囲の広い考え方だった。「自己相似性」と「整数でない次元」の概念から導かれる諸法則は、またたく間に、CGから宇宙論まで、ありとあらゆる分野で--より正確に言えば「ランダム」さを扱わなければならない分野で--もてはやされることになった。マンデルブロ集合やコッホの雪片曲線などは、あっという間にTシャツのデザインに、またPCのスクリーンセイバーの図柄になった。

本書は、そのマンデルブローの一種の自叙伝、あるいはフラクタル理論誕生の伝記である。それがなぜ「禁断の市場」(原題:The
[Mis]behavior of Market)なのかというと、じつは理論誕生のきっかけが純粋数学ではなく、金融市場の動力学的研究だったからである。

1998年の夏、ロシア経済危機の影響を受けてダウ平均は一日で6.8%下落する。これは、ビジネス・スクールで一般に教えられている金融工学の標準理論によれば、2000万分の一の確率(つまり10万年に1度の頻度)の事象であるはずだった。ついで2002年にはダウ平均が7.7%下落した日があった。その確率はなんと500億分の一だ。そして2008年のリーマン・ショックである。金融工学は、なぜこのようなリスクの予知に失敗したのだろうか?

マンデルブローは、ランダムさには「マイルド」「スロー」「ワイルド」の三つの状態がある、という。ちょうど物質に固体・液体・気体の三状態があるように。そして従来の金融工学は、市場を「マイルド」(つまり固体)としてモデル化してきた、と指摘する。本書の前半1/3程度は、バシェリエのランダムウォーク仮説、マーコヴィッツのCAPM理論、ブラック=ショールズ方程式などの標準理論と、その帰結(いかに現実に例外が多いか)をていねいに説明する。

第2部はいわば自分の理論の自叙伝である。マンデルブローは科学手法の道具箱の中に、新しい数学的ツールを導入することに生涯をかけてきた。それが「フラクタル」と「マルチフラクタル」である(フランス人が"マルチ"という時は、複合的というよりも"スーパー"的なニュアンスが強い)。

彼はIBMの研究所にいた時に、過去100年にわたる綿花価格の変動について調べる。そして、それが次数1.7の冪乗分布であることを突き止める。さらにこれがレヴィの安定分布の一変種であり、指数1.7はアルファ値という特性パラメータを意味することを発見するのである。これは経済学にとって一種のセンセーションとなったが、標準理論の根底に反するため批判も根強かった。

彼はさらに、ナイル川の水量変動のデータも調べる。そして、非常に長期の自己相関(現在の変化が遠い過去の値に影響される、いわば「長期記憶」を持っているかのような効果)があることを見つける。周知の通り、単純なランダムウォークをする変量は、時間の0.5乗に比例して変位が拡がっていく。これは化学工学や機械工学で拡散方程式を学んだ者には常識であろう。しかし、川の水量は違う。変異の幅が時間の何乗に比例するかを調べ、その次数をHというパラメータで表すと、H=0.5が単純ブラウン運動で、H>0.5の場合は次第に長期記憶が効いてくる(つまり「ワイルド」になるのである)。マンデルブローはこれを「非整数ブラウン運動」と呼んで、株価などの変動についてもHの値を調べていくのである。そして、最終的にマルチフラクタルのアイデアに至る。彼の分布モデルは、αとHという2種類のパラメータで、さまざまな変動現象を表現できる道具となったのである。

では、彼の理論を使えば市場価格の予測はできるようになるのか? 残念ながら、答えはNOである。冪乗分布は不連続な乱高下がまれに起き、収束しないのである。しかし、ボラティリティ(変動性)だったら予測可能である。いつ地震が起きるかは、予測できない。ただ、地震の起こりやすさは、指数化できる。これが市場経済におけるフラクタル理論の現在である。

本書は科学ジャーナリストのハドソンが共著者として協力しているおかげもあり、読みやすく、物語としても面白い。訳も、(ときどき固有名詞に首をかしげたくなることがあるが)こなれていると言えるだろう。ただ、マンデルブローのファーストネームBenoitの発音は普通だったら「ブノワ」じゃないんだろうか。もうベノワで普及しちゃっているから、しかたがないのかもしれないが。

★★★ 日本破産を生き残ろう 西村肇

2009/07/30

毎日出版文化賞を受賞した「水俣病の科学」の著者によって、本書が書かれたのは2003年。その時点ではまだかなり挑戦的だったこのタイトルは、今やほとんど現実味を帯びたものとなってしまった。若い人に向けて書かれたエッセイ集だが、テーマはほぼ一貫している。それは、「沈むかもしれない船にしがみつくより、自分で冷たい海に飛びこんで自分の力で生き抜く努力をしなさい」ということである。

日本の経済は戻らない、という認識が著者の出発点である。理由はソ連の崩壊と同じ官僚主義にある。官僚主義の致命的欠点は自浄作用がないことで、これが破産からの回復を不可能にする、と考える。そして、「上り坂の時代、人は団子になっていて、運命は似たようなものだったのに、下り坂では人はばらばらになり、運命は大きく違ってきます」という。

この運命を乗り切るために必要な力が、自分で考える能力、想像力、そして言語運用の能力である。そのための教育はいかにあるべきかが、本書の主要な部分だ。知識を教えすぎない教育、官僚国家に都合の良い「使用人」をつくらない教育。言語に関しては、英語をいわば第二公用語としてきちんと身につけるべきだと主張する(驚いたことに北一輝はエスペラントを第二公用語にすべきと考えていたらしい)。

著者は東大名誉教授だが、東大生に対しては辛口である。「使用人」タイプでいわれたことしかせず、正解を求める学生たちに、自分の頭で考える事を教えようと、授業に工夫を凝らす。ちなみに著者によると、「東大卒業生はR・S・Oだ」という。Rは「劣等感が強い」(これは意外だが、子供時代は秀才と自負していたのに、上には上がいることを大学で感じるからだろう)、Sは「損得勘定が素早くてバカをしない」、そしてOは「恩知らず」(優秀だから世間の特別な行為も当然だと思っている)の頭文字である。

東大出身のエリートは、典型的大衆だと、著者はいう。エリートは子供の時から基本的判断を他に頼って疑わないから、成績が良いだけのこと。もっとも大衆的な心理を持ちながら、自分は大衆ではないと思っている。こういう人たちは、大衆を操る独裁者を押しとどめる力はない。そして東大があるために、教育のあらゆる分野で思考停止が起きている。だから、東大は廃校にすべきだ、と巻末で結論づける。本書は挑戦的ながら、教育と今後の世代に関心のある人に勧められる良書である。

  ★ 音楽史の点と線
(下)
 岩井宏之

2009/07/06

下巻はムソルグスキーにはじまり、チャイコフスキー、ドヴォルジャーク、マーラーと進み、最後は武満徹と、中田喜直である。下巻に入って、著者の驚くべき主張のピッチはますます高まる。

チャイコフスキーについて。「(彼の)音楽は、われわれの間で、ちょっと微妙な立場にある。(中略)音楽経験を積むにつれ、チャイコフスキーに対する興味と熱意が急速に減退する現象が、たしかに認められ・・その聴衆の層は、広がりに乏しく、したがって質の点に偏りがみられる」。つまり、ちっとも音楽性が高くないという。

マーラー。もっぱら交響曲「大地の歌」について。漢詩のテキストと、マーラー自身をとりまく社会的状況の解説ばかりがつづき、最後に「極度に切り詰めた簡潔な作品はかけない人あったのである」と断じる。

ドビュッシー。「ベルガマスク組曲」など初期のピアノ音楽はサロン風の感傷に満ちていて、その独創力をそれほど信ずることができない、らしい。ストラヴィンスキー。「リズムの感覚的効果を追うのに急な余り、内面化された感覚の喜びにまで高めることができなかった。」・・・

上下二冊を読んで、作曲家達に関するさまざまなエピソードや社会的背景はそれなりに勉強になった。しかし、はっきり言えることが一つある。著者の内において、「好き嫌い」と音楽の「善し悪し」が、十分区別されていないことである。モーツァルトが好きなのはよい。チャイコフスキーが嫌いなのもかまわぬ。しかし、それと音楽の評価は別である。およそ学問というるからには、研究者個人の主観的趣向と、客観的な評価は分けて考えることができなければならない。音楽学は、少なくとも1970年代の時点の日本では、まだその域に達していなかったと考えざるを得ない。まことに残念である。

  ★ 音楽史の点と線
(上)
 岩井宏之

2009/06/29

1973年か74年にかけて書かれた音楽史に関する解説的エッセイで、著者は音楽学者で武蔵野音大教授。バッハとヴィヴァルディからはじまり、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンという風に一人一章のスタイルで書き続けられている。その歴史的な事柄に関する記述は、それが30年前に書かれた本であろうと、現在でも有用であるはずだと思う。しかしわたしは本書を読んで、あちこちでとても驚いた。

本書はパレストリーナの合唱曲についての短い感想からはじまる。著者はそれをレコードで聴いて、フランス人がしばしば芸術評価の基準にしているクラルテ(明晰性)の意味が体得できたという。イタリアの作曲家の作品を聴いてフランス語の観念を想起するのも不思議だが、そのパレストリーナの音楽に「存在感」が欠如しているのは、調性に根ざしていないのが原因、と著者は断じる。教会旋法に添って作られているため、調性音楽に特有の垂直的和声感が欠けている、との主張だ。で、最初の注目すべき調性音楽はカッチーニの「アマリリ麗し」だとする。

しかし今日的な観点から見ると、両者の違いは、ポリフォニー(多声音楽)かモノディー(単旋律音楽)か、という点に思える。そして、著者が「存在感」とか「調性音楽」と呼んでいるものの正体はホモフォニー(和声的書法)の感覚ではないかと疑わざるを得ない。

ショパンの章では、彼の作曲家としての純粋さについて触れ、「ポピュラー・ミュージックであろうとシンフォニーであろうと、音楽は音楽という考え方、あるいはジャック・ルーシェ・トリオであろうとグレン・グールドであろうと、バッハはバッハという考え方からは、ついに一人のショパンも生まれない」と書く。はあ、そうですか。また、ヴェルディの章では、「私は、イタリア・オペラ最高の作曲家として、ヴェルディではなくモーツァルトを念頭におく」と結ぶ。イタリア人が聞いたらさぞや驚愕するだろうなあ。

 ★★ バーナード
経営者の役割
 飯野春樹・編


2009/06/18

経営学の教科書などを読むと、バーナードの「経営者の役割」は古典として位置づけられている。経営学は20世紀に入ってから形作られた学問で、テイラーの「科学的管理法」、ファヨールの「管理過程論」、それらに少し遅れる形で1938年のバーナードの組織理論が三大基礎と言えるだろう。この3人とも、学者でなく実務家だったのは注目に値する。技師長テイラーの理論はIE(Industrial
Engineering)としてフォード・システムの大量生産に組み入れられ、アメリカ産業の発展に大いに貢献したし、仏の資本家ファヨールのライン-スタッフ機能やマネジメントを過程としてとらえる思考法は、現在の企業経営の中心にある。

これに対して、ニュージャージー・ベル電話会社の社長チェスター・バーナードの斬新な人間観とシステム・アプローチによって生み出された組織論は、ノーベル経済学賞を受賞したサイモンの理論に引き継がれているとはいえ、現在では忘れられかけているようにも思える。これはなぜだろうか。

バーナードは、『組織』を構成する三要件として、「共通目的」「協働意識」そして「コミュニケーション」を挙げる。このどれか一つでも欠けたら、組織にはならない。たとえば市町村など地域の住民には、行動における「共通目的」がない。予備校に集まる生徒達には「協働意識」がない。だからこれらは組織とは言えないのである。逆に、会社であれ、役所やボランティア団体であれ、この三要件が成立すれば「組織」であり、そこにはバーナードの経営理論を適用することが可能なのである。

バーナードの理論の基礎には、人間論がある。人間は自由意志と責任を具備した存在だと彼は考え、「個人には目的があるということ、あるいはそうと信じること、および個人に制約があるという経験から、その目的を達成し、制約を克服するために協働が生じる」と彼は書く。つまりここには、経済学が看過した『協働論』があるのである(伝統的「経済人」モデルからは競争論しか出てこない)。

さらに彼は「協働システム」の概念を発明して(システム工学などの現れるはるか前だった)、公式組織という抽象的分析の枠組みを構築していく。管理者の諸機能は、この組織をベースに導かれるのである。たとえば組織の能率とは、そのシステムの均衡を維持するに足りるだけの有効な誘因を提供する能力である。いいかえれば、個人にとって有形無形の利益が得られるほど、働く意欲も高まるわけだ。これは当たり前のように見えるが、目に見える金銭的インセンティブと罰則だけで人を動かそうとする今日的な大企業経営と、いかに隔たっていることか。

そもそも米国のビジネス文化を考える際には、あの国の産業がプランテーションから立ち上がったことを理解した方がいい。米国式のマネジメントは、だから、奴隷を使うプランテーション経営に少し似ている。アメと鞭で労働者を収奪し、使い物にならなくなったら別のと取り替える、という思想がどこかに残っている。こうした風土で、「組織は道徳的制度であり、管理は権限中心から責任中心に移行すべきである」と主張したバーナードの卓見は際だっている。

それでは、なぜ今日バーナードは忘れられつつあるのだろうか。それは、経営学が「人の理論」から「お金の理論」にシフトしたことと関係がある。バーナードの時代、株式は無論あったが、社会が富を生み出す源泉は主に工業の労働であった。今日では、端末でのクリックが巨富を生む金融業の時代である。産業の主従が逆転してしまった。金貸しに協働の理論は要らない。しかし、そうした夢がリーマン・ショックとともに泡とはじけてしまった今、彼の理論は再び重要性を取り戻すにちがいない。

 ★★ 街道をゆく
14 南伊予・西土佐の道
 司馬遼太郎


2009/05/25

四万十川としまなみ海道を旅行することになって、読んでみた本。この地域は、とてものどかで美しいところなのに、ガイドブックがほとんどない。むろん、この「街道をゆく」は何せ1978年に書かれたものなので、「観光ガイド」の役には全然立たない。しかし、地域性と歴史の特徴について、漠然とした印象を感じ取ることはできる。

本書の旅は松山から出発して、愛媛(この地名が明治になってから「古事記」を元に選ばれたことを初めて知った)を南下し、いくつかの古い町を通って宇和島に至る。宇和島は仙台伊達家の分家が藩主であった。その地の歴史に残る騒動をさっとスケッチして、さらに高知県の西側に足を踏み入れて終わる。

実際に旅をしてみてわかったのだが、同じ四国とはいえ愛媛と高知は気質がずいぶん違う。愛媛は穏やかで小綺麗を好み文芸をたしなむ。文字通り、女性的とも言える。他方、高知は荒々しく豪快で、武の匂いがする。この両者が接する宇和島が、かつては日本の鉄道の終点と言われたのはとても面白い。そういう、地方都市をめぐる小さな旅のお供に格好の書である。

 ★★ アルトナの幽閉者 J・P・サルトル サルトル全集〈第24巻〉

2009/05/20

じつに奇妙な筋書きの戯曲だ。サルトルという劇作家は、とても上手な、分かりやすい劇を作る人という印象がある。ある意味では、分かりやすすぎることが、かえって観客を一方的に誘導してしまう、そんな危うさを持っていて、難解な哲学や評論とは、その点で一線を画している作家だ。

ところで、この長い戯曲は、いささか分かりにくい。主人公は、ひきこもりの元軍人だ。ドイツの、かなり大きな造船業者の嫡子で、第二次大戦が終わって以来14年間、ずっと二階の自分の部屋に閉じこもっている(この劇の初演は1959年)。そして、正気を外れた演説を部屋の天井に向けて語り続ける。家の外のドイツは滅亡したと信じている(あるいは、そのフリをしているらしい)。彼に会うことができるのは年下の妹一人。先の短いことを悟った父は、家督をもう一人の息子に継がせたがるが、弟の方は逃げ腰だ。

この劇は古典フランス劇のような三一致の法則で、同じ場所、同じ日に完結するよう作られている。いうまでもなく、フランス人により作られた、フランス人のための劇である。にもかかわらず、この劇の登場人物はほぼ全員がドイツ人である。どうして正気を失ったドイツ人を主人公にした話をつくらなければならなかったのか。それはどうやら、フランスのアルジェリア戦争に関係があるらしい。第二次大戦では被害者で、最終的には勝利者で、正義の側であったフランスは、対植民地では全く逆の、加害者で、最終的には敗北者で、かつ道徳的にも敗退した側になった。その前線から帰還した仏軍兵士の沈黙をテーマに、しかしシチュエーションを換骨奪胎してドイツ軍下級将校のドラマに仕立てたのが、この話らしいのだ。

そういうわけで、この劇は観客にじりじりとした居心地のわるさを提供する。観客皆が、戦争の責任を逃れて、しかし内心では審判と罰を求めながら、閉ざされた世界の中を生き延びている「ひきこもり」をともに体験させられるのだ。ある意味で、とても今日的な芝居だと、再び言える時代になったのかもしれない。

  ★ 海馬―脳は疲れない  池谷祐二・糸井重里

2009/04/28

この本は非常に疑問のある本だ。たしかに脳科学者・池谷氏の話はまあ、面白い。しかし、たとえばタイトルにある「脳は疲れない」というテーゼは、どこにも論証がない。「脳は寝ている間も動き続けて、夢を作ったり体温を調節したりしています」という池谷氏の発言をとらえて、あとは糸井重里が勝手にはねあがってしゃべりまくるばかりだ。そして本のタイトルにまでしてしまった。本書の中では一事が万事、この調子で、糸井という人は池谷氏の発言の一を聞いて、十を語ってふれまわる。勝手に自分の願望をつけ加えて、十にするのだ。だから発言の量は、糸井重里の方が、ずっと多い。

池谷氏の研究対象は「記憶」である。だれの生活にも関わりが深い(とくに教育という名前の受験産業にかかわりのある人には)。だから、かならず世間の注目を集めるわけである。その「世間」の代表者格、知的だと自分では思っている人の代表として、糸井氏が質問を浴びせていく。とくに記憶を司る海馬は、脳の中で唯一細胞が数ヶ月単位で入れ替わり、増えることもある場所である。そういう意味で、とても興味深い研究対象である。しかし、“最先端の脳科学”を、「創造力豊かな聞き手」が聞き出そうとすると、こういう本しか生まれないのは、まことに不幸である。もっとオリジナリティのない、謙虚でフツーの人と対談してほしかった、と思うのである。

★★★ 雪 オルハン・パムク

2009/04/18

なんと素晴らしい小説だろう! これほどの物語に、批評や解説など要らない。みんな、本屋に走っていって、すぐに買い求めるべきだ。

オルハン・パムクは現代トルコを代表する小説家だ--ということは、実はこの本を手に取るまでは知らなかった。トルコと日本は遠い。中東でありながら欧州、アジアでありながらローマ帝国の位牌を受け継ぐこの国は、とても複雑で分かりにくい。そのトルコの、東部辺境の小さな町「カルス」を舞台に、この現代小説は展開する。雪の降りしきる辺境の町。雪はトルコ語で「カル」という。そして、主人公の名前は「Ka」(カー)。三つの単語の響きは微妙に反響しあいながら、もつれた物語を紡ぎ上げていく。

それにしても、何という巧みな展開だろう。最初に、詩人で、ドイツから何年ぶりかで帰国した主人公Kaを三人称で物語る。雪で閉ざされた町では、イスラム原理主義の影、奇妙な少女達の連続自殺事件、そして軍のクーデター計画が進行していく。その中を、詩人Kaはかつての恋人と再会すべく走り抜けていく。ときどき作者は作者らしく『神の視点』で登場人物達の運命を予告する。それなのに、ある段階から突然一人称の小説に転じていくのだ。

トルコという国は、イスラム教徒が国民の大多数なのに、政教分離主義を国是としており、しかも憲法で軍によるクーデターを合法化している。かつ底辺にはクルド人やアルメニア人など少数民族問題がある。私たちから見ると実に難解な社会だ。しかし生きている人々の感情は、私たちと何ら異なるところはない。だからこそ、世界に通用する小説が成り立つのだが。

和久井路子氏の翻訳は、ときどき原文の倒置法の味付けを残そうとして、かえって分かりにくい表現になる場合もあるが、それでもよく翻訳されている。何より、藤原書店がこのような大部な翻訳小説を上梓した決断に喝采を送りたい。日本語訳が出た直後の2006年秋、オルハン・パムクはノーベル文学賞を受賞した。

 ★★ ホワイトヘッドの哲学  中村昇

2009/04/07

少し前から、ホワイトヘッドという哲学者が気になっていた。バートランド・ラッセルと共著で、記号論理学の金字塔「数学原論」を書いた人として知られている。だが、気になったのはその晦渋な数学基礎論ではなく、エッセーの方だった。たしか何人かの欧米の著者の引用で読んだのだが、その高いモラルと現実のバランス感覚とに、いたく感心したからだ。

そういう時にはまず、ホワイトヘッドの評論集を買い求めて読むべきである。しかし、ついいつものくせで、入門書を買ってしまった。というか、講談社選書メチエでこの「ホワイトヘッドの哲学」を見つけたので、そういえば、と思って衝動買いしたというのが正しい。

著者は言うまでもなく、大学の先生で哲学者である。だが、ホワイトヘッドの主著「過程と実在」を正面から読み解くような本の形ではない。ホワイトヘッドの時間論を主軸に、彼以前と彼の思想の見取り図を描こう、という趣向である。もちろん、柔らかな語り口で。このスタンスはとてもうれしい。

ホワイトヘッドは元々、英国の数学者である。それが、定年退職してから渡米して、ハーバードで哲学の研究者、それも形而上学(な、なんと時代遅れなターム!)の専門家になってしまうのである。数学基礎論と哲学は近いと言えば近いが、それでもずいぶん大胆な変身である。それだけ、この人には真摯な知的探求心があったといえるだろう。

ホワイトヘッドの思想は、今風に言うならば「プロセス中心」の視点である。西欧哲学が実在論をめぐって千年間も空転してきたのに、彼はあっさりと「もの」から「こと」への転換を進めてしまう。この点がすごい。すごいのだが、しかし本書を読み進めて理解する限りでは、嗚呼、ホワイトヘッドといえども、やはりプラトン的な“イデア実在論”からは自由になっていなかったと感じる(むろん、こんな断定は原著を読んでからすべきであることは重々承知している)。そこが、いかにも惜しい。それが、西欧哲学の限界とも言うべき境界面を示しているのだろう。だが、そこを知る目的のためだけでも、本書は読む価値がある。

★★★ 持続不可能性 サイモン・レヴィン

2009/04/01

原題は"Fragile Dominion"。『はかない住み処』の意味である。本書は、京都賞を受賞した数理生態学の大家S.
Levinが、一般人向けに書いた(珍しく数式が一つも出てこない)生態学の集成である。

著者レヴィンの主たる業績は、空間生態学にある。従来は生物相の時間的遷移を扱う学問だった生態学に、空間分布とスケールの意味概念を計量的に持ち込んだ。彼の論文"The
Problems of Scales and Patterns in Ecology"は’90年代を通して生態学で最も広く引用された論文だと言われている。私は’80年代の後半に、米国東西センターにいて、生態学におけるスケールアップ問題を研究しており、このときの縁でレヴィン博士の知己を得ることができた。

さて、本書でレヴィン博士は、地球の生態系を「複雑適応系」だと定義している。『複雑系』の概念は、サンタフェ研究所が中心となって’90年代に発展し広く普及したが、彼はこの思潮に一役買っているらしい。生態系を機能と構造から考える、というのが米国の生態学の主流だが、ここに「目的論」の観点を密輸入する傾向が以前からある。彼はこれを警戒して、「エコシステムの生成は適応の結果であって、合目的な意志が働いている訳ではない」と繰り返し主張している。

長い年月をかけて織り上げられた、この地球のエコシステムは、しかし人間活動と欲望のために危機にさらされている。これが、原題『はかない住み処』の問題意識であった。彼は生態学(生物進化学を含む)の発展経緯と視点を丁寧に記述して、生物多様性とエコシステムのパターンが、生物の局所的な適応戦略から発生してくることを説明する。エコシステムを、安定性と自己修復性を持つ実体的な概念(つまり“生き物”)ではなく、パターンとして理解する著者の立場は非常に明瞭で、説得力に富んでいる。

しかし、彼のこのような研究のアプローチは、どこかで適応と進化の「ゲーム理論」的な生物観をもたらす危険性をはらんでいる。それは、彼の活躍してきたアメリカの知的風土においては、とても自然なものだったのかもしれない。じじつ、京都賞の受賞記念講演で、レヴィン博士は「囚人のジレンマ」の例を引き、生物行動のモラルの発生を突き止めたい、と言っていた。しかし、本当にそうなのだろうか。そこには競争原理はあれども、協働原理は存在しないのだ。

素人の私が、直感だけに頼って発言しても、何の意味もないことは重々承知している。ただ、本書の結論にある環境管理のための8つの提言の、奇妙なインパクトの弱さは、彼が見過ごしてきた協働原理の欠落によってもたらされたものではないか。彼の知性と、ユーモアに満ちた人柄に敬意を持つからこそ、この点についてあらためて考えてみてほしいのである。

★★★ 白鳥の歌なんか聞こえない 庄司薫

2009/03/09

ずいぶん久しぶりに、この小説を読み返した。折り返しの書き込みを見ると、ぼくが大学入試の直後、まだ発表の前に読んでいたことが分かる。この小説の季節も、ちょうど同じ3月だ。だからとても季節の印象が強く残ったのだろう。

庄司薫の4部作シリーズの小説の中では、第3作に位置する(ストーリー的順番では「赤頭巾ちゃん気をつけて」の次の2番目になる)。主人公の薫君は--今気がついたのだが、この名前は光源氏の息子を思わせる--1969年3月に日比谷高校の高校3年生で、受けるつもりだった東大の入試が大学紛争のために中止になった年代に当たる。この話は、その、無くなってしまった入試の直後の、何だか空振りに近い気持ちで過ごしていた若者の青春の話である。それをぼく自身も、ちょうど同じ高校卒業前の3月に読んでいたのだ。

このシリーズには、主人公の親友で小林という重要なキャラクターが出てくる(この「小林」という名前は、林達夫からとったのではないかと以前から想像している)。小林君は怜悧な知性を持った自信家で、ある意味、主人公の性格を補完する存在だが、この巻では彼は道化回しの役で、駆け落ちの騒動を演じたりする。

その間、主人公は幼なじみの女の子とともに、ある、巨大な知性を持ちながら世を去りつつある老人の存在(不在)に触れ、人生の有限さについて感じるのである。その、滅び行くものの美から、反発し自分を引き離す力が、自分の中の『若さ』だ(それがいかに未熟でみっともないものでも)、というのが中心テーマである。

庄司薫のこのシリーズは、とても良くできた風俗小説であった(時代の風俗を描く小説、という本来の厳密な意味で)。しかし、これを読むと、今から40年前の昭和の時代と、現代がいかに遠く離れてきてしまったかを感じる。自分の息子も今ちょうど主人公と同じ年齢だが、ここにあるような来るべき将来や知性への憧憬は、世代的に希薄である。かわりにあるのは、行き詰まり立ち枯れしかかった社会への困惑である。そういう意味で、もう一度「青春小説」が生き返る日を、ぼくら大人が用意しなければいけないのだと痛切に感じた。

★★★ まぐれ ナシーム・ニコラス・タレブ

2009/11/15

私の信頼する人が「面白い」といっていたので読んでみたところ、たしかに非常に面白かった。原題は"Fooled
by Randomness"、副題は『投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』。経済活動における偶然の果たす役割について、非常に幅広い視点から論じた高級エッセイである。著者はレバノン出身で金融業界のトレーダー、同時に大学でも不確実性の科学を教えている。帯の文句には「ウォール街のプロが顧客に最も読ませたくない本!」とあるが、その通りかもしれない。

この本は、リスクに関する考察である。そして、リスクに対して思い上がった人間達の愚かさを痛烈に批判した本でもある。著者はそれを、身をもって業界の中で体験している。著者は博士号を持ち、MBAでもあるのだが、そうした高級な教育やキャリアが、人間の傲慢さを(矯正するどころか)増長させていることを、くりかえし指摘する。

経済活動や金融市場におけるランダム性というと、価格のランダムウォーク現象のことを書いているのかな、と思いがちだが、それは違う。投資家が完全な情報を有しており、適切に予想された証券の価格は正規分布的なランダムウォークをたどる、というのは経済学者サミュエルソンが1965年に証明した有名な定理であり、その後の金融理論の基盤となった。この定理は市場価格の平均値と変動の幅を予測することが可能だ、と主張する。しかし、それが本当なら、なぜ金融界はあれほどひどい乱高下やショックをしばしば経験するのか。なぜ標準偏差の10倍もの変動が1日に起きたりするのか(理論によれば10の24乗年に一度しか起きない頻度のはずなのに)。

タレブの中心テーゼは、明確だ。この世の事象には、予測しがたいランダム性がある。すくなくとも、今の標準理論では予測しがたい偶然性が。そして、もし確率的なランダム性があるのならば、一度や二度の短期的な結果で、ビジネス戦略のパフォーマンスを評価するのはおかしい。わずかなサンプル数で、成功の秘訣を理解したと思うのは馬鹿げている。そうしたおかしな事に気づかずにうぬぼれている奴は、すべからく愚かだ--国や歴史を超えて該博な例証をあげつつ、彼はそうした愚者たちを冷笑するのである。“まぐれに浮かれてる”と。

彼はその例として、『伝説の』投資家ジム・ロジャーズの発言を引用する。「私はオプションは買わない。SECの調査によれば、オプションは90%の割合で損のまま行使期限が切れている。オプションを買うのは貧乏人への近道だ」--この論理の、どこがおかしいかお分かりだろうか?

オプションを買うと90%が損になるとしても、損をしなかった10%の時に、どれだけ儲かるかを考えないと、この論理には意味が無くなる。著者タレブは’87年の大暴落(ブラックマンデー)の時に大儲けして、トレーダーとして名をあげた。彼は、希にしか起きないが振れ幅の大きな(=非対称なゆらぎの)仮説に賭ける人間なのである。

逆に彼が賢者として挙げる例は、確率論の中核を理解して、リスクにそなえる人々である。たとえば彼が仲間のローズと一緒に夕食をとり、勘定をどちらが払うか、硬貨を投げて決めたという。タレブが負けて支払をすませたとき、ローズはありがとうと言いかけて突然口をつぐみ、こう言ったのだ:「ぼくも確率論的には半分支払ったぞ」。

これこそ、まさにリスクに対する、正しい態度である。予測しがたいランダムな事象がある。だが、確率を想定する。そして、確率を織り込んで期待値を(あるいは期待コストを)自分で抱えるのである。そして、個別の結果には一喜一憂しない。誰かのせいにしたりもしない。それがプロとしてのプライドなのである。「武運つたなく処刑される時は、せめて一番上等の上着を着て、尊厳を保て。そして自分が、運命の女神の単なる奴隷ではないことを示すべきだ」--これが著者タレブのテーゼである。

このような性格は、レバノン人が20世紀にたどってきた運命を考えると、少しは理解しやすくなるかもしれない。中東の宝石と呼ばれ、すぐれた知的文化と伝統を誇りながら、大国同士のチェスの駒として内戦に巻き込まれた、地中海東岸の小国。彼らの多くは運命に翻弄され、故国を脱出し、ただ己の知恵と才覚のみを武器に、湾岸諸国や欧米で生き抜いてきているのだ。

望月衛の翻訳は、著者の装飾と気取りの多い英語を、なんとか分かりやすい日本語にしようと努力している。Controled
experiment(対照つき実験)を「制御された実験」などと訳すところは文系の人かな、とも思えるが、文系理系の枠を超えた本書を、興味深い本にまとめ上げている。

 ★★ 歴史の真実と政治の正義  山崎正和

2009/02/07

山崎正和といえば劇作家にして大学教授、しかし何より怜悧な批評家として知られている。彼はまた、’60年代後半から自民党の陰なるブレーンとして活動してきた。すなわち、保守派の代表的論客の一人であるはずだが、意外にも彼は、素朴なナショナリスト達とは一線を画す。

本書では、歴史のあり方を、普遍性を目指す「認識としての歴史」と、共同体の情緒的な結束を体感する「伝統としての歴史」に分析してみせる(これは、私自身の用語でいえば、「文明としての歴史」と「文化としての歴史」に対応する)。その上で、国家の性格自体が両義的なものであって、法による合理的で普遍的な組織と、家や村を拡大した共同体の両面を兼ね備えた存在、と規定する。この両者は19世紀から20世紀にかけて「民族国家」として矛盾をはらんだまま統合される。そこでは何より、学校という教育の形態を国家が制度化したことが大きかった、と山崎はいう。こうして歴史教育の政治化がはじまるのである。

しかし、山崎はあくまで、普遍的・合理的な法と制度の体系としての国家、というあり方を理想とする。そして、そのための具体的な一歩として、国家による初中等学校における歴史教育の廃止を提案するのである。このような彼の主張が、世間一般の保守派の主張といかに隔たったものか、驚くしかない。彼はまた、現代の金融資本主義の跋扈をとらえて、「はじめて共産主義ではなく資本主義が国家と対立しはじめた」と書く。知識と情報の相克を元に、「教養の危機」を論ずるのも忘れない。このように、彼にはつねに、現代日本人のもつ内部矛盾を直視し、彼の知的普遍性への志向を羅針盤として、進むべき方向を見据えようとする強い意志がある。そのような意味で、本書は非常に興味深い論考集である。

 ★★ 竜馬がゆく〈5〉 司馬遼太郎

2009/01/21



第5巻は、池田屋の変からはじまる。この時期、長州藩は一部の公家を取り込みつつも、次第に孤立していく。それを討ちにいく中心が、西郷率いる薩摩藩である。結局これは、天皇というコマの取り合いとも言える。政治力というより、大義の取り合いである。その対立は、蛤御門の変に発展していく。もはや勤王佐幕入り乱れての、内戦の一歩手前と言っていい。

そこに、勝海舟が現れる。勝は京都で西郷に会って、現在の日本の苦境を解決するには列藩同盟によるクーデターしかない、との知恵を授ける。結局、薩摩の人間であり続けた西郷に対して、勝は(この時代唯一の)日本人であった。しかし、勝の神戸海軍塾も、配下の竜馬たちの大暴れが元で、幕府から解散命令をうける。竜馬は窮迫のうちに大阪に出て薩摩藩邸に身を寄せることになるが・・・

いつものように、著者の余談混じり解説混じりの小説スタイルだが、話はしだいに序破をすぎ急に入る。それだけ、小説のスピードも増してきている巻である。

 ★★ はじめてのプロジェクトマネジメント  近藤哲生

2009/04/03

あるところでプロジェクト・マネジメントの簡単な講義をすることになって、何か参考につかえる本はないだろうかと探してみた結果、手に取ったのが本書であった。PMをテーマにした本は数多い。しかし、抽象的な教科書風の本やITプロジェクトを暗黙の前提としたものはたくさんあるのに対し、新製品開発プロジェクトの事例を、製造業を舞台に描いた本はあまりない。本書はそのわずかな例の一つであり、その意味では貴重かもしれない。

ちなみに、プロジェクト・マネジメントの世界で標準的な教科書のように思われているPMBOK
Guide
には、ひとつ大きな問題点があると私は考えている。それは、「受注型プロジェクト」と「自発型プロジェクト」の違いを区別していないことだ。というよりも、初期の版のPMBOK
Guideは、米国の航空宇宙産業とエンジニアリング産業の人々が中心になって作ったらしく、「最初にスコープありき」でプロジェクトが開始する。その意識は版を重ねるごとに少しずつ薄まってきたが、それでも、最初に「プロジェクト憲章」と「作業範囲記述書(SOW)」のインプットで立ち上げプロセスがはじまり、そのアウトプットとして「スコープ記述書(暫定版)」が作成される、という記述は違和感を感じる人が多い。これは分厚い調達要求書と契約書が客先から渡されてプロジェクトがスタートすることを当然と信じている業種の人間にとってのみ、理解できることだろう。

受注型プロジェクトと、自社がイニシエーターとなって発案し進める自発型プロジェクトは,本質的にちがうものである。前者は行き先が明確に決められており、予算と時間の制約がきつい。後者は進むべき方向があるだけで、到着地点がどこかは定かでない。本書で例として取り上げている新製品開発プロジェクトは、後者の典型例だ。ここでは、『高齢独居者住宅用セキュリティシステム』の開発にチャレンジするセンサー製造開発の企業が舞台になり、ストーリーが進んでいく中で、プロジェクトの進め方の勘所を解説する、という構成になっている。

一般に製造業では、新製品開発には複数の部署がからむ。そうなると、プロジェクト・チームの組織や方向付けや権限関係が悩みのタネになる。複数部署から担当者が任命されて、プロジェクトを進める方式を、ふつう「マトリクス型組織」と言うのだが、これにはプロマネの役割や権限レベルに応じて、いくつかのバリエーションがある。プロマネがとくに指名されないタイプを「弱いマトリクス型組織」という。逆に、PM専門の部署からプロマネがアサインされ、マネジメントに専念するタイプを「強いマトリクス型組織」といい、私の所属するエンジニアリング業界でよく見られる。

ただし製造業での新製品開発の場合、マネジメント専業の人間をおくほどの余裕が無いことが多い。そこで、機能部門からプレイイング・マネージャーがアサインされる。これを、「バランス・マトリクス型」と呼ぶ。もっとも著者はこうした世間一般で使われている用語ではなく、タイプ編成型とかクロスファンクション型とか呼んでいるが、これはまあ言葉の好みの問題だろうからかまわない。

それにしても、私は本書を読んで心底驚いた。何に驚いたかというと、まず最初の章に、

「『プロジェクトはタコ壺であり骨壺だ。一度入ると生きては戻れない』--こんな感想をよく耳にする」

と書いてある。さらに第2章のストーリーのはじまりには、

「立ち上げ段階では、集められたメンバー全員が、それぞれの立場で大きな不安を抱えている。過去の経験から、あるいはまわりの状況を見聞きして、『プロジェクトは人をつぶしてしまう、不幸にしてしまう』という固定観念をいだいているからだ」

と解説がつき、さらに追い打ちをかけるように

「プロジェクトマネージャーが目先の作業をこなし目先の進捗をもとめるだけでは、プロジェクトを支える大きな方針も示せず、リスク対策もできないままに、プロジェクトは無間地獄化していくしかない」

と説明される。ここに至って、あわてて著者略歴を見ると「日立製作所の情報通信部門にて、プロジェクトマネージャーとして数多くの立て直しを経験。2002年に独立して経営コンサルタントとなる」という。“そういう会社だったんだなあ”--思わず、同社の知り合いの人たちの顔を思い浮かべて,考え込んでしまった。

その後も、私には意外の連続である。プロジェクトには、綿密な計画が必要だ、という。当たり前ではないか! テスト工程に入る直前になって、はじめてテスト方法について議論をはじめる。遅すぎないのか? また単体テストの実施率を高める方が工程の品質が上がるという“新発見”もでてくる。検査部門と開発部門とが合格品質基準の有無をめぐって激しく論争する・・どれも、私のように毎日「プロジェクト」でずっと生きてきた者にとって、想像もつかないような状況のパレードである。

ちなみに、本書に出てくるマネジメントのテクニックは、徹頭徹尾、にかかわることだ。モチベーションを上げる、メンバーの成長を促す、幹部を味方につける、問題の解決を皆で喜ぶ・・。一つ一つには、何の異存もない。しかし、ここにはWBS辞書もクリティカル・パスもEVMSもリスク管理表も、いわゆる近代的プロジェクト・コントロールの技法が一切出てこないのだ。理工学的なアプローチはほとんど皆無で、ひたすらヒューマン・ファクターの面のみに指導がいく。日経文庫なのに、これでいいのだろうか。たしかにEVMSだけで新製品開発プロジェクトはマネージできないと、私も思う。しかし、EVMSを知らないのと、知っていて乗り越えるのでは、大きな違いではないか。

本書を読んで、つくづく学んだことがある。それは、組織には2種類あると言うことだ。プロジェクトが“当たり前のこと”である組織と、プロジェクトが“珍しい厄介物”である組織だ。両者では、マネジメントのあり方がどこか質的にちがう。前者では、プロジェクトは家畜である。だから、体重や身長を計量し、毛並みをととのえて、育てようとする。それに対して、後者では、プロジェクトは野獣である。計ることなどとんでもない。踏み倒されずに手なずけられれば、上出来なのだ。そして、日本最大の製造業のOBが書かれた本書を勉強するにつけ、その差をあらためて思い知るのである。

 ★★ Beyond
Culture
Edward T. Hall

2009/01/19

「隠れた次元」などの著作でよく知られた米国の文化人類学者・ホールの、包括的な異文化論。彼はこの中で、"Context
level"の概念を提示する。コンテキスト・レベルとは、その文化が内包している暗黙の理解度の高さを示す概念で、それはコミュニケーションのあり方を規定する。たとえばアメリカ先住民(インディアン)のコミュニケーションは、High
contextであり、単純なメッセージが深い意味を運ぶという。ここで、読者たる我々は、日本の文化もまたきわめてハイ・コンテキストな、阿吽の呼吸で運ぶことを尊ぶ文化であることを思い出すにちがいない。

これに対して一般的な白人の米国人はLow contextな、すべてを言語化し明文化するコミュニケーションのあり方を当然として考えている。ドイツ、北欧はさらにロー・コンテキストだという。南欧やラテン・アメリカはこれよりやや高く、中国・日本やアラブ諸国はかなりハイ・コンテキストな社会である。また、長年連れ添った夫婦の会話はハイで、法廷の弁論はローである、という風に、同じ社会の中でも局面によってレベルがかわる。そして、こうした暗黙のレベルの認識の違いが、文化を込めて理解し合うことの困難さを生む原因なのである。

ホールはまた、時間感覚に対する文化的な違いにも注目する。一般に米国人は、何かに真剣に取り組むときは、一時に一つのことだけをやることを好む、という。彼はこれをMonochronic
timeと名付ける。この傾向は、自然と「スケジューリング」を必要とする。一方、南米人やアラブ人などは、一度にいろいろなことを並行させて平然としている。これをPolichronic
timeという。MonoとPoliの違いは、重要人物が来客たちと面談する際のやり方などに現れてくる。米国では法律相談所のように順番式で、南米ではレストランのように巡回式になる。しかし、Monochronic
timeのやり方は、時間を小さなコンパートメントに区分して1主題に集中するため、context(長い文脈)を排除しがちになり、それは結局ロー・コンテキストにつながっていくのである。

このように文化とはシステムであり、要素がつながり合い互いに支え合って成り立っている。このことを十分理解し認識した上で、地球時代の我々は「文化を超えて」協力していかなければならない。1976年に書かれた本書は、まさに今日我々が直面する課題を予見していたというべきだろう。いささか学者的でハイブロウだが、良書である。

2008年

 ★★ 僕の昭和史
(1)
 安岡章太郎


2008/12/20

軍医の一人息子として生まれ、外地(旧満州)に育った作家・安岡章太郎の自伝その1。幼少の頃から、慶応大学に入学し、さらに学徒動員で徴兵されながら終戦を迎えるまでの時期を描く。文章家らしく、さらりとした文体でかすかなウィットを交えつつ、あの困窮の時代での、困難な自己形成の時期を書いている。

この本を読んでいると、戦前の中産階級の暮らしがよく見えてくる。「軍縮」一つにとっても、ロンドン条約その他、近代史の出来事としての知識しかなかったが、職業軍人とその家族にとっては減俸や失業に直結する、緊急事態であった。私も、母方の祖父は軍医であり、母も外地で生まれているため、多少の親近感をおぼえつつ読み進めた。後半が楽しみな本である(現在は文庫本として合本で出ている)。

 ★★ 氷川清話  勝海舟

2008/12/11

勝海舟が晩年、筆記者に語った自伝的談話集。自由な語りなのでやや散漫に流れる部分もあるが、実に面白い。勝は旧幕臣として江戸城の平和的開城に尽力したが、維新後はすぐに政治から引退し、伯爵となって超然と世事を通観していた。

今日の我々にとって明治は偉大な時代であり、明治人もまた器の大きな苦労人だったように思える。が、明治30年頃のこの勝の座談を読むと、彼の目からはすでに「侯伯に俊傑なく、みな小私を懐いて公明正大を忘れ」ているという。土佐の脱藩浪人だった坂本竜馬を育てた勝にとって重要なことは、人材登用と誠意正心であった。

じじつ、彼の無私の誠意がなければ、江戸は幕軍と官軍の内戦の地となり、百万余の命が奪われたことだろうし、そうなれば革命後の疲弊と辛苦は何十年も残ったことであろう。列強の進入も防衛しがたかったにちがいない。われわれが近代国家として成長した社会で、今日のうのうとくらしていられるのも、まさに彼のおかげといわなければならない。

貧乏な下級武士の家に生まれ、実力で頭角を現した後も、幕府内の勢力争いのために何度も退職を命じられた勝にとって、人間の相場の上がり下がりは長くても十年はかからない、という。その十年の辛抱ができる人が豪傑である。まこと「豪傑」という言葉ほど、今日払底して久しいものはない。人物評、海軍論、外交論、文学論などさまざまな話題がでてくるが、何度も死生をくぐる体験をし、ただ天下のために尽くした勝の人物像に触れることこそ、まさに本書の最大の価値である。

 ★★ 二十世紀〈下〉  橋本治

2008/12/06

編年体で綴られる、橋本治の20世紀総括批評。彼は、日本の小説家としては不思議なくらい、世界の政治・経済・歴史の全体像が見えている人である。

20世紀後半は、冷戦と経済成長と、そしてその両方の崩壊の50年である。しかし、その興亡に群がり振り回されるだけの日本社会とは、どのような存在だったのか。それは、“思考の不在”である。「日本人は、占領軍のいうことを聞いたが、自分達の手で軍国主義者を追うことはしなかった。『占領軍がそれをやってくれた』と思う日本人は、それを自分自身の手でやらなければいけないものとは思わなかった。」と彼は1951年の章に書く。それは、“精神年齢12歳”の日本人にとって、少年法の適用を受けた、というような受け止め方でしかなかった。ここに戦後日本の無責任(社会に対しても、世界に対しても)の根っこがある。

1969年は、東大安田講堂の攻防戦の年、またアポロ11号の月面着陸の年である。「1969年に、『思想』はその役割を終えた。『思想』は『豊かさ』を作り、その豊かさの中で『思想』は不要になった」。これ以来、誰も大人になる必要がなくなった。昭和天皇が逝去しても、殉死する右翼もないに等しかった。当事者意識のないまま豊かになり、当事者意識の無いまま豊かさの終わりを迎えるのである。あの恐ろしい1995年、すでに「『生きる』ということを考えること自体が、『新興宗教的』といわれるような事態」がきていた。

あとがきにもあるように、これはきわめて橋本治の個人的主張の色彩の強い本である。そして、彼の主張は、見事なまでの社会史の鳥瞰から生み出されている。こうした本が、“変わった小説家”からしか生まれない私たちの社会の知的貧困さを、いかに嘆くべきだろうか!

★★★ レクイエム アントニオ・タブッキ

2008/11/26

現代イタリア文学をリードする作家・タブッキの小説世界は、なんと独特なのだろう。この人は、この短い印象的な小説を、ポルトガル語で書いた。舞台も、ある暑い日のリスボンである。そして、わずか一日のうちに、主人公が出会う様々な人々との会話と短いエピソードをつみあげて、ひとつの物語的情景を浮かび上がらせる。これは「インド夜想曲」などとも共通した、タブッキの技法である。

この小説を読んでいると、はるか遠いポルトガルの通りの気温や、風の匂いや、さざめく話し声が聞こえてくる。それに、各章に次々登場してくるポルトガル料理の美味しそうな様はどうだろう! この本を読んで、すぐ渋谷のポルトガル料理店に予約を入れたくなっても不思議ではない。

そして全編を通して漂う、失われた者に対する哀切の情感。まことに、小説らしい小説である。

★★★ ケセン語訳新約聖書 【ルカによる福音書】 山浦玄嗣(訳・朗読)

2008/11/23

マルコ福音書に続いて、ルカ福音書を読んで(聴いて)みた。こちらも朗読CDつきだ。そして、朗読をききながら、漢字仮名交じりのケセン語文を読んでいくのがいちばん楽しく、分かりやすい。朗読は、さすがに素人劇団を立ち上げた人だけあって、迫力があり、面白い。

ルカは4福音書の中で一番長く、かつ、ある意味でもっとも華やかにかかれた書である。エピソードも充実して美しい。洗礼者ヨハネの誕生、受胎告知につづく聖マリアの「マニフィカート」詠唱、東方の三博士の礼拝、ヨルダン川の受洗・・といかにも聖歌や劇になりそうなシーンがつづく。聖ルカは“最初のカトリック教徒”とあだ名されるのもわかる内容である。キリストの説教も、「放蕩息子の帰還」その他、有名なものが多い。

ところが、山浦氏の訳は、なんといっても土くささが身上だ。おまけに、氏のイメージするイエスは、大工の息子なのに宗教運動のために出奔し、子分達をつれて村から村へと歩く粗野で喧嘩っ早い男だし、マリアは活発で勝ち気な女丈夫で息子をガミガミと叱りつける、という人物像だ。どういう翻訳になるか、興味津々ではないか。

結果は、やはりなかなか素晴らしいものだった。この人は、ギリシャ語の原典を科学者らしく注意深く見るだけでなく、必要ならばヘブライ語の用法にまで立ち返って、従来あいまいだった文の意味をとらえ、さらにそれを心に響く東北のことばで表現できるのだ。

たとえば、「汝の敵を愛せ」という有名な言葉を吟味して、「愛」は明治時代に中国語訳聖書から持ち込まれた用語であるが、古来日本語においては上位の者が下位の者に対して自己本位的な行為の感情を抱くことを表していた、と断じる。昔のキリシタンは賢くも「お大切」という言葉を使っていたことをひき、「敵(かたぎ)だっても大事にすろ」と訳すのである。愛する、ではなく、大切にする・大事にする、という言い方。実に見事である。

あるいは、ギリシャ語の接続詞とヘブライ語の接続詞の対応関係をみて、「妻を離縁して他の女をを妻にする者は誰でも、姦通の罪を犯すことになる」と訳されてきた文章を、「他の女ォ女房にすんべって、われァ女房ァ追ん出す者ァ・・・」という風に、意味の通る論理関係に訳出する。こうした手腕は賛嘆に値する。

言い伝えによればルカは医師だったという(少なくとも教養人だったことはたしかだろう)。山浦氏も医師であり、同業者として親近感をもって訳したようだ。こうした心の通い方が、いかにも本書の価値をあげるのだと感じる。

★★★ 天才数学者はこう賭ける ウィリアム・パウンドストーン

2008/09/03

日本語の副題は「誰も語らなかった株とギャンブルの話」だが、原題は"Fortune’s Formula: The
untold Story of the Scientific Betting System that Beat the Casono
and Wall Street"、すなわち「幸運の方程式 - 誰も語らなかった、カジノとウォール街に勝つ科学的賭け方の話」である。原題にいう幸運の方程式とは、『Kellyの基準』といわれる式で、賭の確率的エッジ(分)を知っている者が、手元資金に対してどうかけるのが最適かを示した理論である。この理論を提案したケリーは通信科学者で、この式は「資産の増加速度の最大値=エッジ情報の通信速度」という形で表記した。

本書は、わずか40歳で夭折したベル研の俊英ジョン・L・ケリーの発見が中心にはなっているが、しかし物語的には天才的な賭け師ともいうべき2人、すなわち通信理論の創始者クロード・シャノンと数学者エドワード・ソープ(後にファンドを創設し大成功した)の伝記を主軸に、さらにノーベル賞経済学者サミュエルソン、ニューヨーク連邦検事(後に市長)ジュリアーニ、電信初期のギャングたち、カジノ経営者たち、ファンド・マネージャーたちなど一癖もふた癖もある連中の逸話を配した、バロック的な構成である。これだけ様々な登場人物と広範な学術領域をカバーして、まとまりのある理科系的ルポルタージュを作り上げる著者パウンドストーンの力量には脱帽である(彼の著書では、以前『ライフゲイムの宇宙Recuresive
Universe』という本を読んで、非常に面白かった記憶がある)。

ケリー基準とは、確率的な賭を繰り返し行う場合に、自分の持つエッジと、世間一般のオッズの比率の分だけ、自分の持ち金から賭けろ、という式である。エッジは期待値を掛け金で割った値で、オッズは配当金を掛け金で割った数から1を引いた値だ。自分の得ている情報と、世間一般の知っていることに差がない場合は、掛け金はゼロになる。ケリーの公式はきちんと証明されているにもかかわらず、現在の経済学からはなぜか異端扱いされている。その理由はサミュエルソン教授による執拗な攻撃のせいだ。彼はなんと、ケリー基準の支持者を論難するための論文を、すべて1音節の英単語だけで書いた(これは日本語で言えばひらがなだけで論文を書くようなもので、相手の知能程度はそのレベルだと暗示しているわけだ)。なぜ彼がかくも執拗にケリー基準を嫌うのか不明だが、本書にあるようにケリー基準は対数効用説によく合致するという理由かもしれない。

しかし、本書のもっとも衝撃的な部分は、そんなところではない。第1章と最終章は、米国を陰で動かした賭博者たちの群像にささげられている。第1章では、八百長競馬と電信で大儲けしたマフィアたち犯罪者集団。皮肉なことに、その金は現在の米国メディア界にかなり流れ込んでいる。そして、純真な数学者ソープの出資者でもあった。

そして最終章では、ヘッジファンドを率いる金融家集団。この章を読んだ者は誰でも、ファンド・マネージャーを目指すべきだと思うだろう。他人から集めた金で大博打を打ち、勝てば自分にも分け前をもらう。負けても金など返す必要はないのだ。さっさと店をたたんでアフリカに野生動物写真でも撮りに行けばいい。まことに、これほど良い商売はない。そして、彼らが世界最大の経済国の金融政策を動かしているのであるから。

 ★★ 高校数学とっておき勉強法  鍵本聡

2008/11/15

うーむ。この本を、自分が高校生のときに読んでおくべきだった。いや、むろんそんな昔には発行されていなかったのだが。しかし、自分の子どもに数学を教える参考のために本書を読んだが、むしろ発見したのは自分の若い頃の勉強方法の間違いだった。

数学の能力といっても、、数学ですぐれた研究をすることと、試験でよい点数をとることは違う、と著者はいう。前者はじっくりと考える態度が必要だが、後者は決められた時間内にいかに速く解決法にたどり着けるかが勝負になる。数学界が求めるのは前者だが、世間一般が評価するのは後者だ。そして、後者の能力を身につけるためには、当然ながらそれなりの訓練を必要とする。それは繰り返し問題を解くことによって、解法のパターンや公式を反射神経的に身につける訓練である。だから、数学の点数を上げたかったら、とにかく毎日問題集を解いていくしかない。その意味では、当たり前すぎる結論である。

しかし本書の特徴は、高校数学の範囲を分析して(いわば因数分解して)、相互に関係のある項と独立した項に分けてみせる点である。その中心にあるのは、当然ながら関数の解析学で、具体的にいえば二次関数・三角関数・図形と領域などである。準主役は数列・極限・微積分などで、計算の熟練がものをいう。その他に、確率・集合があるが、これらは他と独立していて、ある意味では日本語能力を問われるという。また、ベクトル・行列・指数・対数はまとめて「便利ツールの単元」と位置づけているのが面白い。また、きれいな試験回答の書き方(そのためには白紙のノートを使えという)など、実用的だ。

高校数学の参考書や問題集は山のようにあるが、本当の意味で『勉強法』を書いたものは少ない。その点で出色の出来である。ちなみに著者は理系大学院を出て、現職は塾の先生である。

 ★★ 国家・宗教・日本人
(講談社文庫)
 司馬遼太郎・井上ひさし

2008/11/20

1995年に4回続けて行われた対談の集成。短くてさっと読めるが、内容はなかなか濃い。しかし、読んでいるうちに、どちらの発言が司馬でどちらが井上か、すぐ分からなくなる。それくらい、この両名は意見や発想が意外に似ている。

’95年はいうまでもなく、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の年である。そのときに、日本の宗教、昭和という時代、日本語、そして日本人の器量を問う。とうぜん、あちこちの話題が錯綜する。なかでも出色だったのは、司馬遼太郎が15年戦争から第二次大戦までを要約していう言葉である。

「第一次大戦は軍事革命でしたから、人も物資もトラックや船で動くようになり、軍艦も重油で動くようになりました。そうすると、石油のない国はもう終わりなんですね。そういって海軍も陸軍も手の内を明かせばよかったんです。それを、口をぬぐってファナティシズムに変えていった。それで結局追い詰められて、太平洋戦争を始めなければならなくなったときに、蘭領インドシナに石油を取りに行ったわけでしょう。」

これは、分かってしまえば実に単純な歴史の見取り図である。しかし、このことを、誰もいわない。誰も総括しない。そうして、「戦後」をはじめてしまった。そのことが、まさに’95年の悲劇を経て、現代の混沌と疲弊を生み出しているのだと、早く気がつくべきであろう。

★★★ 完全な真空 スタニスワフ・レム

2008/08/12

うーむ、素晴らしい。現代ポーランドを代表する作家・レムの、知的創造力の広大さを示す傑作だ。レムはSF作家として出発したが、70年代以降はむしろ文明批評家としての活躍が目立つ。1971年に出版された本書は、そのターニング・ポイントを示しているといってもいい。

本書は、実在しない、架空の本に対する書評集である。無人島に漂着した男が空想の中で召使いや侍女をつくりあげ、しまいには想像上の群衆で島が満員になってしまうという皮肉な小説や、南米奥地にナチス親衛隊将校が作り上げた奇怪なフランス風王国の宮廷物語など、空想的な小説本が多いが、これはまあ「レム自身が書こうとして書けなかったSF」の風刺だといっても良い。

しかし、人間誕生の確率を算定しようとする学者の抱腹絶倒な論文や、ゲームの理論によって宇宙の発生と物理法則の成長を説明するノーベル賞受賞学者の講演「新しい宇宙創造説」などの本は、いかにも医大出身で技術畑のキャリアを持つレムらしい、理科系的な構想である。また、架空の本の著者も、ドイツ人ありフランス人ありイタリア人あり米国人ありで、それぞれの文化の特色を示すような内容となっており、その配列や対比も面白い。

本書は文学と言うべきか、はたまたノンフィクションと形容すべきか、あるいはSFの趣向の一種と断ずるべきか、その位置づけもまた人々を困惑させる。きわめて機知に富んだ、楽しい書物と言うべきだろう。

 ★★ 男の子って、どうしてこうなの? スティーブ・ビダルフ

2008/07/28

男の子が育ちにくい世の中である。世の中の仕組みが完全にできあがり、かつ老朽化して制度疲労を起こしている我が国では、若い男の子が育っていくのに必要な「希望」というものが、ひどく見つけにくい。しかし事情は先進諸国では似たようなものらしく、著者の国オーストラリアでも自暴自棄な若い男の子の引き起こす悲劇がしばしば見られる、という。

今日の社会では、父親は多忙で家庭を顧みる時間がなかなかとれない。「20世紀は結局、確固とした父親像を築けなかった」と著者は言う。著者によると、男の子の成長は、誕生から6歳まで、6歳から14歳まで、そして14歳から成人に至るまで、の3つの段階がある。そして、第2段階以降の男の子は、父親を見て一人前の男になることを学んでいく。母親にのみ育児を任せておくわけにはいなかいのだ。

もう一つ。親は、信頼のおける他の大人たちの積極的な助けがなければ、十代の少年たちを育ていることができない。つまり、社会全体による助けがいるのだ。にもかかわらず、現代の社会が男の子たちに与えているのは無理な競争(勉強・スポーツ)や、脱落への恐怖ばかりである。

そこで、著者は男の子を育てるための九つの処方箋を書く。その中には、「男の子の就学開始年齢を女の子より遅くする」という素晴らしい提案もある(これには強く同調したい)。また、著者は男の子と女の子の性差を直視しろ、ともいう。そのために、テストステロン(男性ホルモン)が個体に及ぼす肉体的・心理的影響を詳しく報告している。セックスはいじめとともに、十代において最も困難な問題だからだ。

この本は、はじめて、先進国における男の子を育てるための課題について明らかにし、またその対処法をわかりやすい文章で書いている。男の子の親に広く薦められる本である。

 ★★ ビジネス脳はどうつくるか 今北純一

2008/07/21

今北氏は長年フランスで働き、ルノー公団やエア・リキード社のエグゼクティブを経た後、現在はコーポレート・ヴァリュー・アソシエイツという欧州コンサルティング会社のパートナーの地位にある。毎月、日本とフランスの間を往復されているわけだから、航空会社にとっては上得意にあたる。乗り込むと、キャビンアテンダントがつつとやってきて、「今北様、いつもご利用ありがとうございます」と挨拶してくれる身分だ。

ところが、食事の時間になると毎回、献立の好みを聞かれる、という。今北氏は機内ではつねに、食事をパスしてワインを一杯とチーズの盛り合わせだけで過ごす習慣なのに、彼女らはそのことに気がつかないのだ。あるいは、たとえ気づいても、そうした情報を申し送りする仕組みが欠けているのかもしれない。いずれにせよ、表面的な顧客満足はみたそうとしても、本当のニーズがどこにあるのかを推し量る想像力に欠けたまま、ビジネスをやっているわけだ。

本書のテーマは、そうした想像力をどう涵養するか、である。そのための手段の一つとして、「顧客のさらに顧客に会って、ニーズを知れ」という。鉄鉱石を産出する会社は、直接顧客の製鉄メーカーの言うことだけをきいていてはダメだ。製鉄メーカーの顧客である(たとえば)自動車メーカーのニーズや動きを注視していく必要があるし、それができれば需要の将来の動きを想像することができるようになる。

今北氏は顧客の潜在需要の底にある「絶対需要」を探知する想像力を、『左岸からの発想』と名付ける(パリを知らない人にはわかりにくいが、あの街はセーヌ右岸と左岸に分かれており、右岸は商業とビジネスの地域である。つまり右岸は大企業の押しつけ論理の発想を象徴している)。しかし今日のマネジメント層は、むしろ想像力を枯らしてしまう方向に動かされているようにも見える。そうした意味で、知的刺激に満ちた本である。ただし、この本のタイトルは(編集者がつけたらしいが)ちょっと誤解を与えそうな気もするのだが。

★★★ 戯曲 アインシュタインの秘密  カール・F・カールソン著 桂愛景訳

2008/07/14

これは素晴らしい。本書は翻訳書の体裁をとっているが、じつは先に批評を書いた「生命論」の著者・唐木田健一氏の変名による、戯曲形式の独特な科学論である。

アインシュタインは今では20世紀の天才の代表と言われているが、彼が初期の研究業績である光量子やブラウン運動の論文を発表したときは、ベルンの特許庁職員だった。大学に残りたかったのだが、優秀でなかったため職が得られなかったのだ。また彼は後にノーベル賞を受賞するが、相対論の業績に対するものではなかった。それは周囲のアカデミズムが愚昧だったためなのか? 必ずしも、それだけではない。そこには革命的な新理論の危うさ、科学と国家政治との関わり、そして科学者の地位を支える基盤、という問題点がある。本書はそれらの論点を、三幕ものの戯曲して、それぞれアインシュタインと共同研究者との対話の形で明らかにしていく。

とくに、第一幕での対話で、コペルニクスの地動説やドルトンの原子論という、いわゆる物理学史における革命的な理論が、登場時にはいかに強引かつ不正確だったかを克明に示す部分は、読む人間にとって新鮮な驚きを与えてくれる(観測事実を正確に表すという意味では、その前のプトレマイオス天動説の方がずっと精密だった)。これを語るのが、プロシア科学アカデミーから「相対論はユダヤ的」として攻撃を受けている最中のアインシュタイン自身である、というのがこの戯曲の趣向である。

ところで、アインシュタインの対話の相手は、第一幕はデービッドという大学院生、第二幕は実在の科学者インフェルトだが、第三幕は東洋人の科学者ヨッシュ・ヤンノートという正体不明の人物である。科学者という身分自体を問い直す、このヤンノートとは、実は山本義隆氏のことではないだろうか。著者と同年代で、東大物理学科随一の俊英とうたわれながら、東大全共闘の委員長として安田講堂を戦い、アカデミズムにも俗世間にも背を向けて去った、あの山本義隆氏である。だとすれば本書は、制度的科学のあり方自体を問い直す、メタサイエンティスト唐木田健一氏の真骨頂である、といえよう。





★★★ 木曜日だった男 G・K・チェスタトン著 南條竹則訳

2008/06/27

私が吉田健一訳「木曜の男」(創元推理文庫)を買って読んだのは、中学生の時だった。そのとき以来、この短くて不思議な長編小説は、私に最も長く影響を与えた本だった。独特の逆接と警句に満ちたチェスタトンの文体を日本語におきかえたその翻訳も、随所を暗唱できるほどくりかえし読んだものだ。

その古典に、光文社から新訳がでるという。英文学の御大・吉田健一に挑戦するわけだ。いかなる翻訳か、読む前からワクワクするではないか。そして、その期待に違わず、なかなか面白い訳に仕上がった。

まず、タイトルが直訳的になっている。ここに「だった」という過去時制が使われている点にミソがある、と訳者は考えているわけだ。ロンドン郊外の夕焼けを描いた有名な冒頭の文章も、地名が「サフラン・パーク」となっていて、なるほど、これは赤色を地名にかけていたわけだな、と納得する。この調子で、全編、比較的平明な、やや逐語訳的な、あるいは現代的な訳文に仕上がっている。また、ここには(創元推理文庫では略されていた)E・C・ベントリーへの献辞詩がついており、丁寧な訳注が付されている。

それにしても、この小説はまことに不思議な、文字通り悪夢のような幻想の輝きに満ちた黙示物語である。探偵小説でありながら形而上学的長編詩でもあるような本を、チェスタトン以外の誰が創造し得ただろうか? また、訳者が正しくも指摘するように、この本はまた、男たちが美味しいものを食べ、美味しい酒を飲んで(メニューも酒も細かく書いてあるのだ)、追いかけっこをするピクニック譚でもある。その白眉は、犯罪者が警察を追い、地上が無政府状態になる11~12章であろう。しかし、最終章「告発者」のテーゼも忘れがたい。極色彩的なバロック装飾の文体に盛り込まれた哲学。これこそ、詩人にしてジャーナリスト、思想家にして探偵小説家のチェスタトン面目躍如たる小説世界なのである。





★★★ 生命を捉えなおす 清水博

2008/05/31

非常に面白い、知的刺激に満ちた本だ。著者は今は東大名誉教授だが、本書の初版が出た1978年にはまだ40代半ばの現役薬学研究者だった。その頃に、このように構想の大きな、ある意味ではアカデミズムの専門性の枠を踏み外した本を書くのは、勇気のいることだったかもしれない。しかし、おそらくこの本に書かれているテーマ、すなわち「生きている状態とは何か」を探求することこそ、著者が研究の道を選んだ原点だったに違いない。

近代科学は分析的方法を専らとしており、かつアトミズムに裏打ちされた分子生物学の方法は、「生きている状態」を括弧に入れたままで、生物の還元論的研究に邁進する道を開いた。しかし、マクロな視点に立つと、「生きている状態」と「生きていない状態」は一種の相として捉えることができる、と著者は考えはじめる。そこで統計力学にヒントを求め、自然の性質に「内部エネルギーの小さな安定状態と、エントロピーの大きな自由度を同時に求める傾向があり、一方ではこの二つが互いに相反した要求になっている」ことから、動的秩序の自己形成プロセスを調べていく。

その結果、化学レーザーに見られるような自己励起(自己触媒)プロセスにおいて、系が(ミクロには)不安定な状態に置かれているとき、ゆらぎが引き金として作用すると、秩序の自己形成が次々と進行することを見いだす。さらに著者は自分の専門領域である筋肉収縮について、流動セルと呼ばれる巧妙な実験装置を考案して、ATPを直接、一方向流動に変換する現象を発見する。これを説明する第5章が、本書の白眉であろう。このあと、著者の考察はさらに非線形振動の引き込み現象から、生体における「情報」の機能を探ろうとする考察が後半である。そして著者は本書の初版出版後、脳の研究にむかう。

生きている系には、動的協力性をもつミクロな要素(松岡正剛の命名にしたがって「関係子」と著者は呼ぶ)の相互関係が働いて、秩序を形成している、というのが著者の主張である。ここはまだ思弁と仮説の段階にある。とはいえ、いろいろな意味で、はっきりした問題意識と、明確な科学的手法による探求の結果生まれた主張がちりばめられていて、面白い。生命現象ならびに非線形現象に興味のあるすべての読者にお勧めする。





 ★★ The
Little Schemer
Daniel P. Friedman &
Matthias Felleisen

2008/05/03

SchemeはLISPの一種である。LISPはFORTRANと同じくらい古い言語で、もともとは論理計算のためにあみだされ、のちに人工知能研究分野で注目され独自の発展をとげた。LISPは自らの構文や言語仕様を自分でプログラムし書き換えることができるので、方言がかなり出現した。それを最小公倍数的にまとめたものとしてCommon
Lispがあるが、Schemeは逆に「最大公約数」というべきか、必要最小限の要素と、独特な計算時間最適化のための工夫を元に、Guy
Steelという天才肌の人物が発明したものだ。

本書は、そのSchemeの、ごく一般人向けの入門書である。かわいいゾウさんのイラストでかざられ、Q&Aで読み進むことができる。しかしまあ、けっこう内容は濃い。私はLISPは全くの素人で、この本で入門すべく読み始めたのだが、なかなかそれなりに手強い部分もある。本書はあまり公式的教科書の定義や説明なしに話を進めてくれるので、そこは良い点だと思う(抽象的定義だらけだと学ぶ方がくじけてしまう)。しかし、全体として、どういう方向に話が進んでいくのか、よく見えてこないという面はある。

それで結局、最後の章では、LISPの中心プロセスであるEVALをSchemeでかく、という話になる。再帰的書式がLISPの最大の特徴であるからには、こうなることは予想すべきなのかもしれぬ。それはそれでいいのだが、ファイルの入出力も何もしないまま、ひたすら計算論理を追っていく本書だけで、プログラムが書けるようになるかというと、否である。そのためにはおそらく、続刊の"Seasoned
Schemer"を読まなければならないのだろう。おもしろいし、読んでいて損はないが、まことにLISPへの道は遠し、である。

 ★★ 生命論 唐木田健一

2008/04/27

著者は理学博士で、外資系メーカーの研究所長を務めたひとである。また、同時に科学史家でもあって本名やペンネームでさまざまな著書があり、お会いしたときの名刺には「メタサイエンティスト」と書いてある。つまり科学基礎論が専門ということだ。

本書はタイトルからすると、生命科学を論じたもののように思えるが、じつはそうではない。本書全体の主張は、生物進化と(科学等の)理論進化の平行性にある。著者はそれを、自己と環境におけるさまざまな要素の統合を目指す「生命の原理」である、とする。それはすなわち、「実証性」(事実との対応=生物内外の環境との関係)、「合理性」(論理的矛盾のないこと=生物における首尾一貫した合目的性)、そして「普遍性」(一般性を有すること=生存可能な時間・空間をひろげること)、の3つに対応するのだ、というのが主張である。

現代の生命科学が、表向きは生物機械論にたち、目的論的解釈を排除しながらも、じつは「生命戦略」そのほかの言い方によって目的論を密輸入しているのは、確かである。したがって、生命の目的論を正しく定置して進めるべきである、という点では著者の主張に同意する。しかし、マイケル・ポラニーの哲学に触発されて書かれた本書の主張は、正直に言ってわかりやすいものではない。論証抜きで述べられているテーゼが多すぎるからである。それはとくに意識論・感情論のあたりに強く感じる。理論としては、この部分のより深い掘り下げが必要であるというのが、私の感想である。

 ★★ トップコンサルタントがPTA会長をやってみた 三谷宏治

2008/03/27

小学校の新入生100人を前にして、あなたなら、入学式で何を話すだろうか。相手は活発で、天真らん漫で、だが難しい言葉も知らず忍耐心も無い幼児たちだ。持ち時間は9分。何を話すか、だけでなく、「どう話すか」「どう興味を引きつけるか」が大事になる。

この著者は、ピンポン球1個と直径1mのゴム製大玉とで、PTA会長としての『入学式デビュー』を果たした。二つのボールを上下に積んで、同時に地面に落とす。そして起きるビックリ現象。これで、物理の不思議と交通安全という二つのメッセージを、子供たちの心に強烈にやきつけた著者のアイデアは素晴らしい。この人は天性の「コミュニケーター」にちがいない。

コミュニケーションの上手さは経営コンサルタントにとって最大の武器だろう。「教わる癖がつくから、俺は、教えない」と著者はいう。聞き手に「考えさせる」話し方は、人を動かす仕事では、とても大事だ。それは経営コンサルティングのみならず、セールスや部下への指示でもヒントになる。知的刺激に満ちた、魅力的な本である。

★★★ 日本軍国主義の源流を問う 星野芳郎

2008/02/13

著者の星野芳郎氏は1922年生まれ。2004年に本書を出したときは82歳だったわけだ。技術批評家としての生涯の総決算、畢生の大作という気概だったに違いない。

その気概にたがわず、本書はきわめて実証的かつ挑戦的な研究書に仕上がっている。タイトルは「日本軍国主義の源流」だが、むしろ日本と中国(清国)の比較近代史論ともいうべき内容になっている。両国の近代史は、政治や経済の観点から多くの本が書かれていたが、そこに綿密な技術史の視点を持ち込み、それを国家の近代化ならびに軍備拡張に結びつけたアプローチが、本書に独自のゆるぎない軸を与えている。

本書はアヘン戦争から始まる。英国は清国への阿片密輸で巨利を得て、それを摘発した清国政府に対し、戦争を仕掛けて莫大な賠償金を取った、典型的な帝国主義侵略行動である。ついでアロー号事件のあとにおきた、英仏軍合同の略奪行為である、北京の円明園の破壊にふれる。これは日本ではあまり知られていないが、たとえていうならば外国軍隊がヴェルサイユ宮殿に乗り込んで略奪・放火したような事件である。これが当時の東アジアをおそっていた状況だった。

しかし著者は、アヘン戦争の真の目的は、イギリス木綿が清国流通網の壁を破る突破口であった、と指摘する。そして、産業革命を経たイギリスの機械化綿工業が、中国の伝統的手工業をやすやすと打ち砕いて、阿片とは比べもににならない長期的収益を英国にもたらしたことを輸入量や紡績機の生産効率など詳しいデータで示す。

その状況を見て生まれたのが、洋務運動であった。清朝の重臣・曽国藩は近代軍事技術の必要を痛感し、中国史上初めて近代風軍工廠を設立する。とくに上海の江南機器製造総局は、今日の上海市の発展のきっかけを生むものだった。著者はこうした中国近代史の史料を、膨大な中国側文献に原語で当たって調査し、数字とデータを緻密に組み上げて記述する。この力量は敬服に値するものだ。

1860年代には、中国は明らかに近代機械化において、日本の先を走っていた。造船能力一つをとってみても10年以上の開きがあった。造船の背景には、製鉄所の能力の差もあった。それなのに、1890年代には、なぜ日清戦争で日本が近代軍事力で逆転してしまうのか?

ここで著者は維新後の日本の近代産業史について触れる。日本の西洋技術導入後の発展の速さを、著者は文化ならびに政治体制にふみこんで分析を試みる。しかしそれは、清国が専制君主制であるのに対し日本は疑似近代国家となった、という妙な説明でまとめられ、話はさらに日本の朝鮮侵略にむかって進んでいく。また著者は、福沢諭吉をはじめとする明治文化人がじつは、「遅れた」朝鮮を「解放/近代化」するという意義をとなえる、優秀な日本軍国主義のスポークスマンであったことを痛烈に指摘する。

本書の後半は、日本が日清戦争・三国干渉・日露戦争をへてアジアへの侵略にどんどん傾いていく経緯と、清国がいかに列強に利権をとられて半身不随に陥ったかを詳しく書いていく。それはそれで、事実の記述としては非常に面白い。しかし、読み進むにつれて、しだいに不満足もなぜか増していくのを感じずにはいられなかった。

その理由を考えてみるに、著者の近代史への四つの視点(技術・経済・政治・社会)のうち、とくに政治と社会(文化も含む)の分析において飛躍が多い点があげられる。技術・経済は数字を上げて緻密である。しかし政治社会になると、とってつけたような旧左翼的解釈が急にはびこりはじめる。著者の頭の中には最初から結論があって、論旨は前提の事実をジャンプしていきなり解釈に飛びついているとしか思えぬ箇所が多くなる。これは、おそらく著者の長年の思想信条がもたらした固着ではあるまいか。

本書は非常に面白い記述やデータに満ちていて、読んでいて実に考えさせられた。しかし、本書の一番価値があるのはそうした事実の部分であって、著者による解釈ではない。星野芳郎という人は結局、整理編集能力は高いが、思想家ではないのだろう。これだけ読ませる内容をもつだけに、その点がまことに惜しいのである。

★★★ 日本の弓術 オイゲン・ヘリゲル

2008/01/31

これは最近読んだ中でかなり衝撃を受けた本だ。ごく薄っぺらい岩波文庫で、しかもヘリゲルの講演録の部分はその半分、数十頁しかない。

しかし、哲学者で日本に数年間を過ごしたヘリゲルが、1936年にベルリンの聴衆を前に語った内容は、じつに驚くべきものだった。東北帝国大学に招聘された彼は、以前からドイツ中世の神秘主義に傾倒しながらも、その肝心の部分を実感できずにいた。そこで、日本で禅の精神に触れることを願い、弓道の師範について入門する。

ところが、阿波という師範は、彼に不思議なことを言う。弓を引くときに力を入れてはならない。丹田で息を吸え。意思を持って矢を放ってはいけない。的を見てねらって射てはならない・・・。これらはいずれも、西洋人の徹底して合理的・論理的思考からは理解できない、矛盾した指示であった。

ヘリゲルが師範に、無心で射ることは不可能だというと、師範は「あなたは無心になろうと努めている。つまりあなたは故意に無心なのである。」と指摘する。彼は「無になってしまわなければいけないと言われるが、それではだれが射るのですか」ときく(何と西洋人的な質問だろう!)。すると師範の答えは、「あなたの代わりにだれが射るかが分かるようになったら、あなたにはもう師匠がいらなくなる。経験してからでなければ理解のできないことに、どんな知識や口真似も、何の役に立とう。」というのである。

こうした禅問答をのりこえ、さまざまな迷いを経た後、師範が全くの暗闇で的を精確に2回続けて射るのを見てからは、彼は一切の疑問を捨てて、阿波師範にしたがう。そして5年の後、彼はたしかに「無になり」、「射られる」ことを会得する。免許皆伝、5段となって彼は日本を離れるのである。

この無心の体験こそ、日本文化の底流に流れ、ドイツ人も(そして今日の我々日本人も)近寄りがたい核心である。そこに近づくには近代精神は邪魔となる。意識して眠ろうとするようなものだからであろう。私自身も、これがどのような体験なのか、まことに想像しがたい。しかし、そこには確かに真実なことがあるらしい、いや、あるはずである、という確信を、本書を読んで強くした。そこに至る努力をせずに、いかなる知識を連ねても「何の役に立とう」。これはまことに、人間精神の神秘的な深さに関心のある全ての人が読むべき本である。

★★★ クレーの絵と音楽 ピエール・ブーレーズ

2008/01/25

たいへん素晴らしい本だ。画家パウル・クレーという天才と、音楽家ブーレーズの才気がかみ合って、静かな火花を散らしている。ブーレーズがクレーを好きだ、と言われてみれば、そうかもしれないとは思う。どちらもきわめて知的なタイプの芸術家だ。しかし、若きブーレーズが、クレーの画業や講義ノートから、直接さまざまな創造上の思考やアプローチを学んだ、と読むと、軽い驚きがある

クレーの絵が音楽のようだ、という感想はよく聞く。たとえばピカソという画家は一度も抽象画を描いたことがない(ピカソの絵は全て古典的な構図を持った人物画や静物画だ)。これに対して、クレーはしばしば、ある意味できわめて抽象的な絵を描く。対象の事物は画面のどこにもない。にもかかわらず、彼の絵はカンディンスキーのような「意図的な」抽象性や、モンドリアンのような幾何学性をあまり感じさせない。具象的なシンボル、ほとんどマンガのような諧謔に満ちた絵と、抽象画が並んでいても、まったく違和感もギャップも感じさせない点がクレーの特徴だ。それは、クレーの絵の中に、つねにみずみずしいリズムや、色の和音が満ちているからだろう。

ブーレーズの音楽はミュージック・セリエルから出発し、きわめて理知的で構成的な(したがって歌詞はあっても音楽としてはいたって抽象的な)ものに聞こえる。しかし、彼も創造においては意識による構成原理と、創造によるゆらぎとの間の拮抗に悩んでいたことがわかる。その彼に道筋を示してくれたのが、クレーの芸術観なのだ。ブーレーズに啓示を与えた「肥沃な国の境界に建つ記念碑」を賛美して、本書は終わる。絵画と音楽の双方に興味を持つ人に、必読の書である。