『ポジティブなリスク』の正体をさぐる (2014/03/11)

リスクという言葉は、今日、非常に広く使われているが、じつはかなり多義的な概念である。そのため、「リスク」について人と話すとき、同じことをしゃべっているつもりで、けっこう理解がずれていることがある。「リスク学」ないし「リスク・マネジメント学」はまだ発展途上の学問で、あらゆる分野で共通した用語定義は、まだ確立していない。

しかし実務の世界では、今やリスクの話題を避けて通れない。リスク・マネジメントをコンサルティングの仕事にしている人たちも大勢いるし、資格認定制度も出現してきた(それも複数ある)。そしてプロフェッショナルを任ずる人たちは、たいがい“自分の流儀が普遍的に正しい”と主張したがる。だから、リスクの話を聴いた人は、ふうん、そんなものか、と理解する。とうぜん、誰から最初に話を聞いたかで、同じ会社でも違うリスク概念が共存することになる。その結果、「リスクについて語ること自体がリスキー」な状態になると、以前このサイトでも書いたとおりだ。

今回は、その中でも、最近はやりの「プラスのリスク」「ポジティブ・リスク」について論じてみよう。リスクというのは、結果に対するネガティブな可能性を言う、というのが普通の理解である。では、ポジティブなリスクとは何を意味するのか? タバコの火の消し忘れで火事が起きる、というのが普通のリスクだが、タバコの火の不始末のおかげで家が立派になる、なんて可能性があるというのだろうか?

この話を理解するには、“リスクの歴史”を考えてみなければならない。時計を少し巻き戻す。今から約20年前の1995年、阪神淡路大震災が日本を襲った。恐ろしい規模の災害は、日本経済にまだ多少は残っていたバブルの余熱を、完全に消し去るほどインパクトがあった。神戸を中心に、大企業も中小企業も被害にあった。このとき注目を集めるようになったキーワードが、「危機管理」だった。今ならば、BCP(事業継続計画)とかレジリエンシーとか呼ぶだろうが、当時は危機という言葉がビビッドだったのだ。

危機管理という用語が、しだいに「リスク・マネジメント」というカタカナ言葉に置きかわっていくのは、2000年頃からだろうか。なにせ、四文字熟語=オジンくさい、外来語=カッコいい、という淘汰の法則は、われらが文明開化以来、150年間を貫く潮流である。これは当然の流れだ。

ところで’90年代の後半、海外のリスク研究の主流は、安全・環境・医療・防災などの分野であった(Health Safegy & Environmentの頭文字をとって、HSEと略すことも多い)。こうしたHSEの分野では、基本的にリスクはネガティブ・リスクのみである。たとえば、1999年の安全に関する国際規格「ISO/IEC Guide 51:1999」では、リスクとは

 「危害の発生確率と危害のひどさの組合せ」

と定義されている。

ところが、2000年ぐらいを境目に、リスク・マネジメントの世界に、金融工学の影響が大きく及ぶようになる。2000年と言えば米国ではドットコム・バブルの時代である。そして企業買収がビジネスの花形のようになっていた。

金融の世界でのリスク概念は、安全・環境・医学などの分野とはかなり違う。金融では、原則として「リスク」と「リターン」が、ワンセットの概念になっている。たとえば、株に投資した場合を考えよう。株には値上がりの可能性も、値下がりの可能性もある。もともと、完全市場では商品価格はランダム・ウォークする、というのが経済学の理論だ。そのランダム・ウォークの程度の激しさ、ばらつきの強さを、リスクと考える。だから、暴落で手ひどい目にあうのもリスクだが、値上がりでウハウハ、というのもリスクなのである。

金融工学の影響は、経営学やビジネス論の分野にも大きく及んだ。この流れの中で、「リスクにはプラスとマイナスの両面がある」という思想が広まる。もう少し正確に言うと、「リスクとは不確実性のことであって、それゆえプラスにもマイナスにもばらつく」、となる。「だからマイナス・リスク(脅威)は避けて、プラスのリスク(好機)はつかめ」というような指針が出てくる。2009年に制定された、ISO 31000:2009の「リスク・マネジメント-原則と指針」では、

 「目的に対する不確かさの影響」

がリスクの定義とされる。明らかに、プラスもマイナスも含む書き方だ。同じISOの標準規格の間でも、10年間の間に、ずいぶん違ってきたことが分かるだろう。

リスクについての二つの態度を区別するために、本サイトでは、「リスクにはプラスもマイナスもある」と考える立場を『対称型リスク』概念とよび、「リスクはマイナスのみ」と考える立場を『非対称型リスク』概念と呼ぶことにしよう(「両側リスク」と「片側リスク」と呼ぶ人もいる)。金融分野では対称型、健康・安全などHSE分野は、非対称型でものを考える傾向が強い。

さて、ここから先はわたし個人の意見であるが、生産マネジメントやプロジェクト・マネジメントでは、どちらの立場で考えるべきなのか。ISO 31000の方が「新しい」から、あるいはISO/IEC Guide 51などはもう古くて「時代遅れ」だから、対称型をとるべきと単純に考える論者もいる。だが、ちょっと待ってほしい。両者の違いは、単なる思潮の新旧だけなのだろうか。

図を見てほしい。いま、仕事に関する何らかの成果指標に注目しているとする。速さでも、生産性でも、リードタイムでもいいだろう。これは、仕事に内在する問題や外乱のために、ばらつきが生じる。横軸は成果の尺度で、縦軸はその頻度である(図1)。現実には、こんなきれいなつりがね型の正規分布にはならないものだが、ここでは分かりやすく描いている。

リスクに対する「対称型」の立場とは、平均的な期待値を中心に、両側に対するばらつきをリスクととらえる(図2)。他方、「非対称型」の立場では、達成可能な最善値から逸脱する可能性を、リスクととらえる(図3)。つまり、この二つの立場とは、最善の状態と平均(普通)の状態、どちらを主眼と見るかの差だということが分かるはずだ。数学的な意味では、両者はほぼ等価に見えるだろう。

たとえば、外注制作を依頼する系列会社があったとしよう。100個を作らせると、早ければ4週間で上がるが、たいていは遅れがちで平均5週間かかり、ひどいと7週くらいかかとしよう。1週間あたりの生産性で見ると、平均値=20個、最善の値=25個、最低値=14.3個である。この工程のリスクを洗い出すときに、「対称型」の立場では、プラスのリスク(5個分)と、マイナスのリスク(5.7個分)がある、と考える。「非対称型」では、平均して5個分の生産性低下リスクがある、ととらえる訳だ。もちろん、どちらの立場でも、計画立案においては「標準値+リスク」で計画するから、数字的にはかわらない。

では、どちらの立場をとっても同じなのか? いや、そうではない。マネジメントにおいては、非対称型の立場の方が、ずっと有用なのである。それは、リスクがゼロになったときのことを考えてみれば分かる。

平均的な状態を基準にとって、そこからのばらつき(変位)をリスクととらえる場合、もし幸運にもリスクがなくなったら、達成される結果は、平均値でしかない。しかし、最善の状態を主眼として、そこからの逸脱をリスクととらえる立場では、リスクゼロとは、最善の状態を意味する。リスクを抑え込めば、最善の結果を得られる。これが「非対称型リスク」の見方なのだ。

非対称型リスクの立場では、リスク要因とは、最善の結果を妨げる可能性である。それを分析し、コントロールし、とりのぞこうとする活動は、必然的に改善指向になる。次回はもっと良い結果を得よう、そういう気持ちに人を導く。他方、平均的状態を基準に考えると、次もまた、その標準に留まる可能性が高い。

ここが、純粋に理論の世界である数学と、人を動かすためのマネジメント論とのちがいなのだ。だから、上の例では、週25個を目標値に設定し、結果が未達だったら、リスクの原因を分析して、改善のためのPlan-Do-Seeサイクルを回すようにするべきである。

もっとも、生産ではなく配当利回りのような金融収入的な項目なら、対称型でリスク分析してもいい。そうしたものは純粋に市場(外的条件)で決まり、自分達のコントロールや改善がおよぶものではないからだ。ただし、その場合は、リターンとセットで評価すべきである。

わたしは以前、対称型と非対称型の二つの立場を止揚するために、両者に共通するリスクの定義を提案した。それは

 「目指すべき目標値ないし理想状態から逸脱する可能性があり、かつ、その影響をリアルタイムに回避・抑制できないような事象(群)を、リスクと呼ぶ

というものだ。医学・環境学系の立場では「安全性」が理想状態であり、金融工学では「確実性」(=ばらつきゼロ)を理想状態ととらえる。そして、“何が理想状態(あるべき姿)なのかを、議論の出発点として明確に”してから、リスク・マネジメントを進めよう、と書いた。

リスク・マネジメントの目的は、リスク評価(アセスメント)を行って、事前に回避したり、リスクを小さくすることだけではない。それはやるべきことの半分に過ぎないのだ。事後のリスク要因分析をして、現実を理想に近づける努力が残りの半分である。リスク・マネジメントとは、わたしたちが現実を直視して、そこから少しでも学んで賢くなるために行うのだ。もちろん、ISOのような世界標準に対して、わたしの声は微力である。しかし、最善の状態を主眼として、そこからの逸脱をリスク要因として分析するほうが、仕事の改善と人の成長のためには役に立つと信ずるのである。