プロジェクト・マネジメントの理論は科学たり得るのか ~ EDEN PM Seminarに参加して

プロジェクト・マネジメントの理論は科学たり得るのか ~ EDEN
PM Seminarに参加して
(2014-09-15)

8月下旬に、フランスのリール市で開催されたPM研究の国際セミナー “EDEN
PM Seminar
” に参加してきた。招待を受けて1時間ほどの講演をし、また他の発表を聴きながらPM理論の専門家達とネットワーキングを深める、楽しい4日間だった。わたし自身は2008年、2009年につづき、3回目の参加である。

EDEN
PM Seminar
は、EUの資金援助をえて、毎年夏に開催されるセミナーだ。会場はフランスのSKEMA Business
School経営大学院が提供している。SkemaはPM専門の大学院(博士課程)を持ち、欧州のPM研究のメッカといわれている。このセミナーにも、欧州を中心に、米国・中東・アフリカ・南アジアなどから多くの参加者があった。セミナーを実質的に仕切るのは、長年International
Journal of Project Management誌の編集長を務めるR. Turner教授である。

今年のテーマは、「Challenging Projects」。難しいプロジェクトの計画・遂行・評価をめぐって講演発表と議論がかわされた。わたし自身は、「Projects
in Distant Terrains: Arctic, Deserts, and Rain Forests
」と題して、わたしの勤務先が関わってきた遠隔地プロジェクト(アルジェリアの砂漠、パプアニューギニアの熱帯、そして北極圏)のケーススタディ分析と考察について報告し、好意的なフィードバックを多くの方から得た。ただし自分の講演の内容説明は別の機会にゆずることとし、今回はもっぱら、他の講演を聴いて考えたこと、感じたことなどを述べてみたい。

面白い発表はたくさんあったが、たとえばNASA(米国航空宇宙局)のRoger ForsgrenとEd Hoffmanの2人による「Projects
in Difficult Terrains at NASA
」をあげておこう。NASAはある意味、プロジェクト・マネジメントの育ての親であり、現在のPMの概念や手法論の多くがここから巣立っている。Dr.
Forsgrenの講演は、地球外環境という極限領域における機材設備の設計や、乗組員の保護方法といった技術論を語るもので、エンジニアリングの観点から非常に興味深かった。-100℃から+100℃に数分程度でかわる温度、宇宙線、真空、荷電(宇宙空間にはプラズマが飛んでいる)、そして飛来する宇宙のゴミdebrisなどから、どうやって機材を守るかといった話である。地球外探査のVoyagerなど、その過酷な環境を、もう36年間も航行しつつ、いまだに地球に信号を送り続けている。たいしたものだ。

ちなみに彼によると、NASAは2025年までに火星に人を送り込みたいと計画している。航続期間は年単位であり、それだけの長きにわたり乗員が暮らせるような宇宙船の仕様を考えなければならない。また、とくに火星からの離陸と帰還が大きな課題である。それゆえ、会場からは「装備を軽くするために、NASAは乗員にone
way ticketを渡す考えもあると聞いたが」との質問が出た。片道切符、つまり火星からは戻れないという条件で希望者を募る、という意味である。そうすれば装備はずっと簡単になり、実現可能性も高まる。広い米国には、それでも希望者は出るだろう(ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」はまさに帰還を考えない飛行の話だった)。しかし、「倫理的観点から、それは行わないだろう」との回答だった。

しかし、Dr. Hoffmanの話の方は、もっと含蓄に富むものだった。Dr. Hoffmanは、見かけはいかにも気のいいアメリカ人のおっさんだが、なんとNASAのChief Knowledge Officer(CKO)である。その彼のテーマは「Projects
in Hostile environments
」で、この『敵意に満ちた環境』として、彼は4つをあげる。まずは、Rough
neighborhoods、つまり友好的でない隣人・国家。次がTyrants、つまり専制君主的なボスである。ここらへんから話はぐっと人間くさくなる。ある種の毒性のあるリーダーシップtoxic
leadership
を発揮する連中がいて、彼らは部下に対して、”you are working for me,
not for you.”という態度で支配をはじめるのである。

3番目に、彼は「プロジェクト 対 組織」という対立の問題をあげる。NASAも役所であり、プロジェクトという一時的なチームと、永続的な組織との間にはしばしば緊張関係がある。そのよい例が、ゴダード宇宙センターの科学者Mather博士が発案したCOBE
Projectであった。COBEは宇宙マイクロ波の背景放射を関するするための人工衛星であるが、この計画はスペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故による影響で、NASAの中でキャンセルされてしまう。

しかし、そのときのプロマネは、「俺の仕事は解決策を見つけることだ My job is to find a
solution.
」と宣言し、なんと英国など他の国の宇宙機関からこれを打ち上げるべく活動をはじめる。結局、COBEは最終的には米国から打ち上げられることになり、その観測結果が宇宙ビッグバンを実証して、Mather博士はノーベル賞を受賞するのだが、これは、このときのプロマネの組織をこえた使命感がなければ実現しないものだった(この一部顛末は”The
Very First Light”という本になってまとめられている)。Hoffmanが4番目にあげたのは文化的衝突
culture clash であった。

とはいえ、NASAの宇宙の話を聞いているとSF少年に戻ったみたいで、ワクワクと楽しい。それにひきかえ、地上でのプロジェクトは困難が多く、楽しいばかりではない。たとえば、途上国における援助プロジェクトである。ここでは、今回の発表の中でも秀逸だったDr.
Lavagnon Ikaの「世銀の監督はプロジェクトに影響を与えるか? Does World Bank project
supervision influence project impact?
」を紹介しよう。Dr. Lavagnon
Ikaはアフリカのベニン出身で、現在はカナダのオタワ大学で働く優秀な若手PM研究者である。

彼はまず、世界における国際援助の統計をざっと紹介した上で、「果たして国際援助というのは機能しているのか?」と問題を投げかける。そして、”Aid
is part of the problem and even is the problem”という途上国側の意見 (Moyo,
Zambia出身)を紹介する。経済学的な実証研究からみて、マクロ経済学的には、国際援助額とその国の成長との間には相関が見られない。ただしミクロ経済学的な、プロジェクトレベルでは、たしかに有効性は確認されることが多い。ここには、マクロとミクロの矛盾があるのである。

そこで彼は、世銀のSupervisor制度について、215ものプロジェクトを対象にサーベイ研究を行うのである。世銀は自分が融資したプロジェクトに対して、Supervisor制度をもうけている。彼らは、プロジェクトの成功のためのカギ(Critical
success factor)として、以下の5つを考えている。
– Monitoring
– Coordination
– Design
– Training
– Institutional environment

ところでDr. Ikaは、最近のPM理論のトレンドにしたがって、プロジェクトの成功を、『遂行上の成功』と『インパクトにおける成功』に区別する。「上手に遂行できた(予算や納期を守った)」ことと、「プロジェクトが良い効果を生んだ」ことは別だと考えるのである。この二つは、残念ながら日本では、まだきちんと区別されずにごっちゃに論議されがちである。

その上で、彼は調査分析の上で、世銀のProject supervision制度は、『遂行上の成功』はたしかに促すが、『インパクトにおける成功』はもたらしていないことを明らかにするのである。Supervision制度は、プロジェクト全体費用の
3%-5% を占めている。金額にすれば、かなり高額だ。だから、とくにプロジェクト計画段階におけるsupervisionをもっと充実させるべきだ、というのが彼のリコメンデーションである。

プロジェクトには、直接の成果物(output)と、それが生みだす結果(outcome)、そして、プロジェクトがもたらす効果・影響(impact)がある。それは短期・中期・長期的なプロジェクトの評価に対応する。こうした視点が、世銀をはじめとする海外援助にはまだ欠けている、というのが彼の問題意識であった。日本のPMコミュニティでの議論を思い返すにつけ、同じ思いを、わたしも感じた。

さて、このEDEN PM Seminarには、最新のPM研究の成果報告と別に、もう一つの柱がある。それは、SKEMA
Business Schoolで学ぶ博士課程の院生(PhD Candidate)が、並みいる世界のPM研究者達の前で、学位論文の最終発表と審査を行ったり、博士研究の提案(Proposal)をしたりするのである。これを聴いていると、欧米におけるプロジェクト・マネジメント理論の研究がどのような形で、いかなるレベルで行われているかを目の当たりに見ることができる。

たとえば、以下はLynn Keeysという院生の研究提案のスライドからとったものである。研究パラダイムとしてはConstructivism(構築主義)をとり、コンセプトとしては「企業の持続的発展(SD)戦略から、プロジェクトのSD戦略の創出」をかかげ、理論として「創出的戦略(Emergent
Strategy)」に依拠して、以下、モデルの提案、方法論と研究戦略、具体的研究方法・・という風に続く。

これを見ると、欧米(とくに欧州)の研究では、方法論を重視し、博士課程の院生はそれを徹底的に叩き込まれることが分かる。「これこれを調べてみました。するとこんな結果になりました。だから自分はこう考えました」では、全然研究として認められないのである。わたしは前回、アメリカ人の院生が、自分の所属するデミング賞認定機関の過去データを分析して、品質改善プロジェクトについて研究提案をしたのを覚えている。たしかにそれだけのデータがあれば、かなり面白い分析ができるだろう。しかしそのときは、会場にいた大御所のLynn
Crawford教授から、「あなたはどんな理論的枠組みでそれを分析しようとするのか」と問いかけられ、うまく答えられずにコテンパンにやられるのを目撃した。

なぜ、単に事実を報告し分析するだけでは研究としてダメなのか。それは、プロジェクト・マネジメント研究、いやマネジメント研究一般の根幹に関わる問題である。プロジェクトというのはその定義上、本質的に一回限りであり、同じものは二度とない。同じものが何度も繰り返されるなら、それはプロジェクトではなく「定常業務」になってしまう。そして、多くの人間が関わる作業であり、その報告も基本的に言葉を通じてなされる。数字はあるだろうが、言葉の説明も必須だ。

このような条件で、プロジェクト・マネジメント研究が科学的な客観性を保つためには、どうすべきなのか。単に観測事実を論評するなら、評論家、いや街場の居酒屋トークと何も違いがないことになる。それが研究であるためには、そして他の人にも普遍的に役立つためには、自身の研究スタンスや、その限界について、きわめて意識的でなくてはならないのである。わたしは今回、オイル・メジャーで働くエチオピア出身の院生に声をかけられて、研究のアドバイスを求められたが、彼の研究ノートにも、こうした方法論がびっしりと記述してあった。

そして、このような思考の態度を身につけることが、ドクターの学位を得ることの意味なのだろう。Skemaで博士号をとろうとしている院生達は、ほぼ全員、社会人である。修士課程を出て、そのまま博士に進んでいる院生は一人も見かけなかった。そして、ほぼ全員が、中年である(^^;)。これは、プロジェクト・マネジメント研究という分野の特徴なのだろう。学士か修士でいったん、社会に出る。そしてプロジェクトに従事する。だが、年月を重ねるうちに、しだいに内なる問題意識が強まってくる。そうして、もう一度きちんと考え直してみたいと、大学に通い始めるのだ。電子工学の研究なら、20代前半でまったく問題ない。だがプロジェクトでは、自分がマネジメントにかかわった経験年数がものをいう。

言い忘れたがSkemaでは、PMの博士号は、遠隔地で働きながらとることができるシステムである。限られた回数の集中講義は必要なようだが、あとは指導教官たちとやりとりしながら研究を進められる。今回もフランス以外の国から大勢の院生が集まっていた。欧州からも、北米も、南米も、アフリカ、中東、南アジア、中国などから、皆が学位取得の情熱を持って参加している。この人達は、別に全員が大学の先生になろうと思っている訳ではない。じっさい、Seminarで講演する側の人間も、(わたし自身を含めて)実務社会で働いているものが約半数である。今回、パキスタンでPM協会を立ち上げて会長を複数期つとめたDr.
Khalid Khanと知り合い、何となく意気投合した(同じ化学工学出身だったのだ)が、彼も働きながらSkemaで学位を取った人だった。

なぜ、彼らは、自身がプロジェクト・マネージャーとして忙しく働きながら、なお、博士研究までしようとするのか。別に大学教授になろうという訳でもないのに。それはたぶん、二つの理由があるのだろう。一つには、彼ら自身が持つ、使命感である。何とかプロジェクト・マネジメントというものを良くしたいとの使命感。もっとプロジェクトの成功率を高めたいという、強い熱意。もう一つは、おそらく社会の側にある。欧米、あるいは植民地として欧米の影響下にあった国々もそうなのだろうが、こうした地域では、博士号を持った、つまり高度に知的なリソースをもった人材を、それなりに遇する制度があるのである。研究職だけでなく、ビジネス部門や行政職でも、そうした人々を活用する仕組みがあるらしいのだ。

ひるがえって、わたし達の社会ではどうか、とつい思ってしまう。日本にはあいにく、そもそもプロジェクト・マネジメントの博士課程を持つ大学は存在しない(わたし自身は化学システム工学という専攻科で、「ほんとに化学と無関係な、マネジメント研究でもいいんですよね?」と指導教授に念を押しながら学位を得た)。社会人博士も、通常は、週に1,2回、大学に通う必要がある。そして、企業では、博士号を持っている人は研究所勤めが普通である。だから、マネジメントの研究で学位を取ろうというモチベーションが、きわめて得にくい。その結果として、「プロジェクト・マネジメント理論が科学たり得るためには、どうしたらいいか?」といったレベルの議論ができる場所も、極めて限られている。

わたしはこのような現状を、とても残念に思う。研究というのは、すべて科学や医学や工学といった、製品開発に直接結びつく「実学」であるべきで、Management
Science
とかマネジメント・テクノロジーとかいった分野があろうとは思いもよらない、という知的風土に、わたし達は育った。そして、そのことが、我々の社会のブレイクスルーを阻害しているのではないか。まあ、そうした大げさな問題をわたしがすぐ解決できるとは思わないが、せめて自分が主催する研究部会くらいは、こうした問題のフレイバーだけでも議論できる場所に育てたいのである。

もちろん、今だって、たとえばそれこそ仏Skemaに遠隔入学するという手段はある。現時点では、残念ながら日本人の院生はゼロだった。主要大国でゼロなのは、たぶん日本だけだろう。こういう現状を何とかしたいと、わたしも微力ながら思うのである。そして、プロジェクト・マネジメントの実務に日夜苦労していて、この状況を何とか変えたいと願う人が、知的な出口を見つけ出せる社会になってほしいのだ。

<関連エントリ>
→「サービス、『感情労働』、そしてプロジェクト・マネジメント」(2011-08-18)
(Constructivism「構築主義」について)

(追記:今回のSeminar参加にお声がけいただき、講演機会を得るチャンスをくださったSkema客員教授の田中弘氏に改めて感謝します)

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