センス、キャリア、資格 ― マネジメント能力を左右するのはどれか

センス、キャリア、資格 ― マネジメント能力を左右するのはどれか
(2011/11/26)

ある女声合唱の演奏会で、わたしの所属する男声アンサンブルが、2曲ほど手伝うことになった。相手はプロのソプラノ歌手が主宰し、指揮する女声合唱団である。本番の数週間前、相手方との打合せにいった。これまで別々に練習してきたが、本番までに何回か合同練習が必要だ。それに、演奏会当日の段取りも確認しなくてはならない。相談すべき事柄は多い。

打合せの席でお互いに自己紹介し、議題に入ると、相手方から資料数枚が配られた。その資料を見て、わたしは驚いた。当日までに準備しなければならないこと、当日の手順とタイムテーブル、担当すべき係と受け持つ人の名前、費用について、などがきちんとワープロで整理されて書かれている。そして、その資料を作った女性が説明をはじめた。「今日、決めておかなくてはならないことは、○○と○○と○○です」穏やかな口調だが、進め方はとてもてきぱきしている。じつに感心してしまった。

その打合せ資料は、演奏会に関わる仕事のスコープ・スケジュール・予算・そして体制がきちんとカバーされている。つまり、マネジメントの要点をすべておさえているのである。作成した女性は落ち着いた身なりの方だが、とくにばりばりのキャリアウーマンにも商売人にも見えない。主婦だろうか。「彼女は女性にしておくのはもったいないんです、こう言っちゃなんですけれど」と、主宰される声楽家の先生は笑いながら言われた。わたしはマネジメントが男性向きの仕事だとはべつに思わないけれど、生まれつきのマネジメント・センスってあるんだなあ、とあらためて感じた。

別のある日。とあるプロジェクトのキックオフ・ミーティングに顔を出した。チーム・メンバーとしてではなく、アドバイザーとして呼ばれたのだ。ソフトやハードを作るのではなく、どちらかといえば企画コンサルティングに近いプロジェクトであった。チーム・リーダーが前に出て資料を配付し、皆に説明する。本プロジェクトの背景と意義、めざすべきゴール、そしてトップや行政からの期待、等々。

しかし、わたしはがっかりしてしまった。キックオフの資料には、やるべきアクティビティも、全体のスケジュールも、概略予算も、遂行体制図も役割分担表も、何もないのだ。たしかに、ものづくり的なプロジェクトとちがって、明確なスコープを定めにくい、難しい仕事だ。だがこれでは、飛び上がったものの、どこに着地するかわからぬ飛行船のようではないか。リーダーは、立派な大学を優秀な成績で卒業し、以来、高度な技術分野でずっとキャリアを積んできた技術者だ。だがプロジェクト・マネジメントというものをどう考えているのか。疑問符が繰り返し頭の中にわいた。

さらに別のある日。とある協業相手の会社からメールがとんできた。半年足らずのプロジェクトの説明資料である。添付ファイルを開けてみると、10数ページにもわたる立派なプロジェクト・マネジメント計画書がついている。さらに末尾にWBSが添付されていた。その一部をあげると、こんな感じである:

・・・ ・・・ ・・・
2.3 ソフトウェア詳細設計
2.3.1 制御システム詳細設計
2.4 中核部品調達
2.4.1 調達要求書(RFP)作成
2.4.2 引き合い・発注
2.4.3 サプライヤー承認図のレビュー
・・・ ・・・ ・・・

一目見て、部下が言った。「ダメですね、こいつら。プロジェクトのこと何にもわかっちゃいない。素人ですよ。」わたしも、ためいきをついて、同意した。「うーん、困ったね。なんでもPMPの資格を持ってる人が計画を作ってると聞いたんだけど・・」

WBSのどこがダメか、おわかりと思う。2.3「ソフトウェア詳細設計」のサブ・アクティビティとして、2.3.1「制御システム詳細設計」がただ一つだけあげられている。ところで、WBSというのは、

(親アクティビティのスコープ)=Σ(全サブ・アクティビティのスコープ)

という形で分解すべきものである。これを『100%ルール』と呼ぶ人もいる(子ども全員で親を100%カバーしなくてはいけない)。そうしないと、コストや必要リソースを集計した時に、要素がどこかに消えてしまうからだ。

上記のWBSでは、「制御システム」は親の「ソフトウェア」のすべてをカバーしているわけではなさそうだ。注意すべき代表例が上げられているだけだろう。逆に、もし「ソフトウェア詳細設計」=「制御システム詳細設計」だったら、そもそもbreakdownする必要がないのである。こうしたことは、WBS作成のイロハに属する。口さがない部下が「素人だ」と断じたのは、そのためであった。

(とはいえ、この程度のことさえ理解せずに、PMPの資格が取れてしまうとしたら、あの試験にはいささか問題があるということになる。名刺に「PMP」とれいれいしく刷っている身としても、これはやや困る)

それにしても、ここにあげた三つの例を考えてみると、マネジメントに一番役に立たないのは『資格』であり、次に役に立たないのは『学歴』『キャリア』で、一番役に立つのは、持って生まれた『センス』だということになりはしないか。だが、果たしてそれで良いのか? 本来は逆の順であるべきだろう。持って生まれたセンスを教育や仕事の経験が磨き、それを資格が保証する、というのがあるべき姿のはずだ。しかし多くの企業では、キャリアも資格も固有技術・知識として頭の表層に残るだけで、管理技術としてのマネジメントは「センス」のみで進められている、らしい。

最初の合唱団の例を思い出してほしい。指導する声楽家はリーダーである。そして、単に歌の練習を繰り返す間はそれだけで十分だった。でも、演奏会にはマネジメントの仕事が生じる。マネジメントは、何か新しいことに挑む時に、あるいは過去の繰り返しでは先がない時に、必要となるものだ。ちょうど新製品を作ったり、業務や組織を改革したりする時に。それ自体は、必ずしも華々しいものではないかもしれない(演奏会で脚光を浴びるのは指揮者やソリストだし、新製品で賞賛を受けるのはデザイナーだ)。でも、上手にやることが望まれる。そのマネジメントの仕事を、キャリアでも資格でもなく、皆が持って生まれたセンスだけでやっているのだとしたら ―― たしかにまあ、わたし達の社会が泥沼から脱出するのに時間がかかるのも無理のないことである。

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