第17回 IT業界で成功する秘訣はあるの? (その2)

--パラダイム・シフト=IT産業は対話劇のシナリオのように発展する-- (2002/07/15 発信)

「世の中ってなんだか不公平にできているのねえ。それじゃ、中小企業は永久に大企業に勝てない、ってことじゃない。」


--ところが、いつでもそうとは限らないところが面白いのさ。さっきもあげたように、一度は市場の5割以上を席捲した製品が没落してしまうことがある。


「ああ、そうだったわね! ねえ、どうして?」


--それはね、パラダイム・シフトのせいなのさ。


「あら、妙なことを言うわね。パラダイムってのは本来、科学哲学の用語よ。パソコンの投げ売りにどうして世界観が関係あるの?」


--ここでパラダイムとよんでいるのは、皆が物事を考えるときの暗黙の基盤のことだ。ITの場合は技術的な基盤かな。

 ITの世界は階層的な構造になっていて、お互いにある程度独立分業になっている。パッケージ・ソフトの下には(たとえば)データベース・ソフトがあり、その下にはOS(基本ソフト)、PCハード、CPU・・という風になる。そして、それぞれの層は独自に進化していくんだ。


「だるま落としみたいに、つみ重なっているけれど、上に乗ってるだるまはそのままで、下の方の木だけを入れかえられる、ってこと?」


--そう、ふつうはね。

 ところがね、すぐ下の基盤におおきな革新が起こってパラダイムが変わってしまうと、それまで立脚していたメリットが足元から崩れてしまう。


「それでだるまが落ちてしまうという話なの? なんだかよく分からないわ。例で説明してくれない?」


--たとえばね、1-2-3という表計算ソフトがあった。これはMS-DOSというOSの上でメジャーだった。キーボードからすべてを操作できて、画面には基本的に文字だけでできた表が並んでいく。早いし、そこそこ多機能だし、結構人気だった。

 しかし、OSのパラダイムがグラフィックとマウス中心のWindowsに移ってしまうと、1-2-3のキーボードを最大限活用した強みがひっくりかえってしまった。そして後発のExcelに席を奪われたんだ。

 ExcelはもともとApple社のMacintoshという、グラフィックスとマウス中心のOS用に開発されたものだった。よってたつパラダイムが違うんだ。


「パラダイム、ねえ・・」


--もともと、類似の機能を持った製品では、いったん優劣が決まった市場をひっくり返すのは至難のわざだ。だから別種の機能を発明して差別化をねらうんだね。これが進化の原動力で、新機能がソフトの使われ方・考えかた自体を変えてしまうほどのインパクトをもつ場合、新しいパラダイムの発明といっていい。


「あなたのいうパラダイムって、そうすると戦うときの土俵のようなものなのね」


--そう、土俵だね。

 じつは1-2-3だって、最初はそうやって登場した。もともと「表計算」というジャンルはApple II用のVisiCalcが発明したものだった。1-2-3はその中核機能をまねしながら、さらにグラフ機能やデータベース機能などを加えた「統合型表計算ソフト」として、新しくIBMが導入したPCの上で登場して、あっという間に市場を席捲してしまった。そして、その命運はMS-DOSというOSとともにつきることになったという訳だ。


「つまり、同じ土俵の上で逆転負けしたのじゃないのね。」


--そう。土俵自体がとりかわってしまう。これがIT産業の特徴だ。

 IT産業の市場争奪劇は、なんだか対話劇のシナリオに似ているとおもう。一人がある主張をする。別の人間が出てきて対抗する主張で圧倒する。それでけりがつくかと思うと、三人目が出てきて二つの対立点を乗り越えるような新たなテーゼを提出する。決して野球の試合のように同じラウンドのくり返しにはならないんだ。

 とくに、新しいパラダイムの発明とともに新しいジャンルの市場が生まれることで全体のパイが膨らんで行く。だから分岐独立の法則がなりたつのさ。



スケール・アップの法則


「そんなに簡単にパラダイムって発明できるの? ようするに世界観でしょ、普通そんなにすぐ乗り超えられないものだと思うけど。」


--そりゃ、この世界には伝説的な天才が何人も出てるからなあ。現在のユーザ・インタフェースの原形を考えたアラン・ケイ、Wordの産みの親チャールズ・シモニイ、unixをつくったトンプソンとリッチー・・あのビル・ゲイツだって、本当の天才は商売の抜け目なさにあったのかもしれないけれど、でもBASICを当時の小さなPCに実装したときはやっぱり一つの発明だったといえるだろうな。


「そうやって、天才が現れては新しいパラダイムを創造して、世界を変えていったと信じている訳ね。」


--やはり、そうとしかいえないもの。


「馬鹿みたい! いっちゃ悪いけど。」


--おいおい、なんだって?


「怒ったのなら、ごめん。でもね、そんな、天才が世界を動かして行くなんて、19世紀ロマン主義みたいなことを、いまだにIT屋さんが信じているんだとしたら、ずいぶんおめでたい幼稚な状態だと思うわ。」


--幼稚! 言ってくれるじゃないか。じゃ、君には何かい、パラダイムの進化のしかたについて、別にきちんとした説明でもあるんだろうな。え?


「別に無いわよ。でもね。さっきの数式をいじり回してへんてこなモデルを引き出していたあなたはどこにいったのよ? 天才がいるのならいてもいいわ。でも、その天才が登場できる必然というのがどこかにあるべきよ。」


--何をいいたいのかぼくにはわからないね。


「私はね、ただ、天才が偶然現れて歴史を動かして行く、というような『天才史観』には賛成できないだけ。一緒に検討して見ましょうよ。さっきのだるま落しだっけ? あれって、ほんとに最初から横に切れ目が入っていたの?」


--??


「土台、つまり構造の下の部分が変わったから、上に乗っている上部構造もひっくり返った、って説明だったでしょ。ITってそんなにきれいに階層の分かれた仕組みだったの、最初から?」


--・・うーん。歴史を最初からたどってみると、そうともいえないかもな。本当に最初に弾道計算の計算機が発明されたときは、ハード・ワイヤードだった。


「ハード・ワイヤード。ハード・ボイルドとはちがうものよね。」


--すべての計算ロジックが直接ワイヤー(電線)で電気回路に組み込まれているものを、ハード・ワイヤードと呼ぶ。そこには、ハードウェアとプログラムの区別はなかった。その区別ができたのは、天才フォン・ノイマンが現れて、命令を機械語としてデータと同様に保存しようと考えたときからだった。


「ふんふん。つづけて。」


--続けて、って、何を。パラダイムの歴史をかい?


「うん。ただし天才はいいから」


--やれやれ。プログラムは当時一度限りだった。しかし、計算機の状態を同時にモニタするプログラムが現れて、それが進化してOS=基本ソフトになった。さっき名前を出したブルックスは、IBMではじめて汎用的なOS/360をつくった責任者だ。

 このころまではね、プログラムは計算機メーカーがつくるもんだった。しかし次第に複雑化するに従い、第三者にも技術を公開して作らせるようになった。このときはじめて、ソフトウェア産業というものが生まれた。計算機それ自体は、ソフトウェアと区別するためにハードウェアと呼ばれるようになった--何笑ってるんだい?


「だってへんてこな説明するんですもん。Hardwareって金物のことで、古くからある英語よ。Hardware shopといえば金物屋。コンピュータ屋さんがそれを勝手に転用したんでしょ。HardをもじってSoftwareという言葉を作ったのよ。」


--あ、そ。まあそれはともかく、プログラム自体も生産性を上げるために、高級言語と呼ばれるものが登場してきた。それから、データ量が巨大化すると、高度なファイル・システムが必要になって・・。


「だいたいわかったわ。あなたも、もう、わかったでしょ?」


--何が? ・・ははあ、階層構造は最初からあったのじゃなくて、次第に生まれてきたということかい?」


「そうみたいね。出てくる言葉はよく分からないけれど、でも聞いてると、ITの歴史って分化の歴史だわ。」


--言われてみればそのとおりだな。


「じゃあ、何がその分化を促したか考えて見ましょうよ。」


--まいったな、先生と生徒が逆転だ。天才の発明が、じゃ納得しないんだな?」


「納得しない。」


--やれやれ。ちょっと考えさせてくれ。基本テーマは計算機の進歩だ・・進歩すると分化する・・・・だから分岐増殖なんじゃないか。


「計算機の進歩って何よ?」


--進歩は進歩さ・・・・でも、そもそも進歩ってなんなんだ・・・・・? 量的拡大かな? ・・・・・量的に拡大すると・・・・・・・・・・拡大すると効率化が必要で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まてよ、そうか・・。

 わかりました、先生!


「わかったの? じゃ、答えを言ってください。」


--ITってのはシステム、つまり目的と機能を持った組織なんだ。ところがね、システムの取り扱う量が大きくなると、そこに分化の必要性が出て来るんだ。その方が効率的だから。


「もうちょっと説明して。」


--えーとね、会社組織でたとえると分かりやすい。会社が小さいときはみんな何でも屋だ。あまり組織はいらない。君んとこの事務所なんかそうだろ? でも売り上げが増加して人が増えて来ると、たとえば人事課と総務課と営業と制作と、という風に専門職を立てた方が良くなる。

 みんながちょっとずつ分担していた仕事を集めると、専門職一人分の量になる。そういうときがたぶん別れ目なんだ。そうしてしだいに企業組織は分化をはじめる。総務課ができて、それが人事課と経理課に分かれて、経理は会計と財務に分かれて・・

 ITの世界でも、じつは同じ事がなりたつ。計算が複雑になれば、データとプログラムは独立化した方がいい。プログラムが多くなれば、モニタが必要になる。データが増えれば高度なファイルシステムが欲しくなる・・。


「そうやって自分自身の中から子供を産みだして、その子どもが独立していくのよね、きっと。どう? 天才が気まぐれで歴史を動かしているんじゃないでしょう?」


--分化を実現するためのアイデアは、やはり天才の発明さ。


「別に天才はいてもいいのよ。でも分化を促す背景が別にあるんだわ」


--そうだね、ITでは『量的な変化が質的転換をもたらす』という法則が働きやすいんだ。

 いや、分化の必要性だけじゃない。逆にスケールの量的拡大が新しい事を可能にする、ってこともあるんだ。基本的に計算機性能てのは倍々ゲームで増えて行く競争にかりたてられて動いている。しかし性能が10倍になると、これまで不可能に近かった機能が実用に近づく事が多い。たとえば日本語ワープロはパソコンがかな漢字変換に耐えられる性能になってはじめて商品になり得た。こんな例はいくらでもある。


「じゃあ、その、量的変化が質的転換を、ってのを”スケール・アップの法則”と名付けて上げましょう」


--はい、先生。

 そうだね、これはいい視点かもしれない。会社も、構成員の数が増えると組織が分化したり、あるいは管理階層が増えて硬直化した、組織が質的に変わってしまう傾向があるよね。情報システムも、あつかうデータ量の桁がふえると設計の基本から考え直さなくちゃならなくなる。そもそも目的と内部構造を持つようなシステムにはみんなあてはまる法則なんだと思う。


「中小企業も社員が200人を越えると安定性が出て来るから、かっちりした会社組織をととのえる必要があるんですって。会計士の先生がいってたわ。」


--200人ていうのは業種によるんじゃないかな。製造業とはそうかもしれないけれど、ソフトウェア産業ではもっと小さいような気がする。でも、さっきもいったとおり、どんな組織であれ、安定して存続し成長することのできる臨界点があるようにおもう。

 市場の小さな業界や、競争が全国区になるサービスなんかは、小さい企業が生まれても大手にすぐ弱肉強食でつぶされてしまう。そうなると、かくれた天才によって新しいアイデアやパラダイムが生まれても、育つチャンスが少ない。


「買い手の側の価値観が金太郎飴でみんな同じ場合だってそうよ。」


--ほんとだね。日本なんかそうなりやすい。だから、日本ではITの創造性が乏しい、なんていわれちゃうのかもしれないね。



(c) 2002, Tomoichi Sato

              (この話の登場人物はすべて架空のものです)

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