--情報とソフトの奇妙な経済学-- (2002/05/23 発信)

「ねえ。わずかな通信代を負担すれば情報を世界に発信できます、っていうインターネットの精神は分かるけど、逆に有用な情報だったら、お金をとって売りたい人もいるんじゃないかしら。そういう人は困るんじゃない?」

--別に困りはしないさ。インターネットでも有償のサイトはたくさんある。

「そうなの? だってみんな勝手にアクセスに来るんでしょう?」

--それはね、あるところから先のページは、登録したパスワードをいれないと読めない、というような方式で情報を限定しているんだよ。

「どういうふうにお金をとっているの?」

--たいていはお客にパスワードを渡す代わりに、クレジット・カードの番号を登録してもらって、引落すのさ。

「そんなことを聞いているんじゃないわ。どういう風に個別の情報に値段をつけているか、って話よ。情報の価値ってどうやって決めてるのかしら」

--そういう話か。それはけっこう難しい質問かもね。情報の売り買いって、ふつうのモノの取引とは随分ちがう性質をもっているからねえ。

「あら、そうお? たとえば?」

--たとえば。・・たとえばねえ、情報ってのは必ず前払が原則なんだ。

「前払い?」

--モノだったら、お客に商品を渡した後で代金を受けとるやり方でも困らない。お金を払ってもらえなかったら、モノをとりかえせばいい。ところが、情報というのは知られてしまったら、返してもらう事ができない訳さ。

「そうね。たしかにその情報を知らなかった状態には戻れないわね。」

--いったん相手に渡しちゃったら、それでもう終わりだろ? 「こんな情報は前から知っていた」とか「こんな情報は自分にとって価値が無い」とか言われて、そこで逃げられたらお金が手に入らない。だから情報産業は必ず前払いが原則なんだ。

「そういえば、たしかに映画でも演劇でも先にチケットを買って入るわね。」

--お代は見てのお帰りで、というのは非常にリスキーなやり方なんだ、情報の商売に限っては。

「でもね、本屋さんとか、それにパソコンのソフトとかだって、通信販売で届けてもらってからお金を払うケースがあるじゃない。あれはどうなの?」

--うん。まず、本の場合はね、あれは内容の情報だけではなく、紙でできた『本』というモノを売る形態をとっている。買う側だって、内容だけでなく、たしかに紙質だとか装丁だとか字体だとかいったモノとしてのデザインの質を評価して買っている部分がある。いや、あった、と過去形でいうべきかもしれないな。最近の出版業界では、読み捨て使い捨ての文庫本が全盛で、モノとしての保存価値が薄くなってきているから。

「老子の言葉に、『文字は読んでしまえば用はなくなる』っていうのがあるんですって。昔は書物はほとんど神聖なものだったから、これは反語なんでしょうけど、でも世の中はほんとにそういう風になってきたのね。」

--それと歩調を合せるようにして、本の内容それ自体を電子ファイルにしてネットで流通させようという動きが出てきた。

「そういえば、音楽もそうよね。映像もDVDになってきたし。」

--そうやって電子ファイルにされてしまうと、コピー・プロテクションの問題が常に出てくるんだ。これも情報産業のもつ特殊性だね。

「そうね。でも、パソコン・ソフトも昔はよくプロテクションがかかっていたけれど、最近はすたれてきていない?」

--それには理由があって、・・えーと、でもね。ぼくとしては、ちょっとパソコン・ソフトと他の情報コンテンツの話題は区別したいんだ。

「どうして?」

--パソコン・ソフト、いやコンピュータ・ソフトウェアはすべて、ある処理の方式をデータ化したもので、人間にとってそれ自身は情報としての意味はない。でも書籍や映画は直接人間に意味を訴えかける。みんな全部ひとくくりに『ソフト』と呼んでいるけれど、ぼくの意見では前者だけがソフトで、後者はコンテンツと呼ぶべきだと思う。

「そうなの? それならそれでもいいけど、じゃ電子化されたコンテンツの値段はどう決まるのかしら?」

--結局ね、情報というものは、かならずその乗り物となる物理的媒体が必要なんだ。肉体をなくした霊魂みたいなものはこの宇宙では存在できないことになっている。

「媒体?」

--情報を記録しておくメディアさ。文章だったら紙がそうだし、映像ならビデオテープ、音楽ならCD、パソコンソフトならフロッピーとかCD-ROM。もちろんどこにも記録されずに終わる内緒話みたいな情報だってあるけれど、お金を取って流通させたければ何かの媒体に記録して固定する必要がある。
 だから、本屋さんの時代には、書物という物理的媒体を売り買いしていたわけだ。

「そういえばそうね。」

--でもさ、コンテンツ商品の値段を、それのキャリアである物理的媒体の価格で決めるのは、人の価値を、その人ののっている自動車の値段で決めるようなものだろ。

「ふむふむ。」

--本を流通させるには、活字を集めて紙に印刷して束ねて輸送して、という具合にコンテンツの物理媒体を作るのにかなり大がかりな費用がかかった。出版社はたぶんそれに印税と利潤を乗せて値段を決めていたんだと思う。
 ところが、電子ファイルの時代になったとたん、コンテンツの複製がだれでも簡単にできるようになった。いまではCD-ROMなんて部数が多ければ1枚数十円の単位で焼けてしまうはずだ。物理的媒体の費用なんてタダみたいなもんだ。
 
「そうすると、情報それ自体の値段がむき出しになってくるのね?」

--それだけじゃない。情報を受け取った人間は、本の場合は他人に複製して渡すのはほぼ不可能だったから、出版物の流通は売り手が完全にコントロールできた。ゼロックスの出現でそれは多少あやしくなったけれども、全ページコピーするよりは買う方がたいがい安い。しかし、電子ファイルの時代には、売り手の複製費用が楽になるのと同時に、消費者側が勝手にどんどん複製してばらまけるようになってしまった。

「で、流通の支配権を取り戻そうとして、コピー・プロテクションが出てくるのね。」

--そう。もともとこの問題は、商品の実質的な使用価値をそこなわずに複製ができ、かつその複製費用が売り手の価格よりも安く済んでしまう場合には、実物商品であるかコンテンツ情報の商品であるかにはかかわらずに発生する問題だ。たとえば高級ブランド品のコピー問題を考えてみればいい。

「でもまあ、モノの場合は簡単には複製できないから問題があまり起きなかったのね。」

--ところが情報はモノではない。情報の物理的媒体が高価で、簡単に複製できなかったときには、その媒体をモノとしてあつかって売り買いできた。しかし媒体の複製がタダ同然になってきたときは、別の事を考えなけりゃいけない。そこでは、モノのような「所有」ではなく、情報の「利用」にお金を請求するという方向に変わる必要がある。これがライセンス=『使用許諾権』の考え方なんだ。これが情報産業の3番目の特徴かな。
 
「ライセンス、ねえ。だんだん弁理士さんの世界になってきたわ。」

--ライセンスというのは特許のような無形の知的財産を、つまり『情報』そのものを他者に限定開示して代価を得る仕組みだ。これ自体は古くからあって、制度的には確立している。
 ただしね、これを実行するためには、売り手が誰に何を売ったかきちんと管理できなくてはいけない。企業間のライセンスならともかく、不特定多数の大衆相手の商売だと、これはなかなか困難だ。それと、使用許諾権は第三者に勝手に売り渡せない。だから原則としてパソコン・ソフトには中古市場は存在しない事になる。

「ねえ、でもどうしてパソコン・ソフトのコピー・プロテクションって無くなってきたの? 話はそれるかもしれないけれど。」

--うん。初期のパソコンはフロッピー装置しかなくて、フロッピー媒体で流通しているソフトを買ってきてそのまま使うだけだった。でも、ハードディスク装置が当たり前になり、そこにインストールして使うようになって以来、コピー・プロテクションはかえってひどく不便で邪魔くさいものになってしまったんだ。
 今でも、ゲーム機のソフトはカートリッジになっていて複製が簡単にできないだろ。だからモノのように流通していて、中古市場がちゃんと成立する。

「そうね。」

--ぼくは、音楽や書籍といったコンテンツ商品も、使用許諾権という考え方を明確にすべき時が来ていると思う。

「レンタルはどうなの? ビデオは売買よりもほとんどレンタルが中心よね。」

--レンタルってのはモノとしてのやりとりだけれど、実際には一時的な使用許諾権を与えているようなものだ。売りきりとライセンスの中間みたいなものだね。アナログのビデオテープは複製しても劣化しやすいから、レンタル商売がなりたつんだよ。貸本も同じさ。

「でも、パソコン・ソフトなんか、コピーが簡単にできるようになっても、まだみんな店で買っているわよ。なんで?」

--そういう君自身は、なんでお金を出して買ってるのさ。

「あなたが全部タダでコピーをくれないからよ、・・っていうのは嘘。信じないでね! えーと、やっぱりコピーは違法だって意識があるからかな。」

--見つかったら法律で罰せられるから、というブレーキは確かにあるだろうね。

「そう。それで思いだしたけれど、ヨーロッパ大陸の列車って、駅に改札が無いのよね。でも、みんなちゃんと切符を買って乗ってるの。はじめて見たときはびっくりして、みんなが大人の社会なんだなあ、と感心しちゃった。でも、たまに車内の検札で見つかるとすごい罰金を取られるのよね。そう聞いてちょっと納得。でも、それと同じ理屈かしら。」

--ライセンス商売のもうひとつのポイントは、アフターサービスだろうな。売りきりじゃなくて、その後も無料のヘルプデスク・サポートやバージョン・アップをつける。買う側もサポートに価値を見い出してお金を払うという構図だ。ソフトウェアの場合はアフターサービスがかなり大事だから。

「でも、音楽や本じゃサポートはいらないわね。」

--そう。だからまだ当分はコピー・プロテクションの問題ははずせないだろう。ここがコンテンツ商売とソフトウェアの違う点だ。

「でも、コピー・プロテクションなんて、どうせどっかの誰かが破る方法を考えているんでしょう? いたちごっこじゃないかしら。」

--かもしれないね。剣を持つ者は剣に滅びる。技術論で市場の需給関係をコントロールしようとする者は、技術論で失敗する可能性がある。
 とはいえ、音楽がタダで流通したら、プロの音楽家が成立しないから、最終的にはお互いのためにならない。さもなくば、プロはみな録音はやめてライブに徹するしかなくなる。

「そうね、演劇なんかコピー不可能だわ。」

--結局、みなさんの良識向上を待つしかないのかな。

「海賊盤の問題は古代ローマ時代の詩人も嘆いていたくらいだから、良識の進歩は千年単位の時間がかかるかもね。でも、じゃあどうしたらいいのかしら。」

--いずれにしても、既存の流通経路に顔を立てて売りきりの形態にこだわったり、テープなどの記録媒体に正体不明の「著作権料」をのっけて値段を高くするような事は、愚の骨頂だと思う。簡単に複製できるデジタルコンテンツは、ライセンスも売りきりも実質同じなんだから。「はだかの情報の値段」まで引き下げるしかないだろう。みんなが「その値段だったら払ってもいいな」と納得できるような値段に。

「そんなの、タダが一番いい、ってみんないうに決まっているわ。それに、『はだかの情報の値段』て何よ、最初の質問にもどるけど。」

--ものの値段を決める方法は二つある。まず第一は、これを作るにはこれこれの値段がかかったから、それに見合う代金をください、というやり方。つまり原価積み上げの論理だ。
 これに対してもう一つは、それが手に入ったらどれだけ得するか、手に入らなかったらどれだけ困るか、で値段をつける方法。これが使用価値の論理だ。たぶん市場メカニズムが両者を仲介して「相場」を形成するんだろうけれど。
 はだかの情報の値段は、この使用価値で決まるんじゃないかな。

「どういうこと。よく分からない。」

--つまり、たとえばね、産業スパイがいて、そうだな、入札の競争相手の価格情報を売りにきたとする。あるいは、インサイダー情報で明日これこれの株価が上がります、でもいい。これなんか複製しても意味はない、純粋な情報の値段だろ? これにいくら払う?

「それだってタダが一番いいわ。」

--タダだったら他の奴のところに売り付けに行くだろう。そしたら元も子も無い。

「そっかあ。そうよねえ。」

--たぶん、自分がその情報から得る事のできる利益と、情報を得なかったときの利益を想定して、その差から値段をつけるだろう。経済学的にいえば、情報ってのは、状況に関する知識の不確実性を減らす事で得られる利益とか、減らせる機会損失とかを勘案して、値段が決まるものなんだろうな。

「音楽を聞いても、状況の知識なんか増えないわよ。」

--そうだね。そういう感覚や情緒に訴える情報の値段は、知識的情報とはちがうね。株価情報のように経済学の数式には乗らない。無理にいえば、精神的なリフレッシュ効果とかで計るんだろうけれど。

「その株価情報だって、1回限りの、それも内容を聞いて見なければフェアな値段をつけられないものじゃないの? 情報は前払い原則なんだから、聞いて見たら屑情報だったってこともありうるわ。実際に値段をつけるのは難しいと思う。」

--うん。ようするに、情報の価値をお金に替える情報産業には、基本的な矛盾がある。情報は前払い原則なのに、情報の実際の価値は手に入れてみないとわからない、という点だ。
 で、この矛盾を和らげる方法が四つある。
 第一の方法は、前払い原則をやめて、後払い方式ないし定期購読みたいにする方法。
 二番目は、前払いのままだけれども、かわりに情報の一部を先に開示して全体の価値を推察させやすくするサンプル提供方式。

「今じゃ映画の劇場公開はビデオ販売のためのショーウィンドウにすぎない、っていわれているらしいけれど、これがまさにサンプル方式ね。」

--そうかもね。それで、三番目は、情報の売り手が誰であるかによって商品である情報への信用を保証する方法。いいかえるならば、売り手の「ブランド力」に頼る方法だ。あの作家の本ならば面白いだろう、というやつだね。もっとも、これは逆の方向にも働いてしまう。梅棹忠夫という学者が「情報産業のお布施論」というのを言っているんだけれど、同じお経を読んでも、偉いお坊さんは沢山のお布施をもらえる。同じ情報なのに売り手のブランド力によって値段が変わるという矛盾がでてきてしまう。

「それで、4番目は?」

--情報を売る代わりにデータを売る方式だ。
 経済的な知識情報を売るのをなりわいとしている企業はね、主観的評価に左右されやすい「情報」を売るようなリスキーな事をするかわりに、継続的なデータを売って暮らしているのさ。株価データや信用データみたいにね。そして、そのデータの中から「情報」をつまみ上げるのは買い手の責任ということにしている。

「なるほどねえ・・。じゃあ、出版とかは今後どうなるのかしら? 後払いは難しそうだし、今まではブランド力に頼る方式だったわ。」

--出版業界では苦肉の策として、「オン・デマンド出版」という考え方がでてきている。

「なにそれ?」

--オン・デマンド出版というのはね、版下をデジタル・データで用意しておいて、消費者からリクエストがあるたびに、1部ずつ印刷し製本して消費者の手元に送るという販売方法だ。これは印刷のかなりの部分が電子化されたから可能になったやり方だ。
 たぶん専門書のような、部数は少ないけれど需要の寿命が長いようなジャンルの本にはけっこうマッチすると思う。

「ふーん。」

--これは電子データのかわりに本という物体を通信販売の形で送るわけだ。もちろん、これでは、コピー・プロテクションにかかわる本質的な問題は解決していない。本の値段が、全ページをゼロックスしてしまう価格に比べて安くなければ、やはり消費者側での違法コピーがまかり通るだろう。

「あのね、わたし思うんだけど、情報コンテンツやソフトウェアみたいな無形のものにお金を払うかどうかって、『良識』とかなんかじゃなくて、その社会が人件費をどうみているか、ってことに結局は帰着すると思うの。翻訳の仕事をしていると、つくづく人件費だけだもの。弁護士さん・弁理士さんとか編集デザイナーさんも同じ。
 洋服を考えてみてよ。たぶん、人件費がはてしなく安い発展途上国だったら、洋服の値段って本当に物質的な材料生地の部分が99%で、デザインだとか加工の手間賃はタダみたいなものでしょうね。
 でも、だんだん経済が発展して第三次産業が増え、人件費だけで生きて行く人が多くなる。人件費が上がってくれば、材料よりも手間賃の方がだんだんウェイトが上がって来るわ。いいデザインにはそれだけの人間の時間が込められているって気がつく人が増えて来るはずよ。
 人間が頭を使って働く時間がタダではない、という認識が、ソフトやコンテンツもタダではないという理解につながって行くんじゃないかしら。」
 
--そうかもしれないね。今の企業の会計制度って、実はけっこう実物経済中心主義なんだ。基本はモノに付随したお金の価値評価であって、無形の知的財産なんてまだ付け足し程度みたいなものだ。でも、インターネットの時代では、無料で配布しているLinuxなどのソフトウェアが、資産としては0円でも、価値としてはものすごく大きい、という事態が生じてしまう。
 偉そうなことを言うようだけれど、ぼくは経済学というものも、もっと情報やデータの価値をきちんと扱えるように進化しなけりゃならないんじゃないか、と感じるよ。

(c) 2002, Tomoichi Sato
              (この話の登場人物はすべて架空のものです)