ストップ・ロス・オーダーと撤退の知恵 (2011/09/03)

ヒノモト家の人々 - マクロ経済学的素描 (2011/07/11)

今はまだ鎮魂の歌をうたえ (2011/04/26)

「正解のない問題」を考える能力 (2011/04/10)

試験は誰の責任か - 人材のサプライチェーンマネジメント再考(2011/03/05)

新しい販売マネジメント思想こそ、競争力再生の要点である (2010/11/21)

見えないパワーシフト - 生産から販売へ (2010/11/14)

人材のサプライチェーンを正すには (2010/10/16)

組織のピラミッドはなぜ崩壊したか(2) 学歴社会の矛盾 (2010/09/23)

組織のピラミッドはなぜ崩壊したか (2010/09/16)

あなたの上司はなぜバカなのか? - 矛盾したルールにしばられる (2010/07/27)

マネジメントにはテクノロジーがある (2010/07/13)

首都圏における生活が震災の直接の影響を抜けて、なんとか「日常生活」化してきたのは、暑い夏の頃からではなかったか。わたしも、自身が主査を務める「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」をスケジューリング学会で立ち上げ、そのほか講演依頼が9月10月にいくつか重なったりした関係上、なんだか多忙な秋だった。その講演テーマがリスクと問題解決に関わるテーマだった関係もあって、撤退に関する「ストップ・ロス・オーダーと撤退の知恵」「埋没コストの原理、または撤退の判断はなぜ難しいか」「失敗の無限ループから抜け出すマジックナンバー「5」」のシリーズを書いたりした。

そんなものを戦略というのですか?」も、多くの読者を集めた記事だった。どうも、ネットの世界では『戦略』というキーワードが人気らしい。わたし自身は、あまり積極的に多用したい言葉ではない。ところがどういう巡り合わせか、11月から経営企画部門に移ることになり、いやでも毎日その言葉に直面することになってしまった。

こうしてみると、わたしのこの1年間のテーマは、マネジメントとリスクとの二つの焦点をめぐって楕円のように周回していたような気がする。

それにしても、ちょうど1年前の12月に、わたしはチュニジアの首都チュニスに日本アラブ経済フォーラム出席のため出張していたのだった。その時は、まさか29年間続いていた長期政権が、その直後わずか29日間で崩壊することになるとは思いもしなかった。わたしの観察眼のなさと言ってもいいが、あのような政治的地滑りを予見できた専門家が、他にどれだけ居ただろうか。小国チュニジアで起きた地殻変動は、津波のようにアラブ世界を襲ったのだった。

そのような潮流は時を同じくして、世界のあちこちで発生している。この1年間、ひどい変動に揉まれなかった国の方が少なかったくらいだろう。世界は今、政治の季節に移ろうとしているように見える。経済の季節が、ここしばらくは続いていた。経済が穏やかに安定している時には、政治は動きを止めていく。しかしその淀みの中でいつの間にか不条理と不満が発酵していく。そして経済が一旦つまずくと、民意が沸騰して政治の時代に表裏反転してしまう。

経済の季節は、ルールの枠の中で競い合う経済合理性の、言いかえれば計算づくの理性の時である。そこでは予測が成り立ちやすい。あいにく、政治の季節はルールを作るための闘争の時であり、感情の季節になる。予見しがたい、リスクの大きな時代と言ってもいい。

そうした時を生き抜くために必要なことは、たぶん二つなのだろう。一つは、変化に機敏に対応できる『勇気』を持つこと、もう一つは、ゆるがぬ道しるべとなる『価値観』を持つこと、なのではないか。それはつまり、今この瞬間を大切に生きろ、ということかもしれない。二千年前にパレスチナで生まれ、激動の時代を走り抜けた賢者も言ったというではないか、明日なにを食べ何を着ようかと思い煩うなかれ、一日の悩みは一日にして足れり、と。

あの恐ろしい災害の後の時代を、わたし達は生きている。生き残ったわたし達に託された荷物は何だったのか、新年に移り変わるひととき静かな今の季節に、もう一度考えなくてはならない。そのためにも、ひととき、この地上が平和でありますように。

問題解決のための二つのキーワード: 抽象化と類推 (2011/11/10)

生産管理であれロジェクト・マネジメントであれ、およそマネジメントと名のつく行為には『問題解決』がつきものである。どんなに精緻な計画を立てたって、実行段階に入れば、予期せぬいろいろな問題が生じてくる。物事が全て計画通りにいくならば、そもそもマネジメントなど不要であろう。だれかがメクラ判を自動的に押していればよい。マネジメントなる職務が必要になるのは、遂行途上で解決しなければならない問題が生じるからだ。

『問題』とは、自分達が(意識的であれ無意識にであれ)期待していた状況と、現実との間に生じるギャップのことを指す。これに対して、『課題』とは、あるべき姿と、現実のあるがままの姿のギャップをいう。問題が受動的に発生してくるのに対し、課題は能動的に作り出すものだ。ここで取り上げたいのは、問題の方である。これは、
 問題=(期待)-(現実)
という式に書くことができる。とうぜん自分達が抱いていた期待が高ければ高いほど、問題はより大きくなる。また、最初に抱いた期待が荒唐無稽であったり、あるいは漠然と無意識のまま願望だけをもってスタートしたりすれば、普通の状況でさえ、大きな問題に感じられる。つまり、問題の半分は、自分の側(の期待のあり方)にあるのである。

では、問題解決は、どのようなプロセスで進めるべきだろうか。少なくとも、PDCAサイクルでないことだけは確かだろう。問題をPlanする人間など、いないからである。だとすると、第一歩は、問題の発見でなければならない。現実を見て、それが自分達の期待と異なっていることを見いだす。「現実を見て」とかるく書いたが、チームでやる仕事ではけっして簡単ではない。仕事の状況をモニタリングし把握する仕組みがなければ、問題も見えてこない。おまけに、現実の組織の中では、しばしば“問題の抱え込み”も起きる。担当者が自分一人で抱え込んで、チームに報告してこない現象だ(これは根の深い事象なので、いずれ項をあらためて別に論じたい)。いずれにせよ、「問題の発生にすぐ気づく」のは、優秀なマネジメント能力の証左である。

さて、問題に気づいたら、その問題構造を掘り下げて、原因を見極める必要がある。原因分析である。これも単純そうに見えるが、やってみると案外難しい。最近は「なぜなぜ5回」が喧伝されているが、これなど注意して使わないと、とんでもなく筋違いな“原因”を摘発することになる。たとえば品質不良の原因をさぐっていくと、→ローコストな外注先の採用 →調達予算の不足 →元々が安値受注だった →不況が続いているため、といった調子でいつの間にか、誰もすぐには解決できない「不況」が根本原因になってしまったりする。これではマネジメントの役には立たない。問題構造の掘り下げには、案外きちんとしたスキルが必要とされるのである。

つぎに、解決策を考えるステップが来る。つまり「問題を解く」段階だ。ここが一番大事なことは言うまでもない。誰かが過去、同じような問題を解いていたら、それに習うことが出来る。だが多くの場合は、ここで何か新しい方策を考える必要が生じる。つまり、一種の発明である。

世間では、問題に気づく段階では『見える化』を、また問題構造の掘り下げ段階では『なぜなぜ5回』を頼りにするケースをよく見かける。どちらもトヨタの造語だ。ところが、解決策を考える段階については、(少なくともわたしは)手頃なトヨタ用語を思いつかない。たぶん世間も、同様であろう。

では、解決策の発明の段階では、どうすべきか。ここでわたしは、別の用語をお教えしたい。それは『抽象化』と『類推』である。問題を抽象化し、その上で類推をつかって、解決策を得る。これがわたしのお薦めの方法である。

この二つのキーワードを知ったのは、学生時代のことだった。小さな本屋で立ち読みした、新書版の本の中で見つけたのである。問題解決と発明がテーマの本だった。その著者名もタイトルも忘れてしまったので、今は探しようもない。しかし、その表紙の写真は決して忘れないだろう。表紙には、水平な板の上に卵を立てた写真が載っていた。ただしコロンブスのように、下側をつぶして立てたのではない。なんと、釘を打って立てていたのだ。五寸釘が、卵の上下を貫通して、下の板に打ち付けられている。おかげで卵はしっかり立っている。そういう写真だった。

序文を読み、目次を読んで、その著者の主張の大筋はわかった。問題に直面したときは、その対象固有の事象に惑わされがちだ。そこで一歩問題から離れて、『抽象化』して考える。卵を立てたい。しかし、卵は丸くて細長く、不安定だ。その時には、「卵を立てる」問題から少し離れて、「モノを立てる」という抽象化した問題を考えてみる。

つぎに必要なのは『類推』の作用だ。たとえば、細長いモノを立てる例は他にはないか。ある。たとえば木材だったら、釘を打つ、接着する、はめ込むなどの方法がある。傘を立てるなら、周囲にサポートを置く、あるいはポケット型の受け口を用意する方法がある、等々。そういう具合に、類推で「モノを立てる」いろいろな方法を思い出すのである。そこから、元の問題に適用可能な方策を見つければよい。事実、表紙の写真以外にも、卵を立てる方法を10個くらい、文中にイラストで紹介してあった。

(むろん、“卵を立てるのに道具を使うのはずるい”という反論もあるだろう。その時には、「道具を使わずにモノを自立させる」問題を考えればいいだけだ。しかし、“卵を立てろ”という元の問題に、本当にそんな制約条件があるかどうかは、不明である。解決する自分の側で勝手に--無意識に--制約条件をつけて考えている場合が、じつは多いのだ)

その著者によれば、『抽象化』と『類推』の、たった5文字の言葉から、解決策の発明のための知恵が豊かにわいてくるのだという。あいにくこの本は買い損なってしまったが、この二つのキーワードは、単純かつ鮮烈だったために、記憶に残った。そして、やっかいな問題を考えるたびに、「抽象化して」「類推で」考えるくせが身についた。

ともあれ、解決策さえ思いつけば、あとはそれを実行に移す段階になる。まあ、しばしば実行段階でも、こまかな「サブ問題」が生じてくるのだが、それは同じ手順でつぶしていくことになる。かくして、解決策を実行したら、あとは結果を検証する段階に到達する。

だが、これで問題解決は終わりではない。仕事全体が完了した時点で、今度は発生した問題をふりかえり、再発防止のための「学び」をしなくてはならない。これでようやく、問題解決プロセスの終了である。以上をまとめると、
(1) 問題に気づく
(2) 問題を掘り下げる
(3) 問題を解く
(4) 解決策を実行する
(5) 結果を確かめる
(6) 問題に学ぶ
の6つのステップからなる行為だと言うことが分かるだろう。そして一番重要な「問題を解く」の段階では、『抽象化』と『類推』のキーワードをつかって、いきいきと頭を働かせることが必要なのである。

(参考エントリ) 「生産システムの性能を測る」 (この中で、抽象化と類推の一例を挙げています)

失敗の無限ループから抜け出すマジックナンバー「5」 (2011/09/18)

物事はなかなか自分の願うとおりには行かない--これは、たいていの人に共通の感覚だろう。「よかれ」と思ってやったことであれ、自信に満ちた賭けであれ、結果に裏切られるのはしばしばだ。気張って受けた試験は落ち、やっと得た職場は退屈で、意中の人には見事にふられ、生まれた子どもの性別は期待に反し、買った株や宝くじでも儲けたためしがない。これが普通の人生で、全ての賭に勝ち続けている人にはまだ、お目にかかったことがない。それでもわたし達は「次には良いことがあるかもしれない」という希望をかかえて、おぼつかない道を歩いていくのだ。

もっとも、負けず嫌いの人や夢を強く抱く人の中には、同じ失敗の無限ループにはまりこんでしまう場合がある。そこで『ストップ・ロス・オーダー』という撤退のための知恵が必要になるのだが、にもかかわらず、経済学でいう埋没コストの原理を持ち込むと、かえってループから抜け出すことができなくなってしまうことを、前回書いた。

このことを分かりやすく説明するために、こんな賭けの例を考えてほしい。ここに白と黒の碁石を入れた袋がある。あなたは、100円払うと、袋の中から碁石を1個、取り出すことができる。そしてもし、それが白石だったら、300円をもらうことができる。もし、黒石だったら何ももらえない。この賭けは、黒が出続けている間は何度でもトライできるが、白が出たら賞金が出て、その回でおしまいになる。ちなみに、取りだした石は袋に戻さないが、袋は十分大きいので、何が出ようと次の確率にはまず影響しない。

さて、あなたはトライしてみるが、1回目はあいにく黒だった。2回目は・・残念ながら2回目も黒だった、としよう。すでに200円使ったことになる。あなたは、もう一度この賭けにトライするだろうか? あるいは、こう訊ねてもいい。あなたは、最大で何度までこの賭けを続けるだろうか? この先を読む前に、ちょっと考えてみてほしい。

ふつうは3回目くらいから、逡巡する人が出始める。4回、あるは5回でやめる人が多いが、10回という人もいて、わたしが聞いた中で最大は20回(!)という人がいた。この人は国際的に活躍しているビジネスマンで、さすがリスク・テイカーなんだなあ、と感心した。

この問いが難しいのは、実際に袋の中に入っている碁石の白と黒の比率が分からないからだ。普通だったら半々のはずのに、「当たったら300円」という賞金の出し方が怪しい。そう考える人も多いだろう。でも、それは胴元が必ず勝つ不正な賭けをやっているのでは、と疑うからで、胴元だって本当は知らないのかもしれない。

実際の比率がわからない場合、確率を考えるとしたら、場合の数が二つなのだから、他に根拠がない限り50%ずつと仮定するのが素直なやり方である。必要な費用Cが100、勝った場合の収入Sが300、失敗のリスク確率rが0.5だから、賭けの期待値は、(1-r)S – C = 300 x 0.5 – 100 = 50円のプラスということになる。あなたはすでに200円使ってしまった。でも、次の賭けの期待値は50円だ。だから3回目もトライして、200円のロスを少しでも解消したいと思うだろう。うまく白が出れば、差し引き200円儲かるから、いままでの分がチャラになる。でも、全く同じ論理で、n回続けて黒をひいても、n+1回目に賭けるのが合理的、ということになる。これが、無限ループの泥沼の理由だ。間違ってほしくないのだが、人は頭がわるいからというよりも、むしろ合理的だから同じような失敗を何度も繰り返すのである。

では、どうしたら良いのか。経済学におけるストップ・ロス・オーダーの研究から、何かヒントが見つかるのではないかと考えて、調べてみた。しかし、一応それなりに手を尽くして調べてみたつもりだが、あいにくはっきりした指針になるような論文は何も見つからなかった(むろん、わたしは経済学の専門家ではないから、有名な研究をすっぽり見落としている可能性もある。もし“それにはこの定理を使えば良いんだよ”と教えていただける専門の方がおられたら、ぜひご連絡いただきたい)。

しかたがないので、自分で考えることにした。上に述べたリワークのパラドックスを解消するためには、失敗のリスク確率rを、過去続けて失敗した経験に基づいて見直すしかないはずである。といっても、これを説明するとなると情報量基準だとか最尤モデルだとかの話をしなくてはならない。読者の皆さんはくわしい数式は興味がないだろうから、得られた結果だけ書こう。その答えはマジックナンバー「5」だ。もしあなたが、成功も失敗も半々だと信じる賭けに5回続けて失敗したら、もう、その確率は五分五分ではないと考え直した方がいい。その場合、成功の確率は、最善でも1/6以下と見るべきである。

先の碁石の賭けでいうならば、もし5回続けて黒をひいたら、もう黒と白の比率は半々ではないと考えるべきだ。白は、よくても6個に1個しかない。だとすると、次の回の期待値は、300 x (1/6) – 100 = -50 だから、もう手を出すべきではない。撤退の時期なのだ。

この考え方は、広く使える。何であれ、自分が五分五分と考えている期待が、5回続けて裏切られたら、確率はもう五分五分よりかなり低い(17%以下)と思った方がいい。むろんそれでも、成功時収入Sと費用Cの比が、S/C > 6 だったら、まだ続けてもよい。でも、その場合でも、使った費用の総額がSを超えた段階で、撤退するのをお勧めする。

前々回に書いた電車の例についていえば、わたしはこう考えた。「停止してしまった電車の運行は、15分くらいで半分は再開するようだ。だったら、15分 x 5 = 1時間15分は、このまま電車に座って復旧を待とう。それでも見込がなければ、別の手段を探すことに決める」 そして、その通りに実行した。結果がどうだったかよりも、こう決めたことで気持ちの落ち着きを取り戻せた事が、とても重要だったのだ。

ちなみに「15分で再開が半々」というのは、無論、主観的なものである。それでもいいのだ。そもそもわたし達が人生で直面する賭けのほとんどは、ただ一度のことで、「主観確率」しか立てようがない。それでも、繰り返し試行した結果としての「統計的確率」とどちらが説明力が強いかを比較検証することができる(数式的なことに興味のある方は、佐藤知一:「製品開発プロジェクトにおける継続と撤退の合理的基準」化学工学会第74年会発表(2009)を参照されたい)。

このマジックナンバーが気に入らない方は、ご自分で別の基準を立てることをお勧めする。それがどのような基準であれ、とにかく線引きをすることが大事なのだ。なぜなら、タイムリーな自発的撤退こそ、じつは「現実から学ぶ」ための最良の契機だからである。そして、だからこそ、難しい。でも、撤退をしなければ、どうなるか。その結果をわたし達は、あちこちの閑古鳥の鳴く地方空港を見て知っている。そして、どんな赤字の責任からも逃れ、うまく立ち回って昇進や栄転した人たちを。彼らは、一番大事な「学び」の機会を、社会から奪ってしまったのだ。

先日、ある小さな集まりに呼ばれていろいろお話しをした時、「佐藤さんがこれまでやって一番楽しかったプロジェクトは何ですか?」とたずねられた。そんな質問は考えた事もなかったが、これまで関わった百以上のプロジェクトの中から、その時まっ先に思い出したのは、ある国内向けの仕事と、南米での仕事の二つだった。どちらも10年以上前のものだが、そんなに楽しかったのかというと、じつはやっていた時は苦しくてならなかった。どちらも納期に遅れて客先には迷惑をかけ、片方では盛大な赤字を出して会社にも迷惑をかけた。

しかし、辛かった思い出も年月が経てば忘れる。いつまでも忘れないのは、そのプロジェクトで学んだことだ。度重なる失敗と思いもよらぬ外乱で、自分は優秀だとの思い込みは微塵に砕けたけれど、そのかわり痛い思いをした分、学ぶものも大きかった。それはその後の自分を変える契機にもなった。だから今では良い経験だったと思うのだ。全てに成功する人間はいない。ならばせめて、失敗から上手く学べるようになるためにも、きちんとした「撤退学」をつくるべきだと信じるのである。

埋没コストの原理、または撤退の判断はなぜ難しいか (2011/09/10)

前回は、落雷で止まってしまった電車の中で、再開を待ち続けるか別のルートを探しに行くべきか、という状況に絡めて「ストップ・ロス・オーダー」という概念を紹介した(「ストップ・ロス・オーダーと撤退の知恵」参照)。じつは、この言葉を知ったのは古いけれども、別に株式投資やFXをやる訳でもないわたしにとって、しばらくは縁の薄い概念だった。あらためてこの問題を本気で調べ始めるようになったのは、プロジェクトの撤退判断、すなわち『Go or no-go問題』を考えるようになってからである。

エンジニアリングや受託開発のSIerなど、受注型プロジェクトに主に従事している会社にとっては、プロジェクトの中断撤退判断など、通常は問題にならない。赤字を出そうが納期に遅れようが、歯を食いしばって何とか最後の納品までたどりつくのが当然の事だ、とみな信じている。なぜなら、納品できなければ支払も得られないからだ。仮に今、予算を100として実績コストは150使ってしまっていたとしても、なんとか納品して100の収入を得られれば、赤字は50にとどまる。これを、途中でバンザイしてしまって撤退したら、150全部が自分の持ち出しになってしまう勘定だ。いや、それ以前に、継続的なつきあいを大事にする日本の商慣習では、途中で逃げてしまったりしたら以後永久にその顧客から(下手をすればその業界全体から)出入り禁止になるだろう。

『Go or no-go問題』が大事になるのは、自発型のプロジェクト、とくに新製品開発のような、大きなコストがかかり、かつ失敗確率の高いプロジェクトである。医薬品企業においては、その業績自体が製品開発段階での『Go or no-go問題』の上手な判断に依存している、との研究もある(書評「不確実性のマネジメント」参照)。

もっと別の例を挙げれば、公共事業として行われる社会インフラ関連プロジェクトもそうだ。国内に数多く作られた地方空港、あるいは、一昨年来問題となっているダム建設プロジェクトなどである。一般にこの種の公共投資事業は長い年数がかかり、その間に経済環境等が変わってしまって、期待した効果が上がりそうもなくなることが、しばしばある。だが『no-go』の再判断が重要であるにもかかわらず、官僚機構の中では誰も、いったん走り出したプロジェクトを止められない。こうしてただでさえ不況なのに、さらに国や地方の借金が積み上がっていく。

『Go or no-go』の判断がうまくできないのは、“プログラム・マネジメントの不在”に根本的な責任がある。プログラムはプロジェクトの上位概念であり、プロジェクトの発進や、プロマネの任命や権限委譲、そして継続判断などはプログラム・マネージャーの責任だからだ。ただし、そのようなマネジメント・システムを整備する場合、継続と撤退の基準はどう決めるのが適当なのか、という問題が相変わらず残る。仮にあなたが、問題プロジェクトを配下に抱えるプログラム・マネージャーだったとしよう。あなたは、何を基準にプロジェクトの『Go or no-go』を決めるのか? たとえば、予算が倍以上かかったら中止に決める、という案もあろう。でも、長くて暗いプロジェクトという名のトンネルの先に、かなりバラ色の光が見えているとしても、それでもあなたは無慈悲に中止をプロマネに命令できるだろうか。しかも、これまでそれだけの予算追加をあなたが承認(あるいは黙認)してきたことを認めた上で?

不振なプロジェクト/プログラムからの撤退はなぜ難しいか。その理由は主に三つある。まず第一に、これまでそれを進めてきた組織や人のメンツがある。華々しく出航してきてしまったのに、いまさらどの顔しておめおめ港に戻れるか、という感情的な理由。むろん、撤退後の譴責や処分も考えるにちがいない。とはいえ、さらに航海を続けて、もっと被害を広げたら、責任はさらに大きくなってしまうだろう。だから、実際にはメンツは継続と撤退の両面に働きかけると考えていい。

撤退が困難な第二の理由は、未来のバラ色の見込みを変えにくいことだ。何度失敗しても、くじけずに夢に取り組む。そうしたことを、わたし達の社会はずっと賞賛してきた。気合いと根性さえあれば、必ず難問は解決できる。わたしはほとんど未見だが、有名な「プロジェクトX」という番組も、この種の事例をTVで次から次へと紹介し続けたようだ(余談だが、あの番組はプロジェクト・マネジメント理論の専門家の間では『プロジェクト×(バツ)』と呼ばれていたらしい。計画も方法論もリスク対策も抜きのまま、リーダーの根性&成功ストーリーに仕立てる例が多かったからだという)。ともあれ、“失敗にくじけず夢を見続ける”ことが、“見通しを途中で冷静に見直す”ことに優先される習慣がこうして形成されてきた。

そして三番目の理由が、過去のこれまで投入した努力にひきずられる、という事である。すでにこれだけの金と労力をつぎ込んだんだ。撤退したら全てパー、水の泡になるじゃないか。これはもう戦略的投資だ、後へは引けぬ。使ったお金を活かすには、事業に成功するしかない、という訳だ。もし失敗したら、ROIを低下させたといって株主にも責め立てられるだろう・・・

使ってしまったお金に対して、一種の資産価値ないし執着を感じる。このような判断上の矛盾をさけるためには、『埋没コストの原理』という考え方が必要になる。

『埋没コストの原理』とは、すでに使ってしまったコストは、現時点での判断に組み入れるべきではない、という経済学上の原理である。もはや過去という時代に埋没したコストは忘れて、この先の事だけを見て判断する。過去の苦難も(栄光も)忘れて、冷静に現在と将来を考えろ。これが経済学の要請である(たいていの経済学の要請と同様に、ふつうの人間には従うことが難しいが)。ともあれ、この原理に立てば第三の理由は回避できる、はずである。

ところが。この『埋没コストの原理』を認めると、逆に困った矛盾が生じてしまうのだ。今、プロジェクトがある技術的困難に直面したと考えてほしい。そうした時、たいていのプロマネがとる方法は、直前のステップに一歩戻って、代替手段を探すことだ。すなわち、リワークである。もし成熟した技術分野なら、失敗の原因を分析して取り除けば、先に進める。もし、まだ不確実性の高い分野なら、あるいは本質的に試行錯誤的なアクティビティならば、ともあれほぼ等価と考えられる試行を繰り返すだろう。Aという材料でダメなら、Bの材料で試してみる。BもダメならCと、竹フィラメントにたどり着いた発明王エジソンが百回以上も試したように、試行のループを繰り返すだろう。

そして、埋没コストの原理に従うならば、一歩前の原点に戻った際、それまで使ったコストは忘れていい。となると、考えるべきファクターは、成功した時の期待利益Sと、再度の試行に必要なコストC、そして失敗するリスク確率rである。それがもし

 (1 – r)S – C > 0

の条件を満たしているなら、プロジェクトは進む価値があるはずだ。いま、上の条件を満たしたとしよう。そして再試行する。ところが、また失敗してしまった。出発点に戻って、もう一度リワークしようか考えてみる。ところが前回の失敗コストは忘れていいことになっている。次回のコストCも、期待利益Sも、そして(等価な代替手段なのだから)リスク確率rも、前回と同じままである。だから、上の条件式はまた成立してしまう。そして、再々試行に進むことになる・・・

これが、プロジェクトが泥沼の無限ループに陥っていく状況なのである。判断者が合理的で、すべてを数字で判断し、かつ経済学の『埋没コストの原理』に従うと、かえって撤退の判断ができなくなっていく。たとえプロジェクトを全て自分の手金でやっていて、財布の底をついたとしても、まだ誰かに金を借りてでも続けようとするだろう。適正なストップ・ロス・オーダーなど、存在しないことになる。これをわたしは、「リワークのパラドックス」と呼んでいる。

「リワークのパラドックス」が生じる根本原因は何だろうか。それは、上記の第二の理由、つまりバラ色の見通しを捨てられないことにある。でも、誰もが一度失敗しただけで諦めていたら、技術に進歩も何もなかったことは明白である。だとしたら、何度繰り返し失敗したら、手を引くべきなのだろうか? じつは、答えがあるのである。次回は、その「マジックナンバー」について述べる。

(この項もう一度続く)

ストップ・ロス・オーダーと撤退の知恵 (2011/09/03)

渋谷から東横線の各駅停車に乗った。たしか都内での研究会か何かの帰りだったと思う。ふだんは急行か特急に乗るのだが、その夜は何だかくたびれていたので、多少すいていた各停で座って帰ろうと思ったのだ。ところで、渋谷では穏やかな夜空だったのに、電車が5つめの都立大学駅に着く頃から、雷とともに急に激しい雨が降り始めてきた。折りたたみの小さな傘しか持っていない。でも、初夏の夕立だろう、いずれすぐやむにちがいない、と高をくくっていた。

しかし、電車は都立大の駅に停車したまま、ちっとも動き出さない。ホームに降り注ぐ雨は、しぶきとなって開け放たれたままのドアから車内にも吹き込んでくるようになった。しばらくしてから車内アナウンスで、「信号系統への落雷のために、全線がストップしております。復旧作業中ですが、まだしばらく時間がかかる見込です」という。外は相変わらずのひどい雨が続いている。ほんの通り雨という感じではなさそうだった。時計は9時半を回っていたように思う。さて、どうするか。

わたしの家は横浜近くの各駅停車の駅が最寄りだ。ちゃんと電車が動き出せば、30分足らずで着く。このまま座って帰れるのが一番良い。しかし、復旧の見込は不明だという。他のルートに乗り換えたいところだが、あいにく乗換駅でもない。せめてもう一つ隣の自由が丘駅までたどり着いていたら大井町線に乗り換えてJRに出られるのに、と思ったが、どうしようもない。あいにく手元不如意でタクシーという手段は考えられなかった(それに、こんな天気の時はタクシーはつかまらない)。

首都圏のロジスティックス事情に詳しい方ばかりではないだろうから、念のために書くと、東京方面から横浜に行くルートは5本ある。東急東横線と、JR(京浜東北線・東海道線・横須賀線)、京浜急行線だ。東横線は渋谷から、他の4ルートはすべて品川から横浜に向けて走っている。渋谷と品川は山手線でつながっている。正確に言うと、この他に日比谷線(中目黒発)と湘南新宿ラインの一部(恵比寿・大崎発)があるが、これらは途中からそれぞれ東横線と横須賀線に乗り入れている。

考えられる唯一の代替案は、今、ここで駅をおりて、バスを探し、渋谷か目黒か品川か、とにかく東京方面の他の線の駅に戻る事だ。ただし、バスがこの時刻に走っているかは定かでなく、戻ったとしても、JRや京急が動いている保証はない。困った事に、こういう時に限ってiPhoneは電池切れである。状況を知る手立てがないのだ。だが、この雨が単なる夕立ではなく、南関東を突如襲った集中豪雨だという感じは強まってきた。

もう一度、整理しよう。このまま乗り続けるか、それとも降りて別の可能性を探索するか。二つに一つだ。あなたなら、どうするだろうか? 続きを読む前に、ちょっと考えてみてほしい。

わたし達が直面する意思決定は、ほとんどの場合、不確実な状況下で行わなければならない。しかも、限られたリソースしかない局面でだ。それでも、明るい見通しのある選択肢からの決断だったら、まだ楽しめる。休暇は海に行こうか山に行こうか。天気や混み具合の不確実性はあるが、どちらを選んでも、多少はプラスだろうと感じられる。

難しいのは、ネガティブな選択肢からの決断である。それも、選択肢の中に「現状のまま」というのが入っている時が最も難しい。今のままではじり貧に思える。でも、代替案の中にも確実性はない。今よりひどくなって、「フライパンから火の中へ」飛びこんでしまう可能性もある。こういう時に、わたし達はどう決断したらよいのだろうか。

ストップ・ロス・オーダー』という言葉をわたしが知ったのは、デール・カーネギーの著書「道は開ける」の中だった。彼は「悩みに歯止めを設けよう」という章で、あらゆる賭けをする際に、あらかじめ「歯止め」をかけておくことを推奨している。ストップ・ロス・オーダーは元々、相場師の用語で、$50で株を買う時、(たとえば)$45のストップ・ロス点を設定しておく。そして株価が$45を切ったらすぐに売却し損切りするのである。彼はこの考え方を他の悩み事にも応用するよう勧める。

たとえば、時間にルーズな友人と一緒に昼食をとる約束をしたとする。彼は、友人を待つ時のストップ・ロス時間を10分に設定するのである。そして「君が10分以上遅れたら、昼食の約束はなしにして帰るよ」、と相手に告げるのである。

このストップ・ロス・オーダーがなぜ優れた知恵かと言うと、撤退という難問に、即断すべき基準を作ってくれるからである。意思決定の時、一番いけないのは、何も決断せずにずるずると先延ばしにしていく事だ。それは損失を広げていくばかりではない、何よりも自分の心理的エネルギーを消耗させ奪っていくのである。そうなると、ちゃんとした普通の判断さえ、できなくなっていく。ストップ・ロス基準があれば、継続であれ、撤退であれ、"Go or no-go"をタイムリーに決断できる。そして決めたら、それが結果として正解となるよう、努力する。こうすれば、心的エネルギーをプラスの方向に使う事ができる。

その夜、わたしがとった決断は、こうだった。「まず、1時間15分は、この電車に座って、信号系統の復旧を待つ。それでも動く見込がない場合は、外に出て他の手段を探す。」そして、本を読みながら10時45分過ぎまでじっと待った。まだ復旧のアナウンスがないので席を立ち、小さな傘を差して駅から近くの国道まで歩いた。そして幸い、恵比寿行きのバスを見つけて飛び乗った。JRの駅に着いたのは11時20分頃だったろうか。案の定、湘南新宿線は止まっていたが、京浜東北は動いていた。山手線で品川まで回り、なんとか横浜に戻ったのだった。ちなみに東横線が復旧したのは夜の1時近かった事を、後になってニュースで知った。

だが勘違いしないでほしい。結果がオーライだったから、わたしの決断が正しかった、と言っているのではない。ある方針を決めて、それで動けた事が良かったのだ。もし結果が失敗だったら、それが何回も続いたら、ストップ・ロスの基準を見直せばいいのである。それが『学び』というものではないか。どんな決断の場合でもそうだが、一度きりの結果で良否を評価するのは愚かだろう。それは1打席だけ見てバッターの能力を評価するようなものだ。

では、そのストップ・ロス基準はどのように決めるべきか? たとえば、わたしはなぜ、1時間15分という中途半端な数値を設定したのか? それについては、長くなったので、機会を改めてまた書こう。いつもわたしは余談が多くて長くなりすぎる。ここらへんでストップしておくのが、読みやすさの点でもいいと思うのだ(笑)。

(この項つづく

ヒノモト家の人々 - マクロ経済学的素描 (2011/07/11)

いつだったか、役員向けの説明資料を作っているときに、ふと「経営者にとっての1億円というのは、自分みたいなサラリーマンにとっての1万円みたいな感覚なのだろうか」と感じたことがある。決済権限の基準は会社によっていろいろだが、億を超えたら、まずどこでも役員決裁が必要になる。「1億円の買い物です、と気楽に言うが、1億の利益を稼ぐのがどれだけ大変なのか分かってるのか!」と言われたこともあった。これってちょうど、自分の子どもが1万円の買い物をねだりにきた時と同じ感覚なのかもしれない。

たとえば年商500億円と言ったら立派な中堅企業の業容だが、その企業にとって1億円は、ちょうど年収500万円の個人にとっての1万円に相当する。だとすると、中堅企業に5億円のERPパッケージ一式を売りに行くというのは、Office Suiteソフトウェアを5万円で買ってくださいというのと同じだし、30億円の工場ライン新設の提案は、30万円で部屋のリフォームを提案するのと似ている、のかもしれない。すくなくとも、企業の1億円=個人の1万円、という換算は、少しだけ相手の感覚に近づく手がかりになった。

最近ふと、官公庁の資料を読みながら、この換算式は日本全体を論じるときにも当てはまるのではないか、と思いついた。ただし、国全体の場合は1兆円=個人の1万円である。ちょうど日本の人口も1億人ちょっとであることを考えると、あながち根拠レスな対比ではあるまい。たとえば、経産省の産業構造ビジョン2010などを読んでいると、“戦略五分野で、今後140兆円以上の市場創出。インフラ関連/システム輸出で18.2兆円の増大”などと書いてあるが、単位が大きすぎて何の事やらピンとこない。だが、これを兆→万に換算すると、「そうか、年収140万円の増加が目標で、システム輸出の分は18万円くらい稼ぐつもりなんだ」と、自分の理解範囲にぐっと近づいてくる。

そこで、このアナロジーをもっと強引に使って、日本経済全体像を、身の丈に合わせた形に書いてみよう。すなわち、「日の本」家の人々の暮らし向きである。

ヒノモト家の現在の年収(GDP)は、約480万円弱である。月々約40万円だと思えばいい。’90年代の一番多いときには、520万円近くあったのに、もう10数年間も頭打ちで減り続けている。

ヒノモト家を取り仕切っている、一番えらい人は父親(政府)だ。この人の年収は90万円である。でも、その半分は実は他の家族から入れてもらっているお金を、管理しているにすぎない。そして、残り半分は借金である。この人自身は、何かを作り出して稼いでいる訳ではないのだが、皆に対してあれこれ指示を下し、「皆が安心して暮らしていけるのも俺が居るからだ」と口癖のように言っている。収入90万円のうち70万円は、家の補修や医療費、セキュリティなど皆の生活を支えるために使っているが、残る20万円は、以前借りたお金の返済に使っているのだから、ちょっと馬鹿みたいだ。累積債務は900万円もあるのだが、「なあに、いざとなれば財産は沢山ある」と言っている。

ヒノモト家の長女(農業)は、ずっと趣味的な家庭菜園を続けている。昔は家族全員の食べるものを作った時もあったが、最近では4割くらいしか自給できていない。土は肥沃で水にも日光にも恵まれており、おかげで良い作物も少しは作るのだが、菜園のあちこちは草ボウボウだったりする。高齢化のために足腰が弱ってきているせいだろう。後継者がほしいと言っている。家の外には作物はほとんど売らない。年収は7万円ちょっとである。

ヒノモト家の長男(製造業)は、筋骨逞しいが、年を取ってきてこのごろ背中がちょっと淋しい。頑固で、意見を大声で言う。自分が皆を食わせているという自負があるのだろう。でも、この人の年収は100~110万円くらいで、一家の稼ぎの2割を切ってしまった。20年前には125万円くらいあったのだが。この人は、家の外とのつきあい(輸出入)が一番多かったので、“自分は世間を良く知っている”と信じているが、最近は減ってきたので、皆からその内実をあやしまれている。でも、「ヒノモト家の復興は俺が支えるんだ」と、まだ頑固に言っている。

次男(流通サービス業)は、ひどく太っており、歩くのがのろい。でも実は長男より稼ぎが多く、220万円弱の年収がある。ヒノモト家の約45%を、この次男が稼いでいる勘定だ。だったら、もっと贅肉を落としたらいいのに、と周囲からは言われている。

ヒノモト家の次女(金融業)は、眼鏡をかけた才女である。父親の通帳も預かっていて、実はいろいろなことに自分の意見を通している。父の借金は彼女を通しているからだ。他の家族も、彼女からお金を借りたり稼ぎの中から返したりしている。ただ、この人は慎重なのか大胆なのかよく分からない性格で、家族にお金を融通するときは担保を取り、決して損をしないようにしているのに、一度、外の男にだまされて財産をかなり失った。だが、父親のかけ声で、家族皆に援助金を拠出してもらった。本人も覚えているはずだが、まるで何もなかったかのように振る舞っている。電卓が商売道具なのに技術オンチらしく、電卓が1週間くらい動かないことも最近あった。お金は沢山預かって持っているが、本人の年収は30万円ほどである。

三男(建設・不動産業)は地味だがそつのない服装に、営業用笑顔をいつも見せて歩いている。年収は90万円強。皆の住む家の増改築・営繕と賃貸を仕事にしている。父親や次女とも仲が良く、20年前はかなり羽振りも良かったが、家の外で何やら痛い目にあったらしい。最近は家も建て増しの余地はなくなって、次はどうしようか考えあぐねている風情である。

ヒノモト家の最後の登場人物は、母親(家計)だ。この人には稼ぎはなく、使うだけである(年に約300万円くらい)。皆の衣食住の面倒を見ている。もちろん、この人が居なくなったら他の家族は皆、生きていけなくなるのだから、もっと敬意を持って接しても良さそうなものなのに、「お客さま」としてお金をもらう時くらいしか愛想を言わない。母親も、そんなものだとあきらめているらしい。

(念のために書くが、上記で「稼ぎ」・「収入」と表現したものは、各業種の『付加価値額』であって、売上の絶対値ではない。付加価値とは、その業種が生み出す経済的なバリューであり、売上から外部に支払うお金を差し引いたものである。国内で生み出された付加価値額の合計が、DGP=国民総生産になる。なお、政府系サービスその他の細かい項目は、ここでは無視している)

さて、このヒノモト家で最近、困った事故があった。長女の住んでいるスペースで、北東向きの池に面した一角が、突然の災害で大きくこわれてしまったのだ。長女も怪我をした。そればかりか、そこに父親が置いていた発電機が壊れて、有毒な物質があたりに飛び散ってしまい、危険で近づけなくなったのである。被害総額は、25万~30万円くらいかもしれないと言われている(誰も正確にはよく分かっていない)。長女や母親は、「大丈夫だから」と言い続けてきた父親になんとかしてもらいたいと思っているが、一家の家計から見ると、すぐおいそれと出せる金額ではない。『一刻も早い復興を』と皆、口では言っているが、具体策となると家族で意見が分かれている始末だ。

これがヒノモト家の人々である。どこにでもいる、ごく普通の人たちだ。“村で二番目に稼ぎがある”と自慢することもあったけれど、「土地があって家族が多けりゃ当然だんべ」と思う村人もあるらしい。なにより、皆の集まる寄合いでも、二言目には『お金』の話をすることが、鼻白むべきことと思われている節がある。けっこう風流なところもあるのに、残念な人たちだ。チキュウ村では、ときに喧嘩もあるが、基本は助け合いである。なのにヒノモト家の人たちの態度は、このごろひどく内向きだ。今でも人並み以上に稼ぎはあるのだから、もっと村をリードし助けることを考えるのが大人だろうに、と周囲は思っているのである。

今はまだ鎮魂の歌をうたえ (2011/04/26)

大阪での所用の帰り、ちょっとだけ時間が余ったので京都で途中下車した。夕方だったがまだ新緑が日に映えて美しい。枝垂れ桜や八重の花も少し残っていて、その色の対比も心地よかった。八坂神社から知恩院にまわり、国宝の三門を拝観。お上りさんをしたわけだ。

その知恩院の前には大きな張り紙があり、「法然上人の八百年大遠忌法要を、震災のためにやむなく九月に延期する」と大書してあった。八百年大遠忌だから、法然という人は1211年に没したことになる。12世紀の終わりから13世紀初頭にかけて活躍した人なのだ、と思った。

12 世紀ルネッサンスという言葉がある。西欧世界は、十字軍をきっかけにイスラム文明に触れ、そこを経由して古典ギリシャ時代の哲学や文化を輸入し学んだ。その刺激から生まれた一種の新しい文化の潮流を指す。明けて13世紀は、アッシジの聖フランシスコらが活躍する宗教の刷新時代になる。西欧史と日本史は面白いことに並行関係が成立していて、12世紀の日本は新しい武家風の文化が台頭し、13世紀になると鎌倉仏教が隆盛する。

それにしても、800年も経ってまだ記憶され法要が営まれるとは、偉大な影響力である。まあ一つの宗派を作った宗教家だから、と言えるかもしれない。では、他の宗教ではどうなのか。たとえば、キリストの命日はいつだか、ご存じだろうか。誕生日は「クリスマス」として世界中で有名だが、キリスト教徒は、教祖の命日は祈念し瞑目したりはしないのか。

いや、ちゃんとするのである。先週(22日)の金曜日が、その日だった。これを聖金曜日(英語でGood Friday)と呼び、斎戒すべき『受難の日』と定められている。祭日になっているキリスト教国も少なくない。それなのに、なぜ有名ではないのか? その理由は、毎年、日にちが変わるからだろうと思われる。この聖金曜日は、実はイースター(復活祭)の二日前の金曜日と決まっている。そう、24日の日曜日はイースターだったのである。そしてイースターは、「春分の日の後、最初の満月の次の日曜日」という、太陽暦と月歴を付き混ぜた複雑な定義のため、毎年変わる移動祝祭日になっているのだ。

復活祭は、キリスト教において最大の祝日だが、春の再来を喜ぶお祭りでもある(少なくとも北半球では)。教祖の命日のすぐ二日後に復活のお祭りとは、ずいぶん斎戒の期間が短いと感じられるかも知れない。でも、それは違う。実は復活祭からさかのぼること6週間半前に「灰の水曜日」という日があって、そこから復活祭までは、キリストの受難を悼む禁欲の期間(「四旬節」)と定められている。西洋の古い習慣では、肉食を絶って魚を食べることになる。だから四旬節に入る直前に、謝肉祭(カーニバル)が行われるのである。

この四旬節は47日間続く。これは日本の仏教で命日から服喪する期間の「四十九日」とほぼ同じで、偶然とはいえ不思議である。あるいは、人間の感情が落ち着くまでの期間が、それくらいかかるのかも知れない。

宗教現象というのはつねに興味深い、不思議なものだ。高等生物の中には仲間の「死」を認識するものもあるが、追悼をするのは人間だけである。遠くネアンデルタール人も、仲間の埋葬にあたって、花を捧げていたらしい。というのも、人骨の遺跡の近くに大量に花粉が見つかったからである。遠く去った仲間に花を捧げる、というのは、アーリントン墓地や無名戦士の墓に詣でた外国元首なども従う儀式であるが、どうやらわたし達人類の文化的遺伝子に刻み込まれた行動パターンらしい。

なぜ人は鎮魂の儀式を必要とするのか。それは簡単には答えられない問いである。著名な精神医学者の土居健朗は、たしか「『甘え』雑稿」の中だったと思うが、なぜ人は誰かの通夜などで「お悔やみ申し上げます」というのか、と問うていた。そして自分がその言葉を受けとる立場になった時、残された者が故人に対し“ああすればよかった”“もっとこうしてあげればよかった”と後悔し、『悔やむ』からなのだ、と気づいたという。つまり、自分達がいかに不完全な仕方でしか、人を大切にし愛することができなかったかを悟る時の言葉なのだ。そして残された者が、互いに助け合いながら生き続けていこう、と確かめるために、ああした儀式が必要なのかも知れない。

あの恐ろしい3.11の震災の日から、もうじき7週間経つ。わたし達の故郷は、大きく傷ついた。いや、実はもう、だいぶん前から傷んでいたのだ。その最も弱い部分を、災害が襲った。日本が変わってしまった日、と感じたのはわたしだけではあるまい。

これだけ深く傷ついたら、癒えて立ち直るまでには相当の時間が必要である。まず、心の中で引き裂かれた感情が静まって、ほつれが戻り、断線が再びつながるための時間がいる。それまでは、まずは静かに、追悼と鎮魂の期間をすごすべきではないのか。

元気を出そう、一日も早い復興を、とメディアは繰り返す。それは真心から出た言葉だろう。だが、わたしには何だか性急なメッセージに聞こえるのである。動物だって、傷ついたら、動き回らず、ものも食べず、じっとうずくまっている。それが動物の本能的知恵だ。動物も人間も、活動の時期と、休息の時期がある。 24時間元気でいたいと思うのは浅知恵な願いだ。

わたしは酒食や娯楽まで何でも自粛しろ、と言っているのではない。追善供養の席では、みな飲食して、故人の遺徳をたたえるではないか。ただ、方や自粛する、方や復興を急ぎ消費の落ち込みを憂う、それを同時に行うのは矛盾はないかと感じるのだ。復興を叫ぶ声の後ろには、「復興需要」をあてこんだ産業界のそろばんの音さえ混じっているように聞こえる。一日も早く以前の日常を復旧させたい、地震と津波と原発と計画停電にゆさぶられた日々を忘れたい、との感情は理解する。だが、それくらいならば、四十九日の間はきちんと喪に服し、それからゆっくりと日常生活に復帰するという、古いしきたりの方がずっとメリハリがあると思う。

わたし達はたぶんまだ十分、追悼ができていないのだ。素人コーラスがわたしの休日のささやかな趣味だが、今期の曲目を決める時、鎮魂の歌を1曲入れるべきだと思った。お金による寄付だけでなく、歌うたいならば声で気持ちを捧げることも、ありではないか。

なんだか古くさい、馬鹿げたことを書いているような気もする。でも、自分たちがあの災害で生き残ったのは、偶然に過ぎない。生き残った者が真っ先にすべきことは、去った仲間を悼むことではないか。そうして、受け渡された生の意味について、もう一度考えるべきなのである。

「正解のない問題」を考える能力

次の問題は、ある理系の大学入試問題である。回答者は、3問の内いずれかを選び、それについて論文を記述しなければならない。制限時間=4時間。字数制限無し。

・言語は思考を裏切るか?

・不可能事を望むことは非合理か?

・実験のほかに真実を立証する方法はあるか?

あなただったら、どう回答するだろうか。ちょっと考えてみていただきたい。

じつはこの問題、日本の大学ではなくフランスの「バカロレア」baccalaureatの過去問題から引用した。バカロレアは高校卒業時の大学進学検定試験のようなもので、毎年6月に行われる。日本のセンター試験に該当する、と言えなくもない(だいぶん違うが)。そして、上の問題は「哲学」科目の出題である。そう。大学進学試験には国語、数学、地理、歴史、第1外国語、体育と並んで哲学が必修科目なのである。

ちなみに2010年度は全国で642,253人が受けて、受験者の86%が最終的にバカロレアに合格し、これは同じ年に生まれた全体数の65.6%に相当する、のだそうだ(「パリの郊外暮らし」 より孫引き)。

バカロレアは基本的にすべて論述問題である。上記の哲学に関して言えば、自分の感覚で好き勝手なことを書いていい訳ではない。まず、論理的で首尾一貫した論述であることが求められる。問題とされているテーマを明確に定義し、できれば哲学の歴史的な議論を踏まえ、対立する論点を正確に論じた上で、最後に自分の結論を書くことが期待される。さらに関連する思想家の主張を引用したりすれば、上出来だそうである。そして、このような試験では「携帯を使ったカンニング」など不可能だし、意味がない。震災前の古き良き時代、世間が一番騒いでいたのは某有名大学のカンニング事件だったが、あれは短くて正解のある問題だからこそ可能だった出来事なのである。

哲学は重要な受験科目のひとつだから、フランスで教育を受ける者は、高校で思考訓練を徹底的に受けている訳だ。このような教育を経て、論説の達者となった連中と、論理的主張の訓練など殆どない普通の日本の大学を出た人間が、国際会議や商談等で議論や交渉をしても、なかなか辛いものがあるのは分かっていただけるだろう。

誤解しないでほしいのだが、わたしはフランスが素晴らしくて日本が劣っているとか、日本の大学入試もバカロレアを見習え、といった主張をしたいのではない。両者がずいぶん違っていることに、まず単純に驚き、感心しているのである。国同士の優劣の比較は皆の興味をひく話題だが、わたしはむしろ個性と差の方に関心がある(たまたまフランスで若干の間、働いた経験はあるが、わたしはフランス崇拝趣味はない)。

日本とフランスの大学入試問題の違いは、二つの国が、若者の知的能力に何を求めているかの差を、端的に反映していると思う。日本のセンター試験はすべてマークシート方式である。これは大量の受験者を、効率よく正確に短時間で評価し点数化する必要性から出ている。と同時に、出題者の用意した選択肢という枠の中で、正解と不正解を明確に切り分ける能力を受験生に求めている訳である。

したがって、日本では記憶力ならびに条件反射的な判断力を持つ若者が有利だし、有名大学に合格して「頭が良い」と世間から太鼓判を押されることになる。物覚えが良く種々の知識や解法パターンを記憶することに抵抗のない子の方が、自分がじっくりと納得できるまでものを覚えられない子よりも、受験勉強に向いている。さらに言うなら、出題者が“何を答えさせたがっているか”を瞬時にかぎ分ける能力も重要である。

いや各大学の独自試験では記述式問題も出されるし、後期試験では小論文と面接のみの大学もあるではないか、と反論されるかもしれない。そのとおりだ。しかし、日本の論述問題とは、具体的にどのような知的能力を問うものだろうか。論文試験と言われてわたしがすぐ思い出す典型は、司法試験と、情報処理技術者試験である。司法試験の論文試験について、以前、法学部出の友人から聞いた話では、「出題意図に添って、必須のキーワードを、期待される順番で盛り込んだ文章を書くこと」が合格回答のポイントであるという。つまり、出題意図のフレームワークの中で、記憶した知識を体系にしたがってつなぎ出すことが求められる。

高度情報処理技術者試験については、「プロジェクトマネージャ」の参考書を10年近く編著で出していたので、よく知っている。いわゆる午後II論文問題は、制限時間2時間で、約4,000字の論文を書くことが要求される。つまり、毎秒1文字のスピードで論文を書かなければならない。当然、その場で考えている時間など殆どない。だから事前対策として、自分が経験したプロジェクトを題材に、「品質管理」の面から聞かれたらこう書こう、「要員管理」で出題されたらああ書こう、「プロジェクト計画」の観点ならば、といった具合に、いくつかの切り口で整理しておく。そして実際にその論文を書いてみるのである。2,3回やると、書くべき事を反射的に「体で覚えて」いる状態になる。そうして試験に臨むのだ。

言いかえるならば、日本の論文問題は、出題のフレームワークの中で、正解(ないしそれに準じた知識)を、効率的に記憶から取り出す能力を測っている場合が多い。そのために時間をかけ根気よく繰り返し学習する。これは無論、立派な知的能力である。ただしそれは、世の中が比較的予見可能な、つまり安定した右肩上がりの時代に有用な能力と言えるだろう。

これに対しバカロレアの論文問題では、出題者は、知識もさることながら、整合性のある論理展開能力を、まず求めている。哲学にみるとおり、出題は「正解のない問題」である。そのかわりバカロレア方式では、採点は手間がかかるし、主観ももぐり込みやすい。だから毎年6千人以上の判定委員と10万人以上の採点者(及び口頭試問試験官)が動員されるという。それだけの国費を使いながら(受験は無料である)も続けている事は、フランス人が無駄な議論好きのおしゃべりだという「国民性」だけで説明すべきではない。漠とした状況下でも論理性と一貫性のある思考が必要だ、という知的能力への社会的期待がそこにあるのだろう。少なくとも、彼らの求める知性の尺度には、カンニングがもぐり込む隙間はあまりないのだ。

もっと単純化して対比すると、フランスが評価する頭の良さとは、真っ白なキャンバスに見事な絵を描く知的能力で、日本の求める頭の良さはジグソーパズルを素早く解く能力だ、と言えなくもない。わたしの好きな用語で言うならば、フランス型知性は『自由度』の大きな抽象的問題に向いており、日本型知性は、自由度は小さいが複雑な問題に向いている、という印象である。正解のある、具体的な問題に。

だが、わたし達の社会は(むろん立派な社会だが)「正解」をあまりにも求めすぎる、と最近つとに感じている。様々な問題にぶつかるたびに、どこかに正解を探し求め、受け入れようとやっきになる。「頭の良い」人たちは、どこからか格好良いキーワードを仕入れて、問題の根を切り分けてみせる。正解のある問題は、考えずとも“右へならえ”が効きやすい、という特徴がある。でも、ある場所で役に立った方法が、別の状況で正解となる条件について、しばしば無頓着である。生産改善だ、じゃあトヨタのカンバン方式を導入するのが正解だ--そんな単純な話じゃありませんよ、と「あなたの会社にトヨタ生産方式が向かない五つの理由」などと書いても、世間は馬耳東風だ。そのあげく巨大な問題にぶち当たって、「想定外でした」という。その想定のフレームワークは、誰が決めたのだろうか? 

自分達の知的能力を高めるにはどうしたら良いか--これは典型的な「正解のない問題」である。だから、日本も“バカロレアの哲学の問題を導入すればいい”という答えは失格だと、すぐ分かる。世の中には正解のない問題はいくらでもあるのだ。そもそも、自分はどういう人間なのか。自分は何がしたいのか。自分はなぜアイツのことが好きなのか。それなのになぜ、アイツは自分を好いてくれないのか。そもそも自分の人生にはどういう意味があるのか・・。こうした問題は、若いうちだけでなく、中年になってからも、繰り返し襲ってくる。むしろ若いうちに、これら正解のない問題を自分で悩む経験を積んだ方が、大人になってから想定外の問題にも耐えられるようになるのではないか。

「ずっと昔に学校を卒業したのに、ときどき試験問題に苦しむ夢を見る人は、自分が考えるべき大事な問題を無意識の内に回避している可能性がある」、と心理学者は言う。無意識が夢を通して、その事に警告を発しているのだという。わたし達の社会が『入学試験』にひどく敏感なのを見るたび、“われわれの繁栄にはどういう意味があるのか”という正解のない問題を、わたし達がずっと回避してきたのではないか、と疑わしく思うのである。

試験は誰の責任か - 人材のサプライチェーンマネジメント再考

もう何年も前のことだが、東京大学教養学部の男子学生が、同じ学年の女子を包丁で何度も刺して重傷を負わせ、殺人未遂で逮捕されるという事件があった。理由は恋愛感情のもつれによる逆恨みだったらしい。若者にありがちと言えば言えるが、まことに幼稚かつ愚かな犯罪である。

「その学生はすぐに退学処分にすべきだ」とわたしは思った。人間には、やっていいこととやってはいけないことの区別がある。お勉強の上手下手より以前に、まずその事を理解しておく必要があるのだ。たぶん東大生の多くは、入試をパスすることに、それまでの青春のほとんどを賭けてきたであろう。だとすれば『退学処分』は最も戦慄すべき事態にちがいない。人を刺したら「自分の人生を失う」という、ショックに近い感情によって、その教訓は全学生の心に残るだろう。「人を刺したら犯罪」くらいのことは、東大生でなくたって誰でも知っている。だが、頭で“知っている”だけでは足りないのだ。感情を込めた体験があって初めて、教訓が“分かる”のである。

ところが当時、ニュースや新聞を見ていても、この事件の後で東京大学は当学生に対する処分を何ら発表しなかった。一罰百戒のせっかくの機会を、この大学は逃してしまった。もしかしたら、「裁判で有罪が確定するまでは処分保留」という判断でもあったのかもしれぬ。しかし学生運動のデモかなんかで逮捕されたのならともかく、この刑事事件では犯意は明らかであった(結局、この学生は有罪判決を受けている)。それでももし万が一、その学生が無罪になったら復学してやれば良いだけである。『復学』というフレキシブルな制度はそのためにあるのだ。

世の中には東大に合格するよりも、もっと大事なことがある。これは落ち着いて考えてみれば当たり前だが、その「当たり前」の条理の灯を、目先の損得や感情のつむじ風で吹き消そうとするのが世間である。東大があの時もっと倫理において毅然と対応していたら、世間のモラルも一瞬はしゃんとしたかもしれぬ。

教育のシステムとは社会における人材のサプライチェーンである。ところが、このサプライチェーンがあちこちで歪みを生じ、きしんでいる。京大の入試でカンニング事件があったと言って世間はむやみに騒いでいるが、「たかが入試じゃないか」という感想はあまり聞かれぬようだ。試験というのは、教育ではない。入荷検査が『製造』ではないように。心配するなら、教育の方を心配すべきだ。日本の教育システムをサプライチェーン・マネジメントの観点から見ると、すべての工程(教育段階)に共通する、おかしな矛盾がある事に気がつく。それは、製造工程と検査工程の逆転である。

ふつうの工場だったら、製造した製品は、自分が検査する。検査のポイント(品質項目)は自分で決める。検査ではねられたら、修正に戻すかおシャカにして、出荷しない。出ていくものの品質については、自分のブランドの名前にかけて保つ。これが製造業における普通の感覚であろう。なお、部品材料を入荷したら、その時点で検査を行う場合もある。その場合も通常は員数と外観チェックか、せいぜい寸法確認程度で、鋳物にスが入っていないかいちいちX線で検査したりはしない。入荷品の品質に問題が多い場合は、自ら仕入れ先に出向いて品質指導をする。

サプライヤーの側で出荷検査をして、それを受け入れる側でまた入荷検査をする、というのは、明らかに二重の手間である(よほど輸送工程にリスクがあれば別だが)。では、どちらか一方を省くとしたら、どちら側を省くべきだろうか? 答えは明らかだろう。入荷側である。検査データというのは製造工程の質を向上するために使われなかったら、意味がないからだ。検査と製造工程は一つの思想の元にマネジメントされなければいけない。製造者は検査と出荷品の品質にオーナーシップを持つ。だから先進的な企業では「検品レス」といって、入荷検品を全く省くケースも出てきている。サプライヤーをそれだけ信頼し、また信頼できるようにマネージしているのである。

こう考えてみると、日本の教育システムのおかしな点がわかるだろう。この人材のサプライチェーンでは、自分が製造したものを自分がきちんと検査していないのである。“そんなことはない、各学期に期末試験をしているじゃないか”と先生方はおっしゃるだろうか? じゃあ、東大でも京大でもいい、目立つ「一流校」に合格した生徒を、自分の権限と責任で落第させる勇気がおありだろうか。父母の猛然たる抗議にもゆるがず対応できる、明確な教育スタンスを持つ高校など、おそらく殆どありはすまい。

だが、これは高校の先生方のせいではない。サプライチェーンの下流に位置する購入側、すなわち大学がいけないのだ。大学が出荷検査に信を置かず、自分でいちいち詳細に検査すると言っている。じゃあ、その大学の製造工程はどうなっているのか。わたしは大学3年生を相手に後期授業を行っているから知っているが、大学3年後期というのは就活のおかげで、学生はたいてい気もそぞろである。授業になんか集中できる訳はない。そして、その理由は、企業が製造も終わっていない人材を、はやくも入荷検査のふるいにかけようとするからである。

おわかりだろうか。このサプライチェーンでは、検査工程と製造工程の間にあるべきポジティブな改善のフィードバックループが失われているのである。製造者が検査の所有権を失っているからだ。そして、この事態をなんとかしたいなら、まずチェーンの最下流から直していかなければいけない。その責任は企業の側にある。企業が、「卒論を書いてちゃんと大学を卒業した者だけを採用の対象にする」と宣言すれば済むだけだ。就活は、卒業式の前後に始める。そうすると就業開始は夏頃になるかもしれないが、それでひどく不都合な会社などないはずである。大学は落ち着いて教育に専念できる。そして入試も、高校に信を置いて推薦入学が中心になる(現に、今ではAO入学が全体の50%を超えている)。そのかわり高校の側も自分の検査と製造に責任を持つようになり・・

むろん、この仕組みが働くようになるためには、一つの条件がある。それは、検査ではねられた学生も、妙な烙印を押されずに再履修したり大学をやめて働いたりする道が確保されるということだ。いわばサプライチェーンのフレキシビリティー(セーフティーネット)があって初めて機能するのだ。そしてこの場合も最終責任は企業の側にある。企業は大学未了の、つまり「高卒」の人間を消耗品としてではなく評価し、使う道を用意しているだろうか? わたし達は有用な人材を海に捨てていないだろうか。

春は希望の季節である。あらゆる生命が再び芽吹く時期だ。わたし達は検査と選別ではなく、「育てる」ことにもう少し熱意を込めるべきだと信じている。

新しい販売マネジメント思想こそ、競争力再生の要点である (2010/11/21)

わたしの大学時代の先輩が、あるとき外資系の会社に転職しようと思い立った。米国の技術系ソリューション・ベンダーで、世界的に急成長中の企業だ。大学の恩師に相談に行ってその話をしたら、かえってきたのは思いもよらぬ言葉だった。「外資系に行くなら、技術でなく営業をやれ。」恩師は言葉を継いで、次のような意味のことを語った。

技術力が売り物の会社であればあるほど、技術開発の中心部分は目の届く米国内で、米国人によって行う。日本で技術屋がやらされるのは保守サポートのつまらぬ仕事で、そんなことをいくらやっても上には行けぬ。もし外資系の会社で上に行きたいのなら、セールスをやるべきだ。販売の仕事だけは、各国の現地でやるしかないからだ。仕事を一杯とって、十分な売上と利益を上げられれば、本国からも重視されるようになるだろう。

この先輩は悩んだ後に、恩師の言う道を選んだ。営業部門に入って、やがて華々しい成果を上げるようになったのだ。わたしは後日、その先輩に会って、営業で成功する秘訣は何か、たずねてみた。わたし自身、事業部の売上に悩んでいたからだ。すると、先輩の答えは意外にも簡単だった。「アメリカ人の書いた “Solution Selling”という本を勉強して練習し、その本に書いてある通りを実行してみた。そして事実、売上が上がった。それだけだよ。」先輩はわたしにこう言った。「佐藤君も、もし興味があるなら読んでみるといいよ。」

そういういい話を聞きながら、すぐに実行しないのがわたしの至らないところだ。和訳の『ソリューション・セリング』を読んだのは、それから2年近くたってからのことかと思う。読んで、すぐ感心した。内容は、以前書評に書いたとおりだ。わたしは営業の仕事ではないが、セールスの現場に同行することはよくある。本に書かれている「9ボックス・アプローチ」を使って、小さな案件ではあるが、受注につなげたことも数回あった。

その先輩の方は、いつしか日本法人の社長にまで上りつめていた。その地位に何年かおられた後、独立して自分の会社を作られた。独立後に再会したとき、ソリューション・セリングの技法の話をして感謝の意を表したら、先輩は思いもかけぬことを言われた。「セールスはたしかに大事だ。だが、もっと大事なことがある。それは、良い販売マネジメントをすることだ。」

「販売マネジメントって、何ですか? 営業マンの管理のことですか。」
「違うよ。セールスの状況を定量的につかんで、案件のパイプライン・マネジメントをきちんと転がしていくことだ。」
「パイプライン・・案件リストのことですか?」
「そうだけど、市場から会社に価値をもたらす管だから、パイプラインと考えた方がいい。」

先輩は続けた。「パイプラインに十分な案件が詰まっているか。それぞれの案件はどれだけの規模と受注確率があるか。営業プロセスのどのステージにあるか。こういうことを常時リアルタイムに把握しておかなければならない。ぼくは毎週、営業のキーパーソンを集めて状況をチェックしていた。営業会議には必ず出席させる。出張の場合も電話会議で参加させる。案件数が不足して、四半期ごとの販売目標に満たない場合は、フォールバック・プランを取ることを考える。外資系は四半期毎に成績を求められるから、これができないと生きていけない。」

私たちの社会が「モノ余り社会」となってから、すでに20年近くたつ。その間、販売はつねに苦戦し続け、生産は供給能力過剰と言われ続けた。これを背景に、生産から販売へのパワーシフトが起きたことは、すでに前回述べたとおりだ。企業内でも、サプライチェーン間でも。それでは、そのパワーシフトに見合うだけの、販売手法やマネジメントの仕組みは、発達したのか? 「○○生産システム」や「△△ウェイ」という言葉は製造業で有名だ。だが、それに対応する販売システムや営業ウェイは各社で開発されたのか?

販売側にパワーシフトが起こるということは、言い換えるならば製造業が全体として「受注産業」化した事を意味する。見込生産から、Pull型の受注生産へ。今や製造業の9割は受注生産に大なり小なり関わっていると見ていい。したがって、営業部門は、販売だけでなく、物流も、生産手配も、設計依頼も、すべてをコントロールするセンター機能を果たすことが求められる。

同時に、営業にはもう一つ主要な機能がある。顧客を、自社の提供する製品と価値に誘導することである。顧客、とくにB2Bの顧客は、つねに何らかの問題意識を抱えていて、それを解決してくれる手段を求めている。スコップが売れるのは、顧客が(スコップという道具自体ではなく)地面の穴を必要としているからだ、という格言が販売の世界にはある。顧客の悩み(ペイン)を掘り当て、自社製品による解決に誘導すること、それによって高い価値(値段)で製品を売ること。この Push型の作業こそ、パイプラインを引くべき付加価値の「源泉」である。

今日の販売部門は、上記のようなPull型業務とPush型業務の二つを同時に摺り合わせて行う、きわめて高いインテリジェンスを求められる仕事に変わっている。対象市場は、世界史上例を見ないほど高度に教育の行き届いた、かつ高齢者の多い知的大衆と企業社会である。そこから個別ニーズをくみ上げて、自社のサプライチェーンを動かす。もしこれが可能であれば、わたし達の競争力は、他のどの国にも負けない先進的なものになっているはずである。

では、現実の日本はどうだったのか。ここでくだくだと述べることはしない。読者諸賢が、実際に見てこられた状況から推察できるであろう。わたし達は明らかに、新しい市場ニーズという酒を入れるにふさわしい、新しい革袋としての「販売マネジメント思想」を作ることに失敗している。あの先輩の言葉を借りれば、“腕の良いセールスマンは時々いるけど、能力のある営業マネジメントができる人は、日本には滅多にいない”。相変わらず、個々の営業マンを売上で追い立てるだけの管理がやられていないか。

以前、「豹のリーダーシップ、狼のリーダーシップ」で戯画化した二種類のマネジメント手法は、じつは典型的な営業部門と生産部門のやり方を元にしたものだ。豹のやり方では、
  組織全体の成績=Σ(個人の成績の総和)
になる。一方、狼のやり方では、
  組織全体の成績 > Σ(個人の成績の総和)
となる。当然であろう。生産においては、個人ではできないことを組織で実現しているのだから。なのに、なぜ販売はいつまでたっても個人プレーの合計だけで指標をとらえるのか。

わたし達の社会は、あらためて、「新しい販売マネジメント思想」とそのシステムを作り直すことが求められているのである。念のため言うが、わたしはあえてパワーシフトを「営業=文系」対「技術=理系」の対立図式で論じないようにしてきた。文系理系のどちらが得か、というような矮小な議論ではないのだ。むしろ必要ならば、これからはどんどん理系マインドを持った人が販売側に入っていく方がいい。ちなみに例の先輩は、工学博士の学位を持っている。

見えないパワーシフト - 生産から販売へ (2010/11/14)

’90年代のはじめ頃、私たちの社会に目に見えない地殻変動があった。それは、人口階層ならびに学歴階層の変化である。それらはもはや、底辺の層が厚く頂点に近づくほど数の減るピラミッド型の構造から外れてしまっていた。ところで戦後から高度成長期にかけての日本企業を支えた組織体制は、じつは組織階層のピラミッドと人口・学歴のピラミッドの“三角形の相似則”を基本に成り立つ、「終身雇用制・学歴制」だった。しかし、この相似則は’90年頃を境に成立しなくなったことを統計が示している。

にもかかわらず、企業社会は成果主義年俸制や派遣労働依存といった小手先の人件費対策で問題を繕おうとし、環境変化に応じて自らを変革することに失敗した。--これが、私たちの経済を長く覆う不調と不協和音の根源についての、わたしの推論の一つである。

関連エントリ:「組織のピラミッドはなぜ崩壊したか
       「組織のピラミッドはなぜ崩壊したか(2) 学歴社会の矛盾

さて、’90年代前半に進行した、もう一つの「見えない革命」とでもいうべき事象があった。それは、企業内ならびにサプライチェーン全体における、生産側から販売側へのパワーシフトである。

’90年代前半といえば、ちょうど『サプライチェーン・マネジメント』(SCM)という新しい概念が米国で生まれ育つ時期に当たる。SCMは、「需要と供給を同期化する」ことを中心コンセプトとする経営概念だ。このような思想が生まれたことは、米国は’80年代後半には、生産と営業のパワー・バランスの問題に直面していたのだろう。ちなみに、SCMが日本に本格的に紹介されたのは’90年代の後半になる。手前味噌だが、わたしも著者の一人として参加した「サプライチェーン・マネジメントがわかる本」(’98年刊行)あたりが、その嚆矢だったように思う。

ではその、パワーシフトとはどのような現象か。それを説明するために、きわめて単純化したモデルを考えてみたい。これは以前「プロジェクト貢献価値の理論」(2006/11/27)に挙げた例だが、一部重複になる点をお許しいただいて、再び使うことにしよう。

いま、発明家(技術者)と実際家(セールスマン)が二人でガレージ・カンパニーをはじめようとしている。発明家は、わずか20万円ほどの部品を組み合わせて、100万円相当の価値を持つ新装置を作る画期的アイデアを考案した。セールスマンの方は、もしうまく製品ができたら、自分が売り込み先を捜してやろう、ともちかける。つまり、この二人の事業は、「製造」と「販売」の2アクティビティからなる、きわめてシンプルな製品開発プロジェクトである。

ただし発明家は、実際にその装置を組み上げられるかどうかは、初めての試みだけに五分五分の見込みだと思っている。一方、セールスマンは、もしうまく製品ができれば、9割方は買い手を見つける自信がある。製造のコストは20万円。販売のコストは、まあ電話代や交通費が多少かかるだろうが、ほぼゼロとしよう。

さて、ここで問題である。うまく新製品が出来上がり100万円で顧客に売れたとしたとき、この二人の貢献は、どちらがどれだけ多いだろうか? いいかえるならば、両者のフェアな取り分は、いくらずつであるべきか? ちょっと、考えてみていただきたい。

このままでは難しいと感じるなら、ためしに、この問題をもっと単純化してみよう。アクティビティを「製造販売」たった一つにまとめてしまおう。かかる費用は20万円。失敗するリスク確率は、100%-50%×90% =100%-45%=55% となる。もし、このプロジェクトがうまくいけば、収益は100万-20万=80万円の価値を生み出す。

ところで、このプロジェクトがはじまる時点では、まだ100万円の売上は確実ではない。売上の期待値は、100万×45%=45万円にすぎない。一方、失敗しても部品代20万円は確実にかかる。したがって、プロジェクトの期待価値は、45万-20万=25万円だったのである。言いかえると、「製造販売」アクティビティの成功は、25万円のプロジェクト価値を、80万円の価値に増大させたわけだ。差し引き、80万-25万=55万円の価値増大に貢献したことになる。

これを別の言い方で表現すると、「アクティビティの貢献価値」とは、そのアクティビティの開始時点で期待されるプロジェクトの収益(=価値の期待値)と、その完了時点での価値の期待値の差分で表現される。そして、プロジェクト価値の期待値とは、各アクティビティのもつ失敗のリスク確率 rと、アクティビティ遂行に伴うキャッシュフロー(費用Cならびに収入S)で決まるのだ。

では、最初のように「製造」「販売」の2アクティビティからなるプロジェクトではどうなるか、順に計算してみよう。プロジェクトの期待価値は次のようになる。
「販売」完了時点:100万-20万=80万円
「製造」完了時点:100万×90%-20万円=90万-20万=70万円
「製造」着手時点:100万×90%×50%-20万円=45万-20万=25万円


したがって、
「販売」アクティビティの貢献価値=80万-70万=10万円
「製造」アクティビティの貢献価値=70万-25万=45万円
つまり45:10が、発明家とセールスマンの貢献の比率なのである。

(注:両方のアクティビティの貢献価値を合計すると、55万円となって、さきほど計算した1アクティビティのプロジェクトの貢献価値と同じになる。つまり貢献価値は、合成しても加法性が成り立つ)

それにしても、よく考えてみてほしい。通常の経営論では、製造は「コストセンター」で、販売が「プロフィットセンター」と考えられている。しかし、上記の例で貢献価値を比較したら、コストセンターであるはずの製造部門の方が、より大きな価値を生み出しているのだ。これはなぜか?

答えは、「製造」の方がリスク確率が大きく、作業の難易度が高いからだ。そう。サプライチェーンにおける貢献価値は、各作業のリスク確率(難易度)に依存する。数式の証明は省くが、他の条件が同じであれば、アクティビティの貢献価値は、そのリスク確率rに比例することが示せる。つまり、難しい仕事ほど、価値が高いのだ。そして当然、その担当部署の発言力も強くなる。

ちなみに、上の例で「販売」のリスク確率を失敗ゼロ、としたらどうなるか。「販売」の貢献価値もゼロになることは、すぐ分かると思う。失敗するリスクの全くないアクティビティは、必要かもしれないが、貢献はゼロなのである。発言力も、まったく無いだろう。企業内における発言力や意思決定への影響力といったパワーは、基本的にその部門が担当する仕事の難易度、リスクの大きさによって支配される。むろん貢献価値の数値どおりに人が感じたり動いたりするわけではないにしても、組織の中の心理的パワーを、この理論はある程度説明してくれる。

(実際のプロジェクトでは、アクティビティ数は2よりもずっと多いし、並行する作業も存在するが、こうした複雑な系でも、貢献価値を計算する手法は構成可能だ。興味のある方は日本経営工学論文集 Vol.60 No.3Eに発表した拙論文をご参照ただきたい)

さて。戦後の高度成長期、日本企業のサプライチェーンでは、どこが一番難易度が高かったか。いうまでもなく、設計・製造である。溶鉱炉や製油所を例に挙げるまでもなく、重化学工業における製品を大量連続に供給するのは、技術者達の努力の賜物だった。製品は、つくる端から売れた。“水道の蛇口をひねるように”物品が消費者の元に供給される--これが大手電機メーカーの理想だった。

しかし、2度の石油ショックを経て’80年代後半にさしかかる頃、日本国内の市場はすでに変わっていた。『モノ余り現象』という言葉が現れ、プラザ合意で欧米諸国に内需拡大を約束したものの“もう買いたい物がない”と大人たちがささやきはじめた。人々の購買意欲は’88-91年頃のバブル経済でいったんは高まったが、バブル崩壊とともに吹き飛んだ。販売は、消費財であれ生産財であれ、どこも競争が厳しく、手こずるようになった。前回「営業活動という名前のプロジェクト - そのリスクとリターンを考える」にも書いた通り、三社合い見積が常態化すれば、受注のリスク確率は2/3にもなってしまう。一方、生産側は技術の成熟とともに、安定して製品を作れるようになった。生産側のリスクは格段に下がったのである。

これが、設計・製造部門から販売部門への企業内パワーシフトの背後にあった事情である。昔、’80年代頃までは、「販社」というのは製造業の子会社であった。「キヤノン販売」「エプソン販売」といった会社名は、その頃の事情を示していた。ところが今や、工場が製造子会社となる時代である。統計があるかどうかは知らないけれど、’90年代以降、製造業のトップには営業畑出身者が目立つようになった。

サプライチェーン全体では、それはもっと大規模に行われた。その昔、松下電器の製品は近隣のナショナル販売店(電気屋さん)から買うのが当たり前だった。今、Panasonicの製品はみな、大規模小売店とか通販から買うではないか。もはや製造業には、販売チャネルを御するパワーは残されていないのだった。

では、「技術の日本」で起きた生産から営業への見えないパワーシフトは、何をもたらしたのか。それについては、長くなったので、また稿をあらためて書こう。

人材のサプライチェーンを正すには (2010/10/16)

夏休みのある日のこと。予備校から帰ってきた息子が、ニコニコしている。理由を聞くと、「今日、予備校で『実験屋台』を見てきた」という。予備校の広い部屋に、いくつか実験用の机を屋台のように置いて、それぞれの種類の物理・化学・生物などの実験を講師がやってみせるイベントらしい。むろん生徒も好きな実験屋台で、自分で手を出して触ることができる。「炎色反応が、あんなキレイな青や緑の光を出すなんて、すごい!」と素直に感動したらしい。

さらに聞くと、驚くべき事が分かった。息子は高校の3年間、一度も理科の実験というのをしていない、というのだ。物理も化学も生物も、である。息子の通った高校は、特別な進学校ではない。平均的な生徒の通う、ごく平凡な私立高校だ。それなりの規模があり、一応の施設もそろっている。実験室だって、ちゃんとあったはずだ。でも、一度も実験はさせてもらえなかったという。あるとき、生物の教師に実験のない理由をたずねたらしい。その答えは、「人数も多いし、費用もかかる。教科書で読めば分かるはずだから」だった。

実験をしないで科学の教育が可能だと思っている高校の姿勢に、驚くよりも、あきれた。およそ誰だって、五感にふれる体験無しで、身につくものなど無い。単なる言葉による知識など、時間とともにすぐ忘れられていくからだ。英語も国語も社会もしかりだが、理科では何よりそれが必要である。わたし自身は不器用だから中学から大学院まで、実験には難儀したが、それが不要だと考えたことはなかった。自分で苦心して取ったことのないデータは、分析できない。その数字の意味が、体でピンとこないからだ。生徒が理系に進むか進まないかの問題ではない。いやしくも理科が必修科目である限り、それを「分かる」ためには実験が必須なのである。

3年間まったく実験がないなどと分かったら、父母会に出て学校にクレームをいうべきだったか、と考えている内に、逆のことに気がついた。もし、わたしと同じ意見の人が多かったら、とっくに学校は対応していたはずだ。ということは、むしろ実験を無駄だと考え、もっと教科書での講義を望む父母の声が強かったということではないか。実験で事故や怪我をされるのを高校側が恐れたのかもしれぬ。事実、そうでなければ、なぜ実験室も持たぬ予備校がわざわざ、『実験屋台』などというイベントをひらくことになるだろうか?

わたしの息子は、典型的な「ゆとり教育」の世代である。この、教科内容の30%を削減した「ゆとり教育」なるものは、世の中ではかなり辛らつな批判を浴びている。ただ、知識教育偏重の詰め込みを排するという意図の元に行われた「ゆとり教育」がもたらしたものは、父母としての当事者から見ると、明らかに逆の結果であった。子供たちが学校と塾で過ごす合計時間は増え、進学競争はむしろ激化・低年齢化した。小学生が塾通いのため家族と一緒に夕食をとる事ができない状況は、明らかに異常である。

なぜこうなってしまったのか。幼児教育→小学校→中学→高校→大学→とつづく教育システムは、人材供給のサプライチェーンだと言っていい。サプライチェーンにおいて、このように「意図と逆のことが起こる」場合、その背後にはかならず、『局所最適』の発想がある。

「ゆとり教育」の最も根本的な誤認は、教科内容の量を削減すれば、教育にゆとりができる、と教育者側が考えた事だ。教育というものが教師と生徒だけの閉じたシステムなら、正しいだろう。親たちは、だが、そうは考えなかった。“良い大学”や“良い高校”に自分の子供を入れることが教育の目的であり、そのためには、同年代の競争に勝たなければならない。学校教育の内容が減るなら、その分を塾で補わせなければならない、というのが親たちの発想だった。中学の公的教育が頼りにならないなら、私立中学に入れねばならないと大勢が信じた。

こうして、小学生の「夜の塾通い」が蔓延するようになった。年端のいかない子供に夜間生活を強いて、遊びの時間を奪うのは、正常な発達をさまたげる--というような私の意見は、たぶん少数派だったろう。息子の小学校の教師は、「塾での勉強に差し支えるから」という父母に配慮して、学校で出す宿題を減らしたほどだ。昼の学校は添え物で、夜の塾の教育がメインの座を占める雰囲気が漂いはじめた。

その結果どうなったのか? 学力が下がったのか上がったのか、論議は実はまだ決着していない。はっきりしているのは、子供の時間に「ゆとり」が無くなったことである。著書『時間管理術』(日経文庫)でもこのサイトでも何回も書いたが、“ゆとり時間”は考えるための時間として必要である。時間管理の目的は、一見、何もしていない無駄に見える時間--落ち着いて考えるための時間--を作り出すためにある。日々に追われると、考えることができなくなる。試験問題を睨んで「考える」のは、正解という枠内での思考ゲームに過ぎぬ。本当に大事なのは、正解のない自分の生き方について、考える事ではないか。そして10代というのは、まさにそれが一番重要な時期ではなかったか。

教育というものを「PDCAサイクル」「顧客満足」など、ビジネスの語調で語るのが最近の流行りである。だが、加工時間を3割減らしました、だから工場内にゆとりが生まれました、というのはサプライチェーンを知らぬ経営者だ。あまりに発想がプロダクト・アウトである。工場での作業は、製品に対してマーケットが求める機能や品質によって決まる。つまり、需要側の品質要望によって決まるのである。では学校における品質要望とは何か。それは「上の学校の受験に合格する」ことだ、と多くの父母達は信じている。教育を改善するなら、まずこの要求自体の品質を改善しなければならない。ここをそのままにして、加工作業だけ削減できると思うのは愚かである。

だが、話はこれだけでは終わらない。なぜ、親たちはそんなにまでして一流といわれる高等教育を子供に望むのか? なぜ「一流大学」に入れたがるのか。

それは、日本社会が「学歴」という奇妙な人材品質保証制度(Qualification)で、今だに動いていると信じられているからである。この品質制度は、定期的な更新登録も研修教育もない。18歳のある日、入試問題に対してグッドなパフォーマンスを示せれば、その後一生ついて回るのである。その試験は、知識を主に問うものだ(だから体験など不要だと思って、高校は実験をやめてしまう)。そして現実、多くの企業が、出身大学名によって採用のスクリーニングをしている、といわれる。大学名を伏せて募集しても、秀才型の志望者を採用してしまうがあったほどだ。

(私たちの社会における、試験ならびに採用制度の背後には、中国の科挙を無意識に見習った影響があるのではないか、とわたしは疑っている。試験が知識重視であること、合格者が社会のトップとして登用され生涯優遇されることなど、いかにも似ている。そもそも「秀才」という言葉自体、科挙の用語だった)

結局、私たちの社会の教育をダメにしているのは、学歴というレッテルで人を登用する官庁や企業なのである。産業界の一員として、わたしにもその責任の一端はある。だから、再度言おう。教育を良くしたかったら、まず実社会の側が、入学歴でなく、能力とパフォーマンスで人を採用・評価する仕組みを作らなくてはいけない。18歳の一時点ではなく、その後の継続的な努力と体験を含む学習が、良い処遇の条件にならなくてはいけない。文科省がゆとりのない教育を正したかったら、真っ先にやるべきことは、意味不明な中央官僚の「キャリア」システムを捨てて自己改革することだったはずである。

サプライチェーンというのは、求められるアウトプットから、その機能と構造が決まる。サプライチェーンの側が自分だけの発想で、勝手に「最適化」をしても、それが需要側に受け入れられなかったら、代替サプライチェーンが発達するだけだ。なぜなら、最適性とは、目的関数に対して使う言葉だからだ。目的関数とは何か。それは、使用者とアウトプットとの関係で決まる価値属性なのである。

関連エントリ:
→『「わかる」ことと「知る」こと

組織のピラミッドはなぜ崩壊したか(2) 学歴社会の矛盾 (2010/09/23)

日本がバブル経済絶頂期だった1990年頃、一つの社会的な地殻変動が静かに進行していた。それは人口ピラミッドの変化で、三角形から釣り鐘型にはっきり移行した。年功序列制による組織ピラミッドの三角形との相似則がこの時点で崩れはじめたにもかかわらず、企業は給与制度の小手先の変更や非正規労働形態へのシフトなどで対応しようとした。本来うまくやれば、実務経験も深く専門知識も持つプロフェッショナルを多数抱えた、きわめて先進的な社会に日本が変貌できるチャンスだった。にもかかわらず、それをふいにして、管理層ばかり肥大した機能不全な企業群が出現してしまった、という事情を前回書いた。

これに関連して、もう一つ思い出すことがある。たしか浜松で行われたスケジューリング学会シンポジウムでのことだったから、もう8,9年も前のことか。宿舎での懇親会で、ある経営コンサルティング会社の方が、日本を代表する映像音響機器メーカーを例に、こんなことを言われたのだった。「S社の人事部門が、就職志望学生の履歴書からあえて大学名を削除したことがあるんですよ。真の実力ベースの採用を目指したんですね。ところが、採用決定後、ふたを開けてみると、上位採用者には東大卒がずらりと並んだそうです。」

このコンサル氏は、結局、優秀な大学を出た人間は大学名を伏せても優秀だ、とおっしゃりたかったらしい。しかし、わたしの印象は違った。“それはつまり人事採用担当部が、そつのない秀才型の人間を好んで選ぶようになっている、ということだ。”--そして、S社から転職してきた隣の部の後輩の顔を思い出しながら、こう考えた。“人事がそんな状態では、こりゃあS社の将来は危ないぞ・・”

むろん、これは単なる伝聞である。事実とは全く相違しているのかもしれない。いや、そうであってほしい。大学名など見ず、ほんとに実力のある人間を採用し続けているのだと思いたい。

わたし自身は、絵に描いたような『愛社精神』とはおよそ無縁な人間だ。しかし、自分の勤務先について、一つだけ自慢しても良いかな、と思うことがある。それは、わたしの会社は大学を出ていなくても社長になれる、と言うことである。事実、今から二代前の社長は高専卒だった。偶然ながら、わたしが入社したときの社長も高専卒だった。日経平均225社の中でも、大卒以外の社長はかなり少数だろう。でも、エンジニアというのは、学歴ではなく、その腕前が全てなのだ。その証左として、大卒でなくてもトップになれる事実を、わたしはちょっぴり誇りに感じた。

実際、高専卒の人は(わたしが出会った限り)ほとんどみな努力家でまともだった。あるとき、「高専卒の人ってたしかに優秀ですよね」と、飲み会の席で部長に言ったら、あとでその部長も高専卒だったと聞いて赤面したこともある。そういうわけで、わたしは他人の学歴について興味がないし、事実、部下の出身大学名も知らない。ただ専攻した学科はむろん聞く。機械屋なのか、化工屋なのか、はたまた土木屋なのかは大いに重要だからだ。

話を戻すが、1990年に起きた、もう一つの地殻変動的現象があった。それは、高卒者・大卒者の数の逆転である。’80年代までは、高卒者の方が多かった。しかし今日では、高校卒からの大学進学者は53%を超えている(出典:総務省統計局ホームページ)。大学進学者は戦後ほぼ一貫して増え続け、他方、高卒での就職は’80年以降、どんどん減ってきている。

なぜか。答えは誰でも知っている。大卒の方が得だからだ。高卒で就職して、工員や店員になっても、たいした賃金はもらえない。いや、それ以上に、高卒では上にあがれないのだ。高卒で部長になれるトヨタのような会社は例外で、重厚長大産業など多くの伝統ある企業では、今日でも「高卒は課長どまり」の不文律がある。高卒はブルーカラーであり、それを統括し管理するのが大卒のホワイトカラーである。なぜ大卒は管理できるのか? それは、高等教育により専門知識を身につけているから、という訳だ。

それどころか、わたしの勤務先では今日、技術系はほとんど修士卒をとっていて、高専卒はおろか大卒さえろくに採用していない(ですよね、人事部長様?)。わたし自身も修士卒だ。これは技術系の内容が高度化しすぎて、教育年数が長くなってしまった影響だろう。学部卒はいわば「仮免」で、修士を出てやっと「一種免許」、という感覚が、採用側にあるのだ。

官庁系や、官庁に準じる企業などでは、さらに「キャリア」と「ノンキャリア」の区別があることもご存じだろう。「キャリア組」というのは、優秀なる大学を卒業し、栄えある試験にパスして任命された少数の人たちで、彼らは最初から幹部候補生である。20代の終わりには、若くして所長だの署長だのといった地位に就く。ノンキャリアは、どんなに現場の実務でながくcarrierを積もうとも、幹部には昇格できない。

そう。組織における管理階層は、じつは学歴のピラミッドでもあった。最上層には、一部の学歴エリートがおり、その下には大卒のホワイトカラー、さらにその下には高卒のブルーカラー、という構造である。それぞれの階層の中は、さらに「年功序列」制によって支配される。これが高度成長期以来の組織構造の基本原理なのだった。

この構造は、大学進学者が高卒就業者を上回った’90年初頭以来、崩れてしまった。学歴の三角形と管理階層の三角形の間の「相似則」が、成立しなくなった。高い技能を持つ工場の熟練工が、どんなにメディアで持ち上げられても、生涯賃金の点で不利な職工になり手が無くなってしまったのである。おかげで、最近では、日本の現場力は危機的な状況に陥りつつある。たとえば産業で使う大型・高速の回転機は、いまだ韓国の追随を許さず、日本と欧州の独壇場である。にもかかわらず、優秀な溶接工が払底しているおかげで、注文を受けても国内で製造できぬ事態にいたりつつあるのだ。

それでは、どうしたらいいのか? 国が進める「ものつくり大学」のように、一部の優秀な技能工に高等教育を授けることが解決策なのか?

わたしは、まったく逆の解決策があると考えている。それは、「大卒者が高度な職人を目指すこと」である。大卒や院卒の人間は、なぜ紙とパソコンだけを道具とする抽象的な仕事ばかりに限られるのか? 具体的なモノや自分の手先・五感に関わる仕事をしてもいいではないか。

事実、ある機械メーカーでは、数年前から、大卒・院卒を製造現場に入れ、NC旋盤だのマシニングセンターのオペレーションを任せているという。その結果、面白いことに、大卒者は短期間のうちに技量を現すばかりでなく、前後工程の調整・とりまとめなど、従来は工程管理者が立ち入って手配しなければならなかった仕事を、現場側が作業区内で解決できるようになったという。それはやはり、高等教育によって得た広い視野が助けになっているのだろう。

むろん、このような施策が受け入れられるためには、等級・給与制度の改革、労働組合の説得など、多数の障害が待ち受けている。つねに成功するとは限らぬ。しかし、今後も増えるばかりの大卒者に、ホワイトカラーの「管理の仕事」だけを期待するのは、不自然である。1人のブルーカラーを、2人のホワイトカラーが「管理」するのは明らかにおかしい。現在は不況のため、大卒者の就職率は危機的状況だが、かりに景気が少し戻ったとしても、すでに学歴ピラミッドの構造的不均衡はとりかえしがつかないのだ。

ちなみに、産業機械の業界で、欧州(具体的に言うとドイツとイタリアだが)にまだ競争力がある理由は、明瞭だ。この二つの国は、『職人芸』が生きていて、社会的に尊敬されているのである。ドイツのマイスター制度はよく知られているが、イタリアにもディプロマ制がある。逆にフランスの職人制度は’70年代には危機に瀕していると、人類学者レヴィ=ストロースが嘆いていた。

近年、私たちの国では農業や漁業、あるいは手工業の職人の仕事に興味を持つ若い人が増えてきている。すでに農業志望者の数は急増中だ(農業人口自体は激減しているのに!)。ここにはブルーカラーからの転職も多く含まれているが、従来ならばホワイトカラー候補者だった人もたくさんいる。「高度な教育を受けた若い職人」という、歴史上例を見ないリソースを多数有する社会となれば、国際的にもまったく別の将来像が見えてくるのではないだろうか。

組織のピラミッドはなぜ崩壊したか (2010/09/15)

手にならす夏の扇と思へども ただ秋風のすみかなりけり   藤原良経

夏の盛りに、ふと秋の予兆を感じとれる詩人の「気づき」は、まことに素晴らしい。ふつう私たちは、過ぎてしまってから「そういえばあの時が・・」という形で気づくのだ。真っ盛りにいるときは、なんだかその季節が永遠に続くように錯覚する。とくに、ことが経済やお金、つまり私たちの『願望』に関わるときは、そうである。

1990年といえば、日本はバブル経済の絶頂期であった。「どちらを向いても景気の良い話ばかりである」と経済評論家は書いた。日本の地価も株価もスカイロケットのように上昇し、“世界中の人々が最先端都市・東京を一目見ようと集まって来ている”と青山あたりのカフェバーでビジネスマン達が得意気に叫んでいた。その年に、変化の予兆を気づいた人はとても少なかったにちがいない。

どんな変化か? それは、人口ピラミッドの構造変化である。次のグラフを見ていただきたい(出典:総務省統計局ホームページ )。まず、1950年(昭和25年)のグラフだ。非常に単純な、三角形のプラミッド型をしていることがわかると思う。終戦直後、まだ日本が敗戦の傷から癒えようとしている時代だ。

一方、現在はどうか。2番目のグラフが、2010年のデータだ。全くピラミッド型をしていないのが分かると思う。ちょっと遠目で見ると、まるで男女が背中合わせに顔をそむけあっているかのように見える。若年人口は、年を追うごとにどんどん減っている。高齢者比率が、とても高い。

では、いつからこのような形に変わってしまったのか。それが1990年なのである。グラフを10年ごとに追いかけてみると、’80年頃までは、からくも「ピラミッド」的だったことが分かる。日本が高度成長をしていた時代は、すなわち、年齢の順に人口が減っていく社会であった。

そして、この人口のピラミッドはちょうど、企業や官公庁などにおける組織の「管理のピラミッド」と相似形だったのだ。組織は三角形で、頂点にトップマネジメントがおり、上層部に役員、中間層にミドルの管理職、そして一般労働者層の順に、人数が増えていく。役員は複数の部長を統括し、部長は複数課長を統括し、課長の下には課員が大勢いる--そうしたスタイルが普通だった。

この人口ピラミッドと組織階層ピラミッドの相似則を保証するものが、『年功序列制』であった。組織における年功序列制と前例主義とが、伝統的マネジメント思想、すなわち安全第一主義に同じ根を持つことは、「リスクに対する新しいアプローチ」にも書いたとおりだ。高度成長期というのは、多少の景気の波はあれど、ずっと“成長し続けた”時代だから、二つのピラミッドの相似則は、同じアプローチで拡大路線を進み続けるには最適だったわけだ。

この相似則は、1990年頃を境にして、崩れていく。’90年代は、「部下を持たない管理職」が増えていった時代だ。私自身も’90年代に中間管理職の職位になったが、何年間も部下はゼロだった。“いったい誰を管理するんだ?”--それが私たちの共通の疑問だった。全社員の中の平社員と管理職社員の比率も、じりじりと1対1に近づいていった。そもそも、社員の平均年齢自体が上がっていったのだ。

このようなことを背景として、仕事の上での変化が生じた。組織間の「斜めのコミュニケーション」が増えたのだ。上司や先輩を飛ばして、別の部門の管理職と直接、仕事のやりとりをする。古き良き時代には、部門間のやりとりは必ず部門長を通すのが、ルールだった。でも、だんだんと守られなくなったのだ。なぜなら、管理職ばかりが増えて、実務をやる若手の人間が相対的に減ってきたからだ。おまけに、’90年代に入って、新規分野だ新技術だと、複数部門をまたぐ仕事がどんどん増えていった。かくして、管理職は大勢いるのに、ノーチェックの文書は逆に増加した。これで、仕事の品質が保てたら、奇跡である。

誰のせいでこうなったのか? --誰のせいでもない、私たち自身が望んだことなのだ。長生きしたいと、皆が望んだ。衛生的な社会にしたいと、皆が努力した。高度な教育を受けて知的な職業に就きたいと、大勢が考えた。その結果、長寿社会が到来し、結婚年齢が上がり、出産率は低下した。人口ピラミッドの構造変化は、皆の夢が結実した結果ではないか。それは、予見されるべきことだったのである。

年功序列制の崩壊に直面して、企業のとった行動は、人事制度の改革だった。人事部門は競って、「成果主義」と「年棒制」の導入に走った。その陰で、じつは人件費抑制も隠れたねらいの一つだった

だが、その効果が上がらなかったことは、皆が知っている。会社の人事制度は変えたが、目標管理に用いるモノサシは変えなかったからだ。相変わらず、大量見込生産時代の「売上高」「市場シェア」「製造原価低減」「稼働率」重視で、それを目標管理と成果主義に組み込んだだけだった。時代が求める、個別受注生産・短納期化へのシフトや、付加価値生産性の向上は二の次だった。

その結果として、売上も利益も低下した。この問題を新製品の多数投入で乗り切ろうとしたから、オーバーヘッド(販売管理費)は上がるばかりだ。そして、組織内に自社の「高コスト体質」をなじる声が蔓延した。その先には、早期退職制度があり(でも大事な人がまっ先に辞めた)、非正規労働者への傾斜、アウトソーシング、そしてオフショア分業の進行が続いていった。企業はいわば頭を残しして、手足や胴体を切っていった訳である。

私たちはどこで間違えたのだろうか。一つには、人事制度という狭い枠の中で、局所最適を考えたことにあるだろう。だが問題は、マネジメントの思想と位置づけにある。マネジメント(職務)と地位(職位)を混同してしまったのだ。そして経験値(年功)とも。それこそが年功序列制の最大の弊害だった。

では、経験値のある人は、管理職になるかわりに、何になるべきだったのか? 答えは「プロフェッショナルProfessional、である。この言葉を私は、知的で専門的な独立型職業という英語本来の意味で使っている。自分の専門の経験知に基づき、税務や会計や保険労務のプロフェッショナルになる、あるいは技術屋なら、米国でいうProfessional EngineerやAnalystになる--それこそまさに、シニアなベテラン達にふさわしい位置づけではないか。

そして企業は、社内外の相談に乗り問題解決に力を貸す自立した「プロフェッショナル」の職種を確立し、自社内で、あるいは社会において、積極的に利用するべきであった。Professional Serviceの質と量で、その人の処遇や評価を決めるべきであった。

だが現実はそうではなかった。私たちの社会は大勢の自立したプロフェッショナルを得るかわりに、組織体制にしがみつくことで保身をはかる、ピラミッドの中上層を大量に抱えることになった。かくて、存続だけが自己目的化した組織が出来上がった。いいかえれば、「決めない人々」の組織となったのだ。世の中はどんどん変化していく。なのに、誰も何も決められず、何もかえられない組織に。

こうして、組織は機能不全に陥っていったのだった。だが、加えてにもう一つ、要因があったように思われる。このことについては、稿をあらためて、また書こう。

(この項つづく

あなたの上司はなぜバカなのか? - 矛盾したルールにしばられる (2010/07/27)

その日、私は駐在先企業のキャンティーンで、一人で昼食をたべていた。何年か前のことだ。回りにはボソボソと、聞き取りにくいフランス語の響きが満ちている。その中にふと英語の音が聞こえたので、つい耳を傾けてしまった。鋭角な英語の音は、仏語の靄の中を通り抜けてくる。ちょうど穏やかな満ち潮の入江に磯が屹立するように。話の雰囲気からすると、一人は英国人、もう一人は米国人らしい。お互いは知りあいではなく、たまたま出張先のこのフランス企業で顔を合わせたにすぎないようだった。

「近頃は、出張の待遇がきつくなったよな。忙しい日程で、疲れるよ。」
そう一方が言えば、他方も同調する。
「ああ。まったくこの頃のボスときたら、二言目には、Bottom line, bottom line, だ。金のことばかりで、技術のことは二の次だ。」
「うちもだよ。昔はこんなじゃなかったのにな・・。」

エンジニア同士の話は、どこの国でもよく似た愚痴になるな、と思いながら聞いた。Bottom lineというのは、おそらく’90年代頃からビジネスの世界で流行りだした熟語で、ようは利益のことだ。案件の収支を計算するとき、こんな表をつくる。

  売上高
- 材料購入費
- 外注費
- 人件費
- 出張旅費等の経費
———————
  (利益)

利益は表の一番下の行に来るから、bottom lineというらしい。ここから転じて、結果とか結論のようにも使われる。

そのすこし前、私はプロジェクトの同僚たちと、電子商取引サイトの技術的な問題について議論していた。参加していたのは、開発マネージャーのR、プロジェクト・マネージャーのJ-P、技術系バイヤーのPhとJ、オペレーション・マネージャーの私だ。日本人の同僚のH君もいたかもしれない。問題を吟味して、考えられる解決策のオプションを3つに絞り込んだ。その上でプロマネのJ-Pは(彼は辣腕だが他人の意見も一応聞くタイプなので)、技術的可能性、信頼性、ユーザの使いやすさ、変更の影響範囲、そして費用の5項目から、それぞれ評価し投票して、一番良い案を決めよう、と言い出した。出張中のディレクターB氏が戻ってきたら、それを提案して裁可を得るのだ。

黒板に3×5で15項目の評価を書き出した後で、ふと気づいて私が言った。「これって、3番目が一番安いな。だとしたら、B氏は3番目を選ぶに決まってるよ。だって、彼はお金しか見ないもの。」--この一言で全員が白けたような眼を私に向けた。事実かも知れないが、だとしたらこの議論の始末はどうしてくれるんだ。皆がそう感じたにちがいない・・。私は一人で黙々と昼食のお肉を噛みながら、それを思い出していた。

私は別段、ディレクターのB氏を嫌っているわけでもないし、馬鹿だと思っているわけでもない。むしろ率直にいうと、彼とはウマが合う。文系出身で、50歳過ぎで、典型的な保守系フランス人だが、頭は良いし、世の中をよく見ている。ただ、経営者から彼に課せられた採算収支への期待値が厳しすぎるので、物事にあてがうモノサシは一つしかあり得ないのだった。

マネジメントとは何だろうか。この問いを、すでに何度かここに書いている。マネジメントとは、ゴールを達成するために、人に働いてもらうことだ。自分で手を動かすことは、マネジメントの範疇には入れない。では、良いマネジメントとは何なのか。

それを考えるには、ダメなマネジメントというものを想起してみればいい。決めない、気づかない、学ばない、見通さない、人を(命令や強制以外では)動かせない--これらが、ダメな上司の典型だろう。サラリーマンの酒場の話題とくれば半分以上が上司やライバルの品定めだが、まあ上司が良い採点をされることは滅多にない。でも、あらゆる職場が、そんなにも無能な上司であふれかえっているとしたら、世の中はどうして成り立っているのか?

それはもちろん、仕事の需要と仕組みがあるからだ。とくに需要が右肩上がりの時は、どんなマネジメント上のチョンボでも、色の白いは七難隠す、みたいに隠してくれる。決めなくてもリスクは小さいので大丈夫、気づかなくても変化はないので大丈夫、学ばなくても見通さなくても、明日は昨日の拡大延長だから大丈夫。仕事は縦割り組織の中で完結するから、部下だけ動かしていれば大丈夫。そして、部下は勝手に動いてくれる。なぜなら、目の前の需要が仕事をどんどんつくり出してくれるからだ。在庫が増えようが原価が上がろうが、bottom lineの利益が出続ける限り、だれも叱責されない。

こうしたことは、市場がピークを迎え右肩下がりになってくると成立しない。前にも書いたが、ある製造部長は、生産担当役員からは「工場原価を下げるためにもっと在庫を削減しろ」と命令され、営業部門からは「夏の商戦を迎える前にどんどん製品を作りだめしておいてくれ」と要求されて、頭を抱えていた。市場環境の変化はこのように、モノサシの間の軋みとして現れがちなのだ。矛盾する二つのモノサシを当てられたら、誰だって身動きできなくなる。

あなたの上司がもしバカに見えたら、どう考えるべきか。もしかしたらその上司は本当に、個人的に無能なのかもしれない。そして、私の部下だって無論、私のことをそう思っているに決まっている(笑)。でも、もしかしたらその上司は、相矛盾する複数のモノサシをあてがわれて困っているのではないか、あるいは会社の与えるモノサシの間の優先順位が狂っているのではないかと、疑ってみてもいい。たとえば、どんな時もコストが最優先の尺度だ、といった“Bottom Line症候群”のように。そうだとすると、その無能な上司のかわりに、自分がボスの地位に立った時も、同じように部下から無能に見える可能性が高いだろう。

マネジメントに問題があるとき、それを上司個人の属人的な特性だけで説明するのは簡単だ。しかし、それは私たちの眼を問題の本質からそらせてしまう。Aをやっても非難され、Aをやらなくても非難される状況では、誰もが無能に見えるしかない。

組織のヒエラルキーの中で上に位置する者ほど、異なる複数業務の情報を得る立場にある。製造部長は加工と組立と品管の状況を知り得る。事業部長は販売と製造と技術の状況を知り得る。なんらかの問題が起きたとき、現場の担当者はその解決案を考えるだろう。しかし、加工工程での解決案が、品管工程に影響する可能性がある場合は、どうするか。その場合は、製造部長に案を持ち上げて、製造全体の視点から比較評価してもらう必要がある。製造部長は、自部門の目標と制約から見て最適な案を選定するはずだ。このようにマネジメントの階層とは、情報収集と問題解決の階層でもある。

ところが、自部門を評価する基準が複数あって、優先順位が決まっていなかったら、あるいはトレードオフ関係にあったらどうするか。どの答えを出しても、必ず誰かに非難されることになる。アクセルとブレーキを同時に踏んだら自動車だってトラブるように。

あるいは、技術的長期的なファクターを無視して、目先の費用だけで判断することを強いられるのかも知れない。すなわち現実の複雑な事象に対する評価尺度の優先順位が、あまりに単調化しているのだ。いずれの場合も、組織が抱えるルールが、現実と矛盾していることを示している。

中間管理職がバカに見える時は、気をつけた方がいい。会社の『仕組み』、組織を動かす目標尺度のシステムがバグっている可能性が高いからである。そういう時に、自分もバカにならない方法は、たった一つしかない。それは、与えられた尺度の中だけでベストな「正解」を他所に探すのではなく、今よりも広い視野で、あるべきルールの体系を自分の頭で考えてみることなのである。

マネジメントにはテクノロジーがある (20910/07/11)

拙著『時間管理術』にも書いたことだが、私は毎朝、会社の席に着くと、会議等の予定とTo Doリストを確認し、一日の時間の使い方を決めることにしている。ほんの5分程度の作業である。そして、一日の仕事の終わりには、朝決めたその日の予定作業表に実績時間を記入し、日誌に転記して(必要ならば)ごく手短なメモをつける。ほんの10分足らずのことであるが、これを日課にしている。

計画や、記録分析は、Plan-Do-Seeの一環である。これらがあってはじめて仕事のマネジメント・サイクルが完結する。すなわち、朝の段取りも夕方の日誌も、小さくても自分自身の仕事のマネジメント業務だと言える。

ところで、あるとき仕事上の大先輩と、議論になったことがある。その大先輩も一日の作業予定表を朝作る習慣なのだが、それは会社に来る前に(家で)作成しているし、皆もそうすべきだという。私のように会社に来てから定時の中でやるのは、間違っている。なぜならそうした作業は、仕事を始める前に済ませておくべき事だから、という訳だ。

私はその先輩の主張にはいささか不満だった。その日の段取りは定時の前にするべきか、また片付け・記帳・道具研ぎは定時の後でするべきか、職場によってまちまちなことは知っている。定時の間は直接、プロダクトを生産する仕事に当てるべきだという主張も、理解できないわけではない。たしかに私のように計画や記録を定時の中でやると、稼働率は、わずかであるが低下する。

しかし、その論法を延長していくと、どうなるだろうか。以前、好川哲人氏の文章の中で、「プロジェクトの工程表を作る仕事は時間外でやれ」とプロマネに命じているIT企業のことを読んだ記憶がある。プロジェクト・スケジューリングの作業は、システムを開発する業務には直接貢献しない、間接業務である。だから定時外に残業してやれ、というのがその会社の論理らしい(残業代を払うのかどうかは不明)。大先輩の主張は、これと同じ論理にたどり着かないだろうか。そうすると、私の会社のプロマネさんたちは皆、定時外にすべての仕事をやらなければならなくなってしまう。

考えてみると、マネジメントとは本来、「余計な仕事」であって、組織全体の稼働率を下げるものであると言ってもいい。ではなぜ、それでもマネジメントは必要なのか。そこに意義があるとすればいったい何なのか?

それは、複数の人間が働く際の、「全体の生産性を上げる」「全体の有用性を確保する(正しい方向に機敏に進む)」「全体の安定性を維持する」からだ。そのために計画があり、監視とコントロールがあり、分析評価と改善がある。かりにマネジメントに全体の1割の時間を割いたとしても、そのおかげで組織の生産性が2割以上アップすれば、十分元が取れることになる。生産性が2割向上、というとちょっと信じがたいかもしれない。だが、無駄な作業や、やり直しによるリワークや、手待ち・セットアップ変更等による時間のロスは、うっかりすればすぐ2割以上発生するものだ。だから別段、おかしな数字ではない。

それでは、マネジメント自体の質、その上手下手は、どこで決まるのだろうか。「マネジメント自体の生産性、有用性、安定性」はどうしたら確保できるのか。「豹のリーダーシップ、狼のリーダーシップ」で戯画的に描いた違いは、どうしたら克服できるのか。

能力のある人間をマネジメントの職におけばいい、と普通は考える。技術力のある人間をおくべきか、それとも経験のある年長者が良いか。いや、リーダーシップのある者こそ重要だ--判断基準ははさまざまだが、「誰にやらせるかが大事」という点では意見が一致するようだ。だが、私の意見は異なる。

マネジメントの質を確保するためには、マネジメントの「技術」をまず学ぶべきではないか、というのが私の主張である。技術とは、個人差に依存せず、誰がやっても70点から80点の結果を出せるようなプロセスと道具を言う。それはたとえば、To Doリストであり、ガントチャートであり、クリティカル・パス、WBS、活動基準原価、優先順位法、リスク登録簿、等々の技法・ツールに結実している。つまり、マネジメントにはテクノロジーがあるのである。

残念ながら、今日の日本において、こうした技術は学校では(たぶん)習わない。理工系の教育において重視されている技術とは、電気工学・機械工学・材料工学などなど、対象分野固有の科学法則を応用するテクノロジーである。これらを総称して「固有技術」という。これに対して、上記マネジメントのテクノロジーを、「管理技術」と呼ぶ。管理技術は固有技術と異なり、特定の分野や業種にかかわらず汎用的に適用できるのだ。マネジメント・テクノロジー(とくに計画系の技術)こそ、このサイトの主要なテーマである。だが、多くの大学では、「固有技術」と「管理技術」という概念の違いさえ、ろくに教えぬままである。

マネジメントは、いうまでもなく「人を動かす」「人に働いてもらう」ことである。それは会社の管理職だけの仕事ではない。あなたが家族に何かを買ってきてもらうよう頼んだら、それも「マネジメント」である。あなたが顧客に何かデータをまとめて提示するよう依頼したら、あなたはマネジメントをしているのだ。そして、人が人を動かす行為である以上、そこには必ず、属人的な、ヒューマン・ファクターが入り込むだろう。だが、だからといって、マネジメントにテクノロジーがあり得ない、という事にはならない。知的な技術スキル(ハードスキル)と、人的なスキル(ソフトスキル)は、車の両輪なのだ。

そして、マネジメント専業の人間が必要かどうかは、仕事のスケールに依存する。小さな、ほんの数人が数週間かけてやる程度の仕事なら、マネジメント業務は片手間で済む。大きな仕事になればなるほど、その量は増えて、フルタイムでマネジメント専業の人間を必要としてくる。だが、その場合でも、マネジメントはあくまで「役割」である。上下関係ではないのだ。

マネジメント論をややこしくする原因は、それが役割と機能であることを忘れて、「人の上に立つ」「人を導く」といった概念に多くの人が心を奪われるからである。人間は社会的動物で、その集団の中の位階に対して、強い競争心を持って生まれてきている。だれがお山の大将になるか、ボスザルの地位を得るかで争い合う。だが、地位と、マネジメントの職能を混同するべきではない。地位は、マネジメントの技術レベルを保証するものではないからだ。

私が、プロジェクト・マネジメントにリーダーシップ論はいらない、とくりかえし述べているのも、この理由による。別に、プロマネにリーダーシップが一切要らない、と言っているのでは無いので誤解しないでいただきたい。あれば、あるに超したことはない。ただし、その前に、マネージャーには、マネジメント・テクノロジーを身につけておいてほしいのである。リーダーシップは、かなり属人的な、もって生まれた資質の部分がある。もしリーダーシップがマネージャーの唯一最大の要件だということになると、テクノロジーなどどこかに吹き飛んでしまう。だが、どんなに気合いと根性をこめても、クリティカル・パスよりもずっと短い納期でプロジェクトを終わらせることは、原理的に不可能である。

今日の閉塞した世の中では、一種の『リーダー待望論』のような空気が漂っている。それがリーダーシップ論の根底にあるのかも知れない。だれかすばらしい人格のリーダーが出てくれば、魔法のようにすべての悩みを解決してくれる--そんな無意識の期待が、世に渦巻いているかのようだ。だが、そんな魔法のようなリーダーがそういるはずもない。一人に期待しては、すぐに失望し、またもう一人に希望を託しては、すぐに裏切られた気持ちになる。こうして、驚くべきスピードで、「キャラクター」たちが消費されていく。そうでなければ、なぜこの国は1年も経たずに次から次へと首相を取り替えていくのか?

マネジメントには魔法使いも銀の弾丸もないのである。もうディズニーランドのような夢からは覚めるべきだ。そして、もう一度、自分の足で「テクノロジー」を探しに出かけるべき時なのである。