サービス、『感情労働』、そしてプロジェクト・マネジメント

サービス、『感情労働』、そしてプロジェクト・マネジメント
(2011/08/18)

「経済のソフト化」が言われ、「サービス・サイエンス」という新学問が提唱される今日においても、肝心な「サービス」の定義や中身はなかなか定まらない。なぜ、サービスをめぐる議論はかくも混乱するのか。前にも書いたとおり、サービス業とは「リソース提供ビジネス」であり、物質的なリソースあるいは人間系リソースの利用権・占有権を売るビジネスではないか。通信インフラや鉄道輸送などの物質的リソースについての機能は工学的に明確なはずである。また人間系リソースの提供にしても、知識労働(弁護士や通訳など)ないし肉体労働(整体師や溶接工やら)の役割は明瞭なはずであり、多くは資格制度も付随している。

それなのに、なぜかしばしば、ノードストローム(米国の高級百貨店=物販業)やディスニーランドや銀座の高級マダムの接客術みたいな要素が、サービスをめぐる議論の俎上にのせられる。お客様の「おもてなし」や、要望への「気づきの心」が声高に求められるのはなぜなのか。

そこには従来見過ごされていた、あるきわめて重大な種類の労働が関わっているからである。それは『感情労働』である。

感情労働という概念は、’70年代アメリカにおいてConstructivismと呼ばれる社会学研究の中で提唱された(Constructivismは「社会構成主義」ないし「社会構築主義」と訳される)。口火を切ったのはホックシールドいう学者で、その仕事は『管理される心―感情が商品になるとき』という著書にまとめられている。感情はふつう、それが喜びであれ悲しみであれ、私生活において適切に表出し、互いに贈り合うことで、人間関係を円滑に成り立たせる機能を持つ。つまり、感情とはプライベートな社会関係において必要不可欠な資源(リソース)なのである。ところが現代社会では、この感情が商品化され、仕事の領域でも使われる。サービス業の従事者は、その仕事の一環として感情を制御することや、顧客に「感情の贈り物」を提供することを求められる。これが「感情労働」である。

ホックシールドが研究対象とした一例は、航空会社のフライト・アテンダントだった。業務としてひんぱんに感情操作を求められるこの職種では、労働強化は労働者の情緒障害と自己疎外を招く、とホックシールドは警告した。彼女の研究に続いて、ショット、ケンパーなど気鋭の社会学者達が、感情の社会学とも言うべきこの分野に入ってくる(ここらへんの事情については、中川伸俊氏の「社会構築主義と感情の社会学」という論文-以前はネットで公開されていたが現在はリンク切れになっている-によって勉強させてもらった)。

ところで、何でわたしがConstructivismなどを勉強しているかというと、プロジェクト・マネジメント研究に関係するからである。毎年夏に欧州の主立ったPM研究者が集まるEDEN
PM Seminarという会議があり(今年もちょうど今週、仏Lilleで開催中)、3年前にそこで知ったからだった。欧州のPM研究は、方法論を徹底的にやるのが特徴で、ただ単にアンケート調査やケース・スタディをしてみたらこういう結果になりました、というだけでは研究と認められず、いかなる理論的枠組みで、なぜこのような方法をとったのかが厳しく問われる。そこに登場するのがConstructivismやPositivismやCritical
Theoryといった理論で、様々なプロジェクト(それ自体は各々ただ一度限りの社会現象である)を、どう把握し分析するかの導きとなるのである。日本の、実務的だがある意味ナイーブなPM研究との違いに驚かされる。

話を元に戻すが、感情は人間が「生まれつき自然に」持つのではなく、社会的に訓練され構成されるものである、というのがConstructivismの立場だ。そして、社会的場面に応じて、適切に感情を表出/制御するべく、人々を動かしていく(たとえば社長による深刻な訓話の最中に笑い出したりしない、といったように)。これを社会の『感情規則』と呼ぶ。

そして、世の中には、感情を相手に応じて制御しなければならないタイプの労働がある。これが感情労働なのである。ホックシールドはフライト・アテンダントを研究したが、その著書の翻訳者である石川准氏は、看護師の感情労働を例に挙げている(わたしの長年の友人である彼は、全盲の社会学者であり、また天才的プログラマーでもある)。たしかにナースの仕事は、知識労働もあり肉体労働でもあるが、同時に絶え間ない感情制御を伴う労働でもある。看護師たちは感情を酷使されている。と石川氏は言う。ちなみに看護師には喫煙者が多いと言われているが、喫煙の害を誰よりもよく知っているはずの彼女たちが喫煙に向かうのは、このような仕事のストレスが生むのかもしれない。

感情労働には、感情を抑える仕事と感情をつくる仕事の両方が混じっている。これを職業的に求められる職種は、CAやナースだけではない。たとえば、俳優もそうだ。そして、あらゆる業種をまたいで、広く感情労働が必要な職種がある。営業職だ。

セールスの現場はまさに、感情労働のかたまりである。相手にあわせ、相手を不快にせず、しかも相手を自分に都合良く誘導しなくてはならない。そのために必要な感情の制御はかなり高度なスキルであるし、またそのことが営業マンの消耗とストレスの原因ともなっている。

セールスマンの感情労働を見事に描いたマンガに、業田良家の「ゴーダ哲学堂」がある。「オレってまるで、ロボットじゃん」と、その登場人物は言う。実際彼の姿はスーツを着たロボット風に描かれている。理不尽な客のワガママにぶつかると、彼は「感情制御装置」のキーパネルをとりだし、『笑』のスイッチを押しては「ハッハッハッハッ。冗談きついなぁ店長さん。」と笑顔を作り、『哀』を押して「かんべんしてくださいよ~~。」と泣き落としにかかるのである。ただ、『怒』のボタンはひどく小さく、押しにくいようにできている。そして、「感情全テノボタンヲ、強ク激シク、毎日ツカワナケレバイケナイ」と独白するのである。

以前「新しい販売マネジメント思想こそ、競争力再生の要点である」に書いたように、現代日本の成熟市場においては、営業とは顧客ニーズの創出と供給側のコントロールを同時に行う“きわめて高いインテリジェンスを求められる仕事”になっている。それに加えて、この感情労働だ。今日の競争力のかなりの部分が営業にあるにもかかわらず、これをリードする思想は成熟していない。その理由は、「感情労働」という知識労働でも肉体労働でもないあたらしいカテゴリーの概念を、きちんと認識していないためである。概念がないから、教育訓練の方法論もない。パフォーマンスの尺度もない。これで改善をマネジメントできる訳はない。

そして、もう一つ、感情労働が重要な役割を占める職種がある。それがプロジェクト・マネージャー職だ。わがままな顧客と感情をすり合わせ、疲弊したチーム員を慰撫し、居丈高なくせに不安そうな上司には、信頼感を持たせる。これら感情を素早く切り替えて表出し、なおかつ計画やら報告やらにも気を配らなければならない。プロマネが世にも大変な職種である理由は、このような感情労働のレイヤーが、他者にも自分にも見えていない(だからその報償も得られない)ことにあるのではないか。

わたしは、知識労働も肉体労働も感情労働も、別に上下や貴賤はないと考えている。社会学者達は「商品化される心」というタイトルからみて、感情労働にネガティブな視線をなげかける傾向があるようだが、どんな労働だって、それが過重で無報酬だったら、人を壊していってしまうと思う。一定のニーズが社会の中にあるのだから、感情労働にもちゃんとした地位を与えればいい。感情労働に問題があるとしたら、人がそれを認識しないまま、当然のサーヴィス(無料)として「感情」のリソースを浪費してしまう点にある。プロマネ達がみんな疲弊してしまわないためにも、マネジメント業務の中に感情労働のスキルと価値があることを、皆もっときちんと意識すべきだと思うのである。

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