アカウンタビリティとは「命令責任」である (2016/11/06) 「RACIチャート」というものをはじめて知ったのは、90年代半ばのことだ。当時使っていたアメリカのERPコンサルタント会社が、要件定義段階での役割分担をRACIチャートの形にまとめてきて、なるほど、こういう整理の仕方があるのかと知った次第だ。ついでにいうと、「サプライチェーン」という言葉も、同じ時にはじめてきいたのだった。まだ日本ではほとんど知る人のいない概念だった。 RACIチャートとは、業務の上での役割分担と責任範囲(Role and Responsibility)を、分かりやすく整理するための表である。ふつう横軸の欄には、関係者や部門の名前が並び、縦の行には業務を構成するアクティビティが続く。そして、どのアクティビティは誰がどのような役割で関わり、責任はどこが持つかを書く。このとき、
R: Responsible A: Accountable C: Consulted I: Informed
の4種類の関わり方で表すため、頭文字をとってRACIチャートと呼ぶ。 ところで、いつもいっていることだが、知ることと分かることは違う。RACIチャートを見たときには「なるほど」と思ったが、自分で書こうとすると、なかなか上手く作れない。それでわたしは、しばらくの間、RACIチャートから遠ざかってしまった。また使うようになったのは、会社の中で多少なりとも組織論に関わる立場になってからである。 RACIチャート作成がなぜ、むずかしいか。それには二つの理由がある。一つ目の理由は、ConsultedとInformedの役割の違いが分かりにくいためだ。「相談される」のと「知らされる」のは、似たようなものではないか? どうやって使い分けるのか。前者は双方向のコミュニケーションだが後者は一方向だ、と解説する人もいる。だがTV放送じゃあるまいし、ビジネスにおいては、文書やメールで伝達したって、相手が意見や質問を返すことが可能だ。本当に一方的な、問答無用な伝達というのは滅多にあり得ない。 じつは両者の違いは、タイミングの違いなのである。
  • C: Consulted とは、事前に相談される
  • I: Informed とは、事後に知らされる
つまり何らかの仕事のアウトプットを出す最中に、また何かの決断の際に、意見をきいて取り入れる相手がConsultedであり、出たアウトプットを渡したり決断の結果だけを伝える相手がInformedなのだ。この区別を知れば、CとIで悩むことはなくなる。 ところでRACIチャートを難しくする二番目の問題は、もう少しシリアスだ。それはR: ResponsibleとA: Accountableに正確に対応する概念が日本語の中にない、という問題である。ConsultやInformには、相談・伝達という訳語があって、その点では迷いはない。しかし、Accountableという英語に対応する訳語が、少なくとも’90年代半ばには、明確でなかった。辞書を引くと、「責任」とある。だがResponsibleとの違いは何なのか? たとえば研究社の「新英和中辞典」には、AccountableもResponsibleも「責任のある」と書かれているのだ。訳語がないとは、つまり日本文化の中にないということだ。 知り合いの米国人にたずねたが、どうやら彼には当たり前すぎるらしくて、かえって説明を聞いてもよく分からなかった。ただ、一つのヒントになったのは、予算権限に関係するときはどうやらAccountableらしい、ということだった。まあ、この言葉は語源的にははcount(勘定)からきているのだから、関係はありそうだ。他方、Responsibleはrespond(応答)から発生している。 さて、ご存じの通り、アカウンタビリティという言葉は、今世紀に入ってから、なぜかメディアで多少の脚光を浴び、その結果「説明責任」という訳語が登場した。苦心の訳語だったろうと想像する。だが、この言葉が流通するに及び、かえって日本文化では奇妙な誤解が広まったように、わたしは感じる。たとえば「説明責任を果たせ!」を他人を指弾したり、攻められた方は「記者会見で説明したから、説明責任を果たした」などと答える、へんてこな事態が生じた。記者会見の席上で30分間、頭を下げて、意地悪な質問にも耐えたから「責任は果たした、あとは無罪放免だろ」という理屈は、明らかに英米のAccountabilityの概念とかけ離れている。 じつは、AccountabilityとResponsibilityとは、「命令責任」と「実行責任」の区別に対応している。前者は命じたことへの責任で、後者は最後までやり遂げることへの責任である。Accountableな人は承認したり、NOといったりする最終権限を持つ。他方、Responsibleな人は、実行に関する権限や判断をある程度、まかされる。こう理解すると、両者の違いはすっと納得できよう。 え? すっと納得できない? では例を挙げよう。今日は、お母さんの誕生日である。お父さんと、二人の子ども(姉と弟)は、お母さんに感謝するため、バースデーケーキを内緒で買ってきてプレゼントしようということになった。お父さんはお財布を出して、小学生の息子に、街のケーキ屋さんから買ってこい、と指示する。息子はしかし、どんなケーキを選んだらいいか分からない、という。すると中学生の娘が、お母さんはこの間、タルトタタン(リンゴのパイの一種)を見て、美味しそうねえといっていたから、あれがちょうどいいんじゃない、という。そこで息子はお札を握りしめて、ケーキ屋さんまで走って行く。 ところがしばらくたって、息子から父に電話が入る。「たいへんだ・・ごめんなさい、お父さん!」という。「何だ。どうした?」「あのね。道でうっかりしてケーキの箱を落としちゃったの。箱をちょっと開けたらグチャグチャになっていて・・どうしよう。」「どうしようって、落としたものはしかたがない。店に戻って、もう一つ買ってきなさい」「お金は?」「あとでお父さんが払いに行く。念のため、店に名前と家の電話番号を書いておいてきなさい。お父さんからもお店に電話しておくから」「わかった・・。」 息子が神妙な顔でケーキを持って家に帰ると、父親は落としたときの状況を問いただす。どうやら、スマホのゲーム画面に熱中しすぎて、近づいてくる自転車に気づかなかったらしい。危ないじゃないか! ケーキならともかく、自動車だったらお前の命が危ないんだぞ! 今度から歩きスマホは厳禁だ、と言い渡し、息子はシュンとなる。 かくて、すったもんだはあったが、夕食の後で、娘と息子はかくしておいたバースデーケーキを取り出し、驚いているお母さんの前に差し出す。お母さんはよろこんでロウソクの火を吹き消し、お皿とナイフを取り出し、紅茶を入れて皆に配る・・。 さて、この話のRACIチャートは以下のようになる。 「プレゼントを買う」アクティビティについては、知恵を出した(C)のが姉、承認してお金を出した(A)のが父、店に買いに行く作業をした(R)のが弟、そして(時間差はあるが)結果を知らされる(I)当事者が母だ。 次の、ケーキを運ぶ最中のトラブルについては、ケーキを道に落とした弟は店に戻って「買う」という作業を完遂する責任(R)を負う。本当は、重大な過失なのだから、お金も自分で弁償する義務がある。もし高校生だったら、父はそう言っただろう。しかし小学生では経済的にも責任能力がないので、父が再度お金を出して事態を収拾する(A)。ただし、父はトラブルの再発防止策を息子に指示する。 バースデーケーキを取り出して祝うのは、姉と弟の仕事だ(R)。母はうれしいサプライズに驚く(驚いてみせる)役柄を演じる(I)。ただしお皿やナイフを出して切り分けるのは母だから、まあ実質的な仕事も分担しているので、あえて(+R)と表記した。このアクティビティには判断もコストも伴わないので、とくにAccountableな役割がないことも注意してほしい。 日本語の「責任」には、「責めを任ずる、になう」という意味が含まれ、どこかネガティブなニュアンスがある。英語のResponsibleはもう少しポジティブで、仕事を完遂する義務を負うかわりに、仕事上の問題解決に関する判断の権限を任されている。では、Accountableは何かというと、仕事の結果生み出される価値と、その仕事に投入するコストや時間や資源とのバランスを評価し判断する権限を持っている。つまり、仕事上の結果が生み出すアウトカムについて、賞賛も責めも引き受ける、ということだ。 Accountableな人は、実質的な仕事を誰かに任せて、Responsibilityを委譲することができる。しかし、結果に対する賞賛を受ける権利、責めを受ける義務は自分の元に残る。これを権限委譲の原則と日本語では呼ぶ。結果への権利を持つからには、委譲して任せた相手の仕事ぶりをちゃんとウォッチして、自分の意図したとおりに仕事してくれるような仕組みをつくらなければならない。これゆえ、Accountabilityを「結果責任」とか「監督責任」と訳す人もいる。わたしはかつて「面目責任」と訳したらどうかと考えた。だが、今は「命令責任」と「実行責任」が分かりやすいと思うようになった。 独立した権限を持つ人が、自分の利害に沿って行動するように仕向けることを、『ガバナンス』と呼ぶ。つまり、Accountableな人は適切なガバナンスを行う義務がある訳だ。逆に言うと、ガバナンスの仕組み作りを怠ったら、不作為や放置の責めを受けるべきである。つまり、「そんなことは自分が知らぬ間に担当者がやったことだ」などという弁解はきかない、ということである。 ま、ここではRACIチャートの説明が目的だから、AccountabilityとResponsibilityを明確に分けたが、英語の実際の場面では、似たような意味で使われていることも案外みかける。ただ、いずれにせよ、仕事のアウトカムをもとに人を評価したり責めたりする際には、その人が自分から行った決断や行為をもとにすべきだと、わたしは考えている。何の権限もなく、ただ命じられたことだけを実行する人、あるいは、自分の決断や行為に無縁な外的環境によって結果を左右される立場の人は、結果の責めを負わされるべきではない。より責められるべきは、命令した側である。アカウンタビリティというカタカナ言葉が普及すると共に、こうした原則への理解も広まってほしいと、切に願う。