ガバナンスの最適設計を考える (2013/03/19) 少し前のことだが、メディア系のWebサイトを見ていたら、部下の使い方に関するなかなか興味深い記事を見つけた。著者は外資系経営コンサルティング会社の人で、自分が初めて部下を使う立場になった時に、放任し過ぎたり指示しすぎたりして失敗したという話だった。結局適切に仕事を委譲しながら、成功した時は部下の手柄にし、失敗した時は自分が責任を取るようにすることで、最終的に部下のモチベーション高め、いい企画を量産できるようになったという。“量産された経営企画”なんて受け取って、はたしてクライアントは嬉しいのかという問題はさておき、部下のマネジメントの仕方という点では賛同できるところの多い記事だった。 ただし読んでいて少し疑問に思ったこともあった。そもそもマネジメントの本来の原義は、「人を動かして目的を達すること」である。部下の使い方は、その意味でマネジメントの基本中の基本である。その著者は金融業界出身で経営コンサルタントに身を転じ、 MBAの資格も取っていた。にもかかわらずマネジメントの基本については、何も知らななかったということになる。マネジメントの基本を知らない人が、なぜ他人の会社経営については助言できると思えるのだろうか? ここ何回か、ガバナンスの問題について続けて考えてきた。ガバナンスとは、ある程度の自立性を持つ相手を、自分の利害関係に沿った形で動かすための仕組みである。子会社を動かす場合がその典型だし、社内の組織や部門を動かす場合もその一つである。マトリクス型組織の中で、いろいろな機能部門をプロマネが動かす仕組みを、プロジェクト・ガバナンスとよぶこともある。自分の部下だけで完遂できる中小規模のプロジェクトと違い、クロス・ファンクショナルな仕事では、どうしても直接の命令権の及ばぬ部門にも動いてもらわねばならぬ。 先にあげた、部下をどう動かすかという問題も、ガバナンスとかなり共通した面がある。もちろん個人と組織では大分違うわけだが、自由放任だけでも厳格な指示命令だけでも、なかなかうまくいかない点は共通している。では、適切なガバナンスのあり方とは、どのようなものなのだろうか。 このサイトでは、まず、ガバナンスには3つのレベルがあるという話を書いた(『ガバナンスと自由の3つのレベル』)。3つとは、中央集権型承認型、そして可視化型である。ガバナンスの強さはこの順に弱くなる。そして、さらに外側に自由放任型が来る。いろいろなガバナンスのあり方は、この類型ないし尺度のどこかに定置できそうだ。 その次には、国と地方自治体のガバナンスの関係について書いた(『ネストする地名の謎』)。明治に成立した近代日本のガバナンス体制は、国が都道府県に自治権をあまり与えぬ中央集権型であった。その手段として、恣意的な合併や、名称の操作なども利用した。このような制度設計は官庁・民間問わず、その後の日本の組織に大きな影響を与えたに違いない。 さらにそこから派生する話題として、コストセンターとプロフィットセンターの区別について考えてみた(『コストセンターとは何か』)。コストセンターとはお金だけかかって、何も生みださぬ組織であるかのように誤解されている。しかし経営学的に考えれば、コストセンターとはコストとサービスレベル(品種・納期など)に対して管理責任を持つ組織である。サービスレベルがきちんと定義されないと、コストセンターはただただコストダウンを要求されるだけの、自律性のない組織になってしまう。 さらに言うと「コストセンター子会社」という呼び方は、会計学的には間違いだ。この言葉は多くの場合、親会社からの収入に100%依存している機能子会社のことを、暗に指している。そして外販比率が高くなると、子会社は「プロフィットセンター」と呼んでもらえるようだ。プロフィットセンターになりさえすれば、少しは格が上がり、親会社からのうるさい干渉をはねつけやすくになる、と理解している向きも多い。「コストセンター」の用語を、このように妙に差別的な意図で使うのはおかしいと思うが、世の中に横行しているのは事実である。 では、これら一連の考察から見えてきたものはなんだろうか? なぜ「コストセンター」論と、一見無関係なガバナンスのあり方が、一つながりのものとして意識されるのか。そもそも企業ガバナンスの原義が、「企業経営の方向性を、株主の利害に一致するよう保証する仕組み」であるならば、子会社の株主は親会社なのだから、どこまで口をはさんでもかまわぬ、適切な限度など無い、という結論になりはすまいか。 ここで問題となるのが、中央集権型ガバナンスの限界ないし短所である。短所は二つあった。まず、あらゆる判断が上位の決定に委ねられるわけだから、上位側の情報処理能力がかなり高くなければいけない。かつてフセイン大統領時代にイラクに住んでいた研究者から聞いた話だが、生活上の、アパートの不都合か何かを知人にこぼしたところ、「だったら大統領府に直接かけあえばいいじゃないか」と言われたという。これを聞いて、独裁者というのはひどく忙しいものだな、と思った。あらゆる細かな問題や雑事が上がってくるのである。ナポレオンの睡眠が3時間だったというのも、たぶん寝ているヒマがなかったのではないか。 中央集権型のもう一つの欠点は、現場の問題の解決に時間がかかることだ。はるか上までお伺いを立てるのだから、当然だろう。だから、比較的平穏で、問題の少ない職場や業界ならばいいだろうが、リアルタイム性の高いトラブルが頻発する組織では、中央集権型ではやっていけなくなる。情報のパイプだって輻輳し、詰まってしまうだろう。 そこで考案されたのが、Management by Exception(「例外による管理」)だった。これは、「異常時が発生したときだけ報告を上にあげ、上位側が問題解決に乗り出す」方式だ。異常がないときは、報告はあまり小刻みには上げない。そうすることで情報の輻輳を避け、上位側が本来業務に集中できるようにするのである。逆に言うなら、通常でのガバナンス・レベルは、少し下げることになる。 ところで、問題解決について言うなら、どんなに優秀な上位管理者でも、分野的な得意不得意はあるはずだ。自分が経験しよく知っている事象なら解決できるが、自分から縁遠い分野では、うまく指示できにくい。ここにもう一つのポイントがある。つまり下位側の問題解決力がどれだけあるか、である。もし下位側の自己管理能力が高い場合は、方向性と状況だけを見えるように指示し、内容は任せてしまう方が現実的となる。 以上をまとめたものが、図に示した4類型である。ここでは子会社へのガバナンスの問題として表現している。縦軸は、その子会社業務の、上位側(本業)から見た重要性、あるいは本業とのシナジーである。横軸は、子会社の自己管理能力だ。これは、外販比率と置きかえてもいい。というのは、自己管理能力は「プロフィットセンター」としての自立経験を通して培われるからである。
左上の象限は、本業から見た重要性が高く、かつ子会社の自己管理能力が低い場合。当然、細部まで指示命令を下す「中央主権型ガバナンス」になる。ところで、親会社(内販)依存だが重要性が低い、左下の象限は、「承認型ガバナンス」(例外による管理)が現実的である。問題発生時には上位側が入り込んで解決せざるを得ない。 右上の象限はこれに対し、外販比率が高く、自己管理能力の高い子会社で、かつ本業ともシナジーの高い分野を示す。こちらは「可視化型ガバナンス」で、業務の進捗状況をモニタリングできるようになっていればいい(問題は自分で解決できる)訳である。最後に残った右下の象限は、シナジーも低く、外販中心の分野。ここはもう「自由放任型」になる。そのかわり、投資も自分で負担してくれ、ということなる。 このように整理してみると、最初にあげたガバナンスのレベル0~レベル3は、どれもぴったりはまる位置があるようだ。何もかも中央集権や自由放任ではなく、どのタイプにはどれを当てはめるのが適切か、軸が分かったように思う。 ところで、現実には問題が一つだけ残っている。それは「自己管理能力」の評価が、上位側と当事者ではちがう、という問題だ。人間の世界でも、子どもの側はもう自立したつもりなのに、親はいつまでも世話を焼き小言を言いたがる、という例は多い。上位側がいつまでも下位側の能力を過小評価すると、いつまでも中央集権型ガバナンスから抜け出せず、その結果、組織全体として非効率が生じる可能性がある。 そういう意味では、自己管理能力≒外販比率、と図示したが、これは本当はフェアではない。先に述べたように、本来は内販100%のコストセンターでも、サービス・レベルをきちんと定義できれば、自律的な管理ができるのである。自己管理能力は、コストセンターとしての達成経験等によっても、培われるはずだ。だからガバナンスの設計においては、組織の自己管理能力をたえず再評価する仕組みが必要だということが分かるのである。