クリスマス・メッセージ:折れない心をもつために (2013/12/23)

担当者が問題状況に陥ったら、プロマネがカバーに入るべきか? (2013/11/25)

まだ何ひとつ終わっていない (2013/09/16)

人事評価におけるトレードオフ問題--業績と能力のどちらを重視すべきなのか (2013/08/18)

人事評価とはどういう仕事か--『C:A:Pモデル』による分析の試み (2013/08/10)

大学の体育の授業で学んだ、人の自発的な育て方 (2013/07/22)

『職人的であること』を調べるための5つのチェックリスト (2013/07/15)

レベルいくつの議論をしているの? (2013/06/30)

組織のスケールアップと変曲点 (2013/06/16)

日本のメタン・ハイドレート活用をはばむ(かもしれない)陸上側の課題とは (2013/05/06)

シェールガス革命と、天然ガス価格のゆくえ (2013/04/28)

石油市場という名前の不安定システム (2013/04/20)

ネストする地名の謎 (2013/03/04)

お知らせとご挨拶 (2013/01/24)

冬の夜話--欧州の経済と心理について (2013/01/15)

クリスマス・メッセージ:折れない心をもつために (2013/12/23)

Merry Christmas!

5年前から、大学でプロジェクト・マネジメントを教えるようになった。今年の前期は東大の大学院で、また後期は法政の学部3年生に教えてきた。それ以外にも、単発的に依頼されて話した事もある。個別のエピソードについては、すでに何度か書いたと思う。しかし全体として、何をどんな風に教えるべきか、いつも悩ましい。

悩む最大の理由は、大学生・院生が実務の経験をほとんど持たない事だ。共同で事に当たることがなければ、プロジェクト・マネジメントの必要性がピンと来ない。また、授業で例題を考えるにしても、ビジネスに関わるケースを採り上げづらい。だからいきおい、「たとえば、あなたが同期30人の集まるパーティの幹事になったとしよう」といった例になってしまう。

それでも、講義を数回聴いた学生は、しだいにその意義が分かる者が出てくる。アンケート用紙にも、「もっと早くからこういう話が聞きたかった」「一年生の時にプロジェクト・マネジメントを勉強していたら、サークル活動であんなに苦労せずにすんだのに」といった感想が並ぶようになる。たしかに、大学ではマネジメント系の講義が(とくに理工系では)ほとんど無いので、新鮮に思えるのだろう。わたし自身、“自分も工学部出だが、みなさんに教えている内容は、すべて社会人になってから勉強したことばかりだ”と伝える事にしている。“だからこそ、こうした授業を大学のうちにしておくことが大切だと信じて、講師を引き受けているのです”とも。

それにしても、5年前につくった授業の資料と現在を比べてみると、自分でも気づく事がある。わたしは次第に、知識を教えなくなっているのだ。プロジェクト・マネジメントの分野では、必須の基本的概念や知識がある。スコープとかWBSとか、PERT/CPM、EVMSといった手法論である。今でも一通りは、教えている。だが、それに関連する詳しい知識、たとえばStart-to-startはどういうとき使うかとかCPIとは何かといった話は、講義資料から消えた。

かわりに、学生にはもっと基礎的なスキルを教えるべきと考えるようになった。コミュニケーションだとか、交渉だとか、To Doリストだとか、そういった事柄である。それも、なるべく演習(二人一組やグループ演習)を授業中にとりいれるようにした。演習を入れるのは、学生を寝かせない、余計な私語をさせない、といった消極的な理由もある(じっさい、「ゆとり教育世代」に属する学生達は、興味が無くなると授業中に平気でふつうの声でおしゃべりをはじめる)。だが一番の理由は、『自分で能動的に考える』ようにしてほしいからである。マネジメントの世界では、一般に普遍的「正解」は存在しない。自分の頭で考えるしかない。ところが、すべてを点数化し競争原理で駆り立てようとする現代においては、手っ取り早い「正解」に頼りたがる傾向が強い。それは学生だけでなく教師の側も同様である。正解のある問題を出す方が、試験の採点も楽で効率的だからだ。

先日の授業では、交渉について教えてみた。今年からのはじめての試みである。いうまでもなく、交渉はプロジェクト・マネージャーにとって最重要なスキルの一つだ。ネゴシエーションがうまくいくかどうかで、その後のプロジェクトの成否が左右される状況も珍しくない。いや、プロジェクトに限らず、現実の世の中では、大小様々な問題に関し、公私を問わず、つねに交渉が必要とされる。にもかかわらず、ネゴのやり方というのは、大学はおろか、中学高校でもまず教えない。まるで、わたし達の社会が、交渉上手な人材を求めていないかのようだ。だいたい、どの科目で教えるべきだというのか? 国語か、社会か、英語か、それともまさか道徳か? 大学でやるとして、それは理系の科目なのか文系なのか?

そういう訳なので、わたしはまず交渉の簡単な原則からはじめた。交渉論の本はそれなりに出版されているが、大きく次の3点は共通のようだ:

(1) 交渉の成否の半分以上は、その準備段階で決まる。何が事実か、どこに自分の論拠・武器を求めるか、そして落としどころはどこにするべきか、事前に作戦を熟考せよ。

(2) 交渉はゼロサム・ゲームではなく、相手と共同した問題解決のプロセスだととらえよ。相手が「勝った」と思える交渉こそ、良い交渉なのだ。

(3) 最後まであきらめてはいけない。あきらめた瞬間、そこでGame Overとなる。

これに付随して、交渉の場における戦術、ないし定石がいろいろある。最初に大きく要求して相手の譲歩を引き出すのもよし、逆に小さな要求からはじめて最後に相手の懐に飛び込むのもよし。どちらを使うかは、それこそ相手と状況によるので、「正解」はない。

そして、交渉能力というのは、トレーニングによって向上可能なスキルなのだ。この点を授業では強調した。たしかに生まれつきのセンスがあって、交渉上手な人間もいる。うらやましい限りである。しかし、そうでないわたし達だって、なんとか交渉をして世の中を渡っていかなければならない。そのためには、交渉の理屈も知っておくべし。だが、何より場数が必要である。そのための練習の機会を、授業で与える。

じつは、わたしの勤務先では、若手のプロマネ候補生に対して、交渉の教育を実施している。座学による講義もするが、中心となるのは演習である。ケース事例を与えて事前に準備させ、講師側が顧客役になって交渉の実技演習をするのである。わたしも昨年度までは講師の一員だった。それを簡略化して、大学の授業でもやってみたわけである。クラスを班に分けて、発注者・受注者役に分担させ、互いに交渉させてみた。周囲の学生は、交渉している当事者達をじっと観察させ、良かった点、まずかった点などを指摘させる。それを全部の班に順番にやらせてみた。限られた時間内に、交渉の妥協点にたどり着けた組も、そうでない組もあった。だが、アンケートを見ると、「はじめての体験だがとても勉強になった」「もっとこういう機会を設けて欲しい」などの声が多く、やって良かったと感じてホッとした。そして、交渉の勉強はニーズが高いと再認識した。

ところで、上記の3原則の中で、若い人たちにとって最も重要なのは(3)であろう。どのような事柄であれ、まずはあきらめずに勇気を持って交渉の場に乗ってみること。これは、日本のように高度なタテ社会の秩序の中で育つと、身につけるのがかえって難しい。「何を町人の分際で。控えおろう!」という問答無用の論理が、伝統の中に強く残っている。

しかし、ことが世界の他の国々で、グローバルに何かのビジネスをやろうとなると、まったく別の感覚にぶつかることが多い。それは、Everything is negotiable = “何ごとも交渉可能だ”、との論理である。このセリフは昔、フランス人のプロジェクト・マネージャーからきいた言葉である(彼はフランス社会では何事も交渉次第だ、とわたしに教えてくれた)。そして、それはフランスに限らない。欧米、あるいは地中海世界などを通して、人々が共通にもつ感覚なのだ。

じっさい、旧約聖書の中には、悪徳のはびこるソドムとゴモラの町を滅ぼそうとする神様に対して、アブラハムが「わが主よ、あの町に50人の善人がいたとしても、他の悪人たちの故に町を滅ぼされるのですか?」と問う場面が出てくる。神が「50人いたなら、その彼らのために、町は許してやろう」と答える。するとアブラハムはさらに、「主よ、もし50人に5人足りず、45人しかいなかったら、それでも町を滅ぼされるのですか」と問いかけ、その調子でなんと40人、30人、20人と競り下げ、最後は10人まで神様を譲歩させるのである。

全能の審判主に対してさえ、交渉が可能である。そういう信念が、ここには表れている。そして、旧約はユダヤ教とキリスト教とイスラム教の共通の聖典である。ということは、この逸話を聞いて育った人間が、世界には10億人単位で存在するということだ。それが、わたし達日本人をとりまく世界なのである。

学生達が世の中に出ていったとき、将来は見知らぬ他者とも交渉をしなければならない。そのために『折れない心』をもつことが大事だ。ここで、「折れない」というのは、簡単に交渉で折り合わないとか、すぐ喧嘩別れする、という意味ではない。相手を認めつつ、自分も大切にする心をもつという事である。そのために、しなやかだけれども強い自分を育てなければならない。剛毅な、硬直した精神は、しばしば折れやすい。柔軟だが、折れない心--それを育てるには、どうしたらいいのか。世間がひととき静かで平和な時を迎えるこの季節、すこしじっくりと考えてみるべきではないだろうか。


担当者が問題状況に陥ったら、プロマネがカバーに入るべきか? (2013/11/25)

プロジェクト・マネジメントの講義で、学生に進捗管理について教えていた時のことだ。進捗とは、これまで消化した予算の比率で計ってはいけない。「あとどれくらい仕事が残っているか」で計るべきものである。いつもの持論を、わたしは説いた。進捗管理の最大の目的は、“仕事はいつ終わるのか、あとどれくらいのコストで終わるのか”を予測することにあるからだ。

マラソンにたとえるなら、スタート地点からゴール地点まで約42kmあるが、そのちょうど中間、折り返し点のマイルストーンがある。ここに到達した人は、それまでまっすぐ走ってこようと、多少脇道にそれて余計な距離を走った人も、あるいは道に迷ってさんざん遠回りした人も、等しく進捗率50%だ。なぜなら、残りの距離は誰にとっても同じ21kmなのだから。もしも、仕事の進捗を問われて、「これまで自分はどれだけ努力したか」を答える人がいるならば、その人は進捗の意味を誤解しているか、ないしは遅れを自覚して言い訳しているか、どちらかだろう。--そう、説明した。

すると、学生から質問があった。「問題を起こして後ろめたいから、自分の努力を必死にいいつのる人は、たしかに見かけます。そういった状況になった場合は、プロジェクト・マネージャーが進捗のカバーに入るべきなのですか?」

これは面白い質問である。マネジメントの問題には一般に『正解』はない。だから答えは、プロジェクトの状況による。では、どのような状況の時にはプロマネがカバーに入り、どんな場合にはカバーすべきではないのか。

まず一つには、プロジェクトの種類による。種類とは、規模と専門分化の程度、という意味である。数人からせいぜい10人程度の、同等(同じ職種)の仲間によるチームの場合ならば、プロマネが問題状況に陥った担当者の仕事を、分担して手伝うこともあるだろう。同等の職種といっても、それが100人規模だったら、そうはいくまい。その規模になったら、マネジメントの仕事は専任でフルタイムでやっても追いつかないから、とても人の仕事まで手を出す暇はなくなる。

もうひとつ、専門分化が進んで、幅広い職種を要するタイプのプロジェクトでも、カバーは困難である。学生オーケストラを考えてほしい。かりにオーボエ奏者の練習が遅れていたからといって、指揮者がオーボエをかわりに吹く訳にはいかない。専門分化と職務分担がはっきりしているからである。

指揮者が直接、仕事を手伝えない場合はどうするか。もし予算にまだ余裕(=すなわち予備費)があるなら、外部からエキストラの援軍を連れてくる、あるいはコーチを短期間依頼するかで解決するだろう。もしスケジュールに余裕(=すなわちフロート日数)があるなら、少しでも練習とリワーク(やり直し)の時間を与えるだろう。

それでも、本番演奏で失敗する危険性はないのか? --そのリスクは、だれにでも、常にある。決してゼロにはできない。失敗のリスクは、「受け入れ可能なレベルまで下げる努力をする」しかないのだ。

そのためには、部下に育ってもらう必要がある。

だから、この学生の質問は、かなり奥深い問題を突いていることになる。結局、人の能力の制約によって問題状況が生じたら、リトライの機会を与えて、その人が育つことを優先すべきか、プロジェクトの早期・予算内の完成を優先させるか(その場合は担当者を入れ替えることになる)、二つに一つである。それを、個別の局面で判断しながら、進めていくしかない。もちろんそのためには、問題状況に陥ったActivityのコストやスケジュールの状況と、全体への影響度合いが、プロマネにちゃんと見えていなければいけない。

人が育つプロセスというのは、ほんとうに難しい。「這えば立て、立てば歩めの親心」という言葉があるが、自分で子どもを育ててみると、成長を心待ちにする心境はよく分かる。と同時に、「這えば立たせ、立てば歩ませ」ではない点にあらためて感心する。“何々させる~”という使役ではなくて、“何々する”という自動詞の期待形になっているところがポイントだ。子どもは、自分の体で学ぶしかないのだ。今どきの世の中は教育システムにご熱心だが、子どもに、歩き方を言語で伝達したり、ビデオやe-Learningシステムの画面を見せたりして、それで歩けるようになるだろうか? 

そして、子どもが自分で歩き方を学ぶためには、二つ、大事な条件がある。

まず、大人や年上の兄姉たちはみんな、ちゃんと歩いたり走ったりできることを、子どもが見て、自分もそうなりたい、と感じることである。つまり、あこがれたり真似したりする対象、「ロールモデル」が必要なのである。

もう一つ、大事な条件がある。子どもは、一度も転ばずに、歩くことを学ぶことはできない。だから、学ぶためには、安全に転べる環境を大人が気づかってやることが必要なのである。

人が何かを学んで育つためには、安全に失敗できる環境がいる。前にも書いたことだが、スキーやスケートでは、初心者は安全に転ぶ練習を最初に学ぶ。転ばずに上達できる人はいない。最初は必ず何度も転ぶのだ。そのとき、頭や腰をひどく打ったりしないために、どんな姿勢で転べば安全か、まずそれを教えるのである。

「失敗は決して許されない」--そんな組織や環境では、人は育たない。減点主義や完全主義的な制度のどこがまずいかというと、人が育つことを阻害する点なのだ。もうだいぶん以前のことになるが、ある大手銀行の人が、人事評価の仕組みに関連して、ゴルフに喩えながら「最初のホールからOBを叩いた人には(出世競争から)どいていただく。あとに続く優秀な人はいくらでもいるのだから」と、経済メディアで語っていたことを、わたしは今でも忘れない。その銀行がバブル崩壊後の失われた20年を、どんなにもみくちゃになって過ごしたかは語るまい。ただ、そんな職場に働く身分でなくてよかったと思うだけだ。

プロジェクトにおていは、上に述べたように、コストも納期もまったく余裕が無い状況では、人は育たない。そういうキツい仕事も、無論、ときにはあるだろう。そういうキツさの中で磨かれる部分もあることは、認めよう。だが、転んだら最後、二度と立ち上がれない場所ばかりでは、子どもは歩くことを学べない。「転んでも立ち上がれる」状況をつくって、はじめて人は大きくなれるのだ。

キャリアパスだって、同じである。固定的でなく、複線型の方がいい。“最近の若い人は、一度でも失敗して、自分が描くキャリアパスのイメージから外れそうになると、もう職場で働く気力をなくすことが少なくない”と、人事系の専門家がボヤいているのを聞いたことがある。たぶん今の教育制度が、若い人にそういった観念を押し付けているのだろう。

そして、「ちゃんと元気に歩いたり走ったりしている、楽しそうな大人」(ロールモデル)がいなかったら、人は育たない。それはつまり、「生き生きと仕事をしている、楽しそうな上司や先輩」のことである。

自分が育たないような環境で、誰が働き続けたいだろうか? わたしはいやだし、自分の子供がそんな職場で働くのは、もっといやだ。現代の就活生に「即戦力」を求める組織は、このことをよく考えた方がいいと思う。

まだ何ひとつ終わっていない (2013/09/16)

7月下旬、福島と宮城を旅行した。一泊二日の小旅行だ。仙台では、3.11の被災地を少しだけ見てきた。この時の体験は、自分でも、まだうまく言葉にすることができない。だが、書いておくべきだという気がするので、まとまりもないが、あえてここに記しておく。以下は、そのとき見聞きしたことである。

そもそもなぜ東北の、それもひどい災害にあった土地に行こうと思ったのか。自分でも説明できない。ただ、行って、亡くなられた方々のために手を合わせなければ、と切実に感じたのだ。親戚がいたわけでもない。友人知人がそれほど多いわけでもない。でも、ずっとそう感じていた。本当はもっと早く行きたかった。だが例によって世事に煩わされ、2年以上もたってから、ようやく出かけることができたのだった。

土曜日の昼前の新幹線で、まず郡山に向かう。途中少し遅れたが、それでも東京から郡山まではあっという間だ。駅前に降り立つ。わたしはたまたま、’90年代の初め頃、仕事でなんどか郡山を訪れたことがあった。街は、その時の印象から大きくは変わっていないように思える。喜多方ラーメンの店を見つけて、軽く腹ごしらえし、ホテルに荷物を置く。

午後はそこで、旧知の昼田源四郎先生と久しぶりに再会した。昼田先生は精神科医で、臨床の世界で長く活躍され、統合失調症の専門書も書かれている。だが、医学史家という、もう一つの顔もお持ちで、「疫病(ハヤリヤマイ)と狐憑き―近世庶民の医療事情」(みすず書房)という本の著者でもある。江戸時代の診療記録を元にした、実証的な研究である。その後、福島大学の教育学部に転じられ、発達障害や「いじめ」の問題などを研究されてきた。

その大学も昨年退官され、今は「ふくしま心のケアセンター」という組織の所長をされている。これは医療機関ではなく、臨床心理士などを中心とした組織で、避難所生活の方々などを訪問し、相談とケアを行っているという。バックアップしているのは福島県内の精神医療法人の連合団体で、必要時は病院とも連携できる。これはどうやら国の補助事業らしく、東北三県が県単位で受け、それぞれ県内のしかるべき団体に委託していると理解した。昼田先生は組織の立ち上げ段階から関わって、いろいろ苦労されてきた様子だ。心理士などの人手はそれなりに確保できるらしい(他にあまり仕事がないということかもしれないが)。しかし、当然ながら、人々が受けた心の傷は大きい。「今年は自殺防止が大事なテーマだ」とも言われた。震災から一年たち、2年たち、頑張ることに疲れて心が折れそうになる人が増えている。

昼田先生からは河北新報(地元東北の新聞社)が制作したビデオ「東日本大震災 宮城・石巻沿岸部の記録 DVD」による震災と津波の映像もみせていただいた。また被災エリアの状況を示した震災地図というものも拝見した。しかし、3.11の被害規模があまりにも大きく、いまだに全貌がどうなっているのかよく理解できない状況だ。メディアは、個別にはいろいろなエピソードの報道や記録を積み上げているが、全体像を多面的・客観的に把握する、という仕事は不得手らしい。でも、必要な規模・数字のベースさえはっきりしないようでは、マクロな対策は立てようがない。どうしても、その場その場の応急措置的対応を続けることになる。わたしの専門の言葉を使えば、個別プロジェクトは多数あるが、プログラム・マネジメントがなされていない状態なのだ。縦割り・地域割りの行政も、その状況を改善するつもりは薄いらしい。

郡山の人たちのメンタルなケアを難しくしているもう一つの問題は、農業である。農産物が出荷できないのだ。それも「風評被害」で売れない、との問題ではない。政府によって出荷が禁止されているのである。これによって生活基盤を完全に失った人たちが大勢いる。あとで調べて驚いたのだが、安部首相名で福島県知事に対して、非常に長くて詳細な農産物リストと広範な地域名が指定され、「当分の間、摂取及ひ?出荷を差し控えるよう、関係自治体の長、関 係事業者及ひ?住民等に要請すること」が指示されている(わたし達の社会では、政府要請は事実上、命令である)。郡山市に限っていえば、米と大豆が(一部地域だが)禁止対象で、全市にわたる禁止物としては、たけのこ、キノコ(路地・野生)、くさそてつ、こしあぶら、ぜんまい、たらのめ、など山菜類が指定されている。それ以外にも、カブ、うめ、ゆず、くり、原乳などが隣接する市町村で禁止されている。農業はスーパーや映画館と違って、昨日までとは別の品種を今日から扱います、という訳にはいかない。農地を急に放棄するわけにもいかない。わたしがその身だったら、どう感じるだろうか。

昼田先生とは久しぶりだったので、その夜は小さな料理屋に入って、会津若松の地酒に舌鼓を打ちつつ、震災以外にもいろいろなことを話した。「精神分裂病」がなぜ「統合失調症」と呼びかえられたのか(英語でもドイツ語でも病名は“精神の分裂”という意味だ)。また、「いじめ」には国や文化による違いはあるか。昼田先生は米国の教育研究者と何年間も継続して共同研究を行い、広範なアンケート調査なども実施された。日本ではあまり報道されないが、米国にも、学校でのイジメは存在する。しかし、結論として、どうも文化に直接起因する大きな違いが見いだせない、という不思議な結果になったという。残念ながら、いじめという行為は人間のもっと深い部分に起因していて、それは一種の攻撃性と関係しているのではないか、と考えざるを得ない様子であった。また、昼田先生は現在、「江戸の精神科医」という次なる著書を準備されている、とのこと。仕事が多忙でなかなか時間を割けないとおっしゃっていたが、非常に楽しみな本である。地酒もとても美味しかったが、自分は酒飲みでないため、肝心の名前を忘れてしまった(^^;)

翌朝は郡山の街を少し散策した後、新幹線で仙台に移動した。昼田先生に教えていただいた「語り部タクシー」に乗って、被災地を訪れるためである(わたしは仙台中央タクシーを利用した)。料金は1時間5300円。ただし仙台駅を起点とする場合、1時間では足りないというので2時間でお願いした。もし二人以上で利用するならば、とてもフェアな料金だと言えよう。

仙台の幹線道路を東に向かい、平野部をしばらく走る。仙台東部道路を横切り、宮城野区の海沿いに向かう。農地もあるが、都市近郊の宅地である。すると、そのうち、どこがとは言いにくいのだが、風景が微妙に、しかし決定的に変わってくる。津波の到達域に入ったのだ。家々は同じように建っている。だが、窓ガラスが破れていたりして、人が住んでいないことが分かる。ごく普通の不動産分譲地のように見えて、だが人はいない。タクシーはある家の前に止まった。道路のアプローチ側から見ると、普通の家だ。だが、前に回ると、恐ろしい破壊の跡が見える。あたりが静かでのどかである分、そのショックは大きい。周囲には同じように、まだ新しいのにうち捨てられた郊外住宅がたくさん建っている。多額のローンを抱えたまま、家を捨てなければならなかった人々の気持ちが胸にこたえた。

(宮城野区の津波で被災しした住宅)

車はそのまま沿岸道路を走り、南に下がって若林区の長浜地区に行く。その名の通り、仙台の海水浴場として知られた浜辺だ。いま、そこには石碑と、観音像が建っている。震災の犠牲者の名前を刻んだ石碑だ。享年を見ると、ほとんどが高齢者で、そのなかに幼児が入っているのが痛ましい。休日なので、何人もの方が訪れている。わたしも浜辺に立ち、海に向かって頭をたれ、手を合わせて、亡くなられた方々の魂の平安を天に祈った。

(震災犠牲者の石碑)

周囲を見ると、浜辺の松の木々が全て津波で折れ、ねじ曲げられた姿で残っている。松は陽樹で、海岸沿いにも自生するが、根が浅いため津波には抵抗力が弱い。有名な陸前高田市の「奇跡の一本松」は、名勝・高田松原の何千本もの松が、実はたった一本しか残らなかったことを意味しているのだろう。根元から折れた幹は、津波の中で流され、むしろ危険である。防風にはともかく防潮林には向かないのかもしれない。

近くには、荒浜小学校の建物がある。写真では分かりにくいかもしれないが、1階部分のガラスはほとんどが破れており、今は立ち入り禁止になっている。地図で見ると分かるが、このあたりは広く平坦な土地である。あの規模の津波が押し寄せた場合、逃れる高い場所はほとんどない。その中で4階建ての鉄筋コンクリートの小学校は唯一、避難できる場所だった。津波は2階まで押し寄せたが、その上まで逃れて助かった人が大勢いた。校舎の被害もさることながら、周囲に住む人がほとんどいなくなって、今は別の小学校の校舎に移転している。


(荒浜小学校の、今は閉鎖された校舎。「ありがとう! 夢 希望 未来」の垂れ幕がむしろ痛々しい)

タクシーはさらに南に下り、仙台に隣接する名取市閖上(ゆりあげ)地区に入る。ここは海に面した町が丸々一つ、失われた場所だ。震災前の写真を見ると、わたしはなんだか、東京の月島あたりの地形を連想する。漁港と水産加工を中心として、家々の軒が連ね、7千人の人口をかかえ、朝市など活気のある生活が営まれていた。いまは、全くの平らな荒れ地だ。家は全て、コンクリートの土台しか残っていない。

閖上に一カ所だけ、小さな丘がある。「日和山」とよばれ、昔は船出前の日和をこの上から見たのだろう。頂上部で、標高7m。たくさんの人が、この山の上に逃れた。しかし津波の高さは10mだった。頂上の木の枝にしがみついた、ほんの数人の方しか生き残らなかったと、「語り部タクシー」の運転手の人はいった。自分がもし、閖上の町にその時いたらどうしていたか。土地はずっと平坦である。数キロ先の、仙台東部道路(これは高架になっている)まで行かないと、避難できそうな高い場所はない。しかし道はもう車で一杯だ。渋滞してまったく動けない。自分一人なら走って逃げもしよう。しかし乳幼児を抱えていたら。車いすの年寄りを抱えていたら。

これ以上もう、何も言うことはない。仙台の町の中心部に戻ってからも、しばらくは、ぼおっと公園のベンチに座っていた。頭の中には今見てきた記憶が渦巻き、まともな言葉にはならない。今でもそうだ。

先にあげた昼田先生は、仙台市臨王寺の住職らが提唱された「森の防波堤」構想を手伝っておられるという。これは、横浜国大名誉教授で植物生態学者の宮脇昭氏の発案による、内陸堤防型の植林プランである。震災で発生したがれきのうち、有害なものは取り分けて、土や砂礫とともにマウンドとし、その上に深根性の照葉樹を複合的に植えていく構想で、民家・学校・田畑などはその内陸側におく。2年前に復興会議が提言した「二線堤」方式にも通じる(内陸堤防や二線堤方式の利点については、南堂久史氏のOpen Blogというサイトで知った)。

だが、この場合、森の防波堤よりも外側は非居住区とせざるをえない。新聞記事によると、沿岸地区にもどってもう一度住みたいと希望している住民は、3割程度らしい。あとの人たちは、逡巡している。それほど恐ろしい体験だったということだろう。わたしはもちろん当事者ではないし、「戻るべきだ」とも「戻るべきではない」とも、言えない。

ただ、わたしがこの記事を書いている横浜の家は、海岸から3km以内で、2階にいても標高10mあるかどうか。そのときが来たら、どこにどう逃げるのか。確とした答えはないのだ。そして、いったん災害に襲われたら、1年たっても、2年たっても、復興どころか荒れ地のままかもしれない。なぜなら、わたしが見てきたあの場所では、まだ何一つ終わっていないのだ。

関連エントリ:
今はまだ鎮魂の歌をうたえ

人事評価におけるトレードオフ問題--業績と能力のどちらを重視すべきなのか (2013/08/18)

将棋の第54期王位戦は、羽生善治・現王位の先手・第一勝ではじまった。第2戦も羽生が勝ったが、第3戦は挑戦者の行方尚史八段が逆転勝利。第4戦はまた羽生が制して、まさに王位に「王手」をかけた状態にある。さて、羽生と行方八段は、どちらの方が能力が上だろうか?

将棋という競技は、ポーカーや麻雀などと違って、偶然性に左右される部分がまったくないゲームである。そこでは純粋に知力だけが勝負を決める。麻雀のように偶然が支配的なゲームの場合にも、もちろん上手下手は存在するが、その能力はただ1回の勝負だけでは決められない。下手がその時だけ運にめぐまれて勝つことがあるからだ。しかし、囲碁や将棋はちがう。だったら、なぜプロの将棋のタイトルは7連戦もするのか。放映権を持つTV局の陰謀なのか。

もちろん、ファンはその理由を知っている。たとえプロの棋士といえど、その日その時々での調子のブレがあるのだ。将棋は盤面が狭く、紙一重の差で勝敗が決する。わずかな体調、疲れ、気負い、おごりなどで集中力を欠いた手を打つと、それが結果に現れる。だから、そうしたブレの影響がならされるように、7回もの(ある意味では長丁場の)戦いによって、その能力の優劣を決めるのだ。

こから教訓にできることが一つある。どんなに純粋に能力だけの勝負であっても、短期的には結果のブレが生じるということだ。それは天候や開催地などの外部環境、そして体調や気分といった内部環境からくる微妙な攪乱で引き起こされる。まして、もっとずっと環境要因に左右されやすいビジネスの世界では、これが顕著になる。人の能力は、短期的な業績だけでははかれないのだ。

ここで「短期」というのは、3日くらいのことをいうのか、それとも3週間なのか、3ヶ月なのか? 答えは、仕事の種類による。タクシーの運転手なら、3日あれば十分に成果を測ることができそうだ。セールスなら、業種にもよるが、案件は1~2ヶ月でだいたい決するだろう。もちろん、職位にもよる。営業部門長だったら、単発案件ではなく部門全体の受注額がモノサシになるから、3ヶ月では短期だと思うかもしれない。ちなみに、わたしが普段関わっているエンジニアリング系のプロジェクトとなると、終わるまで平気で3年も4年もかかるから、1年だってある意味、短期だ。

どんな職位の仕事にも、安定した結果が出るまでにかかる期間の目安がある。(理系の人向けに分かりやすくいうと、制御工学の用語でいう固有の『時定数』があるわけだ。時定数とは、ごく簡単にいうと、あるシステムが外乱を受けてから安定した状態に戻るまでの時間である。そして時定数より短い時間を「短期」と考える)。業績は短期でも測れるが、それは能力だけで決まるわけではない。ちょうど将棋の第1戦だけで王位を決めないように。

では『能力』とは一体なにをさすのか? これは逆から考えてみるとわかる。能力とは、確率なのである。ある目標値を、どれだけの確率で達成できるかを示す言葉が、能力なのだ。将棋なら、勝率と言ってもいい。野球だったら、打率や防御率(これも一種の確率的な指標だ)。「彼はここぞという時にホームランを打つ能力がある」というのは、「一度ホームランをうった実績がある」でも「100%ホームランを打つ」でもなく、そうした状況でホームランを打つ確率が(他に比べて)、有意に高いことを言っている。

このように、能力を客観的に測るのは、時間がかかるし難しい。本当のプロならば、他人のスイングフォームや1打席のバッティングを見ただけで、およその能力評価はできるかもしれない。だが変転目まぐるしいビジネス界では、本当のプロがそうそういる訳でもない。

そこで登場したのが、人事評価における『成果主義』であった。成果主義にはいろいろなバリエーションがあるが、多くは「成果に結びつく行動を評価する」という考えをとる。こうすれば、潜在的で測りにくい能力の評価にたよらず、外部に見える行動で評価できる、と考える(まあ、中には、単なる業績結果だけで測る『結果主義』評価もあるが)。ちなみに余談だが、この発想の背景には、アメリカの行動主義の影響があるようにわたしは感じる。行動主義とは、「心理学は記憶や感情といった主観的なものを研究対象とするのをやめて、行動という客観的で目に見えるものだけを研究対象とする科学になるべきだ」、という主張である。

ところで、この成果主義による人事評価が、様々な批判にまみれたのは周知の通りだ。Wikipedia にも解説があるから詳細は略すが、成果主義には根本的な課題が二つあった。
(1) 成果はどうしても短期的な変動にさらされやすく、運・不運を排除できない
(2) 組織的な仕事においては、個人の成果と組織全体の業績の関係が判然とせず、結果として「成果」のモノサシの置き方が恣意的になりやすい

この(1)については、またちょっと理科系的な説明を加えておこう(自分は根っから文系だと思う人は、以下数行はとばし読みしてもいい)。上で述べた考え方は、いわば次のように定式化できる:

 個人の短期的な業績 = f(個人の能力、制約条件、環境の変動)

ここで制約条件とは、その人に与えられた権限の範囲(自由度)や予算などを示し、また環境の変動は、仕事に降りかかってきた外乱や内部攪乱因子を指す。もしfの関数型が正確に分かれば、能力と成果はどちらか一つを測ればいいわけだが、むろん簡単ではない。(理系風説明おわり)

かくして、われわれは前回の最後に紹介したトレードオフの問題にたどり着く。能力は潜在的で測りにくい。成果はばらつきが大きい。人事評価ではどちらを重視すべきなのか。

この問題を解決するためには、そもそも「人事評価」の目的は何だったかを考える必要がある。人事考課は、賞与の査定や昇級・昇格などに用いられる、と前に書いた。ところで、「ある人の賞与を決める」ことと「ある人のポジションを決める」のは、じつは別のことではないか。賞与というのは、個人が直近の過去に行った貢献への報酬である。他方、ポジションを決めることは、未来の可能性について個人に賭けることを意味する。(ここでいうポジションとは、課長と係長とかいうグレードのことだけでなく、どの職種や役割をまかせるかという一般的な意味で使っている)。未来と過去と、二つのことを同じモノサシで測ろうとするから、矛盾が生じるのだ。

である以上、答えは明白だ。

「過去に属すること、すなわち賞与の査定においては、個人の業績によって報いる。未来に属すること、すなわちポジジョン決定においては、個人の能力によって決める。」

運がよくて業績を上げることができた人の場合は、報奨を与える。企業全体は業績(利益)を求めて活動しているのだから、貢献に報いるのは当然である。他方、もし能力があり努力したのに、運が無くて業績につながらなかったら--そのときは、能力の評価を記録し、将来のポジショニングに用いる。

このような制度設計の下では、武運つたなく失敗した人にも、次の機会が与えられることになる。失敗をも許容する、「チャレンジ精神の可能な組織」になるわけだ。よくあるような、“運がよい人はさらに報い、運の無い人はさらに罰する”評価の仕組みだと、社内は「勝ち組」と「負け組」に分断され、大勢のモチベーションが削がれていく。こうしたおかしなことは、起こらなくなる。

その上で、もし、どうしても人事的な「総合点」をつけたければ、以前「逆張りで成功した部下は、どう評価すべきか」に書いたように、その職位によって「業績」と「能力」のブレンド比率を変えればよい。上に行けば行くほど、「業績」のウェイトを高くする。下の方の職位では、定められたプロセスやフォームをどれだけ身につけているか(=能力)の比重を大きくする。

ところで、C:A:PモデルのA(態度)は、どこに行ったのか? じつは態度とは、より一般化するならば、「個人の行動の方向性が、組織の目指す方向性と合致する程度」をあらわす指標である、と考えられる。すると(また理科系的な説明を我慢していただくとして)

 組織の業績 = g(各人の能力、各人の態度、組織レベルの制約条件)

と定式化したとき、態度は、個人の業績と組織の業績をむすびつけるファクターになる。このgは合成的な関数で、単なる足し算Σではないが、態度がバラバラだと全体の業績が上がらないような形になっているはずである。

そして、わたしがこのところずっと個人的に研究してきたのは、プロジェクトとかプログラムといった種類の仕事の業績が、それを構成する各アクティビティの貢献とどう関係するかであった。たとえていうなれば、g関数の構造を考えてきたわけだ。その研究の萌芽的な成果は、「プロジェクトにおけるタスクの価値を計算する」「プロジェクト貢献価値の理論」などでかつて簡単に説明したが、まだまだ解明すべき問題はたくさんある。とても一人で解ききれる問題とも思えない。

だからわたしは、こういうサイトに書いたり、あるいは「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」などの活動を通して、一緒に考えてくれる同志を探しつづけているのである。

人事評価とはどういう仕事か--『C:A:Pモデル』による分析の試み (2013/08/10)

中間管理職になってからそれなりの時間がたつが、人の評価というのはいまだに不得手である。毎年回ってくる、人事評定と呼ばれる仕事のことだ。部下を面接し、その目標や達成度や希望やら不満やらを聞いて、それからおもむろに机に向かって、その人の評点をつける。面接自体はそれほど苦にならないが、評価がいつも難しい。その昔、面接で自分が上司に訴えるだけですんだ頃に比べると、とても気の重い仕事である。自分の評価した結果が、直接、その人のボーナス査定や昇進につながるからだ。

まあ、わたしの職場の場合、自分の決めた評点が最終値となるわけではなく、さらに上司やもっと上での調整・決定が行われるので、少しは責任が軽いと言えるかもしれない。ただ、査定が決まった後、今度は管理職は部下にそれを伝えなければならない。当然、(なぜ自分の努力はこれしか報われないのですか?)と、全員の目が訴えてくる。自分だってそうだったのだから、もちろん気持ちはよく分かる。

だいたい、“自分は会社から十分に評価されています”なんて感じているサラリーマンは、めったにいないのだ。いや、経営者だって、“自分は株主や世間から十分に感謝されていない”と思っているのかもしれぬ。それどころか、たとえ総理大臣になった人でさえ、経験者に聞けば十人が十人、「自分は不当な評価しか受けなかった」と言うにきまっている。人間とは、そういう生きものなのだろう。

だから、人事評価というのは決して感謝されず、尊敬もされない仕事なのだ。だったらいっそのこと、面倒な査定なんか全廃して、全員に同じ評点をつけてやれば、ずいぶん仕事のムダが減って効率アップではないか。

だが、そうならないのには理由がある。人事評価は、サラリーマンの世界では、人を動かす最大のウェポン(武器)だからだ。口先でいくらいっても、部下はなかなか動かない。皆、それぞれに意見があるからだ。しかし、“この方針にしたがえば査定で有利になる”というメッセージが伝わると、ほぼ全員がそろって従うようになる。人を動かす力として、リーダーシップがくり出すのは「影響力」や「統率力」だが、人事評価は「強制力」なのである。このため、どの組織でも人事評価の方法には非常に神経を使っている。

ところで、わたしの考えでは、人の評価にはふつう三種類の指標(モノサシ)が用いられる(なお、これ以降はわたし個人の考察であり、べつに勤務先の事情を述べているのではない。念のため)。
そのモノサシとは、以下の三つだ:

(1)能力
(2)態度
(3)業績

用語については、バリエーションがいろいろある。能力は、最近では「コンピテンシー」と呼ぶのがはやりである。態度は、「勤務態度」が普通の呼び方だろうか。「業績」のかわりに「実績」とか「成果」「結果」「成績」「パフォーマンス」などと呼ぶ職場もあるだろう。対応する英語もいろいろだが、ここでは (1)Capability, (2)Attitude, (3)Performance results としておく。頭文字をとるとC, A, Pである。

人事評価のあり方は、この3つのモノサシにかける比重の違いであらわせると、考えられる。たとえば、能力(C)が40%、態度(A)と業績(P)が30%ずつのウェイトならば、C:A:P=40:30:30ということになる。もっと能力点の比重が高いところは、C:A:P=60:20:20になるだろう。かりにC, A, Pそれぞれを頂点にとって三角形を描けば、各評価制度はその内部の一点として表せる。そこで、これを人事評価のC:A:Pモデル、と呼ぶことにする。

ところで、『年功』というモノサシはどうするのか? と疑問を持つ方もおられるかもしれぬ。じつは日本の年功序列制は、「能力は学歴と勤続年数だけで決まる」という、ひどく特殊な信憑の上に成り立っている。だから、一種の極端な能力主義なのである。ただし、能力を客観的に測定・検証しようという意識や仕組みを欠いている点が、いささか不都合と言えよう。また、歳をとると、勤務態度も多少は穏和に、組織順応型になっていく。だから年功序列制はC:A:P=90:10:0 くらいのポジションに位置すると考えていい。

近年、一時もてはやされた、いわゆる『成果主義』とは、従来の年功序列の欠点を反省し、業績(P)のウェイトを大きくして、個人のモチベーションを高めようという考えであった。ただし、これは建前で、本音のところは、高齢化する一方の社員の給与総額をなんとか抑え込むことだった、との批判もしばしば耳にする。とはいえ、成果主義は多くの企業に取り入れられたし、マッキンゼーのように「成果主義は、リーダーシップ育成のための必須の要件である」と信じるコンサルティング会社もある。

成果主義的な評価の一つの極端な例は、歩合制や出来高給である。実績(P)が100%で、あとは0%だ。聞くところによると、タクシーの運転手などは、こうした評価が多いらしい。いや、それだけではない。営業、それも個人営業中心で、あまりチーム・セールスなどを行わない業種では、しばしば営業成績一本やりで評価されるケースをよく耳にする。たとえば受注額とか売上高とかで、毎期の評定が決まる仕組みである。

では、勤務態度に大きな重心を置く評価制度はあるだろうか。わたしはあまり詳しくないが、軍隊、特に兵卒の評価などはそうかもしれない。軍隊組織では、上官の命令は絶対である。それに従うかどうかが兵卒の最大の要件だ。「前に進め!」と号令をかけられたら、頭で是非を判断する前に、反射的に足が前に出る--そういう風に軍隊では訓練を行う。どんなに能力があり、あるいは過去の実戦でたとえ戦果を上げていても、命令に不服従では話にならぬ。こういった評価体系になっているはずだ。

ただし、「能力」「態度」「業績」のモノサシで評価せよ、と言われても、そのままでは漠として手がつけにくい。そこで、気の利いた査定制度では、それぞれの指標(モノサシ)を、さらにサブ指標に要素分解するだろう。たとえば、
 能力:「技術的能力」「計画能力」「コミュニケーション能力」「問題解決能力」など
 態度:「協調性」「勤勉性」「積極性」など
 業績:「受注率」「売上高」「新規顧客獲得数」など(営業職種の場合)
・・などに分けて、それぞれ採点するといった具合だ。このように、対象に対する多角的・階層的なアプローチを行うやり方は、Structured Approachの応用である。(→「Structured Approachができる人、できない人」参照)

読者諸賢も、ためしに、自分の職場における評価軸のあり方は、CAP比率がどれくらいで、上記の三角形のどのあたりに位置するか、考えてみられたい。たとえば、皆さんの近くに、仕事はできるが、勤務態度は最低だ、という同僚はいるだろう。そう言う人は、どういう処遇を受けているだろうか。

さらに、もし自分が社長だったら、三角形のどのあたりに人事評価のポジションを位置づけるかを想像してみるのも、面白いだろう。

以前、「豹のリーダーシップ、狼のリーダーシップ」にも書いたとおり、組織のマネジメントのあり方は個人主義的なスタイルと集団主義的なスタイルに分かれる。そして人事査定制度のあり方は、組織をどのようにマネジメントしていくかに直結するのである。個人主義的なスタイルは、業績(P)や能力(C)にウェイトが置かれるだろう。集団主義では、態度(A)が重きを置かれる。ただ、今日の企業ではオフィスワーカーが多いため、態度点の比重は軽くなりつつある。ホワイトカラーは考えることが仕事であり、命令されたことに従うだけでは会社が成り立たないからだ。

したがって、現代では能力主義(C)と成果主義(P)の二頂点を結ぶ辺のどこかに、評価制度を位置づけることが多い。ところで、能力は潜在的な特性である。だから、なかなか測りにくい。他方、実績は見えやすいが、外的環境変動(つまり運・不運)の影響を受けやすい。どちらにも人を評価するモノサシとして欠点がある。つまり両者の間のバランスは、とても悩ましいのである。

では、このトレードオフを解決する方法はないのか。じつは、あるのだ。だが例によって長くなってきたので、続きは次回また書こう。

大学の体育の授業で学んだ、人の自発的な育て方 (2013/07/22)

生まれつき、運動音痴である。小学校の時から、体育や運動会でいい成績を出したことがない。バランス感覚とか、瞬間的な判断とか、筋力とか、手脚のスムーズなコントロールとか、そういったことがからきしダメである。おまけに生来、小柄である。父母はどちらも長身で運動神経が良く、スポーツ万能だったのだが、あいにく、似てほしい美点は受け継がなかったらしい。しかも、体もひどく硬い。まったく良いとこなしである。

運動能力の低さをカバーし、体力を向上すべく、中学・高校とも運動部に入ったが、結果として青春の記憶を屈辱で上塗りしただけだった。自分が多少なりとも好きだと言えるスポーツ、他人に劣等感を感じずにいられる種目はスキーただ一つだった。スキーは自力ではなく重力によって駆動する点が、まだしも幸いだったらしい。しかしスキーなんて冬しかできないし、おまけに遠いスキー場までわざわざ出かけていかなければできない。だからクラスの女の子の友達にかっこいいところを見せられるチャンスなど、ほぼ皆無であった(だいいち、高校は男子校だったのだ)。そういうわけで、普段の体育の時間は、わたしにとってはただ忍従の時間であった。

大学に入って、はじめてまともな体育の授業を受けた。むろん最初は、「大学に入ってまで、まだ体育の授業があるのかよ!」と落胆したものだ。おまけに大学は入学生全員に運動能力テストなるものを課し、その結果が一定レベルに達しない学生には、『トレーニング』なる恐ろしげなクラスを受講させるのだ。もっといい結果を出した友達は、テニスだとかサッカーだとか、好きなクラスを選ぶことができた。だがわたしは当然のごとく、トレーニングに回されることになった。

ところが、このトレーニング・クラスは、わたしがそれまで受けた中で別格、いや、次元が違うくらい、まともな体育の授業だった。まず、教師の説明が科学的だった。トレーニングの内容は、小さなダンベル(重量がkgで表示されている)をつかったウェイト・トレーニングに始まり、ついで全身を使うサーキット・トレーニングが加わる。学生は各人、硬い紙のスコアカードが渡される。それに毎回、自分のスコアを記録して行く。たとえば右手にダンベルを持ち、右肩の上において、肘を伸ばして持ち上げる。その単純な、要素的な運動を、何回やれるか記入していく。

教師のインストラクションは、こうだった。「もし君らが、8回未満しかその運動ができなかったら、それは負荷が重すぎるのだ。そのときは、1kg軽いウェイトを使え。また、逆に16回以上その運動ができた場合、負荷が軽すぎる。だから1kg重いウェイトを次回はトライすること。重すぎるウェイトで無理を続けてりしてはいけない。それは筋肉にむしろ障害を与える。軽すぎる負荷では、もちろん筋力の向上にはつながらない。」 そしてまた、こうも言った。「こうしたトレーニングのための運動は、週1回では足りないことが統計で明らかになっている。7日たつと、獲得された筋力がもとに戻ってしまうのだ。週2回やれば、筋力は維持される。だから本校の体育の授業は教養過程の間、週2回に設定している。」

そして極め付けは、これだった。「諸君は別に他人と比べる必要はない。各人の運動能力はそれぞれ別で、個性があるのだ。だから、過去の自分とだけ比較して、向上を確認すればいい。」

実際、毎週同じトレーニングを続けて行くうちに、少しずつだが自分のスコアは着実に上がって行った。それは、とても喜ばしいことだった。自分にも運動面で向上する余地が、あるいは可能性があるのだ。トレーニング内容は少しずつ組み合わせで複雑になって行ったが、プログラムが緻密に設計されているため、ついて行くことができた。何より、他人と比較されて、劣等感を感じずに済んだ。それは、生まれてはじめての事だった。

そして逆に、それまで10年間受けてきた体育は、いったいなんだったのか、と思わざるを得なかった。運動部の、ほとんどプログラムも設計もない、ただむやみなジャンプやダッシュや筋肉運動の数々。そして体力をつけるため「体をいじめる」という、不可思議な観念。それは単なる精神主義の産物ではないのか。こうしてスコアに記録して数値化し、それを集めて分析し、さらにプログラムの設計を向上させる、という科学的発想はどこにも見られなかった。だが、あきらかに体育は科学の対象なのだ。目から鱗が落ちる経験とは、まさにこのことだった。

それから、長い年月がたった。会社に入り、またわたしは運動ともスポーツとも縁のない生活になった。最初の頃こそ昼休みのジョギングとかプールでの水泳などをしていたが、次第にいつの間にか遠ざかり、気がつくと筋肉は衰え、おなか周りばかりが成長した。

このままではまずいと、中高年になってからヨガを始めた。ひとのすすめもあってはじめたのだが、最初はひどくつらかった。何せ、非常に体が硬いのである。ヨガは様々な「ポーズ」をとることが基本だ。そのポーズが、ちっとも決まらないのである。他人がやすやすとやっている(と見える)ことが、自分にはほとんど拷問だった。金を払ってまで、なんでこんな辛い思いをしているのか、思わず自問自答した。それでもすぐにやめなかったのは、ヨガをやった日は多少よく眠れたからだった。

しかし、しばらくして良い先生と出会うことができた。この先生はエクササイズの途中の段階に来ると、目を閉じてやってください、と指示する。そして、「自分の体の状態に意識を向けるよう集中してください。他人と比べる必要はありません。」という。このことで、随分、気持ちが楽になった。自分だけ上手にできなくても、それを恥ずかしく思う必要はないのだった。おかげでそれ以来、相変わらず体は硬いが、何年間も続けられている。体の硬さも、ほんとうにゆっくりではあるが、少しは改善されてきた。

競争原理で人は動く、と広く考えられている。それは確かにそのとおりだ。競争があったからこそ、発明も進歩もあり、人類の生活はここまで発展することができた。だから、学校でも企業でも、人をお互いに競争させ、順位をつけることで管理する仕組みが広がっている。入学試験しかり、業績評定しかり、昇進しかり。

しかし、このような競争原理による人の管理には、一面、不安定な部分がある。それはトップ2~3割の人間にはとても効果的に機能するが、それ以外の7~8割は途中から次第に息切れしていく点だ。そしてボトムの1~2割は、早くに競争に背を向け、戦線離脱していく。残る5~6割の、いわゆるボリューム・ゾーンにいる人たちのモチベーションをどうやって維持するかが、このような管理手法の課題になる。

ところで、あの体育の先生はわたしたち学生を「管理」していただろうか? そうではなかった。記録を見て何か異常を発見したり、実技で怪我が出たりしたときには介入したが、それ以外はわたし達にまかせた。わたし達はいわば、自分で自分を管理したのだ。マネジメント理論の用語でいえば、『目標管理』(Management by Objective)である。先生の役割は、プログラムをつくり、記録・データを分析し、異常がないかを見守っただけである。わたしは、他人ではなく過去のわたしと競争していた訳だ。

だれしも、管理されるのはいやだ。でも、能力は向上したい。もしも人と比較して管理されるのが嫌なら、自分自身が設定した目標とくらべて向上を図るしかない。「目標管理」がひろく用いられる所以である。逆に、むきだしの競争原理が、科学と無縁の根性論に結びついて生まれた「管理」システムは、ボリューム・ゾーンの人のやる気を傷つける可能性さえあるだろう。

大学入学後に義務づけられた最初の半期が終わった後も、わたしは、また「トレーニング」クラスを選択した。今度は自分の意思である。わたし自身はボリューム・ゾーンの、かなりボトムの方だった。それでも楽しく授業を受け続けた。良いプログラムと、数値に基づく自己目標と、データの科学的な分析。それがあれば、あとは人は自分で育つのだ。

そのことをわたしは、ちゃんと学んだだろうか? 毎晩、寝る前にストレッチをしながら、今日も職場で余計な「管理」をしていなかったか、自分で反省しつつ思い返してみるのである。

『職人的であること』を調べるための5つのチェックリスト (2013/07/15)

ビリー・ワイルダー監督の映画が好きだ。20世紀中盤に活躍したアメリカの映画監督で(出身はオーストリア)、軽妙だがよく練り込まれた脚本と、俳優の持ち味を生かす演出やキャメラが特徴である。先日も「深夜の告白」をBSで放映していたので、すかさず録画した。彼は「サンセット大通り」「アパートの鍵、貸します」「昼下がりの情事」など、映画史に残る有名な作品をいくつも撮っているが、古い人なのでややマイナーな作品はなかなか見るチャンスがない。

ビリー・ワイルダー監督の一番好きな点は、『職人的』であることだ。妙に芸術映画をねらったり、あるいは大作で観客動員をあてこんだりする映画作家も多いが、彼は堅実な作風で、かつ観客のかゆいところに手が届くサービス精神に満ちている。その上で、ときに忘れがたい名シーンを作り上げる。職人に徹しながら、ある瞬間、職人芸を突き抜けて普遍的表現に至る。その点で、ヒッチコックや、もっと古いところでバスター・キートン(喜劇俳優・兼・監督)にも、ちょっと似ている。というか、わたしはどうも、そういう人たちが好きらしい。

職人的であることとはどういうことなのか、ときどき考える。永六輔に「職人」(岩波新書)という本があり、期待して読み始めたのだが、途中で

「売ろうと思って作っているのではないのですよ。作ったものが、ありがたいことに売れていくだけです。」

との発言がありがたそうに収録してあり、その時点でわたしは読むのをやめてしまった。これは、職人の言うセリフではない。いつの間にか芸術家(民芸家)になってしまった、元職人のセリフと感じたからだ。職人というのは、商売であり、職業感覚をつねに持っている。考えてみてほしい。大工や左官屋(=壁を塗る職人)が、“売ろうと思って作ってはいない。作ったものが、売れていくだけ”などと言うだろうか? 職人は注文に対して、仕事をする。自己満足のために仕事はしないのだ。日用品は注文が無くても作るかもしれないが(=見込生産)、使い手の実用品を作っている意識はなくさないはずだ。

1年半ほど前、わたしはこのサイトで、これからの日本の若い人たちは職人的な手仕事や農業に再び向かうのではないか、という予測を書いた(「2年後の日本を予測する」2012/01/09)。大学や専門学校などで高い教育を受けた人たちが(日本の専門学校は世界的に見て非常にレベルが高い)、手仕事に向かうのは、良いことだと思う。昭和の時代には、職人や農民は工業高校や農業高校出だった。知的訓練の場としては十分とは言い難いが、作れば売れる高度成長期には、あまり複雑に考える能力は不要だったろう。でも現代では、ちゃんとしたマインドがないと、規模の小さな専門的商売はうまくやっていけない(世の中には、“一流エリート校以外の大学は不要だ、二流三流の大学はつぶしてしまって、平民は高卒の給料で働かせれば十分だ”と考えている人たちもいるらしい。だが、わたしは若い時期の数年間の知的訓練は、決してムダではないと思っている)。

ただし、今では忘れられつつあるが、昭和時代の職人は、それなりにきちんと収入を得られる職業だった。家族を養い、弟子を育てる余裕もある、立派な職業である。だから、自負も高かった。それが工業の大量生産に押され、次第に自立が難しくなり、平成のバブル時代に事実上、絶滅に瀕することになったのだ。ただ、現代の日本はもはや、画一的な大量生産だけでは生き残れない時代に変わっている。そこにもう一度、手仕事へのチャンスが生まれるのではないか。そもそも、日本人の資質はこうした職業に向いている。いや、むしろ今のわたし達の社会では、組織に属しネクタイを締めて通勤していても、内面の実質は職人である人も多いかもしれない。

そういうわけで、「職人的であること」の適性を調べるためのチェックリストを作成し、ここに供する次第である。読者諸兄も、自分の同僚や上司や部下に、「ネクタイを締めた職人」がいないかどうか、チェックしてみてはいかがだろうか。リストは5項目からなる。

1.ツール: 

職人気質は、道具へのこだわり・愛着が強い。この点は説明不要だろう。自分の道具は自分で研ぎ、自分の道具箱は人に勝手に触らせないのが職人の典型である。

2.名誉心: 

職人は世間で有名になることよりも、同業仲間で一目置かれることを目指す。職人は寡黙なのだ。メディアにこびを売るのは芸人やマーケター達のする事である。

3.独立心: 

職人は、組織よりも職種への帰属意識が強い。だから独立心も強い。かつて大勢の職人を抱えていた人の話によると、何年も働いていても、気に入らないことがあると、ある日プイっと辞めて、いなくなってしまうという。手に職があれば、また次の仕事が見つかるのである。

4.報酬:  

職人は、きちんとした報酬のために働く。ただし、金銭は必要条件だが、十分条件ではない。それよりも、「いい仕事」が最大の報酬(満足)である。だから時には、多少赤字になっても、満足のいく仕上げに努力したりする。

5.細部への指向

職人は、細部の仕上げに努力を惜しまない。

ご存じのとおり江戸時代の身分制度は「士農工商」で、職人は三番目の身分と言うことになっていた。で、上記の5項の頭文字を集めると、ツール(T = Tool)・名誉心(H = Honor)・独立心(I = Independence)・報酬(R = Reward)・細部への指向(D = Detail oriented)で、"THIRD"となる次第だ。まあ、これ以外にも、職人は仕事の手順にこだわる(良い成果が出ても手順が不正だと認めない)とか、数値管理されることを嫌う(量より質だ)、とかいろいろ思いつくが、5項目くらいが扱いやすいだろう。

職人は今や絶滅危惧種だが、職人に類似した生きものに、「エンジニア」と「アーティスト」がいる。これらはみな、『モノづくり』種族に属する。ただし、エンジニアは背景に西洋近代科学があるため、普遍性・汎用性を指向する。ここが大量生産時代にマッチしていたため、職人と入れ替わるように一時かなり繁殖した。一方アーティストはつねに少数だが、独創性・個別性の世界に生きている。

いいかえれば、職人は「自分がやれば、つねに90点」の仕事をめざす。エンジニアは「誰がやっても、だいたい80点」の仕事をつくろうとする。そしてアーティストは「0点か、さもなければ120点」の仕事をねらう(そして同じモノを見ても、人によって0点か100点か違ったりする)。求めるものが、異なるのだ。

こまったことに、自分ができると思っていることと、世の中から求められることは、ときどき差がある。職人として求められ、職人として働ければ、それはそれで幸せである。逆に、エンジニアとして会社に雇われているのに、実質は職人で、しかも自分はアーティストだと自負していたら、それはかなりの悲劇だろう。だからこそ、自分自身は職人として仕事に徹し、しかも時にアーティストの燦めきを見せる、ビリー・ワイルダー監督のような人がわたしは好きなのである。

レベルいくつの議論をしているの? (2013/06/30)

わたしの働くエンジニアリング業界では、プロジェクトの構造や規模感について、ほぼ国際的な常識ないし合意事項がある。我々の業界で大規模プロジェクトといったら、予算総額1,000億円以上を通常、指す。そして大規模プロジェクトを構成する種々の単位作業(Activity)の総数は、大ざっぱに3~5万程度だ。もっとも最近はプラントの大型化が進み、規模感はややインフレ気味だが、上記の数字は一つの目安になる。

ところで、Activity数が3~5万と書いたが、これはプロジェクトを構成する最下位のActivity数である。プロジェクトを作業単位に階層的に分解して管理番号をつけ、予算や要員やスケジュールをコントロールしていく基準とする手法は、現代プロジェクトマネジメントの基本である(この作業の階層構造をWBS = Work Breakdown Structure と呼ぶことは、本サイトの読者諸兄ならばよくご存知と思う)。そして、ここで「最下位のActivity」というのは、普通「レベル4」に位置付けられる。

WBS の階層は、上から順に数字で数える。最上位のプロジェクト自体は「レベル0」であり、プロジェクト直下の、すなわちプロジェクト・マネージャーが直接差配する大くくりな作業区分を「レベル1」と呼ぶ。以下、レベル2,レベル3,と階層を下るごとに作業単位が細かくなり、一番下の担当者が走り回る作業をレベル4と呼ぶ。

この階層レベル感覚は、業界全体が順当と考え受け入れている慣習で、欧米の石油メジャーだろうが新興国の新参エンジニアリング会社だろうが、グローバルに共通である。契約書に付随する技術仕様書などにも、例えば「建設段階のスケジュール・コントロールはレベル3の工程表を作成し、1,000-2,000程度のActivity数で構成すること」みたいな要求事項が書かれていたりする。「いや、俺んところは別の分解の仕方が好きだ。せいぜい2階層にして…」などといっても海外では通用しない。

さて、ここからが本題だが、ビジネス界では、どのような事項も多くは階層的になっている。企業組織もそうだし、予算管理もそうだし、課題設定などもそうだ。あるターゲットを決めて、それに対する手段や方策を区分列挙し、総合していくやり方を、英語で"Structured Approach"と呼ぶ(「Structured Approachができる人、できない人」 2012/07/08 参照)。このアプローチは必然的に、階層化された表現とフィットする。たとえば経営コンサルタントはよく、「工場の利益増大」といった上位課題を、「生産量の拡大」「生産性の向上」「在庫の圧縮」「仕入原価の削減」といった下位の課題に順次展開していく課題展開法を用いるが、これもこのアプローチの一つである。

そして、このような課題展開図を作成したときは、レベルの数字を書き入れる。工場の利益増大はレベル1、在庫の圧縮がレベル2、手待ち在庫の最小化はレベル3という具合だ。課題の解決方法を議論する際は、「今どのレベルの議論をしているのか」をつねに意識させる。

このように、課題のレベル感を意識する習慣を持つのは、とても有効なことだ。というのも、我々の議論がこんぐらがる原因の一つが、異なるレベルの議題を持ち込むことにあるからだ。今の工場で重要なのは生産性の向上か仕入れ原価の低減か、というレベル2の話をしているときに、最新のCADツールを導入すれば設計の能率がはかどるからぜひ予算を、といったレベル4の提案にこだわるのは賢い態度ではない。

もちろん、上位レベルの施策というのは、それ自体では抽象的で実行しようがない。だから下位レベルの具体的アクションまで、最終的にはおろしていく必要がある。ただ、現場に近い人間ほど、レベル5あるいはレベル5的な細かな制約にこだわりがちだ。その際、“どのレベルの話をしているのか”を互いに自覚できれば、「レベル4のこれこれの制約が現場にあるから、そのレベル2の施策は無効だ」といった、一足飛びの議論を避けることができる。

ミクロで細かな状況について検討するときに、マクロな情勢の優先度を忘れない態度のことを、『大局観』と呼ぶ。つまり、レベル感覚は大局観をやしなうのに有効なのである。

技術者という種族は、どうしても具体的な細部にこだわる傾向が強い。また日本を含む東アジアの文化は、欧米に比較すると、ディテール指向であるように思われる(同じプロジェクトに携わっていた米国人の同僚が、“なぜ非常にdetail orientedな議論をしたがるのか”と不思議がっていたのを、よく思い出す)。そこで我々の議論は、すぐに具体的個別性の藪の中に迷い込みがちである。欧米が何もかも優れているとは思わないが、彼らの抽象思考の能力は学びたいことの一つである。レベル1ならレベル1の世界の中で、彼らはちゃんと仮説を立て論証し演繹することができる。そこがしっかりしていると、実行段階でいろいろなことが起きても、大局観があまりブレずにすむ。

もう一つ。最初に書いたように、大規模プロジェクトのWBSを展開して数万のActivityを洗い出す際も、せいぜいレベル数は4程度でとどめる。階層の数が意外と少ない、と感じないだろうか。階層構造を作るときは、どちらかといえばフラットな形に展開し、あまり縦方向に深掘りしないでおく。この点は重要だ。

なぜかというと、タスクや課題の階層は、それを追いかけるための管理組織構造と結びつくからである。どんな人間でも、自分の目できちんと見ていられるのは、自分の担当するレベルの上下2階層か、せいぜい2階層下くらいまでである。プロマネはプロジェクトのレベル1を見るのが主な仕事だ。レベル2くらいは、必要に応じて口を出すかもしれない。しかし、それ以下のレベルについては、誰かに移譲してコントロールをまかせる事になるだろう。工場長は、工場レベルの課題や、その下の部署レベルの課題は相談に乗るだろう。しかし、明日の製造品目はどれにしましょうか、といったレベルの事までは面倒見きれない(それがよほどの大事であって工場長決裁を必要とするような問題でない限り)。

だから、階層を深く深く作ってしまうと、管理階層もそれだけ入り用になる。そうすると、遠からず管理過剰になって、余計な問題が生じてくる。ロジカルで頭のいい人が課題展開作業をすると、やけに厳密に階層を区分して、8レベルや10レベルまで出来あがったりする。しかし、階層区分は「良い加減」でまるめる技能が必要である。システム工学風にいうと、「深さ優先」でなく「幅優先」でツリーをたどることになる。

4レベルで3~5万という数字は、1レベル増えるごとに、13~15くらい枝が分かれる事を意味する。これが一つの目安なのだろう。そしてこの数字は、「組織のスケールアップと変曲点」で書いた、一人の管理者が持つべき部下の数と、偶然かもしれないがほぼ一致している。

もちろん、上に書いたレベル数は、相対的な位置で、企業内の絶対値ではない。工場長にとってレベル1の課題は、もしかすると会社全体ではレベル2なのかもしれない。大規模プロジェクトといえども、会社ではビジネスユニットの下のレベル2の仕事だったりする。国全体の経済でいえば、レベル1の問題は、首相や閣僚や知事がかかわるべきものだ。業界単位の問題は、まあレベル2。そして、SONYやトヨタがいかに大企業であれ、個別企業はレベル3の話題であろう。今日のメディアは、どうもレベル6かレベル7くらいの話題をセンセーショナルに取り上げるのが好きなようだ。だが、レベル2くらいの重要な、しかし記事の見出しになりにくい、ゆっくりした大きなトレンドを、かえって見逃す傾向がある。

そうした中で大局観を失わないためにも、わたし達は、どんな議論であれ、全体のスコープの中でどのレベルの話をしているかを、つねに意識する態度を身につけるべきなのである。

組織のスケールアップと変曲点 (2013/06/16)

「ご趣味は?」ときかれたら、「音楽です。」と答えることにしている。「どんな音楽がお好きなんですか」とさらに質問されたら、「別にこだわりなく、何でも聴きます。やる方で言えば、素人コーラスが趣味でして」と答えるだろうか。合唱で歌を唄うというのは、いかにも中産階級的で、室内派的な道楽だ。ダイビングとかヨットとか、もっと活動的でリッチな趣味だったらかっこいいのだが、あいにくアウトドア派ではない。

ここ何年かは、荻窪を中心に活動する小さな男声アンサンブルに所属している。メンバーは今のところわずか6人。指導の先生を入れて7人。これくらい小さなグループだと、あまり組織といえるほどのものはない。広報、渉外、楽譜の手配、合宿、会計、そして演奏会の準備など、みな手分けしてやっている。一応、対外的な書面上ではリーダーがいるが、ほとんど実際の運営上はみな対等である。手が空いたら他の仕事も手伝う。あまり専門分化しておらず、フラットな人間集団である。学者だったら、「ネットワーク型の組織」だとか名付けるのだろうか。

(ところで、まるきり余談だが、もし少人数の男声アンサンブルでやさしい曲を歌ってみたいという方がいらっしゃったら、ぜひご参加ください。「せめて各パート2人は欲しいよね」などと言い合っているのです。詳細はホームページ「アンサンブル・ハイブリッジ」まで)

さて、話を元に戻すと、会社形態になっても事情は似たようなものらしい。先日、高校時代の旧友がはじめた電子出版の会社に遊びに行った。友人が社長で、ほかに3名ほどのスタッフがいる。だが、これくらい小さな組織では、社長も当然ながら、編集そのほか自分でいろいろ手を動かさなければならないはずだ。社員はみな、何でもやらざるをえず、その結果、多能工的に動く。

ただ、会社がもう少し成長して、人数も増えていった場合は、少しずつ担当が専門分化していくだろう。また、皆に共通な『雑用』的な仕事は、くくりだして誰かひとりが受け持つ方が効率的だと気がつく。そして、対外的な責任者としての顔、あるいはいろいろな局面での決断、などの必要から、次第にリーダー役の重要性が大きくなっていく。数人のころは皆で相談して決められるだろうが、しだいにスタッフ全員が同時に顔を合わせられる時間が減っていく。必然的に、「会議」を設定せざるを得なくなる。会社組織っぽくなっていくわけだ。

それでは、組織がほんの数人規模からスケールアップしていったとき、「専任のマネジメント職」が必要になるのは、どれくらいの規模だろうか? これについては、仕事の種類や複雑さによって、かなり答えはばらつくに違いない。ホワイトカラー的な、つまり(一応)知的な職種か、コールセンター的な、やや繰返し的な職種か、あるいは製造現場や建設現場での本物の力仕事かで、違いはあると思う。

ただ、わたし自身がかかわってきたプロジェクト的業務の場合、コスト管理や決断・交渉といった「リーダー」的な業務は、ざっくり見積もって、仕事全体の7~8%程度はありそうな気がする。またこれ以外に、「サポート」的な仕事、すなわちオフィス環境の整備だとか伝票・ファイルの整理だとか入出金の事務だとかが、やはり仕事全体の7~8%程度を占めるように感じられる。

つまり、言いかえると、メンバー数が12人から15人程度になると、専任の「リーダー」が一人と、専任の「事務的スタッフ」が一人ずつ、必要になる計算である。それ以下の人数のチームでは、リーダー的な仕事は無論あるが、それは専任一人分の量はない。だからリーダー格の人間が、自分でも設計業務など手を動かしながら、その傍らパートタイム的にマネジメント機能を担うことになる。スポーツにたとえれば「プレイング・マネージャー」の状態である。だが、たぶん15人以上の組織になると、もう兼任はできなくなる。リーダーも設計のレビューなどはやるだろうし、やるべきだが、自分自身で計算したり図面を書いたりする暇はなくなっていく。

もちろんプロジェクトの場合は固定組織と違ってチームの人数が途中で変動するから、ピーク時に15人でも全期間を平均すると10人以下になろう。まあ期間を1年足らずと見て、全体の工数が100人月程度のところに、ある種の変曲点がある。それ以上の規模の仕事では、マネジメントに専任する人がどうしても必要になる。それに、上記の7~8%という数字は、プロジェクトの種類・内容にもよる。ここでは、面倒な顧客で、やれ契約書だやれ進捗レポートだと、事細かく要求してくるようなタイプを想定している(海外顧客は大概これだが)。もっと鷹揚な顧客で、“君に任せておくから好きにやってくれたまえ。代金? 一括先払いしておくよ”、という場合はパーセンテージはずっと小さくなるはずだ(あいにく、そんなお客にあたったことはないが)。

マネジメントに専念するリーダーがいる組織では、メンバーはその部下ということになり、組織内に上下関係(階層)が生じる。学者なら「階層型組織」のタイプになった、と分類するだろう。仕事の結果も、それなりにリーダー個人の能力や個性に引きずられることになる。なぜなら、もはや意思決定は全員の合意ではなく、リーダーが結果責任とともに引き受けることになるからだ。欧米はこの種の、一人に権限と責任を集中させる組織が好きらしい。音楽で言えば、指揮者のいるオーケストラのようなものだ。少人数のアンサンブル(弦楽四重奏など)はメンバー同士の息を合わせて演奏できるが、楽曲の規模が大きくなると、専任の指揮者が必要になっていく。

では、専任のリーダーがいる組織が、さらにスケールアップしていったとき、それ以上の変化はないのだろうか。百人でも千人でも、あるいは10万人でも、あとはずっと、トップの個性が全体を引っ張っていくのだろうか?

どうも、そうではないらしい。ある規模を超えると、組織はさらに質的な変化をとげて、次の段階に移るようである。先輩の経営コンサルタント諸氏の話を総合すると、次の変曲点は、意外と小さくて、200~300人程度らしい。この規模を超えると、社長一人の意気込みだけでは、会社を引っ張りきれなくなるという。そして、きちんと会社を動かす「仕組み」が必要になってくる、と。

この点については、異論もあろうかと思う。やはり組織ってリーダーの影響は大きいんじゃないの? 経営者がダメだと大会社も業績が落ちるし、戦争の勝敗だって将軍で決まる。スポーツを見たって、やはり監督の采配が勝敗を決するじゃないか。

だが、スポーツのチームはせいぜい10数人である。控えや2軍を入れたって、スポーツの世界で200人を超える組織というのは、まず無い。大企業の業績でいうと、おかしくするのはトップ一人でもすぐできる。しかし、好業績を持続するのはそう一朝一夕には出来ない。壊すのは簡単だが作るのは大変なのだ。

そして、戦争の例でいえば、桶狭間の戦いなら、たしかに信長のリーダーとしての決断と実行(つまり能力)の成果だと言っていい。しかし、関ヶ原の戦いは、徳川家康と石田三成のリーダーとしての能力の差だけで説明できるだろうか。まして、太平洋戦争の勝敗結果は、両国のトップ(つまり元首)の能力の差だと言ったら、読者諸賢は納得できるだろうか。アメリカ人なら"Yes."と言うかもしれないが、日本人でこの見解に賛成するのはかなり少数ではないかと思う。

だとしたら、組織がスケールアップしていくと、どこかで組織としての働きは質的に変化するのだ。そして、それは200~300人という、わりと小さな数字でおこるというのが、多くの中小企業を見てきた先輩診断士の証言である。

その点を超えると、何が変わるのか? まず、社長が全部の問題を決めるだけの時間がなくなっていく。それと、社長が社員全員の顔と名前、そして性格を覚えきれなくなる。そうすると、個性に応じた適材適所の配置が困難になる。そこでどうしても、個人ではなく、組織で決断したり問題解決をしたりする仕組みが必要になる。判断や行動のためのルールも求められる。教育の段取りや分担もしかり。つまり、「マネジメント・システム」がないと会社が回らなくなるのだ。

そして、この変曲点を理解して、乗り切れるかどうか、トップが自分の手中にすべてを握るのを諦めて、かわりにきちんと権限移譲の仕組みを構築できるかどうかで、会社がその先に成長できるかが決まるという。たしかに、この変曲点を乗り越えられずに、200人規模で伸び悩んでいる会社をわたしも見たことがある。

それにしても、この200-300という数字が、14~17の自乗になっているのは偶然だろうか? 上にあげたように、12人くらいのチームに、専任のマネージャー1人と事務スタッフが1人ついて、14人。このチームが14個集まると、196人になる。その上に、トップが1人。トップが直接、面倒を見ていられる部下(ミドルマネジメント)の数も、これくらいだろう。それ以上規模を拡大した場合、ミドルの数を増やしてもトップが全員を見きれなくなる。かといって、ミドルの数を14人のままに固定したとしても、今度はミドルが部下を見きれなくなる。それで結局、階層を一つ増やす事になる。(チーム単位が15人なら、マネージャーとスタッフを加えて17人。上限は17×17=289で、約300人だ)。そうなるとやはり、マネジメントのための「仕組み」の出番だ。

では、組織が300人をうまく超えたら、あとは一直線なのか。そこも少し疑問がある。わたしの経験にもとづく漠然とした直感では、製造業の場合、年間売上が1000億円を超えるところで、さらに組織に変曲点があるような気がする。売上を人数に換算すると、一人当たりの売上が2-3千万円として、従業員3,000-5,000人くらい。どうもここらあたりに、次のバリヤーがありそうだ。それ以上になると、今度はスタッフすなわち間接機能を、さらにうまく専門分化させていく必要がでてくる。

さて、この3,000-5,000人という数字、どう根拠づけるか。先のベースを無責任に外挿すると、1単位14-17人の3乗の数字が、ちょうどそれくらいの人数になる。ここに何らかの機序があるのかもしれない。しかしむろん、何の根拠もない素人の空想である。誰か経営学者が、もっときちんと研究してくれるとありがたいのだが。

日本のメタン・ハイドレート活用をはばむ(かもしれない)陸上側の課題とは (2013/05/06)

日本近海には天然ガス資源の一種である『メタン・ハイドレート』が大量に眠っている。メタン・ハイドレートとは、メタン分子を水分子が取り囲むような形で固体化した包接化合物で、低い水温と高い圧力のもとで生成する。一種の透明な氷に似ているが、メタンが閉じ込められているので火をつけると燃える。このメタン・ハイドレートの採掘を実用化すべく、国の後押しを受けて研究者たちが最近活発にチャレンジしていることは,新聞報道などで見た人も多いだろう。エネルギー資源をほぼ100%近く輸入に頼っているわたし達の社会にとって、自国内に未開発資源が大量にあるというニュースは心強い限りである。

さて、半年ほど前だが、東大柏キャンパスで開かれた日本船舶海洋工学会の秋期講演会に呼ばれて、「石油・ガス開発における国内産業界の取り組みについて」の題で講演をした。これは『我が国の海洋産業について考える』というオーガナイズド・セッションの一部で、メタン・ハイドレートなど海洋での非在来型エネルギーを、陸上側における石油・ガス産業などが利用する際の課題について話してもらいたい、との要請であった。船舶海洋工学会に集まる参加者は、いわば海の人々で、陸上の事情にはあまり詳しくない。だから課題があればともに考えていこう、とのご趣旨である。

海底に眠るメタン・ハイドレートをどうガスとして採掘し取り出すか。たしかにこれは技術的に非常にチャレンジングで面白い課題だ。とくに安全かつ効率的に取り出すのは難しい。メタン・ハイドレートはある意味、不安定な物質で、下手に刺激すると爆発的な乖離を引き起こすらしく、北欧の深海底には自然に引き起こされたらしい大規模爆発の跡が残っている。しかし、かりにうまく海の真ん中でメタンガスを効率よく採取できたとして、それをどう利用するのか。エネルギーが足りないのは日本の本土なのだから、船の上で燃やしても何の役にも立たない。陸まで持ってこなければならないのだが、わたしの考えでは、そこに4種類の課題がありそうだ。

課題その(1)は、ガスの前処理と輸送方法の適切な決定である。普通に考えるなら、ガス・パイプラインによる陸地への輸送が第一の選択肢となろう。ただ、パイプラインは相当の距離を、それなりの深度の海底に敷設することになるので、コストと安全性の両面で不安がある。ガス中の水分・CO2などは、パイプラインに送り込む前にある程度除去しておくことが望ましい。これは採取地点のあたりに浮体構造の処理設備をおくことでなんとか解決するだろう。

もう一つの選択肢は、LNG化によるLNGタンカー輸送である。浮体構造の天然ガス液化プラント(F-LNG)で液化し、LNG船で輸送する方法だ。ただし、これを実現するためには、産出ガス量がある程度必要であり(あまり少量だとLNGプラントの効率が上がらない)、当然それなりの投資額となる可能性がある。

陸上まで無事に運んだとして、次なる課題その(2)は、陸上側での受入基地の設置である。受入基地の目的は、ガスの精製・貯蔵・陸上出荷だ。産出されるガス組成と輸送形態にもよるが、我が国の厳しい環境規制に適合したガス精製・貯蔵設備と広い土地が必要になる。メタン・ハイドレートでいま注目されているのは南海トラフだが、そうなると和歌山や四国・九州南岸あたりに立地が必要である。また、通常の天然ガス精製技術はある程度確立しているが、ハイドレート由来ガスに関してはチャレンジも生じるだろう。

しかし、活用における最大の障壁は、課題その(3)の「販売のサプライチェーン整備」にあると考えられる。受入基地まで運び込まれた天然ガスは、当然ながらその先に販売チャネルが必要である。ところが、ここにエネルギー・サプライチェーンの分断という問題が立ちはだかるのだ。

周知の通り、我が国のエネルギー業界は消費者への供給形態にしたがって、「石油業界」「ガス業界」「電力業界」という風に分かれている。資本関係も互いにほぼ独立である。これは日本の特色と言っていい。本来エネルギーというのは互いに転換可能であり、じっさい日本では天然ガスの国内用途の約7割が電力(火力発電所)に使われている。そのため海外では、同一企業グループが石油もガスも発電も取り扱う形態が多い。石油メジャーや韓国の財閥などはその典型である。

しかも日本の電力ならびに都市ガス業界は、地域独占事業の形態をとっている。全国区でエネルギーを販売しているのは石油業界だけである。ガス業界はさらに、導管供給主体の「都市ガス」業界と、「液化石油ガス」(プロパンガス)業界に分かれる。都市ガス業界は、東京・大阪・東邦・西部の大手4社の他に、中小規模の地域会社が多数存在する構造だ。というわけで、消費者用・事業用を問わず、ガスの販売業者は地域性が強い。

この問題をさらに難しくているのは、日本におけるガス・パイプライン網の欠如である。我が国には米国のような広域ガス・パイプラインが存在しておらず、また将来も引けないだろうと予測される(理由はここには書けないが、この予測に同意する業界人は多いはずである)。このため、ある地域で受け入れたガスを、他地域のユーザーに輸送供給するのは困難だ。だからメタン・ハイドレート由来の天然ガスを、どの地域の基地に受け入れるかは、各社にとって死活的に重要となる問題なのである。

せっかく日本近海でメタン・ハイドレート採取が実用化しても、それはごく一部の地域しか恩恵をもたらさない可能性がある。その根本原因は、わたし達の社会に総合的・全国的なエネルギー・サプライチェーンが存在していないことにある--物理的なインフラの意味でも、業界構造や地域独占の壁という意味でも。理想をいえば、いろいろな地域で、自由な発想を持った供給業者が競争し、それを他地域の消費者が自由に選べる形となることが望ましいのだが、残念ながら一朝一夕には実現するまい。

では、どうしたらよいのか。

一つの方法は、ガスを採取する洋上プラントで、同時にガソリン・灯軽油化することである。天然ガスを物理的に冷却・圧縮するLNG化と異なり、化学反応によって石油中間留分に転化する技術をGas to Liquid(GTL)と呼ぶが、これはすでにカタールや南アなどで実用化されている。そして、ガソリンや灯軽油ならば、通常の安価なタンカーによって、日本のどこにでも輸送が可能である(LNG船はそれ自体が高価な上、LNG受入基地は日本に少ない)。さらに、石油製品の輸送網は全国化しているため、サプライチェーンの問題も小さい。

もう一つの方法は、天然ガスとして陸上に受入れ、その場所でエネルギー複合供給ビジネスを起こすやり方だ。単に都市ガスとして域内に供給するだけでなく、同時に発電ならびに地域熱供給事業も行う。電力ならば、一応、電力網を超えて販売することも可能だ。供給の安定性や操業の自由度から考えた場合、このように都市ガス・発電・熱のコンビネーションで複合供給ビジネスも構想しうるだろう。先の方法と組み合わせて、GTLをメニューに入れるのも一案だ。無論、こうした取り組みには、地域と業界の規制の壁を超えるための様々な工夫が必要かもしれないが。

いずれにしても、海底のメタンをうまく掘り当てたとしても、それを本土に持ってきて活用するまでには、かなりいろいろなチャレンジが想像される。事業費もかなりかかるだろう。だとすると、最後の課題その(4)として、ファイナンスとリスクの克服をあげなければなるまい。海洋資源開発事業は巨額の投資を必要とし、リスクも大きい。リスクの中には、国内あるいは国際的なガス価格の下落なども含まれる。そう言う意味で、たとえば石油天然ガス・金属鉱物資源機構など公的資金の最大限の活用が望まれようし、もちろん賢明なるわれらが政府は、すでにその方向に向けて課題を整理中、だと信じたいところである。

シェールガス革命と、天然ガス価格のゆくえ (2013/04/28)

この1ヶ月ちょっとの間に、エネルギー業界(とくにOil & Gas関係)では重要なニュースがたくさんあった。

一番のニュースは、ロシアのロスネフチRosneft社がExxon Mobilを抜いて世界最大の石油会社になったという出来事だろう(3月22日)。かれらは、英国BPと露の投資家たちの合弁企業であったTNK-BPという会社を540億ドルという「目の飛び出るような」(International Oil Daily紙)価格で買収して、世界トップ規模に躍り出たのだ。

ちなみにロスネフチは上場企業だが、実質的には国営会社であり、セチン社長はプーチン大統領の側近中の側近といわれる。同社はこのところ、米ExxonMobil、ノルウェーStatoil、伊ENIと、矢継ぎ早に戦略的アライアンスを締結し、急速な業容拡大を図っている。4月に入ってから丸紅ともサハリン1のLNG事業(1.5兆円、年産1000-1500万トン)での提携にサインした。プラント建設地はサハリン対岸のデカストリが有力とみられる。

ところで、国営会社ロスネフチが英国の石油メジャーBP社の資産を高値で買った点は、記憶しておいた方がいいだろう。BPは3年前にメキシコ湾で起こした深海油田での史上最大の原油流出事故のため、相当な賠償負債を抱えた。その彼らの経済的苦境を、大いに助けてやった訳である。これはすなわち、ロシアが英国に対して、外交上の貸しを作ったことを意味する。今後、ロシアの重要なデシジョンにおいて、英国が何らかの後押しを目立たぬ形でするのではないか。国際外交の行方を読むためには、こうしたニュースまで目配りが必要なのだ。

さて、ロシアにはもう一つ、ガスプロムGaspromという巨大な国営ガス会社がある。ロシアには他にも天然ガスの開発を手がける会社は存在するが、そのガスを欧州など消費地に輸出する権限はガスプロムがずっと独占してきた。しかし、プーチン大統領は2月に、液化したLNGについては輸出自由化を検討するよう指示している。以前もこのサイトで書いたとおり(『世界の天然ガス資源と、日本のチャンスを考える』)、ロシア経済は天然ガスをパイプライン経由で欧州に販売することで成り立ってきた。しかし欧州危機その他の理由で、販売価格は低迷中だ。そこで、北極海やシベリア、サハリンなどの天然ガスを東アジア市場に仕向けることで活路を見いだそうというのが現在のロシアの経済戦略である。

東アジアに売るといっても、パイプラインで直接輸出できるのは地続きの中国だけで、日本と韓国へはLNGにして運ぶ必要がある。ロシアは中国ともう数年越しで価格交渉を続けているが、かなり難航してきた。中国のネゴがタフなのだろう、との観測もあるが、事情通の話によると、それだけではないらしい。西シベリアのガス田はヘリウムなど希ガスの比率が高い特徴がある。最近、この希ガスの価格がかなり高騰している(東京ディズニーランドで風船を売らなくなったほどだ)が、このためロシアが自分で確保したくなったらしい。

ともあれ難航した中国との交渉も今月、ようやくメドが立った様子だ。残るは日韓だから、ロシアはLNGの液化プラント計画を急ごうとしている。ガスプロム社はロスネフチへの対抗心をむき出しにしつつ、ウラジオストックLNG(1,240億ドル規模)を推進中だ。こちらのガスはサハリン3が主な供給源である。日本側は伊藤忠と石油資源開発(JAPEX)と交渉中だが、石油価格連動型の契約を目指すといっている。というわけで、日本は今、ロシア経済政策の重要なキャスティングボートを握っている。この強みを、ぜひ他の外交政策にも活かして欲しいものだ。

さて、重要なニュースはほかにもいくつかあった。たとえば、オーストラリアのWoodside Petroluem社は、北西部沖のLNG事業Browseを見直すと発表(4月13日)。本案件は豪州第3位の規模の事業だったが、投資額が450億ドルにのぼる見込みとなり、とても経済的要件を満たさないと判断された。最近、豪州のプラント建設コストは上昇を続けている(一つには強い労働組合の存在と、労働者絶対数の不足が足かせとなっているせいだ)。資源大国を目指す豪州の足取りがゆらぎつつある。

また、シェールガス革命にわく米国では、4月1日にGMX Resources社がChapter 11を申請し、シェールガス開発会社が初の倒産、と騒がれた。シェールガス田の井戸の枯渇スピードがかなり速いこともあり、米国シェールガス・バブルの崩壊を予言する向きもある。

しかし、一番わたしが重要だと思ったニュースは、実は今年に入ってから米国の天然ガス価格(Henry Hub指標)がじりじりと上昇し、コンスタントに$4台をつけていることだ。わたしは原油と天然ガス価格を毎日チェックしているが、昨年はほぼ一貫して$4以下で、最安値は$2台だったのだから、比率でいえばかなりの上昇である。米国のHenry Hubガス価格は、原油のWTIなどに比べてると価格のアバレがやや大きいが、短期的に見ると原油と逆行する動きをする。最近の原油価格はやや軟調ながらも、安定している。だから天然ガス価格の上昇が目立つわけで、さすがに日本の新聞でも今月に入ってから報道されるようになってきた。

ただし、「米国のガス価格が上昇してきたから、北米からLNGを輸入する構想がピンチになってきた」といった報道は、ややオーバーに思える。LNGの原価構造は、井戸元ガス価格よりも、液化コストと輸送コストが支配的である。一方、昨年の日本のLNG輸入価格は、長期購入契約の石油連動条項のため、$18前後という高値であった。だとしたら、米国でガス価格が$3から$4に上がったからといって、経済性が揺らぐだろうか? 結果として大差がないことは、ちょっと落ち着いて考えてみればすぐ分かる。日本の経済メディアは国際的なOil & Gas業界のマクロ情勢を見ていないため、こうした常識を働かせることができていないように感じる。

それにしても、米国はシェールガス革命で天然ガスを増産しているのに、なぜ価格が上がるのか?

じつは、こうした動きは予見されていたことなのである。まず、シェール層の井戸1本あたりの寿命が短いことは、業界では最初から周知の事実だった。だから、シェールガスの開発会社は次々と井戸を掘っていかなければならない。自転車操業を強いられるわけだ。

ところで、米国のシェールガス革命をリードしてきた企業はすべて独立系資源会社で、いわゆる大手石油メジャーは当初全く手を出していなかった。では、技術革新に出遅れた石油メジャーは、どう考えたか。

答えは簡単である。市場でのガス価格を低めに抑えて、財務基盤の弱い独立系がギブアップするのを待ってから買収すればいい、というのが彼らの戦略であった。そして事実、天然ガス(主成分はメタンCH4)が安すぎるため、昨年頃から事業家たちはエタンC2H6やプロパンC3H8の成分比が多いガス田(Wet gasとよばれる)に軸足をシフトしてきた。さらにエチレンなど化学工業原料とする、あるいは液化してLNGとして販売する、などあの手この手でガスに付加価値をつける方策を探ってきた。おかげで北米だけで1ダースを超えるLNG計画が浮上したが、石油メジャーがからむ案件がほとんど無いことが、この間の事情を象徴している。

しかし、エチレンプラントにせよ、LNGプラントにせよ、建設し運転できるまで最低でも3-4年はかかる。投資額も膨大だ。それまで独立系が持ちこたえるかどうか、一種の持久戦である。もし独立系が倒れてメジャーが市場を占拠するようになれば、天然ガス価格は元々の採算ラインの$6程度にまで値上がりするだろう・・これが、業界アナリストなどの見方である。$4台への復帰は、その前兆を示しているのかもしれない。

という訳で、石油とガスをめぐる業界は、当分は多数のプレイヤーが入り乱れて組んずほぐれつ、百鬼夜行の状態が続きそうだ。そうなると、情報感度の高い方が生き残りの確率も高い。極東に位置するわれらが政府も、できるだけアンテナを広く張り巡らせてほしいと思うのである。

石油市場という名前の不安定システム (2013/04/20)

一昨年の夏、ジョブズが亡くなる少し前に、Appleが時価総額で世界一の企業になったことは多くの人の記憶に残っているだろう。この時、追い抜いた元の世界一企業はどこだったかというと、石油メジャーのエクソンモービル(Exxon Mobil)だった。石油メジャーときくと、なんとなく長年の間、不動の一位の座を占めていたように感じるかもしれないが、Exxon Mobilが世界一になったのは2005年からにすぎない。Exxonは、1999年末にMobilを買収して(これは当時、史上最大の企業買収だったが、Mobilは元々兄弟のような会社だった)、やっと数年後にその地位にたどり着いたのだ。

石油業界は、じつは不思議な業種である。ふつう、製造業であれ流通業であれ、仕入れる原料の値段が高くなったら、利益は減少するものだ。ところが石油業界だけは逆で、原料(=原油)の市場価格が高くなると、利益も増えるのだ。これは、大手石油会社が、油田などの資源開発と、精製販売のビジネスの両方を持っていることに起因する。ガソリンなど石油産品は、原料アップから製品への価格転嫁が比較的早く、スムーズである。消費者は、原油が相場商品であることをよく知っている。そして油田はいわば地下の在庫資産だから、価格が上がればその分、利益も上がるという仕掛けである。

ExxonやMobil、Shell、BPといったいわゆる石油メジャーは、’70年代に勃興した産油国の資源ナショナリズムの影響を受けて、一時期かなり本業の不振にあえいだ。不振といっても大企業だし、かつ文明の基盤となるエネルギーをおさえているわけだから簡単には倒産しないが、’80年代後半からは業界再編の動きが続いた。彼らが本格的に元気を取り戻すのは、原油の値段が急激に上がりはじめた過去10年ちょっとだ。WTIの指標価格でいうと、’80年代後半以降、バーレル$20前後を長年うろうろしていたが、$25を超えて上昇に転じたのが2000年。ExxonとMobilが合併したのとほぼ同時期だ。以来、2008年のリーマンショック直前に$134という最高値をつけるまで、ずっと上り調子だった(→「社会実情データ図録」参照)。それはExxon Mobilなどの好業績とちょうど時期が重なる。

だが、なぜ原油は2000年代に入って、高騰しはじめたのか。これに対する説明はいろいろありうる。2003年のイラク戦争の影響だとか、米国の石油サプライチェーンの脆弱性とか、中国など新興国の需要増大とか。しかし世界の石油生産量は、じつはイラク戦争の前後も増大し続けているし、中国は石炭にかなり頼っている(だから大気汚染が起きやすい)。だとすると、世界的な原油価格高騰には、他にも何か要因があるはずだ。

わたしが業界筋から聞いた説明は、意外なものだった。その要因は、南米の一人の人物にあった、という。ベネズエラのチャベス大統領だ。先月亡くなった故・チャベス大統領は、反米的な社会主義政策のために毀誉褒貶の激しい人だが、彼が選挙に勝利して政権を取ったのは、たしかに1999年である。そして、じっさいベネズエラは世界第5位の産油国だ。しかし、なぜ彼が石油価格上昇の原因だと言えるのか。

じつは、彼以前のベネズエラはOPECの協定破りの常習犯だったらしい。OPECはいうまでもなく、原油価格の安定維持をねらった産油国のカルテル組織である。相場が安値になると、生産量(出荷量)を調整してしぼり込み、価格が上向くように、彼らは協定を結ぶ。ところが南米ベネズエラは長年にわたり、米国の強い影響下にあった。そして、米国の石油産業に都合のいいように、原油を出荷し続ける「井戸元」国家であった。事実、チャベスの最初の大統領就任式に、米国は何と(国務省の外交官でなく)エネルギー省の役人を参列させたのだ。

そのチャベスが就任後にやったことは、OPECでの協定を遵守することだった。その結果、OPECという名前の石油タンクは以前のような漏れもなく、順々に液面(=つまり原油価格)が上がっていったというわけだ。

チャベスは同時に、米国など海外資本がベネズエラに投資して作った設備資産を、安値で接収し国有化していったから、とくに米国の石油産業からは蛇蝎のように嫌われた。しかし彼のおかげでOPECが機能し、石油価格が上がって、結果としては石油メジャーの業績も安泰となった訳だ。感謝していいくらいかもしれない。もっとも、一般市民や他の産業はガソリン価格の高騰で苦しんだが、その分、石油企業は潤った。マーケットは非情なゼロサム・ゲームの場である(というのが米国経済の論理だ)から、文句も付けにくかろう。

ついでにいうと、石油は戦略物資である。ここで「戦略」というのは、(世間のビジネスマン達が単なるかっこつけのために『戦略』という言葉を多用するのとは訳がちがって)本当に軍略に必須の物資だという意味である。現代では、軍艦も戦闘機も戦車も輸送用トラックも、19世紀以前とは違って石油がなければ動かない。だからこそ、20世紀では石油資源をめぐっていくつもの戦争がおこったのであるし、じじつ米軍は石油メジャーにとって主要な顧客である。石油価格高騰は、軍の予算圧迫という問題を引き起こしたが、同時に「お金がない国は簡単に戦争もできない」状況を作ることによって、世界の戦略バランスを大国中心に引き戻したとも言える。

さて、周知の通り、チャベス没後の大統領選では、チャベス派と反チャベス派がほぼ同数で拮抗している。一応マドゥーロ候補が勝ったことになっているが、当分国内は落ち着くまい。では、この先はどうなるのか。

はっきりしていることは、石油価格はすでにチャベス一人、あるいはベネズエラ一国が左右できる問題ではない、という点だ。たしかに彼は価格上昇のきっかけ作りを助けはしただろう。だが、この10年間に、石油市場は世界的金余り現象の受け皿の一つになっていて、そこでは需給安定化の要因よりも、プレイヤー同士の同調性によるボラティリティが主役の場になっている。つまり、「隣の人が買うから自分も買う」「値が上がりそうだと思うから先物を買う」という、実需とはほぼ無縁の世界になってきたということだ。事実、NY市場だけで見ても1日の取引総額は1日の石油生産量の100倍にもなっている。

以前も書いたことだが、サプライチェーンでは、在庫が需給調整の第一の役割を果たす。在庫が機能しないときは、価格で需給が調整される。ところで、石油は在庫しやすく輸送しやすい商品だ。本来、ローカルな需給の不均衡は起こりにくい。そして自由市場があり、価格でも需給の均衡が作られるはずだ。ところが、2000年代の後半は供給が増加する以上にハイピッチで価格が上がっていき、市場自体がとても不安定な構造になっている。

である以上、石油のサプライチェーンは「小さなきっかけで大きな変化が起きる」不安定なシステムと化している、と解釈すべきだろう。こうした不安定システムの挙動は基本的に予測不可能だ。ただ、経験的に、ビルドアップするときよりも崩壊する時の方が急速に起こる傾向はある。

シェールガスなど、非在来型資源の開発が相次いでいる中、石油と天然ガスなど他のエネルギー商品との価格差は、かなり開いてきている。自分の勤務するエンジニアリング業界の都合だけでいえば、『適度』なところで高止まりしていてほしい。しかし、円安を超える急速なスピードで価格が下がらないと、誰が言えるだろうか。

ネストする地名の謎 (2013/03/04)

京浜急行は、東京の品川から横浜を通って横須賀方面まで向かう私鉄である。東京都横浜を結ぶ鉄道路線は何本もあるが、その中で一番海沿いを通っている。だから何となく車内にどこか潮の香りのするような、庶民的な電車だ。軟弱な地盤の線路上を、かなり高速で運転するから、車内は結構揺れるのでも知られている。駅の名前も、「青物横丁」「鮫洲」「新馬場」「梅屋敷」「六郷土手」と、いかにも昔から人々が住んできた地域を表す地名が並んでいて、“○○が丘”とか“××学園”といった、私鉄不動産部の誰かが机の前で考えたような浅はかなネーミングとは、一線を画している。

その京急に、「神奈川」という駅がある。横浜駅から一つだけ東京よりに戻ったところにある、地味で目立たない駅だ。駅前にはわずかな商店街が並ぶのみで、特急はおろか急行さえとまらず、とまるのは各駅停車だけである。人口900万人を擁する、日本で2番目に大きい(人口の点で)県の名を代表するには、あまりにも小さな駅だ。どうしてこんな小さな町の地名が、県名に使われているのか? 誰が見たって、この県を代表する第一の都市は横浜市である。だったら、なぜ「横浜県」にならなかったのか。

横浜より神奈川の方が古いからさ、という答えも考えられる。神奈川は、古くから東海道の宿場町であった。江戸時代の末期まで、横浜は多少の漁民が住む寒村に過ぎなかった。それが、幕末に、江戸幕府が米国の砲艦外交に屈し開港を決めて以降、貿易港としてみるみる発展していった。外国人たちも居住して、ハイカラな土地になっていく。その場所は、今の横浜市中区のあたりである。そういえば中区生まれのある知人は、「中区以外は横浜じゃないじゃん」と豪語(?)していた。でも、横浜が新しすぎて県名に使われなかったとしても、鎌倉とか小田原とか、古くて立派な町は他にもあったではないか。

ちなみに、古い神奈川宿の方は、かろうじて、横浜の区政の中に名前を残した。おかげで、わたしの家の住所は「神奈川県 横浜市 神奈川区」である。東京の人に「お住まいはどちらですか?」とたずねられ、「神奈川です」と答えると、「神奈川のどちらですか」と必ず問い返される。「横浜の神奈川です」というと、ますます相手は怪訝な顔をするだけだ。階層構造的に分析すると、最上位の神奈川の下に、レベル2の横浜がきて、その下のレベル3に再び神奈川が来る。自己再帰的なネストとなった、非常に奇妙な地名構造である。住所を記入するたびに、なぜこんな命名になっているのだろう、といつも不思議に思っていた。

その謎は、ある日、とつぜん解決した。子ども向けの「日本の歴史」という絵入りの本に答えが書いてあったのだ。それは、現在の神奈川県(とくに東半分)が幕府の領地だったことに関係している、らしかった。もっといえば、明治維新の時、官軍側だったか幕軍側だったかで、その地名の運命が決まってしまうのだ。

日本の県の中で、県名と県庁所在地名が一致するところをあげるてみよう。たとえば、

鹿児島県(鹿児島市)
山口県(山口市)
高知県(高知市)
佐賀県(佐賀市)

これらは「薩長土肥」の藩閥で、明治政府の中心をなした藩だった。忠勤藩とも呼ばれた。ほかに、福岡県(福岡市)、広島県(広島市)、岡山県(岡山市)、福井県(福井市)などはみな忠勤藩だ。

他方、最後まで朝廷に抵抗した東北・北陸の「奥羽越列藩同盟」の諸藩はどうなったか。
盛岡  →岩手県(岩手郡)
仙台  →宮城県(宮城郡)
米沢  →山形県(山形市)
久保田 →新潟県(新潟市)
会津  →福島県(福島市)

みごとに、県名から古い藩の名前が消されている。高崎藩(→群馬県)、松本藩(→長野県)、川越藩(→埼玉県)、姫路藩(→兵庫県)、松山藩(→愛媛県)などの朝敵藩も同様だ。岩手、宮城、群馬などは、1ランク格下の郡の名前が県を代表することになった。山形、新潟、福島などは県名と市の名が一応一致しているが、これらは廃藩置県のプロセスの中で、隣接する朝敵藩を吸収して県となっていった。だから、小田原も、東の神奈川県に吸収されてしまう。

例外もある。徳川御三家のひとつ、和歌山は今も県名に残っている(あとの水戸と名古屋は県レベルの名前になれなかった)。だがこれは、孝女和宮が和歌山藩主の長男家茂に降嫁して「忠勤藩」扱いになっていたことと関係しているらしい。

このような、命名による土地への懲罰を決めたのは、長州藩出身の井上馨だったらしい。周知の通り、明治維新は誰か一人の傑出したリーダーによって率いられた行為ではなく、大勢の元勲や志士たちによってなされた。その結果、明治政府は、内部でのリーダーたちの争い、そして旧藩主たちの不服従といった問題を抱えていた。だが、西南戦争で西郷が戦死、大久保が暗殺され、木戸が病没した後、権力を握って明治国家のガバナンス体制を設計し完成したのは、伊藤博文と仲間や側近たちだった(井上もその一人である)。

廃藩置県は、中央集権型ガバナンスを確立するための第一歩であった。それも、最初は300以上も藩があったため、統治が大変だったらしい。もしあなたが会社の社長で、子会社が300もあったら頭痛がしてくるにちがいない。すぐに合併と吸収で整理し、数を減らそうとしないだろうか。彼らがやったのはそれだった。そして、その仕上げの過程で、命名権を政治的に活用して敵味方の賞罰を与える、というのが井上の発想だった。映画「千と千尋の神隠し」の中で、相手を支配するために相手の名前を奪って忘れさせる、というシーンが出てくるが、まさにこれである。いかにも「今清盛」と呼ばれ権勢をふるった人間らしい発想だろう。

それはともあれ、中央政府から県令を派遣して「子会社」たちから自治権を奪い、中央に従属せざるを得ないようにした体制は、ある程度成功したらしい。今でもかなりの程度、それは続いているからだ。さすがに今では、神奈川県知事は選挙で決まるし、わたしも投票できる。しかし今でも財政の多くの部分は国からの補助に頼っている。「三割自治」と揶揄されてきたゆえんである。国は県をコストセンターとしか見ていない。地域が自立してプロフィットセンター=価値を生みだす源泉となることは想定していないかのようだ。

そしてもう一つの問題がある。前回も指摘したように、中央集権型ガバナンスをとった時には、上位側にはかなりの情報処理能力が要求されることだ。そうでなければ、とくに問題が生じたときに処理がパンクする。それも、右肩上がりの高度成長時代はいい。増えるお金が問題を隠してくれるからだ。今のように社会の乱高下が激しい時に、中央政府は地方の問題に真面目に対処できる余裕はあるのだろうか? 急行電車が神奈川の駅を通過するたびに、わたしは決まって不安におそわれるのである。

おしらせとご挨拶 (2013/01/24)

今回の事件に関し、何人かの方から心のこもったお見舞いの言葉を頂戴しました。お礼を申し上げます。

また、友人・親戚からは、お前は無事かと安否確認の問い合わせをうけました。わたし自身はずっと横浜にいて何事もありませんでしたが、ただ祈って待つ以外、何もできないことに耐えがたい思いでした。

アルジェリアの砂漠の地で、無念のうちになくなられた会社の先輩・同輩の方々に痛惜の念を表するとともに、ほかにもこの事件に巻き添えになり、罪もないのに命を落とされた大勢の方の、ご冥福を深くお祈りしいたます。

まことにやりきれない思いで、言葉もありません。
文章を書く気にもならず、このサイトも更新せずにおりましたことをご了承下さい。

日揮株式会社
 佐藤知一

(なお、来月8日に計画しておりました「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」ですが、好川哲人氏をお迎えして予定どおり開催するつもりです。案内は、こちらのHPをご覧ください)

冬の夜話--欧州の経済と心理について (2013/01/15)

横浜は久しぶりに大雪だ。おお、寒い。

昨年後半から今年にかけて、北半球ではどこも荒れ模様の気候に手を焼いている。北米では妙に暑かったり暴風に見舞われたり、ユーラシアは早くから寒波に見舞われたり。2ヶ月ほど前、プライベートでフランスを旅行したのだが、その時も北部は結構寒くて驚いた。南仏はまださすがに穏和な天気だったけれども、最後の二日間だけドイツのケルンまで足をのばして、あらためて寒さにふるえ上がった。

寒い時分は屋内観光にかぎる。パリでサント・シャペルという中世の古いステンド・グラスの残る教会に行ったときのこと。受付で料金を払ったら、係の人が「これは硬貨が違ってるよ。正しいお金じゃない」と突き返してきた。見ると、たしかに1ユーロ硬貨じゃない。で、手にとって裏の刻印をよく見ると、何と、昔流通していた20フラン硬貨だった。日本から財布に入れて持っていったユーロの中に、紛れ込んでいたらしい。相手も気がついて、「ずいぶん久しぶりにこのお金を見ましたよ」と笑っていた。

EUが各国通貨からユーロに切り替わる2002年の正月、ちょうどわたしはフランスに1年間駐在している最中だった。それまで、一応は慣れていた通貨換算がリセットになり、あらためて別の為替レートで計算し直さなければならない。まあ1ユーロは当時約100円だったから、まだしも比較的やりやすかったけれど、普通の市民はいちいち大変だったにちがいない。あらゆるものの物価や金銭感覚が、全部一度ご破算になるのだ。

それでも、ユーロが流通し始めてからせいぜい3週間ほどの間で、財布の中の紙幣・貨幣が急速にユーロに置き換わっていったのには驚いた。お金の流通速度の速さを実感したのはその時がはじめてだ(まあ、自分はもともと大して持っていないから、回転速度がいよいよ速かったのかもしれぬ)。1月程度の間は二種類の貨幣の並行運用期間で、その間は店などでも両方の通貨で値段が並記されていたものだ。

しかし会計系のシステムとか、自販機とかキャッシュディスペンサーとか、内部処理を考えるとたまったもんじゃない。自分がその種の担当者でなくて助かった、とも思ったものだ。わたしはその時、電子商取引サイトの仕事に携わっていたのだが、これは元々、マルチ・カレンシーの設計だったからとくに影響はない。でも、すべての国内システムを、一時期マルチ・カレンシー処理に変えなければならなかったのだから、それだけでも一大労力だったろう。

通貨が切り替わって翌月だったか、ローマに行って旧知の友人にあった。通貨統合で何か変わりましたか? とたずねたら、「物価が上がりました」と彼女は答えて、憮然としていた。フランスもそうだが、端数を切り上げたり、別の料金体系に移行したりで、結局物価が多少上がったのだ。

でも、それだけではない。通貨統合のもう一つの、もっと重要な影響は、それまで自国通貨が弱かった国々で、外国からお金を借りやすくなり、バブルが生じたことだろう。2004年頃だったか、スペインを旅行した親戚が、あちこち不動産バブル状態で驚いたと言っていた。

バブルはいつかは破裂する。これが、わたし達の学んだ歴史的教訓だ。宴の後、つけを回して最後に払いきるまで、ずいぶんと時間がかかる。だからといって、バブルを壊れないよう維持するのも、歪んだ話だろう。じっさい、日本のバブル時代は、ずいぶんいびつに歪んだ時代だった。今日のユーロ危機も、結局はバブルの後始末である。好き放題に借りて蕩尽した奴、うっかりそれに金を貸したのんきな奴、そしてそいつらに年金なんかを預けていた奴。当然お互い、いがみ合いになる。

今回、パリの地下鉄などに乗って感じたのは、人々の雰囲気が暗いことだった。もともと冬の季節は皆、黒っぽいコートを着たがるから、車両の中なんかカラスの集団登校みたいな感じにはなる。しかし、それだけではない、何か心理的に暗い感じを、一緒に旅した息子なども感じたようだ。

その感覚は、南仏で再会した古い知人(わたしが2001年の頃、働いていた駐在先の元上司で、もうリタイアしている)とよもやま話を交わしていくうちに、深まった。劇場でダンスを観た幕間に、最近の情勢を彼は話してくれた。一言でいうと、ドイツとドイツ以外の国の間で、感情的な対立が強まってきている。以前は外交上の、あるいは経済政策上の対立にすぎなかった。そもそも独仏両国は、大して仲が良くない。だからこその欧州統合だったはずだが、ギリシャ危機に端を発して、スペイン、ポルトガル、イタリアと順に傾いてきて、ユーロ体制はすでにかなりの軋みを発している。ところが、この危機に際して、ドイツの企業家達は裏で巧妙に立ち回って、うまく利を漁っている。たとえば農業分野ではこう、あるいは金融ではこう、と、彼はいくつか具体的な例を挙げて説明した。

そういうことがいくつも積み重なって、他国の人間は次第に感情レベルでドイツを疎みはじめている、と彼はいう。じゃあ、通貨統合は崩壊ですか、とわたしがたずねたところ、「もっとひどいことが起きるかもしれない」、との答えが返ってきた。「つまり、我々がかつて通った道だ。そんな状態が近づいたら、自分はヨーロッパを逃げ出すしかない。」--だとしても、極東は今、あまりお勧めじゃないですね。似たような感情的対立があちこちにありますから。タヒチなんてどうですか? そう、冗談交じりに返すのがせいぜいだった。

「まあ、自分は悲観論者すぎるのかもしれない」と、その知人は言った。わたしも、そう願いたいところである。彼はブルジョワ階級の出身だから、いざとなれば逃げ出せるだけの資産もあるだろう。しかし、そうではない一般人はどうするのだ。

それにしても、バブルはいつかは破裂する、という事実を体験したのは、別に日本だけではない。ヨーロッパでも、アメリカでも、アジアでも、なんどもこの事象は起きている。それなのに、なぜわたし達は過去から学ばないのだろう? なぜ、同じ過ちを繰り返してしまうのだろう?

それは、「マネジメントの地位」というものと、本質的な関係があるような気がする。何か過去から学ぶためには、『それは失敗だった』という認知が必要だ。痛い思いをするから、我々は学ぶのだ。そして、次は良くしようと願う。今は不十分で、改善が必要である、と。逆に言えば、“失敗が許されない組織”は、過去から何も学ばない。すでに最上の水準にあり、すべては成功か、少なくとも無事だった訳だから。仮にまずいことが起きても、それは隠され、蓋をされ、あるいは言いかえられて、忘れられてしまう。誰かが覚えていてもらっては困るのだ。だから、もし何かを学ぶ組織を作りたければ、それはすなわち「失敗を許容する組織」でなければならない

失敗は失敗として、不良は不良として認め、記録する。ただし、失敗したからといって、それを誰か個人の責任に帰して、そいつを譴責排除して終わり、とはしない。誰もが失敗する可能性を持っているが、それが通常の錯誤の範囲だったら、錯誤が失敗に直結しないよう、二重三重の防護策を考える。もしそれが果敢な挑戦の結果だったら、その勇気は誉め、ただ前提や無意識の仮説を正しておく。そして、長期的な目でパフォーマンスを評価していく。わたし達は誰しも欠陥のある人間だから、そうしないと前に進めないのだ。

ところが大金融機関のトップだとか、政界のボスだとか、官僚組織の首級格となると、そうはいかないらしい。彼らは最高の組織の頂点にいて、自分達のミスを一瞬でも認められない立場にいる。こうした人たちが、自分のミスを率直に告白し、国民に長い目で考えてくれるようお願いした会見を、見たことがあるだろうか? 少なくともわたしは記憶にない。重大な判断を下す、トップ中のトップ・マネジメントの地位とは、学びを拒絶した地位なのだ。失敗を認めたときは、彼らがその椅子から永久に降りるときである。次にその椅子に座ったものも、前任者が愚かだったとは思うかもしれないが、自分も同様に愚かかもしれないとは夢にも考えない。

こうしてわたし達は、繰り返し同じ過ちをおかす社会に住んでいるらしい。ではこの無限ループから、どうやったら脱出できるのか? もっと素晴らしく賢いリーダーを指導者に選ぶべきなのか。いや、それでは同じループに陥るだけだ。だとしたら、どこにも完璧なリーダーはいないと考えて、お互いにチェック&バランスをとらせる仕組みを作っていくしかない。それで果たしてうまくいくかというと、むろん保証はない。たぶんわたしは知人と逆で、楽天的すぎるのかもしれない。しかし、そうしていく以外の知恵が思い浮かばないのである。

それにしても、奇妙なことが一つある。調べてみると分かるのだが、昨年1年間で、実はフランスの株価指数CAC40は13%も上昇しているのだ。そればかりではなく、ドイツのDAXは29%も上がり、FTSEも上がり、いやギリシャでさえインデクスは33%も上がった。米国のS&P 500、NASDAQもそれぞれ13%、16%の上昇だ。これはどういう事なのか? 欧州も米国も、経済低迷に苦しんだ1年ではなかったのか。あの上海さえ、わずかだが株価が上がっている。

わたしはエコノミストではないから、この奇妙な現象の説明は専門家に任せたい。ただ、素人のわたしにも分かることが、一つだけある。株価はすでに、経済状態を表す第一の指標ではなくなっているらしいという事だ。景況を知るには、雇用だとか、成長率だとか、貿易だとか、その他の指標をいろいろ総合的に分析し判断しなければいけないのだろう。だとしたら、ほんのひととき株価が上がったといって、景気回復だなどと喜んでいるのは、いささか早計だということになりそうである。