安全第一とはどういう意味か (2011/04/02)

ある時、友人がやってきて「車を2,3日貸してくれないか」という。小規模な引越をしたいので車が入り用なのだという。レンタカー代ほどではないが借り賃も払うから、といって謝礼を菓子折と一緒に置いていった。

さて、数日たって友人が返しに来た車を見て驚いた。フェンダーから左のボディにかけてへこみが入り、サイドミラーも折れている。どうして、と聞いたら「左折時に不注意で障害物に引っかけてしまって」という。そして、「すまんすまん。でも、車両保険には入っているんだろ? たいしたことはないから、すぐ直るよ。事故は一定の確率で起きるもんなんだ。」・・そんな風に友人が言ったら、あなたなら、何と答えるだろう?

「いや、車なんか大丈夫。それより君に怪我がなければ、何よりですよ。」こう答えられるほど、寛大な度量はわたしには、無い。たぶん頭に来て、「馬鹿野郎! 人の車を事故っておいて、その言いぐさは何だ。確かに保険にゃ入ってるが、修理の間は使えなくなるじゃないか。お前の顔なんて二度と見たくもない!」と叫ぶだろう。そんな気がする。かりにわたしがビジネスでレンタカー屋を営んでいても、修理期間中の機会損失は保険では埋め切れない。面と向かって怒鳴りはしないだろうが、態度のわるい客には二度と貸したくないと思うだろう。

逆に、友人が使い終わって返しにきた時、きれいに洗車して見違えるようになった上、ガソリンは満タン、さらにオイルまで交換していてくれていたらどうだろう。無論、実際には走行距離の分だけは使って減耗している理屈だが、それでも、貸した時より立派になって返されたら、わるい気はしない。気持ちの良い友人だから、また何かあったら手伝ってやろうと思うはずだ。借りたものは、傷つけずにきれいに返す--これは社会の常識である。できれば前よりもよくなった状態で返す、というなら信用すべき立派な態度であろう。

ところで、話はやや飛ぶが、皆さんは「度数率」という言葉をご存じだろうか? 労働災害統計の基本的な尺度で、労働時間100万時間あたりの事故災害発生率である。一人の年間労働時間はだいたい2,000時間程度だから、いいかえると500人規模の事業所で年間何人ケガをするか、を示す(作業が原因でなる病気も含む)。2009年度は製造業で3.8、運輸業で5.4くらいだ(「労働災害動向調査」による)。赤チンつければ済む不休災害が3割程度入っているから、職場を離れざるを得ない事故はもう少し減る。なお、海外ではOSHA方式の度数率を使い、こちらは20万時間あたりの傷病発生数で測る。

労働安全・衛生・環境の保全をあわせて、英語でHSE (Health, Safety & Environment) Managementと呼ぶ。会社のマネジメントの程度は、このHSEのレベルを見ると、ある程度わかる。わたしが生まれて初めて海外のプラント建設現場に赴任した時、最初に教えられたのが、このHSEであった。安全教育を受けないと、建設サイトには一歩も踏み入れられない(現場用の靴も支給されない)。毎朝の定例ミーティングは、Safetyの報告からはじまる。"Safety first"とはそういう意味だと、初めて学んだ。わたしが現場の道路を、暑くて防護眼鏡を外したまま歩いてると、客先(米国系石油メジャー)の年配のエンジニアから、「メガネをかけて下さい! オネガイシマス!」と呼び止められ注意された。ステップや階段に一歩でも足をかけて上がる時は、安全帯(フック付きのベルト)を体に掛けていなければいけない。そうした厳しいルールが、うるさいほど徹底されていた。

それはなぜか。わたしが建設部の先輩から聞いた説明は、こうだ。「実際の力仕事をしている職人やワーカーは、貧しい地方の村々からろくな教育も受けずに出てきて、家族を養うためにここで働いている。働けなくなったら、その日から家族皆が困る。だから一人でも怪我をせずに、現場から無事帰してやることが俺達のつとめだ。できれば、少しでもスキルを上げて帰してやれれば、もっといい。」そしてこうも言った。「度数率は目標じゃない、結果だ。誰も怪我させないことが、目標なんだ。」

ちなみに、下請け会社が事故を起こしたら、その記録は発注元の度数率に入るか、入らないか? 答えは「入る」である。なぜなら現場全体の安全管理責任は、発注元に残るからである。「権限や作業は委譲できるが、責任は委譲できない」が原則だからだ。わたしの勤務先はホワイトカラーのエンジニアばかりで労働者は一人もいないが、度数率統計があるのはそのためである。

そこで、冒頭のたとえ話を思い出してほしい。友人にとって、借りた車は「リソース」であった。リソースの定義は、すでに何回か書いたが、もう一度繰り返す。『作業に必要で、作業中は占有され、終わったら解放される』のがリソースであり、人や道具や設備機械や作業スペースなどを指す。使い終わったりソースは、返さなければならない。つまり、リソースとは借り物なのである。他部署から借りるか、他社から有償で借りるか、社会から無償で借りるか、いろいろな形態はありうるが、とにかく返さなければならない。

そして、返す時には無傷で返す、のが原則である。だから、Human Resourceとして動員した労働者は、全員を無傷でかえさなければならない。これが『安全第一』の本来の意味なのだ。労働者だけでなく、建設機械であれ、工具であれ、勝手に傷つけてはいけない。作業にスペースを使ったら、返す時には“立つ鳥跡を濁さず”で、環境を汚さずに戻す。借り賃や保険料を払っているから良い、というものではない。駐車場だって、借りたら代金を払うではないか。限りある資源を借りたら有償なのは当たり前だ。また保険は、損害のお金は払ってくれるが、失われた時間や能力は補填してくれない。

では自社の社員だったら怪我しても良いのか? とんでもない。自分の部下は自分の持ち物ではない。その証拠に、会社はわたしの同意を得ずに勝手に部下をつけ加えたり奪ったりするではないか。部下は会社から借りているのである。だから、自分の仕事のために部下の安全や健康を損なうことは、許されない。

そういう許されない事をし続けたら、どうなるか。答えは簡単だ。わたしは「信用を失う」のである(冒頭の友人の例のように)。信用はいったん失ったら、まず戻ってこない。そして信用できない人間には、たとえ金を払うと本人が言っても、だれも何も貸さなくなるだろう。リソースが無ければ、仕事ができなくなる。これが『安全第一』の原則を理解しなかった帰結である。

安全第一とは、借りたリソースは可能な限り無傷で返せ、という意味である。それなのに、“我が身の安全が第一”といった逆立ちの理解が、今の世間では通用しすぎているように思う。わたしはこうした態度を「安全第一主義」と呼んで、区別するようにしている。安全第一のまともな理解は、大学では教えられない。だから今の状況は、企業内教育(の不在)が招いた結果なのだろう。

この話を、どこかTVで報道される遠い所の工事現場の話だと思わないでほしい。度数率統計の対象にはなっていないかもしれないが、オフィスだろうがどこだろうが、原則は同じである。わたし達はいつの間にか、“お金で何でも解決できる”という考え方に染まりかけている。しかし、お金が活きて使えるのは、自分に社会的な信用がある限りにおいてである。そしてその信用とは、「自分は何を借りているか」に自覚的な人だけが保てるものなのである。