もう一度、付加価値とは何か? (2010/06/06)

経済産業省が先頃、「韓国室」という部署をつくったらしい(関連記事)。昨年、UAEの原子力発電所の商談で負けて以来、日本の産業界は急にお隣の国の存在感を意識しはじめた様子だ(まさかオリンピックのフィギュアスケートに勝てなかったからじゃないとは思うが)。私たちはとにかく何であれ海の向こうの流行りものには弱いらしく、いまやサムソンに学べだの、ガラパゴス化で世界の孤児になるだの、メディアはかまびすしい。中には韓国に負けないために日本も財閥を再結成せよだとか、徴兵制をしいて若者を鍛え直せとか、真顔でいう方もおられるらしい(自分で実際に兵役を経験した人など、今や経済評論家にもほとんどいないと思うのだが)。

伝統的に日本の産業界は欧米に顔を向けてきた。基礎技術は欧米から輸入し、お得意の改良をほどこして、製品をまた欧米市場に輸出する。アジア・中東・中南米等はどちらかというと、原油原材料の輸入や部品加工のための足場という扱いだった。このような世界地図の歪みに早く気がついた企業だけは、肌色が白くない人達も、顧客として(またライバルとして)応対してきた。だが、多くの企業は『新興国』という単語が新聞を賑わすまで、世界の変化に鈍感だったと言っていい。

東アジアが競争力を増してきた現在、多くのビジネスマンの頭の中にあるキーワードは、「高付加価値化」であるらしい。価格競争力では、相手に勝てない。なんとなれば日本は人件費も土地代も材料費も物流費も高いからだ。おまけに(なぜだか)円レートまで高い。そこで、お得意の技術力を活かし、高機能・高付加価値の製品を開発して勝負すべし、という結論になるらしい。

でも、ちょっと待ってほしい。高付加価値って、何のことだかみな理解しておられるのだろうか。

いま、かりに私が文房具業界に勤務しているとしよう。私の部署は万年筆やボールペンなど筆記用具を製造し販売している。安いものでは、1本100円のボールペン、高いものでは1本1万円の高級万年筆だ。ちなみに、ボールペンの材料購入費は1本あたり30円、万年筆は材料購入費が6,000円になっている。さて、どちらがより高付加価値だろうか?

こういう質問の出し方をすると、賢明なる読者の方は一瞬警戒して、「ふつう万年筆の方が高付加価値と思うが、コイツはいつものごとく裏のある問題を出してきているんじゃないか?」などと疑われるかもしれない。そして、「じつはボールペンが正解だろう」と考えられるかもしれない。

答えは、万年筆でも、ボールペンでもない。「正解は、わからない」である。なぜなら、それぞれの製品が、何本売れているのかが不明だからだ。

付加価値(粗付加価値)とは、「売上高-外部購入費」で定義される。いま、私の会社は、製造工程はすべて自社内でやっているとしよう(外注費はゼロだ)。そして、万年筆は年産1万本、ボールペンの方は年産100万本だと仮定する。すると、簡単な計算で、

万年筆の生む付加価値=(10,000-6,000)× 1万本=4千万円/年
ボールペンの生む付加価値=(100-30)× 100万本=7千万円/年

という結果になる。ボールペンの方が、万年筆よりも大きな付加価値を生むのだ。むろん、この比較は、製品それぞれの生産本数の大小に依存する。いや、正しくは「販売本数」の大小に依存するわけだ。

とにかく私の会社は、ここで生み出された付加価値の中から、人件費、生産設備の減価償却費、販売経費、その他間接費等を払っていかなければならない。人件費は付加価値の中から捻出するしかないことを忘れないでほしい。高級万年筆製造に必要な高度な職人作業の賃金であれ、ボールペン製造機のパネルの操作オペレータであれ、給料の元はそこにしかないのだ。

では、この二つから、どのような結論を引き出したらいいのだろうか。アジアとの競争に打ち勝つために高付加価値製品にシフトすべきだとしたら、万年筆は捨ててボールペンに「経営資源を集中」すべきなのだろうか? いや、それは早計である。問題は、それぞれの製品の市場の大きさはどの程度で、自社の競争力の源泉はどこにあるのか、にある。それを忘れて、単に付加価値だけで判断してはいけない。

もし私の会社が、価格の安さしか取り柄のない製品ばかりを作っていて、かつアジアの競争相手の製品が、“安かろう悪かろう”で攻めてくるのだとしたら、品質で差別化するのも一つの手段である(もっとも、品質では直に追いついてくると思うが)。でも、納期や品揃えの的確さ、アフターサービスの柔軟性などで競争すべきかもしれない。あるいは、もしかしたら、万年筆の市場で得た付加価値を原資にして、ボールペンでの価格競争にそなえるという戦略もあるかもしれない。とにかく、競争力の源泉を間違えずに理解して対応すれば、販売数量は減らないだろうし、結果として付加価値も落ちないだろう。

世間の誤解は、「高付加価値製品」=「高価な商品」という点にある。単価で比較すれば、そう思えるだろう。しかしビジネスは、いくつ売ってナンボの世界である。1個1000円もする高価な日本産リンゴが、上海の高級スーパーマーケットで売れている、というニュースを見て、“やっぱり農業もこれからは高付加価値化が”などとコメントするのは、早計に過ぎる。たしかに、そういう行き方もあるだろう。だが、リンゴのクラス別販売数量を見れば、それはニッチな戦略であることがわかる。そうでない平凡なリンゴも、世の中では大きな需要があるからだ。

日本企業は、国内市場の赤字を、海外への輸出利益で補っているのに対し、韓国企業は国内で設けた分を海外で安く輸出するのに使っている。だから海外市場で日本製品は高価なのに韓国製品は安価なのだ、という説明がある。私自身は、どこまでこの説明が正しいのかは分からない。しかし、企業においては、複数の製品がつくり出す付加価値を、どこに再配分するかがマネジメント上の重要な戦略である。なぜなら、付加価値こそが経営資源の源泉だからだ。そして、前回の書評『コストダウンが会社をダメにする』(本間峰一著)でも引用したように、国レベルでも付加価値こそ経済の源泉なのである。できるならば、より多くの人が、このことを理解されることを望むばかりだ。