計量・秤量・裁断作業のスケジューリング

最近、ある大手ソフト・ベンダーからMESパッケージに関するプレゼンを聞く機会があった。ご存知のとおり、MES(Manufacturing
Execution System=製造実行システム)は業種別の固有な特性が強い。われわれシステム・インテグレーターの立場からは、どのパッケージをどの顧客に当てはめるべきか、見極めることがとても重要になる。

ところで、プレゼンを聞いていたら、「このパッケージでは、原材料を中間品や製品に加工していく段階のみを『工程』とよび、秤量は単なる『作業』として扱う」という説明が出てきた。マテリアルに加工を加えて、別のマテリアルにするような仕事のみを工程と呼ぶというわけである。つまり、言いかえると、BOMの親子関係で結ばれないような仕事は、製造工程としては付随的なものだ、という発想なのだ。

「秤量」とは何かというと、粉体や液体の原料を、精確に計量する仕事だ。化学天秤などの秤をつかって、必要量だけ小分けする作業である。主に医薬品や飲料・食品・香料・化粧品などの工場での呼び方だ。最近の秤量機械はインテリジェントで、上位系システムと接続してデータのやり取りもできる。広い意味では、「計量」の一種である。

そして、じつは多くの生産スケジューラや生産管理システムは、この秤量・計量といった仕事をうまく取り扱えない。「容器」をうまく扱えないこととならんで、現代のAPSシステムの困った欠点だと、私はかねがね感じている。

ご存知の方も多いだろうが、医薬品製造の世界には、GMP=Good Manufacturing
Practice
という考え方があり、厚生省令で事実上法律と同じ力を持っている。このGMPの中では、秤量は製造行為の一部であると規定されており、正しく作業が行われていることを製造管理責任者が確認しなければならない。「薬のさじ加減」がずれたら薬効が変わってしまう以上、当然である。上述のベンダーだって、そのことはよく知っている。

にもかかわらず、生産計画やスケジューリングの中で、しばしば、計量・秤量などの行為は、脇役的な仕事と位置づけられる。なぜか。おそらく、MRPの所要量展開計算をしても、計量・秤量の指図が導出できないからなのだ。「BOMの親子関係に工程や工順(ルーティング)が対応する」というデータモデルの前提に、うまくあてはまらないのだ。秤量の前後でマテリアル・マスタの品目に変化が無いのだから、どう位置づけたらいいか分からない、のだろう。

同じような問題は、「裁断」という行為にもあらわれる。製鉄・金属材料・電線・フィルム・繊維などの世界では、原材料や製品をロールやシートで取り扱うことが多い。これを裁断して形を与え、小分けする作業が必要である。これも、物自体に変化を加える加工ではない。だからデータモデル上での位置づけに困ることが多い。食品工業によくあわられる「不定貫」の材料を計量する行為も似ている。

こうした幅広い業種で必要とされる作業をシステム化できないことの弊害は大きい。パッケージを持ってきても、業務にうまくフィットしないのだ。「業務をパッケージに合わせろ」となどいうことを言うベンダーもいるが、切らずに縫える布があったらお目にかかりたいものだ。MRPの考え方の根底には、機械部品などのディスクリート型の発想があって、ものを数えたり切ったりする必要性が抜け落ちている。この点に気がつけば、問題解決の糸口は見えてくるはずなのだ。

ところで、もしかすると、計量・秤量・裁断などの仕事が生産管理システムでうまく扱えない理由は、じつは別のところにあるのかもしれない。これらの仕事が『付加価値を生まない』と考えられているから、軽んじられてる可能性もあるのではないか。対象となる物品に何の変化ももたらさない、つまり価値創造に貢献していない、というわけだ。

そうだとすると、これはもっと深刻な哲学的問題(?)である。よく、「物流には付加価値がない」などという人がいるが、私は賛成しない。モノを利用可能な形で移動・保管・供給するのは立派な仕事だ。同じように、精確に秤量された原料は、秤量されていない缶の中の原料よりも高い利用価値がある。物の形を変えない限り付加価値とは認めない、という考え方の人は、「物を右から左に動かすだけで利を得る商人は、物を作る職人よりも身分が下である」という、江戸時代の士農工商の思想から抜け出ていないと、私は思うのだ。

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